No.00373 スペインの葡萄 |
スペインワイン黄金期という奇跡が生み出した葡萄ピアスです!♪

ただでさえ稀少な天然真珠を倍の数だけ必要とするピアスで |
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葡萄の房のみならずリアルさを追求した葉や蔓の造形! 厚みの少ない古いローズカット・ダイヤモンドならではの、朝露や雨後の水滴のような輝きと透明感!♪ |
リアルな葉を実現するための、シャープペンシルの芯より細い
アーティスティックな神技の透かし細工
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左上の透かしはシャープペンシルの芯どころか、通常のA4の印刷用紙すら入りませんでした。つまり普通の紙以下の薄い道具で加工しています!! |
![]() ※画像は干渉光でカラー天然真珠にも見えますが、実物は全て白く均質に感じる天然真珠です。ページ最下部のスマホ撮影による着用イメージもご参照くださいませ。 |
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『スペインの葡萄』 |
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天然真珠の葡萄ジュエリーとして、これ以上に贅沢なピアスはないと確信できる宝物です!♪1粒でも稀少価値の高い高品質の天然真珠を左右17粒ずつ、計34粒も使い、ゴールド・ワイヤーで立体的な房を組み上げています。見た目の大きさでなくリアルさと上質さを追求した、美意識の高い王侯貴族のためのピアスです。 |
この宝物のポイント
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1. スペイン産ワイン黄金時代の葡萄ピアス
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アンティークジュエリーは、19世紀に最盛期を迎えた大英帝国に由来するものが市場では圧倒的に多いです。 かつて世界の覇権を握ったスペインのハイジュエリーは、過去48年間で古いものはいくつかご紹介していますが、このような19世紀後期の宝物は初めてというほど珍しいです。 |
アンティークジュエリーは時代の生き証人です。時を超えて語りかけ、その囁きに耳を傾ければ、様々なことを教えてくれます。この宝物は1870年代から1880年代にかけて、スペイン産ワインが黄金時代を迎えたからこそ生み出されました。 |
1-1. 知られざる葡萄大国スペイン
1-1-1. スペインの地理
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南欧イベリア半島にあるスペインは、葡萄栽培に適した土壌に恵まれています。フランスと隣接し、より南となるアフリカに近い位置にあります。 |
![]() "Spain topo" ©Captain Blood~commonswiki/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ワイン生産はテロワール(地勢・気候・土壌などの土地固有の条件)が重要です。スペインの地理は、メセタと呼ばれる標高500〜800m前後の広大な高原が特徴です。日本だと避暑地や高原リゾートのイメージがある標高です。長野市で約360〜700m、安曇野市で約500〜700m、諏訪市で約760m、軽井沢町で約940〜1,000mです。 |
1-1-2. 種類豊富なスペインの葡萄
スペインは地域によって気候が異なっており、スペイン固有の葡萄品種が豊富に存在します。全土で400種類以上の品種が栽培されています。日本人の品種改良好きは有名で、お米の栽培品種は主食用だけで285品種以上あり多いと言われますが、葡萄だけで400種類以上だなんて凄いですね。 |
![]() "Vibis DO de Espana" ©Emilio Gomez Fernandez(May 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
2010年の統計で、スペインの葡萄の栽培面積は世界第1位となる108.2万ヘクタールです。フランスが81.8万ヘクタール、イタリアが79.5万ヘクタールで、スペインだけで世界全体の約15%、EU全体の約30%を占めています。知られざる葡萄大国です! |
1-2. 1870〜1880年代のスペイン産ワインの黄金時代
1-2-1. 古代から続くスペインの葡萄栽培
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スペインで葡萄栽培が始まったのは紀元前1,100年頃とされます。地中海交易で活躍していたフェニキア人が、カディスにワイン交易所を設立したのが起源と考えられています。その後、最初期の農学者によって知識や技術が伝わりました。 |
![]() "PhoenicianTrade" ©Yom(2006-07-11 07:02)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
![]() "Amphorae stacking" ©Ad Meskens(July 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
フェニキア人や古代ギリシャ人によってワインの交易が活発に行われ、紀元前5世紀にはスペイン東部にもかなり広まったとされます。大量輸送は今でも船による海運がメインですし、少し前までは鉄道網や大型トラックもありませんでしたから、流通は海と大河川を見ながら理解する必要があります。地図が全く違って見えますね。 |
1-2-2. 博物学者プリニウスも高く評価したスペインワイン
ローマ帝国でもイベリア半島領域は帝国中心部へのワインとオリーブ・オイルの一大供給地として、ワイン生産技術の向上が進められました。 |
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![]() "Hispania 2a divisuin provincial" ©Lucash(8 July 2012)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
当時のイベリア半島の2大ワイン生産地はヒスパニア・タッラコネンシス(スペイン北東部)と、ヒスパニア・バエティカ(アンダルシア州周辺)でした。 博物学者プリニウスや同時代の風刺詩人マルティアリスは、タッラコネンシス産ワインを高品質と評価していました。 |
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アルティアリスはヒスパニア出身で、今日のエピグラムの始祖とされます。ルネサンス期に再発見され、鋭敏な好奇心と観察力が高く評価される人物です。 プリニウスやアルティアリスのような知性を教養で高く評価される古代ローマの有名人もワインを飲み、産地を批評していたというのが、現代の私たちと変わらなくて面白いですね♪ |
1-2-3. 新大陸に進出したスペインワイン
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大航海時代が始まると、クリストファー・コロンブスなどによってパイナップルを始め、珍しい南国の樹木やオウムなどの動植物がスペインにもたらされました。 その逆に、ヨーロッパから新大陸にもたらされたものもありました。それがスペインワインや葡萄でした。 |
![]() "Vinedos de mendoza" ©xxxx(23 April 2008, 09:44:27)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
大西洋の彼方の新大陸を"発見"したのはスペイン帝国で、アメリカ大陸にワインをもたらしたのもスペイン人でした。スペイン人宣教師やスペイン王に認可を受けたコンキスタドール(征服者/侵略者)がヨーロッパブドウを新大陸に移植したのが始まりです。アメリカ大陸での葡萄栽培はスペイン人の到着と共に始まりました。かなり遅れてポルトガル人も葡萄栽培を始めています。 |
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1520年代初頭にメキシコ、1530年代初頭にペルー、1530年代後半にボリビアとコロンビア、1540年代初頭に地理、1550年代広範囲はアルゼンチンで葡萄栽培が始まりました。この時代に開墾された地域の多くが、現代でもワイン産業の中心地として続いています。 |
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チリ、アルゼンチン、ペルーではフランシスコ会やイエズス会が葡萄畑を開墾したそうです。ちなみにコロンブスは出自が不明ですが、功績によってスペイン王室により子孫がベラグア公爵とラ・ベガ公爵に叙されており、スペイン貴族として今でも続いています。 フラシスコ・ザビエルもスペインのナバラ王国出身で、ハビエル城で生まれ育ったバスク人のスペイン貴族です。こうして見ると、スペインの歴史への影響は本当に大きいですね。 |
1-2-4. スペインワインの輸出先
![]() "Argentina topo blank" ©Captain Blood(9/06/2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
アルゼンチンやチリ辺りも、いかにも葡萄栽培に向いていそうですね。 アルゼンチンの特に北西部の葡萄産地では、生育期の大部分が乾燥して湿度がないため、様々なブドウ病害や菌性腐敗の発生が抑えられています。 これにより多くの葡萄園では農薬を使用せず、有機葡萄栽培に資する条件で栽培されているそうです。 |
![]() "Vignoble Mendoza Argentine" ©Europian citizen/toute(25 May 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
16世紀にスペイン人入植者がインカ帝国の技術を持ち込み、アンデス山脈からの雪解け水を使用する複雑な灌漑システムも確立されました。壮大な時代ですね。 スペイン本国自身は輸出で儲けたかったため、アメリカ新大陸での生産拡大を奨励しませんでした。しかし、現地の入植者や新しく夢を抱きチャレンジする人の勢いを止めることはできません。広大で優れた未開墾の地があるとなれば、拡大する一方です。こうして今に繋がるアメリカ大陸産のワイン産業が構築されていきました。 |
![]() "File:Spanish Empire" ©Albecht, Arthr Wellesley, XGustaX on en.wikipedia/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
スペインが史上最もはんえいした16世紀半ばから17世紀前半までは『黄金世紀(Siglo de oro)』と呼ばれ、『太陽の沈まない帝国』を実現しています。ピークに達した後は力を失い、19世紀初頭にはスペインが新大陸に有していた植民地がほぼ全て独立しました。植民地に買わせるという手法ができなくなり、新たにスペインワインの重要な輸出先となったのが隣国フランスのテーブルワイン需要でした。 |
1-2-5. 19世紀中期のスペインワインのフランスへの輸出拡大
1845年、イギリスでうどんこ病が発生しました。1850年代にはドーバー海峡を渡ってフランスに蔓延し、さらにヨーロッパ大陸の葡萄栽培地域の大部分に拡大しました。 |
![]() "UncinulaNecatorOnGrapes" ©Maccheek at English Wikipedia/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
うどんこ病はカビで、うどん粉をかけたような白いカビが広がるのが特徴です。1850年にポルトガル経由でスペインにもうどんこ病が到来したものの、乾燥した気候が幸いして被害は限定的でした。この病害によりスペインからフランスへのワイン輸出が増加し、1850年から1857年の7年間で3.6倍に拡大しました。 |
1-2-6. フランスのワイン産業壊滅とスペインワイン黄金時代
![]() "Grape leaf showing galls from Phylloxera" ©cathdrwg(4 August 2010, 14:24:32)/Adapted/CC BY 2.0 |
フランスでうどんこ病が一段落したのも束の間、害虫フィロキセラ(ブドウネアブラムシ)がフランス全土の葡萄畑に蔓延し、地場産業であるワイン製造に壊滅的な被害を与えました。 被害はヨーロッパで広く発生したものの、フランスが最大の被害地でした。1863年にフランスで葡萄の樹が大量枯死する原因不明の現象が発生し、10年ほどでフランス全土、さらにヨーロッパ中に広がりました。 1850年代後半から1870年代半ばまでの15年間で、フランスの葡萄の樹と葡萄畑の40%以上が壊滅しました。フランス経済への影響も甚大で、多くが廃業し、続けられても賃金は半分以下という状況でした。アメリカや他国へ移民した人も多かったそうです。 |
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事態を重くみたフランス政府は調査委員会を組織し、各国の植物学者や昆虫学者が問題解決に取り組みました。現代でもフィロキセラに対する根本治療法は確立されていませんが、フィロキセラに強いアメリカ原産の葡萄の樹を耐虫性台木として接木する手法が確立し、時間がかかりながらも葡萄の樹を入れ替えることで解決されました。 |
![]() "Un vinedo con vistas - 01" ©Enrique Dans(2 September 2011, 18:38:12)/Adapted/CC BY 2.0 |
結局スペインにもフィロキセラは襲来しましたが、この時間差がスペインワインに黄金時代をもたらしました。フランスワインが壊滅的な惨状となる中でもテーブルワインの需要は高く、スペインから輸入するワインの関税を大きく引き下げ、大量に輸入することとなりました。1876年から1891年の15年間で輸出量は約8倍にまで増加し、スペイン産ワインのフランスへの輸出比率は1882年に81.8%にまで増加しました。 |
![]() "Vineyard Ciudad Real" ©David Carrero Fernandez-Baillo(2004)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
未開墾地は新たに葡萄畑となり、オリーブ畑や小麦畑が葡萄畑に転換されました。1860年の葡萄栽培面積は約120万ヘクタールでしたが、1892年には180万ヘクタール以上と1.5倍に増加しています。黄金時代とされた1870年代から1880年代にかけてのスペインのワイン産業が、いかに儲かったのか伝わってきますね。 |
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しかしこれはあくまでも時間差の恩恵に過ぎませんでした。1878年にはスペインで始めてフィロキセラが確認されました。スペインはフランスと比べて拡散速度が緩慢で、ゆっくりと全土に広がっていきました。同じスペイン内でも、襲来が遅れた地域は他地域の深刻な状況を尻目に繁栄を享受できたそうです。 |
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しかし1878年から1909年までの約30年間で、スペイン全土で103万6,807ヘクタールの葡萄畑が破壊されました。 時間と手間のかかる接木を経て、復興された葡萄畑は32万3,858ヘクタールに過ぎませんでした。多くの農民は葡萄栽培を断念しオリーブや穀物、柑橘類などへの転換を選んだそうです。 現代のスペインの葡萄栽培面積は世界第1位となる108.2万ヘクタールですが、最盛期の180万ヘクタール以上には遠く及びません。 |
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この超贅沢な葡萄の宝物は、奇跡的な条件が揃い、スペインのワイン産業が黄金時代を謳歌できたからこそ作られたわけです。 |
1-3. 農園オーナーならでは葡萄デザイン
1-3-1. 縁起モチーフとして定番人気の葡萄
葡萄はそのものの見た目も魅力的ですが、豊穣を示す子孫繁栄や縁結び、夫婦円満などの縁起の良いシンボルとして王侯貴族のジュエリーにデザインされてきました。時代を問わず定番人気があり、表現も様々です♪ |
![]() REGARD ロケット・ペンダント イギリス 1820年頃 SOLD |
![]() フランス 1830年頃 SOLD |
![]() 天然真珠ロケット・ペンダント フランス 1880年頃 SOLD |
1-3-2. 持ち主のバックグラウンドを反映した葡萄ジュエリー
意匠として葡萄がデザインされたものもありますが、明らかにワイン生産者やワイン愛好家を連想させる宝物に出逢うことがあります。 |
![]() リージェンシー ペンダント イギリス 1811〜1820年 SOLD |
![]() フランス 1910年頃 SOLD |
左はワイン樽がモチーフです。右は収穫してバスケットで運ぶ葡萄です。どちらも縁起モチーフではなく、より具体的なものとして表現しています。ワイン生産者やワイン愛好家を連想させます。 |
![]() ストーンカメオ ルース 古代ローマ 1世紀 or イタリア 17世紀 SOLD |
このように、具体的にワインを作る様子をモチーフにした宝物もありました。 Genも大のお気に入りの、魅力あふれるアーティスティックなカメオです。 これら具体的な表現の宝物は、より当時の持ち主のバックグラウンドが伝わってきて楽しいです♪ |
1-3-3. 王侯貴族と葡萄園オーナー
ヨーロッパの王侯貴族は文化の担い手でもあり、それは食文化も含みます。ヴェルサイユ宮殿時代の礎を造り上げたフランス王ルイ14世が広大な『王の菜園』に力を入れていたことからもお分かりいただける通り、どこかから選んで購入するだけでは満足できない無類のワイン好きの王侯貴族の場合、葡萄園ごと所有したりします。 |
ルイ15世時代のフランス貴族
ヨーロッパの王侯貴族は文化の担い手でもあり、それは食文化も含みます。ヴェルサイユ宮殿時代の礎を造り上げたフランス王ルイ14世が広大な『王の菜園』に力を入れていたことからもお分かりいただける通り、どこかから選んで購入するだけでは満足できない無類のワイン好きの王侯貴族の場合、葡萄園ごと所有したりします。 |
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『食』は最重要な社交の1つでもあり、特にワインはその中でも中心となり得るほど重要ですから、戦略的に葡萄園を入手することもあります。革命前の最も華やかだったヴェルサイユ宮廷時代、愛妾ポンパドゥール夫人はワインでルイ15世の関心を買おうと、ブルゴーニュの高名な葡萄畑を手に入れようとしました。後にロマネ・コンティと呼ばれる葡萄畑で、1760年のことでした。 残念ながらコンティ公ルイ・フランソワ1世に争奪戦で競り負け、手に入れることはできませんでした。コンティ公はルイ15世から、ポーランド王への立候補の個人的支援も勝ち取ったほど信任されていた人物でした。政治的な陰謀に関してはポンパドゥール夫人が勝っています。財力で敵わずとも知力で凌駕という感じでしょうか(笑) |
![]() "Vue du chateau depuis les vignes." ©MaT-WiKi1(12 June 2022)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
事の顛末を見てリシュリュー枢機卿の縁者、ギュイエンヌ総督リシュリュー男爵マレシャルがポンパドゥール夫人に勧めたのがボルドーのラフィットでした。当時ギュイエンヌ(ボルドーの旧州名)は田舎というイメージがあり、田舎を下に見る風潮があったパリ貴族は専らブルゴーニュワインを愛飲していました。 勧められたラフィットをポンパドゥールは大いに気に入り、ヴェルサイユ宮殿の晩餐会で必ず飲むようになりました。負けたライバルのワインも飲みたくないでしょうしね。リシュリュー家の支援もあって、ボルドーワインは宮廷で脚光を浴びるようになりました。中でもラフィットは『王のワイン』と呼ばれ、革命前夜にはその名声は揺るぎないものとなりました。結局ワインに関しても、ポンパドゥール夫人の勝ちとも見れますね。 |
ロスチャイルド家のシャトー
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名声を確立した1868年にシャトー・ラフィットは、ロスチャイルド家の五男ジャコブ・マイエール・ド・ロチルドの手に渡りました。現代でもロスチャイルドのワインとして有名ですね。 |
![]() "Chateau Lafite-Rothschild ©PA(2 August 2014, 26:13:34)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
イギリスにあるロスチャイルドの邸宅ワデズドン・マナーも正面のワインのオブジェや、ワインセラーやワインを楽しむための贅沢な地下室があります。他所で買ってきた既製の高級品を自慢して満足するようでは、発想が中途半端な成金でしかありません。自身で畑ごと所有し、品質をさらに向上させ、上手にプロモーションして社交界でより高い評価と支持を得ること、それこそが高貴なる者の発想です。莫大な財力のみならず、深淵なる教養や知性が必要な世界です。 |
第3代アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソン
1776年のアメリカ独立宣言の主要な執筆者で、第3代アメリカ合衆国大統領を務めたトーマス・ジェファーソンもワイン好きで有名です。 |
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痩せ型で背が高く183cmあり、とても姿勢が良かったとして『独立宣言』の絵画でも、大陸会議に草稿を提出する五人委員会の中で中央の背が高い人物として描かれています。政治的な能力はもちろんですが、ジェファーソンは博学者として知られ、数ある得意分野の中でも最初に挙げられるのが『園芸学者』でした。ほか、政治指導者、建築家、考古学者、古生物学者、発明家およびバージニア大学創設者として傑出していたとされます。 |
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1784年から1789年にかけて、アメリカ合衆国大使としてヴェルサイユに赴任していたジェファーソンは自国でのワイン造りを思い立ち、フランスやヨーロッパ諸国のワイン産地を視察しました。 1787年にはボルドーも視察し、ラフィットは生涯の愛好家となるほど気に入りましたが、このようにも発言しています。 |
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豊穣の角コルヌコピアを持つ女神で擬人化された、豊かな恵みを生み出すアメリカの土壌のポテンシャルは底知れませんからね。 |
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傑出した園芸学者であり、しかも広大なフロンティアが広がるアメリカ合衆国の政治政策が決められる立場です。 国土が所領で、好きに造園できる王族クラスの立場と見ることもできます。 具体的に立案し、実務を実行する人は視察によってリアルな現場もよく理解しているものです。 |
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葡萄はどう実るのか、果実だけでなく枝葉はどうなっているのか。 想像でしか知らなかったり表面的にしか理解していない人と、実物を深く理解している人とではできる話も全く異なりますし、芸術作品として表現する場合でも明確に違いが出ます。 |
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「偉い人、インテリだから泥臭いことは嫌いだろう。」とレッテル貼りして勘違いする人も少なくありませんが、上流階級の知的階層は好奇心旺盛で知的なものに貪欲なので、実体験を元に案外よく知っているものなのです。 |
1-3-4. スペイン貴族と葡萄園
スペインはフランスと違い、高付加価値の銘柄が少ないです。それもあってあまり注目されてこず、主要輸出先もドイツ、イギリス、フランス、アメリカ、オランダなどで、日本では少しマイナーな印象があります。そのような中で、リオハはスペインのワイン法で最上位に認定されている高級産地です。 |
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それに貢献したのも、やはりスペインの上流階級でした。その功績で初代ムリエタ侯爵となるルシアーノ・ムリエタと、第5代/第6代リスカル侯爵は財産の召し上げを画策するスペイン中央政府に反発し、フランスのボルドーに亡命していました。そこでボルドーのワイン製法を学び、帰国後にリオハ・ワインの生産に応用しました。 |
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ルシアーノ・ムリエタは軍人としてスペインの有力貴族で政治家・軍人のバルドロメ・エスパルテロと出会い、仲良くなりました。その支援と共に、リオハの裕福な家の女性と結婚したこともあり、1852年にワイナリーを設立することができました。これがリオハに於ける良質なワイン生産の礎となったとされます。その功績で1872年、スペイン王アマデオ1世からムリエタ侯爵を授かりました。 |
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第6代リスカル侯爵カミロ・ウルタド・デ・アメサガも父からワイナリーを相続し、1858年に『リスカル侯爵』として知られるワイン製造会社を設立しました。 1865年にボルドーで開催されたワイン品評会で、このリスカル侯爵が一等賞を勝ち取っています。本場フランスのボルドーで評価されるなんて凄いですね。 リスカル侯爵やムリエタ侯爵が19世紀後半にボルドーの醸造技術をリオハ地方にも伝えようとしたものの、伝統的な製法にこだわるリオハの醸造家の反発も多々あったようです。 しかしながらフランスがうどんこ病やフィロキセラに襲われると、リオハ貴族とのコネクションもあり、ボルドーの醸造家たちがピレネー山脈を超えて相次いで移住し、ボルドーワインの技術がもたらされることになりました。 フランスへの重要輸出品となると、"フランス人好み"ということも大事になってきます。行政が醸造家を招聘してワイン産業を育てたり、フランス人自身がリオハのテロワールに魅力を感じて輸出ワイン製造用の大規模ワイナリーを立ち上げるなど、ワインの街として大きく発展しました。 |
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1890年代から1910年代には相次いでボルドー製法の大規模なワイナリーが建設され、良質なワインの量産が開始されました。 ワイン産地として発展したリオハの中心地アロは、1891年に摂政マリア王太后から『市』の称号が与えられ、翌1892年いはスペイン銀行が支店を開設しました。 州都以外への支店開設は珍しく、それだけ発展が著しかったことが伺えます。 同年、アロにはブドウ醸造学研究所も設立され、外貨を稼ぐ重要産業としてワインの品質管理の強化もなされました。 |
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オーク樽を倉庫で長期間熟成させるボルドー製法は、オーク樽の購入や倉庫の建設など多額な初期費用を必要とたため、新たな手法を用いることができたのは貴族や新興富裕層に限られました。 だから上流階級向けのフランス人好みの高級ワインを作って大いに儲けることができたのは、やはりスペインの上流階級だったと言えます。 そのような、スペインワイン黄金時代のスペイン貴族のジュエリーとしてこのピアスは作られたのでしょう。 しかしフランスへの原酒の輸出だけでも多くの利益が得られたそうで、大多数を占める小規模生産者も敢えて新技術を導入する動きには至らなかったそうです。 |
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小規模生産者に至るまで、それほど儲かった時代だからこそ、貴族のジュエリーとしてこれほど贅沢な宝物が作られたのでしょう。 |
1-3-5. 葡萄への愛と情熱が伝わってくるリアルな表現
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定番の人気モチーフなので、葡萄のジュエリー自体は珍しくありません。 ただ、今回の宝物はファッション的な葡萄モチーフとは明らかに一線を画します。 |
1-3-5-1. ファッションジュエリーとしての高級既製品
![]() ヨーロッパ 1930年頃 SOLD |
例えばこれは同様のピアスが一定数つくられています。 アンティークジュエリー市場が全盛期だった頃はたまにご紹介していましたが、8年前となる2017年には市場の枯渇が進行し、既に手に入りにくい状況でした。 どれくらいの数が作られたかは不明ですが、シルバー・ギルトの葉っぱをご覧いただくと、わりと簡素な打ち出しです。 |
最高級品と比べると作りが物足りなく感じるかもしれません。手元で眺めて心豊かな時間を楽しむというより、上流階級が気軽にファッションを楽しむための高級既製品という位置付けで見るのが妥当です。このような高級既製品も、昔のものは職人によるハンドメイドなので、デザインや作りにかなり差があります。これは高級既製品の中で、センスも作りも良くできています。 |
1-3-5-2. 葡萄の果実の表現から分かるジュエリーの格
より高価格帯の葡萄ジュエリーだとデザインも様々で、果実を天然真珠で表現するのも定番です。1粒でも高級な天然真珠を数多く必要とするので、一定以上の高級品にしかできません。その中でジュエリーのランクの見分け方はいくつかありますが、分かりやすいのは真珠の質を見ることです。 |
![]() 【引用】兵九郎粕漬け 井上真珠HP / 真珠貝として有名な高級貝「あこや貝」の生態© 兵九郎粕漬け 井上真珠 |
これは取り出した状態のありのままの養殖真珠です。真珠層を巻いていないものも混ざっているほか、色彩も実はこれだけ個性に富みます。店頭に並んだ商品の状態とはかけ離れていますね。 |
マルチカラーと称される低品質品 | ||
天然真珠 | 養殖真珠 | |
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左は天然真珠、右2つは養殖真珠です。右2つはヴィンテージで、現代のように何も考えず「取り敢えず全部脱色!」となる以前のものです。養殖で均一化できるのは大きさと形状だけです。脱色と染色(一連を『調色』)をしなければ色彩は均一になりません。天然真珠も養殖真珠も、ありのままの自然の色で均一に揃えるのは至難で、かなり手間もお金もかかります。 敢えて揃えない選択をする場合も多いです。それが感覚的に美しいと感じられれば1つの表現と言えますが、基本的には妥協の産物です。「あれ?腐った実が混じっていますよ(笑)」と素直な感覚では思うのですが、真珠というだけでありがたがる頭デッカチな人は、『マルチカラー』という宣伝文句の相乗効果で喜んで大金を出してくれます。左のアンティークはそれでも一応高級品です。 |
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プラチナに15ctゴールドバックのエドワーディアンです。葡萄の葉の複雑な造形や、葉脈の透かし細工など、HERITAGEでは扱わないクラスながらも高級品の作りがなされています。 |
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その一応高級品に使用されているのが、このクラスの天然真珠です。天然真珠で、大きさと形状を揃えるだけでも大変だったはずです。色彩もドス黒いものは排除し、可能な限り綺麗なものを選んだと想像しますが、HERITAGEの厳選された最高級品を当たり前だと思っていらっしゃった方には衝撃のレベルかもしれません。 Genは「安物を見たら目が腐るから、見ない方が良い。」というのは一理あって、市場の大半はこれと同等レベル以下です。妥協の産物や悪意のあるものは心を癒すどころかエネルギーを吸い取るため、雑多なものから選んで買い付けしていた頃は、買い付けの後に激しく消耗していたそうです。今は信頼できるディーラーからの仕入ルートがあるので、酷すぎる物は見ずに済んでいます。 |
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「こんなの誰も買わないのでは?」と思われるかもしれませんが、実物サイズだと違いが分からない人の方が圧倒的に多いです。 インターネットで販売しても、手間をかけて拡大画像を掲載する人などいません。ハンドメイドのジュエリーは、普通は拡大すると粗が目立つようになります。マイナスにしかならないのに、商売人が時間と手間をかけるなどあり得ません。バレないように、なるべく拡大せず小さな画像で掲載します。 |
1-3-5-3. 葡萄の果実に込めた情熱
最高級品として作られた天然真珠の葡萄ジュエリーは、過去48年間を見る限り質が揃えられています。上質で均質な天然真珠をたくさんの数、揃えることが至難で、それを実現させること自体がラグジュアリーの証となるからです。 |
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右は、今回の宝物より少しだけ後の時代に作られた葡萄ペンダントです。粒がガタガタで、色彩も揃えようとしたのか分からぬほど変なバランスです。歯抜けのような葡萄は豊穣どころか不作の印象しかありません。 今回の宝物は左右に17粒ずつ、合計34粒もの質の揃った最高品質の天然真珠を使用しています。ペンダントやブローチと異なり、同じものを2つ作らなければならないピアスは天然真珠を集める制約が大きく、このような葡萄モチーフの天然真珠ピアスは殆ど作られていません。あったとしてもマルチカラーだったり、天然真珠の数が6粒程度など数が少ない構成です。 |
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今回の宝物の天然真珠は色があるように見えますが、基本は白です。かなり干渉光が出やすい天然真珠が揃えられており、光の加減で豊かに表情を変化させます。その美しさに魅了されると共に、これを実現するために一体どれだけお金をかけたのだろうと溜息が出ます。 |
1-3-5-4. 葡萄の葉と揺れる構造に込めた情熱
耳元で揺れるピアスは魅力的です。揺れる構造は作るのに技術と手間がかかりますが、その魅力ゆえに、美意識の高い高級品では力を入れて設計されているものです。 |
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『たわわに実った葡萄』は、やっぱり揺れると素敵ですよね。左のピアスは被さった葉っぱごと揺れる設計です。今回の宝物は、上部の枝や蔓まで丁寧にデザインしているのが大きな特徴です。そして、下部の果実の房が単独で揺れる構造になっています。リアルな葡萄の再現をここまでこだわっているのは目を見張ることで、これこそが葡萄園オーナーの持ち物と確信できる部分です。 |
![]() スペイン 1870〜1880年代 |
![]() 葡萄 ペンダント イギリス 1920年頃 SOLD |
右も28粒の瑞々しい天然真珠を使用した、驚異の葡萄ペンダントでした。伸びやかな蔓が表現され、高度な彫金を駆使したホワイトゴールドの葉っぱも見事でしたが、葉っぱと葡萄の房の比率に注目すると、『山海の恵み』は天然真珠の葡萄の房が主役です。天然真珠が史上最も高騰した時代背景を考えれば、当然と言えば当然です。 今回の宝物は天然真珠がこれだけ素晴らしいにも関わらず、葉っぱやそれを支える枝の表現から、熱い情熱が伝わってきます。収穫物となる果実は大きな成果ですが、それは支えてくれる枝があり、太陽の光を浴びた葉が栄養を与えてくれるからこそです。 |
岡山の新見のワイナリーでの植樹祭(2014年) | ||
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観光や視察などの"お客様"レベルだと、収穫時の最終形しか見なかったりします。しかし農園所有者であれば、すくすくと育つ様子を愛情を持って見守ります。果実だけでなく育ちゆく枝や葉も含め、全てに愛情を感じるでしょう。 |
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この比率、この造形は、そのような葡萄の樹そのものに深い愛情を持つ人にしかできない表現なのです。 |
2. スペイン・ジュエリーならではの雰囲気の魅力
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この宝物を一目みて、いつもお取り扱いしているイギリスやフランスのジュエリーではないと感じました。 複数の見慣れない刻印もあるのですが、どの国のものと思うか紹介してくれたロンドンのベテランのディーラーに尋ねたところ、「やっぱり分かるのね。」という感じで、おそらくスペインとニコニコしながら答えてくれました。ハイジュエリー市場の中でも特別な宝物です。 |
2-1. 同年代の他国のジュエリーとは一線を画す雰囲気
2-1-1. 永遠の天然真珠
宝石と呼ぶべきでない低品質の養殖真珠をまるで、古の王侯貴族が至高の宝石として愛した『本物の真珠』のように売る現代ジュエリー業界のせいで、現代人には真珠に対して多くの誤解があります。 劣化して当たり前、20年程度しか持たない、保管状況によって早くダメになることもあるなど、詐欺師の免責事項が当たり前のように語られます。『投影』と『性善説』で判断する多くの一般人は、それを専門家の意見として鵜呑みにします。 |
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海水中、母貝の中など、海水や有機生命体と長く密着した状態で形成される天然真珠やマザーオブパールなどが、そんなにヤワなわけがありません。天然真珠は数千年単位で白さや真珠光沢を保ち続けることができます。 2000年代以降の養殖真珠は品質低下が著しく、20世紀までとは別物です。赤潮で純日本系統のアコヤ貝は壊滅し、以前は「日本のアコヤ貝より質が劣る!」とPRしていた中国のアコヤ貝と混血させた母貝が主流です。だから今は業界も「日本のアコヤ貝の品質が世界一!」と言わなくなりました。 さらに1998年の規制緩和によって品質を守るための法の縛りがなくなり、業界はやりたい放題になりました。 |
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鑑別機関も業界の一翼に過ぎず、利益に貢献できなければ存在は不可能です。昔の官製ハガキ(0.25mm)以上の厚みがあれば花珠認定する設定です。こんな薄い真珠層に強い化学薬品で脱色処理すれば、酷く痛むに決まっています。髪の毛も、脱色するブリーチは痛みが激しいことは有名です。そこに染色を加え、直後は小綺麗に見せたとしても、すぐに激しい痛みが気になり始めます。 |
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ドブ貝を削った核と真珠層は密着性が悪いです。真面目に作っていた最初期の養殖真珠は3〜5年かけて真珠層を形成させ、7mmの珠に4mmの核が入っていたとされます。真珠層は1.5mmほどの厚みがありました。現在の0.25mm以上で花珠認定というのがいかに酷いか分かります。昔の養殖真珠は母貝から取り出した後、2年ほどかけて乾燥させ、品質を落ち着かせてから出荷していました。 現代の養殖真珠は真珠層が薄い上に、ろくに時間をかけず出荷するため、値段の安いネックレスなどは珠と珠の間を見るととんでもない品質が判明したりします。真珠層と核の隙間から化粧品や皮脂、大気中の汚染物質が侵入して酸化し、内側から黒ずんでいきます。表面をどれだけ清潔に保っても劣化の防止は不可能です。 業界は、「真珠の寿命は20〜30年程度で、品質や保安状況が悪いと2〜4年で劣化が現れます。」と免責事項を語るようになりました。ただしこれは業界のせいではなく、巡り巡って消費者側が作り出した状況です。「高い!」、「良いものを安く!」などの自分本位な姿勢が作り手や売り手への無言の圧力となり、要望に答えて安くするために品質低下が繰り返された結果です。「良いものを安く!」というのは相手に奴隷労働を強い、自分だけ得をすれば良いという考えに他なりませんが、自身が文化の破壊者である自覚が皆無なので始末が悪いです。奴隷労働は持続不可能です。ジリ貧になって潰れて市場から退場となるか、プライドを捨てて質を落とすかしかありません。苦渋の選択は痛いほど分かるので、養殖真珠業界が悪いとは思いません。 |
![]() 天然真珠とゴールドの耳飾り(古代ローマ・エジプト 100〜200年頃) 【引用】V&A Museum © Victoria and Albert Museum, London |
養殖や合成、各種処理などが蔓延する現代では想像しにくいですが、アンティークジュエリーの宝石は稀少性が高い存在でした。だから時代に合わせてデザインをリメイクが繰り返されるのは当たり前で、2千年ほど経ったものがオリジナルで残っているのは奇跡のようなものです。天然真珠の耐久性は驚異的です。 ダイヤモンドではなく天然真珠こそが、ヨーロッパの王侯貴族の至高の宝石として君臨してきました。財産性がありましたが、そのためには経年劣化しない性質が必須です。この耐久性は当たり前と言えば当たり前ですし、戦後に始まった大衆がターゲットの現代ジュエリーとは、実績の長さが桁違いです。 |
古代ローマのピアス | ヴィクトリアンのソートワール |
![]() 古代ローマ 2世紀 大英博物館 【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted |
![]() バロック天然真珠 ゴールド・ロングチェーン ヨーロッパ 1890〜1900年頃 SOLD |
天然真珠は永遠なる存在です。数千年前のものも、採れたばかりのものも、ルースの状態になると分からない可能性が高いです。そもそもご紹介しているアンティークジュエリーの天然真珠は、どれも少なくとも100年は経過しています。ジュエリーの制作年代は推定できますが、天然真珠そのものはいつ誰が海の底から採ってきたか分からないという面白さがあります。 |
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質の揃った天然真珠をこれだけ集めようとすると、古代のものや数百年前のもの、様々な年代のものが混ざっている可能性の方が高いです。 |
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途方も無い財力を誇る大英帝国のメアリー王妃ですら、ラヴァーズ・ノット・ティアラを制作するには新規に天然真珠を買うだけでは足りないため、一族の所有する天然真珠をかき集めています。 稀少性とはそのようなものなのです。 有り余るほどの財力を持つ王侯貴族にとって、『稀少価値』とは価格よりも、稀少性がネックになります。 |
![]() アールデコ クッションシェイプ・ダイヤモンド ゴールド・クロス・ペンダント ポーランド(ワルシャワ) 1930年頃 ¥750,000-(税込10%) |
ダイヤモンドの場合、単独のルースでもカットである程度の年代の推定が可能です。 |
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しかし、ありのままを使用する天然真珠の場合、単独では年代は全く分かりません。古代のものが混ざっていたとしても分からないくらい、違いがありません。 天然真珠なのか、量産の養殖真珠か模造品かは、干渉光の出方に個性があるかどうかでそれなりに感じ取ることはできますが、年代や民族性による違いは出ません。だから今回の宝物の場合、個性を発揮して独特の雰囲気を醸し出しているのは枝葉の部分と断言できます。 |
2-1-2. アンティークの魅力抜群のスパニッシュ・ダイヤモンド
プラチナが登場する以前、至高の貴金属はゴールドでした。ダイヤモンドはゴールドでセッティングする場合もありますが、クリアな色彩を惹き立てるため、ダイヤモンドのセッティングはシルバーを使うことも多いです。 |
同年代のシルバー・セッティングのダイヤモンド | ||
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![]() 小鳥たちとバスケットのブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
![]() 約2ctのダイヤモンド ブローチ フランス 1870年頃 SOLD |
極上の金細工と、シルバー・セッティングのダイヤモンドの両方を楽しめる、同年代の最高級品を並べてみました。今回の宝物のダイヤモンドは、厚みが少ないローズカット・ダイヤモンドを選択しているのが特徴で、これが独特の雰囲気の源となっています。 中央の『Tweet Basket』もローズカット・ダイヤモンドだけで構成されていますが、1粒1粒に厚みがあり、透明感と共に輝きも華やかさがあります。右の『財宝の守神』もローズカット・ダイヤモンドに厚みがあり、約2ctもあるメインのダイヤモンドと共に、下部に揺れる構造で連なる5粒のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドはダイナミックなシンチレーションを放ちます。 |
厚みの少ないローズカット・ダイヤモンド独特の雰囲気 | ||
![]() スペイン 1870〜1880年代 |
![]() フランス or イギリス 1700〜1750年頃 SOLD |
![]() フランス 18世紀末〜19世紀初期 SOLD |
厚みが少ないローズカット・ダイヤモンドの高級品は、かなり古い時代まで遡らなければ見ることはありません。そして、そのような古いジュエリーは極めて稀少です。 古のローズカット・ダイヤモンドには、新しい年代のローズカット・ダイヤモンドとは別物と言って良いほど異なる魅力があります。18世紀くらいまでの社交界では見慣れた輝きだったかもしれません。このような輝きが古臭い時代遅れの存在として新しい時代のダイヤモンドに追いやられ、最初は目新しい輝きだった新世代のダイヤモンドが普及後に一般化すると、忘れ去られた古の輝きは、それを知らない世代にとって途端に魅力的に映るようになります。 |
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普遍的な魅力がなければ、そのような現象は起こりません。皆が目新しいものに一時的に飛びつくことはあっても、真に価値あるものは完全に忘れ去られることはなく、また人々の心は必ず戻ってくるのです。 19世紀後期の社交界でこれを着用したらかなり人目を惹き、皆を驚かせ、感動させたことでしょう♪ |
2-2. 全盛期の古いスペイン・ジュエリーと異なる魅力
市場で見ることのできるスペインのハイジュエリーは、勢いのあった古い時代のものが殆どです。カット技術が未熟だった時代のダイヤモンドは、宝石としては三流の扱いで、ルビーの1/8程度の価値しか評価されなかった時代もありました。 |
18世紀の古いジュエリー | ||
![]() スペイン or ポルトガル 18世紀後期 SOLD |
![]() スペイン 18世紀 SOLD |
![]() スペイン 18世紀 SOLD |
まだ当時のスペインでは、色彩の美しいカラー・ストーンの方が好まれていたことが伝わってきます。リメイクされずに現代までオリジナルで残っていること自体が奇跡で、時代を超越した普遍的なデザインの魅力を持つと言えます。Genが厳選しただけあって私も好みですが、独特の雰囲気は玄人好みで人を選ぶデザインです。 |
古のダイヤモンド・クロス | |||
ステップカット | ローズカット | ||
![]() スペイン 17世紀後期 SOLD |
![]() 南フランス 18世紀 SOLD |
![]() オランダ 18世紀後期 SOLD |
![]() スペイン 18世紀 SOLD |
普遍の定番であるクロスは、時代や民族を超越して使いやすいアイテムです。そうは言っても、ダイヤモンドや細部の作りで時代ごとの個性が出ます。より古い時代はステップカットで、時代が降ると、輝きが出やすいローズカットが最先端となります。 |
スペインのハイジュエリー | ||
![]() スペイン or ポルトガル 18世紀後期 SOLD |
![]() スペイン 18世紀 SOLD |
![]() スペイン 1870〜1880年代 |
今回の葡萄ピアスは古いカットのダイヤモンドを使いながらも、古い時代のスペインのジュエリーとはデザインと雰囲気が全く異なります。同年代の他国のジュエリーとも違いつつ、古のスペインのジュエリーとも違う、唯一無二の魅力を備えています。 |
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葡萄モチーフ自体は定番です。 今はイミテーション技術がかなり高く、かつて天然真珠を駆逐した養殖真珠は、模造品によって排除されているような状況です。 だから真珠だけ見れば、似たものはあるでしょう。 |
制作された19世紀後期は天然真珠もかなり目を惹いたはずですが、今この時代、この宝物独自の強い魅力を形成しているのは古いローズカット・ダイヤモンドと言っても過言ではありません! 当時のハイジュエリー市場では見ないカットです。これだけの天然真珠を用意できる財力から、厚みのあるローズカット・ダイヤモンドが手に入らなかった可能性は考えられません。オーダー主であるスペイン貴族に代々伝わっていた、古いダイヤモンドでリメイクした可能性が最も考えられます。 |
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代々受け継いできた葡萄畑にプライドを持ち、尊敬するご先祖様の心と共に在ることができるよう、そのままではデザインが古くて使えなかったジュエリーからダイヤモンドをリメイクした・・。 |
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スペインワイン黄金時代の宝物ですが、にわか成金ではなく代々続くスペイン貴族のオーダー品だからこその、古いカットのローズカット・ダイヤモンドが本当に魅力的なのです♪♪ |
3. 高級品ならではの素晴らしい作り
3-1. リアルな立体造形&彫金が美しい葉の表現
3-1-1. 枝葉への情熱で分かる芸術作品としてのレベル
分かっている人、玄人は葉や枝をこよなく愛する傾向があります。主役であるお花や果実には気合いが入っていても、脇役の枝葉が適当だと興醒めです。名脇役あってこそ、主役は最高の輝きを放つことができます。 |
葉っぱが主役級のハイジュエリー | ||
![]() プリカジュールエナメル オーストリア or フランス 1890〜1900年頃 SOLD |
![]() オパールセント・エナメル ネックレス ヨーロッパ 1890年頃 SOLD |
![]() 天然真珠ネックレス フランス 1890〜1900年頃 ¥2,200,000-(税込10%) |
枝葉や蔓の表現にどれだけの情熱がこもっているかで、芸術作品としてのレベルがはっきり分かります。良いものは主役の果実に勝るとも劣らぬほど、情熱を込めて葉を表現します。葉っぱそのものが主役の場合もあるほどです。葉っぱを狙って買い付けるわけではありませんが、作りが良く芸術的価値の高いものを厳選すると、結果的に葉っぱや実ものの割合が多くなりました。そういうものなのです。 |
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アールヌーヴォー ゴールド・バングル サインドピース(J&K) フランス 1890〜1900年頃 SOLD |
葡萄は葉っぱの形が面白いので、どう表現するか作者のセンスが如実に反映されます。良いものは立体造形が美しく、生命力に満ちた力強さが伝わってきます。 |
3-1-2. リアルさを追求した美しい葉っぱ
同じ天然真珠で果実を表現した最高級の葡萄ジュエリーでも、葉や蔓の表現は時代やオーダー主の個性が反映されることで、表現は多様です。それぞれの天然真珠の詳細については後述します。 |
![]() スペイン 1870〜1880年代 |
![]() オーストリア? 1900〜1910年頃 SOLD |
![]() 葡萄 ペンダント イギリス 1920年頃 SOLD |
中央はプリカジュール・エナメルの技法が持て囃され、かつプラチナが画期的な新素材としてジュエリー市場に登場した頃に制作されました。右はホワイトゴールドが発明され、新しい金属として様々な可能性と表現手法が試行錯誤された時代の宝物です。プラチナは透かし細工やミルグレイン、細かな石留に適しており、中央の宝物はその性質が見事に生かされています。一方でプラチナは彫金には向きませんでした。高度な彫金できる白い金属として、右の宝物はホワイトゴールドのポテンシャルが惹き出されています。 右の2つの葉っぱの表現は、当時の最先端技術をメインにしてデザインされています。葡萄そのものより最先端技術が主役と言え、葡萄園オーナー一族のオーダー品と言うよりは、社交界の流行の最先端のオシャレ・ジュエリーとして制作されたと見る方がしっくり来ます。今回の宝物は従来技術を駆使し、よりリアルな葉を表現しようとしている点で、右の2つとは全く異なる趣があります。 |
3-1-3. アーティスティックな葉の立体造形
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2次元で表現する画像では立体感を十分にお伝えできませんが、葉っぱはかなり立体的にデザインされています。 |
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一点もののピアスなので、鋳造(キャスト)ではなく鍛造と打ち出しで作られています。よく見ると左右それぞれ細部の形が違います。人の手による個性がこそが芸術性を生み出します。全く同じだと無機質な工業製品のように感じます。製作者の美的感覚に基づく葉のふくらみ、葉のギザギザ、そり返った葉先が生き生きしています♪ |
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この大きさでこれだけ立体的というのも驚くべきことで、高度な技術と丁寧な作りに心躍ります。主役級の『葉』に相応しい作りです♪ |
3-1-4. 神技の透かし細工
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地味で気づきにくい部分ですが、複雑な葉の形状を再現するための透かし細工は驚異的です! かなり拡大しても部分的に極端に狭い箇所があり、シャープペンシルの芯はもちろん入りません。 それどころか通常のA4サイズの印刷用紙すら通らない箇所があり(左上の透かし)、実現させたこと自体が意味不明レベルです!! |
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糸鋸で挽き、その後に極細の鑢(ヤスリ)で丹念に削って形を整えます。もちろん専用の道具を作る所から必要な作業です。平面ではなく、複雑な曲率を持つ箇所への透かし細工です。信じがたい神技です! |
![]() 『Sunflower』 天然真珠 フラワー ゴールド・ピアス イギリス 1880年頃 SOLD |
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シャープペンシルの芯より遥かに細い透かし細工として、『Sunflower』を以前ご紹介しました。 |
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およそ0.2mm幅なので官製ハガキ(旧:0.25mm、現:0.22mm)より狭く、厚紙は入らない細さです。精度の高い、キリリとした透かしが見事な宝物でした。 |
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『Sunflower』の透かし細工は限界の細さと共に、人間技と思えぬ正確無比さが魅力でした。 今回の葉っぱの透かし細工は糸鋸で挽いた後、極細の鑢で奥側を拡張し、自然な"葉っぱらしさ”を実現しています。このようなアーティスティックな表現は王侯貴族のハイジュエリーならばあり得るのですが、限界の細さと組み合わさると別次元です! |
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ハンドメイドなので、透かし細工の形状もそれぞれが微妙に異なります。 |
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ただ『珍しいスペインのジュエリー』というだけでは、HERITAGEとしては面白みがありません。これほどの仕事ができる職人が、当時のスペインにもいたということに感激します。 |
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キリッとした完成度の高い作りだからこそ、葉っぱの美しさに没入できます。さりげなさ過ぎて『透かし細工』には意識がいかないと思いますが、美しいものほど、気づかないような部分への情熱が凄いものです♪ |
3-1-5. 葉脈の高度な彫金
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複雑な曲面に施された彫金も見事です。深い彫りと浅い彫りを組み合わせ、躍動感ある葡萄の葉を実現しています♪ |
3-1-6. 瑞々しさを表現するダイヤモンドの輝き
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葉の中心にデザインされた、ローズカット・ダイヤモンドとシルバーの装飾が葉っぱに瑞々しさを与えています。 恵みの雨の後、あるいは朝露の景色・・。オーダー主が感動した、記憶の中の心象風景を再現したのかもしれません♪ |
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それぞれ上2つはローズカット・ダイヤモンドですが、下部は細い菱形の削り出しです。 作られてから140年を超える年月を経て、シルバーは黒化して良い感じの雰囲気に完成しています。 シルバーは金属の中でも反射率が非常に高いことで知られますが、黒化していても角度によって強い反射が起こります。黒からのこの輝きは、驚くと共にとても感動的です♪ |
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新しいカットのダイヤモンドを使ったならば、輝きが華やか過ぎて全く違う佇まいとなったはずです。葉についた水滴のような透明感、そして時折キラリと放たれる水の反射のような煌めきは、この古いカットのダイヤモンドにしか出せない美しさです。 均質さが大好きな日本人は、自然の恵みである野菜や果物にまで極度に均質を求めることで知られます。実際に生命を育てている人から見れば、とてもおかしなことです。この日本人の性質が、養殖真珠の過度な化学処理にも繋がっています。完璧に同じ色、完璧に同じ形でなければ文句を言って買い叩く。これも日本人を全体で見た時の、1つの特徴です。このダイヤモンドの美しさに感激できるのは、どの民族でもごく一部の人だけかもしれません。しかし、間違いなくこの選択こそがベストであり、心地よく美しい宝物として完成しています。 |
3-2. 天然真珠が高騰した時代の贅沢な葡萄の表現
3-2-1. 驚異的な天然真珠の質と数
![]() スペイン 1870〜1880年代 |
![]() オーストリア? 1900〜1910年頃 SOLD |
今回の宝物は天然真珠の質と数という観点で、最高級品の中でも圧倒的です。右の宝物に使用されている天然真珠は歪で個性に溢れていますが、これは意図されたものです。アールヌーヴォーにはいくつかジャンルがあります。これは日本美術に影響を受け、ありのままの自然を表現しようとしたイギリスのアーツ&クラフツ運動の流れを汲むものです。このような植物系アールヌーヴォーのアーティスティックな高級品は、わざと歪な天然真珠を使ってデザインする傾向が強いです。 |
歪な天然真珠のアーティスティックなアールヌーヴォー | |||
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最高に面白い1粒をメインストーンにする場合もありますが、複数でデザインすることもあります。ただ適当に寄せ集めても、感覚的に「美しい♪」と感じられるバランスは実現できません。正確無比な作業しかできない人でもダメで、絶対感覚を持つ人が、その美的感覚を元に選ばなければなりません。 |
![]() オーストリア? 1900〜1910年頃 SOLD |
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先述の通り、色彩だけでも美しくて均質の天然真珠を揃えるのは大変なことです。汚いレベルで質が揃ったものを集めても意味がありません。形に個性があっても良いですが、大きさに違いがあり過ぎると右のように違和感を感じます。それでも当時は天然真珠を複数使っているだけで高価でしたし、拡大すると粗は感じますが、薄っぺらいながらもゴールドで造形した葉っぱには魚子打ちなど彫金も施されているクラスです。左は11年前にご紹介した宝物ですが、いかにGenも最高級品のみを厳選していたかお分かりいただけると思います。 |
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これは葉っぱが主役です。 ステンドグラスを再現した美しいプリカジュールエナメルと、当時最先端の金属として登場したプラチナを駆使した細かな石留やグレインワークなどの作りが一番の見どころです。 宝石は主役ではなく名脇役です。天然真珠はちょうど良いバランスです。 |
3-2-2. 立体配置の超贅沢な葡萄の房
![]() スペイン 1870〜1880年代 |
![]() イギリス 1920年頃 SOLD |
右は天然真珠の葡萄が主役です。28粒の天然真珠は、これまで見た中で最も真珠層の透明度が高く、フレッシュな果実らしい瑞々しさを湛えています。ワイン用の葡萄は丸い粒のイメージがありますが、楕円形の粒はそのまま食べても美味しそうな豊かな実りを感じさせます。 |
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11粒もの天然真珠を使っているので、この宝物もかなりお金がかかっていると言えますが、この数だと果実の房を立体的に配置するには足りません。 |
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このように28粒もあると、凝集した配置が可能です。後ろから金具で高さを調整しながら、密集した葡萄の房を実現しています。正面から見た時、隙間なく密集した印象と共に、平面方向にも広げてなるべく全体が大きく見せる配置です。ペンダントとして着用した際の、収まりの良さも考慮したでしょう。 |
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今回の宝物は天然真珠のセッティングが、裏側から芯を通して真珠セメントで固定する通常の天然真珠の葡萄ジュエリーとは異なります。ビーズのようにゴールド・ワイヤーで組み、葡萄の立体的な房を表現しています。だからどの角度から見ても、天然真珠が密集して見えます。 |
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横から見ても非常に立体的で、どの角度から見てもスカスカ感がありません。模造真珠のアクセサリーのイメージで見ると大したことないように感じるかもしれませんが、これは驚異的なことです。 |
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葡萄の房ならではの立体造形を実現するため、5本のゴールド・ワイヤーで組んでいます。手芸用のワイヤーと異なり、かなり硬いので堅牢に形状を保っています。 |
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葡萄の房が単体で揺れるピアスですが、このセッティングだと安心感があります。稀少価値の高い天然真珠に相応しい扱いで、第一級の職人ならではの誤魔化しのない美しい仕事ぶりが光ります♪ |
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立体的に組み上げる方が美しいのは、誰が見ても明らかです。 しかしそれは均質な宝石が十分な数、用意できてこそ実現できます。カットして形や大きさを調整できる珊瑚などとは、全く難易度が異なります。 |
![]() スペイン 1870〜1880年代 |
![]() オーストリア? 1900〜1910年頃 SOLD |
![]() 葡萄 ペンダント イギリス 1920年頃 SOLD |
特に左右2つ作る必要があるピアスは、天然真珠での実現は極めて困難です。それを実現したという意味で、今回の宝物は天然真珠のジュエリーという観点からも奇跡的な存在です!♪ |
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肉眼ではここまで色彩は感じず、どれも白い光沢を強く感じる天然真珠です。しかしながらカメラ越しだと、それぞれに個性のある、夢のように美しい干渉光が浮かび上がるのが不思議です。これが見る者の"無意識"に働きかけ、心を揺り動かすのかもしれません。 |
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スペインワイン黄金時代という奇跡があったからこそ生み出された、唯一無二の宝物です♪♪ |
裏側
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天然真珠は高温に晒すことができないため、ゴールド・ワイヤーは蝋付でなく巧みに巻きつけて端部を仕上げています。一切の誤魔化しがない、裏側まで美しい作りです♪ |
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イギリスやフランス製との違いを感じられる、珍しいタイプの金具も良いですね。作られてから約140年ほどは経った現在でも、カチッとしっかり留まります。堅牢な作りですが、もし長年使用する上で緩くなった際は専門の職人さんが調整できますので、どうぞ安心してご愛用くださいませ。 |
着用イメージ
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スマホカメラでの撮影なので、ピアスにピントが合わないことはご容赦くださいませ。 貴金属と宝石で作るジュエリーとしてのピアスは、アクセサリーと違って小ぶりなものが多いですが、この葡萄ピアスは適度な存在感があります。 デザイン性が高く、コーディネートの主役にしていただけるピアスです。 豊穣のシンボルとしてだけでなくワインやシャンパン、干し葡萄の原料にもなる葡萄モチーフは、季節を問わず1年中コーディネートできるのも良いですね。 天然真珠や古いダイヤモンド、神技の細工を手元で眺めて楽しむこともできる、最高に魅力あふれる宝物です♪ |