No.00310 うつろい |
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『うつろい』 ヨーロッパ 1890年頃 |
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秋の紅葉を超難度のオパールセント・エナメルで、熟す果実を天然真珠とアメジストで表現した、コンテストジュエリーとみられるアールヌーヴォーの傑作です。最高級のアールヌーヴォーらしい葉っぱの造形、複雑な造形に対する繊細な葉脈の彫金は見事なもので、緑からオレンジ色へとダイナミックに色彩が変化するエナメルの神技の技術も圧巻です。エナメルを使った植物モチーフのジュエリーはアールヌーヴォー期にたくさん作られていますが、明らかに紅葉を表現したものは類がなく、異彩を放つ、アーティスティックな魅惑のアールヌーヴォー・ジュエリーとなっています。 |
この宝物のポイント
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1. アールヌーヴォーのハイジュエリー
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『アールヌーヴォー』は、19世紀末から20世紀初頭にかけて欧米で大流行した美術様式全体を指します。 あまりにも定義した範囲が広すぎるため、結局アールヌーヴォーが何なのかすっきりしないという方も多いと思います。 |
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アールヌーヴォー・ジュエリーの大半は、意図せずその大流行の中心人物となったサミュエル・ビングとアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデによって「はびこる粗製濫造の装飾品」と告発され、ヨーロッパにおいて長きに渡り「アールヌーヴォー=醜悪で粗悪なもの大流行」と記憶される結果をもたらした安物です。 |
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アールヌーヴォーの優れたハイジュエリーは本当に数が少なく、アールヌーヴォー・ジュエリーが市場に多い割には、ヘリテイジでご紹介できる機会は少ないです。 |
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その特徴の1つが難易度の高い、グラデーションのギロッシュエナメルです。 |
アールヌーヴォーの安物→高級品 | ||||
対象 | 庶民 | 上流階級 | ||
例 | ![]() |
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素材 | シルバー | ゴールド | ゴールド、小さなダイヤモンド | ゴールド、エナメル、天然真珠、アメジスト |
技法 | 鋳造 | 鋳造 | 鋳造 | 鍛造、ギロッシュエナメル |
フランスを中心に大流行したアールヌーヴォーのジュエリーの大半は、旺盛な消費意欲で経済を牽引する中産階級の若い女性たちのために作られた大量生産の安物でした。 本当にお金がない人のためのものはシルバー製で、その上がゴールドです。但し1848年頃に始まったカリフォルニアのゴールドラッシュによって、既に金価格は暴落した後なので、ゴールドというだけでは王侯貴族クラスが満足するジュエリーにはなりません。 もう少しだけ高級品として作られている場合は、オマケ程度の小さなダイヤモンドがセットされています。ダイヤモンドに関しても、1869年頃から始まった南アフリカのダイヤモンドラッシュによって稀少価値が年々低下しており、特に小さな石に関しては、ただセットされているだけでは上流階級にとって全く魅力がありません。 安物は早く、安く、大量に生産するため、製造は現代ジュエリーと同じく型を使った鋳造(キャスト)で作られます。 |
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金属を叩いて鍛えて強くしてから複雑に造形する鍛造の作り、下地に彫金が必要な高度なギロッシュエナメル、当時特に価値が高く評価されていた天然真珠や上質なアメジストを使ったデザインなど、手間や材料費のかかる全ての要素が、この宝物が高級品であることを如実に物語っています。 |
1-1. 難易度の高いグラデーションのギロッシュエナメル
1-1-1. エナメルはゴールドラッシュ後の高級品の証
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![]() ジョージアン ロング ゴールドチェーン イギリス 1820〜1830年頃 SOLD |
庶民用に作られた物には当時の最先端の流行や文化、情勢を反映されることはないため、安物ジュエリーを見ても何も読み取ることができません。でも、王侯貴族が世界を主導したアンティークの時代には、建築物と並び、最もお金と教養が詰め込まれるジュエリーに時代が反映されます。ゴールドが史上最も高価だった時代の上流階級のジュエリーには、ゴールドを印象付けるのに最も高価的なデザインがなされます。 |
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![]() 天然真珠&プラチナ スーパーロング・チェーン イギリス 1920年代 SOLD |
プラチナが史上最も高かった時代には、プラチナを印象付けるデザインがなされました。現代ではダイヤモンド・ジュエリーが最高級ジュエリーというイメージを持つ人が多いですが、それはアンティークの時代が終焉を迎えた後の、ダイヤモンド産業を主導するアメリカ資本によって作られたごく最近だけのものに過ぎません。 |
![]() アメリカ 1880年頃 SOLD |
アールヌーヴォー・ジュエリーは、カリフォルニアでゴールドラッシュが起きて、金価格が大幅に低下した後に作られたものです。 |
アールヌーヴォー・ジュエリー | |
【参考】安物(※庶民にとっては高級品)![]() |
上流階級のハイジュエリー![]() |
上流階級のためのハイジュエリーか否かの判断にはデザインや他の細工を含めた総合判断が必要で、1つの要素だけ見て単純に判断することは不可能ですが、ゴールドを造形した後、さらに多大なる技術と手間がかかるエナメルが施されたジュエリーは、確実に一定以上の高級品として作られたものと判断できます。 |
1-1-2. グレードで差が出やすいエナメルの美
様々なエナメル技法のハイジュエリー | ||
![]() プリカジュール・エナメル メダイ ペンダント フランス 1890年〜1900年頃 SOLD |
![]() スズラン ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
![]() イギリス 1850年頃 SOLD |
一言で"エナメル"と言っても、その技法は多岐に渡り、外観も様々です。 |
マット・エナメルのパンジー | ||
中級品![]() |
高級品![]() |
最高級品 ![]() |
それぞれの技法に特徴があり、技法ごとの優劣は付け難いです。好みの領域と言えますし、優劣を付けようとすること自体がナンセンスです。しかしながら同じ技法で比較すると、エナメルほど分かりやすく上手下手の違いが出る技法は無いと思えるくらい、見事に美しさに違いが出ます。 |
1-1-3. オパールセント・エナメルの難易度の高さ
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今回の宝物はゴールドの下地に彫金を施し、その上に色彩がグラデーションとなった半透明のエナメルを乗せた、古い時代には見られない特殊なエナメル技法『オパールセント・エナメル』で作られています。 |
1-1-3-1. オパールセント・エナメルの下地の彫金
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ハイクラスのオパールセント・エナメルは、複雑に造形したゴールドに施されます。 |
【参考】オパールセント・エナメルの量産品 |
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量産品の安物の場合は形状が単純ですし、同じ作業の繰り返しによる作業者の技術の向上も期待できます。ある程度の器用さがあれば、誰でもできる仕事と言えます。 |
![]() フランス 1890-1900年頃 SOLD |
しかしながら1点ごとに造形が異なる、複雑な形状をしたハイクラスのオパールセント・エナメル・ジュエリーの場合、アーティスティックな才能と高度な技術を持つ特別な職人が手間をかけて作らねばなりません。 そのような複雑な造形の場合、彫金もやはり高度な技術を持つ職人でなければできません。 |
ギロッシュエナメルの彫金 | ||
エンジンターン | 手彫り | |
![]() イギリス 1910年頃 SOLD |
![]() ペンダント&ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
![]() ギロッシュエナメル ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
彫金は、エンジンターンと手彫りの二択です。これもどちらかに優劣があるわけではなく、エンジンターンは機械彫り独特の、一切の揺らぎがない完璧なパターンが魅力です。また、量産にも向いています。しかしながら、エンジンターンは複雑な形状への彫金はできません。 |
![]() イギリス 1890-1900年頃 SOLD |
複雑な造形への彫金は、高度な技術とセンスを持つ職人が手彫りするしかありません。 そのような彫金ができる職人はかなり数が限られますから、本当に美しいハイクラスのオパールセント・エナメルは数が少ないのです。 |
1-1-3-2. グラデーションの半透明のエナメル
第二次世界大戦後、アンティークの時代が終わってからは職人によるモノづくりの技術が年々失われていきました。エナメルも超高級時計の文字盤に細々と使用される程度で、作ることのできる職人もかなり限られているようです。 エナメルは、釉薬を塗っては焼くという行程を何度も繰り返すことで完成します。エナメルにムラができたり気泡が入ったりしないよう、釉薬を均一に乗せるのはかなり難しい作業です。少しでも気を抜いてミスをすると、割れやムラに繋がります。 極めて地味な作業の繰り返しながら、一時の集中力の途切れも許されない作業です。故に、エナメルを作るのはお尻の痛みとの戦いとも言われます。 忍耐力と集中力だけではダメで、高い技術も必要とするこの技法は、現代の超一流の職人がエナメル文字盤を作っても75%くらいは不良品になってしまうそうです。限られた職人にしかできない人力の作業である上に、歩留まりが悪すぎるので、量産できず超高価なものとなるのです。 なぜ何度も釉薬を塗って焼く作業を繰り返す必要があるのかと言うと、気泡などの観点から、一度に塗ることのできる量は限られているからです。そして、薄いので何度も塗り重ねなくては色に深みが出ません。 |
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安物のエナメルは、焼く回数を減らすために薄くても発色する釉薬を使います。何度も塗り重ねなくても済みますが、その分薄っぺらいですし、透明感が無く、色に深みも感じられないので安っぽい印象にしかなりません。 |
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![]() "Faberge egg Rome 05" ©Miguel Hermoso Cuesta(18 May 2011, 10:24:44)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ロシアの天才プロデューサー、ファべルジェは歴史上最も優れていたとされる18世紀のエナメルを研究し、有名なギロッシュエナメルの作品を生み出したそうです。 |
時代ごとの最高級のブルー・ギロッシュエナメル | ||
1790年頃 | 1904年 | 現代 |
![]() SOLD |
![]() ファベルジェ商会マイケル・ペルキン作の置時計 "Kelch Chanticleer egg" ©Derren Hodson(2 February 2015)/Adapted/CC BY 2.0 |
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結局18世紀のエナメルには敵わなかったと評価されていますが、それでも最低6回は釉薬を塗って焼いていたと言われています。確かに18世紀の最高級のエナメルと比較すると、色の深みが全く異なります。でも、現代のエナメルはより透明感がなく、色が濃いだけで深みが感じられなくなっています。塗り重ねる回数を減らすために、釉薬の色を濃くした結果と推測しますが、それですら作るのは極めて困難だなんて、いかに美しいエナメルを作るのが神技の技術を必要とするのか想像を絶します。 |
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オパールセント・エナメルは単色のギロッシュ・エナメルよりさらに高度な技術と手間を要します。 何度も塗り重ねて、絶妙な色のグラデーションと、それぞれの色彩の深みを出すのです。 |
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十分な技術を持たない職人だと、これらのようなります。 一応それなりの手間はかけているはずですが、色彩の変化が美しくありません。 また、エナメルに深みが感じられず薄っぺらい印象で、それが安っぽさにつながっています。 |
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まるでしなびた花です。 着けたいとは思えません。 |
オパールセント・エナメルのジュエリー | |||
【参考】ご紹介しないレベル | HERITAGEが扱うレベル | ||
高級品![]() |
高級品![]() |
高級品![]() |
最高級品 ![]() |
そもそもオパールセント・エナメル自体が極めて難しい技法で、高級品として作られたもの同士で比較しても、職人の腕次第でこれだけ美しさに差が出ます。これらの詳細が気になる方は、ぜひこちらをご覧ください。 |
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『夢でみた花』 アメリカ 1900年頃 |
この『夢でみた花』は、おそらくコンテスト・ジュエリーとして作られたハイエンドのオパールセント・エナメルのジュエリーです。 ガラス質のエナメルに厚みがあるからこそ、その透明感が瑞々しさとなり、生き生きとした植物の表現につながっています。 |
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オパールセント・エナメルの見極めは簡単で、知識などは要りません。 見て、直感的に美しいと感じるか否かだけです。 美しいと感じられるものは、最高級品です。 |
【参考】中級品 | 最高級品 |
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これらはどちらもオパールセント・エナメルで葉っぱが表現されています。ヘリテイジでは扱わない、中〜高級品クラスのものだと彫金された葉脈もデフォルメされ過ぎてアニメチックです。エナメルが薄いので透明感がなく、しなびた葉っぱのようで生気が感じられません。 最高級品は、葉脈の彫金も本物の葉を再現したように繊細です。塗り重ねられたエナメルの色彩は鮮やかで、厚みと透明感があるため、葉っぱも生き生きとして見えます。この、まるで本物の植物のような美しさこそが、最高級のオパールセントエナメル・ジュエリーだけ放つことのできる魅力なのです。 |
1-2. 注目の集まった最高級宝石である天然真珠を使用
ダイヤモンド | デマントイドガーネット &ロッククリスタル |
モンタナサファイア |
![]() ローズカット・ダイヤモンド ピアス ヨーロッパ 1860年〜1870年頃 SOLD |
![]() ロッククリスタル ロケット・ペンダント イギリス 1900年頃 SOLD |
![]() 天然真珠&サファイア ネックレス イギリス 1920年頃 ¥1,230,000-(税込10%) |
王侯貴族のハイジュエリーには各時代に於いての最高級の宝石、あるいは注目度の高い、流行の最先端の宝石が使われるものです。新発見の宝石であれば、デマントイドガーネットやモンタナサファイアなどがあります。ダイヤモンドに関しては、世界最大の産地だったブラジル鉱山が1860年代に急速に枯渇したことで稀少価値が跳ね上がり、注目が集まった歴史があります。 |
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この宝物が作られた時代は、南アフリカのダイヤモンドラッシュによってダイヤモンドの稀少価値が年々低下し、一方で稀少性が高く美しい宝石として天然真珠の価値が最も高く評価されていました。 |
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そのような時代に於いて大きさがあり、しかも色や照り艶などの質感が揃った白く美しい天然真珠を3つも使っています。材料的に見ても、非常に贅沢なジュエリーと言えます。 |
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それぞれ少しずつ形状が歪ですが、それは美しい自然の植物を描くアールヌーヴォーの芸術的な作品だからこその真珠選びと言えるでしょう。 |
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とてもバランス良く配置されており、材料費や探す手間を惜しまない気の利いたデザインが、この宝物が高級品として作られたことを強く物語っています。 |
1-3. 季節感のあるデザインという贅沢さ
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グリーンからオレンジに変化する葉、白から紫、もしくは紫から白へと熟す果実。 この宝物は、秋に見られる紅葉と豊穣の恵みを表現しています。非常に美しい、芸術性の高い宝物と言えますが、季節感があるジュエリーは極めて贅沢な存在と言えます。 |
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ジュエリー文化がなかった日本人にとって、同様のイメージとなるのが着物です。 左は江戸時代初期の寛文年間(1661-1672年)に発行された、『新撰御ひいなかた』と言うファッション誌です。 |
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町人文化が栄えたこの時期は、富豪町人の奥様や娘の衣装比べが話題となるほどで、競うように総鹿の子や金刺繍などの豪華な衣装が作られるようになっていました。 |
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着物はジュエリーほど寿命が長く無いので、殆ど残っていないのが残念ですが、高価なものは恐ろしく高い技術と膨大な手間をかけて作られていたことは間違いありません。 |
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私もいくつか着物を持っていますが、そのきっかけは大企業のサラリーマン時代に習った茶道です。 福利厚生の一環で会社に茶道部があり、普段は敷地内にある一軒家のお茶室で、会社帰りに洋服でお稽古をしていました。 先生のご厚意で、初釜などは休日に外部で着物でお稽古していたのですが、当時着物を持っていなかった私に、先生がお嬢様の正絹の着物を貸して下さっていました。 左は自分で購入した現代の着物です。 |
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毎回お借りするのも申し訳ないので、自分でいくつかお誂えしました。 現代の着物&帯も正絹で、しかもダサくない(重要です!)新品を選ぼうとするとかなり高額です。いくつもは買えません。 デザインを選ぶ時、助言されるのが季節を問わず着られるものです。 |
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アンティークの梅柄の訪問着(昭和初期)HERITAGEコレクション | |
梅の柄の着物は素敵です。日本人ほど季節を大切にし、愛でる民族もいないでしょう。でも、だからこそ梅柄の着物はその時期にしか着てはならないのです。厳密には少し先取りするのが粋で、満開の時に着るのは野暮だそうです。厳し過ぎです(笑) 故に、例外的に一年中着ても許される桜であったり(枝が描かれていたらNG)、四季の花を描いて季節を無くしたり、四季の無い文様を描かれているものであったりをお勧めされるのです。 1、2着しか持たないとなると、1年の中で毎年せいぜい1ヶ月程度しか着られないものを選ぶのは困難というわけです。「ケチ臭い話だし、毎回同じだなんてつまらない。」とは感じましたが、高いですから、どうしてもそのような選択にならざるを得ません。 |
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季節を感じる、1年の中で限定されたタイミングでしか使うことができない高級なファッションアイテムは最高に贅沢と言えます。 |
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アンティークの着物『牡丹と山ツツジ』(昭和初期)HERITAGEコレクション | |
日本は四季どころか二十四節気あり、春の柄と言っても桜だけでなく牡丹やツツジ、藤など様々です。春の中でも、少しずつ咲く時期が違います。それら季節の移ろいを楽しめる着物は、相当な数の着物を持っていなければできないことです。高価な着物でそれをするなんて、莫大な財力を持っていなければ到底不可能で、憧れても普通はできることではありません。 |
![]() ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント フランス? 18世紀後期 SOLD |
アンティークのハイジュエリーでも、TPOには厳密に合わせる必要があるものの、季節を問わず一年中着けていられるデザインが通常です。 |
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他の民族の場合、季節の移ろいを愛でる優雅な楽しみは上流階級だけのものでした。 |
2. 自然界の美しい変化を表現したデザイン
2-1. 日本人の琴線に触れる美しい紅葉の表現
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秋に見られる、自然界の美しい色彩の変化を表現したこのネックレスは、日本人にとってはごく自然に受け入れられる美だと思います。 |
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有馬温泉の紅葉した落ち葉(2016.12) | |
春は花見に出かける方も多いですが、秋は『紅葉狩り』なんて言葉もありますよね。これはサラリーマン時代に、出張ついでに足を伸ばして遊びに行った有馬温泉郷を散策中に撮った画像です。有馬温泉も紅葉の名所で、至る所に紅葉があります。 |
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青々としていた木々が、秋になると鮮やかな赤や橙、黄色と、色とりどりに変化する様子は本当に美しいものです。ところで、日本の紅葉は欧米と比べて美しいと聞いたことがありませんか?これは日本人の手前味噌的な話だったり、外国からきた人たちの過大評価だったりというわけではなく、事実です。 |
2-1-1. 紅葉が見られる特殊な地域
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実は日本の環境は世界的に見るとかなり特殊です。そもそも木が無い場所では紅葉は見られません。山国である日本に住んでいると、どこにでも木が生え、どこでも紅葉が見られるイメージがありますが、そもそも木が生えていない地域はかなりあります。 |
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木が生えているからと言って、必ず紅葉が見られるわけでもありません。暖かく水が豊富な地域では、木々はいつでも青々と繁っています。 |
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日本も一部はそのような地域ですが、国土の殆どはそれより少し高い緯度にあります。絶妙ですね〜。赤道に近い地域だと、砂漠か熱帯雨林という感じです。 |
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一方で、極地に近くなると木は生えることができなくなります。地下に永久凍土が広がる、降水量の少ないツンドラと言われる地域です。『ツンドラ』とはサーミ語・ウラル地方の言語で『木がない土地』を意味します。 |
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木が生えている場所もありますが、基本的には樹木の成長には適さない地域です。 |
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日本は北の地域がギリギリと言ったところです。熱帯雨林でもなく、タイガでもなく、かなり絶妙な緯度に大半の国土が収まっているため、日本全国どこでも紅葉が見られて当たり前という特殊なことになっているわけです。美しい紅葉を見せるのは、様々ある木々の中で落葉広葉樹のみです。その落葉広葉樹が多く存在するのは日本を含む東アジアやヨーロッパの一部、北アメリカの東部という、ごく限られた地域です。 |
2-1-2. 世界一色彩が豊かな日本の紅葉
ヨーロッパでも紅葉は見られますが、日本に比べてグラデーションがなく単調と言われています。実は欧米には落葉広葉樹が約13種類しかありませんが、日本は26種類、つまり種類が2倍ほど多く存在します。 日本に落葉広葉樹の種類が多いのは理由があります。氷河期の際、他の地域では寒さで殆どが死滅したのですが、日本では暖かい海岸線や地形などに守られ、落葉広葉樹は氷河期を生き延びることができました。 |
![]() "Autumn leaves Hakkouda Aomori prf Japan 20171008 IMG 3817" ©あおもりくま,(Aomorikuma)(8 October 2017, 07:38:33)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
世界に類を見ない奇跡的な条件が揃った結果、日本では多種多様な落葉広葉樹が存在するのです。山だらけの国土は活用できる面積は狭いですが、山には同じ種類ではなく様々な木々が混在し、秋には驚くほど変化に富むグラデーションを魅せてくれます。 |
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ヨーロッパは単色、かつ黄色に色付く木が多く、燃えるような赤を見かけるのは少ないと言われています。 日本人にとっては当たり前の毎年の紅葉も、世界的に見ると極めて特殊なものというわけです。 しかも、日本人には当たり前とは言っても、気候によって毎年色やグラデーションは異なります。 だからこそ春の桜と同様に、日本人の繊細な美意識を強く魅了し、毎年見ているはずの日本人も飽きることなく紅葉狩りに出かけるのです。 |
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日本人の驚異的な色彩感覚は、こうした恵まれた自然環境の中で育まれてきたと言えるでしょう。それは庶民に至るまで、心の奥深くまで行き渡っています。 |
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日本人は庶民でも、ヨーロッパの王侯貴族と同等もしくはそれ以上の美的感覚を持つからこそ、Genが言うように現代でも世界一、王侯貴族のために作られたアンティークのハイジュエリーを理解することができます。 |
2-1-3. ヨーロッパの上流階級も愛でた紅葉
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昔からヨーロッパでは学術的に、あるいは趣味的に標本採集がなされてきましたが、特にヴィクトリア時代は様々な標本採集が上流階級の趣味として大流行しました。 |
イギリスの初代ロスチャイルド男爵ナサニエルの子供達 | ||
長男:ウォルター(1868-1937年) | 次男:チャールズ(1877-1923年) | 孫娘:ミリアム(1908-2005年) |
生き物全般 | ノミ | |
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採集の対象は動植物や昆虫など、多岐に渡ります。対象やどこまで手を広げるかによって、かかるお金は全く変わります。動物に熱中した第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルドの場合は莫大なおこずかいだけでは足らず、借金を繰り返し、挙げ句の果てには父ナサニエルを無断で保険金をかけるなどしています。 次男とその娘の『ノミ』の採集も一見地味ですが、ノミをコレクションするため北極へ採集船を仕立てたこともあったほどで、莫大な財を投じています。莫大な財力を持たなくてはできない、それだけでなく才智もなくては不可能な、標本採集と研究活動で成果を上げることは、お金だけしか持たぬ成金には到底不可能な高尚な趣味と言えます。 お金を持っているのは当たり前だからこそ、古の上流階級はその知識であったり、教養やセンスの良さなどで同じ階級の人たちの中でも差別化を図るわけです。 上流階級の社会では成金は相手にされず、むしろお金や地位は持たずとも面白い知識や優れたセンスなど、特別な能力を持つ人たちが受け入れられていたのはこのためです。お金や地位だけで威張っていたら、それ以外に何の能力も持たないことがすぐにバレるので、自慢しない方が良いことを上流階級は知っています(笑) |
著名なイギリスのプラントハンター | |
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さて、植物の採集もヴィクトリアンのイギリスでは熱心に行われました。植物採集は古代から行われており、自分で採りに行くこともありましたが、『プラントハンター』なるプロの蒐集人を雇うことも多々ありました。 そこら辺から草花を採ってくるような、子供の自由研究レベルではなく、世界各地から珍しい植物を採取しなければ、上流階級や知的階級の大人にとっては面白くありません。 19世紀は新種植物の商業化に伴って、プラントハンターの社会的地位も向上していきました。ただ闇雲に集めるわけにはいきませんし、枯らさず持ち帰り、本国で育てたりするためにも植物に関する深い知識を必要とします。自然環境の中での採集は時に怪我を負うリスクもあります。実際、アーネスト・ヘンリー・ウィルソンは1914年から1918年の日本調査の際、採取旅行で怪我しています。但しそのお陰で第一次世界大戦の徴兵を免れ、研究と著作を続けることができたそうです。 |
![]() "Westnbirt Arboretum 1(1)" ©Stuz at English Wikipedia(11 November 2004)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
このようなプラントハンターたちの活躍もあって、イギリスには世界各地から様々な植物が集まり、色々な樹木コレクションができました。その中でも特に有名なのが、コッツウォルズのウェストンバート国立樹木園です。 ウェストンバート国立樹木園のジャパニーズ・メープル、すなわちイロハモミジのコレクションは世界的にも有名で、約297種類の品種が植えられています。 色とりどりの紅葉が見られるということで、今もたくさんの人が訪れています。このイロハモミジのコレクションが始まったのは1980年代初頭からですが、19世紀に創設されて以来、メープル(カエデ属)はこの植物園の重要植物とされてきました。 |
![]() "Autumn leaves(pantone)crop" ©Chris Glass, Cincinnati, USA(17 October 2006)/Adapted/CC BY 2.0 |
カエデ属は落葉樹が多く、その中でも紅葉する落葉紅葉樹が主要構成種です。 当時から、美しい紅葉も重要視してコレクションされたということになります。 |
![]() "Westonbirthouse" ©AHFilms Adam Huckel Films. www.adamhuckle.com(20 JUne 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ウェストンバート国立樹木園は今でこそ国立ですが、元々はロバート・スタイナー・ホルフォードという個人によって造られたものです。 ホルフォードは爵位は持っていませんでしたが、ホルフォード家は1665年から1926年までグロスタシャー州にあるカントリーハウス、『ウェストンバート・ハウス』を所有する由緒正しい家柄でした。 |
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ロバートの父ジョージ・ピーター・ホルフォードはピーター・フォルホードの次男で、祖父ピーターは運河を通じてロンドンに淡水を供給する事業で莫大な財産を築きました。 1838年に叔父が亡くなると、100万ポンドを超える遺産を相続し、翌年1839年に自身の父も亡くなると父の遺産も相続し、ウェストンバート・ハウスの所有者となりました。 100万ポンドと言われてもピンと来ませんが、19世紀半頃の為替レートで概算すると625億円となります。想像を絶する大富豪です。 |
![]() "Oriel College Main Gate" ©Wiki alf~commonswiki(26 May 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
金儲けしかやることが想像できない無趣味な成金や、愚かなおぼっちゃまだと「ヒャッホウ、もう一切働かずに一生贅沢して過ごすぞ!!」と実行に移してもおかしくない状況ですが、ロバートはオックスフォード大学のオリオル・カレッジを卒業し、芸術学士の学位を持つ人物でした。 芸術と文学を心から愛したため、その巨万の富を絵画や書籍の蒐集に使ったり、ウェストンバート・ハウス近くに建設する樹木園の拡充に使ったのです。 ちなみに地主でもあったのに国会議員の仕事も辞めず、1872年に64歳で引退するまで務めたそうです。 |
![]() "Westonbirt exterior" ©Anthonyhall45(8 August 2016, 10:31:09)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
現在のウェストンバート・ハウスもロバートが建築家ルイス・ヴァラミィにオーダーして、1863年から1870年にかけて建て替えたものです。外装はエリザベス朝スタイル、内装は古典主義ながら、コンサバトリーもあり、ガス灯やセントラルヒーティング、耐火構造、鉄製屋根など当時の最新技術が採用された極めて贅沢な設えでした。 1875年にウェストンバート・ハウスを訪れたフランスの外交官チャールズ・ガヤードは、邸宅はあなたが知っている何よりも壮大だったと体験を語っています。また、「巨大なコンサバトリーは三階建で、ルイ14世の豪華な住居のようであった。」など、圧倒され、大いに感動したコメントが残っています。 フランスの外交官がルイ14世を引き合いに出すなんて、余程凄かったのでしょうね。実際、このウェストンバート・ハウスはヴィクトリアンに建設された、最も高価な邸宅の1つと言われています。 |
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ロバートは庭園も改装しました。主要道路を動かし、村人を移転させるレベルの改装です。さすが古い時代の地主と言ったところでしょうか、現代人が想像できるレベルとは規模が違います。邸宅の周囲には広大なテラスガーデンが造られ、様々な観葉植物が植栽されました。 その莫大な財力によって、趣味である樹木コレクションに好きなだけお金をかけられたロバートでしたが、同時代の他の上流階級たちと比較して傑出したセンスも持ち合わせていました。 |
![]() "Vue aérienne du domaine de Versailles par ToucanWings - Creative Commons By Sa 3.0 - 094 " ©ToucanWings(19 August 2013, 21:02:33)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ルイ14世の庭園は王の富と権力を見る者すべてに誇示することが目的であるが故に、極めて対称性が高く平面的な、極度に人工的なデザインが特徴でした。 |
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19世紀のイギリスでは、フランス王妃マリー・アントワネットも『王妃の村里』に採用した、自然の景観を生かすイギリス式庭園が発展していたものの、プラントハンターが持ち帰った樹木は原産地の環境に合わせて植えるのが通常でした。単なる植物オタク、植物学者的な人物当然の発想でしょう。 しかしながらロバートは絵画コレクターでもあり、芸術をこよなく愛する人物でした。当時の美術界を席巻していたような、美しい絵画のようにアーティスティックに樹木を植えたのです。 邸宅周囲の庭園や樹木園は、その思想の元にどんどん拡張されていきました。1886年には著名な雑誌『The Garden』にも大々的に取り上げられ、「ホルフォード氏の目的は、常に正しく調和していなければならない邸宅周辺の景観を、混沌とすることなく多様性を維持し、邸宅の洗練された上品さを失うことなく、格式張らずに絵画のような美しい景色を想像することだった。」と紹介されています。当時の上流階級のみならず、庶民にまで広く知られる著名な庭園&樹木園となったのでした。 |
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1880年代に入り、ロバートが歳をとって庭園・樹木園の作業を続けることができなくなると、一人息子のジョージが引継ぎました。 ロバートの死後はホルフォード・クレクションで知られる絵画や書籍も受け継いだジョージでしたが、父ほど芸術や書籍には関心がありませんでした。 一方で、庭園や植物には強い情熱を持っていたため、ウェストンバートで多くの時間を費やし、様々なメディアで絶賛されています。 |
タイムズ紙は次のように掲載しています。 「場所によっては、例えばノルウェイ・カエデとアトランティック・シダーとの組み合わせのように、調和と対比が巧みに使われた落葉樹の秋らしい色彩も見られた。」 日本人にとってはごく当たり前の景色のようにも感じますが、海外から持ち込んだ樹木によって織り成される美しい色彩を持つ秋の紅葉の景色は、欧米人にとっては非常に驚きと感動を以って受け入れられたということなのでしょう。 カントリー・ライフ誌でも1905年と1907年に大きく取り上げられ、絶賛されています。 |
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ちなみにジョージはアマチュア庭師とご紹介しましたが、本業は陸軍将校で、王室の侍従も務めるような人物でした。 甥には第4代モーリー伯爵エドムンド・パーカーもおり、れっきとした上流階級です。 |
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イートン校で4年間を過ごしたジョージは1880年、20歳に近衛騎兵隊連隊第一連隊の隊員となり、1888年から1892年までクラレンス公アルバート王子の侍従となりました。若くして肺炎で亡くならなければイギリス国王となっていた人物ですね。アルバート王子が亡くなった後は、エドワード王太子の侍従となりました。 |
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しかしながらジョージは南アフリカで第二次ボーア戦争が勃発すると、最前線の部隊への復帰を決めました。 第一次ボーア戦争で大英帝国はトランスヴァール共和国に敗戦しており、死の危険を伴う決断でした。 エドワード王太子の親友の1人であり、侍従でもあり、しかも働く必要すらないような大金持ちジョージが激戦地に赴くという決断はニューヨーク・タイムズ紙などの海外メディアでも報じられるほど、驚きと称賛を以って受け入れられました。 |
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無事ボーア戦争から帰還してエドワード7世に仕え、国王エドワード7世が亡くなった後は国王となったジョージ5世の特別侍従と、王太后となったアレクサンドラ妃の侍従となりました。相当、英国王室メンバーに信頼されていたのでしょうね。 |
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これは王室メンバーの写真で、中央にエドワード7世国王夫妻が立っており、一番左に制服を着たジョージ・ホルフォード卿がいます。 |
ホルフォード卿の結婚式(1912年)に参列した英国王室メンバー | ||
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1912年のセント・ジェームズ宮殿に王室礼拝堂でのホルフォード卿の結婚式にはアレクサンドラ王太后、国王ジョージ5世と王妃メアリー、ヴィクトリア王女という錚々たる王室メンバーが参加しており、その信頼の深さが伺えます。 |
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ウェストンバート樹木園が初めて一般公開されたのは戦後の1961年でしたが、当時の王室メンバーや上流階級は間違いなく話題のウェストンバート・ハウスや樹木園を訪れ、その美しい四季の景色に感動したはずです。 特にホルフォード親子が強いこだわりを以って植えた落葉紅葉樹が秋に魅せる、二度と同じものを見ることはできない、美しい色彩の変化には心を奪われたはずです。 |
![]() フランス 1900年頃 SOLD |
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数あるアールヌーヴォー・ジュエリーの中でも、高度なオパールセント・エナメルの技術を駆使し、驚くほど豊かな色彩で表現された葉っぱモチーフのジュエリーは、ホルフォード親子が創り上げた美しい紅葉に感動して特別に作られたものと想像します。 |
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ウェストンバートや、秋の色彩鮮やかに変化する紅葉に上流階級の注目が集まっていた時期とも一致します。美的感性に優れたヨーロッパの上流階級が、神技のエナメル技術を持つトップクラスの職人に特別にオーダーした、もしくは神技の技術とアーティスティックな才能とを併せ持つ才能あふれるアーティスト兼職人がコンテスト・ジュエリーとして制作した、そのようなジュエリーだと推測します。 |
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秋の紅葉を表現した、絶妙な変化を魅せる美しいオパールセント・エナメルのジュエリー。それは長年、美しい四季の変化の中で生きてきた日本人にとって、ごく自然に受け入れられる美のカタチです。 |
![]() 【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted. |
それは王侯貴族が存在せず、新興成金が跋扈した金ぴか時代のアメリカで制作されたエナメル・ジュエリーとも全く異なります。 こういうはっきりした色彩は欧米の一般人には好まれそうですが、どうしても繊細な色彩感覚を持つ日本人にはピンと来ません。 |
![]() ピエトラドュラ(フローレンス・モザイク) ブローチ イタリア 1860年頃 オニキス、アゲート、18ctゴールド SOLD |
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私は自然の石の美しい色や模様を生かしたピエトラデュラが大好きで、象嵌のみならず理想の模様を持つ石を探すのが極めて困難な細工です。 オパールセント・エナメルは、人の手で色もグラデーションも完全にコントロールすることができる細工です。 |
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その代わりに、極めて高度な技術と根気を要します。 完全に人の手だけによる"細工物"と言える、オパールセント・エナメル。 |
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お花のモチーフは定番と言えますが、葉っぱにグリーンからオレンジ色に変化する色彩を使ったのが画期的です。アイデアもさることながら、やはりオパールセント・エナメルは技術的に極めて難しいのでしょうね。改めて、数は作ることができなかった、神技を持つ職人だけが生み出せた希少な芸術作品なのだと感じます。 |
2-2. 2種類の宝石で表現した熟す果実
2-2-1. 表現力は高級かつセンスの良いジュエリーの証
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これは、秋に訪れる美しい色彩の変化を表現した宝物です。徐々に紅葉する葉は、高度なオパールセント・エナメルで表現されていますが、果実も単純な表現ではなく、2色の宝石を使って熟す様子を表現しています。 |
これは丸い小さなエメラルドは、葉が開く前の新芽を表現しているのかもしれません。 もしくは未熟の果実を表しているのかもしれません。 両サイドの天然真珠や、中央の大きなオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドは熟した果実を表現しているのでしょう。 想像することができる、アーティスティックで楽しいジュエリーです。 |
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ヨーロッパで一般的に見られるセイヨウヤドリギは、熟すと実が真っ白になります。だから先ほどの宿り木の宝物は、葉と同じ色のゴールドと、白い天然真珠で果実が表現されていたのです。 |
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高級宝石だからという理由だけで実をルビー&サファイアなどの組み合わせで作っているようであれば、それは確実に成金ジュエリーです。しかも、オシャレセンスも美的センスも皆無の、ダサいジュエリーです。 値段だけは確かに高いかもしれませんが、ジュエリーにはオシャレさと美しさがなければ始まりません!! |
2-2-2. アメジストと天然真珠の果実
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具体的に何の植物がモチーフなのかは分かりません。アンティーク着物の柄でもよくありますが、想像した理想の植物をデフォルメしてデザインした可能性もあります。いずれにせよ、果実は白い天然真珠と鮮やかな紫色のアメジストで表現されています。 |
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果実を天然真珠で表現するのは古い時代からハイジュエリーではよくあることですし、史上最も天然真珠の人気が高まり、高く評価された時代らしい選択と言えます。 |
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天然真珠と組み合わせて、アメジストでこのように果実を表現したジュエリーは他に見た記憶がありません。 芸術性の高いジュエリーらしい選択と感じます。 |
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紫から青にかけての色をした実と言えば、散歩道にあった小元太の大好物の蔦(ツタ)の実を思い出します。赤い実、黄色い実、白い実、オレンジ色の実。植物には様々な色の果実が成りますが、紫色や青色の実も存在します。 |
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Genが『青い実の歌』を作るほど、小元太が大好きな実をつける蔦ですが、Genのお気に入りの紅葉スポットでもあります。 |
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![]() ラピスラズリ&ゴールド ブローチ フランス 1890年頃 SOLD |
やはりヨーロッパにの上流階級には同じような感性を持つ人物がいたようで、ラピスラズリで蔦の青い実を表現した宝物もありました。紅葉した葉と、青い実が魅せる、様々な色彩はとても印象に残ります。 |
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葉の形状はアールヌーヴォーらしくデフォルメされていますが、この宝物のモチーフも、葉の形状や色彩のグラデーション、実の色などから蔦系の植物だと想像します。 |
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その場合は宿り木とは逆で、この宝物では天然真珠が未熟の実、アメジストが熟した果実を表現しているとみられます。 |
2-2-3. 特別な作品に誂えた上質なアメジスト
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熟した果実は1粒のみで、他は全て最高級の宝石である天然真珠を使用しているのが心憎いですが、さすがにアメジストも上質な石を使っています。 |
![]() "Amethyst. Magaliesburg, South Africa" ©JJ Harrison(18 July 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
現代では質の悪い安価なアメジストがパワーストーン市場に溢れ、石の種類だけを気にし、質を全く気にしない人が増えた結果、アメジストの価値や宝石としての魅力が分かりにくくなってしまいました。 無色透明の水晶であるロッククリスタル自体、100年かかって1mm程度しか成長しない鉱物なので、ジュエリーに使えるサイズを得るのは難しいです。紫色の水晶であるアメジストならば、なおさらです。 大きさがあれば十分というわけでもありません。パワーストーンであれば、アメジストという種類であれば何でも良いのかもしれませんが、ジュエリーの場合は不純物がなく、しかも鮮やかな色彩を持たねばなりません。ハイジュエリーに使えるのは、質の良い結晶のごく一部分だけです。 |
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昔も大半の庶民は石の種類だけしか気にしません。 成金の場合は高級とされる四大宝石に目が行き、アメジストには見向きもしません。四大宝石が買えない層が購入するアメジスト・ジュエリーは、石の質を気にしないのでインクリュージョンが多かったり、色が薄すぎるなど安い石ばかりです。 |
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大きくなくても鮮やかな色彩を呈する上質なアメジストは、美意識の高い王侯貴族のために作られたアーティスティックなハイジュエリーの証です。 より高価な天然真珠を多用したデザインも、お金をケチることなくデザインを重要視して作ったことを示しています。 |
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綺麗なカットも施してあり、煌めきも美しいです。 |
2-3. ゴールドのダイナミックなフォルム
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この宝物を見ると、やはり最高級品として作られたアールヌーヴォーはデザインも作りも非常に良いなと実感します。 |
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左の葉の根元から、一番下の天然真珠までの捻りを加えたゴールドのダイナミックな造形も、アールヌーヴォーらしい見事な曲線です。 |
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退廃的なアールヌーヴォーではなく、アーツ&クラフツ運動の植物モチーフに通ずるような、力強い生命力を感じる躍動感あふれる美しい造形です。 |
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圧巻なのは葉の造形です。 この角度からご覧いただくと、驚くほど各所に絶妙な角度を付けて造形されていることがお分かりいただけるでしょう。 極めて優れたセンスを持つ職人が作ったからこその、複雑な立体的フォルムです。 |
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これだけ複雑に立体造形してあり、オパールセント・エナメルの下地の繊細な彫金による輝きや、グラデーションのあるエナメルの光沢が絡み合うことで、正面から見ても奥行きのある感動的な美しさを感じることができるのです。 |
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複雑な造形の葉に彫金するのはかなり高度な技術が要ることですが、神技の技術を駆使して非常に繊細に、センス良く葉脈が表現されています。 この作品から感じる職人魂は、単なる高級なオーダー・ジュエリーの域を超えており、やはりコンテスト・ジュエリーとして作られたのではないかと想像します。 |
裏側
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裏も完璧な、綺麗な作りです。 |
着用イメージ
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見ているだけでも飽きない、アーティスティックな宝物です。紅葉の季節に使うのはもちろん楽しいですが、日本人好みの非常に綺麗な色使いで、世の中には常時葉っぱが色付いた植物も存在するので、好みに合わせて1年中お使いいただいても良いと思います。最高級のエナメルと、天然真珠やアメジストという宝石まで楽しめる、アンティークの魅力が詰まったお勧めのジュエリーです♪ |