No.00346 BLACK & GOLD |
荘厳な黄金の輝きを放つ漆黒のピケ・クロス!!♪ |
精密で美しいフォルム!!♪ |
←↑等倍 |
複雑な形状への精緻な象嵌!! 撚り線をデザインしたミクロの象嵌!! まさに神技のピケ!!♪ |
|
『BLACK & GOLD』 鼈甲の黒い部分だけを使い、立体的で美しいフォルムを丹念に磨き上げることで、上質な漆黒のオニキスのような質感を持たせた贅沢なピケ・クロスです♪ |
|||
細工の見事さからも、当時のトップクラスの職人が制作したことは確実です。オニキスのような光沢ある漆黒と、ピケだからこその象嵌細工による黄金の輝きの組み合わせは、何とも荘厳で美しいです!♪ 日本美術の影響を受けたと見られる、シンプルながらも手の込んだ十字架のフォルムも見事なものです。極めて美意識の高い人物の特別なオーダー品だった事は、間違いありません。品の良いデザインだからこそ、現代のファッションにもコーディネートしやすいです。従来のピケとは一線を画す雰囲気を持つ宝物で、ピケにご興味がなかった方にもぜひお勧めしたいです♪ |
この宝物のポイント
|
1. 漆黒のピケ
これまでの46年間でいくつもピケをご紹介しましたが、この宝物は"色"に関して不思議なほど強い印象を感じます。 なぜなのか考えてみると、2つの特徴がありました。 ・ピケ本体の黒い色の強さ この特徴が組み合わさることで、印象的なクロスとなっています。 重厚さのある漆黒のクロスから放たれる、黄金ならではの神々しい光。 |
通常、ピケは意味がないので黒背景では撮影しません。 ただ、今回はあまりにも印象的な『黒』でした。 その黒さを感じていただくため、黒背景で撮影してみました。 イギリスで流行した通常のピケは、茶褐色の印象だと思います。 今回はピケの素材についてご紹介したいと思います。 |
1-1. 天然素材のカラー・コントロール
1-1-1. ピケ・ジュエリーの一般的なイメージ
アルバート王配の喪中(1862年)婚約中のアレクサンドラ・オブ・デンマーク王女(17歳頃)とヴィクトリア女王(43歳頃)【出典】Royal Collection Trust / Queen Victria (1819-1901) and Princess Alexandra of Denmark, later Queen Alexandra (1844-1925) © Her Majesty Queen Elizabeth II 2021 | アンティークジュエリー市場で見るピケの大半は、19世紀後期に喪のジュエリーとして流行したものです。 1861年にアルバート王配を亡くしたヴィクトリア女王は、長く喪に服しました。 上流階級は常にジュエリーを身につけるのが当たり前でしたが、いつでも同じジュエリーをつけるわけではありません。 |
TPOで使い分ける上流階級のジュエリー | ||
夜・正装 | 日中・正装 | 日常用 |
『勝利の女神』 ガーランドスタイル ネックレス イギリス or フランス 1920年頃 ¥6,500,000-(税込10%) |
『黄金馬車を駆る太陽神アポロン』 シェルカメオ ブローチ&ペンダント ヨーロッパ 19世紀後期 ¥1,330,000-(税込10%) |
『MODERN STYLE』 ダイヤモンド ブローチ イギリス 1890年頃 SOLD |
TPOに合わせてジュエリーも変えます。ここに挙げたのはほんの一例に過ぎず、たくさんの種類を持っていなくてはなりませんから桁違いの財力が必要です。 ルールを作ることで、文化の振興のみならずお金を強制的に使わせることができます。すなわち、経済を回すことにもつながります。それは新たな仕事を創出し、雇用を生み出すことになります。 |
段階が存在した19世紀後期の『喪』のルール | ||
最も深い喪 | 次に深い喪 | 半喪 |
アメリカ 1850年頃 【引用】The Metropolitan Museum of Art. |
アメリカ 1867年頃 【引用】The Metropolitan Museum of Art. |
アメリカ 1872-1874年 【引用】The Metropolitan Museum of Art. |
19世紀後半は、世界に先駆けて産業革命を迎えたイギリスが『世界の工場』として最盛期を迎え、経済活動が活発化した時代です。ローマ帝国の黄金期パクス・ロマーナ(ローマの平和)を文字り、『パクス・ブリタニカ(Pax Britannica)とも呼ばれたほどです。 そのような活気にある時代だったため、喪のルールも細分化されて「お金をたくさん使わせる仕組み」になっていたようです。葬儀関連業者は大いに儲かったとか・・。 設定された喪の段階に合わせて、衣服やジュエリーのルールも存在しました。 |
黒い素材のハイジュエリー | ||
オニキス | エナメル | ジェット |
ネオルネサンス オニキス・カメオ フランス 1870年頃 SOLD |
ブラック・エナメル リング イギリス 1834年 SOLD |
ウィットビー・ジェット ピアス イギリス 1860-1870年頃 SOLD |
フレンチジェット | ボグオーク | グッタペルカ |
フレンチジェット ネックレス フランス or イギリス 1900-1920年頃 SOLD |
ボグオーク ブローチ イギリス 19世紀 SOLD |
グッタペルカ ブローチ イギリス 1883年 SOLD |
喪のジュエリー用として、様々な黒い素材が使用されました。稀少価値の高い高価なものから、手間がかかりながらも人造が可能なものまで多岐に渡ります。 |
ヴィクトリア女王とアルバート王配(1861年)共に42歳頃 | それだけ需要があったという事です。 19世紀後半は、産業革命によって台頭した中産階級の衣食住が満ち足り、旺盛な消費意欲でジュエリーや旅行などの贅沢にお金を出し始めた頃でした。 その勢力を無視できなくかったため、ヴィクトリア女王はそれまでの上流階級ではなく、庶民を意識したプロモーションに迫られたのです。 このボリュームあるクリノリン・ドレスはいかにも貴婦人が着ていそうな印象を持ちますが、当時は工場で働く女性ですら着用していたそうです。 |
ピケ 鳥 ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
そのような中で、天然の貴重な素材を使い、手間や高度な技術も必要とするピケ・ジュエリーは当然ながらハイジュエリーとして使用されました。 現代では想像できないくらい、服喪期間は長いです。 象嵌細工によって様々な表現が可能である上に、軽さも特徴であるピケは、喪の期間中に着用するジュエリーとして使い勝手が良かったこともあってか、上流階級に大流行しました。 |
『知性の雫』 ドロップシェイプ ピケ ピアス イギリス 1860年頃 SOLD |
このため、アンティークジュエリー市場で見る殆どのピケ・ジュエリーは、ヴィクトリア女王の服喪により流行した時のものです。 |
1-1-2. コントロールが可能な天然素材ピケ
象牙細密彫入りのピケの小箱 フランス 1780〜1800年頃 オリジナルボックス付 SOLD |
ピケは1600年代半ば頃にイタリアで考案され、主に教会の祭祀用具として作られていました。それがフランスに伝わり、技術が飛躍的に進化しました。最初に作られていたのは主に小物入れなどの箱です。 |
タイマイ | ピケや鼈甲の素材はウミガメの一種である『タイマイ』です。 インドネシア、セーシェル、モルディブ、西インド諸島などの熱帯を主要繁殖地とするカメです。 背と腹の甲羅を使います。 |
タイマイの甲羅 ロスチャイルドの邸宅ワデズドンマナー展示品 |
10枚程度に剥がして使用するのですが、その状態ではとても薄っぺらで、形状も平らではありません。天然素材なので色も均一ではありません。 この甲羅はタンパク質を主成分とする、天然の熱可塑性樹脂です。 一般的なプラスチックとは異なり、含水状態でのみ熱可塑性を示す特殊な高分子です。 膠(ニカワ)質なので、水分を含ませて高温で圧着することができます。 この性質を利用して様々な大きさや形状、模様に成形して製品にします。 |
『白鷺の舞』 舞踏会の手帳(兼名刺入れ)&コインパース セット イギリス 1870年頃 SOLD |
複数の鱗板を貼り合わせて整形するからこそ整った形と、厚みやサイズを出すことが可能というわけです。 |
1-1-3. 日本の鼈甲細工から見るピケの色
ジュエリー文化が発展してこなかった日本に於いて、鼈甲細工はヨーロッパと日本で比較できる技法の1つです。和骨董の世界でも今では"本当に古いもの"や、"本当に高級品として作られたもの"は数が少ないです。 貧乏であってもプライドが高く美意識を重視した武士がいた一方で、日本の商人の商売根性・商売道徳の無さは世界でも指弾されたことがあるほどエゲツないです。真面目にやっていらっしゃる方もいる一方で、今でもポンコツをさも良いものと称して高額で売りつけることが多々あり、目利きができない方が間に受けて"価値あるもの"と思い込み持っていることも少なくありません。 |
『竹』鼈甲と象嵌蒔絵細工の帯留(永芳 明治〜昭和初期)HERITAGEコレクション |
本物の高級な日本の美術工芸品を見ること自体がなかなかありませんが、これはかなりの高級品として作られた鼈甲のアンティーク帯留です。上部は飴色の鼈甲で、下部は黒い鼈甲に蒔絵と象嵌が施されています。 ダイヤモンド文化はありませんでしたが、散りばめられた細かい螺鈿が色彩鮮やかに輝き、竹の瑞々しさを生き生きと表現する様子は実に美しいです♪♪ |
『竹』鼈甲と象嵌蒔絵細工の帯留の裏側(永芳 明治〜昭和初期)HERITAGEコレクション |
裏側を見ると、蒔絵と象嵌細工が施されている竹は、基材が黒い鼈甲であることが分かります。ブラスチックではなく間違いなく鼈甲素材なのですが、明らかに人工的ですよね。 |
『水仙』鼈甲と象嵌蒔絵細工の帯留(明治〜昭和初期)HERITAGEコレクション |
これもK18ゴールドを使い、見事な螺鈿細工や多色漆による水仙の帯留です。菱形を重ねたデザインが、アールデコを思わせるモダンな印象です。こんな完璧な模様を持つ、"ありのまま"の天然の鼈甲は考えられないですよね。 |
『水仙』鼈甲と象嵌蒔絵細工の帯留の裏側(明治〜昭和初期)HERITAGEコレクション |
天然素材を使ってはいますが、人工的に手を加えて作り上げていることは明らかです。 |
『茄子』鼈甲の帯留(明治〜昭和初期)HERITAGEコレクション |
先の2作品は、飴色と黒色の境界がはっきりとした直線でしたが、この『茄子』は境界がボヤけています。貼り合わせ方によって、色々とコントロールできるというわけですね。色までもリアルなお茄子の表現が、いかにも日本人らしい美的感覚です。 |
『茄子』鼈甲の帯留(明治〜昭和初期)HERITAGEコレクション |
彫刻したヘタの表現も面白いです。鼈甲素材によるこのような表現は、ヨーロッパでは見たことがありません。それぞれに『理想の美(Beau Ideal)』があり、表現や技法として発展してきたということでしょう。 |
1-2. 漆黒のピケの価値
1-2-1. ヨーロッパでもなされていたカラー・コントロール
1860年頃のべっ甲の小物 | |
イギリス | フランス |
ピケ 香水瓶 ペンダント SOLD |
鼈甲金象嵌 小箱 SOLD |
天然素材であるが故に、"ありのままの姿"で使用されていると思い込みがちですが、ヨーロッパでも鼈甲素材のカラー・コントロールは当たり前のように行われていました。 Gen曰く、イギリス人はシックな黒、フランス人は明るい飴色の鼈甲を好む傾向があったようです。 これらは斑などの模様が一切なく、色が完全に均一なのも特徴ですね。 |
1-2-2. ヨーロッパの理想の美が反映されたピケの色
完璧主義のヨーロッパ・デザイン | |
『永遠の愛』 ガーランドスタイル ペンダント&ブローチ フランス? 1910年頃 ¥1,220,000-(税込10%) |
【フランス式庭園】ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(建設1684-1686年) "Vue aérienne du domaine de Versailles par ToucanWings - Creative Commons By Sa 3.0 - 094 " ©ToucanWings(19 August 2013, 21:02:33)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
『不完全の美』を理想とする日本人の美意識に対し、ヨーロッパの理想は『完璧主義』でした。日本人は左右非対称であったり、絶妙な間(ま)の取り方やグラデーションなどを好みます。自然で心地よい"雰囲氣"をこよなく愛したのが日本人です。 ヨーロッパは完璧に対称形で、色は完全に均質という人工的に手を加えないと通常は実現しないものを最高のラグジュアリーかつ理想の美として定義してきました。 |
不完全の美を体現した芸術面で見てハイエンドの宝物 | |
『Bird of Paradise』 ピケ ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
『雪珠真珠』 バロック天然真珠 ゴールド・ロングチェーン ヨーロッパ 1890〜1900年頃 SOLD |
ヨーロッパの王侯貴族の中にもごく稀に、日本人のハイエンドの人たちと共通する美意識を持つ人はいたようです。だから奇跡的な確率ながら、稀にこのような日本人の琴線に触れる宝物に出逢うことがあります。 見つけたら必ず買付けますし、王侯貴族のために作られたアンティークジュエリーの中でも限られた最高級品しか私たちは扱わないため、このような宝物はたくさんあるようにお感じになるかもしれません。 |
通常はこのように、斑が入っていない均質な色のピケがヨーロッパ人好みの高級品の一般的なイメージです。 |
1-2-3. 喪のジュエリー用の漆黒
ピケ ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
ピケ ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
当時の喪にはいくつか段階がありました。その段階に合わせて、完璧に黒いピケを誂えた人もいたでしょう。 日本の鼈甲細工の影響もあり、日本人には左のようなイメージが鼈甲素材としては強いかもしれません。しかし、黒いものはイメージより黒さがはっきりしています。 |
黒い素材を使ったジュエリー | |||
オニキス |
エナメル |
ジェット |
フレンチジェット |
ボグオーク |
グッタペルカ |
ピケ |
ピケ |
いかがでしょうか。 その一方で軽くて着用感が良く、形状に自由度がある上に、象嵌細工によってデザインできるバリエーションも幅広いです。この時代にピケが大流行したのも無理ないですよね。 |
ピケ ハート型ペンダント イギリス 1860年頃 SOLD |
『クラシック・ハート』 ピケ ハート型 ロケット・ペンダント イギリス 1870年頃 SOLD |
ハート型ピケは、失った大切な人への愛を示す人気の高いモチーフでした。ハートのフォルムが1つ1つ異なり、個性豊かなのがアンティークジュエリーの魅力でもあります♪ どちらのピケも、深い黒の単色です。ここに真心が現れています。 |
この美しいピケ・クロスも同様です。 |
1-2-4. 贅沢な素材使いを示す漆黒カラー
タイマイの甲羅 ロスチャイルドの邸宅ワデズドンマナー展示品 |
タイマイ |
単色の漆黒のピケ、明るい飴色のピケ。 これらを実現させるのは大変です。 それぞれ綺麗な色の部分のみを切り出し、圧着させます。手間と技術が要るた大変な作業ですし、ただでさえとても貴重な天然材料です。 |
このことからも、この美しい漆黒のピケが当時『憧れの高級品』と看做された事はご想像に難くないと思います。 |
1-3. 衰退させられた鼈甲文化と上がる一方の稀少価値
1-3-1. ヨーロッパでのピケの衰退
『幕開けの華』 ジュビリー・エナメル ブローチ イギリス 1887年 SOLD |
流行には廃りがあります。 最初は目新しいものも、やがて飽きが来ます。暗い喪服があまりに長く続くと、さすがに飽きますよね。 1861年から君主が喪に服し、何となく重々しい空気が続いたイギリスでした。 1887年にヴィクトリア女王即位50周年記念ゴールデン・ジュビリーを契機に喪服が脱がれ、反動のように華やかなジュエリーが制作されました。色とりどりの美しい色彩が印象的な『ジュビリー・エナメル』がそれを象徴しています。 |
アレクサンドラ王妃の時代(エドワーディアン)の喪のドレス | ||
【引用】THE MET MUSEUM / Eveniing dress ©The Metropolitan Museum of Art./Adapted. | 【引用】THE MET MUSEUM / Eveniing dress ©The Metropolitan Museum of Art./Adapted. | 【引用】THE MET MUSEUM / Eveniing dress ©The Metropolitan Museum of Art./Adapted. |
実際、長すぎる喪で上流階級もかなり飽き飽きしていたようです。当時はTPOが厳格でしたから、飽きたからと言って破るわけにもいかず、華やかなファッションもしたいのにそれが許されないのはオシャレが好きな女性たちにとっては辛いことでした。 ヴィクトリア女王が崩御して新しく女性のトップとなったアレクサンドラ王妃は、空気を読んで喪服のルールをかなり緩くしたほどでした。 |
ピケ ペンダント イギリス 1860年頃 SOLD |
そういうわけで、優れたピケジュエリーが制作された時代は1860年代から1880年代に集中していると言えます。 完全に廃れたわけではなく、喪のジュエリーの定番としてその後も作り続けられはしたと思いますが、戦後は王侯貴族の時代の終焉と共に優れたジュエリーは制作されなくなりました。 同時にヨーロッパに於ける優れたピケ・ジュエリー制作の歴史も、ここで完全に途絶えたとみられます。 |
1-3-2. 日本の鼈甲文化
南蛮屏風の一部(狩野内膳 16-17世紀)リスボン国立古美術館 | 日本では17世紀以降、中国やオランダからの貿易船によって、長崎に鼈甲の材料と加工技術が伝来したことで鼈甲細工の国産が始まりました。 長崎から大阪や江戸にも伝わり、鼈甲の三大産地となりました。 |
鼈甲と象嵌蒔絵細工の櫛(工樂 江戸時代)HERITAGEコレクション |
江戸時代以降、眼鏡のフレームや櫛、かんざし、帯留などに使用され、憧れの高級品として珍重されてきました。 現代でも制作はされていますが、未来がないことをご存じの方は少ないかもしれません。鼈甲業界は、酸素を抜かれて徐々に窒息死させられているような、とても酷い環境にあります。 |
1-3-3. 日本の鼈甲文化
タイマイ | タイマイの商業取引はワシントン条約で禁止されました。 ワシントン条約の発効は1975年で、日本は1980(昭和55)年11月4日に条約国となりました。 ただ、国内産業保護の理由でタイマイについては留保としていました。 |
しかしながら、あくまでも暫定措置でした。 業界を説得し、一定量の材料を確保させた後に留保撤回がなされ、1994(平成6)年7月31日以降、材料を新しく手に入れることは不可能となりました。 それから30年近くが経ちます(2023.5.15現在)。 どのような経緯があったかは知る由もありませんが、あまりにも"今だけ"、"自分だけ"しか見ていない対応だったように感じます。しこたま材料を確保した当時は良かったでしょうけれど、確保した分だけで何とかしようとすれば、次第に材料は無くなっていきます。 |
『黄金馬車を駆る太陽神アポロン』 シェルカメオ ブローチ&ペンダント イタリア 19世紀後期 ¥1,330,000-(税込10%) |
シェルカメオもそうですが、天然の貝殻を使うため、材料の品質には差があります。たくさんの貝殻を1年かけて天日干しし、高級品を作る一流の職人が優先的に良い材料を選ぶそうです。 |
その点では宝石は全て同じと言えます。特級品が高価なジュエリーの材料として用いられ、品質の劣る安価な材料は安物に使用され、ガラクタレベルでも使い道があれば工業用途として使用されるということです。ダイヤモンドやルビーならば研磨剤、貝殻もパウダー状にして土壌改質や洗濯槽クリーナーなどへの使い道があるようです。 |
タイマイの甲羅 ロスチャイルドの邸宅ワデズドンマナー展示品 |
手間と技術をかけて鼈甲細工を作ろうとする職人ならば、良い材料を使いたいのは当然の感覚です。 良い材料から使われていき、新しい仕入れができなくなって30年も経てばどうなるかはご想像の通りです。 しかも将来的には完全に、使える材料が無くなってしまうのは目に見えています。 誰が努力して職人としての腕を磨いたり、新規参入して良いものを作ってこうと思うでしょうか。 |
以前、Genがピケの修理を相談しに鼈甲職人の方を尋ねたことがあるそうです。 日本とは全く異なる西洋の細工に興味津々で、喜んで引き受けてくださったそうです。 再び私と尋ねた際は代替わりし、息子さんがやっていらっしゃいました。かなりやる気がなく、嫌そうに断られてしまいました。 "手仕事の優れた美術工芸品を作る職人さん"としてのあるまじき態度にGenは憤っていましたが、背景を想像すると納得はできるのです。 |
【参考】作業台での鼈甲細工の作業風景(現代) 【引用】日本の伝統工芸 総合サイト / 江戸べっ甲 ©InformationTotal System Co., Ltd. |
これは現代の鼈甲職人さんの作業風景です。 当該の職人さんやお店ではありません。 作業台から伸びる、棒に張った白い布にはたくさんの粉状のものが見えます。これは鼈甲の削りカスです。 集めて熱を加えながら圧縮すると、また元のように硬く半透明な状態にできるそうですが、ここまで涙ぐましい状況になっているようです。 |
まだ完全に材料を使い尽くしたわけではありませんから、いま新品として販売されている全てがこのような粉塵を再生した鼈甲というわけではありません。 しかし材料が日を追うごとに失われているのは間違いなく、材料としての稀少価値は上がる一方です。 |
【参考】鼈甲ネックレス(原口広久 作 現代) 132万円(2023.5現在) 【引用】べっ甲の菊池 / 江戸べっ甲 ©InformationTotal System Co., Ltd. |
現代の相場は詳しくありませんが、これで132万円だそうです。作家物価格かもしれません。 ただ、デザインのせいだと思いますが、印象としてはプラスチックのアクセサリーとの違いが分かりません。 なかなかこれに132万円を出す人はいないかもしれませんね。 それでもこの価格が付くのは、稀少価値が上がっているという事なのでしょうね。 |
1860年代から1880年代にかけては、美しいピケ・ジュエリーが一定数が作られました。 しかしながら作られて140〜160年ほども経過しており、コンディションを保てているピケを見つけること自体が現在では極めて困難です。 人工プラスチックは早いと数ヶ月、数十年も経てば劣化するのが通常です。変色したり、加水分解などでボロボロになったり、弱いものです。 同じような見た目や軽さでも、ピケは大切に使用すれば100年以上もの耐久性があります。 |
代々受け継ぐことを前提として制作される、高級ジュエリーの素材としてはバッチリの素材と言えます。 ますます失われていく一方の鼈甲の宝物。大切に受け継いでいきたいものですね。 |
2. 使いやすいデザインのピケ・クロス
この宝物は、日本人にとって使いやすいシンプルなデザインなのも魅力です♪ |
2-1. バリエーション豊かなピケのデザイン
美的感覚を持たず、何を選べば良いのか分からない人たちはお墨付きを必要とします。だからブランド物や、権威や有名人のオススメ品、他人が持っている物と同じ物を選びます。 逆に言えば、ブランド物や皆が持つ物を選ぶ行為は、美的感覚を持たない事を自ら示す行為です。 それは、アンティークの時代の王侯貴族にとっては恥でしかない行為でした。だからこそ、上流階級のために作られたアンティークのハイジュエリーは個性豊かです。 |
花束や花輪 | ハート | 蝶々 | 楽園の鳥 |
ピケ ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
ピケ ハート ペンダント イギリス 1860年頃 SOLD |
ピケ 蝶 ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
ピケ 鳥 ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
日常で使いやすい高級モーニング・ジュエリーとしてピケが流行しましたが、そのデザインはとてもバラエティに富んでいます。あくまでも『喪』という枠は守りつつ、それぞれに個性や好みが現れています。 モチーフやデザインには、いくつかの大枠があります。大切な人を想うためのモチーフやデザインです。蝶々も象徴主義を反映した、当時の知的なモチーフです。このような大枠の中で、様々な個性が発揮されました。 もちろん、クロスも定番の人気モチーフの1つでした。 |
2-2. 従来のヨーロッパ・デザインとは一線を画す雰囲気
2-2-1. オーソドックスなヨーロッパデザインのクロスとの違い
ピケ・クロスが定番の1つだったとは言っても、私たちの基準を満たした上でコンディションも良好となるとそう多くはありません。 それでも46年間で、比較できる程度のお取り扱いがあります。 これまでの3点をご覧ください。 |
ピケ クロス・ペンダント イギリス 1860年頃 SOLD |
ピケ クロス・ペンダント イギリス 1870年頃 SOLD |
ピケ クロス・ペンダント イギリス 19世紀後期 SOLD |
今回の宝物とは雰囲気がかなり異なります。いかにもヨーロッパのオーソドックスな雰囲気が漂うデザインです。荘厳さ、エレガントさ。人によっては仰々しさも感じるかもしれません。いわゆる『足し算の美学』です。 |
無駄なものは極限まで削ぎ落としつつ、必要なものはある。 必要なものまで削ぎ落とすとチープ感が漂いますが、そういう風にはなっていません。 |
2-2-2. 日本美術の影響を受けたデザインのピケ
イギリスの初代駐日総領事・公使ラザフォード・オールコック(1809-1897年) | 第2回ロンドン万博の日本ブース(イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1862年) |
1854年に日本が開国しました。 1862年の第2回ロンドン万博で、イギリスの初代駐日総領事オールコックの蒐集品が展示され、ヨーロッパの人々を驚かせました。そして現代の日本人が想像する以上に、ヨーロッパの芸術家たちに大きなインスピレーションを与え、新しい創作やヨーロッパデザインの進化へとつながっていきました。 |
アングロジャパニーズ・スタイル(英和スタイル) | |
クリストファー・ドレッサー(1834-1904年) | 『Théière』(クリストファー・ドレッサー 1879年)モントリオール美術館 |
1848年から1849年にかけての『諸国民の春』、1870年の普仏戦争敗戦などゴタゴタ続きだったフランスと違い、イギリスは政治・外交的にも日本美術と交流を密にし、発展できる環境にありました。 そこで生まれたのが『アングロジャパニーズ・スタイル(英和スタイル)』と呼ばれる様式でした。その主要人物とされるデザイナー、クリストファー・ドレッサーもイギリス政府の正式な使者、且つサウス・ケンジントン博物館(現在のヴィクトリア&アルバート美術館)の代表者として1876年に来日し、明治天皇の取り計らいを受けて様々な日本美術に触れて帰国しました。 単なるイチ芸術家の物見遊山の観光ではなく、日英政府や美術館への報告書作成や、著名人から新品・骨董を含めた日本の美術工芸品コレクション作成を依頼された、かなり重要な役割でした。 |
糸車と若い女性(フランス Juste Chevillet&Johann Casper Heilmann作 1762年) | 髪の毛を紡ぐための蒔絵の糸車(フランス 1750-1770年)ヴィクトリア&アルバート美術館 |
もともとヨーロッパの上流階級・知的階級は日本美術に強い関心を持っており、出島経由で細々とながら入ってくる日本美術は、知性と財力を示す最高のステータスの1つと見做されていました。 開国前から、日本美術は富と権力があれば入手は可能でした。『アングロジャパニーズ・スタイル』という言葉が使用されたのは開国前となる、1851年でした。それほど、上流階級や知的階級の日本美術への関心は高いものだったのです。 |
ピケ・バングル イギリス 19世紀中期 SOLD |
当然ながら、上流階級のために作られたピケ・ジュエリーに反映されないわけがありません。 これは10年以上前にGenがご紹介したバングルです。 |
「まるで日本人が作ったかのような和の分に気を感じるシックなデザインに惚れ惚れしますね♪」 また、中央のデザインを「青海波のような模様」とも表現していました。 |
『紋所帳』青海波の描き方(1816年:江戸後期)立命館大学ARC蔵 |
青海波はいつまでも続く無限に広がる穏やかな波のように、未来永劫に続く幸せへの願いと、人々の平安な暮らしへの願いを込めた縁起の良い柄です。青海波が広く普及したのは江戸時代中期以降で、人気が出て工芸品に施すデザインとして広く定番化しました。 だからこそ日本の美術工芸品を蒐集した上流階級や知的階級の人たちは、「青海波=日本美術」と紐付けることができました。 |
アングロジャパニーズ・スタイルのピケ | |
『白鷺の舞』 舞踏会の手帳(兼名刺入れ)&コインパース セット イギリス 1870年 SOLD |
ピケ ブローチ イギリス 1870年頃 SOLD |
そういうわけで青海波をデザインした宝物など、明らかにジャポニズムを意識したピケがいくつか存在します。日本美術は上流階級の人でも理解できる人はそう多くなく、だからこそ知的で高尚な存在として、このようなジャポニズム系の宝物は社交界の中でも特別視されていました。 |
ジャポニズムの4つのスタイル | |||
1. 日本美術をそのまま生かす | 2. 和のモチーフを使う | 3. 日本人による西洋スタイルでの制作 | 4. 西洋と日本美術が完全に融合し昇華 |
『秋の景色』 赤銅高肉彫り象嵌ブローチ 日本 19世紀後期(フレームはイギリス?) SOLD |
『道を照らす提灯』 フランス 1910年頃 ¥420,000- (税込10%) |
『清流』 ペンダント イギリス 1920年頃 SOLD |
『静寂の葉』 ヨーロッパ 1890-1900年頃 SOLD |
ところで一言で日本美術の影響を受けた作品と言っても、その取り入れ方は様々です。 詳細は以前ご説明しましたが、ジュエリーに関してはこのように分類できます。誰にでも分かりやすいのは、日本のモチーフをそのままデザインに使う作品です。様式を取り入れ、ヨーロッパの様式と融合・昇華させた作品に関しては見分けが難しく、感覚や知識がないと分からないかもしれません。 |
イギリスで発達したアングロ・ジャパニーズ・スタイルのデザイン | ||
クリストファー・ドレッサー(1834-1904年) | 『Théière』(クリストファー・ドレッサー 1879年)モントリオール美術館 | 『英国貴族の憧れ』 天然真珠&トルコ石 リング バーミンガム 1876〜1877年 SOLD |
アールデコを知る日本人にとって、このような作品は初見すると純粋にヨーロッパの作品と思うかもしれません。しかしながらこれらは日本美術の真髄を理解し、様式のレベルで落とし込んだ極めて傑出した作品と言えます。それ故に、理解できる人の心を揺さぶる力も大きく、普遍的な強い魅力があります。 |
ウィリアム・ワットのためのサイドボード(エドワード・ウィリアム・ゴドウィン 1876-1877年) "Godwinsideboard" ©VAwebteam at English Wikipedia(26 OAugust 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
必要なものは備えつつも、無駄なものを完璧に削ぎ落としたからこそ生み出される美しさ。 イギリスにはこの時代、既に一部の人にその概念が芽生えていました。 |
3. 高級品らしい作り
3-1. 十字架の美しい立体フォルム
シンプルなデザインは高級品か安物かの見極めが難しく、誰にでもは理解できません。シンプルデザインの贅沢品は、分かる人にはたまらない魅力がある一方で、分からない人には何が良いのかよく分からない世界です。 Genや私は『冴え』、『研ぎ澄まされた美』など感覚的な表現をしますし、実際に醸し出される雰囲気から感覚で選んでいるのですが、敢えて一部を論理的にご説明することも可能です。 |
3-1-1. 手間をかけたラグジュアリー
燭台デザイン | ||
西洋美術 | 日本美術 | |
オーソドックス | 日本美術と融合 | 武家文化系 |
ネオクラシカル・スタイル | アングロ・ジャパニーズ・スタイル | 南部鉄器 |
アンドリュー・フォーゲルバーグ 1774-1775年 | クリストファー・ドレッサー 1883年 | 制作年不明 |
燭台で見てみましょう。 ◆ネオクラシカル・スタイル:万人に高そう/凄そうに見える ◆ドレッサーによるアングロジャパニーズ・スタイルの燭台:難解で玄人向け 日本の燭台は敢えてご説明する必要はないでしょう。 |
【参考】大衆向けの量産の安物ティーポット(現代) |
手抜きの安物もシンプルなデザインになります。見ただけで違いが分かる方もいれば、論理的に説明しても分からない方もいます。論理面でご説明しておきましょう。 |
クリストファー・ドレッサーのデザイン |
【参考】現代の量産の安物 |
『Théière』ティーポット(1879年) | 大衆向けの量産の安物ティーポット(現代) |
量産の安物の場合、美しさではなくコストカットが至上命題です。無駄なことには手間をかけず、歩留まりが悪くならぬよう凝った作り込みもしません。 注ぎ口に注目すると、ドレッサーのデザインは機能性と美しさを両立させた見事な形状です。安物はヒョロっとしており、機能性だけで美しさが感じられません。 蓋のフォルムや、蓋の取手も、手間の掛け方がまるで違っており、その分だけ美しさが異なります。 |
クリストファー・ドレッサーのデザイン |
【参考】現代の量産の安物 |
燭台(1883年) | 大衆向けの量産の安物ティーポット(現代) |
本体に取り付けられた取手も、手間と技術のかけ方がまるで違います。 |
クリストファー・ドレッサーのデザイン |
現代の量産の安物 | |
『Théière』ティーポット(1879年) | 燭台(1883年) | 【参考】大衆向けの量産ティーポット(現代) |
いかがでしょうか。 一見すると分かりにくい、それでも確かな違い。高度な技術に基づく作り込みと、見事なデザインセンスがあってこその美しさが、シンプルイズベストの高級品には備わっています。これが理解できる、特別な美的感覚を持つ人たちは心を揺り動かす『高尚な美』としてこよなく愛し、喜んでお金を出したのです。 |
3-1-2. 手の込んだ美しいフォルム
漆黒のピケから放たれる輝きは、茶色や飴色の鼈甲とはまた異なる魅力があります♪ それでいてオニキスのような石とは異なり、鼈甲ならではの軽さが良いです。オシャレさと使いやすさを兼ね備えています♪♪ |
この美しいクロス・シェイプも高級品の定番となったはずですが、技術と手間をかけたハンドメイドであるが故に、職人によってその出来は全く異なったでしょう。 この宝物の完璧度合いは見事なものです。センス抜群の、腕の良い職人が作ったことは間違いありません。まるで機械が作ったかのように正確で美しいです!♪ 断面を見ると、半円よりも高さがあります。作るのは難しいですし、その分だけ材料も余計に必要ですが、この高さこそが実物を見た時の美しさに影響します。 2次元で表現する画像では分かりにくいですが、私たちが実物を見る時は立体的に2つの目で認識します。薄っぺらさは、安っぽさに直結します。高さによる厚みがあると、その立体感で躍動感や高級感を感じることができます。立体デザインはとても重要なのです。 |
半円型でクロスをデザインしているため、縦と横が交差する箇所をどうするかも重要です。とても綺麗にポイントを作っていますね。お手本のように精密です♪♪ |
まるで隙がない、完璧な造形です。とても美しいフォルムに惚れ惚れします♪ |
『摩天楼』 ロッククリスタル&ダイヤモンド ブローチ イギリス 1930年頃 SOLD |
|
この交差ポイントの表現は、Genと私のストライクど真ん中だった『摩天楼』とも同じです。気が利いていて、センスの良さとスタイリッシュさを感じます♪ |
実に美しく交差させているものです。単純な形だからこそ、少しでもずれたり歪んだりしていれば、人間の眼には違いが分かってしまいます。ハンドメイドでここまで完璧なものと言うのは、やはり高度な技術を持った職人による高級品ならではと言えます。 同じように見えるデザインであっても、ここが高級品とダメな安物との大きな違いです。 |
←↑等倍 |
拡大するととても大きな印象ですが、実物はペンダントサイズです。 それを技術と手間をかけて、実に美しく作ったものです♪♪ |
3-2. 神技による超難度の象嵌
3-2-1. 撚り線のような微細な象嵌細工
←↑等倍 |
クロスの中央線として、撚り線のような象嵌がデザインされています。このような象嵌は、46年間で見た記憶がありません! 1mmの間に3つの間隔で斜めの点が象嵌されています。1つ300ミクロンほどの大きさと言うことで、まさに神技によるミクロの細工です!♪ |
フレーム装飾に撚り線がデザインされた宝物 | |
『コマドリ』 エセックス・クリスタル ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
『マット肌の美女』 ストーンカメオ ブローチ&ペンダント フランス? 19世紀後期 SOLD |
黄金ならではの輝きをより繊細で美しく見せる撚り線細工は、多くの上流階級を魅了しました。 20世紀に入り、ハイジュエリーの素材がプラチナに取って代わられると見られなくなりますが、19世紀までは定番として様々なジュエリーにデザインされてきました。名脇役として主役を惹き立てる力も強く、フレームの装飾などにも好んでデザインされました。 嫌味なく、格調高い雰囲気がグッと上がりますね♪ |
撚り線が主役のアーティスティックな宝物 | |
『ルンペルシュティルツヒェン』 ゴールド・アート ブローチ イギリス 1870年頃 SOLD |
エトラスカンスタイル ブローチ スイス 1870年頃 SOLD |
時には『撚り線』を主役としてデザインした宝物も存在します。 地味ながらも、大変な技術と手間がかかるのが撚り線です。技術と手間がかかるイコール、それだけお金がかかるということでもあります。オーダー経験のない庶民には分からなくても、同じ上流階級同士であれば、このような宝物がどれだけ贅沢なものなのかは一目で分かります。そして、持ち主の財力と共に美意識の高さを知ることができるのです。 撚り線細工は、持ち主の美意識の高さを反映する細工というわけですね。 |
だからこそ、わざわざ技術と手間をかけてまで、撚り線細工のような象嵌を施したと言うことです。 |
撚り線細工 | |
スチュワート朝(17世紀) | 1930年頃 |
ステュアート朝 ロッククリスタル ペンダント イギリス 17世紀(1600年代) SOLD |
『西洋美人画』 ストーン・カメオ ブローチ&ペンダント イギリス 1880年頃(フレームは1930年頃) SOLD |
撚り線を徹底的に追求し、極めたのがスチュワート朝の時代でした。この時代の撚り線は、髪の毛より細い金線で作られています。細い金のワイヤーを作り、それを均一に撚るのは至難です。まさに人間の限界に挑んだ神技です。 |
|
|||||
「時を超えて語りかける小さな宝物。」 Genが『ソングオブロシア』や『ルネサンス』のHPでもよく使っていた言葉です。 美意識の高い上流階級たちは、いつの時代も優れた細工の美しさをこよなく愛し、高度な技術と細かさを追求してきました。 |
←↑等倍 |
肉眼では見えないような、細かさを追い求めたこの撚り線のような象嵌こそ、持ち主の特別な美意識の現れとも言えるのです♪ |
3-2-2. 曲面へ精緻な象嵌
この宝物は、曲率が大きな面に象嵌を施しています。フラットな面に施すより遥かに難易度が上がることは、ご想像に難くないと思います。 |
とても綺麗に象嵌されています。 |
円筒の曲面部分だけでなく、縦横がクロスした谷型部分にも敢えてデザインし、象嵌細工を施しています。 技術がない職人ならば手間とリスクにしかなりませんから、この部分へのデザインは避けるでしょう。高度な技術を持つ職人だったからこそ、「こんな部分にまで綺麗に象嵌できるんだぞ!」と、敢えてこの部分にプライドを込めて細工したのだろうと感じます。 |
谷部への小さな水玉の象嵌もさることながら、センターのお花の象嵌も見事ですね。クロス・ポイントの中央部は、複雑な形状となっています。ここにピッタリと美しく象嵌しています。 |
←↑等倍 |
正面の画像だと凹凸が分かりにくく、何てことないように見えるかもしれません。しかしながら、この宝物はさりげなく"とても高度な細工"を施しているのです。このような"ちょっとした違いに見える部分"を極めて重視したのが、美意識の高い特別な人たちだったわけです。 |
3-3. ゴールドを多用したことによる神々しい雰囲気
3-3-1. 象嵌の素材で異なる雰囲気
螺鈿がデザインされた鼈甲の宝物 | |
日本美術 | アングロジャパニーズ・スタイル |
鼈甲と象嵌蒔絵細工の櫛(工樂 江戸時代)HERITAGEコレクション | ピケ ピアス イギリス 1860年頃 SOLD |
日本の鼈甲細工は主に螺鈿や蒔絵で装飾されますが、ヨーロッパのピケは金銀象嵌が通常です。日本美術の影響を受けたと見られる、アングロジャパニーズ・スタイルのピケで青貝が象嵌された宝物がありましたが、例外的な存在と言えます。 |
3-3-1-1. 金銀象嵌
ピケ クロス・ペンダント イギリス 1860年頃 SOLD |
ピケ ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
ピケ ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
デザインには作者や持ち主の好みが反映されますが、最も一般的なのはゴールドとシルバーをバランス良くデザインしたものです。感覚的に「美しい!♪」と感じられる色バランスになっています。 |
3-3-1-2. 銀象嵌
とっても珍しいシチリアのピケ・ブローチ シチリア 19世紀後期 SOLD |
ピケ ブローチ イギリス 19世紀後期 SOLD |
シルバーのみで象嵌されたハイクラスのピケは、とても珍しいです。両方とも10年以上前にお取り扱いしたもので、10年間も出ていないということです。 シルバーのみのピケは、独特のオシャレさがあります。華やかな雰囲気よりも、渋さや奥ゆかしさを好む人に好まれそうですね。日本人だと、このような雰囲気を好む方も結構いらっしゃると思うのですが、当時のイギリスは大英帝国最盛期であり、言わば日本の高度経済成長からバブル期のような時代でした。 シルバーよりゴールドの方が高価ということで、値段を安く抑えるためにシルバーを使う安物はあったでしょう。 意図してシルバーのみで作るというのは、特別なセンスと美意識がなければできないことです。だからこそシルバーのみのハイクラスのピケは、貴重な宝物と言えます。 |
3-3-1-3. 金象嵌
ピケ 香水瓶 ペンダント イギリス 1860年頃 SOLD |
ピケ ピアス イギリス 19世紀後期 SOLD |
ピケ ブローチ イギリス 1870年頃 SOLD |
ゴールドだけでデザインされたピケは、一定数存在します。キンキラキン過ぎると、日本人には成金的でダサく感じますが、繊細な細工だとゴールドでも上品でエレガントに感じられるのが面白いです。放たれる黄金の輝きにはゴールドならではの魅力があり、シルバーと異なる美しさがあります。 甲乙がつく部分ではなく、まさに"好み"で選ぶべき所なのでしょうね♪ |
3-3-2. 黄金ならではの神々しい輝きが印象的なデザイン
今回の宝物はゴールドとシルバー、両方を使ってデザインされています。 但し半々ではなく、圧倒的にゴールドの分量が多いです。 シルバーは面積の狭い象嵌のみ、目立たぬよう配置されています。 |
ピケ・クロス | |||
ゴールド&シルバー | ゴールドのみ | ||
見比べると如何でしょうか? まず、単色よりもゴールド&シルバーの2色使いの方が、雰囲気としては奥行きを感じます。 2色使いの場合、それぞれの色の分量や配置によって雰囲気が全く変わります。 |
右のクロスはゴールドとシルバーをバランスを良く配置しており、調和した美しさがあります、仰々しさがなく、心地よいデザインです。 今回のクロスはゴールドの分量が多く、しかもゴールドの象嵌の面積が広いことも特徴です。 |
同じ分量であっても、小さな面積をたくさんの数デザインするのか、大きな面積を少数デザインするのかで雰囲気は全く変わります。曲面であるからこそ、本来ならば小さな面積をたくさん象嵌する方が技術的に見れば容易です。敢えて高難度の細工に挑んでいるのは、この雰囲気を出したかったからに他なりません。 曲面への象嵌だからこそ、黄金光沢はより強調されます。 |
さらにピケ本体が漆黒だからこそ、黄金の輝きの美しさがより印象的です♪ ダイナミックな黄金の輝きを放つクロスは、とても神々しさを感じます。象嵌面積が小さかったら輝きも弱い印象となり、ここまでのダイナミックさは出ません!! とにかく黄金の輝きを意図してデザインされていることは間違いありません!!♪ |
ゴールド単色ではなく、シルバーを細かな面積で全体に配置しているのも効果的に効いています。超微細な象嵌ができる高度な技術がありながらも、敢えてゴールドの面積は大きくしていることの証明にもなりますし、色覚効果による奥行きも感じられます。 クロスのフォルムが平面ではなく立体的なので、その効果はさらに強調されます!♪ |
磨き上げられたピケの黒い光沢。 花や果実、葉の模様の黄金の輝き。 このコラボレーションは、ピケならではの美しさです。 |
鼈甲に金銀象嵌 | オニキス | 磨き上げられた漆黒の輝きが美しいと言えば、アンティークジュエリーの高級素材の1つである上質な『オニキス』です。 ストーンならではの硬質な輝きが美しいです。ただ、ピケのような象嵌細工を施すことはできません。 結局それぞれに魅力があり、甲乙を付けるのではなく、目的や好みで使い分けるべきものに過ぎません。 ゴールドと漆黒の光沢という荘厳な組み合わせは、高級なピケ・ジュエリーならではの魅力と言えるのです♪♪ |
アールデコ ペンダント ヨーロッパ 1930〜1940年頃 SOLD |
そして、オニキスと違って軽やかな付け心地です。だからこそ金具も摩耗しにくいです。 ピケ・ジュエリーは今は殆ど出なくなっている上に、良好なコンディションを保っているものは滅多にありません。 現代人の感覚で使いやすいスタイリッシュな雰囲気を持つ上に、これだけコンディションが良好というのは奇跡に近いかもしれません。ピケにご興味がなかった方にもお勧めできる、センス抜群の宝物です♪ |
裏側
←↑等倍 |
この角度から見ると、クロスのフォルムの正確さや美しさが際立ちますね♪ ごく僅かな欠けや修理跡はありますが、正面からは見えません。 |
作られてから140年以上が経過しているピケ・ジュエリーとしては、完璧に近いコンディションと言えます。 |
着用イメージ
←↑等倍 |
5.0×3.4cmで、程よい存在感があります。それでいて、ピケは軽いので着けていてご負担にならないと思います。 センスの良いオシャレ・クロスとしても、使いやすそうですね♪ 撮影に使用している、シルクコードをご希望の場合はサービス致します。 |