No.00341 Blue Moon

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

 

 

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

 

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

 

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

 

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

 

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス
←↑↓実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

『Blue Moon』
ブルー・ムーンストーン ネックレス

イギリス 1890年頃
ムーンストーン、15〜18ctゴールド
長さ:43.2cm(チェーンの継ぎ足しで延長可)
石のサイズ:直径6mm(メインストーン)、5mm(その他)
重量:8.8g
SOLD

ロイヤルブルー・ムーンストーンと呼ぶに相応しい、高貴な青いシラーを放つ最高級ムーンストーン・ネックレスです。56石全てが透明度が高くブルー・シラーを放つ、均質で美しい極上のムーンストーンです。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

大きな1つの原石からカットしたからこその均質さと見られ、とにかく宝石の大きさだけを追い求める成金ジュエリーとは正反対の方向性で作られています。一見するとシンプルなデザインながらも、細部まで行き届いた美意識と作りが素晴らしく、それがこのネックレス独特の高貴さや気品ある雰囲気となっています。

通常はハイジュエリーのムーンストーンでも角度などの条件が良くないとブルーシラーは感じられないものですが、この宝物は明るい場所でもはっきりとブルーシラーを見ることができ、しっかりと存在感があります。幻想的なだけのムーンストーンとは一線を画す力強さすらも感じます。

これだけの数を最高品質かつ均質に揃えるのは至難であり、ありそうで他にはないムーンストーン・ネックレスと言えます。デザイン的にはとても使いやすく、様々なコーディネートでお楽しみいただけると思います♪

 

この宝物のポイント

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス
  1. ムーンストーンのシンプルな最高級ネックレス
    1. レイト・ヴィクトリアンに注目されたムーンストーン
    2. レイト・ヴィクトリアンらしい幻想的な宝石
    3. 数が少ないムーンストーンのハイジュエリー
  2. 56石全てがブルーシラーを放つ最高級ムーンストーン
    1. 偽物ムーンストーンで溢れかえる現代市場
    2. 低品質品と高品質品の違い
    3. ブルーシラーの秘密
    4. 見事なカット技術
  3. アンティークのハイジュエリーならではの作り
    1. シンプルながらも珍しいセッティングのチェーン
    2. 高級品の証であるセーフティ付きのクラスプ

 

 

1. ムーンストーンのシンプルな最高級ネックレス

1-1. レイト・ヴィクトリアンに注目されたムーンストーン

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

ムーンストーンは19世紀後期のイギリスのアーツ&クラフツ運動からアール・ヌーヴォー、エドワーディアンにかけて流行した宝石です。

この時代は既に大衆もジュエリーを身につけるようになっており、上流階級のための価値あるアンティークジュエリー、成金向けの自己顕示欲系ジュエリー、庶民向けの価値のない安物(骨董としては殆ど価値のない中古品)が混在しています。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

HREITAGEは上流階級のためのアンティークのハイジュエリー専門店ですので、これはもちろん特別な高級品として作られたムーンストーン・ネックレスです。

ただ、このように高級品だけを単独で見ても、その違いは分かりにくいと思います。

Genも私も買付けの際に一般市場で無数の自己顕示欲系ジュエリーや庶民用の安物を見て、毎回ハイジュエリーの良さを改めて実感しながら選び取っています。この楽しい感動の気持ちをなるべく多くの方に共感していただきたく、今回は時代ごとの"ジュエリーを身につけていた女性"についてご説明しておきます。

1-1-1. 時代と共に大衆にまで広がったアンティークジュエリー

1-1-1-1. 上流階級のためだけにジュエリーが制作された時代

19世紀初期までは、ジュエリーを身につけることができたのは限られた上流階級のみでした。時代を特定するならば、アーリー・ヴィクトリアンまでと言えます。

アーリー・ヴィクトリアンのハイジュエリー
アーリー・ヴィクトリアン ダイヤモンド・リング『ミラー・ダイヤモンド』
ダイヤモンド リング
イギリス 1840年頃
¥3,700,000-(税込10%)
アーリー・ヴィクトリアンの宝石の蝶のブローチ アンティーク・ジュエリー『黄金の花畑を舞う蝶』
色とりどりの宝石と黄金のブローチ
イギリス 1840年頃
¥356,000-(税込10%)

上流階級のためにしかジュエリーは制作されていないため、アンティークジュエリー市場にこの時代までは中産階級向けの安物は存在しません。センスが悪い物、コンディションが悪い物は存在しますが、明らかな安物はないのです。

18世紀の日常用ジュエリー
18世紀のフランスのペーストのトラベル・リングペースト リング
フランス 18世紀
SOLD

昔はパリやロンドンなどの都会でも治安が悪く、ちょっと郊外に出ただけでも強盗に遭う危険がありました。

このため、高貴な人物のために、高価な宝石を使わないジュエリーが作られることもありました。

これはダイヤモンドとペースト、それぞれ全く同じデザインで作られたリングで、ペーストの方です。セットで出てきたもので、所有者は使い分けていたことが分かります。

18世紀のフランスのペーストのトラベル・リング 18世紀のフランスのペーストのトラベル・リング

高価な宝石は使っていませんが、ゴールド&シルバーによる作りやデザインはダイヤモンドを使ったリングと全く同じですから、見事なものです。

宝石の種類にしか目が行かない人はよく分からないかもしれませんが、本来ジュエリーとは人の手が作り出す総合芸術です。高度な技術を持つ職人が手間をかけて作ったこのリングは明らかに高級品です。

この通り、たとえ高価な宝石を使っていなかったとしても、アーリー・ヴィクトリアンまでは庶民用の安物ジュエリーは存在しません。あったとしたらフェイクと判断できます。

1-1-1-2. 中産階級のための安物が制作され始めた時代
【参考】ヴィクトリアンの大衆向けガーネットジュエリー

それが変化したのがヴィクトリアン中期以降、特に後期からです。大衆向けに安物ジュエリーが大量生産されるようになりました。
宝石を種類だけで判断するのは、ジュエリーや宝石のことをよく分かっていない人です。殆ど価値のない小さな石をただ寄せ集めて大きく見せようとした、このタイプのガーネット・ジュエリーは全て庶民向けの安物です。

【参考】ヴィクトリアンのガーネット・ピアス
中の上程度の品 中産階級向けの上 中産階級向けの中

19世紀にボヘミアで巨大鉱床が発見され、大量のガーネットがイギリスに供給されました。ただ、それでも大きさのある石はやはり稀少で価値が高いです。そのような価値の高い石が上流階級のための数少ない高級品に使用され、無数の価値のない小石は寄せ集めて庶民用の安物に大量供給されました。

上流階級は人数が圧倒的に少ないため、一人でいくつもジュエリーを持っているとは言っても、上流階級向けに作られた高級品の数は知れています。

しかしながら大衆は無数に存在します。だから庶民のために作られた安物の数も膨大です。アンティークジュエリーの一般市場に溢れる殆どがミッドヴィクトリアン以降で、デザインも似たり寄ったりのジュエリーが多いのは、その正体が大衆向けの大量生産の安物だからです。

一番左だとようやく上流階級向け、或いは余程の財力を持つ成金向けの高級品と呼べるレベルです。作りの良さや面白さが足りないのと、センスが好みではないので、このレベルでもHERITAGEではお取り扱いしません。

ミッドヴィクトリアン以降はこのような感じで、ごく少数の高級品と無数の安物が混ざるようになります。この変化はどうして起きたのでしょうか。

1-1-2. 古い時代のイギリスの貴族を中心とした社会システム

緑色のゴム長靴を着用したハディントン伯爵
【引用】田中亮三著「英国貴族の暮らし」p.59

イギリスは基本的には農業国で、領主である貴族は大地主という存在でした。

領内の農業振興は貴族にとって重要事項の1つで、農業の研究であったり、牧草地や農地の視察なども欠かせない仕事でした。

イギリス貴族とゴム長靴。
漫画や書籍、映画などの影響で、ヨーロッパ貴族に対してキャッキャうふふなお花畑の世界を想像する日本人も少なくありませんが、このような堅実な雰囲気こそイギリス人にとっては"いかにも貴族らしい印象"と言えます。

所領から得られる莫大な収入が、イギリス貴族の主な資金源でした。領民も治めます。ロンドンのタウンハウスではなく、所領のカントリーハウスこそが愛すべきホームタウンです。

全てに当てはまるわけではありませんが、イギリス貴族のイメージとしてはざっくり言うと、1つの大企業の体(てい)であり、領民は家族で、全体として『家族経営』のようなものでした。

貴族が領民を苦しめて贅沢していたイメージが世の中には存在しますが、それは革命が起きたフランスのイメージによるものが大きいと思います。

イギリス貴族の統治は『温情統治』、パターナリズム(paternalism)と呼ばれるような姿勢で行われました。パターナリズムは"父親的態度"、"家父長主義"などと訳されます。権威や責任は堅持しつつも、父親的温情を持って治める統治です。まさに家族経営の大企業ですよね。

だから領民は搾取する対象ではありません。責任を持ち見守る者(父親)として手本を示す立場でもあり、領民の幸せを考えて統治を行います。自分たちだけが無意味に贅沢をするのではなく、領民を呼んで収穫祭などパーティを催すこともあったそうです。

ジョージアン貴族のハイジュエリー
リージェンシー フォーカラー・ゴールド 回転式フォブシール アンティークジュエリー『大切な想い人』
リージェンシー フォーカラー・ゴールド 回転式フォブシール
イギリス 1811-1820年頃(摂政王太子時代)
¥1,200,000-(税込10%)
ブルー ギロッシュエナメル ペンダント 『忘れな草』『忘れな草』
ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント
フランス? 18世紀後期(1780〜1800年頃)
¥1,400,000-(税込10%)

このような時代は富、権力、教養の全てが上流階級に集中していました。だからジュエリーを持てるのは上流階級のみでしたし、どれも非常にお金や教養が込められているのです。

しかしながら18世紀半ば頃に始まった産業革命と、並行して18世紀後半に起きた農業革命により、イギリスの社会システムは大きく変化していきました。

1-1-3. 農業革命以前の社会システムと貧富の差のない庶民の暮らし

産業革命はご存じの方も多いと思いますので割愛します。農業革命について触れておきましょう。

自給自足の生活。

現代ではそれを行う人はごく少数です。独り、或いは家族単位でやる場合が大半でしょうか。車や各種の機械、電気、ガス、水道などのインフラがあってこそ、少人数でも可能と言えます。

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』6月(15世紀)

農業革命以前のヨーロッパも自給自足の生活をしていました。

中世の西ヨーロッパでは、封建領主の館を中心とする自給自足を原則とした荘園制が形成されました。

その様子が装飾写本『ベリー公のいとも華麗なる時祷書』にも残されています。

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』3月(15世紀)

住居のすぐ側に畑や放牧地があり、1年で皆が食べる様々な物が育てられていました。

農地は細かく分割・分散させ(混在地制)、農作業は個人ではなく共同体全体で行っていました。

個人のものではなく共同体全体の耕地とされていたため囲いはなく、解放された解放耕地制度となっていました。

これは草原や森林も同様でした。

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』9月(15世紀)

輸送手段が人力や牛馬などに限られていた時代。輸送できる量も、スピードも限られています。

自分たちが食べる分だけを皆で協力し、作る。助け合い、それぞれができることを頑張る。

喜びは皆で分かち合う。苦労も皆で分かち合う。

便利な機械などがない時代、独りでできることは限られます。皆で協力しなければ、自給自足の生活は成り立ちませんでした。

こういう暮らしならば収穫祭も形式的なものにならず、心から恵みに感謝し、皆で楽しめますね。

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』8月(15世紀)

水源も近く、汗を流したくなればそのまま水に飛び込みます。

「まだ仕事をしている人がいるのに、けしからん!」なんて文句をいう人はいません。

時間労働が概念化されたのは産業革命以降、資本家と、時間管理で働く雇われ労働者の関係が確立されてからと言われています。

泳ぎたければ泳ぐ。皆の負担を減らすために、もう少し仕事をしておきたい者は仕事する。それぞれが楽しい、幸せと感じられればそれが一番。自由な生き方とは、自分勝手な生き方とは違います。

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』11月(15世紀)

11月はジビエの季節。

野山や森が近ければ、牧畜だけでなく野生の動植物の恵みもあります。

変化に富む、自給自足の暮らし。

全く飽きることがなさそうです。

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』2月(15世紀)

雪に覆われる寒い季節。

外での農作業はなくても、やることはたくさんあります。

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』10月(15世紀)

ところでこれは10月ですが、畑に種蒔きしています。

実は種を蒔くのは1年に1度とは限りません。

一般的にヨーロッパでは三圃式農業と呼ばれる輪作が行われていました。

秋蒔きの冬穀(小麦、ライ麦など)
→春蒔きの夏穀(大麦、燕麦、豆など)
→休耕地(放牧)

地力回復のため、休耕地とする期間が欠かせませんでした。

農業歳時記に描かれた豚を屠殺する農民夫婦(中世)

この三圃式農業には欠点がありました。冬季に飼料が不足し、家畜を飼うことが困難となるのです。このため冬前に屠殺し、保存食料として加工する必要があったのです。

1-1-4. 農業革命による様々な変化

Evan-Amos permittedカブ

そこに登場したのがカブです。従来の三圃式農業のサイクルに家畜用の根菜飼料としてカブやジャガイモを導入し、さらに地力を回復させる性質を持つ栽培牧草も導入されました。

 小麦→根菜(カブ、ジャガイモ)→大麦→栽培牧草(クローバー、サインフォイン、ライグラス)

これにより、地力回復のための休耕地が不要となりました。農業生産の増加と地力回復を両立し、1年を通じた家畜の飼育が可能となったのです。

上のサイクルは四圃輪栽式農業ですが、実際は栽培牧草を1年延期した六圃輪栽式農業の形がとられました。18世紀にイングランド東部のノーフォーク州で普及し、『ノーフォーク農法』と呼ばれます。

この新農法の効果を最大限発揮するには、広い耕作単位と労働の集約が必須でした。

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』3月(15世紀)

その結果、農地を細かく分割・分散させて活用していた混在地制が廃止され、農地の大規模化が行われました。

さらに効率的な利用のため、開放耕地を廃止して囲い込みも進められました。

その結果、イギリスでは『三分割制』と呼ばれる土地制度が確立しました。

 地主:大土地所有者
 借地農:地主から土地を借り受けた農業経営者
 労働者:借地農に雇われた農業動労者

土地を所有していた上流階級の立ち位置は変わっていないと見ることができますが、大きく変化したのが借地農と労働者の身分です。中産階級の中で、大きな貧富の差が生まれるようになったのです。

1-1-5. 産業革命と農業革命による人口激増と中産階級の台頭

農業の機械化と大規模化(1881年)

農業革命は『革命』と言われるだけあって、歴史に大きな変化をもたらしました。農業生産性が格段に向上し、多くの富をもたらし、より多くの人口を賄えるようにもなりました。

産業革命との相乗効果もありました。自給自足、地産地消だったそれまでの社会は一変しました。『商品』としての農業生産が当たり前になっていきました。得意なものを作って輸出し、足りないものは買って輸入するという形が確立されていきました。

儲けるのが得意なものはより富を蓄え、経営者である借地農は資本家的大借地農として資本を蓄えていきました。大半の者は、言われた通りの作業をして賃金をもらうだけの労働者となっていきました。

農業国だったイギリスにとって農業生産性の向上は望ましいものであり、政府は貴族たちに農業革命の推進を命じました。

先に触れた通り、イギリス貴族の統治はパターナリズムが基本でした。元々数も少なく富が集約しており、「もっとお金が欲しくてたまらない!」と発想するような中途半端なお金持ちではなく、これ以上財力を増やしても特に暮らしぶりは変わりはしないというほどのお金持ちでした。富を増やすより、領民の幸せを優先したいと思える立場でした。

このため命令に従わない貴族も多く、イギリスの農業改革は遅々として進まなかったそうです。それでも資本主義の時代の波には抗えず、農業革命は西ヨーロッパ全土に広がっていきました。

Peggy Greb, USDA ARS permitted大麦と烏麦、それらを原料とした食品

1年で自分たちが食べる分だけを、無理のない労働で生産していた時代は終わりました。

農業革命による農業生産性の向上で、より多くの人口を賄えるようになりました。その結果、西ヨーロッパの各地で人口増加が起きました。

イングランドの人口動態 【引用】Our World in Data / OurWorldInData.org/world-population-growth

世界に先駆け、18世紀に農業革命、18世紀半ば頃から産業革命が始まったイングランドの人口動態を見ると、そのインパクトが分かります。

 1700年:520万人(農業・産業革命以前)
 1800年:862万人(農業・産業革命の効果が出始めの時期)
 1850年:1,662万人(世界の工場として大英帝国最盛期パクス・ブリタニカを迎えた時期)
 1880年:2,416万人(ヴィクトリアン後期)
 1900年:3,025万人

農業革命や産業革命以前と比べると、ミッドヴィクトリアンは人口が3倍、レイトヴィクトリアンには5倍ほどにも増加しています。今の日本で想像すると人口が3億8千万人、6億3千万人に急増するのと同じ感じですね。ちょっと想像しにくいでしょうか。

中産階級の人口増加は労働力の増加に加えて、需要拡大の効果もあります。世界の工場として大英帝国最盛期パクス・ブリタニカを迎えたイギリスの経済活動は、日本の高度経済成長からバブル期にかけてと類似します。

日本の人口動態 【引用】一般財団法人 国土技術研究センター HP / 人口減少していく日本 © JICE

日本の長期人口動態はこのようなグラフとなります。明治維新後、100年間で3倍となっています。

日本の人口動態と高齢化率 【引用】総務省HP / 我が国の経済成長における課題 © 2009 Ministry of Internal Affairs and Communications

出生数の大きな増加として、第一次ベビーブームが有名です。第二次世界大戦直後、1947(昭和22)〜1949(昭和24)年に生まれた世代で、『団塊の世代』と呼ばれています。Genもこの世代です。

戦後の人口増加は、若い世代の増加によって起こりました。だから若者の比率も多いです。若いと目新しいものへの好奇心もチャレンジ精神も旺盛、エネルギーに満ち溢れていますから流行や文化が発展し、経済もどんどん回ります。若い人口が増えることで、作ったら作っただけ売れるという循環も生まれます。

この時期が終わって以降の人口増加は、平均寿命が伸びたことによるものです。若い世代は増えず、老人が増えただけなので労働力は増えたとは言えず、旺盛な消費意欲を持つ人口も増えていません。連続した緩やかな変化なので感じにくいですが、作れば作っただけ売れるという時代はとうに終焉を迎えています。

力織機による大量生産工場(1835年)

産業革命が起きたイギリスでは、都市部の労働力不足が起こりました。高齢化率の激しい現代の日本だと移民を受け入れるか検討することになりますが、当時のイギリスでは、農業革命によって増加した若い人口が都市部の労働力不足を埋めました。

大借地農も資本家として富みましたが、都市部では産業革命の波に乗り、工場経営などに成功した一部の中産階級たちも資本家として富を蓄えていきました。中産階級の台頭です。

ジョゼフ・チェンバレン(1836-1914年)

その中には勉学を修め、経営者として成功し、政治家として重要な地位に就いて活躍する者も現れました。

そこまでの者は極めて少ないですが、農業革命と産業革命の効果が顕著に現れ始めたミッド・ヴィクトイリアン以降のイギリスは中産階級の台頭が著しいものでした。

1-1-5. 中産階級を強く意識したミッド・ヴィクトリアンの流行・文化

ヴィクトリア女王一家(1846年)ロイヤル・コレクション

その勢力が無視できないほど大きくなっていたからこそ、ヴィクトリア女王は中産階級を意識したプロモーションを行ったとされるのです。

それまでの王族は周囲の高位の王侯貴族を意識し、手本として振る舞っていました。ヴィクトリア女王が中産階級の手本となるよう振る舞い、プロモーションを行ったのは、変化する時代を反映してのものでした。

ヴィクトリア時代に親しみやすさを感じ、憧れるヨーロッパ貴族ファンも多いのですが、女王夫妻が意図して庶民に寄り添った結果であり、真のヨーロッパの上流階級文化らしさとは異なります。

ヴィクトリア女王とアルバート王配(1861年)共に42歳頃

このヴィクトリア女王ですが、父ケント公エドワード・オーガスタスは185cmの長身でしたが、身長は152cmで低い上に、本人も気にするほど太りやすい体質でした。

現代人から見れば全然太くありませんし、子供を9人も産めば太らない方がビックリですし、イケメンで理想の夫が既にいるので全く気にする必要はないはずですが、ド真面目で完璧主義だったヴィクトリア女王はとても体型を気にしていました。

ファッションなんてそんなものです。他人がどんなに褒めようとも、自分の心が満足できなければ幸せにはなれません。

PDクリノリンを使ってドレスを着用する様子(1860年)

そこで女王が採用したのがクリノリン・ドレスでした。

コルセットで締め上げるにも限界があります。スカートにボリュームを出すことで、相対的にウエストを細く見せようというのがこのドレスです。

女性たちはスカートを膨らませるために、アンダースカートやペティコートを何枚も重ね履きしていましたが、19世紀半ばに鯨ひげや針金で骨組みを作った『クリノリン』が発明され、イギリス人女性に爆発的な人気を得ました。

1850年代のドレス "1850's Dress" ©Nicole.c.s.y93(22 May 2016)/Adapted/CC BY-SA 4.0

ダイエットはいくらやっても効果が出ない人もいます。

即時性があり、効果も抜群なクリノリンに女性が夢中になるのは必然だったと言えるでしょう。

女性がどのくらい男性の目を気にしているのかと言うと、意外と男性の目よりも、自分が満足できるかを強く意識している人の方が多かったりしますよね。

"モテ"を意識する女性も確かに存在しますが、そう多くない気がします。

「男はちょっとくらポッチャリしている女性の方が好き。」、「男からすると細すぎる。」なんてコメントが現代でも存在します。それでもスリムな体型を追う女性は多いですよね。

オーストリア皇后エリーザベト(1837-1898年)1867年、29歳頃

ヨーロッパ宮廷一の美貌を持つとされたオーストリア皇后エリーザベトは身長172cm、ウエストは51cmで体重は生涯43〜47kgを保つ脅威のスタイルだったそうです。

男性からは先のようなコメントが寄せられそうなスタイルですが、これぞ多くの女性が憧れるスタイルという感じです。

ポッチャリが好きと言われようとも、大多数の女性はそんな意見なんて気にしちゃいません!!(笑)

これはおそらく普遍の真理です。笑。

PDイギリスの風刺雑誌 The Comic Almanack による、巨大なクリノリンのパロディー(1850年)

そんなわけで、さらなる痩身効果を求めてクリノリンは巨大化していきました。 パロディーが存在するだけあって、この過剰な流行を笑う人もいたようですが、女性はそんな人は気にしません。「難癖を付けることでしかプライドを保てず、何にでも批判的なことを言う自称・知的階級のモテない人の意見でしょう。そんなネガティブな人間には全く興味がないから、そんな人の意見なんてどうでも良いわ!!」くらいのポジティブな心意気で、オシャレを心から楽しんでいたことでしょう♪♪

ところでパロディーは社交界での様子ですが、クリノリンは庶民に至るまで流行が拡大し、日常的に愛用されていたようです。

ただ、クリノリンの巨大化の結果、引っかかって転倒したり、暖炉などの火がスカートに引火して火傷したりする事故が多発しました。一説には年間3,000人がクリノリンによる事故で死亡し、2万人が事故に遭ったと言われています。そんな危険を犯してまでオシャレするのかと言う人もいそうですが、危険な美容整形に手を出す現代人と精神的にはさほど変わらないと思います。厚底ブーツで転んで骨折したり、運転事故を起こしたこともありましたね。頓着しない人も存在しますが、オシャレ心は人間にとって根源的なものです。

ただ、工場で働く女性がクリノリンのスカートで製品を壊すなどの問題の指摘もありました。工場なんかでオシャレしなくてもと思う人もいるかもしれません。でも、工場で働いている場合は毎日、一日の大半は工場にいます。学生時代に学校にオシャレしていくのと同様、若い女性ならなおさら工場でもオシャレして行きたいと思うものです。

シガレット工場で働く女性たち(メキシコシティー 1903年)

実際、私は大量生産を得意とする大企業で、新入社員時代に工場実習で3交代制の工場勤務の経験があります。現地採用のパートの女性も多く、制服着用ですが、ヘアスタイルや靴下など、できる部分に工夫して思い思いのオシャレを楽しんでいらっしゃったのが印象に残っています。この閉ざされた狭い世界(職場)で、独自の流行などもあるようでした。
ちなみに私は正社員として男性用の制服を支給され、帽子の中に髪をまとめていたせいか、パートの女性から男性に間違われました(笑)一方で長髪でスリムなGenは、たまに女性に間違われることがあります。

それはさておき、制服を用意するには経費も手間もかかります。当時は大規模な工場でも、私服での作業が多かったはずです。同じ作業をさせる場合、性別や年代などで向き不向きがあり、必然的に工場には同じ性別、同じ年代の人々が集まったとみられます。力仕事の男性職場があった一方で、若い女性が多く集まる工場もあったでしょう。

家族経営的な小さい工場ではあり得なかったほどの規模で若い女性が集まれば、当然ファッションも切磋琢磨が起きたでしょう。若い女性であれば、誰が仕事ができるかよりも、誰が一番ファッションセンスが良くて美しいかが注目され、重視されたかもしれませんね♪

【参考】ヴィクトリアンのガーネット・ピアス
中の上程度の品 中産階級向けの上 中産階級向けの中

そういうわけでミッド・ヴィクトリアンは君主、上流階級、成金庶民、労働者階級の庶民、あらゆる階級の女性たちがクリノリン・ファッションに夢中になり、ボリュームある衣服に合わせてジュエリーもボリュームあるデザインが流行しました。

上流階級は稀少価値の高い宝石と貴金属を使った高級材料を使い、教養を込めてデザインしたハイジュエリーを身に着けました。

中産階級は上流階級のハイジュエリーを手本にし、お金が出せる範囲で可能な限り近づけようと創意工夫します。それが小さな石の寄せ集めという形で昇華しました。識字率の低さからも分かる通り、女性は特に教養を持つ中産階級が殆どいない時代ですから、デザインに教養や個性を求めることはできません。周りと同じものを身につけていれば安心という感じで、安物のデザインは似たり寄ったりです。

【参考】ミッドヴィクトリアンの成金(庶民)のジュエリー

そうは言っても、労働者階級の女性も働いたお給料で自分なりのファッションが楽しめるようになった、若いエネルギーに満ち溢れた明るい時代だったことは間違いないでしょう。

『アンティーク(骨董)』の定義は複雑です。100年以上経過していれば、何でもアンティークと呼べるわけではありません。一定の年月(税制度上は100年以上)が経過していることに加えて、美術品や資料的な稀少価値が備わっていることの方がむしろ重要です。

稀少価値がないもの、同じものが今でも作れるものは、たとえ100年以上が経過していても価値は持ちません。だから戦後に作られた現代ジュエリーが100年後に骨董的な価値を持つことはありません。

アンティークの安物ジュエリーも同様です。稀少性がないものに価値は出ません。安物専門の腕の良くない職人が作ったものは、現代の職人でも再現が可能なレベルです。同じものが作れる場合も、骨董的な価値を持ちません。

HERITAGEは上流階級のためのアンティークのハイジュエリー専門店なので、このような庶民用の安物は明確に線引きし、お取り扱いしません。ただ、当時の庶民の女性にとっては、頑張って手に入れた大切な宝物だったことは間違いないと思います。だからアクセサリー感覚で手に入れて気軽に楽しむことは、アリだと思っています。ただ、これをヨーロッパの上流階級が使っていた価値ある高価なアンティークジュエリーであると謳って高額で販売する人がいれば、それはプロのディーラーとしてかなり問題があります。

悪意があると言うよりも、ディーラー自身も不勉強で勘違いしている可能性が高いと感じます。現代でもイギリスでは、上流階級と庶民の間には明確な身分差があることが知られています。今でも、一般庶民には知られざる上流階級の世界なのです。

ミッド・ヴィクトリアンのガーネット・ジュエリー
貴族らしい教養も感じる高級品 一般的な成金的な高級品 庶民用の安物
ホルバネスク ホルバネイスク ネオルネサンス アンティークジュエリー ガーネット エナメル ヴィクトリアン クリソライトホルバネイスク・ペンダント
イギリス 1860〜1870年頃
SOLD

この通り、上流階級向けのハイジュエリーと、庶民向けの安物は全く違います。当然ながら、値段も何桁も違います。

ただ、安物は『大衆』と呼ばれるだけあって買う人数が桁違いです。

イメージを簡略化するために、上流階級が1人に対し、大衆は1万人いると仮定しましよう。

上流階級は1億円のジュエリーを買いますが、1人しかいないので売上高は1億円です。

大衆はそれぞれが10万円のジュエリーを買ったとすると、10億円の売上高となります。ちょっと頑張って1人1人に100万円のジュエリーを買って貰えば、100億円の売上規模となります。

【参考】ヴィクトリアンの大衆向けガーネットジュエリー

"大衆"は数が多いからこそ、一人一人が使えるお金は少なくてもトータルでは大きな経済規模が出せるようになりました。それが無視できなくなり、大英帝国の経済を発展させるために、君主が大衆を意識してプロモーションするようになったのがミッド・ヴィクトリアンというわけです。

戦後、日本でも「冠婚葬祭に真珠は必須!!」と根拠不明の謎ルールを押しつけ、中産階級の女性全員に養殖真珠ネックレスを買わせようと業界がゴリ押ししてきた理由も、この考え方で納得できると思います。大衆に、大衆が頑張って出せる限界の金額を吐き出させた方が、楽してボロ儲けできるからです。

お金持ちを相手にした方が、一見すると華やかなので儲かりそうに見えますが、無知な大衆を相手にした方が儲けやすいということでしょう。数の力はあなどれませんね。

1-1-6. ミッド・ヴィクトリアンのハイジュエリーの特徴

グランドツアー由来のイギリス貴族のロッククリスタルのアルプス山脈フォブシール『アルプスの溶けない氷』
アルプス産ロッククリスタル 回転式3面フォブシール
イギリス 18世紀後半
¥1,400,000-(税込10%)

ヴィクトリアンより遥かに稀少性のある、ジョージアンの宝物もいくつもご紹介しているHERITAGEですが、ミッド・ヴィクトリアンのジュエリーはお取り扱いの数が極めて少ないです。

これはGenのルネサンスや、それ以前のソング・オブ・ロシアなどの頃から同様です。

【参考】ミッド・ヴィクトリアンの中級のガーネット・ジュエリー
高級品と安物が入り乱れるミッド・ヴィクトリアンのジュエリー市場ですが、この時代は王侯貴族のハイジュエリーでもちょっと私たちとはセンスが合わないのです。

アンティークの時代は君主夫妻がファッションリーダーです。君主夫妻が新しいスタイルを提案し、周囲の高位の王侯貴族が取り入れて社交界で流行します。それが地方にも波及し、上流階級全体に行き渡り、最終的に庶民にまで流行が降りてきます。

どのようなものが流行するのかは、その大元となる時代ごとの君主の特徴が色濃く反映されます。

ジョージアンの英国君主
ジョージ1世
在位1714-1727年
ジョージ2世
1727-1760年
ジョージ3世
1760-1820年
ジョージ4世
1820-1830年
ウィリアム4世
1830-1837年

こう言っては何ですが、18歳という若さでヴィクトリア女王が即位するまで、英国君主はおじいさん続きでした。ジョージ3世は風刺されるほどの倹約家で、ヴィクトリア女王以前は最長となる約60年の在位記録を打ち立て、81歳で崩御しました。

続く長男ジョージ4世の即位は57歳でした。ドカーンとお金を使ってくれるので、経済がよく周り、文化も発展したという点では良かったものの、王室財政を破綻させかねぬ勢いでした。

その後のウィリアム4世はジョージ4世の弟で、3歳しか違いません。即位の時点で64歳でした。

ヴィクトリア女王(1819-1901年)19歳、1838年

10代の若い女王の即位。

しかも先代たちによる植民政策の積み重ねと、産業革命や農業革命の相乗効果が花開き、ミッド・ヴィクトリアンには大英帝国最盛期を迎えました。

エネルギーに満ち溢れたパワフルな時代です。

そして女王自身、ふくよかなのでパワフルなデザインが似合いました。

英国君主ヴィクトリア女王(1819-1901年)1859年、40歳頃 プリンス・オブ・ウェールズ時代のエドワード7世一家(1876年)アレクサンドラ妃は32歳頃
【出典】Royal Collection Trust / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020

そして最も大事なのが、ヴィクトリア女王が若い女性君主であるということです。キャッキャうふふのお花畑だけに住むことができる、そこらへんのお嬢様とは立場が違います。

政治・外交のトップでもあります。"女性"や"若い"というキーワードだけでも、各国のエリート男性たちの思惑が入り乱れるこの世界では舐めて見られがちです。見た目でドヤることも必要なことでした。政治や外交を有利にするための外見コントロールは、古くはイングランド女王エリザベス1世も得意とする所でした。

肖像画を見比べると、立場の違いを感じていただけると思います。将来の英国君主の妻、プリンス・オブ・ウェールズ妃としてのアレクサンドラ妃は夫を立てる立場です。妻や母としての務めを果たす、強く優しく気品あふれる美しい女性の姿を見せるのが役目です。しかしながらヴィクトリア女王はそれではダメです。偉そうに見えなくては始まりません!

長女ヴィッキーとヴィクトリア女王夫妻(ウィンザー城 1840-1843年頃)

馬術もスケートも得意、ハンティングも大好きでアクティブだったアレクサンドラ妃と異なり、ヴィクトリア女王は「女性がハンティングなんかに付いて行くものではありません!」というタイプだったそうです。

中身はロマンチックで、本来は男性を頼っていたい、女性らしい女性だった印象があります。

ただ、責任感が強く、生まれながらに与えられた責任ある立場を全うせねばと自分を滅して頑張ったようです。

他国や周囲の王侯貴族だけでなく、国民にも舐められてもいけません。しょせんお飾りだ、やっぱり女性はダメだと言われるわけにはいきません。「私の方が優れているのに、なぜあの人が女王なの?!」と思われるようでもダメです。君主としての務めに支障をきたします。

『君主』とは、神の代行者として国を統治する立場です。生まれながらに神から授けられた責務です。"権限"はその使命を遂行するための道具に過ぎず、全国民に対して責任を持つ立場です。神が理想とする形を作り上げるため、国民には在るべき『理想の人間』として"完璧な手本"を示すべき立場でもあります。

ヴィクトリア女王一家(1846年)ロイヤル・コレクション

君主は全ての分野でトップクラスの知識や教養や才能を持たなければなりません。だからこそ道徳心も含めて、物心つかぬような幼少期からスパルタ教育を受けます。女王の場合、その上でさらにあらゆる女性の見本として子沢山を実現し、慈愛に満ちた母親としての理想の家族像も示さねばなりません。

最初から『無理ゲー』や『クソゲー』の類に感じます。『無理ゲー』は難易度が高すぎてクリアするのがほぼ不可能なゲーム、『クソゲー』は元からどうやってもクリアが不可能な設定であるやる価値のないゲームのことで、ネットスラングです。

頭が良過ぎて、最初から潔くこの責務を放棄していたのが先々代のジョージ4世です。クソゲーにいくら労力を使っても時間の無駄です。適当にやっても何とかなるものです。それで人類は滅びたりしません。

でも、ヴィクトリア女王は不器用でド真面目でした。上の肖像画も慈愛の母としてではなく、威厳ある大英帝国君主として描かれています。アルバート王配の方が偉そうに見えては困るので、王配のポーズや表情にも細心の注意が払われています。見慣れないので違和感がありますが、男女が逆だとよく見かける構図ですね。

帝位を欲しがるヴィクトリア女王の風刺画(パンチ 1876年4月15日号)インド人の格好をした初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ首相がインド帝冠と英国王冠を交換している様子

『女王』というのは余計な気苦労が多いです。

それが得意な女性、好きな女性だったならばまだ良かったでしょうけれど、政治や外交もできて、芸術・学術のあらゆる面で誰よりも秀で、運動神経も万能、子沢山で家族仲も良く、性格が良くて美人でスタイルもファッションセンスも抜群、あらゆる身分の人から憧れられ慕われるなんて、現実の人間では無理です。

どれだけ素晴らしい人間でも、探せばアラはあります。

目立つ人物は広く賞賛が受けられる一方で、何をやっても必ずアラを探し出され、攻撃されます。光と影は表裏一体です。

現代だと有名人がSNSなどで口撃を受ける話はよく聞きますが、昔は王侯貴族がその対象でした。

「SNSの非難に耐えられないようなら芸能人なんかになるな!」と非難する人もいます。その見方はちょっと一元的すぎるかなと感じます。耐えられる自信があり、非難を織り込み済みで、なお有名になりたい、自己顕示したいという欲が勝る人もいるでしょう。しかしそうではなく、誰かが誰かのアラを無理にでも探して非難したり、或いはデッチ上げによって叩き潰そうとする人間が存在するなんて、人が良すぎて発想もしなかった人が純粋な心で目指す場合もあるからです。

まあでも、どちらにしても望んでそのような立場になるわけですが、生まれながらにその立場を与えられる王族は逃れることができません。「望んでいないんですけど。」は通用しません。

列強諸国による中国分割の風刺画(1898年)
孫のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世と睨み合うヴィクトリア女王

生まれながらということで、覚悟しながら育つので耐えられないということはないでしょうけれど、全く気にしないということは難しいです。世論を反映しているということで、ある程度は気にして行動に反映させる必要もあります。

それにしても、この風刺画もヴィクトリア女王だけは宝石がジャラジャラですね。『女王』がどのような見られ方をする存在なのかが伝わってきます。単なるお飾り的な美人だったら君主に見えませんし、みすぼらしくても列強に見えません。男性たちとの比べて、描かれ方がまるで違います。

『イングランドの偉大さの秘訣』(トーマス・ジョネス・バーカー 1863年頃)
イングランドの偉大さの秘訣を聞いたアフリカの王に聖書を手渡すヴィクトリア女王

家庭内ではどうだったとしても、大英帝国の君主としては、夫はオマケです。

英国王室1のインテリと言われた父王ヘンリー8世のような教養と知性を受け継いだ女王エリザベス1世のように、優れた教養と知性があれば良かったですが、ヴィクトリア女王はアルバート王配が怒って家庭教師を宮廷から追い出したほど浅い教養しか身につけていませんでした。

同時代の美貌で評判の高かった皇族・王族女性たち
フランス皇后ウジェニー オーストリア皇后エリーザベト イギリス王妃アレクサンドラ
1826-1920年 1837-1898年 1844-1925年

また、同時代の皇后たちと比べると、見た目でも見劣りしました。172cmでウエスト51cmのモデル体型と美貌で誉れ高いオーストリア皇后エリーザベト然り、やはり美貌と気品で有名だったフランス皇后ウジェニー然り。長男の嫁、アレクサンドラ妃も『イングランドのエリーザベト』と言われるほどの美貌の持ち主でした。

社交界の華となる、こういう女性たちは"ただ存在する"だけでも人目を惹き目立ったことでしょう。それは単なる外見的な美しさだけでなく、内見から生まれてくるものです。心、幼少期から身につけた気品やマナー、知性、様々な要因が複合して生じる、個性あるものです。一日二日で身に付くものではありません。このような女性にとっては豪華なジュエリーやドレスは引き立て役に過ぎません。

ヴィクトリア女王も、せめて185cmの父に似た立派な体型があれば迫力を出せたでしょう。体重は十分にあったものの、152cmは当時の栄養の行き届いた王侯貴族としては小柄で、これでは貫禄が出ません。

ヴィクトリア女王(1819-1901年)1898年、79歳頃

そこで頼ったのが、いかにも凄そうに見えるジュエリーやドレスでした。

気品は一日二日で身に付きませんが、ジュエリーやドレスは即時性があります。

人間の内面から来る本物の気品には勝てませんが、即時性や万人受けという意味では非常に有効です。

さらに、内面を見抜く眼を持たぬ多くの者に対しても有効なのは、大きなメリットとも言えます。

さすがに実際にこれほど成金的な着け方はしていなかったでしょうけれど、見た者がこのような印象を受ける出立ちだったことは間違いありません。

ヴィクトリア女王のオパール・ピアス(南オーストラリア美術館)
【引用】ABC News / Royal opals worn by Queen Victoria sent to Adelaide for SA Museum exhibition (24 September 2015, 5:57)

つまりはこういう感じのジュエリーです。

「ドヤらなければっ!!」という女王の意識が最も反映されたのが、ミッド・ヴィクトリアンのジュエリーでした。

大英帝国の発展のために、君主である私を凄そうに見せなくては!!

他国にも、国民たちにも舐められてはいけない!!

男性であれば、そこまで外見でドヤる必要はなかったでしょう。また、女性でもある程度年をとり、経験を重ね、老獪さを身につけて貫禄が出て来れば外見でドヤる必要はありません。でも、若くして即位し、ヨーロッパがナショナリズムを経て、帝国主義が渦巻いていく不安定な世界情勢の中、ヴィクトリア女王には見た目で凄みを利かせる必要があったのです。

成金的なもの、ドヤドヤしたものは本来、日本人の美意識に合いません。巨大で中身が薄っぺらいハリボテ的なもの、ガチャガチャした色使いは日本人好みではありません。しかしながら、ミッド・ヴィクトリアンは女王の立場を受けて、高位の上流階級にもこのようなジュエリーが大流行したのです。

宝石の質や作りは良いけれどデザイン的に買い付けができない、私たちとしては残念なジュエリーが多いのがこの時代です。

1-1-7. アルバート王配の逝去による状況の一変

ヴィクトリア女王の治世は1837年から1901年、およそ64年間の長きに渡ります。『ヴィクトリアン・ジュエリー』を一緒くたにするのは無理があります。

昭和も64年までありましたが、昭和元年(1926年)と昭和64年(1989年)では環境も文化もまるで違いますよね。0歳時と64歳の人、或いは20歳と84歳で同じ時代を生きた人と見るのが妥当ではないことと同じです。

ヴィクトリアンの典型的なハイジュエリー
アーリー・ヴィクトリアン
-1840-1850年頃-
ミッド・ヴィクトリアン
-1850-1870年頃-
レイト・ヴィクトリアン
-1870-1900年頃-
アーリー・ヴィクトリアンの宝石の蝶々のブローチ『黄金の花畑を舞う蝶』
色とりどりの宝石と黄金のブローチ
イギリス 1840年頃
¥356,000-(税込10%)
ヴィクトリア女王のオパール・ピアス(南オーストラリア美術館)
【引用】ABC News / Royal opals worn by Queen Victoria sent to Adelaide for SA Museum exhibition (24 September 2015, 5:57)
花かごに入った鳥 ブローチ アンティーク・ジュエリー『Tweet Basket』
小鳥たちとバスケットのブローチ
イギリス 1880年頃
¥2,500,000-(税込10%)

庶民のための安物には当てはまりませんが、時代の最先端を如実に反映する王侯貴族のハイジュエリーを見ると、当時の雰囲気や時代の移り変わりがはっきりと分かります。

アーリー・ヴィクトリアンは、まだジョージアンの時代の延長線上という印象です。10代のフレッシュな女王が即位し、デザイン的にはロマンチックで明るい雰囲気が流行しました。1848年頃にカリフォルニアでゴールドラッシュが起きると金価格は大幅に下落しますが、それ以前なので、富と権力を象徴するゴールドを強調したデザインも特徴です。

ミッド・ヴィクトリアンは万人に対してドヤるデザインが特徴です。知性や教養を強調したデザインの場合、同じレベルの知性や教養を持つ者にしか価値が伝わりません。庶民やセンスがない人にも凄いと思ってもらえるよう、宝石もジュエリーのサイズもとにかく巨大さを求め、目立つよう色彩も濃く派手なものが好まれました。ハリボテ的な作りなので、見た目より薄っぺらく軽いのも特徴です。まさに成金的です。

レイト・ヴィクトリアンは従来のヨーロッパ貴族好みのジュエリーに戻っています。小さくても上質、知的な教養やセンスが詰め込まれた上品なデザインが特徴です。

これらの変化はどうして起きたのでしょうか。

イギリス女王ヴィクトリア(1819-1901年)21歳頃

これはアーリー・ヴィクトリアンで、結婚したばかりのヴィクトリア女王です。着用しているのはアルバート王配が新妻のためにデザインした、サファイアのコロネット・ティアラです。

アルバート王配はザクセン=コーブルク=ゴータ公国の公子で、ロイヤル・ファミリーの高貴な出身でした。ロイヤルとしての教養に満ち溢れ、その非凡な知性と才能はイギリスの首相のお墨付きでした。

そんなアルバート王配が好んだ宝石はオパールだったそうです。アルバート王配にゾッコンだったヴィクトリア女王は、夫が好きなものが好きでした。

本来、ドヤった成金的なものは好みではなかったように思います。

1848年のフランス二月革命(19世紀)カルナバル美術館

しかしながらミッド・ヴィクトリアン頃、王権は必ずしも安泰とは言えない状況にありました。

フランス革命によって、1792年にフランス国王夫妻が処刑されました。その後、「国は誰のもの?」、「国とは?」、「国民、民族とは?」という疑問や意識がヨーロッパで育ち、1848年から1849年にかけて『諸国民の春』と呼ばれる1848年革命が発生しました。

1848年革命で一転した主な地域はオーストリア、フランス、イタリア、ドイツです。フランスではオルレアン朝が打倒され、イタリアやドイツは小さな国家が次々と統合などによって消滅していきました。長年続いた教皇国家すらもローマ教皇が逃亡し、無政府状態となってローマ共和国が建国されました。

英国君主ヴィクトリア女王(1819-1901年)1859年、40歳頃

ヴィクトリア女王が好まざるとも、無理してでも国内外に対してこの時代はドヤる必要があったのです。

使命感に燃え、国のために生涯を捧げる決意をした女王は頑張りました。

最愛の夫と一緒ならば、どんなことも頑張れます。

ヴィクトリア女王の結婚式(1840年2月10日)

しかしながら1861年、42歳のヴィクトリア女王は人生最大の悲劇に襲われました。

ヴィクトリア女王は生後8ヶ月で父を亡くしたため、父を知りません。そんな女王は1861年3月16日に母ヴィクトリア・オブ・サクス=コバーグ=ザールフィールド、12月14日に夫アルバート王配を相次いで亡くしました。

心の拠り所だった母、全てを頼り切り、生きがいだった最愛の夫。予想しない突然の悲しみに、ヴィクトリア女王は自身の人生が終わったも同然の気分でした。

「こんなに頑張っているのに、生後8ヶ月で父を亡くした私から全てを奪うのですか?」
ヴィクトリア女王の糸が切れました。無理もないです。

王室の喪のポートレート(1862年3月)
ヴィクトリア女王夫妻の5人娘アリス、ヘレナ、ベアトリス、ヴィクトリア、ルイーズ

ドヤるどころではなく、喪に服して引きこもりまくりました。元々政治もアルバート王配任せだったため、仕事にも顔を出さず政治家たちに完全に丸投げです。

衣服もジュエリーも黒一色、それを周りにも強要しました。子供たちに陽気にしたり、笑ったりすることを許さず、「父を失いました。」というカジュアルな表現も、アルバートの記憶を軽んじていると見なして許さなかったそうです。

王室スタッフ全員にも喪に服することを強要し、王配の死後1年間は追悼式を除き公の場に出ることが許されませんでした。王室スタッフは庶民ではなく上流階級で構成されます。上流階級の若い女性たちが毎日黒い喪服を着ることを強要されれば、当然テンションは下がります。あまりにもレディたちの士気が下がったため、白や紫、グレーなどの半喪の色は女王もしぶしぶ認めました。

使用人についても喪に服することを強要しました。貴族が亡くなると使用人は黒い腕章を着用するのが慣例ですが、通常は一定期間で喪が開けます。永遠に喪に服したい女王は1869年まで、実に8年間もこの腕章を着用させ続けました。

アルバート記念碑のアルバート黄金像(1872年)
"Close-up of Albert Memorial" ©User:Geographer(10 November 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0

そんなテンション激落ちの女王に、唯一ドヤることを許されたのはやっぱりアルバート王配でした。

夫アルバート王配の偉大さを知ってほしいという願いで、黄金像も作っています。

ただ、こういうドヤドヤした金ピカの像はイギリス人の気質には合いません。

街の雰囲気にも合わず、悪趣味だとロンドンでは不評だそうです(;_;)

PDヴィクトリア女王(1899年)80歳頃

唯一無二の最愛の夫を失ったヴィクトリア女王は、もはやオシャレしたい気持ちも失いました。

2度と華やかなファッションに身を包むことはなかったそうです。

基本的に喪服しか着ない上に、年も重ね、ファッションリーダーは次の世代に移っていきました。

今だと女王エリザベス2世の治世ではありますが、オシャレ意欲が高い若い世代が参考にするのは90代のエリザベス女王ではなく、自分たちに近い年齢のキャサリン妃などですよね。

そういう感じです。

1-1-8. アーリー・ヴィクトリアンの新しいファッションリーダー

娘ヴィクトリア王女とイギリス皇太子妃アレクサンドラ(1880年代)

そこでファッションリーダーとなったのが時期王妃、プリンス・オブ・ウェールズ妃のアレクサンドラ・オブ・デンマークでした。

3人の娘たちも美しく育っていますが、アレクサンドラ妃は50代になっても30代にしか見えないと言われるほどの美貌とスタイルを保っていました。

このウエストの細さで6人の年子を産んでいるなんて、信じられません!!

デンマーク王室出身のイギリス皇太子妃&ロシア皇太子妃の姉妹
マリア・フョードロヴナ&アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1873年頃) マリア・フョードロヴナ&アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1875年頃)

この美しさだけで十分に庶民から人気がありそうですが、アレクサンドラ妃は王族らしい気品を備え、センスが良く、社交的で明るい性格もあったそうで、社交界の王侯貴族からも高い人気がありました。

仲良しの妹、ロシア皇太子妃マリア・フョードロヴナとのお揃いのコーディネートも心憎い演出ですよね。

日本貴族 大英帝国の王族
PD公爵夫人 大山捨松(1860−1919年)1880年代? イギリス王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマークとその家族(1880年)
【出典】Royal Collection Trust / The Prince and Princess of Wales with their shildren, 1880 [in Portraits of Royal Children Vol.26 1880] / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020 / Adapted

そういうわけで、レイト・ヴィクトリアンはアレクサンドラ妃が強い影響力を持つファッションリーダーとして、新しい流行を作り出していきました。その影響は、社交界のつながりを通じて世界に広がっています。

1-1-9. アレクサンドラ妃の特徴を反映した新スタイル

【ミッド・ヴィクトリアン】
ファッションリーダー:ヴィクトリア女王
【レイト・ヴィクトリアン】
ファッションリーダー:アレクサンドラ王太子妃
アレクサンドラ王女(1844-1925年)1860年、16歳頃
 【出典】Royal Collection Trust / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020
アレクサンドラ王太子妃(1844-1925年)1880年初期、30代後半

流行は当時のファッションリーダーに似合うもの、好みのもの、時には欠点を隠すのに最適なものだったりします。ミッド・ヴィクトリアンのスタイルはヴィクトリア女王が主体でした。それを受けてクリノリン・ドレスが流行し、デンマーク王女時代のアレクサンドラ妃もボリュームあるドレスを着用しています。美人は何を着ても似合いますが、アレクサンドラ妃ならではの特徴を生かす感じではないですね。

驚異的なスタイルを持つアレクサンドラ妃がファッションリーダーとなり、その個性を反映しているのがレイト・ヴィクトリアンのスタイルです。スタイルを隠す必要がなく、むしろその細身の体型を強調するスタイルが、アレクサンドラ妃の絶対的な魅力を惹き立てます。もともと備わっていた大人っぽさや気品が、よりはっきりと伝わってきます。

アレクサンドラ妃がヨーロッパの王族らしい気品を備えていたと言われる通り、ヨーロッパでは女性は大人っぽい雰囲気や、知的で気品ある雰囲気が好まれます。庶民は取っ替え引っ替えできないのですぐには無理でしたが、多くの上流階級がこの新しいスタイルを好んで取り入れていきました。

1-1-10. ミッド・ヴィクトリアン・スタイルの特徴

ミッドヴィクトリアン レイトヴィクトリアン
PDクリノリンのドレス(1850年頃)メトロポリタン美術館 PD宮廷用ドレス(1885年)メトロポリタン美術館

女王がファッションリーダーだったミッド・ヴィクトリアンは、とにかくドヤることが重要でした。スカートにボリュームを出すため、生地も厚めで張りのある素材が流行しました。色も存在感のあるキツイ色が好まれました。

【参考】ミッド・ヴィクトリアンの成金ジュエリー

ジュエリーもドレスの迫力に負けないよう、ボリュームがあって、存在感が出せるドギツイ色の宝石が好まれました。Genが「イカとかタコみたい。」と嫌う、独特のジャラジャラが流行したのもミッド・ヴィクトリアンです。

皆が良いと思えば定番化したはずですが、こういうものはやはり本来の上流階級には好まれなかったようで、レイト・ヴィクトリアンになるとまるで最初から無かったかのように社交界から消え去りました。

レイト・ヴィクトリアンのフリンジ系ジュエリー
オパール ネグリジェ・ネックレス ネックレス アンティーク・ジュエリー『Rainbow World』
ネグリジェ・ネックレス
イギリス 1890年頃
SOLD
ダイヤモンド ゴールド ブローチ アンティーク・ジュエリー

『MODERN STYLE』
ダイヤモンド ブローチ

イギリス 1890年頃
¥794,000-(税込10%)

非加熱ルビー&サファイア&天然真珠の金細工が美しいフリンジ・ブローチ『ルンペルシュティルツヒェン』
ゴールド・アート ブローチ
イギリス 1870年頃
¥1,100,000-(税込10%)

同じフリンジ系のデザインでも、レイト・ヴィクトリアンのジュエリーはイカタコ・ジュエリーとは全く雰囲気が違います。

「私が主役よ!ドヤー!」など、主役を取られてはならないという必死さが伝わってくるようなイカタコ・ジュエリーとは一転し、レイト・ヴィクトリアンのハイジュエリーには着用者を惹き立てつつ、目立とうとしなくても人目を惹くような不思議な存在感があります。

まだ女王は健在の時代。アレクサンドラ妃は王妃ではなくプリンス・オブ・ウェールズ妃であり、女性のトップではありませんでした。身分をわきまえ、女王や夫のプリンス・オブ・ウェールズの前に出ないようにしながらも、その魅力故にどうしても目立つ存在。それを反映しているかのようです。

まあでも、こういうデザインが本来のヨーロッパの上流階級のアンティークジュエリーと言えます。ミッド・ヴィクトリアンは女性が君主だったこと、ナショナリズムの高揚と帝国主義によって地位が脅かされていたことなどが重なった、歴史の中で見れば特殊な時代でした。

英帝ヒクトリヤ(文久遣欧使節・漢方医・高嶋祐啓画 1867年)48歳頃

近代の日本人が初めて見た英国君主がヴィクトリア女王であったこと、Genに続いたアンティークジュエリー・ディーラーの多くがゴテゴテしたミッド・ヴィクトリアン・ジュエリーをヨーロッパ貴族の高級品扱いしてプロモーションした結果もあり、勘違いしている日本人が多いようです。

自力でGenやHERITAGEに辿り着けた方は相当賢いか、美的感覚が鋭いか、その両方だと思います。素晴らしい♪♪

この通り論理的に説明ができますから、その考え方や感覚は合っています!♪

イブニングドレス(ウォルトのメゾン 1882年頃)メトロポリタン美術館

さて、レイト・ヴィクトリアンのドレスに関しては身体に寄り添い、ドレープが美しく出るような軽やかな生地が好まれるようになりました。

張りのある生地と違い、この時代に流行したシフォンやオーガンジー素材はブローチを着用するのが難しく、ネックレスが多く着用されるようになりました。

軽やかさが好まれたからこそ、色彩も淡いものが広く流行しました。

PDアルバート王配の喪中のアレクサンドラ王太子妃とヴィクトリア女王(1862年)  【出典】Royal Collection Trust / Queen Victria (1819-1901) and Princess Alexandra of Denmark, later Queen Alexandra (1844-1925) © Her Majesty Queen Elizabeth II 2021

これはアルバート王配の死後、しばらく重く暗い装いが続いたことも影響しているでしょう。

しばらくは良くても、長いことボテッとした黒い装いを強要されたら、オシャレを楽しみたい女性たちはウンザリします。

アレクサンドラ王妃の時代(エドワーディアン)の喪のドレス
【引用】THE MET MUSEUM / Eveniing dress ©The Metropolitan Museum of Art./Adapted. PD【引用】THE MET MUSEUM / Eveniing dress ©The Metropolitan Museum of Art./Adapted. 【引用】THE MET MUSEUM / Eveniing dress ©The Metropolitan Museum of Art./Adapted.

ヴィクトリア女王が崩御した際は、アレクサンドラ王妃が空気を読んで、喪のドレスのルールを緩和したそうです。

ヴィクトリア時代の喪服
アメリカ 1850年頃
【引用】The Metropolitan Museum of Art.
アメリカ 1867年頃
【引用】The Metropolitan Museum of Art.
アメリカ 1872-1874年
【引用】The Metropolitan Museum of Art.

「孫もいて、もう恋愛しなくても十分。悲しみだけに浸っていたい。」というヴィクトリア女王のような女性ならばずっとこの装いでも構わないかもしれませんが、まだオシャレを楽しみたい女性にとっては拷問です。

センスが光る喪のドレス&ジュエリー
PD PD スタイリッシュなスパイラル・デザインのウィットビー・ジェットのピアスウィットビー・ジェット ピアス
イギリス 1860-1870年頃
SOLD
フェアヘイヴン夫人の半喪のドレス(サラ・マイヤー&A.モーハンガー 1889-1892年)【引用】V&A Museum / dress © Victoria and Albert Museum, London/Adapted

ルール内で見事なセンスを発揮する女性も存在しましたが、そのうちネタ切れになりますし、やっぱりいつまでも同じルールでは飽きます。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

重厚感と、必要以上の存在感があるジュエリーに上流階級が飽き飽きしていた時代。

軽やかさと、シラーという不思議な輝きによって独特の存在感を放つムーンストーンがレイト・ヴィクトリアンに注目されたのは自然な流れです。

1-2. レイト・ヴィクトリアンらしい幻想的な宝石

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

ムーンストーンは、宝石自体がレイト・ヴィクトリアンらしい宝石と言えます。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

重厚感と、必要以上の存在感があるジュエリーに上流階級が飽き飽きしていた時代。

軽やかさと、シラーという不思議な輝きによって独特の存在感を放つムーンストーンがレイト・ヴィクトリアンに注目されたのは自然な流れです。

1-2-1. デザインで変化する雰囲気

レイト・ヴィクトリアンらしいジュエリー。
レイト・ヴィクトリアンらしい宝石。

これは、似て非なるものです。

現代ジュエリーは楽に・安く・早く作ることが第一の、大衆用の大量生産品です。デザインと作りは表裏一体です。高度な技術を持ってせねば、美しいと感じられる優れたデザインを具現化することはできません。だからどれも似たり寄ったりの稚拙なデザインばかりです。

アンティークジュエリーを知らず、現代のジュエリーのこともよく知らなかった10代の頃、お金さえ出せばオシャレなジュエリーは買えるのだろうかと思案したことがあります。雑誌を見ると、高級ブランドと言われるメーカーのものでも全然ピンと来ず、数百万円程度じゃダメなのかと知りました。それでは数千万円レベルならばもっと複雑で美しいデザインになるのかと思って調べてみると、かなりがっかりな結果でした。数億円レベルを出せば、デザインがオシャレなジュエリーを作ってもらえるのだろうかと考えましたが、今はそれでも無理だとはっきり分かります。数億円のジュエリーだと、大層そうな石ころは付いているものの、デザイン(作り)はまるでダメなはずです。とっくに技術が失われているからです。

現代ジュエリーのデザインと作りは、残念ながら上質なアクセサリーと見分けがつきません。多くの女性がジュエリーに興味を持たなくなった大きな理由です。

時代ごとのガーネットのハイジュエリー
ジョージアン ミッド・ヴィクトリアン レイト・ヴィクトリアン
ジョージアン 竪琴 ブローチ アンティークジュエリー 『愛のメロディ』
ジョージアン 竪琴ブローチ
イギリス 1826年
SOLD
【参考】ガーネット・ピアス レイトヴィクトリアン・クラスターリング アンティークジュエリー『ヴィクトリアン・デコ』
アングロジャパニーズ・スタイル リング
イギリス(バーミンガム) 1876-1877年
SOLD

デザインは持ち主の教養やセンスを如実に反映します。ジュエリーは社交界の必須アイテムであり、ドレスと比べても桁違いに高価で重要な自己紹介ツールです。だから本物のハイジュエリーはデザインにも抜かりがありません。

そんなアンティークのハイジュエリーを見ると、同じ種類の宝石でも、ジュエリーのデザインによって全く雰囲気が変わることが分かります。「ガーネットだからミッドヴィクトリアンっぽい。」というのは正確ではありません。ジョージアンのデザインと作りならばジョージアンらしくなりますし、ロムバス(菱形)・カットを施してストライプ・デザインと組み合わせれば、いかにも当時最先端のアングロ・ジャパニーズ・スタイルとなります。

宝石に対してデザインを軽んじる"ジュエリー好き"は現代は少なくありませんが、アンティークの時代の社交界ではそういう人はつまらない人として相手にされなかったでしょう。

1-2-2. 19世紀後期に流行した宝石

天然真珠&ゴールドのアンティーク・ピアス『Sunflower』
天然真珠 フラワー ゴールド・ピアス
イギリス 1880年頃
¥700,000-(税込10%)

時代ごとに流行の宝石があります。

流行する理由は様々です。

19世紀後期に注目された宝石の1つとして、天然真珠があります。

古代から定番人気で愛される宝石でしたが、1870年頃から始まった南アフリカのダイヤモンドラッシュによってダイヤモンドの稀少価値が低下し、相対的に唯一無二の至高の宝石として地位が高まったことが人気急上昇の原因です。

天然真珠&ダイヤモンド・リング
レイト・ヴィクトリアン アールデコ
天然真珠 クラスターリング アンティーク・ジュエリー 『Flower』
天然真珠 クラスターリング
イギリス 1880年頃
SOLD
アールデコの天然真珠&オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド・リング天然真珠 リング
フランス 1925年頃
SOLD
日本刀の鐔をデザインしたアールデコの天然真珠リング『影透』
アールデコ 天然真珠 リング
イギリス 1920年頃
¥1,200,000-(税込10%)

そんな天然真珠ですが、ジュエリー全体としてどのような雰囲気になるのかはデザイン次第です。19世紀後期から20世紀初期にかけて高い人気を誇ったからと言って、天然真珠そのものがレイト・ヴィクトリアンっぽく感じたり、エドワーディアンやアールデコっぽく感じるということはありません。ダイヤモンド取り巻きデザインのリングを見れば明らかです。

定番のシンプル・デザインのネックレス
イングランド女王エリザベス1世 (1533-1603年) イギリス王妃アレクサンドラと娘ヴィクトリア王女(20世紀初期)

天然真珠を連結しただけのシンプルなデザインのネックレスもそうですね。定番デザインとして普遍化しています。デザインを見ただけで、どの時代のジュエリーか特定するのは難しいです。

エメラルドのリボン型クラスプが可愛い天然真珠ネックレス

『エメラルド・リボン』
天然真珠 ネックレス

イギリス 1920年頃
SOLD

クラスプなどの素材や作りをしっかりチェックすることで、制作年代を特定することは可能です。

でも、レイト・ヴィクトリアンっぽい、アールデコっぽいというのはありません。

19世紀後期に流行した新発見の宝石
デマントイド・ガーネット オパール
ロッククリスタル ハート型 ロケットペンダント アンティーク・ジュエリー『アール・クレール』
ロケット・ペンダント
イギリス 1900年頃
SOLD
デマントイド・ガーネット リング アンティークジュエリー『ウラルの秘宝』
ウラル産デマントイドガーネット リング
イギリス 1880年頃
SOLD
レイト・ヴィクトリアンのオーストラリア産オパール&ダイヤモンドのペンダント&ブローチペンダント&ブローチ
イギリス 1880〜1900年頃
SOLD
オパール リング アンティーク『神秘なる宇宙』
オパール リング
イギリス 1880〜1900年頃
SOLD

宝石は、その時代に新しく発見されたことで流行する場合もあります。19世紀後期にその理由で流行した宝石としては、ウラル産デマントイド・ガーネットがあります。

他には、イギリスの植民地オーストラリアで新発見されたオーストラリア産オパールもあります。

どちらの宝石も、特徴あるデザインで作られた当時のジュエリーだとレイト・ヴィクトリアンらしさを感じますが、時代を超越した定番デザインで作られたものは、特定の時代感はありません。

オパール ネグリジェ・ネックレス ネックレス アンティーク・ジュエリー『Rainbow World』
ネグリジェ・ネックレス
イギリス 1890年頃
SOLD

デマントイド・ガーネットもオパールも、レイト・ヴィクトリアンの雰囲気を反映していたから流行したのではなく、たまたまその時代に発見され、目新しかったから流行したと言えます。

そして、相応しいデザインを施すことで、時代にベスト・マッチした美しいジュエリーになったわけです。

1-2-3. 新発見された『スリランカ産ブルー・ムーンストーン』

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

宝石自体がレイト・ヴィクトリアンらしい感じられる特殊性が、ムーンストーンにはあります。

ムーンストーンは古代から知られている宝石です。

それなのにこの時代に注目されたのは、もちろん理由があります

スイス産ムーンストーン
"AdularireSuisse2" ©Didier Descouens(24 August 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0

ムーンストーンは『シラー』と呼ばれる独特の輝きを放ち、古代から特別視されてきました。

主な産地はスイス南部、アルプス山脈のアデュラー山(ラインヴァルトホルン山)でした。

透明度が高く美しい青の光を放つ上質なムーンストーンが採れ、石は山に敬意を表して『アデュラリア』と呼ばれていました。

アルプス式熱水脈中に産出する正長石の一種です。

宝石が採れるアルプス山脈
グランドツアー由来のイギリス貴族のロッククリスタルのアルプス山脈フォブシール『アルプスの溶けない氷』
アルプス産ロッククリスタル 回転式3面フォブシール
イギリス 18世紀後半
¥1,400,000-(税込10%)
モンブラン山麓シャモニーのクリスタル・ハンター/猟師/ガイド ジャック・バルマ(1762-1834年)

アルプス山脈はロッククリスタルの産地でもあります。古くはクリスタル探しや猟師、ガイドなどで生計を立てる者もいました。

古代ローマの博物学者プリニウス(23-79年)

古代ローマの博物学者プリニウスはその著書『博物誌』の中で、ロッククリスタルはアルプス産が上質で強いとしていました。

古代ローマでは、ロッククリスタルはアルプス産が高級品として珍重されていたのでしょうね。

そんな古代ローマでは、ムーンストーンもジュエリーに使用されていました。

ムーンストーンは月の光が『石』になったものと信じられ、珍重されていたようです。

青系の色が特徴の宝石
アクアマリン ブルー・カルセドニー ターコイズ ラピスラズリ
アーツ&クラフツの海の煌めきのようなアクアマリンのネックレス アンティークジュエリー『海の煌めき』
イギリス 1890年頃
SOLD
ブルー・カルセドニー&天然真珠のお花のオーストリアのアンティーク・ペンダントブルー・カルセドニー プチ・ペンダント
オーストリア 1920年頃
SOLD
鈴蘭のブローチ ペルジャンターコイズ 天然トルコ石 天然真珠 アンティークジュエリー 『A Lily of the Valley』
鈴蘭のブローチ
ヨーロッパ 1880年頃
SOLD
アールデコのラピスラズリ&オニキスのプラチナ・ネックレスアールデコ ネックレス
ヨーロッパ 1920年代
SOLD

青系の宝石は多種多様です。青の濃さ、色味、透明度の違いによっても雰囲気は大きく変わります。上質なアクアマリンだと、まさにその名の通り、太陽の光を反射してキラキラと輝く南国の海のような美しさがあります。

オパール サファイア モンタナ・サファイア ブルー・ムーンストーン
オパール リング アンティーク『神秘なる宇宙』
イギリス 1880〜1900年頃
SOLD
非加熱サファイアの指輪『煌めきの青』
イギリス 1880〜1900年頃
SOLD
エドワーディアン サファイヤ リング アンティークジュエリー モンタナ ヨーゴ峡谷『モンタナの大空』
イギリス 1910年頃
SOLD
『FULL MOON』
イギリス 1890年頃
SOLD

天然の宝石が魅せる美しい青は、人間の想像力を掻き立てます。Genが大好きなオパールは、大宇宙やオーロラの世界を彷彿とさせます。これまたGenが大好きな美しいサファイアは天国の象徴として、ヨーロッパでは高位の聖職者が身につけていました。

アメリカの宝石、モンタナ・サファイアはインクリュージョンが極めて少ない透明度の高さが特徴で、美しいモンタナの青空を想像させてくれます。

水、空。
美しい青の宝石が連想させてくれるのは、心地よく爽やかな自然の景色です。

そのような中で、ブルー・ムーンストーンが放つ青は異彩を放っています。

青い満月のようなブルーシラーを放つ本物のムーンストーンのネックレス
天然ムーンストーンのアンティーク・ネックレス『FULL MOON』
ムーンストーン ネックレス
イギリス 1890年頃
SOLD

上の画像では、全てのムーンストーンが青い光を湛えています。その一方で左の画像だと、透明な石もあります。

このことからもお分かりいただける通り、ブルー・ムーンストーンの場合、石そのものが青いわけではありません。

石そのものは透明なのに、なぜか青い光を放ちます。しかも単波長のレーザーのようなはっきりとした光ではなく、ちょっと言葉では説明しにくい、"雰囲気のある"光です。

満月の光

それはまさに月の光と表現するに相応しいものです。大気も透明で、月まで相当な距離があっても雲がなければその姿を見ることができます。それでも小さな塵や水蒸気などは存在し、光を散乱させます。包み込むような優しく柔らかな光・・。

ムーンストーンのティアラ

『アルテミスの月光』
ムーンストーン メアンダー ネックレス&ティアラ
イギリス 1910年頃
SOLD

ムーンストーンは月光のような、雰囲気のある光を放つ宝石です。

他の宝石では代わりができません!

美の女神アフロディーテ(古代ローマ 2世紀)紀元前4世紀の古代ギリシャ作品の複製
 "NAMA Aphrodite Syracuse" ©Marsyas(200)/Adapted/CC BY-SA 3.0
PD月の女神セレネ(古代ローマ 2世紀)

古代ギリシャでムーンストーンは、美の女神アフロディーテと月の女神セレネの名を合わせて『アフロセレン』と呼ばれたりもしていたそうです。

月の美しさは独特です。いつの時代も、文化を問わず人間を魅了してきました。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

そんなムーンストーンですが、19世紀後半にブルー・ムーンストーンの産地として有名なスリランカのミティヤゴダ鉱山で漂砂鉱床が発見されました。これによって新たに上質なブルー・ムーンストーンが手に入るようになりました。ある意味、最先端の宝石となったのです。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

この宝物は、このタイプのムーンストーン・ネックレスとして最高級のものです。それ故に、石も最上質のものが選りすぐられています。遊色が魅力のオパールもそうですし、煌めきが魅力のダイヤモンドにも言えることですが、変化に富み、変化こそが一番の魅力である宝石は撮影が本当に難しいです。

これは特徴的なブルー・シラーが分かっていただきやすい条件で撮影したものですが、こうやって静止画で見ると青い宝石かと勘違いしそうなくらい、はっきりと青く見えますね。これだけ上質なムーンストーンなので、条件を揃えなくても肉眼でもはっきりとブルー・シラーが分かります♪

1-2-4. 『ムーンストーン』の月光のような輝きの魅力

基本的に、ファッションリーダーは時代ごとの君主夫妻となります。

歴史的に見ると夫である男性が君主になる場合が多いですが、イギリスは女性が君主になることもあります。

君主:女王ヴィクトリア 君主:国王エドワード7世
プランタジネット舞踏会のヴィクトリア女王とアルバート王配(1842年) 王太子バーティ(後のエドワード7世)とアレクサンドラ妃と長男エディ(1883-1886年)

ヴィクトリア女王夫妻がファッションリーダーの時代は、女性の方が立場が上です。女王の方が目立ち、輝き、国を照らす存在です。

国王エドワード7世夫妻がファッションリーダーの時代は、男性の方が立場が上です。女性は輝く男性に寄り添い、優しく美しく佇む存在です。「主役を喰ってやる!」というような悪目立ち的なことはしませんが、主役を惹き立てるための名脇役のように、主役にとって無くてはならない存在です。名脇役の存在は、主役の素晴らしさの証明でもあります。名脇役以上に素晴らしいはずだからです。脇役に取って代わられることを心配しなくてはならず、脇役を叩き潰すことに腐心するようでは、主役に値しません

時代を象徴する最高級ティアラ
君主:女王ヴィクトリア
-太陽光線-
君主:国王エドワード7世
-月光-
ヴィクトリア女王の『太陽光線ティアラ』を着用したバッテンベルク公子ハインリヒ・モーリッツ夫人ベアトリス(1911年)【引用】National Portraot Gallery HP / princess Beatrice ©National Portrait Gallery, London ムーンストーンのティアラ『アルテミスの月光』
ムーンストーン メアンダー ネックレス&ティアラ
イギリス 1910年頃
SOLD

同じ"女性のトップ"という存在であっても、女王なのか王妃なのかで立場は全く異なります。それぞれの時代に作られたこれらのティアラは、まさにそれを反映しているかのようです。

人々を明るく照らす太陽は主役、すなわち君主にこそ相応しいものです。月は太陽と対をなす、なくてはならぬ存在で、まさに王妃のような存在です。

左はヴィクトリア女王のために制作された『Sunray (Fringe) Tiara』です。末っ子の第5王女ベアトリスが受け継ぎました。写真はベアトリス王女が着用している姿です。

『太陽光線ティアラ』を着用したヴィクトリア女王(1819-1901年)

女性で最高神だった天照大神も太陽神でした。

大英帝国の君主として、ヴィクトリア女王も月ではなく太陽の方がしっくりくる感じですね。

人間の根源的な所から感じるものなのだろうと思います。

この太陽光線ティアラは後光と言うよりは、ヴィクトリア女王ご自身から、見る者に対して直射日光的に太陽光線が照射される感じでしょうか。

日の沈まぬ大英帝国君主の威信を強調するにはピッタリのティアラだったかもしれませんね。

時代を象徴するハイジュエリー
ミッド・ヴィクトリアン
-太陽-
レイト・ヴィクトリアン
-月-
バンデッドアゲートとゴールドで格調高い太陽を表現した、大英帝国を象徴するアンティーク・ブローチ『太陽の沈まぬ帝国』
バンデッドアゲート ブローチ
イギリス 1860年頃
SOLD
本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

大英帝国最盛期、ミッド・ヴィクトリアンの最中である1859年には太陽フレアがイギリスの天文学者リチャード・キャリントンによって初観測されています。記録に残る中で最も大きな太陽フレアが観測され、ハワイやカリブ海沿岸も含め世界中でオーロラも観測されました。天文の観点からも太陽に注目が集まる時代だったわけですね。それらを反映した宝物も制作されています。

その後、女性のファッションリーダーがプリンス・オブ・ウェールズ妃アレクサンドラに移ったレイト・ヴィクトリアンに月が意識を集め、月光のような雰囲気を持つムーンストーンが注目されたのは自然な流れと言えるでしょう。

荘厳な太陽のハイジュエリー
バンデッドアゲートとゴールドで格調高い太陽を表現した、大英帝国を象徴するアンティーク・ブローチ『太陽の沈まぬ帝国』
バンデッドアゲート ブローチ
イギリス 1860年頃
SOLD
エトラスカンスタイル ブローチ アンティーク・ジュエリー『古代の太陽』
エトラスカン・スタイル ブローチ
イタリア(FASORI) 1850〜1870年代
SOLD

これらは同じ太陽モチーフのジュエリーでも、表現に個性があるのが王侯貴族のためのハイジュエリーの楽しいところですね♪

太陽は何と言ってもその強烈な光が特徴です。全てを明るく照らし、優しく包み込むような存在です。近づけば全てを燃やし尽くす強さがある一方で、生命を育み暖めてくれる優しい存在でもあります。強さと優しさはまさに神のようでもあり、人類は畏敬と共に感謝の念で接してきました。

この太陽ですが、宝石単体で表現するのはちょっと難しいですよね。『太陽の沈まぬ帝国』で使用された極上のバンデッドアゲートは全体で見るとまさに太陽という雰囲気ですが、バンデッドアゲート単独でブローチにすると「何かの惑星?木星?金星??」と、あやふやな感じになってしまうでしょう。故に宝石以外にも相応のデザインを施す必要があります。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

その点で、ムーンストーンはそのものが月光のような輝きを放ちます。こうして円形のカボションカットして並べると、それぞれは光の当たる角度によって輝きを変化させます。あるものは満月のよう、あるものは半月、またあるものは三日月。無色透明になって気配を殺し、新月のような雰囲気を湛えたものまであります。

石そのものが月のような雰囲気を持つ特別な宝石。それがムーンストーンです。

1-3. 数が少ないムーンストーンのハイジュエリー

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

ムーンストーンが注目されたのはレイト・ヴィクトリアンのイギリスの上流階級社会です。

しかしながら既に中産階級がジュエリーを買う時代でしたから、上流階級における流行を倣い、じきに庶民用の安物や成金ジュエリーでもムーンストーンが流行するようになりました。

このため、やはりムーンストーン・ジュエリーも上流階級のための高級品、成金庶民用の中級品、大衆用の安物が入り乱れる玉石混交の状態にあります。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

ムーンストーンを使ったアンティークジュエリーは市場で一定数存在しますが、その殆どは安物です。

オパール同様、表情豊かで幻想的な美しさがあるムーンストーンは日本人に人気が高く、あればいくつでもご紹介したい所ですが、滅多にご紹介できる機会はありません。庶民用の安物と成金ジュエリー、上流階級のための高級品との違いについて、少しご紹介しておきましよう。

1-3-1. 後期アーツ&クラフツに多くみられる庶民用の安物

花かごに入った鳥 ブローチ アンティーク・ジュエリー『Tweet Basket』
小鳥たちとバスケットのブローチ
イギリス 1880年頃
¥2,500,000-(税込10%)

ムーンストーンが注目された時代は、ちょうどアーツ&クラフツ運動が流行した時期と重なりました。

初期のアーツ&クラフツでは左のような上流階級のためのハイジュエリーが作られました。

身近に存在する、ありのままの自然にデザインを求めているのが特徴です。

時代が下り、庶民にまで流行が降りてくると安物が主流となります。その安物に多く使用されたのが、低品質のムーンストーンです。

シラーや透明度が重要なムーンストーンの場合、実物を見ないと正確な品質の判断はできません。

【参考】安物のアーツ&クラフツのムーンストーン&アメジストのシルバー・ネックレス(1900年頃)

でも、このネックレスは素材と作りで容易に安物と判断できます。

美しくないアメジストだけでも一目瞭然ですが、まずオールシルバーの作りが安物の証です。

ダイヤモンドの色味を邪魔せぬよう、シルバー・セッティングのハイジュエリーは存在しますが、その場合は裏側がゴールドバックの作りになっています。

高級小物であったり、例外的なジュエリーも存在するので短絡的に判断することはできませんが、良くない作りで安物と確定できます。

葉っぱの茎は、高級品ならばナイフエッジになっているはずです。

葉と茎の表現に見る品質の違い
王侯貴族のハイジュエリー 庶民用の安物
エドワーディアン アクアマリン ペンダント アンティーク・ジュエリー『ヴェルサイユの幻』
エドワーディアン アクアマリン ペンダント
イギリス又はヨーロッパ 1910年代
SOLD
【参考】安物のアーツ&クラフツのムーンストーン&アメジストのシルバー・ネックレス(1900年頃)

葉っぱはろくにデザインがないのも気になります。値段が安いことよりも、とにかく美しいことを追求する上流階級のためのハイジュエリーならばあり得ません。高級品の場合、繊細な彫金が施されるなり、小さなダイヤモンドを散りばめるなり、エナメルを施すなり、それぞれのセンスに合わせて細工されるものです。

様々な葉の装飾
安物 美意識が行き届いた上流階級のハイジュエリー
装飾なし 繊細な彫金 エナメル ダイヤモンド
【参考】安物のアーツ&クラフツのムーンストーン&アメジストのシルバー・ネックレス(1900年頃) エドワーディアン アクアマリン ペンダント アンティーク・ジュエリー『ヴェルサイユの幻』
ヨーロッパ 1910年代
SOLD
ペリドット&ホワイトエナメル ネックレス アンティークジュエリー『ゴールドオーガンジー』
イギリス 1900年頃
¥1,000,000-(税込10%)
初期アールデコのガーランドスタイルのトロフィー・ダイヤモンド・ネックレス『勝利の女神』
イギリス or フランス 1920年頃
¥6,500,000-(税込10%)

ハイジュエリーのバリエーションの豊かさは見事ですよね♪見ているだけでも楽しくなります♪♪

表現方法が異なると、雰囲気も随分変わるものですね。これこそが持ち主の個性を表す部分です。教養やセンス、美意識が強く反映されます。それぞれに技術と手間が必要で、それがコストとなり、ジュエリーそのものの価格にも反映されます。

安く早く大量生産するために、あらゆるコストカットが優先される安物にまともなデザインや作りが施されないのは当然と言えば当然です。

茎に関しては、高級品は全てナイフエッジになっていますね。美しい葉を惹き立てるために、茎はナイフエッジにして極限まで存在感を抑えられています。安物はその配慮がなく、茎が目立ち、その結果として美しくなく安っぽっく感じます。

【参考】安物のアーツ&クラフツのムーンストーン&アメジストのシルバー・ネックレス(1900年頃)

また、高級品だと揺れ方にも気を遣うものですが、これは上部のムーンストーンのパーツと下部のアメジストを連結するパーツが棒状の単純な作りになっているのも嫌です。

これでは全く揺れ方が美しくありません。

それでもこの時代は技術が低い職人による物とは言え、一応ハンドメイドです。

現代ジュエリーのように全く人の手による痕跡がないわけではありません。

これを"味"として喜び、楽しむ人もいるでしょう。

安物と理解した上で、アクセサリーとして気軽に楽しむには良いと思います。

しかしながら『アーツ&クラフツ』という名称が一種のブランドと化してしまい、高級品と安物の違いが分からぬまま、安物にまで法外な高値が付いて取引されるようになってしまった現状があります。

コレクターがいて値段が吊り上がっており、私たちが見て「えぇ?!!」と思うくらい、安物にまで高級品のような高値が市場では付いています。

【参考】安物のアーツ&クラフツのシルバー・ジュエリー(1900年頃)

安物は似たり寄ったりのデザインが多いです。

ジュエリーのオーダーに慣れている上流階級の場合は、自身がどんなデザインを必要としているのか理解し、的確にオーダーすることができます。

しかしながら庶民の大半は、そのような揺るぎない絶対的な物差しは持っていません。「皆と同じようなものを持っていれば安心。」、「お店の人がオススメというものを持っていれば間違いない。」という感覚で、似たものを率先して買い求めます。売る方としても、似たものを作る方が大量生産する上で楽ですし、同じような宣伝文句でPRすれば良いので売りやすいです。

その結果、当時の市場も似たり寄ったりの安物で溢れかえりました。

【参考】安物のアーツ&クラフツのムーンストーン・シルバー・ブレスレット(1900年頃)

私たちは見向きもしない安物ですが、現代のコレクターや、絶対的な美的感覚を持たない大半のアンティークジュエリー好きは、一目見て明らかにアーツ&クラフツ・ジュエリーと分かる、似たり寄ったりの安物を好みます。

まあこれは顧客に限ったことではなく、ディーラーも同じです。

アーツ&クラフツのハイジュエリー
妖精のダイヤモンド・ピアス アンティーク・ジュエリー妖精のダイヤモンド・ピアス アンティーク・ジュエリー
『妖精のささやき』
ダイヤモンド・ピアス
イギリス 1880年頃
SOLD
ダイヤモンド フラワー ブローチ アンティークジュエリー
『フラワー・ステッキ』
ダイヤモンド フラワー ブローチ
イギリス 1880年頃
SOLD

身近にあるありのままの自然にデザインを求めたという点で、これらもアーツ&クラフツ・ジュエリーとカテゴライズできます。ただ、社交界で使用される上流階級のハイジュエリーは、個性を出してこその世界です。高いお金を出して、他人と同じようなものを作る人なんていません。

だからハイジュエリーは類似のものがなく、安物とは目利きに仕方が全く異なります。顧客側にもある程度の美的感覚が必要とされます。唯一無二のものばかりだからこそ、知識で選ぶことができないのです。

類は友を呼ぶ。Genも私も自分の持つ絶対感覚で選べます。アンティークジュエリーというジャンル自体がヨーロッパでも確立されていない黎明期、日本で初めてアンティークジュエリーを見出し、ディーラーとなったGenが知識でしか選べなかったとしたら、何も始まりませんでした。知識で選べるものではないからこそ、Genが一生懸命に育てようと何度も労力やお金を投じて努力しても、後継者は一人も育ちませんでした。だから私の最初のルネサンスでのお買い物にはとても驚いたそうです。40年間(当時)でこんな人はいなかったということで、驚きのあまり、仲良しのロンドンのディーラーにわざわざ電話ですぐ報告したほどだそうです。

私はGenと同じ感覚で最初から選ぶことができました。今より遥かに知識が浅かった頃の、最初の買付けから選ぶものはブレていません。以前は同じものを見たら皆同じように感じ、同じように選んでいるものと想像していました。しかしながらこれは他の人には無い特殊な能力だと理解し、私以外にはGenと同じレベルの仕事はやれない、私がやらなければならないと確信したからこそ、楽な生き方ができるサラリーマンを辞めました。年齢差があるからこそ一緒に仕事ができる時間は限られますが、同じクオリティの仕事が2人分の寿命を使ってできるので、私の寿命が来る頃には、一人の人間がやるのでは不可能なレベルの壮大な知見が構築できていると想像します♪

アーツ&クラフツのハイ・ジュエリー
親鳥から蛇が卵を奪う野生を表現したイギリスのアーツ&クラフツのゴールドペンダント『WILDLIFES』
アーツ&クラフツ×モダンスタイル ゴールド・ペンダント
イギリス 1900年頃
SOLD
循環する世界を表現したダイヤモンド・ジュエリー『循環する世界』
アーツ&クラフツ ギロッシュエナメル ブローチ
イギリス 1880年頃
SOLD
レイトヴィクトリアンのGUBSON社のハーフパールのお花のブローチシードパール フラワー ブローチ
イギリス(GUBSON社) 1880〜1900年頃
SOLD
身近に存在するありのままの自然と言っても、多種多様です。知識的にご説明はしておりますが、顧客側もある程度の美的感覚を持っていなければ理解はできませんし、自信を持って選べません。

まだ道半ばですが、HERITAGEには感性を同じくするお客様が自然と集まります。ここには知識だけで判断が可能な、見ただけで万人に分かりやすい安物は一切ありません。

安物専門店には安物好きな人が集まり、高級品しか嫌な方はHERITAGEに引き寄せられます。まさに類は友を呼ぶで、宝物がつないでくれる、時空を超えたご縁です。良い持ち主によってオーダーされた宝物は、HERITAGEを時空のクロスポイントとして、それが理解できる人の元に旅立ちます♪

【参考】安物のアーツ&クラフツのムーンストーン・リング(1900年頃)

宝石の種類やサイズだけを殊更に気にし、品質、すなわち美しさをなぜか全く気にせず判断する人が多いのは今も昔も変わりません。

『ムーンストーン』は上流階級に流行している高級宝石!!

そのイメージの元、アーツ&クラフツの安物ジュエリーに低品質のムーンストーンが多用されました。

そして、現代のアンティークジュエリー市場に溢れかえっています。

1-3-2. アール・ヌーヴォーのムーンストーンの成金ジュエリー

世界的に見ると、ムーンストーンのジュエリーで有名なのはアメリカのティファニー社やフランスのルネ・ラリックです。

双方とも特に戦後、直接関係ない人たちが金儲け目的で大衆向けにブランディングを強化した存在です。金儲けのためのストーリーに過ぎないものであっても、生まれたてのヒヨコ状態であった大衆の多くは"権威"や"専門家"のお言葉として鵜呑みにし、現代に至ります。

王侯貴族の時代が終焉を迎えた戦後は"成金セレブ"が耳目を集め、大衆の憧れの存在となっています。戦前も成金セレブは存在しましたが、それよりも遥かに格上の存在として財力・知識・教養豊富な上流階級が存在しました。成金セレブからの評価とは別に、上流階級からの評価軸がありました。

この辺りを踏まえ、少しご説明しておきましょう。

1-3-2-1. 1900年のパリ万博
第5回パリ万国博覧会のパノラマビュー(1900年)

ティファニーやラリックが万人を含めた世界的な知名度を誇るようになったのは、1900年のパリ万博の頃からでした。この万博は『アール・ヌーヴォーの祭典』とも呼ばれ、都市の消費文化が繁栄を極めた"ベルエポックの頂点"とも言われたほど大きな祭典となりました。

ヨーロッパが疲弊し、王侯貴族が大きく力を失うこととなった第一次世界大戦前の万博です。今となっては、第一次世界大戦以前の世界を体感して知る人はもう誰もいないですね。

アール・ヌーヴォーの祭典(パリ万博)で注目を集めたビッグ3
ロシアのファベルジェ商会 アメリカのティファニー社 フランスのルネ・ラリック
ピーター・カール・ファベルジェ(1846-1920年) チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) ルネ・ラリック(1860-1945年)

パリ万博では、芸術的かつラグジュアリーなメーカー『ビッグ・スリー』として、以下のジュエラーが注目を集めました。

 ・ロシアの天才プロデューサーのファベルジェ
 ・フランスのアールヌーヴォーの巨匠ルネ・ラリック 
 ・アメリカの天才ルイス・カムフォートのティファニー

ファベルジェ商会はロシア皇室御用達として、既に世界中の王侯貴族から定評がありました。

1-3-2-2. 1900年頃のアメリカのティファニー社
1848年のフランス二月革命(19世紀)カルナバル美術館

ティファニー社は1837年に高級な文房具や装飾品を扱う店として、ニューヨークのブロードウェイで創業しました。1848年のフランス二月革命のチャンスに、貴族から重要な宝飾品を買い集めて宝飾市場に参入しました。

HERITAGEのようなお店をご想像いただければ良いと思います。王侯貴族の時代の終焉と共に、優れた職人の手仕事による価値あるジュエリーは制作できなくなってしまいました。故に、戦前までの価値あるジュエリーとして私たちは『アンティークジュエリー』をお取り扱いしています。でも、私たちはアンティークであることに固執していたわけではありません。

元々Genはヨーロッパに興味があり、輸入関連の仕事をしたいと考えていました。1977年にヨーロッパに初めて視察に行った際は、特に古いものや新しいものに限らずあらゆるものを見て回りました。その結果感じたのが、「やっぱり日本だけでなく、ヨーロッパも古いものの方が優れている。」ということでした。最初の買付けは小物がメインでしたが、2回目の渡英で運命に導かれたかのような出逢いがあり、アンティークジュエリーの仕事をメインにすることになりました。

私たちに共通する意見ですが、本当に優れていて価値があるものと感じられれば、現代のものでも扱う気持ちがあります。しかしながら、私たちが価値があると思えるものがアンティークの時代に作られたものの中にしかないため、必然的にアンティーク専門となっています。

創業者チャールズ・ルイス・ティファニーの時代はリアルタイムで王侯貴族のためのハイジュエリーが制作されていたため、『アンティークジュエリー』ではなく『価値ある高級ジュエリー』を扱う専門店という形になったわけです。

ティファニーのこの宝飾事業は大成功を収めました。しかしながら、革命のようなラッキーな買付けチャンスはそうあることではありません。そこで、自社生産できる体制を構築していきました。仕入れて売るのと、自分でゼロから作り出すのとでは全く異なります。目利きする能力と、クリエイティブな能力は異なるものです。

当時のヨーロッパから見れば、アメリカはできたばかりの新しい国であり、粗野で文化的にも未熟なイメージが強くありました。文化的発展途上国。自己顕示欲の強い成金の国。それがヨーロッパから見たアメリカでした。

 アメリカ人なんかに、繊細なジュエリーを作る技術なんてあるのか?
 アメリカ人なんかに、ヨーロッパの上流階級とまともに話せる知識や教養はあるのか?

アメリカ合衆国には王侯貴族は存在しません。万人が『平等』というのは良いことですが、「万人に認められたい。」、「人より優れた存在で在りたい、そう思われたい。」と望み、成り上がりたいと願う人も必ず一定数存在します。だから志高く平等社会を作っても、最終的には必ず破綻する運命にあるのかもしれません。

それはさておき、万人に認められるために重要となるのが、ヨーロッパの上流階級に認められることでした。ヨーロッパの上流階級にさえ認められば、ヨーロッパの庶民にも、全てのアメリカ人にも認めてもらえるような『お墨付き』を得たのと同義です。

ティファニー最盛期を作った創業者時代の人材
カリスマ統括者 天才デザイナー 鉱物・宝石学の権威 神技の職人
チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) ジョージ・パウルディング・ファーナム(1859-1927年) 副社長ジョージ・フレデリック・クンツ(1856-1932年) 【パリ万博 グランプリ受賞】『アイリス』
©Walters Art Museum/Adapted/CC BY-SA 3.0

カリスマ創業者チャールズ・ルイス・ティファニーの元、ティファニーには必要とする様々な分野の完璧な人材が揃いました。

ヨーロッパの王侯貴族に認めてもらえるよう、デザイナー部門の初代統括者エドワード・C・ムーアはアーティスト達に、世界中の様々な年代のジュエリーや工芸品から勉強するよう指導しました。メトロポリタン美術館のパトロンとしてたくさんのコレクションや図書を寄贈し、アメリカの芸術文化の向上に貢献しています。そうして制作したジャパネスクおよび考古学風の作品は、ムーアの代表的な作品として有名です。ジャパネスク(ジャポニズム)や考古学風のジュエリーは、ヨーロッパ上流階級の知的階層から高い人気がありました。

そのムーアの元で若くして頭角を現し、19世紀に於ける傑出したデザイナーとしてパリ万博出展作品をデザインしたのがジョージ・パウルディング・ファーナムでした。

さらに、アメリカの未だ知られざる宝石を発見したいと情熱に湧くジョージ・フレデリック・クンツも、カリスマ創業者の元にやってきていました。新しい発見や学術的なことも、ヨーロッパ上流階級の知的階層が大いに好むものです。

経営者としての能力だけでなく、人の才能を見抜き、最大限にまで引き出す才能と、そういう人たちから慕われるカリスマ性が創業者にはあったのでしょう。

1812年生まれのチャールズ・ルイス・ティファニーにとって、88歳で迎えた1900年のパリ万博は人生の集大成だったと言えます。アメリカの新発見の宝石、モンタナサファイアを使った『アイリス』はティファニー社に初となる万博ブランプリ(最高章)をもたらしました。

ティファニー創業者チャールズ・ティファニーの邸宅(マディソン通り 1893年)

1902年、創業者ティファニーは自宅にて90歳で大往生しました。通常、カリスマ創業者によって全盛期が作られ、2代目は現状維持がやっとと言うか、現状維持ができれば御の字ですね。先細りしつつも創業者が残してくれた過去の威光で維持し、それが消え失せる3代目頃に潰れるというのが歴史の定めです。

ティファニーが最も魅力あるものを生み出し、高い評価を得るタイミングとなったのが1900年のパリ万博でした。皆で一丸となって一つの目標を目指し、追いつけ追い越せと頑張れた、一番パワフルだった時代です。

1-3-2-3. 1900年頃のルネ・ラリック
ルネ・ラリック(1860-1945年)

ルネ・ラリックは1860年生まれのフランス人です。

1870年の普仏戦争でフランス皇帝ナポレオン3世がドイツ軍の捕虜となり、廃位されてフランスは共和政に移行しました。

自国の王侯貴族の時代を、ほぼ知らない世代と言えます。ただ、まだ各国に王侯貴族が存在しました。

職人の街パリには世界中の王侯貴族が訪れて買い物をする、文化的中心地として機能していました。

パリで育ったラリックは1876年、16歳頃に宝飾工芸家・金細工師ルイ・オーコックに師事し、1878年から1880年まではロンドンのシデナム大学で学びました。

ヴァンドーム広場(パリ一区 1890〜1900年頃)

帰国したラリックは1882年頃からフリーランスとしてアーティスト活動を始めました。1885年にはパリのヴァンドーム広場にアトリエを構えるまでになっており、主に女性向けの高級ジュエリーをデザインしていました。

カルティエなど著名な宝飾店にも作品を提供していました。これは当時よくあることでした。優れた職人は優れたデザイナーでもあり、デザイナー兼職人として活躍するアーティストは一定数存在しましたが、経営や営業などの才能はまた別です。地道に活動している和傘職人の知り合いがいますが、営業やその他の雑務が本当に多くて制作に専念できないと嘆いていました。当時は家族経営で役割分担したり、余裕があれば人を雇いますし、それができない場合はどこかの店に卸して顧客への販売は任せるという形にします。

そういうわけで、店のブランド名で選ぶ行為は本来ヘンテコなのです。誰が作ったのかで出来栄えも違います。店の信用に関わりますから、置く価値があるかどうかは厳選されます。でも、ブランド名で買う類の人たちは、カルティで買ったラリックのジュエリーというのはどう位置付けるんでしょうね。カルティエ製とドヤるのでしょうか、ラリック製とドヤるのでしょうか(笑)

このラリックの顧客として有名だったのが、当時のフランスの大衆のスター、サラ・ベルナールでした。

来日したロシア人音楽家エフレム・ジンバリストを出迎える帝劇付属技芸学校第一期生で女優の村田嘉久子と森律子(東京駅 1922年)

日本も王侯貴族の時代が終わった戦後は、大衆のスターやファッションリーダーとして女優が持て囃されるようになりました。

『女優』に対するイメージは、実は世代によって大きく異なります。憧れの存在とする世代もあれば、多様化した現代ではあまり興味の対象にはなっていないようにも感じます。

王侯貴族が存在した時代は、あまり良い印象ではありませんでした。

左は帝劇付属技芸学校第一期生で、女優の村田嘉久子と森律子です。

芸を見せてお金をもらう『芸人』は元々日本では卑しい職業と見られており、新しくできた"女優"もそこにカテゴライズされました。


初期の女優・森律子と父で元・松山藩士/衆議院議員の森肇(1912年以前)

森律子は士族で代議士の父を持つ、お嬢様でした。しかしながら当時、女優は卑しい職業とされていました。真偽は不明ですが、卒業した跡見女学校の同窓会から除名されたという話があります。また、1916年に第一高等学校1年生だった弟の房吉が鉄道自殺していますが、律子が運動会を観に行った際、女優のような下賎な者を学内に入れるのは学校の名誉に関わると学生らから退出を求められ、それを苦にして翌日自殺したものと言われています。

自殺の本当の原因は本人だけが知る所ですが、今よりも遥かに名誉を重んじ、時には名誉や愛のために死をも選ぶ時代でしたから、あってもおかしくないとは感じます。

どちらにせよ、このようなエピソードが語り継がれていること自体が当時、卑しい職業と見られていた証と言えます。上流階級が存在した時代はいかに知名度や名声があろうとも、上流階級と女優では一般大衆が持つイメージが全く違ったのです。

お嬢様出身の女優はまた別ですが、普通の女優はどんなに人気があっても、上流階級のような教養も財力も持ちません。全く別の存在です。女優は大衆のスターにはなったり、上流階級の男性が火遊びしたりする対象とはなっても、上流階級の女性が憧れる存在にはなり得ません。当時は言及する必要もない"常識"でしたが、勘違いする現代人が多い部分なので注意が必要です。

分かりにくくさせている理由の1つが、良家出身の女優が存在していることでしょうか。本当に良い女優になるには、上流階級も認めるような高い教養が必要でした。両家の子女の中にも表現者になりたいと純粋に思う人や、大衆の憧れの存在や有名人になりたいという自己顕示欲を持つ人もいたでしょう。初期は身分を問わずハイクラスの人が集まりましたし、良家出身の有名スターの存在は『女優』そのものの地位の向上にも貢献しました。1947年に貴族が廃止され、1945年から1952年にかけて財閥も解体され、大衆の憧れの存在から上流階級・元華族や財閥の御令嬢などの選択肢が消えていきました。その結果、女優などのスターが憧れの存在としての地位を高めて現代に至ります。

テオドラに扮する同時代の上流階級と舞台女優
本人 イギリスの上流階級 舞台女優
東ローマ帝国テオドラ皇后(在位:527-548年) ランドルフ・チャーチル夫人:チャーチル元首相の母(1897年) サラ・ベルナール(1900年)

王侯貴族が世界を主導したアンティークの時代は歌劇の演目も、社会全体に影響力があってパトロンにもなれる上流階級に気に入ってもらってこそでした。だから、上流階級が好むような題材が多く選ばれたのは事実です。

1897年はヴィクトリア女王の即位60年となるダイヤモンド・ジュビリーを祝い、上流階級が様々な歴史上の人物に仮装した大舞踏会が開かれました。本物の上流階級が歴史上の有名な上流階級に仮装した姿は気品と荘厳さ、華やかさに満ち溢れ、写真集も出たほどでした。現代風に言うならば『コスプレ・パーティ』ですね。知的な要素が多分に存在するのが上流階級です。

衣装はその時しか使いませんが、その1回だけのためにとんでもないお金を使うのが上流階級です。この時はたまたま出版されて衆目にも触れる所となっていますが、大衆からの評価は蛇足です。上流階級にとっては社交の席で、いかに集まった上流階級から高く評価されるかが重要です。1回のために財力や知力、センスを全力投入するのは当たり前のことでした。その高いレベルで切磋琢磨するのです。そうしてこそ新しい文化が創られ、磨き上げられていくのです。

女優側ももちろん全力投入はします。ただ、財力も知力も教養も限界があります。女優の場合は1回ではなく、公演中は何度でも同じ衣装を使いますが、それでも上流階級ほどのお金は使えません。

さらに、遠くからでも観衆の目を主役である自分に引くための道具なので、目立ってナンボです。派手で、見て分かりやすい衣装でなくてはなりません。教養や知識を以って"見る"、上流階級の衣装とは元々の目的が異なります。

クレオパトラに扮する同時代の上流階級と舞台女優
イギリスの上流階級 舞台女優(フランスの大衆のスター)
アーサー・パゲット夫人(1897年) サラ・ベルナール(1899年)

見る目がある人、教養と美的感覚を持つ上流階級から見られることを強烈に意識しているため、上流階級のドレスや衣装、小物などは非常にお金がかかっていますし、放たれる高級感や格調高い雰囲気、溢れる気品は見事なものです。

それと比べると、なるべく安く抑えながらも目立つことを第一に作られた女優の衣装は、遠くから見るには良いかもしれません。でも、近くで見るとチープ感が酷く、舞台以外では使う気分になれないような代物です。

女優が良いもの、憧れの存在と思い込んでいる人にはこれらの衣装も良いもののように感じられるのかもしれませんが、それは『裸の王様』と同じ現象が起きているだけです。


『裸の王様』(ハンス・クリスチャン・アンデルセン 1837年)

『裸の王様』は有名です。でも、この話を聞いて、自分事として考えられる人はどれくらいいるでしょう。他人事として捉え、王様たちをバカにする人が、王様たちのようではないとは言えません。案外、思い込みによっておかしな状況になっていることを人は理解できないものです。だからこそ問題なのです。

権威やブランドが良いもの、正しいものと言っている物事を、盲信的に良いもの、正しいものと信じ込む。これは現代ブランドや現代アートの世界でもごく普通に起きていることです。

『裸の王様』が出版されたのは200年近くも前ですが、当時もこの状況はあったということでしょう。今では日本も含めて全世界で広く読まれており、人間の普遍の心理のようにも思います。このように啓発されても、いつまでも改善がないのは、渦中にある人は認識自体ができていないからです。

PDラリックが不倫中の恋人アリス(後の2番目の妻)のためにデザインしたネックレス(1897-1899年頃)
メトロポリタン美術館

ラリックもその見本のような事例の1つです。日本で殊更に高く評価されています。

正直に申し上げますと、この仕事を始める前、アンティークジュエリーというジャンルの存在を知る前からラリックの名前自体は知っていましたが、何が良いのか分からず、興味を持ったことがありませんでした。実際、Genもラリックの評価はイマイチです。

これ、着用したいと思いますか?

アート的に見物して、「わー、凄いですね。」と感想を言う程度の暇つぶしにはできますが、大金を出してこれを買って着用するかと言われれば、私は無理です。『凄い』という言葉は便利です。必ずしも賞賛とは限らず、色々な意味を含むことができます。

ラリック信仰は、ブランド化して儲けたい業界人によって意図的に作られた、日本のローカルな新興宗教に依るものです。仮にラリック教と呼びましょう。

Genは日本初のアンティークジュエリー・ディーラーです。最初は業界自体が存在せず、誰もアンティークジュエリーなんて知りませんでした。米沢から東京に出て、日本初のファッションビルの1つ『ベルビー赤坂』開業に伴って出店する折、米沢箪笥のご縁で知り合ったオランダ系アメリカ人の親友ハイネケンから受けた助言があります。なるべくアンティークジュエリーの存在は知られない方が良いから、店名も見ただけれはそれと分からないようにした方が良いよと言われたそうです。それで『Atelier Katagiri』と付けました。

8歳上の親友は世界を股に掛けて活躍していた元営業マンで、名前からご想像できる通り、某有名なグローバル企業の親族です。日本の優れた手仕事の美術工芸品を気に入り、脱サラして好きな仕事を始めた、私と同類のような人物です。

目利きや人柄のみならず、販売戦略を立てられるかなり頭も切れる人物だったようで、知られるとすぐに真似する人が出てくることを予期しての助言でした。結局、Genが信頼していた人物が、自分が儲けたいがために簡単に裏切って大宣伝したり、良いものは口コミで伝わるのも早いということもあり、あっと言う間に後続が出てきて幅を利かせるようになっていきました。

本当に良いものを、なるべく多くの人に知ってほしいという思いでGenは始めましたが、こういう新しいジャンルに目を付けて飛び込んで来るのは往々にしてカネの臭いなどを嗅ぎとった、金儲けをしたい人たちや成り上がりたい人、自己顕示欲の高い人たちです。もちろん全員とは言いませんが、一見すると華やかに見える業界なので、ご想像には難くないと思います。

『ドラゴンフライ・レディ』(ルネ・ラリック 1903年)グルベンキアン美術館
"René lailique, pettorale libellula, in oro, smalti, crisoprazio, calcedonio, pietre lunari e diamanti, 1897-98 ca. 01 " ©Sailko(14 September 2016, 13:37 24)/Adapted/CC BY 3.0

ほぼ一致していると言えるくらい、美的感覚やセンスが共通するGenと私ですが、厳密に言うならば、Genはより純粋で穢れなき感覚を持っています。私は"センス"の観点ではある程度、許容範囲が広いです。それでもこういうものは生理的な嫌悪感を感じます。Genは絶対に無理な作品です。

こういう物も、市場にあっても買付けしません。「作りは良いけれど、デザイン的に無理!」と判断する作品です。

これは奇を衒うことで衆目を集める作品です。気持ち悪いので絶対にジュエリーとして身につけたいと思いませんし、一回見てギョッとするだけでお腹いっぱいです。ただ、強いインパクトを残すことはできます。まさに舞台女優や成金向けの作品と言えるでしょう。

鶏のティアラ(ルネ・ラリック 1897-1898年)グルベンキアン美術館
"Tiara de Lalique - Calouste Gulbenkian" ©Antonio(23 August 2008, 09:23:58)/Adapted/CC BY-SA 2.0

このティアラも、頭に付けたいと思われるでしょうか?

『裸の王様』のような人であれば、「偉大なるラリックの作品だから付けたい!」と思うかもしれません。

舞台で鶏役をしている人だったら違和感は感じませんが、これを通常のパーティで付けた人がいたら私はギョッとし、失笑を抑えきれないはずです。技術的には素晴らしいんですけどね。まあ、よくあることです。ラリックに限らず、作りは良くてもセンスがダメというものは本当に多いです。

『蝉』(ルネ・ラリック 1860-1945年)グルベンキアン美術館
"Cigales Lalique Musee Gulbenkian" ©Yelkrokoyade(13 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

これは"ラリック=良いもの"という洗脳下にあるラリック教徒ならば賞賛するかもしれませんが、デザインが平面的すぎるのと、彫金も甘くて、作りの点でもHERITAGE基準では不合格です。

しかし、ラリックに名声があったのは事実です。どういうことだったかと言うと、文化的な中心地として女優や歌手も活躍していたパリで、女優などに支持されました。奇を衒い、派手さで目立つことで人目を引けます。細部まで作り込んでいるわけではないので、派手さの割には安く感じる価格です。

大衆のスターとして君臨する高名な女優に支持されるジュエラーとなれば、当然ながら成金も注目します。上流階級の真似をして、アメリカなどの新興成金たちもこぞってパリで買い物した時代です。

オートクチュールの父シャルル・フレデリック・ウォルト(1825-1895年)30歳頃 新興成金と上流階級の買い方の違いは、オートクチュールの父シャルル・フレデリック・ウォルトの発言からも想像できます。

ウォルトはイギリス人でしたが1858年にパリで店を開き、皇帝ナポレオン3世時代はウジェニー皇后御用達として豪華なイブイングドレスや宮廷服、仮面舞踏会の注文を一手に引き受けました。

フランス皇后御用達として確固たる地位を確立したウォルトのメゾンには、フランスが共和政に移行した後も金めっき時代に湧くアメリカの新興成金たちが押し寄せました。

ロシアの皇族用の宮廷服(ウォルトのメゾン 1888年)インディアナポリス美術館 【引用】wikimedia commons ©Indianapolis Museum of Art

ウォルトの商品は、当時の人たちにとって目眩がするような価格でした。

それ故に顧客も限られた富裕層のみで、大衆にとっては有名人だけが着用できる憧れのブランドであり、到底手が出るものではありませんでした。

ウォルトの顧客
上流階級 女優など大衆のスター 成金
ウォルトのメゾンのドレスを纏ったオーストリア皇后エリーザベト(1837-1898年) フランスの舞台女優サラ・ベルナール(1844-1923年) ヴァンダービルト家の仮装舞踏会で『電気照明』に扮したアリス・ヴァンダービルト(1845-1934年)

その、大衆の憧れの有名人として3種類が挙げられます。1つは上流階級です。オーストリア皇后エリーザベトやイギリス王妃アレクサンドラなど、各国の王室クラスも顧客でした。

大衆のスターとしては女優サラ・ベルナールの他、オペラ歌手ジェニー・リンドや女優リリー・ラングドリーなどもいました。アレクサンドラ妃の夫、イギリス国王エドワード7世の愛人としてはサラ・ベルナールが有名ですが、リリー・ラングドリーも愛人の一人でした。エドワード7世は売春婦を除いて101人の愛人がいたとされますからね。20歳の時、最初のお相手となったのも女優ネリー・クリフデンでした。当時、女優や歌手などは高級娼婦の一面もあり、サラ・ベルナールでも、稼ぎが良いからという理由で有名になった後でも高級娼婦をやっていたことが知られています。自分も成り上がりたいと憧れる庶民の女性は別として、一般的には卑しい仕事とみられ、上流階級の憧れの対象にならなかったのは当たり前と言えば当たり前なのです。

さて、ウォルトの顧客として特に目立ったのがアメリカの新興成金でした。ヴァンダービルト家のアリス・ヴァンダービルトもその一人でした。

オートクチュールの父シャルル・フレデリック・ウォルト(1825-1895年)

ウォルトはアメリカ人との仕事が大好きでした。

イギリス出身のウォルトがフランス語は流暢ではなかったこともありますが、それ以上にポイントだったのはアメリカ人女性が3Fを持っていたからだそうです。

 信頼(Faith)
 容姿(Figure)
 フラン(Francs)

この中で、容姿ははっきり言ってオマケです。おべっか的なオマケと見做せます。

重要なポイントなのは、信頼とフランです。

容姿は個人差があります。上流階級の美醜はありますし、アメリカの新興成金も美醜があります。大衆のスターについては、美しい容姿の人ばかりだったかもしれません。しかしながら楽して金儲けしたい人にとって、容姿は優れているに越したことはないものの、割りとどうでも良い部分です。

それよりも、いかに大金(Francs)を払ってくれるかが重要です。王族クラスの上流階級も、アメリカの新興成金も問題なく大金が払えます。

ただ、オーダー経験豊富で美的感覚がしっかりしている上流階級は自分が欲しいものを理解しており、要求が厳しいです。優れた職人ならば自分がレベルアップできるきっかけにもなるので、難しい注文や新しいことへのチャレンジを喜びます。しかしながら楽して金儲けだけしたい経営者気質の人だと、コストや手間のかかる面倒なオーダーを嫌がります。

信頼(Faith)とは、実は人をバカにした嫌味な言い方です。オーダー経験が未熟で、何をどのようにオーダーしたら良いのか分からないアメリカの新興成金は、ウォルトが勧めるがままお金を出します。皇室や王室、有名なスターを顧客に持つウォルトが勧めるものならば、間違いないだろう。

中には絶対的な美的感覚と優れたセンスを持つ新興成金もいたと思いますが、大半はよく分からないまま、勧められるものを文句も言わずそのまま買っていたのでしょう。

信頼。販売者側が売りたい物、すなわち楽して儲かる物に、言われるがまま喜んで大金をはたいてくれる。楽して儲かる物と言うのは、作るのに労力もコストもかからないものということです。アメリカ人と仕事をするのが好きだというのは、結局は楽して儲かるからということです。

新興成金が勢力を増した結果、この頃からモノづくりが劣化していく傾向は見えていたということです。

『メデューサ』(ルネ・ラリック 1860-1945年)
"Medusa by Rene Lalique22" ©HTTPS://www.flickr.com/photos/shadowgate(31 December 2006)/Adapted/CC BY 2.0

ラリックの作品は時代の波に乗り、大衆のスターや成金から評価されました。ただ、上流階級には全く受けませんでした。当たり前です。これはアートとすら思えません。グロテスクで気持ち悪く、悪魔崇拝者が悪魔教を普及させるために作ったのかと感じるような趣味の悪さです。

『裸の王様』では、「あれ?王様、裸じゃないの?」とおかしさに気づく人はたくさんいました。でも、「バカには見えない」、或いは「姦通から生まれた者には見えない」とされていたため、それを指摘する者はいませんでした。結局子供、或いは馬丁の黒人が「王様は裸だ。」と、見た通りの発言をしています。

「持て囃されているラリック様の作品が素晴らしいと感じないと、アートを見る目がないといことになる。」
その恐怖心もあって、成金や一般人は「意味が分からない」、「理解できない」、「変だと思う」とは言えなかったかもしれません。そして、これが素晴らしいアートだと思うよう、自己暗示すらかけていた可能性すらあります。

1900年のパリ万博ではビッグ3として世界中の注目を集めたラリックでしたが、1905年頃を境にして著しく人気が凋落し、評論家たちは手のひらを返したように作品を「陳腐だ!」、「悪趣味だ!」と、悪評を浴びせかけるようになったそうです。

自称評論家も、信頼に値するか疑問があるような怪しげな人が多いですよね。この現象は、有名になり上流階級たちの目にさらされたラリックの作品に対して、絶対的な美的感覚を持つ一部の上流階級たちが、先ほどの私のような発言を繰り返したことによると推測します。

自称評論家は絶対的な美的感覚は持っておらず、自分の物差し(感覚)で批評するのではなく、様子を伺い簡単に方向を変える風見鶏みたいなものです。但し、彼らは決して愚か者ではありません。むしろ能力的には一般人より遥かに優秀です。

まず、メタ認知能力は必須です。自分は"見る眼"がないことを理解し、それを受け入れる能力すらもあります。才能無きことを受け入れる能力が無ければ、まさにプライドに狂わんばかりになります。彼・彼女らは優秀なので、その上で誰を参考にすれば良いのかも精度良く見極めます。自分に無い能力は、他者から引っ張ってくれば良いという考えです。常に同じ人を参考にしていれば安泰とは思っていません。 世の中の潮流を見極める能力も極めて高く、適宜参考対象や発言は時流に応じて柔軟に変化させます。怠惰な人でも無理です。客観的な自己を認識し、プライドを制御し、世の中の全体像を把握して自身の行動に落とし込むことができる、本当に優秀な人たちです。

影響力のある成金たちが持て囃し始めれば、極めて早い段階で持て囃し始めます。いざ、影響力の強い上流階級が悪趣味だと非難するのを見るや否や、それまでの発言はまるで無かったかのように叩く側に回ります。君子豹変すとでも言うべきでしょうか。良く無い意味ですが(笑)普通の人はそれを無責任で恥ずかしい行為と思います。それを恥ずかしいとも思わない、厚顔無恥な人が評論家になれます。

ただ、ある意味そういう人たちが世の中の評価基準を構築しているとも言えます。鵜呑みにして振り回される大衆が多いからこそ存在できる構図です。結局は判断を他人に任せる大衆が大多数を占める限り、変わりません。大多数の人は美的感覚がないからこそ頼る術が欲しいということで、評論家や雑誌などの情報媒体は無くなりません。必要とされている存在です。それは今も昔も変わらないようです。

『風の精神』(ルネ・ラリック 1860-1945年)
"Lalique "Spirit of the Wind" Mascot - Flickr - ingridtaylar" ©Ingrid Taylar from Seattle, WA, USA(12 April 2009, 1:15)/Adapted/CC BY 2.0

こうして批評家が手のひら返しをした結果、ラリックのジュエリーは成金にすら売れなくなってしまいました。このため、1912年の宝飾品の展示会を最後に、ガラス工芸品の製造に専念するようになりました。

奇を衒うだけの戦法はネタ切れを起こしやすく、陳腐化しやすいです。また、驚かせるには極端化させ続けるしかなく、あきられるのも早いです。本当にラリック的なものを好む人も一部にはいたでしょうけれど、需要が一巡すれば売れなくなるのは自然な流れです。

どうでも良いですが、これも禍々しさを感じて気味が悪いです。

『スカラベ』(ルネ・ラリック 1860-1945年)グルベンキアン美術館
"Scarabe Lalique Musee Gulbekian" ©Yelkrokoyade(13 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

上流階級の支持を獲得できれば成金や大衆のスターの支持を得たのと同然ですが、逆はありません。これも一応、上流階級好みのモチーフとしてスカラベをデザインしたのでしょうけれど、こういう悪趣味で気持ち悪い造形は何か違うんですよね。一度見たら忘れない、インパクトのあるデザインは大衆のスターや成金に人気を得たものの、上流階級の支持を得られず、凋落しました。

そこに目をつけたのが、アンティークジュエリーをブランディングして一儲けを狙った日本人でした。

ラリックのジュエリーがさも、昔も今も欧米で高く評価されているかのように謳い、日本でブランド化しました。

制作期間が短い故に数が少なく、作風が分かりやすく、一度見たら忘れないデザインは、ブランド化するには都合が良いです。一方で、欧米では評価が低い故に、安く手に入れることができました。安く手に入れ、ブランディングして高く売ってボロ儲けする。或いは美術館などの客寄せパンダとしてもバッチリです。

ヨーロッパの物は何でも無条件に良いものと思う世代にハマったことで、この取り組みは成功しました。日本で持て囃された結果、ヨーロッパ市場でも値段が吊り上がり、ラリックのジュエリーは現代の成金や庶民から新興宗教のように信仰されるようになりました。

日本初のディーラーだったからこそ、Genも手に入れようと思えば手に入れることは容易でした。でもそうしなかったのは、当時の上流階級と同様に価値があると感じなかったからです。

ラリック信仰は状況を考えると滑稽にしか見えませんが、これが一般的な日本人の庶民の美的感覚なのかと悩ましくも思います。美的感覚が鈍いのではなく、人が良すぎて、偉そうな人に言われたことを素直に信じてしまいやすい性質のせいだと想像します。これを読んだ方は、素直に感覚で判断されれば良いと思います。ヘンテコだと感じても、決しておかしくはありません!

ラリック教を利用して信者からカネを巻き上げ、名声を高めたい教祖たちは、当時の評論家や上流階級から陳腐で悪趣味と評価された事実は絶対に語りません。そして、それを非難することはお門違いです。嘘は付かず、教祖らにとって不要な情報を敢えて話していないだけです。詐欺師と同じ戦術ではありますが、疑問を感じない感覚のなさ、あるいは疑問に感じても調べもしない怠惰を棚に上げて非難するようでは、また別の教祖や詐欺師にコントロールされるだけです。

サラリーマン時代は社内留学で企画系の仕事に携わった経験があり、また個人的なコネクションや現在の立場もあって、美術館や企画展などの運営側の内部事情をある程度知っています。皇族や有名人、その他いわゆる『上級国民』などが参加する美術館のパーティに出席した際、現代アート系の美術館の雇われ館長と話す機会がありました。その時の企画展の展示について、実は今回の作品は自分にも良さがよく分からないとこっそりコメントされて、ドン引きした記憶があります。全く別の企画展で、取り仕切りを担当したプロジェクト・マネージャーが、実はアートはさっぱり理解できないから美術館にも博物館にも行かないと平気でコメントしていて、これまたドン引きした記憶があります。

こういう人たちは、専門家をひっぱってきて権威付けや箔付けします。その専門家に本当に専門性があるのか見極める才能はありませんし、専門性が本当にあるかどうかはどうでも良いです。権威付けや箔付けに有効でさえあれば・・(笑)

こうして誰も理解していない、虚飾の世界が出来上がります。分からない人が企画し、分からない人が集めて権威付けした展示。それを価値あるものと思い込めるような、見ても理解できない観覧者が訪れ、理解できていなくても理解できたと思い込みながら褒め称える。そうやって展示会は大盛況に終わるという、おかしな状況が現代は続いています。ラリックの時のように、陳腐だ悪趣味だと歯に衣着せず論評できる上流階級がいなくなってしまった時代では、こうなってしまうということですね。大衆が賢くなるのが一番良いと思うのですが、多くは怠惰な方向に流れるのも人間の性でしょうか。

そうだろうなと予想はしていたものの、館長やプロジェクト・マネージャーが堂々と言ってしまえることに驚きました。ありがたがる大衆をバカにしているようにしか感じられませんが、実際、それほど簡単に大衆がコントロールできた実績の積み重ねがあるからこそでしょうね。メタ認知とプライドの制御ができるほど優秀な頭脳を持つ人たちなので、大衆の頭が自分より下だと俯瞰的に判断しプライドの制御ができない故に権威によって踊らされる大衆の姿がおかしくてしょうがないのかもしれません。

『アザミ』(ルネ・ラリック 1898〜1900年頃)グルベンキアン美術館 "Cigales Lalique Musee Gulbenkian" ©Yelkrokoyade(13 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

さて、これも禍々しいので悪魔か怪物か何かと思いましたが、アザミだそうです。

ラリックも例に漏れず、上流階級の人気を得るために、当時の上流階級に人気のあった宝石やモチーフを取り入れています。

ムーンストーンやオパールなどもそうです。

この時代のジュエラーとしてラリックが有名になった結果、「ムーンストーンはラリックの作品でも有名です。」と言われるようになりました。

成金や大衆用のジュエリーがメインストリームとして認知されている現代では、一般的にはそのような評価になるわけです。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

上流階級のための真のハイジュエリーは、今も知られざる世界です。

ラリックもティファニーも上流階級の好みを追っただけであり、ムーンストーン流行の大元はレイト・ヴィクトリアンのイギリスの王侯貴族にあると、皆様は知っていてください。

1-3-2-4. 創業者没後のティファニー社の成金向けジュエリー

今回は詳細を割愛しますが、ティファニーも人気を維持し続けることはできませんでした。現代もティファニーというブランド自体は存在しますが、存在するのはブランドだけです。とっくの昔に経営は一族の手を離れ、創業者の精神はおろか、アンティークの時代のような技術も残っていません。

ただ、1902年にカリスマ創業者が亡くなったことを境に、既に優れたジュエリー制作作りに関しては凋落が始まっています。

初期のティファニー(1887年)文房具や装飾品がメインの店内

殆どの日本人がティファニーを知るようになったのは戦後です。高度経済成長とバブル経済を通して小金持ちになった、日本の大衆女性にジュエリーでボロ儲けしようと入ってきたタイミングです。とっくに創業者の精神は消え失せ、ブランドの威光だけで楽してボロ儲けを企てる中身でしかありません。

第一印象とは根深い呪いのようでもあります。"ティファニー=高級ジュエリー専門店"であり、創業期からずっとそうであると思考してしまう人が多いです。思い込んだ結果、疑問にも思わず、調べもしません。

しかしながら元々は高級文房具や装飾品がメインのお店でした。

左:息子ルイス・カムフォート・ティファニー
中央:創業者チャールズ・ルイスティファニー(1888年)

だから創業者の息子ルイス・カムフォート・ティファニーも、仕事の選択肢は必ずしもジュエリーではありませんでした。ガラス工芸で、アーティスト兼職人として才能を発揮しています。外部となるブルックリンのガラス製造所で修行し、31歳となる1879年に父の事業との連携・支援の元で最初のガラス製造所を立ち上げました。1885年には、より自分のやりたいようにやるために、共営には頼らない自分のガラス工芸スタジオ『ティファニー・スタジオ』を立ち上げました。

苗字がティファニーですからね。これはティファニー・ブランドの威光を使用したものではありません。でも、子会社や関連会社のようで紛らわしいですね(笑)

1900年パリ万博グランプリ受賞作
ティファニー社 ティファニー・スタジオ
『アイリス』(ティファニー社 1900年頃)ウォルターズ美術館 "Tiffany and Company - Iris Corsage Ornament - Walters 57939" ©Walters Art Museum/Adapted/CC BY-SA 3.0 【連作】『四季』-冬-(ティファニー・スタジオ 1899-1890年頃)モース美術館 【引用】MOURSE MUSEUM HP / Spring panel from the Four Seasons Window

息子ルイスには情熱だけでなく、グラス・アーティスト兼職人としての才能がありました。ティファニー・スタジオとして、1900年のパリ万博に出品したステンドグラスの連作『四季』は見事グランプリを受賞しました。

これによってルイス・カムフォート・ティファニーはアメリカのアールヌーヴォーの第一人者として知られるようになり、アメリカではアールヌーヴォー様式をティファニーと呼ぶほど、代名詞としても有名になりました。

当然ながら受注も殺到しました。しかしながら、創作活動や経営の継続は難しいことです。ルイスが80歳となる1928年にティファニー・スタジオは倒産し、ルイスが亡くなった1933年に完全に閉鎖されました。

ネーム・バリューはあるので、楽して儲かるならばブランドを買う投資家や、跡を継ぐ者も現れたかもしれません。でも、グラスアートは取っ替え引っ替えするようなものでもなく、消耗品でもないので需要が一巡すれば立ち行かなくなるのは必然です。

その点で、ジュエリーの世界は特殊と言えますね。ティファニーもそうですが、カルティエなんかも1964年に創業者一族の手を離れた後も、長々と現代まで名前だけ存続しています。

店に立つ創業者チャールズ・ルイス・ティファニー(1887年)

カステラーニやカルティエは、創業者自身が優秀な宝飾職人でした。名声を確立したことで、ブランドとしての地位を築きました。

その点で、ティファニー社やロシアのファベルジェ工房はこの業界では特殊です。特にティファニーは異質です。創業者はモノづくりをしない一方、時代の潮流を読み、各分野の優秀な人を見出し、集まり、その人たちの才能を遺憾無く発揮させることに秀でていました。まさにカリスマです。

ティファニー最盛期を作った創業者時代の人材
カリスマ統括者 天才デザイナー 鉱物・宝石学の権威 神技の職人
チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) ジョージ・パウルディング・ファーナム(1859-1927年) ジョージ・フレデリック・クンツ(1856-1932年) 【パリ万博 グランプリ受賞】『アイリス』
©Walters Art Museum/Adapted/CC BY-SA 3.0

この人以外にはできないという、唯一無二の神技を持つ職人がいなくなると作れないものがあります。

それとは別に、集団によって成し遂げていたものは、キーパーソンがいなくなることで容易に瓦解します。ティファニー社はカリスマ経営者の元、奇跡的に人材が集まったことで栄光が築かれました。

1902年にそのカリスマ経営者は亡くなりました。美術工芸品に於いて、特にデザインは重要です。どれだけ作りが優れていても、デザインがイマイチならば誰も欲しいと思いません。

ティファニー躍進を支えたのは天才デザイナー、ジョージ・パウルディング・ファーナムでした。1885年から23年間働いた後、1908年にティファニー社を退職しました。役員の地位を得て、デザイナーとしての名声も確立していましたが、アメリカン・ドリームを追い求めたかったようです。鉱山経営者を目指し、投資と移住をしたものの、1911年までには財産の殆どを使い果たしてしまったそうです。当時はそういう時代でしたし、男として夢を追い求めたかったのでしょうね。やって後悔よりも、やらない後悔の方が大きいと言いますし、デザイナーとしては中途半端ではなくやりきっていると言えますから、決して悪い選択ではなかったでしょう。人間には寿命があるので、デザイナーもどうせ永遠にできるものではないですしね。

戦前のティファニーの経営者
カリスマ創業者

副社長(1902-1918年?)

副社長(1907-1932年)
チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) 息子ルイス・カムフォート・ティファニー(1848-1933年) 宝石学者ジョージ・フレデリック・クンツ(1856-1932年)

宝石学の権威クンツ博士は亡くなるまで副社長として在籍しました。

創業者の息子ルイス・カムフォート・ティファニーは創業者が1902年に亡くなった後、取締役会の承認を得て取締役会メンバーとなり、副社長兼アート・ディレクターとなりました。家族経営ではなく、取締役会による経営になっていたようで、既に創業一族が自由にできる状態ではなかったようです。ティファニーは経営に関する情報が調べてもよく分からない、空白のような期間が存在します。歴代の社長の名前も出てきません。法人に関する特殊な調べ方をすれば分かるかもしれませんが、かなり早い段階で、金儲けしたい人たちによる傀儡企業になっていたのかもしれません。

息子ルイス・カムフォート・ティファニーはデザイナーを統括するアート・ディレクターにはなったものの、ジュエリーは畑違いです。そんなルイスの時代、たくさんのムーンストーン・ジュエリーが制作されました。

息子ルイス・カムフォート・ティファニー時代のムーンストーン・ジュエリー
【参考】1910年頃、 オークション予想価格$40,000-60,000(2015年現在) 【参考】1910年頃、メトロポリタン美術館
【引用】THE MET / Necklace with Pendant ©The Metropolitan Museum of Art
【参考】1910年頃、落札価格約236万円(2017年現在)
【参考】1920年頃 【参考】1915年頃、落札価格約242万円(2011年現在)
【参考】ティファニー 1910年頃、イヤリングとセットで約2,040万円で落札(2017年現在)

あまりにも似たり寄ったり過ぎて、個性も何もありません。着用者ならではの教養や美意識を伝えなければならない、上流階級のためのハイジュエリーではあり得ないことです。

なぜ似たり寄ったりのデザインなのか、その理由は簡単です。持ち主が自身の教養や美意識などではなく、「これはあのティファニー製よ!良いでしょ!!」とドヤるための道具だからです。

こういう人たちは自分磨きについて怠惰です。厚化粧や整形など、表面的な外見磨きはするかもしれませんが、教養や美意識などの内面磨きには全く興味がありません。内面磨きが伴わない外見磨きは、単なるメッキです。楽で即効性はあります。永続性ありませんし、限界も浅いです。

内面磨きは大変です。目に見えるような、分かりやすいものでもありません。どれだけ内面が優れているか判断できるのは、相応に優れた内面を持つ人だけです。万人受けを狙ったり、楽な道を歩もうとすると、どうしても外見磨きに偏ります。ただ、やろうと思えば無限に深めたり、オリジナルの個性を発揮していけるようになるのは内面磨きのみです。上流階級のためのハイジュエリーはその内面部分を見た目に反映させ、同等の相手に「この人をもっと知りたい!」と思ってもらうきっかけにする目的があります。どれだけ素晴らしいジュエリーであっても名脇役止まりで、あくまでも主役は着用者(人)そのものです。

【参考】ティファニー 1920年代
約660万円(2019年現在)

成金嗜好の人たちは、手っ取り早く楽して自己顕示欲を満たすことを望みます。

自分ではなく、持ち物の威光を借りて万人の賞賛を得ようとします。

だから成金ジュエリーは、見ただけで万人にティファニー製と分かってもらえなければなりません。

HERITAGEのハイジュエリーのように、どこのブランドのものなのか分からない、良さが誰にでもは分からないものは成金にはNGです。

成金が求めるのは真の美しさや知性を伝えられるものではなく、ブランドや巨大宝石の威光を借りられるものだけです。

無意識に、或いは意識的に、自分自身が自慢できるレベルにないことをよく分かっているのでしょう。それならば努力すれば良いと思うのですが、なぜか努力はしたくないようです。

これは既に現代ジュエリーと同じ状況に陥っていたと言えます。

【参考】パンテール ドゥ カルティエ リング(カルティエ 現代)¥20,064,000-(税込)2019.12現在
【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER RING ©CARTIER

現代ジュエリーも、見ただけですぐにどのブランドのものなのか分かるデザインばかりですよね。付随して、どのくらいの価格のものなのかも推測ができます。

私はジュエリーはオシャレをするためにあるものだと思っていたので、ハイブランドと言われるブランドのジュエリーでもつまらないデザインばかりなのが不思議でしょうがありませんでした。アンティークジュエリーを知る以前の話です。

2千万円程度ではこんないかにも成金好みのダサいものしか売ってもらえなくて、億単位で出さないとオリジナルの美しいデザインでは作ってもらえないのかなと素人なりに考えていました。

【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER RING ©CARTIER 【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER BRACELET ©CARTIER
【参考】ホワイトゴールドのリング&ゴールド・ブレスレット(カルティエ 現代)

そうではないんですね。

成金がドヤるためのジュエリーなので、一目でカルティエ製と分からなければなりません。「これ、カルティエよ!」とドヤり、相手にマウンティングして羨ましがらせるためには、カルティエ製だと分からなくては意味(価値)がないわけです。

オリジナルで作ってもらっても、カルティエ製と分かってもらえなければ意味がないのです。だから成金はフルオーダーのオリジナルの美しいジュエリーなんて全く望んでいません。

現代はブランド・ロゴがデザインされた製品がたくさん販売されています。"ブランド"を自慢するなんて、自身に誇れるものが何もないことを自らPRしているようで、本来は恥ずかしいことですが、それだけ現代は成金嗜好が蔓延している証なのでしょう。

【参考】1910年頃、 オークション予想価格$40,000-60,000(2015年現在)

息子ルイス・カムフォート・ティファニーの時代はまだ、ヨーロッパの上流階級がハイジュエリーの購買層として一定の力を持っていました。

ただ、万博でグランプリを受賞したとは言っても、当時の上流階級のためのハイジュエリーは依然としてヨーロッパが本拠地でした。

伝統あるイギリスやフランス、ロシアなどに名の知れたブランドがあるのに、敢えて新興のアメリカでオーダーしようと考えるヨーロッパ上流階級は殆どいませんでした。

一方で、アメリカ国内では万博でグランプリを受賞し、ヨーロッパ上流階級から認められた憧れの高級ジュエリー・メーカーとして、ブランドを確立しました。

必然的にティファニーの主要顧客はアメリカの新興成金となり、現代ジュエリー同様に、似たり寄ったりの製品が量産されることとなったわけです。

ティファニー最盛期の立役者ファーナム
天才デザイナー
在籍:1885-1908年
【1889年パリ万博】
金賞
【1900年パリ万博】
グランプリ
ジョージ・パウルディング・ファーナム(1859-1927年) 『オーキッド』ファーナムのデザイン 『アイリス』ファーナムのデザイン 【引用】THE WALTERS ART MUSEUM ©The Walters Art Museum

もう1つ、ティファニー最盛期の立役者だった天才デザイナーのファーナムが去ったのも大きかったです。

オーダーをする際、デザインや仕様が既にオーダー主の中で完璧に決まっている場合もあるでしょう。こういう場合はデザイナーは不要で、要望通り忠実に具現化できる職人さえいれば十分です。

しかしながら新しい流行やスタイルを生み出す場合、オーダー主と才能あるデザイナーが綿密に関わっている場合が多いです。稀代のセンスを持ち、様々なファッションを創り出したことで有名なフランス王妃マリー・アントワネットも本人が一人でそれらを生み出したわけではありません。ジュエリーならジュエリーの専門家、ドレスならばドレスの専門家と時間をかけて打ち合わせし、新しいスタイルを生み出しています。

才能ある、異なる人たちが組み合わさることでスパークが生じ、革新的なものが生み出されるものです。一人だけで考えても延長線上的なものしか生み出せません。才能ある人でも、いずれネタ切れを起こします。

そういうわけで、センスがある上流階級がオーダーする際は、相談できる優秀なデザイナーがいることは極めて重要です。ファーナムに匹敵するような天才デザイナーの後続はいなかったのでしょう。そうすると、上流階級にとってはティファニーでオーダーする意味は無くなってしまいます。

【参考】ティファニー 1920年頃

その結果の、似た者だらけの量産です。

アールヌーヴォーの代名詞としてムーンストーン。パリ万博でグランプリを受賞して有名になったモンタナサファイア。

ただそれを組み合わせただけの、宝石頼りのつまらないデザインのジュエリー。

ムーンストーンのアンティーク・ネックレス
ヨーロッパの王侯貴族用 アメリカの新興成金用
ムーンストーンのティアラ『アルテミスの月光』
ムーンストーン メアンダー ネックレス&ティアラ
イギリス 1910年頃
SOLD
【参考】ティファニー 1910年頃、イヤリングとセットで約2,040万円で落札(2017年現在)

同時代のヨーロッパの王侯貴族向けと、アメリカの新興成金用のムーンストーン・ネックレスを比較すると、かなり雰囲気も違います。

『アルテミスの月光』はネックレスだけでなく、ティアラとしても着用できる作りです。ヨーロッパ美術の原点にして、上流階級の必須の教養だった古代ギリシャに由来するメアンダー模様の透かしデザインが美しいです。同じく上流階級の必須の教養だったプリニウスの『博物誌』で、古代ではムーンストーンは月の光が結晶化した宝石と考えられていたことが言及されています。教養ある者が見れば、着用者を古代の月の女神アルテミスなどに例えて賞賛することができます。こうして知的な会話が盛り上がっていくのが社交界です。

右の成金ジュエリーを着用しても、せいぜい褒め言葉は「高そうですね。」くらいでしょうか。センスの無さ、個性の無さ、選ぶ眼を持たぬままブランドの言いなりで高いお金を出してしまう知性の無さは、まさに陰で「nouveau riche(ヌーヴォー・リーシュ)!」と笑われる所でありましょう。アメリカ仕様で「New rich.」とでも呼ばれたかもしれません。

それにしても『アルテミスの月光』の方が遥かに価値が高いですが、ティファニーの成金ジュエリーにすごい価格が付いているのがちょっと腹立たしいです(笑)ティファニー・ブランドをありがたがって、この価格を喜んで出す現代の成金がいるわけですね。

実物を見ないと石の質は判断できませんが、オーダー経験がある当時の上流階級が見ればデザイン費はもちろん、透かし細工や極小ローズカット・ダイヤモンドのセッティング、2way仕様の実現などのためにいかに高度な技術と手間、すなわち技術料と人件費がかかっているのか想像できます。一目見ただけで相当に高価な物だと判断できます。

ちなみに成金ネックレスの2千万円は、2017年の価格です。枯渇が進んでいるアンティークジュエリーは年々価格が上昇していますが、コロナ禍でアンティークジュエリーにも投資マネーが流れた結果、さらに高騰しました。コロナが一段落した後もインフレでさらに値段が上がり、円安もあって日本人にとってはさらに価格が上がっています。今だともっと高値が付くことは確実です。

そうらを踏まえれば、HERITAGEでご紹介しているような"知られざるアンティークのハイジュエリー"は、本当の価値からすればまだまだ安いと言えます。私がルネサンスで最初に宝物を手に入れた際も、桁違いに安いと思いながら買いました。1桁、物によっては2桁くらい違ってもおかしくないと感じます。これもおそらくは絶対的な感覚があるからこそであって、価値がよく分からない人にとってはこの価格でも高いと感じるのかも知れません。

【参考】ティファニーのブレスレット 1920年代、
約660万円(2019年現在)
【参考】ティファニーのブローチ 1915年頃、落札価格約242万円(2011年現在)

その一方で、質の良くない小石の寄せ集めや、大きさに頼っただけのつまらない成金ジュエリーのこの価格に納得できる人たちがいます。

私にとってはこれは高いです(笑)

1-3-3. 上流階級のムーンストーン・ジュエリー

雰囲気のあるムーンストーンは日本人が好む宝石です。人気も高く、いくつでもご紹介したい所ですが、上流階級のために制作されたムーンストーンのハイジュエリー・ジュエリーの数は多くありません。それでも46年間で、並べて比較できるくらいの数はお取り扱いして参りました。

上流階級のためのハイジュエリーなので、時代ごとの流行デザインに添いながらも、それぞれが個性に富みます。もちろん組み合わせる宝石もモンタナ・サファイア一辺倒のようなことはなく、種類も様々です。

1-3-3-1. 19世紀後期のムーンストーンのハイジュエリー
ムーンストーンのヴィクトリアン・ブローチ ムーンストーンのピアス
アーツ&クラフツのマベパール&ムーンストーン&ローズカット・ダイヤモンドのネックレス ムーンストーン&デマントイドガーネットのネグリジェネックレス
ハート型ムーンストーンとサファイアのネックレス
ムーンストーンのペンダント ムーンストーンのダブルハートのブローチ
ムーンストーン&ギロッシュ・エナメル&天然真珠のアンティーク・ペンダント ムーンストーン&天然ルビー&ダイヤモンドのアンティークのバー・ブローチ
ハート型ムーンストーン&クリソベリルのアンティーク・ネックレス
1-3-3-2. 20世紀初期のムーンストーンのハイジュエリー
ムーンストーン&カリブレカット・ルビーのペンダントハート型ムーンストーン ペンダント
アメリカ? 1910年頃
SOLD
ムーンストーンのティアラ『アルテミスの月光』
ムーンストーン メアンダー ネックレス&ティアラ
イギリス 1910年頃
SOLD

これまでの宝物を色々と探してみましたが、こうして46年間を振り返ると、20世紀に入ってからのムーンストーンのハイジュエリーは19世紀より遥かに少ないです。

イギリス国内では成金庶民たちが真似して安っぽいアーツ&クラフツのムーンストーン・ジュエリーが大流行し、20世紀に入ってからはアメリカの新興成金たちがアールヌーヴォーの成金ムーンストーン・ジュエリーで社交界でも幅を利かせ、ドヤるようになっていきました。

ヨーロッパの上流階級がムーンストーン・ジュエリーを意図的に避けるようになったのは無理もなく、20世紀に入ってからの上流階級のためのハイクラスのムーンストーン・ジュエリーの少なさは、それを反映したものと言えます。

1-3-4. 異色の最高級ムーンストーン・ネックレス

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

この宝物は、シンプルで飽きのこないデザインです。時代を反映したデザインではなく、永遠に古びることのない普遍性を持っていると言えます。

ムーンストーンのハイクラスのネックレス
ハート型ムーンストーンとサファイアのネックレスハート型ムーンストーン&サファイア ネックレス
イギリス 1880〜1890年頃
SOLD
ハート型ムーンストーン&クリソベリルのアンティーク・ネックレス スリランカ産ロイヤル・ブルームーンストーン&クリソベリル ネックレス
イギリス 1880年頃
SOLD

同時代の上流階級のハイジュエリーはこのようなイメージがあります。アールデコほどシンプル・イズ・ベストの思想は浸透しておらず、ヨーロッパのオーソドックスな華やかさを感じるラグジュアリーなデザインです。

ムーンストーンという宝石自体は落ち着いた雰囲気ですが、デザインによって華やかさがあるため、パーティなどで使用するのが良さそうです。ジャケットなどを羽織ってカジュアルダウンしても、やはり普段の装いというよりは、華やかな印象となるでしょう。

ムーンストーンのハイクラスのネックレス
本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス ハート型ムーンストーンとサファイアのネックレスハート型ムーンストーン&サファイア ネックレス
イギリス 1880〜1890年頃
SOLD

ネックレスはデザインが正面だけのものと、後ろまであるものがあります。今回の宝物は後ろまでムーンストーンがセッティングされており、アップヘアで首元の開いたドレスを着用することを想定してあります。横から見ても、後ろから見ても豪華で美しいように作られています。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

一方で、ジャケットなどを羽織れば、普段使いでも違和感がないくらいカジュアルダウンできます。

個性を競い合う社交界のジュエリーとしては、かなり異質の存在です。

デザインにお金をかけない安物では、現代人が好みそうなシンプル・デザインはいくらでもあります。手抜きのデザインです。しかしながら、そういうものとは明らかに違います。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

このシンプルなデザインの宝物は、実はムーンストーンの質に強いこだわりが見られます。通常の王侯貴族のハイジュエリーでも見ないくらい、とんでもなく拘られています。

事項ではその宝石の質について見ていきましょう。

2. 56石全てがブルーシラーを放つ最高級ムーンストーン

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

この宝物には最高品質のブルー・ムーンストーンが使用されています。

石の質はピンからキリまであります。

ムーンストーンは現代では詐欺まがいの石が市場に溢れており、ムーンストーンを誤解してる人も少なくありません。

ムーンストーンという宝石について、きちんと理解することにしましょう。

2-1. 偽物ムーンストーンで溢れかえる現代市場

私は現代ジュエリーや宝石にも、パワーストーンなどのアクセサリーや石ころにも全く興味が湧きませんでした。それ故に、この仕事を始めるまではろくに宝石の名前も知らなかったくらいです。

『ムーンストーン』は名前くらいは聞いたことがありましたが、実物は見たことがありませんでしたし、宝飾業界やパワーストーン業界での位置付けも知りませんでした。

でも、アンティークジュエリーに興味を持つ方は宝石やパワーストーンに興味がある方も一定数いらっしゃいます。

細工(デザインも付随)だけでなく、宝石に関しても戦前のアンティークの時代と、戦後の大衆の時代とでは大きく異なります。宝石は稀少だからこそ高い価値が付きます。ただ、大衆の時代は桁違いの数の需要に応えなくてはなりません。稀少なものを、欲しがる大衆全てに供給するということは不可能です。矛盾しています。

あらゆる宝石があっと言う間に枯渇しています。19世紀後半に発見された、ブルー・ムーンストーンの産地として有名なスリランカのミティヤゴダ鉱山も20世紀中の1987年頃には閉山しています。

稀少性のある上質な本物の宝石は殆どありませんが、大衆の膨大な需要だけはあります。需要は儲けのチャンスです。

「美しさに加えて、稀少性があるから宝石です。もう枯渇してありません。稀少性に対して需要が多すぎるため、値段がさらに跳ね上がっています。あなたが出せるような金格では本物の宝石は手に入りません。」
正直に言えば良い話のように思いますが、宝飾業界やパワーストーン業界は儲けのチャンスを自ら捨てたくありませんでした。

結果、詐欺まがいの行為を選択しました。

2-2-1. 現代市場に溢れかえる偽ムーンストーン

『レインボー・ムーンストーン』
ホワイト・ラブラドライト
『ブルー・ムーンストーン』
ペリステライト
レインボー・ムーンストーンのヴィンテージのシルバー・リング

現代市場で本物のムーンストーンのジュエリーやアクセサリーを手に入れようとしても、非常に困難です。まず、正確な知識を得ようとする最初のとっかかりからつまづきます。

ムーンストーンを検索すると、英語でも日本語でもレインボー・ムーンストーン、ブルー・ムーンストーンなど、このような石がたくさん挙がってきます。

これらはムーンストーンではありません。鉱物学的に異なる石です。しかしながら、これらがさもムーンストーンのように紹介されています。

『レインボー・ムーンストーン』はホワイト・ラブラドライト、『ブルー・ムーンストーン(ロイヤル・ブルー・ムーンストーン)』はペリステライトです。

ムーンストーンを鉱物学的に説明しているサイトはあまり見ないと思います。他の単純な鉱物と異なり、かなりややこしいからです。拒絶反応が出ない程度(?)に簡略化してご説明いたします。

長石グループ
"Feldspar group" ©Muskid(19 januara 201)/Adapted/CC BY-SA 4.0

本物も偽物たちも、全て長石グループです。同じグループに属していますが、外観は様々です。長石は地殻の形成を探るための重要な鍵となる鉱物の1つであるため、重点的に研究が行われています。このため細かく分類され、名称が付いています。

プラチナ価格の変動もそうですが、物事はジュエリーや宝石を中心に動いているわけではありません(笑)ジュエリーやパワーストーンのために、鉱物が細かく分類されて名前が付けられているわけではないのです。

それぞれの石は決まった組成ではありません。長石グループは3成分系です。何がどれくらい入っているのか、組成はグラデーションになっており、分かりやすく単純化できないことが鉱物学者以外の広い理解を妨げています。

長石グループ
アルカリ金属およびアルカリ土類金属などのアルミノ珪酸塩を主成分とする三次元構造のテクト珪酸の一種
(Na,K,Ca,Ba)(Si,Al)4O8  or  (Na,K,Ca,Ba)Al(Al,Si)Si2O8
アルカリ長石 斜長石(プラジオクレース)
サニディン or アノーソクレース
(美しいものをムーンストーン)

灰長石(アノーサイト)、CaAl2Si2O8

曹灰長石(ラブラドライト) 曹長石(アルバイト)の
変種がペリステライト

"AdularireSuisse2" ©Didier Descouens(24 August 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0

"Ladrador iridescence" ©Boris Lobastov(21 April 2019, 11:40:27)/Adapted/CC BY 4.0
曹長石 "Albite2" ©Didier Descouens(8 June 2009)/CC BY-SA 3.0

アルカリ長石であるサニディンもしくはアノーソクレースの美しいものを、宝石として『ムーンストーン』と呼びます。名前だけ聞くと全然違う鉱物のように感じますが、化学組成は以下の通りです。

 サニディン(玻璃長石):(K,Na)AlSi3O8
 アノーソクレース(曹微斜長石):(Na,K)AlSi3O8

化学組成を見比べた方が分かりやすいです。成分的には似ており、サニディンはカリウムが多め、アノーソクレースはナトリウムが多めです。その違いしかありません。

偽ムーンストーンのラブラドライトとペリステライトは、アルカリ長石ではなく斜長石に属します。アルカリ長石であるムーンストーンはK(カリウム)を多く含みますが、灰長石であるラブラドライトやペリステライトはCa(カルシウム)が多いです。

この程度の理解で十分でしょう。正直に言えばこの程度の理解すらも不要です。鉱物学的には別物であることをご理解いただければ十分です。

戦後の長石のシルバー・アクセサリー
ムーンストーン レインボー・ムーンストーン
(ホワイト・ラブラドライト)
ブルー・ムーンストーン
(ペリステライト)

"Ring Moonstone" ©Ra'ike(2006-12-19)/Adapted/CC BY-SA 3.0
レインボー・ムーンストーンのヴィンテージのシルバー・リング

鉱物学的には異なるにも関わらず、ホワイト・ラブラドライトはレインボー・ムーンストーン、ペリステライトはブルー・ムーンストーンという名前で販売されています。特にブルー・ムーンストーンの名称は、顧客が絶対に勘違いします。景品表示法に違反するのではと思う手口ですが、これが業界でスタンダードとして罷り通っています。

パワーストーン業界に胡散臭さを感じる方もいらっしゃると思います。明らかな詐欺師も存在します。ブランドや権威の威光を借りて楽してボロ儲けしようと言うのが現代ジュエリー業界に対し、無価値同然のクズ石にさも何らかのパワーがあるかのように威光付けし、楽してボロ儲けしようとするのがパワーストーン業界です。

中には本当に力を持つ石コロがあるかもしれませんが、この業界は平気で染色したり加熱したり、人工処理した石をパワーを持つ"天然石"として販売します。原材料が天然の石だから、天然石として販売できて当然という論理です。人工処理されていないとは言っておらず、そう思って買ったのならば勘違いした顧客が悪いという主張です。

本物のブルー・ムーンストーンは主要鉱山が既に閉山し、新しい石は供給されなくなりました。どこかで採れれば、その仕入れルートを持つ業者が本物と偽物の違いを主張しPRするはずです。しかしながらそれがないからこそ、業界全体が顧客に勘違いしてもらっておいた方が都合が良いのです。

ペリステライトは、その殆どがパワーストーンや天然石市場で『ブルー・ムーンストーン』として販売されているのが現状です。そして、ブルー・ムーンストーンが枯渇してしまった現在、市場で販売されている『ブルー・ムーンストーン』の殆どがペリステライトです。青いシラーを放つホワイト・ラブラドライトをブルー・ムーンストーンとして販売することもあるようです。

偽ムーンストーン
レインボー・ムーンストーン
(ホワイト・ラブラドライト)
ブルー・ムーンストーン
(ペリステライト)

【引用】Gemstone Dictionary / Peristerite ©LWE Co., Ltd.

質によって外観の美しさもピンキリですが、はっきりと青いシラーを放つホワイト・ラブラドライトやペリステライトも存在します。

ペリステライトをブルー・ムーンストーンとして販売するパワーストーン業界の言い訳は以下の通りです。
「ペリステライトをブルー・ムーンストーンの名称で販売する理由は、石の意味やパワーがとても近いものを持っているからです。ブルー・ムーンストーンのパワーは神秘的な青い輝きに宿っています。つまり鉱物学的には異なる石ですが、パワーストーン的に見ればブルー・シラーを通じて同じパワーを持つ石と見なされています。」

鉱物学者が聞いたら白い目で見られそうです。パワーストーン的に見ればと言うのも私には意味がよく分からないのですが、業界がこれで成立していることから察するに、これで納得し、パワーストーン的に価値ある石として喜んで買う人たちが一定数存在するということでしょう。

同じパワーを持っていたとしても、鉱物学的に勘違いする人が出ぬよう、別の名称にすれば良いだけです。敢えてブルー・ムーンストーンと呼ぶのは、勘違いや良い印象を与えることで高く売りつけたいからだとしか思えません。それこそ石に対する冒涜のように感じます。本物の天然石好きはそんなことしません。女の子が生まれても、「男の子の方が良かったのに!!」と主張して男の子のような名前を付け、男の子のような格好をさせる人のようです。人格否定に等しいです。石格否定!!酷い!!!(笑)

業界全体がこのような感じです。興味を持って調べようとして、まず辿り着くのが業界側が発信している、業界にとって都合の良い情報でしょう。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

「ブルー・ムーンストーンは枯渇してもうありません。代わりに、同じように美しいブルー・シラーを放つラブラドライトやペリステライトはいかがですか?」とすれば良いだけです。

それなのに、いつまでもブルー・ムーンストーンが存在しているかのように装い、カネを稼ぐ現代市場。

ムーンストーン レインボー・ムーンストーン
(ホワイト・ラブラドライト)
ブルー・ムーンストーン
(ペリステライト)

"Ring Moonstone" ©Ra'ike(2006-12-19)/Adapted/CC BY-SA 3.0
レインボー・ムーンストーンのヴィンテージのシルバー・リング

結局現代は、美しさではなく石の種類と安さだけで選ぶ人が圧倒的多数という証でしょう。石の見た目なんてどうでも良く、スペックとしてはムーンストーンの特徴である「シラー」さえあれば良いわけです。美意識なんてまるでないような顧客で溢れています。現代市場はそれを反映しているだけなのです。

2-2. 低品質品と高品質品の違い

2-2-1. 宝石になれる高品質の石

約2カラットのオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド ブローチ アンティーク・ジュエリー『財宝の守り神』
約2ctのダイヤモンド ブローチ
フランス 1870年頃
¥5,900,000-(税込10%)

宝石と聞いてダイヤモンドを思い浮かべる方は多いと思います。

そして、「ダイヤモンド=全てがこのような透明で輝きの美しい宝石」と何となく思っていらっしゃる方も少なくないと思います。

ダイヤモンドのグレードと稀少性

実際は「ダイヤモンド=宝石」ではありません。

『ダイヤモンド』という鉱石の中で、ほんの一握りの上澄の美しい石だけが宝石ダイヤモンドになることができます。ダイヤモンドの使い道のメインはジュエリーではなく、工業用途です。

アンティークの最高級品 【参考】現代の工業用ダイヤモンド・リング
アーリー・ヴィクトリアン ダイヤモンド・リング『ミラー・ダイヤモンド』
イギリス 1840年頃
¥3,700,000-(税込10%)

鉱物学的には同じダイヤモンドでも、品質によって見た目はかなり異なります。

もっともらしくセッティングしたとしても、汚いものは汚いです。こんな物がダイヤモンド・ジュエリーとして存在すること自体が、俄に信じ難いです。買う人がいることよりも、まず作ろうと発想して実行したこと自体がビックリです。変なのは私の方かしら。まあでも欲しい人は買えば良いですし、私はこの汚い工業用ダイヤモンド・ジュエリーは買わなければ良いだけの話なので、どうでも良いです。

【参考】現代の工業用ダイヤモンド・リング

雑誌などで"ハイセンスでオシャレなダイヤモンド・リング"として取り上げたり、「これが高級なダイヤモンド・リングですよ。美しいでしょう!」と店員さんが真顔で勧めて来れば、そう思い込んで(洗脳/染脳されて)それなりの価格で買う人たちはいるでしょう。

材料費は限りなくゼロに等しく、ろくにカットも施さないので加工費もあってないようなものです。いかにも現代ジュエリーらしいダイヤモンド・リングです。

天然石のグレードと稀少性

これはどの宝石にも言えることです

中産階級がジュエリーを買うようになり、それまでは使わなかったような品質の石がジュエリーに使用されるようになっていきました。戦後はより低品質な石でもジュエリーに使用したり、アクセサリーに使用されるようになりました。あますことなく利用ということで、パワーストーン市場も形成されていきました。それでも使えない石は工業用途になったり、廃棄されたりします。

ダイヤモンドと同じく、硬いルビーなどは研磨剤として使用されます。1970年頃から普及する加熱ルビーや加熱サファイアは、それまで利用価値がなく廃棄されていた廃棄物の山から、石を拾って来て作ったものです。無価値な廃棄物から高値で売れる宝石を作る、錬金術みたいなものですね。新たに鉱山探索したり、掘削する莫大なコストも不要です。楽して業者はボロ儲けということで、大流行したのは当然ですね。使いのなかった廃棄物の有効活用と言えば聞こえが良いですが、モッタイナイ精神とは違う気がします(笑)

2-2-2. ムーンストーンの品質

現代の基準では、ムーンストーンは透明度の高いものほど良質とされています。内包物が多いと、シラーの美しさを妨げてしまうことが理由です。

現代の基準は、現代の宝飾業界や宝石業界に都合良く定義されたものです。自分の美的感覚で判断できず、誰かの物差しに頼らないと判断ができない大衆のために20世紀、主に戦後に作られたものです。枯渇などで十分な供給量が得られなくなると、平気でその内容が変わるような無責任なものです。

そのような現代の基準でアンティークの宝石を評価するのは不適切で、宝石の質の判断には注意が必要です。

絶対的な美的感覚(物差し)がないと、知識一辺倒の頭デッカチになりがちです。そのような現代人は多いです。これは戦後、知識の押し付けが始まったことが深く関係していると思います。アンティークの時代は個々人の感覚で判断していました。

現代人はシラーの有無だけで判断したり、とにかく青いシラーさえあれば上質と言った感じで、単純化してスペックのみで判断する傾向があります。

アンティークの上質なムーンストーン
ブルー・シラーが特徴 ホワイト・シラーが特徴 シラーが出ないムーンストーン
本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス ムーンストーン&デマントイドガーネットのネグリジェネックレス ロシアの満月のようなムーンストーンのアンティーク・ブローチ『ロシアン・ルナ』
ロシアン・ムーンストーン ブローチ
ロシア? 1880〜1890年頃
SOLD

上流階級のアンティークのハイジュエリーをいくつも見ることで、当時どのような宝石が高く評価されていたのか分かってきます。どのようなものを美しいと感じるのかはある程度、人類に共通した感覚があるように思います。当時の上流階級が美しいと感じた宝石は、100年以上後の私たちが見ても美しいと感じます。

ムーンストーンという宝石は、実に表情豊かです。アンティークのハイジュエリーのムーンストーンは3種類に分類できます。

1つは今回の宝物のように、ブルー・シラーが美しいムーンストーンです。ブルー独特の高潔な雰囲気が魅力です。

ブルーではなく、ホワイト系のシラーを放つムーンストーンもあります。上質なロッククリスタルの完璧にクリアな美しさとは確実に異なります。ホワイト・シラーは独特の雰囲気を放ちます。雲や霧などのモヤが懸かっているような雰囲気は、インクリュージョンが多くて白っぽく見える低品質のロッククリスタルとは違います。全体が完璧に霧がかったホワイト・カルセドニーとも異なります。何色にも染まっていないホワイト・シラーは、見る者に想像力を働かせてくれます。ブルー・シラーにはない、この独特の魅力に惹かれる人も多いでしょう。

また、シラーが出ないムーンストーンもあります。アンティークのハイジュエリーでも滅多にお目にかかることはない、幻のムーンストーンです。まさに知られざる宝物の1つです。ロシア皇室御用達ファベルジェが好んだ宝石の1つで、何とも表現しがたい独特の雰囲気が魅力です。

これら3種類に共通して言えるのは、やはりインクリュージョンは少ない石が高く評価されていたようです。これは見て分かりやすいですね。後はシラーなど、実物を見た時の輝きの美しさや雰囲気で判断されていたようです。

ムーンストーン レインボー・ムーンストーン
(ホワイト・ラブラドライト)
ブルー・ムーンストーン
(ペリステライト)

"Ring Moonstone" ©Ra'ike(2006-12-19)/Adapted/CC BY-SA 3.0
レインボー・ムーンストーンのヴィンテージのシルバー・リング

「ムーンストーンでありさえすれば良い。」
「ブルーシラーさえ出ていれば良い。」

そういう人たちがジュエリーやアクセサリー、パワーストーン市場の主要購買層となった結果、アンティークの時代ならば安物にすら使われなかったような石まで使用されるようになりました。

合成石や処理石に逃げ道を求める宝石もあります。しかしながら技術開発には膨大なお金がかかりますし、難易度によってはトライしても成功が不可能な場合もあります。養殖真珠などのように万人に定番として広く支持され、確実に長期間ボロ儲けできそうな宝石なら人も集まりますが、ムーンストーンはただ枯渇するのみでした。その結果の、低品質の石の利用です。

これは自分で自分の首を絞める行為に等しいです。これが"価値あるムーンストーン"として販売されていて、他に選択肢が無ければ、皆がこれを『ムーンストーン』と認識します。絶対的な感覚を持つ人だと、「何が美しいのか分からない。こんな石が昔のヨーロッパの貴族たちにも持て囃されていたのか。」という感想で終了してしまいます。本物の宝石にも、真に価値あるジュエリーにも興味を抱かなくなってしまいます。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

ブルー・ムーンストーンの場合、無色透明な石から、ある瞬間に美しいブルー・シラーが浮かび上がるから魅力的なのです。何もない所から光が放たれるから面白いのであって、白っちゃけたインクリュージョンだらけの石からブルー・シラーが放たれたとしても、幻想的でも何でもありません。

ラブラドライト カメオ スカーフリング
イギリス 1870年頃
SOLD
これは上流階級の男性に選ばれし特別なラブラドライトなので、ラブラドレッセンス(シラー、イリデッセンス、遊色効果)が出ていない瞬間も、青い光が放たれている瞬間も美しいです。

輝いていないと精気がない石像のようですが、突如青い光を放つ姿は、まるで何かが宿っているかのようでもあります。モチーフが生き生きとして見えますね。

透明ではない石から放たれる青い光は、石の表面から来ている感じです。輝きそのものに驚きや不思議さを感じるのと少し違います。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

透明なのに、ある瞬間に青く幻想的な光を放つ不思議さ。これは石の透明度の高さと、白色よりも存在感のある、青く強いシラーを放つことのできるムーンストーンだからこそです。その潜在能力を持つムーンストーンが当時の上流階級に高く評価され、こうしてハイジュエリーのネックレスに仕立てられました。

2-3. ブルー・シラーの秘密

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

持ち主の個性を反映したオリジナルのデザインが魅力であるアンティークのハイジュエリーに於いて、飽きのこないシンプル・デザインで作られたこの宝物は異色です。その分、石の質には徹底したこだわりが見られます。それこそ、ここまでこだわるなんて異常ではないかと思えるほどのレベルです。

当時の王侯貴族の美意識はそれほどまでだったのだろうと、この仕事をするにあたり、改めて気が引き締まる思いです。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

本来、宝石そのものにはそこまで特別な思い入れのない私でも「これは!!」と感じるきっかけとなったのが、見事なブルー・シラーでした。何も言わなくても気高い気品を感じさせる、まさに王侯貴族のハイジュエリーに相応しい石です。

2-3-1. ムーンストーンの構造とシラーの出どころ

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

磨き上げた金属や、ダイヤモンドの強い煌めきなどのはっきりとした輝きとは異なる、ムーンストーン独特の雰囲気ある輝きの正体は『干渉光』です。

波の干渉

増加的干渉(左)、減殺的干渉(右) "Interference of two waves" ©Haade, Wjh31, Quibik(20 April 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

光は電磁波の一種であり、波です。干渉する性質があり、強め合ったり弱め合ったりします。

長石グループ
"Feldspar group" ©Muskid(19 januara 201)/Adapted/CC BY-SA 4.0

組成としてはサニディン、或いはアノソークレースの中で外観の美しいものをムーンストーンと呼びます。

微視的に見ると、正長石(オーソクレース)とアルバイトが交互に重なり合った積層構造となっています。

単純な表面反射と、積層構造に伴う干渉光の違い

上質なムーンストーンは見た目には透明ですが、積層構造になっています。

このため、内部に侵入した光は各層の界面で反射します。

それらが重なり合い、複雑な干渉が起きることで、シラーと呼ばれる独特の輝きが生まれます。

原理は天然真珠と同じです。

Dlrohrer2003 permitted養殖真珠と天然真珠の断面

天然真珠は不透明に見えますが、実際の真珠層は半透明です。厚く積み重なることで不透明に見えていますが、半透明である真珠層内部に光が侵入し、各界面で反射した光が干渉することで、真珠独特の複雑な色味や優しい光が生まれます。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

積層構造になっているようには見えませんが、そのような特徴があるからこそ面白い光が出るのです。透明な石はたくさんあります。ダイヤモンドやロッククリスタル、無色透明なサファイアやトパーズなども存在します。でも、そのいずれとも違う魅力を放つムーンストーンには、きちんと鉱物学的な理由があったわけです。

2-3-2. シラーの色の違い

アンティークの上質なムーンストーン
ブルー・シラー系 ホワイト・シラー系
本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス ムーンストーン&デマントイドガーネットのネグリジェネックレス

同じムーンストーンでも青いシラーが出るものと、白色系のシラーのものがあります。この違いは積層構造であるムーンストーンの、アルバイト層の厚みの違いによって生じます。

波長によって名称が異なる電磁波

可視光線の波長:約360-830nm "Specre" ©Tatoute and Phrood~commonswiki(21 January 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0

シラーは可視光線の波長に近い、約500nm(0.5ミクロン)に近い厚みで正長石とアルバイトの2種類が交互に重なることで生まれます。

厚みが薄いと、ブルーシラーとなります。

ラブラドライト "Ladrador iridescence" ©Boris Lobastov(21 April 2019, 11:40:27)/Adapted/CC BY 4.0

ラブラドライトも同じ原理でシラーが出ます。ラブラドライトの場合はシラー効果ではなく、『ラブラドル効果』や『ラブラドレッセンス』と呼ばれるのが一般的です。

ラブラドライト "Ladradorite with rare colours" ©Awiejekeal(21 Ausust 2015, 14:10:45)/Adapted/CC BY-SA 4.0

これを見ると、なぜホワイト・ラブラドライトがレインボー・ムーンストーンの名で販売されているのかご想像いただけると思います。

カットする部分を工夫することで、完璧にブルー・シラーしか出ないようにすることも可能でしょう。しかしながら、それだと無駄が多すぎて稀少価値が上がり、楽して儲けることができません。レインボーに輝くムーンストーン、すなわち"より良きものである"と勘違いさせておく方が業界には得です。

ただ、日本人は本来は美意識が高く、コテコテしたものは好まない傾向があります。繊細な色味の真珠は好きでも、アバロン・シェルのアクセサリーは全く流行らないこともそれを表しています。

レインボー・ムーンストーンのシルバー・リング(ヴィンテージ)
(ホワイト・ラブラドライト)
レインボー・ムーンストーンのヴィンテージのシルバー・リング レインボー・ムーンストーンのヴィンテージのシルバー・リング

このラブラドライトも青だけが見えるような瞬間もありますが、かなり様々な色が混ざります。気軽なアクセサリーとしては十分ですが、とてもジュエリーに使うような石ではありません。これは以前、もう使わないからと年上の友人からもらったアクセサリーで、アクセサリーとしてはハンドメイドでしっかりと作られているヴィンテージの高級品です。アトリエに起こしいただいた方には、参照資料としてレインボー・シラーをご覧いただけます。

ムーンストーン&カリブレカット・ルビーのペンダントハート型ムーンストーン ペンダント
アメリカ? 1910年頃
SOLD

美意識が高かった古のヨーロッパの上流階級と、日本人の美意識は共通する部分が多いです。

ブルーとホワイト、ムーンストーンのどちらのシラーがより優れているということはありません。好みとセンスで選ぶべきです。

例えば左の宝物のデザインだと、ブルー・シラーのムーンストーンでは色彩的にガチャガチャして変です。

カリブレカット・ルビーをサファイアにすれば良いかと言えば、そうでもありません。サファイアは色が強すぎて、ムーンストーンの雰囲気ある青の光を邪魔します。名脇役にはなれません。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

それでも値段に差はあります。結局、値段に生じる要因は稀少性と、需要と供給のバランスです。美しいブルー・シラーを放つムーンストーンは稀少でした。値段が高くても欲しいと感じてもらえる美しさもあり、ブルー・シラーが出る透明度の高いムーンストーンは高く評価されました。

王侯貴族が華やかな社交界で使うネックレスの宝石に選ばれるほど、ブルー・シラーを放つ極上のムーンストーンは富と教養、美しさや美意識の象徴と見なされたのです。

2-4. 見事なカット技術

2-4-1. ムーンストーンのカットの難しさ

実はムーンストーンはカットが難しい石です。結晶の方向性があるからです。何も考えずにカットしても、形自体は綺麗にできますが、シラーを最大限に惹き出すことができません。最大限のシラー効果を狙うならば、底はフラットなドーム状にし、底面に対して積層構造は完璧に平行でなければなりません。

カボションカットの宝石が魅力的なハイ・ジュエリー
ガーネット 縞瑪瑙 ブルー・ムーンストーン
ホルバネスク ホルバネイスク ネオルネサンス アンティークジュエリー ガーネット エナメル ヴィクトリアン クリソライトホルバネイスク・ペンダント
イギリス 1860〜1870年頃
SOLD
バンデッドアゲートとゴールドで格調高い太陽を表現した、大英帝国を象徴するアンティーク・ブローチ『太陽の沈まぬ帝国』
バンデッドアゲート ブローチ
イギリス 1860年頃
SOLD
本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

近い時代に流行したガーネットの場合、均質な部分をなるべく大きくカットすればOKでした。

バンデッド・アゲートの場合は、模様を一番美しく感じる方向でカットすることが重要です。職人のセンスが重要で、センス次第です。

ムーンストーンの場合は職人の美的感覚ではなく、結晶の方向に合わせていかに精密にカットするかが重要です。模様を表現する石とは全く異なる職人技が必要と言えます。それぞれ得意とする職人は異なります。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

精密さを極めることができるのは、ほんの一握りの一流の腕を持つ職人だけです。だからこそ、ここまで美しいブルー・シラーが出るムーンストーンは、王侯貴族のために作られた最高級ジュエリーならではのものと言えます。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

積層構造の方向がポイントだからこそ、この画像でも下から上に向かって、ムーンストーンの角度と共にブルー・シラーの強度が変化していることがお分かりいただけると思います。

真正面で最も強くブルー・シラーが放たれるよう、完璧にカットされています。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

これは裏側です。フラットだと、シラーも面で放たれることが分かりますね。シラーの量によって透明だったり半透明に見えますが、シラーが最大のタイミングでは透明感は感じず、まるで青い発光体を見ているかのようです。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

これは下を向けて、置いて撮影した画像です。置いているため、石は様々な方向を向いています。

角度によって、シラーの量が驚くほど変化することがお分かりいただけると思います。ほんの一瞬を捉えた静止画です。

実際は、着用者が動くたびにダイナミックに青い光と透明感が変化するということです。

それにしてもこのブルー・シラーは驚異的です。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

通常は高級品のムーンストーンでも、ブルーシラーはなんとなく感じるというものが多いのですが、この宝物はそこまで光らなくても十分なのにと思うほど輝きます。

明るい場所でも、通常のムーンストーンでは見ないほどはっきりと青い光を感じられます。

ムーンストーンは一般的には幻想的で優しい雰囲気が魅力ですが、この宝物からは高貴さや強さ、はっきりとした存在感が感じます。唯一無二のムーンストーン・ジュエリーと言っても良いのかもしれません。強さについては、デザイン性の高い装飾に頼らない潔さ、そして宝石自身の確かな品質から来るものでしょう♪♪

2-4-2. 均質な天然石は美意識の高さと贅沢さを極めた証

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

バラバラな角度だと、シラーの出方もバラバラに見えます。しかしながら、こうやって見ると非常に石の質が揃っていることが分かります。ここまで質が揃っているのはカット職人の技術の高さだけでなく、宝石側にも秘密があります。

2-4-2-1. 合成宝石や模造宝石によって分からなくなった"均質さ"の真の価値
【参考】アリババでキログラム単位で販売されている合成サファイア
【引用】Alibaba.com ©Wuzhou Yuying Gems Co., Ltd.

合成サファイアの量産技術が確立された現代では、質を揃えたサファイアをいくらでも手に入れることができます。

ちなみに画像で見るとごつく見えますが、実際は直径22mm程度のサイズです。誰でもキログラム単位で購入できます。もちろん稀少性は"ゼロ"です。

現代の科学技術により、"濃い青のサファイア・リング"というスペックを持つ工業製品はいくつでも量産が可能です。

【参考】現代の合成サファイア アンティークの最高級の非加熱サファイア
ビルマ産サファイア&ダイヤモンド リング アンティーク・ジュエリー『Blue Impulse』
イギリス 1880〜1900年頃
SOLD

ただしインクリュージョンを拡散させることで色を改善する加熱石と同等、合成石はインクリュージョンならではの魅力を持ちません。

右はアンティークの最高級のサファイアです。サファイアの上半分は針状結晶によるシルク・インクリュージョンがあり、霧懸かったようなミルキーな雰囲気が美しいです。この宝物をお取り扱い際は、この仕事を始めて1年も経っておらず、まだ宝石に関する知識が浅い時でした。加熱か非加熱かを鑑別して欲しいと、宝石研究所の所長に頼んだら苦笑されてしまいました。顕微鏡でじっくり見るまでもなく、天然サファイアの魅力の1つであるこのインクリュージョンに基づく美しい質感で一目瞭然とのことでした。そして、「やっぱりアンティークの石はしっかりしているね。」と嬉しそうにコメントされました。私たちは本物の上質な石ばかりを見ることができますが、現代市場はあまりにも酷い状況だからこそのコメントと言えます。

合成サファイアは所詮人工物なので、違和感を感じるほど均質です。これだと正直なところ、私には外観的には「色ガラスと何が違うんだろう。」と感じてしまいます。

【参考】現代の合成サファイア アンティークの最高級の非加熱サファイア
非加熱サファイアの指輪『煌めきの青』
イギリス 1880〜1900年頃
SOLD

一見それっぽく見えるように作られていても、デザインや作りが宝石の質を如実に物語ります。

『煌めきの青』は純粋で深い青が美しい、見事なサファイアを使った最高級品でした。この宝物は私がこの仕事を始めて半年も経っていない頃にご紹介したものです。上質なサファイアと共に驚いたのが、脇石の極上のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドでした。シンチレーションもファイアも素晴らしく、元々宝石に対して興味がなかった私をも「うわ〜!!!」と感動させたほどでした。

結局、主役の宝石が極上であれば、脇石もそれに相応しい極上の石が選ばれるということです。「なるほど!!」と実感しました。

合成サファイアの脇石のみすぼらしさをご覧いただければ、いかにメインのサファイアが無価値であるかがお分かりいただけることでしょう。

【参考】合成サファイア(現代)

現代市場は合成サファイア製品が市場に氾濫しています。

ただでさえ戦後に大量生産・大量消費時代が到来し、大量生産に慣れ親しんだ時間が長くなりました。

どこでも、いつでも同じ品質の製品が買えるというイメージは確固たるものとなり、それがジュエリーにまで及んでいます。

この、現代の感覚のままアンティークジュエリーを評価しようとすると、全く誤った結論を出してしまいます。

2-4-2-2. 天然宝石で質を揃える難しさ
【参考】サファイアのカラーバリエーション

天然の宝石は、天然だからこそどれも唯一無二です。"完全に同じもの"は存在し得ません。

単独で見ると同じような色に見えても、並べてみると一目瞭然だったりします。

ダブルハート リング(エンゲージメント・リング) アンティーク・ジュエリー『愛の誓い』
ダブルハート リング
イギリス 1870年頃
¥1,230,000-(税込10%)

全く異なる宝石を使う場合は、それぞれ好みの石や、極上の石を追い求めるなどして選べば良いです

非加熱ルビー&サファイア&天然真珠の金細工が美しいフリンジ・ブローチ『ルンペルシュティルツヒェン』
ゴールド・アート ブローチ
イギリス 1870年頃
¥1,100,000-(税込10%)

使う石が小さかったり、数が多くなかったり、ある程度離れている場合は、厳密に合わせ込みをしなくても違和感は出ません。

非加熱ルビー&天然真珠の金細工が美しいリボン・ブローチリボン・シェイプ 天然真珠ブローチ&ペンダント
イギリス 1870年頃
SOLD

また、そうではなくても全体でバランスが取れていれば問題は出ません。

特に芸術性の高いデザインの場合、工業製品のように均一過ぎず、多少ばらつきがあった方が生き生きとして見えて良かったりします。

非加熱シトリン&アメジストのヴィクトリアンの蝶のブローチ『美しき魂の化身』
蝶のブローチ
イギリス(推定) 1870年頃
¥1,600,000-(税込10%)
アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー

このように揃っている方が望ましいデザインの場合、石の厚みを制御することで、できるだけ見た目を近づける細工も見られます。

高度な技術が必要で、美意識が高い人のためのハイジュエリーならではの徹底したこだわりと言えます。

ただ、この方法は万能ではありません。色の濃さはコントロールできますが、色味にアプローチすることはできません。だから、もともと近い色味の石を選んでくる必要があります。天然石を使うというのは、本当に大変なことなのです。

安物の場合、最初から石の質を揃えることを放棄している場合が殆どです。選別には手間や技術がかかります。それが結局コストとして跳ね返ってくるので、安物は宝石が選別できず、その結果、質が悪い上に揃ってもいないわけです。

2-4-2-3. 天然の宝石で厳密に質を揃える唯一の方法

安さではなく、とにかく美しいことを追い求めてコスト度外視で作られている上流階級のためのハイジュエリーの場合、違和感を全く感じないほど宝石の質は揃えられているものです。

ただ、中には「僅かでも違うと嫌!」という人もいるようです。

人間の才能はバリエーションが豊かですが、視覚した物の『認識能力』にも大きな差があります。一般的に、人間は人間の顔や表情の僅かな変化を認識するのが得意とされます。他の動物は区別がつかなくても、人間の顔は僅かな違いでも認識できると言います。人種が異なると、どれも同じような顔に見えるという話もあります。

人の顔を見ても表情が分からず、誰の顔かも分からなくて個人を識別できない『相貌失認(失顔症)』という脳障害による失認があります。その逆のようなこともあるでしょう。

一般的な人よりも遥かに繊細に違いを感じ取り、敏感に気づいてしまうタイプの人がいれば、普通の人は気にならないような僅かな違いでも気になってしょうがないということは十分にあり得ます。

シャンパン・トパーズのクロス(アンティーク・ジュエリー)『黄金に輝く十字架』
ゴールデントパーズ クロス ペンダント
イギリス 1880年頃
4,6cm×3,5cm(本体のみ)
SOLD

そういう人のために作られたのだろうとしか思えない宝物が、ごく稀に存在します。

石の色味や色の濃さ、質感など、全てを完璧に揃えたジュエリーです。

天然の宝石を使ったジュエリーでは、通常はあり得ないことです。

おそらく、大きな1つの結晶を使って作ったと推測します。そうでなければ不可能だからです。

ただ、それは非常に贅沢なことです。

大きいことだけを価値と見なすような成金嗜好ではまず発想しませんし、贅沢すぎるので上流階級でも普通はそこまでしません。

だからハイジュエリーでも滅多に見ないのです。

ヘキサゴンカット・アメジストの最高級ゴールド・ブレスレット

『アメジストの楽園』
アメジスト ゴールド・ブレスレット
イギリス 1880〜1890年頃
¥1,380,000-(税込10%)

無色透明を追い求めれば良いだけのダイヤモンドにはない、色石ならではの難しさであり魅力とも言えます。

アメジストの場合も、ちょっと色味が違ったら違和感が出ます。赤み寄り、青み寄り、黄色っぽかったりなど、色の濃さやインクリュージョン以外にも様々な変化要因があります。

天然真珠ピアス アンティーク・ジュエリー
天然真珠ピアス アンティーク・ジュエリー『美意識の極み』
天然真珠ピアス
イギリス 1870年頃
SOLD

美意識が凄すぎる人の場合、こんな宝物までオーダーしています。

ピアスの場合、通常は並べて比較されることはありません。

左右の耳につけてしまえば、多少の違いは全く分からないと思うのですが、まさかの、1粒の天然真珠を割って作ったピアスです。

もともと同じ天然真珠なので、質は完璧に合いますが、そこまでリスクを追ったり、技術を詰め込むのは物凄いことです。

とんでもなくお金もかかることですから、ただ何となくでオーダーできるものではありません。

その分、それが理解できる当時の社交界では、当然ながら賞賛対象になったはずです。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

今回の宝物はムーンストーン同士の距離が近く、メインの1粒以外は大きさも全て均一なデザインです。シンプルなデザインだからこそ、宝石の質が揃っていないと安っぽく見えます。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

それ故に1つの原石から石を切り出して、この宝物を作り上げたのでしょう。だからこその、これだけ質の揃ったムーンストーン56石なのです。違う原石から取った石と混ぜると、シラーの色や強さ、透明感などに違いが生じて違和感となったはずです。

2-4-2-4. 新興成金が台頭した時代らしい王侯貴族のジュエリー

大衆のための低品質の安物は問題外ですが、ムーンストーン・ジュエリーは成金ジュエリーとの差も分かりやすくて面白いです。

元庶民である新興成金の場合、根っこは同じですから庶民同様に安さを重視します。美しいことよりも安いことを喜びます。但し、自己顕示欲が強いので、安いけれど高そうに見えることが是です。

一方、王侯貴族は生まれながらに富と権力を持つ地位です。お金は気にしなくて良い立場である一方、深い教養や知性、美意識の高さがないと社交界での地位は築けません。それ故に、ジュエリーにはとにかく美しさや個性、格調の高さを求めます。

成金ムーンストーン・ジュエリーの特徴
【参考】1910年頃、落札価格約236万円(2017年現在)

成金ジュエリーの特徴は、とにかく石のサイズを主眼としたデザインです。

個性ある美しいデザインや、石の質に関しては二の次です。石が、他の人の物よりも大きいことだけが重要です。美意識がある人にとってはまったくもって理解不能な嗜好ですが、成金嗜好の人たちは大真面目です。

アメリカの新興成金向けのアメリカ製の高級ネックレス

【引用】THE MET / Necklace with Pendant ©The Metropolitan Museum of Art

中央のメトロポリタン美術館に寄付されたものはまだマシですが、当時アメリカの新興成金向けに作られたアメリカ製(ティファニー社)のネックレスを見比べると、とにかく石の大きさで競っていたであろうことが伝わってきます。

「アタシの方がデカいわ!!!」
「数と大きさのバランスから見て、アタシの方が高級よ!!!」

物事を唯一の評価指標(物差し、尺度)で判断するのは、本来はおかしなことです。物事を単純化しないと理解できない、浅薄愚劣な頭脳を堂々と示しているに等しい、厚顔無恥な行為です。複雑な物事を単純化して理解しやすくするテクニックはあって良いと思いますが、それは臨機応変に使い分けるべきです。いつでもそうするのは、もはや複雑系を複雑なまま処理する高性能の頭脳(CPU:中央演算処理装置)を持たぬ証明です。

"大きさ"のように唯一の評価指標で判断する場合、完全に優劣が付きます。これは人間に当てはめると分かりやすいかもしれません。テストの点数のみで人間の優劣を断定する行為と等しいです。テストで1位を取れない者は、人間として劣等扱いです。他の評価指標は考慮されませんから、「テストの点数は良くないけれど、とっても器用だよ。優しいよ。人を笑顔にさせてくれる力を持っているよ。力持ちだよ。」というようなことは完全に無視です。絵を描くことが得意だからと頑張ってどれだけ才能を伸ばしても、テストの点数が取れなければ劣等者であり、愚民と評価されます。

ジュエリーは持ち主である人間たちを如実に反映します。無個性な人が量産され、たとえテストで点数を取ることが得意であったとしても、人類最高の頭を持つ人は約80億人の中でたった一人です。それ以外の約80億人は負け組であり、劣等者です。

最も大きな宝石を使ったジュエリーが最も価値がある。それを持つ者は、「アタシが一番よ!それ以外は安っぽくて可哀想ねぇ、おほほ!(笑)」と自己満足に浸るのが成金社会です。王侯貴族の時代が終わり、成金が世界を主導するようになって数十年が経過しました。成金嗜好が人々の意識や思考に浸透するとどうなるのかと言えば、今のこの社会を見れば分かります。人間社会として、とてもまともで健全な姿とは思えません・・。

美意識の高い王侯貴族のムーンストーン・ジュエリーの特徴
ハート型ムーンストーンとサファイアのネックレスハート型ムーンストーン&サファイア ネックレス
イギリス 1880〜1890年頃
SOLD
ハート型ムーンストーン&クリソベリルのアンティーク・ネックレス スリランカ産ロイヤル・ブルームーンストーン&クリソベリル ネックレス
イギリス 1880年頃
SOLD

王侯貴族が華やかな席で使用するために作られたネックレスを見ると、例えばこれらのムーンストーンはハート型にカットされています。

ハート型は無駄が多く出るカットです。元々はもっと大きな原石から形を整えていきます。

成金ジュエリー用のムーンストーンの場合、最も大きくなるようにカットされます。だから単純な形状ばかりです。たくさん削って小さくしてしまうなんて、成金にはあり得ない方向性です。

王侯貴族は大きさよりも美しさを重視しますから、無駄が多く出たとしても、それで個性や美しさを表現できるならば喜んでやります。

アルバート王配がヴィクトリア女王のために、数千万円ほどかけてムガルカット・ダイヤモンドのコ・イ・ヌールをリカットしたエピソードにも現れています。リカットにより、石のサイズは186カラットから105.6カラットになりました。成金嗜好の人ならば「なんて勿体無い!!」と卒倒しそうですが、ヴィクトリア女王らはダイヤモンドらしく美しい輝きを放つようになったということで大満足、大喜びだったそうです。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

ハート型などではない、この小さなムーンストーンのネックレスはどう贅沢なのでしょうか。

ムーンストーンの原石

"AdularireSuisse2" ©Didier Descouens(24 August 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0

"Azulicite" ©Didier Descouens(23 August 2009)/Adapted/CC BY 4.0

これらはブルー・シラーを放つムーンストーンの原石です。右側の結晶だと特に、ブルー・シラーは方向性が重要だと分かりやすいですね。

2つを部分拡大してみましょう。


"AdularireSuisse2" ©Didier Descouens(24 August 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0

"Azulicite" ©Didier Descouens(23 August 2009)/Adapted/CC BY 4.0

1つ目の原石はブルーシラーはあるものの、インクリュージョンが多く透明度が低いため、ジュエリー用の宝石には適しません。

2つ目は宝石にできる品質ですが、原石全てが利用できるわけではなく、どうカットすれば最も有効利用できるのか頭を悩ませなければなりません。

ムーンストーン(サニディン)3.5×2.2cm
"Azulicite" ©Didier Descouens(23 August 2009)/Adapted/CC BY-SA 4.0

画像で見るとゴツくて大きく見えますが、この原石の実際のサイズはたった3.5×2.2cmです。

これでは56石も使った今回の宝物には全然足りません。

ムーンストーン(サニディン)3.6カラット "AzuliciteTailee" ©Didier Descouens(23 August 2009)/Adapted/CC BY-SA 4.0

大きさだけを価値とする現代だと、カットは最も大きくなる条件の一択です。

今回の宝物に使った原石ならば、かなりの大きさの上質なムーンストーンを取り出せたことでしょう。しかしながら、敢えてこのような石をさらに細かく56石にカットし、完璧に石が揃った気品あるネックレスにしてしまったのです。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

成金ジュエリーとは真逆です。

これこそが社交界で、並いる王侯貴族をも圧倒する最高級のムーンストーン・ネックレスと言えます!!♪

ここまでご説明すれば、いかにこの宝物が凄いものかがお分かりいただけると思います。でも、一見しただけでは、ジュエリーや宝石に知見がない現代の殆どの庶民には分からないと思います。それは私も含めてです。

ヨーロッパの上流階級は、分かる人にだけ分かれば良いという意識が徹底しています。それ故にその世界は一般には知られざるものですし、ジュエリーについてもそうなのです。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

正面から見ると完璧に均一に見えますが、別の角度で見ると石をカットする際の苦労が分かります。天然石は2度と同じ物は手に入りませんし、金属細工のようにやり直しがききません。限られた貴重な原石を使い、いかに最大限に美しく見えるムーンストーン・ネックレスを完成させるか。

1粒1粒、本当に頭を悩ませながら、高度な技術で丁寧にカットされたからこその美しいブルー・シラーなのです。この宝物のムーンストーンは、見ていて飽きることがありません♪♪

3. アンティークのハイジュエリーならではの作り

3-1. シンプルながらも珍しいセッティングのチェーン

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

一見すると何の変哲もないチェーンに見えますが、ロンドンのディーラーも「これまで見たことがない!」と言及するほど珍しいチェーンです。

私たちも様々なアンティークジュエリーを見ていますが、本場イギリスで卸をやっているディーラーなので、見たことがあるジュエリーの数だけ比較すれば、私たちとは桁違いです。それでも見たことがないということに驚きました。

フランスのペルピニャン・ガーネットのアンティーク・ネックレス

ペルピニャン・ガーネット ネックレス
フランス 19世紀
SOLD

そもそもこれほどシンプルな高級ネックレス自体が滅多になくて、10年以上も前にご紹介した宝物です。

円形にカットした宝石は、それぞれ中央の位置で連結されています。これが一般的です。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

今回の宝物は上部で連結されています。たったそれだけの違いではありますが、想像以上に雰囲気に差が出ます。

フランスのペルピニャン・ガーネットのアンティーク・ネックレス
本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

今回の宝物は、ムーンストーンが首元で美しく身体に寄り添いながら下がっています。しなやかさが、より女性らしさを惹き立てます。特別な作りは、別格の高級感や気高さも演出しています。

簡単なことに見えますが、発想の転換とデザイン上の緻密な計算があってこその作りと言えます。

フランスのペルピニャン・ガーネットのアンティーク・ネックレス
本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

一般的なチェーンだと、石と石を直接連結します。

しかしながら今回のように石を垂れ下がらせるチェーンの場合、1つ余分にパーツが必要となります。

連結法が異なるネックレス
フランスのペルピニャン・ガーネットのアンティーク・ネックレスペルピニャン・ガーネット:32石
連結パーツ:32個
本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレスムーンストーン:56石
連結パーツ:112個

石が大きいほど連結する数が少なくて済み、その分だけ手間もかかりません。

今回の宝物は敢えて小さな石を使っている上に、特殊な構造でデザインしているので連結するパーツの数も多いです。単純に連結する場合の、倍の手間が必要です。宝石にしか注目できない人には分からないことですが、王侯貴族のハイジュエリーのコストに於いて、第一級の職人の技術料や人件費は大きな割合を占めます。

一見すると同じようなネックレスにしか見えないかもしれません。しかしながら、間違いなくコスト的に見ても相当に特別なハイジュエリーとして作られているのです。まさに美意識の高い王侯貴族の最高級品として相応しいネックレスです♪

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス
本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

セットしたゴールドのフレームにミル・グレインはありません。様々なジュエリーをより美しく魅せてくれるミル・グレインですが、ムーンストーンの透明な美しさや優しい光には、ミルの華やかな輝きは邪魔です。

フレームは限りなく存在感を消した作りです。正面から見ると、極上のムーンストーンの美しさに没頭できます。横から見ると、思いのほかゴールドのフレームには厚みがあることが分かります。そこにしっかりとチェーンが連結されています。高度な技術を持つ職人による、ハンドメイドのしっかりとした作りが分かります♪

3-2. 高級品の証であるセーフティ付きのクラスプ

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

そのネックレスがどの程度のジュエリーとして制作されたのかは、クラスプを見て判断することが可能です。

それぞれに個性があり、工夫を凝らす方向性も様々です。こういう物だから高級、低級といった画一的な判断はできません。知識一辺倒の頭デッカチな人には理解が難しい領域ですが、どのような意図でそのクラスプを選んでいるのか、当時の持ち主たちの思考をきちんとトレースして想像できれば、簡単に判断できるはずです。

【参考】シルバー・クラスプの養殖真珠ネックレス(現代)

現代の養殖真珠ネックレスは、クラスプはシルバー製だったりします。

プラチナやホワイトゴールドが使える現代では、シルバーはアクセサリー用の金属です。

ゴールド:8,514円/g
シルバー:101.64円/g(2022.9.24現在)

シルバーはゴールドの85分の1の価値しかありません。

ほぼ貝殻を削った珠であり、いくつでも量産が可能である養殖真珠はアクセサリー同然だからこそ、相応しいのはシルバーの量産クラスプということでしょう。

落としてもいくらでも替えがききますから、クラスプにセーフティ的な構造はありません。セーフティ的な構造にするにはコストがかかります。その分を価格に上乗せしても、セーフティが付いていることに顧客が喜び、売れ行きが上がるのならばセーフティを付けるでしょう。

しかしながら現代の大半の顧客は安い方が喜ぶため、コストを抑えるためにより安い金属を選択し、デザインや作りもコストダウンした簡略なものとします。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

このネックレスのクラスプは、きちんとストッパーが付いています。

このことが、このムーンストーンの価値を物語っています。どれだけお金を出しても、2度と同じものを作ることはできません。絶対に落として無くしたりしてはいけないのです。

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

着脱しやすいよう、金具には波型のギザギザが施されています。ハンドメイドならではの丁寧な作りと、高級品ならではの細部に至るまでの気遣いが素晴らしいです♪

裏側

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

裏側もスッキリとした綺麗な作りです。

裏側のシラーも美しいので、裏側から眺めるのもとっても楽しいです♪

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

着用イメージ

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス
←↑↓実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

透明度が高く、衣服の上から着用する場合は合わせる色によっても雰囲気が変わります。考えるのも楽しそうです♪

本物のブルー・ムーンストーンのアンティーク・ネックレス

後ろまでムーンストーンがセットされているので、アップのヘアスタイルでパーティ・ドレスなどをお召しの際も、後ろ姿まで気を遣った素敵なお姿になれます♪

長さは43.2cmです。当時、短めのネックレスが社交界で流行しており、お首元の形状によってはやや短く感じられるかもしれません。チェーンを足して、長さを調整することも可能です。必要な際は、元に戻すことができます。唯一無二の素晴らしいムーンストーン・ネックレスですので、気になった方はぜひそのことも考慮してご検討いただければと思います。