No.00342 Eternal Wave |
神技のナイフエッジによる優美な波のデザイン!!♪ |
通常の天然真珠 | 【別格】 マイクロパール |
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大 | 中 | 小 | 極小 | |
限界まで小さなハーフパールを駆使した、極めてデザイン性の高いリングです!!♪ |
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『Eternal Wave』 |
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神技のナイフエッジによって、連続する美しい波を表現したリングです。ナイフエッジを使ったリングのこのような表現は、これまでに見たことがないような珍しいものです。当時の第一級の職人による、拡大しても粗が見えない完璧な作りは、小さなリングとはとても思えぬほどです。 デザイン性の高いリングは数が少ない中、小さな面積に極小のハーフパールを17粒も配置し、素材としては天然真珠とゴールドだけで、これだけアーティスティックなデザインを実現しています。波のモチーフは日本美術の影響とみられます。おそらくアングロジャパニーズ・スタイルの特別な作品として作られたからこその、別格のデザインと作りの良さであると推測します。作者がアーティスト兼職人としてのプライドにかけて、魂を込めて制作したコンテスト・ジュエリーだった可能性も十分に考えられます。 デザインとしては普遍性あるものへと昇華しており、今の感覚で見ても全く古い感じがしません。極上の天然真珠も、磨き上げられた黄金の光沢も見事で、清楚でエレガントながら華やかさも備えており、1つで使っても、コーディネートしても楽しい宝物です♪♪ |
この宝物のポイント
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1. レイト・ヴィクトリアンの王侯貴族らしいリング
1-1. 清楚でエレガントな雰囲気
清楚さと共に、ヨーロッパ貴族らしいエレガントさも感じるデザインです。 |
まるで作られたばかりのようにコンディションが良く、スタイリッシュなデザインもあって、あまりアンティークジュエリーらしく感じない方もいらっしゃるかもしれません。 |
でも、アンティークジュエリーをたくさん見ている私には、「アンティークジュエリーの良さが詰まった、いかにもアンティークの最高級品らしいリング」と感じられる宝物です。 同じもの見ても、どう感じるかは受け手によって変わります。ジュエリー文化が形成されたこなかった日本で、アンティークジュエリーは日本人にどのように受け入れられていったのか、今回少しご説明しておきます。 |
1-1-1. ジュエリー制作が変容した第二次世界大戦後の時代
『アンティークジュエリー』はGenが見出し、アンティークジュエリー専門ディーラーとして日本で初めてご紹介したジャンルです。歴史的に見ると、欧米で今のように市場が確立されたのは、実はGenあってこそとも言えます。そのうちご紹介しますが、今回は詳細は割愛して掻い摘んでお話しいたします。 Genがこの仕事を始めた1970年代は、本場ヨーロッパでも現代のような『アンティークジュエリー』というジャンルは確立されておらず、まだ黎明期でした。 20世紀に入り、第一次世界大戦によってヨーロッパの王侯貴族が力を落とし、第二次世界大戦によって王侯貴族が世界を主導する時代は終焉を迎えました。それにより、高度な技術を持つ職人による優れたジュエリー制作の歴史も途絶えました。 戦後はアメリカを筆頭とした新興勢力が世界を主導する立場となり、ジュエリーも成金向けの"ブランド頼りの中身がない量産品"へと変化していきました。 「昨日と今日で別人!」というような急激な変化ではなく、ある程度グラデーション的に変化しています。渦中にいる人がそれを認識し、把握するのは至難です。変化が終わり、歴史として振り返ることができる今だからこそ分かることは多いです。 |
1-1-2. アンティークジュエリーの定義
さて、皆様は『アンティークジュエリー』の定義をどのようにご理解していらっしゃるでしょうか。 アンティークジュエリーを語る前に、そもそも『アンティークジュエリー』とは何なのか、きちんとご説明しておきたいと思います。 アンティークは日本語では骨董品です。稀少価値のある古美術や古道具と定義されています。 「定義されている」と聞くと、万人に共通する明確な判断基準があるように錯覚しがちです。しかしながら『古い』、『稀少価値』共に曖昧な言葉です。実は如何ようにでも解釈して定義できてしまうのが、『アンティーク』です。気をつけないと、気づかぬうちに、誰かの良いように解釈や判断などの"思考の内"をコントロールされてしまいます。 |
1-1-2-1. 『古い』の定義
古い。 この言葉を定義して下さいと言われたら、皆様は何とお答えになるでしょうか。 本来は定義のしようがありません。 |
天日干し中の稲穂(六本木ヒルズ・屋上庭園の田んぼ 2012年9月) | 例えば毎年穫れるお米の場合、新米が出回り始めれば、去年のお米は『古米』として古いもの扱いです。 |
英国王室御用達ウェイトローズで購入したハムステッド・ヒースでのピクニック用ワイン(ロンドン 2018年5月) | 一方、ワインは1年だと若いです。 3年くらいでも若いでしょうか。 5年くらい経つと古いでしょうか。 7年くらいは必要でしょうか。 10年は経たないと古くないでしょうか。 100年は経たないとダメでしょうか。 結局、時と場合に依ります。 |
小学校に入学した頃は、6年生を見て「大人だなぁ。」と感じていました。5年生ですら、十分に大きく見えました。 大人になった今では、10〜12歳の小学5、6年生は殆どが幼く見えます。 コミュニティ次第だったりもします。大学の研究室で、23歳のM2(大学院2年生)の女性から「石田さん、23歳にもなるとお肌の曲がり角が来ちゃうのよ〜。」と真顔で言われました。私は当時大学4年生で、20歳です。当時の研究室は私以外の女性が22〜23歳で、私がその先輩にとって"若い"からのコメントですが、20歳と22、23歳なんて五十歩百歩です。一般社会に出れば、違いがあるとは言わないくらいの年齢差ですよね。 学生時代は1学年違うだけで、異様なほど先輩・後輩の関係性の遵守が求められます。そのせいで3歳違えば、ものすご〜く違うと感じる人もいるでしょう。 先輩は色白美人で、当たり前ですがまだ23歳でしたから老化の気配もありません。私は「???」という反応をしたのですが、「この年になれば分かる。」と言われてしまいました。 |
世界地図(2004年) |
国連が発表した2020年の国別の平均年齢を見ると、日本は48.36歳です。高齢化が進行する現代の日本では、23歳なんてまだかなり若い印象ですね。 しかしながら平均年齢が10代という国は結構存在します。カメルーンは18.69歳、ウガンダは16.73歳、ニジェールに至っては15.15歳です。このような国だと23歳は立派な大人であり、「アタシまだ若いの〜。可愛いでしょ。難しいこと分かんな〜い。チヤホヤして〜!」なんて態度をとったら、ちょっと驚かれるかもしれませんね(笑) |
帰国報告に参内した捨松(1860-1919年)1882年、22歳頃 | ちょっと前までは、日本も20歳を過ぎた女性は売れ残りのオバサン扱いでした。 日本初の女子留学生として名門大学の学士号を優秀な成績で取得して戻ってきた山川捨松は23歳の時、生涯の親友となったアメリカのアリス・ベーコンに宛てた手紙で「20歳を過ぎたばかりなのにもう売れ残りですって。想像できる?母はこれでもう縁談も来ないでしょうなんて言っているの。」と書いています。 |
25歳ともなれば『オールド・ミス』と呼ばれたり、30歳を過ぎて未婚だと『負け犬』と呼ばれる時代もありました。かなり酷いことのように思えます。それでも当時はこれらの言葉が大流行しており、当たり前の感覚として捉えられていたであろうことが想像できます。 今は、30代でもまだ若いと見なすことも結構ある気がします。 意図して起きた変化ではありません。なんとなく時代と共に変化していきました。気づかない人、意識しない人の方が多いくらいでしょう。 これくらい『古い』の定義や、感覚は曖昧です。 別にそれはそれで良いと思いますし、時と場合に合わせて感覚で判断すれば、困ることは往々にしてありません。ただ、定義が必要となるシーンがありました。 |
1-1-2-2. 関税で必要となった『アンティーク』の"数値的な定義"
第一次世界大戦とスペイン風邪による人々の意識変化
マスク未着用者を乗車拒否するシアトルの路面電車(1918年) | 1918年11月11日、ヨーロッパを荒廃させた第一次世界大戦が終わりました。 1918年から1920年にかけて、全世界的にスペイン風邪(H1N1亜型インフルエンザ)が大流行しました。 スペイン風邪は全世界で5億人が感染したとされます。 当時の世界人口は18〜19億で、約27%の人が感染したと考えられています。 死者数は1億人を越えていたと推定されています。 |
スペイン風邪の犠牲者の遺体を運赤十字の職員(セントルイス 1918年) |
第一次世界大戦では若い人が大勢亡くなりましたが、スペイン風邪でも若い人が大勢亡くなりました。むしろ後者の方が若い犠牲者は多かったです。 一般にインフルエンザの犠牲者は乳幼児(0〜2歳)、高齢者(70歳以上)、免疫不全者に集中します。しかしながらスペイン風邪では何故か若い世代ばかりが亡くなったそうです。 アメリカでは1918年から1919年までのスペイン風邪による死者の99%は65歳未満で、ほぼ半数が20歳から40歳でした。1920年死者の92%が65歳未満で、日本でも同様の傾向がありました。 第一次世界大戦とスペイン風邪という相次ぐ災厄により、若い世代も含めて死を身近に感じ、考えることとなった、特殊な時代と言えます。 死を身近に感じた時、皆様ならばどのように考えそうですか? 子育て中の方ならば、子供のためにもまだ死ねないと、とにかく生きるということを優先するかもしれません。 そのような強い責任あるの立場ではなくなり、やりたいことも十分にやり尽くしたと思えるような年齢に到達していれば、これまで生きてこれたご恩返しとして、できる限り人の役に立とうと善行に励むかもしれません。 しかしながら、やりたい夢などもまだ実現しておらず、仕事も遊びもまだまだやりきっていないほど若かったらどうでしょう。 |
ローマ皇帝ネロと家庭教師ルキウス・セネカ(紀元前1年頃-65年)プラド美術館 "Neron y Seneca (barron)" ©Museo del Prado/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
第5代ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師であり、治世初期はブレーンとして活躍した政治家/哲学者/詩人のルキウズ・アンナエウス・セネカ(小セネカ)は、「人生は短いのではない。人間がそれを短くしてしまっているのだ。」と述べています。 人が1日1日を大切に生きていない、1日1日を生かしきっていないという意味です。 セネカは毎日を「人生最後の1日」のように思いながらも、明日を頼りにして今日を失わないこと、心の多忙から解放されるように意識を向けることを薦めました。心の多忙さに囚われていると、たとえ引退して別荘に住み、世間一般には幸せそうに見えても物質的な豊かさのみで、本人の心は感じるべきことを感じないと述べました。セネカはこれを『怠惰な多忙』と呼んでいます。 共感できる方もたくさんいらっしゃると思います。 |
天空を担ぐアトラス神(古代ローマ 2世紀頃)ナポリ国立考古学博物館 "MAN Atlante fronte 1040572" ©Lalupa/Adapted/CC BY-SA 4.0 | 不老不死の弊害は様々言われています。 肉体的なデメリットもありますが、それ以外に昔話の教訓でよく語られるのが、主に精神面に起因する問題です。 いつまでも生きていられると思うと、途端に何もしなくなるのが人間の性です。「明日で良いや。」、「今日でなくても良いや。」と面倒なことを先送りにし、"永遠に何もしないこと"と同義となります。 「不老不死である神は何も創り出さず、人間だけが新しい何かを創り出し、進化することができる。故に死は神からの贈り物である。」といった表現をする人もいます。 |
エンターテイナー ジョセフィン・ベイカー(1906〜1975年)1927年、21歳頃 | 平和な時代はいつまでも生きていられると錯覚しがちです。余命が長い若者ならば、余計にそう感じるでしょう。 しかしながら1910年代後半、世界は異常でした。若くてもある日突然、心の準備も十分でないまま亡くなる身近な人をたくさん見ました。 恐ろしい時代が終わった1920年代。 人は死ぬし、いつかではなく明日かもしれない。明日は我が身。 そう思えば、やりたいことはやっておこう、今を楽しんでおかなくてはと、若者パワーが炸裂するのは当然の流れです。 人に意地悪しようなんて発想も、絶対に出てこないですよね。人に優しくしよう、皆が幸せでありますようにと、皆が思ったことでしょう。 |
高齢化社会と違い、当時は若者の方が圧倒的多数でした。このような時代背景によって、第一次世界大戦とスペイン風邪後の1920年代は『狂騒の20年代』、『ジャズ・エイジ』として花開きました。 |
アールデコの王侯貴族のハイジュエリー | ||
『勝利の女神』 ガーランドスタイル ダイヤモンド ネックレス イギリス or フランス 1920年頃 ¥6,500,000-(税込10%) |
『Bright things』 ダイヤモンド 3連ピアス イギリス 1930年頃 SOLD |
『Nouvelle-France』 ダイヤモンド ピアス ヨーロッパ? 1920年頃 SOLD |
死を身近に感じ、若いエネルギーを爆発させたのは庶民に限りませんでした。王侯貴族もそれぞれに鮮烈な経験をしたことで、例えばイギリスでは『Bright young things』、あるいは『Bright young people』と呼ばれてタブロイド誌などを賑わせる王侯貴族やソーシャライトたちが現れました。そしてこの『眩い若者たち』が、新しい流行や文化を作っていきました。 この時代はダンスも一変しました。ヨーロッパの王侯貴族らしいオーソドックスでエレガントなダンスではなく、リズミカルなチャールストンなどが大流行しました。いかにもパワフルな若者らしい感じですね。 だからこそ、ハイジュエリーもポジティブな雰囲気に満ちたデザインであったり、動きのあるダンスに合わせて映えるような、揺れ方に気を遣ったダイヤモンド・ジュエリーが多いです。 このような感じで、上流階級の文化的中心地は依然としてヨーロッパにあったものの、世界経済全体で見ればその中心はかなりアメリカに軸を移していました。 |
経済面でのヨーロッパの没落とアメリカの地位の確立
イギリスの公式カメラマンが撮影したポジエールの戦場(1916年8月28日) |
第一次世界大戦は最終的には1917年にアメリカが参戦したことで、イギリス、フランス、ロシアを中心とした協商国側の勝利に終わりました。 国土が戦場になるか否かは極めて重要です。この大戦では汚い化学兵器なども大量投入されました。この消耗戦の戦場となったヨーロッパは、大きく疲弊しました。 |
前線近くで観測気球に乗っているアメリカ軍の少佐(1918年) | 一方で、アメリカは大戦によってボロ儲けしました。兵器や航空機、潜水艦や戦車、軍用車、通信システムなど軍需産業は儲かります。 重工業に投資して産業界も儲かりますし、雇用も増え、国民も潤います。 戦後は帰還兵による消費の拡張もありました。 墓場にお金は持っていけない。 死を身近に感じる経験をした帰還兵たちならば、「楽しいことにパーっと使っちゃおう!♪」と消費拡大に貢献するのは自然な流れですね。 |
T型フォードの組立てライン(1913年) |
モータリゼーションのスタートによる自動車工業の躍進によって、内需も大きく拡大しました。フォード社が1913年に組立て工程でベルトコンベアを導入し、流れ作業を実現したことは有名です。 大量生産を実現する高効率の工場設備と製造システム、それによる短納期と低価格化の実現、士気を高めるための高給がアメリカのさらなる発展をもたらしました。 |
T型フォード(1910年) |
フォード社は1908年の発売から1927年まで、20年近くT型フォードの1モデルだけを販売し続けました。 『金持ちのオモチャ』と呼ばれていた自動車は、大衆的な輸送手段となりました。フォードの競争力は圧倒的で、当時アメリカの自動車会社は150社もありましたが、アメリカ市場の5割をフォードが占めるようになりました。 結局、大衆は安いことを最優先にします。150社もあれば様々な面白い会社があったでしょうけれど、結局大衆を相手にしたやり方がビジネスとしては最も成功を収め、チャレンジングなことをやっていた魅力的な会社は淘汰されていきました。 こうして大衆の時代へ移っていきました。1920年代は豊かになったアメリカの若い中産階級が主役となり、旺盛な消費意欲で経済を牽引したのです。 |
イギリス海峡を泳いで渡った最初の女性ガートルード・エダールのパレード (ニューヨーク 1926年) |
これは1926年8月6日にイギリス海峡を泳いで渡ることに成功した最初の女性、ガートルード・エダールのパレードの様子です。ブロードウェイの通りが人に埋め尽くされています。 |
全国初 歩行者天国始まる(銀座通り 1970/昭和45年8月2日) 【引用】東京都WEB写真館 ©東京都 | 私はちょっと1970年の銀座の歩行者天国の様子を思い出しました。 1950(昭和25)年に勃発した朝鮮戦争による特需景気で、連合国軍占領下の日本は戦後不況から脱却しました。 その後、1952(昭和27)年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効となり、日本国民の主権が回復しました。1947年生まれのGenは『団塊の世代』と呼ばれますが、1945年から1952年までの約7年間については『占領下の日本生まれ』という世代カテゴリーもあっても良さそうですよね。 この後、独立国となった日本は1954(昭和29)年から1970(昭和45)年の間に飛躍的な経済成長を遂げました。この約16年間が『高度経済成長期』と呼ばれます。 |
朝鮮特需に於ける発注物資・サービス | |
朝鮮戦争で積み上げられた土嚢(平壌 1951年) | 毎日新聞社『昭和史第14巻 講和・独立』より 軍用機P-51の修理 |
戦争特需で潤うというのは、第一次世界大戦の時のアメリカと同じですね。 朝鮮特需では、特需の大部分が繊維製品だったそうです。土嚢用の麻袋、軍服、軍用毛布、テントなどです。織機をガチャンと織れば万のカネが儲かるという意味で、『ガチャマン(万)景気』とも呼ばれます。 他に鋼管、針金、鉄条網などの各種鋼材、コンクリート材料(セメント、砂利や砂などの骨材)、食料品なども特需でした。 1952年3月にはGHQ覚書によって、日本企業に対する兵器や砲弾などの生産許可も下りました。実質的な命令です。航空機や車両修理も特需だったそうです。 1950年から1952年までの3年間で10億ドルの特需、1955年までに36億ドルの間接特需があったと言われています。とんでもない金額ですね。そして、経済を強力に回すパワーも感じます。 |
モータリゼーションの到来(自動車で混雑する祝田橋交差点 1960年)【引用】東京都WEB写真館 ©東京都 |
庶民が豊かになり、モータリゼーションが起きるのも1920年代のアメリカと同様です。 若者たちが皆、死を身近に経験しているというのも同様でした。モーレツに働くのは今の若い人には耐えられないことでも、死を身近に経験した人たちにとっては毎日を一生懸命に生きている実感を得る、楽しい時間でさえあったかもしれません。 高度経済成長からバブル期にかけては日本も若い世代が流行や文化、経済を牽引しました。 大量生産を生業とする大企業でサラリーマンをやっていた頃、とある女性上司に聞いたことがあります。まさにバブルの時に慶應大学の学生でした。『アッシー君』や『貢くん』なる者は本当に存在したのかとおバカなミーハー丸出しで尋ねたら、「理系だったからいなかった。文系の話じゃない?」と言われました。 そんな時代に入社した彼女曰く、当時の職場は20代ばかりで30代は殆どおらず、そういう人たちは少数の管理職だったそうです。20代ばかりなので、彼女も20代で普通にリーダーをやっていたとのことでした。同じ"日本"ですが、今とは全く異なる環境です。 |
アメリカで『狂騒の20年代』に於ける好景気の内容
『クレイジー・キャット・クラブ』の開店を待つフラッパーとパトロンたち (ワシントンD.C. 1921年) |
体感としてご存知の方も、話を聞いたことがあるだけの方もいるでしょう。1920年代のアメリカの『狂騒の20年代』は日本の高度経済成長からバブル期をご想像いただければ良いです。炸裂する若い庶民のパワー、そして、不安なんてまるでないと言うような強気の時代へと突入しました。 この繁栄はアメリカの大衆の大量生産・大量消費経済によってもたらされました。 |
大英帝国(1886年) |
かつての大英帝国は1850年から1870年頃に、『パクス・ブリタニカ(Pax Britannica)』と呼ばれる最盛期を迎えました。ローマ帝国の黄金期『パクス・ロマーナ(ローマの平和)』に倣った名称です。 世界に先駆けて産業革命を経験し、『世界の工場』として大量生産の製造業が最もうまく回っていた時代です。 その『世界の工場』としての地位がアメリカに移行していたのが、20世紀初頭の時代です。日本が大量消費時代に突入したのは戦後ですが、アメリカはこのタイミングでした。 1920年代のアメリカは、サプライサイド経済学(供給側の経済政策)の理論通りに経済発展しました。「供給力を強化することで経済成長を達成できる。」という理論です。作れば作るほど売れて経済が回るので供給する力、すなわち製造力をアップさせようとする考え方です。 この主張が成り立つには、生産したものが全て売れる(需要される)必要があります。これは『セイの法則』と呼ばれますが、需要と供給にはバランスがあり、全て売れるというのは非現実です。 ただ、需要側がそれまで自由にモノを買える経験がなかった場合に限れば、おそらくこの理論通りになります。 |
ボン・マルシェ(安い)百貨店に押し寄せるベルエポックの大衆(パリ 1887年) |
イギリスだとヴィクトリアン中後期、フランスだとベルエポック、アメリカは狂騒の20年代、日本だと高度経済成長からバブル期が該当します。 これは経験値がない故です。上流階級同様、あらかた買いまくって経験値を増やせば目も肥えます。消費意欲も満たされ、質はどうれも良くてとにかく何でも欲しい、数が必要というような行動パターンは消えていきます。 後で振り返れば、このように冷静に見ることは可能ですが、渦中にいる人はそうではありません。実際に当時はサプライサイド経済学が成立していると言えるほどの需要があり、住宅や耐久消費財の特需によって空前の好景気となりました。この需要がピークとなったのは1927年です。 そこから需要減に合わせて供給も抑えていけば問題ありませんが、多くの人は欲に溺れる性質があります。 この繁栄は永遠に続くものと錯覚し、自信過剰による過剰投資・過剰投機によるバブルが発生しました。 |
アメリカのバブル崩壊
ウォール街の群衆(ニューヨーク 1929年10月29日) | 衣食住が満ち足り、贅沢品や旅行などにも満足してくると、財産を増やそうと投資に回るのはいつの時代も変わらない人間心理です。 1924年以降、流入した投資資金によって株価は上昇を続け、1924年から1929年までの5年間でダウ平均株価は5倍に高騰しました。それに伴い中小の投資家も増え、広い層の人々が投資の世界に呼び込まれました。 気候の良いリゾート地であるフロリダでは不動産バブルが発生し、地価高騰に伴い、人が住むには適さない土地まで取引されるようになり、さらに値上がりは続きました。 日本のバブル期の話を聞いているかのようです。 |
世界恐慌初期の取り付け騒ぎ時にNYのアメリカ連合銀行に集まった群衆 (1929年、銀行は1931年に閉鎖) |
そしてお約束通り、バブルが崩壊しました。 1929年に『Black Thursday(暗黒の木曜日)』と呼ばれる、ウォール街大暴落による株式市場の崩壊が起きました。これをきっかけに世界恐慌が始まりました。 他国、しかも歴史上のお話として見るといまいちピンと来ない方もいらっしゃるでしょう。でも、日本でのバブル崩壊の衝撃や、その後の影響の大きさでご想像いただければ、当時の人々のショックや苦境も共感しやすいと思います。 このアメリカのバブル崩壊は、世界恐慌として世界に広がりました。 |
バブル崩壊を受けたアメリカの経済対策
第32代アメリカ合衆国 大統領フランクリン・ルーズベルト(1882-1945年) |
私は高校では日本史を選んだので、高校ではどれくらい世界史で詳しく学ぶのか分かりません。 ただ、世界恐慌は日本にも大きな影響があったため、アメリカの具体的な経済対策としては1933年に開始されたフランクリン・ルーズベルト政権時代のニューディール政策など、一連の流れは学んだ記憶があります。 |
第31代 アメリカ合衆国大統領 ハーバート・フーヴァー(1874-1964年)1928年、54歳頃 | ルーズベルトの前任、ハーバート・フーヴァーは世界恐慌に対して有効な政策が取れかったと評価されています。 1932年の大統領選で、対立候補のルーズベルトに40州以上で負けるという歴史的大敗を喫しています。 暗黒の木曜日だけで投機業者が11人も自殺し、アメリカの失業率は23%まで上昇しました。 経済対策は国民の誰にとっても生活に直結しますから、一番大事ですよね。 ただ、今回はこのフーヴァー政権時の対策がポイントです。ようやくここからが本題です。 |
スムート・ホーリー関税法による輸出品への関税強化
『猿相場』なんて言葉があります。 放っておけば猿でも勝てる、猿でも勝てるという相場を言います。強烈な上昇相場の場合、あれこれ考えて色々やってしまいたくなる人間よりも、何もせず放っておく猿の方が儲かる状況を表します。 好景気の時なんて、誰が大統領をやっても同じかもしれません。ただ、今までイケイケどんどんだったのに、ある日突然バブルが崩壊しました。 このような時、大統領が経済音痴なのか有能な人物だったのかが露見します。 |
リード・スムート上院議員(1862-1941年)& ウィリス・チャットマン・ホーリー下院議員(1864-1941年) | フーヴァー政権下、まず対策として打たれたのが『スムート・ホーリー関税法』です。 スムート上院議員とホーリー下院議員によって提案され、1930年6月17日にフーヴァー大統領が署名して成立した関税法です。 |
アメリカが第一次世界大戦のお陰で儲かったことはご説明した通りです。大戦中に、アメリカは債務国から債権国に転換しました。 それにも関わらず、ほぼ1920年代は保護貿易政策が採られました。 保護貿易は自由貿易の逆です。やり方は様々ですが、他国からの輸入品に関税をかけて輸入量を抑制したりします。自国産業の国際競争力が十分ではない時、自国産業を育てるために行うのが通常です。競争力が付けば自由貿易に移行するのが紳士的です。 |
ラジオを聴く第3代 商務長官時代のハーバート・フーヴァー(1874-1964年)1925年、51歳頃 | しかしながら自分たちだけより儲けたいアメリカは、債権国になり、好景気に湧く1920年代も保護貿易を続けたのです。 これは、第一次世界大戦でアメリカに債務を負ったヨーロッパ諸国の負担をより深刻にし、復興を妨げました。アメリカが空前の好景気に湧く中で、ヨーロッパ諸国の経済的繁栄が始まったのは1924年頃からと言われています。 そんなアメリカは世界恐慌への対策として、スムート・ホーリー関税法によって保護貿易を強化しまくる政策に出ました。 |
2万品目以上の輸入品に関して、関税を記録的な高さに引き上げました。スムート・ホーリー関税法は1930年関税法とも呼ばれます。 目先のことしか考えていない、酷い悪手ですね。相手の状況や思考パターンを演算し、数手先を読むチェス・ゲームをやったことがないのかと思えるほどです。 スムート・ホーリー関税に対し、多くの国がアメリカに対して報復関税をかけました。その結果、アメリカの輸入も輸出も半分以下に落ち込みました。当たり前の流れですよね。自分たちだけ有利な関税を適応させて儲かるという、『今だけ、金だけ、自分だけ』なんてできるわけがありません。たとえ一瞬だけ自分たちが儲かったとしても、持続は不可能です。 この酷い政策は世界恐慌を深刻化させることとなり、一部の経済学者や歴史学者はこの関税法自体が世界恐慌を引き起こしたとさえ主張しています。結局は第二次世界大戦の元凶にもなった、最悪の一手でした。 |
関税法のために必要となった『アンティーク』の定義
アメリカの擬人化(マイセン工房 1760年頃) |
さて、アメリカは"国の擬人化"に於いて、食べ物が溢れ出すコルヌコピアを持つ女神で表現される通り、作物が豊富に採れる豊かな国です。 スムート・ホーリー関税法はこの農作物などに高関税率を課すことで、他国からの輸入を排除し、自国生産品だけを国内で流通させようとしました。 重要品目のみで項目を絞れば面倒臭くないのに、2万品目以上の輸入品に記録的な関税の引き上げを実施するなんて、当時は本当に大混乱だったでしょうね。平均関税率は40%前後に達したそうです。 現代だとブレグジットによってヨーロッパ大陸からの輸入に5%も関税がかかるようになったと、イギリスのディーラーたちが憤慨しています。「まさに天災だ!(Disaster !)」なんて表現していました。高校時代に『disaster』という単語を覚えさせられ、「こんな単語、人生で使う時はあるのか!」と当時は憤慨していましたが、イギリス人の口からその単語を耳にし、役に立つ時が来るとはと驚きました。学生の方は、役に立たないと思えるようなものでも貪欲に吸収していくことをお勧めいたします!(笑) ちなみにこの5%の関税でも厳しいらしく、コロナ禍とのダブルパンチで廃業する人もチラホラいるそうです。 そんな、流通に大きく影響する『関税』ですが、スムート・ホーリー関税法ではアンティークに関してどうだったのでしょうか。 |
『アルプスの溶けない氷』 アルプス産ロッククリスタル 回転式3面フォブシール イギリス 18世紀後半 ¥1,400,000-(税込10%) |
先にご説明した通り、アンティークの定義は本来あいまいです。 王侯貴族の時代は、価値あるものかどうかはそれぞれの美的感覚で判断していました。 それで全く困ることはありませんでした。 上流階級の全員が優れた美的感覚を持っているわけではなく、中には詐欺師にひっかかる人もいたでしょう。 でも、特に定義したり、特定の専門機関や権威を必要とするようなことはありませんでした。 |
『黄金馬車を駆る太陽神アポロン』 シェルカメオ ブローチ&ペンダント シェルカメオ:イタリア 19世紀後期 フレーム: イギリス? 19世紀後期 ¥1,330,000-(税込10%) |
アンティークの時代はまだ優れた技術を持つ職人と、その価値が分かる上流階級がおり、リアルタイムで優れた美術工芸品が生み出される環境にありました。 だからジュエリーに関しても、特に古いものと最近作られたもので分ける必要もありませんでした。 古い、新しいというよりは、価値あるものと価値なきものの違いという印象です。 |
古代の価値ある宝物 | ||
『英雄ヘラクレス』 エレクトラム インタリオ・リング 古代ギリシャ 紀元前5世紀 SOLD |
『ヒッポカンポス』 ニコロ・インタリオ リング 古代ローマ 1世紀頃 ※リングの作りはヴィンテージ ¥3,000,000-(税込10%) |
『アレキサンダー大王』 アメジスト・インタリオ 古代ギリシャ(ヘレニズム) 紀元前2-紀元前1世紀 ¥4,400,000-(税込10%) |
もちろん当時もアンティークの概念はあり、今(当時)は作ることのできないもの、歴史や文化などの学術面で価値あるもの、古のロマンを感じ想いを馳せることのできる特別なものなど、様々な古いものにそれぞれ価値が見出されていました。 明確に言えるのは、当時は芸術作品や美術工芸品として価値あるものとそうでないものが、アンティークにも新品、中古、ヴィンテージにも存在したということです。 |
ティファニーのカリスマ創業者チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) | それはアメリカのティファニー創業者チャールズ・ルイス・ティファニーの行動にも現れています。 日本人がティファニーを知るのは戦後、高級宝飾店のイメージでプロモーションされるようになってからです。 名前だけは『ティファニー』ですが、とっくにティファニー一族の手からは離れ、創業者の時代の精神は雲散した後です。 もともとティファニー社は1837年に高級な文房具や装飾品を扱う店として、ニューヨークのブロードウェイで創業しました。 チャールズは職人ではありません。 |
1848年のフランス二月革命(19世紀)カルナバル美術館 |
カステラー二やカルティエ、ラリックなど、名の知れた有名ブランドはその名前を持つ創業者が職人として優秀だった結果として、ブランドとしての地位を確立した場合が多いです。しかしながらティファニーの場合は創業者は職人ではなく、経営者として優れていました。 チャールズ・ルイス・ティファニーは時代の潮流を読み、各分野の才能ある人物や、美術工芸品を目利きする力が総合的に優れていたようです。 1848年のフランス二月革命を始めとした、『諸国民の春』に於けるヨーロッパ情勢の不安定化のチャンスに貴族から重要な宝飾品を買い集めて宝飾市場に参入しました。フランスでは立憲君主制のオルレアン朝の王政が打倒され、それに伴い貴族たちがジュエリーや宝石を手放すことになりました。 |
各年代の王侯貴族のハイジュエリー | ||
『古のモダン・クロス』 ステップカット・ダイヤモンド クロス フランス 1700〜1750年頃 SOLD |
『忘れな草』 ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント フランス? 1780〜1800年頃 SOLD |
エナメル ピアス フランス 1840年頃 SOLD |
1848年と言えば、イギリスで言えばヴィクトリア女王が即位してまだ11年しか経っておらず、女王は29歳頃でアーリー・ヴィクトリアンに当たります。 この頃にフランス貴族が持っていたジュエリーには、既に100年以上経っていた古いものもあったでしょうし、母親や祖母世代が現役で使っていたというような比較的最近ものものあったでしょう。買ったばかりの新品に近いものもあったはずです。 そういうものも年代がどうこうではなく、押し並べて価値があるか否かでチャールズ・ルイス・ティファニーは入手したと推測します。 |
店に立つ創業者チャールズ・ルイス・ティファニー(1887年) |
この事業が大成功し、ティファニーはアメリカ1の宝飾店の地位を確立していきました。 平等を標榜して建国されたアメリカですが、"貴族"や"文化"、"歴史"には憧れがありました。目利きができる人にはあまり訴求性がないかもしれませんが、そうではない大半の成金にとっては『ヨーロッパの貴族が持っていたジュエリー』というのは1つのブランドとして高い価値があります。 諸国民の春で突然困窮した貴族は多くいました。ジュエリーや宝石を換金したい貴族が多くいたということは、需要に対して供給が多い状態と言えます。このチャンスにチャールズ・ルイス・ティファニーは安く買い付けることができました。 正常不安定なヨーロッパに対して、アメリカは1865年に南北戦争を集結し、『金めっき時代』に突入していきました。政治腐敗や資本家の台頭と、経済格差の拡大が起きた、"拝金主義に染まった成金趣味の時代"として認識される時代です。 あまり趣味の良い上品な時代ではなさそうですが、"どこどこ貴族の家から出た"と箔づけされた高級ジュエリーが高値で売れまくったことは想像に難くありません。 |
フランスの王冠・帝冠 | |
ルイ15世の王冠(フランス 1722年) "Crowns, Musee du Louvre, April 2011bladkened" ©CSvBibra(29 April 2011, 13:55:29)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
フランス皇帝ナポレオンの帝冠(1804年) ©David Liuzzo |
フランスはその後、ナポレオン3世による帝政が行われましたが、1870年に普仏戦争で皇帝ナポレオン3世が捕虜となり、廃位されて共和政に移行しました。 「王冠が無ければ、王は必要ない。」 そのまま売れるものはそのまま、必要なものは宝石を取り外して売却されました。フランス国王ルイ15世の王冠も1885年に宝石は取り外され、ガラスに置き換えられています。これが全て宝石だったなんて凄いですが、趣味やセンスが良いとは感じないデザインですね。 王冠や王笏などのレガリアは究極のドヤ・アイテムですから、まあ「さもありなん。」という感じではあります。Genは黎明期にこの仕事を始めただけあって、様々なアンティークジュエリーを買い付けるチャンスがありました。そのGenの感想の1つが、「王室のジュエリーって宝石が大きい分、デザインがつまらなくて案外面白くないものが多い。」ということです。 ロイヤル・ジュエリーでも日常用のものはまた別でしょうけれど、庶民が目にするロイヤル・ジュエリーは万人に富と権力を誇示するためのものなので、基本的には宝石頼りのドヤ系ジュエリーなんですよね。 ちなみに皇帝ナポレオン1世の帝冠のカメオはそのまま残っています。取り外しての売却を免れたようです(笑) |
フランスのクラウン・ジュエリー | |
フランス王ルイ・フィリップの王妃マリー・アメリ・ド・ブルボン=シシレ(1782-1866年)1836年、54歳頃 | フランス王妃マリー・アメリのサファイアのパリュール(王妃の在位:1830-1848年) "Parure della regina maria amelia, parigi, 1800-15 poi 1850-75 ca" ©Sailko(16 June 2016, 16:34:00)/Adapted/CC BY 3.0 |
その時に売り出されたものか確認できませんでしたが、これは1985年にルーヴル美術館が買い戻したフランス王妃マリー・アメリのサファイアのパリュールです。左が着用した姿のようですが、数が足りないようです。 |
フランスのクラウン・ジュエリー | |
フランス王妃マリー・アメリ・ド・ブルボン=シシレ(1782-1866年)1830年、48歳頃 | フランス王妃マリー・アメリのサファイアのパリュール(王妃の在位:1830-1848年) "Parure della regina maria amelia, parigi, 1800-15 poi 1850-75 ca" ©Sailko(16 June 2016, 16:34:00)/Adapted/CC BY 3.0 |
ストマッカーのデザインも当時と今とでは少し違うようです。また、この肖像画ではサファイアのティアラは着用していません。 |
1830年代のロイヤル・ファッション | ||
フランス王妃 | イギリス王妃 | |
マリー・アメリ・ド・ブルボン=シシレ(1782-1866年)1830年、48歳頃 | アデレード・オブ・サクス=マイニンゲン(1792-1849年)1831年頃、39歳頃 | アデレード・オブ・サクス=マイニンゲン(1792-1849年)1836年頃、44歳頃 |
王侯貴族の時代、肖像画は富と権力であったり、美しさや知性を象徴する姿で描かれました。女性はティアラを着用していたりしますが、1830年代は羽根飾りの帽子や、独特の着け方をするヘッド・ジュエリーが流行したようです。 |
フランス王妃マリー・アメリのサファイアのパリュール(王妃の在位:1830-1848年) "Parure della regina maria amelia, parigi, 1800-15 poi 1850-75 ca" ©Sailko(16 June 2016, 16:34:00)/Adapted/CC BY 3.0 |
長い年月の中、どこかのタイミングで適宜リメイクされたのかもしれませんね。時代によって流行は異なります。王侯貴族は最先端のものを身につけます。ただ、宝石はその稀少さ故に、欲しいと思ってもお金を出したからといって必ず手に入るものではありません。だから王室であってもリメイクするのは普通でした。 だからオリジナルで残っているのは本当に貴重なことです。目立つ宝石を使っているものほどリメイクの対象となります。その観点からも、細工物や特徴的な石の使い方をしている面白いジュエリーは、アンティークジュエリーとして本当に魅力があるんです!♪ さて、成金は私たちとは美的感覚も思考回路も全く異なります。成金はこのようなお墨付きのあるドヤ・ジュエリーだけが高級品だと考えますし、大好きです。 アメリカの新興成金が主要顧客となった金めっき時代のティファニーにとって、フランス政府から放出されるクラウン・ジュエリーはまたとないチャンスでした。 1887年、ティファニーは多数のクラウン・ジュエリーを購入しました。これが評判を呼び、アメリカに於けるティファニー社の地位を強固なものとしました。チャールズ・ルイス・ティファニーは人を見る能力だけでなく、商売上手でもあったと言えますね。 どこどこ王室から出たというお墨付きがあるドヤ・ジュエリーであれば、黙っておいてもビックリ価格で売れます。売る人も買う人も知識入らずで商売としては簡単ですし、お金儲けが好きな人には最適なビジネス・スタイルです。HERITAGEのようにゴチャゴチャ(笑)と詳しくご説明する必要もありません。その代わり、知的には全くも白くありません。宝石が大きいとデザインの余地が少ないため、センスが良いと感じるデザインもほぼゼロです。 ただ、ティファニーがこのようなジュエリーを価値ある王族のジュエリーとしてプロモーションしたため、アメリカ人が勘違いしたのでしょうね。そしてその影響が日本にも強く出ています。現代の日本人のジュエリーに対する意識は戦後に作られたものであり、戦後の日本はアメリカの影響が本当に濃いですからね。ある意味、成金嗜好の人は美的感覚は無いながらも勉強熱心で、感覚が無いからこそ教えられたことを素直に全て信じるピュアな人と言えるのかもしれません。 |
ルーヴル美術館のフランスのクラウン・ジュエリー・コレクション "FrenchCrownJewelsLouvre-1" ©owensdt1(11 June 2002, 13:51:13)/Adapted/CC BY 2.0 |
それはさておき、1887年にティファニーがフランスのクラウン・ジュエリーを大量買付けした当時、今で言うアンティークジュエリーもありましたし、ヴィンテージや中古くらいの年代のものもあったことは確実です。 ここからもご想像いただける通り、この時点ではジュエリーをアンティークと現代ではっきりと区別する必要がなく、古くて稀少価値があるものとしての『アンティーク』をわざわざ数字的に定義する必要はありませんでした。古い古くないではなく、ただジュエリーとして価値があるかどうかです。それは芸術性であったり、宝石自体の稀少価値ということでした。 20世紀に入り、1930年にアメリカが関税をかける際、なぜアンティークを数値的に定義する必要が出てきたのでしょうか。 |
イギリス貴族とその蒐集品 | |
美術品コレクター・第2代ポートランド公爵夫人マーガレット・ベンチンク(1715-1785年) | 『ポートランドの壺』(古代ローマ 5-25年頃)大英博物館 "Portland Vase BM Gem4036 n5" © Marie-Lan Nguyen / Wikimedia Commons(2007)/Adapted/CC BY 2.5 |
スムート・ホーリー関税法では、輸入品に高い関税をかけることで他国の物品が極力入ってこないようにしようとしました。ただ、その例外となったのが文化的に価値のあるものでした。 歴史が浅いアメリカは伝統がなく、文化も未熟という劣等感がありました。代々に渡って多くの貴族がヨーロッパ各地から価値あるアンティークを蒐集しまくり、美術館のコレクションも充実しているイギリスとは対照的です。 |
『大切な想い人』 リージェンシー フォーカラー・ゴールド 回転式フォブシール イギリス 1811-1820年頃(摂政王太子時代) ¥1,200,000-(税込10%) |
美術品やアンティークなど、文化的に価値あるものは積極的に増やしていきたい思惑がありました。 ただ、アンティークは関税を免除するとした場合、審査対象がアンティークであるかどうかを判断しなければなりません。 |
高い美意識によって親友となったイートン・コレッジ卒業生 | |
シングルマザーの帽子屋の息子 | 初代英国首相オーフォード伯爵の息子 |
古典学者・桂冠詩人・ケンブリッジ大学教授 トマス・グレイ(1716-1771年) | 第4代オーフォード伯爵ホレス・ウォルポール(1717-1797年)1756-1757年、39-40歳頃 |
絶対的な美的感覚を持つ人は、割合で見ると極めて少ないです。それは18世紀に活躍したケンブリッジ大学教授トマス・グレイとオーフォード伯爵ホレス・ウォルポールのイートン・コレッジ学生時代のエピソードからも分かります。 本場イギリスの上流階級や知的階級ですら、自身の絶対的な美的感覚で価値の有無を判断できる人は滅多にいません。アメリカが関税のためにアンティークかどうか判断しようとしても、審査官の全てが的確な判断能力を持つというのは現実的にあり得ないことです。 そこで誰にでも分かりやすく納得しやすい、"数字による定義"が必要となったのです。 |
スムート・ホーリー関税法に於ける『アンティーク』の定義
1930年のスムート・ホーリー関税法では、『アンティーク』は次のように定義されました。 「1830年以前に制作された美術工芸品(1700年以降の敷物やカーペットを除く)、芸術性の高い絵画コレクション、ブロンズ、大理石、テラコッタ、陶磁器、芸術あるいは学術的に価値のある美術装飾品・調度品」 1830年という数字はどこから来たのでしょうか。ただ当時にとっての100年前という、区切りが良い数字だったからでしょうか。 |
フォードの組立ライン(アメリカ 1913年) |
そうではありません。1830年という数字には具体的な根拠がありました。 18世紀半ばから19世紀にかけて産業革命が起こったとされますが、アメリカで大量生産が始まったのが1830年頃でした。 大量生産品には稀少性はなく、美術品としての価値はありません。同じものがたくさんある上に、新しく同じものを作ることができるからです。 |
【参考】鋳造による大量生産の安物アンティークジュエリー | ||||
例えば今、アンティークジュエリーとして流通しているアールヌーヴォーのこのようなペンダントも、鋳造による大量生産品です。 マスターとなる型の制作には、ある程度技術を持つ職人が必要です。しかしながら型ができてしまえば、後は溶かした金属を流し込んで冷やし固めるだけの作業です。高度な技術は必要なく、誰がやっても全く同じものができます。これが大量生産のメリットです。 |
シルバー・コイン(イオニア 202-258年頃) "Didrachme de Ionie" ©cgb.fr/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
技術としては、古代からある鋳造貨幣の製造法と変わりません。 アンティークコインへの投資話を耳にしたと仰るお客様がいらっしゃいました。「HERITAGEの宝物は作りを見て手仕事の1点物だと納得できるけれど、コインなんて現代ならば3Dプリンターでいくらでも同じものが作り出せるんじゃないかと思いました。それが本物の古いものであるという証明もなく、尤もらしい話をして投資話する人物を胡散臭く感じました。」とのことでした。 さすがHERITAGEの常連のお客様だと笑っちゃいました。感覚も知識も正しいです(笑) |
『アンズリー家の伯爵紋章』 ジョージアン レッドジャスパー フォブシール イギリス 19世紀初期 ※シルバーで型を取ったプレートをサービスでお付けします ¥1,230,000-(税込10%) |
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3Dプリンターが無くても、鋳造品の場合は元となるオリジナルが1つあれば、石膏で型を取って量産することが可能です。 これはサービスでお付けする記念品として制作したシルバーのプレートですが、悪意があればこの要領でゴールドリングやペンダントなども作成できます。 |
図柄自体は19世紀初期の第一級の職人が彫刻したものですから、とても優れています。伯爵の紋章というお墨付きもあり、これでゴールドのシグネットリングを作れば騙される人はいると思います。 こうして遊びで作る分には楽しいんですけどね。オリジナルも所有しつつ、本人がこれで様々なアイテムを作って個人的に楽しむには粋で良いと思います。 |
【参考】シルバーの聖セシリアのメダイ・ペンダント(現代) |
実際、アンティークのペンダントから型を取って鋳造した現代のリプロダクション・ジュエリーは存在します。これはきちんとその旨を説明して販売されていましたが、一旦中古になって、再度市場に出てきた場合はアンティークジュエリーとして販売される可能性が十分にあります。 オリジナルと全く変わりがありませんから、誰にもそれがオリジナルなのか現代のものなのか見分けが付けられないでしょう。 |
【参考】アンティークから型取りして鋳造した現代ジュエリー | ||||
同じものが作れない"稀少性"と"芸術性"という観点で見るならば、安易な大量生産品はたとえ古いものであったとしても、本来は"アンティーク"と呼ぶべきではないのです。 |
ローマン・バスで見つかったスリス-ミネルウァの頭像(青銅に金メッキ) "Minerva from Bath" ©Stan Zurek(2006年7月16日)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | ちなみに古代遺跡ローマン・バスのスリス-ミネルウァの聖泉からは、古代ローマのコインが約12,000枚見つかっています。 この他、古代コインは今でも各地で見つかっており、稀少価値があるとは言えません。 その時は稀少だったとしても、いつ新たに数千枚、数万枚単位で見つかるか分かりません。 流通貨幣なのですから当然です。1円玉、5円玉などに稀少価値がないのと同じです。 |
量産技術が確立されたものは、誰でも簡単に作れちゃいます。 |
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【参考】樹脂カメオ製作キットで作られたキリスト・カメオ |
【参考】ジャスパーウェアのジュエリー(ウェッジウッド 現代) | 型を使って量産したものをペタッと貼り付けるだけならば、技術を磨かなくても誰でも即戦力です。 風邪をひいて代理の人が作ったとしても、同じクオリティで作れます。 単純な作業なので早くできます。 だから大量生産品は安いです。その代わりに美術品としての価値もありません。 |
【参考】鋳造による大量生産の安物ジュエリー | ||||
Genや私ならば、年代などの数字による裏付けなど無くても美術品としての価値は判断できます。 しかしながら、美術品かどうかの判断を審査官個人の感覚に任せる難しいです。大量生産品なのかどうかは、1つの指標となります。高度な手仕事に基づく、価値ある美術工芸品なのかを判断する際、手っ取り早さと正確性を最も両立できるバランス点が1830年という区切りだったわけです。 あくまでもバランス点に過ぎないため、それ以前でも無価値のものもありますし、それ以降に作られていても価値を持つものはあります。しかしながらそれを議論し始めるとキリがありません。 1830年とはこの通り、「エイヤー!」と区切った結果です。これをしっかりと理解した上で、1つの道具としてうまく使う分には特に問題はありません。個別のことに関しては必要に応じて、適宜議論すれば良いだけです。 |
各国の対応
ヨーロッパ各国も、既に世界の経済的な中心となったアメリカの関税法に倣いました。1830年以前に作られたものをアンティークとしました。 定義されたことで、それまで曖昧だった人々の意識にも変化が起きました。価値あるものとしてアンティーク、ヴィンテージ、コレクターズ・アイテムというジャンルが確立していきました。 |
ロンドンで現代の照明器具店を視察するGen(1977年、29歳頃) | ロンドンでアンティーク・ショップを視察するGen(1977年、29歳頃) |
Genは日本初のアンティークジュエリー専門ディーラーです。本場ヨーロッパですらまだ確立したジャンルではありませんでしたし、日本で庶民がジュエリーを買い始めたのも1970年代頃からです。日本で初めてカルティエのブティックがオープンしたのも1974年でした。 ジュエリーに関する知識すら、まだ日本では怪しい時代です。当然ながら、アンティークジュエリーに関する日本語の知識なんて殆どないような時代です。まっさらだった時代に始め、知られざる古のヨーロッパの王侯貴族のアンティークジュエリーの世界をここまで明確なものとして確立したのがレジェンドGenです! 買付しながら現地のディーラーに色々教えてもらったり、書籍などで丹念に調べながらの大変な作業でした。Genも私も知的好奇心が人一倍強く、知ることが楽しくてしょうがないからこそできることです。私が調べ物オタクなのはご覧の通りですが、Genも実はとんでもなく知的好奇心が旺盛で、知識はもの凄いです。パソコンのタイピングが苦手で、私ほど情報を執筆していないだけです(笑) |
2度目の買付にロンドンを訪れた30歳頃のGen(1977年頃) |
そんなGen曰く、Genが仕事を始めたばかりの頃、ロンドンのディーラーはこう言っていたそうです。 ヴィクトリア女王の即位が1837年で、一般的には1700年頃から1830年代までがジョージアンに分類されます。 ジョージアン以前でないとアンティークではないと言われたと聞いた時、「当時のイギリスではそういうイメージだったのか。」程度に私は捉えました。でも、Genがこの仕事を始めた当時のベテラン・ディーラーが60歳くらいだったと想定すると、1917年生まれとなります。スムート・ホーリー関税法ができた1930年時点で、13歳くらいです。1935年の18歳頃から仕事を始めたとして、まさに「ジョージアン以前がアンティーク」という意識が形成されていった世代と言えます。 どちらかと言えば関税的な意味で、ジョージアン以前でなければアンティークではなかったわけですね。知ると納得です! |
スムート・ホーリー関税法の改正
第32代アメリカ合衆国 大統領フランクリン・ルーズベルト(1882-1945年) | フーヴァー政権下、世界恐慌を深刻化させる大きな原因となった1930年のスムート・ホーリー関税法は、次のルーズベルト政権下、改正されました。 改正法は1934年互恵通商協定法と呼ばれます。 平均関税率が40%前後もあったものを、必要に応じて引き下げたり撤廃できるようにしたものです。 |
アンティークの年代的な定義に関しても変更があったようです。1930年のスムート・ホーリー関税法で1830年以前とされていましたが、1934年の改正によって100年以上前に制作されたものに拡大されました。 この定義は、1995年に設立されたWTO(世界貿易機関)にも引き継がれて現在に至ります。大量生産については無視した定義となる問題はあるものの、これによってヴィクトリアンやエドワーディアン、アールデコも時期が来れば、関税的な意味で『アンティーク』と名乗れるようになりました。 |
『Shining White』 エドワーディアン ダイヤモンド ネックレス イギリス or オーストリア 1910年頃 SOLD |
Genがこの仕事を始めた頃は、レイト・ヴィクトリアンすらもまだ、関税的な定義上はアンティークジュエリーではありませんでした。 「最近までエドワーディアンもアンティークじゃなかったから大変だった。」と、苦労話をされます。 |
現代では絶大な人気を誇るアールデコのアンティークジュエリーですが、Genが仕事を始めた頃はまだ、アールデコなんて(存命中の)おばあちゃんが使っていた中古品のようなイメージと扱いだったそうです。 |
日本から来た若いGenは知識も経験もないからこそ頭デッカチで見ることなく、イギリス人のようにアールデコは中古だといった先入観もなく、曇りなき純粋な眼でアンティークジュエリーの真の価値を見出すことができたのでしょう。 これはイギリス人ディーラーにはできないことでした。Genが価値を見出し、日本で紹介し、追随した日本人ディーラーや観光客がアールデコやその他、現地の人たちが価値を見出していなかったものを買い漁り、値段が吊り上がり、確固たる市場として、今のようなアンティークジュエリー市場がヨーロッパでも確立されていったのです。 Genがこの仕事を始めた頃は1£が800円ほどもしたそうです。アンティークジュエリーの値段は上がっていきましたが、円高が進んだことで相殺され、日本人の感覚的には極端に値上がりすることなくアンティークジュエリーを買い続けることができました。 ロンドンのディーラー曰く、ドイツやオーストリアのディーラーは価格上昇に付いていけず、廃業した人が多いそうです。価値なきものとして知られざる存在となっていたアンティークジュエリーを、きちんと価値あるものとして世界に知らしめたのがレジェンドGenなのです!! |
ヨーロッパ某所のGen、60歳頃 | アルバート記念碑のアルバート黄金像(1872年) "Close-up of Albert Memorial" ©User:Geographer(10 November 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
このような背景があるからこそ、ヨーロッパでもGenを知る業界人は多いです。日本人には見えない(性別も不明だそうです)目立つ外見もあって実は結構有名人ですが、実際、相当な世界的かつ歴史的偉業を成し遂げているのです。 本人はまるで自覚がなく、それもあって全く威張りもしませんが、夫アルバート王配の偉大さを知ってほしいという願いで黄金像を制作したヴィクトリア女王を見習って、私もピッカピカのGenの黄金像でも制作しようかなと思うほどです。アンティークジュエリーの神、御神体として祭り上げたいくらいです。 冗談です(笑)でも、気持ちとしてはそれくらい尊敬しています。 でも、本当にGenは凄いんです!!! |
お雇い外国人 アーネスト・フェノロサ(1853-1908年)1890年、37歳頃 | イメージとしては、日本に於けるフェノロサという感じでしょうか。 西洋文化が急速に流入し、日本美術は日本人から"価値なきもの"として忘れ去られ、時には廃仏毀釈によって破壊の対象にすらなった時期がありました。 そこに外国人目線でフェノロサが高い価値を見出し、日本各地を回って集めた日本美術コレクションを欧米で紹介し、高い評価を得たことで、日本人の間でも日本美術が再評価されるようになりました。 |
ウィリアム・スタージス・ビゲロー(1850-1926年)1896年頃?、46歳頃? | ビゲローのように後に続く者も現れ、日本美術は確固たる地位を確立していきました。 それにより日本美術の価値も高騰していきましたが、ブルーオーシャンだった初期の頃は驚くほど安い価格で買い集めることができましたし、中には国宝級のものまでありました。 構図や流れとしては、イギリスに於けるGenと面白いほど同じなんですよね。 |
ただ、Genはフェノロサと比べても異次元の存在です。 知名度は圧倒的にフェノロサが上ですし、お雇い外国人という特権階級としての身分で活動していますから、一般人ならば不可能な場所にアクセスしたり、物を体験したり経験することはできたでしょう。 ただその一方で、フェノロサは美の真髄を理解する絶対的な美的感覚は残念ながら持っていませんでした。 Genは便利なコネクションや肩書きなどは持っていませんでしたが、絶対的で揺るぎない美的感覚を持っていました。まっさらな状態から1つのジャンルを構築できるほどの、絶対的な感覚です。 まあその点でGenは楽ができませんでしたが、その分だけ、天から必要な才能が与えられていたと言えるのかもしれません。才能が乏しい者はそれに見合うだけの苦労、才能豊かな者にはそれに見合う茨の道が人生にはあるということでしょう。 |
『廃墟と旅人』 マイクロカーブド・アイボリー ネックレス C.ハーガー作 1770〜1800年頃 SOLD |
Genはマイクロカーブド・アイボリーも見出しましたが、当時は全く知られざるものだったそうです。 マイクロカーブド・アイボリー製作者の殆どが宮廷彫刻家として君主に仕え、宮廷内の限られた人たちだけを喜ばせてきました。 最高クラスの美術工芸品に慣れ親しんだ宮廷の人々すらも驚かせた奇跡の作品でした。 しかしながら絵画や巨大な壺などと異なり、小さな宝物だったが故に殆ど一般公開されることもなく、世に知られざる存在でした。それ故にGenが手に入れることができ、価格も実際の価値からすると破格だったそうです。 当時はお城が買えるような価格だったとも言われていますからね〜。 |
美術館に納める前提で買い付けたものなどもあります。 この幻の宝物は、どこかの美術館でご覧になれる機会があるかもしれません♪ |
ジョージアン ブリストルグラス モーニングリング イギリス 18世紀後期 SOLD |
ちなみにこの宝物と同じリングは、イギリスのヴィクトリア&アルバート美術館でご覧いただけます。 行かなくても、美術館のHPで検索して見ることも可能です。敢えてここではリンクは貼りません♪ 初めてロンドンに買い付けに行った際、V&A美術館にも立ち寄ったのですが、見覚えがある宝物が展示されていて「え?えええ???!」とビックリしました。 私たちがお取り扱いする宝物は通常はオーダーの1点物ですが、モーニング・ジュエリーに関しては形見分けのような感じで、同じデザインで複数を製作することもあったようです。 まさにヨーロッパの大美術館クラスのミュージアム・ピースです!!♪ |
持ち主のお客様に、「V&A美術館に同じものがありましたよ。」とご報告しましたが、それをご存じでお求めになったわけではないので驚かれていました。そうは言っても、Genもお客様もそれほど驚いてはいらっしゃらなかったことが印象深いです。 なぜそのお客様があまり驚かれなかったかと言うと、Genがミュージアムピースをお取り扱いしていることは、Gen本人もお客様も当たり前のようにご存じだったからです。ご本人も美術品の目利きができるか、"人間"の目利きができて100%Genのことを信頼できる方か、或いはその両方の方ならば、誰でも確かなミュージアムピースが手に入れられるということです。 |
これもウィーンの美術館に同様の作品があるそうです。 |
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『チェリー・アート』 サクランボの種のペンダント ドイツ 18世紀後期 SOLD |
100年以上経過したジュエリー | ||
稀少価値あり | 稀少価値なし | |
知名度なし | 知名度あり | |
マイクロカーブド・アイボリー | ||
目利きができない人、自身の美的感覚で判断できない人は、他者が作った物差し(知識)で判断します。知らないものは価値が判断できません。 そのような人たちはマイクロカーブドアイボリーには全く興味を持たないでしょう。一方で、ろくに価値のないありふれたジュエリーを、知られているからという理由で安心して高値で買うわけです。 Genが見出し、マイクロカーブドアイボリーが知られるようになったことで、もう以前のような価格では手に入らなくなりました。オークションや特殊なルートを使えば価格を吊り上げられることも分かっているので、もう一般市場に出てくることもないでしょう。 Genの絶対的な目利きの才能は、むしろ業界内での方が知られています。だからGenが次に何に注目するか、虎視眈々に注目する人も結構います。 才能の使い方次第でGenはボロ儲けしたり、有名人になったり権威化したりもできたはずですが、そういうことは全く望みませんでした。 |
私が初めて手に入れたアンティークジュエリー | |
ピエトラドュラ ピアス イタリア 1830〜1840年 HERITAGEコレクション |
ピエトラドュラ バングル イタリア 1860年頃 HERITAGEコレクション |
私は元々ジュエリーにはまるで興味がありませんでした。現代ジュエリーのせいです!(笑) ただ、美術館で見る『個人蔵』を羨ましく思い、強い憧れを持っていました。国内で見る、私が欲しいと思うような美術品はもちろん和骨董です。ただ、そのようなものは代々続く家に伝わったものとしてしか、持つことはできないだろうと諦めていました。骨董市めぐりなんてやっても出てくるはずはありませんし、有力な骨董店で優先的に価値あるものを紹介してもらうには、余程の良い関係を築かなくてはなりません。和骨董の世界は独特です。 偶然Genのルネサンスと見つけ、ミュージアムピースが私のようなコネなしサラリーマンでも手に入るのかと驚いたものでした。当然、すぐに手に入れました!私は宝物運がGenも仰天するほど最強なので、タイミング良く、私に一番相応しい宝物が揃って出てきたんです!♪♪ 私がこの仕事を始めるにあたり、Genは言いました。「Wakaちゃん、この仕事は文化に貢献できる良い仕事だよ。」と。 当時もその内容に納得していましたが、関税の話を知ると、より納得して理解できます。文化のためになるもの、文化的なものには関税をかけないようにしようということで、アンティークが定義されました。 この仕事は輸入業でもあるので、関税は大いに関係があります。若かりしGenもヨーロッパでアンティークジュエリーの関税に関して教えてもらう際、文化的なものだから古いジュエリーには関税がかからないと教えられ、文化に貢献する仕事として誇りをもって長年取り組んでいたということですね。 中身のない現代ジュエリーのせいで、ジュエリー業界をチャラチャラしたおバカな世界だったり、変な儲け方をする世界と見る人も少なくありません。本来は文化的にも学術的にも価値のある、知的で最も高尚な世界です。だからこそGenもライフワークとしてこの仕事に一生を捧げましたし、私も大企業の楽して儲かる(笑)サラリーマンを辞めて一生を捧げています。 数値やスペックだけで判断できれば誰にでも判断できますが、実はそうではないのがアンティークです。私でなければGenの仕事は引き継げない、私がやらなければGenが努力して築き上げたものがGenの死と同時に消滅してしまうと確信したからこそ、私も飛び込みました。案の定、想像以上に奥深い世界です。 |
1-1-3. 重要箇所が抜け落ちていったアンティークジュエリーの定義
定義やルールを決める際は、その根拠が多角的に議論されます。しかしながら一度運用が始まると、どういう理由でそのように定義されたのか、そのようなルールになったのかという部分が削ぎ落ちていくのも世の常です。 アンティークで最も大切な定義は、稀少性があり、文化的(美術的)、或いは学術的(知的)な価値があることです。どれくらい古いのかは、本来はさほど重要ではありません。 残念ながら、多くの場面でこのようなことは深く考慮されずに運用されていきます。深く考慮されぬどころか、実際は数字だけが一人歩きしているのが現状です。 |
【参考】ヴィクトリアンの大衆向けガーネットジュエリー | ||
大衆向けに多く作られた、稀少価値のない安物ジュエリーであっても100年以上経っていさえすれば『アンティークジュエリー』とされているのが今のアンティークジュエリー市場です。 そうは言っても一応は職人によるハンドメイドなので、現代ジュエリーと比べればよっぽどマシですし、価値があると言えなくもないです。私ならば、デザイン的によほど気に入ればアクセサリーとして使うこともあるかもしれません。まだ実績はありませんし、これらよりよっぽど価値のあるものを知っているからこそ、多分そんな日は来ないでしょうけれど・・。 |
【参考】ダイヤモンドをセットした鋳造用の樹脂型と出来上がった量産リング |
現代ジュエリーは、どんなに高級ブランドのものでも大衆向けの量産品です。さすがに顧客のテンションが下がるので、店頭でこのようないかにも大量生産品と感じさせるディスプレイはしませんが、作り方は鋳造による大量生産です。 これを1点だけ仰々しくディスプレイし、高級ブランド店で高級そうな店員さんに勧められたり、高級品の専門雑誌に掲載されていたり、有名セレブが着用していたら、「高そう、素敵!」と思う方もいらっしゃるかもしれません。虚飾と言われる現代ジュエリーの世界なんてそんなものです(笑) |
【参考】パンテール ドゥ カルティエ リング(カルティエ 現代)¥20,064,000-(税込)2019.12現在 【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER RING ©CARTIER |
【参考】ダイヤモンド・ブローチ(ブシュロン 現代)¥9,306,000-(税込)2019.2現在 【引用】BOUCHERON HP / WOLF BROOCH |
数千万円するような高級品であっても、明らかに鋳造の量産の作りです。ろくに価値のない小さな宝石を寄せ集めて2千万円だなんて、売れた際には、中の人は笑いが止まらないことでしょう。 |
【参考】現代の似たような量産の超高級品 | ||||
【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER RING ©CARTIER | 【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER BRACELET ©CARTIER | 【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER HITH JEWELRY BRACELET ©CARTIER | 【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER RING ©CARTIER | 【引用】BOUCHERON HP / WOLF BROOCH ©BOUCHERON |
そもそもインターネットや世界各地の店舗で同じジュエリーを販売している時点で、明らかに稀少価値のない量産品と分かります。 その人でなければ創り出すことはできないという『神技のジュエリー』と違い、このような単純な作りのジュエリーは100年後も容易に新しく製造できます。そういうものは、たとえ100年経っても真の意味で『アンティーク』とは呼べません。 |
【参考】ピンクトルマリン ゴールド・リング(カルティエ 1990年代) | ジュエリー好きは一般的にはブランド主義の人が多く、そういう人は基本的に頭デッカチなのでブランド名と刻印さえあれば安心して大金を出します。 だから中古市場で、こういうものもそれなりの価格がつくようです。 ブランド主義同士の取引です。お互いに納得することで成立しています。 ただ、100年経っても文化的・学術的にも稀少価値がある『アンティークジュエリー』にはなりません! |
1-1-4. ジャンルによって異なる最盛期
1930年のスムート・ホーリー関税法の『アンティーク』の定義で、 「1830年以前に制作された美術工芸品(1700年以降の敷物やカーペットを除く)、芸術性の高い絵画コレクション、ブロンズ、大理石、テラコッタ、陶磁器、芸術あるいは学術的に価値のある美術装飾品・調度品」 敷物やカーペットに関しては1830年以前のものであっても、1700年以降のものは除くという部分に引っ掛かりを感じた方もいらっしゃるでしょう。素晴らしい着眼点です!♪ 大量生産が始まった年代に基づいて、年代の定義が行われました。すなわち敷物やカーペットは他のものよりいち早く大量生産が始まり、1700年以降のものは文化的・学術的な稀少価値があるとは言えない場合が多いと判断されたということです。 |
薔薇の着物と刺繍帯(大正〜昭和初期) HERITAGE COLLECTION |
ちなみにアンティーク着物の場合、大正から昭和初期にかけてが全盛期です。 染色技術の発展、西洋文化の流入、重要輸出品として政府主導で文化新興が行われたこと、上流階級の洋装化に危機意識を抱いた和装業界が全体で業界を盛り上げたこと、これら全てがうまく重なり合ったことで全盛期となりました。 古ければ古いほど良いとは限りません。 古いと生地が傷んでおり、美術品や学術的な資料としての価値はあっても、もう着て楽しむことはできないというものも多いです。 |
アールヌーヴォー 蛇の目傘の帯(大正〜昭和初期) HERITAGE COLLECTION |
実際に今も着て楽しめるアンティーク着物としては、大正から昭和初期にかけて作られたものが殆どです。 1910年代から1930年代までです。 エドワーディアンからアールデコにかけての時代に相当します。 詳しくはアンティークジュエリー&アンティーク着物ミュージアムでご紹介していますが、一度に入って来たアーツ&クラフツやアールヌーヴォーなどの影響が見られる作品も多々あります。 2000年以前にもアンティーク着物は流行しましたが、その当時は殆どがまだ100年経っていません。 それでもアンティーク着物にはおおよそ戦前までという定義があります。 |
ジュエリー文化が育ってこなかった日本では、ジュエリーに対して着物が存在していたとも捉えることができます。ジュエリー同様、戦後は優れた着物を作ることができなくなりました。高度な手仕事に基づく手間と技術をかけた作りは不可能となり、材料の面でも一部の化学染料が禁止されて色が出せなくなったり、生糸の質もあっと言う間に落ちてしまいました。 一番分かりやすいのは生地の質かもしれません。すぐに技術が失われたわけではないので、戦後に作られたものでもデザインに面白くて、手間をかけた作りのものもごく稀にあります。ただ、生地が違うので戦後のものと判断できます。昭和中期、1940年代からせいぜい1950年代くらいと推定できる着物です。 |
『水仙』 フロステッド・クリスタル ブローチ オーストリア 1940年頃 SOLD |
ジュエリーにも同様のことが言えます。 基本的には戦前まで、1930年代までのジュエリーしかお取り扱いしていません。 例外は、オーストリアで作られていたこのタイプのジュエリーです。 Gen曰く、ギリギリまだ残っていた技術によって、1940年頃でも例外的に、美意識の高さを感じる優れたジュエリーが作られることはあったようだとのことです。 でも、あくまでも例外です。 |
【参考】ダイヤモンド ブローチ(ブシュロン 1930年代) | 1930年代ですら、高級ジュエリーは殆どが成金仕様に変化しています。 顧客層の変化を反映したものです。 |
1940年代の成金ジュエリー | |
【参考】ダイヤモンド ブローチ(ブシュロン 1940年代) | 【参考】ダイヤモンド ブローチ(1940年代) |
第二次世界大戦によって、アメリカは世界一の超大国の地位を確立しました。ヨーロッパ諸国の上流階級は益々力を落とし、高級ジュエリーは完全にアメリカの成金向けのものと化しました。 1940年代は最早、私たちにとってお取り扱いできるレベルにありません。100年経過していなくても、価値があると判断できればエドワーディアンもアールデコも自信を持ってアンティークジュエリーとしてご紹介してきました。これらは例え100年が経とうとも、私たちは『アンティークジュエリー』とは定義しません。 |
1-1-5. アンティークジュエリーの正しい定義
アンティークの定義に関して、"100年前"と区切るのはナンセンスであることはお分かりいただけたと思います。 一定以上の古さだけでなく、文化的(美術的)あるいは学術的(知的)に価値があり、稀少性を有するものがアンティークと呼べます。 大量生産品はどんなに古いものもそのような価値は持ちませんから、厳密な意味ではアンティークと言えず、それらは『中古』と呼ぶのが適切です。 これらの観点を踏まえると、「戦前(第二次世界大戦)までに作られた、作りの優れたジュエリー」が価値ある『アンティークジュエリー』と言えます。具体的に言うならば1930年代までで、例外も存在します。 古ければ古いほど良いとも限りません。アンティーク着物のように、特定のジャンルごとにピークの時代なども存在します。そもそも、本当に優れたアンティークジュエリーはとても数が少ないです。人間が創るものだからこそ、どんな時代でも傑出したジュエリーが生み出される可能性があります。 |
『ノルマンディー号』 後期アールデコ ペンダント フランス 1935年 SOLD |
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後期アールデコ・リング フランス 1930〜1940年頃 SOLD |
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時代が下るほどに、王侯貴族(有力パトロン)の庇護の元で優れたジュエリーを創ることができる環境は失われていきます。 |
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一方で1851年にロンドンで万国博覧会が始まり、コンテストが全盛となったことで、デザイナー兼職人が主体となって才能を切磋琢磨しながら優れたジュエリーが創られるようにもなりました。それらのコンテスト・ジュエリーには、王侯貴族によるオーダー品とはまた別の強い魅力があります。 アンティークジュエリーの末期、1930年代に入ると眼に当てられない成金ジュエリーが一挙に増えます。しかしながら、Genの心に強く残る傑作として選ばれるものも、案外この時代に多めにあったりします。この2つの宝物は私は実物は見たことがありません。Genが「素晴らしかった!」と自慢する宝物で、目利きの力だけでなく好みも一致しているため、私も全力で羨ましがります!(笑) この年代はグローバル化が進み、インターナショナルなデザインが生み出されるようになったばかりの時代です。だから今見ても未来的に感じたり、斬新さを感じるようなデザインが多くあります。どんなに優れたデザインができても、制作する技術がなければ具現化できません。技術がまだ残っており、斬新なデザインも生み出された絶妙な時代が1930年代です。 |
『摩天楼』 ロッククリスタル&ダイヤモンド ブローチ イギリス 1930年頃 SOLD |
これはGenも最高に好きな、HERITAGEでご紹介した私の自慢の宝物です。 「アンティークジュエリーの歴史は長く多様性に満ち溢れているけれど、その全ての歴史の最終到達点がここにある気がする。」 なぜ私がこの宝物に強く惹かれるのか、それをGenに説明した時の言葉です。 「これより高価な宝物はこれからもお取り扱いすることはあるはずだけれど、これ以上アンティークジュエリーとして最高だと思えるものは絶対に出てこないと、自信を持って確信できる。」と断言した宝物でもあります。 |
アンティークジュエリーには様々なジャンルがあり、好みやセンスには個人差がありますから、あくまでも個人的な評価です。 好みを排除したアンティークジュエリー・ディーラーとしての純粋な評価ならば、あれもこれも、選びたいものはたくさんあります♪そのうちそういう宝物を集めたアンティークジュエリー・ミュージアムのページを作りたいと思っています。きっと壮大な美術館になると思います!♪♪ 全ての年代の、美術的に価値のあるトップクラスのジュエリーが揃うはずです。プレムアム・ジュエリー・ミュージアムはありますが、価格を切り口にすると、美術品としては高い価値があるのに漏れてしまう宝物がたくさんあります。どうしても宝石が付いていると高くなる一方で、宝石の価値に頼らない、アートの要素が強いものは価格で見れば市場での評価が低いのです。真の価値が分かる人にとっては、そういう宝物はお買い得です(笑) |
【参考】アールヌーヴォーの量産の安物 | ||
こういうものは、厳密に言えばアンティークジュエリーではなく、ただの中古やジャンクのアールヌーヴォー・ジュエリーです。 アールヌーヴォーの時代は既に大衆向けの安物ジュエリーが量産されていました。流行に乗って金儲けしたいだけの人々が市場に群がり、世の中は粗悪品で溢れかえりました。 真の芸術を目指した美術商サミュエル・ビングや建築家アンリ・アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが、それらを「はびこる粗製濫造の装飾品」とわざわざ告発したほどでした。それでも大衆パワーは勢いを失うことなく、本当に価値あるアールヌーヴォー・ジュエリーもその勢いに飲み込まれていきました。 それでも最終的には流行は陳腐化し、皆が気づくようになりました。この大流行はヨーロッパに於いて、アールヌーヴォーの記憶を長きにわたり汚すことになりました。 それを再発掘したのが日本人と言えるでしょう。当時の人たちには化けの皮が剥がれ、価値なきものとして評価されていました。しかしながら、"古い"というだけで"アンティーク"と判断する、殆どの"見る目のない日本人ディーラー"によってそれらが『おパリ(笑)の価値あるアールヌーヴォーのアンティークジュエリー』と称され、日本で絶賛プロモーションされました。現代と違って舶来品信仰が根強くあった時代、ジュエリー文化がなく、ジュエリーについての知識もなかった多くの日本人が"フランスの貴族が使っていた価値あるジュエリー"と勘違いして喜んで買ったのです。 売れまくるので、売れ筋として日本人ディーラーや観光客がこのようなジュエリーを買い漁りました。その結果、値段が吊り上がり、ヨーロッパの人々がアールヌーヴォーを再評価するようになりました。 |
【参考】アールヌーヴォーの量産の安物 | |
目利きができるGenはもちろんこんな粗製濫造品は評価していません。いわゆる"見たら目が腐る"ジュエリーです。 しかしながら後に続いたアンティークジュエリー・ディーラーがこれらを尤もらしく『アンティークジュエリー』として紹介したため、多くの日本人に誤解が生まれました。自称アンティークジュエリー研究家も尤もらしく語っていますが、金儲けや自己顕示欲のために適当なことを言っている場合が多いです。 もし戦後の1950年代、1970年代の量産ジュエリーも「あと◯◯年経ったらアンティークジュエリーになります!」なんて謳っているようなことがあれば、そのディーラーは目利きできない上に知識もないと判断できます。そうでない場合は、意図的な悪意ある詐欺師です。 |
【参考】アールデコ後期の量産ジュエリー | ||
まあこれは日本人だけでなく、本場のヨーロッパも似たような状況です。 Gen曰く、アンティークジュエリー市場は20年くらい前が全盛期だったそうです。良いものがたくさん出て来た時代です。次第に良いものは出てこなくなり、市場は枯渇していきました。本当に価値あるアンティークジュエリーは数が限られています。活況に見えるアンティークジュエリー市場に多くの人々が参入し、枯渇は進行しました。 最初は安物に手を出すようになります。それも枯渇すると、多くのディーラーがあっさりとヴィンテージや中古に手を出すようになりました。私が参入した頃は既にそのような状況が進行しており、始めてロンドンに行って高級アンティークジュエリー店を視察した際、"一番きちんとしたものを扱っているお店"とGenが評価していたお店すらも一部ヴィンテージを扱うようになっていました。ロンドンのハイストリートは地価の上昇が激しく、ビジネス的に厳しいことは理解できますが、Genもその惨状を見て残念そうな表情を浮かべていました。 本当にアンティークジュエリーだけを扱っているお店は、今は世界的に見てもHERITAGEしかないと思うとGenも言っています。私はヴィンテージや中古に手を出すくらいならば廃業するという覚悟を持って、仕事しています。価値あるアンティークジュエリーと、ブランド名や仰々しい宝石が付いているだけの価値のないジュエリーの違いが分からないからこそ、あっさりとヴィンテージや中古に手が出せるのだと思います。 |
【参考】中古市場で人気の高いカルティエの量産リング | |
【参考】ピンクトルマリン・リング(カルティエ 1999年) | 【参考】ピンクトルマリン・リング(カルティエ 2000年) |
こういうものはデザインの点からも価値がないと思うのですが、『カルティエ』というブランドの威光が付いただけで高値で取引されたりします。このデザインでは買わない人でも、カルティエの刻印があるだけで高い値段が出せるようです。 アンティークジュエリーについて、ホールマークを異様に重視する人もいますが、これまた以前ご説明した通り関税のためにものでしかありません。 知識偏向の頭デッカチを騙すのは簡単ということなのか、ホールマークについても昔から偽物があるそうです。Genがこの仕事を始めた頃、「ホールマークも偽物が結構あるから、気をつけた方が良いよ。」とイギリス人ディーラーが教えてくれたそうです。 100年以上経っているという定義も、金位などを示すホールマークも、実は関税のためのものでしかなかったことが笑っちゃいますね。 ご自身の感覚で判断できる方だと、それらは重視しません。感覚がないからこそ、判断する際に定義(他人の物差し)に頼るわけですが、アンティークジュエリーの判断は実は結構厄介なのです。感覚がある人には一目瞭然と言えるくらい明快ですが、そうでない人には説明のしようがなく、頑張っても真の意味では理解できないはずです。分かる人だけの愉悦の世界だと思います。 アンティークの具体的な数字による定義は、この関税の但し書きにしかありません。本質をよく分からなくしてしまうデメリットがあるため、本来は数字で定義すべきものではありません。その案の定の終着点が、現代のこの状況です。数字を気にする人ほど、感覚的には分かっていない証です。この違いがどう生じているのかはとても興味深いですが、今の私にはまだ分かりません。 |
1-1-6. Genが見出したアンティークジュエリーの本来の魅力とは
目利きの商売下手。 これはGenから聞いた言葉ですが、Genはまさにそれを体現する人物です(笑) アンティークジュエリーの目利きや知識に関しては間違いなく世界一ですが、商売だけは上手くありませんでした。人並みだったらまだ良かったですが、完全に人並み以下です。それ故に、何度もお店の名前が変わっています。それでも仕事としてはアンティークジュエリー一筋なのが、普通とは違います。 Genがアンティークジュエリーを深く愛し、アンティークジュエリーからGen自身も深く愛されたからでしょう。 そんなGenがルネサンスの前、ソング・オブ・ロシアの時に制作したHPのカタログがこのような感じです。 |
ソング・オブ・ロシアのカタログ(Gen 2006年) |
当時59歳だったGenも、現代の有名ブランドのジュエリーは100年後に価値など持たぬ旨を語っています。 それはさて置き、一番下の黄色い帯のリンクに『時を超えて語りかける小さな芸術』とあります。 私はこの表現が大好きです。まさにアンティークジュエリーの魅力を的確に表現しています。
"芸術"と聞いて、皆様はどのような作品を想像されるでしょうか。 |
有名な芸術 | |
彫刻 | 絵画 |
『ダヴィデ像』(ミケランジェロ 1504年)アカデミア美術館 "Michelangelos David" ©david Gaya(30 April 2005, 16:05)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
『最後の審判』(ミケランジェロ 1536-1541年)システィーナ礼拝堂 |
一般的には、有名な彫刻や絵画を想像される方が多いと思います。 これらは大きいです。大きいからこそ遠くからでも鑑賞できますし、大人数が一度に見ることもできます。 この類の作品には、広く万人に見てもらうドヤ・アイテムとしての面があります。所有者が多くの人に見せることで、「ドヤ!こんな芸術作品を所有する私は凄いだろう!」と権威を示すのです。もちろん完璧に個人的に楽しむためのものとして所有する人もいますから、持っている人が必ずしも自己顕示欲や承認欲求が高いとは限りません。 |
『ピエタ』(ミケランジェロ 1498-1500年)サン・ピエトロ大聖堂 "Michelangelo's Pietà, St Peter's Basilica (1498–99) " ©Juan M Romero(17 December 2012, 10:53:30/Adapted/CC BY 4.0 |
ただ、所有者は控えめな人物だったとしても、大きな作品の場合、作者自身がやはり多くの人に見てもらい賞賛を受けることを想定して作るものです。だから、どうしても威圧感があったりするものです。 |
『ダイヤモンド・ダスト』 エドワーディアン ペンダント・ウォッチ フランス(パリ) 1910年頃 ¥15,000,000-(税込10%) |
ジュエリーは小さなものが多いです。 手元で目を凝らして見なければよく分からないものもあります。 手元で目を凝らしても、肉眼では視認しきれない細工もあります。 顕微鏡や画像で拡大してやっと分かるような細工です。 やる意味があるのか聞かれそうですが、間違いなくあります。そのような細かい細工は全体の雰囲気に大きく影響します。 |
『雰囲気』というのは何よりも重要です。 『雰囲気美人』なんて言葉もあります。単純な外見の美しさを持つ人以上に、雰囲気の美しい人は人を強く惹き付けるものです。美容整形に限界があるのはこのせいです。 |
ドヤ・ジュエリー | |
大英帝国の王妃 | 成金ジュエリー |
イギリス王妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844-1925年)1901年頃 | マッケイ・エメラルド&ダイヤモンド・ネックレス(カルティエ・フレール 1931年) "Cartier 3526707735 f4583fda9a" ©thisisbossi(12 May 2009)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
もちろんジュエリーには遠くからでも目立つ、派手で大きなものもあります。王族が富と権力を万人に向けて誇示するような場面では、「持っている物を全部着けたの?」と笑っちゃうような、巨大な宝石のジャラジャラ・コーディネートを目にすることもあります。 庶民が王侯貴族の姿を目にするのは、このような特別な場面が殆どです。王侯貴族の本当の日常のファッションを目にできる機会はまずありませんし、正装のド派手ファッションはインパクト大で、強く印象に残ります。 王侯貴族、特に"ロイヤル"は成金を含めた庶民の憧れの存在です。少しでも近づこうと成金が真似をした、その結果が宝石頼りのジュエリーの流行です。宝石が大きくて目立ちさえすれば良いという、自己顕示欲丸出しで全く中身が感じられない成金ジュエリーです。 |
ヴィクトリア女王(1819-1901年)1898年、79歳頃 | さすがに女王陛下でも、実際にはこんな着け方はしませんが、人々の"印象"としてはこのような感じです。 とにかく凄そうな宝石が付いていることが正解であると、一般庶民は誤認しました。 デザインや作りの良さは、視界にはあっても殆どの庶民が認識できていません。 |
18世紀半ば頃に始まった産業革命と、並行して18世紀後半から始まった農業革命によってヨーロッパの社会システムは大きく変化していきました。 庶民にも貧富の差が生まれ、格差が拡大し、20世紀に入るとアメリカの新興成金が経済活動に於いても主役となっていきました。 マーケティングに於いて、VOC分析はとても重要とされます。Voice of Customer、顧客の声を分析するということです。今、市場で何が求められているのか。頓珍漢な商品を市場に投入しても、見向きもされません。買ってもらえなければビジネスを回すことはできず、事業の継続は不可能となります。 一言で『顧客』と言っても、誰を顧客にするのかもとても重要です。 一般的には声の大きな顧客、例えば業界大手などの意見を気にしがちです。 大手ばかりに目を向け、大手の意向に沿う商品ばかりに開発投資を集中し、市場に於けるその他の情報収集を怠ることはよくあります。市場に変化がない平時には、最も楽で効率的なスタンスとなります。しかしながら市場の環境が急変するタイミングに於いては、その変化に付いていけず、旧来のやり方に拘泥した大手と共に滅びた事例がいくらでもあります。 ・時代の潮流を読む これらが上手くできた者がビジネスとしては成功し、できなかった者は滅び去ります。 |
アメリカの経営学者(マーケティンング論)フィリップ・コトラー(1931年-) "Kotler-DSC 0510" ©Jack11 Poland(14 September 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | マーケティング界の重鎮、経営学者フィリップ・コトラーが提唱したフレームワークとして『STP分析』があります。 S:セグメンテーション まず、顧客をセグメントに分けます。 王侯貴族の時代のジュエリー市場であれば、以下の通りです。 |
アンティークの時代のジュエリー市場のセグメンテーション
上記の中で、財力や人数は時代によって変化するパラメーターです。また、セグメント化はあくまでも大まかな傾向によってザックリと分類する性質上、細かな例外等は考慮しません。 成金庶民と一般庶民では、財力と人数の面で違いがありますが、行動原理にはさほど違いはありません。とにかく高そう・凄そうに見える一方で、安いことを望みます。「今だけ、金だけ、自分だけ」の意識が強く、自分さえ得できれば良いと考えがちです。 上流階級はTPOに合わせていくつもジュエリーを持つ必要があり、財力的にも継続的にオーダーを行います。オーダーメイドはとても難しいものです。オーダー主と職人が入念な打ち合わせをすることで好みや必要な教養を共有し、理想像を詰めていくことで、社交界で通用するハイ・クオリティのジュエリーが完成します。互いの信頼があってこそです。第一級の職人として上流階級から信頼されるには高度な技術のみならず、知識や教養、センスも必要です。そういう職人は本当に少なく、上流階級の顧客は継続的にその職人に仕事を依頼することになります。買い叩くなんてあり得ず、職人はプライドを持って仕事ができます。 しかしながら庶民は違います。1度しか高級ジュエリーを買わないような人だと、職人との信頼関係を構築するに至らず、1度しか買わないということで、後先考えず平気で買い叩くことのできます。 相当な財力を持つ成金庶民の場合、繰り返してジュエリーを買うことが可能です。しかしながらオーダーの極意を理解せず、ミーハー的に名のある職人であったり有名ブランドだったり、あっちゃこっちゃでお買い物して満足する場合が多いです。信頼関係を築いてより良いものを手に入れるという考えがなく、有名作家や有名ブランドで手に入れたということで満足します。有名作家や有名ブランドのものでありさえすれば良く、品質に意識がいきません。 |
成金向けの手抜きジュエリー | |
【参考】ムーンストーン&モンタナサファイア・ブローチ(ティファニー 1910年頃) 落札価格:約236万円(2017年現在) |
【参考】作家物のアールデコ・リング、クリスティーズで7万5千スイス・フラン(約825万円)で落札(2019年現在)【引用】CHRISTIE'S ©Christie's |
才能豊かな職人は、自身の才能を楽しく最大限に発揮させてくれる上流階級のような顧客を好みます。 一方で、そこまで才能豊かではない一方、口の上手さには自信がある職人の場合は成金庶民のような顧客が大好きです。得意とする口の上手さでブランド力を高め、ブランドの威光で手抜き商品を割高で売ることができます。デザインや作りに手抜きすると、上流階級は即座に見抜きます。デザインや作りの良さは技術や手間を必要とし、コストに直結します。コストがかかるものを高く売っても通常のビジネスでしかなく、楽してボロ儲けにはなりません。 安く作ったものを高く売ってこそナンボです。それを実現させるのが口の上手さであり、相手にする顧客層も、モノを見る目がない成金嗜好の金持ちに絞る戦略です。 アンティークの時代から存在し、現代でも継続する高級宝飾店としてカルティエやティファニーなどがあります。どちらも創業者一族の手からはとっくに離れており、モノづくりとしては完全に別物と言えます。それでも”ブランド”としての名称には価値があり、名称のみ存続できています。 どちらも時代の潮流を読み、当時のキーパーソンらが新興成金を主要ターゲットとして宝石主体のジュエリーにシフトしたメーカーです。 |
ビスマルク・サファイア・ネックレス(カルティエ・フレール 1935年) | 『カルティエ』を世界レベルのブランドにしたのは、創業者の3人の孫たちでした。 20世紀に入り、カルティエ兄弟を意味する『カルティエ・フレール』で連携して活躍しました。 財力を生かして世界各地から有名な宝石を買い集め、莫大な価格でアメリカの新興成金に販売して富と名声を確固たるものにしました。 このアメリカの成金向けネックレスも完全に宝石頼りで、デザインなんてまるでありません。 目立ちはするでしょうけれど、ヨーロッパの上流階級ならばむしろ「Nouveau riche.(ヌーヴォー・リーシュ、フランス語で『成金』)」と笑うような代物です。 |
パリ万博グランプリ受賞作『アイリス』(ティファニー 1900年頃) | |
ジョージ・パウルディング・ファーナムによるデザイン画 【引用】THE WALTERS ART MUSEUM / Sketch for the Tiffany Iris Corsage Ornament ©The Walters Art Museum /Adapted. | 『アイリス』実物大:高さ24.1cm、ウォルターズ美術館 "Tiffany and Company - Iris Corsage Ornament - Walters 57939" ©Walters Art Museum/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
カルティエもティファニーも、最初から成金をターゲットにしていたわけではありませんでした。フランスのカルティエは、創業者がフランス皇后ウジェニー御用達として名声を築きました。帝政が廃止になり、共和政に移行した後も世界各国の王室・皇室の御用達になることでブランドとしての地位を確立しました。 アメリカのティファニーはヨーロッパの上流階級に認めてもらえるよう努力を重ね、ついに1900年のパリ万博でグランプリを受賞し、世界から認められました。ヨーロッパの上流階級の厳しいお眼鏡に適うべく制作されたモンタナサファイアの『アイリス』は、当時の上流階級に高い評価を得ていたジャポニズムをモチーフにしたデザインであり、材料も知的に選ばれており、作りも見事な作品です。 そのような実力を構築したものの、世の中は王侯貴族が主導する世界から、アメリカの新興成金が主導する世界へと移り変わる渦中にありました。 STP分析におけるTとP、ターゲティングとポジショニングを設定し直す必要があります。 |
『Royal Memories』 スコティッシュアゲート クラウン ブローチ イギリス 1868年頃(レジスターマーク有) ¥250,000-(税込10%) |
王室御用達など、王侯貴族のお墨付きは超強力です。 モノ自体の真の良さが分からない人であっても、王室からのお墨付きがあるというだけで安心して大金を出してくれます。 ただ、王侯貴族も自身のブランドを汚すわけにはいきませんから、つまらぬ物にお墨付きは出しません。 王侯貴族を満足させ、確固たる信頼を得られるようなジュエリーを作るにはお金も技術も手間もかかります。 |
王侯貴族のための各時代のハイジュエリー | ||
アーリー・ヴィクトリアン -1840-1850年頃- |
レイト・ヴィクトリアン -1870-1900年頃- |
アールデコ前期 -1920年代- |
『黄金の花畑を舞う蝶』 色とりどりの宝石と黄金のブローチ イギリス 1840年頃 SOLD |
『Tweet Basket』 小鳥たちとバスケットのブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
『勝利の女神』 ガーランドスタイル ネックレス イギリス or フランス 1920年頃 ¥6,500,000-(税込10%) |
派手で話題性のある宝石を手に入れて来るだけで良ければ、どれだけ楽なことか・・(笑) このような宝物を作るのは本当に大変です。それでも広告宣伝費と看做せる時代は、このようなアート・レベルの作品を創ることができました。王侯貴族に認められさえすれば、成金は放っておいても買ってくれます。 第一次世界大戦、第二次世界大戦によってヨーロッパの王侯貴族が力を失い、良質なパトロンとしてアーティスティックなジュエリーを創るための十分な支援ができなくなりました。一方、新興成金は益々財力を蓄え、人数も増え、全体の購買力としては王侯貴族を凌駕するようになりました。金儲けという観点では、成金市場が最も美味しい時代となっていきました。 それでもプライドを捨てず、滅びを覚悟で茨の道を進むか、カネ儲けに徹して成金メインに商売を移すかの選択をジュエリー・メーカーや職人は迫られました。 |
ティファニーのモンタナ・サファイアを使ったジュエリー | ||
カリスマ創業者時代 1900年頃 |
創業者の息子の時代 1910年頃 |
創業者一族の手から離れた時代 1940年頃 |
【パリ万博グランプリ受賞】アイリス ©Walters Art Museum/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 【参考】イヤリングとセットで約2,040万円で落札(2017年現在) | 【参考】ブローチ |
職人には寿命があります。現代まで生き残っているのは、カネに魂を売り渡したブランドのみです。変化の時代には、既にプライドを持った上質なジュエリー制作をしていなかったブランドが、安易な転向をした結果でしょう。 『アイリス』はGenも私も感動するほど、間違いなく素晴らしい作品です。カリスマ創業者がいなくなっただけで、これほど変わるのかと思うほど絶望的にジュエリー制作が劣化しています。最高点まで高められた精神も技術も、失われるのはあっと言う間です。 最初は楽してボロ儲けできる楽な商売でしたが、魅力あるジュエリーを新たに生み出す努力を放棄し、ブランドの権威や宝石頼りの似たようなジュエリーばかり販売した結果、やがて成金も飽きて買わなくなってしまいました。 |
【参考】ティファニーの大衆をターゲットにした現代ジュエリー | |||
¥302,400-(2018.2現在) 【引用】TIFFANY & CO / ©T&CO | 【引用】TIFFANY & CO / ©T&CO | 【引用】TIFFANY & CO / ©T&CO | ¥264,000-(2022.10現在)【引用】TIFFANY & CO / オープンハート ペンダント ©T&CO |
そこで少しは努力をすれば良いものを、また別の安易な道を選択しました。1970年代頃からは衣食住が満ち足りた庶民が、贅沢品であるジュエリーにも購買力を発揮するようになりました。まだジュエリーを買った経験のない、ビジネスとしては美味しい層です。カネの臭いには鋭い嗅覚を発揮するハイブランドは、主要ターゲットを一般庶民にシフトしていきました。 その結果、ますますジュエリー制作は大量生産化が進み、コストカットによって安っぽくなっていきました。余りにも酷くなった結果、庶民すらも見向きもしなくなりました。 |
アポロ ブローチ(ティファニー 2022年)¥7,590,000-(2023年時点 ¥8,635,000-) 【引用】TIFFANY & CO / アポロ ブローチ ©T&CO |
現代では、ティファニーは高価格帯ですらこのようなデザインと作りです。アポロと名が付いているので太陽かと思いましたが、商品説明を見ると
化学を専攻した身としては「電子雲?う〜ん・・・。」と思いつつ、「それよりも、どこかで見たコロナウイ◯スっぽい。」と感じてしまいました。バカですみません。そして、世界で最も精巧なデザインにも見えません。ジュエリーではなくアクセサリーに見えます。私が変なのかもしれませんが、私はこれに759万円は出せません。 もしかすると、生まれながらに独創的な才能をもったデザイナーが、私も納得する見事なデザインを創造していたかもしれません。ただ、仮にそうであったとしても、現代ではそれを具現化できる精巧な技術がありません。高価ですが、量産品なので鋳造らしいボテッとした作りです。どれだけの人がこの商品に魅力を感じるでしょうか・・。 時代ごとに、ブルーオーシャンを求めて新興国市場を渡り歩いても、需要が一巡したら終わりです。このやり方では、いずれ立ち行かなくなります。どのブランドも経営悪化によって身売りなどを経験しています。今は、どのハイブランドも投資会社の傘下に在る惨憺たる状態です。 |
ティファニー・ジュエリーの変遷 | ||
カリスマ創業者時代 (1900年頃)©Walters Art Museum/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
創業者の息子の時代 (1910年頃) |
創業者一族の手から離れた時代 (1940年頃) |
現代(2022年) 【引用】TIFFANY & CO / アポロ ブローチ ©T&CO |
ティファニーやカルティエなど、過去の栄光でPRするブランドは多いです。実際、アンティークの時代に優れたジュエリーを制作し、それによってヨーロッパの王侯貴族から高く評価されたことは事実です。 しかしながら気をつけておきたいのは、現代これらのブランドから販売されているようなジュエリーを、当時の王侯貴族が高く評価したわけではないということです。作っているものはまるで別物です。 以前、カルティエがレガシーと称して、アンティークの時代から現代までのジュエリーを展示するイベントを日本の美術館で開催したそうです。Genが観に行かれたお客様から聞いた話によると、どんどん残念になっていく様子が一目瞭然で分かったとのことでした。 このティファニーと同じ感じだったはずです。個別に見ると分からない場合でも、こうして並べるととても分かりやすいです。 Gen曰く、「いかに今販売している商品が酷い物かが、あからさまに分かってしまうから普通ならばそんな展示をやろうとは思わない。それができてしまうのは、やっている人間がいかに違いが分かっていないかの証だ。」とのことでした。 まあ、さもありなんと思います。館長ですら価値が分からないものを平気で有料の美術館で展示したり、イベントを企画・運営する統括者が平気で「美術や芸術はよく分からないし、興味がない。」とヘラヘラ笑いながら言ったりする世界です。明らかに人をバカにしていて、こんな人たちがやっているのかとウンザリしました。 このような展示はGenも私も、観るとそういう心が伝わってきて気持ちの悪さを感じてしまうため、わざわざ行きません。バックヤードの状況をある程度知っているからこそ、余計に行こうと思えないのです。 そこまでご存じないお客様が行かれたりなさるようですが、一様に「疲れた。」と仰るのが印象的です。HERITAGEの宝物の価値が分かるような方であれば、ある程度は私たちと同じように背景にある心も察知されるのでしょう。良くない心で作られたり扱われたりしているものは、エネルギーを吸い取ります。 |
『ヒッポカンポス』 古代ローマ ニコロ・インタリオ リング 古代ローマ 1世紀頃 ¥3,000,000-(税込10%) |
時を超えた小さな宝物が、見ているだけで心を癒したり、心を豊かにしてくれるのとは真逆です。 知識は必ずしも必要ありません。 Genも私もアンティークジュエリーに初めて出逢った時、知識などありませんでした。 でも、心を豊かにしてくれる大いなる悦びを、宝物から間違いなく感じました。 この心の悦びこそが、私たちが思うアンティークジュエリーの真の魅力です。 |
1-1-7. 芸術の価値とは
【参考】メイカーズ シグネット リング 18Kゴールド(ティファニー 2022年)¥731,500- 【引用】TIFFANY & CO / メイカーズ シグネット リング 18Kゴールド ©T&CO |
皆様はジュエリーの価値を何に見出されますか? 美的感覚がある人であれば芸術性やデザイン・センスなどで判断しますが、感覚がない場合は知識で頭デッカチ的に判断することになります。 この場合、材料費で判断することが多々あります。 特に宝石頼りの単純なデザインだったり、金属だけで作られたものは計算しやすかったりします。 そのような人を避けるためか、左のジュエリーもカタログに重量が記載されていません。 |
重めのメンズリングだと10g程度でしょうか。その倍でも20g程度です。2022年10月24日時点で金価格は8,758 円/gです。20gだったとして、 気の利いたデザインだったならば材料費が乗っていても納得できますし、複雑な造形だったならば加工費として乗っていても納得できます。しかしながら鋳造の単純な作りだと、インゴット(鋳塊)と殆ど変わりがありません。それをこの利益率で買うのは納得できない人の方が多いため、重量を記載しないのでしょう。 ブランド代、チヤホヤ代として納得できる人、或いはこんな計算なんてしない人だけが買います。 |
『ゴールド・オーガンジー』 ペリドット&ホワイト・エナメル ネックレス イギリス 1900年頃 ¥1,000,000-(税込10%) |
本来、ジュエリーは総合芸術です。 高度な技術と手間をかけなければ、心を動かす美しさは出せません。 現代ジュエリーは工業製品と同様です。設計ソフトなども使い、容易に強度計算してデザインすることも可能です。作りも単純で、制作するために高度な技術も必要ありません。 替えがきくオペレーター、つまりある程度の技能があれば誰でも同じように作ることができます。 しかしながらアンティークのハイジュエリーはそうはいきません。 アンティークジュエリーでは随所に神技を見ることができますが、その種類は様々です。 「この職人でなければ作ることはできない!」という作品なかりです。センスと技術を併せ持つ職人は、当時でも極めて少なかったはずです。だからこその唯一無二性です。 |
『フェズを被った男』 アメジスト カメオ ピン イタリア(?) 1870年頃 SOLD |
『美しき魂の化身』 蝶のブローチ イギリス(推定) 1870年頃 ¥1,600,000-(税込10%) |
アンティークジュエリーの細工物がお好きな方にとって、意外と盲点なのが宝石メインのジュエリーです。 それでも彫刻や個性的なカットなど、石の細工物については唯一無二の高度な技術の凄さが分かりやすいでしょうか。 |
『エメラルドの深淵』 珠玉のコロンビア産エメラルド&ダイヤモンド リング イギリス 1880年頃 SOLD |
背景にある労力や技術が分かりにくいのが、このような通常の宝石メインのジュエリーです。 ジュエリーは、財産性を持つために耐久性が必要です。だからこそ宝石は硬さが求められます。特にダイヤモンドのカットは困難を極めました。 現代ではレーザーやダイヤモンド・ソウを使って劈開を無視したカットが可能で、その後も電動の研磨機を使って早く楽に磨き上げることができます。 |
カリナンに第一刀を振り下ろすアイザック・ジョセフ・アッシャー(1908年) | 進化した道具を使うことで、現代では特別な才能や技術が無くても誰でもダイヤモンドをカットできるようになりました。 しかしながらカットが近代化される以前は職人技が必要でした。誰でもはできませんし、職人によって仕上がりの質も全く異なるということです。だから特別な原石をカットする際、特定の職人が必要とされたのです。 劈開を見極め、原石を狙い通りにラフカットするのは特別な技術と経験値が必要です。 後はただひたすら研磨すれば良いように感じますが、実は想像以上に困難な作業です。ラフカットした後が作業の本番とすら言えます。 |
ダイヤモンドの切削加工場(1710年頃) |
ラフカットされたダイヤモンドを研磨して形を整える作業は、ダイヤモンド粒子を使った回転盤にファセットとなる面を押しつけて徐々に削るという方法で行います。 蒸気モーターすらなかった時代は、回転盤を回す動力は人間もしくは家畜などでした。一定の速度で回し続ける必要上、基本的には人力で行われました。1人が回転盤を手回しし、1人が回転盤でダイヤモンド表面を削ります。 カット作業には2人必要です。労力や時間、つまり人件費も2人分必要となります。 |
コスト計算の経験がある方だとご存じですが、人件費が最もコストのかかる部分です。人員削減や時給を減らすのがコストカットには最も簡単かつ有効で、だからこそ最初に手をつけられがちなのです。 大企業の研究所で働いていた頃に、ダイヤモンドではありませんがダイヤモンドソウや電動研磨機を使って類似の作業をした経験があります。ダイヤモンドの次に硬いアルミナ(コランダム:ルビーやサファイアなど)は驚くほど硬く、研磨するにもかなり時間がかかった記憶があります。人の手で研磨盤に対して、カット面を均一に長時間押し付け続ける作業も思いのほか難しいです。集中力や忍耐力も必要です。そうは言っても、せいぜい全体で1〜2時間の作業でした。 |
最も大きな9つのラフカットされたカリナン |
宝石として仕上げられた9つのカリナン |
英国王室所蔵品として有名なカリナンは1908年にカットされました。ラフカットされた9石は3人で1日14時間、8ヶ月作業してようやく宝石の形に磨き上げられました。1日14時間労働だなんて、工場の2交代制よりヤバいですね。この作業を請け負った、世界トップの技術を誇るアッシャー・ダイヤモンド社がブラック企業とは思えないので、当時の人たちには当たり前の労働時間だったでしょうか。現代だと雇われ職人にこういう労働環境は許されず、労働基準法違反で訴えられたら負けますね。 これだけの仕事ですから、嫌々やらされるのではなく誇りを持って仕事していたはずです。マインド、作業時間などを考えると、現代の雇われ職人が技術的に当時の職人に勝ることはまず考えられません。勝ることができると思うならば、それは奢りであると考えます。 |
『ミラー・ダイヤモンド』 アーリー・ヴィクトリアン オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド リング イギリス 1840年頃 ¥3,700,000-(税込10%) |
現代の常識、現代の知識だけでアンティークのダイヤモンドを正確に想像することは不可能です。 当時の上流階級と同等の知識も得て、ようやく古のダイヤモンドの真の価値が想像できるようになります。 彫金などは現代人にも見た目に分かりやすいですが、この美しいダイヤモンドをカットするためにどれだけの人の手がかかっていることか・・。 それが分かれば、このような宝石が主役のジュエリーでも、本当に良いものには芸術性が感じられるようになります。 |
ハムステッドヒースからのロンドン市街の眺め(2018年5月) |
職業に貴賎なしと言います。人にも本来、貴賤なんてものはありません。 初めてのロンドン買付けでは、Genが40年以上も前に初めてアンティークジュエリーに出逢ったハムステッドの丘に立ち寄りました。映画『アラビアのロレンス』などで有名なピーター・オトゥールも顧客に持つお店がありました。今はもうありませんが、買付が順調で時間に余裕があったため、ピクニックがてらワインや食べ物を持って出かけました。 |
ロンドンの高台の原野ハムステッドヒースで拾ってきた石ころ(2018年5月) | そこで拾ってきた石は、この仕事を始めた私にとって一生の想い出の宝物です。 懇意にしている宝石研究所の所長は、Genより業界歴が長いです。 宝石の仕事を始めた理由を聞くと、石が好きだからということでした。東京のご出身ですが、子供時代に河原で流れる水の中の石を見て、何て綺麗なんだろうと思っていたそうです。 現代は虚飾の世界となり、そのような人々が集まってくる業界となっています。 |
宝石の処理が当たり前になっていくのは、大衆がジュエリーを買うようになった1970年代以降です。日本で宝石やジュエリーが身近になったのは割と最近のことです。当時は日本で学ぶ機会や、できる経験は限られていました。この方はGen同様、"ええとこのボンボン”だったようで、Genがアンティークジュエリーに出逢う前から、宝石を学ぶためにわざわざイギリスに留学しています。 日本の宝石業界を黎明期から知り、宝石が堕落していく様子も直近で見ている宝石界の大御所です。 新規参入の人だと、宝石は高価なものだから素晴らしい、綺麗だというイメージを知識先行で持つのかもしれません。しかしながら本来価値ある石、宝石とはそういうものではないのです。 手間をかけないと出せない美しさがあります。神が創り出した大自然のアートとは異なる、人間が創り出した美しさは心を豊かにしてくれる魅力があります。 |
細工主体の宝物 | 宝石主体の宝物 |
象牙細密彫入りのピケの小箱 フランス 1780〜1800年頃 オリジナルボックス付 SOLD |
『雫の芸術』 ブリオレットカット・ダイヤモンド&天然真珠 ブローチ フランス 1920年頃 SOLD |
私たちが選ぶ宝物は、「宝石は価値があり、それ以外の素材は価値がない。」という前提でご覧になる方には、選び方に一貫性がないように感じられるでしょう。 しかしながら私たちの間では一貫しており、だからこそGenと私で選ぶものは同じですし、迷いもブレもありません。背景にある真摯な真心、傑出したセンス、確かな技術に基づく手仕事の素晴らしさが何よりも重要です。それをどのくらい感じ取れるか、読み解けるかは個人差がありますし、個人の好みなどもあるので、これが正解というものはありません。 正解なんてあったら、ただ1点のジュエリーだけをご紹介してこの仕事は終わりになってしまいます。 |
『サルヴァトール・ムンディ』(レオナルド・ダ・ヴィンチ 1500年頃) 2013年に1億2,750万ドル(約140億円)で落札 | ジュエリーは一般には知られざる、最も高尚な総合芸術だと思っています。 万人に最も分かりやすい芸術と言えば、やはり絵画です。これは2013年に約140億円で落札されました。原価計算するタイプの人はどう思うんだろうと、不思議です。 力のある有名作家であれば、紙も絵の具も上質なものを選ぶはずですが、それでもたかが知れています。 この絵はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品として既に投機の対象となっているので価格が異常ですが、原材料費に対してそれなりの高額が付くのは絵画の世界では普通にあることです。 それは"芸術性"にお金を出しているということでしょう。その芸術性とは作者のセンスや、手間に基づく美しさなどです。 |
時を超えて語りかける小さな芸術 | |
『柳と羊』 フランス 1792年 マイクロパール・ミニアチュール リング SOLD |
『戦う牧神と山羊』 イタリア 19世紀初期 ローマン・マイクロモザイク ブローチ SOLD |
マイクロパールやモザイクガラスも絵画と同様に、原材料費としては上質なものであってもたかが知れています。しかしながらその芸術性には間違いなく高い価値があります。 「宝石の価値=ジュエリーの価値」と思っている人を阻む、アンティークジュエリーの深淵なる世界です。 |
私が初めて手に入れたアンティークジュエリー | |
ピエトラドュラ ピアス イタリア 1830〜1840年 HERITAGEコレクション |
ピエトラドュラ バングル イタリア 1860年頃 HERITAGEコレクション |
私はミュージアムピースを手に入れるという感覚でこの宝物を選びました。ジュエリーを買うという感覚は殆どなく、着けるためではなく見て楽しむために購入しました。着用するつもりがなかったため、ピアスを買ったものの、当時は耳にピアス穴はありませんでした。現代ジュエリーやアクセサリーのために耳に穴を開けようとは思えないです(笑) Gen曰く、特に初心者は普通、宝石が付いているものを選ぶそうです。分かってくるとこのような玄人向けのジュエリーを選べるようになる人も一部にいるけれど、それでも全員では無く、最初からこの価格帯で宝石が使われていないものを選べるなんて尋常ではないということでした。 私は自身の"普通にある"感覚で選んだだけだったので、むしろ宝石が付いたものでないと買わない人が多いということに驚きました。 |
模様が美しい特別な石のハイジュエリー | ||
『黄金の叡智』 モス・アゲート ブローチ イギリス 1820年頃 SOLD |
『4 FACES』 4way ウォッチキィ・ペンダント イギリス 1830〜1840年頃 ¥255,000-(税込10%) |
『太陽の沈まぬ帝国』 バンデッドアゲート ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
『Royal Memories』 スコティッシュアゲート ブローチ イギリス 1868年頃 ¥250,000-(税込10%) |
『大自然のアート』 デンドライトアゲート プレート(壁掛装飾) イギリス 19世紀後期 ¥387,000-(税込10%) |
『鷹の眼×虎の眼』 ホークスアイ コンパス ペンダント フランス? 1890〜1900年頃 SOLD |
アンティークジュエリーは本当に幅が広く、奥が深くて面白いです。現代で宝石ではなく『半貴石・奇石』として分類されている石でも、当たり前のようにハイジュエリーの宝石として使用されています。 このようなアーティスティックな宝物は上流階級だからと言って、全員が理解できるものではありません。だからこそ数自体はとても少ないですが、王侯貴族の時代はいつの時代であっても当たり前のようにこのような高級品が作られています。 大自然が描き出した、天然の美しい模様を見ているだけ豊かな気持ちになれます。同じ種類の石を持ってきたからと言って、このような景色があるとは限りません。「美しい!」と、ごく自然に感じられる模様を持つ石は、上質の宝石同様に稀少です。工業用途品質の石が大部分のダイヤモンドに対して宝石品質のダイヤモンドが稀少なのと同様に、美しい模様を持つ石はとても稀少価値があるのです。 模様の美しさが重要な石は、カットによって出てくる模様が大きく変わります。ただ正確にカットすれば良いだけの均質な宝石と比較すると、その難易度は別次元です。石の場合、失敗したらやり直しがききません。どういう模様が最も美しいと判断するのか、職人には絶対的な美的センスも要求されます。石そのものが絵画として成立しており、『ピクチャー・ストーン』と呼ばれているほどです。一見すると、ただ単純に天然の模様が素晴らしいだけに見えますが、高度な人の手とセンスが必要であり、だからこそ誰でも創れるものではないのです。 このような素晴らしい宝物を見ていると、特定の鉱石だけが持て囃される現代に違和感を感じます。現代ジュエリーの常識は王侯貴族の時代が終焉を迎えた戦後、大衆向けにビジネスするために業界が意図して作ったものです。王侯貴族の時代は、稀少価値のある美しい石であれば、石の種類に関係なく高い価値を認めていたことが想像できます。 |
石の模様とコラボレーションしたアーティスティックな宝物 | ||
『獅子座』 ジャスパー・インタリオ 古代ローマ 2世紀 ¥2,800,000-(税込10%) |
『キューピッドと鷲』 ジョージアン ストーンカメオ フランス? 19世紀初期 SOLD |
『デンドライトの森と釣り人』 フランス 1850年頃 デンドライトアゲート ブローチ SOLD |
このような、石の模様とコラボレーションしたアーティスティックな宝物は特に心がくすぐられます。ゴールドなど、一定量が手に入る素材のみで作られた超絶技巧の作品もとても面白いですが、偶然の石の模様を生かしたこれらの宝物は、技術があるからと言って必ず創れるものではありません。石が手に入らなければ実現不可能です。 大自然が描き出した偶然の石の模様の美しさ。それを生かし、想像力豊かな芸術作品に昇華させた、極めて技術とセンスが光る作品です。このような宝物はいくつでも買付したいですが、市場でも滅多に見ることはありません。見つけたら絶対に手に入れるようにしていますが、それだけ当時も創れる職人が少なかったのだろうと思います。 |
私がこの世界に導かれるきかっけとなったピエトラデュラは、技法としては単に石の模様を楽しむものではなく、石の模様を生かして芸術作品へと昇華させるものです、人間の高度な技術とセンスなしには創造できません。 これは様々なピエトラデュラを40年以上も見てきたGenも、「特に傑出した逸品!」と認める作品です。 |
こんな美しい色彩、絶妙なグラデーションを持つ天然石がこの世にあるのかと驚きます。都合良くそこら辺に落っこちているなんてまずあり得ず、どれだけの労力をかけてこの石を見つけてきたのだろうと驚きます。 |
優れた作品に限りますが、小さな作品でも同様です。私の宝物は、1つ1つのモザイクは1円玉より小さいです。 |
ピエトラデュラはアーティスティックな才能に加えて、高度な正確性も要求されます。色石をアーティスティックな形にカットするだけでなく、象嵌細工なので土台となる石もその形に合わせて精密に繰り抜かなければなりません。正確性に劣ると隙間が目立ち、美しい作品に仕上がりません。 天然石の細工であるが故に、1度失敗したら取り返しがつきません。色ガラスを用いるローマンモザイクの場合は人工的に色をコントロールできますし、必要なだけ材料を作ることもできます。割れたりして失敗したら、また溶かして固めて使えます。作業としては、どちらかと言えば地道な作業への忍耐力が重要となる細工です。 ピエトラデュラは類い稀なセンスと、失敗が許されない集中力と正確な技術が重要です。難易度としてはピエトラデュラが上で、だからこそより早い段階で優れたものは作られなくなったのだと推測できます。頑張ったで賞的に分かりやすいローマンモザイクと異なり、その凄さが万人には分かりにくいことも原因だったかもしれません。 石の細工物は本当に魅力的です♪ |
貝殻を器にした料理が乗る宮廷中華料理の前菜 |
さて、材料費として軽んじられがちなものとして、シェルカメオも該当するでしょうか。 貝殻拾いは、海のメジャーな遊び方の1つです。タダで拾えます。 アサリの酒蒸し、シジミのお吸い物、サザエやアワビのお作り、牡蠣のバーベキュー。食材としても貝はメジャーですが、貝殻は食べたら躊躇なく廃棄します。器として再利用されることもありますが、基本的には価値のない"タダ"のような扱いです。 この意識の元で見ると、シェルカメオの材料はタダのように感じてしまう可能性があります。しかしながら、全くそうではありません。 |
ひなせかき祭の牡蠣小屋でバーベキュー(2014.2.23) | 工業製品に慣れていると思い違いしがちですが、人間の姿形が個性に富むのと同様に、生き物である貝殻の形は均一ではありません。 シェルカメオを作るための原材料を手に入れるのは、案外大変です。 十分な大きさと厚さ、好ましい形状、色と質感などが必要です。 |
シェルカメオの材料にもなるダイオウトウカムリガイ |
採ってきてすぐに使えるものでもありません。1年ほど乾燥のために天日干しします。同じ面ばかり干すわけにはいかず、適宜向きを変えなくてはなりません。雨の日は濡れないようにする必要もあり、これだけでも大変な手間となります。 乾燥後、割って見て状態の良い部分だけを使います。全てを使用するのは不可能で、宝石と同様に、選ばれし上澄部分だけがジュエリー品質のものとして使用可能です。得られた材料にもランクがあり、有力な作家が優先的に上質なものを選ぶことができます。もちろん、その分だけ材料費としても高価となります。 |
『黄金馬車を駆る太陽神アポロン』 シェルカメオ ブローチ&ペンダント カメオ:イタリア 19世紀後期 フレーム:イギリス? 19世紀後期 ¥1,330,000-(税込10%) |
このようなトップクラスのシェルカメオに使用されているシェルはかなり厚みがあり、貝殻そのものの模様も見事です。 選ばれしシェルに、第一級の職人が彫刻することで、このような素晴らしい芸術作品が完成します。 |
ダイヤモンドを採掘するキンバリー鉱山(南アフリカ 1870年代) |
そもそもダイヤモンドも他の宝石も、地面からタダで拾ったり採掘してきたりしたものです。よく分からない人々が勝手に地権を主張し、お金を要求してくることはありますが、そもそもはダイヤモンドも貝殻も天然の恵みであり、自然界はお金なんて要求してきません。どちらも同じ"タダ"です。 ダイヤモンドは採掘にお金や手間ががかかるからという主張も、貝殻に価値がない理由にはなりません。先にご説明した通り、ジュエリー品質のものには相当な労力や時間がかけられています。 |
ゴールドだけの高級ジュエリー | ||
王侯貴族の時代(アンティーク) ー 芸術 ー |
大衆の時代(現代) ー 工業製品 ー |
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『優雅な羽の小箱』 ロケット・ペンダント イギリス 1820年頃 SOLD |
『RAMS HEAD』 イタリア or イギリス 1870年頃 SOLD |
【参考】メイカーズ シグネット リング 18Kゴールド(ティファニー 2022年)¥731,500- 【引用】TIFFANY & CO / メイカーズ シグネット リング 18Kゴールド ©T&CO |
精製して使用するゴールドの場合、品質が良い上澄だけを使うのとは異なります。ただ、時代や地域によってゴールド自体の稀少性とその価値は異なります。1848年にカリフォルニアでゴールドラッシュが起きる前と後では、金価格はまるで異なります。さらに各地で鉱脈が発見された現代では、アンティークの時代と比べて遥かに金価格は安いものとなり、庶民ですら手が届くほどです。 自然界からの恵みである素材に貴賎なし。どの材料であるかではなく質の良さや美しさ、すなわち稀少価値であったり、どれだけ手間をかけて再現不可能な無二の美しさを生み出しているのか。誰でも同じものが作れるようなものは、本来芸術とは言いません。 さらにその創造を困難にしているのは、作者に傑出した才能も必要不可欠であることです。手間をかけたり、或いは寿命を削るようなレベルの研ぎ澄まされた集中力を持ってせねば、人の心を打つような優れた芸術にはなりません。ただ、これは必要条件であって、十分条件ではありません。 センスと言うのは、言語化された領域で定義するのは難しいです。究極的には、芸術が何たるかは感覚で判断する以外にありません。論理でご説明できるのはここまでです。 人の手でしか生み出すことができない、人を深く感動させる芸術。人生すらも変えてしまう宝物。それが総合芸術である『アンティークジュエリー』です。 |
1-1-8. アンティークジュエリーの魅力が詰まった宝物
現代ジュエリーのように自己顕示欲が強く感じられる、成金のような雰囲気のジュエリーは本来の上質なアンティークジュエリーではありません。 清楚でエレガントな雰囲気を持つこのリングは、まさにアンティークジュエリー本来の魅力が詰まった王侯貴族らしい宝物と言えます。 |
1-2. 小ささと細工の良さを追い求めたジュエリー
1-2-1. アンティークジュエリーに対する多くの現代人の誤解
現代ジュエリーは庶民がターゲットです。成金の虚栄心をくすぐり、割高な価格で買ってもらうことが最も効率良くボロ儲けできる手です。 |
【参考】パンテール ドゥ カルティエ リング(カルティエ 現代)¥20,064,000-(税込)2019.12現在 【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER RING ©CARTIER |
【参考】ダイヤモンド・ブローチ(ブシュロン 現代)¥9,306,000-(税込)2019.2現在 【引用】BOUCHERON HP / WOLF BROOCH |
故に、高価格帯のジュエリーはいかにもそれらしい、ドヤドヤしたデザインで作られるのが一般的です。豹や虎は日本人だけでなく、世界共通で成金嗜好の人に好まれるのでしょうかね。私も豹や虎は決して嫌いではありませんが、このデザインはボテッとしていて心惹かれません。 ちなみに右側は何の生物だろうと思いましたが『WOLF BROOCH』、狼だそうです。・・・・・。 |
【参考】ミッドヴィクトリアンの成金(庶民)のジュエリー | ||
現代の常識で当時の物事を判断するのは乱暴です。しかし、そうしてしまう場合が少なくありません。 ジュエリーの大衆化や、ミッドヴィクトリアンからレイトヴィクトリアンにかけてのジュエリーの変化については以前、時代背景を踏まえて詳しくご紹介しました。 ヴィクトリアン中後期以降は、ジュエリーが大衆用にも作られるようになりました。限られた上流階級のためにしか作られていなかったアーリー・ヴィクトリアンまでと比較すると、何桁も違う数の膨大な量が作られました。現代のアンティークジュエリー市場に出回っているのは、その庶民用に作られた安物が大半です。 数が多いからこそ、今でも似たものがいくらでも安く手に入ります。しかしながら、この時代の庶民向けのジュエリーは現代同様、デザイン的にパッと見で高そう(凄そう)に見えるように作られています。 日本人は一般的には、ヨーロッパの人たちほど知識がありません。金儲けが目的のディーラーの場合、「ヨーロッパの上流階級が使っていた高級アンティークジュエリーです。」と紹介し、割高な値段で儲けるのにこれらは都合が良いです。 |
【参考】ヴィクトリアンの大衆向けガーネットジュエリー | ||
Genはこのような安物を嫌い、決して扱ってきませんでしたから、Genの目利きを信頼してくださる方はこのようなものは高級アンティークジュエリーではないことをご存じのはずです。 一応100年以上は経過していますから、きちんとイギリスの庶民が一生懸命にお金を出して大切に使っていたものとして、正直に紹介すれば良いと思います。それを上流階級のために作られた高級品と偽って紹介するディーラーが多くいたからこそ、多くの日本のアンティークジュエリー・ファンに誤解が生じました。 悪意はなく知らなかっただけという言い訳も考えることはできますが、プロである以上、無知は許されるものではありません。そんな言い訳をするような人は無責任であり、その他の部分も無責任にしかならないでしょう。 |
【参考】ミッド・ヴィクトリアンの成金ジュエリー | ||
Genは日本で初めてこの仕事を始めたレジェンドであり、知識も経験も誰よりも豊富です。しかし権威化を嫌い、謙虚であり続けました。自称アンティークジュエリー研究家なども湧いていますが、その中にはやはり誤った説明は表面的な解釈が多いです。 苦言を言うこともありますが、「Genが本当はきちんとした本を書くべきだったのでは?外野から苦言を呈する立場ではなく、中心人物としてきちんと軸となるものを定義すべきだったのでは?自称の人たちは凄そうな肩書きを名乗って凄そうに見せたがるものだけど、Genが一番最初に始めたレジェンドである事は業界の皆が知っており、嘘をついてレジェンド的に名乗ることもできず、何だか業界が混乱しているようにも見える。」と、私はGenに苦情を上げました(笑) 「僕、そういう文章を書いたりするの苦手だからWakaちゃんがすれば良いよ。」と、満面の笑みで丸投げされてしまいました。極めてGenらしい返答です。まあでも、それだけ信頼してくれるのはとても光栄なことですね。Genが文章を書いたり、タイピングするのは苦手なのは私も知っているので、こうして今回、アンティークジュエリーについて労力をかけて定義しました(笑) 現在出版されているアンティークジュエリー関連の出版物は、Genの精神が入ったものは皆無です。ただ、Gen自身がこのようなスタンスだった事が、ドヤドヤした悪趣味のアンティークジュエリーが王侯貴族のための高級ジュエリーと思われる結果となっており、これはきちんと訂正していかなくてはと思っています。 |
1-2-2. 小ささが魅力の1つであるアンティークジュエリー
ルネサンス以前からHPをご覧になっている方だと、Genのこの言葉は見覚えがあると思います。 「この小ささが魅力♪」 「この小ささが良いんです!!♪」 |
【参考】現代の安物ジュエリー | ||
【参考】現代の成金ジュエリー | ||
成金嗜好の場合、小さいジュエリーを持つ理由は「お金がなくて大きな物が買えないから。」という思考回路で見ます。成金はお金が唯一の評価指標です。「小さい=劣る者、敗者」という判断となり、より大きい物を身に着けている自分は相手より優っているという自己満足を得ます。 このような思考回路で見る人たちは、アンティークジュエリーの真の魅力を永遠に理解することはありません。 |
『アール・クレール』 ハートカット・ロッククリスタル ロケット・ペンダント イギリス 1900年頃 SOLD |
現代はこのような考え方が広く浸透しており、ルネサンスの頃も「思っていたより小さかった。」という理由でキャンセルになることがたまにあったそうです。 初めてのお客様の場合、思っていたより小さいとお感じにならないか、ドキドキしながら実物をご覧いただいています。 HERITAGEでは「思っていたより小さくて、想像以上に素敵で気に入りました。」と仰ってくださるような初めてのお客様もいらっしゃって、「うわ〜!分かってる方だ!凄い!!♪」と大喜びしたりしています。 |
時代ごとのガーネットのハイジュエリー | ||
ジョージアン | ミッド・ヴィクトリアン | レイト・ヴィクトリアン |
『愛のメロディ』 ジョージアン 竪琴ブローチ イギリス 1826年 SOLD |
【参考】ガーネット・ピアス | 『ヴィクトリアン・デコ』 アングロジャパニーズ・スタイル リング イギリス(バーミンガム) 1876-1877年 SOLD |
どのようなジュエリーが流行するかは、当時のファッションリーダーがどういう人物だったのかに大きく左右されます。君主(女王)であるヴィクトリア女王がファッションリーダーだったミッド・ヴィクトリアンは、君主として周囲の男性たちや国民、列強諸国から軽んじられぬよう、主張の激しい成金的なデザインが上流階級にも流行しました。 このミッド・ヴィクトリアンのデザインが一般的にはアンティークジュエリーのスタンダードなイメージとなっていますが、俯瞰して見るとこの時代は極めて特殊です。 通常の女性のファッションリーダーは王妃です。最高権力者としてドヤる必要はなく、むしろ夫である国王を立てる者として、控えめながらも品の良さや美しさ、知性や教養、センスの良さ、慈愛の心などを示すことが役目です。だからミッド・ヴィクトリアンのような特殊な時代を除くと、王侯貴族のためのハイジュエリーは小ぶりでお金をかけられたセンスの良いものが通常です。 |
仰々しいミッド・ヴィクトリアンの時代が終わり、本来の王侯貴族らしいデザインに流行が戻ってきたレイト・ヴィクトリアン。 まさにその変化を象徴するような、小ささの中に細工の良さとデザインの良さを追い求めた宝物です♪ |
2. ハーフパールのみによるデザイン性の高いリング
2-1. リングならではのデザイン上の制約
ジュエリーには様々なアイテムがありますが、リングはデザインを施す上で最も制約があるアイテムです。 |
『財宝の守り神』 約2ctのダイヤモンド ブローチ フランス 1870年頃 SOLD |
デザイン上の自由度が最も高いのはブローチです。 着用する位置も自由、付ける角度も自由で、大きさも自由にデザインできます。 |
ジョージアン サイベリアン・アメジスト ブローチ イギリス 1820年頃 SOLD |
←↑等倍 |
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リングにするには大きすぎる宝石でも、宝石に合わせて自由にデザインできます。 大きな宝石を好みに合わせて複数、組み合わせることもできます。 これはリングでは不可能です。 |
単結晶の合成サファイア 約20cm、30kg | 例えば現代では20cmほどもあるサファイアも合成可能です。 大きければ大きいほど価値があるという成金思考で考えるならば、これで作れば最高級のリングとなることでしょう。 ただ、普通の女性は指にこのサイズを着用するのは無理でしょう。30kgの重さをコントロールできるとも思えませんし、指に収まるサイズでもありません。 まあ、このサイズのままではブローチも無理ですが・・・。 |
ネオルネサンス様式 ファイヤーオパール ペンダント カルロ・ジュリアーノ(Carlo Giuliano)作 イギリス 1880年頃 SOLD |
合成でもなく人工処理もされていない"天然のままの宝石"が当たり前だったアンティークの時代は、上質さに加えて大きさがあるほど宝石として稀少価値が高く、より高級とされてきました。 ただ、リングにするには大きさの制約があります。 女性の指に収まりきれないような大きなものは、別のアイテムに使用します。 |
リングとしては最大級の宝石を使った宝物 | ||
『万華鏡』 オパール リング イギリス 1880年頃 SOLD |
『ウラルの秘宝』 ウラル産 1.71ct デマントイドガーネット リング イギリス 1880年頃 SOLD |
アールデコ セイロン・サファイア リング フランス 1920〜1930年頃 SOLD |
ギリギリ指に収まるサイズの宝石だと、あまりデザインを施す余地はありません。指に収まる大きさというのが、どうしてもデザイン上の制約となってしまうのです。また、リングならではの輪っか状の形というのも大きな制約となっています。 |
デザイン性の高い稀少なリング | ||
『SUKASHI』 アーリー・アールデコ リング オーストリア 1910年代 SOLD |
ロシアン・アヴァンギャルド ダイヤモンド&エナメル リング ロシア 1910年頃 SOLD |
『ロシアン・アヴァンギャルド』 ルビー&サファイア リング ロシア 1910年頃 SOLD |
デザイン性の高いリングは稀少です。 ジュエリーはトータルコーディネートする楽しみがあります。全てのアイテムが個性的だと、まとまりが悪くなることもあります。1つ主役を決め、リングを脇役にする時はデザインはシンプルな方が良いこともあります。 しかし、主役になれる個性的でデザイン性に優れたリングは何とも面白いものです。サイズや形に大きな制約があるのに敢えて挑むというのは、作者やオーダー主の強いこだわりがあってこそです。そこには工夫や高度な技術が詰まっており、それこそがデザイン性の高いリングの大きな魅力と言えます。 リングは最も人気が高いアイテムの1つですが、ハイジュエリーの中でも非常に稀な存在であるが故に、なかなかご紹介できる機会はありません。見つけたら絶対に買い付けるようにしています♪ |
2-2. 天然真珠のサイズとデザインの密接な関連
大きな宝石を使おうとも、小さな宝石を使おうとも、デザインを施せる面積や形は大体決まっています。宝石のサイズによって、デザインの余地も大きく違います。 この宝物は天然真珠のみでデザインされています。1粒でデザインとなるのは不可能です。ここからは天然真珠のみを複数使ったリングを比較していきましょう。 |
2-2-1. 大きな天然真珠の場合
・・・・・。 すみません。大きな天然真珠を使用した、天然真珠のみのリングは1つも見つかりませんでした。 大きな天然真珠を複数使用したリングは46年間でいくつかお取り扱いしているのですが、脇石としてダイヤモンドを使ってデザインするのが一般的だったようです。 |
石の価値だけで売ろうとする安物の場合、現代ジュエリー同様に石単体の簡素なデザインというのもあり得ます。 |
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【参考】現代の養殖真珠リング |
アンティークのハイクラスのシンプルな天然真珠リング
アールデコ 天然真珠 リング フランス 1920年頃 SOLD |
アールデコ 天然真珠 リング フランス以外のヨーロッパ 1920〜1930年頃 SOLD |
しかしながらアンティークのハイジュエリーの場合、石単独でデザインするというのは絶対にあり得ません。当時もシンプルなデザインを好む人のために、シンプルなリングは作られています。しかしながら上流階級のための高級品であれば、斜めから目に入るショルダー部分であったり、見えない裏側にも技術と手間をかけてデザインが施されているものです。美意識が高い人ほど、手抜きして作られたジュエリーでは心が満たされません。 シンプルイズベストと手抜きは、似て非なるものです。 そういうわけで、大きな天然真珠を使った天然真珠のみの高級リングは見つかりませんでした。参考として、ダイヤモンドを脇石に使ったものをいくつかご紹介しておきましょう。 |
天然真珠2粒のデザイン
ゴールデン&ホワイト天然真珠 トワエモア・リング ヨーロッパ 19世紀後期 SOLD |
天然真珠&ダイヤモンド リング フランス? 1910年頃 SOLD |
どちらも流れを感じる、動的なデザインが美しいデザインですね♪♪ 当時は天然真珠が史上最も高く評価された時代でしたから、これらが最高級品として作られたことは確実です。 ただ、主役は天然真珠であり、天然真珠が惹き立つようなデザインになっています。デザインそのものが主役では爆、あくまでも惹き立て役です。 右のリングは、大きさのあるオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドも第二の主役です。メインストーンが4つある感じです。それぞれに大きさがあるため、4石も使おうとすると、どうしても大型のラグジュアリーなリングになってしまいます。 |
天然真珠3粒のデザイン
3カラー天然真珠リング イギリス 1899年頃 SOLD |
エドワーディアン 天然真珠リング イギリス 1910年頃 SOLD |
3カラー天然真珠リング イギリス 1920年頃 SOLD |
天然真珠に大きさがあると、3粒も使うとやはり迫力がありますね。3粒と言うのは、デザイン的には制約が大き過ぎます。三角形の配置にするか、このようにライン状の配置にする他ありません。大きな天然真珠で三角形を作ると指に収まらないため、基本的にはライン状の配置一択でしょうか。 天然真珠以外でデザインする他ありませんし、3粒も使うとデザインできる余地も少ないです。天然真珠が主役で、やはりデザインは名脇役の存在と言えます。 |
天然真珠4粒以上のデザイン
一文字 天然真珠 リング イギリス 1880年頃 SOLD |
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一文字リングは定番デザインの1つですね。 デザインの余地は殆どありません。それでも高級品なので、ベゼルの前後に持ち主や作者ならではのこだわりを見ることはできます。 天然真珠が大きいと、使う数が増えるほどにデザインの余地は無くなっていきます。 |
2-2-2. 中サイズの天然真珠の場合
『英国貴族の憧れ』 天然真珠&トルコ石 リング バーミンガム 1876〜1877年 SOLD |
天然真珠&ダイヤモンド・リング バーミンガム 1880〜1890年頃 SOLD |
エドワーディアン 天然真珠リング イギリス 1910年頃 SOLD |
中サイズの天然真珠を使ったリングも、やはり天然真珠のみという作品は見つかりませんでした。物理的には配置可能でも、美しいと感じられるデザインとしては5粒程度が限界でしょうか。 5粒程度だと、天然真珠そのものでデザインするには数が不足という印象です。その他のもっと小さな宝石を駆使して、全体をオシャレなリングに仕上げています。 これくらいのサイズだと、天然真珠がメインの天然真珠を惹き立てるためのデザインと言うよりも、各要素で構成する全体のデザインが魅力という印象になってきます。 ちなみに右の天然真珠について2011年、当時64歳だったGenは「小さな天然真珠を使ったエドワーディアンの指輪」と表現しています。小さいと表現するか、中サイズと表現するかは場合によるのですが、小さいと言えば小さいんですよね。リングにデザインできる面積が、いかに狭いのかが分かるものです。 |
2-2-3. 小さな天然真珠の場合
小さな天然真珠を複数使ったリングとして最もメジャーなのはクラスターリングです。ヴィクトリアン中後期に大流行しており、ハイクラスのものはそれぞれに個性があります。 |
イギリス 1850年頃 SOLD |
イギリス 1860年頃 SOLD |
イギリス 1860年頃 SOLD |
イギリス 1860年頃 SOLD |
イギリス 1870年頃 SOLD |
イギリス 1880年頃 SOLD |
クラスターリングの場合、天然真珠のみでデザインされていることは稀です。大体はそれぞれの好みの宝石を組み合わせてデザインされています。 |
宝石が天然真珠だけのクラスターリング | |
天然真珠クラスターリング イギリス 1860年頃 SOLD |
天然真珠クラスターリング イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
それでもこれまでの46年間で、宝石は天然真珠のみというクラスターリングも2点ありました。その分、金細工へのこだわりがどちらも尋常ではありません!♪ それぞれ方向性は異なっており、デザインも技法も違うのがアンティークジュエリーの面白さですね。Genと同じく、昔から取引のあるロンドンのディーラーも「何十年もこの仕事をやっていても、まだ毎回新しいものに出逢うから興味が尽きないし楽しい♪」と言っていました。 これくらい天然真珠が小さいとお花のようなデザインはできるようになりますが、それでもまだ天然真珠のみを配置して複雑なデザインを作るというのはまだ無理です。 |
このリングは一見すると簡単なように見えるかもしれませんが、実は有りそうで無い、超難度なことをやっているのです。 お花タイプのクラスターリングの他は、小さな天然真珠だけを複数使ったリングは見つかりませんでした。 |
2-2-4. 別格のマイクロパール
『柳と羊』 フランス 1792年 マイクロパール・ミニアチュール リング SOLD |
より小さな天然真珠としては、マイクロパール(極小天然真珠)を使った作品があります。まあ、これらは別ジャンルと言った方が良いでしょう。 1ミリより小さなミクロの世界・・。 爪留めではなく、天然の接着剤を使った特殊なセッティングによるアートなります。よくこれだけ小さな天然真珠を集めたものだと驚きます。あまりにも大変かつ高尚すぎるジュエリーなので、多くは作られていません。 46年間で、リングはこれだけでした。 |
2-2-5. 大きさと配置デザインのまとめ
通常の天然真珠 | 【別格】 マイクロパール |
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大 | 中 | 小 | 極小 | |
今回の宝物に使用されている天然真珠は、小さなものだと直径約1.5mmです。よく精密に石留めできたものだと驚きます。また、それほど小さいからこそ、天然真珠そのもので複雑なデザインを構成できたとも言えます。 今回の宝物はマイクロパールと通常の天然真珠の境目、限界サイズの小さなハーフパールを使った神技の作品なのです!! |
2-3. 珍しいハーフパールのみのリング
他にも類似の作品がありそうな感じがするのに、探してみると皆無でした。 なぜ、他にもありそうな感じがしたのかと言えば、リング以外の作アイテムではハーフパール&ゴールドのジュエリーは人気が高く、同時代にたくさん作られていたからです。 |
2-3-1. 上流階級のデイ・ジュエリーとして流行したハーフパールの宝物
『紳士の黒い忠犬』 エセックスクリスタル ブローチ イギリス 1890年頃 SOLD |
『新聞を読む猫』 ヴィエナブロンズ ペーパーウェイト オーストリア 1900年頃 SOLD |
あなたは犬派?それとも猫派? このような問いが、世の中にはあります。私はどちらでもありません。猫は一緒に暮らしたことがないので判断のしようがないということもありますが、どちらも可愛いと思います。実際にどちらも一緒に飼っている方も、世の中にはたくさんいらっしゃいますよね。 ジュエリーも、「ゴールド派?それともプラチナ派?」なんて問いかけがあったりします。 |
現代ジュエリー | |
【参考】養殖真珠イヤーカフ(TASAKI 現代)¥6,490,000-(税込)2022.11現在 【引用】TASAKI HP / Nacreous © TASAKI & Co., Ltd |
【参考】ダイヤモンド・ブローチ(カルティエ 現代)¥3,628,800-(税込)2019.2現在 【引用】Cartier HP / PLUIE DE CARTIER BROOCH ©Cartier |
現在の養殖真珠業界は中国の台頭が著しいですが、少し前までは日本が主でした。市場のコントロール力は日本より欧米が圧倒的に上です。現代のジュエリー市場はダイヤモンドで儲けたいアメリカ資本の影響が強く働いており、また、日本は高級品市場ほど舶来品信仰が根強くあります。それもあって真珠よりダイヤモンドの方が好き、あるいは高級と見做す人は多いです。養殖真珠を選ぶのは、冠婚葬祭のためにしぶしぶというケースが圧倒的に多いのではないでしょうか。 それとも、どちらも要らないという方も今では多いかもしれません。これらの現代ジュエリーはアクセサリーにしか見えないほどチャチなデザインと作りですが、数百万円もします。アクセサリーで十分と思ってしまう方は多いでしょう。アクセサリーと差別化できなければ、現代ジュエリー市場は尻すぼみだと思います。それにはコストがかかるので、楽してボロ儲けしたい現代ジュエリー業界はまずやらないでしょうけれど・・。 それはさておき、宝石に関して「真珠派?それともダイヤモンド派?」と二分しようとするのは、残念ながら現代庶民の発想です。上流階級のために作られたアンティークジュエリーを議論する場合、当時の上流階級の目線で見る必要があります。 |
19世紀後期の王侯貴族の正装用ジュエリー | |
デイ・ジュエリー | ナイト・ジュエリー |
シードパール フラワー ブローチ イギリス(GUBSON社) 1880〜1900年頃 SOLD |
ダイヤモンド トレンブラン ブローチ イギリス 1870〜1880年頃 SOLD |
王侯貴族の時代が終焉を迎えた戦後はTPOもどんどん緩くなっている印象ですが、古のヨーロッパの上流階級はジュエリーにも厳密なTPOがありました。昼間からギラついたジュエリーを着けることはなく、昼は天然真珠であったり、カメオなどの芸術性の高いものをデイ・ジュエリーとして身に付けていました。 正装用ジュエリーにもこのように昼用、夜用の両方があります。ダイヤモンドのトレンブランは見た目にもゴージャスで、よりお金持ちの女性がダイヤモンドのトレンブランを身に付けていたと錯覚する方もいらっしゃるでしょう。しかしながら、両方を持たなくては始まらないのが社交界です。 日本は世界的に見ればかなり特殊です。江戸時代は庶民文化が興るほど、庶民に至るまで経済も心も豊かでした。武士より商人の方が豊かだったりもしたくらいでした、だからヨーロッパの古い時代の、身分に基づく格差が想像しにくいです。想像以上に格差があり、持てる者は全てを持ち、持たぬ者は何も持たぬような社会だったと言えるのです。これ以外にも日常用のデイ&ナイト用のジュエリーであったり、その他、各種社交内容に合わせて様々なジュエリーを一人でたくさん所有していたのが古の上流階級です。凄いですよね。 |
2-3-2. ハーフパールのネックレス
シードパール ネックレス イギリス 1880-1900年頃 SOLD |
アールヌーヴォー シードパール ネックレス イギリス 1900年頃 SOLD |
2-3-3. ハーフパールのブローチ
シードパール フラワー ブローチ イギリス(GUBSON社) 1880〜1900年頃 SOLD |
シードパール フラワー ブローチ イギリス 1890年頃 SOLD |
2-3-4. ハーフパールのバングル
シードパール バングル イギリス 1880年頃 SOLD |
シードパール バングル イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
2-3-5. ウェディング・ネックレス
シードパール ネックレス&ブローチ イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
シードパール ネックレス イギリス 1880年頃 SOLD |
2-3-6. ハーフパールのみのデザイン性の高い小型のジュエリーが稀少な理由
ハーフパール・ジュエリーのサイズ比較 |
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全て等倍で並べました。ハーフパールのジュエリーは、ある程度の大きさがあるデザインで作られているのが一般的であるとお分かりいただけるでしょう。 左はピアスですが、このようなハーフパールだけの小ぶりでデザイン性の高いピアスも、他に見たことがないほど珍しいです。左の宝物は、2点とも超特殊です。 |
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視認不可能のマイクロ・ダイヤモンドを使った宝物 | |
『ダイヤモンド・ダスト』 エドワーディアン ペンダント・ウォッチ フランス(パリ) 1910年頃 ¥15,000,000-(税込10%) |
『妖精のささやき』 ダイヤモンド・ピアス イギリス 1880年頃 SOLD |
ダイヤモンドの場合、肉眼では見えないほど小さな石でも使う意味があります。そのものを視覚することは不可能でも、時折放たれるダイヤモンドならではの強い閃光が人を魅了するからです。それはまるで雪原やダイヤモンド・ダストのような、この世のものとは思えない幻想的で荘厳な美しさを感じさせてくれます。 一方、大きなダイヤモンドは生かし方が下手だと、途端に成金感が満載となってしまいます。 |
シードパール ネックレス&ブローチ イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
天然真珠が素晴らしいのは、これだけ大型にデザインしても清楚な雰囲気が出せることです。これは花嫁のために作られたウェディング・ネックレスです。 |
主役としての存在感や華やかさがありつつも、天然真珠ならではの雰囲気によって、清楚で気品溢れる雰囲気が出ています。他の宝石ではこうはいきません! ハーフパールのジュエリーはこのようなメリットを生かすため、敢えて小ささを追うことはあまりないのです。 |
ピアスはリングよりデザインに自由度があり、垂れ下がるタイプにするなど、大きく作ることも可能です。いつかそのような宝物をご紹介できる時があるかもしれません。 しかしながら敢えてこの小さな面積に、これだけの数のシードパールを使ってジュエリーを作ろうとするなんて普通ではあり得ません! |
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どちらの持ち主も相当な美意識に加えて、第一級の職人に試行実験的なオーダーができるレベルの財力を持っていたことは間違いありません。相当なこだわりを持って作られた作品です。 フラワー・ピアスはカタログで詳しくご紹介した通り、シャープペンシルの芯よりも遥かに細い透かし細工が施されていました。彫金も驚くべき細かさでしたし、10枚もの花びら1枚1枚に細かなハーフパールが精密にセッティングされており、まさに神技の作品でした。 今回の小さな宝物も、やはり同等の作品と言えるのです。 |
ジュエリーの楽しみの1つはトータルコーディネートです。 美しいハーフパール・ジュエリーが社交界で流行した当時、指先まで天然真珠だけで完璧なオシャレをしたい、美意識の高い貴婦人がオーダーしたに違いありません♪ |
3. 神技の作りで実現したモダンなデザイン
3-1. ナイフエッジによる完璧なフレーム
この宝物の主役は、現代でも十分に通用するモダンなデザインです。 これは驚異的なナイフエッジの技術があってこそ実現したデザインです。 このデザインには並々ならぬこだわりが感じられます。 |
3-1-1. 時代を先取りした最先端デザイン
現代の感覚だと、このデザインに特別な新規性は感じられないかもしれません。 それは新しく生み出されたこのデザインが広く受け入れられ、普遍の存在として定番化したからに他なりません!!♪ |
20世紀前半のデザインの変化 | |||
エドワーディアン | アールデコ | インターナショナル・デザイン | |
前期 | 後期 | ||
20世紀のデザインはこのような感じで変化しました。20世紀に入ると既に、古のヨーロッパの王侯貴族らしさを感じるクラシックな雰囲気は殆どありません。 アールデコからインターナショナル・デザインを経て、現代に至るとされています。無国籍なインターナショナル・デザインに辿り着いて以降、デザインの進化は起きていないと言われています。このため、これらのデザインを見ても古臭さを感じることはありませんし、むしろ優れたものは今の私たちにとっても未来的にすら感じるのではないでしょうか。 |
1876〜1877年に制作されたアングロジャパニーズ・スタイルの宝物 | |
『ヴィクトリアン・デコ』 ロムバスカット・ガーネット クラスターリング イギリス(バーミンガム) 1876〜1877年 SOLD |
『英国貴族の憧れ』 天然真珠&トルコ石 リング イギリス(バーミンガム) 1876〜1877年 SOLD |
この急速な進化は、開国した日本美術がヨーロッパ美術に大きな影響を与えた結果起きたものです。その走りと言えるのがイギリスのアングロジャパニーズ・スタイルでした。 初期は模倣のような単純な形で始まり、徐々に西洋と日本美術が融合・昇華していく形で花開いていきました。この2つのリングは、資料的にも価値の高いアングロジャパニーズ・スタイルの宝物です。1870年代には既にイギリスでこのような、アールデコのようなデザインが生み出されていたことが分かります。素材がプラチナであれば、より一層アールデコのような雰囲気となったでしょう。 これらは当時の最先端のデザインです。これらが社交界で絶大な支持を受けたからこそ、その後の時代で急速にデザインの進化が起きたわけです。 |
クラシックさを感じるハーフパール・ジュエリー | |
シードパール ネックレス イギリス 1880-1900年頃 SOLD |
アールヌーヴォー シードパール ネックレス イギリス 1900年頃 SOLD |
ハーフパール・ジュエリーが流行した19世紀後期は、まだ過渡期でした。私たちがご紹介する宝物はあまりにも厳選しており、時代を作ってきたような特別なものも多くあります。しかしながらそれは、上流階級や各界の名士が集まる社交界でもまだ一般的なものではありませんでした。 当時、まだ大半はオーソドックスなヨーロピアン・デザインで作られたハイジュエリーの方が主流でした。このため、当時のシードパール・ジュエリーもクラシックな印象のデザインが圧倒的に多いです。アールヌーヴォーを取り入れた右のネックレスについても、クラシックな雰囲気を同時にお感じになるのではないでしょうか。 |
最先端デザインのシードパール・ジュエリー | |
『スーパースタリッシュなバングル』 シードパール バングル イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
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左は以前ルネサンスでご紹介したバングルです。 Genも「100数十年も前に作られたとは思えない、現代的なデザインですね〜!!♪」とコメントした宝物です。 |
「こういう物は百個に一個も無いものなんです!!」ともカタログで述べています。これは、私たちがお取り扱いするハイジュエリー・クラスでも、百個に一個も無いという話です。市場全体で見れば1万個に1つ見つかればラッキー、普通はいくら探しても見つからないというほど稀有な存在です。 このため、参照資料としてご紹介できる、このような時代を遥かに先取りしたモダンなデザインのシードパール・ジュエリーはこのバングルしか見つかりませんでした。このような、新しい時代を作り出すようなパワフルなジュエリーは作りも抜群に良いのが、共通する特徴です。私たちがご紹介する宝物はどれも作りが良いですが、特に良いと強く実感できるほど優れています。 バングルもリングも時代を先取りしたデザインですが、どちらも連続する波を表現したようなウェーブ・デザインであることも興味深いです。この時代は葛飾北斎の傑作『神奈川沖浪裏(The Great Wave)』にインスピレーションを受けた芸術作品が、ジュエリー以外にも多種多様に制作されました。 |
『神奈川沖浪裏』にインスピレーションを受けたとみられるジュエリー | |||
広義のアングロジャパニーズ・スタイル? (イギリス) |
アールヌーヴォー (フランス) |
モダンスタイル (イギリス) |
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今回の宝物
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『スーパースタリッシュなバングル』 シードパール バングル イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
『マーメイドの宝物』 天然真珠リング フランス 1890〜1900年頃 SOLD |
『The Great Wave』 サファイア ブローチ イギリス 1910年頃 SOLD |
新しいデザインは、天才が天才の閃きによってゼロから創り出すものではありません。自身に在る既存の感覚を軸としながら、古今東西の様々な文化芸術に新しいインスピレーションを受け、新しいデザインを創造します。だからこそ、和洋問わずきちんとした芸術家たちは勉強熱心ですし、過去の芸術家たちにも尊敬の念を持ちます。 今回の宝物のようなウェーブ・デザインはどうやって生み出されたのだろうと不思議に感じますが、これも葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』にインスピレーションを受けた、一種のアングロジャパニーズ・スタイル・ジュエリーである可能性は十分に考えられます。だからこそリングもバングルも作行は異なるものの、どちらも連続する波のようなデザインなのだろうと思います。この曲線が、やがてアールヌーヴォーにつながっていった可能性すらあります。 右の2点は『神奈川沖浪裏』をモチーフにしたことが強く感じられますが、左の2点はより意匠化されたデザインとなっており、完成したただの"美しいデザイン"のようにすら見えます。今では当たり前のように見えるかもしれないこのデザインを巡って、当時の社交界ではどんな美術談義が行われたでしょうね。きっと盛り上がったことでしょう。想像するだけでも楽しいです♪ このことについて、当時のヨーロッパの社交界や美術界をより具体的に想像できるよう、もう少しだけお話しておきましょう。 |
3-1-2. 日本美術の『波』のモチーフ
葛飾北斎の『波』の作品
冨嶽三十六景 『神奈川沖浪裏』(葛飾北斎 1831年頃) |
葛飾北斎の波の作品としては『神奈川沖浪裏』が最も有名です。欧米では浮世絵と言えば『神奈川沖浪裏』と言えるほど、日本美術の代表的な作品の1つです。 しかし1831年、葛飾北斎が71歳頃に『神奈川沖浪裏』を完成させるまでに、様々な試行錯誤がなされています。 |
『賀奈川沖本杢之図』1803年 | 『おしおくりはとうつせんのづ』1805年 | 千絵の海『総州銚子』 1833年 |
しかも『神奈川沖浪裏』が完成した後も、また別のアプローチで波を描いています。 71歳は、若い方には十分な老齢に感じられるかもしれません。しかしながら80歳から見ればまだ若いですし、90歳から見れば自身より20歳近くも年下の若造です。 |
葛飾北斎(1760-1849年)82歳頃の自画像 | 葛飾北斎は90歳、卒寿を迎えて亡くなりました。 このカタログを読んでくださっている殆どの方は、90歳よりは年下でしょう。そのような人にとって、90歳は十分長く生きたと思うかもしれません。 しかしながら、本人的にはそうでもなかったようです。臨終の様子は次のように伝えられています。 |
「翁死に臨み、大息し天我をして十年の命を長ふせしめバといひ、暫くして更に謂て曰く、天我をして五年の命を保たしめバ、真正の画工となるを得べしと、言吃りて死す」 死に臨む翁(北斎)は大きく息をして、「天があと10年私を生かしてくれたら。」と言い、しばらくして更に「天があと5年、生かしてくれたら私は本物の絵師(芸術家)になれただろう。」と言って亡くなった、と言うことです。 これは北斎が単なる天才肌なだけの芸術家ではなく、努力できる天才絵師だったことを示していると思います。才能枯れする"早熟の天才"は、本当に天才だったのか疑わしく感じます。周囲によって何らかの意図で祭り上げ、でっち上げられたのではとすら感じます。 早期に枯れなくても、晩年に創作意欲が薄れたり、つまらぬものしか生み出せなくなる人もいますが、結局は天才と呼べるほど大した才能ではなかったか、分不相応な名声に胡座をかき努力を怠ったことが原因でしょう。どちらにしても、ろくな才能とは言えません。 『唯一無二の理想の美』なんてものは存在しません。そんなものが存在したら、世の中も芸術の世界もとてもつまらぬものだったでしょう。誰か1人がその1つの正解を完成させたら終わりです。他にやること、やれることがありません。 理想の美の形は様々ありますが、1つ完成させても、また別の形が見えてくるものです。まるで砂漠で見る、蜃気楼のオアシスのようです。 凡人が到達し得ない場所に辿り着いた天才には、そのまた遥か先に、素晴らしい世界が見えるのでしょう。そしてそこに辿り着いても、天才にはそのまた先が見える。きっとその繰り返しでしょう。そうやって与えられた寿命の中で、人は精神的に進化していくのです。死ぬまで続けることができます。 あと5年生きられても、95歳の北斎は同じように言っただろうと想像します。あと5年。100歳まで生かしてくれたら本物の絵師になれただろうにと。私もこの仕事に対して、同じことを言いそうなんですよね。あと5年、生かしてくれたらアンティークジュエリーに関する完璧な知識を詰め込んだHPが完成するのに、なんて(笑) 本人はいつまでも納得せぬままですが、人間だからこそ必ず寿命はきます。天から与えられた使命は十分に果たされており、だからこそ北斎はそのタイミングで天に召されたのでしょう。見果てぬ夢を追い求めながらの旅立ち。憧れます。 |
冨嶽三十六景 『東海道金谷ノ不二』(葛飾北斎 1830年頃) |
上は『神奈川沖浪裏』と同じく富嶽三十六景の1作で、『東海道金谷ノ不二』です。今回の宝物の波の感じは、『東海道金谷ノ不二』に近いですね。 |
浮世絵は膨大な数が欧米に輸出され、上流階級や知的階級が一種のステータスとしてこぞってコレクションしました。そこまで興味がない人は『神奈川沖浪裏』くらいしか知らないということもあり得ますが、日本美術が上流階級や知的階級の間でホットな話題だった当時、北斎のこの波に関する試行錯誤が議論のテーマになった可能性は十分に考えられます。 絵画などの美術作品を見て、そのモチーフや表現を観察し、作者が何を意図し何を伝えようとしたのか、知的な議論を楽しむのが上流階級・知的階級に流行した時代でもありました。そのような場で着用するに最も相応しいリングとして作られた可能性は、十分に考えられるのです。 |
『波』の意匠
青海波が描かれたアンティークの夏帯(昭和初期)HERITAGEコレクション | 日本美術に於いて、『波』は葛飾北斎だけの特別なものではありません。 日本の伝統的なパターンは本当に種類が多いですが、代表的な1つとして『青海波』があります。 いつまでも続く、無限に広がる穏やかな波のように、未来永劫に続く幸せへの願いと、人々の平安な暮らしへの願いを込められた縁起の良い柄です。 その美しさと縁起的な意味もあって、日本でも様々な美術工芸品に表現されてきました。 |
『紋所帳』青海波の描き方(1816年:江戸後期)立命館大学ARC蔵 |
青海波が広く普及したのは江戸時代になってからです。江戸時代中期に勘七という漆工が、粘稠な漆と特殊な刷毛を使って青海波を巧みに描いたことで人気が出ました。勘七は青海勘七(せいかいかんしち)と呼ばれるようになり、青海波が工芸品に施す細工として一般化していきました。 開国後、それら日本の美術工芸品を見た欧米の上流階級・知的階級はどう思ったでしょうか。 |
ヨーロッパの定番『メアンダー模様』 | ||
『優雅な羽の小箱』 ゴールド ロケット・ペンダント イギリス 1820年頃 SOLD |
ローズカット・ダイヤモンド リング フランス 1820〜1830年頃 SOLD |
アールデコ 天然真珠 リング イギリス 1920年頃 SOLD |
圧倒的な知名度と普遍の人気を誇るヨーロッパの紋様として、『メアンダー模様』があります。『ギリシャ雷文』、『ギリシャの鍵模様』などとも呼ばれる模様で、この模様は欧米の人が見れば、古代ギリシャの高尚さを感じます。 |
似て非なる紋様 | |
古代ギリシャの模様 | 殷の時代から続く伝統的な雷文 |
『レスリングの練習場』(古代ギリシャ 紀元前440〜紀元前435年頃) ルーブル美術館 | ラーメンの器 |
この模様を見て、ラーメン模様だと勘違いする人もいますが、似て非なる模様です。 詳細は以前ご説明しましたが、日本人がラーメン模様と認識している模様は古代中国、殷の時代から続く雷文です。古代中国で、雷が発生する原理は『陰陽の原理』によって解釈されました。このため、雷に由来するこの紋様も陰陽の形で対をなす"閉じたパターン"になっています。 一方、メアンダー模様は蛇行して流れるメアンダー川に由来します。豊穣をもたらす、永遠に続く川の流れを意匠化した縁起柄です。流れて行く水の流れを表すため、パターンは閉じた形ではなく永遠に続いていくデザインとなります。 青海波と込められたその意味を知れば、ヨーロッパの知的階層ならばすぐに古代ギリシャのメアンダー模様との関連性を思い浮かべて感心するはずなのです。 |
『英雄ヘラクレス』 エレクトラム インタリオ・リング 古代ギリシャ 紀元前5世紀 SOLD |
ヨーロッパ美術の原点は古代ギリシャにあると認識されており、特に知的階層も兼ねたヨーロッパの上流階級には特別な想いで見られて来た歴史があります。 頂点にして原点である古代ギリシャの美術に強い憧れを抱きつつ、それを超えようと努力してきた長年の歴史があります。 |
仮面を使用する演劇 | |||
ギリシャ演劇 | 能楽 | ||
『女性の仮面』 古代ローマ 1世紀(指輪の作りは19世紀) SOLD |
『男性の仮面』 古代ローマ 2世紀 SOLD |
【重要文化財】『増女』(江戸時代)金春宗家伝来、東京国立博物館 | 『黒式尉(こくしきじょう)』 |
その古代ギリシャと日本に共通する芸術文化として、仮面を使うギリシャ演劇と能楽があります。 大衆演劇として分かりやすい娯楽という要素が強い『歌舞伎』と異なり、分かりにくいけれども理解できるようになれば深い情動と、この上ない美の感動を与えてくれる至高の演劇として『能楽』があり、日本の貴族階級に愛されてきました。 |
『古代ギリシャの入れ物』( 古代ギリシャ 紀元前8世紀中期)メトロポリタン美術館 | |
いつまでも続く、無限に広がる穏やかな波のように、未来永劫に続く幸せへの願いと、人々の平安な暮らしへの願いを込めた青海波。 日本人はなんて凄いんだろう。古代ギリシャの心を受け継ぐ我々も負けていられない!! |
ご先祖様だって、永遠に続く川の流れをこのような素晴らしい模様に昇華させたのだ。今の我々だってできるはず!そうやって、ヨーロッパならではの"永遠に続く波模様"を表現しようとして生み出された可能性も考えられます。まさに議論は尽きなかったでしょう。 |
その他
『平和のしるし』 ローマンモザイク デミパリュール イタリア 1860年頃 ¥2,030,000-(税込10%) |
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延性に優れたゴールドならではの緻密で美しい撚り線細工は、本当に美しいですよね。まさに連続する波のような光沢があります。ある時、誰かが気づいて閃き、この宝物を作った可能性も否定できません。 |
とは言え、その可能性は低いと考えています。 古の社交界ではただ綺麗なだけ、デザインが美しいだけというものは高く評価されません。 また、そのような思いつきで気軽に作れるようなレベルのジュエリーではないからです。 当時の第一級の職人にチャレンジングな仕事をさせたと想像できる、相当な技術が込められています。それには相当な費用もかかったはずです。 ここで挙げた可能性がたとえ外れていたとしても、オーダー主にとって何らかの高度で知的な意味があって、このデザインで作られたはずです。 |
3-1-3. 神技のナイフエッジだからこその美
今の感覚だと当たり前のように感じられるデザインですが、言うは易く行うは難し。この美しさを具現化させるのは、アンティークの時代の神技があってこそです。 |
【参考】現代のウェーブ・デザインのリングとの比較
【参考】9ctゴールド・リング(現代) 【引用】Studleys Jewellers/ Wave Design Band Ring ©Stydleys Jewellers |
【参考】14ctゴールド・リング(現代) 【引用】CANDERE A KALYAN JEWELLERS COMPANY / Paravi Gold Ring ©KALYAN JEWELLERS |
ナイフエッジは高度な技術と手間を要する技法です。だからこそアンティークジュエリーの中でも、美意識の高い人のために作られた高級品でしか見ることはありません。 現代ジュエリーはコストカット重視で作る量産品です。量産するために、鋳造で作ります。溶かした金属を型で冷やし固める鋳造は、型離れの良さが歩留まりに大きく影響します。そもそも技法的に細かなデザイン無理ですし、なるべく不良品を少なくしようとすると、単純なデザインの方が都合が良いです。 その結果がヌルンとしたデザインに、ボテッとした作りです。メンズジュエリーには良いかもしれませんが、女性が付けるには躊躇するような無骨なデザインになります。 |
アンティークの最高級品 | 【参考】14ctゴールド・リング(現代) 【引用】CANDERE A KALYAN JEWELLERS COMPANY / Femi Gold Ring ©KALYAN JEWELLERS |
似たようなデザインなのに、受ける印象がまるで異なるのが興味深いです。 現代ジュエリーはクロワッサンのように見えます。私はクロワッサンは好きですが、指にクロワッサンは嵌めたくありません。 今回の宝物はエレガントでとても軽やかな雰囲気なのに、現代の作りだとここまで重々しくなるのかと驚くほどボテッとしています。でも、ゴールドの分量だけを気にする成金嗜好の人だと、現代ジュエリーの方を好むかもしれません。それぞれが好きなものを感覚で選べば良いだけです。 |
【参考】14KYG・ダイヤモンド・リング(現代) 【引用】YOUR DIAMOND GAL / Miacro Pave Open Wave Diamond Ring ©YOUR DIAMOND GAL |
【参考】18KYG・ダイヤモンド・リング(現代) 【引用】Serendipity Diamonds / Diamond Wave Ring ©Serendipity Diamonds |
宝石を使用したウェーブ・デザインのリングも、ボテッと感は似たり寄ったりです。ナイフエッジを組み合わせればまだマシな雰囲気になるはずですが、コストカットを最優先するとどうしてもこうなります。 安い作りはチープ感にしかつながりません。アクセサリーならばこれでも良いと思いますが、ジュエリーでこれはあまりにも高級感がなさ過ぎます。 ナイフエッジは先端に行くほど細く整えることによって、ジュエリーとして100年以上の使用に耐える強度を保ちつつも、正面から見た時には極限まで存在感を消すための技法です。『線』のように見える視覚効果があります。 その技法を使えば、このようなデザインでももっと女性らしくエレガントに見せることはできるはずですが、ナイフエッジは何しろ高度な技術と手間を要するため、アンティークジュエリーでも美意識の高い人のために作られた高級品でしか見ることはできません。そもそも叩いて鍛える鍛造の作りだからこそ先端を細くしても問題ありませんが、鋳造だと耐久性の問題があり、細くすることができません。分かっていたとしても、現代ジュエリーにはナイフエッジを駆使した美しいデザインは無理なのです。 |
アンティークの最高級品 | 現代ジュエリー | |
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【引用】YOUR DIAMOND GAL / Miacro Pave Open Wave Diamond Ring ©YOUR DIAMOND GAL |
【引用】Serendipity Diamonds / Diamond Wave Ring ©Serendipity Diamonds |
現代ジュエリーはデザインに意識を没頭できません。悪目立ちするゴールドの太い線が気になってしょうがありません。 こうして比較すると、ナイフエッジがいかに名脇役として良い仕事をしているかがお分かりいただけると思います。フレームで境界を仕切らなければ、連続する波のようなデザインには感じられません。きちんと境界を示しつつも、線の域まで存在感を抑えることで、天然真珠の白い波のデザインに没頭できるようアシストしています。 |
アンティークの最高級品 | 【参考】現代ジュエリー |
石の色のコントラストで、右側の現代ジュエリーのようにフレーム無しでウェーブ・デザインを表現することは可能です。ただ、石が大きいせいでゴツい印象に仕上がっています。現代ジュエリーの主要購買層は、このような雰囲気を好むというのも理由にあるでしょう。 現代とアンティークのハイジュエリーを見比べると、以下のような方向性の違いがあるのかなとも感じます。 ◆現代ジュエリー(成金庶民用):ジュエリーを凄そうに感じさせることで、着用する自分自身を凄いと思わせたい意図。ジュエリーが主役。 背景に在る"意図"の違いにより、とにかく悪目立ちする自己主張満載の成金ジュエリーと、控えめながらも美しく存在感を放つ、アンティークの高貴なジュエリーとの違いが生じているのではないかと感じました。アンティークでも、ドヤドヤしたものはたくさんありますけどね。むしろそちらの方が多いかもしれません。私たちはそのようなジュエリーは感覚的にピンとこないので、選びません。 自分磨きを放棄しながら、自身を良く見せようとする怠惰で浅ましい意図が透けて見えるからこそ、成金ジュエリーに好感を抱く人が恐らく少ないのです。そんな人に、一体誰が好感を抱くでしょうか。私が着けない方がまだマシだと言うのは、そういうことです。 一方で、良いジュエリーはそのものも美しいですが、間違いなく着用者を最も美しく見えるように惹き立ててくれます。何も着けないより、絶対に綺麗になっていると思います。自画自賛で失礼します!(笑)でも、自己満足は一番大事だと思ってます。たとえ周りの人たちにどれだけ褒められたとしても、自分自身が納得していなければ絶対に心は満たされませんから・・。 |
3-1-4. ナイフエッジを駆使した見たことのないフレーム
3-1-4-1. ペンダントで見られる極細のナイフエッジ
『永遠の愛』 エドワーディアン ペンダント&ブローチ フランス? 1910年頃 ¥1,220,000-(税込10%) |
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ナイフエッジの視覚効果は絶大です。 美しいデザインには欠かせない要素の1つであり、アンティークのハイジュエリーでは一般的な技法と言えます。 |
『ゴールド・オーガンジー』 ペリドット&ホワイト・エナメル ネックレス イギリス 1900年頃 ¥1,000,000-(税込10%) |
印象として強いのはレイト・ヴィクトリアンからアールデコにかけて、ペンダントやネックレスに使用されている極細のナイフエッジだと思います。 この時代はオーガンジーやシフォンなどの軽やかな布を使った衣服が流行するようになり、生地に負担をかける可能性のあるブローチではなくペンダントやネックレスが流行しました。 軽やかなドレスに合わせて、ジュエリーも軽やかな雰囲気のデザインが流行しました。 その"軽やかな印象"を実現するために多いに役立ったのがナイフエッジだったのです。 しかしながらナイフエッジは古くから存在する定番の技法であり、ハイクラスのブローチでもよく見かけます。 |
3-1-4-2. ブローチで見られる太めのナイフエッジ
この宝物はお花の茎の部分がナイフエッジになっています。茎の存在感を極限まで小さくすることでお花だけに意識を集中し、様々なカットを施した魅惑の煌めきに没頭することができます。 |
『マーメイドの涙』 天然真珠&ダイヤモンド ペンダント&ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
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意識するようになれば、想像以上にナイフエッジがアンティークジュエリーのデザインを実現する重要な要素として、随所に応用されていることが分かります。 |
ネックレスやペンダントで見られる極細のナイフエッジを意識し過ぎると気づきにくいですが、ブローチにも想像以上に応用されています。 ただ、ブローチのナイフエッジは、ペンダントやネックレスで見るものよりも存在感があります。 ブローチは着脱時に力が加わるため、耐久性の問題から、ペンダントやネックレスほど細く仕上げることができないのです。 |
3-1-4-3. リングでは珍しい"ナイフエッジによるデザイン"
『FORGET ME NOT』 忘れな草 トルコ石 リング イギリス 1880年頃 SOLD |
この耐久性の課題によって、最もナイフエッジを見る機会がないのがリングです。 ぶつけたりするリスクが最も高いのがリングです。また、小さな面積と限られた形でデザインを組み立てる必要があり、耐久性との兼ね合いを考えるとナイフエッジを組み合わせるのが難しいのです。 |
『モンタナの大空』 エドワーディアン サファイア リング イギリス 1910年頃 SOLD |
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Y字型のショルダーにナイフエッジを使っているような、補助的なものは一定数存在しますが、デザインの魅せ場の1つとしてナイフエッジを使用しているものは極めて稀です。 |
3-1-4-4. リングに軽やかさを出すための定番技法は『透かし細工』
透かし細工で軽やかさを表現したリング | |
『SUKASHI』 アーリー・アールデコ ダイヤモンド リング オーストリア 1910年代 SOLD |
アールデコ ボンブリング イギリス 1920年代 SOLD |
ナイフエッジはジュエリーとしての耐久性を保ちながらも、軽やかな印象を持たせるための技法です。同様に軽やかさを表現する細工として、『透かし細工』があります。 小さなリングの場合、透かし細工の方が都合が良いです。1枚の金属の板から作っていく透かし細工は、十分な量の金属を使います。それによって、耐久性が保ちやすいです。透かす面積と位置や形状により、雰囲気の軽やかさと耐久性との兼ね合いをコントロールできます。 透かし細工は高度な技術に加えて、精神を擦り減らすような忍耐力と集中力を要します。ペンダントやブローチと比べるとリングは細工する面積が小さく、より細かくて複雑なチャレンジングなデザインに挑みやすいとも言えます。 |
透かし細工でデザインされた個性溢れるリング | ||
リングに必要な耐久性という観点、また、透かし細工という代替技法が存在するという理由により、ナイフエッジでデザインしたリングが殆どないのです。 もう1点、理由があります。ここでご紹介したリングが全て、20世紀に入ってからのハイジュエリーであることにお気づきいただけたでしょうか。 |
『Samurai Art』 モダンスタイル アクアマリン&天然真珠 ネックレス イギリス 1900〜1910年頃 SOLD |
何もない空間を、美しくデザインする。 日本人にとって、これは考える必要もない概念です。既に意識の中に刷り込まれていると言えるほど、当たり前のようなものです。 しかしながら、ヨーロッパではそうではありませんでした。 お金がないから隙間が埋められない。隙間なく全てを埋め尽くすのがヨーロッパのラグジュエリーの概念であり、美の理想でした。 |
この意識は、上流階級のための美術工芸品全般に如実に反映されています。 『空間の美』、『透かしの美』という概念がヨーロッパで認識され、意識して使われるようになったのは日本美術がヨーロッパ美術に影響を与えて以降です。初期はアングロジャパニーズ・スタイルの作品にも見られます。 |
空間の美を意識したアングロジャパニーズ・スタイルの作品 | |
ウィリアム・ワットのためのサイドボード(エドワード・ウィリアム・ゴドウィン 1876-1877年) "Godwinsideboard" ©VAwebteam at English Wikipedia(26 OAugust 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
『Théière』(クリストファー・ドレッサー 1879年)モントリオール美術館 |
どちらも1870年代の作品です。ゴテゴテした、いかにもヴィクトリアンなデザインが支配的だった時代に生まれた、最先端デザインです。注釈がないと1920年代のアールデコ、或いはもっと先のインターナショナル・デザインとすら勘違いしそうなほど未来的ですよね。 これらがヨーロッパの上流階級に優れたデザインとして受け入れられ、浸透していくことでヨーロッパのデザインは進化していきました。徐々に起きるマイナーな変化ではなく、目まぐるしいスピードで革新的な変化を遂げたのは、全く異なる日本美術が影響したからこそ起きたものです。 |
モダンスタイルのハイジュエリー | |||
『MODERN STYLE』 ダイヤモンド ゴールド ブローチ イギリス 1890年頃 SOLD |
ハイジュエリーで明らかに『空間の美』を意識したデザインが現れ始めるのは、モダンスタイルあたりからです。アングロジャパニーズ・スタイルが進化し、イギリスのモダンスタイルにつながっていきます。 ギリギリ、プラチナがジュエリーの一般市場に出てくる前です。このため、モダンスタイルのハイジュエリーは最高級の金属としてゴールドが使用されています。 |
透かしの美のハイジュエリー | |
ラティスワーク サーキュラー ペンダント オーストリア 1900年頃 SOLD |
アールデコ 天然真珠 ペンダント&ブローチ イギリス 1920年頃 SOLD |
プラチナがジュエリーの一般市場に出始めたのは1905年頃です。目新しさもあり、ハイジュエリー市場はプラチナの白一色に染まってしまいました。 『透かしの美』や『空間の美』の概念がヨーロッパの上流階級に芽生えてから間もない時代にこの変化が起きたようで、ゴールドによる『透かしの美』や『空間の美』のハイジュエリーはとても数が少ない原因となっています。 透かし細工を駆使したリングがプラチナやホワイトゴールドなどの白い金属製ばかりなのは、このような背景があるからです。 |
『FORGET ME NOT』 忘れな草 トルコ石 リング イギリス 1880年頃 SOLD |
当時としては、このような空間を意識したデザインのリングは極めて例外的な存在と言えるのです。 |
3-1-4-5. 境界線をナイフエッジで表現した斬新さ
今回の宝物はナイフエッジを使っていますが、独立したパーツではなく、"境界線"として空間のない部分に配置しているのがとても珍しいです。 小さな宝石を密集させたリングは多々存在します。 |
【参考】パヴェのエタニティ・リング(現代) |
ただ小さな宝石を敷き詰めただけのセッティングは『パヴェ留め』と呼ばれます。『パヴェのエタニティ・リング』と言う名称にすると、いかにも尤もらしく聞こえますが、私にはこれはタイヤのようにしか見えません。 |
【参考】パヴェ・リング(現代) |
パヴェ留めには小さなメレダイヤが使用されます。世界各地に鉱脈が見つかっている現代では、ダイヤモンドはありふれた鉱物です。ある程度の大きさがある上質な石は今でも稀少価値がありますが、小さなメレダイヤは殆ど価値がありません。だから、たくさん使っても材料費はあってないようなものです。 ダイヤモンドを敷き詰めることで、安い材料費で高そうに見せることができます。見た目より安く感じるため、成金嗜好の庶民には人気があるセッティングです。実際は、きちんと計算すれば割高なはずです(笑) |
【参考】パヴェ・リング(現代) | 【参考】14Kホワイトゴールドのパヴェ・リング(現代) | |
人気があるのでたくさんのメーカーで作られていますが、どれも個性がなく、タイヤのようにしか見えません。『タイヤ・リング』と呼んだ方がイメージしやすいのではと思うほどです。そう呼ぶと買いたいと思う人が減るので、尤もらしい名前を付けたのでしょうけれど(笑)パヴェはフランス語で『舗装された道』、『石畳』を意味します。 どこで買っても同じというデザインでしかなく、価格競争に陥っていくわけです。そしてそれに勝つために、ますますメレダイヤの質を落としたり、作りの部分でコストカットをしたりして、ジュエリー自体の品質が落ちていきます。現代ジュエリーは完全に負のスパイラルです。 |
フレームの有無で大きく変わる雰囲気 | ||
アンティークの最高級品 | 【参考】パヴェ・リング(現代) | |
それにしても、こうして並べてみると、いかにナイフエッジのフレームがデザイン上の重要な要素であるかが分かりますね。ただ小さなハーフパールを敷き詰めただけだと全く動きが感じられない、つまらぬ印象になっていたはずです。 小さな宝石をたくさん使ったリングは、アンティークの高級品でも様々に作られています。境界線を描くことで個性あるデザインが実現していますが、ナイフエッジでというのは見たことがありません。 |
透かし細工で境界線をデザインしたリング | ||
『甘い誘惑』 天然真珠 ボンブリング イギリス 1920年頃 SOLD |
アールデコ ボンブ・リング イギリス 1920〜1930年頃 SOLD |
セイロン・サファイア リング フランス 1920年頃 SOLD |
これらは透かし細工でダイヤモンドの境界線をデザインしています。ただ敷き詰めただけの場合を頭の中で想像してみると、いかにこの"線"の配置が重要であるかが分かります。そして、どのように線を描くのか、線の太さ(透かしの幅)をどの程度にするかによって、受ける印象も全く異なってくることが想像できます。 |
段差で境界線をデザインしたリング | |
アールデコ クッションシェイプ・ダイヤモンド リング フランス 1920〜1930年頃 SOLD |
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このように透かし細工の他に、段差も駆使して境界線を表現した宝物もあります。これは特別な高級品です。 |
一見すると、"普通の"有り触れた高級品に見えるかもしれません。しかしながら、中央にセットされたメインストーンに注目すると、このリングが只者ではないことが分かります。 このリングのデザインにポイントはアールデコらしい『四角形』です。センターのダイヤモンドはクッションシェイプカットで、四角のフレームを隅々まで満たしています。一般的には、フレームは四角でもセットするダイヤモンドは円形です。角の部分は爪で埋めているのが通常です。ここまで綺麗にダイヤモンドを四角にカットするのは、意図して特別にカットしたからに他なりません。 そのようなクラスのリングだからこそ、極細の透かし細工や段差を駆使して境界線を表現するという、かなり特殊なことをやっているのです。 |
通常のフレームで境界線をデザインしたリング | ||
アールヌーヴォー サファイア&ダイヤモンド リング ヨーロッパ 1890年頃 SOLD |
アールデコ エメラルド・リング フランス 1920〜1930年頃 SOLD |
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探してみると想像した以上に作られていないもので、ようやく見つけたのがこの2点です。これらは通常のフレームで境界線を表現しています。どちらもナイフエッジではなく、境界は"細い線"です。 右のリングは、境界線に施されたプラチナのミルグレインがキラキラと硬質で繊細な輝きを放ち、一定の存在感を示します。 左のリングはミル打ちせず、ゴールドの境界線の先端は磨き上げられたシンプルな仕上げです。一瞬だけ放たれる、黄金のシャープな線の輝きが印象的です。 |
境界線の表現の違いによる存在感の差 | ||
【引用】CANDERE A KALYAN JEWELLERS COMPANY / Paravi Gold Ring ©KALYAN JEWELLERS |
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見比べてみると、境界線の表現の仕方によって、かなり雰囲気が変わることが分かります。右の現代ジュエリーは、線が主張し過ぎて野暮ったさを強く感じます。私にはちょっと論外です。アンティークのハイジュエリー同士で比較しましょう。 ナイフエッジを使うと、"線"によるデザインをより強く印象付けながらも変に主張し過ぎることなく、全体の繊細でエレガントな印象を保つことができています。 |
アールヌーヴォー サファイア&ダイヤモンド リング ヨーロッパ 1890年頃 SOLD |
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左のリングのように、細い線のフレームだと宝石が密集し、線自体は目立ちません。 左のリングはメインのサファイアとダイヤモンドが主役であり、デザインは脇役です。宝石に目を行かせるために、フレームは敢えて目立ち過ぎぬよう仕上げてあるのです。 細い線とナイフエッジ、どちらが正解ということは決してありません。 |
しかしながら、ナイフエッジでデザインしたリングは前代未聞です。特別な意思によってこの技法が選択されたことは、十分にお分かりいただけたと思います。 |
3-1-5. 神技のナイフエッジ
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いや〜、もう本当に信じがたいです。これだけ拡大しても、作りに全く粗が感じられません。実際の大きさを考慮すると、到底人間技とは思えないレベルです。 |
この仕事を始めるにあたり、最初に手に入れたは医療現場でも使用される高精度の光学顕微鏡でした。私は大企業で研究者として働いていた時代に毎日同じものや、それどころか電子顕微鏡や原子間力顕微鏡なども使っていたので違和感なく購入しましたが、普通のアンティークジュエリー・ディーラーはまず持っていません。数十万円しますから。サラリーマン時代の限られた貯蓄からでしたが、宝物の買付けより先でした。ジュエリーに数十万円を出せる女性はたくさんいても、顕微鏡にそんなに出す女性は普通はいないので、アンティークジュエリー・ディーラーとしてのこの私の判断にGenも大喜びしていました(笑) 宝石研究所の所長に見せたら、これで十分に宝石も鑑別できると言われました。Genが職人さんに自慢すると、そんな高性能の顕微鏡で見ないでと苦笑されました。 普通のハンドメイドのジュエリーだと、ここまでの拡大画像には耐えられません。 |
【参考】ヘリテイジでは扱わないレベルのアールデコ後期の14Kリング |
これを見て「綺麗!」、「買いたい!」と思う人がいるかどうか、私には分かりません。しかしながら、少なくとも私には綺麗だとは思えませんし、タダでも要らないです。 |
【参考】ハーフパール&ペーストのリング(チェスター 1888年) |
これも見るに耐えない作りです。でも、ゴールドで作られていますから、アクセサリーではなくジュエリーです。上流階級のための高級品とは言えませんが、中産階級にとってはそれなりの高級品として作られたものです。 これらのリングに、それなりにお金を出した人たちが存在するからこそ、現代まで生き残っています。こんなものに大金を出す人が本当にいるのかと思われるかもしれませんが、拡大しない限り粗は目立ちません。 |
肉眼で見ても、感覚がある人だと汚さを感じます。 |
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高級品と安物では全然違うと、私たちには一目瞭然です。しかしながら感覚がないと、肉眼レベルでは違いが認識できないようなのです。 |
それでも拡大して見れば、より多くの人が違いを認識できると思います。 それは、安物を高値で売りたいディーラーにはデメリットにしかなりません。 最高品質の本当に良いものだけをご紹介している私たちの場合、これだけ凄いということをより多くの方に分かっていただくために、高画質の拡大画像をご覧いただきたいという思いが強くあります。 一方、安物を高値で売りたいディーラーの場合、見て欲しく無い部分には気づかれぬよう、低画質であったり小さな画像だけで誤魔化してしまいたい意図があります。 この思いの差が、HPのカタログの画像にも現れているはずです。 |
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それだけではありません。小さなジュエリーをこれだけ綺麗に撮影するには、特別なノウハウが必要です。 |
昔に比べるとデジカメも、ハード面もソフト面もかなり高性能になりました。しかしながらジュエリーの撮影は特殊です。特に、現代ジュエリーなど比較にならぬほど細かな細工が特徴である、アンティークのハイジュエリーは様々なノウハウが必要です。 カメラの機材も、目的に合わせた特別なものを揃えているからこそ、これだけ拡大しても綺麗に見えます。私がこの仕事を始めてから、さらに機材をより適したものへとグレードアップし充実させました。当然ながら、詳細は企業秘密です(笑) まだデジタル機器が未発達だった時代、今より遥かに機器一式は高価でした。それでもGenはなけなしのお金を仕事のために投じました。カメラ一式であったり、光学顕微鏡であったり。結局、Genも私もアンティークジュエリーや仕事に対する想いは同じなんですよね♪ |
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小さな実物を考えると、どうやってこの完璧なナイフエッジを完成させたのか不思議でしょうがありません。尊敬の念で一杯になるばかりです。 |
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驚異的なのは、このナイフエッジが立体的な曲線になっていることです。 ウェーブ・デザインの上部と下部にご注目ください!! |
波が奥から手前に押し寄せてくるような、リアルな立体構造でデザインされています。押し寄せてきた波は、再び遠くへと退いていきます。その繰り返しが、見事な立体造形で表現されています! これは正面からだけでなく360度、あらゆる角度から眺めて楽しみたい宝物ですね!!♪ |
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これだけ上下左右・手前奥に畝った状態で、綺麗なナイフエッジを仕上げてあるのです!しかもフレームはピッカピカに磨き上げられています。 |
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だからこそ、ドラマティックな黄金光沢があらゆる角度から放たれます。負けず劣らず極上の天然真珠も強い光沢を放つので、清楚ながら存在感があります。まさに王侯貴族らしい宝物です♪♪ |
この角度から見ると、いかに奥の方から波が押し寄せてくるような、見事な立体造形で作られているのかが分かりますね。 |
これは同じ画像ではなく、上からと下から撮影したものです。作りが正確すぎて、同じようにしか見えませんね。アンティークの第一級の職人の凄さに改めて感心します。 それはさて置き、上下左右が立体的に造形されていることがこの角度からも分かります。2次元で表現する画像では奥行きが分かりにくいですが、小さなリングなので、どの方向にもかなりの曲率があることがご想像いただけると思います。この立体構造によって、実物はより一層美しく感じられるのです!♪ その分、作るのは大変ですけどね。だから現代ジュエリーではやりませんし、アンティークでもここまでやるのは高級品だけです。 |
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立体的に美しいウェーブ・デザインを実現するために、1つ1つの波の上下も立体的に作られています。奥行きとなるこの部分から、ナイフエッジで表現された波が、躍動感を際立たせながら流れていくわけですね。 |
3-1-6. 『不完全の美』を使った見事な表現
等倍↑→ |
本当に素晴らしい立体ツイスト・フォルムです。この宝物がセンス良いな、全く妥協がないなと感じるのは、ウェーブ・デザイン端部の表現です。 |
3粒のハーフパールで表現した波を重ねることで、連続する波を表現しています。しかしながら、端部は1粒のハーフパールを配置して終わっています。 この部分が同じように3粒のハーフパールで表現されていたならば、そこで波の連続は途絶えていたでしょう。 この部分がたった1粒のハーフパールで表現されていることで、物理的にはここで波の表現は終わっていても、私たちは頭の中でこの後も続いていく波を連想することができます。 全てを表現してしまうという分かりやすいことを敢えてせず、見る者の頭の中でそれぞれにとっての『理想の美』を完成させるという、極めて高度な美の表現を行っているのです。『不完全の美』を至高の美としてこよなく愛する、まさに日本人好みの作品と言えます。 |
全てを表現して提示するやり方は、ある意味、作者の理想の押し付けです。その押し付けで完了した形です。 人それぞれであるはずの『理想の美』を完成させるには、見る者による脳内での補完が必ず必要となってきます。作者がやるのは自身の理想の美の押し付けではなく、見る者にとっての『理想の美』を想像させるための"トリガーとなるもの"の提供です。 こうして理論を教えられれば理解はしやすいですが、自力で気づくのは困難を極めます。日本人の中でも、類い稀なる美意識を持つ一定数の人たちには古くから知られていましたが、この発想はヨーロッパでは認識されていませんでした。 |
岡倉天心(1863-1913年)1905年以前、45歳以前 | 日本人であっても理解するのが難しく、しかも知識としては知ることができても誰にでもは理解できない、この難解な美の真髄をヨーロッパで初めてきちんとした形で紹介したのが岡倉天心です。 1903年からいくつか書籍を発行していますが、1906年の『The Book of Tea』が一番メジャーです。 『茶の本』という題名ですが、日本人の美意識全般について説明されています。 |
岡倉は日本人として天才の頭脳を持つ上に、英語もネイティブ・レベルで操ることができました。いずれの著述も、日本人としてのバックグラウンドを持たぬ欧米の人々にも分かりやすいよう、英語で丁寧に説明しました。 日本人にとっても『不完全の美』は理解しにくいものであるからこそ、1906年の『The Book of Tea』は1929(昭和4)年には日本語翻訳され、日本でも紹介されています。戦前の日本人にとっても、それだけ『不完全の美』は難解だったという証ですね。村岡博氏が翻訳した日本語版『茶の本』は90年後の2019年時点で第118刷、56万部発行となっています。普遍性を持つ、価値ある内容の証ですね。 |
この宝物が作られたのは、岡倉天心が欧米人に広く分かりやすく日本人の美意識を紹介するよりも前です。 ただ、上流階級や知的階級についてはそれ以前から日本美術や日本人の美意識に強い関心があり、熱心な探求活動も行われていました。 1860年代のイングランドで『耽美主義(唯美主義、審美主義)』と呼ばれる芸術風潮が興り、イギリスとフランスを中心に19世紀後期のヨーロッパで"美"の追求活動が熱心に行われました。詳細はまた別でお話する予定ですが、この活動には日本美術も大きな影響を与えています。 優れた日本美術を目にした誰かが、自力で日本美術の美の真髄に気づき、こうしてジュエリーの新しい表現としてデザインしたのではないかと感じます。 |
端のハーフパールは、1粒だけが埋もれた感じになっています。このようなセッティングも他では見たことがなく、思わず目が留まります。 ナイフエッジで表現した、ウェーブ・デザインのフレームからの流れで造形されているからこそ、角度が付いたフレームにこの1粒がセッティングされているというわけですね。きちんと計算してデザインされ、高度な技術によって忠実に制作されているからこそ、デザインとして違和感のない流れとなっています。見事です!♪ |
3-2. 極小ハーフパールの驚異のセッティング
←↑等倍→ |
今回の宝物は小さなリングである上に、使っているハーフパールの数が多いです。すなわち、1粒1粒のハーフパールはとても小さいです。イコール、留めるのが格段に難しいです! |
3-2-1. ハーフパールの小ささ
ブルーエナメル&シードパール リング イギリス 1880年頃 SOLD |
実は過去に1度、類似のウェーブ・デザインのリングをご紹介したことがあります。 円筒状の凹面にエナメルを施すという高度な技術を駆使し、ショルダーにも美しいデザインを施した宝物でした。明らかに美意識の高い人物がお金をかけて作らせた、最高級品です。 |
3-2-2. 隙間のない見事なセッティング
『ヴィクトリアン・デコ』 ロムバスカット・ガーネット クラスターリング イギリス(バーミンガム) 1876〜1877年 SOLD |
【参考】雑な作りの安物 |
ハーフパールのセッティング法はいくつかあります。他の宝石と同様に、長さのある爪で固定することもあります。 |
ハーフパールを他の宝石と組み合わせてデザインする際に、最も見る方法かもしれません。この留め方も、第一級の職人が作ったものと、安物では出来がまるで違いますね。 最高の技術による良い作りのものだと宝石の美しさに没頭できますが、下手な職人が作ったものだと汚い爪に目が行き、宝石に意識が集中できません。安物は宝石自体も低品質で、とても見られたものではありませんが・・。 |
『豊穣のストライプ』 2カラーゴールド ロケットペンダント フランス 1880年頃 SOLD |
アンティークジュエリーで、最も一般的なハーフパールのセッティグはこのタイプです。 今回の宝物も、これと同じセッティングです。 そうは言っても、作りが良すぎるアンティークのハイジュエリーの場合、見てもどうなっているのかよく分からない場合が多いです。 このような時は、壊れた安物が色々教えてくれます。 |
【参考】ジャンク品 |
これは12時の方向の一番上、6時の方向の2つ目のハーフパールが無くなっています。8時と10時の方向の2つ目のハーフパールは接着剤で固定した跡があります。作りが稚拙で100年もの使用に耐えられず、あちこちハーフパールが脱落したようです。 本来のアンティーク(骨董)の定義が「稀少で価値あるもの」と考慮すると、これはアンティークジュエリーとは言えません。100年以上経っているという根拠で、このような物もアンティークジュエリーとして販売されていますが、ハーフパールが落ちたままでも堂々と高値を付けて販売するディーラーがいるのは困ったものです。そのせいでアンティークジュエリーは汚い、すぐ壊れるという誤解が生まれます。こういう物に手を出すのは、「安物買いの銭失い」です。 |
ハーフパールが落ちた箇所 | それはさて置き、ハーフパールが脱落した箇所を見てみると、ハーフパールの形状に合わせてゴールドの土台に溝が彫ってあることが分かります。 彫った溝にセットし、爪で留めてハーフパールを固定します。 |
【参考】作りの悪い安物 |
言うは易し行うは難し。 理論としては何てことないセッティング法ですが、天然真珠を割って作るスプリット・ハーフパールの場合、1つ1つの形に個性があります。もともと真球ではありませんから、歪みが全くない対称な半球にはなりません。その個性に合わせてピッタリと溝を彫るのは、大変な技術と手間を要します。 その結果が、安物の隙間が目立つセッティングです。隙間が多いため、何かの拍子に簡単にハーフパールが落ちてしまいます。 |
【参考】ジャンク品の石留の拡大 | 修理しようにも、もともとピッタリとした溝が彫られていなかったからこそ脱落したものです。 もう1度爪で留め直すというのも難しく、接着剤で無理やり何とかするというケースが本当に多いです。 それでも高値で売られているのですから笑っちゃいます。でも、そのような金儲け主義のディーラーは拡大画像を載せたり、注釈したりなんてしませんから、気づかずに買う人もいるようです。 |
【参考】ジャンクのクラスター・リング |
接着剤を使うと、そのうちハーフパールが変色します。ハーフパールを使ったジュエリーは、本当にこのようなものが多いです。 形に1つ1つ個性ある宝石をセットするのがいかに大変なのかを、如実に物語っています。戦後、ダイヤモンドの4Cが設定されて久しいですが、形状(カット)を規格化して個性を無くしてしまう工業製品化のメリットが、セッティングという"作り"の観点からもあるというわけですね。 |
【参考】ジャンクのクラスター・リング |
ゴールドと宝石を使っている、一応まともなジュエリーとして作られたものでも、市場の大半はこのレベルです。 |
このレベルの仕事ができるのは、アンティークの時代でもトップクラスの技術を持つ第一級の職人だけです。 最高級ジュエリーを、数少ない王侯貴族のためだけに僅かな数だけ供給していた時代は、個性ある天然宝石を手仕事で丁寧にセッティングするということが可能でした。技術を持つ職人は仕事も早いですが、それでも完璧な仕事をするにはある程度の時間がかかります。量産はできません。 王侯貴族の時代が終焉を迎え、大衆の時代になると、ジュエリーの需要は桁違いな数となりました。トップクラスの技術を持つ職人は人数が限られますし、1人1人が作ることのできる数も限られます。 この宝物は、限られた王侯貴族のためだけに、僅かな数を高度な技術を持つ職人が心を込めて作ることのできた時代だったからこそ生み出せたものなのです。 |
3-2-3. 使いやすい高さのセッティング
『甘い誘惑』 天然真珠 ボンブリング イギリス 1920年頃 SOLD |
リングは他のアイテムと比較するとぶつけやすく、使用時は意識を払う必要があります。 これはデザイン上、意図的に高さを出して天然真珠をセットしています。 特別な社交の席で使うために作られたもので、当時も日常使いは想定していません。 歴代の持ち主が適切な使い方をしてきたからこそ、100年ほどの年月が経過した今でも素晴らしいコンディションを保っています。 |
この宝物が面白いと思うのは、ナイフエッジでウェーブ・デザインのフレームを作るために、ハーフパールが深い位置にセットしてあることです。このため、ハーフパールが飛び出ておらず、安心して使いやすい形状となっています。 |
飛び立たせていると、立体的な凹凸によって実物の華やかさは増します。どのような雰囲気にしたいか、好みによってデザインは変わってくるものです。 今回の宝物の持ち主は、控えめで清楚な印象を持たせたい人だったのかもしれません。 |
それでも上質なハーフパールと、磨き上げられた黄金が強い光沢を放つので、高級感はとても強いです。 |
等倍↑→ |
そう言いつつ、あまりにも技術的に特別な作品なので、コンテスト・ジュエリーの可能性も十分にあると考えています。作者のアーティスト兼職人としてのプライドと魂を感じる、本当に見事な宝物です!♪ |
裏側
裏側もスッキリとした綺麗な作りです。 |
着用イメージ
全面にデザインがあるので、着用すると見た目より華やかさがあります。 小さいながらも上質なハーフパールが放つ強い光沢は、必ずしもダイヤモンドは必要ではないと納得できるほどの魅力があります。 ありそうでないデザインのリングですが、奇を衒っておらず上品さがあるので、コーディネートしやすいのも良いですね♪ |