No.00318 ヴィクトリアン・デコ |
【引用】播磨屋.com / 家紋図鑑/ 目結紋/Adapted |
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『ヴィクトリアン・デコ』 |
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イギリスのヴィクトリア時代中後期に非常に人気があったシードパールのクラスターリングですが、庶民のための安物はもちろん、上流階級のためのハイクラスのクラスターリングと比較しても別格の、数々の特徴を備えた特別オーダーの最高級のリングです。 |
この宝物のポイント
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1. 特別なデザインのクラスター・リング
ミッド・ヴィクトリアンからレイト・ヴィクトリアンにかけて、複数のシードパールを使ったクラスター・リングが流行しました。 |
殆どは定番デザインを踏襲したものですが、このリングのデザインはかなり逸脱しています。 クラスター・リングの範疇に入れるべきか悩むところであり、また、特別な魅力を放つ理由にもなっています。 |
1-1. クラスター・リングの一般的なデザイン
1-1-1. 流行最初期のアーリー・ヴィクトリアンのクラスター・リング
『愛の花』 アーリー・ヴィクトリアン クラスター・リング イギリス(チェスター) 1838年 SOLD |
シードパールを使ったクラスター・リングは、中央の宝石をシードパールで取り巻いたデザインが定番です。 普遍の魅力を持つ、お花のようなオーソドックスなデザインは飽きられることがなく、様々な時代で見ることができます。 でも、流行して様々なバリエーションが見られるようになるのはミッド・ヴィクトリアンからレイト・ヴィクトリアンにかけてです。 |
1-1-2. 流行期のクラスター・リング
1-1-2-1. 定番デザイン
Genはリングやピアスがあまり好きではないそうですが、その理由は「デザインがつまらない物が多いから。」だそうです(笑)デザインの自由度が高いブローチと異なり、特にリングは指の大きさによる制約があるため、できるデザインが限られています。故にある程度はしょうがないと言えるのですが、妥協をしないGenのお眼鏡に叶った宝物を集めてみると、予想以上に見応えのあるコレクションが出来上がりました♪♪ 今は市場でアンティークジュエリーの枯渇が進み、現代人ウケを狙ったあからさまな偽物がかなり目につくほどで、面白いハイジュエリーは滅多に出てきません。今回のクラスターリングも、およそ3年ぶりのご紹介です。アンティークジュエリー市場がヨーロッパでもまだ黎明期だった1970年代からこの仕事を始め、20年ほど前の最も市場に活気のあった時代も経験しているからこその、奇跡のコレクションです♪ |
イギリス 1850年頃 SOLD |
イギリス 1860年頃 SOLD |
イギリス 1860年頃 SOLD |
イギリス 1860年頃 SOLD |
イギリス 1860年頃 SOLD |
イギリス 1870年頃 SOLD |
イギリス 1880-1900年頃 SOLD |
クラスター・リングはお花のようなデザインが基本形です。ここに集めたのは、いずれも美意識の高い上流階級のために作られたハイクラスのものです。だからこそ、宝石の組み合わせや配置には様々で、シャンクやフープにも隅々まで徹底してデザインと細工が施されています。 バリエーション豊かで、どの宝物からも持ち主の強いこだわりや個性が感じられます♪ |
【参考】HERITAGEでは扱わないクラスのクラスター・リング
ちなみにこれは、HERITAGEでは扱わないクラスのクラスター・リングです。ハーフパールは質の悪くないものを使っており、ハーフパールが脱落して留め直した痕跡もなく、フープの後ろ側に2本のラインを彫ってあるので安物とまでは言いませんが、全体のデザインが単純すぎます。デザインが単純と言うのは、高度な技術による細工がないとも言えます。中央のローズカット・ダイヤモンドはカットの質が悪く、元々の石が落ちて紛失したため別の石を付け直したのか、そうでなければその程度の美意識とこだわりしか持たなかった片手落ちのリングと言えます。 ハーフパールにはお金をかけて、そこそこの高級品として作られたものですら、この程度のデザインです。安物は一般的にはよりデザインが単純であったり、作りが雑であったり、材料の質も悪いと認識いただいて構いません。 |
1-1-2-2. ハーフパールを追加したプラス・アルファのデザイン
定番デザインの中で様々な個性を出した上質なリングも魅力がありますが、それだけでは満足できない人がオーダーした特別なデザインのクラスターリングもたまに見ることがあります。 こうしてたくさん並べると、あまり珍しくない物のように見えるかもしれません。しかしながら大衆庶民のために無数に作られた安物と異なり、圧倒的に人数が少ない上流階級のために作られたハイクラスの物は本当に数が少ないです。 これだけの数をデータとして揃えて比較できるのは、Genが誰よりも長い45年間もこの仕事に情熱を燃やし、しかも高画質データの重要性をかなり早い時期から強く認識し、保存してくれていたからこそです♪これは極めて特殊なことであり、こういう風に違いを確認できるのはHERITAGEだけです!♪ |
定番デザイン | プラスアルファのデザイン |
イギリス 1860年頃 SOLD |
イギリス 1860年頃 SOLD |
この2つは一見同じように見えますが、それぞれ異なる特徴を持っています。右のリングは、左右のシャンクにもハーフパールを並べたデザインになっています。天然のものだからこそ天然真珠には1粒1粒に個性があり、上質なものを選りすぐった上で、さらに色や照り艶などの質感、大きさを揃えなければなりません。使う数が増えるほどに、材料を揃えること自体が非常に難しくなる上、材料費もかかってきます。それでもわざわざ、たくさんの天然真珠デザインしているのが持ち主のセンスと美意識です。 かと言ってこの2つの宝物に優劣が付くものではなく、左のリングはエメラルドが大きかったり、優美な透かし細工が施されていたり、石留めが面白かったりなど、様々な魅力を持っています。当時の上流階級は、もの凄くハイレベルな領域で美やセンスを切磋琢磨していたことが伺えます。 |
イギリス 1860年頃 SOLD |
イギリス 1860年頃 SOLD |
イギリス 1880年頃 SOLD |
通常のクラスター・リングだとハーフパールは4〜8個程度ですが、これらは12〜14個も使用した贅沢なリングです。 見える部分の全てにハーフパールがセットされており、指いっぱいにお花が咲き乱れているような、愛らしさ全開のデザインです。現代ジュエリーは正面から見た時しか気にしていないデザインが多くて、行き届いた美意識など到底感じられませんが、斜めから見た時にも隙なく美しいのは本当に古の王侯貴族のためのハイジュエリーらしいです。 これらも一見すると同じように見えますが、細部に至るまでのデザインは1つ1つ異なります。デザインの使い回しが当たり前、せいぜい宝石や金属の色のバリエーションがある程度の現代ジュエリーと異なり、1つ1つの宝物に合わせてデザインも全てオーダーメイドが当たり前なのが、古の優れたアンティークジュエリーなのです。 |
【参考】天然真珠が欠けた状態の安物のクラスターリング | 庶民用の安物の場合は、アンティークであってもデザインの使いまわしは当たり前です。 優れたデザインを生み出すには相当の費用がかかります。安物のために、才能ある職人が毎回頭を悩ませて新しいデザインを考えるなんて不可能です。 安物は材料も質が良くありません。アンティークの安物を買うくらいなら、コンディションに問題のない現代ジュエリーを買う方がまだマシです。 真にオシャレをしたいなら、絶対にアンティークのハイジュエリーがお勧めですけどね。 |
ジョージアン クラスターリング イギリス 1830年頃 SOLD |
これは少し古いジョージアンのクラスターリングです。ヴィクトリアンに比べ、ジョージアンのジュエリーは圧倒的に数が少ないです。ジュエリーを持てる人の数が限られていたからで、その分、優れたものが多いです。 シャンクにもハーフパールが贅沢にあしらわれていますし、カラーストーンの中でも特に評価の高いルビーと組み合わされています。 天然真珠の価値を知っていた当時の王侯貴族たちが見れば、非常に贅沢なリングであることが分かります。 |
イギリス 1850年頃 SOLD |
イギリス 1860年頃 SOLD |
これらはクラスターリングの中でも特に個性的なデザインです。左はベゼルの満開のお花に対して、シャンクに蕾をデザインしています。右は両サイドに配した大小グラデーションのハーフパールが美しい流線型を描いており、躍動感あふれるモダンな雰囲気に仕上がっています。 そうは言っても、あくまでもクラスターリングの基本形を守っており、クラスターリングの延長線上にあると言えます。 |
1-1-2-3. 宝石による特徴的なデザイン
イギリス 1860年頃 SOLD |
イギリス 1860年頃 SOLD |
これらは天然真珠のみならず、宝石もダブルの主役として使っているため、デザインも個性的です。お花のような印象は薄く、デザイン性の高さを感じるものとなっています。 |
存在感のあるオールドヨーロピアンカット ・ダイヤモンドとガーネットを使ったこのリングも同じ範疇に入ると言えそうですが、上の2つのようにベゼルに密集したクラスターではなく、横一列全体に配された宝石の使い方が異彩を放っています。 |
1-2. センスの良さを感じる独創的なデザイン
この宝物は通常のクラスター・リングとは一線を画す、お花デザインの延長線上にはないデザインで作られています。 |
たくさんの宝石を使っていますが、ハーフパールとダイヤモンドはお花のようなクラスターではなく、横3列のストライプになっています。 |
その両サイドにセットされたガーネットは菱形にカットされています。 現代人には、あってもおかしくないデザインに見えるかもしれません。 しかしながら制作された1876年、レイト・ヴィクトリアンという時代を考えると相当特殊なことです。 |
1-2-1. レイト・ヴィクトリアン頃の通常のヨーロピアン・デザイン
『ストライプ』 エドワーディアン 天然真珠&ダイヤモンド ペンダント イギリス 1910年頃 SOLD |
時代の最先端を流行を反映する王侯貴族のためのハイジュエリーの中で、直線や幾何学的な模様を駆使したデザインが目立ち始めるのは、エドワーディアンからアールデコにかけてのトランジション・ジュエリーあたりからです。 |
『天空のオルゴールメリー』 アールデコ 天然真珠&サファイア ネックレス イギリス 1920年頃 ¥1,230,000-(税込10%) |
アールデコの時代に入ると、よりそれが一般的となっていきます。 直線的なカットの宝石も、徐々に珍しいものではなくなっていきます。 |
1870-1880年代頃のヨーロッパのハイジュエリー | ||
『財宝の守り神』 約2ctのダイヤモンド ブローチ フランス 1870年頃 SOLD |
『循環する世界』 ブルー ギロッシュエナメル ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
『Bewitched』 ウィッチズハート ペンダント&ブローチ(ロケット付) イギリス 1880年頃 SOLD |
しかしながら今回の宝物が制作された時代のヨーロッパのハイジュエリーは、曲線を使ったデザインが主流です。これらも全て曲線だけでデザインされています。これこそが古のヨーロッパの王侯貴族らしいエレガントな雰囲気を醸し出す源泉と言え、現代のデザインにはない、独特の魅力を放つことにもつながっています。 |
『生命の躍動』 ルビー&シードパール ブローチ イギリス 1900年頃 SOLD |
源が異なるため比較する意味が全くないながらも、名前の響きが似ているというだけで、何かとアールヌーヴォーとアールデコが比べられます。 直線と幾何学が特徴のアールデコに対し、アールヌーヴォーは曲線デザインが特徴などと言われるので誤解が生じるのです。 |
アールヌーヴォー シードパール ネックレス イギリス 1900年頃 SOLD |
アールヌーヴォーの特徴が曲線にあることは間違いありませんが、それまでの一般的な曲線よりもかなり強調されていることが特徴と言えます。 |
『ハッピー・エンジェル』 ストーンカメオ&フェザーパール ブローチ フランス? 1870〜1880年代 ¥1,200,000-(税込10%) |
アールヌーヴォー以外は曲線は特徴ではないかと言うとそうではなく、19世紀までのヨーロッパのデザインは曲線が主流だったのです。 |
1-2-2. 直線デザインが出始める時期
『MODERN STYLE』 モダンスタイル ダイヤモンド ゴールド ブローチ イギリス 1890年頃 SOLD |
ヨーロッパのデザインに変化が起きたのは、開国によって大量にもたらされた日本美術の影響が大きな要因です。 それが現れ始めたのがモダンスタイルで、ジュエリーの場合はそれまでにはなかった直線や幾何学模様、透かしなどを駆使したデザインが見られるようになります。 おおよそ19世紀の終わり頃からです。 |
『草花のメロディ』 サファイア&天然真珠 ネックレス イギリス 1900年頃 SOLD |
最初は一部の特別なハイジュエリーだけだったものが、やがてエドワーディアンに取り入れられ始め、アールデコになるとより強い形で一般化します。 |
しかしながらこのリングは、その影響が明確に現れ始めるよりも、明らかに前に作られています。 それなのに宝石を並べたストライプ・デザインのみならず、宝石を菱形にカットするという、あきらかに直線デザインを強く意識したものとなっているのです。 |
『豊穣のストライプ』 2カラーゴールド ロケットペンダント フランス 1880年頃 SOLD |
同じくらいの年代のフランスで制作されたこのペンダントもストライプがデザインされた、他には類似のものを見たことがない珍しいデザインです。 ストライプ・デザインがモダンな印象を醸し出しつつも、2カラー・ゴールドでデザインされた曲線的な葡萄の蔓が、古のヨーロッパらしいクラシカルな雰囲気も放っています。 |
このリングもアームには優美な曲線デザインの彫金が施され、ベゼルの上下には波模様のパーツが装飾されているものの、正面は完璧にスタイリッシュな直線だけの構成です。 |
ゴールドを使った作りや、19世紀ならではの手の込んだ金細工によってクラシカルな雰囲気もあるのもの、デザイン的にはアールデコを先取りしたような、極めて特異なリングです。 |
ヴィクトリアンとアールデコは連続していないので"レイト・ヴィクトリアンからアールデコにかけてのトランジション・ジュエリー"というものは存在し得ないのですが、『ヴィクトリアン・デコ』と命名したくなるほど傑出した特徴を持っているのです。 |
1-3. 異彩を放つ菱形の美
あまりにも飛地の存在なので、才能に恵まれた誰かがたまたま閃き、ゼロからこのデザインを創造した可能性も否定できませんが、日本の美術様式をいち早く取り入れた特別な作品である可能性もあります。 それは"菱形"がデザインされているからです。 |
1-3-1. 19世紀の通常の宝石のカット
『愛の誓い』 ダブルハート リング イギリス 1870年頃 SOLD |
何らかの特殊デザインを表現したい場合を除き、19世紀に於いて宝石は円形、或いは楕円形に準ずる形状にカットされるのが通常です。 |
コロンビア産エメラルド ブローチ フランス 19世紀中期 SOLD |
エメラルド&ルビー クラスターリング イギリス 1860年頃 SOLD |
エメラルドの場合は煌めきよりも美しい色彩を楽しむための、『エメラルド・カット』が存在します。 長方形や正方形のカットが存在しますが、菱形とは異なります。 |
18世紀初期 | 1920年代 | ダイヤモンドに関しても、カットの技術が進化途中だった古い時代には長方形のステップカットが使われたものが存在しますが、ローズカットやクッションシェイプカット、オールドヨーロピアンカットなどが出てくるとパタリと見なくなります。 19世紀中は忘れされたカットとなり、最注目されるのはアールデコくらいになってからです。 ヨーロッパの人々に、一般的には長方形や正方形などが持つスタイリッシュで研ぎ澄まされた美しさは理解されなかったのかなと推測しています。 |
『古のモダン・クロス』 ステップカット・ダイヤモンド クロス フランス 18世紀初期 SOLD |
アールデコ ネックレス オーストリアorドイツ 1920年代 SOLD |
ロスチャイルドの邸宅ワデズドンマナーの一部屋(フォト日記『お城の内部』より) |
古い時代のヨーロッパの上流階級は、日本人にとっては装飾過多と感じるくらいのデザインが好きですからね〜。部屋に関しては床や壁面のみならず、天井までゴッチャリです。それこそが贅沢なことであり、莫大な財力の証という認識だったということでしょう。日本人好みの不要なものは全て削ぎ落とし、真に良いものだけで構成した"シンプル・イズ・ベスト"はその上の存在と言えます。 |
1-3-2. 四角形を意識した20世紀のヨーロピアン・デザイン
エドワーディアン シンセティック・サファイア リング イギリス 1910年代 SOLD |
アールデコ ダイヤモンド リング ヨーロッパ 1920年代 SOLD |
ジャポニズム サファイア リング フランス 1920年代 SOLD |
アールデコくらいになると、日本美術がより西洋美術に浸透し、四角形を意識したデザインが多く見られるようになってきます。正向きの四角形や長方形が殆どですが、中には45度傾斜させた菱形をデザインに取り入れたものも一部存在します。しかしながら、純粋に菱形を意識したデザインはかなり例外的なものです。 菱形は単純な模様の1つですが、なぜかヨーロッパではあまり見ません。倒れない四角形の方が、安定感を感じて無意識的に好まれるのかもしれません。 |
1-3-3. 日本人には馴染み深い菱形
菱形を意匠化した家紋 【引用】播磨屋.com/ World of KAMON / 家紋の数と姓氏の数/Adapted | しかしながら日本人には伝統的に、非常に親しみ深い図柄です。 家紋の意匠にも使用され、変化形も無数に存在します。 |
【引用】播磨屋.com / 家紋図鑑/ 目結紋/Adapted |
日下部金兵衛 作『(タイトル不明)』(1880年代) | 家紋の文化が廃れた現代では、家紋は紋付の着物に入れるくらいしかイメージが湧かない方も多いかもしれません。 他に目にするのはお墓であったり、古い家の軒桟瓦くらいでしょうか。 |
家紋入りの美術工芸品 | |
菊と豊臣氏の桐紋が描かれた高台寺蒔絵の提子酒器(安土桃山時代 17世紀初頭)メトロポリタン美術館 | 徳川氏の三つ葉葵紋が描かれた瓢箪型の蒔絵酒器(江戸時代 18世紀)メトロポリタン美術館 |
しかしながら風呂敷や器などの日用品であったり、箪笥などの様々な調度品、暖簾、甲冑や美術工芸品に至るまで、家紋の文化が廃れてしまう前は様々なものに家紋がデザインされ、人々の暮らしに息づいていました。 家紋は日本だけで241種、5116紋以上あり、様々なバリエーションを区別してカウントすると、2018年の時点で2万近くの家紋が確認されているそうです。いかにも世界一オシャレが大好きな民族である、日本人らしいです。 |
1-3-4. ヨーロッパ上流階級への日本美術の影響
日本文学者・日本学者 ドナルド・キーン(1922-2019年)1938年のコロンビア大学入学時、16歳 【引用】nippon.com/ Donald Keene: A life in Japanese Literture |
日本文化研究の第一人者であり、日本人より遥かに日本文化に詳しいと言えるドナルド・キーンはその著書で日本の平安貴族の美意識の高さについて、ルイ王朝のヴェルサイユ宮廷を連想させるとも記しています。 「美への帰依心が殆ど宗教に近いところまで高められたのは、十世紀の宮廷」とのことですが、ヴェルサイユで宮廷文化が花開いたのは17世紀後期から18世紀にかけてのことです。 700〜800年は先取りしていたと言えます。ちょっと驚異的過ぎです! |
『新撰御ひいなかた』(浅井了意 作 1667年)【出典】東京国立博物館 | そんなわけで、ヴェルサイユで宮廷文化が花開いていた時期の日本では、貴族や武士階級どころか庶民までオシャレを楽しむレベルに到達しています。 富豪町人の奥様や娘の衣装比べが話題となるほどで、寛文年間(1661-1672年)には『新撰御ひいなかた』という、今日で言うファッション誌も登場しています。 |
江戸時代のファッション誌 | |
『当世風俗通』(金錦佐江恵流 作 1773年) 【出典】国立国会図書館デジタルコレクション | 【出典】国立国会図書館デジタルコレクション |
オシャレが大好きなのは男性もでした。男性用のモテ・ファッションの指南書なども刊行されています。極上之息子風(笑)めちゃくちゃ楽しそうな時代ですよね。 ヨーロッパは限られた上流階級のみがオシャレ・センスを切磋琢磨していましたが、日本人はそこら辺の庶民レベルまでがそれぞれの財力の許す限りで様々にオシャレのセンスを競い合っていたのです。圧倒的に母数が違います。そりゃあ美意識も高まりますし、到達レベルもより高くなるわけですね。 これが、ヨーロッパの王侯貴族や知識階層の人たちが、日本美術や日本文化に別格の憧れを抱くことになった原因の1つと言えます。 |
開国後に国内外で活躍した辰野金吾(1854-1919年) | |
開国後は上流階級や知識階級の交流によって、日本文化と西洋文化が触れることによって影響し合い、混じり合っていきました。左の写真では紋付を着用している辰野金吾もその1人です。 足軽より身分の低い、肥前国(現:佐賀県)唐津藩の下級役人の家に生まれましたが、工部大学校(現:東京大学工学部)ではロンドン出身の建築家ジョサイア・コンドル教授から学び、造家学科を首席で卒業したエリートです。卒業後はイギリスに留学し、コンドルの前職場と出身校であるバージェス建築事務所とロンドン大学で学びました。帰国の翌年、コンドルが教授退官後に工部大学校の教授に就任しています。 そんな超絶エリートですが、オシャレもビシッとキメていますよね。ウォッチチェーンも取り入れて、洋装も品良く着こなしています。このように日本人がヨーロッパ文化を吸収したのは間違いありませんが、その逆も間違いなくありました。 |
文久遣欧使節団(イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1862.5.24号) | 開国後は欧米でも、和装で身なりを整えた日本人を見る機会がありました。 |
柴田剛中(着席)他使節一行(1862年) |
今でこそ「カジュアル過ぎる格好はご遠慮ください。」とレストランが注意書きをしなければならぬほど、TPOを弁えない人が日本でも増えてしまいましたが、昔の日本人は同じ人種とは思えないほどピシッとしていました。相手に無礼のないよう、必要な場所にはきちんと正装で臨みました。 |
文久遣欧使節団、左から2番目が福沢諭吉(オランダ 1862年) | 当時、欧米に渡航するのはよほどの上流階級やエリート、大金持ちだけなので、身なりや持ち物は日本人の中でも特にしっかりしています。 |
グランドツアーで日本を訪れた際のロシア皇太子ニコライ2世(1891年) 長崎にて人力車に乗車 |
もちろん欧米の上流階級やエリートたちが日本に赴き、庶民も含めたたくさんの文化に触れる機会もありました。これはロシア皇太子ニコライ2世が1891年に日本を訪れた時の写真ですが、その時のお目当ての1つが長崎で刺青を入れることでした。 |
ニコライ2世の従兄弟にあたるイギリス王室の兄弟 | |
エドワード7世の長男アルバート・ヴィクター王子(1864-1892年) | ヨーク公ジョージ王子(エドワード7世の次男、後のイギリス国王ジョージ5世)(1865-1936年)1893年、28歳頃 |
ニコライ2世の従兄弟にあたるイギリス王室のアルバート・ヴィクター王子とジョージ王子(後のイギリス国王ジョージ5世)も1881年に来日しているのですが、その際に刺青をしており、長崎に優れた彫り師がいるという事前情報を得て真似して入れたようです。 |
ロシア皇帝ニコライ2世の右腕の龍の刺青 | |
ロシア皇帝ニコライ2世(1868-1918年) | 刺青を入れた当時は22歳でしたが、右腕には長崎で彫った龍の刺青がずっと残っています。 写真撮影のためにわざわざ右腕だけ袖を捲り上げて刺青を見せつけており、自慢げな様子が伝わってきますね。 ヨーロッパの上流階級にとっては痛みに耐えた男らしさや、憧れの国である日本に行ってきたというステータスを誇ること共に、身体に刻んだジャパニーズ・アートにクールで高尚なカッコよさがあるということでしょう。 それほど当時、日本美術は特別な地位にあった証です。 |
親戚関係のイギリス王室とロシア皇室 | |
デンマーク王室出身の姉妹 | 従兄弟 |
ロシア皇太子妃マリア・フョードロヴナ&イギリス王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1875年頃) | イギリス国王ジョージ5世(48歳頃)&ロシア皇帝ニコライ2世(45歳頃)1913年 |
イギリス国王とロシア皇帝の2人に長崎で彫った刺青があるだなんて面白いですね。2人の母はデンマーク王室出身の仲良しで、美人姉妹はお揃いのファッションで社交界での注目の的でしたが、その息子たちも仲が良さそうですね。この刺青もそうであったように、社交界の人々は互いに影響し合い、切磋琢磨し合いながら流行や文化が作られていったのです。 |
1-3-5. ヨーロッパ流の新しい様式の取り入れ方
15歳の時に高校の美術の授業で写生した石膏の手(石田和歌子 作、笑) |
これは私が高校1年生、15歳の時に美術の授業で写生した手の石膏像です。芸術系の授業は書道、音楽、美術の3つから選べたのですが、音楽は幼少期から習字とピアノはお稽古に行っていた上に、中学ではブラスバンド部で一通りの楽器を経験させてもらったので、未経験の"専門の美術講師"による授業がどういう内容か知りたくて選択したのでした。得意科目を選択して一過性的に確実な高評価を目指すより、まだ知らぬものに対する好奇心が勝るタイプです(笑) |
15歳の頃に写生したキケロの石膏像(石田和歌子 作、笑) | ただ、最初の授業での、石膏像の写生は全然面白くなかったです。 基本とは言われても、ただその通り、正確に描くだけでクリエイティブな要素がなくてつまらないのです。 最初に顔を描きましたが、髪の毛を描く頃には飽きて超ザツになっています。 馬鹿にして、書く必要のない『キケロ』の題名まで平仮名で記載しています(笑) |
16歳の頃に写生したマルスの石膏像(石田和歌子 作、笑) | 2年生になっても、あまり成長していません(笑) 「マルスって誰?」と思いながら嫌々ながら写生していました。 苦手ではないので同級生と比較すると上手に描けていたとは思いますが(実際に美術は5段階評価の5)、本当に上手な人だと髪の毛までビッチリと正確に描ききるでしょう。 ただ、クリエイティブな要素がない精密模写は、ある程度の才能があればできる人は多く、いくらでも替えがききます。 |
左:広重、右:ゴッホの模写 |
故に、ただ同じものを作るだけというのはヨーロッパの上流階級にはあまり評価されて来ませんでした。ゴッホは何を目的にこの模写を描いたのか分かりませんが、作品として見るとクリエイティブな要素が感じられず、全く面白味がありません。練習として描いたとしても、模写としてもイマイチで、極めて中途半端な作品です。 2100枚以上の作品を残しながらも、生前は1枚しか売れなかったゴッホの売れなかった絵の1つであり、ただ現代人に有名なだけの作品です。 |
ディレッタンティ協会(1777-1779年頃) | ヨーロッパでは伝統的に、他の美術様式を研究し、インスピレーションを受けた新しい優れた作品・様式を創造していくことが是とされてきました。
グランドツアー経験者のグループによって1734年に結成されたイギリスのディレッタンティ協会も、上流階級がパトロンとなって学者の研究活動や、芸術家の創作活動を支援していました。 |
ジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795年) | 『ポートランドの壺』(古代ローマ 5-25年頃)大英博物館 "Portland Vase BM Gem4036 n5" © Marie-Lan Nguyen / Wikimedia Commons(2007)/Adapted/CC BY 2.5 | ポートランドの壺の再現(ウェッジウッド 1790年)V&A美術館 "Portland Vase V&A" ©V&A Museum(11 August 2008)/Adapted/GNU FDL |
最初はただの真似でも構いません。同じものを作る試みによって技術を習得し、それを元にさらに飛躍していけば良いのです。長い年月で様々な取り組みをしたジョサイア・ウェッジウッドも、さすがに古代ローマの最高傑作『ポートランドの壺』を超えるものは作れませんでしたが、全く同じものを作ることが最終目的ではありません。 |
矢筒(ウェッジウッド 1785-1790年頃)ウェッジウッド美術館に展示 | 得た技術や知識などを元に、新たに優れた作品を作り出すことが最終目的です。 これができたからこそ、ウェッジウッドは当時の上流階級から高い評価を得たのです。 |
『19世紀初期のジャスパーウェア』 ウェッジウッド 回転式カメオ・リング イギリス 19世紀初期 (指輪の作りは19世紀後期) SOLD |
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現代のジュエリーやアクセサリーと違って、アンティークの時代の上流階級のためのハイジュエリーは単なる装飾品ではなく、最高級のアートの1つです。 故に、それらの創作活動の痕跡はアンティークジュエリーにもしばしば見ることができます。 |
『ヘリオス神』ストーンカメオ(ジュゼッペ・ジロメッティ作 1836年頃)7.4cm×5.1cm×2.6cm、 バチカン美術館 【出典】Musei Vaticani HP ©MVSEIVATICANI | 『ヘリオス(セラピス・ゼウス)神』(紀元前4世紀後期にブリアキスが制作したオリジナルを古代ローマで複製)バチカン美術館所蔵(Inv.No.245) (сс) 2005. Photo: Sergey Sosnovskiy (CC BY-SA 4.0).© 1986 Text: Chubova A.P., Konkova G.I., Davydova L.I. Antichnie mastera. Skulptory i zhivopiscy. — L.: Iskusstvo, 1986. S. 33./Adapted |
19世紀初期に活躍したイタリアの偉大なるカメオ作家ジロメッティ然り。インスピレーションを受けることはあっても、単なる模倣はその作家の胸をはった代表作にはなり得ません。普遍の魅力を放つことができる傑出した作品だからこそ模倣の対象になり得るのであり、オリジナルの優れた作品を超えるというのは現実的ではありません。でも、芸術家の中で完全に消化し、独自の作品を新たに生み出すことができればそれは普遍性を持つことができる新たな作品となり得るのです。 |
粒金被覆を駆使した作品 | ||
ゴールドの円盤 古代エトルリア 紀元前6世紀後期 メトロポリタン美術館 |
ゴールドの円盤 カステラーニ 1858年 ボストン美術館 【引用】Museum of Fine Arts Boston / ©Museum of Fine Arts |
『古代の太陽』 エトラスカン・スタイル ブローチ ファソリ 1850〜1870年代 SOLD |
技術的なことであれば、ある程度であれなトップクラスの数名が同等レベルの仕事をできる可能性があります。しかしながら、新しい芸術の創造は稀代の才能を持つ人物だけができることであり、しかもそのような人物であっても、コンテスト・ジュエリー・クラスは人生で何度もというのは不可能なのです。 オリジナルの真似の域を出ないものだと、「凄いですね。」くらいの感想は得られても、心を揺さぶる感動は生まれません。その点で、同じ粒金被覆を使ったこれらの作品でも、右のファソリによる『古代の太陽』は古代エトルリアとは異なる、現代(当時)における全く新しい作品へと昇華した感動的な作品と言えるのです。中央のカステラーニの作品は、技術的に凄いとは思えるのですが、デザインがつまらなすぎて今一つ感動が薄いです。 アーティスティックな才能の違いなので、しょうがないです。アーティスティックな才能を持つ人物自体が極めて少なく、さらに神技の技術を併せ持つ人物となると、もはや存在自体が奇跡というレベルです。しかしながらそれを求めるのが、優れたものを知っている古の上流階級たちです。実ることは少ないと分かっていても、種を播かねば1つとして実りは得られません。 |
ディレッタンティ協会の創設者 ル・ディスペンサー男爵フランシス・ダッシュウッド(1708-1781年) |
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財務大臣 | マハラジャ? | ヘルファイア・クラブの修道院長(笑) |
優れた古代美術に学芸のインスピレーションを求め、新しい芸術や技術を生み出すことを目的としたディレッタンティ協会を創設したル・ディスペンサー男爵フランシス・ダッシュウッドもただの真面目を求めていないことは明らかですよね。 気を衒っただけの、知性やセンス無きものはダメです。センスがあったり、知的で面白いもの、唯一無二の魅力を持つ目新しいものが、好奇心旺盛な古の上流階級の大好物なのです。 |
1-3-6. 菱形を取り入れた珍しいジュエリー
日本刀の鐔 | 葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』 |
『影透』 アールデコ 天然真珠 リング イギリス 1920年頃 SOLD |
『The Great Wave』 エドワーディアン サファイア&ダイヤモンド ブローチ イギリス 1910年頃 SOLD |
デザインは、やがて出尽くしてネタ切れを起こします。 だからこそ歴史的にヨーロッパでは全く異なる文化の、全く異なる様式にインスピレーションが求められてきました。 ポンペイ遺跡の発掘が始まると古代、開国すると日本といったようにです。 |
『摩天楼』 アールデコ ロッククリスタル&ダイヤモンド ブローチ イギリス 1930年頃 SOLD |
交通手段の発達などと共に世界が狭くなり、"見たことのない新しい文化"が存在しなくなると、新しいスタイルは生み出せなくなってしまいます。 アールデコからインターナショナル・デザインに移行した後、現代に至るまでデザインは進化していないと言われています。 100年ほど前のアールデコのデザインに古めかしさを感じず、優れたものに関しては未来的にすら感じるのはそのせいです。 |
『秋の景色』 赤銅高肉彫り象嵌ブローチ 日本 19世紀後期 (フレームはイギリス?) SOLD |
『道を照らす提灯』 クラバット ピン フランス 1900-1910年頃 ¥420,000- (税込10%) |
『清流』 ペンダント イギリス 1920年頃 SOLD |
公家文化、武家文化、町人文化が様々に発展し、影響し合い発展した独特の日本文化が、1854年の開国によって欧米人の目に多く触れるようになりました。欧米人にとっては目新しいものばかりでした。四季の美しい日本の景色であったり、竹と和紙を使った風流な道具である提灯であったり、日本らしい笹の葉などの植物であったり、様々なものが新しいクリエーションのためのインスピレーションの源となりました。 |
『STYLISH PINK』 ペンダント イギリス 1900年頃 SOLD |
具体的な"モノ"のみならず、様式を取り入れて新しい芸術作品を創造する人もいました。 |
菱形を意匠化した家紋 【引用】播磨屋.com / World of KAMON / 家紋の数と姓氏の数/Adapted | 当然、家紋などで目にした日本独特の菱形に強い魅力を感じ、ジュエリーに取り入れた人も存在したのです。 |
菱形をデザインに取り入れた特別なジュエリー | ||
1876年 | アールヌーヴォー | アールデコ |
今回の宝物 | ルビー・リング フランス 1890-1900年頃 SOLD |
ファイヤー・オパール ブローチ ヨーロッパ 1920年〜1930年頃 SOLD |
これまでの45年間で、菱形にカットした宝石を使用したジュエリーは今回でようやく3作品目、リングに限定すると2作品目です。これらロムバス・カット(菱形カット)の宝石を使った宝物に共通するのが、ハイジュエリーの中でも特に美しい作りになっており、最高級品として特別にデザインし制作されていることです。 |
より後の時代となるアールデコでは、明らかにジャポニズムと分かるものもありますし、そもそもアールデコ自体が、日本美術の様式を取り入れて西洋美術が進化したものと言えます。 そこに菱形が出現するのは自然な流れでしょう。 |
面白いのが今回の宝物です。 アールヌーヴォーより古い時代の作品ですが、正面は菱形とストライプという、日本美術の要素のみでデザインされています。 |
1-3-7. 極めて時代を先取りしたデザイン
このような唯一無二の特徴を持つ"飛地のジュエリー"は年代推定が難しかったりするのですが、今回は刻印のお陰で1876年のイギリス(バーミンガム)製と分かります。 驚くべきことに、これはアーツ&クラフツ運動より前です。 |
"モダンデザインの父" ウィリアム・モリス(1834-1896年) | イギリスで始まったアーツ&クラフツ運動は、当時16歳だったウィリアム・モリスが1851年のロンドン万博で大量生産の粗造品に危機感を感じたことがきっかけでした。 しかしながら、モリスの提唱によってこのデザイン運動(美術工芸運動)が本格的に始まったのは1880年頃からです。 |
アーツ&クラフツ運動初期のハイジュエリー | ||
『Tweet Basket』 小鳥たちとバスケットのブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
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『妖精のささやき』 ダイヤモンド・ピアス イギリス 1880年頃 SOLD |
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故に、その影響が王侯貴族のためのハイジュエリーに現れ始めるのも1880年頃からです。 |
モダンスタイル(19世紀末〜20世紀初期) | エドワーディアン (1910年頃) |
エドワーディアン〜アールデコの過渡期 | アールデコ前期 (1920年代) |
アールデコ後期 (1930年代) |
SOLD | SOLD | SOLD |
¥1,230,000-(税込10%) | SOLD |
ジュエリー史の流れとしては、そこからさらにイギリスで、日本の美術様式を取り入れたモダンスタイルが生まれ、エドワーディアンにかけて旧ヨーロピアン・スタイルからの脱皮が始まります。アールデコはそれがさらに進み、シンプルイズベストの無駄が削ぎ落とされたデザインに進化します。 アールデコ前期くらいまでは、旧時代のヨーロッパの王侯貴族らしいエレガントさを感じる、曲線や手をかけたデザインが完全には抜けることなく残っているものが一般的です。 |
人間の意識として、いきなりそれまでのものを全て刷新するというのはかなり難しいものです。 故に母集団としては、何十年もかけて1854年の日本開国から1920年代からのアールデコに辿り着くのですが、いつの時代も飛び抜けたセンスの持ち主がいるということですね。 |
1-3-8. インスピレーションの元となった家紋
ストライプを意匠化した家紋 【引用】播磨屋.com / 家紋図鑑/ 引紋/Adapted | 家紋のバリエーションは本当に豊富で、縦縞や横縞を意匠化したものも存在します。 組み合わせも様々で、菱形と横縞を組み合わせたものもあります。 かつて日本人は世界一オシャレが大好きで、磨き上げられたセンスを持つ民族だったことが家紋にも現れています。 |
【参考】ルイ・ヴィトンのモノグラムのスーツケース | そんな家紋がヨーロッパのデザインに影響を与えていないと考えること自体、無理があります。 ルイ・ヴィトンの有名なモノグラムもその1つと言われています。 |
フランス第二帝政期の上流階級の女性のファッション | |
ファッションリーダー(皇后) | フランス皇后御用達の旅行カバン職人/デザイナー |
ウジェニー・ド・モンティジョ(1826-1920年) 1854年、28歳頃 | ルイ・ヴィトン(1821-1892年)1876年、32歳頃 |
ルイ・ヴィトンはカバン職人ルイ・ヴィトンが1854年に設立した、世界最初の旅行カバン専門店です。ウジェニー皇后の御用達でもありました。 |
元帥陸軍大将 大山巌 公爵(1842-1919年) | ルイ・ヴィトンで初めての日本人顧客は大山巌公爵です。 「陸の大山、海の東郷」と言われるほどの実力者で、写真の勲章の数々を見てもその実績が伺えます。 日本の最高勲章である大勲位菊花章頸飾はもちろん、外国勲章も多数でイタリア王国、フランス共和国、プロイセン王国、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、シャム王国、オスマン帝国、大英帝国など各国から受章しています。 1871年に普仏戦争の視察に赴いた際に、ルイ・ヴィトンで旅行カバン一式をオーダーしたそうです。職人の街パリは世界中の上流階級が買い物に訪れる場所ですが、開国17年で既にグローバル・スタンダードに順応しているなんて、古の日本の上流階級は凄いですね。 |
創業者ルイ・ヴィトンと2代目ジョルジュ・ヴィトン(息子)、3代目ガストン・ヴィトン(孫)ら 工房の職人たち(1888年頃) |
敗戦となった普仏戦争では、ルイ・ヴィトンも大変だったそうです。需要が急激に減少した上に、道具の多くが盗まれ、スタッフがいなくなるなど工房は混乱状態に陥りました。イエローベストでもそうでしたが、どさくさに紛れて略奪はフランス・スタンダードの1つですかね(笑)まあ他国でもあることですし、日本も『火事場泥棒』なんて言葉があったり、打ちこわしでの略奪などは当たり前だったようなので、人のことは言えません(笑) 腐ることなくヴィトンはすぐに再建し、パリの中心部で新しい店を始めました。創業者ルイ・ヴィトンは1892年に70歳で亡くなり、一人息子のジョルジュ・ヴィトンが後を継ぎました。 当時のルイ・ヴィトンは高級ブランドとして人気となっており、多くの偽造品がフランスに出回っていました。職人の技術の低さを反映した粗末な作りの商品が、本物より遥かに安い価格で販売され人気を博していたのです。 |
ボン・マルシェ百貨店(1887年) |
ちょうどベルエポックの時代です。共和政に移行し驚異的な戦後復興を遂げたフランスは、若い庶民の女性たちが旺盛な消費意欲に沸き、百貨店に殺到していた頃です。ボン・マルシェ(フランス語で「安い」という意味)百貨店の名称からも想像できる通り、安くて高そうに見えるものが大好きという成金的な思考を持つ庶民が経済の牽引役を担っていました。 まさに日本の高度経済成長期からバブル期にかけてと同じ状況です。質の違いを見る目がなく、質はどうでも良くてただブランド物が欲しいという人たちの需要によって、偽物がたくさん出回るのです。まあ、第二次世界大戦後は高級品の上質なモノづくりが終わってしまっているので、ベルエポックと違って日本で出回った本物と偽物の場合は、質に違いがなかったのではと想像しますが・・(笑) アンティークの時代は上質な素材を使い、高度な技術を持つ職人が丁寧に作るからこそ、材料費と人件費分のコストがかかって値段が高いものとなっただけなのですが、現代はただ"高級ブランド品"というだけで、質は伴わないものが売られていますからね。チヤホヤ代や広告宣伝費にコストがかかって高い値段となっているだけで、質にはコストをかけていないので、質に関しては安い偽物と変わらないわけです。物の価値として、違いがあるとは言い難いですね。 |
ルイ・ヴィトンの旅行カバンの広告(1898年) | 現代の高級ブランドはどこもとっくに創業者の手を離れ、モノづくりの質が低下して立ち行かなくなった結果、利益しか追求しない投資ファンドや持株会社の支配下で存続する状況となっています。 モノづくりに創業者の精神は宿りようもなく、質を重視したモノづくりなんてやるわけがありませんし、採算度外視で職人兼アーティストとしてのプライドをかけて作るコンテスト・ジュエリーのような作品は生まれるわけがありません。 しかしながら2代目のジョルジュ・ヴィトンは父を尊敬し、真面目にモノづくりしていました。 |
2代目ジョルジュが考案したルイ・ヴィトンのモノグラム(1896年発表) ©Louis Vuitton | 質が悪いものが、敬愛する父ルイ・ヴィトンの名を語って出回るなんて許せるはずがありません。 そこで、偽造が困難な複雑なパターンを作成し、旅行カバン全体にデザインすることにしたのです。 ヴィクトリアン後期は家紋をデザインに取り入れることがヨーロッパで流行しており、敬愛する父へのオマージュも兼ねて、このような特徴的なデザインとなったのです。 |
【参考】モノグラムの旅行カバン(ルイ・ヴィトン) | 実際、モノグラムは偽造防止に役立ち、1905年に特許も取得しました。 それにしても、日本美術が当時のヨーロッパでいかに高級なイメージを持たれていたのかが伝わってきますね。 |
ストライプを意匠化した家紋 【引用】播磨屋.com / 家紋図鑑/ 引紋/Adapted |
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そういうわけで1876年に制作されたこの宝物は日本美術、より正確には家紋にインスピレーションを受けてデザインされた、最初期の傑出したジャポニズム・ジュエリーと言えるでしょう。王侯貴族らしい素材の使い方や作りの良さも、これで納得が行くのです。 |
2. 上質な宝石を3種類も使ったリング
『エメラルドの深淵』 珠玉のエメラルド&ダイヤモンド リング イギリス 1880年頃 ¥3,700,000-(税込10%) |
『Day's Eye』-太陽の眼- カボション・ガーネット&天然真珠 リング イギリス 19世紀後期 SOLD |
リングはステータスを示す最重要アイテムの1つです。一般的に、王侯貴族のためのリングは煌びやかな高級宝石を使う場合が多いです。中央にメインストーンをセットし、外周を脇石で取り巻くデザインが定番です。 |
『グランルー・ド・パリ』 ベルエポック ルビーリング フランス 1910年頃(鷲のホールマーク付) SOLD |
定番ではないデザインのリングでも、使う宝石は2種類に限定されることが殆どです。 種類が増えるとデザインとして纏まりがなく、ゴチャゴチャして見える傾向にあるからです。 |
ジャルディネッティ リング イギリス 1820年頃 SOLD |
四つ葉のクローバー リング オーストリア 1900年頃 SOLD |
たまに色とりどりの複数の宝石を使ったリングも存在しますが、南国の色とりどりの植物が咲き乱れる小さな庭を表現したジャルディネッティ・リングであったり、四つ葉のクローバーを表現していたり、何か明確な意図がある場合に限ります。 具体的な表現対象があるわけではなく、純粋に"美しいデザイン"を表現したリングの場合、天然真珠のクラスター・リングを除き、特にヴィクトリアン以降の年代では数種類の宝石を使っていることは稀です。 |
2-1. 3種類の宝石の珍しい組み合わせ
今回のリングにはガーネット、ダイヤモンド、天然真珠という3種類の宝石が使われています。 |
3種類以上の宝石を使ったリングが稀とは言っても、45年間もやっているとたまに見ることはあります。 ただ、この組み合わせは見た記憶がないくらい珍しいです。 |
2-1-1. ルビー&サファイアとダイヤモンド
『ロシアン・アヴァンギャルド』 ルビー&サファイア リング ロシア 1910年頃 SOLD |
『愛の誓い』 ダブルハート リング イギリス 1870年頃 SOLD |
例えば同じコランダム系のルビー&サファイアをメインに、ダイヤモンドを脇石としたリングがあります。メインストーンが2つ必要なダブルハート・リングでは、定番の組み合わせの1つです。 『ロシアン・アヴァンギャルド』は純粋に芸術性の高さを求めてデザインされた、他にはない印象的な作品となっています。 |
2-1-2. ルビー&エメラルドとダイヤモンド
魅惑のピンキー リング フランス? 1880年頃 SOLD |
アールヌーヴォー リング フランス 1890-1900年頃 SOLD |
アールヌーヴォー リング フランス 1900-1910年頃 SOLD |
ルビー&エメラルドにダイヤモンドを組み合わせたものも稀に存在します。純粋なデザインと言うよりは、カラフルなお花を表現することが前提で選択されています。 先のルビー&サファイアもそうでしたが、カラーストーンを複数使う場合は色彩のインパクトが同じレベルでないと成立しません。ルビー、サファイア、エメラルドはそれぞれに鮮やかな色彩を持つ宝石だからこその組み合わせと言えるでしょう。 |
2-1-3. カラーストーン2種+無色宝石を使ったリング
ルビー×アメジスト | ルビー×オパール | サイべリアンアメジスト ×デマントイドガーネット |
パンジー リング イギリス 1860年頃 SOLD |
アールヌーヴォー リング フランス 1890-1900年頃 SOLD |
『ロシアを象徴するような美しい指輪』 ロシア 1910年頃 SOLD |
それ以外には、このような組み合わせのリングもありました。どれも他には見たことのない、例外的な宝物です。制作された年代も国もバラバラで、流行は関係なく、強いこだわりと鋭い美的センスを持つ人物が特別オーダーして、奇跡的に生み出されたものです。 気を衒ったヘンテコなもの、現代人ウケを狙いレア物と称して販売するためのリプロダクションなどと異なり、アンティークのハイジュエリーの中でも特に作りが良く、お金がかけられたものであることも特徴だったりします。幼少期から良いものに触れ、オーダー経験を繰り返すことでセンスを磨き、自分が何を好きか明確に分かっている、王侯貴族の中でも稀有な人だけが持てるものだったと言えるでしょう。 ちなみに王侯貴族のハイジュエリーだったとしても、センスが感じられないものもGenは扱わないので、これ以外には見当たりませんでした。 |
2-1-4. カラーストーンと天然真珠&ダイヤモンド
天然真珠&ルビーリング フランス 1910年頃 SOLD |
カラーストーンと天然真珠&ダイヤモンドを組み合わせたものも稀に見ることがあります。 |
天然真珠&デマントイドガーネット リング イギリス 1905年 SOLD |
『モンタナの大空』 サファイア&天然真珠 リング イギリス 1910年頃 SOLD |
『カリブレカットの美』 ルビー&天然真珠 リング フランス? 1910年頃 SOLD |
このコンビネーションだと、カラーストーンの色の組み合わせではなく、1つの種類のカラーストーンの色彩を純粋に楽しむことができます。目立つ濃い色ではなく、モンタナサファイアのようなクリアで美しいスカイブルーの色彩も、この組み合わせだと一層惹き立ちますね。 この組み合わせは集めてみたらエドワーディアンに集中していたのですが、史上最も天然真珠の価値が高く評価されていた時期ならではなのかもしれません。 |
その点では、1876年は南アフリカのダイヤモンドラッシュが始まったばかりで、まだそこまで極端に天然真珠だけが至高の宝石とみなされた時期ではなく、この宝物の組み合わせは異例と言えます。 エドワーディアンに入ると、ガーネットのハイジュエリーは見なくなります。 |
『愛のメロディ』 ジョージアン 竪琴 ブローチ イギリス 1826年 SOLD |
エドワーディアンのハイジュエリーは、画期的な新素材として出てきたプラチナを使うものが主流となります。 温かみや深みのある色彩を持つガーネットは、白く硬質な印象のプラチナよりもゴールドと相性が良いです。 そのため使われなくなったのかもしれません。 |
【参考】ヴィクトリアンの大衆向けガーネットジュエリー | ||
或いはヴィクトリアンにあまりにも大流行し、庶民のための安物に至るまで大量にガーネット・ジュエリーが出回ったため、エドワーディアンの上流階級にとっては、時代遅れの古くさい宝石という印象になった可能性もあります。 |
故にガーネットと天然真珠、ダイヤモンドの組み合わせ自体が、他には見たことがないものとなっているのです。 |
2-2. スーパー・モダンなガーネットの使い方
菱形にカットされた宝石自体が、アンティークのハイジュエリーの中でも滅多に見ることがありませんが、ガーネットでとなるとさらに珍しいです。アンティークジュエリーに限定すれば、この世でこれ以外には存在しないかもしれません。この宝物の最大の特徴であり、魅力と言って良いでしょう。 |
2-2-1. ヴィクトリアンより前の時代のガーネット
古代のガーネット・リング
『赤い宝石』 古代ギリシャ 紀元前4世紀 SOLD |
『黄金の輝きの中に浮かび上がるディオニュソスの杖』 ガーネット インタリオリング 古代ローマ 200年頃 SOLD |
ガーネットは古代から高貴な身分の人々に愛され、特別なジュエリーのための宝石として選ばれ続けてきました。 |
中世〜ルネサンス
ビザンティン ガーネット リング ビザンティン帝国(東ローマ帝国) 7〜8世紀 SOLD |
北方ルネサンス ガーネット リング ボヘミア? 17世紀中期 SOLD |
ガーネット独特の深い赤には他の宝石には替え難い魅力があり、それが人の心を捕らえて放さなかったのでしょう。 |
レイト・ジョージアン(19世紀初期)
【参考】レッド・ペースト&カットスチールのピアス(レイト・ジョージアン) | ペーストで代用品が作られるほど高価な宝石でもありました。 古い時代は一歩街の外に出ると強盗に襲われることも多々ある、危険な時代でした。 上流階級のために作られた、模造宝石を使ったトラベル・ジュエリーなども一定数が存在するのです。 |
ガーネット リング イギリス 19世紀初期 SOLD |
カボション・ガーネット リング イギリス 1818年 SOLD |
このように長い間、稀少価値のある高級宝石の1つとして君臨してきたガーネットですが、ヴィクトリアンに入ると状況に変化が起きます。ボヘミアの地で巨大鉱床が発見された結果、それまでにはない規模のガーネットが得られるようになったのです。 |
2-2-2. ヴィクトリアン中・後期に大流行したガーネット・ジュエリー
【参考】価値が低いのでシルバー・セッティングされている現代の合成サファイア・リング | 【参考】合成サファイア(現代) | |
宝石が高価なのは、綺麗だからというだけではありません。稀少性も伴わないと高い値段は成立しないのです。 |
需要曲線と供給曲線 "Supply Demand" ©Sugarless(25 April 2004)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
サファイアだから高い、ダイヤモンドだから高いというのはあり得ず、全ては経済の原理に則って値段がつきます。 |
『ミラー・ダイヤモンド』 アーリー・ヴィクトリアン オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド リング イギリス 1840年頃 ¥3,700,000-(税込10%) |
そのような異常な状況になった時代は参考になりませんが、価格統制が始まる前を見ると、それまでより宝石の稀少価値が下がると王侯貴族たちはどうするのかがよく分かります。 1869年頃から始まる南アフリカのダイヤモンドラッシュ以前は、ダイヤモンドはダイヤモンドであるというだけで稀少価値の高い宝石でした。 しかしながら南アフリカから膨大な量のダイヤモンドがもたらされ価格が下落すると、ただダイヤモンドであるというだけでは王侯貴族にとって意味をなさなくなりました。 |
稀少価値が下落後の王侯貴族のダイヤモンド・ジュエリーの方向性
『財宝の守り神』 約2ctのダイヤモンド ブローチ フランス 1870年頃 SOLD |
方向性はいくつかありました。 1つは、質も兼ね備えた上で、特別な大きさを持つダイヤモンドを使用することです。 たくさん採掘されるようになったとは言え、その中で1ctを超えるような大きさを持つ原石は極めて稀です。 一定以上の大きさを持ち、質も備えたダイヤモンドはダイヤモンド・ラッシュ以降も極めて稀少価値が高く、王侯貴族のための特別なハイジュエリーに相応しい宝石として使用されました。 |
トレンブラン |
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エイイグレット型トレンブラン ブローチ&髪飾り フランス 1880年頃 SOLD |
宝石としての稀少価値に頼る以外に、細工物として、ジュエリー全体としての価値を高めたものも生み出されました。その1つが、揺れる構造を持たせたトレンブランです。ダイヤモンドの魅力の1つである、煌めきを最大限まで惹き出せるジュエリーです。 そうは言っても高度な細工技術やデザイン力を必要としますから、腕の良い職人の人件費によって、全体としては間違いなく非常に高価なジュエリーとなります。 |
クローズド・パヴェ・セッティング |
マイクロ・ダイヤモンド・モザイク |
『Tweet Basket』 小鳥たちとバスケットのブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
『妖精のささやき』 ダイヤモンド・ピアス イギリス 1880年頃 SOLD |
その他、クローズド・パヴェ・セッティングやマイクロ・ダイヤモンド・モザイクのように、極小の細工を極めた作品も生み出されました。これこそ特別な発想力と神技の技術を必要とする、王侯貴族好みのアーティスティックで超贅沢なジュエリーと言えます。 美意識が高い上流階級以外だとどうなるかと言うと、 1. 大きなダイヤモンドを使う場合 2. 小さなダイヤモンドを使う場合 |
巨大鉱床発見後のガーネットの方向性
ホルバネスク・ペンダント イギリス 1860年〜1870年頃 カボッションガーネット、クリソライト、ギロッシュ・エナメル、18ctゴールド SOLD |
さて、本題です。 巨大鉱床が発見され、稀少価値が低下した後のガーネットでも上流階級と庶民のジュエリーに差別化が起こりました。 ダイヤモンドより単純です。 ダイヤモンドは特有の強い煌めきを発揮する能力により、極小細工を施すメリットがありました。 しかしながら色彩が最大の魅力であり、ダイヤモンドほどの煌めきの魅力を持たないガーネットの場合は、稀少価値の高い大きなものを使うという一択でした。 そこに優れたデザインであったり、知的な要素をいかに詰め込めるかが、上流階級同士での差別化ポイントです。 |
【参考】ヴィクトリアンのガーネットピアス | ||
高級品 | 中の上程度の品 | 中産階級向け |
ガーネットを使ったピアスで比較すると違いが分かりやすいでしょうか。天然のものである宝石は、たくさん採掘できても大きなものは少なく稀少価値があります。故に上流階級のためのハイジュエリーや、成金ジュエリーにこぞって使用されました。 世界先駆けて産業革命を経験したイギリスでは、ヴィクトリアン中期頃から産業革命によって裕福になった中産階級がこぞってジュエリーを買うようになりました。ボヘミアで見つかった巨大鉱床から、ガーネットが大量に採掘できるようになった時代と一致します。 フランスと比較して最大7倍もの経済規模があり、一般大衆にまでジュエリーの需要が拡大していた、世界最大の英国市場を獲得できたことでボヘミアン・ガーネットは一大産業化しました。最盛期は採掘工400人、研磨職人3,300人、貴金属職人500人、宝石商3,500人もいたそうです。 庶民のための安物のガーネット・ジュエリーの特徴は、とにかく小さなガーネットだけを寄せ集めて、上流階級のガーネット・ジュエリーに使われているガーネットのように大きく見せることです。 |
【参考】ヴィクトリアンのガーネット・ピアス | ||
中の上程度の品 | 中産階級向けの上 | 中産階級向けの中 |
採掘工400人、研磨職人3,300人、貴金属職人500人、宝石商3,500人もいたということからも想像できる通り、ヴィクトリアン中・後期はおびただしい数のガーネット・ジュエリーが作られています。その大半は中産階級向けの安物です。 上流階級と違って庶民は無数に存在するので、庶民向けに作られた安物ジュエリーの数も桁違いなのです。だからこそ今でもアンティークジュエリー市場にたくさん出回っています。知識や能力のないディーラーが"価値あるアンティークジュエリー"と称して、そのようなものをよく販売しています。そういうものはアンティークジュエリーではあっても、価値はありません。 Genのルネサンスを知る以前に、たまたま行き当たった百貨店のアンティーク・フェアでそのようなレベルの低いアンティークジュエリーを見たことがありますが、異様に高い上に美しいと思えず、アンティークジュエリーって小汚くてダサいけど古いからしょうがないのかなと思っていました。Gen曰く、フェアに出ざるを得ないのはレベルが低いディーラーだけだそうですが、高いのは百貨店の手数料が恐ろしく高いせいもあるでしょうから、しょうがないのかもしれませんね。このようなディーラーは百貨店の威信を使わないと売ることができないから手数料が高くても出店するのでしょうし、買う側としても、美的感覚のない人は自身の感覚で選べず、百貨店のお墨付きで選んで安心するしかないので、ある意味成立していると言えます。 百貨店での話をGenにしたら、「本当にあれは営業妨害だ!」と憤っていました。庶民向けの安物レベルのジュエリーが、価値あるアンティークジュエリーだと思われたら困るのに、百貨店で売ってあるからと皆が信じるそうです。最近は市場の枯渇が進み、安物どころかアンティークとすら言えないヴィンテージや中古品ばかりが増えた結果、殆ど売れなくなって百貨店でのアンティークフェアは開催されなくなっていきました。コロナ以前からです。今は状況が進行して、安物市場ではリプロダクションなど偽物が増えているようです(笑)私たちがお取り扱い買うするクラスの高級品は昔から数が少ないので、仕入れのしにくさは劇的には変化していません。いつでも大変です!(笑) |
【参考】ヴィクトリアン中期の安物ブローチ | ヘリテイジは上流階級のための高級アンティークジュエリー専門店なので、庶民向けの安物や、高級であっても成金庶民向けのジュエリーはお取り扱いしません。 石ころだけで判断する成金的思考の持ち主だと、これを見て「宝石がいっぱい付いていて高価な物に違いない!♪」と思うのですが、素材からもこれが安物と判断できます。 このような大衆向けの安物はゴールドはもちろん、シルバーすらも使っていない卑金属のメタル製が大半です。石ころ好きは、そこすらも見ないんですよね・・。それで「これ良いでしょ!」と自慢してきたりするので困っちゃいます(失笑) |
【参考】ミッド・ヴィクトリアンの中級のガーネット・ジュエリー | ||
しかしながら、ミッド・ヴィクトリアンは上流階級のためのジュエリーであってもダサいものが大半なので、殆どお取り扱いしていません。ふくよかな体型のヴィクトリア女王がファッションリーダーだったのと、大英帝国の最盛期だったこともあってか、上流階級のジュエリーであっても成金的なデザインであったり(作りは良い)、現代人からすると野暮ったいものが多いのです。特殊な人を除いて日本人に似合うと思えませんし、日本人好みでもないので、作りが良くても買い付けません。 |
レイト・ヴィクトリアン カボッションガーネット ペンダント イギリス 19世紀後期 SOLD |
Genも私も、ガーネットが嫌いでガーネット・ジュエリーのお取り扱いがあまりないわけではないのです。 こういうセンスの良さと、作りの良さを兼ね備えた宝物ならば積極的にお取り扱いします。 やっぱりこれも、ミッド・ヴィクトリアンではなくレイト・ヴィクトリアンですね。 高級なものとして作られた証である大きなガーネットが使われていながらも、成金的な嫌味さや安っぽさが全く感じられず、知的で洗練された美しさを感じます。 |
2-2-3. こだわったカットのガーネット
カボション・ガーネット リング イギリス 1860年頃 SOLD |
カボション・ガーネット リング イギリス 1870年頃 SOLD |
いくつでも安価に手に入れることのできる現代の合成宝石と異なり、天然の美しい宝石は非常に高価で替えもききません。だからこそカットする際は、美しいと感じられる範囲内で、なるべく大きくカットしたいと思うものです。特にミッド・ヴィクトリアンはクリノリンでボリュームを持たせたファッション全盛期だったので、それに合わせるジュエリーもなるべく派手で目立つものが所望されました。その結果、ガーネットも原石からできるだけ大きく取るために、無駄が少ないカボションカットが重宝されました。 |
ガーネット リング イギリス 1850年頃 SOLD |
他の宝石で見るようなファセット・カットされたものは少ないです。 ファセットをカットする場合は、その分だけ無駄が出ます。 ガーネットも綺麗に煌くことはできるのですが、当時はそれ以上に一般的には上流階級の間でも大きさが重要視されたということです。 それでも迎合したりしない、数少ない美意識の高い人物によって、特別なカットが施されたガーネット・ジュエリーも少ないながら存在するわけです。 |
ガーネット&ダイヤモンド リング フランス 1860年頃 SOLD |
石の無駄や、加工時の破損リスクを許容して作った、ガーネットの中央に穴を開けて装飾したタイプのガーネット・ジュエリーは比較的多いです。 これこそが、ただ大きいことだけを追い求める庶民用の安物との大きな違いの1つと言えます。王侯貴族ほど莫大な財力を持たない庶民や成金は、加工時の破損リスクは許容不可です。 でも、やっぱり大きくは見せたいので内側を繰り抜くという加工法なのです。 |
ハートシェイプ・ガーネット リング イギリス 19世紀初期 SOLD |
このような明らかに無駄が多く出るカットは、古の王侯貴族のハイジュエリーであっても滅多に見ることがありません。 今では想像もできないくらい、宝石そのものが稀少で高価なものだったからです。 無駄の多いカットを施すことで石は小さくなりますが、分かる人にはそれが特別贅沢なものであり、持ち主が優れた美意識を持っているということが分かります。 |
この菱形のカットも、強いこだわりがないと施されることはない、極めて贅沢なカットです。 |
2-2-4. 無駄が多く出るロムバス・カット
2-2-4-1. ロムバス・カットの宝石を使ったジュエリー
1876年 | アールヌーヴォー | アールデコ |
今回の宝物 | ルビー・リング フランス 1890-1900年頃 SOLD |
ファイヤー・オパール ブローチ ヨーロッパ 1920年〜1930年頃 SOLD |
菱形に整えた、ロムバス・カットの宝石を使ったジュエリーは極めて数が少ないです。その理由は無駄が多くて贅沢すぎるからに他なりません。当然、通常はメインストーンとして中央にセッティングします。今回の宝物は正面ではなく脇に、しかも2つもロムバス・カットの宝石を使用しているという点で、さらに飛び抜けています。 |
2-2-4-2. マーキーズ・シェイプのリング
18世紀 | 19世紀初期 | 19世紀後期 |
ブルーグラス&ローズカット・ダイヤモンド リング フランス 18世紀 SOLD |
『レッド・インパクト』 ジョージアン ダイヤモンド・リング イギリス 1820年頃 SOLD |
『ローズカットの閃光』 ローズカット・ダイヤモンド&シャンルベ・エナメル リング フランス? 1870年 SOLD |
菱形に類似する形状の1つとしてマーキーズ・シェイプがあります。ジュエリー以外の装飾品でも日本ではあまり見ない形状ですが、ヨーロッパでは普遍の人気を誇り、定番デザインの1つとしてリングでも度々見かけます。 |
2-2-4-3. マーキーズカットの宝石
ペルピニャン・ガーネット | サファイア | オパール |
ペルピニャン・ガーネット リング フランス 1840年頃 SOLD |
アールヌーヴォー サファイア リング フランス 1890-1900年頃 SOLD |
アールヌーヴォー オパール リング フランス 1890-1900年頃 SOLD |
好まれる形状であるからこそ、宝石のカットでもマーキーズ・シェイプを見ることがあります。無駄の多い贅沢なカットなので、市場でも滅多に見ることはありません。ハイジュエリーの中でも特にこだわりを以って作られた、かなりの高級品のみ使われるカットです。 |
2-2-4-4. 無駄が多いロムバス・カット
膨らみのあるマーキーズ・シェイプと異なり、膨らみを削ぎ落とし、エッジ2つをシャープな鋭角に整えたロムバスカットはマーキーズカット以上に無駄が多く出ますし、形状を整えたり土台にセットする際にエッジが割れてしまうリスクが高くなります。 それ故に"菱形"の概念が欧米で認識された後も、宝石のカットでロムバス・カットを使用したものはほぼないのです。アンティークジュエリーでもほぼ見ることのないカットだからこそ、よりそのシャープな魅力が存在感を放ち、目を引きます。当時のヨーロッパの王侯貴族たちならば、なおのこと目を引いたでしょう。 |
通常は正面にセットして唯一の主役にするような特別な宝石ですが、それを2つ作って両脇にセットしているのがこの宝物の見事なところです。ストライプのデザインも、主役の1つです。無色の天然真珠とダイヤモンドによるストライプであるが故に、インパクトのある赤いガーネットがあまり目立つ位置にあると、ストライプの印象が消されてしまいます。故に、この宝物で表現したいものを実現するには、この配置が正解だったわけです。 シャープな菱形とストライプのコラボレーションなんて、ヴィクトリアンのジュエリーとは俄かに信じられないほどモダンなデザインです♪♪ |
ダイヤモンドやルビー、サファイアほどの硬度はないとは言え、トライアルな菱形のカットを実に見事に仕上げています♪ |
黒ずんで透明感がなく、ガーネット独特の深い赤を感じられない石も多いのですが、このガーネットは特にインクリュージョンが少なくクリアです。後ろにゴールドを敷いたクローズドセッティングだと鮮やかな色彩が惹き立ちますが、このリングはオープンセッティングになっているので、軽やかさを感じる明るい赤紫色を楽しむことができます。 これほど上質なガーネットを、無駄が多いカットにしてしまうという贅沢さはさすがという他ありません。デザインやカットだけに頼るのでもなく、石も当然のように最高品質のものを使うのが王侯貴族クオリティですね♪ |
2-3. 極めてクリーンで輝きの美しいダイヤモンド
このリングを見たとき、なぜこのダイヤモンドを選んだのだろうと興味が湧きました。 とても小さな石ですし、特別なロムバスカットを施されたガーネットや、至高の宝石と見なされていた天然真珠を目立たせるために、通常であれば脇石としてローズカットを選ぶはずです。 |
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しかしながらこの宝物のダイヤモンドは3石とも極めてクリーンで上質な上に、カットも質が良いです。小さいながらもオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドならではのダイナミックなシンチレーションが堪能できる、最高品質のダイヤモンドです。 |
南アフリカのダイヤモンド・ラッシュが始まっているとは言え、1876年はまだ初動の時期であり1880年代、1890年代と比べると流通量は少ない時代でした。まだそこまで価格は下落していませんし、総量も限定されるので、その中から選定できる最高品質のダイヤモンドもかなり貴重でした。この宝物は、ダイヤモンドに関してもかなりお金をかけていると言えます。 |
なぜダイヤモンドにまで、それほどこだわっているのかと言えば、ストライプを最高の状態で完成させるためです。ハーフパールのあしらいだと、脇石らしくもっと小ぶりのローズカット・ダイヤモンドを使うはずです。でも、ストライプを構成する重要な要素だからこそ、ハーフパールと同じ大きさ且つ存在感を示せるオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドが選ばれたのです。 |
2-4. 照り艶に優れた極上の天然真珠
この宝物はハーフパールも小さいながら非常に質の良いものが使われており、照り艶に優れているため、ダイナミックなシンチレーションを放つ極上のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドと並んでも霞むことがありません。 |
【参考】ジャンクのクラスター・リング |
Genも私も徹底してハイクラスのアンティークジュエリーしか扱わないため、天然真珠は全て色も完璧で、照り艶も優れていると思われている方もいらっしゃるかもしれません。でも、市場の大半を占める中級以下のアンティークジュエリーの天然真珠を見れば一目瞭然で分かる通り、本当に美しい天然真珠は限られた高級品のみです。 |
【参考】ジャンクのクラスター・リング |
シワシワで美しくないことも多々あります。これは質が悪い上に加工技術も悪かったのか、あるいは持ち主の扱いが悪かったのか、1つ欠けていますね。 |
【参考】ジャンク品の石留の拡大 | セッティングの技術が低く、100年以上のリングとしての使用に耐えられずハーフパールが脱落していることもあります。 本来ならば爪留めで修理すべきですが、本場イギリスでも修理職人は接着剤が大好きなのだそうです。 化学系の人だと接着剤が万能ではなく、数年(環境が悪いと数ヶ月)の内に劣化することをご存知だと思いますが、知識がないと「楽だ」「便利だ」と安易に使っちゃうのでしょうね。 |
【参考】ジャンクのクラスター・リング |
接着剤を使うといずれハーフパールが変色してしまうのですが、かなり拡大して見ないと気付けません。性善説で買ってしまった人は後で泣き寝入りする他なく、自分が無責任なディーラーから安物を買ったことに気付くこともないまま、アンティークジュエリー自体が嫌いになってしまうのです。 |
【参考】ヴィンテージのジャンクのリング | これなんかは接着剤が劣化して、再びハーフパールが落ちています。 落ちたハーフパールを紛失してしまったのか、そのままで販売しちゃうところが外国クオリティでしょうか。 さすがに日本人は買わないですね(笑) |
【参考】ジャンクのリング | |
そういうわけで、今回の宝物には類稀なるセンスを持つ王侯貴族による特別オーダーのリングに相応しい、最高級の美しいハーフパールが使われていると言えるのです。 宝石の質のみならず、石留の技術の高さにもご注目いただきたいです。財産価値のない、単なるファッション・アイテムと言えるアクセサリーと成り果てた現代ジュエリーと異なり、古のハイジュエリーは財産としての価値があり、何世代にも渡って使われることが前提で作られました。長い年月の使用に耐え、価値ある宝石を落ちることなく固定できることは重要ですが(※)、だからと言って爪が目立つような美しくない留め方は興醒めです。 (※どんなにハイクラスのものでも使用するうちに爪が緩んだり、摩耗したりすることは避けられないため、爪を締め直すなど定期的に適切なメンテナンスは必要です) |
【参考】ハーフパール&ペーストのリング(チェスター 1888年) |
これなんかは宝石が目立たないどころか、爪がグチャグチャで爪に目が行ってしまいます。ホールマークで1888年のチェスター製の15ctリングと分かるそうです。でも、そのスペックにしては宝石も作りもかなり変テコなので、ホールマークが打たれたオリジナルの土台だけ使用してそれっぽいものを取り付けたジャンクというか、フェイク・アンティークジュエリーだと思います。 |
【参考】ジャンクのリング | |
美しさの違いは明らかですね。これを比較に出すこと自体が、今回の宝物にとって大変失礼だと思いますが・・。 |
あまりにも爪が目立たないのでどうなっているのか不思議に感じるほどですが、扁平ではなく高さのある丸いハーフパールの曲率に沿って、7つずつの小さな爪で丁寧に留めているから、145年も経った今でも石が脱落することなくしっかりと固定されているようです。これくらい拡大すると、オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドも小さな爪でしっかりと固定されていることが分かりますね。 |
『エメラルドの深淵』 |
1つ1つの爪は小さくても、十分な数の爪できちんと固定することで耐久性と美観を両立させる神技は『エメラルドの深淵』でも使われていましたね。 |
アンティークの最高級品 | 現代の高級ブランド品 |
『エメラルドの深淵』 珠玉のエメラルド&ダイヤモンド リング イギリス 1880年頃 ¥3,700,000-(税込10%) |
カルティエのエメラルド・リング(現代) 【引用】Cartier / SOLITAIRE 1895 |
現代ジュエリーは値段は高級な値段が付いていても、美しさは全く気にしておらず、儲けるための手抜き(コストカット)しか考えていません。『エメラルドの深淵』は10個もの爪で固定されていましたが、現代ジュエリーは爪4つで留めるのが基本です。回数を減らして楽をしようとする分、耐久性を出すために1つずつの爪がゴツいのです。 えらい違いですね(笑)ただ、これほどの爪留めの技術となると、アンティークのハイジュエリーの中でもそうはありません。第一級の職人による最高級品のみに見ることができる神技と言えます。 |
分かりやすい大きくて派手な宝石が付いていないので、現代人にとっては分かりにくいですが、これも第一級の職人によって制作された最高級品なのです。 持ち主はこれ以外にも当然、煌びやかな宝石のジュエリーも持っていたような身分の人です。存分にオシャレを楽しんでいた人でしょうね〜♪ |
3. 360度の様々な極上の金細工を楽しめるリング
スーパーモダンなデザインのリングでありながら、ヴィクトリアンに制作された最高級品だからこその手の込んだ金細工が存分に楽しめるのも大きな魅力です。 |
3-1. 粒金の高級感ある輝き
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このリングには、要所要所に大きな粒金があしらわれています。拡大するとゴツく見えるかもしれませんが、肉眼では粒金の存在には気づかないくらい控えめな存在です。 |
『妖精のささやき』 ダイヤモンド・ピアス イギリス 1880年頃 SOLD |
しかしながら、アンティークのハイジュエリーは単純なデザインのみならず、輝きの美しさまでも当然のように計算してデザインします。 マイクロ・ダイヤモンドやミルのような、目には見えないほどの小さな細工が高い技術と大変な手間をかけて施されるのは、どこから放たれる輝きを計算してのことです。 あるのとないのとでは印象が劇的に変化します。輝きこそが、無機質的だったジュエリーに生き生きとした精気を宿らせることができると言っても決して過言ではありません。 |
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目に見えないほど小さなマイクロ・ダイヤモンドの強い輝きとファイア |
この無数の粒金も、丸い粒を視認させるためのものではなく、そこから放たれる黄金の輝きによって格調の高さや華やかさを感じさせるために施されているものなのです。 ハリボテ的な成金ジュエリーとは一線を画す、秘めながらも漂ってくる真の高級感で満ち溢れています♪ |
3-2. サイドに施された神技の優美な装飾
正面デザインに非常にこだわったリングですが、サイドにも他には見たことがないような特徴的なデザインが施されています。 サイドから見ると、この装飾のために天然真珠&ダイヤモンドのストライプはかなり高さを出してセッティングされていることが分かります。 |
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あしらわれているのは、優美な曲線を描く黄金の帯です。拡大するとなんてことなく見えるかもしれませんが、これも驚異的な細工です。 |
ゴールドの板を叩いて鍛えてから造形するのですが、実際の大きさを考えると、一体どうやって18ctゴールド以上に硬い15ctゴールドの鍛造の帯をこれだけきつい曲率で滑らかに造形したのか不思議でしょうがありません。まさに神技の細工です。 |
正面からは殆ど見えないとは言っても、リングなので様々な角度で人の目に触れます。正面はスーパーモダンな、当時のヨーロッパの人々は見たこともないような最先端のスタイリッシュ・デザインですが、サイドは王侯貴族らしいエレガントさと格調の高さを感じさせるデザインになっているのは、なんとも持ち主の遊び心とセンスを感じさせてくれるものです♪ |
3-3. 後ろまで連続するエレガントな彫金
20世紀になって画期的な新素材としてプラチナが登場すると、すっかりハイジュエリーの素材としてはプラチナに取って代わられ、急速に金細工技術も失われてしまいましたが、このリングは19世紀ならではのエレガントな彫金も楽しむことができます。 |
ベゼルの端から見えない後ろ、さらにはもう1つのベゼルの端まで、断続することなく連続して模様が彫金されています。 |
金細工は本当に様々な種類があり、それぞれに特徴があります。まるで機械のように人間性を排除した正確で緻密な動きであったり、尋常ではない忍耐力を必要とする魚子打ちのような金細工がある一方で、彫金は器用さに加えて特にアーティスティックな才能を必要とする金細工の1つです。 |
与えられた白いキャンバスに自由に模様が描けるのと違って、リングだとデザインできる面積は決まっています。 それに合わせて模様をデザインするわけですが、違和感のある途切れ方をすることなく、美しいと感じられる模様をデザインするのは思いのほか難しいことです。 |
また、紙に鉛筆で平面的に絵を描くのと違い、彫金はある種の立体彫刻です。 彫る深さであったり、彫った後のエッジを磨く際にどれくらい丸みを持たせるかでガラリと印象が変わってしまいます。 |
浅い彫金 | 深い彫金 |
【参考】9ctゴールドのロケット・ペンダント(1910-1920年頃) | 『Geometric Art』 ゴールド ロケット・ペンダント イギリス 1840年頃 SOLD |
浅い彫りだと、印象が薄く安っぽい雰囲気になりがちです。『Geometric Art』の外周に施されているような、もはや立体彫刻と言って良いレベルの深い彫りだと、それ自体が主役と言えるような高い芸術性を持つ上に、重厚さも強く感じます。高度な技術とアーティスティックな才能を兼ね備えた職人であれば、彫金を駆使して、表現したい雰囲気をいくらでもコントロールできてしまいます。 深さが増すほどに彫金は難しくなりますし、手間も増えます。だから一般に安物は浅い彫りなのですが、手間をかけないと安っぽくなってしまうとは、人間の感性って面白くできているものだと思います。 |
【参考】9ctゴールドのロケット・ペンダント(ヴィンテージ) | ヴィンテージの時代になると益々技術が失われて、アンティークのハイジュエリーに見慣れていると「これ、売り物にしちゃったんですか?」と思えるようなものを平気で出回っています。 これはろくに仕上げがされておらず、手抜きの酷さに驚いてしまいますが、直線と曲線の彫金の違いにご注目ください。 比較すると、曲線の彫金はいかに難しいのかが想像できると思います。 |
より狭い面積に施された細かい彫金ですが、実に見事に優美な曲線を描き出しています。 彫りは浅すぎず深すぎず、リングに相応しいものです。 主役のストライプ&菱形デザインのベゼルの邪魔をすることなく、角度によって浮かび上がる黄金の模様が実に印象的に美しいです。 360度が見所の、隙のない完璧な宝物です♪♪ |
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ホールマーク
1876年バーミンガム製の15ctゴールドのリングであることを示す刻印が、リングの内側にあります。 |
裏側
裏側もスッキリとした、最高級ジュエリーらしい綺麗な作りです。 フラワー型のハーフパールのクラスター・リングはベゼルの裏側に髪の毛や布などをセットできる構造を持つ場合も少なくありませんが、これは純粋にファッションのために制作されたようです。 なるべく模様に違和感が出ないようにサイズ変更することは可能ですが、大きい場合はアジャスターを使うなどして、なるべくそのままお使いいただくことをお勧めします。 |
着用イメージ
斬新さと古の王侯貴族らしいエレガントさを兼ね備えた、他にはない美しいリングです。 他のアイテムと異なり、リングは着用した本人も指元で見て楽しめるが魅力の1つです。 この宝物は特に見所満載なので、鑑賞する楽しさもあります♪ |
サイドからチラリと見える、ガーネットや彫金も実に魅力的です。 透明度の高い最上質のガーネットを、独特の菱形にカットしたこの宝石は、実に魅力があります。 シャープな形状のファセットがキラリと輝く瞬間もあれば、息を飲むような美しい赤をたたえている瞬間もあります。 |
ロムバスカットのガーネットなんて他にはないので、この宝物だけの魅力ですね♪ 細工の魅力が詰まった宝物ですが、細工に加えてこれほどまでにアンティークならではの宝石の魅力を楽しめるリングはそうはありません。しかも、デザインも何十年も時代を先取りしていた特別な作品という・・。 それにしても様々ある日本の美術様式の中で、なぜ菱形を選んだのか不思議にも感じます。 |
京都の骨董市で手に入れた5客セットのお皿(日本 明治時代) | 以前フォト日記でご紹介した明治時代のお皿も、菱形の変化形のような形でした。 古い時代は全て手作りなので、庶民の日常使い用の量産品でもハンドメイドですが、これは然るべき家で使われていた高級品なので立体的なフォルムの細部にまで美意識が行き渡っています。 |
菱形の骨董のお椀 |
実はこんな菱形のお椀もあります。骨董品で、木を繰り抜き、日本古来の最高品質の漆を塗って作られた正真正銘の最高級のお椀です。菱形という形状が斬新ですよね。 |
菱形の骨董のお椀 |
これも古の神技の職人によって、驚くほど精緻に作ってあります。美しい立体フォルム、100年以上経っても寸法が狂うことなくピッタリと収まる蓋。感動的に美しい美術工芸品です。こんなにも贅沢でオシャレな食器を、古の日本の上流階級は使っていたのかと思うと羨ましくてしょうがありません。 欲しいのですが、これは私のものではなくアトリエ近くの神楽坂で懐石料理をやっている方のものです。料理の腕のみならず、美的感覚やセンスに優れていないと超一流の料理人にはなれないと言いますが、まさにそういう人物です。お椀の下に重なった菱形の影も、めちゃくちゃオシャレですよね。照明も計算され尽くしているのでしょう。 器に関するこだわりも尋常ではなく、京都に買い付けに行く際は毎回、数百万円単位で買ってくるとか・・。仕事用とは言え、よほど好きでないとできることではありません。特殊なルートを持ち、毎回大きな単位で綺麗な買い方をしないとこのクラスは入手不可です。羨ましいし、尊敬します。餅は餅屋で、私はアンティークジュエリーにだけ注力します(笑) この方は何か特定のジャンルが好きなのではなく、私と同じで各分野での第一級のものが好きなのだと感じます。アンティークの着物を着たり、和骨董の小物を持っていたりすると"日本のものが好き"と勘違いされる方が多いのですが、そういう選び方ではないからこそ私はヨーロッパのアンティークジュエリーにこよなく魅了されているのです。 実は懐石料理の方も同じ感じなので、和骨董も使いますが、西洋骨董も良いものをたくさんお持ちです。ヴィンテージや中古のようなものではなく、本当に古く上質なものだけを厳選して持ってらっしゃいます。私たちがその価値が分かり、喜ぶと分かると、その貴重なグラスでお酒を出してくれました。凄いですよ〜。薄いグラスの壊れ物なのに、見るだけでなく使わせていただけるのですから♪♪ただ高いだけの成金御用達の店に言っても何も得るものがありませんが、そこはご主人との会話に加え、優れた美術工芸品を通して感性を磨くこともできる貴重な場です。 |
お椀の親 | お椀の蓋 |
良いものが目利きできるだけでなく、センスも良いご主人が選んだのが菱形のお椀だったわけですね。Gen曰く、コレクターは見る目がないのが通常だそうです。確かにコレクターはただ集めることだけが目的で、スペックに関しても知識偏向で質を見分ける目がなく、無闇に集めようとするケースが多いので、そこは私も激しく同意です。 頭でっかちで偏った見方をせず、純粋に優れた感性で選べる人は、人種や時代を問わずごく少数ながら存在します。ヨーロッパの上流階級や芸術家たちの中にもそういう人たちが僅かながら存在し、そういう人たちによって西洋美術と日本美術が融合し、現代に通じるインターナショナル・デザインへと昇華しました。西洋や日本、古い新しいに関係なく純粋に良いものを選び、柔軟に取り入れることができる特別な感覚を持つ人が好むのが、なぜか菱形なのです。 |
それまで西洋美術にはなかった新しい様式をいち早く取り入れ、次の時代を作っていった特別な宝物。 |