No.00370 永遠に咲く花 |

19世紀初期リージェンシーの気品に満ちたクラスターリングです!♪
深く鮮やかな色彩の天然ルビー&ペルシャ産トルコ石
清楚な天然真珠の3種の魅惑のコラボレーション!♪
![]() |
![]() |
ハーフパールやカボションカット・トルコ石の照り艶に対し |
|
通常![]() |
UV照射![]() |
極上ルビーが紫外線を当てると発光する姿は
まさに石の中で赤い炎が燃えているかのようです!!♪
![]() |
|
『永遠に咲く花』 |
||
![]() |
||||
天然真珠がメインのヴィクトリアンのクラスターリングとは異なる、リージェンシーの強い魅力を持つリングです。教養と魅力にあふれ、抜群のセンスを持ち『英国一の紳士』と称されたジョージ4世が摂政王太子としてファッションリーダーを務めたこの時代のイギリスは、ヨーロッパ貴族らしい教養と気品に満ちた優れたデザインが特に高く評価されています。異国からもたらされる憧れの高級宝石を3種類、絶妙な色彩バランスで組み合わせており、その意外な美しさにハッとします。 |
この宝物のポイント
![]() |
|
![]() |
1. 3種類の宝石の色彩が美しいクラスター・リング
1-1. センス抜群の色彩バランス
![]() |
色彩感覚や好みの色には個人差のほか、民族や文化的な差もあります。 この宝物は、日本人が見て「とても美しい!♪」と感じられる色彩バランスを持っています♪ 色石はアンティークジュエリーの魅力の1つです。しかしながら複数の色石を使い、魅力的な色彩バランスを実現した宝物は、想像以上に出逢うのが難しいです。 |
1-1-1. 色石を複数使用するアクロスティック・ジュエリー
古の王侯貴族のために作られたハイジュエリーに於いて、色石を複数使ったジャンルとしてアクロスティック・ジュエリーがあります。 |
『REGARD』ロケット・ペンダント イギリス 1820年頃 SOLD |
『CONSTANCE』秘密のメッセージ ネックレス イギリス 1860年頃 SOLD |
![]() 『ADORE』 秘密のメッセージ リング バーミンガム 1890年 SOLD |
宝石言葉(宝石の頭文字)で秘密のメッセージを込めたジュエリーです。知性と教養、センスをことさら重視するのが古のヨーロッパ社交界でした。だからこそこのようなジュエリーは大いに人気を博し、様々なメッセージが考案され制作されました。発案者のフランス王妃マリー・アントワネットは『J'adore』で、フランス語で「大好き」という意味を込めたそうです。 宝石言葉を知らないと、なぜその色彩バランスにしたのかと不思議に感じるかもしれません。メッセージが主役かつ最優先なので、色彩バランスという観点で見るとピンとこない場合もあります。「?」と感じ、宝石言葉を検討できるかが教養や知性、感覚の有無の分かれ目と言えるかもしれません。分かりやすい定番もありますが、オリジナル性が高い特殊なものは気づくのも難しそうです。高度な世界ですね〜♪ |
||
1-1-2. 色石のアート
色石を複数使用したアンティークのハイジュエリーとして、アクロスティック・ジュエリー以外だとこのような宝物があります。 |
ビザンチン・スタイル 宝石のバード ブローチ東欧? 19世紀初期 SOLD |
『黄金の花畑を舞う蝶』色とりどりの宝石のブローチ イギリス 1840年頃 SOLD |
『美しき魂の化身』蝶のブローチ イギリス(推定) 1870年頃 ¥1,600,000-(税込10%) |
細工物に対し、『色石のアート』と言えるアーティスティック系の宝物です。 コーディネートすることよりも、そのものが芸術作品として完成されていることに重きを置いたジュエリーです。完成形だからこそ眺めるだけでも楽しいですし、装う際は芸術作品を身につける楽しさがあります。しかし、宝石の入手も作るのも非常に困難なので滅多に作られておらず、なかなか出逢うことはありません。 |
||
1-1-3. 非常に珍しいタイプの色石のリング
![]() |
アクロスティック・ジュエリーでもなく、芸術作品系でもないジュエリーで、色石を複数使ったセンスの良い高級品は本当に珍しいです。 ゴチャゴチャした色彩は、下品な印象と共に安っぽさにつながるので好まれません。この上品さは驚くべきバランスです! |
1-2. メインストーンの鮮やかな天然ルビー
1-2-1. 色石+無色の宝石が基本の組み合わせ
天然の上質な色石は貴重なので、無色の宝石を脇役にデザインして最大限に惹き立てるのが基本です。無色の宝石は天然真珠、あるいはダイヤモンドです。 |
| ルビー・リング | トルコ石・リング | ||
『愛の花』クラスターリング チェスター 1838年 SOLD |
『グランルー・ド・パリ』ベルエポック リング フランス 1910年頃 SOLD |
『英国貴族の憧れ』バーミンガム 1876〜1877年 SOLD |
ペルジャンターコイズ リングフランス 1880年頃 SOLD |
ルビー、トルコ石に限らず色石の基本の組み合わせです。色彩の美しさに没入できますよね。 |
|||
1-2-2. 3種類の宝石を使う場合の通常の組み合わせ
3種類の宝石を組み合わせたジュエリー自体はそこまで珍しくありませんが、うち2色は天然真珠とダイヤモンドというのが通常です。 |
『ヴィクトリアン・デコ』ジャポニズム リング バーミンガム 1876-1877年 SOLD |
『モンタナの大空』サファイア リング イギリス 1910年頃 SOLD |
天然真珠&ルビーリングフランス 1910年頃 SOLD |
白い天然真珠、透明なダイヤモンドのどちらも色彩を邪魔しません。この組み合わせも、唯一の色石の色彩に没入できます。 |
||
1-2-3. パワフルな宝石『ルビー』
![]() |
ルビーは色石の中でも特別パワフルな存在です。 だから、他のカラー・ストーンとのバランスの良い組み合わせがとても難しいです。 |
| ルビーの蛍光の性質 | |
蛍光灯の合成ルビー(3mm)"Artificial ruby hemisphere under a normal light" ©D.328(2 July 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
緑レーザー(単色光)で赤く発光する合成ルビー"Artificial ruby hemisphere under a monochromatic light" ©D.328(2 July 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ルビーは通常でも色彩が強いですが、肉眼で見るとより印象的に感じます。それは蛍光を発する性質があるからです。 通常の物体では、肉眼で見える色は、物体に当たった光の一部が反射したものです。当たった光以上の強い光にはなりません。しかし、ルビーは紫外線によって赤色の光を放つ性質があります。含有するCr(クロム)が励起し、基底状態に戻る際に放つ波長エネルギーが蛍光です。反射ではなく、自ら放つ『発光』です。だから光量があって明るいです。 |
|
![]() |
天然ルビーはクロムが多いと明るく鮮やかな色となり、赤い蛍光も強く出ます。鉄が多いと暗い色味となり、蛍光も殆ど出ません。 太陽光に含まれる紫外線でも、この赤い蛍光が出ます。それにより、ルビーがいっそう明るく鮮やかで印象的に見えます。高級とされるルビーはクロム含有量が多く、この性質が強く現れます。便利なので、HERITAGEでもルビーの波長に合わせたライトを導入しました。紫外線を当てている様子が、左側の白い紙が青く光る様子からもお分かりいただけるでしょうか。紙に使用された添加剤も反応しています。 |
| 通常 | UV照射 |
![]() |
![]() |
このルビーもUVライトを当てると、しっかり蛍光が出ます。太陽光の元では、このような赤い色彩が増強されるので、より美しく感じます。上質なルビーならではの大きな魅力です♪ |
|
| 通常 | UV照射 |
![]() |
![]() |
通常は濃い赤ピンクの色彩ですが、蛍光が重なると赤みが強くなります。特定波長のみを照射するとルビーだけ極端に光りますが、太陽光では意識に働きかけるような自然な発光です♪ |
|
1-2-4. ルビーと組み合わせる宝石とバランス
『愛の誓い』ルビー&サファイア リング イギリス 1870年頃 SOLD |
『ロシアン・アヴァンギャルド』ルビー&サファイア リング ロシア 1910年頃 SOLD |
ルビーと別の色石を組み合わせる場合、バランスの取り方が難しいです。同じコランダムの上質なサファイアは、対極的な位置でバランスが取りやすいです。『ロシアン・アヴァンギャルド』のように3石の色石を使う場合、ルビー1石に対してサファイア2石というのは正しいです。蛍光が出るルビーが2石だと、サファイアの存在感が負けてバランスが崩れます。 |
|
『スパイダー』宝石の蜘蛛のペンダント オーストリア? 1900年頃 SOLD |
これはエメラルドと組み合わせています。 メインストーンは1ctオーバーの極めてクリーンな最先端トランジションカットのダイヤモンドなので、エメラルドとルビーは小ぶりです。 コンテストに出品するために制作されたとみられるアーティスティックな作品で、色彩バランスもよく考えられています。 エメラルドもパワフルな宝石ですが、やはり数でバランスが調整されており、ルビー6石に対してエメラルドは8石です。 それほどルビーはパワフルで特別な色石なのです。 |
1-2-5. 3種類の宝石すべてが主役と言えるデザイン
複数の色石を使う場合でも、右の2つのように、目立ちすぎぬようポイント的にセンス良くデザインすることはあります。 |
イギリス 1811〜1820年頃今回の宝物 |
イギリス 1860年頃SOLD |
イギリス 1860年頃SOLD |
しかし、今回の宝物はルビー、トルコ石、天然真珠のすべてが主役と言える色彩バランスとなっています。ルビーとトルコ石を組み合わせる発想にも驚きますし、どれか1つを主役にするのではなく、これだけ上手く惹き立て合っていることも驚異的です。他にはないからこそ目を惹きますし、持ち主は社交界の華として良い意味で目立っていたに違いありません♪ |
||
1-3. 王侯貴族の王道の宝石が3種類楽しめるリング
![]() |
このジョージアンのリングは、当時のヨーロッパ貴族の王道の宝石が3種類も堪能できるのが魅力的です♪ |
1-3-1. 天然ルビー
『平和のしるし』ローマンモザイク デミパリュール イタリア 1860年頃 ¥2,030,000-(税込10%) |
キリスト教圏かつ宗教と政治が深く結びついていたヨーロッパでは、王侯貴族の多くは敬虔なキリスト教信者でもありました。 王侯貴族は文化の担い手でもあり、芸術や文化には宗教関連の教養が反映されていることも少なくありません。 分かりやすい場合もありますし、相応の教養がなければ気づくことはできない場合もあります。 |
『ソフィア』リュミエール・アゲート カンティーユ ペンダント&ブローチ フランス or イギリス 1820年頃 ¥880,000-(税込10%) |
キリスト教の基本知識が殆どない一般的な日本人にとって、ただでさえ難しいですが、ヨーロッパの中でも限られた上流階級の間のみで共有される教養や知識が存在します。 そのような秘密の教養を元に作られたものは、たとえヨーロッパ人であっても一般人には理解できないものだったりします。 それを理解しておくだけでも一歩前進です。意識して積極的に知識を増やすことはできますし、鋭敏になって今まで気づかなかったことに気づけるようになるかもしれません。 アンティークジュエリーの真の理解には大事なことです。 |
イギリス王ジョージ3世とシャーロット夫妻と上の6人の子供たち(1770年) |
今回の宝物が作られたリージェンシー(摂政王太子時代)は、女王エリザベス2世、女王ヴィクトリアに継ぐ在位期間を誇る国王ジョージ3世から摂政王太子ジョージ4世の治世に移り変わるタイミングです。ジョージ3世は敬虔なキリスト教信者で、毎日数時間もお祈りに使っていたそうです。質素倹約で知られており、王妃シャーロットに対しても誠実で愛人もおらず、国民人気は高かったそうです。 |
家庭教師(後にブリストル大聖堂の首席司祭)フランシス・エイスコー、弟エドワード王子、11歳頃のジョージ王子(後のジョージ3世)(1749年頃) |
勉強熱心で8歳で英語とドイツ語で読み書きでき、既に当時の政治事件にコメントすることもできました。王族の帝王教育は、現代日本人のゆとり教育で想像してはダメな次元にあります。 ジョージ3世は、科学を系統的に勉強した初のイギリス王でした。科学と物理学のほか、天文学、数学、フランス語、ラテン語、歴史、音楽、地理、商業、農業、憲法を学び、さらにダンス、フェンシング、乗馬などのスポーツや社交関連の教養も身につけました。家庭教師フランシス・エイスコーは後にブリストル大聖堂の首席司祭に就任していることからも想像できる通り、宗教に関する教育も施されています。これほど多岐に渡るので、日本の義務教育に毛が生えた程度の知識でヨーロッパの王侯貴族を理解するのは完全に不可能です(笑) |
プリンス・オブ・ウェールズ時代のイギリス国王ジョージ4世(1762-1830年)18-20歳頃 |
妻一筋で9男6女、計15人の子宝に恵まれたジョージ3世は子供たちが大好きでした。 愛の形は人それぞれです。生来が真面目で勉強熱心なジョージ3世は子供たちの行動を監督しました。毎朝7時から勉強させ、さらに宗教行事や美徳に満ちた生活を強制しました。 才能がなければ潰れそうですが、長男ジョージ4世には天賦の際の才がありました。 生まれ持った抜群のセンスと共に、身につけた教養と知性によって『イギリス1のジェントルマン』と称されるほどの英国紳士となりました。 |
アブラハムの宗教系の教養
大国のトップともなれば自国のみならず、国家や民族を超越した古今東西の教養を備え、俯瞰して物事を見る立場です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を網羅するアブラハムの宗教に於いて、旧約聖書は共通する存在です。旧約聖書にルビーの逸話が登場します。 |
『アロン像』(ニコラス・コルディエ 17世紀) |
![]() |
ルビーは神が万物を創造した際に創った12の石のうち、最も高貴な石とされます。 このため、この『宝石の王』は神の命によってアロンの首にかけられました。 アロンより弟モーセの方が、日本では知名度があると思います。 |
ファラオの御前で杖を蛇に変えるイスラエル祭司の祖アロン(1877年) |
出エジプトでモーセと共に行動しています。この兄弟はレビ族で、長男アロンはイスラエル祭司の祖とされます。モーセが神から授かった杖は『アロンの杖』と呼ばれ、アロンが使っていました。エジプトで『十の災い』を起こしたのもアロンの杖です。ファラオの目の前でアロンの杖を投げ、蛇に変える奇跡を見せたシーンも有名です。 レビ族はヤコブの12人の子供の一人であるレビを祖とし、イスラエルの支族ですが、十二支族とは別格の地位が与えられています。祭司の一族として特別な役割を与えられており、厳密な男系継承です。エジプトを脱出した後、40年間も荒野で彷徨ったとされます。その間はアロンの監督の元で幕屋や聖所の奉仕、契約の箱の運搬を行いました。契約の箱に触れることができるのはレビ族のみで、レビ族の中でも長男アロンの家系は名門として特別視され、大祭司はアロンの息子エルアザルの家系で世襲されています。 |
ギベオンで太陽に停止を命ずるヨシュア(ジョン・マーティン 1816年) |
アロンとモーセの兄弟は神により約束の地に入ることを許されず、モーセの死後は後継者ヨシュアが神の民をカナンまで導いたとされます。モーセの従者ヌンの子です。これはイギリスの画家ジョン・マーティンの作品で、1816年のロイヤル・アカデミーの夏の展覧会、翌1817年の英国協会で発表され、双方で賞賛されました。今回の宝物が作られたのと同時代の作品です。 現代ではキリスト教徒なのにろくに聖書を読んだことがない人の多さは有名ですが、古の王侯貴族にとっては宗教関連も必須の教養です。この作品が何か理解できなければ赤っ恥となるのが社交界です。モーセも戦争しまくっており、軍人色が強めですが、ヨシュアもカナンに入るため戦争しています。戦いの間は明るく照らされるよう、太陽に対して「止まれ!」と命じたエピソードがあります。先住のカナンの王や軍を殲滅するまで、太陽は丸一日、沈まなかったとされます。 |
『反逆者たちの懲罰』(サンドロ・ボッティチェッリ 1481-1482年)青い教皇冠のアロンと手前がモーセ |
軍事や統治を司るモーセの後継者がヨシュアでした。 祭司を司るアロンの後継者としては息子エルアザルがレビ族の長となり、大祭司としてヨシュアと共に民の指導に当たっています。 ローマ教皇と神聖ローマ皇帝のどちらが上かという話がありますが、ローマ教皇が上とされ、皇帝の任命権があります。 世俗の統治王より、祭司王の方が上というのは世界共通です。日本も武家の長として征夷大将軍があり、幕府を開いて統治しますが、その任命権は祭司を司る天皇にあります。 |
民衆にとっては、統治する世俗の王の方が身近で偉いように感じるものですが、高位の身分の人ほど祭司王の方が上の立場にあることを理解しています。 |
ギベオンで太陽に停止を命ずるヨシュア(ジョン・マーティン 1816年) |
![]() |
宝石の王ルビーは、神の命によって大祭司アロンの首にかけられました。モーセではありません。最も高貴な宝石ルビーを受け継いだのはヨシュアではなく、大祭司エルアザルでしょう。賢者の石のように赤く澄んだルビーを身につけ、当時の持ち主はこの絵画を鑑賞したりもしたでしょうか。 ルビーの色彩は血液にも例えられます。キリスト教では最後の晩餐にちなみ、葡萄酒をキリストの血として聖体拝領する儀式(ミサ)もあります。然るべき教養と感覚を備えていれば、ルビーを起点に、ジュエリーのデザインに込められた様々な意味を議論することが可能です。優れた絵画もただ見た目が良いだけでは不十分で、知的な議論を盛り上げる要素がいかに上手く詰め込まれているが重要です。 |
|
![]() |
教養あふれる貴婦人であった持ち主も、19世紀初期の社交界で、きっと様々な知的議論を楽しんだろうと思います♪ それは、多様で深い教養があってこそできることです。 |
1-3-2. ペルシャ産トルコ石
現代の日本人が持つトルコ石の一般的なイメージは、アメリカ産やメキシコ産の低品質のものです。そのままではチョーク状でスカスカなので樹脂含浸し、それを『天然』と称して販売することが認められているほど酷い有様です。到底『宝石』と呼べる代物ではなく、だからこそ値段も宝石価格ではありません。 |
トルコ石の質
| 現代の低品質のトルコ石の処理 | |
【参考】処理前 |
【参考】スタビライズ処理して磨いた状態 |
1950年代以降はこの処理が常識化していますが、真実を知られて得する人は業界にはいません。だから業界人が教えてくれることはありません。高く売るための詐欺的な謳い文句は言います。それを鵜呑みにし、現代の価値基準でアンティークジュエリーを判断しようとすると頓珍漢なことになります。 |
|
【参考】トルコ石風のネックレス(現代) |
現代のトルコ石は樹脂処理石に加えて模造品まで氾濫しているため、アクセサリー用の安っぽいイメージが強く付いています。 |
| 英国王室女性のトルコ石のコーディネート | |
マーガレット王女(1930-2002年)"Princess Margaret" ©David S. Paton(Unknown date)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
女王エリザベス2世(1926-2022年)2020年、93歳【引用】princeandprincessofwales / Instagram |
しかし、アンティークジュエリーに使われているペルシャ産の上質なトルコ石は処理などしなくても美しく、高級な存在でした。映画『ローマの休日』のアン王女のモデルとされ、女優に勝るとも劣らぬ美しさで有名なマーガレット王女も若い頃からトルコ石のパリュールを愛用しており、着用姿は多々目にすることができます。 コロナ禍の演説用に、エリザベス女王が選んだトルコ石のブローチも話題となりました。知識があるヨーロッパ上流階級にとっては今でもペルシャ産トルコ石は高価な宝石であり、知的なイメージもあるのです。インディアン風アクセサリーしか知らず、そのイメージで見てしまうとさっぱり意味が分からなくなってしまいますね。 |
|
19世紀初期に特に流行したペルシャ産トルコ石
いつの時代もヨーロッパ貴族にとって定番で高い人気を誇ったペルシャ産トルコ石ですが、19世紀初期は特に人気がありました。この時代はヨーロッパ文化の原点とみなされる古代ローマやギリシャなど、古代の叡智や知的なものに上流階級の関心が強まったタイミングでもあります。 |
![]() トルコ石のパリュールを着けたフランス皇后ジョゼフィーヌ(1812年) |
皇帝ナポレオンの最愛の妻ジョゼフィーヌも、古代ローマやギリシャを連想させる背景と共に、豪華なトルコ石のパリュールを着用した姿を描かせています。 ナポレオンはイタリアのトスカーナに起源を持つ古い血統貴族として誇りを持っており、特に古代ローマ帝国に関する著述を幼少期から熱心に読んでいたとされます。これが示すところは一般人には分からないのでほぼ聞き流してしまいますが、教養のある上流階級ならばすぐにピンときます。 |
イタリア半島におけるエトルリアの領域(濃い草色:紀元前750年、薄い草色:紀元前750-紀元前500年にかけての拡張、二重丸:12の都市国家)"Etruscan civilization map" ©NormanEinstein(26 July 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
トスカーナの古名はエトルリアです。 古代ローマと混ざり消え去ったとされる古代エトルリアですが、王政ローマの7人の王のうち最後の3人はエトルリア系であることが分かっており、建国したのもエトルリア人である可能性が強く示唆されています。 その後もローマ帝国の貴族としてエトルリアの家系は存続しています。 高度とされる古代ローマの土木建築技術も、エトルリア人技術者がもたらしたものでした。当事者の家系にのみ、詳細な歴史が脈々と伝わっていることは想像に難くありません。 |
皇帝ナポレオン・ボナパルト(1769-1821年) |
皇帝ナポレオンの衛星国家とされるエトルリア王国(1801-1807年) |
ナポレオンはトスカーナ大公国を廃し、1801年にエトルリア王国を建国しています。 そして古代ローマ帝国の再興を目指し、フランス革命戦争後に侵略戦争と化す一連のナポレオン戦争を指揮しています。 血筋と誇りを考慮すれば、首尾一貫した流れと理解できます。 |
![]() |
19世紀初期のヨーロッパでは皇帝ナポレオンの好みによって、古代ローマやギリシャ関連の芸術文化が流行しました。 カメオやインタリオの流行もその一貫ですが、ペルシャ産トルコ石も実は関連があります。 |
| ペルシャ帝国 | ギリシャ帝国 |
アケメネス朝ペルシャ帝国(紀元前550〜紀元前330年)の最大版図 "Achaemenid Empire, Darius the Great period(BC500)" ©Kaiser&Augstus&Imperator(1 June 2022)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
アルゲアス朝マケドニア帝国(紀元前700年頃〜紀元前310年)の最大版図 "Macedonian Empire, Alexander the Great period(BC326)" ©Kaiser&Augstus&Imperator(2 March 2024)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
世界史はダイナミックです。地理も合わせて理解する必要があります。アレキサンダー大王の時代、ペルシャ帝国は政治や学術の面でも文化的にも先進国でした。東方遠征でその大帝国を吸収し、混ざり合ったのがヘレニズムでした。かつてのペルシャ帝国に居住する大多数の一般市民はペルシャ人でしたが、支配層はギリシャ人です。そして、文化の担い手は支配層です。 後の王侯貴族が歴史として見る際、注目するのは一般市民ではありません。自分たちと同じ立場となる支配層です。現代の日本人が『ペルシャ』として見る地域は、アレキサンダー大王によってもたらされたギリシャ文化が根付いた場所となります。大雑把に言えば、西欧から見て東欧よりさらに東(西アジア)はギリシャ文化のイメージがあります。 |
|
アナトリア半島のイダ山(カズ山) |
また、古代ギリシャ神話の舞台となったイダ山(カズ山/イデ山)もトロイア遺跡も、現代のギリシャではなくアナトリア半島(小アジア)のトルコにあります。海路を使うにしても蒸気船もなかった時代、寄港地は必要ですから、東からもたらされるものはトルコを経由するのが通常でした。 古代ローマ帝国が東西に分かれ、西側の西欧は蛮族の地となりました。古代ローマの叡智が受け継がれたのは東欧のビザンチン帝国やさらに東のペルシャ、イスラム世界でした。 |
ビザンチン帝国時代の競馬場(左)と共にコンスタンティノープルの街"A view from The Sphendone of the Hippodrome" ©Hbomber(2 October 2022)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
コンスタンティノープル(現:トルコのイスタンブール)は古代からアジアとヨーロッパを結ぶ東西交易ルートの要衝で、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)の隆盛と共に栄えました。ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が古代ギリシャの植民都市ビュザンティオンに建設した都市です。古代ローマの公用語はラテン語でしたが、620年以降、ビザンチン帝国の公用語はギリシャ語となっています。最盛期は30〜40万人の人口を誇るキリスト教圏最大の都市として繁栄し、「世界の富の3分の2が集まる場所」と称されたほどです。実際、今でも古代ローマやギリシャを感じられる数々の建築や文化が存在します。 |
| 貴重なトルコ在住経験が大注目されたモンタギュー夫人 | |
28歳頃のメアリー・ウォートリー・モンタギュー夫人と4歳頃の長男エドワード(コンスタンティノープル 1717年頃) |
オスマン帝国の衣服を着たメアリー・ウォートリー・モンタギュー夫人(1689-1762年) |
西ヨーロッパの上流階級にとってトルコは憧れの地でした。上流階級の女性が遠くまで旅をするのは非常に珍しかった時代、最先端の都市コンスタンティノープルに外交官の妻として滞在したイギリスのモンタギュー夫人が社交界で注目されたのは必然でした。『トルコ書簡集』(Letters fom Turkey)を出版したり、トルコの衣装に身を包んだ姿を描かせているのも、当時の王侯貴族が『トルコ』に大いなる憧れを持っていたからです。 右の肖像画はアヤ・ソフィアが背景です。モンタギュー夫人は、『高貴な女性ソフィア(Sphia, a person of quality)』のペンネームも使用しました。知の女神ソフィアですね。 |
|
ジョージアン フィリグリー ブローチ&ペンダントイギリス 1820年頃 SOLD |
ペルジャンターコイズ カンティーユ ブローチイギリス 1820年頃 SOLD |
英国王室御用達 スミス&レート クロス・ペンダントイギリス 1830年頃 SOLD |
ジョージアン ガーネット トルコ石 ブローチイギリス 1830年頃 SOLD |
トルコには高尚で知的なイメージが強くあり、古代から各地の王侯貴族に愛された、独特の青の色彩が美しいトルコ石には特別な意味がありました。実際は高品質で密度の高いトルコ石はイラン産ですが、『トルコ』の方が響きが良く、トルコ(古代ギリシャ)をイメージできる知的な青い石として愛されました。 そして知的なもの、古代の芸術文化に意識が高まった時代は特に好まれたというわけです。 |
|||
1-3-3. 天然真珠
![]() |
エキゾチックなルビー、ペルシャ産のトルコ石、そして天然真珠。天然真珠の主要産地もペルシャ湾です。 天然真珠は長いアンティークジュエリーの歴史の中で、絶えず最高の地位にありました。 憧れの舶来の宝石を3種類も組み合わせた、非常に贅沢で知的な魅力も抜群の宝物なのです!♪ |
2. 気品に満ちたリージェンシーのリング
2-1. 滅多に手に入らないジョージアンのリング
![]() |
ヴィクトリアン以降は産業革命によって台頭した新興成金や、アメリカン・ドリームを実現させた新興成金がジュエリーを買うようになり、デザインの傾向にもその意向が色濃く反映されています。 ジョージアンのジュエリーは、本来のヨーロッパ貴族らしい気品に満ち溢れたものが多いのですが、市場では滅多に手に入りません。理由はいくつかあります。 |
2-1-1. 貴族の数と制作されたジュエリーの絶対数の関係
イギリスの爵位貴族の数は時代ごとに大きく変化します。変遷の理由については以前ご説明していますが、ジョージアンは貴族の数そのものが少ない時代でした。また、産業革命による中産階級の台頭(新興成金)の影響が出る以前だったこともあり、富も権力もごく少数の貴族に集約していました。 |
| 年代 | 世襲貴族 | ブリテン諸島の人口 | |
| 王侯貴族の時代 | 中世末〜16世紀 | 50家 | 〜625万人 |
| 17世紀末 | 170家 | 925万人 | |
| 18世紀末 | 270家 | 1,600万人 | |
| 1830年代 | 350家 | 〜2,800万人 | |
| 1870年代 | 400家 | 3,400万人 | |
| 1885年 | 450家 | 〜4,200万人 | |
| 大衆の時代 | 1999年 | 750家 | 英国 5,868万人 |
| 2020年 | 814家 | 英国 6,708万人 | |
| 2021年 | 809家 | 英国 6,728万人 | |
| 2023年 | 807家 | 英国 6,812万人 | |
19世紀初期のジョージアンは、大衆がまだジュエリーを買えなかった時代です。だから市場でも『ジョージアンの安物』は存在しませんが(わざと稚拙に作られたフェイクは除きます)、貴族の人数自体が少ないため、ジュエリーの制作数がそもそも少ないです。 |
|||
2-1-2. リメイクされる運命にある宝石が美しいジュエリー
『ワルシャワ・クロス』アールデコ クッションシェイプ・ダイヤモンド クロス・ペンダント ポーランド(ワルシャワ) 1930年頃 ¥750,000-(税込10%) |
稀少価値があるから『宝石』です。稀少であり、需要に対して供給量が限られるからこそ高価になります。 そして、稀少だからこそお金があっても必ずしも欲しいだけ手に入るわけではありません。王族クラスであってもです。 だから特に宝石は取り外してリメイクする対象でした。 だから古い時代のジュエリーほど、現代まで生き残っている確率が絶望的に低くなります。 |
『大切な想い人』リージェンシー フォーカラー・ゴールド 回転式フォブシール イギリス 1811〜1820年頃 ¥1,200,000-(税込10%) |
リメイクのターゲットとなる派手な宝石が使われていない、細工物のジュエリーの方が生存確率が高いです。 これまでの48年間でご紹介してきたジョージアンの宝物は、細工物が圧倒的に多いです。Genや私の好みというだけでなく、現存するジョージアン・ジュエリーは細工物が多いという理由があるからです。 宝石物のジュエリーも相当数が制作されたはずですが、デザインには流行り廃りがあります。 デザインが古くなったものは宝石が取り外されてリメイクされ、もうこの世には存在しないのです。 |
2-2. 魅力の強いリージェンシー・デザイン
2-2-1. 普遍の魅力を備えたジュエリーのみが現存
魅力的な宝石が使用されているにも関わらず、現代まで生き残っているジョージアンのジュエリーも僅かながら存在します。そのどれもが強い魅力を備えています。 |
ジャルディネッティ ダイヤモンド リングフランス? 18世紀後期 SOLD |
『南国の風』ジャルデネッティ・リング フランス 1800-1820年頃 SOLD |
『レッド・インパクト』エナメル リング イギリス 1820年頃 SOLD |
クラスターリングイギリス 1830年頃 SOLD |
定番デザインだと飽きが来ず、人を選んだりもしないため残りやすいです。デザイン性が高い場合、時代や個人を超越した普遍的な魅力を備えるものでなければ生き残れません。歴代の持ち主が「このまま使いたい!」、「リメイクの必要がない!♪」と思える領域に達している必要があります。 |
|||
![]() |
作られてから200年ほども経過しているジョージアンのジュエリーにとって、それは非常に困難なことです。それを乗り越えた宝物には、納得できるだけの時代を超越した魅力があります♪ |
2-2-2. 別格の評価を受けるリージェンシーのデザイン
プリンス・オブ・ウェールズ時代のイギリス国王ジョージ4世(1762-1830年)18-20歳頃 |
アンティークジュエリー同様、家具もリージェンシーは現代も玄人から別格視されています。 一般的にはイギリスよりフランス製の方が評価が高いのですが、1800〜1830年にかけてイギリスで作られた家具は、リージェンシー・スタイルの家具としてフランス貴族からも大人気となるほど高く評価されていました。 気品に加え、貴族好みのセンスと知性に満ち溢れたデザインが特徴です。 これは当時ファッションリーダーだった摂政王太子ジョージ4世の、切ない恋愛が背景にあります。21歳の時、運命の女性マリア・フィッツハーバートと出逢います。 |
マリア・フィッツハーバート(1756-1837年)32歳頃、1788年 |
6歳年上で、2度未亡人となったカトリックの平民の女性でした。王族は王族としか結婚できず、さらに宗教的にもイングランド国教会である必要があり、結婚は叶わない相手でした。 21歳での出逢いということで、若すぎる故の気の迷いと見る人が多くいましたが、結局ジョージ4世は最期の時まで心と魂はマリア一筋でした。 |
プリンス・オブ・ウェールズ時代のジョージ4世(1762-1830年)36歳頃、1798年 |
![]() ![]() ジョージアン アイ・ポートレート ペンダント イギリス 1790〜1800年頃 SOLD |
| 身分ゆえに独身を通して一途な愛を示すことも許されず、堂々と愛を語ることもできず、秘めた愛は募るばかりです。それが特に反映されたのが、ジョージ4世の時代のプライベートなジュエリーでした。 |
![]() ![]() 『矢と矢筒』 ヴィネグレット イギリス 1820年頃 SOLD |
『一輪挿しの薔薇』香水瓶 ブローチ イギリス 1820年頃 SOLD |
ヴィネグレットイギリス 1820年頃 SOLD |
ジョージアン貴族の紳士淑女の心のやりとりが想像できる、香りの宝物もこの時代は特に魅力満点です。貴婦人を介抱するための気付け薬を入れるための小物&ジュエリーなので、紳士用として作られた可能性が高いです。だからこそ美しさのみならず、メカニカルな部分まで凝っていて面白かったりします。 |
||
『南国の花々』4カラー・ゴールド フォブシール イギリス 1811〜1820年頃 SOLD |
ロッククリスタルの至極のフォブシールイギリス 1811〜1820年頃 SOLD |
『パイナップル』3カラー・ゴールド フォブシール イギリス 1820年頃 SOLD |
フォブシールも上品でエレガントな美しさがあります。この時代は温室技術を極めた南国のフルーツ、特にパイナップルが富と権力の象徴でした。ジョージ4世の1821年の戴冠式では、頭脳と莫大な投資による科学技術の成果として晩餐会でパイナップルが餐され、社交界でも大きな話題となりました。ジョージ4世が特に好んだ離宮ロイヤル・パヴィリオンの内装もパイナップルがデザインされており、知的でエレガントで贅沢なものが好まれた時代を感じます。 少し時代が後になると、イギリスは金融パニックによる金価格爆騰でゴールドが富と権力の象徴となります。少ないゴールドの分量で、より多く見せようとする傾向になることから、リージェンシーの秘めた情熱や知性とはまた雰囲気が変わってきます。 |
||
![]() |
1848年のカリフォルニアのゴールドラッシュ以前なので、金価格が史上最も爆騰した時代より少し前であっても、やはりゴールドは非常に高価でした。 爆騰時代よりはゴールドの分量が感じられる一方、ゴールドがステータスの象徴となった時代の手間なので、必要以上にゴールドを主張する感じもありません。 |
![]() |
このバランスと、気品に満ちた美しい佇まいこそがリージェンシー・ジュエリーの魅力です!♪ |
2-3. リージェンシーらしい宝石
2-3-1. ジョージアン貴族の知性とラグジュアリーの象徴トルコ石
ジョージ4世が摂政王太子として統治したリージェンシー(1811〜1820年)は、世界情勢を見ても重要な時代でした。フランス革命からナポレオン侵略戦争までの一連の流れは非常に分かりにくいですが、実質、世界大戦と見ることができます。1789年のバスティーユ襲撃に端を発したフランス革命以降、長く不穏と混乱の時代が続きました。 1814年にイギリス軍と連合軍に包囲され、ナポレオンのフランス軍が守るパリが陥落し、ナポレオンはエルバ島に追放されました。圧倒的勝利を収めたイギリスでは国民の喜びが最高潮に達し、ロンドンのバーリントンハウスでウォテイエ卿主催の盛大な戦勝記念の祝賀会が催されました。 |
![]() |
|
その1814年に、摂政王太子ジョージ4世からウォテイエ卿に贈られたとみられるのがこの宝物です。宝石言葉で『PEACE』(平和)が込められています。プリンス・オブ・ウェールズを示す3枚の羽根もデザインされた、歴史的にも価値のある宝物です。 |
|
『PEACE』摂政王太子からウォテイエ卿への贈り物 イギリス 1814年 SOLD |
英国王室所蔵品【出典】Royal Collection Trust / Ring © His Majesty King Charles III 2024 |
『La Dame pourpre』アメジスト 一文字リング イギリス 1840〜1850年頃 ¥950,000-(税込10%) |
小さくても濃い色彩を呈するアメジストがいかに特別で、英国王室からも高級宝石として扱われていたかが、古い時代のジュエリーから分かりますね。古いヨーロッパ貴族からこれほど愛されたアメジストも、現代では真価が知られざる存在となってしまいました。 それはさておき、『PEACE』を示す宝石とは別に、随所にトルコ石がデザインされていることにご注目ください。ちなみに右上の英国王室所蔵の蛇のリングも瞳の上質なルビーのほか、トルコ石が複数デザインされています。 |
| ジョージアンの『REGARD』の宝物 | ||
『REGARD&パイナップル』ロケット・ペンダント イギリス 1820年頃 SOLD |
『REGARD』ロケット・ペンダント イギリス 1820年頃 SOLD |
『REGARD』ロケット・ペンダント イギリス 1820年頃 SOLD |
| 左の2つのペンダントも、REGARDを示す宝石以外にプラスアルファでトルコ石が効果的にデザインされています。 | ||
| トルコ石が印象的なジョージアンの小さな宝物 | |||
![]() アイ・ポートレート イギリス 1790-1800年頃 SOLD |
ヴィネグレット リングイギリス 1820年頃 SOLD |
宝島で発見された宝箱?イギリス 1820年頃 SOLD |
ロケット・ペンダントイギリス 1830年頃 SOLD |
梟のフォブシールイギリス 1820年頃 SOLD |
バスケット型フォブイギリス 1830年頃 SOLD |
ジョージアンの宝物はご紹介できる機会が少ないので気づきにくいと思いますが、こうして集めてみると、トルコ石を効果的に使った宝物が想像以上に多いことがお分かりいただけると思います。 |
![]() |
![]() 『矢と矢筒』 ヴィネグレット イギリス 1820年頃 SOLD |
主役にすることもありますし、他の宝石と組み合わせることも多いです。 プラスアルファな使われ方が多いことからも、ジョージアン貴族がトルコ石に特別な憧れを持ち、積極的に使いたがっていたことは確実です。 |
『勿忘草をくわえる鳩』鳩 ゴールド ブローチ イギリス 1830〜1840年頃 SOLD |
ヴィクトリアン初期頃までは、可憐な美しさを持つトルコ石が気品あるジュエリーに使われました。 しかしながら産業革命によって中産階級が台頭し(新興成金層)、大英帝国が世界の工場として最盛期を迎えるミッド・ヴィクトリアン以降は主張の激しいデザインが好まれるようになり、トルコ石はジョージアンほど使用されなくなります。 |
| ヴィクトリアンのクラスター・リング | ||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
美しいお花を宝石でデザインしたクラスターリングは、定番で人気があります。特にヴィクトリアンに流行しました。並べると有り難みが感じにくいかもしれませんが、何十年もかけて集めたものです。Genも私も最高級品のみを厳然しているので、どれも唯一無二の自慢できる魅力的な個性を持っています。 |
||||
![]() |
こうして比較すると、今回のクラスター・リングはジョージアンだからこそ特徴を持っていることがお分かりいただけると思います。トルコ石の可憐で知的な雰囲気を好むデザインは、まさにジョージアンの貴族好みを象徴すると言えるのです!♪ |
2-3-2. 視覚効果を計算した見事なカットのルビー
![]() |
アメリカ人はアンティークジュエリーが大好きです。古いものほど尊ぶためジョージアンは特に偽物が多く、贋作手口もイタチごっこなので何重にもチェックしています。 摩耗の状況もポイントの1つです。作られてから200年ほどは経過しているため、摩耗やダメージが全くないのはあり得ません。 |
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
ダイヤモンドに次ぐ硬度があるとは言え、ルビーに摩耗感がないことに驚きました。真紅の深い色彩と共に、キラキラと輝くファセットが実に美しいです。天然で非加熱のルビーであり作りもオリジナルと判断できるのに、なぜここまで状態が良いのか不思議に感じました。 |
![]() |
![]() |
| サイドから見た時、ルビーには高さがないことに気づき、とても驚きました!! |
『LOVE』ルビー リング イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
![]() |
| 安全に愛用しやすいよう、高さを出さないようルビーをカット&セットしたスペシャル・オーダーの宝物がありました。表面がフラットに感じるのは、ファセットの作り方も原因です。 |
![]() |
![]() |
左のルビーはテーブルが広く、クラウンのファセットは小さめに設計されています。ファセットの"面の輝き"を最小限に抑えることで、ルビーの色彩の美しさを最大限に感じられるオリジナルの贅沢なカットです。 今回の宝物は、ルビーの煌めきも重視したカットです。クラウンのファセットがかなり魅力的に輝くので、正面から見た時に相応の高さがあるよう感じます。 |
|
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
周囲の宝石より一段高い位置にセットされ、ルビー自体に存在感があります。しかしながら飛び出してはいないので、ルビーだけぶつけるリスクを低減しています。 |
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
これだけフラットならば、その高い硬度も相まって、200年は経過してもルビーに摩耗感がないのも納得です。見事なカットです! |
ジャルディネッティ リングイギリス 1820年頃 SOLD |
![]() |
同時代のジャルディネッティ・リングのメインのルビーにも、同様の配慮が見られます。しっかりとファセットの煌めきが感じられるルビーです。 |
![]() |
しかしサイドから見ると、表面は驚くほど平坦です。 左側のダイヤモンドとは極端に高さに違いがあります。モース高度はダイヤモンドが10、ルビーは9です。数字の上では1しか違いませんが、摩耗のしやすさは段違いです。ダイヤモンドはダイヤモンド同士で擦り合わせなければ、早々に摩耗することはありません。昔の王侯貴族や宝飾職人はよく分かっています。 |
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
このルビーの立体感は驚異的です。飛び出したフォルムにはなっていませんが、奥側にはしっかりと厚みがあるため、深い色彩があります。 宝石のカットは、高度な細工の一種です。細工の様子や痕が見て分かりやすい金細工などと違い、宝石の細工は現代人には想像しにくいです。 |
![]() |
現代のように規格化されておらず合成石もない時代、宝石は誰がカットしても同じではありませんでした。 天然の原石の個性を見極め、最大限に魅力を発揮させるには高度な頭脳とセンス、確かな技術を備えた職人が必須です。 |
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
カット1つ見ても、ジョージアンとヴィクトリアンではやはり格が違うと納得する、神技のカットなのです!!♪ |
3. ジョージアンの魅力が詰まった上質な作り
![]() |
この宝物は、ジョージアンの中では細工物ではなく宝石物にカテゴライズできます。 よくあるジョージアンの偽物は宝石物です。細工物は技術的に真似できないのと、似せようとするほどにコストがかかるからです。 |
「古いものは稚拙な作り」、「汚らしいのが古い物の証」と勘違いしている現代人は少なくなく、フェイクはわざと雑に作ることで、変に納得する人が多いようです。シルバーは化学薬品で黒化処理できますし、温泉地に持っていくだけでも簡単に黒ずませることが可能です。タバコの灰に押し付けることで古めかしく見せるテクニックもあります。 |
ジョージアン オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド リングイギリス 1800年頃 SOLD |
![]() |
![]() |
|
コストカット最優先の現代ジュエリーは、作りとそれに伴うデザインの簡素化を追求した結果、宝石物だとどのブランドのものか分からないほど似たり寄ったりです。しかしジョージアンの本物の高級品は、たとえ宝石が主体のジュエリーであっても宝石のみに頼ることはありません。 隅々まで美意識が行き渡り、随所に納得できるデザインと作りが施されているものです。これこそが高級品の風格を出します。現代では真似ができない部分なので、宝石物であっても宝石以上に作りを見るのは重要です。 |
|
3-1. 高級感を添える覆輪留め
今回の宝物イギリス 1811-1820年頃 |
ヴィクトリアン クラスターリングイギリス 1850年頃 SOLD |
ヴィクトリアン クラスターリングイギリス 1860年頃 SOLD |
ハーフパールは覆輪留めが定番です。覆輪はシンプルにデザインすることもありますが、等間隔で溝を彫ることで、宝石に高級感を添えることができます。通常のクラスター・リングは花びらの数が4〜6枚が多いですが、今回のクラスター・リングはトルコ石が4石、ハーフパールが4石の計8枚で構成されており、高度な技術が目を惹きます♪ |
||
3-1-1. 個性に寄り添う精密なセッティング
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
正面からは各宝石が均一に見える技術が素晴らしいですが、天然の宝石を使用しているため、実際には横方向のみならず立体的な方向にも個性があります。 |
![]() |
現代では宝石の真価が分かりにくくなっていますが、鉱物の種類だけで価値が認められるわけではありません。ダイヤモンドだから高価な宝石というわけでもなく、採掘された半分以上は工業用途で殆ど価値はありません。古い時代は得られた原石の上位僅か6%のみが宝石として使用でき、その中でさらに宝石として低品質から最高品質まであります。 |
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
すべての石が、上澄み中の上澄みと言える極上宝石です。だからこそ高度な技術を持つ職人が、技術と手間をかけて丁寧にセットするに値します。1つ1つの個性を見極め、寄り添うように正確に覆輪で留めます。200年以上の使用に耐える、見事な技です。 |
3-1-2. アーティスティックな溝の彫金
ヴィクトリアン クラスター リングイギリス 1860年頃 SOLD |
![]() |
| ヴィクトリアンのクラスター・リングの覆輪留めはこのように精密で規則正しく、中くらいの深さの溝を彫金する傾向がみられます。 |
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
今回のジョージアンのクラスター・リングは溝の高さや間隔に、ランダムさを感じる作りです。 |
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
しかも溝が深いため、長年をかけて隙間に形成されたパティナが効果的に陰影を作っています。ゴールドなので溝の凸部分は黄金の輝きが神々しく、一方で溝部分は惹き立て役として影を演じています。自然にできたこの味わいは古いものの証であり、時間をかけないと現れない美しさが見事に完成しています♪ |
| アーティスティックな覆輪 | 規則正しい精緻な覆輪 |
今回の宝物イギリス 1811〜1820年頃 |
イギリス 1860年頃SOLD |
スペックだけ見ると同じ『溝を彫金した覆輪留め』ですが、彫り方次第で雰囲気は大きく変わります。パティナのでき方も変わりますし、凸部分のゴールドの輝き方も違います。甲乙ではなく好みの部分です。 規則正しい彫金は、貴族の品行方正な美しさを演出します。今回の宝物のように、深い彫金は格調の高さを感じさせる一方、ランダムな輝きはアーティスティックで目が離せない魅力があります。ランダムを意図して作るのは難しく、違和感なく美しく感じさせるには特別なセンスを必要とします。再現性高く正確な彫金を施すより、遥かに難しいともされます。 |
|
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
一見すると見過ごしてしまいそうな部分ですが、ジョージアンの第一級の職人技が感じられます。技術ともに間違いなく手間もかかっています。実際のサイズを考えると、このようにたくさんの溝を綺麗に磨き上げるのも大変なことです。極めて細い鑢(ヤスリ)で丹念に磨き上げるのですから・・・。 |
3-2. 指に沿う曲率を持たせたベゼル
![]() |
![]() |
| クローズド・セッティングのベゼルは、裏側がフラットな構造ではありません。 |
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
指の形に寄り添うよう、シャンクと同じように曲率を持たせています。フラットな構造で作る方が遥かに楽で、技術的にも容易です。手間や技術を惜しむことなく、使い心地を追求した結果です。 |
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
正面からは見えない部分である上に、指には柔軟性があるのでフラットでも曲率があっても、さほど使い心地に影響はないようにも思えます。そのような部分にまで美意識を行き渡らせられることこそが、ジョージアンが別格である証であり、ジョージアンらしい作りと言えるのです。 |
3-3. 繊細な黄金の輝きを放つ気品あふれるシャンク
![]() |
シンプルながら美しい黄金の輝きを放つシャンクも、このリージェンシーの宝物の魅力の1つです。 コストカットのための手抜きによる簡素化とは異なる、シンプル・イズ・ベストの高級感が光ります。 |
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
黄金の輝きはある程度の立体感がある、なだらかな波型形状から放たれています。波の間隔、深さなど僅かな違いで輝きと印象は大きく変化します。この絶妙な加減は何度も試作を繰り返し、ようやく納得いくものを実現したはずです。 |
![]() |
存在感はあるものの、ゴールドが主張しすぎないのも魅力です。 僅かに後の時代にずれ、ゴールドが富や権力の象徴となると、少ないゴールドでボリューム感を出そうとするようになります。シャンクは厚みが薄くなる一方、幅は広く作る傾向になります。 |
![]() |
このリングにはそのような傾向が一切感じられません。 ゴールドは高価な時代ではありましたが、無理にボリューム感を出そうとすることはなく、品良くキュッとまとまっています。しかしながら存在感がないわけでもなく、波の彫金によって、コンパクトながらも輝きがしっかりあります。 |
![]() |
波型の彫金は全周に施されています。 作られてから200年以上は経過していますが、彫金が感じられなくなるほどすり減ってはいません。 歴代の持ち主が、ヘビーローテーションはしなかったからでしょう。 |
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
奇跡的なことに、1度もサイズ変更されていない可能性が高いです。200年以上も経過しているジョージアンのリングでは通常あり得ないことですが、歴代の持ち主が長く愛し、持ち主がコロコロと変わらなかったということもあるでしょう。 |
![]() |
↑等倍→ |
![]() |
13号サイズなので、日本人女性の指には合いやすいと思います。ヨーロッパはもっと大きな方が多いですが、小指に付けても映えるデザインが功を奏したのかもしれませんね。歴代の持ち主から大切にされた宝物は、それを納得させる魅力を湛えています♪ |
裏側
![]() |
![]() |
裏側もスッキリとした綺麗な作りです。 |
|
着用イメージ
![]() |
リージェンシーの貴族のための上質な石だからこそ、ルビーもトルコ石も色彩が鮮やかです。実際に着けるとハッとするほど肌に映え、全体がパッと明るく華やかになります♪ 細工物より華やかながら、強く主張しすぎず上品で若々しい印象です。 リージェンシーの魅力と、本来のヨーロッパ貴族らしさを存分に楽しめるリングです♪ |






『REGARD』
『CONSTANCE』
ビザンチン・スタイル 宝石のバード ブローチ
『黄金の花畑を舞う蝶』
『美しき魂の化身』
『愛の花』
『英国貴族の憧れ』
ペルジャンターコイズ リング
『ヴィクトリアン・デコ』
『モンタナの大空』
天然真珠&ルビーリング
蛍光灯の合成ルビー(3mm)
緑レーザー(単色光)で赤く発光する合成ルビー

『愛の誓い』
『ロシアン・アヴァンギャルド』
『スパイダー』
イギリス 1860年頃
イギリス 1860年頃
『平和のしるし』
『ソフィア』
イギリス王ジョージ3世とシャーロット夫妻と上の6人の子供たち(1770年)
家庭教師(後にブリストル大聖堂の首席司祭)フランシス・エイスコー、
プリンス・オブ・ウェールズ時代のイギリス国王ジョージ4世(1762-1830年)18-20歳頃
ファラオの御前で杖を蛇に変えるイスラエル祭司の祖アロン(1877年)
ギベオンで太陽に停止を命ずるヨシュア(ジョン・マーティン 1816年)
『反逆者たちの懲罰』(サンドロ・ボッティチェッリ 1481-1482年)青い教皇冠のアロンと手前がモーセ
【参考】処理前
【参考】スタビライズ処理して磨いた状態
【参考】トルコ石風のネックレス(現代)
マーガレット王女(1930-2002年)
女王エリザベス2世(1926-2022年)2020年、93歳
イタリア半島におけるエトルリアの領域(濃い草色:紀元前750年、薄い草色:紀元前750-紀元前500年にかけての拡張、二重丸:12の都市国家)
皇帝ナポレオン・ボナパルト(1769-1821年)
皇帝ナポレオンの衛星国家とされるエトルリア王国(1801-1807年)
アケメネス朝ペルシャ帝国(紀元前550〜紀元前330年)の最大版図
アルゲアス朝マケドニア帝国(紀元前700年頃〜紀元前310年)の最大版図
アナトリア半島のイダ山(カズ山)
ビザンチン帝国時代の競馬場(左)と共にコンスタンティノープルの街
28歳頃のメアリー・ウォートリー・モンタギュー夫人と4歳頃の長男エドワード(コンスタンティノープル 1717年頃)
オスマン帝国の衣服を着たメアリー・ウォートリー・モンタギュー夫人(1689-1762年)
ジョージアン フィリグリー ブローチ&ペンダント
ペルジャンターコイズ カンティーユ ブローチ
英国王室御用達 スミス&レート クロス・ペンダント
ジョージアン ガーネット トルコ石 ブローチ
『ワルシャワ・クロス』
『大切な想い人』
ジャルディネッティ ダイヤモンド リング
『南国の風』
『レッド・インパクト』
クラスターリング
マリア・フィッツハーバート(1756-1837年)32歳頃、1788年
プリンス・オブ・ウェールズ時代のジョージ4世(1762-1830年)36歳頃、1798年



『一輪挿しの薔薇』
ヴィネグレット
『南国の花々』
ロッククリスタルの至極のフォブシール
『パイナップル』
『PEACE』
英国王室所蔵品
『La Dame pourpre』
『REGARD&パイナップル』
『REGARD』
ヴィネグレット リング
宝島で発見された宝箱?
ロケット・ペンダント
梟のフォブシール
バスケット型フォブ
『勿忘草をくわえる鳩』








『LOVE』



ジャルディネッティ リング




ジョージアン オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド リング



ヴィクトリアン クラスター リング
イギリス 1860年頃


