No.00297 マーガレット |
"Herods Gate Jerusalem" ©Herwig Reidlinger(13 May 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
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『マーガレット』 天然真珠&ローズカット・ダイヤモンド ピアス イギリス 1880年頃 天然真珠、ローズカット・ダイヤモンド、エナメル、シルバー、15ctゴールド 直径1,2cm 重量 3.3g SOLD |
アンティークのハイジュエリーでは滅多に出てこない、小さくても極上の作りをした気品溢れるピアスです。モチーフはマーガレットで、高貴な雰囲気の美しい花でありながらも、花びらの枚数が多いために作る技術や手間の観点から通常はダイヤモンド・ジュエリーのデザインには使われない花です。コスト度外視で、トップクラスの職人に特別オーダーされたマーガレットのピアスはとても小さいのに立体造形も素晴らしく、細部や裏側に至るまで驚くほどこだわって作られています。花びら1枚1枚にセットされた24石の極小ローズカット・ダイヤモンドが放つ輝きも、キラキラと非常に印象的です。相当なお金をかけてありながらも成金ジュエリーとは正反対で、控えめで清楚な雰囲気ながら、見る者の心をとらえて離さない孤高の魅力を放つ宝物です。 |
この宝物のポイント
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1. 高貴な雰囲気のマーガレットのモチーフ
1-1. 珍しいマーガレット・モチーフのジュエリー
このピアスを初めて見た時、これまでのアンティークジュエリーでは見たことがないデザインのお花だったので、何のお花がモチーフなのか迷いました。 |
マーガレット |
作者やオーダーした人物に確認することができないので確定は不可能ですが、おそらくマーガレットだと思います。日本でもおなじみのお花ですね。 |
1-1-1. マーガレットという花
スペイン領のカナリア諸島 "Islas Canarias (real location) in Soain" ©TUBS(7 March 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | マーガレットはスペイン領のカナリア諸島が原産地で、17世紀末にヨーロッパに渡りました。 日本には明治時代末期に伝わり、大正時代から幅広く栽培されるようになりました。 |
『秋の景色』 赤銅高肉彫り象嵌 ブローチ 日本 19世紀後期 フレームはイギリス? 19世紀後期 SOLD |
マーガレットはキク科で、キク科の植物は元々日本でも長く愛されてきました。 菊は奈良時代末か平安時代初期に中国から伝わったとみられ、『古今和歌集』(905年奏上)の頃から盛んに歌にも詠まれるようになっています。 春の『桜』に対して、『菊』は日本の秋を象徴する花です。 |
美濃菊 "Chrysanthemum Doll and Flower Festival 06" ©Hide-sp(4 November 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
江戸時代、特に元禄期(17世紀末)以降は観賞用の菊の栽培が大人気となり、正徳(1711-1716年)頃からは『菊合わせ』と呼ばれる新花の品評がしばしば行われています。江戸、伊勢、京都、熊本など各地でそれぞれ独自の品種群、系統が生まれています。 『三段仕立て』などの仕立ての様式や、育て方なども発達し、菊花壇、菊人形など様々に仕立てられた菊が鑑賞されました。春の訪れと初夏に向けての期待を感じさせる桜とは対照的に、木々から葉が落ち、厳しい冬の訪れを想像させる秋の花『菊』は、本来少し物悲しさを感じさせる花ですが、こうなると華やかさしか感じませんね(笑) 今でも菊の栽培にはまり、情熱を燃やす人が少なからず存在しますが、これを見ると分かる気がします。丹精込めてお世話したお花がここまで大輪のお花を咲かせたら達成感や喜びも一入(ひとしお)でしょうからね〜。 |
野菊 "Aster yomena yomena02" ©Keisotyo(7 November 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
一方で、野に咲く野生の野菊も可憐で物悲しい雰囲気があります。日本人の美意識の琴線に触れるような、思わずハッとする美しさがあると感じます。 |
『秋の景色』 赤銅高肉彫り象嵌 ブローチ 日本 19世紀後期 フレームはイギリス? 19世紀後期 SOLD |
『秋の景色』に描かれているような、野菊の花が咲き、山葡萄の実りに小さな鳥たちが喜ぶ風景は、日本人が古くから愛でてきた美しい四季と言えるでしょう。 |
野菊 "Aster yomena yomena02" ©Keisotyo(7 November 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | マーガレット | 菊 |
そうは言っても野菊は自然の中で見つけるからこそ、印象ある美しさを感じるものです。鉢植えにして育てるのはあまりピンときません。かと言って品評会に出品するような観賞用の菊は華やか過ぎて、たまに見るには良いけれどいつもだと食傷気味という印象です。ゴチャゴチャした派手な装飾を好む民族が大多数なこの世界に於いて、繊細な美意識を持つ人の割合が世界一多い日本人にはマーガレットは普段鑑賞するのに向いています。だから既に種々の鑑賞菊が開発され、野菊もあった明治期の日本でもマーガレットは広く栽培されることになったのでしょう。 |
マーガレットのような、キク科ならではの高貴さと可憐な美しさを持つ花はまさに日本人好みと言えるのです。 しかしながらヨーロッパの上流階級が使っていたアンティークジュエリーでは、マーガレットのキク科の花のモチーフは意外と見た記憶がありません。 |
1-1-2. アンティークジュエリーで一般的な花の種類
1-1-2-1. 花びらが5枚の定番スタイル
1-1-2-2. バラ
『薔薇』 ピエトラドュラ(フローレンス・モザイク) ブローチ イタリア 1860年頃 SOLD |
『夢叶う青いバラとアクアマリン』 アクアマリン ゴールド ブローチ ヨーロッパ 1880年頃 SOLD |
具体的な花と言えば、バラはご説明するまでもないほど定番モチーフですね。 |
1-1-2-3. 勿忘草
『勿忘草をくわえる鳩』 鳩 ゴールド ブローチ イギリス 1830〜1840年頃 SOLD |
『FORGET ME NOT』 忘れな草 トルコ石 リング イギリス 1880年頃 SOLD |
勿忘草もヴィクトリアンに流行したお花モチーフの1つです。 |
1-1-2-4. スズラン
『A Lily of the Valley』 鈴蘭のブローチ ヨーロッパ 1880年頃 SOLD |
『Lily of the valley』 スズラン ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
スズランもヨーロッパでは愛の贈り物として、アンティークジュエリーの定番モチーフです。 |
1-1-2-5. パンジー
『幸せのパンジー』 パンジー エナメル ブローチ アメリカ 1900年頃 SOLD |
『ガーデン・パンジー』 エドワーディアン エセックス・クリスタル ペンダント イギリス 1900〜1910年頃 SOLD |
可愛らしいパンジーも1900年前後に流行しています。 |
1-1-2-6. アザミ
『アザミ』 アメジスト&シトリン ブローチ イギリス 1870年頃 SOLD |
『アザミ』 スコティッシュ・アゲート ブローチ イギリス 1870年頃 SOLD |
スコットランドを象徴するアザミも、イギリスのアンティークジュエリーでは定番の花の1つです。 |
1-1-2-7. ジャポニズム系の花
『アヤメ』 アールヌーヴォー プリカジュール・エナメル ブローチ フランス 1890〜1900年頃 SOLD |
『桜』 エナメル クラバットピン フランス 19世紀後期 SOLD |
日本美術が大きな影響を与えたアールヌーヴォーの頃には、アヤメや桜などのモチーフも見かけます。 |
1-1-2-8. その他
『フクシア』 カーブドアイボリー ブローチ フランス 1870年頃 SOLD |
『ライラック』 ローズカット・ダヤモンド ブローチ フランス 1870年頃 SOLD |
45年もアンティークジュエリーをお取り扱いしていると様々な花のモチーフがあるもので、フクシアやライラックのモチーフも稀に見かけることがあります。 |
ヨーロッパのアンティークジュエリーには、ありそうでないのがこのマーガレットのモチーフのジュエリーなのです。 |
1-2. 19世紀後期の王侯貴族らしい控えめのデザイン
1-2-1. マーガレットの持つ雰囲気
マーガレット | マーガレットはとても美しいお花ですが、華やかさが魅力のバラなどとは異なり、控えめな雰囲気と可憐さが魅力と言えます。 |
1-2-2. ミッドヴィクトリアンとレイトヴィクトリアンの違い
1-2-2-1. ファッションリーダー
アーリーヴィクトリアン〜ミッドヴィクトリアン | レイトヴィクトリアン |
ヴィクトリア女王 | アレクサンドラ皇太子妃 |
26歳頃のヴィクトリア女王と第一子ヴィクトリア(1845年頃) | 26歳頃のアレクサンドラ皇太子妃と第五子モード(1869-1870年頃) |
『ヴィクトリアン』という名称に誘導されて、ヴィクトリア時代は全てヴィクトリア女王がファッションなどの流行のリーダーだったようにイメージされがちですが、約64年もの長いヴィクトリア時代の中でファッションリーダーは遷移しています。最愛の夫アルバート王配が亡くなる1861年まではヴィクトリア女王、女王が喪に服す以降はアレクサンドラ皇太子技がファッションリーダーです。おおまかにはアーリーヴィクトリアンからミッドヴィクトリアンにかけてはヴィクトリア女王、レイトヴィクトリアンはアレクサンドラ皇太子妃と捉えておけば良いでしょう。 |
1-2-2-2. ヴィクトリア女王とアレクサンドラ皇太子妃の違い
『黄金の花畑を舞う蝶』 色とりどりの宝石と黄金のブローチ イギリス 1840年頃 SOLD |
『黄金の花畑を舞う蝶』は弱冠18歳の若くフレッシュな女王が即位したばかりの時代らしい、ロマンティックで可愛らしいデザインです。 アーリーヴィクトリアンらしいジュエリーと言えます。 ファッションリーダーとなる国のトップが新しいスタイルを作り出し、それを周囲の上流階級が取り入れることで『流行』となります。それが時間差で、最終的に庶民に降りてくることで大流行となります。 王侯貴族のためのハイジュエリーは、当時の流行の最先端や文化を非常に反映しているものです。 |
ヴィクトリア女王(1819-1901年)20歳 | 新しいスタイルはファッションリーダーが作り出すものです。それはすなわち、ファションリーダーには何が似合うか、どういうものが好みかということが重要となってきます。 ヴィクトリア女王は若い頃から肥満体質で、本人は非常に気していました。 ヴィクトリア女王は152cm程度の身長ながら、結婚前の10代で既に体重56kg、1880年代には76kgありました。さらに加齢による身長減少で145cm以下になったものの、体重は最大で125kgとも言われています。 若い頃の152cmで56kgは標準体重よりは重いですが、気にするほど太いとも思えないですけどね。 |
メルバーン子爵ウィリアム・ラム(1779-1848年)65歳頃 | でも、本人は気にして首相だったメルバーン子爵に相談したりもしていたようです。 メルバーン子爵は「ハノーファー家はもともと太りやすい体質なのです。」と若き女王を慰めたそうです。 健康を害するほど太っていたらダイエットをなさって下さいとでも言うかもしれませんが、気にするほど太っていません。 一目惚れしたイケメンのアルバートに少しでも綺麗だと思って欲しい、恋する乙女の"気にし過ぎ"への適切な助言ですね。 子爵は60代、ヴィクトリア女王は23歳以下の頃の話です。 |
イギリス女王ヴィクトリア(1819-1901年)21歳頃 | この純粋さ、健気さが夫アルバートにとっては何よりも可愛らしく思えたことでしょう。 42歳で亡くなる際も、ヴィクトリア女王に「私の可愛い小さな奥さん。」と声をかけたそうです。 ヴィクトリア女王は君主なんだから、「これが正義よ!」くらいにドーンと構えておけば良いのにと私は思うのですが、それでも気にするところが可愛らしく愛おしく感じてしまいます。 アルバート王配もそう思っていたのかもしれませんね。 |
オーストリア皇后エリーザベト(1837-1898年)1867年、29歳頃 | ヴィクトリア女王が美人だったりスタイルが良かったという話は聞きませんが、当時のヨーロッパの女性の"美の基準"はと言うと、オーストリア皇后エリーザベトが参考になります。 その美貌は当時のヨーロッパ宮廷一と言われ、身長は172cm、ウエストは51cmで体重は生涯43〜47kgを保つ脅威の体型だったそうです。 太れなくてこの細さだったのではなく、美貌と痩身であることに執念を燃やし過酷なダイエットや美容法を行なっていたそうなので、当時の女性にとっての美しい体型は細身の体型だったと推測できます。 |
同時代の美貌で評判の高かった王族女性たち | ||
フランス皇后ウジェニー | オーストリア皇后エリーザベト | イギリス皇太子妃アレクサンドラ |
1826-1920年 | 1837-1898年 | 1844-1925年 |
これは当時美貌で評判が高かった王族の女性たちです。フランス皇后ウジェニーはエリーザベトの噂を聞きつけ、ぜひ会いたいとプライベートで表敬訪問を申し出たほど気にしていたそうです。この時は実現しませんでしたが、後に対面する機会があり、美貌の皇后たちを一目見ようと集まった市民たちにはどちらも遜色ないほど美しいと映ったそうです。そして皇后ウジェニーからライバル視された皇后エリーザベトからライバル視されたのが、イギリス皇太子妃のアレクサンドラでした。 |
イギリス皇太子妃アレクサンドラ(1844-1925年)1880年代初期 | エリーザベトはアレクサンドラ妃と自身の美貌のどちらがより優れていたかを気にしていたそうです。 エリーザベト皇后は4人、アレクサンドラ妃は6人子供を産んでいます。 私は子供を産んだことはないので産後の体型維持がどれだけ難しいのか想像もつきませんが、アレクサンドラ妃のこのウエストは6人産んだ後とは思えない脅威的な細さですよね。 しかもアレクサンドラ妃は50代でも30代にしか見えず、アレクサンドラ妃は歳を取らないと言われるほど脅威的な美しさを保ち続けました。 |
ヴィクトリア女王 | アレクサンドラ皇太子妃 |
本人も気にするほど若い頃から肥満体質 | 評判の美貌と抜群のスタイルの持ち主 |
ヴィクトリア女王の喪服(1894年)75歳頃 | アレクサンドラ王妃(1903年)60歳頃 【引用】Britanica / Alexandra ©2021 Encyclopædia Britannica, Inc. |
そういうわけで、ヴィクトリア女王とアレクサンドラ妃は全く異なる体型をしており、似合うものも違いました。それがミッドヴィクトリアンまでと、レイトヴィクトリアン以降の流行のスタイルの違いに大きく影響しています。 |
1-2-2-3. ミッドヴィクトリアンとレイトヴィクトリアンの流行スタイルの違い
大流行した巨大なクリノリンのパロディー(イギリスの風刺雑誌 The Comic Almanack 1850年) | ||
ミッドヴィクトリアンはクリノリンを使ってスカートを膨らませるスタイルが大流行しました。ヴィクトリア女王は太めの体型ですが、そういう人がコルセットで締め上げてアレクサンドラ妃のようなウエストにするのは現実的ではありません。膨らませても見た目的に問題ない箇所にボリュームを持たせ、細く見せたい部分を相対的に細く見せるのが無理のないやり方です。 |
21歳頃のアレクサンドラ皇太子妃と第一子アルバート・ヴィクターと皇太子バーティ(1864-1865年頃) | 太めの体型の女性にはベストなスタイルですが、アレクサンドラ妃のような元々細身の女性にはあまり意味がないですね。 |
製造国:イギリス(ロンドン) 年代:1870〜1880年代 メゾン:王室御用達 Bradley社(1870年創業) 価格:お問合せください |
そういうわけで、アレクサンドラ妃がファッションリーダーになった19世紀後期にかけてはドレスもボリュームがなくなっていきました。 後ろ側にだけボリュームを持たせたこのS字スタイルのドレスも見た目は美しいですが、細身の女性にしか着こなせなさそうでなかなか過酷ですね。 |
娘ヴィクトリア王女と英国王太子妃アレクサンドラ(1880年代) | でも、着こなすと洗練された美しさやエレガントさがあります。 今は『モデル』という職業があります。美人でスタイルの良いモデルさんが美しく洋服を着こなしていると、同じものを着ても同じような美しさにはなれないと分かっていても欲しくなって女性は買ってしまうものです。だからこそ存在する職業ですね。 憧れの対象という存在は大事で、ファッションリーダーが美しく洋服を着こなしていたり、小物を使いこなしたり、ジュエリーを着けこなしていると皆が憧れ、真似をし、それが新しい流行となるのです。 それが経済を回し、庶民に至るまで広く人々を幸せにし、新しい文化も作り出すことになるのです。 |
1-2-3. 流行のドレスに伴うジュエリーの変化
1-2-3-1. 流行のドレスの変化
1-2-3-2. 流行のジュエリーの変化
【参考】ミッドヴィクトリアンの上流階級のハイジュエリー | ||
ヴィクトリア女王のオパール・ピアス(南オーストラリア美術館) 【引用】ABC News / Royal opals worn by Queen Victoria sent to Adelaide for SA Museum exhibition (24 September 2015, 5:57) | ハーフパール&エナメル フリンジ ピアス | ガーネット&フリンジ ピアス |
ボリュームがあって、生地もしっかりしたドレスに控えめなジュエリーは合いません。ミッドヴィクトリアンはボリュームのあるドレスに合わせて派手なジュエリーが流行しました。 ミッドヴィクトリアン・ジュエリーの特徴である、ド派手でゴチャゴチャした色使いや、強い虚栄心を感じさせる成金的な主張の強いデザインは一般的な日本人女性の感覚にはピンとこないと思います。Genや私にはこれらが良いと思えない上に、実際に日本人女性にも似合うとは思えないのでハイジュエリーでもお取り扱いしません。日本人は欧米人より一般的には顔が薄いですし、体格も立派ではないですしね。骨格はもちろん、日本人は体質的に欧米人ほど脂肪をつけて太ることもできません。なぜ日本人では200kgオーバーの話を聞いたりしないのか不思議に思ったことがあるのですが、日本人だとその前に糖尿病を発症して死んでしまうからだそうです。日本人には、欧米人ほど脂肪を溜め込む能力はありません。 |
イギリス国王ジョージ4世(1762-1830年) 左:18-20歳頃、右:59歳頃 | |
ちなみにメルバーン子爵に太りやすい家系と言われたハノーファー家、先々代のイギリス王で叔父ジョージ4世は暴飲暴食の限りを尽くした不摂生ぷりっから晩年は酷い肥満体になっています。1797年には体重が約111kg、1824年に作られたコルセットではウエスト約130cmに達し、1830年の亡くなる直前の67歳頃には体重は約130kgになっていたそうで、さすがに公的な場でも笑われていたそうです。二重アゴを隠せるのでネッククロス付きで襟の高い服を着たり、色の深い服の方が太さを強調しないのでそれまでの流行より一段と深い色の服を着たりするなどしており、こうやって時の君主によって流行スタイルが変わるのです。 |
【参考】ミッドヴィクトリアンの成金(庶民)のジュエリー | ||
ミッドヴィクトリアンは産業革命によって台頭してきた中産階級、つまり成金庶民がジュエリーを買い始めた時期でした。それまでジュエリーを着けたことも、持つこともなかった人たちなので、自分で着けたいものを考え出す力はありません。当然、憧れの対象である上流階級の人たちをお手本として真似ることになります。故に、ミッドヴィクトリアンは庶民の安物ジュエリーも派手な見た目のジュエリーが流行ります。 |
【参考】ミッドヴィクトリアンの成金用ゴールド・ブレスレット | だから成金庶民用のジュエリーも当然、ボリュームのある洋服に合わせて派手はジュエリーが作られたわけです。 しかしながら所詮は庶民用のものなので、一見高そうに見えたとしても、分かる人には明らかに成金向けの安物であることが分かります。 |
美意識が行き届いておらず、とりあえず高そうに見えることだけを重視するので、目立つ箇所は派手でも見えない裏側の作りは適当で安っぽいです。 |
所詮は庶民で、貴族階級ほど潤沢な資産もないので、見える部分であっても平気で材料や細工する加工費をケチったりします。 |
【参考】王侯貴族用のハイジュエリー | 【参考】成金庶民向けのハイジュエリー | 作りや材料へのお金のかけ方はまるで違いますが、ミッドヴィクトリアンは王侯貴族用のハイジュエリー、庶民向けのハイジュエリー共にデザインはゴチャゴチャした成金的で派手なものが流行しました。 |
レイトヴィクトリアンのジュエリー | |||
王侯貴族のハイジュエリー | 成金庶民のハイジュエリー | 庶民用の中級品 | 庶民用の安物 |
『黄金の雫』 アクアマリン・ピアス イギリス 1900年頃 SOLD |
【参考】ガーネット・ピアス | 【参考】ガーネット・ピアス | 【参考】18ctゴールド・ピアス |
これはカテゴリーとしては全て"レイトヴィクトリアンのアンティークジュエリー"です。 全て価値は同じに見える人もいるでしょうし、当時の上流階級や私たちのように明らかな違いを感じられる人もいるでしょう。 |
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王侯貴族のハイジュエリーは控えめな雰囲気のデザインながら、明らかに宝石は上質ですし、作りは特に手間がかけられた上質なものです。高度な技術と手間をかけなければ醸し出すことのできない、格調の高さや高級感がしっかりと伝わってきます。 |
1-2-4. レイトヴィクトリアンの王侯貴族ならではのピアス
このピアスはいかにもレイトヴィクトリアンの王侯貴族のためのハイジュエリーらしい、小ぶりならもデザインと作り、宝石の質にこだわり抜かれた素晴らしい宝物です。 |
1-2-4-1. 一般的に欧米人に好まれるピアスの傾向
イギリス王妃アデレード・オブ・サクス=マイニンゲン(1792-1849年)39歳頃、1831年頃 | 欧米人にとって、顔に一番近い所に着けるピアスはジュエリーの中でも特に重要視され、ピアスに一番お金をかける人も非常に多いと言われています。 欧米人のしっかりとした顔立ちに負けぬ様、大振りだったり個性があるものが多いのも特徴です。 現代でもピアスをメインに、あるいはピアスだけしかつけないコーディネートをする欧米人は多いです。 |
そういうわけで日本人好みの小ぶりで上質なハイクラスのピアスはそもそも作られた数自体が少なく、ご要望は多いもののご紹介できる機会は少ないです。 |
1-2-4-2. 安物が大半を占める小ぶりのアンティーク・ピアス
日本人好みの小ぶりなピアスは、ヨーロッパのアンティクジュエリーの場合、庶民向けの安物が大半です。 大きなピアスを着けたくても、お金がなくて大振りのものが買えない、でもジュエリーは着けたい人向けに作られているからです。 |
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【参考】中産階級向けの安物ピアス |
【参考】ベルエポックの安物18Kゴールド・ピアス | 【参考】14Kゴールドピアス(アメリカ? 20世紀初期) |
そういうものは材料も本当に高価なものは使いませんし(※庶民にとって高価なイメージだけはあるもの)、手間をかけられた作りもしていません。驚くほど雑なものもあったりします。 |
【参考】1880年頃のフランス製18ctゴールドピアス? | 【参考】10Kのアンティーク・ピアス |
【参考】ベルエポック・天然真珠&ダイヤモンドピアス | デザインも使い回しの似たものだらけです。 正直、安物の場合は本当にアンティークなのかどうか正確には判断ができません。 |
【参考】1890年頃のフランス製として販売されていたリプロダクションの可能性が高いピアス | アンティークの安物は、現代の職人でも可能なレベルの作りしかしていないからです。 でも、これは高い確率でリプロダクションです。 海外の業者によって販売済みのものですが、ダイヤモンドのカットが新しく、どう考えても1890年頃ではありません。 現代人好みのアンティークジュエリーは人気があり、高く売れるため、現代人好みにデザインして販売する業者も後を絶ちません。 これはリプロでも手抜きが酷いのでダイヤモンドで判別できますが、古いカットを施して販売するダイヤモンド・ルースの卸業者もいます。それを使ったリプロだと、ダイヤモンドのカットでは判断が困難となります。 |
安物や悪意のあるジュエリーを着けるくらいだったら何も着けない方が良いですし、どうしても着けたいならば現代ジュエリーを新品で買う方がまだマシだと思っています。その価値に見合わないほど、異常に高いですが・・(笑) |
1-2-4-3. 日本人好みの上質なアンティークのピアス
レイトヴィクトリアンのアレクサンドラ皇太子妃 | |
正装 | 日常着 |
イギリス王妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844−1925年)1902年頃、58歳頃 "1902 alexandra coronationhr" ©Franzy89(9 August 1902)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
イギリス王妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844−1925年)1904年、60歳頃 【引用】Britanica / Alexandra ©2021 Encyclopædia Britannica, Inc. |
昔の上流階級の女性たちはいつでもドレスに華やかなジュエリーで着飾って社交を楽しんでいたイメージを持っていらっしゃる方もたまにいますが、そうではありません。上流階級ならではの華やかな場で過ごすこともありますが、普段は日常着を着て、ジュエリーもそれに合うものを着けています。 |
『Rainbow World』 オパール ネグリジェ・ネックレス イギリス 1890年頃 SOLD |
アレクサンドラ皇太子妃 | 『Bewitched』 ウィッチズハート ペンダント&ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
アレクサンドラ妃がファッションリーダーとなったレイトヴィクトリアンの、王侯貴族の普段着用のジュエリーは日本人にとって普段であったり、少しオシャレしたい時にコーディネートしやすいものが多いのです。 |
『キラキラ・クロス』 天然真珠 バーブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
デザイン的にも日本人好みだったり、日本人に似合うものが多いだけでなく、間違いなく上質です。 ただ、ジュエリーが王侯貴族のためだけのものだったジョージアンくらいまでと違って、この時代は庶民向けの安物が市場では大半で、小ぶりで上質なものは滅多にありません。 |
アンティークジュエリーというジャンルがヨーロッパでも黎明期だった時代から市場を見てきたGen曰く、めっきりと減ったのが小さくても上質な作りとデザインの優れたジュエリーだそうです。 |
私には高いジュエリーしか扱いたくないなんて思想は全くなく、それほど高くなくても日常で楽しく使っていただける上質なアンティークジュエリーはぜひともお取り扱いしたいジャンルの1つです。 それこそ、王侯貴族のためのアンティークのハイジュエリーにしかない魅力を持っているからです。 |
特にピアスは欧米で最も人気の高いアイテムであり、一度手に入れたら手放すことも滅多にないので、良いものは特に市場に出てくること自体が少ないのです。 |
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『美意識の極み』 天然真珠&ダイヤモンド ピアス イギリス 1870年頃 SOLD |
このピアスはようやく手に入れた、ヘリテイジが自信を持ってご紹介できる、小さくて驚くほど上質なピアスです!♪ |
1-3. アーツ&クラフツらしいリアルな表現
このピアスで表現されたマーガレットは、アーツ&クラフツらしいリアルな表現になっています。花びらの先端に注目すると、単純な形状ではなくどれもハート型のように内側に向けて切れ込みが入っています。 |
マーガレット |
マーガレット | 実際、マーガレットの花びらはギザギザの形状になっています。 |
花びらはそれぞれ12枚あります。 安物として作られた場合は、こんな手間や技術のかかることは絶対にやりません。 |
お花のダイヤモンド ピアス イギリス 1880年頃 SOLD |
このピアスならばまだ分かります。 上質で大きめのダイヤモンドが使われており、明らかに高級品として作られています。 花びらも半分の6枚ずつで、今回のマーガレットの花びらより大きさもあるので技術も手間ももう少しかけずにできます。 |
お花のダイヤモンド ブローチ フランス 1880年頃 SOLD |
これだと同じく花びらは12枚ですが、ブローチなのでピアスよりは大きさがありますし、天然真珠や豪華なダイヤモンドの使い方からも明らかに高級として作られていることが分かるので、花びらのフレームの形状にこだわることは違和感がありません。 ピアスは2つ必要なことに対し、ブローチは1つ作れば良いので手間も半分で済みます。 |
派手なダイヤモンドを使っているわけでもなく、小ぶりなデザインなのに明らかに高度な技術と手間をかけてリアルなマーガレットの花びらを表現しているのは、この宝物が明らかに特別にオーダーされたことを示しています。 |
お花全体で見た時も、実際に花びらが開いているように立体的に作られており、並々ならぬこだわりと技術や手間のかけ方が伝わってきます。 |
小さくてここまでこだわって作られたジュエリーは当時でも例外的な存在であり、よほど美意識が高く、潤沢な財力もあった人物のものであったことに間違いないのです。 |
1-4. 高貴な雰囲気の花
このピアスを見て、Genが「菊の御紋みたい。」と言っていました。 |
靖国神社の門 |
ヘリテイジのマスコット犬、トイプードルの小元太のトリミングは靖国神社の近くにあるお店にお願いしているのですが、そこに寄った帰りに靖国神社の扉を見たらまさにピアスみたいな菊の御門の装飾がありました。 |
靖国神社の門の扉 |
透かし細工になっていて、雰囲気も何となく似ているような・・。 |
菊花紋章を皇室の紋章と定める皇室儀制令12条(1926年:大正15年10月21日付『官報』より) "Imperial seals of Japan (aArticle 12)" ©日本政府・内閣(21 October 1926)/Adapted/CC BY 4.0 | 『十六葉八重表菊』が公式に皇室の紋とされたのは1869(明治2)年のことですが、古くは鎌倉時代、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用していたそうです。 |
様々な菊花紋章 【引用】『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』菊花紋章 2021年3月19日(金) 11:13 UTC |
菊花紋章は皇室に限らず古くから公家や武家の家紋、店舗の商標などとして豊富な種類が図案化され、変種も多々存在します。菊の花独特の高貴な雰囲気が好まれたことは間違いないでしょう。 |
イシュタル門に続く行列大通りに装飾されたメソポタミア・ライオンとロゼット紋様(新バビロニア 紀元前575年頃) "Berlin - Pergamon - Porta d'Ishtar - Lleons" ©Josep Renalias(11:42, 18 January 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
この菊のような紋様を美しいと感じるのは日本人だけではありませんでした。 ヨーロッパの装飾紋様学では『ロゼット』と呼ばれています。 古代に北メソポタミア平原を占めたアッシリアで生まれたと考えられています。 ロゼットはこの地域で愛と戦の神として崇敬されたイナンナ神を象徴しました。 それがエジプト、ギリシャ、ローマなどにも伝わり、様々な建築や陶器などの装飾に取り入れられるようになりました。 |
ヘロデ門の紋章 | |
エルサレム旧市街のヘロデ門(建築年不明) "Herods Gate Jerusalem" ©Herwig Reidlinger(13 May 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
"Herods Gate Jerusalem" ©Herwig Reidlinger(13 May 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
イスラエルにあるエルサレム旧市街のヘロデ門の紋章にも、由来は不明ながらロゼット紋様があります。 |
ムガール帝国(1526-1858年) | |
ムガール帝国の国章 "Imperial Seal of the Mughal Empire" ©TRAJAN 117(16 February 2015)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ロゼットはムガール帝国の国章でもありました。 パキスタンのタッタ遺跡などでも、菊の御紋のようなこの紋章を見ることができます。 |
マーガレットのような形が人類共通で、しかも身分の高い人々に古くから好まれてきたのは間違いありません。 花びらの少ないお花が放つ可愛らしさや、花びらをたくさん持つお花の豪華絢爛さとは違い、細長い花びらがシンプルに取り巻いただけのお花には気品があり、独特の高貴さを放つからに違いありません。 |
2. 小さいのに驚くほど作りの良いピアス
2-2. こだわり抜かれた花びらの表現
マーガレットのようなロゼット紋様は古代から存在するオーソドックスな紋様であり、しかも高貴な美しさを放つデザインです。だから様々なジュエリーのモチーフになっていてもおかしくありません。むしろない方が異常です。 |
しかしながらこのようなデザインのジュエリーが作られてこなかったのは、細工の手間とダイヤモンドの大きさという2つの観点から理由付けができます。 |
2-2-1. 細工の手間
『ヒナゲシ』 プチ ダイヤモンド ネックレス イギリス 1920年頃 SOLD |
お花のダイヤモンド ピアス イギリス 1880年頃 SOLD |
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実際、ジュエリーにした場合もそのような印象があります。『ヒナゲシ』は意味があってこのデザインになっていますが、通常ヨーロッパの上流階級の女性は大人っぽいデザインを好む傾向があります。現代のヨーロッパの一般女性もそうですね。これにはきちんと理由があります。 |
社交界デビューのセレモニーを待つ若い王侯貴族の女性たち(イギリス 19世紀) |
上流階級の女性は社交界デビューに年齢制限などがない男性と違って16歳前後、せいぜい20歳くらいまでにデビューします。ただし20歳までには絶対にデビューさせるかと言うと、そうではありません。デビューの判断は年齢ではなく必要な教養やマナー、プロトコルを身につけているかどうかです。 大陸貴族の場合、兄弟全員が爵位や財産を継げます。このルールだと、世代がくだるごとにネズミ算式に人数が増え、財産も分散してしまいます。一方で断絶はしにくいです。 |
フランスはそれだけでなく、革命直前は宮廷の財政難に伴い金で爵位を乱発したため、貴族(第二身分)が40万人にまで増殖し、第三身分である平民2,600万人では到底支えきれなくなって革命へとつながったわけですが・・。 貴族が40万人だなんて、全く希少価値がありませんね。この頃には"貧乏人に毛が生えた程度"と言われるような貴族も当たり前のように存在していました。 ちなみに第一身分である聖職者は14万人もいたそうです。 イギリスでは1880年時点でも爵位貴族は僅か580人、准男爵も856人しかいませんでした。 |
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アンシャンレジームを風刺した絵(1789年) |
『アンズリー家の伯爵紋章』 ジョージアン レッドジャスパー フォブシール イギリス 19世紀初期 ¥1,230,000-(税込10%) |
同じ1880年だと、ドイツでは推定2万人の貴族がいました。ロシアでは1858年の時点で60万人もいたそうです。 18世紀末のイギリスの爵位貴族は270家、1800年のブリテン諸島の人口は1,600万人程度と推定されており、それで計算して比較すると以下になります。 【イギリスの爵位貴族】 【革命前のフランス貴族】 1,000倍近くも差があります。 だからイギリス貴族はヨーロッパでも別格の扱いとなるわけですし、独占された富と権力も半端なかったわけです。 |
サザーランド伯爵の邸宅ダンロビン城 "Dunrobin Castle -Sutherland -Scotland-26May2008(2)" ©jack_spellingbacon, Snowmanradio(30 November 2009, 15:38)/Adapted/CC BY 2.0 |
5つある爵位では3番目となる伯爵家ですら、これだけの城が邸宅です。ただし、一人にしか相続されないイギリス貴族は長期にわたって家を存続させるのが大変困難です。1999年時点でイギリス上院には世襲貴族家は750家存在していましたが、その大半は20世紀中に爵位を受けた新興貴族です。中世から貴族だった家で、現存する家は数えるほどしか存在しません。 『アンズリー家の伯爵紋章』の持ち主であったマウントノリス伯爵家も、最後の持ち主ジョージ・アンズリーの代で断絶しています。 |
デヴォン伯爵のコロネット "Coronet EarlOfDevon PowderhamCastle" ©Lobsterthermidor(2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
イギリス貴族はそれぞれの領地を治める領主であり、小国の王に等しい存在です。だから治世する能力も必要です。 |
エリザベス女王の戴冠式(1953年) "Coronation of Queen Elizabeth II Couronnement de la Reine Elizabeth II " ©BiblioArchives / LibraryArchives from Canada(2 June 1953)/Adapted/CC BY 2.0 | また、治める領地の代表として国の政治にも参加するため、外交能力や政治力も必要となります。 ベルサイユ宮殿や舞踏会でキャッキャうふふと浮ついているのが貴族というイメージの方もたまにいらっしゃるのですが、イギリス貴族の場合は過労死した人もいるほど多忙です。 一般的には女癖などの素行不良にフォーカスされることが多いバーティ(イギリス国王エドワード7世)も、過労死したようなものですしね。 |
優雅な舞踏会の様子(イギリス 1850年前半〜半ば頃) |
社交の場で適した結婚相手を探すことは、王侯貴族にとって至上命題でもありました。女性には家を存続させるために健康な子供をたくさん産めること、子供に相応しい教育を施せるようあらゆることに秀でた教養を身につけていること。また、なるべく能力値の高く、人格的にも優れた子供が生まれるよう、女性自身も遺伝的にそのような性質を持っていることも重要でした。子供が成長した後、より社交界でモテるために見た目が麗しいことも望ましいです。 おバカさんが生まれても、その影響が本人や家族程度で済めば許されるでしょうけれど、領民など全てに責任がある貴族には絶対に優れた子孫を作る必要があったのです。貴族の家に生まれたらノブレスオブリージュ(持つ者の責任)を果たしてもらわなければなりません。結局それが本人だけでなく、領民まで全ての幸せにつながるのです。 社交界とはそれだけ真剣な場所なので、例え年齢が上がってしまったとしても"絶対に"家の恥にならぬよう、教養やマナーが十分ではないと判断すればデビューはさせません。ちなみに女性は社交のシーズンも3回目を迎えると『売れ残り』とみられるそうです。「楽し〜い♪」と無邪気に遊べる場所ではないのです。 「あたし若いの〜♪」、「カワイイでしょ〜♪」、「おバカさんなの〜♪」、「テンネンなの〜♪」という、日本でモテそうなタイプはヨーロッパの社交界では遊び相手にこそなっても、子をなすための結婚相手として選ぶ対象にはなり得ません。 欧米人の女性への「カワイイ」は褒め言葉ではないと言われます。日本では童顔や幼さを好む男性が多いためか、女性も可愛らしさを目指したり、若さ(幼さ)を追う女性の割合が高いです。 一方で、欧米では王侯貴族の時代の影響からか、10代の頃から大人っぽくありたい、知的でありたいと思う女性が多いです。老化に対して抗うことはあっても、幼さを感じるまでの若さは目指しません。"カワイイ"を好む人も一部にはいるはずですが、一般的に欧米の女性たちが大人っぽい美しさを目指すのはそのような美の基準が根底にあるからです。 |
だから当時の貴族の女性であれば、間違いなく花びらが多い大人っぽいデザインを好んだはずです。 しかしながら今回の宝物のようなジュエリーが殆ど作られなかったのは、細工に高度な技術が必要なことと、手間がかかり過ぎるからです。 |
『真珠の花』 エトルスカン・スタイル ブローチ イギリス 1870〜1880年頃 SOLD |
『真珠の花』も、意外とありそうでない例外的なものでした。 普通だと、もっと大きな天然真珠を使って4〜7枚程度の花びらで作ろうとします。 花びらが増えるほどに、作らなければならないフレームの数が増えます。 また、1つ1つのフレームが細くなるので加工の難易度も増します。 |
細い花びら12枚のフレームを美しい形に整えるだけでも手間です。花びら先端には切れ込みが入れられています。この先端部分はよく磨き上げられており、正面から見ると本物のお花のように少しだけ内側に沿った形状のように見えます。 |
これは実際にそういう立体的な形状でフレームが作られているからそう見えます。不自然さを感じない、とても緩やかな立体形状です。気づかない人はその気遣いに気づくことはありませんが、間違いなくこの形状で作るかどうかで印象が変わります。やりすぎては不自然、やらないと感情を動かすような美しさは出ません。この立体デザインを作り出すには、高い技術のみならず卓越したセンスを必要します。 |
外周の黒エナメルのフレームより、花びらの先端が一段高い部分に来るよう造形してあります。 |
お花の内側は奥に入っており、非常に立体的に作られています。 2次元で表現する画像だと立体感が分かりにくいので、実物をご覧になると立体感とその美しさに驚かれると思います。 この宝物の持ち主は、間違いなく当時のトップクラスの才能ある職人にオーダーしています。 本当に贅沢なことだと感じます。 |
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本当に小さなピアスなのに、これだけ拡大しても驚くほどキリッとした、完璧と言える素晴らしい作りです。 花びら1枚1枚のフレームの先端にローズカット・ダイヤモンドがセットされていますが、その内側にはグレインワークが施されています。 |
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ダイヤモンドを留めた爪と、グレインワークが花びらの内側に向かって連なっていくようなデザインになっています。 これだけ狭い隙間だと、普通の職人では細工を施すことすら不可能です。 サイズはきちんとグラデーションになっており、しかも爪やグレインワークの頭の部分はヤスリで磨き上げられてピカピカです。 |
フレームの隙間が花びらの内側まで埋められているため、スッキリとしたデザインながらも寂しくならず、簡素すぎて安っぽくなることも避けることができています。 ただしこれは明らかに神技の職人にしかできない細工です。 恐ろしく高度で、手間もかかる作業だったとは思いますが、この職人にしかできない素晴らしい宝物を作らせてもらうことができて、職人自身も楽しかったし嬉しかったに違いありません♪ |
1つ作るだけでも精神疲労が激しい作品ですが、ピアスなので2つ同じものを作る必要がありました。 職人のこの驚異的な忍耐力にも感動です!! |
2-2-2. ダイヤモンドの大きさ
このピアスには小さいながらも上質なローズカットが24石セットされています。それがキラキラと繊細に煌めく様子はとても清楚で、印象的な美しさがあります。 |
【参考】14Kホワイトゴールドのパヴェ・リング(現代) | 現代ジュエリーに洗脳されている多くの現代人は、ダイヤモンドの大きさしか気にしないことが殆どで、小さなメレダイヤの質なんて気にもしません。 カットも同じですし、様々な処理を施して見た目も均質化するため、そもそもダイヤモンドの質なんて全て同じくらいに思っている人が本当に多いように感じます。 |
【参考】ダイヤモンド・ブローチ(現代) | それこそダイヤであれば何でも良い、大きな石がついてさえ入れば高級品と思っている人たちです。 だからメレダイヤに使われるダイヤモンドは往々にして低品質の石が使われる傾向にあります。 だから高級ブランドのものであっても、高いジュエリーだったとしても、いまいち輝きが弱いです。 ブリリアンカット自体が輝きが弱いのですが、石自体の質が良くないのも原因の1つなのです。 |
【参考】ローズカット・ダイヤモンドのアンティーク?の安物ブローチ | アンティークジュエリーの場合は安物か高級品なのかで、ローズカット・ダイヤモンドの質が全く異なります。 当然ながら輝きも全く異なります。 アンティークジュエリーの一般市場に出回っている、ミッドヴィクトリアン以降のアンティークジュエリーの殆どは安物です。 だからルネサンスやヘリテイジがご紹介した本物の高級アンティークジュエリーをご覧になったことがない方は、アンティークのダイヤモンドは汚かったり輝きが弱いという誤った印象を持っていることが本当に多いです。 キツイ言い方を回避せず言うならば、安物店で安物しか見たことがないだけです。 |
【参考】以前に委託販売をお断りしたジャンクの問題箇所の拡大 |
安物はダイヤモンド自体の質が悪い上に、作る職人の腕も悪いのでハンドメイドと言えども100年以上の使用には耐えられません。安物は大切にはされなかったり、適切な扱い方をされないことも多く、壊れて修理された箇所も悪意を感じるほど酷いものだったりします。これはメチャクチャですね。質の悪い石が落ち、石が紛失した箇所は適当な石を入れてあるので石の質もバラバラです。接着剤で留めた箇所は当然輝くわけもありません。 |
最高級品として作られたアンティクジュエリーの場合、小さなローズカットダイヤモンドでも最上級の石が使われます。 クリアで質が良い上に、カットも丁寧にファセットを整えて仕上げられるため、小さくても驚くほどよく輝くのです。 |
『アルテミスの月光』 ムーンストーン メアンダー ネックレス&ティアラ イギリス 1910年頃 SOLD |
しかしながら一定以上小さくなると、着用者の周りの人たちにはダイヤモンドが見えなくなり、存在には気づかなくなります。 『アルテミスの月光』の場合、ムーンストーン上下のローズカット・ダイヤモンドは肉眼でも存在が分かりますが、両側に4つずつライン状に配置されたローズカット・ダイヤモンドはその存在に気づく方は殆どいないでしょう。 |
それなのに、高い技術と手間をかけてなぜ極小の上質なローズカット・ダイヤモンドをセットしているのでしょうか。 それは間違いなくそれだけの価値があるからです。 ダイヤモンドを視認することはできなくても、上質なローズカット・ダイヤモンドから時折放たれる強い閃光は間違いなく見えます。 |
何もないと思っていた箇所から、突然鋭く繊細な輝きが放たれたらどう感じますか? 驚きと感動がやってくるはずです。 |
このピアスの極小ローズカット・ダイヤモンドもそれが狙いなのです。 花びらの先から放たれる一瞬の繊細な輝きは、この可憐で高貴な雰囲気のお花にまさにピッタリです。 |
そうは言ってもこれはハイエンドの楽しみ方であって、並みの上流階級はそこまでできません。 |
ローズカット・ダイヤモンド トレンブラン ブローチ イギリス 1820年頃 SOLD |
ダイヤモンド トレンブラン ブローチ イギリス 1870〜1880年頃 SOLD |
通常のダイヤモンドを使ったジュエリーは、ダイヤモンドをふんだんに感じられるデザインで作られます。方向性としては大きなダイヤモンド1石で花びら1枚にするか、小さなダイヤモンドで花びら1枚を埋め尽くす方法です。後者はある程度大きさがあるブローチでは可能ですが、小さなピアスだと加工の難易度という観点からも現実的ではありません。 |
お花のダイヤモンド ピアス イギリス 1880年頃 SOLD |
前者がダイヤモンドで高級感あるお花のピアスを作るには適しています。 ダイヤモンドは大きければ大きいほど、分かりやすく高そうに見えます。 実際、クリーンで大きさのあるダイヤモンドを使おうとすれば材料費が跳ね上がるのでこのピアスもかなりの高級品です。 |
このようなデザインのピアスだと、ダイヤモンドという観点では高そうに見えないのに、実際はトップクラスの職人の技術料や加工賃として、知らない人が聞くと仰天するほどお金がかかっているのです。 普通クラスの上流階級では、このような宝物にお金は出せないのです。 |
お花のダイヤモンド ピアス イギリス 1880年頃 SOLD |
だから今回のマーガレットのピアスの持ち主は、左のような豪華なジュエリーをいくつも持っていて、しかも誰もがその人は特別身分が高くてお金持ちであることを分かっているような、かなり身分の高い、当時有名な女性だったのではないかと推測します。 |
2-2. 白く上品な上質の天然真珠
2-2-1. 天然真珠を使っている理由
マーガレットは花びらは白色、花芯は黄色ですが、このピアスでは花芯に白い天然真珠を使っています。 実はこれにも理由があります。 |
ロータス・ティアラを着用したマーガレット王女(1930-2002年)1965年、34歳 | 『マーガレット(Margaret)』は英語圏ではメジャーな女性の名前の1つです。 エリザベス女王の妹の名前もマーガレット王女でした。 この名前はフランス語のMargueriteやラテン語のMargarita、ギリシャ語のMargaritesから派生したもので、これらは古代ペルシャ語で真珠を意味するmargaritaから来ています。 このペルシャ語はサンスクリット語で『真珠』や『花の群生』を意味するmanjariと同族の言葉とみられています。 真珠という意味もあるとなると、まさに高貴な女性にはピッタリの名前と言えますね。 |
この宝物を持つような女性は、間違いなく教養が高いはずです。 『マーガレット』に『真珠』という意味が秘められていたことは知っていたでしょう。 しかもこの宝物のこだわり具合からすると、持ち主の名前もマーガレットだったのかなと思います。 |
2-2-2. 的確な天然真珠選び
このピアスには使われている天然真珠は、小さいながらも白く上質であることもポイントです。外周のブラック・エナメルと、天然真珠ならではの清らかで優しい白い輝きのコントラストがとても印象的です。 |
高さもあって、全体の立体感のバランスが美しいです。 |
『ミラーボール』 魅惑のローズカット・ダイヤモンド ピアス ヨーロッパ 1860〜1870年頃 SOLD |
最高級素材は時代によって変わります。 だから現代のイメージでアンティークジュエリーの価値を判断すると大間違いを犯します。 1860年代の最高級ピアスはどのようなものかと言えば、『ミラーボール』のようにダイヤモンドを贅沢に使ったジュエリーです。 |
ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移 【出典】2017年の鉱山資源局の資料 |
なぜならば1860年代はそれまで世界最大のダイヤモンド供給地だったブラジル鉱山が急激に枯渇し、ダイヤモンドの稀少価値が跳ね上がったからです。しかしながら1869年頃から始まった南アフリカのダイヤモンドラッシュによってダイヤモンドの稀少価値は徐々に低下し始め、相対的に天然真珠の価値が上昇し始めました。 |
ロシア大公妃アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ(1870-1891年)1890年頃 | イギリス王妃アレクサンドラと娘ヴィクトリア王女(20世紀初期) | |
19世紀後期から20世紀初期にかけては、史上最高に天然真珠の価値が高かった時代が到来しています。この頃の王侯貴族の富と権力の象徴は、当然ダイヤモンドではなく天然真珠です。 |
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小さなピアスなので天然真珠自体も大きくはありませんが、色や照り艶が美しい、マーガレットの雰囲気によく合うものが選ばれています。 |
「大きいいことだけが価値」と、短絡的な考え方をする無知で美意識のカケラもない成金ならば、きっと大きな天然真珠を選んでいたでしょう。 |
大小の養殖真珠リング | |
成金がジュエリーを着ける目的は、自身の承認欲求を満たすためです。周りから褒められたい!羨ましがられたい!! でも、自身の能力や魅力では褒めてもらえないから、代わりとして高そうなジュエリーを着けることで褒めてもらおうとするのです。 品質を見極める目もないほど美的感覚がない人達は、どうしても価値基準が石コロの大きさだけになってしまいます。大きさだけで勝負しようとするので、成金ジュエリーはどうしてもハリボテ的に巨大なものとなりがちなのです。 |
このような高そうには見えないけれど明らかに上質なものは、他人から褒めてもらう必要がない人だけが着けることのできるジュエリーです。 自分に自信があり、自分が心から美しいと思えるもの、本当に好きなものを着けられる女性です。 |
そういう、自分に自信がある女性は美しく見えるものです。 きっとこのピアスは"存在自体が美しい"女性が身に着けていたものだと確信しています♪ |
2-3. ブラック・エナメルによる透かしのデザイン
このピアスは透かしにして、ブラック・エナメルによる円形のフレームをデザインしているのが気が利いています。 何色にも侵されることのない、孤高のブラックには強い魅力があります。 |
『ローズカットの閃光』 ローズカット・ダイヤモンド リング フランス? 1870年 SOLD |
黒はアンティークジュエリーだと喪にしか使われないと思う方もいらっしゃるのですが、ヘリテイジが扱う特別な人たちのためのジュエリーには"ファッションの黒"として、気の利いたブラックの使い方をしたハイジュエリーも各時代でたまに見ることがあります。 現代でもファッションの中では"無難な色"として扱われる一方で、本当に素敵に使いこなすのが特別難しい、"人を選ぶ色"としても有名ですよね。 |
でも、使いこなすとまさに別格と言える、孤高の美しさを感じさせる色です。黒の分量が多すぎても喪のジュエリーのようになってしまったり、重たい印象になってしまっていたことでしょう。艶のあるエナメルならではの軽やかで生き生きとした透かしの縁取りが、キラキラと可憐に輝くマーガレットを見事に惹き立てています。 |
2-4. 裏側の美しい細工
ブラック・エナメルのフレームは全てゴールドの作りで、しっかりと厚みがあります。 |
マーガレットは正面がシルバーで、ゴールドバックです。厚みがある作りで、小さなローズカット・ダイヤモンドの裏側は驚くほど綺麗に窓が開けてあります。さらには曲率のある花びら1枚1枚に合わせて彫金まで施し、丁寧に磨き上げられています。 もっと古い時代だと、お花のハイジュエリーには裏側に彫金が施してあるものですが、この年代だとハイジュエリーであっても彫金はないことも多いです。このピアスを初めて見た時、肉眼では極小ローズカット・ダイヤモンドやグレインワークなどの細部の詳細ははっきりと分かりませんでしたが、この裏側の素晴らしい作りを見て、間違いなく特別に作られたハイクラスのジュエリーだと判断して買い付けました。 |
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これだけ小さくて、これだけ手間をかけたジュエリーは作られた絶対数が少ないので市場でも滅多に見ることがなく、奇跡のような巡り会いです。それだけに感動しました。 |
着用イメージ
通常のアンティークのピアスより小ぶりです。 ダイヤモンドも清楚で気品ある輝き方なので、日常でもお使いいただきやすそうです。 私はこの仕事のためにピアス穴を開けたので、ビビりなこともあって、重いピアスに対応できるよう耳たぶのど真ん中に穴がありますが、端に開けている方はもう少し揺れ感が出る位置にマーガレットが来ると思います。 お花の可愛らしいピアスはあっても、大人っぽい清楚で気品のあるお花のピアスは滅多にないので、そういう雰囲気がお好きな方には絶対にオススメの宝物です♪ |