No.00316 Étoiles brillante |
『Étoiles brillante』-輝く星々- 小ぶりなピアスに対して、存在感のある天然真珠は極めて質が良く、フランスらしいお星さまのデザインもセンス抜群です。 |
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この宝物のポイント
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1. ベルエポックのフランスで作られた高級品
この小さなピアスは、ベルエポックのフランスで作られたものです。 |
時代ごとの流行や文化を反映した王侯貴族のハイジュエリー | ||
最高級の南国フルーツ | 啓蒙主義 | アーツ&クラフツ |
『パイナップル』 シトリン フォブシール イギリス 1820年頃 SOLD |
『黄金の叡智』 モス・アゲート ブローチ イギリス 1820年頃 SOLD |
『Tweet Basket』 小鳥たちとバスケットのブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
王侯貴族にとって、身に着けて使うジュエリーは特別な存在です。自身の財力、地位、教養や美的センスの全てが、この小さな宝物に込められます。ジュエリーをひと目見ただけで相手に自身がどのような人物なのか伝わりますから、他のどのアイテムよりもお金とセンスを込めて作られます。 |
この小さな宝物の価値を真に理解するには、制作された時代背景を知る必要があります。 少し見ていくことにしましょう。 |
1-1. ベルエポックのフランスの状況
1-1-1. ベルエポックとは
ベルエポックの精神を表現したポスター(ジュール・シェレ 1894年) | これは「ベルエポックの精神を表現している」とされている、ジュール・シェレによるポスターです。 着飾ってワインを片手に、生き生きとした若い女性の楽しそうな姿が印象的です。 私も混ぜてもらって一緒に飲んで楽しみたい感じですが、革命前のフランスの王侯貴族の女性とは印象が全く違うのではないでしょうか。 Belle Époque |
1-1-2. ベルエポックの経済活動の中心となった層
ボン・マルシェ百貨店(1887年) |
ベルエポックのフランスで経済活動の中心となったのは、ポスターにあるような若い庶民の女性たちです。旺盛な消費意欲を元に、百貨店などへ殺到してフランスの消費社会を牽引しました。現代でも使用される消費促進のための広告宣伝手法や陳列のノウハウが編み出されたり、人生を破綻させる買い物依存症や窃盗症が問題視されたりするようになったのもこの時代です。 |
1870年に投稿したナポレオン三世とビスマルクの会見を描いた絵 |
19世紀末から、第一次世界大戦が始まる1914年までの時代がベルエポックとされています。この時代が到来したきっかけは、1870年に勃発した普仏戦争での敗北です。皇帝ナポレオン三世が捕虜となったため共和政府が樹立し、1871年には正式に皇帝が廃位され、第三共和政へと移行しました。以後、フランスは現代まで君主を持たない共和政となっています。 |
『ヴァレンヌ事件(1791年)』トマス・ファルコン・マーシャル画(1854年) |
1789年のフランス革命によって、フランスは古くから続いてきた君主による支配は途絶えました。以後、統治者がコロコロと変わりはしたものの、王侯貴族出身の君主による支配という形態は存続していました。 |
『1804年のフランス皇帝ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』 (制作 1805-1807年)ルーブル美術館蔵 |
革命後の混乱期を経て帝政が樹立しました。皇帝となったナポレオンとジョゼフィーヌ夫妻はどちらも田舎出身で、革命前はパリ貴族たちから馬鹿にされた辛い経験を持つとは言え、れっきとした貴族階級出身です。帝政期に新たに貴族となった新興貴族が幅を利かせはしたものの、経済の中心は依然として上流階級でした。 |
復古王政のブルボン朝最後のフランス王シャルル10世(1757-1836年) | 1814年にナポレオンが没落した後に樹立された復古王政は、ブルボン家による王朝でした。 革命以前のアンシャン・レジームのような絶対王政とは異なり、立憲王政でした。 このため、君主の権力にはかなり制限がありました。 それでも、政治経済や文化は王侯貴族が中心だったと言えます。 |
オルレアン朝のフランス王ルイ・フィリップ1世(1773-1850年) | 1830年の7月革命後に樹立したのがオルレアン朝の立憲君主制の王政です。 国王はブルボン家の支流であるオルレアン家出身のルイ・フィリップでした。 |
ナポレオン三世(1808-1873年) | 1848年革命で王政が消えた後、大統領となった後に1852年からフランス皇帝の座に就いたのがナポレオン3世でした。 ナポレオン3世はナポレオン1世の妻、ジョゼフィーヌの孫です。 ジョゼフィーヌと前夫アレクサンドル・ド・ボアルネ子爵の娘であるホラント王妃、オルタンスの息子にあたる、れっきとした貴族出身の人物です。 従って、ナポレオン3世が失脚するまでは、フランス経済と文化を牽引していたのは上流階級と言えるのです。 |
共和政に移行したことによるファッションリーダーの変化 | |
王侯貴族 | 女優や歌手などの大衆のスター |
フランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(1826-1920年) 1854年、28歳頃 | フランスの舞台女優サラ・ベルナール(1844-1923年)1876年、32歳頃 |
共和政となる以前は君主らがファッションリーダーとして機能していました。女性であれば王妃や王女であったり、皇妃や皇女がその卓越したセンスや教養を元に新しいスタイルを生み出し、周囲が真似ることで流行し、それが文化となっていくのです。 共和政に移行したことで、ファッションや文化に於いて、そのようなお手本となる王侯貴族がいなくなってしまいました。しかしながら凡人庶民(私)の立場から考えるに、凡人庶民が新しい流行となるような画期的かつ魅力あるスタイルをゼロからノウハウもなく生み出すのは不可能です。人々はファッションリーダーを求めました。そして、新たにその対象となったのが大衆のスターである女優や歌手だったのです。 |
1-1-3. 上流階級と大衆のスターとのスタイル提案力の違い
【参考】庶民向けの成金ブレスレット(1860年頃) | イギリスでも、庶民用に作られた安物のアンティークジュエリーは無数に存在します。 世界に先駆けて産業革命を経験したイギリスでは、衣食住が満ち足りた後のヴィクトリアン中期頃から、たくさん存在する中産階級が贅沢品であるジュエリーを買い始めるようになりました。 ただ、イギリスとフランスでは同じ庶民向けの安物でも、その傾向が異なっています。それぞれ参考を並べてみるので、サラッと眺めてみて下さい。 |
1-1-3-1. イギリスの19世紀の庶民の女性向け安物ジュエリー
1-1-3-2. フランスの19世紀後期ベルエポックの庶民の女性向けジュエリー
1-1-3-3. 庶民向けの安物ジュエリーの違い
イギリス | フランス |
安物はどちらもしょうもないことは違いないのですが、植民地政策がうまくいっていたイギリスは最大でフランスに対して7倍もの経済規模があり、庶民同士で比較しても裕福でした。故に、より宝石などの材料やハンドメイドによる作りにお金がかけられるという事情がありました。さらに王侯貴族がファッションリーダーなので、エトラスカン・スタイルやアーツ&クラフツなど上流階級の間で流行していたスタイルが降りてきたデザインであるため、上流階級のジュエリーの劣化版はあっても、劣化版なりに意味は分からずとも教養的な要素がデザインに含まれたりしているものなのです。 フランスの安物は材料も作りも、デザインも全てチャチなのですが、それは上流階級と大衆のスターではファッションリーダーとしての能力に圧倒的な違いがあるからです。 |
1-1-3-4. 上流階級と大衆のスターの環境による違い
フランスの舞台女優サラ・ベルナール(1844-1923年)1864年、20歳頃 | 大衆のスターになるくらいですから、女優や歌手が卓越した魅力や才能を持っていることは間違いありません。 しかしながらファッションリーダーは畑違いと言えますし、かなり荷が重いです。 生まれながらの上流階級と違って、庶民出身の女優や歌手はきちんとした教育を受けておらず、殆どの者は教養もありません。成り上がるために、娼婦同様のことをやるのも当たり前でした。 絶大な人気を誇った舞台女優サラ・ベルナールですらも、稼ぎが良いからと人気が出た後も高級娼婦をやることがあったそうです。 大衆のスターは有り余るほどのお金を持ってはいませんし、生活のためには努力して継続的に稼ぎ続ける必要があります。 |
ウォルトのメゾンのドレスを纏ったフランス皇后ウジェニー(1826-1920年)1853年、27歳頃 | オートクチュールの父シャルル・フレデリック・ウォルト(1825-1895年)1855年、30歳頃 |
左はウォルトのメゾンにオーダーしたドレスを纏ったウジェニー皇后です。オートクチュールの父として有名なイギリス人シャルル・フレデリック・ウォルトのメゾンで制作される衣服は、当時の人たちにとって目眩がするような価格で、主要購買層はヨーロッパ各国の王侯貴族や金ぴか時代に沸くアメリカの新興成金たちでした。 大スターとなったサラ・ベルナールは顧客の1人で、知名度的には大きいですが顧客としては有力ではありません。フランスの頂点に立っていたウジェニー皇后は別格です。1869年のスエズ運河開通までの間に、皇后がウォルトに発注を決めた服の数は250点にも及んだと言われています。この規模でオーダーすれば、ファッションセンスもより磨かれていくでしょうし、オーダーの仕方もより的確に上手くなっていくのは間違いありません。 |
1-1-3-5. 上流階級と大衆のスターの目的の違い
クレオパトラに扮する同時代の上流階級と舞台女優 | |
イギリスの上流階級 | 舞台女優(フランスの大衆のスター) |
アーサー・パゲット夫人(1897年) | サラ・ベルナール(1899年) |
そもそもオーダーする際の目的も、上流階級と大衆のスターとでは真逆と言えるほど違いがあります。高い教養と美意識を誇る世界各国の上流階級が集う社交界で、より一目置かれ評価される必要がある上流階級は、とにかく質を重視します。そのためにはお金をいくらでもかけます。頑張って稼いでいるというよりは、その身分によって莫大なお金を持ち、今後もお金の心配をする必要がないからこそお金を気にせず質重視でオーダーできるのです。 上流階級は子供の頃からそういうことが当たり前の環境にいますし、代々続く上流階級の家では親から子へとノウハウが授けられるので、必然的にオーダーで新しいものを作り出すのは得意となります。 一方、舞台女優や歌手などは、限られた予算でとにかく舞台映えすることを目指します。だからこそ中身はないのに一見派手で高そうに見える、成金的なものになってしまいます。 |
東ローマ帝国の皇后テオドラに扮する同時代の上流階級と舞台女優 | |
イギリスの上流階級 | 舞台女優(フランスの大衆のスター) |
ランドルフ・チャーチル夫人:チャーチル元首相の母(1897年) | サラ・ベルナール(1900年) |
女優や歌手にとって、本当に上質なものを纏っても舞台で映えなければ意味がありませんから当然です。無尽蔵にお金があれば、上質さと舞台映えする衣装も可能だったでしょうけれど、後ろ盾なく身一つで頑張るか弱い女性にはそれは無理です。 ちなみにアーサー・パゲット夫人やランドルフ・チャーチル夫人がなぜ歴史上の人物に仮装しているのかと言うと、ヴィクトリア女王のダイヤモンド・ジュビリーを祝って開催された、1897年のデヴォンシャー・ハウスでの大仮装舞踏会に参加するためです。繰り返し舞台で使用する女優や歌手と異なり、たった1回しか使わない大人のお遊びのために、ここまで贅沢にお金がかけられるのが古の上流階級なのです。 |
1-2. 上流階級のための高級品は数が少ないベルエポックのフランスのジュエリー
エドワード7世(バーティ)の風刺画 | 共和政になった後も、依然として職人が集まるフランスは世界各国の上流階級が買い物にやってくるファッションの中心地ではありました。
子供の頃にナポレオン3世に可愛がってもらったイギリス王エドワード7世(バーティ)もフランスでのお買い物が大好きで、フランス人からの人気が高く、イギリス人からは「王様はフランス製」なんて風刺画も描かれるほどでした。 |
イギリス皇太子妃&ロシア皇太子妃の姉妹 | |
マリア・フョードロヴナ&アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1873年頃) | マリア・フョードロヴナ&アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1875年頃) |
デンマーク王室からそれぞれイギリス王室とロシア皇室に嫁いだ仲の良い姉妹、アレクサンドラ・オブ・デンマークとマリア・フョードロヴナも毎年パリで落ち合い、お買い物などを楽しんだそうです。お揃いで仕立てたファッションを身に纏った美人姉妹は社交界でも注目と称賛の的でした。 |
Biranger社 アールヌーボー ペンダント フランス 1890〜1910年頃 SOLD |
『グランルー・ド・パリ』 ベルエポック ルビー・リング フランス 1910年頃(鷲のホールマーク付) SOLD |
このような状況だったため、ベルエポックのフランスでは明らかに上流階級のために作られた、材料、作り、デザインの全てが揃ったハイジュエリーも存在します。 でも、ベルエポックのフランスで制作されたジュエリーの中では、極めてその割合は少ないです。 |
【参考】アールヌーヴォーの安物ブローチ | ヘリテイジでは厳選したハイジュエリーだけをご紹介しているので、ヘリテイジのカタログだけを見ていると市場をどういうものが占有しているのか分かりようもありませんが、ベルエポックに作られたジュエリーの殆どは庶民用の安物です。 |
【参考】アールヌーヴォーの安物ブローチ | 舞台女優の安くて見映えする成金ファッションがお手本な上に、ただの庶民は女優以上にお金がかけられませんから、デザインは使い回し、作りも材料もチャチなハリボテ・ジュエリーばかりです。 |
【参考】ベルエポックの安物ジュエリー | |||
特に小ぶりものほど、材料費にすらお金がかけられなかった安物の場合が多いです。 王侯貴族のジュエリーには、その富と権力を庶民も含めて万人に顕示するための見映えする派手なジュエリーと、ごく限られた上流階級しか来ない社交界で使うようの教養や美意識の詰まった華やかさのあるジュエリーと、小ぶりで派手さはないものの極めて上質な日常用のジュエリーがあります。 アンティークジュエリーの中には小さくても極めて上質な、王侯貴族のためのハイジュエリーがありますが、市場の殆どが、材料費がかけられなかった故に小さくなってしまっただけの安物です。材料費にすらお金がかけられないような安物は、当然ながら作りもデザインも酷いです。 ベルエポックのフランス製で、小ぶりで上質なハイジュエリーを見つけるのが極めて困難な理由です。 |
2. 大きさのある天然真珠は高級品の証
2-2. 天然真珠が最も注目された時代のジュエリー
この宝物はデザインも作りも優れた、ベルエポックの上質なフランス製のピアスです。もちろん素材も上質です。 直径3mmほどの上質な天然真珠と18ctゴールドで作られています。高級品の証となるのは18ctゴールドではなく、天然真珠です。 |
ゴールドラッシュ以前 | ゴールドラッシュ後 |
『Geometric Art』 ゴールド ロケット・ペンダント イギリス 1840年頃 SOLD |
『蒼の波紋』 ブルー・ギロッシュエナメル ダイヤモンド ペンダント イギリス 1880年頃 SOLD |
1948年頃からカリフォルニアでゴールドラッシュが起こ、金価格が急落する以前のゴールドは極めて稀少価値が高く、ただそれだけで富と権力の象徴であり、高級品の証として機能していました。ゴールドラッシュの後では、ゴールドというだけでは上流階級にとってハイジュエリーの証とはならなくなりました。ゴールドは必要十分条件だったのが、ただの必要条件になった捉えるのが妥当です。 故にベルエポックの時代は細工が物凄いなど、余程の例外を除けばゴールドというだけでは上流階級のハイジュエリーとは言えず、もっとプラスアルファがあります。 |
【参考】ベルエポックの庶民向けの安物 | |||
シルバー製(庶民にとっての安物) | ゴールド製(庶民にとっての高級品) | ||
もともとジュエリーには縁遠かった19世紀後期の庶民の若い女性に、1850年代に起こったゴールドラッシュ前後での金価格の変化を実感的に理解することは無理です。なんとなくゴールドは高い、上流階級のジュエリーに使われる高級品というイメージがあり、故に18ctゴールド製というだけで喜んで大金を出すことができました。 |
【参考】大衆向けフレンチ・ロングチェーン | |
ゴールド | シルバー |
販売する側にとっても、ゴールドだから高級品ですよと説明するだけで良く、まさに理に適っています。だからベルエポックのフランスのジュエリーはゴールドで作られた単純なものが多いのです。 |
ボン・マルシェ百貨店(1887年) | 思考停止ツール(イーグルヘッドの刻印、笑) |
「ゴールド製でさえあれば、実際は割高でも喜んで買ってもらえる。メッキや低い金位ではなく、18ctであることを保証しておけばさらに間違いなし!!」 庶民向けに大量生産し、大量に販売して儲ける百貨店ビジネス。18ctゴールドというだけで買ってもらえるのは、商品説明で楽ができるという点で大きなメリットです。知識がない店員でもイーグルヘッドを提示するだけで販売できます。デザインは使い回し、手抜きで雑に作っても18ctゴールドであるだけで大金を出してもらえるので、大量生産もしやすいです。 ベルエポックの安物ジュエリーは、まさに百貨店ビジネスのために作り出された代物なのです。 |
【参考】ベルエポックの安物リング | 基本的にはゴールドだけの作りですが、庶民のためのジュエリーの中でも少し高級品として販売しようとしたものは宝石が使用されたりします。 その場合はダイヤモンドであることが多いです。 |
【参考】ベルエポックの安物ペンダント | 1870年頃から始まった南アフリカのダイヤモンドラッシュによって、19世紀後期はダイヤモンド価格も大幅に下落しました。 しかしながらベルエポックの庶民の若い女性には、依然としてダイヤモンド=高級というイメージがあり、ちょこっと付いているだけでも大喜びで大金を出します。 実際は以前と比較して遥かに安くダイヤモンドが仕入れられるようになっており、儲けを大きくしやすいので販売者側も率先したダイヤモンドを使ったわけです。 |
【参考】ベルエポックの安物 | ベルエポックの高級品 |
18ctゴールド製 | |
今回のピアスで制作されたのは、史上最も天然真珠が高く評価され、ダイヤモンドより高価な時代でした。上質な天然真珠を使ってあることが、このピアスがハイジュエリーとして作られた証となるのです。 |
2-2. 宝石に見る安物との違い
このピアスに使用された天然真珠は直径が約3mmと小ぶりですが、小さすぎずきちんと存在感があります。 このくらいの大きさだからこそ、宝石主体のジュエリーではなく、特徴的なデザインが魅力のジュエリーにできているとも言えます♪♪ |
そうは言っても、デザイン頼りというわけでもなく天然真珠もとても上質です。3mmというのも案外小さいとは言えません。 |
現代の私たちが見慣れている真珠は、母貝に核を入れて作る養殖真珠です。 今の養殖真珠は95%以上が僅か6〜8ヶ月の養殖期間で出荷されているため、真珠層はメッキのような厚さしかありません。 国内で花珠真珠の認定機関は2つあり、それぞれで基準が異なりますが、ゆるい方(笑)は真珠層の巻き厚が0.25mm以上で最高級の花珠と認定します。超意味不明な根拠ですが、官製ハガキの厚さが基準だそうです(※現在の官製ハガキの厚さは0.20-0.22mm。ハガキすらも昔より薄っぺらくなっています、笑)。 高級品の"越物"(こしもの:1年以上)と呼ばれるものでも、真珠層の厚みは0.4-0.6mm程度です。 |
直径3mmの天然真珠の真珠層の巻き厚は1.5mmです。これでも花珠養殖真珠の6倍ほど厚い真珠層を持っているということです。 そして、この宝物がピアスであることもポイントです。 |
『影透』 アールデコ 天然真珠 リング イギリス 1920年頃 SOLD |
他のアイテムであれば、ただ1粒だけ上質なものを手に入れれば成立させることが可能です。 |
『うつろい』 アールヌーヴォー エナメル ネックレス ヨーロッパ 1890年頃 SOLD |
1つの宝物で複数の天然真珠を使う場合、色と質感は揃える必要がありますが、デザインによっては必ずしも大きさと形状を揃える必要はありません。 とは言っても、上質な天然真珠を手に入れるだけでも難しいことです。 その中からさらに色と質感が揃ったものを揃えるのは非常に手間も費用もかかるため、よほどハイジュエリーとして作られたものしか不可能です。 |
ピアスの場合、色、照り艶などの質感に加えて、大きさと形状を左右で2つ揃える難しさがあります。ダイヤモンドのように、カットして大きさや形状を調整できる宝石と異なり、得られた天然のままの状態でジュエリーにする必要がある天然真珠では、ピアス用の上質なものを手に入れるだけでも本当に大変なのです。 このピアスの天然真珠は色、質感、大きさ、形がしっかり揃っており、間違いなく高級品として作られたものです。 |
養殖真珠の核(ノーマルタイプ) 【出典】IMAI SEIKAKU CO.LTD/ 製品案内 ©IMAI SEIKAKU CO.LTD | 私たちが見慣れている養殖真珠は、そもそもが貝殻を削って大きさと形を整えた球形の核が大半です。 そこに真珠層を薄メッキしているだけです。 大きさと形は最初から揃っています。 |
あこや養殖真珠 "Akoya peari" ©MASAYUKI KATO(17 February 2011)/Adapted/CC BY 3.0 |
天然ならではの多様な色と質感も、化学薬品を使用した脱色(漂白)と染色(調色)によって無理やり揃えてあるだけです。 |
何の処理もせずこれだけ揃っているのは、現代人が想像する以上に凄いことなのです。 |
安物では絶対にあり得ないことです。 さらに成金臭が全くなく、上流階級らしい品の良さが感じられるのもこのピアスの特徴です。 |
【参考】1910年頃の天然真珠14Kクラスター・リング | 成金だと大きさしか気にしないため、これだけ汚い天然真珠でも平気です。 それっぽいダイヤモンドが付いていれば、それだけで大満足です。 |
【参考】天然真珠18ctクラスター・リング(1880年頃) | |
この天然真珠はいびつですが9.3×9.0mmの大きさがあります。上流階級のハイジュエリーに使う場合は、特徴的な形状を生かしたデザイン性のあるジュエリーに仕立てられるはずですが、成金用のハイジュエリーになったため残念なことになっています。形は気にしない美意識のなさ、それでいて大きさだけはひけらかそうとする成金根性がプンプンと漂います。 |
大きくても質が悪ければ成金にしか見えない一方で、大きさはなくても上質であれば品の良さや美意識の高さが伝わってくる、上流階級らしいジュエリーとなる・・。 なかなか興味深いものです。 |
3. フランスならではのセンスの良いデザイン
3-1. フランスらしさを感じる魅力あるデザイン
『クリスタル・オーブ』 ロッククリスタル ペンダント フランス 19世紀後期 SOLD |
百貨店で大量販売するためのベルエポックのフランスで制作された安物ジュエリーは刻印を見るまでもなく、そのデザインから一目でフランス製と分かりますが、そうではなく、唯一無二のデザインを持つハイジュエリーでも、フランス製のものは独特の雰囲気を感じることが多々あります。 唯一無二のデザインなので、前例と比較してどうこうということはないのですが、小ぶりながら素晴らしい細工が施された『クリスタル・オーブ』も感覚的にフランス製ではないかと思えるジュエリーでした。 チェックするとイーグルヘッドの刻印があり、やはりフランス製だったとGenも私も納得しました。 |
フランス | イギリス |
『ターコイズ・ブルー』 ターコイズ&パール ブレスレット フランス 1880年頃 SOLD |
『旅のお守り』 ターコイズ・ボール・ブレスレット イギリス 1880年頃 SOLD |
同じような素材で作られた同じアイテムであっても、こだわりを持って作られた上質なジュエリーほどデザインにも気が使われているため、醸し出される雰囲気にはっきりと違いが現れてきます。同じ年代に制作された、色彩美しいペルシャ産トルコ石を使った2つのゴールド・ブレスレットを見比べてみても、左の『ターコイズ ・ブルー』はフランスらしさを感じますし、右の『旅のお守り』はイギリスらしさを感じます |
『ハッピー・エンジェル』 ストーンカメオ&フェザーパール ブローチ フランス? 1870〜1880年代 ¥1,200,000-(税込10%) |
具体的にどういう要素があったり、どういうスタイルでデザインされていたらフランス製なのか決まっているものではありません。 芸術は頭で考えるものではなく感性で感じるものです。 あくまでもそう感じるという範囲内です。 感覚がない人は判断基準に困るので、定義を欲しがるものですが、頭で考えて理解するものではありません。 |
フランス | イギリス |
『財宝の守り神』 1870年頃 SOLD |
『Tweet Basket』 1880年頃 SOLD |
庭園のフランス式、イギリス式などに見られるように、フランスは対称性の高いシンメトリーなデザインが基本で、イギリスは対称性を崩したアシメトリーな表現も存在するとは言えます。また、フランス・デザインは陽気で、一部軽薄さも感じるような浮ついた印象と華やかさが感じられる一方で、 イギリスは重厚で真面目、ありのままの自然が大好きと言った印象が強く感じられるとも言えます。 ただ、これらはあくまでもそれぞれが1つの指標に過ぎません。最終的には感覚で総合的に判断するものです。 感覚がなければ、真の理解は絶対に不可能です。でも、感覚がないから人間的に劣っているということは絶対にありません。無理に芸術に固執する必要なんてどこにもないのです。 |
神聖ローマ皇帝 | |
兄 | 弟 |
神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世(在位:1576-1612年) | 神聖ローマ帝国皇帝マティアス(在位:1612-1619年) |
古のヨーロッパの上流階級だったら絶対に避けられないことでした。基本的にハプスブルク家は仲が円満だと言われていますが、ルネサンス時代の神聖ローマ皇帝、ルドルフ2世と5歳下の弟マティアス兄弟は「ハプスブルク家の中でも最悪」として歴史に残るほど仲が悪い兄弟でした。その最たる理由が芸術に関する才能だったようです。 兄ルドルフ2世は『無能』と言われるほど政治能力には全く欠けていましたが、教養に富んだ優れた文化人として有名で、政治的無策の一方でルドルフ2世の文化人としての才能に、弟マティアスは激しくコンプレックスを抱いていたそうです。 努力しても勝てないことをはっきりと自覚した時、強い憤りを覚えるのは無理もないでしょう。ルドルフ2世は他はダメダメだったということで、「他のことでは全て勝っているか良いではないか。」と思えそうなものですが、そうはならず激しい嫉妬につながったのは、古の上流階級にとって"教養としての芸術"がいかに高い地位にあったのかの現れと言えるでしょう。 |
『豊穣のストライプ』 2カラーゴールド ロケットペンダント フランス 1880年頃 SOLD |
現代の私たち庶民は、古の上流階級とは全く環境が異なります。 感覚的に理解できない人が、無理に理解しようとする必要はありません。人生の限られた時間と労力を無駄にするのはもったいないことです。その人にとって、心から楽しむことができる別の世界に楽しみを見出せば良いだけなのです。 もし芸術を感覚的に理解できるならば、それはとてもラッキーなことです。時代が違えば目にすることすらできなかった王侯貴族のハイジュエリーを、手元で独占して愛でることすらできるのですから・・♪ |
『この世で最も贅沢な虫籠』 カーブドアイボリー 虫籠 フランス 1770〜1780年頃 SOLD |
これは最高に心を満たしてくれる、最高の贅沢だと思っています。 着けて褒められたいという欲求ではなく、手元で眺めるだけで幸せという、純粋に芸術を愛する心で求めてくださるお客様がHERITAGEには多くいらっしゃいます。 芸術を理解できない方には「着けないのに買うなんて意味が分からない。」と思われるようなのですが、私たちのような人間にとってはそういうものなのです。 |
ピエトラドュラ ピアス イタリア 1830〜1840年 HERITAGEコレクション |
ピエトラドュラ バングル イタリア 1860年頃 HERITAGEコレクション |
私がサラリーマン時代にルネサンスで初めて購入したこの2つの宝物も、そういう目的で手に入れています。美術館でたまに見る、個人蔵の古い美術品を見て羨ましく思っていました。ガラス越しではなく、お酒でも飲みながら最高の美術品を毎夜独占して手元で眺められたら最高に贅沢な気分になれて楽しいだろうなと思っていました。日本の本当に優れた古美術品の場合、代々続く家に伝わるものだろうからどう考えても今の私が新たに入手することは無理と諦めていました。そこら辺の骨董屋で簡単に手に入るような、レベルの劣る物は眺めてもしょうがありません。だからこそ、アンティークのこれだけ素晴らしい芸術作品が、サラリーマンが買える値段で手に入ることは衝撃でした。着ける予定はないのに買いました(笑) この仕事を始めて、世の中には数少ない同類の方とお話ができることをとても嬉しく感じています。でも、ジュエリーや小物は使うために生み出されたものなので、たまには着けて楽しんでいただけたらと願っております♪ |
夜空に輝く星々。? センスを感じる、気の利いたデザイン。そして、若い女性達が経済活動を牽引する、活気があって明るい時代ベルエポックを象徴するような、明るく陽気な雰囲気。 単純にフランスらしいというよりも、まさに良い意味での、ベルエポックのフランスらしさ満点のピアスです♪ |
3-2. ゴールドの性質を生かした巧みな立体デザイン
このピアスは、細工物のとしては45年間で今まで見たことがないと言える、かなり変わった特徴を持っています。 細工物なのですが、細工物が好きな方にとっても、どのようなポイントがあるのか分かりにくいのではないでしょうか。 |
ゴールドの細工 | ||
カンティーユ | 彫金 | マット仕上げ |
『楽器を奏でるキューピットとヴィーナス』 シェルカメオ ブローチ&ペンダント イギリス 1830年頃 SOLD |
『OPEN THE DOORS』 マルチロケット ペンダント イギリス 1862年頃 SOLD |
『ゴールド・オーガンジー』 ペリドット ネックレス イギリス 1900年代 ¥1,000,000-(税込10%) |
金細工は非常にバリエーション豊かです。それぞれが異なる美しさを持っているからこそ、表現したい雰囲気に合わせて技術が使い分けられます。技法によって難易度や手間も変わるのですが、それとは別に、見た目に分かりやすいものと分かりにくいものが存在します。 一番分かりやすいのはカンティーユと言ったところでしょうか。優美な模様を施した彫金も分かりやすいです。どのような手仕事が施されたのか、見た目に分かりやすく想像しやすいです。魚子打ちを駆使した、もはや肉眼では目に見えないサイズで施されるマット仕上げなどは見た目に分かりにくく、細工物としての価値が想像しにくいため、細工物ジュエリーが好きな人の中でも玄人向けと言えます。 |
ベルエポックのハイジュエリーとして制作されたゴールド・ピアス | |
今回の宝物 フランス 1900年頃 フレームの直径:8mm |
『シンプル・フレンチ』 フランス 1900年頃 フレームの直径:10mm SOLD |
この2種類のピアスはどちらも同じ年代のフランスで制作された、天然真珠と18ctゴールドによるピアスですが、細工物としての表現の方向性が全く異なります。 |
『シンプル・フレンチ』のゴールド部分に注目すると、同じ18ctゴールドなのに、本体と星形デザインの部分で色が異なって見えます。 本体は表面を梨地のように荒らしてマットゴールドに仕上げてあり、星形の部分は対照的にピカピカに磨き上げてあります。 表面形状の違いによって光の反射が変わり、肉眼で見た時に、同じ素材でも異なる色に見えるのです。 実際は小さなピアスなのに、ここまで手間と技術をかけるのかと、アンティークのハイジュエリーには本当に驚くばかりです。 |
見所は梨地仕上げによる、光沢あるマットゴールドです。だからこそこの質感を生かすために、形状はシンプルな半球形です。ゴールドの光沢が美しいです♪ |
このピアスのゴールドは、全て光沢のある滑らかな表面になっています。 全て同じ質感だった場合、色と見た目は均一になってしまうはずです。 |
それにも関わらず、このピアスは星形デザインのゴードルの色味にダイナミックな変化があります。 一体どういうことでしょうか。 |
2カラー・ゴールド コンパス・ペンダント フランス 1910年頃 SOLD |
同じようなデザインで色彩に変化がある18ctゴールドのジュエリーとして、このコンパス・ペンダントがあります。 1つ目に方法としては、単純に18ctゴールドの配合を変えてイエロー・ゴールドとホワイト・ゴールドで色味を変えています。 |
2つ目の方法として、星形の1つ1つの角の片側だけに斜線を彫金することで、影が付いて見るような視覚効果を出しています。 |
コンパスとは逆に、このピアスは表面を全て同じ質感にし、凹凸を付けて光を反射する角度を面ごとに変えて、陰影を出しています。 |
また、星はフラットではなく、中央に向かって僅かに凸状となるよう作ってあります。 |
開かれた形状になっているからこそ、より明るく華やかに星が光り輝く印象を受けることができます。 実物で見ないと分からないくらいの僅かな違いですが、印象にはとても効いていると感じます。 |
凹凸に関して、どれくらいの角度を付けるのか正確に構造設計ができないと美しい視覚効果は生まれません。 試行錯誤を経て、美しいコントラストが出せる、この完璧な角度が生み出されたのでしょう。 |
大きめの粒金も綺麗な形で、正確な位置にセットされています。 |
この存在感がある粒金があるのとないのでは、デザイン上に大きな違いがあります。 凹凸によって瞬く星が、より明るく美しく光り輝いて見えます♪♪ |
星に対する粒金の大きさの比率も、抜群のセンスから生み出されたものです。大きすぎたらヘンテコですし、小さいと存在感が出ません。 アイデア、抜群のセンス、そして確かな細工技術があってこそこの宝物が実現します。 ありそうでない、貴重なものだとGenも言っていました。単純に見えても実は技術的に作るのが難しく、手間もかかるから他にはないのです。 アンティークのハイジュエリーの、未だ知られざる側面と言えるでしょう。 |
超絶技巧の細工物ジュエリーが作り出せる職人であっても、このタイプの宝物は傑出したセンスもないと生み出せません。 抜群のセンスの良さを感じる宝物はハイジュエリーの中でも極めて数が少ないですが、Genも私も大好きです♪ |
ホールマーク
ピアスの金具に、フランス製の18ctゴールドを示すイーグルヘッドの刻印があります。 |
イーグルヘッドとは逆側の、ピアス金具のフックの部分に工房の刻印があります。 |
打たれた面積が小さく、どこの工房なのか詳細は分かりません。 |
裏側
裏側もスッキリとした、ハイジュエリーらしい綺麗な作りです。 天然真珠は裏側から見ても美しく、1点物の特別な高級品として作られたことが分かります。 |
着用イメージ
耳の後ろ側から通すタイプのピアス金具です。カチッと留めるタイプなので、着脱には少しコツが要ります。初めてお着けになる際は、まず手元で金具の着脱の感覚を掴んでいただくと良いと思います。 |
無理な体勢でスマホで自撮りするので、手が震えて着用イメージ画像はこれが限界です。ピアス自体の詳細は他の画像をご参照ください(笑) この画像でも、サイズ感はイメージいただけると思います。特にベルエポックのフランス製で、小ぶりなのにここまで上質なものは本当に珍しいです。 ダイヤモンドとは異なる、ゴールドの上品な輝きが美しいです。特徴的でオシャレなデザインは、定番デザインのピアスとは違ったオシャレの楽しみ方ができると思います♪ |