No.00315 ゴールド・オーガンジー |
超絶技巧の細工物ジュエリー♪
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『ゴールド・オーガンジー』 エドワーディアン ペリドット&ホワイト・エナメル ネックレス イギリス 1900年頃 ペリドット、オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、ホワイトエナメル、プラチナ&18ctゴールド 本体:4.0×3.5cm(バチカンとチェーンを除く) 重量:4.8g ¥1,000,000-(税込10%) |
レイト・ヴィクトリアンからエドワーディアンにかけての、細工とデザインの魅力に溢れるトランジション・ジュエリーです。 一番の魅せ場は、レイト・ヴィクトリアンからエドワーディアンにかけて流行した軽やかで透け感のある素材、オーガンジーを再現した見事なマット仕上げの金細工です。他にも極限まで細いナイフエッジやミルグレイン、細かなチェーン・ワークなど、トップクラスの技術を持つ金細工職人の腕が随所に惜しみなく発揮されています。 流行のペリドットも、他には見たことのないホワイト・エナメルとの組み合わせになっており、色の組み合わせとしてもとても美しい、唯一無二のペンダントとなっています。 |
この宝物のポイント
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1. 唯一無二の魅力を持つペリドット・ジュエリー
1-1. 1900年前後に流行したペリドット
ザバルガド島(セント・ジョンズ島) |
ペリドットの宝石としての歴史は古く、少なくとも紀元前300年前後から、紅海にあるエジプトの島ザバルガド島で採掘が行われています。 |
プトレマイオス1世とベレニス1世の金貨 "Ptolemy I and Berenike" ©CNG Coins(19 June 2017)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
古代ローマの博物学者プリニウスによれば、ザバルガド島で得られた大きなペリドットがエジプトのアレキサンドリアまで運ばれ、プトレマイオス朝のファラオであるプトレマイオス1世の妻、ベレニス1世に献上されたそうです。 |
古代エジプトファラオのプトレマイオス1世(紀元前367-紀元前282年) | エジプトのファラオ妃ベレニス1世(紀元前340年頃-紀元前279〜紀元前268年頃) |
プトレマイオス1世はアレキサンダー大王の後継者としてエジプトのファラオとなった人物で、プトレマイオス1世もベレニス1世もマケドニア王国の貴族であり、元々はギリシャ人です。 古代エジプトでは『太陽の石』と珍重され、お守りとして身に着けられたペリドットが一体どのようなジュエリーに仕立てられたのかは気になるところです。 |
ペリドットの原石 "Peridot2" ©S kitahashi(29 July 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | そんな、古くから知られているペリドットですが、アンティークジュエリーの歴史を見ると、古い時代はあまり見ることがありません。 ジュエリーによく見られるようになるのは、ヴィクトリアン後期以降です。 |
ペリドットを含む隕石の断面 "Esquel" ©Doug Bowman(25 December 2004, 07:46:04)/Adapted/CC BY-2.0 |
地球でも地殻から採掘されるペリドットですが、1880年代に隕石から発見されたことで注目を集めました。 |
ハレー彗星のジュエリー | |
紳士用 | 紳士 or 貴婦人用 |
『ハレー彗星の回帰を発見したエドモンド・ハレー』 コーネリアン インタリオ ヨーロッパ 18世紀 SOLD |
『ハレー彗星』 ダイヤモンド ブローチ イギリス 1835年 SOLD |
教養の高い、知的好奇心が旺盛なヨーロッパの上流階級は知的なものが大・大・大好きです。社交界で自身の教養の高さをPRするためのアイテムとして、ジュエリーのデザインにそのような知的なものが反映されることは多々あります。 |
天文学に由来するジュエリー | |
1835年のハレー彗星 | 1859年の太陽嵐と太陽フレアの初観測 |
『ハレー彗星』 ダイヤモンド ブローチ ドイツ or オーストリア 1835年 SOLD 『ハレー彗星の回帰を発見したエドモンド・ハレー』 コーネリアン インタリオ イギリス 1835年 SOLD |
『古代の太陽』 エトラスカン・スタイル ブローチ イタリア(FASORI) 1850〜1870年代 SOLD 『太陽の沈まぬ帝国』 バンデッドアゲート ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
ミッド・ヴィクトリアンでも、1859年の太陽嵐と太陽フレアの初観測などは全世界で大きな話題を呼びました。交通手段が発達するに連れて、人々の意識の中で地球は広大ではなくなっていきましたが、宇宙はまだまだ広大でミステリアスな世界であり、ロマンに溢れています。 |
ペリドット&天然真珠 ペンダント&ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
当然の流れとして、レイト・ヴィクトリアンの上流階級の知的階層の間でペリドットのジュエリーが流行しました。 |
クンツァイトとみられる鉱物を調査するクンツ博士(1903年、47歳頃) | イーグル駅の隕石ペリドットのルース(0.52ct)【出典】GEMS & GEMOLOGY Spring 1992 「PERIDOT AS AN INTERPRANETARY GEMSTONE」 By John Sinkankas, John I. Koivula, and Gerhard Becker |
さらに1900年のパリ万博にて、既に世界的に有名となっていた宝石学の権威クンツ博士を擁するティファニーが、0.52ctのルースにカットされた宝石品質の隕石ペリドットを紹介したことで、ペリドットは一般にも広く知られるようになりました。 |
【参考】20世紀初期の安物のペリドット・ペンダント | これにより、20世紀に入ると広く庶民からもペリドットが注目されるようになりました。 ペリドットがアリゾナで産業的に採掘されるようになったことで、庶民の膨大な需要にも応えられるようになりました。 但し、採れるからと言って、市場が供給過剰に陥れば価格が暴落するのはいつの時代も同じことです。 |
【参考】20世紀初期の安物ジュエリー | ||
時代が下るほどに、ペリドットの稀少価値は暴落し、やがては安物ジュエリーにもいくらでも使われるようになりました。庶民用の安物はコストダウンと大量生産のためにデザインは使い回し、作りも雑で、安っぽさ満点です。 |
【参考】安物のペリドット・ペンダント(ヴィンテージ) | 大流行後、戦後のヴィンテージくらいになると完全に陳腐化し、やがては庶民にすら飽きられ、誰からも見向きもされなくなってしまいました。 アンティークの時代のペリドット・ジュエリーであっても、時代ごとの違いや、上流階級向けの高級品か庶民向けの安物か、成金庶民向けの悪趣味な高級品なのかで真の価値は大きく異なります。 |
ペリドット・ネックレス イギリス 1910年頃 SOLD |
1900年前後に流行したペリドット・ジュエリーは、特に玉石混交が激しいです。 美的感覚がなく、石だけでしか判断できない頭デッカチな人には違いが分からないかもしれませんが、美的感覚がある人にとっては、上流階級向けなのか、庶民向けなのかではっきり違いが見える、とっても面白いアンティーク・ジュエリーでもあります。 |
1-2. ヴィクトリアンとエドワーディアンのペリドットのハイ・ジュエリーの違い
1-2-1. 高級品のみのレイト・ヴィクトリアンのペリドット・ジュエリー
ペリドット&シードパール ネックレス イギリス 1890-1900年頃 SOLD |
パリ万博で知名度が一気に上がる前は、ペリドットに宇宙のロマン溢れる特別なイメージを持つのは限られた上流階級の知的階層のみでした。 故にレイトヴィクトリアンまでのペリドット・ジュエリーは、ほぼ上流階級のための高級品と見て良いでしょう。 |
1-2-2. 高級品が激減するエドワーディアン以降
【参考】安物のペリドット・ペンダント(20世紀初期) | 世界的にペリドットが知られるようになると、庶民用の安物も作られるようになります。 世の中は庶民の数が圧倒的に多いため、市場の大部分は安物となります。 アンティークの時代は、流行は王族を中心とする高位の上流階級の中で生まれ、下位の上流階級に降りてきて、さらに庶民の中の上層に伝播し、最終的には一般大衆で大流行し、陳腐化して終焉を迎えます。 情報化社会が発達し、ファッション業界に於いても大量生産技術が確立された現代では、流行のスパンが短くなっていますが、アンティークの時代は時には10年以上もかけて上流階級の流行が一般大衆に降りてきていました。 |
エドワーディアン ペリドット リング ヨーロッパ 1910年頃 SOLD |
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エドワーディアンの上流階級にとって、レイト・ヴィクトリアンに流行したデザインは既に時代遅れです。 エドワーディアンのペリドットのハイジュエリーはどのような特徴があるかと言うと、まずは画期的な新素材、かつゴールドより遥かに高級な金属としてジュエリー市場に出始めたばかりのプラチナを使っています。 |
エドワーディアンのペリドット・ジュエリー | 庶民用の安物は何となく上流階級の高級品を真似たデザインにはなっていても、同時代の最高級素材は使用できません。 故に、エドワーディアンでも安物はゴールドだけの作りです。それでも庶民にとっては高級品で、もっと安物だとシルバー・ジュエリーになります。 安物は細工に技術や手間もかけられません。 "職人"であっても、大した技術を持たぬ職人によるハンドメイドなので、線のデザインもナイフエッジではなかったり、ナイフエッジが施されていてもレベルが低いもの止まりです。 |
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上流階級の高級品 | 庶民用の安物 | |
『シンプルイズベスト』 イギリス 1910年頃 SOLD |
参考品 |
エドワーディアンのペリドット・ジュエリー | |
上流階級の高級品 | 庶民用の安物 |
ペリドット・ネックレス イギリス 1910年頃 SOLD |
参考品 |
美意識のない庶民用のジュエリーほど、石ころに頼りになりがちです。質は関係なく石ころがたくさん付いている、もしくは巨大な石ころが付いていれば高級と、成金的な思考の元で作られるからです。 美意識が高く、財力もある上流階級のジュエリーは上質な宝石を使うのは当たり前です。それに加えて、高度な技術がないと実現できない特殊なデザインを施し、細部まで丁寧に作り上げるからこそ高級感があって美しい、価値あるジュエリーとなるのです。 右のジュエリーなんて、いかにも成金的で安っぽくダサいジュエリーにしか見えないのですが、石ころでしか判断しない成金的な思考の庶民だと、右も高級品に見えてしまうようです。しなやかに揺れる構造が見事な左の高級品と比較して、殆ど可動部がなくて着用してもろくに揺れもしないのですが、美意識のない人はそういう明らかな違いも感じ取れないのです。だから安物には、そういう細部にはお金も手間もかけられていません。 |
さて、この宝物の制作年代はいつ頃だと思われたでしょうか。私たちはパッと見た感じで1890年頃のレイト・ヴィクトリアンのジュエリーだと思ったのですが、よく見ると中央のダイヤモンドがプラチナ・セッティングなので、エドワーディアン最初期の作品と推定できます。レイト・ヴィクトリアンからエドワーディアンにかけてのトランジション・ジュエリー(過渡期のジュエリー)だったのです! |
2. トランジション・ジュエリーならではの魅力を持つ宝物
ジョージアン〜アーリー・ヴィクトリアン | エドワーディアン〜前期アールデコ |
『黄金の花畑を舞う蝶』 色とりどりの宝石と黄金のブローチ イギリス 1840年頃 SOLD |
『SUKASHI』 アーリー・アールデコ ダイヤモンド リング オーストリア 1910年代 SOLD |
トランジション・ジュエリーは時代が大きく移り変わる、ごく僅かな期間に生み出される傑出した魅力を持つジュエリーです。そのいずれもが、デザイン的にも技法的にもチャレンジングで優れた、唯一無二と言える特徴を持っています。故に、Genも私もトランジション・ジュエリーは特に大好きなのですが、どの時代の転換点なのかで特徴が異なります。 |
2-1. ヴィクトリアンとエドワーディアンのトランジション・ジュエリーの特徴
エドワーディアンから前期アールデコにかけてのトランジション・ジュエリーに於いて、その特徴が最も顕著に現れるのはデザインです。 一方で、レイト・ヴィクトリアンからエドワーディアンにかけてのトランジション・ジュエリーでその特徴が特徴に現れるのは、デザインではなく素材と技法に関する部分です。 |
『永遠の愛』 エドワーディアン ダイヤモンド ペンダント&ブローチ フランス? 1910年頃 ¥1,220,000-(税込10%) |
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エドワーディアンのハイジュエリーの最大の特徴は、プラチナにゴールドバックの作りです。 供給面、及び技術面での課題がクリアされ、プラチナがジュエリーの一般市場に出回り始めたのは1905年頃からです。 |
『Shining White』 エドワーディアン ダイヤモンド ネックレス イギリス or オーストリア 1910年頃 SOLD |
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目新しさに加えて、ダイヤモンドと相性の良いプラチナは当時の上流階級を虜にしました。 |
『天空のオルゴールメリー』 アールデコ 天然真珠&サファイア ネックレス イギリス 1920年頃 ¥1,230,000-(税込10%) |
古の王侯貴族は素材だけに頼るようなことはありません。 ただプラチナさえ使えば良いということにはならず、プラチナならではの新たな技法が生み出され、発展していきました。 細かさを極めたミルグレインやグレインワーク、透かし細工や揺れる構造など、プラチナの時代になってから花開いた技法は幾つも存在します。 |
『OPEN THE DOORS』 マルチロケット ペンダント イギリス 1862年頃 SOLD |
その一方で、19世紀までに極められていた、バリエーション豊かで高度な金細工技術は残念ながら急速に失われることになりました。 |
レイト・ヴィクトリアンからエドワーディアン初期にかけてのトランジション・ジュエリーは、プラチナをメインにしたデザインと、優れた金細工技術の組み合わせが特徴です。 出始めの頃は、『プラチナ』というだけで貴重で価値が高く、注目度の高い素材でした。 故に、プラチナを主体としたデザインになっているのです。 |
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『Transition』 エドワーディアン アクアマリン バー・ブローチ イギリス 1900〜1910年頃 SOLD |
ゴールド バー・ブローチ フランス 1900〜1910年頃 天然真珠、オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、ローズカットダイヤモンド、18ctゴールド、プラチナ SOLD |
これもプラチナと、美しい金細工がコラボレーションした数少ないトランジション・ジュエリーの1つです。 バーブローチが多いのは、当時の王侯貴族の最先端ジュエリーがこの横長スタイルのブローチだったからです。この時代に、史上最も高く価値が評価されていた天然真珠がふんだんに使用されているのも、最先端としてのみならず最高級品として作られている証です。 |
宿り木伝説の指輪 フランス 1900年頃 オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、ローズカットダイヤモンド、トライアングルカット・サファイヤ、プラチナ、ゴールド、シルバー SOLD |
時代の転換期に作られていても、傑出した魅力がなければトランジション・ジュエリーとは言えません。 レイト・ヴィクトリアンからエドワーディアンにかけてのトランジション・ジュエリーは45年間でも数点しかお取り扱いしていないのですが、これは極めて貴重なトランジション・リングです。 異例のトライアングルカット・サファイアからも、このリングが只者ではないことが伝わってきますが、最大の特徴は白い金属にあります。 正面からだけでは分からないと思います。 |
2-2. 当時の王侯貴族だけが分かる秘密のメインストーン
トランジション・ジュエリーは王侯貴族のハイジュエリーの中にしか存在しません。 その中でもあまりにも数が少ないのと、見てもそれと認識できる人は殆どいないため、アンティークジュエリーを知る人たちの中でも知られざる存在です。 その存在に気づいた私がGenと議論を重ねた上でカテゴライズし、きちんと定義したことで1つのジャンルとなりました。 私が認識できたのは、Genが45年間、王侯貴族のためのハイジュエリーだけを特化してお取り扱いしてきたことで集まった、上質かつ膨大な量のデータの賜物です。 それでもトランジション・ジュエリーに関してはデータ数(笑)がまだまだ少ないです。 |
特にレイト・ヴィクトリアンからエドワーディアンにかけてのトランジション・ジュエリーは少ないです。 特にペンダントでは初めて見るのですが、思わず見逃しかけました。 なぜこれがトランジション・ジュエリーだと気づいたのかと言うと、センターにセットされたダイヤモンドの存在です。 |
このペンダントをご覧になる時、多くの方は私と同じように「これはペリドットのジュエリーである。」と判断されるのではないでしょうか。 |
しかしながらそう考えた場合、1粒だけ、上質ではあっても決して大きくはないダイヤモンドが使われていることに違和感が生じます。 しかもこのペンダントのセンターという、非常に重要な位置にセットされています。 なぜペリドットではないのか、天然真珠ではダメなのか、そのような疑問が湧くのです。 |
そんな時、当時の王侯貴族の立場になって考えると納得ができる、整合性の取れた答えが得られます。これが、画期的な新素材として出てきたプラチナを嫌味なく、さりげなく自慢するために作られたジュエリーと考えるならば、わざわざダイヤモンド1粒をセンターにセットした意図が明確に見えてきます。 敢えてたった1粒しか使わない、プラチナでセッティングされた極上のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド。気づく人だけ気づけば良いということでしょうか。 アメリカが金ぴか時代を経験し、教養や美意識は持たぬものの莫大な財力に物を言わせてジュエリーを買い漁る新興成金が益々幅を利かせるようになった時代に於いて、これほど古のヨーロッパの王侯貴族らしさが滲み出るジュエリーが他にあるでしょうか。 |
これに気づいた時、改めて古の王侯貴族の美意識の高さとセンスの良さに感動しました。 それにしても、これに一瞬で気づくことを要求する、ヨーロッパ社交界のレベルの高さにも感心します。 一瞬も気が抜けませんね。でも、だからこそ切磋琢磨して、あれほど文化レベルが高められたのでしょう。素晴らしいことです。 |
2-3. オーガンジー・リボンを再現した見事な金細工
ディーラーとしての買付けで、メインストーンの秘密を的確に探り当てて選び出すのはほぼ不可能です。 買い付けの場にはレイト・ヴィクトリアンやエドワーディアン以外の様々な年代のジュエリーがあります。 本物のアンティークジュエリーが市場で枯渇傾向にあるため、実はヴィンテージもとても多いです。ヴィンテージを全く扱っていないアンティークジュエリー・ディーラーは、世界的に見ても殆どいません。 ロンドンのハイストリートにあった高級アンティークジュエリーの店ではここが一番良いものを扱っているというGenお墨付きの店ですら、数年前から既にヴィンテージを扱っていてGenががっかりしていました。今では立ち行かなくなって、その店もハイストリートから撤退しています。 |
また、市場にある大半はミドルクラス以下の安物です。 様々な年代、様々なクラスの無数のジュエリーからスピードをもって選んでいかなければならないディーラーの買付けでは、傑出した魅力を持ち合わせたハイジュエリーかどうかだけで判断します(最後にコンディションをチェックします)。 現場でメインストーンの秘密には気づかなかった私が、この宝物を買付ける根拠としたのが、黄金のオーガンジー・リボンのような見事な彫金細工です。 これだけ見れば、この宝物が特別なオーダーで制作された高級品であることが瞬時に分かります。 |
2-3-1. オーガンジー・リボン自体が上流階級の高級オシャレ・アイテム
『一品當朝図』(原在中 1829年頃)ニューオータニ美術館 | 『鶴の恩返し』という民話があります。 物心つくかつかない頃の子供だと「ふうん。」と素直に受け入れて終わるような内容ですが、現代人としての感覚が身に付いていくると、「反物を織って恩返し?」、「反物が高値で売れた?どういうこと?」と疑問が湧いてきたりします。 大量生産・大量消費社会になり、「飽きたり、少しボロくなったりしたら、捨てて新しいものを買えば良い。」という感覚が"普通"になりました。 しかしながら、昔は布は大切に使うべき高級品でした。 擦り切れても修復して使う。大人の衣服として使えなくなったら子供服としてリメイクする。それでもダメになったら、ハギレとして様々なものに活用し、とにかく最後の最後まで使い切る。 |
糸紡ぎ体験(岡山高島屋 2014.8) | 機織り体験(岡山高島屋 2014.8) |
サラリーマン時代に岡山に住んでいたことがありました。 伝統工芸が豊富な地域で、近所の岡山高島屋で伝統工芸展が定期的に開催されていました。友人も作州絣を出展するというので行ってみたら、機織りだけでなく糸紡ぎも体験できました。 一応、手先に器用さや忍耐力にはそこそこ自信があったのですが、おそろしく手間がかかる上に、特に糸紡ぎは均一に仕上げるが至難の技でした。 |
糸繰り機(市立岡谷蚕糸博物館) |
『あゝ野麦峠』も、この体験をする前はそんなに工女ごとに品質にバラツキが出るのかと思っていたのですが、実際にやってみると上手な人とそうでない人でかなり品質に差が出るであろうこと、上手な人ほど作業が早いだろうこと、1枚の布を作り上げるためにどれだけ手間がかかってたのかなどが、身に染みて分かりました。 布に開いた穴などを修復するかけはぎ(かけつぎ)の技術は一応今でも残っていますが、その高度な技術や手間をかけることも、布がいかに貴重で高価なものだったかを考えると納得がいくのです。 |
糸車(サルディーニャ国王御用達の糸車メーカー Pietro Piffeti 1740-1750年) V&A美術館 | つぎはぎされた衣服 "Habito de s francisco" ©Tetraktys(2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
これはヨーロッパも同じことです。庶民は新しい衣服なんて買えません。産業革命後の19世紀でも、庶民が買えるのは古着でした。20世紀に入っても、"新品の既製服"は少し前までは庶民の高級品でした。皆さんもご両親や祖父母世代に尋ねてみると、まだそういう話が聞けるかもしれません。 |
クリスチャン・ディオール(1905-1957年) | 生地の話として、現代で一番耳にするのは1947年春夏コレクションで発表された、フランスのクリスチャン・ディオールによるニュールックのエピソードかもしれません。 ちょうどGenが生まれた頃ですね〜。 |
ニュールックのバー・スーツ (クリスチャン・ディオール 1947年-春夏コレクション) |
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"Dior denver art1" ©SpiritedMichelle(4 February 2019, 11:06:47)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
"Christian Dior (Moscow eghibitio, 2011)26" ©Shakko(2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
第二次世界大戦中は物資が不足したフランスでも生地は配給制で、高級なオートクチュール・メゾンですら1着の服に使える生地の量に厳しい制限がありました。この辺りは第一次世界大戦によってプラチナが使える量が制限されていた頃の、プラチナにゴールド・バックのエドワーディアンのハイ・ジュエリーと同じと言えるでしょう。 戦後もすぐに物資不足が解消されたわけではなく、当時はスカートも生地の分量を抑えたボックス型が主流でした。そんな中で発表されたのが、生地をふんだんに使ったディオールのニュールックのスーツでした。細く絞ったウェストに合わせた、ボリュームあるフレアスカートが特徴です。 たっぷりとした生地で、膝下まで覆うスカートのデザインは当時とても斬新なものでした。 |
ニュールック姿のディオールのモデルが襲撃を受ける様子(1947年春)©Doubleday In August 1994, Photo Paris Match | 自粛警察的な人達はどの時代、どの人種にもいるようで、「贅沢に生地を使うファッションはけしからん!!」と襲撃する人達もいたようです。 プラカードを持って抗議するのみならず、ニュールック姿の女性が街中で服を切り裂かれることもあったそうです。 しかしながら実際にアクションを起こす自粛警察的な人はごく一部で、オシャレをしたい女性の心を掴んだディオールは1947年から亡くなる1957年までの11年間、パリのオートクチュール界の頂点に君臨することとなりました。 |
糸の宝石 総ボビン・レースのドレス フランドル地方 19世紀後期 価格はお問合せ下さい |
戦後の物資不足が解消されると、生地をふんだんに使うことへの抵抗もなくなっていきましたが、より古い時代は余計に生地は贅沢なものでした。 上流階級であっても、作る手間のかかる高級な生地を使った衣服は、現代の感覚ほど簡単に新調できるものではありませんでした。 『糸の宝石』とすら呼ばれるボビン・レースのように、消耗品ではなく親から子へと代々受け継ぐ、財産価値を有するものすら存在します。 |
『セント・ジョージ男爵から娘ルイーザへのクリスマスプレゼント』 イギリス 1829年 ピンクトパーズ(オープンセッティング)、エメラルド(コロンビア産)、天然真珠、18ctゴールド(イエロー、グリーン、ピンクのスリーカラー・ゴールド) SOLD |
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その上を行く存在なのがジュエリーであり、持つことができるのは上流階級の中でも上層の僅かな人達だけです。 それでも高級品だと気軽にオーダーするものではなく、例えばこのブレスレットのように、特別なタイミングで作られるものなのです。 |
ジェーン・オースティンの長編小説『高慢と偏見』を原作とした映画『プライドと偏見』は、18世紀末から19世紀初頭のイギリスの片田舎が舞台です。 ベネット家は上流階級に属しますが、財力等の面で下層に属します。五人姉妹の末娘が意中の男性からリボンをプレゼントされたと喜ぶシーンがあって、「リボンで良いの?」と思ったのですが、上質な布を使用したリボンだと十分に高級品ですし、美しいファッション・アイテムになるというわけですね。 ジュエリーはその何倍も格上と言えます。 |
2-3-2. 19世紀後期から20世紀初期にかけて流行したオーガンジー素材
この宝物で表現されているオーガンジーは、レイト・ヴィクトリアンからエドワーディアンにかけて流行した素材です。 50番手以上の細い糸を使った平織物に、硫酸仕上げを施した生地です。 硫酸仕上げによって独特の透け感が生まれ、薄地ながらハリとコシが出ます。 |
オーガンジー・リボン |
繊細な美しさや奥行きを備えた高級感がある生地なので、今でもウェディングドレスや高級な衣料品に使用されます。 |
ヴィクトリア女王とアルバート王配(1861年)共に42歳頃 | さて、ヴィクトリアンのファッションについて、ヴィクトリア朝は長いですが、在位中ずっとヴィクトリア女王がファッションリーダーだったわけではありません。 1861年、42歳で最愛の夫アルバート王配を亡くして以降、ヴィクトリア女王は引き籠もりとなりました。 26年にも及ぶ長い喪が明けて以降も、二度と華やかな装いになることは二度とありませんでした。 従ってレイト・ヴィクトリアン以降のファッションリーダーは、アレクサンドラ王太子妃に移っています。 |
大英帝国のファッションリーダー | |
アーリー・ヴィクトリアン〜ミッド・ヴィクトリアン | レイト・ヴィクトリアン〜エドワーディアン |
ヴィクトリア女王(1819-1901年)1845年、26歳頃 | アレクサンドラ王太子妃(1844-1925年)1874-1875年、30歳頃(左:14歳下の弟であるデンマークのヴァルデマー王子) |
どのようなファッションが流行するのかは、ファッションリーダーによって大きく変わります。似た人が続けば大した変化は感じられないものですが、ヴィクトリア女王とアレクサンドラ妃では大きな違いがありました。 ヴィクトリア女王は本人も気にして側近に相談するほどの肥満体質でした。一方でアレクサンドラ妃は普通の人ではどれだけ頑張っても真似できないほどの美貌とスタイルの良さ、気品を備えていました。弟と写っている右の写真は10代の少女時代かと思ったのですが、実は弟とは14歳離れており、アレクサンドラ妃は30歳頃です。もう6人の子供を産み終わっています。おそるべしっ! |
アレクサンドラ王妃(1844-1925年)1904年、60歳頃 | 最強遺伝子を持つアレクサンドラ妃は、年を重ねても美貌と細身の体型を持ち続けました。 |
【ミッド・ヴィクトリアン】 ファッションリーダー:ヴィクトリア女王) |
【レイト・ヴィクトリアン】 ファッションリーダー:アレクサンドラ王太子妃 |
アレクサンドラ王女(1844-1925年)1860年、16歳頃 【出典】Royal Collection Trust / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020 | アレクサンドラ王太子妃(1844-1925年)1880年初期、30代後半 |
ヴィクトリア女王がファッションリーダーの時代は、ふくよかな女王を細く見せるためのクリノリンを使ったファッションが流行しました。相対的にウエストを細く見せるため、骨格を使ってスカートにボリュームを持たせます。必然的に生地はハリがあってボリュームが出やすい、透け感のない厚手のものが流行します。 しかしながらアレクサンドラ妃には、そのような小手先による視覚効果は必要ありません。アレクサンドラ妃がファッションリーダーになって以降は、そのスタイルの良さが活かされるような、細身で軽やかなファッションへと流行が変化していきました。 |
エドワーディアン頃のファッション(1890〜1910年頃) | |
時代が下るに連れ、よりファッションは洗練されていきました、それに合わせて、生地も透け感のある軽やかな素材が流行しました。 |
H.オニール社の春夏のレディス・スーツのカタログ(1898年) | オーガンジーも人気素材の1つでした。 イラストなので分かりにくいですが、左の1898年のファッション・カタログの説明書きによると、132番と134番のドレスがオーガンジー素材だそうです。 |
シルクとオーガンジー素材のドレス姿の女性(19世紀後期) | 当時の写真で見ると、このような感じです。 透け感のある生地は軽やかで清楚、そして上品な印象がありますね。 |
『太陽の沈まぬ帝国』 バンデッドアゲート ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
厚い生地でボリュームを持たせたミッドヴィクトリアンのドレスには、このように存在感があって、格調の高さや威厳を感じさせるようなジュエリーが最も良く合います。 しかしながらレイト・ヴィクトリアンのとても繊細な生地を使ったドレスだと、重量のあるブローチは高価な生地を痛めかねませんし、雰囲気も合いません。 |
『ヴェルサイユの幻』 エドワーディアン アクアマリン・ペンダント イギリス or ヨーロッパ 1910年代 SOLD |
ヴィクトリアン・ジュエリーはペンダントよりブローチが圧倒的に多いのですが、後期になるに連れてペンダントの割合が増加し、20世紀に入ると圧倒的にブローチよりペンダントやネックレスが主流となるのは、ドレスに使用される素材の変化が大きな理由です。 |
透け感のある繊細な生地で作られた、当時最先端の軽やかで気品に満ち溢れたドレス。その美しいドレスに合わせるために、この宝物は制作されました。 オーガンジーのような特殊素材の衣服というだけでも高級品であり、ハイジュエリーをオーダーできるのは本当に限られた人達だけでした。 硬い金属で、透け感のある柔らかなオーガンジー素材を再現した驚きのジュエリー。 この宝物には、そのような面白さと魅力があるのです。 |
2-3-3. リボンを再現した巧みな造形
このペンダントのオーガンジー・リボンのような表現は、柔らかいリボンの形状を再現した巧みな造形力と、透け感やオーガンジー独特の光沢を再現した、質感の見事な再現能力によって実現しています。 まず造形力について見て参りましょう。 立体的にデザインされているため、わずかに陰影が付くのです。 平面的な作りだと陰影が付かず、ゴールドの表面も均一かつ単調な色や輝きとなり、ノッペリとした面白味のない印象になったはずです。 |
もっと斜めから見てみると、思いの外、凹凸は緩やかなことが分かります。あからさまに立体的になった造形ではなく、必要最低限の凹凸で作られているのです。 |
黄金のリボンは、魚子(ななこ)打ちのような技法によってゴールドの表面がマット仕上げになっています。これにより、光の当たり方が僅かに変化するだけでも、驚くほどダイナミックに輝きが変化します。故に、緩やかな凹凸だけで十分なのです。 |
あからさまな凹凸ではなく、本物の薄手のリボンを使ったような緩やかな凹凸でリボンを造形しているからこそ、この宝物からは清楚で気品ある雰囲気が感じられます。 凹凸をしっかり付けた"分かりやすい造形美"はある意味誰にでも実現が可能ですが、このような知覚できるかできないかの瀬戸際を狙った造形美は余程のセンスと技術力を併せ持つアーティスト兼職人でなければ不可能です。 見事と言うより他ならず、ため息が出るほど美しいです。 |
2-3-4. オーガンジー素材を再現した驚きの魚子細工
ゴールド表面のオーガンジー・リボンのような独特の質感は、日本の魚子のような技法で作られています。 |
魚子 【出典】『日本の美術8 No.111 夏雄と勝E』長谷川 栄 編 p.97 ©至文堂 | 魚子は魚子鏨(ななこたがね)の先端を金属面に垂直に当て、後ろを金槌で叩き、圧痕を連続して均一に付けることで一面に地紋を作り出す技法です。 |
魚子打ちの変化形とならし鏨の効果 【出典】『日本の美術8 No.111 夏雄と勝E』長谷川 栄 編 p.97 ©至文堂 |
鏨の先端形状を変えることによって、様々な地紋を作り出すことが可能です。 また、ならし鏨によって表面形状をコントロールし、独特の質感を持たせることもできます。 |
製造した米沢箪笥の上にアンティークジュエリーを陳列して、米沢のとある蔵で展示会を開くGen(左、29歳頃) | 米沢箪笥の透かし金具を作る道具 |
これはジュエリーではなく、米沢箪笥の透かし金具を作るための道具です。アンティークジュエリーの仕事を始める前、縁あってGenは米沢箪笥の企画・製造・販売を行っていました。故にGenは既に完成された骨董を見る目を持つだけでなく、高度な技術を持つ職人の手作業による上質なモノづくりも経験で知っています。米沢箪笥は、鋼鉄による美しい透かし金具が特徴です。 |
1枚の鉄板からパーツの大きさに合わせて切り出す工程 | 俄かには信じられませんが、ゴールドやプラチナとは比べ物にならないほど硬く厚い1枚の鉄板から、職人が1つ1つ手作業で作っていきます。 透かし金具制作でも、たくさんの道具を必要とします。 |
金属用タガネ "ColdChisels" ©Graibeard, Glenn Mckechnie(2 July 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
鏨は様々なものが市販されていますが、「彫金師は道具を自作できるようになって一人前」と言われることもあるそうです。これを聞いて短絡的にまず道具の自作を目指すセミプロもいるそうですが、この言い方には語弊があるそうで、実際のところはオーダーに合わせて高度なことをやろうとすると、市販の道具では足りないので自作する必要が出てきます。タガネ制作自体が、タガネ制作を専門とするプロの職人がいるくらいなので、市販品と同じ道具を作っても専門のプロには及ぶわけがなく、制作しても意味がないそうです(消耗品ながらタガネは安くないため、コストを浮かせるメリットは有り得るそうですが・・)。 |
鑢で丹念に磨いて仕上げる行程 |
米沢箪笥の美しい透かし金具は、美術的要素が高いです。鉄板だからこその強靭な雰囲気と共に、軽やかな空間の美を表現するために、繊細な透かしを施します。細かい部分を作業するために、市販の道具では足りないため、やはり道具は透かし金具の職人さん自らが制作していました。道具からオリジナルで制作するような美術工芸品の場合、他の職人や他の工房は同じものを作ることはできません。アーティスト兼職人が頭の中でデザインを想像し、それを具現化するために必要な道具を作り出すところから始まります。 |
Genプロデュースの米沢箪笥 | 手作りの本当に上質な美術工芸品は、想像を絶する技術と手間、そして真心を注いで作られます。 |
透かし金具細工師の兄弟 | このような作業をするのは機械やコンピュータでは分かり得ない、材料の僅かな変化、道具のちょっとしたコンディションの違いなどを感覚的に知覚し、勘に頼って高度な作業をこなすことができる特別な職人です。 Genが依頼していた職人さんの兄弟も、「1日でも休むと勘が鈍るから」と、冠婚葬祭など余程特別な理由がない限り職人たちは休むことはありませんでした。 お葬式でも半日だけ休む程度です。 |
透かし金具細工の作業場 | 寒さ厳しい冬の米沢でも、土間にゴザを敷いただけの作業場で作業していました。 暖房も感覚が鈍るからという理由で使用せず、かじかみ過ぎた時だけ、火鉢で少し手を温めて作業していたそうです。 快適な環境で、気を抜いて作ってもそれっぽいものはできるでしょう。 でも、最高の物を作るためにこれだけ真面目に、日々の暮らしより仕事を中心にしてモノづくりをするのが古の職人です。 これほどまでに全てを捧げていない職人が、匹敵するレベルのものを作れるわけがありません。 |
最高級の米沢箪笥 | 透かし金具だけでなく数百単位で使用する鋼鉄の鋲も職人の手作りです。 最高の物を作りたいという職人のプライドと真心を込めて作られた美術工芸品は、その価値からすれば決して高くなく、むしろコストダウンばかり考えて作られた物に比べれば割安です。 品質ではなくコストダウンばかりを目的に作られたものは、楽して儲けることを意図して作られているので、安物ほど実際の価値からすると割高なのです。 |
日用品ならばまだしも、戦後は美しさと品質を追い求めるべきはずの美術工芸品にまで『安さ第一』が追い求められました。 高度な技術を持つ職人が手間と真心を込めてどんなに良い仕事をしてもその価値を認めてもらえぬようになり、子の代には継がせられないと、手仕事の優れたモノづくりの世界で廃業が進みました。 あっという間に優れた日本の米沢箪笥も、ヨーロッパのジュエリーも、その制作技術は失われてしまいました。 覆水盆に返らず、一度失われた技術はもう二度と同じレベルまで復活させることはできません。 |
米沢箪笥の透かし金具のデザインを罫書きする行程 | 日本各地でも失われた伝統工芸の復活の取り組みは多々行われていますが、きちんと成果が出ているものは皆無です。 真面目に取り組んだからと言って、僅かな期間で昔の人たちが積み上げてきたものと同じレベルにできるわけはありません。 |
透かし金具細工の作業場 |
それでも中途半端なレベルで「見事に現代に復活させた!」と豪語し、昔の優れたものとは似ても似つかぬ下級品を尤もらしく販売する人はいます。古の職人が築き上げた"優れた伝統工芸品"という、ある種のブランド的な威信を利用して楽して金儲けしようとする、ブランディングだけは得意なエセ職人です。恥さらしも良いところで、よくそんなことができるものだと思います。 美的感覚が無いだけでなく、ろくな知識も持たず、真に優れた美術工芸品がどういうものなのかを全く分かっていないからこそできることでしょう。 |
【参考】ヴィクトリアン・スタイルのペンダント(現代) | そういうものはアンティークジュエリー市場にもあります。 これは現代で作られたヴィクトリアン・スタイルのペンダントです。いかにも現代の成金嗜好の庶民にウケが良さそうなデザインで、見た目だけはそれっぽく作ってあります。 一般的な現代ジュエリーよりは手間をかけて作ってありますが、材料も作りも酷いです。材料については、量産の無個性なブリリアンカット・ダイヤモンドと養殖、もしくは模造真珠の安っぽさが凄いです。 一番気になるのは作りです。ゴールドの造形が平面的で薄っぺらいです。これが安っぽさにつながっています。全体的にボテっとした印象で、ミルグレインや石留めに繊細さが感じられませんし、バチカンも単純です。 |
【参考】ヴィクトリアン・スタイルのガーネット&オパール・ピアス(現代) | 現代のアンティーク風ジュエリーで、本物のアンティークのハイジュエリーに匹敵するものはありません。 せいぜいアンティークの安物から中級品と同等と言ったところでしょう。 材料について、ゴールドやプラチナなどの貴金属は現代でも同質の貴金属が昔より遥かに安く入手できます。宝石も、種類によっては類似したレベルのものが現代でも手に入ります。 一番ダメさが現れるのが作りです。アンティークのハイクラスの職人と同等レベルの技術を持つ職人がいない上に、手間をかけないのでチャチなデザインと作りにしかなりません。 |
【参考】ヴィクトリアン・スタイルのゴールド・ピアス(1980年代) | 頑張れば現代の職人でも、ヴィクトリアンの中級品レベルは作れます。 故に、アンティークの安物や中級品は現代で買う意味がありません。コンディションに心配のない新品を買った方が良いに決まっています。当時の人を想ってホッコリしたい人は別ですが、こういうものがアンティークジュエリー市場に大量に出回っているので要注意です。 ちなみに私はアンティークのハイジュエリーは目利きできますが、安物と現代のフェイクを見分ける自身はありません。摩耗の有無は1つの指標ですが、クオリティが同じなので見分けようがないのです。但し本物であっても安物には興味がないので、どうでも良いと思っています。 |
優れたアンティークのハイジュエリーは芸術品です。 「芸術とは熟練した洞察力と直感を用いた美的な成り行きであり、絶対的な美の本質は、見る者をどれくらい感動させられるかにある。」 それでは、その"芸術"はどうしたら作れるのか。 |
"モダンデザインの父" ウィリアム・モリス(1834-1896年) | アーツ&クラフツ運動を提唱したウィリアム・モリスは「人間味のある製品こそ真の美術品」と捉え、「全ての芸術の根本と基礎は、手芸にある」と語ってます。 |
産業革命 | モリスが生まれた当時のイギリスは、世界に先駆けて産業革命を成し遂げたことで、"誰が作っても同じ"の機械による大量生産品が当たり前となっていました。 モノづくりの現場で、人はプライドの持ちようがないただのオペレーターと成り果て、高度な技術を持つ職人による手仕事は急速に失われていきました。 |
モリス商会の壁紙を職人が手作業で印刷する様子(メロトン・アビー 1890年) |
モリスはこれに危機感を覚え、生活と芸術が結びついた理想の世界を実現するためにモリス商会を作ったのです。しかしながら高度な技術を持つ職人による、手間をかけた手仕事はコストが非常に高くつき、製品は富裕層しか手が出せないものとなりました。 庶民に至るまで、日常生活の隅々まで芸術が行き届いた世界を追い求めたモリスでしたが、もはやそういう時代ではなくなっていたのです。こうしてアーツ&クラフツ運動の真の試みは失敗に終わりました。植物文様などのデザインだけは要素として残りましたが、残念ながらこれはアーツ&クラフツ運動の本質であはりません。 |
この通り、庶民の日用品にまで優れた手仕事による芸術的な要素を持たせることは19世紀後期の時点で不可能でした。 しかしながら高い美意識と財力を持つ、ごく少数の王侯貴族のためのジュエリーにだけはまだこれが可能だったというわけです。 石ころにしか興味を持たない庶民では、この宝物のオーガンジー・リボンのような彫金細工の価値に気づくことは不可能ですが、実際に優れた職人にジュエリーをオーダーしていた当時の王侯貴族が見れば、この細工を一目見ただけでこの宝物がかなりのお金をかけて作られた高級品であり、持ち主の美意識の高さが現れた宝物なのかが分かるのです。 |
魚子打ちの変化形とならし鏨の効果 【出典】『日本の美術8 No.111 夏雄と勝E』長谷川 栄 編 p.97 ©至文堂 |
魚子の技法による金属の質感の表現は、職人の腕が大きく反映されます。 どんな質感を出したいのかデザインする能力が必要ですし、どのような道具が必要か計算する頭脳も必要です。 それだけでは十分ではなく、等間隔かつ同じ力で圧痕を付ける、精密作業の技術と忍耐力も必要です。 |
メトロポリタン美術館所蔵の日本刀の鐔 | |
表 |
裏 |
大森秀永 18世紀 | |
18世紀に制作された、この日本刀の鐔にも魚子の技法が使用されています。 |
日本刀の鐔の鉄地表面の魚子(大森秀永 18世紀) | 背景となる鉄地の全面が魚子仕上げになっています。 1点1点が鏨を打った痕というわけですが、これを鐔という広い面積で、しかも両面に均一に施してあるのです。 俄には信じがたいですし、その作業を想像すると絶対にやりたくありません。完成させる自信がありませんし、そもそも狭い面積でもこんなに均一に鏨を打つのは無理です。 |
金細工の工房(1641年) |
様々な技法を駆使して一人で芸術作品を仕上げる場合もありますが、少なくとも日本の魚子に関しては魚子専門の職人がいたほどだそうです。 精密な作業と驚異的な忍耐力を要する魚子の技法はそれほど特殊で、特別な才能を持つ職人にしかできないものなのです。 |
『黄金の花畑を舞う蝶』 色とりどりの宝石と黄金のブローチ イギリス 1840年頃 SOLD |
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アーリー・ヴィクトリアンに制作された『黄金の花畑を舞う蝶』も、広い面積に均一に魚子が打たれた見事なブローチです。どちらの宝物も魚子によるゴールドのマット仕上げが特徴ですが、同じ技法を使っていてもゴールドの質感が違います。 |
拡大すると、『黄金の花畑を舞う蝶』の魚子は美しく粒が立っています。 これによりゴールドの粒がそれぞれ強く光り輝き、肉眼で見た時、キラキラとした黄金の花畑のように認識されるのです。 |
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←↑等倍 |
一方で、今回の宝物は魚子鏨を打った後、ならし鏨を使って表面の一部を滑らかにしている痕跡が伺えます。恐るべきテクニックで、こんな魚子仕上げは今までお取り扱いしたアンティークジュエリーでも見たことがありません。 |
これが結果的に、透け感と上品な光沢を持つオーガンジー・リボンのような質感となっているのです。ならし鏨のような道具を駆使した特別なマット仕上げが施されているからこそ、今までに見たこともない質感が実現したというわけです。アイデアと実現する技術はアッパレと言う他なく、これをオーダーした人物も大いに喜んだに違いありません。これを見た他の社交界の人たちも、とても驚いたでしょうね。 |
2-4. ホワイト・エナメルを使う抜群の色彩センス
2-4-1. グリーン系のメジャーな宝石
ペリドット | エメラルド | デマントイド・ガーネット |
ペリドット リング ヨーロッパ 1910年頃 SOLD |
『エメラルドの深淵』 エメラルド リング イギリス 1880年頃 SOLD |
『ウラルの秘宝』 デマントイド・ガーネット リング イギリス 1880年頃 SOLD |
グリーン系の宝石は複数存在しますが、それぞれ色味の傾向が異なります。同じ"グリーン"でも、その僅かな色味の違いによって雰囲気はガラリと変わりますし、組み合わせて相性の良い色や質感も変わってきます。 |
2-4-2. ペリドットとの組み合わせが最も多い天然真珠
ネックレス イギリス 1890-1900年頃 SOLD |
ブローチ&ペンダント イギリス 1900年頃 SOLD |
ネックレス イギリス 1900年頃 SOLD |
ペリドットの明るく優しいオリーブ・グリーンは、温かみのあるゴールドの色彩と相性が良いです。また、優しい色彩と輝きが特徴の天然真珠とも合います。ペリドット・ジュエリーが流行したレイト・ヴィクトリアンからエドワーディアンにかけて、天然真珠が史上最も高く評価された時代だったこともあってか、プラチナが出てくる以前のペリドットのハイジュエリーは、ハーフパールとの組み合わせによるゴールド・ジュエリーとして作られている場合が多いです。 |
ペリドット&シードパール ブローチ&ペンダント イギリス 1900年頃 SOLD |
実際、白い天然真珠との組み合わせは王侯貴族らしい、清楚で気品ある雰囲気ですよね。 オリーブ・グリーンと純白、そしてゴールドの組み合わせは色として相性が良いです。 |
この宝物の色の組み合わせもオリーブ・グリーンと純白、ゴールドの組み合わせですが、天然真珠ではなくホワイト・エナメルを選択したことに、これをオーダーした人物が並の王侯貴族ではないことが現れています。 教養や美的感覚に優れた人たちが集まる社交界では、少し優れているくらいでは"社交界の花"として一目置かれることはありません。 「皆が天然真珠を選ぶなら、私はホワイト・エナメルにするわ。ほら、美しいでしょう?♪」 |
それぞれの要素が主張していながらも、全体としては物凄く綺麗に纏まっているのは見事なデザイン・センスというほかありません。 現代ではエナメルに高級なイメージを持つ人は多くありませんが、もともとはハイジュエリーや高級な時計にしか施されない、高度な技術と大変な手間を要する価値の高い技法でした。 メインストーンのクリアなダイヤモンドとは真逆と言える、真っ白なホワイト・エナメルがこの宝物の高級感とオシャレな雰囲気を惹き立てています♪ |
3. 最高級品ならではの徹底した作りの良さ
3-1. 素晴らしいバチカン
『WILDLIFES』 モダンスタイル×アーツ&クラフツ ペンダント イギリス 1900年頃 SOLD |
オシャレや美しさを追求して制作されるペンダントほど、そのこだわりの強さと美意識の高さはバチカンにまで反映されているものです。 お金も手間も惜しむことはありません。 |
『Bewitched』 ウィッチズハート ペンダント&ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
『慈愛の心』 ハートカット・アメジスト ペンダント イギリス 1880年〜1900年 SOLD |
本体が宝石を使った煌びやかなペンダントであれば、バチカンにも本体と変わらぬ上質な宝石を使います。 |
『平和のしるし』 ローマンモザイク デミパリュール イタリア 1860年頃 ¥2,030,000-(税込10%) |
『豊穣のストライプ』 ロケット ペンダント フランス 1880年頃 SOLD |
ウイッチズハート ペンダント イギリス 1890年頃 SOLD |
細工物であれば、バチカンにもその細工の技術を惜しみなく使います。 本当に贅沢なことであり、これこそが美意識の高い王侯貴族のジュエリーへのお金のかけ方です。 |
『麗しのマデイラ』 マデイラ・シトリン ペンダント イギリス 1910年頃 SOLD |
本体は素晴らしいのにバチカンは貧相だと、美意識の高い人々が集まる社交界では「ケチったのね。お金に困ってらっしゃるのかしら。」、「片手落ちね。そこまで意識がいかなかったのかしら。」と、陰で笑われかねません。 たくさんアンティークジュエリーをお取り扱いしていると、「なぜこのクラスの本体にこのバチカン?」と違和感を感じるものもあります。 ペンダントのバチカンは揺れる構造であるが故に、使用による摩耗は避けられません。100年以上の使用によって、摩耗して取り替えられていることもあるようです。これはしょうがないことではあります。 オリジナルかつグッド・コンディションで残っているものは、歴代の持ち主がヘビーローテーションすることなく、適切な使い方で大事に保ってきたからです。 |
この宝物も、オリジナルの素晴らしいバチカンがグッド・コンディションで残っています。 |
バチカン自体の形状もフラットではなく、緩やかな凸状に作ってあります。 |
そこに本体に施したのと同様の、オーガンジー・リボンのような質感を出すための独特のマット・ゴールド加工を行っています。 |
凸面に施してあるからこそ、角度が変わるごとに輝き方も変化して美しいです。 |
また、マット・ゴールド加工が本体とバチカンで完璧に同じように仕上がっているからこそ、違和感なくオーガンジー・リボンのような美しさに没入することができます。 |
3-2. 美しい極細のナイフエッジ
この宝物は、ホワイト・エナメルで葉っぱを表現した部分にナイフエッジの技法が使用されています。 |
ナイフエッジを駆使したジュエリー | |
『PURE LOVE』 イギリス 1900年頃 SOLD |
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ナイフエッジは古い時代からヨーロッパで見られる技法ですが、ヴィクトリアン後期にかけて洗練された雰囲気のジュエリーが好まれるようになると、より細さを極めたものが作られるようになりました。 使用の際に力が加わるブローチでは耐久性の面から限界がありますが、力のかからないペンダントやネックレスで、より金属の存在感をなくすための細いナイフエッジが施されるようになったのです。 |
長さのあるナイフエッジだと、ペンダントやネックレスであっても細くし過ぎるのは耐久性の面から難しいのですが、この宝物は構造上ある程度細くしても耐えられるようになっています。 上部のナイフエッジは弧を描いているため、ただの直線よりも強度があります。 一番下のナイフエッジは短いですし、その上はY字になっており2本で支えられます。 |
この構造で許される、極限まで細いナイフエッジに仕上げてあります。 葉っぱの茎となるゴールドは線のように細く、存在感が極限まで抑えられています。 故に、同じ素材で作られている黄金のオーガンジー・リボンがより印象的に見えるのです。 ちょっとしたことですが、間違いなく計算して実行された視覚効果です。 強度の計算も正しかったようで、100年以上ペンダントとして使用された今でも、細いナイフエッジは変形することなく美しいままです。 |
叩いて鍛えた鍛造のゴールドだから可能なことで、現代ジュエリーのように、柔らかい鋳造ゴールドでこんなに細く仕上げたらすぐにグンニャリ曲がってしまうでしょう。 このようなナイフエッジ1つ見ても、現代では作れない細工なのです。 そして、このデザインはナイフエッジがないと成立しません。 美しいジュエリーは、高度な細工の技術が失われた現代では絶対に生み出すことができないのです。 技術が追いつかないために自由にデザインができないというわけで、仮に今、才能のあるデザイナーがいても具現化できないというのは残念なことですね。 |
3-3. 繊細に光り輝く極上のミルグレイン
この宝物は、宝石をセッティングしたプラチナやゴールドのフレームに施されたミルグレインも、さすがと言えるトップクラスの出来栄えです。 ミルもアンティークジュエリーの終焉と共に技術が失われた細工の1つですが、アールデコ後期くらいから既にその気配はありました。 |
天然真珠&ステップカット・ダイヤモンド ネックレス オーストリアorドイツ 1920年代 SOLD |
19世紀までの旧時代のヨーロッパは、装飾過多がお金と手間をかけた高級品の証でもありました。 しかしながらアールデコに入ると、欧米でも『シンプル・イズ・ベスト』の概念が広く受け入れられ、デザイン上意図的に、敢えてミルを打たない王侯貴族のためのハイジュエリーも一部で制作されるようになりました。 |
アールデコ後期の成金(庶民)用のハイジュエリー(1930年代) | |
【参考】アールデコ・ダイヤモンド・ブローチ(1930年代) | 【参考】ジョージズ・フーケ作 アールデコ・リング、クリスティーズにて7万5千スイス・フランで落札(約825万円) |
ハンドメイドの繊細なミルグレインには高度な技術と共に、手間がかかります。それは即ち技術料や人件費としてのコストとなります。アールデコ後期になると、ハイジュエリーの主要購買層は旧勢力であったヨーロッパの上流階級ではなく、アメリカなどの新興成金へと移っていきました。 美的感覚がなく、無知な新興成金はミルグレインの繊細な輝きよりも安さを喜びます。また、お値段以上と感じられるお得感も大好きです。 |
【参考】アールデコ後期のダイヤモンド・ダブルクリップ ・ブローチ(1930年代) |
顧客ニーズに応えること、また、成金の性質を利用して楽して儲けたいという宝飾業界の思惑による当然の流れとして、ミルの細工は省略されるようになっていきました。「このほうが古臭さがなく時代の最先端ですし、スタイリッシュでオシャレですよ〜!!」と言えば、疑うことなく成金は納得します。浮いたお金でそれっぽくダイヤモンドをセットしておけば、「ダイヤモンドがゴージャスなのにお安い!♪」と大喜びです。 ジュエリー制作に本来あるべき「美しいものを作ろう!」という意図ではなく、「最大限、楽して儲けよう!」という意図の元で作られたジュエリーは、楽ができる宝石にばかりそれっぽく見える程度にお金をかけて、一番コストがかかる細工部分はとにかくコストカットのために省略されます。それほど細工にはお金がかかるという証拠でもあるのです。 ステップカット・ダイヤモンドとブリリアンカット・ダイヤモンドで作られたこのダブル・クリップも、ダイヤモンドだけは量が多いですが、ミルグレインは全く施されていません。ダイヤモンドがたくさんあるように見せて高く売ることが目的なので、見た目のバランスや美しさは二の次になっており、デザイン的にも魅力がありません。 |
『ノルマンディー号』 アールデコ ペンダント フランス 1935年 SOLD |
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同年代に作られたハイジュエリーでも、当時大注目だった『ノルマンディー号』をデザインした、いかにも王侯貴族のための優雅なジュエリーだと、ダイヤモンドのセッティングにもデザイン上の明らかな意図が見えます。フレームや覆輪にミルを打ってある部分とそうでない部分の両方が存在します。 ミルグレインは1つ1つの金属の小さな粒から放たれる、繊細な輝きが魅力です。一方でミルのないフレームはスッキリとしたシンプルな印象が感じられます。美的感覚の鋭い人たちのためのハイジュエリーは見た目上の単純な平面デザインのみならず、どういう雰囲気を出したいのかによって立体構造や揺れ動き方、輝きまで全てデザインし、技術と手間を惜しまず高度な職人の手で作り込まれるものなのです。 |
【参考】現代ジュエリーのミルグレイン | 現代ではミルグレイン本来の目的も忘れ去られてしまい、なんとなくミルグレインがあるものでも、このような無骨で気持ちの悪いものばかりです。 |
【参考】現代ジュエリーの鋳造ミルグレイン | アンティークのハンドメイド・ジュエリーのように1つ1つ鏨を打ち、頭を鑢(ヤスリ)で磨いて半球状に整えるという手間のかかる作り方ではなく、安く早く大量生産するために鋳造で作っているため、ミルグレインも大きいのです。 ミルグレインを小さくすると型離れが悪くなり、歩留まりが悪化するというわけです。 |
職人が1つ1つ心を込めて手作りしていたアンティークのハイジュエリーの場合、ミルグレインの規格は決まっていません。 大きさも形状も職人次第です。 いくつものハイジュエリーを見ていて気付いたのですが、トップクラスの職人ともなると、どのような輝きを出し、どういう雰囲気に仕上げたいのかでミルグレインの大きさも形状もコントロールしていたようです。 |
『スコットランドの騎士』 エドワーディアン ミニチュア勲章(替章) ブローチ イギリス 1910年頃 SOLD |
シッスル勲章のミニチュアとして制作された、『スコットランドの騎士』もその性質上、英国王室御用達メーカーのトップクラスの職人が制作したと推定できる宝物です。 ミルグレインもさすがの出来でした。 |
←↑等倍 |
拡大してその形状を見てみると、とても美しい半球状に整えられていることが分かります。綺麗な半球状の粒が放つ輝きは、格調高く威厳に満ち溢れます。まさに、この宝物にピッタリの輝きです。 |
←↑等倍 |
一方で、このリングのミルは幅をより狭くし、半球よりも細い粒に整えてあります。半球状の粒の格調高い雰囲気とは打って変わって、繊細でシャープな輝きとなっています。切れ味鋭い |
『影透』 アールデコ 天然真珠 リング イギリス 1920年頃 SOLD |
日本刀の鐔をモチーフにしたデザインには、まさにピッタリの雰囲気です。 半球状のミルグレインだと、雰囲気はガラリと変わっていたことでしょう。 細いミルグレインによって、より切れ味の鋭さを感じる美しいデザインのリングに仕上がっています。 トップクラスの職人だとミルグレインもただ施すのではなく、表現したい雰囲気に合わせてこれだけ感覚や形状をコントロールするということです。 |
トップクラスの職人が作ったこの宝物のミルグレインも、1粒1粒が整っておりとても綺麗です。半球状よりも細く整えられており、肉眼で見ると格調の高さより繊細な美しさが惹き立ちます。 |
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通常のハイジュエリーと比較して、より細かいミルグレインとなっています。 粒が大きいと存在感が強くなり、オーガンジー・リボンのようなマットゴールドの彫金を邪魔していたでしょう。全体のデザインで見たときに、実にバランスの良いミルグレインだと感じます。 |
それにしても、この細かさで乱れなく細工を施してあるのは凄いです! |
3-4. 複雑に揺れる構造
この宝物はチェーンも駆使することで、複雑に揺れるようにデザインされています。 |
ペンダントを下げるのに使用しているのは、アンティークのノーマルなゴールド・チェーンです。 比較すると、バチカンと本体の連結に使用されているチェーンは、より1つ1つのパーツが細かいことが分かります。 |
金の色味が合っていることからも、チェーンは市販品ではなく、このペンダントのために特別に作られたものであることが分かります。通常のチェーンより細かい分、同じ長さにするにしても、よりたくさんのパーツが必要となります。また、作業の難易度も格段に上がります。 |
よく集中力を切らさずにやったものだと関心すると共に、トップクラスのジュエリーとして特別オーダーされたものだと、ここまで徹底的にやるのだなと改めて感動します。 |
着用者の動きに合わせて美しく揺れる構造だからこそ、ゴールドのオーガンジー・リボンの華やかな輝きや、ミルグレインの繊細な輝き、宝石の煌めき、ホワイト・エナメルの艶やかな輝きが最大限に発揮され、見る者を魅了したことでしょう。 |
裏側
このクラスになると、裏の仕上げも完璧です♪ |
着用イメージ
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まあまあの大きさがありますが、清楚な雰囲気の細工物のジュエリーなのでパーティーなどの華やかな場所以外でもお使いいただきやすいと思います。ゴールド・チェーンだけでなく、リボンとも相性の良いペンダントです。 ご希望の場合は、撮影に使用しているゴールド系のオーガンジー・リボンをサービス致します。リボンの太さは3種類からお選びいただけます。 |