No.00349 芸術には自由を |
『DER ZEIT IHRE KUNST, DER KUNST IHRE FREIHEIT』 |
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20世紀から21世紀に移り変わる新時代...
セセッションがモットーとした『時代には芸術を、芸術に自由を』を、まさに体現した宝物です!!♪ |
金属とは思えない、驚異の立体造形は『神技の芸術』!!♪ |
『芸術には自由を』 |
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コンテストに出展するために作られた可能性が高い、デザイン・宝石・神技の作りが3拍子揃った宝物です!♪煌めきではなく美しい色彩で華を添えるカボション・サファイア、輝き過ぎないクローズドセッティングのオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドは、主役である黄金フォルムを惹き立てる名脇役です。 金無垢だとブローチとして重すぎるため、中空構造です。通常は型を使う鋳造で作りますが、何と鍛造でこの超複雑な立体造形を具現しています!!!叩いて鍛える工程で作ったマットゴールドの質感も美しく、高級感に満ちています。ウィーンのセセッション・デザインは、シャープさやスタイリッシュさを強く感じるイギリスのモダンスタイルとも明確に異なります。120年後の私たちが見てもなお未来的に感じる、時代を超越した宝物です!♪ |
この宝物のポイント
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1. セセッションならではの未来デザイン
これまでに見たことがないような、個性的で未来的なデザインの宝物です!♪ これはセセッション・ジュエリーの中でも最初期の作品と言える、ハイクラスのブローチです♪ |
1-1. 世紀末ウィーンのセセッション・ジュエリー
これまでの46年間でたくさんのアンティークのハイジュエリーをご紹介してきましたが、その中でも明らかに異彩を放っています。 セセッションのハイジュエリーはとても数が少なく、ご紹介できる機会が少ないため、似た雰囲気のジュエリーすらも滅多に出きません。 |
1-1-1. クラシカルな時代のオーストリア貴族のデザイン
神聖ローマ皇帝・ブルゴーニュ公・オーストリア大公マクシミリアン1世(1459-1519年) | 今でこそ周辺諸国に存在感が埋もれているオーストリアですが、第一次世界大戦で敗北して1918年にハプスブルク家の帝国が解体される以前は、大きな存在感を放っていました。 ウィーンはヨーロッパを広く支配していたハプスブルク家の、オーストリア帝国の首都として栄えていました。 19世紀はナショナリズムにより国家再編が連続しますが、19世紀後半まではドイツ民族全体の帝都として存在し、第一次世界大戦まではオーストリア=ハンガリー帝国の首都として中東欧の大部分に君臨していました。 政治経済のみならず、文化の中心地として発展した長い歴史があります。 |
オーストリア帝国(1804-1867年) | 現代のオーストリア(薄緑色はEU) |
"Austrian Empire(1815)" ©TRAJAN 117(12 August 2013)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
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フランス革命からフランスの侵略戦争の流れで、千年ほども続いた神聖ローマ帝国は1806年にナポレオン・ボナパルトによって解体されました。1848年のウィーン体制崩壊後もゴタゴタが続いたこともあって、19世紀のオーストリアのハイジュエリーは、市場であまり見ることがありません。 |
ネオ・ルネサンス 剣型ピン・ブローチ ウィーン 1860〜1880年頃 SOLD |
これはオーストリア帝国(1804-1867年)からオーストリア=ハンガリー帝国(1867-1918年)の時代にウィーンで制作された、剣型のピン・ブローチです。 シンプル・イズ・ベストを好む日本人の美意識とは一線を画す、宝石や装飾を詰め込んだデザインがいかにもオーソドックスなヨーロピアン・ラグジュアリーな雰囲気です。 |
オーストリア=ハンガリー帝国(1867-1918年)のハイジュエリー |
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ハンガリアン 宝石&エナメルのペンダント&ブローチ(ロケット付) ハンガリー 19世紀後期 SOLD |
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『聖ジョージの龍退治』 ネオ・ルネサンス 宝石とエナメルのペンダント オーストリア=ハンガリー帝国 19世紀後期 SOLD |
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同様に、19世紀後期に制作されたこれらのジュエリーも、詰め込まれた要素の多さが特徴的です。隙間なく埋め尽くすことこそ、ヨーロピアン・ラグジュアリーの贅沢さと美しさの象徴でした。隙間なく施された細工にも圧倒されますし、多色使いのエナメルもカラフルです。実は宝石も様々な石が贅沢に使用されていますが、デザインと一体化していてあまり目立たないですね。 このようなデザインこそ、オーストリアの王侯貴族の贅沢なジュエリーを体現したものでした。 |
1-1-2. 世紀末ウィーンに生まれた革新的なセセッション・ジュエリー
城壁に囲まれたウィーン市街 |
19世紀後半、国家事業としてウィーンは新しい街に生まれ変わりました。 都市防壁が先史時代から存在し、少なくとも13世紀には城壁に取り囲まれていたウィーンでしたが、それらを撤去し、都市計画によって近代的な街並みへと造り変えられたのです。 |
ウィーン城壁の取り壊しと建設中のリングシュトラーセ(1863年) |
個人レベルで建物を1つ2つ刷新するのとは、まるで違います。国家事業だったからこそ、街全体が全く新しいものに生まれ変わりました。ただ便利になった、経済が回って豊かになったというだけでなく、人々の精神に大きな影響を与えたことでしょう。その効果は計り知れません。 |
物事はスイッチ的に、昨日まで黒だったものが今日から白というように切り変わるわけではありません。連続的な変化で徐々に移行していきます。 まだプラチナが使用されていない事などから、この宝物が1900年頃に制作されたと分かるのですが、デザインに関してはまだ生まれ変わる過渡期の時代でした。 |
狩猟姿のオーストリア皇帝&ハンガリー国王フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916年) | 王侯貴族の時代は、君主の人となりが国の経済、政治、思想、文化、あらゆるものに影響しました。 当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は王権神授説を信じる絶対的な君主であり、自らも『旧時代の最後の君主』と認める古いタイプの君主でした。 新しいもの。いわゆる『文明の利器』である機械にはアレルギーを示し、自動車と電話は決して用いようとしなかったそうです。 狩猟が幼少期からの趣味で、芸術面では芝居を好みましたが、音楽にはほとんど関心を示さなかったそうです。芸術・音楽・文学には疎かったものの、価値自体は理解して庇護したので、世紀末ウィーンに向けて文化が発展しました。 |
オーストリア皇帝&ハンガリー国王フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916年)1905年撮影 | 18歳という若さで異例の即位し、23歳で暗殺されかけて重傷を負いながらも復活したフランツ・ヨーゼフ1世は、晩年は『不死鳥』とも呼ばれオーストリアの象徴的存在として親しまれました。 最終的には68年に及ぶ長い在位期間と、国民からの絶大な敬愛から『国父』とも称されています。 新しい街づくりと相まって、ウィーンに人が集まったのは自然なことでした。 |
ウィーン宮廷歌劇場(1898年頃)現:国立歌劇場 |
1840年に44万人だったウィーンの人口は1880年に70万人、1918年には223万人に膨れ上がりました。 1881年にロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺されたことをきっかけに、東欧で反ユダヤ主義『ポグロム』(1881-1884年)が発生し、ウィーンに多数のユダヤ人が流入することにもなりました。それに伴い、ユダヤ系資本家たちの資金がウィーンに集まったこともあって、世紀末ウィーンに向けて経済や文化が加速しました。 人が集まれば、才能ある人も自然と増えます。新しいことへの挑戦がうまれ、その中で切磋琢磨して身を結んだものが新しい流行や文化へとつながっていきます。人が増えることで経済が回り、購買力も上がり、新たな創作へと繋がるという好循環が生まれます。 |
芸術家団体クンストラーハウス(ウィーン 1883年) Künstlerhaus, 1883 August Kronstein (Künstlerhaus Archiv) © Künstlerhaus Archiv / Adapted/CC BY-SA 3.0 |
便利なもの、効率的なもの、よりお金を生み出せるもの。指標が誰にでも分かりやすいものは、皆が納得して同意するのも早く、移行はスムーズに起きます。しかしながら"芸術"は分かりにくいです。既得権益化した、旧態依然の体制が保たれやすい業界とも言えます。 世紀末ウィーンで展示会場を持っていたのは、クンストラーハウスという芸術家団体でした。19世紀後半は印象派がフランスを中心に世界に影響を与えましたが、ウィーン美術界はその影響も殆ど見られないほど保守的でした。 |
第14回分離派展の集合写真(1902年) |
そのような中で、新しいことにチャレンジしたい人々が現れるのは必然の流れです。1897年、クンストラーハウスの保守性に不満を持つ若手芸術家たちはグスタフ・クリムトを中心に『オーストリア造形芸術家協会』を結成しました。絵画、彫刻、工芸、建築など、様々な芸術家が参加しました。 しかしながら、クンストラーハウスはこの活動を認めませんでした。その結果、脱退して、ウィーン分離派(セセッション)としての新たな活動が始まったのです。 |
20代のグスタフ・クリムト(1862-1918年) | |
グスタフ・クリムト(1862-1918年) 1887年、25歳頃 | 『Idylle(イディール:女)』(グスタフ・クリムト 1884年)22歳頃の作品 |
1862年生まれのクリムトは、まさにウィーンが生まれ変わる時代を体感しながら育った世代ですね。ワクワクする、エネルギッシュな時代だったと言えるでしょう。 1897年、分離派を結成した頃の会長クリムトは35歳でしたが、既にウィーンの代表的な画家として名声を得ていました。1894年にはウィーン大学大講堂の天井画も受注しています。 |
【ウィーン大学大講堂の天井画】 『医学』(グスタフ・クリムト 1899-1907年) |
但し、天井画は厳しい非難や攻撃も受けたそうです。 保守的でオーソドックスな作品が主流だった時代に、これだけ大胆で難解な作品をいきなり目にすれば、面食らうのは無理もないですね。 特定分野の教養や知識があれば理解できるモチーフや構図なので、そのような層からは高く評価されるのでしょうけれど、分からない人にはさっぱり理解できないという感じだったでしょう。 |
【ウィーン大学大講堂の天井画】 『哲学』(グスタフ・クリムト 1899-1907年) |
【ウィーン大学大講堂の天井画】 『法学』(グスタフ・クリムト 1899-1907年) |
世紀末ウィーンとは言え、かなり禍々しい作品揃いですね(笑) |
第1回・分離派展に来臨した皇帝フランス・ヨーゼフ1世(1898年) 皇帝の右:会長グスタフ・クリムト、その右の挨拶する人物:名誉会長ルドルフ・フォン・アルト準男爵 |
メインストリームから外れた異端の若者たちの弱小集団かと言えばそうでもなく、第1回・分離派展には皇帝フランツ・ヨーゼフ1世も来臨しています。セセッションの会長はクリムトでしたが、父子で皇太子時代のフェルディナント1世に作品を献上したこともある実力派の画家ルドルフ・フォン・アルト準男爵が名誉会長を務めるなど、立ち上げ当初からほぼオフィシャルと言える存在だったことが分かります。 530点あまりの絵画、彫刻が出品され、その半数近くの220点あまりが売れるほどの大成功を納めました。ロダン、シャヴァンヌ、シュトゥックなど国外からの出展もありました。入場者は5万7千人に達し、当時としては記録的な数字でした。ウィーンの新しい芸術に対する世界の関心や期待の高さが伺えると共に、実際に高い評価を伴うものでした。 |
【オーストリア近代産業の父】カール・ヴィトゲンシュタイン(1847-1913年) | 第1回・分離派展(1898年)は、臨時的に造園協会の会場を借りて開催されました。 しかし同年に開催された第2回・分離派展は専用のセセッション館で開催されました。 ウィーン市から土地が寄贈され、実業家カール・ヴィトゲンシュタインがパトロンとなって建設された展示会館です。 カールはアシュケナージ・ユダヤ人で、製鉄事業で大きな成功を収め、オーストリア近代産業の父と称される人物です。莫大な富を元に、多くの著名な芸術家を支援したことで知られており、グスタフ・クリムトのパトロンでもありました。 |
実業家カール・ヴィトゲンシュタインの子供たち | |||
クリムト作品のモデル | ピアニスト | 哲学者 | |
ヘルレーネ(1874-1950年)1904年、30歳頃 | マルガレーテ(1882-1958年)1905年、23歳頃 | パウル(1887-1961年) "Paul Wittgenstein 3 (c) BFMI" ©Bernard Fleischer Moving Images/Adapted/CC BY 3.0 nl |
ルートヴィヒ(1889-1951年)1930年、41歳頃 |
カール・ヴィトゲンシュタイン夫妻は9人の子供を儲け、娘たちはクリムトの絵のモデルになっていたり、息子たちもピアニストや哲学者など、学芸の分野で活躍しています。学芸の分野に勢いがあり、活気に満ちていた良き時代が想像できますね。 |
セセッション館(ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ設計 1897-1898年) "Secession 2016, Vienna" ©Thomas Ledl (5 July 2016, 12:47:51)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
カールに支援により、ヨゼフ・マリア・オルブリッヒの設計で建てられたのがセセッション館(分離派会館)です。入口上部には、"DER ZEIT IHRE KUNST, DER KUNST IHRE FREIHEIT"(時代には芸術を、芸術には自由を)というモットーが掲げられました。 |
オーストリアの宮廷舞踏会(ヴィルヘルム・ガウス 1900年) 中央の白髭に白服の男性がオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世 |
1900年頃と言えば、依然としてオーソドックスな宮廷文化も力を持つ時代でした。クラシックさもまだまだ健在な文化やドレス・・。 |
そのような時代に生まれた、あっと驚くような斬新で画期的なデザイン。 "DER ZEIT IHRE KUNST, DER KUNST IHRE FREIHEIT" まさに当時のセセッションのエネルギッシュな意思と、その理想を反映したかのような素晴らしい宝物なのです!♪ |
1-2. イギリスのモダンスタイルとも異なる魅力
1-2-1. 試行錯誤でブラッシュアップされたセセッション・スタイル
『接吻』(クリムト黄金時代の代表作 1907-08年) | 各様式や芸術家に関して、一般的には数点の代表作のみにフォーカスされがちです。 しかしながら"新しい芸術"とは、天才の閃きによって一瞬で生み出されるものではありません。 閃き自体はあったとしても、その前段として多くの試行錯誤があるものです。『産みの苦しみ』あってこそ、優れた芸術が生まれます。 |
彷徨うグスタフ・クリムト(1862-1918年)1910年代 |
セセッションの代表的な芸術家の1人であるクリムトの作品を見ても、その試行錯誤の様子を伺い知ることができます。 |
1-2-1-1. クリムトらしい特徴のない初期の作品
『Idylle(イディール:女)』(グスタフ・クリムト 1884年) |
これはクリムトが22歳頃に描いた、初期の作品です。上手ではありますが、ただ上手なだけです。奇抜さやクリムトならではの強い魅力があるかと言えば、そうでもありません。これならば他の芸術家でも作れる範囲内であり、ここで止まっていたら腕の良い芸術家の1人として、時代に埋もれていたことでしょう。 |
【画家の王】ハンス・マカルト(1840-1884年) | ウィーン郊外に生まれたクリムトは1876年、14歳頃に博物館付属工芸学校に入学し、石膏像のデッサンや古典作品の模写を中心とした古典主義的な教育を受けました。 『画家の王』と呼ばれた19世紀後半のウィーン美術界を代表する画家ハンス・マカルトの影響も受けており、初期の作品はそれが分かる作行になっています。 マカルトが44歳で1884年に亡くなった時、クリムトは22歳でした。上の『Idylle(イディール:女)』は、その年の作品です。 |
『カール5世のアントワープ入城』(ハンス・マカルト 1878年)520×952cmの大作 |
これはマカルトの代表作の1つです。横幅は10m近い、巨大な歴史画です。ハプスブルク家の領土をスペインとその属領に及ぼした神聖ローマ皇帝カール5世(1500-1558年)を描いた作品で、公開から数日のうちに3万人を遥かに超える人々がクンストラーハウスに押し寄せ、当時はあらゆる階層の人々がこの話題で持ちきりだったそうです。入場の混乱を整理するために、警察が出動する事態になったほどだそうです。 画家の王マカルトは当時のウィーン社交界の中心人物として君臨し、レジオンドヌール勲章も受章しています。1884年にマカルトが死去すると、クリムトはその後継者と見なされたそうです。奇抜で独特な印象が強いクリムトですが、画力自体は確かな才能があったということでしょう。 |
1-2-1-2. 風景画を試したクリムト作品
『Stiler Weiher』(グスタフ・クリムト 1899年) | 『アッター湖の島』(グスタフ・クリムト 1901-1902年) |
クリムトによる、印象派を思わせる風景画です。独特の構図で個性を出そうとした、強い意思が伝わってきます。風景画も数多く残しており、これはこれで魅力があります。それでも風景画の作家にとどまっていたら、今ほどの知名度はなかったでしょう。 |
1-2-1-3. 印象派を試したクリムト作品
『Beech Grove I』(グスタフ・クリムト 1902年) | 印象派を思わせる作品も、いくつも残しています。 崩した表現でありながら、元々高い画力を持つ画家なだけあって、どれも上手です。 印象派の画家として専念しても、食べていくことができただろうと思えるレベルです。 |
『Farm Garden with Sunflowers』(グスタフ・クリムト 1907年) | 『Avenue in Schloss Kammer Park』(グスタフ・クリムト 1912年) |
1-2-1-4. 当時の普通な印象のクリムト作品
『ソニア・クニップスの肖像』(グスタフ・クリムト 1898年) | 『ピアノを弾くシューベルト』(グスタフ・クリムト 1899年) |
クリムトはこのような、普通っぽい作品も残しています。当時の画家の作品でも、似たものがある印象です。 19世紀、ティファニー帝国を築いた功労者の1人であるデザイン部門の責任者エドワード・C・ムーア(1827-1891年)は著名な美術コレクターでもあり、統率するアーティストたちに、世界中の様々な年代のジュエリーや工芸品から勉強するよう指導したそうです。 そうではもちろん、同年代の優れたアーティストも"学び"の対象だったでしょう。盗作まがいの猿真似とは絶対的に異なります。盗作は軽蔑の対象となる一方で、参考にするアーティストに然るべき尊敬の念を持ち、しっかりと自分らしさを出して上手く昇華させることができればクリエイターとして賞賛の対象となります。 才能に溢れるからこそ止まることなく、クリムトは納得がいくまであらゆる試行錯誤を重ねたのでしょう。 |
1-2-1-5. 日本美術の掛け軸を意識したクリムト作品
『Liebe(リーベ:愛)』(グスタフ・クリムト 1895年)ヴィエンナ美術館 | 『戯曲"クラヴィーゴ"でカルロスを演じる宮廷役者ヨーゼフ・ルインスキー』(グスタフ・クリムト 1895年) |
クリムトは日本の美術工芸品のコレクターとしても知られており、その影響は有名です。独特の比率で構成される掛け軸の構図にも、トライしています。これも猿真似ではなく、自分ならではの作品に昇華させようとする芸術家魂がこもっています。モチーフは日本ではなくヨーロッパを選び、細長く描いた構図の両サイドに、気の利いた装飾を描いているのも面白いです。 |
1-2-1-6. 日本美術の琳派に影響を受けたクリムト黄金時代の作品
『ユディトI』(グスタフ・クリムト 1901年) | 『ダナエ』(グスタフ・クリムト 1907-1908年) |
クリムトで最も有名なのは、琳派に影響を受けた金箔を使った作品です。金箔作品を制作していた時代はクリムトの『黄金時代』と呼ばれています。 今でもそうですが、当時の欧米の上流階級は日本美術というだけでも知的で高尚という、一種のステータスがありました。それを上手く昇華した金箔作品はインパクトのみならず、ジャポニズムという威光をまとっており、だからこそ高く評価されたのでしょう。 日本人にとっても、モチーフが日本ではないからこそ新規性のある作品になっており、魅了される人が多いのでしょう。 |
1-2-1-7. アジアンなクリムト作品
『Friedericke Maria Beer』(グスタフ・クリムト 1916年) | 晩年はジャポニズムではなくシノワズリとカテゴライズできるものなど、アジアンな作品を描いたようです。 器用貧乏とでも表現すべきでしょうか。 1918年、クリムトは脳梗塞を発症し、インフルエンザの症状悪化で肺炎により死去しました。亡くなる55歳まで、1つの作風にとどまることなく試行錯誤し続け、新しいものを生み出そうとした情熱が感じられます。 これぞ芸術家ですね!♪ |
『Girlfriends or Two Women Friends』(グスタフ・クリムト 1916-1917年) | 『Lady with a Fan』(グスタフ・クリムト 1917-1918年) |
1-2-2. 切磋琢磨しながら進化を重ねたセセッション・スタイル
クリムトの試行錯誤を重ねての創作活動からもご想像いただける通り、当時のエネルギーに満ち溢れたセセッションの芸術家たちは、互いに影響し合いながら進化していきました。その中で、特に大きな影響を与えたのが日本美術と、日本美術に影響を受けてイギリスで発展したモダンスタイルだったと言えます。 セセッションは方向性の違いもあって分裂が起こり、美術史上に残る主な活動は1897年から、クリムトやヨーゼフ・ホフマンを含めた24名が脱退する1905年までです。10年にも満たないので短いと言えば短いですが、短期間でもその活動は非常に濃厚でした。しかも、衰退して誰からも見向きもされなくなり滅びたのではなく、芸術家魂がぶつかり合った結果の分裂なので、どの芸術家もまだまだエネルギーに満ちたままの状態だったと言えます。 分離派展は1898年から1905年までの7年間で、23回も開催されました。ネタ切れを起こしつつも惰性で続けている展示会ならば、毎年1、2回の定期開催がせいぜいかもしれませんが、創作活動に溢れた芸術家たちとそれに魅了されたパトロンや観客たちが集まれば、どれだけ時間があっても足りなくなるのは無理もないですね。 23回の分離派展で、注目したいのが以下です。 前者は純粋な日本美術を紹介するものですが、後者については、日本美術との融合に於いて先行するイギリスで進化したスタイルとなります。 |
1-2-3. イギリスのモダンスタイルの特殊な特徴
『英国貴族の憧れ』 |
イギリスは外交的な背景もあり、他国に先駆けて日本の美術様式との融合・昇華が起きました。 |
1870年代後半のアングロジャパニーズ・スタイルの作品 | ||
『英国貴族の憧れ』 天然真珠&トルコ石 リング バーミンガム 1876〜1877年 SOLD |
ウィリアム・ワットのためのサイドボード(エドワード・ウィリアム・ゴドウィン 1876-1877年) "Godwinsideboard" ©VAwebteam at English Wikipedia/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 『Théière』 シルバー&黒檀のティーポット (クリストファー・ドレッサー 1879年) |
一言で『日本美術』と言っても、その様式や要素は多岐に渡ります。アングロジャパニーズ・スタイルも取り込む要素によりけりなので幅が広いですが、時間が普遍に価値あるものと、一過性のものとを露わにしてくれます。 武家文化で発達したシンプル・イズ・ベストのデザインが、最終的にはアールデコへとつながっていくことになります。プロモーションの影響で、デザインの中心地とフランスを思い浮かべる方も多いと思いますが、美術史は情報が不足・欠落していたり、間違っていたりすることが想像以上に多いです。優秀な人材が集まらない業界だからかもしれませんし、現代の業界が儲けたいために意図してやっていることかもしれません。 実は1870年代のイギリスでは、既にこのような洗練されたデザインが気鋭の芸術家によって生み出され、上流階級の間で受け入れられ、高く評価されていたことは注目に値します。 |
アングロジャパニーズ・スタイル(1851〜1910年代) | アールデコ | ||
初期 | モダンスタイル | 後期 | 後期 |
『英国貴族の憧れ』 天然真珠&トルコ石 リング イギリス 1876〜1877年 SOLD |
『MODERN STYLE』 ダイヤモンド ゴールド ブローチ イギリス 1890年頃 SOLD |
イギリス 1910年頃 SOLD |
フランス 1930年頃 SOLD |
1870年代には生まれていたシンプル・イズ・ベストのデザインですが、後期アールデコから続くモダンデザインとして、ヨーロッパを中心に世界で普及していくまでに50年ほどかかっているのも興味深いです。 日本人の感覚からすると『装飾過多』と感じてしまうような、要素を詰め込みまくることが"是"とされてきた歴史が長いヨーロッパに於いて、一部の傑出した感性を持つ人たちと違い、シンプルイズベストを是とする意識が一般にまで行き渡るには時間がかかったことも一因でしょう。 それとは別に、直線や幾何学による単なるシンプル・イズ・ベストとも一線を画す『モダンスタイル』が生まれたことも大きかったと推測します。 |
グラスゴーと水運貿易 | |
グラスゴーの位置 ©google map |
クライド湾に注ぐクライド川とグラスゴー "Clyde.tributaries" ©ETOPO2, GLOBE, SRTM, Notuncurious(14 July 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
モダンスタイルの誕生は、グラスゴー派のマッキントッシュ夫妻あってこそでした。 貿易の重要拠点であったスコットランドのグラスゴーは、かつてはロンドン、パリ、ベルリンに次ぐ、ヨーロッパでは4番目に人口が多い都市でした。大英帝国だけで見ると、当時はロンドンに次ぐ第2の都市でした。 クライド川の水運を用いた貿易が盛んで、アメリカ大陸のタバコ、カリブ海の砂糖などがグラスゴーを中継してイギリス国内に運ばれるようになりました。 |
【モダンスタイル】グラスゴーのウィロー・ティールームズの『豪奢の間』再現 (マッキントッシュのデザイン 1903年) "Room de Luxe" ©Dave souza(10 March 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5 |
日本開国後は美術工芸品を含めた日本製品も入ってくる場所として、日本人の上流階級やエリート、商売人なども多くやってくるようになりました。このため、ジャポニズムの重要都市の1つでもありました。グラスゴーは今の人が想像するような寂れた田舎都市ではなく、最先端の流行が生まれる大都会だったのです。 |
マッキントッシュ夫妻の特徴的な作品 | |
【参考】チャールズ・レニー・マッキントッシュのデザインのチェア | 『白いバラと赤いバラ』(マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ 1902年)2008年のオークションで約3.6億円 |
そのグラスゴーで活躍したのがマッキントッシュ夫妻でした。 夫チャールズの作品を見ると、アングロ・ジャパニーズ・スタイルの流れを汲んだ直線的でシンプル・イズ・ベストなデザインです。男性らしいデザインという印象です。一方、妻マーガレットは独特のラインを描く曲線や、女性ならではの感覚で表現された甘美な色使いが印象的です。 夫妻はグラスゴー美術学校で出逢い、1900年に結婚しています。マーガレットは独特の感性を持つ天才でした。男性の方が有名になりがちですが、当時は多くの仲間たちから称賛されており、夫マッキントッシュは、妻マーガレットに書いた手紙で「マーガレットには天才がある。私には才能しかない。(Margaret has genius, I have only talent.)」と伝えたそうです。 そんなことを言える男性自体が稀少ですし、チャールズ自身も天才だったからこそ言えたことでしょう。互いの才能と人間性を尊敬し合う関係だったからこそ、その感性が融合・昇華してモダンスタイルが生まれたと言えます。 |
『芸術愛好家のための音楽室』のデザイン(マッキントッシュ夫妻 1901年) |
日本美術の要素も汲みつつ、アールデコ的なアングロジャパニーズ・スタイルとも異なる、モダンスタイル独特のデザインが誕生しました。男性のデザイナーだけだと生まれなかったであろう、優美さとスタイリッシュさを兼ね備えた曲線がポイントです。不思議な感覚や、未来的な印象を感じさせます。 |
"The May Queen" de Margaret Macdonald (Glasgow)(3803689322)" ©Jean-Pierre Dalbera from Paris, France(1900)/Adapted/CC BY 2.0 | |
『Future Design』 |
最先端の美しいスタイルは、傑出した感覚を持つ上流階級のジュエリー・デザインにも取り入れられました。 私は様式としてはモダンスタイルが一番好きなのですが、アールデコより未来的な感覚ですよね。一見シンプルに見えつつ、制作するのに恐ろしく技術と手間がかかる上に、特別なセンスがないと具現化できないので制作数が少なく、定着もできませんでした・・。 |
1-2-4. セセッションに大きな影響を与えたモダンスタイル
1900年前後に互いに影響し合い活躍した気鋭のデザイナーたち | |||
イギリスのモダンスタイル | 世紀末ウィーンのセセッション | ||
チャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868-1928年) | マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ(1864-1933年) | ヨーゼフ・ホフマン(1870-1956年)1902年、32歳頃 | グスタフ・クリムト(1862-1918年)1914年、52歳頃 |
先進的過ぎて、グラスゴー派のモダンスタイルは美術界のメインストリームからは酷評される状況にありました。しかし、国際的な美術工芸誌『THE STUDIO』を通してその存在を知ったセセッションが、1900年の分離派展にマッキントッシュ夫妻らを招待しました。 |
第8回分離派展(1900年)の出展作 |
『The Wassail』 5月の女王(マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ 1900年) "The May Queen" de Margaret Macdonald (Glasgow)(3803689322)" ©Jean-Pierre Dalbera from Paris, France(1900)/Adapted/CC BY 2.0 |
分離派展で非常に高い評価を得たマッキントッシュ夫妻らはその後、各地の展示会に招聘されています。天才マーガレットの独特の感性を反映した作品は、当時の新進気鋭のデザイナーたちにとっても大いなるインスピレーションをもたらしたことでしょう。 |
マーガレットに影響を受けて制作されたクリムトの作品 |
『ベートーベン・フリーズ』(グスタフ・クリムト 1901-1902年) |
特にクリムトは大きく感銘を受けたようで、さっそくそのインスピレーションを元に新たな創作につなげています。猿真似ではなく、自身の感覚との融合・昇華を図っているので雰囲気はかなり違いますが、マーガレットの影響は明らかですね。 |
モダンスタイル -天才マーガレットの代表作- |
セセッション -クリムト黄金時代の代表作- |
『風のオペラ』(マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ 1903年) | 『接吻』(グスタフ・クリムト 1907-08年) |
クリムト黄金時代の代表作tとされる『接吻』も、マーガレットの代表作『風のオペラ』にインスピレーションを受けて描かれたとされます。独特の構図は間違いないでしょう。 イギリスのモダンスタイル自体も日本美術の影響で進化したものですし、クリムトの金箔を使う手法も琳派の影響によるものです。このようにして日本美術がヨーロッパ美術に革新を起こし、インターナショナル・デザインにつながっていったと考えると面白いですね。 |
1-2-5. 独特の感性を持つセセッション・ジュエリーの魅力
新しいデザインは、傑出した美的感覚を持つ特別な人のためのハイ・ジュエリーにも応用されました。 モダンスタイル、セセッションともに未来的な雰囲気が共通しますが、国民性もあるのか、それぞれ雰囲気が異なります。 |
この宝物を紹介してくれたディーラー然り。私たちはデザインと作りを総合判断して、イギリスやオーストリアなどの違いを共通認識できます。 似ているので一般の方には分かりにくいと思いますが、感覚が優れた方であれば、並べてみると何となく(或いは明確に)違いがあることがお分かりいただけるはずです。中にはデザインだけでは明確に判断できないものもあり、そういうものは素材や作りで判断します。 |
イギリスのモダンスタイル
ドイツ語圏のユーゲントシュティール(セセッション)
1-2-6. セセッションの魅力
オーストリア=ハンガリー帝国のハイジュエリー | ||
オーソドックス |
セセッション | |
カボション・サファイア&オールドヨーロピアンカット
・ダイヤモンド ブローチ オーストリア 1900年頃 今回の宝物 |
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『聖ジョージの龍退治』 ネオ・ルネサンス 宝石とエナメルのペンダント オーストリア=ハンガリー帝国 19世紀後期 SOLD |
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並べてみると、嘘じゃないかと疑いたくなるほど急激な進化ですね(笑) 一方で、一般の人々が新しいラグジュアリー・デザインを受け入れるのに時間がかかったり、最後まで理解できない人が多かったのもご納得いただけるのではないでしょうか。今回の宝物はゴールドを使った作りに、上質なカボション・サファイアやオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドという宝石使いからも間違いなく特別な身分の人に作られた最高級品です。でも、旧来のデザインからするとシンプルに見えるため、物足りなかったりラグジュアリーな雰囲気に欠けると感じる人も多かったはずです。 宝石など素材の質、デザインの価値、具現化するための途方も無い技術と手間。それらが想像できる人にのみ、真の価値が理解できる宝物です。 |
1900年代の内装デザイン | |
マッキントッシュ家のリビングルーム(マッキントッシュ夫妻のデザイン 1906年)の再現 【引用】University of Grasgow HP ©University of Grasgow. | ホーヘンホフの内装(ヴェルデのデザイン 1908年) "HAGEN Hohenhof JBU 3822" ©Jorg Bittner Unna(2014年5月24日, 13:00:15)/Adapted/CC BY-SA 3.0 DE |
マッキントッシュ夫妻の内装デザインは、当時まだヴィクトリアンの重厚で装飾過多なデザインが一般的だった時代に於いて、時代を先取りし過ぎだったと言えるほど傑出していました。費用がかかる上に理解できる人が十分にいなかったようで、晩年のチャールズは設計の仕事がなく水彩画家に転向せざるを得なかったようです。 アール・ヌーヴォーで有名なアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデの同時代の作品を見ても、時代の先取り具合は圧倒的ですね。 |
それまでの延長線ではなく、見たこともない革新的なデザインが生まれた・・。 そういう、新しいものに対するエネルギーが満ち溢れた時代だったのです。 |
1910年頃のオーストリア=ハンガリー帝国のデザイン | ||
『目玉のまっちゃん』 オーストリア 1910年頃 SOLD |
ダイヤモンド リング オーストリア 1910年頃 SOLD |
『スタイリッシュなデザインの指輪』 オーストリア? 1910年頃 SOLD |
その後、すぐにハイジュエリーはプラチナやホワイトゴールドなどの白一色の時代となりました。エドワーディアンのイギリスやフランスのジュエリーと比較しても、オーストリアのジュエリー・デザインには独特の雰囲気があります。その後は各国の特徴が失われていき、無国籍のインターナショナルになっていきます。 それだけでなく、敗戦した第一次世界大戦の末期となる1918年にはオーストリア革命が起き、ハプスブルク帝国であったオーストリア・ハンガリー帝国は解体されました。王侯貴族による支配は終焉し、オーストリア共和国が樹立されました。その後、1938年にナチス・ドイツによってドイツに併合されます。 |
ワクワクするような、未来的なエネルギーに満ち溢れたセセッションのブローチ。 それは奇跡的な一瞬に生み出された、夢幻のような宝物とも言えるのです。 |
2. 知られざるハイクラスのセセッション・ジュエリー
モダンスタイルのジュエリーは数が少ないですが、それ以上にセセッション・ジュエリーはご紹介できる機会が限られています。 最盛期を迎えた大英帝国と比較して、オーストリアの上流階級が購買力に劣っていたことも一因ですが、いくつか理由があります。 |
2-1. 他の美術工芸品に埋もれた存在
2-1-1. 『ジュエリー』の特別なハードルの高さ
ヘリテイジはアンティークのハイジュエリー専門店です。HPは、真の宝物でいっぱいです♪♪ これはアンティークのハイジュエリーが『知られざる小さな宝物』となってしまった、現代だからこそできることです。今と当時では『ジュエリー』の価値も、イメージもまるで違いました。 現代では庶民でも買える気軽な印象のアクセサリーと化しており、ハイジュエリーを買って付けることに憧れを抱く人なんて滅多にいないのではないでしょうか。 これはボロ儲けしたい現代宝飾業界が、価値のない代物をさも価値があるようにプロモーションして販売しまくったからです。いつまでも購買層が騙され続けてくれるわけもなく、今ではジュエリーのイメージ自体がズタボロです。その結果、"高級ジュエリー"自体が売れなくなってしまい業界が嘆いているようですが、ただの自業自得です。 |
『MIRACLE』 ブラックオパール ペンダント イギリス 1905〜1915年頃 ¥10,000,000-(税込10%) |
ジュエリーの価値を決める要素として主なものは、以下の3つです。 【素材】稀少価値 【デザイン】 【作り】 |
【宝石の価値】 |
ごく一部の王侯貴族のみがジュエリーを付けていた時代は、天然の宝石だけで足りていました。しかし、産業革命によって台頭してきた庶民がジュエリーを買い始めると、需要に供給が追いつかなくなり、質の悪い石も使うようになりました。ジュエリーを買う人が増えるほどに、それまで使っていなかったような石まで使うようになっていきました。汚らしい石を使ったものも、平気で存在します。 さらに王侯貴族の時代が終焉を迎え、庶民が経済を牽引するようになってくると、顕著な宝石不足が起きました。詐欺のようなことをせず、そのまま手が出ない憧れの存在で在るべきでした。しかしながら、莫大な需要はボロ儲けのチャンスと見た宝飾業界が、無尽蔵に作ることができる合成宝石に手を出しました。稀少価値はゼロですが、天然では難しい高品質を安定して供給できる上に、現代人の好みでいくらでも質をコントロールができます。 特に庶民のジュエリー需要が世界的に激増した高度経済成長期以降、宝石不足を補うために合成石の技術が進化し、相当量が市場に出回るようになりました。 |
【参考】現代の合成石の自称"ジュエリー" | ||
合成ダイヤモンド | 合成エメラルド | 合成サファイア |
【引用】Yahoo! JAPAN ショッピング ©ジェムストーンキング | 【引用】odolly / エメラルドリング(ハーフエタニティ/10石合計1.10カラット/プラチナ/5月誕生石) ©京セラジュエリー通販ショップodolly-オードリー | |
金属:シルバー925 価格:¥79,200-(税込) |
金属:プラチナ900 |
金属:シルバー 価格:不明 |
宝石は稀少なはずなのに、妙に安かったり、どこにでも同じものが売ってあることに違和感を感じた方もいらっしゃると思います。合成か天然かを言わず、ただ鉱物名だけを表示して、さも価値ある宝石のように勘違いさせる手法が標準化しています。きちんと合成や処理石であることを提示する業者は、まだ誠実と言えます。 本当に価値のある宝石のみを使うアンティークのハイジュエリーならばあり得ないことですが、合成石は稀少価値がないただの工業製品なので、当たり前のようにシルバーやメッキを使います。古い時代はシルバーも貴金属でしたが、プラチナやホワイトゴールドが使用されるようになってからはハイジュエリーには使用しません。『シルバーアクセ』という言葉がある通り、現代はアクセサリー用の金属です。 高く価格設定するためにプラチナやゴールドを使用することもありますが、いくつでも同じものを作れる工業製品をジュエリーと呼ぶのは違和感しかありません。しかし、本物のジュエリーを知らなければそういうものだと思ってしまいます。もともとは何も知らなかった私の感覚からすれば、大企業や有名メーカーがやっているだけのただの詐欺です。やっていること自体は詐欺師や犯罪者と何が違うのか、正直よく分かりません。顧客は納得の上で買っているのだから良いのかもしれませんが、本当に理解して納得しているんですかね。理解していたら、価値の割には高過ぎるので買わないと思うのですが・・(苦笑) |
アンティークの コンテストジュエリー |
現代の高級ブランドジュエリー | 現代のアクセサリー |
『Sweet Emerald』 オレンジピールカット・エメラルド リング フランス 1920年頃 SOLD |
エメラルド&ダイヤモンド・プラチナリング(ティファニー 現代)【引用】CHRISTIE'S / TIFFANY & CO. EMERALD AND DIAMOND RING ©Christie's | グリーン&ホワイト・ジルコニアのシルバーリング(スワロフスキー 現代)【引用】SWAROVSKI ©Swarovski |
宝石:天然エメラルド 作り:鍛造のオール・ハンドメイド |
宝石:エメラルド(合成?) |
宝石:ガラス 作り:鋳造のセミ・ハンドメイド |
現代ジュエリーは有名な高級ブランドの高いものでも、稀少価値のある天然の上質な宝石を使っているか怪しいです。世界中でインターネットも駆使して同じものを売るということ自体が、本来は不可能です。同じ質の稀少価値の高い宝石なんて、あり得ないからです。有名ブランドの宝石主体の商品であっても、天然かどうかや処理の有無を記載していないのが普通です。 合成石どころか、現代はイミテーション技術も発達しています。デザインや作りがアクセサリーと同じなので、見る人も違いが分かりません。分からないと言うより、違いがありません。あるのは違いがあるという思い込みだけです。ブランド品だから高い、高いから価値があるというような、『裸の王様』のような現象です。 |
現代の緑の石のリング | |
エメラルド | クリスタルガラス |
【参考】合成や処理については不明 | グリーン&ホワイト・クリスタルのロジウムメッキ・シルバー・リング(スワロフスキー 現代) 【引用】SWAROVSKI / Attract Cocktail Ring Green, Rhodium plated ©Swarovski |
実際、私はこれらを見た時に違いが見出せる自信がありません。ダサいのでどちらも要らないですが、どちらが高いか聞かれても分かりません(笑) |
京セラの合成エメラルド・ リング(現代)23万8千円(2023.11現在)【引用】odolly / エメラルドリング(オーバル/2.29/メレダイヤ4石/ツイスト/K18ホワイトゴールド/5月誕生石) ©京セラジュエリー通販ショップodolly-オードリー | スワロフスキーのアクセサリーであれば、高そうに見えるものでも2、3万円で新品が買えます。 それならば見た目が違わない、下手すればイミテーションより安く見えることすらある合成エメラルド・リングを10倍の値段で買おうなんて普通は思いません。 アクセサリーとして気軽にオシャレを楽しむ方が良いと考えるのは、当然の感覚です。現代ジュエリーはアンティークジュエリーを駆逐しましたが、その現代ジュエリー業界もアクセサリー業界によって駆逐寸前です。 |
【参考】現代の装飾品 | ||
天然エメラルド×10K | 合成エメラルド×14K | クリスタルガラス× シルバーにロジウムメッキ |
$499.99- | $219- | £22- |
デザインはとても大事です。しかし、宝石の価値だけで判断しようとする人が多いせいで、このようなおかしな事態が生じます(笑) 汚い天然石の、似たり寄ったりのデザインのジュエリーを高い値段で買うより、安くて綺麗なイミテーションを付ける方がマシですよね。現代ジュエリー業界が衰退するのは必然です。 |
現代のパーティ仕様のジュエリーとアクセサリー | |
現代ジュエリー | 現代アクセサリー |
【参考】ティファニー社製タンザナイト・ピアス($12,500、約150万5円)2020.6.18現在 【引用】TIFFANY & CO / Tiffany Paper Flowers TM / Diamond and Tanzanite Open Drop Earrings ©T&CO |
【参考】スワロフスキー社製ブルー・ロジウムめっき・ピアス(¥47,960→¥23,980)2021.5.11現在 ※$129(約1万5千円)で販売する店も有 【引用】SWAROVSKI / Palace Chandelier Pierced Earrings ©Swarovski |
デザインが重要な、パーティ仕様のジュエリーはもはや現代ジュエリー業界に勝ち目なしという印象です。石が大きいほど高級と思い込む成金嗜好が集まる場であれば、数百万円台のジュエリーでは話になりません。フルセットで揃えることが難しくて一点豪華主義を主張したり、レンタルで済ませるセレブも多くいます。 同じものを使い回すと笑われるということも気にするならば、イミテーションが俄然有利です。何も言わなければ、実物を見た時に、右のイミテーションの方が高そうと感じる人は多いと思います。左を150万円で買うより、右を1万5千円で買う方がコストパフォーマンスが良いです。 |
『ゴールド・オーガンジー』 エドワーディアン ペリドット&ホワイト・エナメル ネックレス イギリス 1900年頃 ¥1,000,000-(税込10%) |
なぜ現代ジュエリー業界がこのようなことになったのかと言えば、アンティークのハイジュエリーのようなモノづくりは需要と供給のバランスが取れず、ビジネスとして成立できなくなったからです。 このような宝物を作るのに、実際はどれだけのお金がかかったことでしょう。 本物の上質な宝石は、稀少性があるので高価です。超一流のデザイナーや職人の技術料や人件費も膨大です。 アンティークのハイジュエリーは、価値が分からない人だらけになってしまったことが残念な一方で、実際の価値からするとあり得ない安値で手に入るというメリットもあります。 2021年の時点で、資産10億ドル(約1,500億円)超えのビリオネアは世界に2,755人います。購買層はそのような、ごく限られた人数の人たちだったはずです。 |
『勝利の女神』 アールデコ初期 ガーランドスタイル ダイヤモンド ネックレス イギリス or フランス 1920年頃 ¥6,500,000-(税込10%) |
この宝物が1億円だったとしても、1,500億円超える資産を持つ上に、そのような規模の定期収入がある人なら価格は気にすることなく、とにかく自分が「良い!」と感じられるものを買うでしょう。 そのような人たちが一定数いた時代だからこそ、一切の妥協がない美しいジュエリーが作れたのです。今はそのような人たちがおらず、良いものを作っても赤字にしかなりません。 衣服(オートクチュール)など比較にならぬほど早々に技術が失われたのも、ジュエリーが桁違いに高価で、ハイエンドの技術を必要とする特別な存在だったからに他なりません。 当然ながら、当時もハイジュエリーは現代で言うビリオネアのような、ごく限られた人たちだけのものでした。今も昔も、普通の人たちは知らない世界なのです。 |
2-1-2. 一般に知ることができる作品の種類
一般人が目にできる芸術作品の種類は限られています。美術館で観られるもの、巨大なものなどです。 美術館に展示されているジュエリーも存在はするものの、本当に価値あるジュエリーは美術館で展示する対象にはなりません。少し考えれば分かることです。 古い時代は、ごく一部の上流階級のみが教養や知識を独占していました。家庭教師による個人教育やお金のかかる学校、グランドツアーなど、莫大なお金をかけて個人の教育が行われてきました。 大衆の一人一人にそれを行うのは困難です。大量の人を集める万博や美術館は、一般の人々の教育が大きな目的です。プライベートな空間で独占して楽しむことはできない層に対し、浅い理解ながらも大勢を一度に、かつ安価に教育できる手法と言えます。 そもそもそのような建て付けでしたが、現代はその大半が『教育』や『高尚』を傘にしたお金儲けの手段の1つと成り果てており、お金儲けにつながらないものは教育的な価値があっても展示対象にはなりません。客を呼べる"客寄せパンダ"になれない展示品は、美術館にとっては価値なしと判断されます。 ジュエリーに限らない話で、海外の美術館であっても買い叩きをするそうです。「うちの美術館に展示できる事が栄誉だ!」というスタンスで、寄付などの形や、赤字になるほどの安値で譲ることを要求したりもするようです。展示に値しない(客寄せパンダになれない)ものは、保管費だけがかかって嫌がられるので、寄付という形であっても受け取りは拒否されるそうです。 |
知られざる小さな宝物 | ||||
『EAGLE EYE』 クラバットピン フランス 1890年頃 ¥1,500,000-(税込10%) |
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知名度が高い作品であったり、有名作家や貴族などの威光がないと、一般大衆は喜びません。また、遠くから一度に何人もが観られる巨大な石像などと異なり、小さなジュエリーは一度にたくさんの人が見るのは無理です。360度の立体構造で作られていても、その全てをショーケースの中で見せるのは無理です。 |
展示に向かない上に、持ち運びやすくて高価なので、セキュリティ費用の方が高くついて簡単に赤字になります。 そもそも身につけるために作られたものであり、誰からも付けてもらえなくなる美術館という場所は、ジュエリーにとっては墓場以外の何でもありません。個人蔵をレンタルして展示することはありますが、持ち物を「一般大衆に見せてやる」ことで自己満足に浸ったり、美術館に貸してやったという威光を得るビジネスは、私としては気持ちの良いものではありません。誰も着けたいと思わなかった結果で寄付された、いわゆる『要らないもの』、『魅力のないもの』であったり、自己顕示欲のための展示品が殆どです。見る価値があるとすれば、そのような商業主義に走っていない古い時代に入手された、本当に価値あるものだけでしょう。 一般人が目にできるもの、知ることができるものは本当に限られているのです。 |
【世界遺産】ブリュッセルのストックレー邸(ウィーン工房 1905-1911年) "20120923 Brussels PalaisStoclet Hoffmann DSD06725 PtrQs" ©PtrQs(23 September 2012, 11:59:25)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
ストックレー邸はウィーン工房の代表作で、2009年に世界遺産登録されています。ヨーゼフ・ホフマンが設計し、クリムトとフェルナン・クノップフが内装を手がけました。20世紀初頭に発達した内装・外装・家具・日用品・庭園などを、屋敷全体で総合芸術として体現した作品として、高く評価されています。 建築物は巨大ですし、興味を持つ人も多いので、知っている人も多いですよね。古い時代の懐中時計や、マイクロカーブドアイボリーは豪邸と同じ価値があったとされます。高騰した時代の天然真珠のネックレスも、NYマンハッタンのビル1棟と交換した話が有名です。小さな宝物と、巨大な建築物。個人が密やかに楽しむものと、大勢で使うもの。対比が凄いですよね。いかに、小さな宝物が知られざる贅沢な存在なのかが分かります。 |
プルカースドルフのサナトリウムの内装(ウィーン工房 1904年) "Purkersdorf Sanatorium Eingangshalle 3" ©Thomas Ledl(23 September 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0 AT |
内装関連の作品も、認知度は高いです。生活周りに必要なものなので気にする人も多く、建築物より多くの需要が見込めます。窓、壁や床、扉、照明器具などのデザインも『作品』です。 |
プルカースドルフのサナトリウムの内装(ウィーン工房 1904年) "Purkersdorf Sanatorium Gallerie 1" ©Thomas Ledl(23 September 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0 AT |
壁紙やカーテンなどのテキスタイル、テーブルや椅子、調度品などのデザインも『作品』です。注意したいのが、このような作品は椅子自体ではなく、"デザインが作品である"ということです。 イギリスに続き、世界各地で産業革命が起きると大衆が購買力をつけ、その旺盛な消費意欲は経済活動に於いて無視できなくなってきました。 |
『Sitzmachine』(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン、ヤコブ&ヨセフ・コーン社制作 1905年)"Ngv design, josef hoffmann, adjustable-back chair (stitzmachine) 1905 circa 02 " ©Sailko(12 March 2009, 00:22:42)/Adapted/CC BY -SA3.0 | その結果として、大量生産の時代に移行していきました。 セセッションの作品として紹介されるのは大量生産向けのデザイン物や、大勢で遠くからでも見やすい建築物や大きな像、印刷して大量コピーしやすい絵画などの割合が高いです。 現代では再現できないものを知ってもらっても、産業界としては意味がありません。今でも作れるものを紹介し、復刻版などを売って儲けてナンボという業界です。 産業界と美術界は癒着しています。カネをかすがいにして仲良しです。企画展の後援などを見れば、ご想像できるはずです(笑) |
2-1-3. 大量生産が前提の『産業デザイン』による製品
産業革命 |
大衆の需要を満たすためには、安価で素早い大量生産が必須です。 高度な技術を持つ職人が手間と真心を込め、王侯貴族の数少ない需要を満たすためにするモノづくりとは全く異なります。人々は無になり、オペレーターや作業者としてただひたすら機械のように流れ作業を行うのみです。大量生産では、誰がやっても同じ品質で作ることが重要です。 上流階級のための少量生産から、大衆のための大量生産への移行の中で新しく生まれたのが『産業デザイン』という概念です。 |
産業革命により生まれた『産業デザイン』の概念 | |
第1回ドイツ工作連盟ケルン展のポスター(1914年) | バウハウス・デザインのタイプライター(シャンティ・シャウィンスキー 1936年) "Olivetti-schawinsky-bauhaus-typewriter" ©ChristosV und/oder Christos Vittoratos(11 August 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
特に先行したのがドイツでした。 製品にはまず、機能面での品質を満たす事が求められます。顧客目線で考えた時、2つの製品の品質は同等で、しかも同じくらいの価格であれば何を基準に選ぶでしょうか。より好みのデザインを選ぶでしょう。1円でも安い方が良いという人もいる一方で、なんなら少しくらい高くてもオシャレな方が良いという人も少なくないはずです。 デザインを工夫するだけで、売上や利益率が大きく向上する可能性に人々は気づきました。 1907年、産業育成を目指しドイツ工作連盟が結成されました。製造メーカーとデザイナー・設計家が協力することでグローバル市場でのドイツ企業の競争力を向上させ、国家全体で大英帝国やアメリカ合衆国に対抗する力を付けることを目的としました。 |
現代装飾美術・産業美術国際博覧会の会場風景(1925年) |
1925年にパリで開催されたアールデコ博は有名ですが、正式名称は現代装飾美術・産業美術国際博覧会(Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels modernes)です。『Arts Décoratifs』と言う部分を略してアールデコ(装飾芸術)ですが、むしろこの時代は『産業美術』の方が重要課題だったと言えます。 当時の万博は世界の最先端技術や最先端文化、近未来への流れを把握する場として機能していました。ドイツの台頭は明らかで、目を見張るものだったようです。
産業デザインに求められるのは、以下の要素です。 1. 欲しいと思わせるデザイン的な魅力 1は付加価値を付け、より高く売ったり、競合製品より選ばれる確率を増やして売上UPを図るものです。2,3はコストカットです。聞こえが良いことを言ったとしても、結局のところ『産業デザイン』は企業の利益を最大化させるためのものです。 2の『安価な材料』について、稀少価値がない材料で作れるということです。安くて大量に手に入る材料こそが、大量生産に向いています。稀少だとたくさん作ることができず、莫大な需要を満たせません。高い材料を使うと、製品価格も高く設定しないと赤字なります。高いと、売れにくくなります。稀少価値のない材料というのは重要です。ちなみに現代はシルバーも稀少価値が低くなり、貴金属としての地位は低いです。ゴールドも各地のゴールドラッシュにより、昔とは比べものにならぬほど安価になっています。現代の"高騰"なんて、たかが知れているレベルです。 3の『生産のしやすさ』について、これは高度な職人の技術や真心を込めたモノづくりを否定し、流れ作業の一部と化した、無個性で人間味のないモノづくりを是とするものです。いわゆる『歯車の一部』という状況です。楽に作れることは重要です。簡単に作ることができる=高度な技術が不要で誰でも作ることができる=交代要員がいくらでもおり欠員がでても補填がきき、人件費としても安く買い叩くことができます。雇い主に有利な一方で、労働者は稼げる額に制約があります。結局はこの労働者が、需要を生み出す大衆(無数の顧客)でもあります。給料が低いことで、より安く買えるものを求めるようになり、モノづくりの質が低下する悪循環が生じます。それが分かりやすく極まったのが、現代の日本です。開国後の明治期からこのようなモノづくりが始まりました。200年も経っていませんが、劣化するスピードはあっと言う間でしたね。 簡単に作ることができるというのは、不良品が出にくく品質を安定させやすいメリットもあります。歩留が悪いと生産数を読みにくくなりますし、コスト高になります。廃棄コストも発生します。 |
フォードの組み立てライン(アメリカ 1913年) |
簡単に作れるというのは、生産効率という面でも重要です。生産を単純化させることで、同じ時間でより多く製品を完成させることができます。モノやサービスの価格に於いて、人件費は大きな割合を占めます。時給1,000円で計算するとして、1つの製品を1時間で作れるならば人件費は1,000円、10時間かかるなら人件費は1万円となります。10時間かけて、10倍の価値あるモノが作れれば良いですが、上手な人が1時間かけて作ったものと同等か、それ以下の価値しかなければ大量生産としては問題ありです。 人によって差が出ないほど、作業を単純化するのが重要です。フォードは1913年、部品の簡素化や、流れ作業による分業化によって、車体1台の組み立てにかかる時間を12時間半から2時間40分に短縮することに成功しました。1911年は年7万台だった生産台数は年25万台を超え、さらなる効率化などによって1920年代までに年100万台を突破したそうです。 しかし、生産革新技術としてはイケていても、工員にとってはロボット化を強いるような苦痛なものでした。私も新人の際に工場実習先で生産ラインに入ったことがあります。高度なセキュリティを要する類の製品だったこともあり、窓がなく光が差し込まない工場は昼夜の感覚が狂う場所でした。立ちっぱなしで長時間、ただひたすら単純作業を強いられます。決まった時間にしか休憩もできず、そのような経験をしたことがなかった私は、本当に苦痛でした、同期も皆、大きなストレスを感じたようです。2ヶ月のみの工場実習なので耐えましたが、一般勤務の人は3交代制で真夜中も働きます。慣れるようですし、これが当たり前だという意識があれば耐えられるようですが、身体や精神に良いとはとても思えません。 当時のフォードも退職が多く、労働力不足が問題となりました。そこで1914年に給料を2倍に上げ、勤務シフトを1日9時間から1日8時間・週5日労働へと短縮したそうです。 この働き方に慣れさせることで、やがて高い給料を出さなくても労働力は確保できるようになります。誰でもできる、替えがきく仕事に対する低い給料。誰がやっても同じ、プライドの持てない単純作業の繰り返し。 |
大量生産のラインでも、思いの外、人の手が入っているものです。 大量生産・大量消費の権化のような大企業での経験からすると、「生産現場は機械で完全にオートメーションされているかと思ったら、実は随分と泥臭かった。」という印象は皆が持ちます。 |
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【参考】ワックスツリー製造工程 |
しかし、たとえ手作業が入っていたとしても、こんな大量生産で作るものに真心も、職人ならではの高度な技術も込められるはずがありません。 |
【参考】樹脂を石膏の中で蒸発させて型を作り、鋳金を流し込んでジュエリーを制作する工程 | ||
【参考】ダイヤモンドをセットした青い樹脂の型と出来上がった量産リング |
工場の生産ラインを知っている人だと、このような自称"ジュエリー"を見てもテンションは上がらないはずです。『知らぬが仏の世界』でしょうか。こういうものでも、ご大層なケースに入れて、大層なブランド名を付けて、尤もらしい顔をした店員さんが販売したり、有名芸能人やモデルを使って雑誌などでPRすれば、暴利を付けて販売することができます。 |
【参考】HERITAGE基準には満たない簡素なアールデコ・リング(ジョージズ・フーケ作)クリスティーズにて7万5千スイス・フラン(約825万円) で落札 | 産業デザインには見栄えが良く、高そうに見えることが求めれました。その一方で、単純で安く簡単に作れることが最重要でした。 その結果、どんどん簡略化されていきました。 最初はシンプル・イズ・ベストの美しいデザインもあったアールデコ初期ですが、産業デザインの大きな波に飲み込まれ、手抜きのための簡素なデザインへと変容していきました。 ジュエリーに関しては劣化が早く、アールデコ後期はHERITAGEでご紹介するに値するものが殆ど作られていません。 |
コーヒー沸かし機(ラッセル・ライトのデザイン 1935年)ブルックリン美術館 【引用】『Wikimedia Commons』Russel Wright. Coffee Urn, ca. 1935 /Adapted | その他のモノづくりも、順を追ってコストカットの圧力に屈し、最終的には終焉を迎えています。 |
2-1-4. 制作技術を持つ『職人』と『デザイナー』の分離
クリストファー・ドレッサー(1834-1904年) | 審美主義(耽美主義)運動の中心人物であり、アングロ・ジャパニーズ・スタイルとモダン・スタイルの主要貢献者としてクリストファー・ドレッサーという人物がいます。 来日もしており、文化的な意味では日英双方にとって重要人物ですが、いまいち知名度は低いようです。 日本はもちろん、ロンドンのディーラーに名前を出しても「知らない。」と言われてしまいました。ドレッサーどころか、アングロジャパニーズ・スタイルという名称自体、知らないそうです。「ジャポニズムじゃないの?」とだそうです(苦笑) |
【最初の独立系デザイナー】クリストファー・ドレッサーの作品
最初の独立系デザイナーとして知られるクリストファー・ドレッサーの作品は多岐に渡ります。 様式としては、アングロジャパニーズ・スタイルの開拓者として、日本美術の影響を受けたデザインになっています。しかし、デザインしたモノの種類が多様です。ちなみにドレッサーもスコットランドのグラスゴー出身です。 |
図版やデザイン画
『The Grammar of Ornament』の図版(1856年) | 『Jananese Ornament』の図版(1879年) | デザイン画(1883年)メトロポリタン美術館 |
焼き物
ボウル(1870年) | タイル(1875年) | タイル(1875年) |
カップ&ソーサー(1879-1882年頃) | 水差し(1879-1882年頃) | 水差し(1880年) |
水差し(1880年)メトロポリタン美術館 | 花瓶(1880年) | 波のボウル(1880年) |
フラスコ瓶(1880年)LACMA | 花瓶(1882年) | スープ皿(1896年)ブルックリン美術館 |
金属製品
スープ・チュリーン&おたま(デザインは1877-1878年頃、1888年制作) | トースト・ラック(1878年) | スプーン・ホルダー(1878-1881年)メトロポリタン美術館 |
ティーポット(1879年) | 『Théière』(1879年) | トースト・ラック(1881年) |
燭台(1883年) | ケトル(1885年) | 黄銅のお茶用ケトル(1885年) |
テキスタイル
シルク・ウールの織物(1873年) | シルク・ウールの織物(1870年代) メトロポリタン美術館 |
グラス・アート
皿(19世紀後期)LACMA | (1888年) | ←↑アート瓶→ (1890年) |
(1895年) |
その他
家具 | 壁紙 |
サイド・チェア(1870年) メトロポリタン美術館 |
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壁紙デザイン(1880-1904年) |
実に多岐に渡りますよね。ドレッサー本人が全部作ったと思えない数と種類ですが、実際、ドレッサー本人が制作したわけではありません。高度な手仕事によるモノづくりは、相応の専門知識と勘や技術が必要です。得意分野ごとに専門の職人がおり、神技を発揮できるのはその中でもトップクラスの職人だけです。 何もかも得意ということはあっても、全く異なるジャンルでそれぞれトップの技術ということはありえません。365日、専門でそれだけをやっている人に、日毎に違うことをやっている人が勝るなんてことはないのです。毎日それ専門で磨いていなければ、職人の勘はすぐに錆びつきます。 |
透かし金具細工の作業場(1970年代) |
米沢箪笥で実際のモノづくりを体感して知っているGenによると、透かし金具の職人さんは道具を使う時にも独自のリズムがあり、馴染んでいない状態の新しい道具はリズムが取りにくいということで、すり減って使えなくなる限界まで道具を使っていたそうです。また、1日でも休むと勘が鈍ってしまい、取り戻すまでに時間がかかるという理由で、葬式や法事などの冠婚葬祭で半日休む以外は休みを取ることがなかったそうです。 冬の寒い山形でも、作業場は板間にムシロを敷いただけの簡素なものでした。暖房も感覚が鈍るからという理由で使用せず、かじかみ過ぎた時にのみ火鉢で少し手を温めるだけだったそうです。 |
透かし金具細工師の兄弟(1970年代) | 高度な職人技とはそのようなものです。 楽をして簡単に儲けたい、口が上手いだけの自称・職人に騙される人が時代と共に多くなると、このような本物の職人は存在できなくなっていきました。 今は技術ではなくトーク上手なことを堂々と自慢するような自称職人が、金ヅル向けに偉そうに講釈を垂れるような時代です。軽蔑の表情を隠せなかったので、察知はしているはずです。バレる人にはバレるので、こういう人間はどれだけ財を成したとしても決して心満たされることはありません。 誠意と心を込めたモノづくりとはどういうものなのか。 |
『Eros』 初期アールデコ ダイヤモンド ブローチ イギリス 1920年頃 ¥5,500,000-(税込10%) |
社会環境的にも、そのような職人は存在できなくなりました。『義務教育』によって、職人を目指すにしてもスタート地点が遅すぎとなります。 どれだけ才能があったとしても、同じくらい才能を持つ人が幼少期からそれだけに専念し、努力し続けてきた場合と比べて勝てるはずがありません。相応の努力もせず、真心も込めず、才能だけで勝てるなんて考えは傲慢以外の何でもありません! 本物の職人技術を目の当たりにしたり、そのような職人さんとコミュニケーションをとることは不可能な現代。 |
そのようなモノづくりの価値を真に理解できるのは、今では類稀で豊かな想像力を持った人だけです。アンティークジュエリーと言う知られざる『小さな宝物』を理解できるのは、神様からもらったギフト(才能)と言えるのかもしれません。 |
現代の限定生産品や高級品のまやかし
ご想像通り、『ドレッサーの作品』と言っても製作者はそれぞれ異なります。分業化された現代はデザイナーはデザインするだけ、職人は指示書通りに作るだけというのも普通です。このような場合、往々にして持ち上げられるのはデザイナーだけです。ドレッサーの作品紹介を見ても、製作者の名前は当たり前のように記載がありません。 最初の独立系デザイナーと称されるドレッサーの時代は、モノづくりのスタイルが移行する過渡期でした。 限られた上流階級のための唯一無二の美術工芸品を作るのがメインの時代から、大衆のための大量生産がメインとなる時代への移行期です。 唯一無二の美術品を作る際のデザインと、大量生産品用のデザインでは求められるものが違います。 |
デンマーク王室出身の姉妹のお揃いコーディネート | |
ロシア皇太子妃マリア・フョードロヴナ&イギリス王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1873年頃) | ロシア皇太子妃マリア・フョードロヴナ&イギリス王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1875年頃) |
ちなみに現代の高級ジュエリーの"限定販売品"も、大量生産品にカテゴライズできます。アンティークの高級品でも、親子や姉妹などがお揃いで持つために複数制作されたものは存在します。揃った状態で出てくることは滅多にありませんが、稀にそのようなものも出てきます。 さすがに生産数を公表する高級ジュエリー・メーカーはありませんが、様々な商品からその膨大な数を想像することはできます。 |
"争奪戦は必至"の20,000足のティファニー&ナイキ・モデル(2023年3月7日発売) 【引用】Tiffany & Co. × NIKE AIR FORCE 1 LOW "1837" は約2万足リリースか© 2023 Yakkun StreetFashion Media. |
これはティファニーとナイキがコラボしたスニーカーです。当初は1,000足限定販売と噂されたそうですが、少なくとも2万足が製造されたようです。それでも激しい争奪戦になることは必至だそうです。 「2万足で争奪戦???」と感じる方もいらっしゃるでしうか。過去に発売されたエア・フォースの人気モデルのエア・ジョーダン1 "UNC"が6万足、"LOST & FOUND"は50万足、エア・ジョーダン4 ”MILITARY BLACK"は14万足とのことで、その規模から考えると、「激しい争奪戦は必至」というのも根拠のない話ではないのです。 限定販売とPRする製品ですら、高級スニーカーの場合は最低でも数万単位です。通常の製品はこの比ではありません。一桁どころか、二桁以上は違わないとビジネスとしては成立しません。数万程度の限定生産品は、高級感を演出することで高付加価値を付け、利益率を確保することでビジネスモデルを成立させます。普通の価格帯の製品はそのような高付加価値の価格にはなっていないため、薄利多売的に数をこなさないと赤字です。同じもの数百万、数千万足を販売することでデザイン費や設備投資、企画製造費を回収します。 |
レクサス・LS 500h(ジェネヴァ・モーター・ショー 2017年) "2017-03-07 Geneva Motor Show 1217" ©Norbert Aepli, Switzerland/Adapted/CC BY 4.0 |
高級車も数千万円から億超えまで存在しますが、どんなに高くてもフル・オーダーメイドは聞いた事がありません。名前を知っている時点で、大量生産・大量販売で儲ける製品に該当します。1つしか作らないのに名前やスペックを知ってもらっても、儲けたい人には意味がありません。 2018年1〜2月、レクサスで最も売れたのがレクサスLSシリーズで、グレード合計で4,664台だったそうです。LS500Hは2,501台、LS500は2,158台でした。価格は980万円〜1680万円で、主要グレードは1,300万円超です。HERITAGEの1点物の宝物より高いですね・・。 台数は2ヶ月でのカウントです。1年に換算すると、LS500Hは約1万5千台です。1年の限定販売ではありません。高いお金を出しても自分だけのオリジナルではなく、同じものがいくつも走っています。稀少価値はありません。 |
フェラーリ・166MM(イタリア 1948年) "1948 Ferrari 1MM barchetta 0002M front side" ©Prova MO(20 August 2022, 22:29:34)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
成金が大好きなフェラーリはどうでしょうか。例に漏れず、初期は投資や自己顕示欲が目的ではなく、純粋に車好きのものでした。 1947年に設立されたフェラーリの初期モデルは、いずれも100台未満の販売台数でした。それでも数十台は同じ車を作っていたわけですね。この166MMはフェラーリが初めて市販した自動車で、1948年末から33もしくは34台制作されました。日本はモータリゼーション前で、"自家用車"というだけで憧れの存在だった時代ですね。 30人以上が同じものと持っていて心満たされるか、不満なのかは人それぞれかもしれません。確固たる美学がある人にとっての理想はフル・オーダーですが、それを実現するには途方も無いお金が必要です。実現させた人はいるのかもしれませんが、その人物がそのことを広告宣伝費をかけてまで大衆に自慢しない限り、私たちが知ることはありません。「雑誌やメディアが取り上げるのでは?」という考え方は誤っています。雑誌やメディアも利益追求団体ですから、広告宣伝費を払ってくれる所など何らかの形でバックマージンなどが得られるものしか扱いません。CMなどと異なり、そう見えないよう、あくまでも公平な立場で選んだかのように宣伝するのが雑誌やメディアの役割です。途方も無いお金をかけたフル・オーダーは儲けのためや、自己顕示欲の塊の人がやることではないのです。 テスト・モデル的に極小ロット、限定生産を謳うために小ロット/中ロット生産をすることはあっても、ただ1つのものを実現させるために研究開発費を投じることは、大衆の時代では無理です。 |
フランスのフェラーリ・クラブ(ナンシー 2012年) "Ferrari Club France - Flickr - Alexandre Prevot(1)" ©Alexandre Prevot from Nancy, France(17 May 2012, 19:27)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
確固たる美的感覚がない場合、他人と同じものを持たないと不安です。誰かが「価値ある」と認めたものを持つことで安心感を得るのです。"誰か"とは権威化されたもの、すなわち専門家やセレブなどの有名人、高級とされるブランド、メディアや雑誌などの媒体です。あるいは"不特定多数"も"誰か"に該当します。絶対的な感覚を持つ人を除き、「皆が良いと言うならば、きっと良いものなのだろう。」と思考する傾向が人にはあります。この人間心理は、もちろんプロモーションで利用されます。 区別がつかないような車に乗って、ゾロゾロと走って何が楽しいのか分かりませんが、感覚がない人たちはこのような場で安心感を得たり、自分は凄い存在なのだと思うことができるようです。Genだったら、どれが自分の車か分からなくなってオロオロしそうな光景です(笑) 当時の上流階級の欧米人からも憧れの存在として羨望の眼差しを受けた日本貴族、西竹一(バロン西)の行動が分かりやすいです。貴族の中でも桁違いの財力を持っており、1932年のオリンピック出場のために訪れたロサンゼルスで、当時アメリカでも珍しかったラジオ付きの高級12気筒スポーツカー、パッカード・コンバーチブルを現地で購入し、オリジナルでゴールドの塗装をして、毎日馬場や社交界のパーティに出かけました。誰か1人でも全く同じものを持っているなんて、絶対に嫌なんですよね。ゴールドのスポーツカーを乗りこなす、馬術競技の金メダリストだなんて、モテないわけがありません。 投資目的の成金の場合、無難な人気色じゃないと値段が上がらないという理由で、平凡なものしか選ばないそうです。カネしか考えていません。色々な意味で貧相ですよね(笑) 超高級車の中でもフェラーリは成金の投資マネーを呼び込む戦略に特化するようになったため、やり方がえげつないです。エンツォ・フェラーリ(2002年発表)は限定399台で7,850万円、ラ・フェラーリ(2013年)は限定499台で約1億6,000万円でした。 2023年に発表されたモデルはさらに顕著です。マニアに言わせると「10年に一度のアニバーサリー・モデルなどと比べて格は大分落ちる。」という、SF90 XX ストラダーレ(2023年)が約1億2,000万円、SF90 XX スパイダーが約1億3,400万円とラ・フェラーリに迫る価格です。その一方で、生産台数は合計1,398台と「かなり多い。」そうです。「世界的なカネ余り現象により、富裕層が増え続けていることの表れ」だそうです。 持っていれば必ず値段が上がるから、投資として買うのだそうです。乗り回すと価値が下がるので、ほぼ乗りません(笑)余るほどカネを持っていてもさらに増やしたいなんて、どれだけオカネダイスキーなのかと失笑してしまいます。側から見ると滑稽ですが、1,000人以上も欲しがる人がいるという予測で生産しているはずで、こういう顔d($△$)bをして群がる大金持ちがたくさんいるということですね。 |
限定150本の腕時計(カルティエ 2022年) 定価341万8,800円 中古価格374万円(2023.10.22現在) 【引用】株式会社クランHP ©?2011-2021 CKAN Co.,Ltd |
車ほど投資マネーは集まりませんが、高級時計はどうでしょうか。 これは2022年に限定150本販売された、カルティエの時計です。普通の時計と何が違うのか私にはよく分かりませんが、341万もしたようです。たった1年で30万円以上のプレミア価格がつくのか、中古価格は374万円だそうです。 150本だと少なく聞こえる方もいらっしゃると思いますが、こういう類は色違いだったり、一部だけデザインを変えて、パーツを使い回すのが通常です。 人気が高ければ、革ベルトの色などをちょっと変えただけで再び限定150本などと称して売ったりします。"売れ筋"と見るや、すぐにバリエーション違いを売るような業界です。 |
人と違うものを持っていたい人が「限定生産だから人と被りにくいだろう。」と手に入れても、そのような心の満足を汚すことを平気でやります。カネのことしか考えていないからです。 現代の高級品は、高いからその分の価値があるわけではなく、心理学を駆使して"高いこと"をただ上手に納得させているだけなのです。 |
社交界の名士 | カルティエ三兄弟のデザイン担当 |
発明家・飛行家アルベルト・サントス・デュモン(1873-1932年)1918年、45歳頃 | 長男ルイ・ジョセフ・カルティエ(1875−1942年) |
カルティエと言えばサントス・ウォッチが有名ですが、もともとは1904年に発明家・飛行家で富豪のアルベルト・サントス・デュモンが友人のルイ・カルティエにオーダーして作ってもらったものでした。 当時、腕時計は女性用というイメージが強く、オシャレ用途の男性用の腕時計は普及していませんでした。サントスのファッション・センスは社交界でも有名でした。オシャレが好きで、発明家なだけあってオーダーも的確だったでしょう。飛行機を操縦中にも、操縦桿から手を離さず見ることのできる腕時計が欲しいという、サントスならではの特別オーダーでした。 たくさんの需要を前提に作るわけではありません。必要としたのはサントスだけです。また、お金さえあれば手に入る、他の人と同じものを、大金持ち揃いの社交界で見せびらかしても「Nouveau riche(成金).」と失笑されるだけです。唯一無二、かつオリジナリティ溢れるセンスの良い持ち物であることが重視される世界ですから、試作を重ねることはあっても、完成品はオーダー主のためだけに作るのが通常です。 オーダー主が魅力的に付けこなすと、周りも真似したくなります。その結果、新しい流行が生まれ、さらに普遍的な魅力を持っていれば定着して文化の1つとなります。そこまでの魅力がなければ一過性の流行で忘れ去られます。 サントスの腕時計は真似したい人が多くいたようで、オリジナルを原型として、7年後の1911年に世界初の一般用量産腕時計『サントス』が発売されました。今でもサントス・シリーズはブランドとして知名度があり、大量生産品にも関わらず安くて数十万円しますし、100万円以上するものも普通にあります。 サントスのオリジナルはデザインだけでなく、機能的にもこれまでなかったものを一から作る類のオーダーでしたから、一体いくらかかったのでしょうね。 |
社交界向けの特別品 | 庶民用の大量生産品 | |
制作数 | 1点 | 大量(最低でも数百単位) |
制作難易度 | 特定の高度な技術を持つ職人 | 誰でも可 |
材料 | 稀少性のある素材 | 大量に手に入る素材 |
在庫リスク | なし(受注生産) | あり(予測生産) |
プロモーション | モノ自体は不要。オーダー主が口コミで工房をPRすることはあっても、モノ自体のPRは持ち主のために持ち主が行うもの。 | 必要。工房やモノ自体をブランディングすることで高い価値をつける。 |
価格 | 1人で全てを負担 | 大人数で分割して負担 |
尤もらしく見せているものであっても、どんなに高価格が設定されているものであっても、現代の製品は大量生産品です。高いから価値があるという思い込みは、真の価値を見極める機会を妨げます。 純粋な1点物と、大量生産品ではお金のかかる部分が異なります。大量生産することが価格を低くするために重要なことは有名ですね。内訳としては下記のようになります。 |
コスト内訳 | 社交界向けの特別品 | 庶民用の大量生産品 |
材料費 |
高:稀少価値が高いため | 極低:稀少価値がない上に大量仕入のスケール・メリットがあるため |
デザイン費 | 場合による:オーダー主が職人と相談しながらが一般的。職業デザイナーが誕生以降は、丸投げする場合もあり(※後述) | 場合による:無名のデザイナーなら安い。付加価値をつけるために有名デザイナーに頼むと高い。 |
製造人件費 | 高:高度な技術を持つ職人の時間あたりの人件費は高い。作業時間もそれなりに必要なので、時間分だけかかる。 | 極低:誰でもできるような単純な作業内容なので、最低賃金で雇える。1点あたりの作業時間も短いので安い。 |
設備投資 | 場合による:会社で買うような設備を1人で負担することもある。職人の道具のみで済む場合は道具次第だが、極端にはならない。 | 高:大量生産用の専用設備は設計やカスタマイズなどが必要なので高い。ランニング・コストやメンテナンス費用も必要。 |
プロモーション | なし | 高:知ってもらわないと売れない。価値あるよう認識してもらわないと高く売れない。 |
販売費 | なし | 高:店舗の設備費や販売員の人件費、輸送コストやHP運用など各種費用がかかる |
諸々を分解して見てみると、現代の大量生産品でもそれなりの値段を付けなければやっていけないことは分かりますね。案外、様々な経費がかかるものです。受注生産のオーダー品は、モノ自体にコストがかけられています。その一方で、大量生産品はモノ以外にもたくさんコストがかかっています。だからモノ自体の質の割には、高くなるわけです。高級ブランド品の価格の大半はモノそのものではなく、雑誌やメディアでPRしてもらうための宣伝費、プロのカメラマンやモデルへの費用、チヤホヤ要員さんのお給料、高そうな店舗の設えや一等地の家賃などというわけです。 さて、ここでデザイン費の部分に注目してみましょう。 |
制作した職人は異なる『クリストファー・ドレッサーの作品』
『ドレッサーの作品』の中で、金属製品について製作者に注目しましょう。 |
クリストファー・ドレッサーのデザイン作品 | ||
制作:Hukin & Heath | 制作:James Dixon & Sons | 制作:Perry Son & Co. |
スプーン・ホルダー(1878-1881年) | 『Théière』(1879年) | 燭台(1883年) |
制作:Elkington &Co. | 制作:Benham & Froud | 金属製品だけ見ても、少なくとも5つのメーカーが製造元です。 個人の職人ではなく工房として制作しており、実際に制作した人は分かりません。他も同様です。 |
シュガー・ボウル(1885年) |
黄銅のお茶用ケトル(1885年) |
製作者は異なるドレッサーのデザイン作品『Théière』(1879年) | |
制作:James Dixon & Sons(1879年) | 制作:不明 |
「最初の独立系デザイナー」と聞いて、それい以前にデザイナーはいなかったのか不思議に思う方もいらっしゃるでしょう。ドレッサーは、メーカーが大量生産するための製品をデザインしました。最初ということで、過渡期なので職人技を要する1点物のデザインと、産業デザインの両方をやっていたと推測できます。 同じデザイン画を渡されても、手仕事のモノづくりでは職人によって仕上がりが全く異なります。右側は下手な職人が作ったのでしょう。取手が歪んでいるのは抜きにしても、ボテッとして野暮ったい印象です。左のシャープでスッキリとした作りの作品とはまるで違います。アンティークジュエリーと同じですね。 まあでも違いが分かる人には一目瞭然ですが、こうして並べてみても分からない人には違いが分からないようです。分かる人には「嘘でしょう。」と言われそうです。Genも私もこの仕事をやってみて、分からない人がいるんだと驚きました。分かる方は、その才能はギフトだと言いたいです!(笑) |
製作者は異なるドレッサーのデザイン作品『蝋燭立て』(1883年) | ||
制作:James Dixon & Sons(1883年頃) |
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【引用】Brirish Museum / candlestick © The Trustees of the British Museum | ||
この蝋燭立ての作品が産業デザインだったことは、色違いの製品がいくつもあることから分かります。リバティがオリジナルで販売していたことから、リバティー製と勘違いして説明しているディーラーもいるようです。先のティーポット『Théière』(1879年)も年代的にアングロジャパニーズ・スタイルとすべきですが、アールデコと説明する美術館もありました。 大美術館だとさすがにそのような間違いはありませんが、尤もらしい顔をして間違ったことを偉そうに述べる自称・専門家も多い業界なので、私も鵜呑みにしてそのまま間違ったことを皆様にご紹介しないようきちんと裏取りしています(笑) これらは同じメーカーで作られているので、品質は安定していますね。分業にして、同じ人たちがリバティ百貨店で販売するために一定数を量産したのでしょう。 |
アーサー・ランセビィ・リバティ(1843-1917年)1913年、70歳頃 | リバティ社は1875年、元々バイヤーだったアーサー・アーサー・ランセビィ・リバティが日本を含めた東洋の美術工芸品を販売する店として開業しました。 1880年代からクリストファー・ドレッサーやE.W.ゴードウィンなどのアングロジャパニーズ・スタイルのデザイナー作品を扱い、ジャポニズム・ブームを牽引しました。 |
リバティ百貨店(ロンドン 1924年建築)"Liberty London 21" ©Gryffindor(28 March 2011)/Adapted/CC BY-SA2.0 |
Gen曰く、"百貨店"に高級なイメージを持っているのはアメリカ人と日本人で、ヨーロッパの人たちは大衆用のイメージしかないそうです。上流階級は直接職人とやりとりしながらオリジナルの良いものを作る、オーダーメイドが当たり前だったので、量産の既製品を販売する百貨店は良いものを手に入れる場所ではないのです。 ヴィクトリアン中後期は産業革命によって中産階級が台頭しましたが、お金はあるものの何を買ったら良いのか分からない人たちだらけでした。高度経済成長期の日本をイメージすると分かりやすいです。 「とりあえず百貨店に行けば良いものが買える。」 庶民にとっては頑張って買う、憧れの高級品という価格設定です。高く売るために、"著名なデザイナーの作品"というお墨付きを与えます。しかし、1点物では高く付いて商売としては成り立ちませんから、大量生産できるデザインで一定の数を作ってもらうわけです。人気が高ければ、売れれば売れるだけいくつでも追加発注します。楽して儲かるボロい商売(ボロ儲け)だったでしょう。 |
ドレッサーのデザイン作品 | ||
制作:Elkington &Co. |
制作:Centro Studio Alessi S.p.A(イタリア) | |
素材:ニッケルに銀めっき | 素材:プラスチック(1993年にリデザイン『Chirsty』) | |
シュガー・ボウル(1885年) | 【引用】©The Metropolitan Museum of Art./Adapted. | 【引用】©The Metropolitan Museum of Art./Adapted. |
量産用デザインなので、現代も再量産はしやすいです。但し、あくまでも「それっぽいもの」です。右の2つはデザインを簡素化した上で、プラスチックで量産しています。ドレッサーのデザインは無駄は極限まで削ぎ落とす一方で、センスの良さを感じさせるための鍵となる要素は省きませんでした。コストカットや量産のしやすさと、手間と美しさの兼ね合いです。 1885年のニッケルに銀めっきの作品は、量産と言えどもハンドメイドならではのシャープな作りや、細部までの手間が生きています。きちんと高級感があります。 プラスチックによるリデザイン品を見ると、ちょっとした要素を省くだけで、こんなに違うのかと思うほどチャチで安っぽくなるものですね。でも、「権威あるデザイナーの作品を再解釈した新たなクリエーションです!!」とPRすることで、私のように「なんだか安っぽいなぁ。」なんて思いもせず割高な値段で買う人が一定数いるのが現代です。 |
2-1-5. 『作る技術』と『デザイン』の分離
2-1-5-1. 作る技術とデザインが相関してこその芸術作品
【時を奏でる小さな宝物】 『ダイヤモンド・ダスト』 エドワーディアン ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント・ウォッチ フランス(パリ) 1910年頃 ¥15,000,000-(税込10%) |
これはコンテスト・ジュエリーと推測する宝物です。 作者が"アーティスト兼職人"としてのプライドをかけ、オーダーではなくコンテストに出展するために、一世一代の魂を込めて作ったとみられる宝物だけをコンテスト・ジュエリーと呼びます。 傑出したデザイン、神技の作りが最大の特徴です。 コンテスト・ジュエリーに関してだけは、同じ作者であってももう2度と同じものは作れない、そういうクラスのものです。 当然ながら他の職人には到底真似できない作品です。他者の制作を不可能とさせる障壁は、『作る技術』です。 |
『パラソルを持つ女』 ボヘミアン・イングレイヴィング・グラスの花瓶 チェコ 1930年代初期 30,3cm ×12,4cm ¥713,000-(税込10%) |
才能ある職人は、その技術に誇りを持っています。 自分でなければ創れない作品があることを知っています。 「自分の限界にチャレンジしたい。一世一代、最高到達点と呼べる、自分の全てを詰め込んだ作品を世に残したい。」 才能ある職人ならば、そう思うものです。 「自分はここまでできる。」、「やり遂げた!」と、職人としての人生を満足できる作品を生み出す達成感と喜び。 高度な技術を持つ、他の誰かが同じようなものを作れるような作品では意味がありません。神技を持つ自分ですら、寿命を擦り減らすほど集中し続けなければ創れない『魂の作品』であることが鍵となります。 その結果、自分の技術を限界まで駆使するためのデザインを生み出す必要が出てきます。その技術がないと、具現化不可能なデザインと言うわけです。 誰でも作れる産業デザインとは真逆の方向性ですね。 |
『摩天楼』 アールデコ ロッククリスタル&ダイヤモンド ブローチ イギリス 1930年頃 SOLD |
職人としての限界に挑むデザイン。それは、他人が作れるものであってはなりません! 自身の限界が感覚的に分かる、アーティスト兼職人が自分でデザインする以外にありません。 要望や仕様書通りに作る仕事と違い、誰も想像したことすらない芸術作品を創るために、心躍らせながら困難に挑戦するのです。 見る人たちを「あっ!」と驚かせたい! |
『Eros』 初期アールデコ ピュア・プラチナ ダイヤモンド ブローチ イギリス 1920年頃 ¥5,500,000-(税込10%) |
コンテスト・ジュエリーと呼べる宝物は、オーダー・ジュエリー以上に職人の生き生きとした魂とプライドによって、ポジティブなエネルギーで満ち溢れています。 才能あることは本人が一番分かっているものです。作りやすいよう手抜きをするのではなく、自分の限界に挑む!!♪ |
【参考】産業デザイン仕様の現代の量産ジュエリー | ||
狼 ブローチ(ブシュロン 現代) ¥9,306,000-(税込)2021.5現在 【引用】BOUCHERON HP / WOLF BROOCH | ||
このような犬か猫か狐かよく分からない工業製品と同列に扱われると、素直に怒りを感じます。下手すると、価値あるアンティークジュエリーの方が格下扱いされます。値段や"ブランドの格"(笑)だけで判断する人は、アンティージュジュエリーの価値を測る能力がありません。 制作した職人さんのことを想って激しく腹が立つわけですが、ただ才能を与えてもらえなかっただけの可哀想な人なので、怒らないようにしています。他者の真心が分からないような人は、他者に接する際もそのような接し方しかできません。行いは自身に返ってきますから、結局は本人自身もぞんざいにしか扱われません。心豊かな人生とは真逆の、心貧しい人生を送ることになるのです。 |
産業デザイン仕様の現代の量産リング | ||
アメジスト リング(ティファニー 現代)¥363,000-【引用】TIFFANY & CO / パロマ スタジオ ヘキサゴン リング ©T&CO | ||
「パロマ・ピカソの大胆なデザインへの愛を讃えた」ティファニーのリングも、手抜きが凄いですね。プロのデザイナーがデザインしたとは思えぬほどチャチです。『ピカソ』の名前だけで高く売ろうとする気合が凄いですね。正直、この企画が通ったこと自体が信じがたいです・・。 |
2-1-5-2. デザイナー至上主義の流れ
"モダンデザインの父" ウィリアム・モリス(1834-1896年) | この流れを危惧したのが、クリストファー・ドレッサーと同い年のウィリアム・モリスでした。 |
モリス商会の壁紙を職人が手作業で印刷する様子(メロトン・アビー1890年) |
アーツ&クラフツは『作り』と『デザイン』の双方に特徴があります。 『作り』に関しては中世の手仕事に帰り、ギルドの精神を実現させ、高度な技術を持つ職人による"芸術性が高い"モノづくりを目指しました。そこには「"芸術"は優れた手仕事によってのみ生み出される。」という、モリスの思想がありました。 産業革命によって、大量生産の現場で単なるオペレーターと成り果てた職人たち。誰でもできる、プライドの持てない仕事にその目は死んだ魚のよう・・。 モリスは高い理想を持ち、職人がプライドと真心を持って仕事できる環境を作ろうとしました。しかし、大きく環境が変わる時代の流れの中、結局は淘汰されました。このようなモノづくりはコストが高く付き過ぎて、大衆の時代には成立できなかったのです。 |
ウィリアム・モリスの自宅兼工房『レッド・ハウス』(完成 1860年) "Philip Webb's Red House in Upton" ©Ethan Doyle White(15 May 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
モリスは自宅兼工房として、『レッドハウス』を建築家フィリップ・ウェッブと共同設計しました。内装もこだわりに満ちています。大金持ちだったからできたことですね。 |
『レッド・ハウス』の窓(エドワード・バーン=ジョーンズのデザイン 1860年頃) |
モリス自身もステンドグラスのデザインなどを遺していますが、これは専門のデザイナーに依頼したようです。もちろん、モリスの趣味が多分に込められています。他の家具や調度品なども同様でしょう。 モリス自身の作品としては、壁紙やテキスタイル、ステンドグラス、本の装丁、絵画が知られています。 |
ウィリアム・モリスのデザイン作品 | |
ステンドグラス『アーサー王と騎士ランスロット』(1862年) | 本の装飾 |
自画像(ウィリアム・モリス 1856年)22歳頃 | 『La belle Iseult』(1858年) |
1872年 | 『アカンサス』(1875年) | 『いちご泥棒』(1883年) |
いずれも2次元の作品ですね。3次元の立体デザインは苦手だったのかもしれません。最も有名なのは壁紙やテキスタイル用のパターン・デザインでしょうか。現代でも定番人気があり、モリスのデザインはどこかで一度は目にしたことがあると思います。 |
ウィリアム・モリスのカーペット(1889年) | 同時代に、もっと才能のあったデザイナーはたくさんいました。しかし、意図的にウィリアム・モリスが祭り上げられたことは否定できません。 当時の立体デザインの作品は、その時代の優れた職人がいてこそ成立します。 一方、ただの平面デザインは簡単にコピーでき、大量印刷できます。 ブランド化することで『ウィリアム・モリス』、『アーツ&クラフツ』と言うだけで、価値がよく分からない大衆に買ってもらえるようになります。 だからこそ、ことさら権威化したわけです。誰がその製品を作るのかはどうでも良くて、デザイナーだけが独立して重要視される思考パターンを、大衆は植え付けられました。 |
チャチになっても安い方が良い。技術や真心より、お安いことが正義!!良いものを安く!!! 長いデフレを経験した日本人は、安さを求める圧力が、結果的にはモノやサービスの品質低下と自分自身の給料の低下しか招かないことを体感しました。 安くしろという圧力によって材料費をカットし、さらには人件費をカットする。こうして安くはなりますが、モノの質は悪くなりますし、人件費をカットされた人の給料は低くなります。技術革新を除き、『安くて良いもの』とは本来あり得ないことです。雇われサラリーマンではなく、1人1人が何かを作って売る個人経営が多い時代は、それを皆が経験して知っていました。 大量生産は、大量消費とセットでなければ成立しません。大量生産したものが長く使えて、新たに買ってもらえないと儲かりません。なかなか新しく買ってもらえなくても、高くて利益率があれば商売としては一応成立しますが、高いとなかなか買ってもらえません。大量生産ビジネスはトントンではなく、ボロ儲けがしたいのです。安く売る一方で、すぐにダメになる消費財こそが大量生産ビジネスにフィットします。 『安くて良いもの』ではなく、『安かろう悪かろう』が正解です。全くエコではありません(失笑) 儲け続けるのが当たり前というビジネス・モデルだからこそ、こうなってしまったのです。必要な時に、適正価格で上質なものを買い、長く大切に使う。『安くて良いもの』は私たちが考えて導き出した理想の形ではなく、ただ企業が儲け続けるために作り出された価値観であり、大衆消費社会の洗脳に過ぎないのです。 |
モリス商会の壁紙を職人が手作業で印刷する様子(メロトン・アビー1890年) | デザイナーだけがことさら重視される時代。 職人はどうでも良いとないがしろにされる。 これは本来モリスが求めていた形ではありません。 |
ウィリアム・モリスのデザイン(1876年) | 「"芸術"は優れた手仕事によってのみ生み出される。」として、デザインと職人の手仕事の相関を重視したモリスでしたが、儲けたい人々によってデザインだけが分離し、『ウィリアム・モリス』や『アーツ&クラフツ』の名はブランド化のために利用する道具とされました。 |
ウィリアム・モリス(1834-1896年) | あの世で怒っているか、呆れているか、嘆いているかもしれませんね。 このようにして19世紀後期、大衆の時代への移行と共に大量生産用の『デザイナー』だけが分離していったのです。 本人が作る場合、1人で制作できる数には限界があり、制作数が儲けられる金額の制約となってしまうため、職人系デザイナーは時代と共に忘れ去れる運命となってしまいました。 |
2-1-5-3. ブランド化して大量生産品でボロ儲けするビジネスの興り
【参考】大衆用の安物アーツ&クラフツのムーンストーン・シルバー・ブレスレット(1900年頃) | ベルエポックのパリの大衆然り。それまでジュエリーなんて買ったこともない大衆は、お金は手に入れても、何をどういう基準で選べば良いか分かりませんでした。 まさに『生まれたてのヒヨコ』であり、洗脳し放題です。このタイミングで『アーツ&クラフツ』を大衆に向けて権威化したことで、アーツ&クラフツのジュエリーだと紹介するだけで、大衆には簡単に売れるようになりました。 |
【参考】大衆用の安物アーツ&クラフツのジュエリー(1900年頃) | ||
1点ずつは王侯貴族のハイジュエリーのように桁違いに高くなくても、大衆は桁違いの人数がいます。 安物アーツ&クラフツは旺盛な需要に応え、かなりの数が制作されました。だから現代でも一定数が残っています。そしてフランスのアールヌーヴォー同様、大衆にとっての権威化の洗脳が現代でも効いており、コレクターがいて市場でも結構な高値が付いています。 量産のシルバー・ジュエリーは上流階級の目線からすると『見るに耐えない安物』ですが、庶民にとっては頑張って手に入れる憧れの高級品でした。だからそのような風潮なのは、しょうがないことなのかもしれません。但しこれを上流階級のための高級品と言う人がいたら勘違いか嘘つきです。知ったかぶりの素人だけでなく、口の上手いディーラーや、知識のない素人同然のディーラーはいるので注意しましょう(笑) |
【参考】安物のアーツ&クラフツのムーンストーン&アメジストのシルバー・ネックレス(1900年頃) | ハンドメイドですが、安物は技術がない職人がプライドを持たぬまま作るのでチャチです。 でも、違いが分からない人が喜んでお金を出すので、現代まで残るようです。 |
【参考】アールデコ後期の量産ジュエリー | ||
モノづくりの劣化スピードは早いです。お金が絡むものは、変化もあっという間です。 何かしらを権威化し、それを謳うだけで楽して高く売れる。業界は味をしめました。『アールデコ』というだけで売れるわけですが、ちょっと時代がくだるだけで作りがチャチになりますね。アーツ&クラフツはまだ手作り感がありましたが、これは型を使った鋳造による大量生産なので、職人が上手い下手などという人間味すらありません。完全に工業化された大量生産品です。それでも色違いに個性を見出して、喜んで買う人はたくさんいたのでしょう。こうして現代に至ります。 |
クーブス・チェア(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン 1910年) "Josef Hoffmann - Kubus Fauteuil(1910)" ©Sandstein(19:57, 5 December 2010)/Adapted/CC BY 3.0 |
高度な技術を持つ特別な職人の技術がなくても、ある程度の品質で量産できることが産業デザインの主軸です。 これは1910年にセセッションのヨーゼフ・ホフマンがデザインした作品『クーブス・チェア』です。 |
クーブス・ソファを掘った中身のスポンジがくっついて、こぶとり爺さん状態の小元太Jr(2022.5.11) | モノそのものではなく、デザインが『作品』です。現代でもホフマン・デザインのチェアやソファとして、同デザインやバリエーション違いの製品が販売されています。 私が社会人2年目で購入したソファも、たまたまホフマンがデザインしたものでした。 今は小元太Jr.の巨大なオモチャと化しています。ズタボロです(笑) |
所詮、革張りではなくPVC製で劣化し始めていたので全く構いません。 結局、価格を安くしてより多くの大衆に買ってもらうために、素材もより安いものを選ぶということにしかなりません。安かろう悪かろうで、品質は10年ももちませんでした。初期投資は高くても、皮革ならもっと長く使えたでしょうね。 それはさておき、アールデコのチャチな量産ジュエリーや、この現代でもリバイバルが可能なソファーのように、後の時代ではその時代で"カネになる"ものしかPRしません。リバイバルで儲けるために、美術館で企画展をやるために特定のデザイナーやアーティスト、特定の作品を持ち上げると言った感じです。 |
1点物の作者不明のジュエリーなんて、PRしても1円の特にもなりません。 上流階級のためのハイジュエリーは制作数自体が少ない上に、誰でも簡単に買付できるものでもありません。 大衆に販売するには数が必要です。大衆に知れ渡ると、あっと言う間に枯渇します。プロモーションしても、投資した額を回収できません。 |
市場規模として、数の力で大儲けしたい人には魅力がない世界です。この絶妙なバランスのために、アンティークジュエリーの世界は大資本に荒らされることなく、知られざる世界として今も存在できているわけです。 |
2-2. 知られざる稀少なセセッション・ジュエリー
2-2-1. リバイバルと作りの関係
アーツ&クラフツやアールヌーヴォーもそうであるように、建築や家具調度品などは一般に知名度があります。 しかし、上流階級のために作られた本物のハイジュエリーは大衆には知られざる存在です。 セセッションも例に漏れません。 ただ、アールヌーヴォーやアールデコはセセッション・ジュエリーに比べると知名度があります。 |
ベルエポックの安物のフレンチ・ジュエリー | |
【参考】大衆向けアールヌーヴォー・ペンダント | 【参考】大衆向けベルエポック18Kゴールド・ピアス(偽物の可能性あり) |
フランスはプロモーションによって、上流階級や流行・文化の中心地というイメージを意図的に大衆に植え付けた側面があります。普仏戦争後、共和政に移行したフランスは完全に『大衆の都』となりました。 安くて、高そうに見えるものを所望する大衆のために、「安い」と言う意味の名の『ボン・マルシェ百貨店』ができ、激安スーパー同然の百貨店には連日、買い物中毒同然の女性たちが押し寄せました。大量生産・大量販売の時代です。 型で作る鋳造ジュエリーは、大量生産に最適です。だから以降の時代は、鋳造ジュエリーで市場は溢れかえっています。デザインも使い回しで似たり寄ったりです。既製品であるが故に、誰が使うか分からない状態で作りますから、万人ウケする無難なものしか作られません。 安物は分かりやすくて、誰でも作れる稚拙な作りと、面白みのないデザインで明確に見分けられます。安物に新しいも古いもありません。もう作ることができないからこそ『アンティーク』としての価値がつきます。安物は、現代の職人でも作ることができるレベルです。だからリプロダクションやフェイクの対象となります。狭い世界なので、現地のディーラーは情報交換して誰がフェイクを販売しているか熟知していますが、ロンドンは世界中から観光客や素人同然の外国人ディーラーもやってきて、簡単に騙されて買ってしまうので悪質な業者を排除できないと嘆いていました。騙される人がいる限り、淘汰されません。 |
【参考】アンティークのオリジナルから型をとって量産した聖セシリアのメダイ・ペンダント(現代) | 自分は見る目があると考える人もいますが、こういうものは実質的に見分けるのは不可能です。 アンティークのオリジナルから型をとり、鋳造した現代のリプロダクションです。 製法はアンティークの時代と全く同じです。しかも型にしたのはアンティークですから、現代の職人が作る型より優れています。 摩耗具合で推定する手もありますが、それを見越して意図的に使用感を出したり、タバコの灰に押し付けて時代感を出す方法もあるそうです。 古いからと言うだけで価値があると考える人は、アンティークの価値が分からない頭デッカチです。 |
【参考】アールデコ後期の量産ジュエリー | ||
今ではもう作ることができないからこそ稀少価値があり、アンティーク(骨董)として成立します。 「手抜きのための"デザインの簡素化"」が進んだアールデコ後期のジュエリーは、特に現代でも似たものを作りやすいです。 安物が大量に作られているアールヌーヴォー、アールデコのジュエリーは、安物メインの一般のアンティーク・ディーラーはもちろんのこと、現代ジュエリー業界もプロモーションして権威化する投資価値があります。だから一般人にも比較的、知られているのです。 |
2-2-2. 有名デザイナーのセセッション・ジュエリー
セセッション ネックレス オーストリア 1900〜1910年頃 SOLD |
イギリスやフランスのジュエリーとも異なる独特の魅力を、セセッション・ジュエリーは持っています。 しかし、なぜこれほどまでに知られざる存在なのでしょうか。 |
セセッションの代表的なアーティストの1人と言えるヨーゼフ・ホフマンは、建築家として著名でした。チェアのデザインもしていますし、Genはホフマンがデザインしたグラスも扱ったことがあるそうです。 しかしホフマンはセセッションの立上げ(1897年)やウィーン工房の設立(1903年)、オーストリア工芸連盟の発起人(1912年)だったことなど、取りまとめ的な立ち位置で活動したことで知名度が高くなった印象です。実力そのものと言うより、代表者的に目立、衆目を集めたことで知名度が高まり権威化した形です。 『職人』と言っても様々なタイプの人がいるのは当然で、職人肌の人もいれば、コミュニケーションが得意な人もいます。 モノづくりも分かる、コミュニケーションが得意な芸術家が『取りまとめ役』には向いています。職人肌の人は団体に所属して自分の仕事に専念し、仕事をとってくるのはコミュニケーションが得意な人に任せるのが効率は良いです。上流階級がパトロンとして機能した古い時代は、仕事をとってくるという営業活動のようなものは不要でした。専属の職人として、パトロンのために制作活動に専念するだけで手一杯という感じです。実力があれば、社交界の中の口コミで顧客は広がります。信頼できる人からの紹介となりますから、職人も顧客も互いに安心です。 時代と共に従来の上流階級が没落していくと、顧客は1回しか仕事を依頼しないような新興成金たちへと変化していきました。絶対的な感覚を持たない人は、良いものを見せられてもその価値が全く分からないため、毎回依頼する人を変えます。常連にはならず、メディアや雑誌で持ち上げられた店にその都度行くようなタイプが該当します。実際には、そういう人の方が多いですよね。 この流れにより、職人は毎回違う人を相手にしなければならなくなっていきました。顧客もオーダーに慣れていませんから、的確なオーダーはできません。モノづくりを分かっていないと頓珍漢な要望をしたり、買い叩くなどもやりがちです。当然、本人には全く自覚がありません。現代もそうですが、トラブル防止や面倒臭いという理由で法人しか相手にしたがらない職人が圧倒的に多い理由です。 |
ウィリアム・モリス(1834-1896年)23歳、1857年 | 大きなことをやるには資金と、社交界でのコネクションが必要です。 ウィリアム・モリスは大金持ちだったので、自己資金がありました。 父はロンドン・シティの証券会社サンダーソンの共同経営者で、投資で巨万の富を得ていました。モリスが13歳の時に亡くなり、成年になるとその遺産を相続しました。 苦労知らずのボンボンだったからこそ、半ば趣味のような形で、明らかに採算が取れないような、時代にそぐわぬ活動に挑戦できたとは言えますね。 |
ヨーゼフ・ホフマン(1870-1956年)32歳頃 | コロマン・モーザー(1868-1918年) |
自己資金がない場合はパトロンを掴む必要があります。ウィーン工房(1903年)は芸術家ヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーが立ち上げたことで知られますが、パトロンとして実業家で銀行家のフリッツ・ヴェルンドルファーがいました。前年にヴェルンドルファーは2人に仕事を依頼しており、その結果に満足してのことだったと言えます。 |
アドルフ・ストックレー(1871-1949年) | その後、世界遺産登録された『ストックレー邸』も手がけましたが、これも大富豪アドルフ・ストックレーのオーダーあってこそです。 ストックレーはベルギーの金融業者でした。オーストリアで登山鉄道を運営していた、オーストリアとベルギーの合弁会社の顧問をしていました。仕事でウィーンに定期的に来ており、そこでセセッションの指導的立場の人物の1人してヨーゼフ・ホフマンい出会い、その縁で仕事を依頼することになりました。 普通の一般人では、こんな外国の大富豪に出会ったりはしませんよね。 |
オーストリア皇帝も展示会に足を運んだ、著名な芸術家集団セセッションの代表者としての顔を確立し、勢いある芸術家として名声を響かせていたからこそ社交界でも顔がきき、大富豪からの依頼を得られたわけですね。 他にも実力ある芸術家はいましたが、なぜホフマンが特に有名なのかと言えば、取りまとめを行う代表者的な立場だったからなのです。大富豪に気に入られ、仕事をとってくる営業活動も得意な、コミュニケーションに優れた人物だったのでしょう。芸術家としての才能とはまた違う部分です。 純粋な芸術家としての才能と、知名度の高さは相関しません。目立つ人が有名になるだけです。そして、有名な人が好きな人が多いです。実力を見極める目を持つ人は全く興味を持たない対象でも、肩書きやネームバリューがあれば飛びつく人は多いですよね(笑) |
マベパール・シルバー・ネックレス(ヨーゼフ・ホフマン 1909年) 【引用】MASTERART / JOSEF HOFFMANN / WIENER WERKSTATTE / Necklace ©MASTERART |
ホフマンは建築家や取りまとめ役、営業の才能は間違いなくあると思いますが、ジュエリーのデザインは全くですね。絶対感覚がない人はホフマンのデザインと言うだけで賞賛し、大金を出すかもしれませんが、私ははっきり言います。これは酷いです(笑) 上流階級のためのハイジュエリーとして、プラチナという白い金属一色だった時代に於いて、シルバーという安い材料しか使っていないことからも、これが安物だと分かります。マベパールも安いから使ったという感じです。 |
『社交界の花』 シトリン ブローチ&ペンダント イギリス 1870年頃 SOLD |
天然マベパールのジュエリーは、アンティークのハイジュエリーでは滅多に見る機会はありません。 現代の養殖マベパールと異なり、人工的に核を使ったり、調色(脱色と染色)もしませんから、美しい天然マベパールは価値があります。 しかし天然真珠の方がより稀少価値が高いです。また、さまざまな形状のマベパールは、デザイン的にセンス良く使いこなすのが難しいです。 このため、玄人向けの宝石だった印象です。 だからマベパールを使ったアンティークのハイジュエリーは、デザインや作りが一般的なハイジュエリーより明らかに優れ、こだわりを以って作られたものばかりでした。 これも起床価値の高い、大きくて上質な非加熱シトリンやハーフパール、シルバーではなくゴールドというこの時代の最高級金属を素材として選んでいます。ペンダント&ブローチになっており、作りも抜群でした。 |
これも上質な天然真珠、ダイヤモンド、エメラルドと組み合わせており、デザインの要として必要だから天然マベパールを選んだことが分かります。 高い安いではなく、理想の美しさを表現するのに最適かどうかで選んでいるわけですね。高い方を選ぶなんて、おかしなことです。状況次第でモノの値段はいくらでも変わります。絶対的な指標ではありません。 プラチナ登場以前の白い金属としてシルバーが選択されていますが、見えない裏側に、より高価なゴールドを使っています。もちろん、安く抑えるためにシルバーを使ったわけではありません。 |
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『花瓶と花』 レイトヴィクトリアン マベ真珠ネックレス イギリス 1870〜1880年頃 SOLD |
天然マベパールを使った20世紀初頭のジュエリー | |
安物(ヨーゼフ・ホフマン 1909年) | 最高級品 |
【引用】MASTERART / JOSEF HOFFMANN / WIENER WERKSTATTE / Necklace ©MASTERART |
SOLD |
アールデコでも、最高級品はシルバーではなくプラチナを使用し、プラチナならではの細工がデザインされています。敷き詰められた上質なダイヤモンド、アクセントとなるカリブレカット・オニキスなど、非常に贅沢です。 このようなクラスのジュエリーをオーダーする上流階級から見て、ヨーゼフ・ホフマンは知名度はあってもジュエリーのデザインを依頼する対象ではなかったのでしょう。才能のない成金や庶民は『権威の威光』を纏わないとドヤることができないので、ブランド・ジュエリーを選んでそれを自慢します。 上流階級の場合、自慢するポイントは誰に作ってもらったのかではなく、どのようなものを身につけているかです。「これはホフマンがデザインしたのよ!!」、「これは1億円したのよ!!」といった主張は自慢にならないのです。 |
葉っぱの表現 | ||
安物 | 最高級品 | |
細工なし | 神技の彫金 | ダイヤモンド |
シルバー | ホワイトゴールド | プラチナ |
マベパール・シルバー・ネックレス(ヨーゼフ・ホフマン 1909年) 【引用】MASTERART / JOSEF HOFFMANN / WIENER WERKSTATTE / Necklace ©MASTERART |
『ヴェルサイユの幻』 アクアマリン ペンダント ヨーロッパ 1910年代 SOLD |
『永遠の愛』 ペンダント&ブローチ フランス? 1910年頃 ¥1,220,000-(税込10%) |
素材のみならず、作りもホフマンの作品は非常に残念な感じです。ジュエリーのデザインにはセンスだけでなく、専門知識やたくさんの経験が必要です。とても専門性の高い仕事です。 単純にホフマンがジュエリーに関して不勉強だったのか、センスがなかったのかは分かりません。初めて目にした際は、本当に有名デザイナーの作品なのか目を疑ったものです。 シルバーであっても、高度な技術や丁寧な手仕事があればそれはそれで十分に価値を認めることができます。しかし、葉っぱの表現を見ると、何もなしです。つるっぱげです。 普段、最高級ジュエリーばかりを見ているので驚きました。普通はダイヤモンドがセットされているものですし、美意識が高い人のオーダー品だと、実に見事な葉脈や質感などが彫金されているものです。 |
葉っぱの表現 | |
ヨーゼフ・ホフマン・デザインの安物 | 最高級品 |
【引用】MASTERART / JOSEF HOFFMANN / WIENER WERKSTATTE / Necklace ©MASTERART |
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右側の宝物は、肉眼でははっきり分からないほど細かな彫金なので、かなり拡大しています。この宝物の一番の見どころとも言える、神技の彫金です。葉っぱは16枚ありました。 ホフマンの作品は葉っぱは5枚で、ろくに細工もしていません。高度な技術は不要ですし、作る手間もかからなかったでしょう。量産には最適なデザインですが、これはタダだと言われても欲しくないくらい安っぽいです。恥ずかしくて、絶対に付けたくないです。 |
葉っぱの表現 | |
ヨーゼフ・ホフマン・デザインの安物 | 最高級品 |
マザー・オブ・パールのシルバー・ブローチ(ヨーゼフ・ホフマン 1912年) 【引用】MASTERART / JOSEF HOFFMANN / Brooch ©MASTERART |
『ヴェルサイユの幻』 アクアマリン ペンダント ヨーロッパ 1910年代 SOLD |
量産用のデザインでしたから、同じようなものは一定数が作られたようです。このようなものを、成金が「あの有名な、セセッションのヨーゼフ・ホフマン大先生がデザインしたものよ!!!」とドヤっていたのでしょう。価値が分からない成金仲間から賞賛されつつ、庶民からは羨ましがられつつ、上流階級からは冷笑されていたかもしれません。 そして、同じ時代の社交界で、上流階級が右のような本物の価値あるジュエリーを身につけて、美的センスや美意識の高さ、心の豊かさを競っていたのでしょう。 |
2-2-3. ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたジュエリーの状況
ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたジュエリーの魅力がなさすぎて、セセッション・ジュエリー自体が知られざる存在となっている面はあると考えます。代表するデザイナーと言えるホフマンのジュエリーがこれならば、セセッションのジュエリー自体に大半の人は興味を持つと思えません。 |
【ミュージアム・ピース】半貴石のシルバー・ブローチ(ヨーゼフ・ホフマン 1908年デザイン、1914年制作)【引用】MASTERART / JOSEF HOFFMANN / Brooch ©MASTERART | シルバー・ブローチ(ヨーゼフ・ホフマン 1910年デザイン)落札価格£14,340(約261万円、2004年) 【引用】CHRISTIE'S/ LIVE AUCTION 6938 ©Christie's |
左はミュージアム・ピースなのでまだマシですが、ゴチャゴチャした嫌なデザインですね。1908年のデザインですが、制作されたのは1914年です。6年も経過してようやく具現化するなんてことはありませんから、いくつも量産された中で、6年後に製造されたものと言えるでしょう。石の色でバリエーションを出したと推測しますが、石の質も色の組み合わせも酷くて、ジュエリーとは呼びたくありません。せいぜいアクセサリーです。 右は、20年近く前のオークションで261万円ほどの値段が付いたようです。ヨーゼフ・ホフマンの作品というだけで、こんなチャチなものにこれだけの値段が付くのはビックリですね。『裸の王様』の世界のようです。クリスティーズでなければ、有名デザイナーの名前がなければ、これを単体で見て誰が欲しがるでしょうね。今はアンティークジュエリーも相当値上がりしており、倍以上の値段が付いてもおかしくありません。 |
奇石のシルバー・ペンダント(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン、ウィーン工房 1907年)【引用】RIBA J / Vienna's MAK returns Josef Hoffmann to his place in the architectural canon ©MAK/Katrin Witfzkirchen | これもホフマンの作品だそうです。 ウィーン工房やホフマンの紹介記事に取り上げられるレベルでこれです。 これなら現代でも似たものがたくさん作れますね(笑) 現代でも材料調達は容易ですし、作りも再現できるレベルです。 でも、欲しがる人がおらず、儲からないので商品化されないのでしょう。 |
シルバー・ネックレス(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン、ウィーン工房 1903年)落札価格€112,500-(約1,800万円、2018年)【引用】DOROTHEUM / Lot No.26 ©MAK | |
これはウィーン工房での初期の作品でもあるせいか、2018年時点で1,800万円くらいの値段が付いています。ヨーロッパもインフレが激しいので、今だと2千万円を超えるかもしれませんね。 石はコーネリアン、カルセドニー(緑はおそらく着色)、ラピスだそうです。黒いのはオニキスだと思います。20万円でも高いと感じますが、その2桁倍の価格で成立するとは、"偉いデザイナー大先生"の効果は凄いですね。このように、ブランディングするだけで2千万円もチョロく儲けられるからこそ、業界はこぞってターゲットをプロモーションし、虚飾の『大先生』を作り上げるわけです。 仕組みは分かっていても、普通はこんなことしません。恥を知らない業界ですよね。カネに頭を支配されると、全く恥ずかしく感じないようです(笑) |
オパールのゴールド・ペンダント(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン 1915年)【引用】RONALD S. LAUDER NEUE GALERIE NEW YORK / PENDANT WITH VELVET BAND, 1915 ©Neue Galerie New York | これもヨーゼフ・ホフマンのデザインです。 数は少ないですが、一応ゴールド製もあります。この時代の上流階級のハイジュエリーはプラチナやホワイトゴールドのなどの白一色ですが、シルバーよりはゴールドの方が高級です。 ジュエリーに関しては、金細工職人は銀細工職人により圧倒的に格上です。表面的な話ではなく、技術が高いからこそ金細工職人になれます。このため、シルバーよりゴールド・ジュエリーの方が一般的には作りが良いです。 稀少価値のない奇石や低品質の宝石を使うシルバー・ジュエリーと違い、宝石もオパールを使っていることからも、一応高級品としてオーダーされたことが分かります。アメリカのギャラリーで個人蔵になっているので、当時のアメリカの新興成金が有名という理由でホフマンに依頼したと想像します。 |
最高級金属はプラチナの時代 | |
ゴールド・ジュエリー | プラチナ・ジュエリー |
オパールのゴールド・ペンダント(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン 1915年)【引用】RONALD S. LAUDER NEUE GALERIE NEW YORK / PENDANT WITH VELVET BAND, 1915 ©Neue Galerie New York | オープンワーク ダイヤモンド・ブローチ フランス 1920〜1930年頃 オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド ローズカットダイヤモンド、プラチナ SOLD |
相変わらず葉っぱの表面に何の細工もなされておらず、ペカペカとした安っぽい輝きなのも気になりますが、ラティスワークも下手ですよね。下手だからこそ手作り感があり、味わいであると言うこともできはしますが、そういう欠点を愛するのは日本人独特の感覚です。 ヨーロッパの上流階級は基本的に完璧主義ですから、機械のように正確な仕事ができる職人が高く評価されます。この時代はプラチナが最高級の金属だったので、腕の良いジュエリー職人は金細工職人ではなくプラチナ細工職人となるのが通常でした。プラチナ独特の粘りと強靭さは、透かし細工に最適でした。ゴールドでは不可能な域の『透かしの美』が競って表現されました。その最高級品と比較すると、ホフマンのジュエリーは作りがかなり劣ることが分かります。 餅は餅屋。 |
ハーフパール・リング(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン、ウィーン工房 1912年) 予測価格:€18,000-25,000(約285万〜396万円)2021年現在 【引用】MASTERART / JOSEF HOFFMANN / WIENER WERKSTATTE / Necklace ©MASTERART |
これもゴールドと天然真珠なので、シルバーよりは高級品として制作されたホフマン・デザインのリングです。HERITAGEでご紹介するリングだと、同じだけ拡大しても余裕ですが、これは汚すぎて見るに耐えないですね。 ホフマンは、ブツブツ恐怖症的なデザインは好きだったのでしょうかね。私も依頼しようと思う上流階級がいなかったのは納得です。ただ、有名人というだけでオーダーする新興成金がいたお陰で、いくつかは制作されたということでしょう。現代の同類の人が、やはりヨーゼフ・ホフマンの作品というだけで喜んで大金を出すのでしょう。最終的な落札価格は不明ですが、400万円近い価値があると宣伝されていたようです。 |
ハーフパール・リング(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン、ウィーン工房 1912年)予測価格:€18,000-25,000(約285万〜396万円)2021年現在 【引用】KUNSTHANDEL NIKOLAUS KOLHAMMER ©2023 Kunsthandel Nikolaus Kolhammer GmbH |
ハーフパールも質が悪いですし、作りも稚拙です。 こんなものを何百万円もの値段で売る方も売る方ですし、買う方も買う方です(笑) 100年前の成金ジュエリーが、成金専門のディーラーを通して、100年後の成金の手元に届く・・。 人も物も、本当に類は友を呼ぶものですね。 |
ダイアデム・ネックレス(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン、ウィーン工房 1909年)予測価格:€25,000-35,000(約396万〜554万円)2015年現在 【引用】DOROTHEUM / Lot No.132 ©2023 Dorotheum GmbH & Co KG |
少なくともジュエリーに関しては、ヨーゼフ・ホフマンは成金御用達だった印象です。 これはシルバーギルト(シルバーに金メッキ)のネックレスです。 アクセサリーかと思うくらい安っぽくて悪趣味ですが、大きく見せるためにマザーオブパールを使った感じですし、シルバーギルトなので、ジュエリーではなくアクセサリーとカテゴライズしても良いくらいです。少し後に、『コスチューム・ジュエリー』という詐欺まがいの名前も発明されましたね(笑) |
ダイアデム・ネックレス(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン、ウィーン工房 1909年)予測価格:€25,000-35,000(約396万〜554万円)2015年現在 【引用】DOROTHEUM / Lot No.132 ©2023 Dorotheum GmbH & Co KG |
ヨーゼフ・ホフマンのデザイン画(1909年) |
ダイアデム(王冠)にできるタイプです。成金が王冠を付けて、ドヤるためにオーダーした感覚が伝わってきますね。ドヤるためなの大きさを求めたようですが、チープ感が酷いです。でも、これも500万円を超える落札価格が想定されています。 有名イコール、よく分かっていない成金が殺到して楽に儲かるという構図でもあります。ただ、成金は飽きるのも早いですし、見る眼を持つ上流階級に評価されないと分かると、成金も去っていきます。虚飾を作り続けなければならないので、成金相手の商売も楽ではない気がします。 そもそも、こんなつまらないものを作ったり売ったりしても面白いとは思えません。良い仕事をしたという、プライドを持つ者としての"本当の満足感"はあったのでしょうかね。 |
2-2-4. 真の上流階級のみが知るセセッション・ジュエリーの魅力
ただでさえ大英帝国ほど経済力がなかったオーストリア帝国に於いて、ハイジュエリーをオーダーできる上流階級は限られていました。 制作数が少ない上に、有名デザイナーに大衆の意識は向いているため、価値あるセセッション・ジュエリーは知られざる存在となっています。 このような宝物をオーダーして身につけていた王侯貴族が、成金や大衆に対して見せびらかしてドヤることもありません。大衆や成金から褒められても、自己満足は得られないから当然です。 |
セセッションのハイジュエリー | |||
トルマリン ネックレス オーストリア 1900〜1910年頃 SOLD |
『REBIRTH』 スパイラル ネックレス 1905〜1910年頃 SOLD |
スパイラル ブローチ オーストリア 1900〜1910年頃 SOLD |
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真の自己満足は、自分自身さえ心から満足していれば得られるものです。逆に、どれだけ他人から褒められようと、自分自身が納得していなければ満足感は得られません。 でも、やはり人間は相互作用して生きる生き物です。自分が良いと思うものを、価値観を同じくする人や一目置いている人たちから賞賛されたら嬉しいですよね。このような宝物は、そのような特別な人たちが集まる社交界で使うために作られています。 だからこそ量産の安物と違って個性に富み、教養やセンスにも満ち溢れているのです。お金持が一才の妥協なくオーダーしたものですから素材、デザイン、作りの全ても最高級です。お互いに見ているだけで楽しい世界だったでしょうし、宝物をきっかけに会話も弾んだことでしょう。それが楽しいのです。知られざる社交界というわけですね。 |
セセッションのジュエリー | |||
成金の有名デザイナーへのオーダー品 | 上流階級の特別オーダー品 | ||
デザイナー主体のデザイン | オーダー主の個性が反映されたデザイン | ||
【引用】MASTERART / JOSEF HOFFMANN / WIENER WERKSTATTE / Necklace ©MASTERART | 【引用】MASTERART / JOSEF HOFFMANN / Brooch ©MASTERART | ||
やってみると分かりますが、フル・オーダーは慣れない人には至難です。現代はせいぜいパターン・オーダーが一般的です。色違いや、ちょっと変更を加えるくらいは普通の人でもできますが、ゼロから何かを作り上げるのは特別な才能がないと無理ですし、経験値がないと良いものにはなりません。3Dプリンターができて、一般人でも自由にデザインして好きなものを作れるようになったなどと一時期さわがれていましたが、いざやってみると殆どの人が無理だったようです。 そういうわけで、経験のない成金は手っ取り早く有名デザイナーに依頼するわけです。上流階級が自分でやったり、実際に作る職人と相談しながらやる部分を、丸投げするのです。ドヤりどころは「有名デザイナーの作品」という部分なので、見てすぐにそのデザイナーの作品と分からなくてはなりません。だから例えばホフマンの作品であれば、つるっぱげの葉っぱや、ブツブツ恐怖症まがいの石の集合体などの特徴が必ずデザインされるわけです。感覚のない成金でも、誰の作品か分かりやすいようになっているということですね。 上流階級のオーダー品は、持ち主の個性が反映されます。持ち主がどのような個性を持ち、美的感性を持つのか、さらには財力や美意識に至るまで、宝物を見るだけで分かります。右の2つもカボション・サファイアとダイヤモンド、ゴールドという素材に加えて、サークル系のデザインが共通するにも関わらず、全く別の個性を放っています。本来、ジュエリー・デザインの可能性は無限大なのです!♪ 現代は特定のプロ・デザイナーの量産品ばかりだから、同じようなものだらけのつまらない世の中となってしまったのです。 |
知られざるセセッション・ジュエリーの魅力。 それは当時の社交界に出入りしていた、特別な人たちだけが知る魅惑の世界なのです。 |
3. デザインを最大限に惹き立てる作り
とても魅力的なデザインですよね。 それにも関わらず類似のものがないのは、作るのが極めて困難だからです。 一見すると簡単そうに見えるかもしれませんが、高度な技術と手間がなければ具現化はできない、奇跡の宝物です! |
3-1. 青を印象的にするカボション・サファイア
まずサファイアに注目しましょう。 『作り』の観点では、サファイアをどうカットするのかに工夫が凝らされています。 カボション・サファイアは、実はGenがとても好きな宝石です。 |
3-1-1. カボション・サファイアのジュエリー
中世の聖なる青の指輪 | ||
鐙型サファイア・リング フランス or イギリス 12〜13世紀 SOLD |
中世のサファイア リング 西ヨーロッパ 13世紀頃 SOLD |
『Road of The Ring』 カボション・サファイア リング 西ヨーロッパ 13〜14世紀頃 SOLD |
特に印象が強いのは、中世の高位聖職者のリングです。アンティークジュエリーの市場の大半は、19世紀後期以降の女性用のジュエリーです。カボション・サファイアのジュエリーは滅多に目にすることがなく、その独特の魅力に心を奪われます。 日本だと、聖職者に富と権力のイメージはありません。どちらかと言えば、そのようなものとは真逆のイメージですよね。しかしながらヨーロッパは教皇国家の君主でもあったローマ教皇だけでなく、『司教君主』のように、富と権力を持つ聖職者が当たり前のように存在しました。宗教と権力が密接に結びついていました。 枢機卿クラスの、特に高位の聖職者がつける石としてサファイアがありました。 |
セセッションのサファイア・ジュエリー | ||
ファセット・カット | カボション・カット | |
スパイラル ブローチ オーストリア 1900〜1910年 SOLD |
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セセッション ネックレス ウィーン 1900〜1910年頃 SOLD |
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サファイアはよく煌めく石なので、一般的にはファセット・カットの状態で見ることが多いです。同じセセッションのデザインでも、石のカットだけでかなり雰囲気が変わることにお気づきいただけるでしょうか。 |
3-1-2. カボション・カットとファセット・カットの違い
カボション・カットされるイメージの宝石と、ファセット・カットされる宝石はそれぞれイメージが異なると思います。メジャーなもので言えば、ガーネットやトルコ石はファセット・カットのイメージが強く、ダイヤモンドはファセット・カットをご覧になったことがないのではないでしょうか。 石の特徴に合わせて、最適なカットが選択されるからです。ファセット・カットは基本的に、面で反射させることによる煌めきを作るためです。金剛光沢を出せることが大きな特徴であるダイヤモンドが、ファセット・カットされるのは納得ですね。 一方で、ファセット・カットには様々な意図があります。 |
その宝石ならではの特徴を引き出すため
ムーンストーン シラー |
キャッツアイ系 キャッツアイ |
オパール 遊色 |
『Blue Moon』 ブルー・ムーンストーン ネックレス イギリス 1890年頃 SOLD |
『愛の錠前』 パドルロック ペンダント イギリス 19世紀中期 SOLD |
『神秘なる宇宙』 オパール リング イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
シラーやキャッツアイ、遊色などの性質を効果的に惹き出すためにカボション・カットを選択する宝石もあります。ファセット・カットでは最大限に発揮できない魅力です。このため、これらの宝石はファセット・カット一択です。 |
宝石の煌めきよりも色彩を印象付けるため
トルコ石 | ヒスイ | ガーネット |
ジョージアン ブローチ&ペンダント イギリス 1800〜1820年頃 SOLD |
ジェイド イヤリング イギリス 1910年頃 SOLD |
カーバンクル ブローチ イギリス 1860年頃 SOLD |
煌めきは、ともすれば目を眩ませます。魅力的ではあるものの、宝石の色彩から目を奪ってしまいます。 「色彩が魅力」の宝石の場合、煌めかない方が良いと考えることもできます。また、そもそも煌めきが強く出ない宝石の場合、ファセットを作ってもあまり意味がなかったりします。このような理由から、トルコ石やヒスイはカボションカットが選択されます(ヒスイは中国では彫り物になる場合も多いです)。 深い赤が印象的なガーネットも、カボションカットのイメージは強いですね。 |
3-1-3. カットの選択に現れる持ち主のセンスや美意識
ガーネットのハイジュエリー
ファセット・カット | カボション・カット | |
ジョージアン ガーネット ピアス イギリス 1820〜1830年頃 SOLD |
『永久の天然真珠』 ペンダント&ブローチ イギリス 19世紀初期 SOLD |
ホルバネイスク・ペンダント イギリス 1860〜1870年頃 SOLD |
ガーネットは磨き仕上げの質さえ良ければ、綺麗に煌めきます。だからファセット・カットとカボション・カットの両方を見ることができます。左のジョージアンのガーネット・ピアスはファセット・カットです。「揺れる」という特徴を持たせたピアスなので、煌めきもあった方が魅力的であると判断した結果です。 右の2つのガーネットは大きさがあります。大きな宝石の場合、ファセット(面)を広くカットしても、いまいち美しく輝きません。キラキラではなく、スイッチが切り替わる感じで大ぶりな変化しかしないので、期待するほど美しく見えないのです。だから大きなガーネットを使ったハイジュエリーは、カボション・カットのイメージが強いのです。 |
【参考】ヴィクトリアンの大衆向けガーネット・ジュエリー
色彩自体が美しくなかったり、小石を寄せ集めた安物ガーネット・ジュエリーの場合は煌めかせて誤魔化すしかありません。尤もらしく見せる効果はあります。 このような安物しか見たことがない場合は、カボション・カット自体を知らなかったり、カボション・カットの魅力が分からないこともあるかもしれません。 宝石に関しては、現代ジュエリー業界がやたらと煌めきばかりをPRしたせいで、煌めきばかりに意識がいく人もいるようです。こういう洗脳状態にある人たちは、煌めかないカボション・カットにはまず興味を持ちません。"色彩の美しさ"という概念を持てないようです(笑) |
【参考】不適切なカットの現代ジュエリー
【参考】ホワイト・ラブラドライトのアクセサリー(現代) | トルコ石2石、18KYG ¥518,400-(2019.7調べ)【引用】BOUSHERON / SEPRENT BOHEME TWO-STONE RING S MOTIFS |
合成ブラックオパール&プラチナ・リング ¥370,000-(2023年1月現在)【引用】Kyocera odolly / ブラックオパールリング ©2015 京セラジュエリー通販ショップodolly-オードリー |
職人の高度な技術を使わない現代ジュエリーは、デザインできる範囲も限定されます。ネタも尽きてしまい、同じようなつまらないデザインばかりです。一般人がジュエリーを買った経験自体がなかった時代は、それでも売れました。しかし需要が一巡し、似たり寄ったりのジュエリーでは売れなくなりました。 今まで作っていなかったデザインで作ろうとしたようですが、画期的な美しいデザインを生み出すのではなく、間違った方向に行きました。「誰もやったことがないこと」にトライしたつもりと想像しますが、できなくてやらなかったのではなく、「イケテナイからやらなかった」ことに手を出したようです。 やっぱりシラー系の石やトルコ石、オパールをファセット・カットにすると、全く綺麗に見えませんね。アンティークの時代に、このカットを選ばなかった理由が納得です。現代のこれらを企画している人たちは、見ても違いが分からない証でもあります。 |
ガラスと金メッキのピアス | 【参考】合成オパールのアクセサリー | |
←↑合成オパールのピアス | ||
何もかも同じカットにしてしまうのは、コストカットの観点からは都合が良いです。製造ラインを使いまわせますし、規格が同じならば金具も使い回しができます。 顧客自身も、その多くが美しさではなく安さを求めた結果です。「お安く!!」という安さ至上主義は、いとも簡単に文化を破壊してしまいます・・・。 |
計算されたカットと美意識の高さがよく分かる宝物
『美しき魂の化身』 蝶のブローチ イギリス(推定) 1870年頃 ¥1,600,000-(税込10%) |
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これは、この宝物以外には見たことのない特殊なカットが施してあります。まさに神技、『石の細工物』です。 オモテ側はカボション系のカットで、上質なアメジストとシトリンの美しい色彩が印象的です。 |
一方でウラ側はファセット・カットになっています。色彩の美しさを邪魔することなく、色彩の奥から華やかな煌めきがやってきます。 美意識の高い人のジュエリーは、カットの選び方にも非常に個性が現れているものなのです。 |
3-1-4. カボション・サファイアの魅力
同時代のサファイア・ジュエリー | |||
同時代のサファイア&ゴールドのジュエリーを並べています。 動的な変化がダイナミックなファセット・カットと違い、カボション・カットは青の美しさに没入できます。天然サファイアならではの"石の雰囲気"も、より強く感じることができます。 |
『Blue Impulse』 ビルマ産サファイア&ダイヤモンド リング イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
このサファイアは、宝石研究所の所長さんにとても褒められました。 雰囲気のあるシルク・インクリュージョンが、とても綺麗なサファイアです。合成石はもちろん、インクリュージョンを拡散させてしまう加熱石も、このような雰囲気は出せません。 |
アールヌーヴォー プロトタイプ カボション・サファイア リング フランス 1890〜1900年頃 SOLD |
現代ジュエリーがカボション・カットにしないのは、ガラスみたいに味気ない合成サファイアや加熱石ばかりで、カボション・カットにしても映えないという理由もあるかもしれません。 左のリングもとても美しいですよね。 通常、シルバー・ジュエリーでこのクラスのサファイアをセットすることはあり得ません。ゴールドで作るハイジュエリーの試作品として作ったと見られますが、持ち主がこの雰囲気を気に入ってしまい、この状態で存在するのだろうと思います。 カボション・サファイアは感性のある人を強く魅了する、玄人向けの宝石でもあります。 |
こだわりの強いカボション・サファイアの宝物 | ||
カボション・サファイア&ダイヤモンド リング ロシア 1900年頃 SOLD |
カボション・サファイア リング フランス 1910年頃 SOLD |
カボッション・サファイア リング イギリス or ヨーロッパ 1920年頃 SOLD |
Genが選んだ宝物ということもありますが、上質なカボション・サファイアのジュエリーはただ高級なだけでなく、センスの良さを感じるもの、並々ならぬこだわりを以って作られたものが多い印象です。 独特の強い魅力を持つロシアン・アヴァンギャルドはもちろん、右の2点はカボション・サファイア以外もトライアングル・カットになっており、カットの面白さへの強いこだわりが見られます。三角形は惹き立て役で、カボション・サファイアが主役なのがポイントですね。 |
この宝物も、デザインに並々ならぬこだわりがあります。 宝石ではなく、金細工技術を駆使したゴールドの立体造形が主役です。 だからこそ、それを邪魔することなく惹き立てるためにカボション・サファイアが選ばれたわけです。 煌めいて主張するのではなく、ドーム型の美しい青の色彩が表現する"雰囲気"で花を添える・・。 まさに計算し尽くされた宝物です。 |
3-1-5. 豊かに表情が変わる上質なカボション・サファイア
←↑等倍 |
このサファイアはインクリュージョンが少なく、透明度が高い上質な石です。 |
石にはかなり厚みがあります。 くすみのない純粋な青の色彩が、とても美しいです。 |
サファイアはオープン・セッティングです。 |
透明度が高いサファイアなので、背景色によっても雰囲気がダイナミックに変化します♪ |
←↑等倍 |
造形が面白いので、様々な角度から眺めたい宝物です。 |
3-2. クローズド・セッティングを組み合わせた配慮
裏側をご覧になって、ダイヤモンドがクローズド・セッティングになってることに意識が向いた方はアンティークジュエリー通です!♪ どちらかに統一するのではなく、サファイアはオープン・セッティングにする一方で、ダイヤモンドはクローズド・セッティングにすると言うのは明らかに特別な意図があってのことです。 カボション・サファイアはファセットを作らず煌めかせない一方で、青の雰囲気を楽しむために選ばれたメインストーンです。 この宝物に於いて、ダイヤモンドは脇役です。主役より目立ってはいけません。しかしながら地味になり過ぎてもダメで、主役を惹き立てながらも目立ち過ぎない、程よい華やかさが必要です。バランスが大変です。 |
『魅惑のトライアングル』 エドワーディアン ダッチローズカット・ダイヤモンド ネックレス オーストリア 1910年頃 SOLD |
控えめな輝きという意味では、ローズカット・ダイヤモンドも選択肢として検討したはずです。 ダイヤモンドならではの透明感が感じられる、魅力あるカットの1つです。 オールドヨーロピアンカットのようにダイナミックな煌めきは放たない一方で、透明感の中に時折現れる三角形の輝きが印象的なカットです。 大きいとミラーボールのような輝きに、小さいと鋭い閃光として強い存在感を放ちます。 |
透明感がある状態だとカボション・サファイアには合いますが、突然閃光を放つので、静かな青の雰囲気を掻き乱してしまいます。 故に、絶えず輝きながらも華やか過ぎない、クローズド・セッティングのオールドヨーロピアンカットにしたのだろうと想像します。 |
裏から光を取り込まない分、ダイヤモンドの華やかさは控えめです。この時代のハイジュエリーで、クローズドセッティングのオールドヨーロピアンカットというのは見たことがありません。単純な見た目だけでなく、輝き具合まで計算し尽くして作られた証明であり、そこまでこだわるのかと驚きました!! 本当に良い宝物は、持ち主や職人の、美しい物事への真摯な心まで伝わってきて共鳴します。だから、見ていて本当に楽しいです♪ |
3-3. 黄金による魅惑の立体造形
最後に持ってきましたが、この項目こそこの宝物の1番の見どころです! |
3-3-1. 鍛造による異例の作り
極めて特殊な構造です。 チューブ状なので鋳造の作りにも思えますが、これは鍛造で作っています。 |
ダイヤモンド・ピアス(ティファニー 2023年) ¥2,365,000-(2023.2) →¥2,585,000-(2023.11) 【引用】TIFFANY & CO / ティファニー ハードウェア リンク ピアス©T&CO |
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これはツルピカな鋳造の量産品です。 構造も単純で、いかにも量産向けのデザインです。 |
貴金属であるゴールドやプラチナは重たいです。アクセサリーの感覚でジュエリーを初めて手にすると、まずその心地よい重量感に驚きます。
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アンフォラ型 ターコイズ&ゴールド ピアス イギリス 1860〜1870年頃 トルコ石、15ct ゴールド SOLD |
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このようなピアスを金無垢で作ったら、重過ぎて耳が変形します。揺れる度に、耳にも金具にも負担がかかります。だからこのようなジュエリーの場合、なるべく軽くするために鋳造による中空構造で作ります。裏側を見ると、小さな穴が空いています。 |
『Future Design』 モダンスタイル 天然真珠&ダイヤモンド ピアス イギリス 1900〜1910年頃 SOLD |
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型で作る鋳造は量産する場合にのみ、コストカットになります。1点物を作る場合も、1万個の同じものを作る場合も、1つの型を作るのは同じです。型のデザインと制作にかかるコストを1人で全て負担するのか、1万人で均等割するのかの違いです。 1点物のための鋳造は非常に贅沢なものです。アンティークのハイジュエリーの場合、コストカットではなく美しさと機能性を重視して手法が選択されます。現代の視点と基準では判断できません。 |
鍛造を選択したことには、明確な意味があります。 |
3-3-2. 立体的な美しさを出す様々な工夫
3-3-2-1. 打ち出しで作る作品
『ゼウス&ヘラ』 シェルカメオ ブローチ&ペンダント イギリス 1860年頃 ¥885,000-(税込10%) |
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ピアスより大型のブローチは、無垢で作ると重過ぎます。当時は衣服も作るのが大変で高価でしたから、痛めないようにハイジュエリーにも様々な工夫が凝らされます。 この宝物のフレームの立体的な造形は『打ち出し』の技法で作られています。 |
高級品の場合、美意識の観点から、打ち出しの裏側をそのままにすることはありません。 裏側にフラットなパーツを蝋付して、閉じます。 形を合わせたパーツを作るのも、技術と手間が必要です。 軽やかな付け心地と、見えない裏側に至るまでの見た目の美しさのためには、手間も費用も惜しまないわけです♪ |
サイベリアン・アメジスト ペンダント フランス 1830年頃 SOLD |
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この複雑な形状のブローチも、打ち出しで作られています。やはりカバーがありますが、なんとなく打ち出しの裏側の様子が見えます。 |
3-3-2-2. 鋳造で作る作品
これは裏側まで曲面になっている、チューブ状の構造で作られています。チューブが絡んだ複雑な構造デザインは、今回の宝物とこれ以外に見た記憶がありません。 |
この宝物は『ブルーム』という、当時最先端の特殊な艶消し加工が施されています。 また、チューブ構造は裏側に穴があり、鋳造で作ったことが分かります。ただ、現代ジュエリーのようなツルピカの単純な鋳造ではありません。 正面は彫金も駆使して、第一級の職人の技術を実感できる、複雑で美しいデザインが施されています。 この宝物は通常のハイジュエリーでは見ない、22ctという特殊な金位で作られています。 ブルームや特殊な鋳造など、この質感や造形を実現させるために必要だったためと推測できます。金の調合から研究開発が必要な、極めて特別な作品だったと言えます。 |
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ブルーム&チェイシング ブローチ イギリス 1870年頃 天然真珠、オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、22ctゴールド SOLD |
3-3-2-3. 鍛造による立体交差
『草花のメロディ』 モダンスタイル ネックレス イギリス 1900年頃 SOLD |
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ハイジュエリーは印象的に見せるために、立体交差をデザインしたものも多いです。 一体どうなっているのだろうと不思議に思うほど、本当に立体交差しているように見えます。 |
この宝物の場合は、実際に立体交差させている部分と、段差による視覚効果の部分があります。高度なデザイン設計と、具現化する職人の技術は圧巻です。 |
『生命の躍動』 ルビー&シードパール ブローチ イギリス 1900年頃 SOLD |
通常はハイジュエリーでも段差のみで表現したものが多いですが、特に躍動感へのこだわりが強い最高級品の場合、実際に立体交差した構造になっていることも少なくありません。 特に高度な技術と手間を必要とするはずですが、立体造形は、実際に見た時の印象度を大きく左右します。 この宝物も本当に美しかったです。 |
『Lover's Knot』 シードパール ブローチ アメリカ? 1900年頃 SOLD |
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この宝物も、実際に立体交差させたフレームで制作されていました。 |
ここまで技術と手間をかけて立体感を表現しようとするジュエリーは、ハイジュエリーでも本当になかなか見る機会はありません! |
この構造にどれだけの情熱がかけられているか・・。 持ち主や職人たちの、美しさへのこだわりは一切の妥協がありません。 ちなみにいずれも、立体交差はそれぞれが接しています。 |
3-3-2-4. 空間をあけた特殊な立体交差
『摩天楼』 アールデコ ロッククリスタル&ダイヤモンド ブローチ イギリス 1930年頃 SOLD |
これはアンティークジュエリー市場の黎明期から宝物を見続けてきたGenも「これまでに類似のものすら見たことがない!」驚き、虜になった宝物です。 金属で作ったとは思えぬほど、立体的に複雑な構造となっています。 デザイン以上に、職人としての腕に脱帽します。 交差ポイントが接しておらず、十分に空間があります。だから心を強く揺り動かすほどの、美しい立体感が感じられるのです。 |
角度のキツイ曲面や裏側までダイヤモンドがセットされています。これを見ても、真似をして作ることは到底できません。だから発想すること自体も困難です。その職人にしかできない『神技』の作品の場合、必ず唯一無二の作品となる理由です。 |
3-3-3. 全ての角度が見どころの『アート要素』が強い作品
3-3-3-1. 類似の宝物との違い
この宝物の黄金のラインは、中空構造なのが1つのポイントです。 |
『情愛の鳥』 卵形天然真珠 ブローチ イギリス 1870年頃 SOLD |
この宝物もコンテストジュエリーと見られる、神技を幾つも駆使した特殊な宝物です。 |
卵を温めるための『黄金の巣』の表現は特に見事でした。 小さな巣なので、金線は中空ではなくワイヤー状です。だからこその、複雑かつ密な編み方です。 今回の宝物とは、方向が全く異なる技術です。 |
『楽園の乙女』 ウィッチズハート ハーフパール ブローチ イギリス 1900年頃 SOLD |
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この宝物も、金線をハート・チューブに絡ませた特殊な作りで、複雑な蔓の絡みは、細い金ワイヤーだからこそ実現できたデザインです。 |
『愛の松明を持つエンジェル』 カルロ・ジュリアーノ Carlo Giuliano (1831-1895) 制作年代 1880年頃 SOLD |
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ある程度の存在感がある太さで作られたもの同士で比較してみましょう。 左のジュリアーノの作品は交差させてはいるものの、曲線による交差ではなく、配置による交差です。 |
太さのあるゴールドのラインによる表現としては、方向性は全く異なると言えます。 ジュリアーノ作品は主役である贅沢な天然真珠やハート・カットのルビー、天使の造形に気合いが入っています。ゴールドのラインは脇役です。 |
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この宝物は明らかに、超絶技巧のゴールドのフォルムが主役です。 どうやって具現化させたのか不思議なくらい、見事な立体造形です。 |
3-3-3-2. 360度を鑑賞できるアート作品
←↑等倍 |
黄金を叩いて薄く長い板にし、中空状に丸めて蝋付して閉じています。一部に痕跡を見ることができます。あまりに綺麗に整ったフォルムなので、そんな作り方をしたとは信じられないほどです!! |
鋳造による小さな穴は技術上、避けることができません。だから美意識の高い王侯貴族にとっても、普通は許容範囲のはずです。 神技の職人がいたからこそ具現化できた宝物と言えますが、自分で作るわけではない王侯貴族はこのような発想をしない気がします。 |
その観点から、この宝物はアーティスト兼職人が自ら発想し、コンテストに出展するためにプライドをかけて創り出した作品だろうと強く感じます。 コンテスト・ジュエリーにしか感じない、独特の強い力を持つ宝物です♪ |
3-3-4. 鍛造による超絶技巧
3-3-4-1. 美しいマットゴールド
マットゴールドの質感が特に美しい宝物です。 ピカピカのゴールドは強い成金臭を放つ一方、マットゴールドは高級感に満ち溢れます。同じ素材なのにどうしてここまで違うのかと、不思議に思うほどです。 造形デザインとは異なり、表面の質感デザインはとても地味な部分ですが、全体の印象を大きく変えてしまうので極めて重要です。 |
黄金の板を叩いて薄く伸ばす際に、この表面質感を出しています。 鋳造した後、化学薬品などで荒らして作るマットゴールドとは異なる質感です。 ルネサンスのHPからもお分かりいただけると思いますが、Genもこよなく愛するのが、アンティークならではの美しいマットゴールドです。 |
アンティークの宝物を見ると、当時の美意識の高い王侯貴族たちも、いかにゴールドの質感にこだわったのかが分かります。 マットゴールドの技法だけでも多種多様です。 イギリスやフランスのマットゴールドは見慣れているのですが、オーストリアならではのゴールドの色彩あってこその"マットゴールドの美"に、思わず心奪われます♪ |
3-3-4-2. 神技の造形
ワイヤー構造ならまだしも、中空構造でこの複雑な造形を実現させるのは、俄かに信じ難い神技です。 潰れるなど歪な形になることなく、どこを見ても断面は円形のまま、黄金をしなやかな縄のごとくループさせています!!! |
←↑等倍 |
かなりキツイ曲率を実現させています。職人としてのプライドに賭けて、この手法でできる"物理的な限界"を狙ったと感じます。小さい方のサファイアは覆輪にかなり高さがあるのもポイントです。 |
サークルと立体交差はこの部分を起点にしています。小さめのサファイアですが、高さを出すことで、正面から見た時にもしっかり存在感が感じられます。ダイヤモンドも、高さがある上質な石を使っていることが分かります。 |
←↑等倍 |
あらゆる方向に対して、複雑な曲線でデザインされています。サークル下部から通ってくるゴールド・チューブも単純な直線ではなく、緩やかな曲線で返しが効いています。デザインは想像できても、実際に作るのは至難です!! |
←↑等倍 |
基盤となる平面サークルに対し、上下左右だけでなく奥行きについても複雑に造形されています。最短距離でループを作るのではなく、最大限に美しいと感じられるよう、ゆとりを持たせた優美なフォルムになっています。天才的な美的センスも兼ね備えていないと不可能な技です!! |
デザイン画から立体造形する難しさ
パリ万博グランプリ受賞『アイリス』(ティファニー 1900年) | |
2次元のデザイン画 | 3次元の立体構造ジュエリー |
【引用】THE WALTERS ART MUSEUM / Sketch for the Tiffany Iris Corsage Ornament ©The Walters Art Museum /Adapted. | "Tiffany and Company - Iris Corsage Ornament - Walters 57939" ©Walters Art Museum/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
創業者がいる時代、ティファニーに念願の万博グランプリ受賞をもたらした作品です。高さ24.1cmの立体的な大作です。デザイン画はもちろん平面です。 このデザイン画から立体作品を創ることをご想像ください。私は絶対に無理です!! デザイン画はある1つの角度を捉えたものに過ぎません。職人はそれ以外の角度も全て頭の中で計算し、完璧な立体物と作り上げていくのです。 |
成金向けのチープなティアラ(ヨーゼフ・ホフマン 1909年) | |
2次元のデザイン画 | 3次元の立体構造ジュエリー |
ヨーゼフ・ホフマンのデザイン画 | ウィーン工房・製造品 【引用】DOROTHEUM / Lot No.132 ©2023 Dorotheum GmbH & Co KG |
こういう平面的なデザインだと、実際に制作する際も立体デザインは殆ど意識する必要がありません。 これは職人の腕ではなく、立体をうまくデザインしていないデザイン画の方に問題があります。 |
パリ万博金賞受賞『蘭』(ティファニー 1889年) | |
2次元のデザイン画 | 3次元の立体構造ジュエリー |
天才デザイナー ジョージ・パウルディング・ファーナムのデザイン画 | 【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted. |
ティファニー躍進のきっかけとなった万博金賞受賞作『蘭』も、とても複雑な立体造形です。デザイン画を渡されて、これだけの形にできるなんて、職人としての相当な才能を持つ人物がいた証です。 このように比較すると、ミケランジェロが彫刻家として誇りを持ち、2次元の絵画作品に関しては格下扱いだったのも納得できるものです。 |
ガーランドスタイルのプラチナ&ダイヤモンドのティアラ&ネックレス(カルティエ 1903年)写真:カルティエ ジャパン 【引用】プラチナ・ジュエリーの国際的広報機関による情報サイト ©Platinum Guid International 2016 |
これは一応アンティークの、カルティエのティアラ&ネックレスです。 平面的なデザインと作りなので、美的感覚がある方ならば全く魅力を感じないと思います。 ブランディングによって有名になっているだけで、カルティエがハイジュエリー業界の中で本当に優れていたと言えるかは微妙なのです・・・。 |
投資会社傘下となった現代ティファニーの量産品 | |
【参考】ティファニー ペーパーフラワー ネックレス ¥1,617,000-(2012.10現在)【引用】TIFFANY & CO / ティファニー ペーパーフラワー ダイヤモンド クラスター ドロップ ネックレス ©T&CO | 【参考】ティファニー 4リーフ ブローチ ¥4,070,000-(2021.10現在)【引用】TIFFANY & CO /Tiffany & Co. Schlumberger 4リーフ ブローチ ©T&CO |
創業者の手を離れ、名前だけ残った投資会社傘下の現代のティファニー・ジュエリーも平面的な作りです。右のトルコ石はスタビライズド処理(樹脂含浸)された価値のない石だと想像しますが、そうでなくても400万円以上もするなんて高いですね。売れれば儲かるでしょうけれど、果たして買う人がいるのか疑問です。 まあ、結局買う人がいなさ過ぎて身売りせざるを得なくなり、投資会社の傘下となっているわけでしょうけれど・・。 |
『EAGLE EYE』 ゴールデン・イーグル クラバットピン フランス 1890年頃 ¥1,500,000-(税込10%) |
立体はデザインするのも難しいですし、実際に造形するとなると職人のセンス、頭の中での立体処理能力、高度な技術が必要となります。 立体造形が美しいからこそ、アンティークジュエリーは実物の方が必ず美しく見えます。 限られた職人が、十分にその才能を発揮できた際にのみ生み出すことのできる『奇跡の芸術』なのです。 |
黄金のチューブも素晴らしいフォルムですが、ダイヤモンドのパーツも細心の注意を払ってこの状態にしていることが分かります。小さなダイヤモンドをセットしたフレームは、ごく僅かに凸状のカーブを描いています。 それを取り付ける角度も、職人の美的感覚を元に決めています。これによってダイヤモンドの高さや角度も決まります。 |
全てが計算され、完璧なバランスで制作されたからこその見事な調和・・・。 |
職人の、個人としての美的感覚に基づくアートです。美的感覚を同じくする人だけが同調し、心からの感動を味わうことができます。 感覚が1人1人異なるものなのかは、私ははっきり分かりません。しかし職人、オーダーした最初の持ち主、受け継いできた歴代の持ち主、そして私たち。こうして時を超え、人種や文化も超えて同じものを美しいと感じられることに感動を覚えずにはいられません。 全てが完璧と思えるバランスを持つ、奇跡の宝物です。 |
裏側
裏側もすっきりした美しい作りです。ブローチのピンも抜けにくいよう返しがきいており、アンティークの高級品らしい心遣いが良いですね♪♪ |
着用イメージ
←↑等倍 |
上品に使うことができる、小ぶりで程よいサイズです。中空構造で軽量なので、ジャケットほどハリがある生地でなくても使いやすいと思います。 |
当時の衣服に関しては、これほど未来的なデザインはなかったはずです。 今の私たちが見ても未来的に感じる宝物。 |