No.00384 アール・グレイ

アフタヌーンティーの社交用のモダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

 

 

ウィロー・ティールームズ『The Room de Luxe』再現(マッキントッシュ夫妻 1903年)
"Room de Luxe" ©Dave souza(10 March 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレスイギリス 1905年頃
アート・ティールームでアフタヌーンティーという最先端の社交♪

 貴婦人が邸宅で催す社交だったアフタヌーンティーですが、大都会グラスゴーでミス・クランストンが『アート・ティールーム』を閃き、名だたる芸術家たちにティールームのデザインと制作を依頼しました。最も有名なのがマッキントッシュ夫妻によるウィロー・ティールームズの『The Room de Luxe(豪奢の間)』です。

 貴婦人が紳士の同伴なしに外出し、最先端の社交場アート・ティールームズでアフタヌーンティーと共に芸術を楽しむ新たな社交スタイルが生まれました。音楽の生演奏を聴き、上質なお菓子と紅茶を戴きながら、空間すべてを楽しむ心豊かな社交です。

 

『3人でのアフタヌーン・ティー』(フレデリック・スラクロワ 1870年代)

今でこそ一般庶民がカジュアルに楽しめるアフタヌーンティーですが、19世紀までは貴婦人の日中の社交でした。

貴婦人をゲストとしておもてなしするホストは、お店でなく同じ上流階級の貴婦人です。

親しき中にも礼儀あり。上流階級同士、お互いに礼を尽くすため、ホストもゲストも身なりを整えるのは当たり前でした。

もちろんジュエリーも、TPOに相応しいものを身につけます。

 

ストリックランド・ハウスでのアフタヌーンティー(シドニー 1898年)

紳士も淑女も、日中の社交用のオシャレをしてアフタヌーンティーに臨みます。これはヴィクトリアン末期で、洗練されつつもまだクラシカルな雰囲気があります。

 

 

最先端のモダンスタイル・デザイン!♪
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

その同時代に制作されたと思えない、今なお未来的に感じられる最先端のモダンスタイルの宝物です♪

 

 

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
瞬間的にデザインが強烈に煌めくプラチナのフラットライン!♪

 

 

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

絶妙な色彩の最上質の非加熱アクアマリン&天然真珠

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

 

 

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

サイドの精緻な神技の彫金は美意識と最高級の証!!♪

 

 

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

『アール・グレイ』
モダンスタイル アクアマリン&天然真珠ネックレス

イギリス 1905年頃
アクアマリン、天然真珠、プラチナ&15ctゴールド(クラスプに刻印有り)
ペンダントのサイズ:4.0×1.8cm
ネックレスの長さ:47.7cm(後で足されたチェーン5.8cm)
重量:4.9g
¥1,000,000-(税込10%)

 貴婦人の新たな社交スタイルとして流行の最先端だった、アート・ティールームでアフタヌーンティーを愉しむため制作された、モダンスタイル・アートの傑作と言えるネックレスです。知的階層好みのグレーを帯びた知的でエレガントな雰囲気の非加熱アクアマリン、照り艶の良い天然真珠、硬質なプラチナを合わせた色彩設計も見事です♪

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
←↓実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

二重線で構成されたプラチナのフラットラインが放つ閃光は鮮烈で、デザインが強く印象に残ります。光の角度が合う瞬間を演出するため、複雑な揺れ構造も特別に設計されています。通常より目が細かいハンドメイド・チェーンは肌馴染みの良いゴールドを使用することで、画期的な新素材として登場したばかりの最高級金属プラチナと、芸術作品としてのモダンスタイル・デザインの双方を際立たせています。シンプルに見えながら全てが完璧に計算された、モダンスタイルらしいラグジュアリーの至高と呼べる宝物です!♪

 

 

この宝物のポイント

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
  1. 最も未来的デザインのプラチナのモダンスタイル
    1. 他国に先駆け日本の美術様式と融合昇華したイギリス
    2. 日本独特の武家文化による幾何学と冴えの美
    3. オール・フラットラインのセンス抜群のデザイン
  2. 知的な雰囲気を醸し出す魅惑の非処理アクアマリン
    1. 天然アクアマリンの特徴
    2. 人工処理による現代のケバケバしく単純な色彩
    3. プラチナと相性最高の知的なアクアマリン・ブルー
  3. 最高級品らしい細部までの気が利いたデザイン
    1. アクアマリンを惹き立てる品の良い上質な天然真珠
    2. 見えない側面にデザインする特別な美意識
    3. 最高の美意識を示すゴールド・チェーンとの組合せ
    4. フラットラインのための揺れの構造設計

 

 

1. 最も未来的デザインのプラチナのモダンスタイル

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

 HERTAGEでは各時代やジャンルごとの、最も魅力ある宝物を厳選してご紹介しています。

各ジャンルごとに甲乙をつけるのはナンセンスですし不可能と言えますが、個人的な好みとして挙げるなら、『モダンスタイル』がデザイン的には最も強く惹かれる傾向にあります。

アンティークジュエリーで『モダンスタイル』というジャンルを見出したのは私ですが、このようにモダンスタイルへの熱い想いを語ると、Genも遠い記憶が蘇ったようです。

今は歩んできた道が着実なものとなり、『アンティークジュエリー』という業界が確立されていますが、当時はヨーロッパでもアンティークジュエリー業界は黎明期で、今のようにジャンルとして確立されているわけではありませんでした。当然、日本人はアンティークジュエリーなんて誰も知らないような時代です。1970年代は高度経済成長によってようやく日本の一般庶民がジュエリーも買えるようになり、カルティエが1974年に日本で初めてブティックをオープンした時期です。

初めてヨーロッパで買付する20代のGen(1977年)
ロンドンで現代の照明器具店を視察する29歳の片桐元一現代の照明器具店を視察するGen(29歳) ロンドンでアンティーク・ショップを視察する29歳の片桐元一アンティーク・ショップを視察するGen(29歳)

貿易関係の仕事をしたいと思いつつ、具体的に何を扱うかはイメージがありませんでした。初めてのヨーロッパ視察旅行では様々なジャンルのお店を見て回りましたが、米沢藩の城下町として江戸時代の名品も多く扱う骨董屋の3代目として生まれたGenは、「やっぱりヨーロッパでも古いものほど作りが良い!」と感じたそうです。そうは言っても、ジュエリーをメインに扱うようになったのはたまたまでした。

アンティークジュエリーのパイオニア片桐元一が初めてヨーロッパで買付けたスクリム・ショウ『僕の最初の海外買い付けの宝物!!』

50年ほど前の初めてのヨーロッパでは、スクリムショウも買い付けています。コレクター・アイテムとして高騰しており、今では手に入らない稀少アイテムです。1つは裏側に「Alice 1868」と彫刻されており、捕鯨船の上で長く会えない、愛する女性を想いながら描いていたことが伺えます。ロマンティックで、とってもGenらしい素敵な宝物ですよね♪

ベルビー赤坂のアトリエ片桐の店舗『Atelier Katagiri』店内の様子(ベルビー赤坂 1980年代)

今でこそ東京には乱立し過ぎのファッション・ビルですが、当時はめぼしいファッションビルは2 ,3棟くらいしかなく、まさに著名人などが集まる流行・文化の中心地として機能しました。ベルビー赤坂もその1つでした。何のコネも実績もなく、米沢で日本初のアンティークジュエリー専門ディーラーとして仕事を始めたGenが、1979年のベルビー赤坂開業に合わせて出店できたのも奇跡的な偶然が重なってのことでした。

アンティークジュエリー・ヘリテイジのアトリエとマスコット犬のトイプードル小元太

口添えしてくれたのが、日本初の現代グラス・アーティストのT氏でした。イタリアに工房を持ち、代官山のヒルサイドテラスのステンドグラスも制作した芸術家です。Genと意気投合し、市ヶ谷のアトリエでも使っている黒い椅子をプレゼントしてくれたのもT氏でした。先代の小元太1世は高所恐怖症なので、その椅子の上で固まっています(笑)

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

現代のアーティストが作ったオシャレな椅子で、私もお気に入りです。現代とは言っても50年近く前のものなので、趣向を凝らしてしっかり作ってあります。

芸術感度が高く、Genと意気投合する感性を持ち、自身も国際的に活躍する芸術家であるT氏も、「そう言えばモダンスタイルが一番好きだと言ってた。」と思い出したそうです。

私が好きで集中的に集めてご紹介していますが、制作数が少ない上に玄人好みなことも相まって、アンティークジュエリー業界では未だ知られざる存在なのがモダン・スタイルのジュエリーです。

1-1. 他国に先駆けて日本の美術様式と融合昇華した英国

1-1-1. 欧米人の日本美術への関心と開国

イギリスの初代駐日総領事・公使ラザフォード・オールコック(1809-1897年)1859年に来日

 世界の中心として覇権を握った大英帝国はどうしても政治や外交のイメージが強いです。

しかしながら世界に先駆けて経験した産業革命によって『パクス・ブリタニカ』と言われる最盛期(狭義には1850〜1870年頃)を迎え、最大でフランスの7倍もの経済規模がありました。

さらに1870年に共和政に移行して貴族階級がいなくなったフランスと違い、有力なパトロンとして貴族が存在し続けたため、学術や芸術活動も大いに発展しました。

日本美術も開国以前から注目されていたため、初代駐日総領事となったオールコックも特権を生かして日本で様々な物品を蒐集しまくりました。

第2回ロンドン万博の日本ブース(イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1862年)

第2回ロンドン万博でオールコック総領事の蒐集品約1,500点が展示され、「ヨーロッパの日本美術史上、最も影響力のあったイベントの1つである。日本人の国民性を見事に表現したものである。」と称されるほど大絶賛されました。展示品は漆器や刀剣、版画と言った日本の美術品や、蓑笠や提灯、草履などの庶民の日用品で、その後のジャポニズム・ブームの契機となりました。

1-1-2. 日本美術の中でも高級品を好み入手できる階層

 新しい市場はブルー・オーシャンです。流行に火がついた場合、需要が一巡するまでは「どんなものでも出せば売れる。」と言う状況となります。この段階の市場では、厳選した良いものだけを扱うディーラーもいれば、ブームに乗って金儲けさえできれば良いだけの無責任でプライドなど微塵も持ちなわせないディーラーも玉石混淆で存在します。

日本美術の輸入で成功した有名人
ティファニー創業者 リバティ百貨店創業者
チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) アーサー・ランセビィ・リバティ(1843-1917年)1913年、70歳頃

どれだけ金儲けできるかと、良い仕事をするのかは全く別物です。金儲けして潤った人はリアルタイムの当時は目立ちますが、後世まで名前や実績が残ることはありません。徹底して良いものを扱うことを心がけ、見合う才能や人徳、各種の運も持ち合わせていた場合は実績が残るものです。

ティファニー創業者のチャールズ・ルイス・ティファニーや、リバティ百貨店創業者のアーサー・ランセビィ・リバティも特定の時期は日本美術を集中的に扱っていたことで有名でした。

SAS Scandinavian Airlinesボーイング747公開の様子(1968年9月30日)

現代は庶民でも世界中に足を運べますが、旅客機としてのジェット機の就航は1952年が世界初でした。ジャンボジェットの愛称で呼ばれる『ボーイング747』の初飛行が1969年2月9日で、定期運行は1970年からです。従来機の2倍以上の乗客数を開発側に要求したボーイング機の標準型、ボーイング747-400(国際線3クラス構成)は座席数が約350〜410席でした。雑な計算をすると、2倍の客を運べるイコール1人あたりの運賃が半額になるということです。

ボーイング7X7シリーズ始祖707の6列シート(1964年1月18日)
 "Bpeing 707-123B, American Airlines JP6986482" ©Jon Proctor(18 January 1964)/Adapted/GFDL 1.2

これは従来のジェット旅客機として活躍していたボーイング7X7シリーズの始祖、ボーイング707の6列シートです。いきなり約2倍の乗客が運べるようになっても、当初は市場規模に対して座席数が多過ぎて座席が埋まらなかったそうです。導入時は4分の1のシートが埋まれば採算がとれるとされました。それくらいスカスカだと、乗客も割と快適そうです。結局は「空席多数で飛ばすくらいなら、多少運賃を下げても座席を埋めた方が良い。」と航空会社は方針転換し、各種の割引制度を設定して集客に励みました。

SAS Scandinavian Airlines当時としては破格の広さだったキャビン(ボーイング747の公開 1968年9月30日)

鉄道の時と同様、数をこなしたい時のターゲットは、質より安さ重視の大衆です。トーマス・クックによる団体旅行の発明で鉄道運賃が安くなったように、団体割引の設定によりエコノミークラスの運賃が大幅に低下し、一般庶民が気軽に海外旅行に行けるようになりました。それま庶民にとって高嶺の花だった飛行機と海外旅行が手の届くものとなり、海外旅行が大衆化したのです。

気軽と言っても初期は頑張れば手が届くという感じでしょう。海外旅行したというだけで、庶民同士では自慢のネタにできた時代でした。写真の人々は公開時のメディア関係者ですが、実際に利用した当時の一般庶民はぎゅうぎゅう詰めでも自分は『大物』であると確信し、大物風を吹かせて周囲に大いに自慢したことでしょう。

初期のボーイング747-B ファーストクラスのサービス・デッキ(1971年頃)
 "SAS Boeing 747-B Huge Viking Interior of cabin (cropped)" ©SAS Museet(circa 1971)/Adapted/CC BY-SA 2.0

同機のファーストクラスの乗客はこんな感じです(笑)

大衆が大衆を相手にする"自慢"はスケールがショボくて滑稽です。完全に『井の中の蛙』ですが、本人たちはそう思っていません。だからこそ恥ずかしげもなく、ショボイことを凄そうに自慢します。人によって『凄い』の基準は全く異なります。自慢されている事がリアルタイムでは分からず、後になって自慢されていた事に気づくことが私も度々あります。同じバックグラウンドや環境同士なら発生しにくいですが、違い過ぎると結構発生します。世代、地域、血筋や家庭環境、学歴や職歴など理由は多々です。他者も自分と同じ価値観や常識と思い込むのは、狭小な世界でしか生きていない証です。相手の器がはっきりせぬ状態で、迂闊な自慢は避けた方が良い理由です。嫌味でなく純粋な気持ちとして、気づかせて下さった出会いに感謝しています。出会わなければ気づくことはなかったですから・・。

ヨーロッパ王族として初来日した英国アルフレッド王子を乗せた戦艦ガラテア(1869年)
"The Galatea carrying H. R. H. The Duke of Edinburgh. Wellcome V0036696 " ©Wellcome Trust/Adapted/CC BY-SA 4.0

アンティークの時代は船旅が主でした。蒸気船の時代でも長旅です。1853年のペリー艦隊の黒船来航でも、アメリカから喜望峰経由で約7ヶ月半もかかっています。一般人どころか、特権階級でも気軽な移動ではありません。

ヨーロッパ王族として1869年に初来日したのが、ヴィクトリア女王の次男で当時25歳のアルフレッド王子でした。大英帝国の君主代理と言う重要な立場として、当時17歳だった明治天皇に謁見しました。外交に強い長男バーティ(後の英国王エドワード7世)に任せても良さそうなほどの任務ですが、この時代の来日は色々な意味で命懸けでしたから、替えが効くと言う意味でも次男が選ばれたのでしょう。現代とは常識が違います。

芝山象嵌のイギリスのナイフ&フォークセットジャポニズム ナイフ&フォークセット
芝山象嵌のハンドル:日本 1882年
銀細工:イギリス 1882年
SOLD
猿蟹合戦がモチーフのイギリス・シルバーのナイフ 猿蟹合戦がモチーフのアンティークの芝山象嵌のハンドル

アルフレッド王子と侍従のベレスフォード男爵が横浜で刺青を彫り、羨ましがったイギリスの王子たちやロシアの皇太子が来日時に刺青を彫ったのは有名です。来日しなければできない体験、手に入らない物はヨーロッパ社交界で憧れの的でした。一言で『日本美術』と言ってもピンキリで、日本の骨董市に行っても大名家クラスの逸品は見ることすらできません。持ち主は信頼できる人にしか預けませんから、扱えるディーラーは限られています。

知識と審美眼と信頼を元に、プライドを持って仕事するそのようなディーラーは、有象無象が集まる骨董市には名品は出しませんし、出店すらしない選択もあります。骨董商の3代目として誕生したGenはよく分かっています。アンティークジュエリーも全く同じで、貴族は信頼できる人にしか託しません。自分が同じ立場だったらと考えれば、納得できるはずです。

夜桜を舞う梟の赤銅ロケット・ペンダント『夜桜を舞う梟』
アングロジャパニーズ・スタイル 両面・赤銅高肉彫り象嵌 ロケット・ペンダント
赤銅:日本 1870年頃
ロケット:イギリス 1870年頃
¥3,800,000-(税込10%)
夜桜を舞う梟のミュージアムピースの明治期の赤銅ロケット

このクラスは、日本の職人でも第一級の職人しか作ることはできません。

来日し、目利きができて職人とのコネもある日本の上流階級に紹介してもらい、特注することで手に入ります。それを持ち帰り、イギリスのお抱えの金細工師にロケットに仕立ててもらうわけです。

それを日本美術に強い関心を持つ社交界の集まりで披露し、知的な会話に花を咲かせるわけです。

アングロ・ジャパニーズ・スタイルの代表的な室内装飾
ピーコック・ルーム(ジェームズ・マクニール・ウィスラー&トーマス・ジキル 1876-1877年)
"Peacock Room (2)" ©Smithsonian's Freer and Sackler Galleries(1 January 2000)/Adapted/CC BY-SA 2.0

アングロ・ジャパニーズ・スタイルの室内装飾の代表作にして、最高傑作の1つとして名高いのがロンドンに作られたピーコック・ルームです。いかに日本美術に上流階級や知的階級が強い関心を持っていたのかが伝わってきます。日本人が見ると中国っぽく見えますが、これは致し方ないことです。

1876年に来日したクリストファー・ドレッサーのデザイン
シルク・ウールの織物(1873年)メトロポリタン美術館 デザイン画(1883年)メトロポリタン美術館

1876ねに来日し、アングロ・ジャパニーズ・スタイルの最重要人物として知られるデザイナー、クリストファー・ドレッサーにこのような東洋的な作品も存在します。現代でも茶道などで残っているように、元々日本では『唐物(からもの)』として、中国からもたらされる高級な舶来品が上流階級の間で憧れの的でした。天目茶碗が有名ですし、織物もあります。布も昔は高級品でした。

殆どの現代人がリアルタイムで知っている中国は共産主義国家であり、文化大革命によって文化や知的なものが一度壊滅して以降です。皇帝が存在し、文化や科学技術の先進大国として君臨した時代の中国は日本人にとって憧れでした。日本人が中国系の美術品を高級品として大事にする様子を見て、欧米人が丸ごと日本美術として受け取るのはしょうがないでしょう。

クリストファー・ドレッサー(1834-1904年)

クリストファー・ドレッサーはイギリス政府から日本への正式な使者として任命され、サウスケンジントン博物館(1899年にヴィクトリア&アルバート博物館に改称)の代表として来日しました。

工芸デザイナーとして様々な事を吸収するだけでなく、日本の工芸品を大量に購入して帰国し、イギリスのデザインの進化に大きく貢献しました。

当時は来日することも日本の物品を手に入れることも困難で、特に日本の高級な美術品の入手は特権や財力がなければ不可能でした。その担い手として上流階級やエリート、有力ディーラーが、19世紀後半は特に日本美術に財力や才能を多く投資しました。

1-1-3. 日本人が想像する以上にヨーロッパに影響を与えた日本美術

1-1-3-1. 創業者時代のティファニーで有名だったジャパネスク

 先にご説明した通り、ティファニー創業者チャールズ・ルイス・ティファニーは日本美術の有力ディーラーとしても地位を築いていきました。ヨーロッパの王侯貴族に認められようと粉骨砕身しました。数をこなす庶民向けの粗造濫造の薄利多売でなく、成金向けの知性皆無のハリボテ虚飾製品でもなく、最高の教養と知性と技術にセンスが揃っていないと満足しない層のためのお店でした。

店に立つチャールズ・ルイス・ティファニー(1887年)

従業員の身なりもしっかりしていますし、十分な接客ができるよう、教養やマナーも身につけさせていたでしょう。主に女性用のジュエリー専門メーカーのようになったのは創業者一族の手を離れ、金儲け主義の投資家が看板だけで経営するようになってからです。元々は高級文具&小物、装飾品の専門店として創業しており、紳士が紳士に認められようと志して始めたお店だったと言えます。

ティファニーの店舗(マンハッタン 1887年)

1837年創業、ジュエリー産業への参入は1848年のフランス二月革命がきっかけでした。フランス貴族から高級ジュエリー類を多く買い入れ、宝飾事業に進出しました。メイカーではなくディーラーだったわけです。アンティークの時代の王侯貴族のジュエリーは財産性がありましたから、新品や中古、骨董の概念もあまりなく同じ土俵で販売されていたのでしょう。店内のラインナップと印象は、現代とはまるで違います。

今の高級ジュエリー店はなぜ新品しか扱わないのかと言えば、安く作って高く売り、流行を作って絶えず売り続ける新品のみの商法の方がボロ儲けできるからです。プライド皆無での金儲け至上主義です。迎合する客がいなければ成立しません。だからそのような店は、王侯貴族の時代には存在できませんでした。

イギリスの有力政治家ジョゼフ・チェンバレン(1836-1914年) 【1889年パリ万博金賞】『蘭のブローチ』(ティファニー、ジョージ・パウルディング・ファーナムのデザイン) 【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted.

ジュエリーを生産するようになっても、成金マダムに媚びてボロ儲けする系ではなく、ヨーロッパ上流階級、特に紳士に認められるためのモノづくりを目指しました。

ティファニー帝国の立役者である天才デザイナー
ジョージ・パウルディング・ファーナム(1859-1927年)1900年、41歳頃 1889年パリ万博 金賞 1900年パリ万博 グランプリ
『蘭のブローチ』
【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted.
『アイリス』"Tiffany and Company - Iris Corsage Ornament - Walters 57939" ©Walters Art Museum/CC BY-SA 3.0

この時代はお花のジュエリーや小物が紳士に流行していました。お花モチーフと言うだけで現代の日本人は、アンティークジュエリー好きを自称する人ですら、女性用と思い込む場合が多いようです。デザイナーもノーマルな紳士でした。蘭は東洋系のモチーフとされ、1900年のパリ万博でグランプリを受賞した『アイリス』は明らかにジャポニズムです。

ジャポニズムが高く評価された創業者時代のティファニー製品
ティファニー社ジュエリー・デザイナー兼シルバー部門責任者エドワード・C・ムーア(1827-1891年) エドワード・C・ムーアによる銀器(ティファニー 1878年)" Edward c. moore per tiffany & co., brocca in argento, oro e rame, new york 1878 " ©Sailko(28 October 2016, 22:05:06)/Adapted/CC BY-SA 3.0

ティファニー帝国の礎を作った初期ティファニーの重要デザイナーであるエドワード・C・ムーアは、ジャパネスク(ジャポニズム)の作品が有名です。創業者チャールズはカリスマ経営者として傑出しており、従業員は使い捨てでなく家族同然の扱いでした。仕事に相応しい報酬を支払っていたようで、デザイナーと職人であるムーアも、有力コレクターやパトロンとしても高く評価されています。

ティファニー社として輸入していたことから日本美術についても直に触れ、研究し、試行錯誤を重ねながらヨーロッパ貴族に評価される美術品を創っていったのでしょう。右の作品もモチーフだけでなく、雪平鍋のような打ち出し模様が印象的ですね。

『カエル』(ティファニー社 1900年)パリ万博出展

日本の根付にインスピレーションを受けた、半貴石や宝石を使った生き物のオブジェも制作しています。

ジュエリーにお金を出せる人は一定数いても、このような優雅な小物にお金を出せる人は上流階級の中でも特に高位かつ美意識の高い人に極めて限定されます。

実は私も翡翠を彫刻したアンティークのカエルの根付を持っており、この仕事を始める前のサラリーマン時代に手に入れたものです。大したものでないので掲載しませんが、ティファニー社がこのような宝物を制作していたことを知った時は驚きました。

シルバー・トレイ(ティファニー 1879年)メトロポリタン美術館

ティファニーは名声と実力の齟齬に違和感があったものの、そもそも現代ジュエリーのせいでジュエリー自体に興味がなかったので調べることはありませんでした。今ならば、創業者時代のティファニーであればヨーロッパ貴族から高い評価を得たことも納得ですし、その後の『屍体を無理やり動かしているようなゾンビ企業』的な手口も合点が行きます。全く別の会社と見るべきです。これなんかは発展途上ながら切磋琢磨する、勢いに乗ったパワフルな時期が伝ってきます。完成度の高さとは別の意味で、魅力ある作品と言えるでしょう。

芸術家として活躍し高く評価された創業者の息子ルイス
アメリカのアール・ヌーヴォーの第一人者ルイス・カムフォート・ティファニー(1848-1933年)
ステンドグラス『マグノリスとアイリス』(ルイス・カムフォート・ティファニー 1908年)

創業者の息子ルイスは卒業後、家業の店の経営に参加することを拒んで画家を目指しました。実際に実力があり多彩な芸術家として活躍し、特にグラスアーティストとして大成しました。創業者チャールズは人を視る才能と活用能力、人徳の全てをカリスマ経営者として備えており、芸術家としての天才を持つ息子に無理に跡を継がせるようなことをしませんでした。1900年のパリ万博で、ルイスは『ティファニー・スタジオ』として出展したステンドグラスの連作『四季』でグランプリを受賞し、本家ティファニー社を上回る評価と得たとされ、アメリカのアール・ヌーヴォーの第一人者と見做されました。

ルイスのグラス・アート作品
『睡蓮の葉とワイルド・キャロット』(1895-1898年)メトロポリタン美術館 『睡蓮』(1913年)メトロポリタン美術館

ルイスの作品も、日本美術の影響を受けたデザインが多く見られます。ルイスは芸術家としてデザインだけでなく、高度な技術や研究開発の才能も兼ね備えていました。リバティのように出来上がりを扱うだけでのディーラーがいる一方で、創業者ティファニーは優れたモノづくりに挑戦し、成し得たことが見事です。Genも出来る事ならばそうしたかったのですが、今の時代は環境的に無理でした。

モネの絵にインスピレーションを受けた、1930年代アールデコの水着姿のパラソルを持つ女性のボヘミアン・グラスの花瓶 『パラソルを持つ女』
ボヘミアン・イングレイヴィング・グラスの花瓶
チェコ 1930年代初期
¥713,000-(税込10%)

『パラソルを持つ女』もコンテスト出展用に制作されたとみられる、金赤でルビーレッドの色彩を実現した特別なグラスアート作品です。

やはり構図や花押など、日本美術の影響が強く見られます。

石ころばかりに目が行く成金趣味の大衆の時代と異なり、王侯貴族が文化の担い手だったアンティークの時代は、まさに『芸術』が高く評価されていたことが伝わってきます。

絵画もグラスアートも、素材そのものでなく芸術性に高い価値があります。

貴族が偉くて大衆は下賤という認識ではなく、大衆の多くが石ころしか評価できないのは不思議です。時代を経るごとに『心』の部分が削ぎ落とされ、物質主義を極める方向です。心の底から楽しそうには見えないのですが・・。

1-1-3-2. 産業革命に伴う独立系デザイナーの誕生

 高度な技術を持つ職人は限られており、優れたものほど制作できる数も限られます。1人の人間が作れる数なんて限られていますから、そもそも本当に優れたものは上流階級しか入手はできませんし、一般には知られざる存在となるのは必然です。メディアや権威を活用して万人にPRするビジネスモデルは、そもそもが大衆向け製品を大量生産・大量販売して稼ぐためのものです。万人が知っている、イコールいくつでも同じものが生産できる安物でしかありません。名称は高級を謳っていたとしてもです。パッケージや名称を変えただけで飛ぶように売れるようになったり、高価格がつけられるようになる事例は現代の日本でも実証済みです。

動力織機の工場(1853年)

少し前まではモノ自体が大変貴重でした。『鶴の恩返し』からも想像できる通り、布すらも財産性を持つほど価値あるものでした。繕いながら大人が衣服として使い、ダメになったら子供服に仕立て直し、継ぎはぎして半纏や掛け布などに使い、最後は雑巾など消耗品として最後まで寿命を全うさせます。

岡山高島屋での糸紡ぎ体験烏城紬の糸紡ぎ体験(岡山高島屋 2014.8) 作州絣の機織り体験作州絣の機織り体験(岡山高島屋 2014.8)

サラリーマン時代に岡山高島屋の斜め裏に住んだ期間があり、定期的に開催される伝統工芸展で、都内の高島屋なら不可能な貴重な体験をさせて頂きました。

機織りは体験できる機会がそれなりにありますが、糸紡ぎは初めてでした。均一に糸にする難しさと、その途方も無い労力を実感しました。

衣服にするにはさらに染色、仕立て、高級品ならば刺繍など装飾を施すわけで、手縫いの時代だと気が遠くなるほどの技術と労力を要します。ヴィクトリア女王のウェディング・レースの価格、関わった人数、そして使い回しながら生涯大事にしたことも納得できます。そもそも前段として材料を得るため、綿花を育てたり、蚕とその餌となる桑を育てることも必要です。

綿紡績機の工場(1834年) 継ぎはぎの衣服 "Habito de s francisco" ©Tetraktys(2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

布を1枚作るだけでとんでもない時間と労力がかかった時代は、布や衣服は大衆のものではありませんでした。お下がりは当たり前ですし、1人1着というのも現実的だと感じていただけるでしょう。産業革命によって桁違いの数量を生産できるようになり、工場労働者の女性でもファッションを楽しめるようになっていきました。

モータリゼーションの到来(自動車で混雑する祝田橋交差点 1960年)【引用】東京都WEB写真館 ©東京都

車も元々は大金持ちしか買えませんでした。1913年にフォード社が組立工程で流れ作業を確立し、短納期と低価格化が実現したことで庶民でも手が届くようになりました。日本は遅れること数十年、モータリゼーションの到来は1960年頃です。車を持っているだけでモテる、自慢できるという時代がありました。

フォードの組立ライン(アメリカ 1913年)

組立工程での流れ作業は、ベルトコンベアの導入で始まりました。ペースは機械が主導します。使う道具だった機械ですが、主従が逆転しました。作業員は、担当する工程で単純作業を"正しい"ペースと品質で繰り返すのみです。何も考えず、ひたすら手を動かします。ロボット同然です。これを揶揄したのがチャップリンの映画『モダンタイムス』(1936年)です。『職人』と言う存在が失われ、オペレーターと成り果てた惨状を問題提起し、アーツ&クラフツ運動につなげたのがウィリアム・モリス(1834-1896年)でした。

フランスのフェラーリ・クラブ(ナンシー 2012年)
"Ferrari Club France - Flickr - Alexandre Prevot(1)" ©Alexandre Prevot from Nancy, France(17 May 2012, 19:27)/Adapted/CC BY-SA 2.0

大衆の時代は、王侯貴族の時代と発想が全く異なります。現代の感覚を基準にして古の時代を図ろうとする人が多いですが、前提となる根底が違うことにまず気づく必要があります。成金(庶民)は人と同じものや、誰かが既にお墨付きを与えたものしか信用できず、安心して価値を見出すことができません。自身で新しい価値観を創り出す才能や器はなく、常に外部からの承認を得ることを必要としているからです。去勢を張っているだけで真の自信などなく、賞賛を受け続けなければならないので満たされることがありません。憐れな餓鬼みたいなものです。

欧米の社交界で男女からモテモテだったバロン西
陸軍大佐/男爵・西竹一(1902-1945年)1932年 愛馬ウラヌスによるバロン西の『車越え』
"Imperial Baron Nishi" ©キノトール(2006年6月2日)/Adapted/CC BY-SA 3.0

上流階級は丹念に調べれば分かる通り閥族としてつながっており、国籍や人種で差別することはありません。日本人云々でなく、一個人の魅力で戦前の欧米社交界で男女関係なく大いにモテたバロン西の振る舞いは、大いに参考になります。

『男爵』の爵位は最高位には遅れを取る印象を受けるかもしれませんが、西太后を背景とした桁違いの財力があり、百万長者の数十人分にも相当する資産家と表現されます。自動車は少尉候補生の頃から既にアメリカ・リバティー社製を乗り回し、その後もクライスラー、リンカーンのオープンカーという派手さでした。

1.6mの障害を越えるバロン西とウラヌス(ロス五輪 1932年)

1932年のオリンピックの大トリを飾る花形競技『大賞典障害飛越競技(Grand Prix des Nations グランプリ・デ・ナシオン)』に出場するためにロサンゼルス入りした際は、当時アメリカでも珍しかったラジオ付きの高級12気筒スポーツカー、パッカード・コンバーチブルを現地で購入し、オリジナルでゴールドの塗装をして毎日馬場や社交界のパーティに出かけました。在米日本人は人種差別で排斥されていた時代です。一般大衆は望んでも社交界のパーティには参加できませんから、貴族の爵位あってこそですね。

Bull-Doserスタンダード・エイト 833(パッカード 1931年)

今は無きアメリカの名門の高級自動車メーカー『パッカード』ですが、これが同年代のパッカード・エイトのスタンダード・モデルです。パッカード・エイト・シリーズは1924年から1936年にかけて生産された高級車で、パッカード初の8気筒エンジンがシングル・エイトとして導入されました。

バロン西が購入したのは12気筒スポーツカーなので、もっと凄い車です。当時の社交界でも憧れの対象だったでしょう。しかも特注のゴールド塗装です。現地使用のための購入でしたが、時間に余裕があればフルオーダーでもしそうな勢いです。「人と同じ」と言うのは、庶民や凡人の発想でしかないのです。もちろん庶民や凡人が悪いという意味ではありません。勘違いして見境なく下品にマウンティングする成金や成金嗜好の庶民が、身の程知らずで滑稽なだけです。本当に凄いことなら参考になるので自慢は大歓迎ですが、ショボイ内容だと反応に困ります。

ベルリン五輪に赴く陸軍騎兵大尉時代のバロン西と見送りの妻子(1936年)

スタイルも精神も大変にオシャレな人物だったとされるバロン西は帝国軍人らしい丸坊主を頑なに拒み、髪型は当時の流行であるヴァレンティノ風に7:3にピッタリとなでつけていました。

軍服もヨーロッパで特別誂えの仕立てで、軍帽も自分好みに横に大きく張り出したデザインで『西式軍帽』と言ったそうです。確かに通常の日本兵と印象が違いますね。

全員同じ装いや髪型なんて変でしかありませんし、人と同じなんて絶対に嫌です。このような王侯貴族を満足させるために、メイカーには才能あるデザイナーが必須でした。王侯貴族からの要望に合わせてデザインするだけでなく、ゼロから創り出して提案することもありますが、基本的には入念な打ち合わせを重ねて完成させていきます。美意識が高い人はちょっとした角度やミリ単位の微調整などこだわりが半端ないので、それに応えられる才能と人間性がデザイナー兼職人にも要求されます。その分、見合う対価は気持ちよく支払ってくれます。買いたたきや値下げ圧力など、労働搾取は自分さえ良ければ良い無能がやることです。それを自ら証明する愚行は、貴族にとっては恥でしかありません。

新旧のフェラーリ
フェラーリ・166MM(イタリア 1948年)
©Prova MO/Adapted/CC BY-SA 4.0
フランスのフェラーリ・クラブ(ナンシー 2012年)
©Alexandre Prevot from Nancy, France/CC BY-SA 2.0

現代では成金の投資や見せびらかしアイテムと成り果てた超高級車ですが、昔は車好きのための贅沢品でした。1947年に設立されたフェラーリの初期モデルは、いずれも100台未満の販売台数でした。左の166MMはフェラーリが初めて市販した自動車で、1948年末から33もしくは34台制作されました。もっと昔の車は、1台だけの限定生産もあったでしょう。研究開発や生産コストを購入者が分割で負担します。1億円クラスの車は高価ですが、開発予算には全く足りません。


F1アメリカ・グランプリ(2003年) "Formula one" ©Rick Dikeman(2003)/Adapted/CC BY-SA 3.0

最高の1台(予備もありますが・・)を開発する場合、現代では自動車関連メーカー同士が覇を競うレースくらいです。単品で採算が取れるものではなく、広告宣伝費や開発技術の水平展開を目的に、全体でプラスになれば良い類のものです。これを個人で負担できていたのが古の王侯貴族です。お抱えの超優秀な設計デザイナーは必須ですし、替えがきかない技能ですから、独立したり他社に取られないよう高額報酬や相応の地位も必須です。

シガレット工場で働く女性たち(メキシコシティー 1903年)

産業革命により、一般庶民も"新品"の既製品を買うようになりました。

一般庶民は在り物を選ぶだけで、細かく難しい要望はしません。作るのに高度な技術が必要なものは大量生産に向きません。

「予算に糸目をつけずとにかく良いもの」ではなく、「材料費や生産性重視のコストカット優先」でのデザインが"新規に"求められるようになりました。

その範囲内で、デザインが良ければ少しだけ高くても売れるというわけです。上流階級の細かい要望に即時対応や、先回りしても個別のキメ細い対応ができるようなメイカーお抱えのデザイナーである必要はなく、コストだけを優先する一般庶民のための量産や、魅力的なデザインのためならば少しだけ多めに予算を出せる新興富裕層のための中量産向けの設計ができるデザイナーと言う枠が生まれました。

1-1-3-3. 依頼者でもありデザイナーでもあった古の王侯貴族

 1850年から1870年にかけて、イギリスは『世界の工場』として安価な大量生産品で儲け、中産階級に至るまで潤った『パクス・ブリタニカ』と呼ばれる最盛期を迎えました。

19世紀後期に活躍したイギリスのデザイナー
産業デザインにもつながる
アングロ・ジャパニーズ・スタイル
高度な職人の手仕事への回帰を目指し途絶えた
アーツ&クラフツ
クリストファー・ドレッサー(1834-1904年) ウィリアム・モリス(1834-1896年)23歳、1857年

量産のためのインダストリアル・デザイン(産業デザイン)に繋がっていく独立系デザイナーとしてのクリストファー・ドレッサーと、中世の高度な手仕事による芸樹的なモノづくりへの回帰を目指し時代の波に飲まれたアーツ&クラフツ運動のウィリアム・モリスが同い年なのも運命のいたずらのようでもあります。

職人とデザイナーが一体だった芸術創作

 ドレッサーは初の『独立系デザイナー』とされます。つまり、それまで独立系デザイナーの存在は認識されていなかったということです。どういうことか理解するには、現代と古い時代をつなぐ過渡期を見る必要があります。

金細工師 銀細工師 彫刻家/冶金学者
カルロ・ジュリアーノの美しいエナメルのクロスペンダントエナメル クロス・ペンダント
カルロ・ジュリアーノ 1880年頃
SOLD
ティファニー社ジュエリー・デザイナー兼シルバー部門責任者エドワード・C・ムーア(1827-1891年) ジョージ・パウルディング・ファーナム(1859-1927年)1900年、41歳頃

王侯貴族のために高度な手仕事に基づいてジュエリーが制作されていたアンティークの時代、デザイナーとして有名な作家はデザイナーが専業ではなく、優れた職人や研究開発者でもありました。『秘密の知識』を持つ王侯貴族と台頭以上に議論したり、期待を上回る提案をしたりするために、生まれながらのセンスに加えて上流階級クラスの教養と知識も必須でした。それは万能の天才が活躍したルネサンス期から変わりません。

産業革命により生まれた『産業デザイン』の概念
有名なインダストリアル・デザイン
バウハウス・デザインのタイプライター(シャンティ・シャウィンスキー 1936年) "Olivetti-schawinsky-bauhaus-typewriter" ©ChristosV und/oder Christos Vittoratos(11 August 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 イームズ・チェア(チャールズ・イームズのデザイン 1950年) Photograph by Rama, Wikimedia Commons, Cc-by-sa-2.0-fr

大量生産品は、秘密の知識を持たない一般庶民向けです。デザイナーに秘密の知識は不要です。企業ロゴや製品デザインに現代でも秘密の知識が密かに反映されていることは一部で知られていますが、それより重要なのは安価に量産できることです。それを前提としつつ、他社と差別化して高付加価値で売れる、万人ウケする気の利いたデザインを生み出すことが産業デザイナーに求められました。

作図と植物学が専門だったクリストファー・ドレッサー

 クリストファー・ドレッサーはロンドンの官立デザイン学校(後のRCA: ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)で作図と植物学を学び、21歳となる1855年からRCAの教授になりました。25歳となる1859年からはサウス・ケンジントン博物館(後のV&A博物館)で植物学の講義を始めており、植物学が専門だったと言えます。

来日前 来日後
『The Grammar of Ornament』の図版(1856年) 『Jananese Ornament』の図版(1879年)

とは言え、キャリアと年齢からも想像できる通り、色々な意味で天才だったのでしょう。来日前の植物図版はいかにもヨーロッパの感覚ですが、来日後の図版は日本人が描いたのかと思うほど、構図や空間の使い方や日本人っぽいです。驚異的な理解力や吸収力と共に、繊細で豊かな美的感覚とデザインセンスも兼ね備えてのことだったと言えます。さすが英国政府の公式使者として人選されるだけあります。

帰国後のドレッサーの作品
ドレッサーがデザインした金属製品
『Théière』(1879年) トースト・ラック(1881年) 燭台(1883年) ケトル(1885年)

詳細は以前ご紹介した通り、ドレッサーは帰国後に多種多様なデザインを創作しました。メタル・ワークだけでも様々あります。ドレッサーは複数の工房のためにデザインしており、当然ながら制作したのも各工房の職人です。

ドレッサーがデザインした焼き物
ボウル(1870年) タイル(1875年) 水差し(1879-1882年頃) 波のボウル(1880年)

焼き物だけ見ても種類は様々ですし、技法も異なります。それぞれに高度な専門技術が必要で、一人の人間がデザインから制作までこなす類のものではありません。

ドレッサーがデザインしたその他
壁紙デザイン(1880-1904年) サイド・チェア(1870年) シルク・ウールの織物(1873年) グラスアート(1888年)

ラインナップをご覧になって、既にピンと来た方もいらっしゃると思います。

ドレッサーは従来で言えば職人兼アーティストではなく、要望を出す側の上流階級に近い形で活動したのです。

デザインを得意とした紳士

 流行や文化、科学技術などを創り出す役割を担った高位貴族は、個性に加えて創造力とセンスも必要とされました。ファッションリーダーはその役割の1つです。特に君主とその配偶者は、男女それぞれのトップかつお手本としての役割が求められました。紳士だとフランスの太陽王/官僚王ルイ14世は天才ですが、もう少し身近な近代の紳士としてアルバート王配偶をご紹介します。

アルバート王配(1819-1861年)が好きだったオパールのティアラを着用したヴィクトリア女王(1819-1901年) ヴィクトリア女王夫妻が購入しカスタマイズしたバルモラル城(1890-1900年頃) 夫がデザインしたコロネットを着用するヴィクトリア女王

母親が傀儡政治を狙ってか、アルバート王配が問題視するほど浅薄な教養しか身につけられなかったヴィクトリア女王と違い、王配は時の首相が賞賛するほど才能に溢れていました。

ヴィクトリア女王は自分の才能や教養の限界も自覚していたようですし、確固たる美的感覚に基づく『好み』などもなかったようで、「貴方色に染まるわ♪」と言うタイプだったようです。女王よりも、主導する夫についていくお姫様向きです。アルバート王配は購入したスコットランドのバルモラル城をカスタマイズする際、各種作業などは設計者ウィリアム・スミスに任せていますが、細部に強い関心を示し、スミスが提案した設計に修正を加えるなど好みを大いに反映させました。

ジュエリーのデザインも得意だったようで、愛する妻ヴィクトリア女王のためにいくつもデザインしています。サファイア&ダイヤモンド・コロネットもその1つです。

アルバート王配がヴィクトリア女王のためにデザインしたサファイアのティアラ(1842年)
V&A美術館 【引用】V&A museum © Victoria and Albert Museum, London/Adapted

1840年に新妻ヴィクトリア女王のためにデザインしたもので、当時アルバート王配は21歳頃です。制作はロンドンのジョセフ・キッチングです。依頼主の王侯貴族が要望を伝え、アーティスト兼職人と入念な打ち合わせを重ねて作品を完成させるという形です。可動式の構造なのでティアラとして着用できますし、頭頂部に小ぶりなコロネットとして着用したり、制作当時のようにヘアスタイルに合わせてコーディネートもできます。

サファイア&ダイヤモンド・コロネットを着用したヴィクトリア女王(1819-1901年)

愛する人のためにデザインし、職人も誰のオーダーで、誰が着用するか分かった状態で制作します。

王族以外にも有力な高位貴族は揃っており、他国の王族も存在した時代、腕の良い職人はプライドを捨ててまで嫌な人のために依頼を受ける必要はありません。このようなモノづくりは依頼主と職人の間に、尊敬と信頼できる関係が構築されています。

「この人のためなら、才能を最大限に駆使して良い物を創ろう!!」、そのような想いが優れた無二の宝物を生み出します。

消費社会の権化となった現代社会では、SDG'sを謳う一方で使い回しを貶す恥知らずがファッション業界に蔓延っていますが、ヴィクトリア女王はこのコロネットも大好きで、着用した肖像画も多いです。先立った夫の想いも感じられる、かけがえのない宝物だったに違いありません。

オリジナルのオリエンタル・サークレット・ティアラを着けたヴィクトリア女王(1853年頃)

オリエンタル・サークレット・ティアラもアルバート王配が主導した第1回ロンドン万博(1851年)でインスピレーションを受け、愛する妻ヴィクトリア女王のためにデザインしたものです。

宝石は大好きだったオパールがあしらわれました。

オリエンタル・サークレット・ティアラ(1853年、20世紀にリメイク後)
【出典】Royal Collection Trust / The oriental tiara © Her Majesty Queen Elizabeth II 2021

制作したのはもちろん職人です。ヴィクトリア女王が亡くなった後、継承したアレクサンドラ王妃の好みでオパールからルビーに取り替えられました。どのような雰囲気にするか、何の意匠やモチーフを組み込むか、宝石の素材やカットなど、こだわりがある王侯貴族ほど細かくオーダーします。それはもはや手を動かす職人だけの作品とは言えず、アイデアの重みによっては依頼主の作品と言う方が相応しい場合もあるほどです。

オーダー・ジュエリー コンテスト・ジュエリー
アイルランド貴族セント・ジョージの娘へのクリスマスプレゼント ジョージアンのピンクトパーズのブレスレット『セント・ジョージ男爵から娘ルイーザへのクリスマス・プレゼント』
ジョージアン ピンク・トパーズ ブレスレット
イギリス 1829年
SOLD
ブルー ギロッシュエナメル ペンダントウォッチ アンティーク・ジュエリー【時を奏でる小さな宝物】
『ダイヤモンド・ダスト』
エナメル ペンダント・ウォッチ
フランス(パリ) 1910年頃
¥15,000,000-(税込10%)

1851年に万国博覧会が始まり、上流階級からのオーダーではなく、まず上流階級に認められ顧客を掴むためにアーティスト兼職人が主導で制作する"コンテスト出展用のモノづくり"が生まれました。職人がプライドをかけ、才能の全てを注ぎ込み伸び伸びと自由に制作したコンテスト・ジュエリーは、王侯貴族からの受注生産とはまた違う魅力があります。よほど視る眼と感覚がないと明確な違いを認識できないかもしれませんが、Genと私で感覚に基づいて毎回完全に意見が一致しますし、論理的に裏付けも可能なので間違いない存在と確信します。

生産者主導の現代のモノづくりと異なり、オーダー品は依頼者と製作者の合作と呼ぶべき場合も少なくありません。その分離が生まれ始めたきっかけが産業革命であり、19世紀後半から移行が始まったと言えます。

デザインを得意とした貴婦人

 卓越したセンスで特に有名な貴婦人と言えば、フランス王妃マリー・アントワネットです。一般庶民は今も昔もゴシップや見て呉ればかりしか気にしないと思われており、実際にそれは視聴率や出版物の売れ筋などでも実証されているので、傾向があるのは確実でしょう。

フランス王妃マリー・アントワネット(1755-1793) 仕立屋ローズ・ベルタン(1747-1813年)

ファッション分野も優れていたのは事実です。ドレスはファッション大臣ローズ・ベルタンと、週2回のペースで毎回数時間を費やして打ち合わせました。ベルタンは仕立屋なのでアーティスト兼職人です。第一級の職人だと、技術の限界を追求したモノづくりができます。その職人しかできない技を使う場合、その職人しか実現不可能なデザインというものが生じます。その技術を前提に新デザインを考案します。技術とデザインは表裏一体であり、ハイエンドの技術に基づく美しいデザインは、実質的に個人依存となります。その職人にしか生み出せず、職人が亡くなると同時に技術は消滅します。だから稀少価値があります。

ローズ・ベルタン作のマリー・アントワネットのドレス
マリー・アントワネットのドレス背面(ローズ・ベルタン 1780年代)ロイヤルオンタリオ博物館
【引用】The Metropolitan Museum of Ar / Formal Ball Gown (robe parée) ©ROM, The Royal Ontario Museum
ドレス右前側面
【引用】The Metropolitan Museum of Ar / Formal Ball Gown (robe parée) ©ROM, The Royal Ontario Museum

王族の侍女は高位貴族の貴婦人です。推定154cmとされる王妃マリー・アントワネットの身長は、栄養状態の良い社交界では高くなかったはずです(当時フランス人女性の平均身長は約152cm)。

王族は王族としか結婚しない慣習があり、オーストリアから嫁いできた王妃マリー・アントワネットはよそ者として妬みの対象でもありました。苛烈な心理戦争が渦巻くヴェルサイユ宮殿で、後ろに付き従う高位貴族にこのドレスは効果的ですね。かなり偉大に感じられます。

ドレス正面(ローズ・ベルタン 1780年頃)
【引用】The Metropolitan Museum of Ar / Formal Ball Gown (robe parée) ©ROM, The Royal Ontario Museum/Adapted

身長154cmほどと言うことで、正面からだとやはり小柄な印象です。

夫ルイ16世は『愚鈍』でなければならなかったため、後の時代にだらしない肥満体型で描かれた作品が多く制作されていますが、実際は192cmある筋骨隆々のヘラクレス体型だったそうです。

毎日出掛けるほど狩猟が趣味だったそうで、太ももで身体を固定する乗馬はそれだけで体幹を強くします。大工3人を木材の端に乗せて運んだ逸話も残っています。

フランス人男性の平均身長が165cmだった時代に15歳時点で既に178cmあり、夫と並んだ時のバランスを考えると大変ですね。

身長がどう見えるか考えたり、ドレスのデザイン1つにもたくさんのアイデアと技術が詰まっています。実際に仕立てたローズ・ベルタン1人の作品とは言いがたく、その比率次第ではマリー・アントワネット作と言った方が良い場合もあったかもしれません。現代人がそのままの既製品を買い、ブランド名を以って誇らしげに自慢するのは色々な意味でショボ過ぎます。

ジョージアンの葡萄モチーフのREGARDのロケット・ペンダント『REGARD』
ジョージアン REGARD ロケット・ペンダント
イギリス 1820年頃
SOLD

宝石言葉として秘密のメッセージを込めたアクロスティック・ジュエリーも、宝石商のメレリオ・ディ・メレーと考案して編み出したとされます。

どちらのアイデアか不明ですが、やはり依頼者と製作者の合作と言うべきなのでしょう。

貴族が自分の手柄だと主張するのはダサいのです。アーティスト兼職人の業績を正当に評価するのは当たり前ですし、時には花を持たせてこそです。

ルイ15世妃マリー・レクザンスカの父でポーランド王スタニスワフ・レシチニスキも1755年の菓子『マドレーヌ』の誕生に関して、やはりそのような王族らしい逸話が残っています。

農婦姿の王妃マリー・アントワネット(1755-1793年)1791年、36歳頃 王妃の村里(ル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌ) "Vue aérienne du domaine de Versailles par ToucanWings - Creative Commons By Sa 3.0 - 037 " ©ToucanWings/Adapted/CC BY-SA 3.0

ファッションだけでなく庭園や建築、食関連のデザインや発想も卓越していました。お城は1つも新築しなかったとされる王妃マリー・アントワネットですが、ポンパドゥール夫人のために建設されたプチ・トリアノン宮殿を離宮として貰い受け、その一画に理想の暮らしを実現する『村』を創りました。

見て呉れだけの村ではなく、野菜、果物、穀物、家畜などそれぞれの最高品種を集め、信頼できる農夫たちによって完璧に管理されました。王妃マリー・アントワネットも農民服の姿で作業し、細かな指示を出すなど村里を楽しんだそうです。日々の管理などを実行するのはお抱えの専門家たちですが、選ぶ品種や育て方などは好みを伝えて反映させていたのでしょう。ここでの議論にも相当な知識が必要ですし、自分が何が欲しいか理解している上でアイデアのセンスも必須です。やはり村も合作です。

PD【王妃の村里】マルボロ塔と酪農場

当時最先端だったイギリス式庭園を採用し、様々な家畜を飼い、農場、製粉所、漁業、酪農場、見張り塔なども備えた理想の美しい田舎の農村風景が実現しました。雌牛に関しては特にスイス産が好まれ、マリー・アントワネット自ら乳搾りにも立会い、農場でとれた良質な食べ物を食していました。村里には乳製品の加工場もあり、チーズやバター、フレッシュクリーム、アイスクリームなども作って食べていたそうです。子供達にとっても、すごく良い『食育』ですよね。

10歳頃のマリー・テレーズ王女と4歳頃の弟ルイ17世(1789年)

唯一フランス革命を生き残った長女マリー・テレーズ王女もこの経験は印象深かったようで、復古王政期に王太子妃となった後、パリ西部にある緑豊かなヴィルヌーヴ・レタンの屋敷を購入し、甥と姪のために動物を集め、農場も造っています。

そして、そこでとれた新鮮なミルクや生クリームを甥や姪に食べさせたりしていました。

優しい母が食べさせてくれた、愛に溢れる想い出の味という感じだったでしょうか・・。

スピネットを弾くマリー・アントワネット(1755-1793年)1769年頃、14歳頃 ハープを奏でる王妃マリー・アントワネット(1777年、22歳頃)

さすが音楽の都ウィーン仕込み、歌や演奏も得意で、作曲もできるほど音楽家としての才能にも恵まれていたそうです。作曲した多くはフランス革命時に焼き捨てられましたが、少なくとも12曲の歌曲が現存しています。これは職人への依頼不要で、1人で創作できますね。生活の全てに関して美意識を行き渡らせ、新しい文化・学芸を創り出すため、王侯貴族は芸術家のようにデザインしたり、アイデアや要望を出すのが当たり前でした。それは役割と言えるレベルだったのです。

既製品を選ぶだけでは、何の新しいものも生み出しません。現代社会を見れば明らかですね。現代のセレブや上流階級は昔の王侯貴族の役割を果たせていませんし、どうやったら良いのかも分からないでしょう。そもそも既存のものを享受するだけの消費者としての意識しかなく、持たざる者に対する持たされた者としての、創造者や導く者としての責任感どころか自覚すら皆無でしょうけれど・・。

1-1-3-4. 独立系デザイナーが要求された量産既製品時代

 新しい流行・文化を創造する才能は、貴族でありさえすれば持っているというわけではありません。そのような才を持つ人物が注目され、有名になるのは、滅多に存在しない稀少性からです。元々才能を持つ人物が物心つかぬ内から整った環境で教養を施され、本人も自覚して努力するからこそ優れた創作活動ができるようになります。

たとえ才能を秘めていたとしても、適切な教育や経験のない人が、突然優れた創作活動を実現させるなんて無理です。しかし殆どの人は、想像力が欠如している自覚がありません。経験がないからこそ、簡単に新しいものを生み出せると思っています。これも一種のダニング=クルーガー効果です。

総務省のデジタルファブリケーションの政策記事(2016/平成28年)
【出典】MIC総務省HP / デジタルファブリケーション © 2009 Ministry of Internal Affairs and Communications All Rights Reserved.

以前、『デジタルファブリケーション』と言う言葉がテクノロジー業界で流行しました。「個人レベルでの新しいものづくりが可能」となり、さも新しいものが自由闊達に生み出されるかのような文言でPRされていました。私が大企業の研究開発職にいた2016年頃のことです。政府主導でベンチャーのみならず大手企業も注目し、相応の人員や予算が投入されました。

3Dプリンタの一例 "Airwolf 3d Printer" ©Eva Wolf(28 May 2012)/Adapted/CC BY-SA 3.0

私が現場で見聞きした所管として、「道具がないから、デザインはできても個人では新しいものが具現化できない。」と思い込んでいる人が想像以上に多かったようです。

詳細は以前ご紹介しましたが、デザインや設計はプロが存在するほど難しく、その専門家の中でも腕の良し悪しがピンキリで存在するような世界です。

10年経過しても普及する気配はなく、全く一般化していません。それどころかいつの間にか話題から消えた感があります。

弓&矢筒でエロスを象徴した純プラチナのアールデコ・ブローチ『Eros』
アールデコ ピュア・プラチナ&ダイヤモンド ブローチ
イギリス 1920年頃
¥5,500,000-(税込10%)

現代は商業ベースの『意図的に作った流行』も多く混じっていますが、本当に良いものは自然に流行し、時間をかけて定番化していきます。

アンティークジュエリーは日本で誰も知らなかった時代にGenが見いだし、日本に紹介したのが始まりでした。

地元米沢を離れ東京のベルビー赤坂に店を出す際、アメリカ人の親友ハイネケンが自身の経験を元に助言してくれました。日本で古い時代の日用品や骨董品を仕入れ、アメリカで販売していた人物です。

元々貿易業で活躍していた国際的エリートで、名前からご想像いただける通り某一族の関係者です。「真似されないよう知られざる存在であった方が良いから、店名を見ても何のお店か分からないようにした方が良いよ!」とのことでした。それが『Atelier Katagiri(アトリエ片桐)』と言う最初の店名の秘密です。

アールヌーヴォーのピンク・パール&ダイヤモンドのペンダント&ブローチ『アールヌーヴォーの奇跡』
カラー天然真珠 ペンダント&ブローチ
アメリカ 1890〜1900年頃
¥4,800,000-(税込10%)

さすが昔の国際的エリート、的確な予測と助言でした。各種の対策にも関わらず、Genが扱う厳選したアンティークジュエリーは魅力が強く、追随者が続出し、メディアにも取り上げられました。

低レベルな物を扱うディーラーも混ざるようになり、一緒くたにされることが嫌になって雑誌掲載も断るようになりましたが、最初のうちはTV出演などもしていたそうです。

Genが進んだ部分が道となり、やがてジャンルとして確立し、1つの『業界』として認識されるようになりました。在って当たり前ではありません。概念がない状態で確立するのは、まさに天才にしかできないことです。

優れたものは本人が望まずとも真似され、一定以上の人々が知る存在となり、定番化していきます。一方、優れていないと誰にも認識すらされないか、無理に流行を作っても予算や労力をかけてPRし続けなければ意識を繋ぎ留め続けることはできず、そうまでしてもやがて陳腐化して見向きもされなくなり、まるで最初から存在しなかったかのように消えます。

ヴィラ・アリアナのフレスコ画(古代ローマ 紀元前30〜紀元後50年頃)

業界でなく、芸術作品という観点でも同様です。これは79年のヴェスヴィオ火山噴火で埋没した、ローマ貴族のオティウムから発掘されたフレスコ画です。持ち主だった貴族の名前も分かりませんし、作者も不明です。オリジナルの作品かどうかすら分かりません。モチーフ的にはギリシャ由来の可能性も十分に考えられ、古代ローマの作品はギリシャ美術を複製したものも多いからです。

詳細は以前ご紹介していますが、1759年にナポリ王の王宮に移送し研究され、イタリア語で『Venditricce di amorini』、フランス語で『La Marchande d'amours』、英語で『The Cupid seller』のタイトルが付けられました。『キューピッド売り』と直訳できますが、『愛』を分かりやすいよう擬人化した図像なので、正確には『愛を売る女性』と意訳するのが適切です。それでも一般庶民には意図する所が分からないモチーフですが、王侯貴族の知的階層にとっては群を抜いて魅了される作品であり、最も人気が高かったと言えるほど古代ローマ美術の代表作の1つとして知名度を誇りました。

『キューピッド売り』(ヴィラ・アリアナ 紀元前30〜紀元後50年頃) 『キューピッド売り』模写の銅版画(『ヘルクラネウムの遺跡』第3巻 1762年)

写真がなかった時代、記録を残したり知識を共有するため、銅版画としてなるべく正確に模写・復元されました。元々オティウムを飾っていただけあってその内容は深い上に、1つの答えに集約することなく、視点によって見え方が大きく変化するものでした。そのような名品は深い考察と議論を促します。

オリジナル 模写を銅版画で復元の複製 オマージュ作品
『キューピッド売り』(ヴィラ・アリアナ 紀元前30〜紀元後50年頃) 『ヘルクラネウムの遺跡』第3巻(1762年出版)模写:カルロ・ノリ、銅版画:ジョバンニ・エリア・モルゲン 『アモルを売る女』(ジョゼフ=マリー・ヴィアン 1763年)

中央は精密模写を目的としていますが、後に続く芸術家たちは自身の解釈などを加え、様々なオマージュ作品を創り出しました。古今東西の優れた作品にインスピレーションを受け、新たな創造につなげていくのは当時の定番の手法です。

大理石壁画(クロディオン 1773年) スナッフ・ボックス(ジャン=フランソワ・モラン 1789年)V&A美術館 ロッククリスタル&エナメルの壁掛け(1800年頃)大英博物館
古代ローマ遺跡のフレスコ画がモチーフの知的なラーヴァ・カメオ議題『愛』
ラーヴァ・カメオ ブローチ
イタリア 19世紀初期
¥580,000-(税込10%)
コットンの壁紙『キューピッド売り』(ルイ=イポリット・ルバ 1816年) Museum Angewandte Kunstナポリのお土産品の扇子(イタリア 1800年頃)

作風も技法も多種多様です。王侯貴族やあらゆる方面の芸術家たちが魅了されたことを物語っています。

ルイ15世の公妾デュ・バリー夫人とその愛人で著名なフランス貴族ブリサック公爵ルイ・エルキュール・ティモレオン・ド・コッセや、復古王政時代に優れた知性と教養で知られていたフランス王室のオルレアン公爵夫人ヘレーヌも、フランス宮廷画家によるオマージュ作品を飾って楽しんでいました。そのこと自体も有名で、「優れたオマージュ作品を創造したい、手元に所有したい!」と望む王侯貴族は多く、多種多様な作品が生み出されることとなりました。

殆どの一般庶民には内容が理解できないので現代ではマイナー気味な作品ですが、当時の王侯貴族からは時代を超越した普遍の魅力が支持され、模倣と新解釈やアレンジを通して定番化していきました。それが優れたデザインの『魔力』とも言うべき人を惹きつける力です。

眼光鋭い鷲のローズカット・ダイヤモンドのゴールド・クラバットピン

『EAGLE EYE』
ゴールデン・イーグル クラバットピン
フランス 1890年頃
¥1,500,000-(税込10%)

眼光鋭い鷲のローズカット・ダイヤモンドのゴールド・クラバットピン 眼光鋭い鷲のローズカット・ダイヤモンドのゴールド・クラバットピン 眼光鋭い鷲のローズカット・ダイヤモンドのゴールド・クラバットピン 眼光鋭い鷲のローズカット・ダイヤモンドのゴールド・クラバットピン

デジタルファブリケーションが一般普及しなかった現実は、道具がないからという言い訳を否定してくれました。人の心を動かす優れたデザインを創造するのは、まさに神レベルの所業です。意識のキャンバスに立体デザインする頭脳、卓越した美的センス、さらには物質界で具現化するための職人としての神技。凡人どころか、天才が努力しないと不可能なくらい難しいことなのです。

PD『ファッショニスタ』3Dプリンタ製の樹脂ネックレス(2009年)限定8点

これはオランダの著名なデザイナー、テッド・ノーテン氏(1956年-)が3Dプリンタを使って制作したガラス充填樹脂ネックレス『ファッショニスタ』です。当時オランダ王太子だった第7代オランダ国王ウィレム=アレクサンダーが2003年に結婚する際、花嫁マクシマ王妃のティアラのデザインも担当した有名デザイナーです。

結局はデータなので、3Dプリンタは出力が遅いとは言え量産できます。限定8点で€1,400の設定でした。現在の日本円で換算すると25万4,800円(€=182円、2026.8.9現在)です。優れたアンティークジュエリーほど安いとGenも言いますが、現代はトップクラスのデザイナーでこれなのかと色々な意味で引きます。色などのセミ・オーダーや部分的なカスタマイズならまだしも、ゼロからデザインを創造するのは経験のない素人には無理です。

卸しのメーカーのカタログ(アメリカ 19世紀後期)

そういうわけで、どうデザインすれば良いか分からぬ庶民のために、デザインを販売する独立系のプロ・デザイナーが誕生しました。自分が何が欲しいのか分からないなら何も買わなくて良い気もしますが、モノで溢れかえっていなかった時代、可処分所得が手に入るようなれば何かは欲しいと思うものです。ただし誰が使うか定まらぬ状態でデザインするため、当たり障りのない無難なデザインにしかなりません。売れ残ると赤字だからです。

【参考】1930年代の一般的な高級ダイヤモンド・ブローチ

それは成金でも同じことです。一般庶民との違いは、お金とメッキ的な肩書きを持つか否かだけです。教養や経験を持たないのは同じであり、何をデザインしたら良いのか分からないですし、個性に合わせて自分らしくデザインするという発想自体がありません。群集心理なのか『大衆』は他人と同じだと安心する性質があるため、デザイナーが違っても、必然的に同じようなデザインに寄って行きます。

見た目が変わらないと石ころの大きさ1つで勝った負けたを競ったり、商売的にも価格競争になっていきます。

石ころの大きさであったり、価格であったり・・。
指標が単純化した世界は、CPU(中央処理演算装置)の性能が劣った人々には居心地が良いものです。しかし、その状態でい続けることを良しとし、自分がその状態に居るために全員がそこに居るよう同調圧力を醸成したり、より高みに行くための努力を怠るどころか、そうする人々を貶したり足を引っ張るのは美しいとは思えません。もちろん憧れの対象にはなりません。

【参考】現代の似たような量産の超高級品
【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER RING ©CARTIER 【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER BRACELET ©CARTIER 【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER HITH JEWELRY BRACELET ©CARTIER ¥20,064,000-(税込)2019.12現在 【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER RING ©CARTIER ¥9,306,000-(税込)2019.2現在 【引用】BOUCHERON HP / WOLF BROOCH ©BOUCHERON

一般庶民も自身で好きにデザインできるようになるまでの過渡期の存在であれば良かったですが、成金も含め大半は努力しませんでした。現代でも独立系デザイナーが存在するどころか、「誰々がデザインしたから価値がある。」と言うように、主役になっています。お金を出して使う人ではなく、デザイナーが主役となった世界です。そのような製品を買う人は、一体何のためにお金を払っているのでしょうね(笑)

1-1-3-5. 独立系デザイナーが主流になるまでの過渡期

 王侯貴族から大衆の時代への過渡期は、独立系デザイナーが生まれて主流となっていく経過の時代です。初期は一般庶民が衣食住に満ち足りていく段階であり、可処分所得のような余力はありません。庶民用の製品はなるべく安くて必要最低限の機能を満たせば良く、そのような物にプロの高度なデザインは必要ありません。全てを丸投げできる『独立系デザイナー』を必要としたのは、台頭した新興富裕層です。

事例1. レイト・ヴィクトリアンの庶民用の安物ガーネット・ジュエリー
ホルバネスク ホルバネイスク ネオルネサンス アンティークジュエリー ガーネット エナメル ヴィクトリアン クリソライトホルバネイスク・ペンダント
イギリス 1860年〜1870年頃
カボッションガーネット、クリソライト、ギロッシュ・エナメル、18ctゴールド
SOLD

 19世紀にボヘミアで巨大鉱脈が発見され、ガーネットのジュエリーが流行しました。

採掘量が多い場合、王侯貴族のハイジュエリーに優先的に使用されるのは大きかったり、特に質の良い稀少価値のある石になります。

デザインも、宝石の特徴に合った知的で美しいものが考案されます。

成金は生まれながらの高貴な身分でないため、お金を持っているのが当たり前という意識がありません。新興成金は"持っていない"状態がデフォルトの初期設定となっているため、意識せずとも無意識にお金への欲望や執着が根強く存在します。ビリオネア・クラスの真の大富豪と比較すればたかが知れており、吹けば吹き飛ぶ程度の財力しかありません。1億や3億円程度を宝くじで当てても東京で家を買えば無くなりますし、維持費分はまた稼ぎ続けなければなりません。庶民同士では羨ましがられる『億り人』程度では、プライベート・ジェットも理想の家のフル・オーダーも不可能です。

新興富裕層向けの量産の安物

お金を持っていないのにお金持ちのように見せたがる、自己顕示欲にまみれたケチが成金です。お金と心の両面で貧乏人なので、お金を持っていないだけの人より貧しい『真の貧乏人』です(笑)
そのような人々は王侯貴族のように大きな宝石は買えませんが、欲しくてたまりません。貴族のおこぼれ的な残骸を寄せ集めて大きく見せる方法を選びます。小ぶりでも質の良さやデザインにこだわれば良いだけなのですが、このあさましさが心の貧乏人を真の貧乏人たらしめます。使い回しの似たり寄ったりのデザインが特徴で、有能なプロのデザイナーは不要です。

事例2. ベル・エポックの売春婦をターゲットにしたジュエリー

 産業革命の波と共に、大衆の時代が到来します。ヨーロッパ他国より遅れをとっていたフランスは、普仏戦争の敗戦から復興を遂げたベル・エポックの時代した。

1900年の成金嗜好のココット・ジュエリー

古くからパリは『売春婦の都』としても有名でしたが、産業革命によって一般男性も潤い始めると、その需要は桁違いに爆増しました。19世紀のフランスは『ナポレオン法典』の元、無能力者として教育や職業、財産の所有が厳しく制限されました。人権ゼロみたいなものです。一般女性が生きていくには選択肢がなく、売春婦(ココット)は一般女性にとって通常の職業選択でした。男性から選ばれる必要があり、女性同士の競争は苛烈です。

ベルエポックの精神を表現したポスター(1894年)

それこそが、ベルエポックの経済を牽引した庶民の若い女性たちの正体です。

売春でまともに稼げるのは若い時だけです。老後なんて、考えていたらまともな精神を保つことはできません。

教育もまともに受けられない一般女性たちが、心の闇を埋めるためにすることは限られます。

一瞬の心の安らぎを得るために、ホストに全財産を注ぎ込んで身を滅ぼす女性たちが現代社会に存在します。それが公けに、しかも普通のことと認識されるほど桁違いに存在したのがベルエポックのパリでした。

1906年版『ボヌール・デ・ダム百貨店』の挿絵、p377(エミール・ゾラ著 1883年発行)

それを小説形式にして問題提起したのがエミール・ゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』でした。

買う時だけチヤホヤし、麻薬のように再びそれを求めて買い物中毒に至る女性、物欲を抑えられず窃盗症に至る女性。

現代も同じです。買い物中毒の場合はホストクラブと違い、「モノを買っただけ。」だと自身に言い訳ができます。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

本当に良いものは心を満たしてくれるので、永遠に買い続けるような精神状態にはなりません。

眺めてるだけで、いつまでも心豊かな気持ちが実感できます。

他者に褒めてもらう必要はなく、主体は自分自身です。自身でいくらでもコントロールできます。

個性豊かな唯一無二の最高級品
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング『エデンの園』
ジョージアン 色とりどりの宝石のジャルディネッティ・リング
イギリス 1820年頃
¥3,690,000-(税込10%)
天然真珠のフランボワーズのアールヌーヴォー・ゴールド・ネックレス『フランボワーズ』
アールヌーヴォー 天然真珠ネックレス
フランス 1890〜1900年頃
¥2,200,000-(税込10%)
エドワーディアンの神技のハートの透かし細工のダイヤモンド・ピアス『プリンセス』
ダイヤモンド・ピアス
ヨーロッパ or アメリカ 1910年頃
¥1,500,000-(税込10%)

優劣が付くものではなく、それぞれの人に対して、最も相応しい宝物というものが存在します。確固たる自分を持つ人だけが、覇気のようなものを纏うことができます。それは目には見えませんが、社交界で一目置かれる存在として、一種のオーラのように確実に現れます。そのような『自分がある人』は、他者を尊重することもできます。

1900年の成金嗜好のココット・ジュエリー

自分に自信がなく、自分という存在が分からないけれど、生存本能を脅かされ選ばれることに執着しなければならないココットたちが、体を売ったお金を投入したのがこのような虚飾品です。シルバーしか買えない人に対して「あたしはゴールドよ!ドヤ!」とマウンティングし、「あたしのはダイヤモンド付いているのよ!ドヤアァ!!」と自慢する構図です。教養がないため、比較する物差しがモノしかありません。

1900年の成金嗜好のサインド・ピース

高級売春婦クルチザンヌの領域に入ってくると、偉い作家の権威を笠に着るサインド・ピースの商法が駆使されました。自身で欲しいものを自由に想像できない彼女たちのために、大先生がデザインします。ボロい商売を目的としたものですから、作りもろくなものではありません。

作り手や販売者側の悪意、買った女性の心の闇がこもっていますから、このようなものは実際に『呪物』と言えるかもしれません(笑)Genが言う「悪いものは見たら目が腐る。」という安物の正体であり、私が「悪いものは何も着けない方がまだマシ。」と言う理由でもあります。2人とも歴史的な裏付けを知らない時から、感覚的に察知していました。ハンドメイドだからこそ、アンティークジュエリーには物質を超越した力が宿っています。

ルネ・ラリック(1860-1945年)

高級娼婦のトップクラスが、有名女優や歌手などの大衆のスターです。財力があり、一攫千金が狙えるので商売人にとって格好の金ヅルです。そこで考案されたのが『大先生商法』でした。

スターと言っても知名度とカネを持っているだけで、精神状態や知識などは他の売春婦と変わりありません。『有名作家』という虚像を作り出し、その権威を威光として法外な価格を成立させます。

代表例がルネ・ラリックです。初期の人気では、大衆のスターである女優などが買っていたそうです。

主に女優などにしか売れなかったラリックのジュエリー
『ドラゴンフライ・レディ』(1903年)
©Sailko(14 September 2016, 13:37 24)/CC BY 3.0
鶏のティアラ(1897-1898年)"Tiara de Lalique - Calouste Gulbenkian" ©Antonio(23 August 2008, 09:23:58)/CC BY-SA 2.0 『メデューサ』(1860-1945年)
©HTTPS://www.flickr.com/photos/shadowgate/CC BY 2.0
『蝉』(1860-1945年)"Cigales Lalique Musee Gulbenkian" ©Yelkrokoyade(13 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 『スカラベ』(1860-1945年)"Scarabe Lalique Musee Gulbekian" ©Yelkrokoyade(13 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

日本でも大衆向けに商売人がラリックをプロモーションした時期があり、鵜呑みにして立派な大先生だと認識している人が今でも少なくないようです。私の素直な感想は、「キモいし意味不明。ギャグなの?本気なの?!絶対に着けたくないし、タダでも要らない。部屋にあると空間が淀みそう。」です。

啓蒙時代のカンティーユ&ペルシャ産トルコ石のリュミエール・ジュエリー『ソフィア』
リュミエール・アゲート ペンダント&ブローチ
フランス or イギリス 1820年頃
¥880,000-(税込10%)

真の王侯貴族のジュエリーは『秘密の知識』が反映されているため、同じ知識を持つ者しか理解ができません。知識を持たない人が見ても、表面的に綺麗と思うか、「よく分からない。」という感覚で終わってしまいます。

よく分からないけれど、上流階級がことさら褒めちぎるジュエリーというものが存在しました。

理解できないもの、意味がよく分からないもの、イコール上流階級らしい素晴らしいものという認識が、部外者たる一般大衆の意識に生まれた背景です。


『裸の王様』(ハンス・クリスチャン・アンデルセン 1837年)

これは普遍の心理です。『裸の王様』でも、見えておらず理解できていない人々が、さも良いものと崇め奉る集団的な構図が成立しました。「理解していないと見られたくない。」、「自分は高尚な芸術を理解できる人間なのだ。」と思う人間心理があります。

話していて、Genは他に見たことがないほど虚栄心が皆無だと感じます。私も育った環境の影響もあり、実力以上に凄いと思われたい意識がなく、未熟さや無知を認識しているのでバカと思われても「はい、知っています。それがどうかされましたか?」程度にしか感じません。この人種はブランドや権威の威光が通じません。

『アスパシアの話を注意深く聞くソクラテスとアルキビデアス』
(ニコラ=アンドレ・モンシオー 1801年)

『無知の知』と言う言葉が生まれ、2千年以上も語り継がれているということは、無知を心から自覚できている人は案外少ないのかもしれません。その生みの親ソクラテスは、賢いと認識している女性に助言を求めることができました。自身の無知や未熟さを受け入れられない段階の人は、プライドが邪魔して人に尋ねることができないようです。

犬猿の仲として有名な神聖ローマ皇帝兄弟
文化人として傑出しそれ以外は無能とされた兄 兄に激しく嫉妬した弟
ルドルフ2世(在位:1576-1612年) マティアス(在位:1612-1619年)

学歴至上主義な部分がある現代社会は、勉強ができるほど良いと認識される部分はあります。しかし実際は美的感覚と芸術の理解の優劣こそが、心の芯なる部分では『一番重要な優劣の指標』となる印象があります。最も典型的な事例がハプスブルク家の神聖ローマ皇帝ルドルフ2世とマティアス兄弟です。

弟マティアスは、兄ルドルフ2世の文化人としての才能に激しくコンプレックスを抱いており、それが原因で仲が悪かったそうです。ルドルフ2世は政治に関しては無能扱いされるほど、学芸以外はからっきしだったにも関わらずです。知識なんて後からいくらでも身につけることができます。美的感覚は感性を磨く必要はありますが、根本は持って生まれたものです。どれだけ努力しても、持たざる者は努力した天才に並ぶことはできません。

古代ギリシャの哲学者による芸術の定義

芸術が理解できること。
人間の根幹に関わる部分だからこそ、これは想像以上に重要なのです。無意識の領域に近いため、顕在意識での制御が難しく、それが人によっては『嫉妬』の形で顕現します。『知識バカの頭デッカチ』に大した価値がないことは、無意識下で多くの人が分かっています。一方、『視る眼』を持つ価値についても理解しています。

『裸の王様』2人の詐欺師

『商売人』は心理学のプロです。

これらを本質的に理解した上で、ターゲットを転がす手法も熟知し、完璧にこなします。

このイラストでは憎たらしく高笑いしていますが、実際には人にこのような姿は見せません。仲間同士か、腹の底だけで大爆笑します。

鶏のティアラ(ルネ・ラリック 1897-1898年)グルベンキアン美術館
"Tiara de Lalique - Calouste Gulbenkian" ©Antonio(23 August 2008, 09:23:58)/Adapted/CC BY-SA 2.0

1900年のパリ万博ではビッグ3として世界中の注目を集めたラリックでしたが、1905年頃を境にして著しく人気が凋落し、評論家たちは手のひらを返したように作品を「陳腐だ!」、「悪趣味だ!」と、悪評を浴びせかけるようになったそうです。

作り上げた大先生の名前を使い、フランス国内でよく分かっていない女優たちを手のひらの上で転がした商売人たちでしたが、世界中の王侯貴族の目に晒される万博という土俵に上がった結果、大先生の虚飾は王侯貴族からの評価に耐えられなかったというわけです。結局ラリックはジュエリーを辞め、ガラス作家に転向しています。それをよく分かっていない日本の一般大衆向けに再び商売人がPRし、鵜呑みにして崇め奉る人が続出する姿が『裸の王様』のようです。日本人であっても優れたアンティークジュエリーを理解できる人はごく少数なのです。

デザインは丸投げのココット&クルチザンヌ・ジュエリー

売春婦向けに作られた量産品が少女趣味なのは、精神的に大人になりきれなかった彼女たちの心を反映しているとも言えるでしょう。「現実は無理でも、せめて一瞬でも夢を見たい・・。」

『売れ筋』であったり、女優のお財布から高額を引き出せる『尤もらしいハリボテ』であったり、各ターゲット層に応じて儲かるデザインを生み出せるデザイナーが求められるようになりました。大衆の数は物凄かったため、ジュエリー分野に於いても独立系デザイナーは1つのジャンルとして確立されていきました。

1-1-3-6. 産業構造を大変革した『独立系デザイナー』の誕生

 クリストファー・ドレッサーは最初の独立系デザイナーとされるだけあって、過渡期故に境界がまだ明確ではありません。『境界』は渦中で認識できるものではなく、歴史として振り返って後から引くものです。ついでに言うと内装の調度品や日用品など主に新興富裕層の男性向けなのでココット・ジュエリーのような無節操さはなく、最初期だからこそきちんとしています。

ドレッサーのデザイン
壁紙デザイン(1880-1904年) トースト・ラック(1881年) 水差し(1879-1882年頃) グラスアート(1888年)

最初期ゆえに、量産デザインと唯一無二系のデザインが併存します。壁紙は型で量産します。トースト・ラックも機能性にプラスアルファが効いたオシャレなデザインですが、現代でも作ることができる量産向きのデザインです。

陶器やグラスアートはフォルム形成に高度な技術と美的感覚が必要で、模様の出方は偶然の産物的な面もあり、同じ職人でも全く同じに作ることは不可能です。

ターゲット層は上流階級ではなく、中産階級の上位に位置するアッパー・ミドル・クラスの男性です。産業革命によって台頭した経営者や資本家などで、雇われサラリーマンではありません。現代もそうですが、通常の経営者やエリート・サラリーマン程度では、個人で優秀なデザイナーにトータル・デザインを依頼するのは不可能です。できたとしても財力的にかなり厳しいです。人件費や試作品制作、その他すべてをコスト計算すればご想像いただけるはずです。

グラスアート(1895年) スープ・チュリーン&おたま(デザインは1877-1878年頃、1888年制作) 水差し(1880年) スープ皿(1896年)ブルックリン美術館

職人の高度な手仕事によるモノづくりが生きていた時代、優秀な職人を抱えた高級既製品メーカーが存在しました。独立系デザイナーに依頼するのは、そのような高級既製品メーカーです。「お抱えの職人の技術を生かし、そのメーカーでしか作れないもの。さらにある程度の量産ができて、高付加価値も付けられる気が利いたデザイン。」というオーダーです。

事例. リバティー百貨店オリジナルの燭台
クリストファー・ドレッサーのデザイン 1883年

 これは1883年にクリストファー・ドレッサーがデザインし、リチャード・ペリー・サン社が制作し、リバティ百貨店がオリジナルで販売した『蝋燭立て』です。

リバティがプロデュースした商品ということでしょう。

ドレッサーのデザイン作品『燭台』(1883年)
【引用】Brirish Museum / candlestick © The Trustees of the British Museum

まさにインダストリアル・デザインなので、色違いなども交えて一定数が生産されました。それを高級既製品として、リバティが百貨店が新興富裕層向けに販売したわけです。黒檀のハンドルはボディと同じ曲率の精密なフォルムが必要ですし、金属加工もスッキリとシャープに仕上げるには高度な技術が必要です。安易に真似できないオリジナル製品として十分だったでしょう。

ネオクラシカル・スタイル アングロジャパニーズ・スタイル 日本の南部鉄器
アンドリュー・フォーゲルバーグ 1774-1775年 クリストファー・ドレッサー 1883年 制作年不明

デザイン的にも気が利いています。重厚さや装飾過多がオーソドックスなヨーロピアン・ラグジュアリー様式でした。日本美術にインスピレーションを受け、センス良くイギリスの技術と昇華させたドレッサーの燭台は見事です。モダン・デザインが一般化した今でこそ"ありそうなデザイン"に見えますが、当時はかなり画期的だったはずです。主に中産階級の流行の最先端としてリバティ百貨店が機能し、アングロ・ジャパニーズ・スタイルをイギリスに強力に浸透させていきました。

事例. 金属製品のデザインとメーカー

 これは全てクリストファー・ドレッサーの金属製品デザインです。しかし、メーカーは全て異なります。各メーカーで得意な素材であったり、得意な加工技術は異なります。それに応じてデザインしていることが分かります。

制作:Hukin & Heath 制作:James Dixon & Sons 制作:Richard Perry Son & Co.
スプーン・ホルダー(1878-1881年) 『Théière』(1879年) 燭台(1883年)
制作:Elkington &Co. 制作:Benham & Froud

職人兼アーティストだとこなせない数です。

各メーカーに対してインダストリアル・デザインを提供する独立系デザイナーの誕生は、産業構造を変えました。

シュガー・ボウル(1885年)
黄銅のお茶用ケトル(1885年)

ドレッサーがデザインした製品には、それを示す刻印が押されました。デザイナーの個性が製品に反映されるため、メーカーと制作した職人が違ってもドレッサーらしいと感じられます。こうして表裏一体だったデザイナーと職人が分裂し、主従関係がデザイナーへと移っていきました。

ブルー ギロッシュエナメル ペンダントウォッチ アンティーク・ジュエリー【時を奏でる小さな宝物】
『ダイヤモンド・ダスト』
エドワーディアン ペンダント・ウォッチ
フランス(パリ) 1910年頃
¥15,000,000-(税込10%)

王侯貴族が愛したのは、その職人しか作れない一点ものです。

しかも、第一級の職人がプライドと魂を込めて作る最高傑作を求めました。そのような作品は同じ職人であってもいくつも作れるものではなく、本当に魂が宿るのは奇跡的な1点、良くて数点でしょう。

だからこそ、小さな宝物は知られざる存在です。

ドレッサーのデザイン作品
制作:James Dixon & Sons 制作:Hukin & Heath
ティーポット(1879年) 『Théière』(1879年) トーストラック(1878年) トーストラック(1881年)

ミドルクラス向けであるインダストリアル・デザインは、ある程度の数をこなします。その職人しか作れない、しかも数をこなせないというのは適切ではありません。高度な技術が必要だったとしても、工房内で技術を共有できるレベルの難しさに抑制されます。数がこなせる程度の簡単な作りであることも必須です。

こうして数をこなすことで、大衆に至るまで誰でも知っている製品となり、有名デザイナーとなった大先生は崇め奉られることになります。

カラーゴールドとプラチナの彫金が美しい白鳥のアンティーク・ブローチ『愛の白鳥』
スワン バー・ブローチ
イギリス 1923年
¥950,000-(税込10%)

権威やブランドのお墨付きがないと価値が理解できず、安心できないのが一般大衆です。

このような宝物は大衆の目に触れない場所で愛されており、昔から知られざる存在でした。

王侯貴族の時代が終焉を迎え、新たに作ることができなくなった現代では手に入ること自体が奇跡です。しかし、当時ならとても庶民が手に入れられるものでなかったことも事実です。

価値が分かる人にとっては実はラッキーな時代だと思います♪

1-1-3-7. クリストファー・ドレッサーの特殊な立ち位置

 クリストファー・ドレッサーは、芸術的なモノづくりの破壊を目的に活動したわけではありません。それは歴史として顧みた際の結果論です。

ドレッサーのデザイン作品
制作:ミントン 制作:Chubb & Sons 制作:リンソープ芸術陶器
タイル(1875年) サイド・チェア(1870年) フラスコ瓶(1880年)LACMA 水差し(1880年)

当時のイギリスでは日本美術への憧れが特に強まっていましたが、高品質の日本の美術工芸品を1つ2つではなく数多く手元で研究して理解を深めたり、学術的に学ぶような機会は極めて限定されました。需要はあっても気の利いたジャポニズム・デザインができるデザイナーは限られており、大美術館の所属や大英帝国政府の公式使者として来日経験のあるドレッサーは色々な意味で各業界・メーカーが仕事を依頼したくなる芸術家でした。そして、それをこなせる才能がドレッサーにはありました。「天は二物を与えず。」と言うのは誤りで、本当に必要な才能は全て備わっているものだと感じます。

1-1-3-8. 美術工芸品と大量生産品との境界

 海運・水運を司る国際貿易の拠点としても栄えた大都市グラスゴー出身のクリストファー・ドレッサーが主導的な役割を担い、1851年から1910年代にかけてのアングロジャパニーズ・スタイル(英和スタイル)としてイギリスのデザインは進化しました。

ヨーロッパのハイジュエリー・デザインの進化
王侯貴族の時代(過渡期) 大衆(成金)の時代
アーツ&
クラフツ
モダンスタイル エドワーディアン アールデコ インターナショナル・デザイン
前期 後期
初期アーツ&クラフツのフラワーステッキ型ダイヤモンド・ブローチ1880年頃 アクアマリン ネックレス アンティークジュエリー1900-1910年頃 エドワーディアンのエレガントなダイヤモンド・プラチナ・ネックレス1910年頃 アールデコ パール&ダイヤモンド ネックレス アンティーク・ジュエリー1920年頃 アールデコ後期のラピスラズリ&ダイヤモンドのスタイリッシュなペンダント1930年頃 アールデコのアーキテクチャのようなロッククリスタル&ダイヤモンドの芸術的ブローチ1930年頃 1940年頃 2019年
【引用】BOUCHERON HP / WOLF BROOCH

その一部がマッキントッシュ夫妻らグラスゴー派のモダン・スタイルにつながり、セセッション(分離派)を通してアール・デコを経て、現代のモダン・デザインやインターナショナル・デザインにつながる流れです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

私が一番の好みとするモダンスタイルは、最も未来的で贅沢なスタイリッシュ・ラグジュアリー・デザインだと思います。

それ以前だとヨーロッパのオーソドックスな感じですし、アールデコまで行くと、やや削ぎ落とされ過ぎた感を感じることもあります。

ヨーロッパと日本美術が融合・昇華し、最高到達点となったピークがモダンスタイルだと感じます。

方向性が異なる最高級品の表現手法
白大理石を使った珍しいミュージアムピースのイタリアのフローレンスモザイク(ピエトラドュラ)とカンティーユのピアス(アンティークジュエリー)フローレンスモザイク ピアス
イタリア 1830〜1840年
HERITAGE コレクション
エドワーディアンの雫型の天然真珠&ダイヤモンドの最高級ピアス『Future Design』
モダンスタイル ピアス
イギリス 1900〜1910年頃
SOLD

モダンスタイルはアンティークジュエリーがある程度分かる方にとっても理解が難しい、最も玄人向けと言えるカテゴリーです。一般人は宝石しか目が行きません。それに対し、細工物の良さについて、特に力を入れてお伝えしようとしたのがGenでした。頑張った痕跡が物質として目に見える『細工物』は、ある意味で見た目に分かりやすいです。これすら分からない人はジュエリーなど欲しがらず、アクセサリーで満足しておいた方が良いくらいです。現代ジュエリーは人工処理や合成石ばかりで、石ころそのものに稀少価値がないからです。

一方で、モダンスタイルは細工物は同等以上に才能と労力とお金をかけていても、一見しただけでは分かりにくい上に、見る側も相当な頭脳と美的感覚を持っていなければ理解ができません。右のとても小さなピアスはモダンスタイルのピアスの中でも最高峰と言える傑作です。

エドワーディアンの雫型の天然真珠&ダイヤモンドの最高級ピアス

随所にまで意識が行き届いた絶妙な立体フォルムです。2次元で表現する画像では分かりにくいですが、光の反射具合からもご想像いただけると思います。

単なる物質的な形状を表面的にデザインするのではなく、プラチナという画期的な新素材の特性を生かし、光の煌めきや照りなどの反射も含めて設計しています。天才的な頭脳が必要です。

但し、「考えるだけならいくらでも!」と言えるほど、具現化するのはさらに困難です。この絶妙なフォルムの再現はまさに神技です。少しバランスが違っただけで、印象は全く別物となります。

エドワーディアンの雫型の天然真珠&ダイヤモンドの最高級ピアス
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

このような宝物を芯から理解できる方はHERITAGEのお客様でも多くはありませんが、確実に数名はいらっしゃいます。物質を超越した視力(認識力)をお持ちなので、言語化しての詳細説明は不要だったりします。「ああ、この方はもう十分にお解りだ!♪」と感じた場合、必要以上のご説明は返ってご無礼になると思うので、その信頼を示すために最低限でとどめるようにしています。それもきちんと伝わっていると思います♪

ウィロー・ティールームズの『豪奢の間』再現(マッキントッシュのデザイン 1903年)
"Room de Luxe" ©Dave souza(10 March 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5

直線や比較的単純な円などの幾何学を組み合わせるアールデコと異なり、モダンスタイルは絶妙な曲線を効かせます。シンプルで簡単そうに見えますが、いざ具現化しようとすると大変です。正解がどこにあるのか、絶対的な美的感覚がない人には定めることができないからです。

【参考】チャールズ・レニー・マッキントッシュのデザインのチェア

空間デザインも、間の取り方が絶妙です。但し、このような出来上がりを見てしまえば、自分でも簡単に同じようなものが作れると思う人もいるでしょう。

マッキントッシュのデザイン
ヒルハウス・ラダーバック・チェア(マッキントッシュのデザイン 1902年)" National Museum of Ethnology, Osaka - Chair "Ladder-back chair" - Glasgow in United Kingdom - Made by Charles Rennie Mackintosh in 2006 (originally 1903) " ©Yanajin33(22 December 2013, 13:41:19)/Adapted/CC BY-SA 3.0 ウィロー・チェア(マッキントッシュのデザイン 1904年)"Chair from Inception" ©Shannon Hobbs from New York, Noew York, USA(15 August 2011, 13:28)/Adapted/CC BY-SA 2.0
実際には絶妙な曲線がデザインされており、設計するのはもちろん、この設計図通りに精密に作り上げるのも大変です。この曲線が効いていなければ魅力は半減どころか、ガッカリするほど雲散します。

右はクリストファー・ノーランが脚本と監督を務めたSFアクション映画『インセプション』(2010年)の撮影にも使われた『ウィロー・チェア』です。100年以上経過しても古びないどころか、今なお未来的に感じるデザインです。知的な男性が好むのもモダンスタイルの特徴です。建築デザイン的な面があるのも一因でしょう。モダンスタイルがお好きなお客様の一人はスコットランドにご留学経験があり、建築巡りも楽しまれたそうです。もちろんその中にはマッキントッシュの作品も含まれています。そのような若い女性、カッコいいです!素敵な人は年齢も経験値も関係なく、若い時から傑出しているものですね♪♪

事例1. ティーポット『Théière』(1879年)

 ある程度は誤魔化しが効く椅子や建築物と異なり、高度な専門知識や経験、技術も必要とする小さなサイズの美術工芸品は職人依存が強いです。そのハイエンドがジュエリーですが、ティー・ポットのような小物でも違いが出ます。

製作者は異なるドレッサーのデザイン作品『Théière』(1879年)
制作:James Dixon & Sons(1879年) 制作:不明

ドレッサーが1877年に日本で経験したお茶会で、インスピレーションを受けてデザインしたのが『Théière』(1879年)です。発表用に制作された左の作品は、細部まで完成度が高いです。右は同じデザインで、違う職人が制作したようです。上部の取っ手が歪んでおり、そのぞんざいな扱われ方が香ばしいですが、それよりも全くシャープに感じられない作りが気になります。これだと高い評価は得られなかったでしょう。

制作:James Dixon & Sons(1879年)

優れたデザインを設計しても、具現化できる腕がなければ『絵に描いた餅』です。職人の手仕事がいかに重要なのか、オーダー・メイドに慣れていた当時の王侯貴族や知的階層にとっては当たり前に理解していたでしょう。

制作:不明

同じデザインと素材で、ここまで雰囲気が変わるのが興味深いです。中央の菱形のサイズ、注ぎ口や四つ足の角度と長さ、エッジの仕上げ方など、分かる人にとっては全くの別物です。この違いが分からない人、価値を見出せない人が経済活動の主役となった結果、現代は優れたモノづくりが成立できなくなりました。

分かる人にとっては全然違って見えるはずですが、分からない人は並べて比較しても違いが分からないそうです。Genも長年のアンティークジュエリー・ディーラーとして実感しており、私も最初は嘘かと思いましたが、今は本当だと納得しています。違いが分かる方は才能は『天からのギフト』ですから、ぜひ大切になさってください♪

正確な裏付けはできませんが、左は鍛造でしっかり作り込んでいる一方、右は量産のために手っ取り早く鋳造(キャスト法)でメイン・ボディを作ったからエッジがヌルッとした形状なのかもしれません。儲けと安さのためにコストカットばかり気にして適当に作ったものは、やっぱり人の目には美しく感じられないということでしょう。機能は満たせても美しさはまた別ですし、機能に関しても、使い心地は全然違うと思います。大切に長く使いたいと思えませんから『安物の銭失い』で、結局は高くついて色々な意味で損をします。

事例2. シュガーボウル(1885年)
 ドレッサーのシュガー・ボウルのインダストリアル・デザインは、1993年にイタリアのメーカーがプラスチックでリプロダクションを生産したことがあります。1885年のオリジナルはニッケルに銀めっきで、発表用のプロトタイプは最も腕の良い職人が入念に作り込んでいるため、当時の後から量産した製品より出来が良いです。『鳥獣戯画』のカエルの足を彷彿とさせる、ユーモラスなデザインです。道具に魂が宿り、手足が生えて動き出す付喪神も日本の独特の発想ですが、そういう概念からもインスピレーションを受けたでしょうか。
ドレッサーのデザイン作品
制作:Elkington &Co. 制作:Centro Studio Alessi S.p.A(イタリア)
素材:ニッケルに銀めっき 素材:プラスチック(1993年にリデザイン『Chirsty』)
シュガー・ボウル(1885年) 【引用】©The Metropolitan Museum of Art./Adapted. 【引用】©The Metropolitan Museum of Art./Adapted.

九十九神とも呼ばれる神や妖怪の類ですが、九十九の表現の通り、長年愛用された古い道具にしか宿りません。プラスチックは、屋内の日用品でも数年から10年程度の耐用年数とされます。条件によってはすぐに劣化し、使いたい、愛用したいという気持ちが失せたりします。

そもそもデザインも完コピではないですね。シンプルなデザインだからこそ、細部のちょっとしたアクセント装飾や細かいフォルムの設計が重要ですが、そこを省略したこともあって、驚くほど安っぽい仕上がりとなっています。そもそも金属素材を前提に設計されており、プラスチックの物性では強度や耐久性の問題から、全く同じデザインは困難です。プラスチック製品としての歩留も加味して、この劣化版デザインに着地したのでしょう。

同じものとしてPRして欲しくないですし、デザイナーとしてのクリストファー・ドレッサーの実力を勘違いする元凶になります。現代はファッション業界もリバイバルのデザインが多いです。安さと楽さと儲けばかりを気にすることに慣れきった結果、新しいものを自力で生み出す力はとうに失われてしまい、過去の威光に頼るしかなくなったのでしょう。しかもそれすらも、全く同じに作ることすらできなくなっています。

 

 「悪貨は良貨を駆逐する。」の言葉の通り、サミュエル・ビングの『アール・ヌーヴォー』も"はびこる粗造乱造の装飾品"の波に飲まれました。結局ドレッサーのアングロジャパニーズ・スタイルのデザインも、量産とそれに伴うコストカット圧力の波に飲まれ、現代のチープなデザインへと流されて行きました。

ヨーロッパのデザイン進化に貢献した同い年の英国デザイナー
産業デザインにもつながる
アングロ・ジャパニーズ・スタイル
高度な職人の手仕事への回帰を目指し途絶えた
アーツ&クラフツ
クリストファー・ドレッサー(1834-1904年) ウィリアム・モリス(1834-1896年)

当時の上流階級や知的階級も渦中で危惧し、抗おうと尽力した過渡期でした。この時代は良いものと悪いものの両方が併存しており、良いものはより良く在ろうと輝きを増している一方で、悪いものは世界征服を目指して力を増しながら浸透してテリトリーを増やしています。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

モダンスタイルのジュエリーにはその一瞬の輝きのような魅力があり、強く心惹かれるのかもしれません。

一瞬のタイミングなこともあり、制作数が少ないため市場では幻のような存在です。しかし、大好きなので良いものを見かけたら全て買い付けています。そもそもHERITAGEで見出したジャンルなので、他のディーラーからは手に入りません!

ロンドンにはかつてアーツ&クラフツ専門ディーラーもいましたが、市場規模が小さく、すぐに枯渇して存続できなくなったようです。私も全勢力を注ぎ込むつもりはありませんが、モダンスタイルは専門の1つにしたいと思います!♪

1-2. 日本独特の武家文化による幾何学と冴えの美

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

 この宝物のデザインは、他に見たことがないほど研ぎ澄まされた『静謐』な美を感じます。

侍の精神や魂、日本刀に宿るような類のものです。

1-2-1. 武人を兼ねたヨーロッパ貴族

 どのような人物が評価されるかは、時代や文化的な背景によって変遷します。『科学の時代』となる19世紀後期以降のイギリスは、優秀な功績を残した科学者が叙爵することもありました。古い時代は武力です。

男らしさをPRするイギリス王チャールズ1世の肖像画
イギリス王チャールズ1世(1600-1649年) イギリス王チャールズ1世(1600-1649年)

国を拡大し、さらなる領地を得て国家を富ませる武人としての能力が最も高く評価されました。だから貴族の男性の肖像画も、武人としての優秀さをアピールする図像が主流です。

ガーター騎士団メンバー
エディンバラ公爵フィリップ王配(1921-2021年)2012年、91歳
"HM The Queen and Prince Philip" ©Cafax2(16 June 2012)/Adapted/CC BY-SA 3.0
陸軍元帥イング男爵ピーター・アンソニー・イング(1935年-)2007年、72歳
"Field Marshal Sir Peter Inge KG, GCB" ©Richard Harvey(2007)/CC BY-SA 3.0

現代も君主が軍の最高司令官です。イギリス軍(British Armed Forces)は『国王/ 女王陛下の軍(His/Her Majesty's Armed Forces)』とも呼ばれ、公文書では『君主の軍(Armed Forces of the Crown)』と記載します。貴族は将校を務めます。

チャリティー・セールでのレディ・エリザベス(1900〜2002年)1915年、15歳頃

特に古い時代は率先して戦うのが当たり前という意識があり、最前線に赴くことも通常でした。

それ故に第一次世界大戦では戦死率が、庶民より貴族の兵士の方が多かったほどだそうです。クイーン・マザーも兄1人が戦死し、もう1人は負傷し捕虜となった経験があります。

第二次世界大戦でも同様だったそうで、当主のみならず嫡子も戦死した結果、家系が遠い親戚に移る事例なども結構ありました。これがイギリス貴族の弱体化や、知識や精神性の断絶などの要因にもなっています。

1-2-2. 日本独特の公家文化と武家文化の併存

清華家(公家の家格)出身の西園寺公望(1849-1940年)

 日本の貴族も軍服のイメージがありますが、それは写真が存在する近代貴族(華族)です。

1867(慶応3)年に江戸幕府が大政奉還する以前は、公家と武家で役割も分かれていました。

CC0 by Saigen Jiro 京都御所の清涼殿

公家は天皇に近侍あるいは御所に出仕し、儀式祭礼と文治により天皇に奉仕する存在でした。宮廷貴族に相当します。それに対し、武力で天皇に奉仕する幕府を武家と呼びました。軍事貴族や武家貴族に相当します。

天皇の配下
公家(宮廷貴族):儀式祭礼 武家(軍事貴族):武力
摂政・太政大臣 藤原道長(966-1028年) 伝 鎌倉幕府・初代征夷大将軍 源頼朝(1147-1199年)

武家のトップは征夷大将軍です。公家は分かりにくいですが、基本的には公家(朝廷に仕える貴族)が就く最高峰の官職として『太政大臣』がありますが、常設の原則はありません。必要に応じて天皇代理として『摂政』や『関白』があり、藤原北家の嫡流『五摂家(筆頭:近衛, 一条, 九条, 鷹司, 二条)』の最高家格のみが就任できました。皇后や側室を輩出するので、配下と言うより親戚です。

1-2-3. 日本の一般庶民が思い描く『日本文化』は主に武家文化

 庶民まで降りてきたのは主に武家文化です。戦国時代が終わり、職を失った武家が担い手でした。江戸時代に徐々に普及し、一般化していきました。今では意識されないレベルで根付いています。

【登録有形文化財】明治21年創業 伊藤屋の書院造の部屋(大正初期)【出典】伊藤屋HP ©伊藤屋

現代の和室や日本の住宅の原型になっている書院造も、室町時代から江戸時代にかけて発達した武家住宅の建築様式です。

1-2-4. 中華の影響が強く豪奢で雅な公家文化

 公家は特殊です。本やドラマなどの題材になっていたり、公開されているごくごく一部の文化財などによって分かっている気分になっている人も少なくないと思いますが、実際には未だ続いている知られざる世界です。一般公開されることはありませんし、存在すること自体が知られないようになっています。

Saigen Jiro京都御所の清涼殿 昼の御座と御帳台

幕末の頃に存在した堂上家は、約137家しかありません。ヨーロッパ貴族の中でも数の少なさと圧倒的な財力、権力によって別格扱いされるイギリスの爵位貴族(1870年代に400家)と比較しても、遥かに少ないです。大名は別です。各地に所領を持つ大名は、小国の王のような存在だったイギリスの爵位貴族に近い印象です。

堂上家は天皇のそば近くに仕える『殿上人(てんじょうびと/掛け言葉として天上人)』として、天皇が住まう京都御所の清涼殿にある『殿上間(てんじょうのま)』に昇殿する資格を持っていました。世襲制の上級貴族であり、血筋が重要です。京都御所に出仕する役目と言う意味で、ヴェルサイユに集められたフランス革命前のヴェルサイユ宮廷貴族がイメージが近いです。

関東大震災(1923/大正12年)
京橋の第一相互ビルヂング屋上から見た日本橋および神田方面の惨状

少し前までは関西は天皇と公家の上級貴族が住まう『上方』で、江戸には「下る。」ものでした。江戸には大名が参勤交代していましたが、公家ではなく武家です。家督を継げない田舎の次男や三男以降が集まる場所で、関東大震災(1923/大正12年)では火災によって焦土と化し、住人も含めて様々な事物がリセットされました。

東京大空襲(1945年5月10日)本所区(現・墨田区両国)付近
右側は隅田川、手前の丸屋根の建物は両国国技館

さらに1945年の東京大空襲は一般庶民をターゲットとし、焼夷弾を大量投下した無差別爆撃(絨毯爆撃)だったため、再び完全にリセットされています。焼夷弾はナパーム(ゲル化ガソリン)が焼夷剤です。新油性なので人体や木材に付着しても除去が困難で、水をかけても消火できません。900〜1,300度の極めて高温で燃焼し、広範囲を焼尽・破壊するため、まさに都市破壊のための攻撃でした。

住んでいた人と共に、文化や精神は途絶えます。代々続く家というのは東京にはほぼ存在しません。リセット後に住み着いた新興成金が、せいぜい3,4世代程度で代々続く家柄と認識するケースはあるようです。

戦後のメディアによるイメージのせいで、関西より東京が上のような印象を持つ人も少なくないようですが、HERITAGEまで足を運んでくださる関西のお客様と接していると、「上方はやはり文化レベルが高く、当たり前のように知的で上品な方が、ごく自然にいらっしゃるのだろうな♪」と感じることが少なくありません。

一般的な風呂敷包み
"Traditional Japanese wrapping cloth,huroshiki,katori-city,japan" ©katorisi(9 December 2007, 08:20:41)/Adapted/CC BY 3.0

神戸方面からいらして下さったお客様が、袱紗(ふくさ)を自然に使用されていたのが印象的でした。風呂敷より小ぶりで、物などを包んだり(包み袱紗)、進物の上に掛けたり(掛け袱紗)して使います。茶道具で使う帛紗(ふくさ)もありますが、今では風呂敷を使う人自体が少数派です。袱紗を持っている人はどれだけいらっしゃるでしょう。

身長も高く、モデルさんのような若い美女がごく自然に袱紗を扱っていらっしゃったので、私は感激しました!その感動を熱を込めてお伝えしましたが、ご本人は当たり前のようにしか思っていらっしゃらないので恐縮されていました。お住まいも「田舎ですので・・。」と慎み深く、まさに『育ちの良さ』を感じる経験でした♪

ワインボトルの風呂敷包み

ちなみに東京の人が全員ダメなわけでもなく、フランスをこよなく愛するお客様が、フランスでご購入された上質なシルクの大判スカーフを風呂敷として代用し、そのままプレゼントして下さったこともありました。

左は別の画像ですが、サプライズの演出と遊び心、センスの良さに感激しました。

進物文化と共に折形や水引も含めて包み方が発展し、器用さやアイデア、個性が反映されました。

真心を込める部分ですが、受け取る側にも相応の教養や器が必要です。気づかなくてもガッカリされるだけですが、気づくことができれば、言語領域を超越して心で会話することができます。

どのような方からも、私自身が学べることは多いです♪♪

『霊元天皇即位・後西天皇譲位図屏風』(狩野 永納 1663年頃)

さて、知られざる公家文化ですが、歴史的に中華帝国が文化や学術面でも先進超大国として君臨し、憧れの対象でもありました。だから公家文化のラグジュアリーを見ると、今の多くの日本人は「中国っぽい。」と感じると思います。

袞冕十二章(こんべんじゅうにしょう)
第71代天皇・後三条天皇(1034-1073年)石本秋園『大礼服着御図』(1893/明治26年)より 第121代天皇・孝明天皇(1831-1867年)の袞衣

色彩や派手さなど、まるで中国の皇帝です。古い時代だけではと思う方もいらっしゃると思いますが、江戸の最後、明治天皇の父・孝明天皇の袞衣(こんえ/こんい)も同じデザインです。十二種の文様を備えることから『袞冕十二章(こんべんじゅうにしょう)』と呼ばれます。ただのオシャレを目的とした意匠ではないため、各デザインに意味があります。右肩には餅をつく兎、左肩には八咫烏で月と太陽。背中心の最も高い位置に北斗七星があります。これも『秘密の知識』を持つ者だけが、意味を理解できます。

冕冠(べんかん)
第121代天皇・孝明天皇(1831-1867年)の冕冠
"Benkan Komei Tennol" ©Inperiak Household Agency(2020)/Adapted/CC BY 4.0
冕冠の構造(1840年)松岡辰方『冠帽図会』より

冕冠(べんかん)も中国の皇帝っぽいです。天皇だけ中華帝国っぽくて、他の皇族や側近たちが和風っぽい格好というのは変ですから、この雰囲気に倣らう出立です。

天皇の冠
幼少天皇の日形冠 女性天皇の宝冠
第114代天皇・中御門天皇の日形冠(1710年)
"Imperial Crown of Emperor Nakamikado" ©Inperiak Household Agency(1710)/CC BY 4.0
第117代天皇・後桜町天皇の宝冠(1763年)
"Hokan Go-Sakuramachi" ©Inperiak Household Agency(1763)/Adapted/CC BY 4.0

江戸時代でも公家文化はこの雰囲気でした。9歳で即位した中御門天皇の日形冠、2026(令和8)年現在の皇室史に於ける最後の女性天皇の宝冠もやはり中国文化を強く感じます。

イギリス国王ジョージ4世(1762-1830年)18-20歳頃

英国王ジョージ4世は王太子時代からブライトンの離宮ロイヤル・パビリオンをこよなく愛し、好みを反映させるためのカスタマイズにも熱心でした。

中国製の壁紙を贈られたことをきっかけに、ジョージ4世は当時流行していたシノワズリーを取り入れたスタイルにを全面改装することを決めました。

戦後は中国製のイメージが悪くなっていますが、中華帝国の時代は文化や学術面で先進超大国な上に、広大な国土と圧倒的な数を誇る人民がいましたから、英国王への献上品もかなり優れた贅沢なものだったはずです。

ロイヤルパビリオンのシノワズリーの宴会室(1826年)

改装を命じたのは、ピクチャレスクの代表的建築家ジョン・ナッシュです。多様なスタイルを取り入れる折衷主義と意外性を特徴としていたことから、インド、イスラム、中国を混合した独特なデザインのエキセントリックな宮殿になっています。日本人が見ると中国っぽさを強く感じはしませんが、ヨーロッパの王侯貴族にとっては中国文化は見たことがあり、既に文化や美術様式に取り入れた実績もある存在だったと言えます。

1-2-5. ヨーロッパ上流階級にとって目新しかった武家美術

 ヨーロッパ貴族にとって日本の宮廷文化(公家文化)は目新しく感じない一方、武家美術は祭祀系の宮廷貴族と軍事系の武家貴族が併存したことで育った日本独特のものでした。

武家美術とコラボ&インスピレーション作品
『蓮池と蛙』ウォルターズ美術館
"Japanese - Tsuba with a Frog in a Lotus Pond- Walters 51177 " ©Walters Art Museum/Adapted/CC BY-SA 3.0
夜桜を舞う梟の赤銅ロケット・ペンダント『夜桜を舞う梟』
赤銅 両面ロケット
日英合作 1870年頃
¥3,800,000-(税込10%)
甲冑師スタイルの鐔(日本 16世紀) The Metropolitan Museum of Art アールデコ 天然真珠 リング アンティークジュエリー『影透』
アールデコ天然真珠リング
イギリス 1920年頃
SOLD

世界中の物事を把握していたヨーロッパ貴族にとっても、他に類を見ない目新しいものでした。だからこそ知的好奇心を大いにくすぐり、様式や技法を含めて知的階層を夢中にさせたのです。さらに輸出された"モノ"の状態でなく、上流階級やエリートが開国によって直接本物の侍たちと接触できるようになったことも大きいです。

攘夷派志士がイギリス公使館を襲撃した『第一次東禅寺事件』(チャールズ・ワーグマン 1861年)
イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1861年10月12日号

『強い』の定義は古今東西で異なりますし、自身の常識の中でしか想像したり測れません。素手で蹄鉄を曲げて怪力自慢していた『鉄腕王』もザクセンにいましたが、侍は想像の斜め上を行く別格でした。幕末の日本では結構な数の外国人が襲撃され、殺害されています。基本的にピストルでは敵わず、狙われたら終わりなのでとにかく侍を刺激しないようにと注意喚起されていたそうです。戦う前から敗北確定と言うのは、尋常ではありません。

天照大神の子/神武天皇の高祖父・天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト) 合気道開祖/正五位/勲三等瑞宝章・植芝盛平(1883-1969年)1939年、55歳頃

平和が続いた江戸時代ですが、侍の精神を受け継ぐ一部の者たちは平和ボケに甘んじませんでした。武術は、とにかく生き残る『戦の時代』とは別の発達を遂げました。他者と戦うのでなく「己を律する。自分自身に打ち克つ。自身の内にある限界を超える。」と言う、「まさかつあがつ(正勝吾勝・正哉吾勝)」の精神です。合気道の開祖・植芝盛平が好んだ言葉でもあり、「自分に勝つ」と言う精神を表すとされます。 リミッターを自己制御で外せるようになった者だけが到達可能な領域があり、人智や人の常識を超越した神技が使えるようになります。

他者から評価されなければ自信と誇りを持てない段階は、まだ『自分自身』というものがなく精神が幼いと言えます。虚飾を重ね、他者の威光を笠に着て自己を主張し、マウンティングやドヤらないと気が済まない人は幼いのです。武家は自己を律し我慢しながら見栄を張ることはあっても、見境なく自慢することは下品として嫌います。江戸時代や現代社会など殆どの人が平和ボケした時代に於いては茨の道ですが、自身を制御できる人はそれだけ輝きと存在感が増します。

内なる方向へと研ぎ澄まされた美
ゴールド プラチナ
鐔(正阿弥伝兵衛 17世紀後期-18世期初期)
 The Metropolitan Museum of Art
ゴールドのラティスワークが美しい天然真珠&サファイア&ダイヤモンド・ペンダントラティスワーク ペンダント
オーストリア 1900年頃
SOLD
天然真珠&プラチナの透かし細工が美しいアールデコのペンダント&ブローチアールデコ 天然真珠ペンダント&ブローチ
イギリス 1920年頃
SOLD

極限まで抑制された、『内面から来る美』を鋭く察知できる人は上流階級の中でも限られています。それでも分かる人を強く魅了し、その『研ぎ澄まされた美』の表現はヨーロッパの美術様式やアンティークジュエリーに取り込まれ、融合・昇華していきました。

 "Tsuba Asian Art Museum SF" ©BrokenSphere / Wikimedia Commons(26 August 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0

虚栄心に支配されず己を律することと、美や美の表現に無頓着なこととは違います。在りのまま自分らしく美しく生きることと、外見に無頓着になり小汚くだらしなく生きることは全く異なります。惑わされず芯(真)を持って自然体で生きることは大事ですが、生きている限りより高みに到達しようと、背伸びを努力することも重要です。身支度は礼を尽くす行為でもあります。無頓着は会う人に無礼でもあります。

機能性さえあれば良いというのは、心の貧しさを反映した発想です。死装束に美意識を行き渡らせるのは当然であり、人間は若かろうがどの年代でもいつ死ぬか分からぬ存在であり、日常の全てがかけがえのないものです。

「いつか云々。」は、いつまでも生きていられるという思い込みがあるからこそできる発想であり、このような人は何歳まで生きようとも結局何事も成し遂げられません。永遠の命を持つと時間の制約が消失し、「今やらなければならない!」という焦りや危機感の原動力がなくなって何も生み出せなくなり、変化もしなくなる『社会や個人の停滞・機能停止』に準ずる状態です。現状では実際には死んでしまうからこそ、救いようがありません。

持ち主の個性が反映された多様な鐔の表現
鐔(江戸時代 1698年)
The Metropolitan Museum of Art
鐔(江戸 19世紀初期-中期)
【引用】Museum of Fine Arts Boston / Tsuba with design of moon and clouds ©Museum of Fine Arts, Boston
七宝の鐔(江戸時代 1615-1868年)The Metropolitan Museum of Art 葉の鐔(鷲田光中 1830-1889年) The Metropolitan Museum of Art

ヨーロッパ王侯貴族の形代としてアンティークジュエリーが発展した一方、侍の精神や魂とも言われる日本刀の鐔には、持ち主の美意識と個性が如実に反映されています。『自分自身』でもありますから手を抜くことはなく、とにかく良いものを追求します。

時代を切り開く王侯貴族の最先端デザインのジャポニズム・リング
アングロ・ジャパニーズ・スタイル(1851年頃〜1910年代) アールデコ
ヴィクトリアンのエメラルド&天然真珠の彫金リング『EQUILIBRIUM』
エメラルド&天然真珠 リング
イギリス 1860年頃
¥1,500,000-(税込10%)
レイトヴィクトリアン・クラスターリング アンティークジュエリー『ヴィクトリアン・デコ』
宝石のクラスター・リング
バーミンガム 1876-1877年
SOLD
ペルシャ産トルコ石&天然真珠のアングロ・ジャパニーズ・スタイルの幾何学リング
『英国貴族の憧れ』
天然真珠&トルコ石 リング
バーミンガム 1876-1877年
SOLD
格子のようなアールデコ・ジャポニズムのサファイア・リング
ジャポニスム サファイヤ&ダイヤモンド リング
フランス 1920-1930年頃
SOLD

優れた王侯貴族のためのアンティークジュエリーにも共通しています。このような形代に安さを求めるのは自分自身を安く評価し、貶める行為と同等なのです。負のスパイラルに直結します。だからそのような人と物はいつまでも心が満たされず、餓鬼道に堕ちたように物に満たされても心の乾きが癒えることがありません。維持するだけで大変な世の中ですから、頑張って少しくらい背伸びしないと進化なんて到底できません。

帝国尚武会道場で土佐藩に伝わっていた居合術
土佐派正伝居合術を演武する政治家・細川義昌(武士道之日本 第五巻・第九号 1913/大正2年)

『居合術(居合・抜刀術)』は日本の武道・武術の中でも、最も日本的なものともされます。数世代を超え、265年間も江戸時代が続きました。『平和』が当たり前という意識が根付くに十分すぎる時間ですが、何を原動力に侍は凄まじいい自己鍛錬を続けたのでしょう。精神力が尋常ではありません。

侍の日本刀を『ハンマーのような剃刀』と表現したフランス人もいたそうです。細くスタイリッシュな外見とは裏腹に、実際にはまともに振ることも困難なほど重量があり、言い得て妙です。演武を披露する細川義昌は自由民権運動家で衆議院議員(1期)でした。自由党党首の板垣退助や福沢諭吉も、居合術に秀でた人物として有名だったそうです。

日本の慣習を知らない外国人が侍に"無礼"を働いた結果、突然ブチギレて反撃不可能なスピードで斬撃してくる恐怖がありました。ピストルを構えていたのに、発射前に斬られたという事件もあるそうです。

アメリカで最も有名な1804年7月11日の
副大統領アーロン・バーと政治的対立者アレクサンダー・ハミルトンの決闘

欧米では決闘で依然として剣で行われることはあっても、既にピストルが主流の時代に移行していました。剣術が単純で追求しなかったのか、"道具の性能次第"でしかありません。道具に頼るようになると、人間としての力は退化するのが常です。

そもそもピストルは1発で仕留める武器ではありません。1発で仕留めるなら急所に当てる必要がありますが、狙いを付けている間に侍の斬撃が来ます。本来は威嚇効果がありますが、死を恐れぬ侍はピストルに恐怖を抱くどころか、視界に入っていないのかと思うほど勇猛果敢に飛び込んでくるそうです。「ピストルは無いよりはあった方がマシだけど、そもそも相手を刺激してはいけない。」とされました。

欧米で上流階級に通用する日本文化を披露した川上夫妻
川上貞奴と音二郎(1903-1911年頃) 『十八番の内十五 不破 五代目市川海老蔵の不破伴衛門と八代目市川團十郎の名古屋山三』(歌川国貞 1852年)ボストン美術館

「ちょーヤベー奴」的な恐怖の対象でしかない一方で、欧米ではとうに失われてしまった侍の身体能力と精神性は、当然のように強い憧れの対象にもなりました。1899年からの川上劇団の欧米公演ツアーでは、『鞘当』も上演されました。乱暴者・不破伴衛門を音二郎、モテる優男・名古屋山三と吉原の遊女・葛城大夫を貞奴が演じました。貞奴は天女の舞ができる一方で、剣の演技も得意だったそうです。プロの馬術レースに参戦した経験もあるくらいですからさもありなん、観客たちは日本刀を使った迫真の演武や、遊女の美しい天女の舞に大興奮だったそうです。

日本の武具(1892-1895年)

武家美術が西洋美術に影響を与えた背景として、武士の失業や1876(明治9)年の廃刀令も大きかったと言えます。昔から武士は貧乏、商人は金持ちという構造でした。日本の商売人は特に、世界から非難を浴びるほど汚い商道徳が特徴でした。

失業した武士が商売を始めるケースは多かったものの、醜い生き方するくらいなら死んだ方がマシと言うのが武士です。愚直かつプライドが高すぎる『武士の商法』は手練れの商売人に勝てるわけもなく、明治以降は困窮する旧武士階級が続出しました。どれだけ困窮しても商人のようにはなりたくなかったわけですが、足元を見られ、プライドの高さを上手く利用され、二束三文で買い叩かれた武士の持ち物が海外に大量に売り捌かれ、ヨーロッパの文化や美術様式に大きく影響を与えることとなりました。

大正天皇の即位の礼で披露された『五節舞』(1914/大正4年)

公家は絶対数が少ない上に、武士のように困窮して家財放出という現象は起きていません。日本人であっても一般庶民は知らざる世界です。どのような儀式があり、それぞれに意味があるのか、知っているようで実は知らない世界なのです。

家紋入りの衣服や美術工芸品
毛利家12代当主・毛利元就(1497-1571年) 徳川氏の三つ葉葵紋が描かれた瓢箪型の蒔絵酒器(江戸時代 18世紀)メトロポリタン美術館

武士に限らず、日本は紋が多用されました。室町時代(1336-1573年)には商人が店の看板に紋を入れ、それが家紋となった例があります。庶民も江戸時代(1603-1868年)には家紋を使うようになりました。江戸時代は厳格な身分制度の中で、庶民が苗字を持つことは許されなかった一方、家紋の使用は許されました。商家や農民、町人などが自身の『家』を識別する目印として、家紋を広く使用するようになりました。

一般庶民の場合はオシャレや好みでデザインすることもあったでしょうけれど、秘密の知識を持つ者にとっては見ただけで様々な情報が得られます。毛利家のように、オリオン座の三つ星を意匠化した家紋もあります。衣服だけでなく風呂敷や器などの日用品であったり、箪笥などの様々な調度品、暖簾、甲冑や美術工芸品に至るまで家紋がデザインされました。

ヨーロッパ美術様式に影響を与えた『紋』
柴田剛中(着席)他、天正遣欧使節一行(1862年) 建築家/デザイナーのトーマス・ジキルが使用していた作品のサイン。日本の紋と落款印がインスピレーションの元となっているようです(1881年以前)

貴族しか家紋を持たないのが当たり前だったヨーロッパにとって、『紋』は高貴さや高級感に加えて、憧れの『侍』をイメージするものでもありました。家紋の種類は最低でも5,116種類あり、他にも失われた紋や無名の紋が存在することが知られています。その多様な『Mon』は熱心に研究され、ヨーロッパの新たなデザインに組み込まれて流行し、浸透していきました。

2代目ジョルジュ・ヴィトンが考案したルイ・ヴィトン社のモノグラム(1896年発表) ©Louis Vuitton

ルイ・ヴィトンのモノグラムも家紋にインスピレーションを受けて制作されたことは有名ですね。

プラトン時代のアカデミアを描いたモザイク(古代ローマ 1世紀)

紀元前5世紀のアテナイ黄金時代の哲学者で王家の末裔プラトンが開設したアカデミアは特に幾何学を重視し、学園入口の門には「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」との額が掲げていたそうです。

算術、幾何学、天文学等を学び、一定の予備的訓練を経てから理想的な統治者が受けるべき哲学を教授していました。

江戸時代の日本では折り紙は子供の遊びのようなもので、高度な算術や幾何学、天文学が発達した算数大国でした。

【引用】紀伊國屋書店HP/誰でもできるコンパスと定規で描く「紋」UWAEMON © KINOKUNIYA COMPANY LTD./波戸場 承龍/波戸場 耀次【著・デザイン】 菱形を意匠化した家紋
【引用】播磨屋.com / World of KAMON / 家紋の数と姓氏の数/Adapted

『紋』はコンパスと定規で描かれる高度な幾何学模様であり、秘密の知識としての調和と秩序ある宇宙『コスモス』の概念も反映されています。

秘密の知識を共有する者に国境はなく、古今東西つながっています。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

いくつもの複合要因が重なり合い、最後のピースだった日本が組み込まれ、最終的な集約形態として『モダンスタイル』が出来上がりました。

武家文化を色濃く反映し、日本人が得意とした幾何学と繊細な感性も装備しています。単なる融合にとどまらず昇華した完成形であるからこそ、当時のヨーロッパ人にとっても日本人にとっても目新しく未来的に感じられるのです。

『インターナショナル』や、コスモスを語源とした『コスモポリタン(国際人/世界を股にかけた人/国境や民族の区別を超越して活躍する世界市民/地球市民)』などの名称もしっくり来る雰囲気です♪♪

1-3. オール・フラットラインのセンス抜群のデザイン

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

 モダンスタイルはフラットラインを組み込んだデザインが特徴です。但し、この宝物のフラットラインの使い方は独特です。

全てフラットラインで構成したセンスの良いデザインは、初めて見るほど珍しいです!!

1-3-1. 方向性が異なる2種類の『線の美』

 『線』はジュエリーのデザインに於いて、重要な構成要素です。但し、主役として選ばれるようになったのは日本美術の影響によって、ヨーロッパ王侯貴族が『線の美』に気づいた19世紀後半以降です。技法としては『ナイフエッジ』と『フラットライン』があります。

ナイフエッジ フラットライン
オーストラリア産オパール&ダイヤモンドのロング・ネックレス『L'eau』
オパール ロング・ネックレス
イギリス 1900年頃
¥3,300,000-(税込10%)
サファイヤ ネックレス アンティークジュエリー モダンスタイルの非加熱サファイア・ネックレス
『草花のメロディ』
サファイア&天然真珠 ネックレス
イギリス 1900年頃
SOLD

ナイフエッジは極限まで存在感を消すことで繊細な雰囲気を醸し出したり、宝石など他の部位を際立たせたり、宝石が宙に浮いて見える視覚効果などがあります。一方、フラットラインは『線』を強調する方向性です。線に程よく幅を持たせた上で、平坦に磨き上げることで一瞬だけ線全体がピカリと光り輝き、そのフォルムが強く印象に残ります。

1-3-2. 昔から存在したナイフエッジ

ジョージアン ダイヤモンド ブローチ アンティーク・ジュエリー『ダイヤモンド・アート』
ジョージアン ダイヤモンド ブローチ
イギリス 1830年頃
SOLD

 ナイフエッジの技法そのものは昔から存在しました。但し、名脇役としての使われ方に限定されます。

植物の茎の表現によく見られます。主役の花や宝石が際立ちます♪

スズラン ブローチ アンティークジュエリー 『Lily of the valley』
スズラン ブローチ
イギリス 1880年頃
SOLD
裏

後世まで、王侯貴族のための最高級品には定番で使用されました。

1-3-3. 主役級となったナイフエッジ

 日本美術の影響が現れ始めると、ナイフエッジを主役級として意識したデザインが登場します。名脇役の時は敢えて意識には入らない設計でしたが、こちらは"極限まで細い線"が強い印象を与えます。

ナイフエッジが主役級のナイフエッジ
シトリン ブローチ&ペンダント アンティーク・ジュエリー『社交界の花』
シトリン ブローチ&ペンダント
イギリス 1870年頃
SOLD
ピンクトルマリン&天然真珠のナイフエッジのネックレス『PURE LOVE』
ピンク・トルマリン&天然真珠 ネックレス
イギリス 1900年頃
SOLD
ペリドット ネグリジェ・ネックレス アンティークジュエリー『シンプルイズベスト』
ペリドット ネックレス
イギリス 1910年頃
SOLD

そうは言っても、さすがにナイフエッジだけでは王侯貴族のラグジュアリーなジュエリーとして成立するのは困難です。2大主役的に、美しい上質な宝石もセットでデザインするのが通常です。モノにしか意識が行かない成金に「お高そう!」と思わせる効果がある一方、上流階級に対しては作りの良さを背景にした高度な技術と手間、それに伴う多大なるコストによって高価なことを示すと共に、美意識とセンスも伝えることができます。一石二鳥の優れものですね。

1-3-4. モダンスタイルにしか見られない『フラットライン』

 ナイフエッジはあくまでも既存技術の応用です。『意識革命』と言う意味で画期的でしたが、フラットラインはより画期的でした。それ以前にはなかったからです。

【参考】ウィロー・ティールームズ(マッキントッシュ設計 1903年) 大橋屋(愛知 1715年建築)
"Oohashiya Inn, in Toyokawa(2012.08.13)2" ©Lombroso(13 August 2012, 09:43:10)/Adapted/CC BY-SA 3.0

グラスゴーの『ウィロー・ティールームズ』は、マッキントッシュ夫妻の代表作の1つです。右は愛知県豊川市にあった旅籠『大橋屋』で、旧東海道五十三次の宿場町のうちで最後の旅籠でした。2015年に営業を終了していますが、1715年に建築された建物は江戸時代の東海道の宿の佇まいを今に伝えてくれるものです。線と空間のデザインが特徴的で、マッキントッシュのデザインも明らかにこの日本の建築様式が意識されています。

PD大橋屋(愛知 1649年創立、1715年建築)

光によって雰囲気が変化するのも魅力的ですね。どのようなタイミングで見ても美しく、一期一会の景色です♪

法師温泉(群馬 1895年建築)
 "Hoshi no yu 05" ©C.K. Tse(15 November 2009, 01:41)/Adapted/CC BY-SA 2.0

温泉施設も風情があります。窓の格子は、機能性だけならばこれほどたくさんの線は不要です。掃除のしやすさを考えれば、むしろ大変になるくらいです。細い線と間(ま)を意識してデザインした装飾はさりげないものですが、分かる人にとっては心の豊かさと贅沢さを強く感じさせます。それでいて強く自己主張してくるわけではないため、見る者を疲れさせることがありません。在るのは心の安らぎです。

日本の書院造の民家
 "Takagike Kashihara JPN 001" ©ignis(5/Nov./2006)/Adapted/GFDL,CC BY-SA 2.5,2.0,1.0

幾何学表現は一見すると単純そうにも感じられますが、バリエーションは無限大です。宮廷貴族ほどの財力がなくても、センス次第で空間を美しく彩り、心の豊かさを楽しむことができます。

ウィロー・ティールームズの『豪奢の間』再現(マッキントッシュのデザイン 1903年)
"Room de Luxe" ©Dave souza(10 March 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5

モデルルームを兼ねたマッキントッシュ夫妻の自宅も洗練された空間で、知人の1人は「家はいつも綺麗で暖炉には火が入り、上品なお菓子と美味しい紅茶を振舞ってくれた。」と居心地の良さを語っています。モノを通して『心』を感じ取れる2人だったからこそ、日本美術の独特の『間(ま)』を使った空間表現や、その贅沢さと魅力を理解して新たな創作につなげることができたのでしょう。

『線』をデザインすること。一度『意識化』に顕現すれば簡単なことに感じられますが、誰にでもできることではありません。『無意識』やゼロだった所から生み出すのは天才だけができることです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

とにかく気配を消すという方向ではなく、線そのものの美しさを意識的に表現するという『線の美』の概念が顕現したことで、王侯貴族の最先端のジュエリーにもフラットラインの表現が生まれたのです。

1-3-5. 理解が難しい『フラットライン』の魅力

 『モダンスタイル』のジャンルと共に、『フラットライン』の技法を見出したのもHERITAGEです。膨大なデータから規則性を発見し、新たに『定義』するのは理系が得意とすることです。大学やサラリーマン時代と研究分野は違いますが、探求と開拓によって新たな知を得られることが私にとっての最高の報酬です♪(笑)

プラチナの光輪が印象的な天然真珠の3連ピアス プラチナの光輪が印象的な天然真珠の3連ピアス プラチナの光輪が印象的な天然真珠の3連ピアス プラチナの光輪が印象的な天然真珠の3連ピアス プラチナの光輪が印象的な天然真珠の3連ピアス プラチナの光輪が印象的な天然真珠の3連ピアス

固定した環境で鑑賞する絵画や彫像と異なり、ジュエリーは身につけるアートです。見る環境もその時によって変化しますし、着用者に合わせた動きも加わります。だから光や角度を勘案した高度な設計デザインが必要となります。フラットラインは置物的に見た時の単なる立体デザインではなく、光をデザインする時間変化の要素が強いです。高純度のプラチナは黒っぽい性質がありますが、滑らかに仕上げた平坦なプラチナが全反射すると強烈な白い輝きとなります。

皆既日食 金環日食
トルコ 2006.3.29
 "EclipseMarch06" ©Aliparsat(29 March 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0
プラチナの光輪が印象的な天然真珠の3連ピアス 茨城県鹿嶋市 2012.5.21
 "Solar-Syste" ©Beinahegut(2018年5月29日)/Adapted/CC BY-SA 4.0
プラチナの光輪が印象的な天然真珠の3連ピアス

ハレーションが起きた瞬間はもちろん、右のように暗闇でプラチナのフラットラインだけが強烈に輝く瞬間も強く印象に訴えかけてきます。宝石も息をひそめる静謐な空間で、フォルムだけがドーンと視界に無言で飛び込んできます。角度が合った一瞬だけの閃光なので、通常時にギラついた雰囲気はありません。『静と動』の対比が大きいからこそ、強く心に残ります。

フラットラインを駆使した『光のデザイン』
エドワーディアンのオールドヨーロピアンカット&ローズカット・ダイヤモンドのフラワー・ピアス『新時代の花』
モダンスタイル ダイヤモンド ピアス
イギリス 1910年頃
SOLD
エドワーディアンのオールドヨーロピアンカット&ローズカット・ダイヤモンドのフラワー・ピアス エドワーディアンのオールドヨーロピアンカット&ローズカット・ダイヤモンドのフラワー・ピアス

この宝物も実に見事な設計で、透かしデザイン自体が環境によって印象を大きく変化させます。通常時のフラットラインはこの美しいデザインと一体化し、埋もれていて特別に意識されることはありません。しかし、一瞬の存在感が物凄いです。

もともとアンティークジュエリーの美しさは、立体(3次元)を平面(2次元)で表現する画像や動画でお伝えしきれません。フラットラインがデザインされたモダンスタイルのジュエリーは、さらにHPでは魅力を十分にお伝えすることがその性質上、極めて困難なのです。

所有し、手元で眺めたり使ったりしなければアンティークジュエリーを真に理解することはできない所以です。知識だけで理解している気になる人も存在するようです。グルメ情報を読んだだけで料理の味やお店を理解している気になっていたり、旅行本を読んだだけで現地のことを理解していると思い込むのと同じです。話の内容が浅いので、表面的にしか理解していないことはすぐに察知されます。振る舞いや行動パターンなど、細部にも現れます。自覚していれば良いですが、深く理解していると思い込むのはダニング=クルーガー効果的でカッコ悪く感じます。頭デッカチはどのジャンルにも存在し、しかも自覚がありません。だからこそ改善されることもありません。自覚というのは想像より難しく、「人のふり見て我がふり直せ。」、そのような方との出会いも反面教師として感謝しています。他人は自分を映す、『よく見える鏡』です。

エドワーディアン 天然真珠&ダイヤモンド ペンダント アンティーク 『ストライプ』
エドワーディアン 天然真珠&ダイヤモンド ペンダント
イギリス 1910年頃
SOLD
エドワーディアン 天然真珠&ダイヤモンド ペンダント アンティーク

万人には分からぬアンティークジュエリーの魅力ですが、モダンスタイルはさらに最難関の1つです。理解できる方は極少数に限られますが、ハイエンドの美的感性と想像力、心を繊細に察知できる特別な才能を持っていらっしゃるのだろうと毎回どの方からも感じます。♪

1-3-6. 日本美術にインスピレーションを受けた表現手法

 発明者が不明で確認のしようがない『フラットライン』の技法ですが、やはり日本美術がインスピレーションの元となった可能性が高いです。

【重要文化財】黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用(桃山 16世紀)仙台市博物館 【引用】平成28年度 文化庁「日本遺産」認定 政宗が育んだ"伊達"な文化 / 1 黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用 ©「" 伊達"な文化」魅力発信推進事業実行委員会 /Adapted.

日本のオシャレな侍と言えば、『伊達者』の言葉もある伊達政宗です。

その伊達政宗自身の美意識が反映された、重厚かつ華麗な所用の具足は『伊達文化』を代表する美しいものと評価されています。

黒漆の鎧に、金色に輝く兜『宗久』の細い三日月形の前立が見事で、400年以上経った今でも私たちを魅了する普遍の美しさを放っています。

伊達政宗と言えば、兜のこの黄金の三日月を想像する方も多いと思います。

サファイヤ ネックレス アンティークジュエリーサファイヤ ネックレス アンティークジュエリー
『草花のメロディ』
サファイア&天然真珠 ネックレス
イギリス 1900年頃
SOLD
黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用(桃山 16世紀)
【引用】平成28年度 文化庁「日本遺産」認定 政宗が育んだ"伊達"な文化 / 1 黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用 ©「" 伊達"な文化」魅力発信推進事業実行委員会 /Adapted.

立体的なフォルムにすることも可能ですが、伊達政宗の黄金の細い三日月は平坦なフォルムです。意図的な設計です。

フラットだからこそ、角度が合った際にだけこの三日月型の光がバーンと反射します。緩やかでも角度があると、一部が滑らかに輝くのみです。フラットな反射はオンかオフしかない一方で、輝く際には減光せず100%の強烈な光となります。三日月型の光は、個人を識別できないほどの遠くからでも確認することができたでしょう。暗い夜でも、僅かな月の光や松明の焔で十分に輝いたはずです。戦場でも「ここに政宗あり!!」と主張するに十分な存在感があり、さらに敵や周囲の侍たちが憧れを抱くカッコ良さあったでしょう。

アクアマリン ネックレス アンティークジュエリー『Samurai Art』
モダンスタイル アクアマリン&天然真珠 ネックレス
イギリス 1900-1910年頃
SOLD

"カッコよさ"は世界共通です。

同じような視覚効果を、ヨーロッパで小さな宝物に再現したのが『フラットライン』です。

『ALL WHITE』
エドワーディアン オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド ピアス
イギリス 1910年頃
SOLD

1900年前後という『モダンスタイル』の登場は絶妙なタイミングでした。

ちょうど最高級の金属がゴールドからプラチナに移行する時期と重なり、前期のモダンスタイルはゴールドでデザインされたことに対し、後期はエドワーディアンの特徴であるプラチナにゴールドバックの作りになっています。

【国宝】太刀 銘備前国包平作(名物大包平)(平安時代 12世紀)
"大包平, Okanehira " ©SLIMHANNYA(30 June 2020, 16:03:47)/Adapted/CC BY-SA 4.0

磨き上げた日本刀の煌めきを、フラットラインで再現するに相応しい素材が登場したというわけです♪

静と動。暗闇の静謐の中に放たれる閃光。日本刀のフォルムだからこその美。
侍の精神を反映した、宮廷の『雅(みやび)』とは正反対の美の表現。
武士文化独特の冴え渡る極限の美しさ。死地で耐えず生と死の境界を実感する者だけが到達できる領域。

『墓堀りの死』(カルロス・シュヴァーベ 1866-1926年) エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

私はゴールドとプラチナの両方とも好きですが、プラチナのフラットラインは死の淵を見下ろすような、ゾッとするような美しさも感じます。

死と生、死と美は関連します。温かみのあるゴールドは陽光、シルバーやプラチナは白い月光を想わせます。死神の鎌と三日月も関連します。伊達政宗のような細い三日月をイメージしますが、死神の鎌はシルバーやプラチナの白い三日月がフィットします。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

ゴールドからプラチナへと移り変わる絶妙なタイミングだったからこそ、プラチナとゴールドという陰陽を両方楽しむことができます。さらにプラチナの場合、エドワーディアンならではのゴールドバックの作りも魅力です。時代ごとに最高級の金属は決まっており、モダンスタイル・ジュエリーのような状況はかなり特殊です。プラチナとゴールドに優劣はなく、ちょっとしたタイミングの違いで最高級の金属が切り替わっているだけです。時代を反映しているのもアンティークジュエリーの最高級品の魅力の1つですね♪

1-3-7. デザインのコンテストのようなモダンスタイル・ジュエリー

 モダンスタイル・ジュエリーは必ずフラットラインをデザインしているわけではありません。データ数が足りず『モダンスタイル』というジャンルを認識していなかった頃のご紹介品も含め、フラットラインを使っているものだけ並べました。認識できるようになると、しっかりジャンルとして存在することも分かります。ちなみにこれは徹底して最高級品のみをお取り扱いしているHERITAGEだからこそ可能です。他のディーラーにこのような学術レベルを求めてはいけません(笑)

エドワーディアンのオールドヨーロピアンカット&ローズカット・ダイヤモンドのフラワー・ピアス コーネリアン イヤリング アンティーク プラチナの光輪が印象的な天然真珠の3連ピアスプラチナの光輪が印象的な天然真珠の3連ピアス
エドワーディアンの雫型の天然真珠&ダイヤモンドの最高級ピアス
エドワーディアン 天然真珠 ネックレス アンティークジュエリー メアンダー模様のアールデコのダイヤモンド・ネックレス エドワーディアン アクアマリン バーブローチ アンティーク・ジュエリー
万華鏡のような虹色のオーストラリア産オパールのアンティークの扇ブローチ 天然真珠 アールデコ メアンダー模様 リング アンティークジュエリー ダイヤモンド
虹色の遊色を見せる天然オパールのバーブローチ アンティークジュエリー
エドワーディアンのアクアマリン&天然真珠のペンダント アンティーク・ジュエリー エドワーディアンの揺れるタイプの上品なダイヤモンド・ピアス ピンクトルマリン ペンダント アンティークジュエリー エドワーディアンの天然真珠&ダイヤモンドのストライプ・デザインのペンダント アクアマリン・ピアス アンティーク・ジュエリー
サファイヤ ネックレス アンティークジュエリー 親鳥から蛇が卵を奪う野生を表現したイギリスのアーツ&クラフツのゴールドペンダント アクアマリン ネックレス アンティークジュエリー アクアマリン ネックレス アンティークジュエリー アンフォラ型 ペンダント アンティークジュエリー

バーブローチは最も一般的です。『輪っか』も割合としては多めです。二重環や菱形、直線や弧など比較的シンプルな形状を含め、主役より名脇役としてデザインされます。

1-3-7. 主役級としてデザインされた複雑なフラットライン

 名脇役としてデザインされたシンプルなフラットラインに対し、主役級としてデザインされたフラットラインはデザインが複雑かつオリジナリティが高いです。抜き出して並べてみます。

オリジナル系

 オリジナル・デザインのフラットラインを集めました。なぜか全てゴールドでした。角度が合うとフラットライン全体が面反射するため、主役のデザインそのものが光り輝く姿になり際立ちます。

サファイヤ ネックレス アンティークジュエリー ピンクトルマリン ペンダント アンティークジュエリー アクアマリン・ピアス アンティーク・ジュエリー アンフォラ型 ペンダント アンティークジュエリー アクアマリン ネックレス アンティークジュエリー

一番右は例外で、上部フラットラインのパーツに僅かな凸状の曲率を付けて造形しています。滑らかに面反射が移動するので、しなやかに移動させた日本刀の輝きのようになります。

この中で、一番良さが分かりにくいのは中央のピアスです。雫型は一見シンプルですが、雫型も奥が深いです。細長すぎると間延びする一方、横太だとボテっとして野暮ったくなります。透かしデザインですが、幅も一定ではありません。良い塩梅に太さを変化させています。上部に行くにつれて細くしており、雫型のスタイリッシュな雰囲気をさらに強調しています。これだけの視覚効果をデザインするために、天才が一体どれだけ頭を絞り、試作を繰り返したでしょう。頑張った痕跡が物質としては見えにくいので、最も理解難易度が高いジャンルです。

定番のメアンダー模様

 『メアンダー模様』をフラットラインで表現した宝物もあります。西洋美術の原点とされる古代ギリシャをイメージさせる、高尚かつ知的な定番デザインとして上流階級に長く愛された伝統紋様です。『ギリシャ雷紋』とも呼ばれます。

メアンダー模様のアールデコのダイヤモンド・ネックレス 天然真珠 アールデコ メアンダー模様 リング アンティークジュエリー ダイヤモンド

蛇行するメアンドロス川の永遠の流れと水の循環を表す縁起柄です。
陰陽の対となった所謂『ラーメン模様』とは似て非なるものです。分かる人には全く違って見えているので、間違えないようにしましょう。

オール・プラチナなので1920年代の前期アールデコと推定していますが、エドワーディアンの最高級品の可能性も十分にあります。

プラチナの供給量が十分でなかった最初期、第一次世界大戦で最重要戦略物資として使用制限があった時期を除く僅かな時期に、エドワーディアンでもお金さえ出せばオール・プラチナで作ることは可能でした。

定番模様ですが、あしらい方に持ち主や作者のセンスが光ります♪

メアンダー模様 ペンダント アンティーク・ジュエリー ギリシャ雷文 ジョージアン ゴールド『優雅な羽の小箱』
ゴールド ロケット・ペンダント
イギリス 1820年頃
SOLD

ちなみに日本美術に影響を受けていない時代に、同様の発想で制作された宝物が存在します。

神は雷(神鳴り)と共に降りてくるとも言われます。黄金に輝くメアンダー模様(ギリシャ雷紋)の閃光は、まさに神の降臨を彷彿とさせる神々しさがあります。

黄金の中にメアンダー模様がピカっと輝く姿は独特です。透かしデザインと合わせるモダンスタイルのフラットラインとは異なる、豪華な美しさがあります。隙間なくデザインと細工で埋め尽くすことがラグジュアリーとされた、西洋美術らしいデザインです♪♪

ジョージアン ゴールド ロケット・ペンダント  光学顕微鏡の拡大画像→

メアンダー模様は高さを出した上でフラットに磨き上げ、一方で背景はマットゴールドにして光の反射を抑えています。明らかに計算して設計し、それに準じた高度な細工がなされています。発想がまさに天才です!独自に思いつける人がいたわけですね。ジュエリーを身につける上流階級の絶対数自体が極めて限定されていたジョージアンだからこそ、『技法』の1つとして普及することはなかったのかもしれません。

1-3-8. メタルデザインがプラチナのフラットラインだけという唯一無二性

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

 ありそうでないのが、プラチナによる複雑なフラットデザインだけで造形された、ある程度のサイズがある宝物です。

ない理由は簡単です。全てを同じ高さ(ツラ位置)でデザインすると、ペラさに伴うチープ感が出るからです。

美しい立体造形こそが、アンティークジュエリーの高級感の最大とも言える『肝』です。

1 2 3 4
バチカン等で変化を付加 ナイフエッジと組み合わせ
ピンクトルマリン ペンダント アンティークジュエリー モダンスタイルの非加熱サファイア・ネックレス アンフォラ型 ペンダント アンティークジュエリー アクアマリン ネックレス アンティークジュエリー

1は広範囲がフラットラインです。バチカンと、メインストーンのピンクトルマリンを吊り下げたゴールドのパーツを立体的にデザインし、変化を付けることで高級品の証明と高級感を出しています。

2〜4は立体感のある宝石と、ナイフエッジとの組み合わせによって立体デザインとして変化を付けています。

アクアマリン ネックレス アンティークジュエリー

特に4は最高級ペンダントとしてはある程度の大きさがあるため、組紐のような複雑な立体交差をデザインした上で、緩やかな湾曲まで付けています。そこまでしないと、狙い通りの高級な佇まいに到達しなかったのでしょう。

エドワーディアンのアクアマリン&天然真珠のペンダント アンティーク・ジュエリーエドワーディアンのアクアマリン&天然真珠のペンダント アンティーク・ジュエリー
アクアマリン&天然真珠 ペンダント
イギリス 1910年頃
SOLD
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

ちなみに多重円と菱形という幾何学としてはシンプルな組み合わせなので、オリジナリティが強いデザインに挙げませんでしたが、左もフラットラインを使ったモダンスタイルです。これもナイフエッジを組み合わせて変化を付けています。今回はフラットライン単体という方向に突き抜けており、その唯一無二性が示す通り、孤高の道を歩む宝物なのです!

1-3-9. 天才芸術家によって緻密に計算された立体デザイン

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス ピンクトルマリン ペンダント アンティークジュエリー アクアマリン ネックレス アンティークジュエリー

 消耗品であり財産性ゼロのアクセサリーの感覚で見ると小ぶりに見えるかもしれませんが、稀少価値の高い宝石と貴金属で制作される、財産性を有したジュエリーとして見ると相応の大きさがあります。

今回の宝物も、単純な立体造形で作ると安っぽくなります。そうならぬよう、細心の注意が払われています。デザインの要素が少ないだけに、1箇所ごとにセンスが光ります。

←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

正面の二次元配置として、プラチナのフラットライン二重線と、天然真珠を斜め方向のクロス配置にして左右の対称性を崩しています。これにより動きが生まれています。

上下左右、全ての方向に対して対称デザインが基本かつ常識だったヨーロッパ美術に於いては、これだけでも特異なことです。日本人の感覚で見ると、とても納得感があるデザインかもしれません。

フラットラインで×印を描くのではなく、天然真珠を135°と315°のポイントに配置することで、見えない道(線)を描いているのも素晴らしいです。心眼でクロスのデザインを見ることができます♪

全て可視化するのは野暮です。一方で成金を含め、一般大衆は心眼を持たず、理解できないから分かりやすさを求めるのです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

斜め二重線は、一段高さを出しているのもポイントです。正面ツラ位置の角度は背景の二重環と同じでも、この高さの違いがあるだけで、肉眼で立体視した時に高級感が生まれます。アクアマリンも高さを出してセットしています。また、天然真珠は丸ごと贅沢に使用することで、ハーフパールには出せない高さを出しています。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

斜めから見ると、想像以上に立体的にデザインされていることが分かります。天然真珠は上質な上に色、サイズ、質感が3粒すべて揃っており、これだけでも最高級品として作られたことが分かります。強力な化学薬品で脱色し、不自然になった色彩を補うために染色する(一連を『調色』と呼んで印象操作しています)養殖真珠が当たり前となっている現代では、大変さと価値が分かりにくいです。ブリーチにカラーリングを重ねた髪の毛が酷く痛むのと同様です。他にも複合要因により、養殖真珠(工業製品)は酷いと数年以内に寿命が来ます。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

天然真珠は少なくとも110年ほど経過していますが美しいままです。アンティークのハイジュエリーを見慣れていないと、セッティングに不安をお感じになるかもしれません。使い捨ての消耗品であるアクセサリーと違い、稀少価値の高い宝石を使い、財産性を持つジュエリーは100年以上の使用が可能な耐久性を持つよう素材と構造を設計します。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス ←等倍↑
このタイプは土台に芯を立て、穴を開けた天然真珠を刺して真珠セメントで固定します。サイズによって難易度は変わります。これだけでも神技です!!
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス ←等倍↑

量産の工業製品である養殖真珠は、ドブ貝の貝殻を削った核に薄く真珠層をメッキしただけなのでほぼ真球です。方向を考える必要がありません。しかし天然真珠は全てが唯一無二であり、形状も個性があります。正面から見た時に『真円』に見えるよう、角度を見極めて穴を開け固定します。

ハーフパールの質が揃った最高級品
ヴィクトリアンのエメラルド&天然真珠の彫金リング『EQUILIBRIUM』
エメラルド&天然真珠 リング
イギリス 1860年頃
¥1,500,000-(税込10%)
クッションシェイプ・ダイヤモンド&天然真珠の黄金のコスモスのピアス『コスモス』
ダイヤモンド&天然真珠 フラワー・ピアス
イギリス 1870年頃
¥1,440,000-(税込10%)

真珠の加工は想像以上に難易度が高いです。以前Genが職人さんにハーフパールを作れないか聞きました。修理で必要になる可能性があるからです。正式名スプリット・ハーフパールの名の通り、1つの天然真珠を真っ二つに割って2つのハーフパールにします。「それは無理で、片側を削って1つのハーフパールを作るしかない。」と言われたそうです。

それでは全く意味がありませんし、天然真珠の稀少価値を正しく理解できていれば卒倒するような行為です。質感が均一に揃ったハーフパールを得るにも重要で、昔はハーフパールを作るだけの専門の職人もいたでしょう。道具だけでなく、高度な勘や経験値が必要だったはずです。

チャレンジングな宝石の細工物
アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー『美しき魂の化身』
蝶のブローチ
イギリス(推定) 1870年頃
¥1,600,000-(税込10%)
オレンジピールカット・エメラルド リング アンティーク『Sweet Emerald』
オレンジピールカット・エメラルド リング
フランス 1920年頃
SOLD

販売前の天然真珠ネックレスの糸換えの際、現代の強化糸が通らないので小さな真珠は除くか、穴を拡張する必要に迫られたこともありました。私が破損の可能性も承諾したため、依頼先が会社として必要な機材を買い、職人さんがトライしてくれました。オパールを割った職人の手を切り落としたバカ王がいましたが、リスクや負担を全てお店や職人に負わせるのは醜い行為です。誰もチャレンジしなくなり、新しい物事は生み出されなくなり、文化は停滞します。学芸を発展させるタイプの王侯貴族はその逆で、パトロンとして才能を見込んだ人々に自由を与え、必要な投資をし、リスクも負いました。

天然真珠の穴の拡張で、1つ破損してしまいました。ゆっくり穴を拡張していきましたが、それでも機械が持つ熱で負担がかかったようです。残りは職人さんが目を離さず確認しながら、さらにゆっくり慎重に作業し、残りは全て成功しました。設備投資や、その会社の一番の職人さんの人件費なども考えると赤字でしかないはずですが、破損したことを本当に申し訳なく謝られ、トライさせてくれたことに心から感謝されました。経験値とノウハウを価値と見てくださる人たちに感謝すると共に、私の勉強にもなりました。

養殖真珠の剥がれて浮き上がった真珠層と内側の核養殖真珠の剥がれて浮き上がった真珠層と内側の核

私の研究者としての血も騒ぐわけで、わざわざ養殖真珠を買って色々と試すことにしました。大した値段ではありませんし、稀少価値などなく、破壊を前提で買いました。この程度の投資や研究もせずアンティークジュエリーや真珠を理解していると思い込んでいる人は、一度くらい実際に試したり、お金や時間を使うべきです。

養殖真珠の剥がれて浮き上がった真珠層と内側の核養殖真珠の剥がれて浮き上がった真珠層と内側の核

最初から真珠層が浮き上がっていたので剥離は容易かと思いましたが、想像以上にしなやかさと強靭さがあって難航しました。真珠層は生物由来のタンパク質であり、爪がイメージとしては近い印象です。非常に硬くて弾力もあり、パキンと綺麗に割れたりしません。球体なので位置を固定するのも難しく、固定した上で力を入れて、正しい方向へドリルで穴を開けたり、刃物を押し込んでいくというのは高度な作業です。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス ←等倍↑
貫通させてはいけません。このサイズで正確な方向と深さで穴を開ける必要があります。まさに神技です!!!
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

斜め二重線は二重環に対して一段高く、センターのアクアマリンはトップのアクアマリンより一層高い位置にあります。

ポイントごとの天然真珠も高さを出して際立たせており、これらの巧みな立体配置によって、オール・フラットラインのデザインでものっぺりとした印象にならず、しっかり高級感があるのです。

デザインの計算や職人の神技など、アンティークジュエリーの中でも目を見張る出来です。それでいてこのさりげなさが最高に素晴らしいです!!♪

1-3-10. 天才芸術家の滅びと共に消えた『芸術』

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

 玄人中の玄人向けである、このような『最高難度の美術作品』は一見するとデザインするのも、作るのも簡単に見えます。まさに「最高芸術は誰にでもは理解できない。」ことを地で行くジャンルです。

「真の芸術ここにあり!!」というわけですが、芸術作品には厳しい存在条件があります。

パトロンがいなければ存在できません。天才が歓びをもって創造し、凄まじい産みの苦しみを味わいながらこの世に送り出す必要があります。

アーティスト兼職人は創作活動に専念できる必要があります。食事や睡眠を必要としないロボットではありません。衣食住がままならなかったり、不安があるような状態ではそれは不可能です。やりがい搾取をするような環境下では心からの歓びをもって仕事をするのは到底不可能ですし、プライドを持った仕事なんて絶対に無理です。

自分だけ良ければ良いという成金思考の人間が、経済活動の中で多くなっていきました。買い叩く、安さを要求する、言葉にしなかったとしても精神的な圧力をかける。平成のデフレに伴う、あらゆる物の品質低下と、それに伴う賃金低下が物事を如実に示しています。行いは巡り巡って己に返ってくるわけで、目の前の人を買い叩いた結果、時間差で自分の賃金も低下しています。日本人の相対年収は酷いもので、もはや先進国と呼べるものではありません。

人は正義と思い込むことが駆動力になります。一般大衆の多くが「お安く!!」と買い叩くことが正義だと思い込んでおり、自身が『文化の破壊者』の張本人だと想像もしません。影響には時間差があるため、今しか見られない人や記憶力が乏しい人は永遠に気づくことはありません。モノやサービスの品質低下も徐々にしか進みませんから、感覚が鈍い人も気づけません。

アレキサンダー大王の古代ギリシャ(ヘレニズム)のアメジスト・インタリオのクラバットピン『アレキサンダー大王』
アメジスト・インタリオ クラバットピン
古代ギリシャ(ヘレニズム) 紀元前2-紀元前1世紀
¥4,400,000-(税込10%)

俯瞰した目線、感覚の鋭さ、他者に心を重ねる共感力と想像力。大衆に対して責任ある立場だった古の王侯貴族がなぜこれらを重視したのか、その理由は明白すぎるほど明白です。

歴史は一人の人間の寿命を遥かに超越した、長い長い時間の中での因果を教えてくれます。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」
ドイツの鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルクの言葉はあまりにも有名ですが、真に理解している人は多いと思えません。私自身もそうですと言うより、真に理解している人はいないでしょう。謙虚な心であらゆる他者(歴史)から学ぼうとする姿勢こそが大事なのだと思っています。

従来の王侯貴族から新興成金へと力が移っていく19世紀後半から20世紀初頭は、『芸術家』が花開いた一瞬の黄金時代でもありました。古い時代の『職人』は依頼主(王侯貴族)の好みや個性、要望をまず反映させることが仕事でした。下請け的な立場です。初期の新興成金は王侯貴族を手本とする場合も多く、自分で芸術家に具体的な要望を出さない(出せない)一方で、お金は気前よく充分に出しました。職人が芸術家らしい芸術家として、自分の才能を存分に生かして仕事できる時代になったのです。

花かごに入った鳥 ブローチ アンティーク・ジュエリー 『Tweet Basket』
小鳥たちとバスケットのブローチ
イギリス 1880年頃
SOLD
花かごに入った鳥 ブローチ アンティーク・ジュエリー
作品発表の場として万博などコンテスト全盛期となったことも大きく、それまでコネや運がないとパトロンを掴めませんでしたが、芸術家が自身の実力でパトロンを掴むチャンスも生まれました。

一人の王侯貴族に気にいられようとデモンストレーション作品を作るのと、世界中の王侯貴族から高い評価を得て最も相性の良いパトロンを得ようとするのでは全く異なります。前者は好みを意識して制作しますが、後者は芸術家の個性全開です。美的感性、センス、作者独自の技術など、持てる全てを込めて王侯貴族にメッセージを発信します。「ここまでできます!!!」と・・。

手を抜くなんてことは絶対にあり得ません。儲けが目的ではなく、自身のプライドをかけてのものですから採算も度外視です。世界中のトップクラスの芸術家たちが一堂に介して競うのですから、僅かでも手を抜いたら敗北確定です。『コンテスト・ジュエリー』は芸術作品としての完成度が異次元です。古いものも良いですが、この時期にしか生み出されない『コンテスト・ジュエリー』も強く心惹かれます♪

第5回パリ万国博覧会のパノラマビュー(1900年)

『アール・ヌーヴォーの祭典』と呼ばれた1900年のパリ万博頃に、その最高潮を迎えたとも言えます。そして1914年からの第一次世界大戦が全てを終わらせました。

東部戦線のガス攻撃。右側は後続攻撃を準備している歩兵(1916年)
©Bundesarchiv, Bild 183-F0313-0208-007 /Adapted/CC-BY-SA 3.0

ヨーロッパで『あの戦争』と言えば第一次世界大戦です。西欧の列強諸国がこぞって参戦し、人員や経済力、工業技術を大規模に動員する国家総力戦でした。航空機や化学兵器(毒ガス)、潜水艦や戦車などの新兵器が大規模、または史上初めて投入され、4年3ヶ月にも渡る戦闘期間の長さもあって戦闘員900万人以上、非戦闘員700万人以上の計1,600万人以上が死亡するという、史上死亡者数の最も多い戦争の1つとなりました。ヨーロッパ上流階級も大きく力を失う結果となっています。

前線近くで観測気球に乗っているアメリカ軍の少佐(1918年)

アメリカはボロ儲けしたとされます。

開始1914年から中立を保ち、両陣営に大量の武器、弾薬、食料を輸出して大儲けしました。

頃合いを見計らって1917年に参戦し、戦勝国である協商国側の地位を得ました。

正義の反対はもう1つの『正義』です。『中立』と言うと聞こえが良いですが、自身の正義を守るでもなく、金儲けのみが目的としか言えぬ行動原理です。金儲けこそが正義なのかもしれませんが・・。

この大戦を経て、それまでのイギリスを中心とした19世紀の成熟した西欧社会は崩れ、世界の中心がアメリカに移っていきます。

第一次世界大戦の前後で、新興成金の質もガラリと変化します。戦争以前はそれぞれの方法で、皆の暮らしを良くするために純粋な心で尽くし、結果として富を得た人もそれなりにいたはずです。戦時中はそのようなものは大義名分の元、不謹慎や贅沢扱いによって徹底して排除されます。

戦時中の社会の雰囲気
戦時中のプロパガンダ 昭和16年(1941年)の町会の張り紙

日本人にとっては第二次世界大戦の方が身近です。配給制による困窮や闇市の話は聞きますが、資源に乏しい敗戦国である日本ならではの話ではありません。実際はアメリカやイギリスすら配給制になっています。

イギリスの第二次世界大戦での食料配給制度は1940年1月に始まり、終戦後も1954年まで続きました。連合国占領下の日本が1945年から7年間続き、主権を回復したのが1952年です。それ以降もイギリスでは一部配給制が継続していました。この影響によって、イギリスは飯マズになったともされます。

【参考】成金向けのダイヤモンド・ジュエリー
【参考】ダイヤモンド ブローチ(ブシュロン 1940年代)
【参考】アールデコ・ダイヤモンド・ブローチ(1930年代)

このような社会雰囲気の中、ボロ儲けできるのは戦争関連ビジネスだけです。戦後の潤っている成金イコール、戦争でボロ儲けした人たちです。日本にも存在しました。「あの人は悪いことをしたからお金持ち。」と言う話も時代によっては誤りではなく、実際に人の死をお金に変えて喜んでいた人種が存在しました。これはそのような戦争成金のジュエリーです。

13万人以上の身元不明のフランス人兵士が眠るドゥオモン墓地
"VERDUN-OSSUAIRE DE DOUAUMONT5" ©Ketounette(Feburary 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0

これを見て心を痛めるどころか、「この数だけ儲かった♪」と他者の死体や不幸をお金として見てほくそ笑むような連中での持ち物です。

【参考】1930年代の一般的な高級ダイヤモンド・ブローチ

このような成金ジュエリーはGenも私も、このような背景に気づいていない時でも気持ち悪さを強く感じ、お取り扱いしていません。背景を知ればより納得です。波長がは同調するため、このような物を好む人種は戦争成金同様に他者の死や不幸を喜び、お金がたくさんありさえすれば良いという性質を秘めています。正直気持ち悪いので、このようなジュエリーにも人間にも一切かかわりたくありません。

1900年前後の売春婦向けジュエリー

この観点で、売春婦向けの成金嗜好のジュエリーは可愛いものです。女性が己の身1つで稼げる範囲はたかが知れていますし、痛めつけているのは他者ではなく自身の心です。

多くの労働者を搾取し、膨大な数の他者の死や不幸を金に変えた結果として、戦争成金の気持ち悪いジュエリーが存在します。

1900年前後に互いに影響し合い活躍した気鋭のデザイナーたち
イギリスのモダンスタイル 世紀末ウィーンのセセッション
チャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868-1928年) マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ(1864-1933年) ヨーゼフ・ホフマン(1870-1956年)1902年、32歳頃 グスタフ・クリムト(1862-1918年)1914年、52歳頃

新興成金の質が変化し、第一次世界大戦後は戦争成金の世となりました。人の不幸は蜜の味とする連中ですし、金をこよなく愛するので想像を絶するケチです。なりふり構わず搾取するのは当たり前、買い叩くのも当たり前、恥を恥とも思いません。

あれだけ世界の芸術界で高く評価されたマッキントッシュも後年は建築家としての仕事がなくなり、水彩画家に転向しています。ヨーゼフ・ホフマンも後年は予算とクリエイティブな活動との板挟みとなり、芸術家として思うような活動ができなくなったとされます。

芸術家と依頼者が訴訟沙汰となったファンズワース邸
バウハウス第3代校長ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969年)1912年、26歳頃 【引用】wikimedia commons / Adapted ファンズワース邸(第3代校長ローエの設計 1950年)

決定的だったのは『ファンズワース邸』の訴訟沙汰です。アメリカのイリノイ州に建てられた週末別荘で、建築家はバウハウスの第3代校長も務めたルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエです。20世紀のモダニズム建築を代表するとされるローエの代表作の1つにも数えられる作品ですが、費用が見積もりの倍近くになったということで施主エディス・ファンズワースが訴訟を起こしました。敗訴したファンズワースが控訴し、5年にも渡る泥沼裁判となりました。

ファンズワース邸(第3代校長ローエの設計 1950年)
"Farnsworth House by Mies Van Der Rohe - porch" ©Victor Grigas(9 November 2013)/Adapted/CC BY-SA 3.0

結果はローエの勝訴でしたが、費やした時間や費用、精神的な消耗は如何許りだったでしょう。訴訟されることを目的にデザインするわけがありません。純粋に良いものを創ろうとした結果に過ぎません。10倍100倍だとさすがに驚きますが、2倍に行かない程度なら、当時としては常識の範囲内だったのでしょう。

アメリカの腎臓専門医イディス・ファンズワース(1903-1977年)

既に実績もあって世界的に高く評価されていた巨匠ですから、ローエに仕事を受けてもらえたこと自体が幸運と見るべきでした。

創作活動が何たるかを分からぬまま依頼し、芸術家との関係性を築けぬ結果がこれです。

施主ファンズワース自身は戦争成金ではなく腎臓専門医でした。木材メーカーのご令嬢として生まれ、一応は裕福な家で音楽や文学、動物学なども学び、ローマでイタリア文化も追求したようです。

一体何を身につけたのか、本物の上流階級や文化人たる振る舞いは全く備わらなかったようです。『木材メーカー』も戦争特需の恩恵は受けられますが、詳細は分かりません。この類の人種が「文化を理解していること。」に最も強い憧れを抱いたり、強い嫉妬心を抱く性質があるのは興味深く感じます。いずれにせよ戦後のお金持ちは、悉くこのような思考と行動パターンの人種に移り変わってしまいました。

自身がデザインしたヴァイセンホフ・チェアに座ってくつろぐルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ

ローエが若かりし頃のパトロンたちは、最高の作品を作れば多少足が出ても、むしろ喜んで気前よくお金も出してくれました。後年の依頼者たちは優れたものを創っても理解もできず、創作活動の邪魔をする。ローエ自身もやる気をなくしますし、訴訟沙汰は芸術家たちを萎縮させるに充分でした。勝ったから良かったものの、負けたら破産しかねません。自由な創作活動のマインドは失われ、予算ばかりを気にしての活動に移行させるに十分でした。

アメリカの腎臓専門医イディス・ファンズワース(1903-1977年)

自分の事しか考えていないので気づきもしませんが、このような人種は文化の破壊者です。

ローエが至る所で同様のいざこざを起こしているなら、ローエ自身の問題も大きい可能性を考慮できますが、そのような悪評は見ませんし、そのような人物は淘汰されるので、大きな実績を継続していくつも残すなどあり得ません。

状況は違えどファンズワースのような人物は至る所に存在し、今も世界中で無自覚に文化を破壊し続けています。性別も人種も関係ありません。自分はそうでないか、謙虚に見つめ直す必要があります。

1-3-11. フラットラインの『作り』の面での難しさ

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

 頑張った感がモノとして分かりやすく見える細工物と異なり、フラットラインは巧みな技術が必要です。

忍耐力が必要な細工物に対し、フラットラインはより高度な感覚と精密さを要求します。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス ←等倍↑

適当に作っても表面はフラットにはなりません。光沢を感じられるほど金属が反射するには、相応の平滑さが必須です。上質な宝石同様、鑢(ヤスリ)を徐々に細かくしながら磨き上げていく、根気のいる作業は必須です。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

ツラ位置は正面に対して正確でなければなりません。正面に対して完璧に平行、側面は完璧に直角でなければ瞬時にこの美しさは消えます。頑張る系の細工物は全体で辻褄を合わせることができますが、フラットラインは許容範囲が極端に狭く、恐ろしいほどの集中力と精密さで形にします。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

側面が斜めに仕上がっていると、側面が視界に入ってスッキリとした印象になりません。

厚みがなければ多少は斜めになっていても目立ちませんが、耐久性に問題が出ます。厚みがある状態で、ここまで精密に作るのは第一級の職人でなければ不可能なのです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

二重線で広い面積をデザインしています。全てのツラ位置をフラットかつ精密に平行に仕上げなければ、フラットラインならではの強烈な線デザインの反射面は生まれません。この宝物はフラットライン・アートとして最高難度の作りに挑戦し、見事に完成させた至高の芸術です。

【参考】1900年頃の『ただの線』の安物

最適化した機械で大量生産する現代の工業製品ジュエリーと違い、ハンドメイドの時代は如実に作りの良し悪しが出ます。ワイヤーやアルミホイルなどで試してみると分かりやすいですが、曲げや変形などの金属加工は想像以上に難しいです。特にゴールドは割金や加工法次第で鋼鉄どころか、ステンレス以上の硬さを出せます。

一度でも失敗すると歪みますし、リカバリーを試みるほど歪みは酷くなる一方です。やり過ぎると金属疲労で脆くなります。金属加工は曲げてすぐ済むようなものではなく、性質を理解した上で、丹念に手を加えなければ美しくなりません。知識、経験値、技術の全てが揃ってこそです。『ただの棒』をナイフエッジと称するディーラーもいたりしますが、棒も稚拙なワイヤー・アートも安っぽさしか漂いません。

【参考】1900年頃の稚拙なフラットライン失敗作

これらはフラットラインに挑んだ気配を感じますが、技術が追いついておらず、綺麗な線の反射を放てるポテンシャルは備わっていません。しかもデザイン能力も乏しく、安っぽさが酷いです。作りが良かったとしても、上手くデザインしないと高級感が出ないのがフラットラインのジュエリーです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

あまりにも高度なことを要求する一方で、それが理解できる人たちの絶対数が少なかったため、フラットラインのジュエリーは数が少ないのでしょう。

【参考】ヴィクトリアン・スタイルのガーネット&オパール・ピアス(現代)

アンティークの安物は、現代の職人でも作れるレベルです。

目利きで見分けることはできず、アンティーク風の中古品などをアンティークジュエリーと称して売っているディーラーも今では世界中に存在します。

以前は豊富にあった安物アンティークジュエリーも今は枯渇し、その一方で新興国の台頭によって需要は高まるばかりなので、驚くほどフェイクやリプロダクションが増えました。

現代の道具を使っても、所詮はこの程度の作りです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

人の技?それとも神の技・・?
神技の職人にしか創造できない美があり、それを眼にすることができるのは、限られたアンティークのハイジュエリーだけなのです。

2. 知的な雰囲気を醸し出す魅惑の非処理アクアマリン

 今回の宝物はスッキリとしたデザインが特徴だからこそ、宝石にも強いこだわりが感じられます。特にメインストーンのアクアマリンは絶妙な色彩と、豊かな輝きの変化が魅力的です。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
↑等倍
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

上質な非加熱の天然アクアマリンは稀少価値が高く、この宝石の大きさに合わせて、外周の二重環の半径や幅、天然真珠のサイズなどあらゆるデザインを設計したと推測します。いわば『デザインの要』です。

2-1. 天然アクアマリンの特徴

 現代ジュエリー市場で、高品質の天然アクアマリンを入手するのは困難です。価格が高価だから高品質のように感じられますが、実際には稀少価値はありません。物事を表面的にしか見ることができず、看板やネーミングだけで判断し、本質を理解できない一般大衆の性質とその数の多さを現代の状況が示しています。大衆が傲慢怠惰であることをよく分かっています。理解するための努力をするつもりはない(怠惰)にも関わらず、自分はよく分かっている(傲慢)と大衆は思いたいのです。

↑等倍
【参考】ティファニー ソレスト アクアマリン リング
¥1,078,000-(2019.12)→¥1,353,000-(2024.6)
→¥1,595,000-(2026.8現在)
【引用】TIFFANY & CO / ティファニー ソレスト リング
【参考】ティファニー ソレスト アクアマリン ダイヤモンド ペンダント
¥1,001,000-(2019.12)
→¥1,474,000-(2024.6現在)
【引用】TIFFANY & CO / ティファニー ソレスト アクアマリン ダイヤモンド ペンダント

全世界の消費者を対象に、インターネットも使って販売できるほど同じものを量産できます。唯一無二の宝石を使っていたら絶対に不可能なことで、統一規格の石を一定数準備できるから実現します。つまりその石に稀少価値はありません。人工処理も常態化しており、実は天然アクアマリンの色彩を知らない人が殆どです。

ジョージアンのピンク・トパーズ&アクアマリンのカンティーユ・クロス・ペンダント『ジョージアンならではの見事な金細工』
グラニュレーション(粒金)&カンティーユ ペンダント
イギリス 1820年頃
SOLD

採掘量が限られ、人工処理せずありのままの上質な宝石を王侯貴族が愛した時代、アクアマリンは稀少価値の高い高級宝石の1つでした。

現代のアクアマリンとは、高級感も色彩もイメージが違っていました。

2-1-1. 天然アクアマリンの色彩

 アクアマリンはベリル(緑柱石)系の鉱石の一種です。緑の名の通り、黄色みを帯びた緑色の色彩がグラデーション的に存在します。

ベリル系の鉱石
アクアマリン
"Beryl-209736" ©Rob Lavinsky, iRocks.com(before March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0
ブラジル産ヘリオドール / ゴールデン・ベリル "Heliodor-G-EmpireTheWorldOfGems" ©DonGuennie(G-Empire The World Of Gems)(15:33, 3 April 2015)/Adapted/CC BY-SA 4.0 PDグリーンベリル〜エメラルド

アクアマリンの語源は、ラテン語で『水』を意味するアクア(aqua)です。緑柱石の中で透明かつ青い色調の石をアクアマリンと呼びます。色名としてのアクアマリンは現代人がイメージする完璧な水色ではなく、緑と青の中間の色を言います。実際、天然のアクアマリンは僅かに黄色味を帯びています。

アクアマリンの原石
 "Aquamarine P1000141" ©Gunnar Ries Amphibol(08. 12. 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5

薄汚れているわけではなく、そういう性質の石なのです。絶妙な色彩だからこそ、見る人によって受ける印象も、この色彩を表す言葉も変わってくるはずです。そもそも視覚も個人差は大きく、カテゴライズされているジャンルとして『色盲』がありますが、明確な区切りや互いに認識できないだけで、個々人で色の見え方も大きく違います。緑に近いと感じる方もいらっしゃるでしょうし、グレーを帯びたように感じる方もいらっしゃるでしょう。

【参考】非加熱のアクアマリンのラフカットされた石

非加熱の天然アクアマリンは色彩豊かです。どの石が感覚的に最も心地よく感じるかは、本来は人間の数だけ違うはずです。人にはそれぞれに唯一無二の個性が備わっているはずだからです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

言語では表現し難い絶妙な色彩が、物質を超越し、眼に見えないものも含め物事を複合的に思考する上流階級や知的階級、芸術家にとっては何とも替え難い魅力なのです♪♪

2-1-2. インクリュージョンが多い性質があるアクアマリン

 アクアマリンはベリル系です。色の違いによって名称が変わります。同じベリル系のエメラルドは、インクリュージョンがない石はないとされるほどインクリュージョンが多い性質があります。このため現代もインクリュージョンではなく、色彩の美しさが評価基準となっているほどです。

エメラルドの質と色彩
アンティークの最高級品(無処理) ヴィンテージ(処理不明) ヴィンテージ〜中古(含浸処理)
ヴィクトリアンのエメラルド&天然真珠の彫金リング『EQUILIBRIUM』
エメラルド&天然真珠 リング
イギリス 1860年頃
¥1,500,000-(税込10%)

オイル含浸(透明樹脂充填)処理もありますが、表面だけ超厚化粧した状態です。内部にインクリュージョンが多いと白っちゃけて見えます。最高品質のエメラルドのような鮮やかな色彩にはならないため、色彩を見るのは妥当です。厚化粧品を着用するのは厚化粧の女性だろうかと、ついけしからん事を考えてしまいます。類は友を呼びます(笑)

パキスタン産の緑柱石(ベリル)
"Berillo" ©Gia.cossa(22 August 2007)/Adapted/CC BY-SA 2.5

エメラルドほどではありませんが、同じベリル系のアクアマリンもインクリュージョンが多い傾向があります。

アクアマリンの原石
 "Aquamarine P1000141" ©Gunnar Ries Amphibol(08. 12. 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5

実物サイズは分かりませんが、これもかなり小さいはずです。標本石なので、それなりの品質があります。ここから高品質の宝石として使えるアクアマリンは、一体どれくらいでしょう。澄んだ色彩美しい非加熱アクアマリンは、それだけ稀少価値が高い宝石だったのです。

2-1-3. 巨大鉱床発見に伴うアクアマリンのイメージの激変

 本来、宝石とは稀少価値の高い石のことだけを指しました。大衆が手に入るような数があれば、それは稀少な石とは言いません。鉱物としての種類だけで『宝石』と判断するは、ジュエリーの世界で見ると本来おかしなことです。業界が金儲け至上主義の『商人』に乗っ取られた結果、商人たちの都合の良いように定義されています。

宝石とその他の違い

自分の頭で考え、自身の物差しで判断する王侯貴族の時代は、そのような商人たちの跋扈は許されませんでした。大衆の時代となった現代は、鵜呑みにする一般大衆によって奇妙な状況が成立できています。

ダイヤモンドは1870年頃からの南アフリカのダイヤモンドラッシュによってとうに稀少価値はなくなり、商人の供給コントロールによってイメージと価格が維持されている不自然な状況です。サファイア、ルビー、エメラルドも合成技術が確立され、合成石に関して稀少性は皆無ですが、メディアを使ったイメージ戦略なども掛け合わせて宝石価格を維持しています。『自分たちが売りたいもの』だけに巨額の投資をしています。もっと巨額を大衆から回収できるからです。

粒金が見事なヴィクトリアンのアメジスト一文字リング『La Dame pourpre』
アーリー・ヴィクトリアン アメジスト 一文字リング
イギリス 1840〜1850年頃
¥950,000-(税込10%)

その範疇に入らなかった宝石は無視されたり、自分たちが売りたいものを高値で売るために貶められたりします。

アクアマリンもアメジストもそうです。アメジストも本来は『枢機卿の石』の1つに数えられ、時にはルビーやダイヤモンドを凌ぐほど高く評価された時代もありました。

巨大鉱床の発見に伴い稀少価値が低下する以前はアメジストというだけで価値がありましたし、採掘量が増えても質の良い石は依然として稀少価値が高いです。

19世紀初期の非加熱アクアマリン&アメジストのカンティーユ・ネックレス

『アメジスト&アクアマリンのカンティーユ・ネックレス』
フランス 19世紀初期
SOLD

古い年代のアクアマリンのジュエリーは、本当に数が少ないです。それだけ稀少だったからです。ヴィクトリアン初期と中期のアクアマリン・ジュエリーは見当たりませんでした。稀少性に加え、その時代は強く主張するジュエリーと宝石が好まれたことも原因でしょう。
ユニコーンのカップケーキ(イングランド 2018年)
"Glittery Unicorn Cupcakes(30372730757)" ©CharnaineZoe's Marvelius Melange from England(14 October 2018, 12:00)/Adapted/CC BY 2.0

アメリカほどではありませんが、イギリスでも日本人の感覚だとギョッとする色彩のお菓子が普通に売ってあったりします。この青緑色は見る分には良くても、口にはしたくない本能的な忌避反応が発動します。

卒業パーティ用カップケーキ(英語圏 2013年)
"Cupcakes made for a graduation party" ©Gandydancer(19 February 2013, 16:46:51)/Adapted/CC BY-SA 3.0

これは国籍文化不明で、恐らく英語圏の卒業パーティ用のカップケーキです。全ての色が、ここまでどぎつくする必要があるのかと思えるほど濃いです。一体何を使って着色してあるのか、日本人には馴染まない色彩です。

19世紀初期の非加熱アクアマリン&アメジストのカンティーユ・ネックレス

分かりやすい色彩を好む人々には価値が理解できない、アクアマリンならではの美しい色彩が魅力的です。19世紀初期のヨーロッパ貴族もこの魅力を理解していたのだと思うと、共鳴して何だか嬉しくなります。通常は爪の気配を極限まで消しますが、爪を粒金細工のようにデザインして、宝石と共に惹き立て合っているのも良いですね。美意識の高いヨーロッパ貴族の、正装用ジュエリーに選ばれる宝石でした。

ブラジル政府から1953年の戴冠祝いで贈られたアクアマリンのネックレス&イヤリングを着用した英国女王エリザベス2世(1926-2022年)2006年、79歳頃
 "Elozabeth II Southern Cross" ©Agencia Brasil - EBC, cropped by Limongi(2006-03-07)/Adapted/CC BY 3.0

一般大衆が巨大アクアマリン・ジュエリーをイメージするようになったのは、エリザベス女王の影響が大きいでしょう。

1953年の戴冠祝いでブラジルからネックレス&イヤリングが贈られ、気に入った女王が1957年にガラードにお揃いのティアラをオーダーしたパリュールです。

1922年頃にブラジルのミナスジェライス州のサンタマリア・ジ・イタビラ鉱山で高品質なアクアマリンが発見されました。

19世紀半ばには枯渇しましたが、現在もブラジル、ナイジェリア、ザンビア、モザンビーク、マダガスカルなどの各地で産出されており、大衆規模の需要を満たしています。

1922年頃のサンタマリア・アクアマリン発見に伴うジュエリー
アール・デコのリボンが美しいアクアマリン・ネックレスアクアマリン ネックレス
イギリス 1920年頃
SOLD
天然アクアマリン 英国王室御用達 デミパリュール D&J.WELLBY L.TD アンティークジュエリー アールデコ ブラジル ミナス鉱山英国王室御用達D&J.WELLBY社 アクアマリン デミ・パリュール
イギリス 1920年頃
SOLD

アクアマリンは1922年頃のブラジル産サンタマリア・アクアマリン発見の前と後で、イメージが大きく変化します。採掘量が多いと、『大きくて上質な石』が稀少価値の高い石として最高級品に優先的に使用されます。

アクアマリンの最高級ネックレス
サンタマリア・アクアマリン前/各種社交用 サンタマリア・アクアマリン後/正装用
アクアマリン&天然真珠のゴールド・ネックレス1900年頃
SOLD
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス1905年頃
今回の宝物
エドワーディアン アクアマリン ペンダント アンティーク・ジュエリー1910年頃
SOLD
王室御用達ジュエラーの大きな非加熱アクアマリンのネックレス1920年頃
SOLD
アール・デコのリボンが美しいアクアマリン・ネックレス1920年頃
SOLD

これは全て王侯貴族の最高級ジュエリーとして制作されていますが、用途は異なります。誰もアンティークジュエリーを知らなかった黎明期からこの仕事をしているからこそ、Genはブルー・オーシャン市場(経済学)で自由に好きなものを選ぶことができました。「王族のジュエリーは案外つまらない。」と感想を述べます。

プライベート用はまた別と考えられますが、富と権力を多くの人に向けて象徴するための正装用ジュエリーは巨大宝石を使う性質上、デザインする余地が限定されます。教養やセンスを全力でデザインする対象ではありませんし、式典など特別な時だけのビジネス用なので、愛用したり心の豊かさを感じるためのものではありません。

アクアマリンの最高級ネックレス
サンタマリア前/各種社交用 サンタマリア・アクアマリン後/正装用
アクアマリン&天然真珠のゴールド・ネックレス1900年頃
SOLD
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス1905年頃
今回の宝物
エドワーディアン アクアマリン ペンダント アンティーク・ジュエリー1910年頃
SOLD
王室御用達ジュエラーの大きな非加熱アクアマリンのネックレス1920年頃
SOLD
アール・デコのリボンが美しいアクアマリン・ネックレス1920年頃
SOLD
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

大きな宝石を使う場合、どうしても石が主役でデザインは脇役になります。サンタマリア鉱脈の発見前後で、最高級アクアマリン・ジュエリーの『宝石とデザインの主従関係』が逆転します。エドワーディアンまでのアクアマリンが小ぶりなのは、大規模鉱山の発見前というのが理由です。小ぶりな分デザインに力を入れている傾向が強く、王侯貴族らしい品格や個性、芸術性をより堪能できます。大きさだけで判断する人には理解できない世界です。

時代ごとに状況も価値観も異なるからこそ、アンティークジュエリーの世界は深淵です。Genも私も未だ全容は理解できていませんし、私が残りの人生をこれからも全力で走り続けても一体どこまで理解できるだろうかと、底知れぬ深淵を感じるばかりです。特に知識面では、全容は理解できずに寿命が来ると思います。だから時間を惜しんで突っ走ります。『アンティークジュエリー』のひと言で一緒くたに見て理解した気になっている人もいますが、それはダニング=クルーガー効果です(笑)

2-2. 人工処理による現代のケバケバしく単純な色彩

2-2-1. 現代の大衆用アクアマリン市場


【参考】ティファニー ソレスト アクアマリン リング
¥1,078,000-(2019.12)→¥1,353,000-(2024.6) →¥1,595,000-(2026.8現在)
【引用】TIFFANY & CO / ティファニー ソレスト リング

 現代市場のアクアマリンは殆どが加熱処理されています。業界内部の人も「全容は分からない。」状況だそうです。

『非加熱』というだけで宝石としての価値をPRでき、それは価格に反映することができます。

非加熱なのにPRしない、記載しないというのは金儲け至上主義の現代宝飾業界ではあり得ませんから、非加熱の言及がない限り加熱処理品と見て間違いないでしょう。

高級ブランドだから、高価だからと言う理由で「価値のある天然で非加熱の上質な石」と判断するのが人情ですが、それを見越した上で、消費者が勝手に勘違いするのを期待しているだけです。嘘はついておらず、勘違いするよう"全力で"誘導します。詐欺師は嘘つきではありませんし、消費者が自分に都合よく解釈しただけ、すなわち自己責任となる建て付けです。

2-2-2. アクアマリンの加熱処理と色彩の画一化

 アクアマリンの加熱処理がいつ始まったのかは分かっていません。PRしない方が業者は色々な意味で『お得』です。加熱処理のレシピ、処理の有無など全て『企業秘密』にするのが当然です。不明なのは当たり前です。

サファイアやルビーの加熱処理が一般化していったのが1970年代以降で、一般大衆が宝飾品を買い始めた時期に重なります。大衆規模の需要を満たすため、この頃からあらゆる宝石の人工処理が研究開発され、進化し、一般化していきました。

【学術論文】アクアマリンの加熱処理(コメンスキー大学 2014年)
【出典】Optical and crystal-chemical changes in aquamarines and yellow beryls from Thanh Hoa province, Vietnam induced by heat treatment, Fig1. (PhD. Professor (Associate) at Comenius University Bratislava)

宝石やジュエリーは購入費が桁違いなので、大学など公的機関で研究対象になることは稀です。企業は必要あれば研究開発費と投じますが、肝となる結果が一般に無料公開されることはありません。これは貴重な資料で、スロバキアで最も歴史の古い大学、コメンスキー大学のピーター・バチーク准教授の論文から引用しています。

加熱により、天然アクアマリンが持つ黄色味を除去できます。やり過ぎるとダメになります。700℃だとどぎつくケバケバしい印象となり、一般的な感覚の人でも『人工的な違和感』を感じるようになります。純粋すぎる色彩に人間は、必ずしも心地よく美しいとは感じないのです。"良い塩梅"として400〜500℃程度の加熱処理が一般的なようです。

【学術論文】イエロー・ベリルの加熱処理(コメンスキー大学 2014年)
【出典】Optical and crystal-chemical changes in aquamarines and yellow beryls from Thanh Hoa province, Vietnam induced by heat treatment, Fig2. (PhD. Professor (Associate) at Comenius University Bratislava)

黄色味の除去は、他のベリル(緑柱石)系の石にも適用できます。『黄色』に見える石でも、淡い青色が混ざっていることが分かりますね。天然石は様々な色彩が同居し、複合的なハーモニーを奏でることで、心地よい美しさを見る者に感じさせます。感覚が鋭く豊かな感性を持つ方には蛇足で、言葉によるご説明の必要などないでしょう。

ベリル系の鉱石
アクアマリン
"Beryl-209736" ©Rob Lavinsky, iRocks.com(before March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0
ブラジル産ヘリオドール / ゴールデン・ベリル "Heliodor-G-EmpireTheWorldOfGems" ©DonGuennie(G-Empire The World Of Gems)/CC BY-SA 4.0 PDグリーンベリル〜エメラルド

水色の宝石はウケが良く、現代で評価の低い同じベリル系のヘリオドールやグリーンベリル等を加熱し、アクアマリンに変成させて高く売ることもあります。元々アクアマリンとして産出された場合でも殆どは淡い青しか呈さないため、加熱処理して色を濃くするのが当たり前になっています。あまりにも一般化しており、鑑別書には無処理が記されないのだそうです。

少し考えれば分かることですが、『鑑別書』は現代ジュエリーを売りやすくするための業界のための道具に過ぎません。消費者保護は建前で、業界に都合の良くできています。アンティークの時代でも種類によっては合成石があり、フェイクが増えた現在では石の取り替えにも注意は必要です。ヘリテイジでは鑑別の限界も理解した上で、必要に応じて鑑別機関や鑑別書も活用しています。鑑別技術の限界や、業界の事情を把握した上でうまく使いこなすのがベストだと考えています。

2-2-3. 『単純な色彩』を好む意味

 一定の温度で加熱することで黄色みをなくすことができる上に、色彩を均質化できます。人間が個性を持つのと同様に、天然石が持つ唯一無二の個性を尊重し愛する人にとって『理想化』と『画一化』は意味不明な行いですが、現代の宝飾業界と一般大衆の双方に大きなメリットがありました。その結果、加熱アクアマリンだらけの市場となっています。客側が選ばなければ、そうはなりません。

販売者のメリット

 個人で十分な費用を出してくれた古の王侯貴族の一点ものと違い、大衆向けのビジネスでは数を売らなければ採算がとれません。1つ1つに個性的で優れたデザインを考えたり、丹念に作り込んでいては無理です。

【参考】ティファニー ソレスト アクアマリン リング【引用】TIFFANY & CO / ティファニー ソレスト リング
¥1,078,000-(2019.12)→¥1,353,000-(2024.6) →¥1,595,000-(2026.8現在)

同じ規格で大量生産する必要があります。デザインだけでなく"宝石"の画一化も必須です。同じ温度で加熱することで色を揃えることができ、石を選別したり、販売のために1つ1つ撮影したりする手間も省略できます。

HERITAGEのようにたった1点のために背景も変えながら何カットも撮影し、これだけ手間と時間をかけて丹念に説明する販売手法は絶対に儲からないため、真似する会社や人はいません。"表面的"に真似る人はいるようで、お客様が笑いながら教えてくださりました。情報の量も質が違いますし、情熱はもっと違うでしょう。

消費者のメリット

【引用】TIFFANY & CO / ティファニー ソレスト アクアマリン ダイヤモンド ペンダント

 アクアマリンから黄色味を消し去る消費者にとってのメリットは、人間の思考判断構造をコンピュータに置き換えると分かりやすいです。

CPU(中央演算処理装置)が人間の『脳』に相当し、一時的な超高速記憶、データ処理と計算、理論判断と全体への指示命令を実行します。

複雑な物事を処理するには高性能が必要です。性能不足だと処理スピードが追いつかず、いわゆる『重い』状態に陥ったり、固まったり(フリーズ)します。バグることもあります。複雑なシミュレーションにはスパコンが必要です。

私が大学院で専攻した『理論物理化学』の領域でも、複雑すぎる事象を便宜的に『粗視化(Granularity)』することで単純化し、近似値を求めることはあります。あくまで近似値と理解していますし、どれくらい誤差が有り得るか認識しておくことで有効となる手段です。理想解ではなく、足りない性能を補うための便宜上の解です。

実際にコンピューティングの領域でも粗視化は活用されており、負荷の軽減や通信速度のために行われます。人間が単純明快さを求めるのは、処理性能が足りないからです。黄色味を排除して『単純な水色にするという粗視化』を行うことで、情報処理する脳への負荷を無意識に減らしています。脳は体重の約2%の重量しかないにも関わらず、安静時であっても全身の酸素やブドウ糖の約20〜25%を消費し続けているとされます。

1906年版『ボヌール・デ・ダム百貨店』の挿絵、p377(エミール・ゾラ著 1883年発行)

相当に燃費が悪い器官です。だから『脳』は省エネする性質がありますが、自覚できる人は少数派です。

自由に選んで良いと言われると、多くの人はフリーズしたり、イライラしたりします。情報量が多過ぎて重くなったり、消費し過ぎてエレルギー切れを起こすからです。結婚式を企画する際に経験する花嫁も多いようです。

『選択肢』から選べるようにすると、"自分で選んだ感"に顧客は満足し、販売者側も同じ規格で大量生産できるので『win-winの関係』になります。

さらに『お勧め商法」で、販売者側にとって売りつけたい物を売る手法に発展します。買う側は何も考える必要がなく、脳がエネルギーを使わずに済み万々歳です。

特注したオリジナルの西式軍帽を着用するバロン西と妻子(1936年)

最終的には選択肢がなくなります。

「全員同じ『制服』を着なさい。」

私は制服が大嫌いだったので、大好きな人がいることに驚いたことがあります。「何も考えずに済むから楽で最高!」なのだそうです。

制服をカスタマイズしたり、着用法で個性を出す人はいます。

人間としての優劣ではなく、脳の性能差によって『心地良い状態』は全く違います。"自分を基準"にして、相手に同じことを『強要』も『助言』もしていはいけない理由です。

勝ち馬に乗る、取り敢えず売れ筋を買う、有名ブランドを買うなどの『バンドワゴン効果』も、脳が省エネする性質に基づいています。『大衆』として見た時、いかに『物事を単純化して考えたい人』が圧倒的多数であるかを示す現象です。経済学は心理学です。

【参考】様々な色に調整された合成コランダム(現代)

科学技術が進化した現代では合成や人工処理、様々な手段によって色彩のコントロールが可能です。

『宝石の理想の色彩』という存在自体が意味不明です。何を以って理想とするのか、誰も定義していません。定義できるものとも思えません。それなのに独り歩きしている状態です。

天然石の時代ならば、稀少価値なども考慮して便宜的に定義できなくもないですが、現代はそんなもの意味があるでしょうか。売りたい物、売れ筋に生産者側は調整するだけです。

【参考】カルティエの量産リング(2000年前後)
アクアマリン ピンクトルマリン

『単純化した理想の色』、『高級ブランド』、『人と同じデザイン』、これら全てが脳を省エネさせてくれます。何も考えずに選べます。自分で考えたくない『怠惰な人』、エネルギーを消費したくない『自身の脳に操られている人』、粗視化を必要とする『処理能力の足りない人』。ジュエリーは着用者の形代(分身)です。このようなものを身につけるということは、そのような人間であることを自ら示すことと同義です。消費者が喜んで大金を出すため、このようなモノで溢れかえっているのが現代です。

2-3. プラチナと相性最高の知的なアクアマリン・ブルー

2-3-1. 色彩を選べるからこそのデザインとの組み合わせ

【参考】非加熱のアクアマリンのラフカットされた石

非加熱アクアマリンは様々な色彩を持ちます。

それは選択肢が豊富ということです。

黄色みがあるのが通常なので、黄ばみがないアクアマリンはアンティークの時代も高級品に優先して使用されました。熱で完全に消去しているわけではないため、それぞれ違和感のない自然な色彩が美しいです。

デザインに合わせて選ぶアクアマリンの色彩
フランス革命前を想うガーランド・スタイル 瑞々しい水
アクアマリン ネックレス アンティークジュエリーアクアマリン ネックレス
イギリス 1890年頃
SOLD
エドワーディアン アクアマリン ペンダント アンティーク・ジュエリー『ヴェルサイユの幻』
ヨーロッパ 1910年代
SOLD
エドワーディアンのアクアマリン&天然真珠のペンダント アンティーク・ジュエリーアクアマリン ペンダント
イギリス 1910年頃
SOLD
アーツ&クラフツの海の煌めきのようなアクアマリンのネックレス アンティークジュエリー『海の煌めき』
英国 1890年頃
SOLD
アクアマリン・ピアス アンティーク・ジュエリー『黄金の雫』
イギリス 1900年頃
SOLD

水色は高貴さや知性に通ずる色でもあり、フランス革命前のヴェルサイユ宮廷時代の高貴な豪華さを意識したガーランド・スタイルにはそのような色彩が選ばれています。『ヴェルサイユの幻』は見事な彫金のホワイト・ゴールドに合わせ、知的で洗練された印象を持つ、グレーを帯びた水色がバッチリ合っています。雫型ゴールドで水を意識した右2つの宝物は、まさに澄みきった水や、煌めく水面を想わせる明るい水色のアクアマリンです。

一言で『水色』と一緒くたにするのは申し訳ないくらい固有の色彩を持ち、そのどれもがデザインにベスト・マッチしています。

2-3-2. グレーを帯びたアクアマリン特有の佇まい

 アクアマリンのジュエリーはどれも好きですが、特に心惹かれる宝物は、グレーを帯びたアクアマリンの使用率が高いことに気づきました。データ数が少ない時は分かりようもありませんでした。現代ジュエリーのせいで『ジュエリー』そのものに興味がなく、アクアマリンも単純な水色のものしか認知していなかった私にとって、かなり意外でした。

知的な上流階級が好んだグレー系の色彩
エトラスカンスタイルのアンティークのアクアマリン・ネックレス アンティークジュエリー『エトルリアの知性』
エトラスカンスタイル アクアマリン ネックレス
イタリア or オーストリア? 1870年代
SOLD
エドワーディアン アクアマリン ペンダント アンティーク・ジュエリー『ヴェルサイユの幻』
エドワーディアン アクアマリン ペンダント
イギリス or ヨーロッパ 1910年代
SOLD
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレスモダンスタイル アクアマリン ネックレス
イギリス 1910年頃
今回の宝物
王室御用達ジュエラーの大きな非加熱アクアマリンのネックレス英国王室御用達 D&J.WELLBY社 アクアマリン ネックレス
イギリス 1920年頃
SOLD

これは明らかに意図的な傾向です。右のアールデコのネックレスも、石が大きいにも関わらず落ち着いた品格や知性がそこはかとなく漂うのは、この特別な色味の賜物です。左の『エトルリアの知性』は、HERITAGEを始めて7ヶ月の時にご紹介しました。 アンティークジュエリーに関しては、社会人1年目のペーペーと同じです。今のような知識などなく、受ける印象と感覚で名付けています。知識がない人に対しても、グレーを帯びたシルバー系のアクアマリンは知性や気品を強く感じさせるのです。クリアな水色のアクアマリンにはない魅力です!

2-3-3. イギリス人にとっての『グレー』という特別な色彩

 イギリス文化にとって、灰色(グレー)は特別な色です。控えめで知的な『英国らしさ(Britishness)』、保守性、洗練されたエレガンスを象徴する色として捉えられています。極端でパンチの強い黒(ブラック)や白(ホワイト)とは異なる、グラデーションを持つニュートラル・カラーが、元来派手な色彩を好まぬイギリス人にとって感情を露骨に出さない『イギリス人らしい抑制(Stiff upper lip)』の美学と重なるともされます。

アガサ・クリスティの推理小説の名探偵エルキュール・ポアロの初期の描写(アメリカン・マガジン 1933年)

近代のイメージとして特に有名なのは、1920年に初登場したアガサ・クリスティの推理小説に登場する名探偵エルキュール・ポアロのセリフでしょうか。

自身の『灰色の脳細胞(the little grey cells)』を十全に活用できる賢さを持つと自認し、自らを世界最高の探偵であるとする自信家です。

女性には優しく物腰柔らか、若者たちの恋愛成就を図る気障な紳士で、常に整理・整頓を心掛け、身なりに注意を払い、乱雑さには我慢できない性格です。

フランス語圏の出身で興奮すると訛る一方、英語で高度な会話をしながら合間にフランス語を混ぜるなど、会話術も巧みです。

上流階級の共通語はフランス語だったため、エリザベス女王や今のチャールズ国王(2026年8月現在)が流暢なフランス語を話すことは有名です。イギリス貴族の子弟がグランドツアーでパリに滞在する目的の1つが、フランス語を駆使した社交術の習得でした。

フランスの娼婦の誘惑から逃げるイギリス貴族の若者
【引用】『グランド・ツアー』(本城靖久著 1983年)中央新書688, p95

フランスの貴婦人と浮名の1つでも流して来ることを期待されていたそうですが、殆どは相手にされず、同族とばかりつるんでいたそうです。現代の日本人留学生だけの性質ではなく、古今東西おそらく人類共通です(笑)

女性に関しては、お金さえ出せば相手してくれる売春婦がたくさんいました。

経験値のない大金持ちのボンボンが落とすお金の力は破格です。

グランドツアー由来のイギリス貴族のロッククリスタルのアルプス山脈フォブシール『アルプスの溶けない氷』
アルプス産ロッククリスタル 回転式3面フォブシール
イギリス 18世紀後半
¥1,400,000-(税込10%)

新たな文化や様々な産業、観光地を作り上げたりするくらい、ヨーロッパ大陸各地に破格の影響力がありました。

スイスを観光立国にしたのも彼らでした。この宝物も、その生き証人です。アルプス越えの際に調達したアルプス産とみられるロッククリスタルに、そこで見た名勝を彫刻しています。

小氷期だった時代、アルプス越えは高貴な者にとっても命懸けでした。命を懸けた対価として見ることのできた、険しい山々の氷河や雪景色の美しさとその感動は計り知れません。

このように卓越した成果を残せるイギリス貴族の若者がいる一方で、殆どは壮大なお金の無駄遣いだったとされます。"フランスに行ってもフランス語は話せない"。コミュニケーションは適当にとれますが、高度なレベルで使いこなすことは別の話です。日本語もそうですよね。漢字や謙遜語、丁寧語など、日本人すら使いこなせていないレベルで使いこなす、外国出身の天才もいます。

イギリス人の知的階層の知人が、フランス語を話せるとモテると言う理由でトライして断念したそうです。読み書き等の一通りの知識や使いこなしはできるので、あくまでもエレガントな使いこなしができないという意味だと思います。一方的に自慢してくる人はガッカリするほど大したことがない一方で、こういう謙遜タイプは油断なりません。イギリス人らしいですね(笑)

ケルト神話の女神モリガン(生成AI×HERITAGE)

『灰色の脳細胞』より前の時代から、灰色は高貴で知的でエレガントなイメージがありました。

アーサー王伝説で有名な妖姫モルガンの元とされるのが、ケルト神話の女神モリガンです。背が高く、髪は膝まである知的なグレーのロングヘアで、真っ赤なドレスに鎧とグレーのマントを纏った美しい姿で2本の矛槍を両手に持ち戦場に現れるとされます。

再現した絵画が見つからなかったので、生成AIでイラスト作成してみました。現代風に言うとプラチナ・ブロンドの美神でしょうか。

髪がグレーと言うのは『灰色の脳細胞』に通じますし、羽織りものがグレーと言うのも深淵なる知識のベールを纏っているように感じさせます。戦場では個人の物理的なパワーではなく、知識と知恵こそが最も重要です。特に上の立場になるほど、それは多くの者の生死や幸せに波及します。昔から知性が最重要とされてきた理由です。

髪粉によるヘア・カラーが流行した時代
プリンス・オブ・ウェールズ時代の英国王ジョージ4世(1762-1830年)30歳頃、1792年頃 愛人マリア・フィッツハーバート(1756-1837年)32歳頃、1788年 英国首相/第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ(1764-1845年)1794年、30歳頃

18世紀から19世紀初頭にかけて、ヨーロッパ社交界で髪の毛のカラーリングが大流行しました。流行後期は差別化を求めてピンクや赤、青、紫、金色も登場したようですが、定番として最も支持されたのが白に近いグレー(シルバー)でした。格調高さや上品さ、高貴な者の知性を象徴する色として好まれたわけです。プラチナ・ブロンドということで、女神モリガンと同じですね。ここでグレイ伯爵にも言及しておきます。

紅茶『アール・グレイ』の語源となった英国首相グレイ伯爵
英国首相/第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ(1764-1845年)1794年、30歳頃 英国首相/第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ(1764-1845年)1820年、56歳頃 英国首相/第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ(1764-1845年)1828年、64歳頃

英国王ジョージ4世より2歳下で、続く弟ウィリアム4世の治世下で首相を務めた(在任期間:1830-1834年)英国貴族です。ちなみに1794年の肖像画では髪を染めていますが、翌年の『1795年髪粉税法』に伴い短髪のナチュラル・ヘアに流行が移行して行ったので、1820年はもう白くありません。1828年は自然な白髪ですね。

グレイ伯爵の綴りは『Earl Grey』なので、直訳は灰色伯爵となります。Black(黒)、White(白)、Brown(茶)、Green(緑)など、色がそのまま苗字になっているケースは欧米圏では一般的です。

ベルガモット・オレンジ(1897年)

さて、詳細についてはいくつかバリエーションがありますが、紅茶『アール・グレイ』は第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイに由来するとされます。

古い時代の『舶来品』は、限られた人しか入手できない高級品でありステータスの象徴です。

当時、中国茶は高価でした。バロン西の桁違いの財力も、中国茶の専売権を背景にしたものでしたね。

この高級な中国茶を模倣するためにベルガモットで紅茶に香りをつけ、『アール・グレイ』と呼ばれるようになりました。1820年代には存在したそうです。

イギリス王ジョージ3世(1738-1820年) カンバーランド公ヘンリー・フレデリック王弟(1745-1790年)

グレイ家はノーサンバーランドの名家として知られる家柄でした。チャールズ・グレイは20歳となる1784年から1785年にかけて、英国王ジョージ3世の王弟カンバーランド公ヘンリー・フレデリックの侍従も務めています。勘違いする人もいますが、侍従は平民ではありません。王族の侍従は高位貴族です。キャッキャうふふな世界でもなく、各人が身分に応じた役割や仕事で多忙を極めます。

イギリス王ジョージ4世(1762-1830年)18-20歳頃 カンバーランド公ヘンリー・フレデリック(1745-1790年)20歳頃 英国首相/第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ(1764-1845年)1794年、30歳頃

王弟カンバーランド公ヘンリー・フレデリックは、ピンときた方もいらっしゃるでしょうか。ジョージ4世が寂れた漁村ブライトンを『憧れのリゾート』として発展させたのも、ブライトンに滞在していた叔父カンバーランド公爵を尋ねたのがきっかけでした。流行や文化の形成には旗振り役となる王族以外に、周囲の高位貴族も必須です。グレイ伯爵も王族と共に経験し、語らう立場にいました。

ジョージアナの愛人/英国首相/第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ(1764-1845年)1794年、30歳頃 デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュ(1757-1806年)28-30歳頃 ジョージアナの長男/第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃

ちなみに独身時代のグレイ伯爵は1792年の28歳頃、既婚者だったデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャベンディッシュの愛人となったことでも知られます。ジョージアナはイギリス女優キーラ・ナイトレイが『ある公爵夫人の生涯』を演じた貴婦人で、以前キャヴェンディッシュ・バナナの関連でもご紹介した第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの母です。グレイ伯爵はジョージアナとの間に娘も儲けています。結婚後は正妻との間に10男6女の16人も儲けています。色々な意味で凄いですね。

デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュ(1757-1806年)28-30歳頃

スペンサー伯爵家出身のジョージアナは美人で知性も誉れ高い『社交界の花』でした。

女性に参政権が認められる1世紀以上も前から政治活動にも身を投じ、周囲には大勢の文壇や政界の名士が集まって大規模なサロンを形成していました。

強い影響力と話題性を持つ、誰もが知る有名人というわけです。

名だたる名士たちに囲まれている社交界の花ジョージアナから選ばれるというのは、特別な響きがあります。

英国首相/第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ(1764-1845年)1794年、30歳頃 グレイ伯爵の邸宅だったホーウィック・ホール(2008年)
"Howick Hall 01" ©John Nicholson(2 March 2008)/Adapted/CC BY-SA 2.0

後にグレイ伯爵は英国首相を務め、イングランドの最高勲章ガーター勲章を叙勲し、ガーター騎士団にもなっています。家柄のみならず本人の実力を大いに示す数々の実績を残しており、紅茶好きでも知られました。社交界の人々も憧れる紳士、グレイ伯爵の名が付いた紅茶『アール・グレイ』は高級で洗練されたイメージを強力に醸し出すことができました。グレイ(灰色)という色彩が持つイメージの後押しもあったでしょう。

知的な上流階級が好んだグレー系の色彩
エトラスカンスタイルのアンティークのアクアマリン・ネックレス アンティークジュエリー『エトルリアの知性』
エトラスカンスタイル アクアマリン ネックレス
イタリア or オーストリア? 1870年代
SOLD
エドワーディアン アクアマリン ペンダント アンティーク・ジュエリー『ヴェルサイユの幻』
エドワーディアン アクアマリン ペンダント
イギリス or ヨーロッパ 1910年代
SOLD
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレスモダンスタイル アクアマリン ネックレス
イギリス 1905年頃
今回の宝物
王室御用達ジュエラーの大きな非加熱アクアマリンのネックレス英国王室御用達 D&J.WELLBY社 アクアマリン ネックレス
イギリス 1920年頃
SOLD

イギリス、特に上流階級にはグレーやシルバー系の色彩に関してそのようなイメージがあるため、知的なものを好む高位貴族から優先的にグレーを帯びたアクアマリンが選ばれたと推察できます。

日本の伝統色も『四十八茶百鼠』の言葉がある通り、鼠色に関しては特にバリエーション豊かで、感性豊かに違いが愛されてきました。感覚的に共感できる命名がついているのも楽しいです。それほどの感性を持つ人がヨーロッパ上流階級にも存在し、このような宝物を愛してきたのでしょう。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

透明度が高くカットの質も極上なので、煌めきも豊かです。抑えられた色彩に重なるこの溢れんばかりの煌めきが、真の知性と贅沢を感じさせます♪

2-3-4. グラスゴー発アート・ティールームズでの邂逅

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

 高純度プラチナは光の加減などで、黒っぽく感じることが知られます。グレーを帯びたアクアマリンはこの硬質な輝きのプラチナに相性抜群で、お互いを惹き立て合える関係です!♪

シルバーが黒化と共に黄ばみも出ることで、時に温かみを感じられるのと対照的です。

ケルト神話の女神モリガン(生成AI×HERITAGE)

まさに強靭で孤高のプラチナ・ブロンドの美神と言う印象でしょうか♪

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

この宝物はモダンスタイルで、しかも画期的な新素材としてプラチナがジュエリーの一般市場に登場した1905年頃のものです。

最高にアーティスティックなデザインの贅沢なジュエリーです。

ウィロー・ティールームズの『豪奢の間』再現(マッキントッシュのデザイン 1903年)
"Room de Luxe" ©Dave souza(10 March 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5

当時、流行の最先端だったアート・ティールームズで着用するために制作された可能性が高いと感じます。テーマに合わせて各ティールームは内装が違います。この部屋は『豪奢の間(The Room de Luxe)』と命名されています。現代の日本人の感覚では贅沢というより洗練されたスタイリッシュさや、落ち着いた美を感じる人が多いかもしれません。

この辺りは細かなニュアンスとなります。Luxeはラテン語で「過多、贅沢」を意味し、フランス語では「贅沢、豪華、優雅」を意味します。総体としては華美や高価で上品なことを意味し、ラグジュアリー(luxury)がブランドの知名度や高い価格などの物質的な贅沢さを指すことに対し、リュクス(luxe)は価格やブランド力に捉われず、自分自身のこだわりや価値観を満たしてくれる『本当に意味での心地よさや心の豊かさ』を表現します。

派手すぎず上質な素材や洗練されたデザインで、スタイリッシュで落ち着いた上品で贅沢な空間を示すのにピッタリな言葉がリュクスなのです。芸術家や上流階級は言葉選びも知識があってシビアですから、深い考察を重ねて名付けたはずです。

ロンドン、パリ、ベルリンに次ぐ大都会だった時代のグラスゴーの街並み(1914年)
Public Postcard pre 1914 Glasgow ©Unknown author(8 May 1914)/Adapted/CC BY-SA 4.0

政治的な失策などもあって戦後に人口が激減したグラスゴーですが、当時はロンドン、パリ、ベルリンに次ぐヨーロッパでは4番目に人口が多い大都会でした。イギリス第2の都市として栄え、造船業や水運など世界中の人や物の交差点としても機能し、最先端の流行の発信地ともなっていました。

キャサリン・クランストン(1849-1934年)1903年、54歳頃

禁酒運動や女性の権利などの機運が高まっていた時代を背景に、グラスゴーのキャサリン・クランストンは『アート・ティールーム』という新たな文化スタイルを閃きました。父ジョージ・クランストンはパン&菓子職人でした。但し、普通の職人ではありませんでした。

グラスゴーの主要な広場ジョージ・スクエア(1900年頃)

鉄道網が張り巡らされ、それに伴う都市開発が活発だった時期、父ジョージ・クランストンはキャサリンが誕生した1849年に、エディンバラ・グラスゴー鉄道のチョップハウス(肉料理を中心としたレストラン)&ホテルのオーナーとなりました。ジョージ・スクエアの西側に位置し、『エディンバラ&グラスゴー・ホテル』に改称しその後は『クランストンズ・ホテル&ダイニングルーム』として知られるようになりました。

1階はコーヒー・ルーム、独立した喫煙室があり、商用ルームやラウンジも併設し、快適なベッドルームとバスが付いた客室にはいつでもコーヒー、シガー、ワイン、スピリッツ、エール(ビールの種類)、新聞、時刻表、筆記用具など上質で多様なサービスを提供できることを売りにしていました。

ケンジントン宮殿のオランジェリーで提供された紅茶とサンドイッチ(2006年)
"Flickr bitboy 204619671--Cucumber sandwiches with tea" ©Bit Boy from Lis Angeles, California, USA(7 July 2006)/Adapted/CC BY 2.0

キャサリンの1つ上の兄スチュアートは茶業者となり、1901年のグラスゴーで"純粋でシンプルな『お茶のお店』"という新たなビジネスのパイオニアになったとされます。サンドイッチ以上の重い食事は提供しないティールームを3店経営しました。今でこそお茶だけ、合わせて食べるとしたら軽食だけというスタイルが日本も日常に存在しますが、当時は画期的だったわけですね。これはお茶に合わせるためのティー・サンドイッチです。使用するパンは薄ければ薄いほど上品とされます。

チキン・サンドイッチ
"Chicken sandwich ©Tmannya(3 April 2014, 22:59:48)/Adapted/CC BY-SA 3.0
クロック・ムッシュ(ホット・サンドイッチの一種)
"Croque monsieur" ©Michael Brewer/Adapted/CC BY-SA 2.5

お腹を満たそう系のサンドイッチとは全くの別物ですね。

兄スチュアートの新しいスタイルのティールームに対し、キャサリンはより社交的な施設を創ることにしました。それが『アート・ティールーム』でした。キャサリンはビジネス上『ミス・クランストン』として認知されていましたが、1892年にエンジニアでバーヘッドの教務長だったジョン・コクラン少佐と結婚しています。

ヒルハウスの内装(マッキントッシュ夫妻 1902年)
【引用】National Trust HP ©National Trust for Scotland

ニッツヒルという小さな村にあった『ハウスヒル』と呼ばれる大邸宅に引越し、1904年にマッキントッシュ夫妻に内装の改装を依頼しました。出版業を経営するウォルター・ブラッキーの個人邸宅『ヒルハウス』の実績を気に入ったようです。なんだか名称が紛らわしいです。ハウスヒルは1930年頃に火災で大きな被害を受け、既に解体されています。どういう感じだったのでしょうね。

グラスゴーの著名な建築家
ジョージ・ヘンリー・ウォルトン(1867-1933年)1923年、56歳頃 ジョージ・ワシントン・ブラウン卿(1853-1939年)1932年、79歳頃
"Sir-george-washington-browne-1853-1939-archtet" ©Alfred Edward Borthwick(1932)/Adapted/CC BY 3.0

いずれにせよ、かなり気に入ったようです。キャサリンは1886年、イングラム通りに最初のティールームを開業しました。現代的なバロニアル様式でデザインされたそうです。1888年にはジョージ・ウォルトンにテールームズの一室を、新しいアーツ&クラフツ様式の喫煙室としてデザインしてもらいました。1897年にブキャナン通りに開店したアート・ティールムズは、建築家ジョージ・ワシントン・ブラウン卿に依頼しました。1898年までにアーガイル通りの建物全体を引き継ぐまでに事業拡大し、設計はH&D・バークレイが担当しています。実績ある有名建築家が目白押しです。

モダンスタイルの立役者
高く評価されているパトロン モダンスタイルの芸術家
キャサリン・クランストン(1849-1934年)1903年、54歳頃 チャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868-1928年) マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ(1864-1933年)

まだ貴婦人が紳士の同伴なしに外出するのが気軽でなかった時代、キャサリンは貴婦人も心地よく楽しめる新しいアート・ティールームズを創りたいと考案していました。女性が十分に活躍するのが難しかった時代、夫チャールズの影に隠れて目立たぬマーガレットですが、チャールズがマーガレットに宛てた手紙で「マーガレットには天才がある。私には才能しかない。(Margaret has genius, I have only talent.)」と伝えるほど才能を評価し、芸術家として尊敬した女性でした。セセッションのクリムトも、他にない特別な天才を持つマーガレットからインスピレーションを受けて有名作品を描いています。

マッキントッシュ夫妻の特徴的な作品
【参考】チャールズ・レニー・マッキントッシュのデザインのチェア 『白いバラと赤いバラ』(マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ 1902年)2008年のオークションで約3.6億円

マッキントッシュ夫妻は、完全に2人で1人の芸術家として創作活動していました。心から愛し合い、尊敬し合う2人だからこそできることです。男性的なチャールズと、女性的なマーガレットの感性を見事に調和させます。どちらも天才です。特に男性優位な業界に於いて女性性のマーガレットの存在は大きく、夫妻の作品を唯一無二の魅力を持つ存在に惹き上げる原動力となっています。

『芸術愛好家のための音楽室』のデザイン(マッキントッシュ夫妻 1901年)

女性経営者が貴婦人のためのアーティスティックで心地よい社交場を企画し、才能ある女性を心から尊敬できる夫とその妻に依頼するという巡り逢いが起きました。ソーキーホール通りへ1903年に開店するウィロー・ティールームズは、マッキントッシュ夫妻にあらゆるデザインを依頼しました。

ウィロー・ティールームズ『ホワイト・ルーム』のスペシャル・アフタヌーンティーのポスター(マッキントッシュ夫妻1903年)

紳士専用ルームだけでなく、貴婦人だけで気軽に楽しめる専用ルームがある画期的な仕様でした。

「貴婦人のために明るく、紳士のために暗く」というテーマで各部屋をデザインしました。まさに女性性と男性性を意識し、違いを尊敬したものですね。

1階前方は貴婦人のためのティールームで白、シルバー(灰色)、薔薇色で構成しました。

後方のランチルーム、2階にはソーキーホールを見通せるより高級な貴婦人のためのティールーム、3階は紳士のためのビリヤード室と喫煙室になっていました。

ホワイトルームでのスペシャル・アフタヌーンティーのポスターも、イラストと共に凝ったフォントが心をときめかせてくれます。音楽の生演奏が楽しめる曜日も企画されています。

ウィロー・ティールームズの制服姿のウェイトレス(1903年頃)

インテリア・デザイン、家具、カラトリー、メニュー、ポスターに加え、ウェイトレスの制服までデザインしたそうです。まさに空間全体がアートです!♪

ウェイトレスの女性たちも素敵な制服で楽しそうですし、誇りをもって仕事ができたでしょう。それでこそ、訪れた女性客も居心地良く空間を堪能できます。

実業家としてキャサリンは優秀でしたが、男性経営者のようなタイプではなく、女性の良さを備えた上での優秀な人物だったのでしょう。女性ならではの細かな気配りが感じられ、女性客も喜ぶ姿が想像できます♪

ウィロー・ティールームズのメニュー(マッキントッシュ夫妻 1911年)

マーガレットも「男性を押しのけて私が!私が!」というタイプではなく女性らしい印象です。アート関係はオカマが多いのは有名ですが、チャールズも良い意味で男性らしい男性だったように感じます。ドリンクにスイーツ、軽食・・。素敵なメニュー表は、選ぶだけでもワクワクしますね♪

グラスゴーは禁酒運動の中心地の1つでした。お茶は富裕層のための贅沢品でしたが、お茶が目的というより、アルコールの代替という印象が強くありました。キャサリンが企画した新たなスタイルが、お茶を目的としてお茶を楽しむ文化を生み出しました。男性中心の『パブ』に代わる選択肢として見事にフィットし、現代では全く別のジャンルとして確立しています。

アングロジャパニーズ・スタイル及びモダンスタイルの重要デザイナーとされるドレッサー
クリストファー・ドレッサー(1834-1904年) 1876年の来日時の茶会にインスピレーションを受けてデザインしたティーポット(1879年)

日本のお茶文化は、ヨーロッパ上流階級や知的階級から特別視されていました。グラスゴー出身でモダンスタイルの著名なデザイナーとしてカウントされることもあるドレッサーも、来日時に経験した茶会にインスピレーションを受けて作品を創造しています。

欧米への日本文化の紹介に貢献した人物
ウィリアム・スタージス・ビゲロー(1850-1926年)1896年頃?、46歳頃? 岡倉天心(1863-1913年)1905年以前、45歳以前 『THE BOOK OF TEA』(岡倉天心:覚三 1906年)1919年発行

日本が気に入りすぎて7年間滞在し、お寺に入門して法名『月心』を受戒し、帰国後はボストン美術館理事となって欧米へ日本文化を伝え、明治政府から勲三等旭日章を受勲したウィリアム・スタージス・ビゲローが支援して岡倉天心が『THE BOOK OF TEA(茶の本)』を出版したのも1906年です。日本人の美意識と日本美術の真髄を紹介する書籍として複数を出版していますが、『茶の本』が最も有名です。

ウィロー・ティールームズ(マッキントッシュ設計 1903年頃) "The Willow Tearooms" ©Dave souza(10 March 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5

この時代のグラスゴーはジャポニズムとアングロジャパニーズ・スタイルの最先端であり、1900年代初頭には「グラスゴーはティールーム(茶室)の観点で、極めて東京(TOKIO)であると言える。」と評価されています。

 "Glasgow, in truth, is a very Tokio for tea-rooms. "

キャサリンの発想と具現化力の賜物であり、単なる様式美だけでなく『お茶文化』の観点からも高く評価されました。

ウィロー・ティールームズ『ダグアウト』のデザイン(マッキントッシュ夫妻 1917年)

キャサリンはマッキントッシュ夫妻の有力なパトロンであり続けました。キャサリンにとって最後の依頼となり、マッキントッシュ夫妻にとて最後の建築作品の1つとなったのが1917年の『ダグアウト』です。隣の建物の地下にウィロー・ティールムズを拡張したもので、アールデコを先取りしたデザインと評価されています。

キャサリンの夫ジョンが病に倒れ、1917年10月22日に60歳で旅立ちました。キャサリンは表舞台から引退し、ティールームズやその他の事業も売却し、その後は夫を偲びながらずっと黒い喪服で過ごしたそうです。子供はおらず、1934年に亡くなる際、遺産の3分の2はグラスゴーの貧しい人々のために遺しました。

キャサリン・クランストンがデザインされた£20紙幣(2020年から流通)

その貢献度は大きく、人格的にも尊敬に値する人物として2020年からのロイヤルバンク・オブ・スコットランドの£20紙幣にデザインされています。女王エリザベス2世以外の女性が同国の同額面の紙幣に描かれたのは初めてであり、その特別な扱いがご想像いただけると思います。背景にはマッキントッシュ夫妻がデザインしたウィロー・ティールムーズも描かれています。

ヴィクトリア女王の寝室女官を務めたベッドフォード公爵夫人
ヴィクトリア女王(1819-1901年)19歳、1838年 ベッドフォード公爵夫人アンナ・ラッセル(1783-1857年)

イギリスのアフタヌーンティーの歴史は、ベッドフォード公爵夫人アンナ・ラッセルが始まりとされます。キリンビバレッジで1986年から販売されている、紅茶飲料『午後の紅茶』のパッケージ・デザインでご覧になった方も多いと思います。1837年から1841年にかけてヴィクトリア女王の寝室女官も務めている高位貴族です。

『寝室女官』と聞いても日本人にはイメージしにくいですが、現代も存在します。女王や王妃の公式の侍女で、伝統的に貴族の妻が務める職です。洗濯や着替え、脱衣を手伝う任務も担うとされ、そこだけ聞くと、平民の『お手伝いさん』みたいな女性を想像する人もいるかもしれません。庶民の基準で発想するのは誤りの元です。

天然真珠のフランボワーズのアールヌーヴォー・ゴールド・ネックレス着用イメージ
『フランボワーズ』
アールヌーヴォー 天然真珠ネックレス
フランス 1890〜1900年頃
¥2,200,000-(税込10%)

側近として女王が望むことを指示を受けて、或いは自ら気を利かせて遂行します。そのためには女王に並ぶ視点や教養を備えた上で、気配りやセンスも必要とされます。

着替えや着脱も、高価な物の性質と扱いを熟知していなければ務まりません。だから高位貴族の女性が務めるのです。

女王エリザベス2世の寝室女官として議会開会式に出席し
馬車でバッキンガム宮殿に戻るエアリー伯爵夫人バージニア・オギルヴィ(2006年)
"state Opening of Parliament 2008 VII(3082930784)" ©eobertsharp(3 December 2008, 12:59)/Adapted/CC BY 2.0

これは2022年にエリザベス2世が崩御するまで、1973年からおよそ50年近くの長きに渡って寝室女官を務めたエアリー伯爵夫人バージニア・オギルヴィ(1933-2024年)です。側近として公式行事や海外訪問に同行し、女王を支え続けました。功績を称えられ、1995年にロイヤル・ヴィクトリア勲章(DCVO)を授与され、『デイム』の称号も得ています。これは議会開会式からバッキンガム宮殿に戻る様子です。


エアリー伯爵夫人バージニア・オギルヴィ(1933-2024年)2006年、73歳頃
"state Opening of Parliament 2008 VII(3082930784)" ©eobertsharp(3 December 2008, 12:59)/Adapted/CC BY 2.0

エリザベス女王は1926年生まれで、2022年9月8日に96歳で崩御するまで務め上げました。最後の公務は2日前、9月6日のリズ・トラス新首相の任命式でした。エアリー伯爵夫人も89歳頃です。長年を公私共に過ごし、7歳年下とは言え同じように年を重ねた寝室女官は、家族とはまた別のかけがえのない存在だったでしょう。公務や人間関係も全て把握した上で、避けては通れない体の衰えまで勘案しての気遣いは、若い女官に不可能です。

女王の個人的な親友や相談相手として信頼されており、女王が秘密のメッセージを暗号で伝える際、誰よりも上手く察知して対処していたそうです。このようなことは高位貴族では通常です。HERITAGEで『秘密の知識』や読み解き方をご説明するのも必要だからであり、必然なのです。目立つ女王と違い、「もう引退します。」と言うことも可能だったはずです。それでも支え続けた信頼関係と責任感は凄いですね。高位貴族ですから議会にも威厳を以って参加しますし、装いも王族に準じます。

閥族で構成される王侯貴族
下段右:第13代エアリー伯爵デヴィッド・オギルヴィ(1926-2023年)2004年、78歳頃
 "The Queen at the Scottish Parliament(15426258241)" ©Scottish Parliament(9 October 2004)/Adapted/CC BY 2.0
PDアレクサンドラ王女(レディ・オギルヴィ)(1936-)2010年、74歳頃

ちなみに夫エアリー伯爵デヴィッドも、英国王室の最高幹部である宮内長官(Lord Chamberlain)を務めました。エリザベス2世と幼馴染でもあり、妻バージニアがパイプ役として機能したことも想像できます。第13代ということからも想像できる通り、エアリー伯爵は1639年に始まった古い名門貴族です。突然『伯爵位』になるわけではありませんから、家系はもっと遡れます。

スコットランドの最高騎士勲章シッスル騎士団の総長を務めたこともあります。画像はロイヤル・カンパニー・オブ・アーチャーズ(王立射手隊)の隊長として、スコットランド議会の開会式に参加する様子です。スコットランドに於ける英国君主の公式な護衛部隊で、現在は儀礼的役割として存在します。アレクサンドラ王女の義理の兄でもあります。日本も同様ですが、王侯貴族は閥族で構成される親戚集団です。表面的にしか見ないとヒエラルキー構造に見えますが、実際はそうではありません。一般大衆の大半は広告塔たるロイヤル・ファミリー主要メンバーにしか意識が行きませんが、目立たない、或いは一般大衆の前には決して出てこない影の実力者の方が本体だったり面白かったりします。

イギリス貴族のバンデッドアゲートのフリーメイソンの回転式3面フォブシール
バンデッドアゲート 回転式3面シール
イギリス 1860年頃
SOLD

エアリー伯爵デイヴィッドはエリザベス2世の国葬に妻と参列していますが、黒い眼帯を着用して参列し、その特異な姿が『眼帯をつけた高齢の紳士』として日本でもSNSなどで話題になりました。

スコットランドなどのキーワードを統合すると、秘密の知識を共有している人には伝わるメッセージを込めています。

知識がないと「海賊あらわる?!(笑)」、「目を痛めたのかな?」などとスルーして終わりです。

堂々と分かりやすい場所にメッセージを込めても必要な人に必要な情報量と範囲でしか届かないため、暗号通信は使い勝手が良いのです。

【ナイト】ショーン・コネリー(1930-2020年)2004年、74歳頃

スコットランド出身のショーン・コネリーが訛りを直そうとせず、どの役を演じても強いスコットランド訛りが残ることは有名です。

誇りを持っており、それが魅力となり、トレードマークにもなっていました。

『007』シリーズの初代ジェームズ・ボンド役は特に有名です。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

目立たぬスコットランドですが、モダンスタイルが生まれたり、現代のスタイルのアフターヌーンティーにつながるアート・ティールームズが生まれたり、色々な意味で魅力ある面白い国(イギリスは連合国家)なのです。

ベッドフォード公爵夫人アンナ・ラッセル(1783-1857年)

話を戻します。

寝室女官は貴婦人の中でも『名誉の職』として特別視されており、誰が任命されるか歴史的にも熾烈な争いとなったりしていたそうです。

英語では『Lady of the Bedchamber』であり、王族の血統が必要な女王や王妃に対し、寝室女官は実力次第とも言える『レディの最高位』とも言えるのです。

実力が最も重要なので、血統次第の下手な王族より優秀な可能性は十分にある身分です。アイデアを女王や王妃に提供し、広告塔にして流行させるなど、影の実力者になれる立場です。

ベッドフォード公爵家のウォバーン・アビー(1593-1641年建設)

当時の王侯貴族の晩餐は社交を兼ねており、音楽会や観劇の後の夜8時頃からとなっていました。ランチから時間が開くことによる空腹を防止しようと、ベッドフォード公爵夫人が午後3時から5時頃の間にサンドイッチや焼き菓子を食べ、合わせてお茶を飲む習慣を始めました。

最初は孤食でしたが、やがて邸宅を訪れる貴婦人たちをドローイング・ルーム(応接室)で軽食やお菓子、お茶を出してもてなすようになり、それが評判となってアフタヌーンティーが貴婦人の午後の社交として定着していきました。ただお茶とお菓子を食べながらお喋りして満足するというのではなく、ベッドフォード公爵夫人のセンスの良い心のこもったおもてなしが貴婦人たちの心を捉えたようです。寝室女官クラスの貴婦人ともなれば人柄、気配り、教養にアイデアやセンスも複合的にトップクラスということでしょう。

カラーゴールドとプラチナの彫金が美しい白鳥のアンティーク・ブローチ『愛の白鳥』
スワン バー・ブローチ
イギリス 1923年
¥950,000-(税込10%)

小さな宝物は時を超えて語りかけます。

王侯貴族の優れたアンティークジュエリーが教えてくれる通り、押し付けがましくなく気遣いを見せてくれます。気づかなくても良い、貴方が幸せであればそれで良い。そのために全力を尽くしたい。

真心に気づいた人は心が満たされ、心豊かになっていきます。幸せの循環が生まれ、より多くの人が幸せとなっていきます。

どのように愛を込めるか、メッセージを込めるかは個人のセンスや教養次第ですから、表現方法は唯一無二という面白さがあります。優れた人は進化スピードが早いですし、その時々の流行や季節的なものもありますから、同じ人でもまさに全てが一期一会です。

『3人でのアフタヌーン・ティー』(フレデリック・スラクロワ 1870年代)

親しい友人たちを招くアフタヌーンティーは、ヴィクトリアンの上流階級の優雅な社交文化として定着していきました。

しかし、あくまでも上流階級だけのものでした。

「湾岸池」藤長庚編集『遠江古蹟圖會』(1803年)遠江国佐野郡富部村の椀貸伝説を描いた江戸時代の彩色画

『まんが日本昔ばなし』の『龍宮の椀』のエピソードからも想像できる通り、昔の庶民は質が云々の話以前で、必要な数以上の食器など持ちませんでした。

奥羽から九州まで日本の広範囲に伝わる『椀貸伝説(わんかしでんせつ)』が原型です。

近世以前の日本では家族が必要とする数以上の食器を持たなかったため、婚礼など人数が集まる催しの際には、余所からお膳やお椀を借りるという状況がしばしば発生しました。

江戸時代でも割れた食器は捨てず、修理して使っていました。稀少価値の高い漆と金粉を使い、高度な技術と手間を必要とする金継ぎは表現の1つとして見做される、いわば『芸術』です。

庶民の修理は焼き継ぎや鎹(かすがい)直しです。焼き継ぎは『白玉継ぎ』とも言い、割れ目に鉛ガラスの粉末(白玉粉)や充填剤を塗り、火で加熱して接着します。『焼き継ぎ屋さん』と呼ばれる職人が町を巡回し、安価で手軽にその場で修理してくれました。それほどの需要があり、壊れても修理して、物を大切に使っていたということです。大量生産・大量消費社会となり、修理せず消費して終わり、すなわち壊れたら当たり前のように捨てる現代社会では修理屋さんも存続が難しく、数をこなせないので経験値が積めませんし、単価も高くなります。高くなるとますます「修理するくらいなら新しく買った方が安い!」となり、負のスパイラルでしかありません。

ちなみに鎹直しは割れた部分に小さな穴を開け、金属のホチキスのような鎹を打ち込んで固定する頑丈な修理方法です。「子はかすがい」の語源です。

英国王室御用達マッピン&ウェブ取扱のロイヤルドルトン製のコーヒーセット
英国王室御用達マッピン&ウェブ社
コーヒー・セット
カップ&ソーサー:英国王室御用達ロイヤルドルトン 1938年
スプーン:シェフィールド 1938年
SOLD

産業革命によって数は揃えられるようになっても、一般大衆が購入できるのは機能さえあれば良いという品質です。

誇りを持って制作された、高度な手仕事に基づく高級品ならで『芸術性』など期待しようがありません。魂の宿らぬ大量生産の百均の食器などではテンションの上げようもなく、優雅なアフタヌーンティーは気持ちの面で成立しません。

王侯貴族御用達ダニエル・トッド
ベリー・スプーン&シュガー・シフター セット
W.S. サヴェージ社(シェフィールド) 19世紀後期
SOLD

上流階級にとってのファッションその他は、決して自己顕示欲のためのものではありません。相手に礼を尽くすためのものです。

便利な道具としての百均の食器は否定しませんが、もっと高価なものが買えるのに、あまりにも安物でもてなすのは相手に失礼です。そのような振る舞いは「貴方程度ならば安物で良い。」、「貴方ごときに1円でも余分にかけるのは惜しい。」という意思を伝えるのと同義です。何もしない方がまだマシです。

逆にその人ができる最高の贅を尽くしていれば、「私などのために、これほどの物を使ってくれるなんて!」と、その過分な扱いに感激し、感謝されるものです。それらのメッセージが伝わるか否かは相手の教養や感性次第ですが、モノは単なる物質ではありません。誤魔化しなく如実に真実を語りかけます。ハリボテや悪意も含めてです。潜在意識すら反映するので、本人が意識下で自覚していない『心』すら伝えてくれます。以前は自覚していませんでしたが、Genや私はその受信機能が極端に高性能だからこそこの仕事には向いています。悪意ある人も物も苦手です。膨大な情報を処理するのは得意です!♪(笑)

イギリスのロスチャイルドの城ワデスドン・マナー
フォト日記・初投稿『ロスチャイルドのお城(1)』

中産階級の中でもアッパー・ミドルクラスならば、少し高価なティーセット程度はお金を出して手に入れられるかもしれません。一番ハードルが高いのは、恐らく『場所』です。これはロスチャイルドの邸宅ワデスドン・マナーです。私が初めてロンドンに渡航した際、この仕事をするなら勉強になるからと、イギリス人ディーラーがわざわざ車で連れて行ってくれた場所です。内部も様々な部屋を見学でき、メチャクチャ役立っています!

デヴォンシャー公爵キャヴェンディッシュ家のカントリー・ハウス
『チャッツワース・ハウス』(18世紀後期)

デヴォンシャー公爵のカントリーハウス『チャッツワース・ハウス』でもご紹介した通り、貴族の邸宅は用途に合わせて様々な専用部屋があります。現代はお金持ちの邸宅と言ってもたかが知れており、一般大衆が想像できる規模を超えています。

同じ公爵家であるラトランド公爵のビーヴァー城の数字を見ると、スチュワード(執政、宮宰、家宰、家令に相当)2,421名、その他1万1,312名で運営しています。高度人材(専門スタッフ)と言えるスチュワードだけでも、小さな町の規模があります。所領の地元住民の雇用を創出し、地元発の文化や産業を創出して内外にPRし、経済を回す中心的な役割もになっていたのが小国の王たる『貴族』という存在でした。住み込みのお手伝いさんが数名いるだけで凄いと感じる人は、その基準で想像してはいけません。


ロスチャイルドの邸宅ワデスドン・マナー『グレーの応接室』
"Grey Drawind Room at Waddesdon Manor" ©National Trust, Waddesdon Manor / Jphn Bigelow Taylor/Adapted/CC BY-SA 4.0

これはドローイング・ルーム(応接室)です。ドローイング・ルームは来客をもてなしたり、各種の社交や談笑を行うためのイギリスの伝統的な応接室や客間として存在しました。貴族の邸宅では社交の中心として、格式の高いリビングやレセプション・ルームとして機能しました。家主のセンスや美意識、教養や財力の魅せ場でもあり、調度品もいわゆるミュージアム・ピース揃いです。

これは『Grey Drawing Room(グレーの応接室)』と呼ばれ、"グレー"がイメージするエレガントで高級感ある仕様となっています。

ロスチャイルドの邸宅ワデスドン・マナー『赤の応接室』
"Red Drawing Room at Waddesdin Manor" ©National Trust, Waddesdon Manor / John Bigelow Taylor(6 July 2007)/Adapted/CC BY-SA 4.0

大金持ちともなると1つでは足りないわけで、ワデスドン・マナーは『赤の応接室』もあります。

『赤い盾』という意味を持つ、家名ロスチャイルドに因むものでしょう。

部屋の用途やテーマに合わせて、部屋の装飾や雰囲気もデザインします。

プライベート美術館そのものです。

一般大衆は公共の美術館でガラス越しに鑑賞するのみですが、王侯貴族は手元で好きなだけ眺め、持ち主に由来などを尋ねたり、時には議論して楽しむのです。

王侯貴族の邸宅用オブジェ
ロスチャイルド フランス 宝石のパイナップル ガーネット 翡翠 WADDESDON MANOR『宝石のパイナップル』(フランス 18世紀中期)ワデスドン・マナー蔵 モスアゲート(苔メノウ) アンティーク デンドライトアゲート ヘソナイトガーネット 壁掛 プレート アート『大自然のアート』
デンドライト・アゲート&ヘソナイト・ガーネット 壁掛
イギリス 19世紀後期
¥387,000-(税込10%)

生活の隅々に至るまで『芸術』が行き渡っており、生まれてからそこで日常を暮らす者にとっては特別なことではなく、ごく当たり前なこととなります。自分自身と切っても切り離せない、自身を形成する一部となります。用途があるからこそ、このような贅沢な優雅な小物が生み出されています。稀少価値の高い宝石や半貴石が、『芸術』のために贅沢に使用されています。心の豊かさと言う意味で、ジュエリーと違いはありません。しかし、ジュエリーにはお金を出せても、小物にまでお金を出せる人は滅多にいません。

小国の王たる爵位貴族クラスの持ち物であり、数も少ない至高の贅沢品と言えます。Genも私もこよなく愛する理由です。大好きですが、制作数が少なく入手のチャンスも滅多にないからこそ、ご紹介できる機会は限られます。このような芸術性の高い贅沢なミュージアムピースが手元にある悦びは、何にも替え難いです♪

キャサリン・クランストンがデザインされた£20紙幣(2020年から流通)

教養や経験値、財力と言う意味でも俄か成金や庶民には、アフタヌーンティーを主催するためのセンスの良いドローイングルームを自宅に創るのは困難です。ティールームが『アート・ティールーム』でなければならなかった理由はお分かりいただけたと思います。

自身の邸宅の改装を重ねて経験を積み、芸術家を観る眼、芸術家を育て才能を発揮させるパトロンとしての卓越した才能を、人格も含めて持っていたのがキャサリン・クランストンでした。

サヴォイ・ホテルの大晦日のパーティのディナー・メニュー(1908年)

それまで貴婦人の社交は貴族の邸宅で行い、男性の同伴なく単独で外出することはありませんでした。

ロンドンに『高級ホテル』という新たなジャンルが誕生し、貴婦人が外出して楽しむという都市型の新しい社交スタイルが誕生したのが19世紀後期から20世紀初頭にかけてでした。

その皮切りがサヴォイ劇場を併設するサヴォイ・ホテルです。

オシャレをして観劇後、ホテルのレストランでダンスをしたり音楽を聴いたりしながら高級フレンチを堪能するという、まさに王侯貴族が邸宅内で完結させていた社交そのものです。

ブルー ギロッシュエナメル ペンダントウォッチ アンティーク・ジュエリー『ダイヤモンド・ダスト』
ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント・ウォッチ
フランス(パリ) 1910年頃
¥15,000,000-(税込10%)
ボンブリング アールデコ 天然真珠 アンティーク・ジュエリー『甘い誘惑』
天然真珠 ボンブリング
イギリス 1920年頃
SOLD

貴婦人が外出する時に必要な時計、高級ホテルのフレンチ・レストランで考案された魅惑のスイーツ『ボンブ・グラッセ』にインスピレーションを受け制作された『ボンブ・リング』など、当時の最先端の流行を反映した宝物が存在します。

これらは夜の社交用なので華やかです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

それに対し、貴婦人の日中の社交『アフタヌーンティー』を邸宅の外で楽しめるようにしたのがグラスゴー発『アート・ティールームズ』です。

ロンドンでも高級ホテルのザ・ランガムやザ・リッツがアフタヌーンティーを始め、やがて庶民にまで広がり、イギリス全体の誇りある文化として浸透しました。

バラ園オーナー主催のアフタヌーンティー
早朝のバラ園でのバラ摘み バラ園でバラ尽くしのアフタヌーンティー
フォト日記『秘密のバラ園』2026.6.11

今では世界中で格調高いイギリスの優雅な伝統文化として知られ、その文化的な影響力や経済効果などを含め、国家としてのイギリスへの貢献は計り知れません。これは先日、とある『秘密のバラ園』でバラをテーマにしたアフタヌーンティーを楽しんだ様子です。ご興味がある方はぜひフォト日記もご覧くださいませ♪

対照的なアッパー・ミドルクラスの女性パトロン
尊敬されているパトロン 文化の破壊者/笑い者になったパトロン
キャサリン・クランストン(1849-1934年)1903年、54歳頃 アメリカの腎臓専門医イディス・ファンズワース(1903-1977年)

一般大衆は実行役として芸術家ばかりに意識がいきがちですが、優秀なパトロンがいなければ優れた創作活動は存在できません。依頼者と芸術家が議論やアイデアを交わしながら共創するものであり、それは芸術家だけの作品とは言えません。

パトロンとなる側の上流階級は『パトロンとしての才能』もよく分かり、共感できます。お手本となる王侯貴族がいなかったアメリカに対し、アンティークの時代のイギリスは王侯貴族が優れたお手本として機能していました。事業が上手くいって儲けた中産階級もそれを見習い、並の上流階級以上に立派なパトロンとなって、国民や文化に貢献した例はイギリスにはいくつもあります。ミス・クランストンの20ポンド紙幣への採用は、その貢献度の大きさを物語っています。

ウィロー・ティールームズ『The Room de Luxe』再現(マッキントッシュのデザイン 1903年)"Room de Luxe" ©Dave souza(10 March 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5 エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレスイギリス 1905年頃

これこそが貴婦人のために作られた、2階のより高級でLuxeなティールームです。私は一目惚れしたほどド直球の好みです。男性のGenも、今なお未来的に感じるデザインに大感激していました。1階の白を基調とした明るい女性用のティールームに対し、こちらは同じ女性用でもグレー独特の気品、エレガントな知性がより強く漂い、貴婦人の心をときめかせるデザインとなっています。

当時のウィロー・ティールームズの人気は絶大で、ティールームの中でも最も有名でした。そのウィロー・ティールームズを象徴するのが『The Room de Luxe』です。宝物の持ち主が訪れていないわけがなく、いかにもこの空間にフィットします。日中の社交用だから、ダイヤモンドではなく清楚な天然真珠が選ばれています。

開業時のウィロー・ティールームズ『The Room de Luxe』(1903年) エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレスイギリス 1905年頃

当時はテーブルクロス、茶器、メニュー表、ウェイトレスの制服に至るまで、より豪華で美しいものでした。このネックレスを着用し、装飾性に富むアーティスティックなモダンスタイル空間で、生演奏の音楽も聴きながら戴く優雅で贅沢なアフタヌーンティー・・。さぞかし愉しかったでしょうね♪♪

3. 最高級品らしい細部までの気が利いたデザイン

3-1. アクアマリンを惹き立てる品の良い上質な天然真珠

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

 この宝物は照り艶に優れ、質も揃った美しい天然真珠によるデザインも見どころの1つです。

ダイヤモンドで楽して儲けたい現代の宝飾業界と、とても宝石とは呼べない品質の養殖真珠で儲ける業界のせいで、現代の一般庶民には『真珠はダイヤモンドに劣る』イメージが付いています。

実際にはダイヤモンドと真珠は優劣を競う対象ではなく、煌びやかに輝くダイヤモンドは主にナイト・ジュエリー、清楚で気品ある真珠は主にデイ・ジュエリーという棲み分けです。

美しい天然真珠は、貴婦人の日中の社交のために制作されたデイ・ジュエリーの最高級品の証です。

3-1-1. 上質で質を揃えた天然真珠の価値

 現代の殆どの日本人は、真珠と言えば養殖真珠しか知りません。これは天然の宝石ではなく、生き物を虐待して生産する商業目的の工業製品です。大量生産・大量消費材として均質に揃えるため、あらゆる生産設計がなされています。

あこや養殖真珠
 "Akoya peari" ©MASAYUKI KATO(17 February 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0

ドブガイの貝殻を削った核を使うことで、サイズと形を揃えます。化学薬品で脱色して染色し(一連を『調色』と呼びます)、色味を揃えます。表面をピーリングしてブツを除去したり、光沢など表面質感を揃えます。

真珠の外観の比較
天然真珠天然真珠 初期の養殖真珠初期の養殖真珠 現代の花珠養殖真珠

どの程度ピーリングするかは、生産者側の美的感覚に依存します。右の200万円の花珠真珠ネックレスは光沢を出し過ぎて、かえって安っぽく感じます。真珠層が薄いため(厚み0.25mm以上で花珠認定可)、輝きも表面的でペラいです。

【引用】水産庁データ、参議院事務局企画調整室編集・発行 立法と調査 No.379 「真珠産業の振興 -真珠振興法制定までの経緯と取組について-」農林水産委員会調査室 喰代伸之(2016.8)

母貝も養殖なので均質です。

平飼いが当たり前だった鶏ですが、今は殆どが卵や肉の大量生産のために、短い一生を狭いバッテリーケージ(高密度ケージ)で過ごします。

衛生状態やフラストレーションから強いストレスがかかりやすく、感染症の蔓延を防ぐために、大量のワクチン接種スケジュール技術が確立されています。養殖真珠同様、工業製品です。

愛媛新聞(2019.9.4)

同じ品質な上に密飼いするので、病気が蔓延すると壊滅的な被害が発生します。一昔前は日本産のアコヤ貝をことさらにPRしていましたが、今は死滅して中国産とのハーフ貝にしてしまったため、日本産のアコヤ貝のことは触れません。金儲けのためでしかありませんから、業界はコロコロ主張が変わります。

愛媛新聞(2019.9.4)

分かっていて繰り返す理由は明らかです。『お安く教』が買い叩くため、真面目な生産者は市場から淘汰されていなくなり、お安く原理主義の圧力に負けた業者はコストカットを母貝や人件費などに吸収させます。お安く教は文化の破壊だけでなく、生き物の命や尊厳も奪っています。想像力が貧相なので自覚がないということもありますが、そもそも他者の痛みなど自分の痛みではないので平気で、自分さえ得をすれば良いという思考なのでどうしようもありません。

養殖真珠の歩留と花珠の割合

言葉のマジックはここでも存在します。『挿核』と言うと簡単に聞こえますが、自然環境であり得る砂粒ほどの異物と異なり、小さな母貝の体内にいきなり6mmや8mmもの珠が無理やり挿入されるのは異常なことです。母貝にとっては『大きな外科手術』と言えるもので、実際に手術用のメスを使用します。だからこそ挿核は作業者によって上手い下手が発生します。耐えられずに死んでしまったり、術後の経過が悪くて苦しみながら死んだり、耐え抜いても最終的には殺され、肉体は産業廃棄物と化します。養殖真珠は私にとって『呪物』でしかありません。

養殖真珠の剥がれて浮き上がった真珠層と内側の核スケスケの養殖真珠の真珠層

養殖真珠は質が揃っていて当たり前です。

そう設計されているからです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

天然真珠の稀少性、質を揃える大変さが想像できる方ならば、これだけの品質で質が揃っていることの価値をお分かりいただけると思います。

アールデコ 天然真珠 リング アンティークジュエリー『影透』
アールデコ 天然真珠 リング
イギリス 1920年頃
SOLD
ストーンカメオ エンジェル ブローチ アンティーク『ハッピー・エンジェル』
ストーンカメオ&フェザーパール ブローチ
フランス? 1870〜1880年代
¥1,200,000-(税込10%)

優劣ではなく、それぞれに難しさの違いがあります。最高の天然真珠を手に入れ、その1粒に合わせてデザインする方向性もあります。揃えるのではなく個性の競演にしたり、微調整が効くハーフパールを使ってバランスを整える方向性もあります。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

3粒の上質かつ質の揃った天然真珠を使ったデザインに挑むという時点で、この宝物の最高級品としての地位は確定しています。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

小さな天然真珠ですが、天然真珠ならではの優しい輝きに心奪われます。通常より照りが良く、女性ならではの芯の強さのようなものも感じられます。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス ←等倍↑

内部まで真珠層だからこそ内から滲み出る複雑な干渉光が生まれ、天然真珠ならではの唯一無二の輝きとなっています。芯なき養殖真珠には出せぬ光です!(笑)王侯貴族に至高の宝石と位置付けられてきた、本物の真珠だけが持つ『美』です♪

3-1-2. アールデコと異なる色彩感覚と宝石選択

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

 モダンスタイル・ジュエリーの特徴として、淡い色彩の宝石が選ばれる印象があります。

幾何学と直線などの特徴から、フォルム的には後期アールデコと共通する部分もあるのですが、色彩設計に大きな違いを感じます。

3-1-2-1. 後期アールデコの宝物

 後期アールデコの宝物を眺めると、強い色彩が好まれたことが分かります。幾何学や直線デザインと組み合わせることで、かなり男性的でパンチが効いた印象となります。

アールデコのアーティスティックなオニキス&ダイヤモンド・リングアールデコ オニキス&ダイヤモンド リング
フランス? 1920〜1930年頃
SOLD
アールデコのラピスラズリ&ダイヤモンドのペンダントペンダント
オーストリア 1930年頃
SOLD
アールデコ後期の象牙を使ったスタイリッシュなペンダントペンダント
フランス 1930年頃
SOLD
ノルマンディー号がモチーフのアールデコ・ペンダント『ノルマンディー号』
後期アールデコ ペンダント
フランス 1935年
SOLD
アールデコのエメラルドカット・ダイヤモンド&ルビーのリング後期アールデコ・リング
フランス 1930〜1940年頃
SOLD

狂騒の時代という背景がありますが、女性の社会進出が進み、女性の役割や価値観が大きく変化したことも大きいです。第一次世界大戦で多くの男性が戦地に赴き、労働力の穴埋めのため、女性たちが工場やオフィスなどの労働市場に進出しました。『男性の代わり』を務めた結果、男性的な女性が増えたと言えます。

シルビア・ボン・ハーデン(1894-1963年) シルビア・ボン・ハーデン(1932年)38歳頃

これは伝統的な性別や役割から解放された自立した女性、『新しい女性(ノイエ・フラウ)』の象徴として世界的に知られたシルビア・ボン・ハーデンです。ヴァイマル共和政期のドイツで活躍したジャーナリスト/詩人で、1933年にナチス・ドイツを逃れてイギリスに移住しています。

美人だと何をやっても絵になると感じる反面、短髪、モノクル、赤い口紅、タバコにカクテルという出立は、伝統的な貴婦人が見たら卒倒するようなものです。これが従来の王侯貴族から庶民の時代への移行を象徴する、多くの女性たちが憧れ理想とした『新しい女性像』だったわけです。

コスチュームジュエリーを着けたアールデコの時代のフラッパー

女性らしいウエストを強調するコルセットが姿を消し、直線的でシンプルなシルエットのドレスが流行しました。足も露出するようになりました。

短髪(ボブカット)やパンツスタイルなど、まさに男性的なファッションが活動的で自立した女性像『ラ・ギャルソンヌ(La Garçonne)』として賞賛されました。

英語だとフラッパーです。

水着姿のフラッパー/ギャルソンヌ(1920年代)

ギャルソンヌはフランス語の『ギャルソン(garçon=少年)』を女性形にした造語で、少年のようなボーイッシュな女性、男まさりの女性などを意味します。

小説『プラスチック時代』(1924年)表紙に描かれた典型的なフラッパー

男性を助手席にし、ハンドルを握る女性もいかにもフラッパーらしいです。

アールデコとは、女性が男らしくパワフルな時代でした。

イギリスの『眩い若者たち』と呼ばれた王侯貴族
ヨーク公爵夫人時代のエリザベス王妃(1900〜2002年)1925年、25歳頃 カリスブルック侯爵夫人アイリーン・マウントバッテン(1890-1956年)1925年、35歳頃

程度の差はありましたが、王族も含め上流階級にもこのような新しいタイプの女性たちが現れました。『Young Bright Things(眩い若者たち)』と呼ばれ、1920年代のロンドンで社会の規範にとらわれず自由を楽しむ若い王侯貴族や名士たちとして、世間の注目の的としてメディアを賑わせました。イギリス国王ジョージ6世妃で、エリザベス女王の母となるストラスモア・アンド・キングホーン伯爵家のレディ・エリザベス(クイーン・マザー)もその1人です。カリスブルック侯爵夫人はヴィクトリア女王の孫アレクサンダー王子の妻、つまり王族です。

最先端デザインの青の宝石選びの傾向
モダンスタイル 後期アールデコ
アクアマリン・ピアス アンティーク・ジュエリー アクアマリン ネックレス アンティークジュエリー エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアンのアクアマリン&天然真珠のペンダント アンティーク・ジュエリー 格子のようなアールデコ・ジャポニズムのサファイア・リング アールデコのラピスラズリ&ダイヤモンドのペンダント
アールデコ・ダイヤモンド&カリブレカット・サファイア・リング

王侯貴族のために作られた最高級品も、傾向として、後期アールデコは濃い色彩の宝石が好まれたようです。養殖真珠の登場と、続くコスチュームジュエリーの影響で真珠のイメージが地の底に落ちたこともありますが、パンチの効いた煌びやかな時代にはダイヤモンドが雰囲気にも合い、多用されています。

新鉱脈の発見など、時代ごとの宝石の流行は複雑な要因がありますが、基本的にアールデコはパンチが効いた濃い色彩、モダンスタイルは女性らしい優しい色彩が好まれたようです。

3-1-2-2. 淡い色彩が好まれた特殊性

 ミッド・ヴィクトリアンの社交界は、女性君主がファッションリーダーの時代でした。夫より妻の方が上の立場であり、女性が君主として威厳を誇示する必要がありました。

ミッド・ヴィクトリアンの王族女性
スペイン女王 イギリス女王 イギリス女王の従妹
スペイン女王イザベル2世(在位:1833-1868年)とフランシスコ・デ・アシス・デ・ボルボン王配 ヴィクトリア女王とアルバート王配(1861年)共に42歳頃 メアリー王妃の母・テック公妃メアリー・アデレード(1833-1897年)1860年、26歳頃

この時代の王族女性はふくよかな傾向があったようで、君主としての威厳の誇示に加え、人そのものの個性に合わせて迫力あるドレスが流行しました。そのようなドレスに合うジュエリーもやはり存在感が必要ということで、デザインと共に宝石も色彩が濃く、強く主張するものが選ばれる傾向にありました。

ヴィクトリア女王の従妹/メアリー王妃の母・テック公妃メアリー・アデレード(1833-1897年)1885年、51歳頃

Genがこれまでアンティークジュエリーを見てきた所感として、「ミッド・ヴィクトリアンのジュエリーは貴族用に作られたものでも成金趣味が多い(から扱えない)。」とのことです。

実際、王族であるヴィクトリア女王の従妹メアリー・アデレード公妃の話からもそれは想像できます。

だからルネサンスもHERITAGEも、ミッド・ヴィクトリアンのジュエリーは極端にお取り扱いが少ないです。

典型的なミッド・ヴィクトリアンのジュエリーは以下になります。

ミッド・ヴィクトリアンの典型的な成金ジュエリー

後期アールデコとは異なりますが、色彩が強いです。

3-1-2-3. 女性らしい優しい色彩の宝石の流行

 レイト・ヴィクトリアンも英国君主はヴィクトリア女王でしたが、1862年にアルバート王配を失ってからはずっと喪服で過ごし、殆ど公の場にも出てこなくなりました。年齢的なこともあり、ファッションリーダーは王太子夫妻に移り、貴婦人たちのお手本はアレクサンドラ王太子妃となりました。

母:英国王太子妃アレクサンドラ 娘:ノルウェー王妃モード
アレクサンドラ王太子妃(1844-1925年)1880年初期、30代後半 ノルウェー王妃モード(1869-1938年)1906年、37歳頃

女性君主ではなく、時期王妃として夫を支える立場だったので控えめで清楚、女性らしい優しい雰囲気が好まれました。アレクサンドラ妃は典型的なヨーロッパ王族らしい高貴な雰囲気と、50代でも30代にしか見えぬ美貌を持っていたとされ、明るい性格もあって社交界の花として人気者でした。ロイヤルファミリーを構成する娘たちも含め、スタイルも抜群でした。

ペリドット&ホワイトエナメル ネックレス アンティークジュエリー『ゴールド・オーガンジー』
エドワーディアン ペリドット&ホワイト・エナメル ネックレス
イギリス 1900年頃
¥1,000,000-(税込10%)

ミッド・ヴィクトリアンに流行したクリノリン・ドレスは太い体型をカバーするものでしたが、レイト・ヴィクトリアン以降は抜群のスタイルを強調する方向性となりました。

クリンノリン・ドレスはボリュームを出すためにハリのある厚い生地が使用されましたが、レイト・ヴィクトリアンにかけては身体にしなやかに寄り添う透け感のある薄い生地が流行し、ジュエリーも軽やかな雰囲気で制作されました。

ペリドットも流行しています。同じ緑系でも、エメラルドより優しい色彩です。

3-1-2-4. 天才マーガレットの独特の色彩感覚

 レイト・ヴィクトリアンからエドワーディアンにかけて、軽やかなデザインのジュエリーが流行しました。但し必ずしも淡い色彩が意識的に選ばれたわけでもなく、アレクサンドラ妃はルビーやアメジストなども好んだとされます。いかにも高貴な雰囲気に合いそうです。

モダンスタイルの立役者
高く評価されているパトロン モダンスタイルの芸術家
キャサリン・クランストン(1849-1934年)1903年、54歳頃 チャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868-1928年) マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ(1864-1933年)

モダンスタイル・ジュエリー独特の色彩感覚は、各国の芸術家に天才としてインスピレーションの元にもなったマーガレット・マクドナルド・マッキントッシュの影響が大きいとみられます。

マッキントッシュ夫妻の絵画
夫:チャールズ 妻:マーガレット
『中秋の名月』(1892年) 『白いバラと赤いバラ』(1902年)2008年のオークションで約3.6億円

マッキントッシュ夫妻が結婚したのは1900年ですが、出逢ったのはグラスゴー美術学校です。1889年、16歳の時にデザインとアートを学ぶために入学し、マーガレットの妹夫妻と4人で『4人組(ザ・フォー)』の名前で活動していました。お互いに影響し合っていたことは間違いなく、完璧な分離は難しいです。それでもそれぞれの作品を比較すると、夫チャールズに天才と言わしめた、マーガレット独特の感性が浮かび上がってきます。女性特有のモチーフ、色彩感覚、曲線の描き方など、男性アーティストにはできない表現が伝わってきます。

マッキントッシュ夫妻の絵画
夫:チャールズ
ポスター(1896年)
妻:マーガレット
第8回・分離派展出展『The Wassail(5月の女王)』(1900年)
【引用】MoMA ©Acquired by exchange from the University of Grasgow / The Museum of Modern Art

"The May Queen" de Margaret Macdonald (Glasgow)(3803689322)" ©Jean-Pierre Dalbera from Paris, France(1900)/Adapted/CC BY 2.0

マーガレットの独特の美的感覚はまさに『天才』と表現するに相応しく、一般的な感覚でこのバランスを創造するのは困難です。それを一番分かるのは、創作活動で頭を日々悩ませている同じ芸術家でしょう。右のマーガレットの『5月の女王』は、1900年の第8回・分離派展に出展されました。同年の第6回・分離派展は大規模な日本美術(ジャポニズム)展が開催されており、日本美術の影響を受けているグラスゴー派『4人組』の招聘は、ウィーン分離派(セセッション)にとって良い刺激になるという意味もあったでしょう。

モダンスタイル
-天才マーガレットの代表作-
セセッション
-クリムト黄金時代の代表作-
『風のオペラ』(マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ 1903年) 『接吻』(グスタフ・クリムト 1907-08年)

クリムト黄金時代の代表作とされる『接吻』は琳派の金箔工芸や左右非対称の構図、平面的な空間表現から日本美術の影響を強く受けていることで知られますが、大元としてはマーガレットの代表作『風のオペラ』にインスピレーションを受けて描かれたとされます。愛のテーマ、独特の構図は間違いないでしょう。

それでもマーガレットの作品は女性アーティストらしさを感じ、クリムトの作品は男性アーティストらしさを感じるのが興味深いです。それぞれの個性がしっかりあって面白いです。

マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュの「冬」『冬』(マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ 1898年) 古代ローマ遺跡のフレスコ画がモチーフの知的なラーヴァ・カメオ議題『愛』
ラーヴァ・カメオ ブローチ
イタリア 19世紀初期
¥580,000-(税込10%)

写実もできた一方で、天才マーガレットは想像力が素晴らしく、様々な幅広い『実験的作品』を遺したとされます。伝統的なテーマやシンボルを独創的に再解釈しています。

『時間』や『季節』などの幅広い"抽象概念"を、高度に様式化された人間の形で表現したりしています。

これは古代ギリシャの表現手法に通じます。『愛』などの抽象概念を、人々が想像しやすいよう便宜的に神エロス(キューピッド)の姿に擬人化して表現するのは定番でした。

『ミステリアス・ガーデン』(マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ 1911年)

プロの芸術家なので、依頼主や目的に合わせて濃い色使いもできるようですが、淡い色彩や独特のグラデーションのバランスはマーガレットの特徴であり、唯一無二の魅力を醸し出していたようです。

『芸術愛好家のための音楽室』のデザインの再現(マッキントッシュ夫妻 1901年)
"Music room house for an art lover" ©marsroverdriver(20 December 2011)/Adapted/CC BY-SA 2.0

マッキントッシュ夫妻の作品は、双方の良さを融合・昇華した独特のバランス感覚と心地よさがあります。

マッキントッシュ家のベッドルーム(1906-1914年)の再現 
【引用】University of Grasgow HP ©University of Grasgow.

夫妻の寝室は、色使いは女性の部屋のようにも見えますが、直線的なフォルムを合わせることで甘くなりすぎず、未来にタイムスリップしたかのような洗練さも感じます。ロンドンより遥か北、グラスゴーの地を感じさせる暖炉の存在も魅力的ですね。グレーで空間全体が引き締まります。

マッキントッシュ家の照明やインテリア(1906-1914年)の再現
【引用】University of Grasgow HP ©University of Grasgow.

石灯篭にインスピレーションを受けたと見られる照明も、優しいピンク色をデザインすると全く違ったものに感じられます。このようなものをゼロから制作するのも大変ですから、本当に贅沢です。

マッキントッシュ家のリビングルーム(1906-1914年)の再現
【引用】University of Grasgow HP ©University of Grasgow.

お客様をもてなすリビングルームがこの感じなので、夫妻が最も好み得意としたのがこのような雰囲気だったのでしょう。

ホーヘンホフの内装(ヴェルデのデザイン 1908年)
"HAGEN Hohenhof JBU 3822" ©Jorg Bittner Unna(2014年5月24日, 13:00:15)/Adapted/CC BY-SA 3.0 DE

これは同時代に活躍し、『アール・ヌーヴォー』の名の由来となった建築家アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデの内装デザインです。当時最先端のデザインだったはずですが、現代人の感覚からすると19世紀の重厚さをまだ強く感じます。『ウィロー・ティールームズ』より後の作品です。

ヒルハウスの内装(マッキントッシュ夫妻 1902年)【引用】National Trust HP ©National Trust for Scotland

まだまだヴィクトリア時代の重厚で格調高い内装が当たり前だった時代、マッキントッシュ夫妻の新しいデザインは驚きを持って受け入れられました。優れたものは皆が真似し、普及して一般化します。今これを見て現代人がそこまで目新しさや違和感を感じないのであれば、それは優れたものとして皆が受け入れた証です。

『芸術愛好家のための音楽室』のデザイン(マッキントッシュ夫妻 1901年)
ピンクトルマリン ペンダント アンティークジュエリー『STYLISH PINK』
モダンスタイル ピンクトルマリン ペンダント
イギリス 1900年頃
SOLD

当時は"ここにしかない空間デザイン"でした。

アート・ティールームズは憧れの場所として瞬く間に大人気となり、多くの貴婦人たちが最高のオシャレを出かけました。

白、グレー、ピンク、紫・・。日中、夜用関係なく、やはり白は優しい輝きの天然真珠で表現したくなります。

ピンク色はド直球のテーマ・カラーですね。

ストリックランド・ハウスでのアフタヌーンティー(シドニー 1898年)

同時代の邸宅でのアフタヌーンティーの様子です。アフタヌーンティーは日中の重要な社交であり、ホストも上流階級です。日本は戦後に『商売人』が一般大衆におかしなイメージを植え付けたため、お店の人(ホスト)は立場が下、客(ゲスト)は立場が上と思い込んでいる人が少なくありません。ヨーロッパは違います。場を執り仕切るホストの方が上と言って良いくらいです。上流階級はゲストになることもあればホストになることもあり、双方が相手に礼を尽くすため身なりを整えることは当然でした。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

日中の社交アフタヌーンティー用として制作されたため、ダイヤモンドではなく最上質の天然真珠が使用されています。

色彩設計も含めてまさに最先端のモダンスタイル・デザインで、まさにウィロー・ティールームズでアフタヌーンティーを愉しむために創られたと言って良いでしょう♪

3-2. 見えない側面にデザインする特別な美意識

 美意識の高い最高級品は、見えない部分までデザインが行き届いているものです。この宝物は一番上のアクアマリンの覆輪と、下部の環状パーツに精緻な溝を彫金しています。拡大すると凄そうに見えませんが、実物のサイズを考えると驚異的です。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス ←等倍↑

こんなに細い幅に、強度を保てる範囲で溝を彫るのです。実は環状パーツの内側、メインストーンのアクアマリンの覆輪も同様の溝を彫金しています。正面からは見えませんし、作業中の失敗のリスクを考えると、全くやる必要のない細工です!!

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス ←等倍↑

サイドに複雑で美しい彫金をデザインした宝物は、ごく稀にあります。このタイプは初めて見ました。一見すると複雑な模様の方が凄そうに感じられますが、このようなシンプルな彫金の場合、深さや水平を完璧にしないと上手く繋がりませんし、高性能な人間の眼には歪んで見えてしまいます。密かに超難度の神技です!

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
サイドの溝の彫金は依頼主の人となりを示すものであり、分かる人にとってはこの細工を見ただけで最高級品と確信できますし、持ち主の傑出した美意識と知性を認知できます。モダンスタイルは一見するとデザインがシンプルだからこそ、このような細部まで作り込みの有無で良し悪しが別れます。この細工を見た時は本当に感激しました!!♪

3-3. 最高の美意識を示すゴールド・チェーンとの組合せ

 今回の宝物はペンダントでなくネックレスで、ゴールドのチェーンがデザインされているのもポイントです。金属を揃えなければ気が済まない方もいらっしゃると思いますが、これは意図的にデザインした組み合わせです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

ゴールドは黒背景だと目立ちますが、人の肌の色にはよく馴染みます。時代的には、プラチナが画期的な新素材としてジュエリーの一般市場に登場し、大注目と憧れの対象となったタイミングです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

このチェーンは名脇役ではなく脇役です。

最先端のモダンスタイル・デザインで作られたペンダント部分のみが目立つべきであり、そこに『プラチナ』という最高級素材も詰め込んでいます。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

足されたチェーンと比較すると、オリジナル部分のチェーンはコマが細かいことが分かります。良いチェーンです。気になる場合は別途費用で現代のゴールドチェーンやプラチナチェーンに取り替えることもできます。この状態に復元も可能ですし、足したチェーンを取り除くこともできます。お気軽にご相談くださいませ。

お首や肩周りによって、ネックレスは収まる位置が変わります。ペンダントが収まる好みの高さも違います。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス着用イメージ
←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

次の持ち主も、わざわざチェーンを足して微調整するような美意識の高い貴婦人だったのでしょう。ゴールドチェーン部分は肌の上、ペンダントは衣服の上に収まるようにし、ペンダントのデザインを際立たせたのだろうと推測します。

エドワーディアン 天然真珠&ダイヤモンド ペンダント アンティーク 『ストライプ』
エドワーディアン 天然真珠&ダイヤモンド ペンダント
イギリス 1910年頃
SOLD
エドワーディアン 天然真珠&ダイヤモンド ペンダント アンティーク

このような思想の宝物は滅多に見ることがなく、ごく短い期間、美意識の高かった人のためだけに作られたようです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス着用イメージ
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス ←等倍↑

並の高級品ならばシンプルな設計にするはずですが、チェーンを取り付ける部分のデザインも気が利いており、プラチナ感を強調するラグジュアリーなデザインです。目の細かいハンドメイドのゴールド・チェーンもコンディションが良いです。

アクアマリンの覆輪のミルグレインは、半球状ではなく薄いかまぼこ状です。

非加熱の天然アクアマリン エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

粒々の半球形だと格調高い輝きとなりますが、細幅だと繊細な輝きとなり、宝物の雰囲気によく合っています。これもアンティークの最高級品でしか見ることのできない美しさです。

【参考】鋳造(キャスト法)のミルグレイン
現代ジュエリーのミルグレイン

現代はキャスト法(鋳造)で制作します。型離れという技術的な制約があり、高度な技術を持つ職人がハンドメイドするレベルの微細なミルは再現できません。肉眼で視認できる大きさとなっています。ブツブツ恐怖症の人には気持ち悪さを感じるビジュアルです。溶かして固めただけなので、表面を丹念に鑢(ヤスリ)で磨いて整えたミルのように強く輝くこともありません。
アンティークの最高品質のミルグレインは、肉眼では形状を視認するのが困難です。グレイン系の細工は形状そのものではなく、輝きを楽しむためのものです。現代ジュエリーは何の目的でミルを施すのか理解せぬまま、ただやっただけという印象です。そこに知性も美も宿るわけはありません。

【参考】アールデコ後期の量産ジュエリー

それは戦前のアールデコ後期には既に始まっています。過渡期なので今ほどコストカットと堕落も進行しておらず、後から人の手で多少は整えるようなこともやっていたのでまだマシだったりします。あくまでもマシという程度です。

ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたジュエリー
【ミュージアム・ピース】半貴石のシルバー・ブローチ(ヨーゼフ・ホフマン 1908年デザイン、1914年制作)【引用】MASTERART / JOSEF HOFFMANN / Brooch ©MASTERART 奇石のシルバー・ペンダント(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン、ウィーン工房 1907年)【引用】RIBA J / Vienna's MAK returns Josef Hoffmann to his place in the architectural canon ©MAK/Katrin Witfzkirchen

ジュエリーは、デザインも制作も最高難度の分野です。素材の理解、王侯貴族を満足させる教養とセンス、アイデアなど、他の分野とは異次元と言えるジャンルです。世界的な知名度を誇るヨーゼフ・ホフマンもジュエリーをいくつもデザインしていますが、HERITAGEでお取り扱いできるようなものは1つもありません。アクセサリーと呼ぶ方が適切かもしれません。

左はミュージアム・ピースなので、数ある中ではこれでもまだマシな方です。1908年のデザインで、制作は1914年です。ピンときた方もいらっしゃるでしょう。使用した石に稀少価値はありません。ハンドメイドの規模ですが、このデザインでいくつも同じようなものを量産したわけです。だから色彩設計も何ら戦略性が感じられず、ゴチャゴチャしたオモチャのような仕上がりとなっています。

天然マベパールを使ったジュエリー
最高級品
シルバーにゴールドバック
有名デザイナーの安物(ヨーゼフ・ホフマン  1909年)
シルバー製
アーツ&クラフツ ネックレス アンティークジュエリー ムーンストーン マベパール 天然マベ真珠 ローズカットダイヤモンドアーツ&クラフツ ネックレス
イギリス 1880〜1900年頃
SOLD
セセッション ネックレス
ウィーン工房 1909年
【引用】MASTERART / JOSEF HOFFMANN / WIENER WERKSTATTE / Necklace ©MASTERART

才能があって結果を残せば王侯貴族からのオーダーもあったでしょうけれど、ヨーゼフ・ホフマンにジュエリー・デザインの才能はなかったようです。この2つは同じマベパールとシルバーでデザインしたネックレスですが、高級感がまるで違います。ホフマンのデザインはペラくて安っぽいです。

左はGenが見出した宝物で、シルバーにゴールドバック、宝石は最上質のローズカット・ダイヤモンドやブルー・ムーンストーンを合わせたアーツ&クラフツの最高級品です。チェーンは1920年頃のハンドメイドのプラチナ&ゴールド・チェーンです。プラチナは1905年以降に、ジュエリー一般市場で最高級金属として使用開始されました。プラチナとゴールドを組み合わせたチェーンは珍しく、この宝物のために用意したものでしょう。デザインが普遍の魅力を持っていたため、制作から20〜40年ほど経過しても古びることなく人を惹きつけた証です。

オパールのゴールド・ペンダント(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン 1915年)【引用】RONALD S. LAUDER NEUE GALERIE NEW YORK / PENDANT WITH VELVET BAND, 1915 ©Neue Galerie New York

これもヨーゼフ・ホフマンのデザインです。数は少ないですが、一応ゴールド製もあります。

プラチナが最高級金属だった時代なので、王侯貴族のための最高級品はプラチナにゴールドバックです。それに比べるとランクが劣ります。

建築家のなのに立体デザインが苦手だったのか、作りが極度に平面的です。普段アンティークジュエリーの最高級品ばかり見ているので、余計にペラく感じます。

立体デザインこそが高級感の肝です。

2次元で表現する画像や動画では分かりにいですが、肉眼で実物を立体視すると顕著です。HERITAGEの宝物が、「実物の方が想像以上に美しいですね!」と言われる理由です。

ダイアデム・ネックレス(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン、ウィーン工房 1909年)予測価格:€25,000-35,000(約396万〜554万円)2015年現在
【引用】DOROTHEUM / Lot No.132 ©2023 Dorotheum GmbH & Co KG

少なくともジュエリーに関しては、ヨーゼフ・ホフマンは成金御用達だった印象です。これはシルバーギルト(シルバーに金メッキ)のネックレスです。

才能がなかったため、美的感覚の鋭い王侯貴族はオーダーしなかったと推測します。

一方で、有名な大先生というネーム・ブランドだけで成金がオーダーし、その嗜好に合わせて成金丸出しの作品が残る結果となったようです。

ネックレス兼ティアラです。成金が夜の正装用にオーダーしたのでしょう。

ダイアデム・ネックレス(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン、ウィーン工房 1909年)予測価格:€25,000-35,000(約396万〜554万円)2015年現在
【引用】DOROTHEUM / Lot No.132 ©2023 Dorotheum GmbH & Co KG
ヨーゼフ・ホフマンのデザイン画(1909年)

成金らしく大きさを求めたようですが、平面的すぎるデザインもあってチープ感が酷いです。それでも500万円を超える現代の落札価格が想定されており、いかに当時の成金も現代の庶民も大先生の名前しか見ていないかが分かります。

ハーフパール・リング(ヨーゼフ・ホフマンのデザイン、ウィーン工房 1912年)
予測価格:€18,000-25,000(約285万〜396万円)2021年現在
【引用】MASTERART / JOSEF HOFFMANN / WIENER WERKSTATTE / Necklace ©MASTERART

これもプラチナの時代のゴールド製なので、ランクとしては一段劣るジュエリーです。見ただけでホフマンのデザインと分かります。デザインの使い回しが酷いですが、自身の魅力ではなく、ブランドや権威の威光を傘にすることでしかプライドを保てない人間にとっては、見ただけで有名作家のもの、有名ブランドのものと分かることは重要なのです。人間としての才能や中身のなさを、少なくとも無意識下で自認しているのが何ともはやです。

それにしてもハーフパールの質も気になりますが、「ミルグレインくらいデザインしたら良かったのに。」とも思います。技法をまともに勉強しなかったのか、制作技術がなかったのか。HERITAGEクラスのジュエリーをデザインし、具現化することがどれほど大変なことだったか、少しでもご想像いただけたら嬉しいです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス着用イメージ
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス ←等倍↑

限られた王侯貴族だけが堪能できる、繊細で美しい神技のミルグレインの輝きです。絶妙な色彩のアクアマリンだからこそ、これくらい微細な輝きがバランス良く感じます。アンティークの最高級品はミルの粒1つも大きさ、形状を入念に設計しており、その叡智と美を追求する意識に尊敬の念が湧きあがります!♪

3-4. フラットラインのための揺れの構造設計

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

 この宝物は主に、細長パーツの上下2箇所で揺れる構造となっています。揺れ方も入念に設計した作りとなっています。

エドワーディアンの神技のハートの透かし細工のダイヤモンド・ピアス『プリンセス』
エドワーディアン ダイヤモンド・ピアス
ヨーロッパ or アメリカ 1910年頃
¥1,500,000-(税込10%)

たとえばこのピアスは左右ではなく、主に手前と奥方向に揺れます。

エドワーディアンの神技のハートの透かし細工のダイヤモンド・ピアス 非加熱の天然アクアマリン

これは稼働部の設計でコントロールできます。輪っかの数、取り付け角度が重要です。今回の宝物は複雑な揺れ方をします。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
今回の宝物 イギリス 1905年頃
オーストラリア産オパールの虹色の遊色が美しいロングネックレス『L'eau』
オパール ネックレス
イギリス 1900年頃
¥3,300,000-(税込10%)

揺れる構造は右のような連結法で作れます。

しかし今回の宝物は1つずつ余分に丸カンを使い、手前と奥、左右の全てにより複雑に揺れるよう設計しています。

輝きが重要なダイヤモンド・ジュエリーに勝るとも劣らぬほど『揺れ』に気を遣っています!

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

単純にこのデザインの2次元フォルムが見どころだった場合、揺れ動かずむしろ固定した方が鑑賞もしやすいです。ダイヤモンド・ジュエリーではないにも関わらず、わざわざ技術と手間(コストに直結します)をかけてまで、積極的に複雑に揺れる仕様にしています。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

フラットラインの反射はごく一瞬、角度が完璧に合った時だけ生じます。この一瞬を発生させやすくするため、揺れる構造にここまで気を遣っているのです。アクアマリンや天然真珠という、煌めきがそこまで重要ではない宝石のジュエリーであるにも関わらず、ここまで揺れに気を遣っていることこそが、フラットラインによるデザインが主役と位置付けられていることの証なのです。

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

明らかにジュエリーの領域を超越しており、『芸術作品』と呼ぶ方がしっくりきます。

類い稀なる貴婦人の特注品の可能性もありますが、コンテスト・ジュエリーとして制作された可能性が十分に考えられるほど隅々まで行き届いた、渾身の出来と言える宝物です。

用途が日中の社交『アフタヌーンティー』用だったことは間違いありません。最高級ジュエリーでありながら仰々しさがなく、身につけられるアートとして現代でも愉しみやすいのも良いですね♪

裏側

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

裏側もスッキリとした綺麗な作りです。

アクアマリンの下部ファセットの美しさも分かりやすいですね。厚みのある上質な石で、色彩、透明度、カットの三拍子が揃っています♪

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

延長のためのチェーンが足されています。取り外してオリジナルに戻すことは可能です。オリジナルとみられるクラスプに15ctの刻印があります。

チェーンもクラスプも消耗品ですが、歴代の持ち主が大切に使用したようで、コンディションは良好です。摩耗時や、チェーンの長さを変更したい時などは、専門の職人さんがおりますのでお気軽にご相談くださいませ。

着用イメージ

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

敢えてお肌の上や、淡い色のお召し物に着用しても楽しいです。通常時は目立ちませんが、フラットラインが輝く一瞬だけモダンスタイル・デザインが強烈に目に飛び込んで来るため、ご覧になった方に鮮烈な印象を与えるはずです♪♪

エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス
←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

1本線でなく2重線による透かしでデザインしているため、暗いお召物との相性は抜群です。動的な要素が強い宝物なので、どうコーディネートするかセンスが試されるのも良いですね。

余談

 本当に良いものは、背伸びして身につける価値があります。最初は頑張って背伸びした状態でも、やがてそれがごく自然な状態になっていきます。こうやって宝物が、持ち主をより高みに導いてくれます。HERITAGEのカタログが進化し続けるのも、毎回それぞれの宝物が揺るぎなく導いてくれるからです。

ウィロー・ティールームズの『豪奢の間』再現(マッキントッシュのデザイン 1903年)
"Room de Luxe" ©Dave souza(10 March 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5
エドワーディアン・モダンスタイルのアクアマリン&天然真珠ネックレス

ぜひこの芸術作品で最高のオシャレをして、未来的にデザインされた上質なティールームでアール・グレイのアフタヌーンティーを・・♪

できればグラスゴーまで足を伸ばし、ウィロー・ティールームズで120年前の貴婦人と想いを重ねてみてください。

心豊かな感覚が重なり、時間を超越して共鳴した時、一体どんな奇跡が起こるでしょうね♪