No.00383 プリンセス |

透明度の高いダイヤモンドをふんだんに使用した
デザイン性の高い貴重なエドワーディアン・ピアスです!♪
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神技の透かし細工で実現した、天使の羽×スパイラル・ハート!♪ 完成度の高いグレイン系の細工による、プラチナの微細な輝き!♪ |

羽でユラユラ、どこまでも飛んで行けるお姫様の恋するハート♪
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磨き上げたプラチナのフレームの照り、上質なダイヤモンドの煌めきのコラボレーションは華やかさも抜群です!♪ |
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デザインの美しさに目が行き、宝石の多さに意識がいかない不思議♪
王道デザインの気高きプリンセス・ピアスです♪♪
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『プリンセス』 透明度の高い最上質のダイヤモンドをふんだんに使用したエドワーディアンのピアスです。デザイン性の高いピアス自体が市場では珍しく、かつオーソドックスな王道デザインと言うのは極めて貴重です!♪ |
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デザインに凝った宝物は、次の時代を創っていく先進的デザインであることが通常です。1900年前後は特殊で、ナショナリズムの高揚により民族意識や国家などのルーツが注目された時代です。民話や童話が熱心に研究され、中世の騎士や王子様とお姫様のロマンティックな愛の話も広く流行しました。当時のヨーロッパ王侯貴族にとっても御伽話は、憧れとなる『夢の世界』でした。 |
この宝物のポイント
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1. プリンセスを想わせるロマンティックなデザイン
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今回のピアスは当時の女性たちの夢や憧れを反映した、エドワーディアンの時代を象徴する宝物です。 『10年ひと昔』の言葉の通り、少し時代が違うだけで流行や価値観、好みも驚くほど変化します。 |
| 初めてヨーロッパで買付する20代のGen(1977年) | |
現代の照明器具店を視察するGen(29歳) |
アンティーク・ショップを視察するGen(29歳) |
20代だったGenが50年ほど前にこの仕事を始めた1970年代は、本場ヨーロッパでもアンティークジュエリー市場は黎明期でした。ジャンルとしてはもちろん、知識や定義も確立されていませんでした。学校や書籍化された本など、既存のものから学ぶ意識・常識しかない人には想像しにくいと思います。 ちなみに日本は高度経済成長期(1955/昭和30-1973/昭和48年)を経験し、国民の大多数が自分は中流階級であるという意識を持っていた時代に相当します。『一億総中流』と言う言葉は1970年代から1980年代にかけての日本社会を指し、衣食住が満ち足りた日本の庶民が、旺盛な消費意欲でジュエリーを買い始めたのも1970年代頃からです。ジュエリー自体に一般の日本人は知識がない時代でした。まあ、今でもアクセサリーとの区別がなかったり、よく分かっていない人の方が多いですけれど・・。ちなみに日本で初めてカルティエのブティックがオープンしたのも1974年でした。ヨーロッパへの憧れや、舶来品信仰が強かった時代でもあります。 |
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Genのフォト日記『雲の上の夜明け』ヒースローから成田に向かう機上(2007年) |
日本語の知識などほぼない時代、海外の書籍や現地で聞くなどして知識を蓄え、アンティークジュエリーと言うジャンルを確立していったのがGenです。だから、ベテランのイギリス人ディーラーから意見を求められることも普通にあります。私も研究開発畑の出身なので、フロンティアでの開拓は経験的にも理解できる作業です。やるべきことの1つが『定義』ですが、どう定義するかでモノの見え方も大きく変わります。まっさらのキャンバスは自由自在、どう描くかは芸術家や科学者次第です。自ら開拓する意識を持たず、学ぶ姿勢しかない人はできない発想があります。環境や教育もあって、『定義』の中でしか思考できない人は多いですが、その定義は誰かが頭を悩ませて作ったものです。 |
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"定義やルールそのものを検討できない日本人"は有名ですが、場合によっては背景や意図を考えてみるのも重要です。 一般庶民や凡人は、定義やルールに従うだけです。 王侯貴族は時代や環境に合わせ、定義やルールを決めたり、柔軟に改良していく立場でした。そのような人々が愛したアンティークジュエリーの新たな持ち主となろうとするならば、この意識はあって然るべきなのです。 |
| ヴィクトリアン 1840-1900年頃 |
エドワーディアン 1900-1920年頃 |
アールデコ 1920-1940年頃 |
| ゴールド、シルバーにゴールドバック | プラチナにゴールドバック | プラチナ |
『美しき魂の化身』蝶のブローチ イギリス(推定) 1870年頃 ¥1,600,000-(税込10%) |
『ダイヤモンド・ダスト』ペンダント・ウォッチ パリ 1910年頃 ¥15,000,000-(税込10%) |
『女神の凱旋』リバース・インタリオ ブローチ フランス 1920年頃 ¥2,200,000-(税込10%) |
アンティークジュエリーのカテゴリー分けは、時代別が最もメジャーです。貴金属の素材的に判別できると言う点で、万人に分かりやすいです。感覚がない人でも知識を頼りに判断できます。 このカテゴライズはデザインや流行、テクノロジーなどの区別を厳密には含みません。ヴィクトリアンは60年もありますが、その間ずっと流行が変わらないことはあり得ません。昭和初期と昭和50年代、60年代を一緒くたに見るのは無理があるのと同様です。また、変化はなだらかに進行するのも重要です。渦中にいると想像以上に気づきにくく、振り返って歴史として見ることで、初めて認識できたりします。 |
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| ガーランドスタイルの宝物 | ||
| ヴィクトリアン 1840-1900年頃 |
エドワーディアン 1900-1920年頃 |
アールデコ 1920-1940年頃 |
| ゴールド、シルバーにゴールドバック | プラチナにゴールドバック | プラチナ |
『いっぱいの花手綱』天然真珠 ゴールド ネックレス フランス 1900年頃 SOLD |
『永遠の愛』ペンダント&ブローチ フランス? 1910年頃 ¥1,220,000-(税込10%) |
『勝利の女神』ガーランドスタイル ネックレス イギリス or フランス 1920年頃 ¥6,500,000-(税込10%) |
素材が異なると違って見えたりしますが、ガーランドスタイルは時代を跨いで流行しています。花手綱(ガーランド)や月桂樹、リボン、弓矢など古代ローマ・ギリシャ美術を特徴とするガーランド・スタイルは、ナショナリズムの流れで流行しました。ヨーロッパ全体の民族意識の根幹に当たるため、流行後は廃れず定番化しています。流行期は19世紀末から20世紀初期とされます。この時期は同様の流れに乗って騎士とお姫様のロマンティックな御伽話も流行し、若い女性たちの心をときめかせていました。 |
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今回の宝物はそれが強く反映されたピアスです。 ナイトと恋に落ちるプリンセスのような、心ときめくロマンティックなデザインです♪ |
1-1. 印刷革命で到来した挿絵の黄金時代
1-1-1. 高度な美術品だったイラスト
アンブロジオのイーリアスの一部(5世紀後期〜6世紀初期) |
装飾であったり、理解や解釈を視覚的に助けるためのイラストは古代から存在しました。 現代の絵本などにつながるのが装飾写本で、現存する最古は5世紀にベラムへ記された装飾写本アンブロジオのイーリアスの中に描かれたものです。 この絵付き写本の挿絵が『ミニアチュール』と呼ばれていました。 |
机で作業する装飾写本作家(14世紀) |
装飾写本は1点1点を専門家が手作業で作っており、支配階級が個人的な用途であったり、外交上の特別な贈り物にしたりするためにオーダーして作られるのが主でした。完全に美術品ですし、知識も詰まった、様々な意味で財産性を持つ宝物の一種でもありました。量産できず、高い稀少価値があったことも重要です。 |
1-1-2. 初期の印刷技術とイラスト
ヨハネス・グーテンベルク(1398年頃-1468年) |
世界の歴史を変えた活版印刷技術の発明は、15世紀半ばです。 大量生産が可能となり、贖宥状や聖書などが商業印刷されました。 |
ルター訳聖書(ドイツ 1534年) |
活版印刷は凸版印刷とも呼ばれる通り、金属や木材の凸部分にインクを付けて紙に転写します。文字の印刷を主体とします。銅版画は銅板に形成した溝(凹部分)にインクを詰め、紙に転写します。 活版印刷は紙に押し付ける凸面の高さが均一なこと、紙に押し付けた際の独特の凹み(印圧)もあって、文字の輪郭がくっきりとして読みやすいのが特徴です。銅版画は溝の深さによってインクの量が微調整でき、彫る線の密度などを調整することで、非常に繊細で滑らかな線や、絵画のような陰影(グラデーション)を表現でき、挿絵として盛んに併用されました。両方の印刷技術は、量産印刷技術の歴史の中で共に発展してきた盟友的な存在です。 |
1-1-3. 高度な彫金技術と銅版画の始まり
画家/版画家マルティン・ショーンガウアー(1448頃-1491年) |
銅版画は彫刻による直接法(直刻法)と、薬品で腐食させる間接法(腐食法)の2種類に大別できます。 腐食法は16世紀頃に考案され、初期は彫刻のみでした。 印刷技法としての陰刻は15世紀半ばにドイツで開発されたとみられ、マルティン・ショーンガウアーは銅板彫刻技術を開発した中で最古の画家とされます。 |
| マルティン・ショーンガウアーの代表作 | |
『羊飼いの礼拝』(マルティン・ショーンガウアー 1475年) |
『大天使ミカエル』(マルティン・ショーンガウアー 1470-1485年) |
ショーンガウアーの作品は生前から高く評価され、版画は広く流布されたそうです。着色する絵画は1枚しか存在できませんが、版画は印刷が可能です。モノクロでもこれだけ芸術性が高ければ、美術品として欲する人は相当数いたでしょうね。紙も高価だった時代だからこその話です。 |
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1-1-3. 芸術作品としての銅版画
銅版画家として特に有名なのは、ルネサンスの画家/版画家/数学者アルブレヒト・デューラーです。ショーンガウアーと並ぶ、最初期の版画家です。 |
| ルネサンスの芸術家とパトロンたる神聖ローマ皇帝 | |
画家/版画家/数学者アルブレヒト・デューラー(1471-1528)1500年の自画像 |
神聖ローマ皇帝・ブルゴーニュ公・オーストリア大公マクシミリアン1世(1459-1519年)1519年、59歳 |
『中世最後の騎士』とも言われるマクシミリアン大帝の肖像画も描いており、デューラーに関しては皇帝御用達の実力者です。 |
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| 最高傑作とされる巨匠デューラーの『三大銅版画』 | ||
『騎士と死と悪魔』(1513年) |
『メランコリアI』(1514年) |
『書斎の聖ヒエロニムス』(1514年) |
特に1513年から1514年にかけて制作した3作品は、最高傑作として『三大銅版画』と呼ばれます。 |
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| 父 | 息子 |
画家/金細工師アルブレヒト・デューラー(1427-1502)1498年の自画像 |
画家/版画家/数学者アルブレヒト・デューラー(1471-1528)1500年の自画像 |
アルブレヒト・デューラーの父の名前もアルブレヒト・デューラーで紛らわしいのですが、ハンガリーからドイツ南部に移住したマジャル人の芸術家でした。左は父の自画像です。当時71歳頃なので、記憶を頼りに描いたようです。ルネサンスは万能の天才だらけなので絵画の腕も見事ですが、金細工師として成功を収めました。金属を彫刻する才能やノウハウを、父から受け継げる環境にあったわけですね。驚異的に凄いので、三大銅版画の拡大画像も掲載しておきます。 |
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『騎士と死と悪魔』(1513年) |
『メランコリアI』(1514年) |
『書斎の聖ヒエロニムス』(1514年) |
彫金で表現したと思えぬほどの、見事な表現ですね。単なる技術だけでなく、人の心を動かす表現力も必須です。これだけの芸術家なので他の作品も傑作揃いですが、これら『三大銅版画』が現代に至るまで『ヨーロッパ美術史に於ける金字塔』と評価されているのは、明確な理由があります。 |
1518年アウクスブルク帝国議会の最中に皇帝が依頼した『皇帝マクシミリアン1世の肖像』(アルブレヒト・デューラー 1519年) |
アルブレヒト・デューラーは数学者でもありました。『専門バカ』を量産する現代と違い、当時は数学者と言っても、それ以外の幅広い知識を扱えるのが普通でした。 価値があるのかよく分からない肩書き云々ではなく、使える知識と能力こそが重要ですから必然であり当然でしょう。 マクシミリアン大帝は広大な神聖ローマ帝国を統べるため、領内で使用されるラテン語、ドイツ語、フランス語、フラマン語、スペイン語、イタリア語、英語、チェコ語、ハンガリー語、スロベニア語など語学にも長けました。言語は文化でもあります。 |
文化的な観点ではウィーン少年合唱団の前身を作ったことが有名ですが、それは万人に理解しやすい情報だからです。マクシミリアン大帝の深淵は異次元のレベルです。秘密の知識を持つことを許されざる一般人が近づかぬよう、オカルト関連はイロモノのように意図して印象操作されています。実際は根幹かつ必須教養であるため、古代から消えることなく受け継がれています。 |
ルネサンスの万能人でドイツの魔術師/人文主義者/神学者/法律家/軍人/医師ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(1486-1535年) |
数秘術も扱った『オカルト哲学三書』の著者アグリッパも、マクシミリアン大帝の元で活躍しました。 この辺りは非常に難解な上に、許可されていない人には知ることが厳格に禁止されています。 それ故に普通の一般人は知る術がなく、投影という心理現象によって相手も自分と同じくらいの知識と理解力しかないと認識しがちです。 『秘密の知識』は階層があり、どこまで知ることが許されるかは身分によって変わります。 |
| 才媛の誉高きスウェーデン女王クリスティーナ | |
スウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナに招聘され1650年に講義するデカルト |
スウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナ(1626-1689年)23歳頃 |
君主ともなれば相当です。頭の良い女性が大好きだったヴォルテールに天才と言わしめたスウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナも知的探求が大好きで、フランスに海軍提督を送って軍艦でルネ・デカルトを呼び寄せています。 物心つかない幼少期からスパルタ教育を叩き込むのが上流階級です。現代の日本人とは感覚が異なるため、現代人ならば過労死するような勉強や働き方も違和感なくできてしまいます。ストレスや過労死の類は、肉体以上に精神的な部分が大きいのです。クリスティーナ女王への講義は朝5時からだったそうです。極寒の1月、しかもフランスよりさらに高緯度で真っ暗な時間でした。朝寝の習慣があったデカルトには辛い毎日だったそうで、2月に風邪をこじらせ、肺炎を併発して亡くなりました。 |
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スウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナ(1626-1689年)14歳頃 |
スウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナ(1626-1689年)1653年、27歳頃 |
クリスティーナ女王は当時23歳でした。誕生早々に父王から後継者指名され、古典や神学に加え帝王学を学び、騎馬、剣術、狩猟などまるで王子のような教育で育てられました。クリスティーナ自身、手芸や人形遊びのような一般的な女子が好む遊びには興味がなく、乗馬や射撃を得意とするなど素養に満ちていました。父王の死後6歳でスウェーデン女王/フィンランド大公女に即位し、父王の聡明さを受け継いだとされ、ラテン語・フランス語・スペイン語に通じ、文学・芸術への造詣の深い才媛として豊かな教養で知られました。 左のような、一般人向けの華やかな姿だけに意識が行くのは凡人です。財力や権力を既に掌握しているクリスティーナ女王が現状に満足することなく、朝5時前から起きてまで強く欲したのは知識です。 |
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議題『愛』ラーヴァ・カメオ ブローチ イタリア 19世紀初期 ¥580,000-(税込10%) |
それが意味する所をじっくり考え、それなりに腑に落ちるくらいは理解できていないと、王侯貴族のために制作されたアンティークジュエリーを多少なりとも理解できているとは言い難いです。 理解が始まると、アンティークジュエリーを理解することがより楽しくなります。 私も盆暮正月すら休みなく自発的に仕事しています。したいからです。クリスティーナ女王に強く共感できます。 |
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、Genはこの仕事を長男に継がせようとした時期がありました。「実はアンティークジュエリーの仕事は好きじゃなかった。」と言われ、去ったそうです。当時は大ショックだったそうですが、その7ヶ月後に私が現れました。 私が遊ぶ時間どころか休日の概念すらなく、寝食する時間すら惜しんで仕事ばかりし、当たり前のようにサラリーマン時代の蓄えもこの仕事に惜しむことなく注ぎ込む姿を目にし、Genは気づいたようです。長男は他の従業員の方と同様、決められた時間しか仕事をせず帰宅していました。雇われのサラリーマンと全く同じです。私と比較し、確かにやる気がなかったことに納得したようです。それと共に、面白いと思っている者の情熱、自発的な行動力の威力を知りました。Gen自身も、この仕事の対してそうでした。 |
『ソフィア』リュミエール・アゲート カンティーユ ペンダント&ブローチ フランス or イギリス 1820年頃 ¥880,000-(税込10%) |
才能だけでは不十分です。 情熱は人を突き動かし、とどまることなく進化させてくれます。 この姿を見て、Genは心から安心したようです。私はその姿を見ていませんが、50代の頃から後継者を育てようと腐心し、何度も失敗を重ねました。最後のトドメが長男の退職で、あまりのショックでもはや死と滅びを待つだけ、できることは延命だけという感じでした。だから喜びはひと塩でした。 私にとってはごく自然なことをしただけですが、やらされてやる人たちと違い、今でも既に情報量は凄いことになっていると思います(あと数十年は加速しながら続けます!)。 |
銅版画の傑作/三大銅版画『メランコリアI』(アルブレヒト・デューラー 1514年) |
右上の魔法陣の拡大 |
当然ながらデューラーの作品も、秘密の知識が随所に散りばめられています。 3作品が金字塔として扱われるのは、テクニック的な面ではなく、その秘密の部分が最重要であり最高評価されているからです。 読み解けますか♪? |
『騎士と死と悪魔』(1513年) |
『書斎の聖ヒエロニムス』(1514年) |
3作品すべてに、象徴的に砂時計が描かれていることにお気づきになりましたか? これは現代では重要でない、昔の話などではありません。 |
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| 毎年注目されるエコノミストの表紙 | |
![]() 【引用】AMAZON.co.jp / The World Ahead 2024 (December 5,2023)©?Future Publishing |
![]() 【引用】AMAZON.co.jp / The Economist The World Ahead 2025 - Donald Trump Returns(18 November 2024) ©The Economist |
現代だと、ロンドンの経済誌『エコノミスト』が類似の立ち位置にあります。その年の動向を暗示した表紙として毎年注目されます。2024年、2025年ともに砂時計が描かれています。 |
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| デューラーの傑作『皇帝マクシミリアン1世の肖像』(1519年) | ||
| 準備素描 | 布絵 | 板絵 |
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デューラーの作品も要素は1つ2つではなく、随所に散りばめられています。1518年に皇帝から依頼されたデューラーは、アウスブルク城で謁見しながら鉛筆で準備素描を描きました。素描に基づき、麻布に地塗りを施さずテンペラで描いた布絵を描き、その後に傑作として名高い板絵の『マクシミリアン1世の肖像』を仕上げました。 演出として設定が作られた"天才"がチョイチョイッと仕上げたガラクタに数千万、数億円の値段がつく現代アート業界は滑稽です。技術を持つデューラーであっても、試作を重ねて完成品を創ります。何をどう描くか入念に計算されているからこそ、布絵と板絵でファッション、モチーフ、ポーズ(細かな手の位置)なども異なります。このような作品は作家が独断で好きに描くわけではなく、依頼者との入念な打ち合わせによって完成します。 |
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アール・ヌーヴォー プロトタイプ シルバー・リングフランス 1890〜1900年頃 SOLD |
上流階級が1点物としてフル・オーダーしたアンティークジュエリーも同じです。 このクラスは通常ゴールドで制作しますし、特徴的なインクリュージョンからセイロン産と推定できる上質な非加熱サファイアからも、もともとは試作品としてシルバーで制作されたことが考えられます。 本番はもっと精緻な彫金を施す予定だったはずですが、第一級の職人だと、試作用の粗めの仕上げでも『味』や『冴え』として独自の魅力と芸術性を備えることがあります。 通常の試作品は本場用に宝石を取り外して後世に残りませんが、依頼主が気に入ってしまったのでしょう。今となっては学術的にも価値のある貴重な作品です。 |
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先述した通り『秘密の知識』には階層があり、身分によって知ることが許される範囲は異なります。だからこそ同じ作品を見ても、読み取れる情報量や解釈が異なります。Wikipediaでこの作品の解釈がぼかされているのもそれが理由です。柘榴にも複数の解釈があります。現代の庶民用の教育では1つの質問に1つの答えだけという思考パターンが刷り込まれていますが、多層構造で思考するのが正解であり、どれも正しいと見るのが妥当です。Wikipediaにはない解釈の1つとして、球体の柘榴はレガリアのオーブも象徴しているでしょう。 |
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銅版画の傑作/三大銅版画『書斎の聖ヒエロニムス』(アルブレヒト・デューラー 1514年) |
これだけ要素を詰め込み、芸術作品としても美しく完成させるのは至難です。 芸術家は技術に加えて教養も必須です。 分かっていない人に限って自覚がありません。階層構造になっているので、薄っぺらい知識でドヤると、浅知恵と抑制の効かぬ自己顕示欲は分かる人にはすぐにバレます。迂闊に自慢しない方が良い理由です(笑) デューラーの銅版画はデザイン力、彫金の質など、美術品と称して十分なレベルです。これが印刷技術の最初期、かつルネサンス美術初期の最高峰です! |
1-1-4. 機能性としてのイラスト
優れたものは人を惹きつける力が強力で、印象にも強く残ります。そうでないものは人知れず淘汰され、まるで最初から存在しなかったかのように消え去ります。 |
1534年と1545年のオリジナルのルター聖書に書かれたヤコブの梯子"LZB in Flensburg - Niederdeutsche Lutherbibel von 1574-1580, Bold 11B" ©Soenke Rhn(18 April 2015, 02:03)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
これもデューラーとほぼ同時代の古い銅版画ですが、品質の差は明らかです。普通の人にこれが作れるかと言われれば無理ですが、それでもデューラーの作品群と比較すれば精神力も時間も遥かに少なく済んだでしょう。書籍の挿絵の場合、基本的には文字情報が主役です。皇帝がオーダーする場合はパトロンとしていくらでもお金が出せますが、殆どは予算も考えながら制作する必要があります。 |
鉱山冶金学書『デ・レ・メタリカ』のイラスト(1556年出版) |
分かりやすいイラストを銅版画で制作するのは大変です。これもプロの銅版画家が制作した上手なイラストと言えるでしょう。 |
| 超一流の芸術家による作品 | |
『騎士と死と悪魔』(1513年) |
『フランボワーズ』アールヌーヴォー 天然真珠ネックレス フランス 1890〜1900年頃 ¥2,200,000-(税込10%) |
超一流と一流、天才と秀才では天と地の開きがあります。HERITAGEでお取り扱いするのは、心を動かす力を持つ超一流の作品のみです。心を動かす力のないものは、カタログを作成しても私が全く面白くありませんし、人生を動かす力を持たぬものを皆様にご紹介することに価値を感じません。価値を感じないものを販売するような無礼なことはできません。ただ、本当に価値あるものは数が少ないです。 いかに才能がある天才芸術家でも、プライドと魂を込めた作品は量産できるわけがありません。アンティークジュエリー同様、銅版画によるイラストも殆どは機能性がメインのものでした。 |
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1-1-5. 芸術作品としての銅版画
彫金やアンティークジュエリーの理解の参考になるので、少し脱線しておきます。銅版画は写真の登場で衰退していったものの、現代でも存在する技術です。 |
銅板に彫刻するジャック・ウープラン(1920-2020年)2007年、87歳頃"J-Houplain" ©TitiaHouplain(8 August 2007)/Adapted/CC BY 3.0 |
フランスの画家/版画家ジャック・ウープラン氏が銅板に彫刻する様子です。現代とは言え、1920年生まれなので古き良き時代の職人とその仕事をギリギリ体感して知っている世代と言えるでしょう。このような仕事は生涯現役ですね。全員が年齢で区切って引退や退職なんて、戦後にサラリーマンを量産してできた概念でしょう。ウープラン氏は99歳の天寿を全うされました。やりたい仕事をやっていると、長生きになるのかもしれませんね♪ |
銅板に彫金する様子"Graveur" ©Postelwijn(22 October 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
私は小学校の図工で、木版画を彫刻したことがあります。皆様もご経験があるでしょうか。深さや太さをコントロールするのも難しいですし、曲線だけでなく綺麗な直線というのも案外難しいものです。小さな面積となれば、なおのこと集中力と細かな制御が必要となります。 |
| 上流階級のための彫金の素材 | |
| ジュエリー:ゴールド | 小物:シルバー |
『大切な想い人』4カラーゴールド 回転式フォブシール リージェンシー 1811〜1820年頃 ¥1,200,000-(税込10%) |
アーツ&クラフツ シルバー・カードケースイギリス(バーミンガム) 1893年 SOLD |
彫金する素材はランクによって変わります。ただし用途によっても変わることに、注意が必要です。成金はお金を持っていたとしてもケチですし、お金すら持っていないのに自身を金持ちに見せたがる成金嗜好の庶民はさらにケチです。見える部分だけはお金を使う一方、見えない部分は1円でも安くという思考です。小物にお金をかけるという意識がないため、ゴールドばかりに意識が行きます。 全てがシルバーでできたジュエリーは基本的に安物です。ダイヤモンドをセットするためのゴールドバックのシルバーはその範疇ではありませんし、例外も存在します。単純ではないので王侯貴族のためのアンティークジュエリー&小物の世界は万人に理解できるものとなっていないのですが、ゴールドの彫金職人は間違いなく最上位です。 |
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| 英国王室御用達メーカーの署名 | |
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ジュエリーや小物用の古いケースは今では残っていること自体が貴重ですが、49年もお取り扱いしているとパターンが見えてきます。わりと目にするのが『GOLDSMITH & SILVERSMITH』で、最高級ジュエリーと共に最高級小物を扱うメーカーなどが該当します。この2点は王室御用達メーカーのケース内張の署名で、どちらも金細工職人を示す『GOLDSMITH』の記載があります。 |
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懐中時計&シャトレーン英国王室御用達 RUNDELL&BRIDGE社 イギリス 1790年頃 SOLD |
一般的に身分が低く見られがちな『職人』ですが、金細工職人(ゴールド・スミス)は別格でした。 Genの自慢の宝物の1つに、ランデル&ブリッジ社の懐中時計があります。ジョージ4世の父王ジョージ3世の時代に英国王室御用達に指定され、1804年には首席の王室御用達・金細工師&宝石商となったトップ・メーカーです。 1843年頃に閉店し、活躍はほぼジョージアンの時期に限られるため、一般には知られざる存在となっています。 |
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| 金細工も見事です。機能性とは別の部分も、見えない所まで美意識が行き届いています。 |
| 放蕩王と呼ばれるほどお金を使った英国王ジョージ4世の王冠 | |
英国王ジョージ4世(1762-1830年) |
英国王ジョージ4世の戴冠式冠(英国王室御用達ランデル&ブリッジ社 1821年)©London : Tower Hamlets - Tower of London, Crown by Lewis Clarke/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
首席の王室御用達・金細工師&宝石商としてランデル&ブリッジ社は、イギリス至上最も豪華だったと言われる1821年のジョージ4世の戴冠式用の宝具類も制作しています。戴冠式冠は12,314粒ものダイヤモンドを使用した贅沢なものでした。但しお金が足りず、ダイヤモンドの一部はランデル&ブリッジ社からのレンタルでした。 戴冠式予算は先代ジョージ3世の24倍以上となる、約24万3千ポンド(現代の日本円で約42億円、2026.6.24現在 £=212.71円で換算)でした。ダイヤモンドのレンタル料だけで£24,425(約4億3千万円)に上りました。戴冠式費用の10分の1を超えています!! |
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『ミラー・ダイヤモンド』アーリー・ヴィクトリアン ダイヤモンド リング イギリス 1840年頃 ¥3,700,000-(税込10%) |
『アールヌーヴォーの奇跡』カラー天然真珠 ペンダント&ブローチ アメリカ 1890〜1900年頃 ¥4,800,000-(税込10%) |
英国王室は1852年にダイヤモンド『コ・イ・ヌール』のリカットだけで約6,800万円(2026.6.24現在の£=212.71円で換算)かけた実績もあります。現代の日本人は実は物質主義が浸透しており、サービスはタダで、モノにしか価値がないような考え方をする人が本当に多いです。当時の実際の話を知っていれば、いかにアンティークジュエリーが有り得ない価格か分かるはずです。そもそも庶民が手に入るようなものではありませんでした。知識などなくとも、きちんとした感覚と想像力があれば分かるはずです。私もサラリーマンだった時代、サラリーマンでも頑張れば買える価格で存在することに驚き、「庶民にとっては高額でも、そのものの真の価値からすれば有り得ない安さだ!」と思いながら手に入れたものです。 実際は古の英国王すら買えないものもありました。『愛』の他にも英国王でも買えないものがあるのです(笑) ジュエリーは単なるアクセサリーではなく、自分自身の形代であり自分そのものです。だからケチるなんてあり得ません。そのようなものを「高い!」と言ってくる人は私にとって、オーダーした人の人格を否定しているのと同等です。「あなたはもっと価値が低い人間である。」と言っているのと同じなのです。実際の価値からすればあり得ないほど安いですし、当時の王侯貴族がどんな思いをしてオーダーし、職人がどんな思いで制作し、鉱山労働者や真珠ダイバーがどれほどの思いで宝石を採ってきたか想像することができていません。そのような人に手に入れる資格などありません。私が絶対に嫁にやりたくないです。価値が分からない人間は、大切にしてくれるはずがありませんから(笑) |
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ウェストミンスター寺院・主席司祭ジョン・アイルランド(1761-1842年)1821年、60歳頃 |
英国王ジョージ4世の戴冠式冠(英国王室御用達ランデル&ブリッジ社 1821年)©London : Tower Hamlets - Tower of London, Crown by Lewis Clarke/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
ランデル&ブリッジ社の戴冠式冠を大変お気に召したジョージ4世は手放すことを渋り、毎年のイギリス議会開会式での使用を名目として、政府に対し購入を打診しました。イギリス君主は正装して議会に向かい、演説も行う重要な式典です。 しかしながらあまりにも高額となり過ぎたため、結局1823年に戴冠式冠は解体されました。それでも未練が強く、ジョージ4世は銅製で実物大のイミテーションをオーダーし、銘文に「1827年7月19日の、最も聖なる君主ジョージ4世が戴冠した豪華な帝国ダイヤモンド王冠」と記したそうです。こちらの費用は38ポンドで、現在の日本円に換算すると約67万円です。ジョージ4世の思い入れが伝わってきますね。 |
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『愛しのマルカジット ピアス』ギロッシュ・エナメル&マルカジット ピアス イギリス 19世紀後期 SOLD |
このエピソードからもお分かりいただける通り、貴金属や宝石以外で上流階級のジュエリーが制作されることはありました。試作や旅行用など、理由は様々です。 そのようなジュエリーを必要とする貴族は人数が少ないですから、このような宝物は制作数も現存数も限りなくゼロに近いです。 市場に出ることはほぼありませんし、見つけようとした場合、素材でしか選べない頭デッカチの人は大衆の安物を選ぶ結果となるでしょう。 このような宝物は、作りとデザインで判別が可能です。同じような素材で作られていても、細工のレベルが安物とは全く異なります。左のマルカジットのピアスも、ゴールドの彫金は第一級のものです。 |
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見えない裏側まで美意識が行き届いた美しいバラの彫金は、王侯貴族だからこそ実現できる心と財の余裕です。成金嗜好の庶民は、「そんなの要らないから、その分だけ安くして!!」と言います。お金は出したくないけど高く見せたいそうです。無自覚の詐欺師です。カッコ悪さと心の貧しさを極めています(笑) |
ダイアモンド・ダイアデム(ランデル、ブリッジ&ランデル 1820年)【引用】Royal Collection Trust / The Diamond Diadem 1820 © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020 |
因みに『ジョージ4世ステート・ダイアデム』とも呼ばれる『ダイヤモンド・ダイアデム』も、戴冠式用にジョージ4世がブリッジ&ランデル社で新調したものです。戴冠式を執り行うウェストミンスター寺院への道のりで着用するための王冠です。制作費はダイヤモンドのレンタル料£800込で£8,216だったそうです。現代の日本円に換算すると制作費は1億7,500万円超、ダイヤモンドのレンタル料が約1,700万円となります(2026年6月現在)。 王冠そのものの価格でなくあくまでもデザイン&制作費であり、王室所有の宝石を使うことで2億円弱で済んだと見るのが妥当です。 |
ヴィクトリア女王(1819-1901年)1859年、40歳頃 |
ダイヤモンドのレンタルだけで4億円超えした戴冠式冠と違い、こちらは結局1837年以降に王室所有となり、現代まで受け継がれています。 買取った証拠は残っていないそうで、ジョージ4世が遺した豊富な宝石コレクションの中から、ランデル&ブリッジ社と物々交換したのではとも言われています。 宝石に稀少価値と財産性があった時代ならではの話ですね。 |
ランデル&ブリッジの店舗(ロンドン 1826年) |
ところでランデル&ブリッジ社といういち宝石商が、英国王室が買取できないほどの宝石を所有し、レンタルしたりしていたことに違和感を保たれた方もいらっしゃると思います。 現代の感覚だと大金持ちイメージと縁遠い『職人』ですが、創業者フィリップ・ランデルは1799年時点で、王族を除いてイギリスで8番目に裕福な男性となっています。 億万長者として知られる10人の1人となり、資産は100万ポンドあったと推定されます。現代の日本円換算で約213億円です。 金細工職人の見習いから始めたフィリップ・ランデルでしたが、当代でも傑出した実力で瞬く間に超売れっ子となりました。カネ払いの良いパトロンもいてこそです。 |
シルバーギルトのタンカード(ランデル&ブリッジ社 1826年)"Silver Gilt Tankard by Rundell, Bridge and Rundell" ©Rau Antiques(8 February 2006, 17:00:50)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
首席の王室御用達・金細工師&宝石商ランデル&ブリッジ社は、素晴らしい銀製品も制作しました。 小物は英国王室クラスでも銀や、金メッキしたシルバー・ギルト(ヴェルメイユ)が基本的には最高級品となります。 |
英国王ジョージ4世のために制作されたシルバー・アイスペール(ランデル&ブリッジ社 1827年) ©Rau Antiques(2 January 1827)/CC BY-SA 4.0 |
金属細工職人の最高位となる金細工職人の技術で制作するので、細工技術は見事なものです。それに加え、モチーフとデザインも教養ある王侯貴族を満足させられるものとなっており、芸術作品として完成しています。単なる使う道具の域を超越しています。創業者ランデルとブリッジの死と共に高度な技術は失われ、あれほど一世を風靡した会社も終焉を迎えました。実力を見抜く力のある王侯貴族の時代に於いて、ブランド名だけでは生き残れませんでした。中身と質が変わっていてもそれに気づかず、ブランド名だけで有り難がる現代は滑稽な裸の王様の時代です。当時の王侯貴族が見たら卒倒しそうです。 |
| 最初期の著名な銅版画家 | |
画家/版画家マルティン・ショーンガウアー(1448頃-1491年) |
画家/版画家/数学者アルブレヒト・デューラー(1471-1528)1500年の自画像 |
前置きが長くなりましたが、最初期の著名な銅版画家マルティン・ショーンガウアー、アルブレヒト・デューラー共に父が金細工師でした。金細工師はゴールドを扱う仕事上、金貸しも兼ねるため裕福かつ有力であることが通常でした。金製品を買えるのは上流階級のみですから、関わり合う顧客もそのような階層です。貧富の差が激しかった時代の『お金持ち』は、現代の日本人が想像するようなお金持ちとは規模も内容も違います。裕福で上流階級と関わりが深かった金細工職人の家では、必須なので子供たちも然るべき十分な教育を受けていました。世の中の99%以上を占める庶民は教育など受けられず、文字も読めず、子供の頃から重要な労働力だった時代にです。 |
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| 金細工職人の息子たちの銅版画 | |
『大天使ミカエル』(マルティン・ショーンガウアー 1470-1485年) |
『ネメシス』(アルブレヒト・デューラー 1502年) |
だからこそ最高品質の金属細工技術のみならず、秘密の教養に基づくデザインの創作が可能です。何も知識がない一般人では、このようなデザインは不可能です。 |
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| 最初期の著名な銅板画家の作品 | |
『サムソンの髪を切るデリラ』(マスターE.S. 1460年) |
『大天使ミカエル』(マルティン・ショーンガウアー 1470-1485年) |
彼らに並ぶ最初期の銅版画家として、マイスターE.S.という版画家/金細工職人/印刷職人がいます。金細工職人なので作品も教養を感じられるデザイン揃いですが、技術的には劣ると感じます。左のデリラの衣服のドレープを見ると、いかにも彫刻刀で彫った硬い感じがあります。拡大も掲載しておきます。 |
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『サムソンの髪を切るデリラ』(マスターE.S. 1460年頃) |
鉛筆ではなく刃物による金属彫刻ですから、これでも十分に上手ですよね。 |
| 最初期の著名な銅板画家の作品 | |
『天使たちと復活したキリスト』(マスターE.S. 1460年頃) |
『ネメシス』(アルブレヒト・デューラー 1502年) |
マスターE.S.は詳細が分かっていない芸術家で、作品に残された署名を元に美術史家が付けたニックネームです。作品は高く評価され、たくさんのコピー作品やインスピレーション作品が制作されました。やはり布のドレープや筋肉、天使の翼などの表現力を比較するとデューラーは異次元ですが、ちょっとこれは真似が不可能ですし、戦意喪失のように真似する気が起きない感じです。最高級のアンティークジュエリーと同じです。 |
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| 【参考】現代のリプロダクション | アンティークの最高級品 | |
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SOLD |
フェイク・アンティークジュエリーやリプロダクションも、作りやすくてコストもかからない安物を元にデザインされます(笑) 宝石に稀少価値があった時代は、原石の個性に合わせて1つ1つ職人が最適なカットを手作業で行っていました。だからどれも形状が唯一無二です。現代は工業的な量産カットでなければ庶民が購入できる価格に収まらないため、どれも対称性が高く、大きさも均一なカットとなります。人が関わることで生じる揺らぎがないため、芸術性や真の美が宿ることはありません。『ローズカット』というスペックだけでしか判断できない頭デッカチな人が多いので、市場としては成り立っているようです(笑) 作りを見ても、現代のものは爪が目立つ留め方であったり、デザインがつまらなかったり、見えない裏側に何の美意識も感じられなかったり、このようなものは見分けるのは難しくありません。 |
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| 【参考】ヴィクトリアン・スタイルの現代ジュエリー | |
【参考】ヴィクトリアン・スタイルのゴールド・ピアス(1980年代) |
【参考】ヴィクトリアン・スタイルのガーネット&オパール・ピアス(現代) |
この程度の作りならば、現代の職人でも制作できます。左は1980年代の中古、右は現代のアンティークジュエリー風ピアスです。真面目なメーカーならばその旨を明記して販売しますが、一度悪意あるディーラーや無能なディーラーの手に渡ると、これが本物のヴィクトリアンのピアスとしてアンティーク価格で販売されます。 たとえ本当にヴィクトリアンに作られたものだったとしても、現代でも作れるような安物に骨董的な価値などありません。稀少価値も美術品としての価値も皆無で、アクセサリー価格でアクセサリーとして使うならば良いですが、ありがたがるべきものではないので私はお取り扱いしません。 |
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『天使たちと復活したキリスト』(マスターE.S. 1460年頃) |
『大天使ミカエル』(マルティン・ショーンガウアー 1470-1485年) |
『ネメシス』(アルブレヒト・デューラー 1502年) |
デューラーはやはり異次元です。これはれっきとした芸術作品であり、書籍の補足的な挿絵としての銅版画とは非なるものです。トップクラスの金細工職人だけが持つ技術と教養を元に制作される美術品と、機能性とコストだけが重視される挿絵では、同じ技法でもジャンルが異なると認識した方が良いでしょう。 |
| 知られざる小さな宝物 | ||||
『EAGLE EYE』クラバットピン フランス 1890年頃 ¥1,500,000-(税込10%) |
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金細工職人とは別格の存在なのです。 そして、それは一般には知られざる世界です。 限られた高位貴族のみが楽しめる世界であり、プライベートな空間で独占して手元で愛でるのは、分かる人にとっては最高の心の贅沢と言えます。 |
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| 使いたいと思う人がいなくて寄付されたミュージアムピース | |
【引用】Brirish Museum © British Museum/Adapted |
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| アンティークの最高級品 | そして同じ『金細工師』でも、心をゆり動かす力を持つ『芸術』を創造できる天才は、ごく僅かしかいないのです。 |
『勿忘草をくわえる鳩』鳩 ゴールド ブローチ イギリス 1830〜1840年頃 SOLD |
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1-1-6. 書籍を読む階層と挿絵(イラスト)
昔から活字中毒だったこともあり、私の情報収集は圧倒的に活字メインです。この仕事だと英語やフランス語、ドイツ語やイタリア語などの情報を瞬時に知りたいことが多いため、書籍よりインターネットに頼ることが多いですが、とにかく文字を追うことが多いです。 |
スウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナ(1626-1689年)1650年、24歳頃 |
『哲学の原理』(ルネ・デカルト 1644年)1685年版 |
動画は製作者が決めた範囲の情報しか得られない上、決まった時間を取られ、自分でペースもコントロールできないので情報収集としては好きではありません。活字情報でもイラストは想像の範囲を限定し、イメージを固定化し、自由な想像を奪うデメリットがあります。知的階層向けの書籍は文字がメインで、挿絵は必要最小限です。 私以上に活字中毒と思しき方が、SNSで「標題しか読めない人、文章は3行までしか読めない人が多い。」と揶揄していたことを興味深く感じたことがあります。確かにそういう人は多いと感じます。知識も思考も浅く、話すと噛み合わなくなるのですが、本人はなぜか「自分は全て理解している。」と心の底から思い込んでいるようです。恐らくダニング=クルーガー効果だろうと解釈しています。 |
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獣脂ロウソク製造人の広告(ロンドン 1726年) |
印刷技術による表現的な制約があった上に、基本的には活字情報の補完的な存在でしかなく、挿絵(イラスト)は『絵』として地位の高いものではありませんでした。現代でも漫画程度しか読めない人がいる一方で、文字だらけの重厚な書物を好んで読む人もいますね。挿絵は不要な場合も少なくありません。むしろ邪魔な場合もあります。ちなみに私は漫画も大好きです。何でも読みます(笑) |
| 挿絵としての銅版画 | |
カトリックにおける贖宥状の販売 |
『オカルト哲学三書』五芒星に組み込まれた男(アグリッパ 1531-1533年) |
そもそも庶民の識字率は近代まで低く、特に女性はイングランドでも19世紀半ば1840年代でも51%で、半数は文字が読めませんでした。挿絵を見て、一般の多くの少女や女性が心をときめかせる状況は存在しませんでした。 |
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1-1-7. 19世紀後期の印刷革命
19世紀後期は『第二の印刷革命』と呼ばれるほどの、社会を変革させる規模の技術革新が起きました。それは識字率の激変にも反映されています。 |
イギリスの男女別の識字率の推移【引用】Our World in Data / Literacy by Max Roser and Esteban Ortiz-Ospina(First published 2013; last revision September 20, 2018) © Max Roser /Adapted/CC-BY |
特に女性の識字率の急激な立ち上がりが顕著です。産業革命による機械化と、化学技術の導入によって、手作業中心だった印刷が大量生産・低コストの産業構造へ移行しました。これにより新聞や書籍の価格が劇的に下がり、大衆も多くの情報を得られるようになりました。それに連動するように識字率も上がり、流行も瞬時に大衆まで広がるようになりました。 |
1-1-8. 印刷革命と『挿絵の黄金時代』
『印刷革命』の詳細はここでは割愛しますが、イラストについては写真技術の原理を応用した製版技術(写真凸版など)や、化学染料とインクの改良が進んだことで、複雑な図版や色彩鮮やかな表現が容易になりました。 |
| 挿絵/絵本の黄金時代のイラスト | |
画家ケイト・グーリナウェイ(1846-1900年) |
エリザベス・フォン・アーニム著『4月生まれの赤ちゃんの曲集〜6ペンスの歌を歌おう』(挿絵:ケイト・グーリナウェイ 1900年) |
こうして花開いたのが挿絵です。識字率が上がったと言っても、多くの庶民はいきなり難解な文章を読むのは困難です。経済活動や流行・文化の牽引役が王侯貴族から庶民に移り変わる時代、情報を伝えるのも文章より挿絵の方が主力とも言えました。挿絵の力は重要となり、『挿絵/絵本の黄金時代』が到来し、たくさんの著名なイラストレーターが誕生しました。その中には女性も存在し、ラファエル前派の画家で児童書の挿絵で有名なケイト・グーリナウェイもその一人です。 |
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| 挿絵/絵本の黄金時代のイラスト | |
ケイトの父で版画家ジョン・グーリナウェイ(19世紀) |
コンサヴァトリーでのティー・パーティ(イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1881.8.20号) |
ケイトの父ジョン・グーリナウェイは版画家で、主に『イラストレイテド・ロンドン・ニュース』の仕事をしていそうです。世界で初めて、ニュースをイラスト入りで報じることを主眼にした新聞で、1842年から1971年まで週刊、1971年から1989年まで月刊で発行されました。まさに活字を読むのが得意ない一般大衆向けの需要を狙ったものですね。 |
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| イラストレーターのためのメダルまで創設されたケイトの作品 | |
画家ケイト・グーリナウェイ(1846-1900年) |
シャルル・ペロー著『ダイヤモンドとヒキガエル』(挿絵:ケイト・グーリナウェイ 1871年) |
ジョンは暖炉の火の前で夜通し木彫りの作業をし、ケイトはそんな父の姿を見るのが大好きでした。父の作品を通じて他の様々な芸術家たちの作品にも触れ、美術学校での教育も受け、著名なイラストレーターとなりました。 |
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| イラスト黄金時代の心沸き立つイラスト | |
サヴォイ・ホテルの大晦日のパーティのディナー・メニュー(1908年) |
クリスマス・カード(作者不明) |
書籍だけでなく、成長著しいグリーティングカード市場向けにクリスマス・カードやヴァレンタイン・カードも手がけ、時代の後押しもあって瞬く間にベストセラーとなり、ケイトはイラストレーターとしての評判を確立しました。追随するイラストレーターも後をたたず、この時代は心踊る魅力的なイラストに溢れています♪ |
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1-2. モリスの中世の騎士への憧れを汲むデザイン
1-2-1. 黄金時代のイラストレーターとしてのウィリアム・モリス
ウィリアム・モリス(1834-1896年)23歳、1857年 |
ウィリアム・モリスは苦労知らずのボンボンで大金持ちだったため、自己資金で半ば趣味のような活動が可能でした。 普通の庶民ならば、明らかに採算割れするような仕事はやりたくても挑戦できません。 |
| 中世の騎士の世界に憧れたウィリアム・モリスのデザイン | |
ステンドグラス『アーサー王と騎士ランスロット』(モリスのデザイン 1862年) |
モリスによる書籍の装飾 |
一方で、夢見る夢子ちゃんのような発想だからこそできたデザインとも言えるのが、中世の騎士への憧れに基づくロマンティックな作風です。モリスは趣向を凝らした書籍の装飾も有名で、挿絵の黄金時代の著名なイラストレーターの一人としても挙げられます。 |
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1-2-2. ナショナリズムと童話の流行
19世紀後半はナショナリズムによる『民族』や『国家』の意識形成に伴い、世界各国で自分たちのルーツを探るための歴史や文化探求が熱心に行われました。その成果として、発見や認識された『童話』や『民話』が書籍としてまとめられ、大衆も含め多くの人が読むこととなりました。 |
『ジャックと豆の木』
『ジャックと豆の木』(1922年の挿絵)【引用】WIKIMESIA COMMONS ©Internet Archive Book Images |
『Heaven's Ladder』アールデコ ダイヤモンド ネックレス イギリス 1920年頃 SOLD |
『ジャックと豆の木』もその成果の1つです。少なくとも5,000年以上も起源が遡る『ジャックと豆の木』は民話として別格で、秘密の知識を継承してきた者たちにとっては特別な意味があります。それ故に、『Heaven's Ladder』のような別格のジュエリーも制作されています。巨人を倒し、宝を手に入れる冒険譚として、基本的には男の子が好みそうな内容ですね。 |
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『アーサー王伝説』
『アーサー王伝説』は男女共に、大人でも楽しめる内容ですね。まさにモリスが憧れた中世の騎士道物語で円卓の騎士、美しき姫との恋愛物語、聖杯、聖剣エクスカリバー、魔術師や魔女など魔法が存在する世界観は多くの人を魅了しました。 |
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| アーサー王の姉/王女/魔女 | アーサー王妃 |
『モーガン・ル・フェイ』(フレデリック・サンズ 1863年) |
『騎士ランスロットと王妃グネヴィア』(ジェームズ・アーチャー 1860年頃) |
作品によって設定は各種ありますが、王女で魔女の妖姫モルガンの存在も特徴的です。騎士ランスロットと不倫し、結果的に王国を滅亡させる結果となったアーサー王妃グネヴィアを凌ぐほどヒロインとして人気が高く、数多くの美術作品が制作されました。 |
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『モルガン・ル・フェイ』(ジョン・R・スペンサー・スタンホープ 1880年) |
モルガンの元とされるケルト神話の女神モリガンは背が高く、髪は膝まである知的なグレーのロングヘアで、真っ赤なドレスを纏った美しい姿で戦場に現れるそうです。 モリガンに魅入られ、その愛を受け入れた男性はその戦女神の御加護を受けることができました。 19世紀後期は従来から変化し、『魔女』は知的で魅惑の美女のイメージを持つようになりました。 |
『アーサー王の死』魔導書でアーサー王の救命を探る魔女モーガン・ル・フェイ
(ジェームズ・アーチャー 1860年) |
『楽園の乙女』ウィッチズハート ブローチ イギリス 1900年頃 SOLD |
お姫様どころか女神様です!アーサー王伝説と共に、謎多き美しき魔女の人気も高まり、ウィッチズ・ハート(魔女のハート)のジュエリーは特に人気となりました。 従来の『妊婦や母親、赤ちゃんの護符』からは離れ、まさに恋愛としての意味が与えられました。 「Bewitched !!♪」 |
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1-3. 女性たちが憧れたプリンセス
1-3-1. 王子様とお姫様の王道ストーリー
人気の高い物語には、王道の設定と筋書きがあります。主人公は王子様とお姫様で、どちらも生まれながらにして高貴な生まれです。王侯貴族なら自身を重ね合わせ、二人のラブ・ロマンスに憧れます。庶民ならば、手に入ることのない高貴な血筋とラブ・ロマンスの両方に憧れます。ちなみに「手に入らない」ことは重要です。『夢』は実現すれば夢でなくなります。憧れでいる間しかみることのできない、儚きものです。 |
『白雪姫』(マリアンヌ・ストークス 1902年頃) |
白雪姫は王女様ですし、どこからかやって来るのもそこら辺の庶民ではなく王子様です。 |
『眠れる森の美女』(エドワードF・ブリュートナル 1902年) |
眠れる森の美女もそうですね。お姫様は大暴れで大活躍なんてことはせず、待っていたら素敵な王子様がやってきて、選ばれて結ばれます。 |
1-3-2. 女性性の傾向
個別に見れば人それぞれですが、女性と男性で一般的な『傾向』というものは確実に存在します。女性は自ら選ぶより、主に男性から選ばれることを好みます。主体として動くより、誰かの補佐をする方が得意な傾向があります。それは嫉妬の種類にも如実に現れています。男性は競争社会に於ける能力的な観点から嫉妬しますが、女性の場合は恋愛の視点で嫉妬する場合が多く見られます。 |
| 女性君主 | 次期君主の妃/後の王妃 |
英国君主ヴィクトリア女王(1819-1901年)1859年、40歳頃 |
プリンス・オブ・ウェールズ時代のエドワード7世一家(1876年)アレクサンドラ妃は32歳頃【出典】Royal Collection Trust / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020 |
女性は君主よりも、君主の配偶者としての王妃の方が向いています。それが逆転していたのがヴィクトリア女王でした。君主だったため、配偶者である夫より偉い立場であり、それを顕示しなくてはなりませんでした。一個人ではなく、大英帝国最盛期の君主でもあったため、国内外にまで広く示す必要がありました。清楚で美しい縁の下の力持ち、良妻賢母を是とする王妃とは全くの別物です。 |
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『イングランドの偉大さの秘訣』(トーマス・ジョネス・バーカー 1863年頃)イングランドの偉大さの秘訣を聞いたアフリカの王に聖書を手渡すヴィクトリア女王 |
夫を踏み台や添え物にして強く自己主張したり、派手に目立つのが好きなタイプの女性だったら悪くない立場と言えますが、日記などに吐露する心境を読む限り、ヴィクトリア女王はそうではありませんでした。ただ、生まれながらの立場の責務として、虚勢を張ってでも頑張っていただけのようです。 |
| 動物好きで有名なアレクサンドラ妃 | |
王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844-1925年) |
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1861年に頼りにしていた最愛の夫アルバート王配に先立たれると張り詰めていた糸が切れ、表舞台に姿を出さなくなった上に、二度と華やかな衣装に身を包むことはなくなりました。レイト・ヴィクトリアンの女性のファッションリーダーは、王太子妃アレクサンドラへと移りました。 アレクサンドラ妃は美しさだけでなく明るい性格で動物好きで知られ、愛犬たちとのブロマイドも数多いです。夜食のサンドウィッチを、こっそりベッドで食べさせていたというエピソードも残っています。もちろん人に対しても愛情深いです。 |
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アレクサンドラ妃と愛犬(1844−1925年)1863年、18歳頃 |
アレクサンドラ妃と犬たち |
左はデンマーク王室から嫁いできたばかりの頃の写真です。年子で産んだ6人の子供たちも大きくなり、王位継承の立場にあったジョージ王子も、ヴィクトリア女王の姪メアリーと結婚しました。メアリー妃は王室の慣例だからと、幼い子供たちをほったらかしで、エドワード7世とアレクサンドラ妃に任せて夫に帯同し、何ヶ月も外遊したりしていました。だから我が子が育った後も、アレクサンドラ妃は孫や動物たちに愛情を注ぎました。ただ可愛がるだけでなく、犬たちに関してもよく躾けられていたそうです。 |
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英国王妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844−1925年)1904年、60歳頃
【引用】Britanica / Alexandra ©2021 Encyclopædia Britannica, Inc. |
そのように芯もある女性なので、我が子に見向きもしないメアリー妃に子供たちが可哀想だからと、少しは愛情を向けるよう注意しました。 それに対し、メアリー妃は「王室のルールだかから。」と聞く耳持たずのタイプだったため、折り合いは悪かったそうです。ヴィクトリア女王もルールを守る派で、姪を擁護する立場でした。 これはメアリー妃単独の問題ではなく、育った環境もあるでしょう。癖が強すぎるメアリー妃の母親の話を知ると、納得します。 |
| ミッド・ヴィクトリアンの王族女性 | ||
| スペイン女王 | イギリス女王 | イギリス女王の従妹 |
スペイン女王イザベル2世(在位:1833-1868年)とフランシスコ・デ・アシス・デ・ボルボン王配 |
ヴィクトリア女王とアルバート王配(1861年)共に42歳頃 |
メアリー王妃の母・テック公妃メアリー・アデレード(1833-1897年)1860年、26歳頃 |
ミッド・ヴィクトリアンはスペインも女王の時代でした。イザベル女王の摂政王太后を務めた母マリア・クリスティーナ・デ・ボルボンも、かなり野心家で強烈な人物でした。ヴィクトリア女王の母も野心家で有名ですね。ミッド・ヴィクトリアンは女性のトップが君主の妻ではなく、君主自身として強く自己顕示する必要がありました。それに加えて周囲も自己主張の強い、癖の強い女性揃いでした。しかも何故か、ふくよかな女性が多かったようです。そのような女性たちで形成する社交界は、お察しの通りです。 |
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| ミッド・ヴィクトリアンの典型的な成金ジュエリー | |
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「ミッド・ヴィクトリアンのジュエリーは貴族用に作られたものでも成金趣味が多い(から扱えない)。」と、Genは早い段階で喝破していました。Genも私も知識は後付けで、完全に感覚だけで宝物は選んでいます。調べると、納得できる理由が必ず見つかるのが面白いです。これによって、感覚が間違っていないことを改めて確信します。 |
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メアリー王妃の母・テック公妃メアリー・アデレード(1833-1897年)1860年、26歳頃 |
当時はこのような女性が好まれたのかと言うと、申し訳ありませんがそうではありません。 「女性は細すぎてはダメで、ちょっとくらい小太りの方が良い。」なんてい言いますが、個人差や程度の問題はありますし、一般的には今も昔もスリムが好まれる傾向です。 私の祖母は「百斤豚(ひゃっきんブタ、100斤=60kg)だった。」ことがあるそうです。身長140cmほどに体重60kgで、現代人のブヨブヨ系ではなくテック公妃のように逞しく健康的な感じだと思います。 少しポッチャリの方がモテると言われますし、祖母が20歳頃は戦時中で食料不足も想像でき、太い人は稀少そうなのでモテたか尋ねたら、当時も細い方が美しいという一般認識だったと期待外れの回答でした(笑) |
大正初期の生まれの大叔父の手記でも、小学生時代に妊娠していた先生を皆で「ドンバラ(ドーンと突き出た腹)!」と囃し立て、泣かせたというエピソードがありました。妊娠でお腹が出るのは当たり前ですし、おめでたいことでしかありませんが、妊娠出産がまだよく理解できていない小さな子供たちにとっては、突き出たお腹は嘲笑の対象に見えたようです。けしからん話ではありますが、素直な感覚を反映しているとも言えます。メアリー妃の母も、小さい頃からその体型で周囲から「ふとっちょメアリー(Fat Mary)」と呼ばれたそうです。 |
メアリー王妃の母・テック公妃メアリー・アデレード(1833-1897年)1885年、51歳頃 |
外見だけでなく性格にも難ありだったため、結婚適齢期を逃して30歳を過ぎても独身だったそうです。 人を差別したりバカにするなという話と、本能的にどう思うか、感覚的にどう感じるかは別です。 臭いものを嗅いで「臭い!』と発言してはならないと言うのはあり得たとしても、臭いと感じてはいけないと言うのは無理ですし、人間の性質自体を否定する暴論です。 人には本能的に好むもの、好きではないものが、明確に傾向として存在します。 |
| 母メアリー・アデレード公妃 | 娘メアリー英国王妃 |
先祖のハノーファー選帝候妃ゾフィー・フォン・デア・プファルツに扮するメアリー・アデレード公妃(1833-1897年)1897年、66歳頃 |
オリジナルのラヴァーズ・ノット・ティアラを着用した王妃メアリー・オブ・テック(1867-1953年) |
母の姿を見て価値観と性格を育んだメアリー妃は自己顕示欲にまみれ、自己主張の強い女性となりました。ジュエリーが大好きで、しょっちゅうリメイクしていたことで知られます。 王室の宝石リストを制作させたり、貴族の家を尋ねた際は家宝を褒めちぎり無理やり献上させていました。「良く言っても強盗の一歩手前のような方。」と社交界でも悪評が立つほどで、大事なものはメアリー妃には知られないようにすることも貴族にとって重要だったそうです。イギリスに亡命したロマノフ家の人々もメアリー妃に見つからぬよう必死に隠しましたが、結局取り上げられたというエピソードも残っています。 |
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| 個性が異なる英国王妃 | ||
| 社交界の華として人気者だったアレクサンドラ妃 | 社交界で嫌がられたメアリー妃 | |
妹でロシア皇太子妃マリア・フョードロヴナ&29歳頃の英国王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1873年頃) |
英国王妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844−1925年)1904年、60歳頃【引用】Britanica / Alexandra ©2021 Encyclopædia Britannica, Inc. |
王太子妃メアリー・オブ・テック(1867-1953年)1901年、24歳頃 |
アレクサンドラ妃は、その人柄と美貌で社交界の華として憧れの対象でした。同じデンマーク王室出身で、仲良しだった妹でロシア皇太子妃マリア・フョードロブナとのお揃いファッションも社交界で驚きと感激を以って評判となり、上流階級の憧れの的でもありました。この時代は新聞や雑誌などのメディアに加え、ブロマイドの力もあって、庶民にとっても憧れのお姫様でした。年を重ねても衰えぬ美貌も大いに話題を呼び、50代になっても30代にしか見えなかったそうです。ヴィクトリア女王やメアリー妃からよく思われなかったのは、嫉妬もありそうです。 |
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| 母:英国王太子妃アレクサンドラ | 娘:ノルウェー王妃モード |
アレクサンドラ王太子妃(1844-1925年)1880年初期、30代後半 |
ノルウェー王妃モード(1869-1938年)1906年、37歳頃 |
無理をして装うと性格もキツくなりがちですし、最終的には精神か肉体のどちらかが破綻するものです。アレクサンドラ妃は持ち合わせた体質と気質による部分が大きかった可能性が高く、娘たちもスタイル抜群で、ヨーロッパ王族らしい気品と威厳に満ちています。アレクサンドラ妃は年子で6人も産んでこのスタイルです。 |
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| 同時代の美貌で評判の高かった皇族・王族女性たち | ||
| フランス皇后ウジェニー | オーストリア皇后エリーザベト | イギリス王妃アレクサンドラ |
(1826-1920年)1853年、27歳頃 |
(1837-1898年)1865年、28歳頃 |
(1844-1925年)1902年、57歳頃 |
ヨーロッパ宮廷一の美貌を持つとされたオーストリア皇后エリーザベトは身長172cm、ウエストは51cmで、体重は生涯43〜47kgを保つ脅威のスタイルだったそうです。同時代、美貌で評判だったフランス皇后ウジェニーは長身で圧倒できることもあり、あまり気にしなかったようです。しかしアレクサンドラ妃のことは強く意識していたそうで、どちらの美貌が優れていているか気にしていたという話も残っています。 皇后エリーザベトは美貌と痩身に執念を燃やし、過酷なダイエットや美容法でそれを維持しながらも、晩年はシワとシミだらけになって隠さざるを得なくなった話は有名です。 |
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娘ヴィクトリア王女とイギリス王太子妃アレクサンドラ(1880年代) |
王族は常にゴシップに晒される運命です。アレクサンドラ妃も美に執着するおかしなエピソードがあれば間違いなく取り上げられるはずですが、そのような話は聞きません。 自然体のまま、無理な努力をせず人が憧れるような美貌や体型の人はいます。そうでない人は無理しても到達できないか、維持が困難で、精神や身体が悲鳴をあげます。 皇后エリーザベトの無理なダイエットも、アレクサンドラ妃へのライバル心や嫉妬心が原因にあったことは確実でしょう。 特定の指標に固執し、数値を唯一の基準にし、僅かな数字の違いで比較し、勝った負けたと判断するのも変な話です。道理などなく視野も世界も狭小です。 |
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ありのままの自分を愛し、内側が愛で満たされることで、初めて外側にいる他者に無償の愛を提供することができます。『外』も『内』となる瞬間です。 『ありのまま』と言うのは何も努力せず自堕落で怠惰な自分を寛容し、他者にもそのような自分を押し付けて許容させるという意味ではありません。 高位貴族は多くの人の『手本』となる立場だったからこそ、形代たるジュエリーにも知識のみならず様々な哲学や思想が詰め込まれています。どれも個性に満ちています♪ |
どちら側になりたいのか、自分はどうなりたいのか。 それはいつ誰が何を根拠に決めたかよく分からない"世間一般的な理想"であったり、教育によって教えられる(プログラムされる)"在るべき正しい姿"を元に判断すべきものとは、必ずしも限りません。どちらに憧れるのか、どちらのようになりたいか、どのような姿や振る舞いを醜く感じてしまうのか。私たちの心は知っています。外に判断を仰ぐ必要などどこにもなく、素直に心に従えば、世の中は良いもの美しいもので溢れるはずなのです。性善説的な理想論ですが、心の芯から邪悪と言う状態が、私には想像しにくいのです・・。 |
| 当時のヴィクトリア女王のイメージ | |
列強諸国による中国分割の風刺画(1898年)孫のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世と睨み合うヴィクトリア女王 |
ヴィクトリア女王(1819-1901年)1898年、79歳頃 |
ヴィクトリアン・ジュエリーを全てヴィクトリア女王でプロモーションしようとするディーラーも存在しますが、在位64年弱を押し込めるのは、戦前の昭和初期(1926年)からミレニアル世代の1980年代(1989/昭和64年)までを一緒くたにするのと同様です。このようなプロモーションをする人も滅茶苦茶ですし、鵜呑みにしてしまう人も『受け身型の勉強』を極めています。 レイト・ヴィクトリアンは政治・外交は別として、ファッションに関してはアレクサンドラ妃と王女たちが主役です。包丁を持って成金丸出しジュエリーに鬼婆のような姿で領土を奪い合う、ヤクザのようなイメージの女王に憧れる女性は皆無とはいいませんが、当時の上流階級も一般女性も普通は憧れるわけがありません。 |
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| 日常用のジュエリーを着用する1880年代頃の上流階級 | |
| 日本の上流階級 | ヨーロッパの上流階級 |
公爵夫人 大山捨松(1860−1919年)1880年代? |
イギリス王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマークとその家族(1880年)【出典】Royal Collection Trust / The Prince and Princess of Wales with their shildren, 1880 [in Portraits of Royal Children Vol.26 1880] / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020 / Adapted |
本場仕込みの教育を受けた近代日本初の女子留学生、大山捨松・公爵夫人もそうであるように、世界の王侯貴族がアレクサンドラ妃を真似し、それを見た庶民の女性たちも憧れのお姫様としてアレクサンドラ妃や貴族の女性たちに夢と憧れを抱きました。女優や歌手などの庶民階層の成り上がり"セレブ"ではなく、血筋と教養に基づく気品と威厳に満ちた王侯貴族が憧れの対象だった時代です。 |
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王太子妃アレクサンドラとバスケットに入った2人の子供たち(1865-1867年)【出典】Royal Collection Trust / Queen Alexandra when Princess of Wales (1844-1925) with two children in basket saddles © Her Majesty Queen Elizabeth II 2022 |
お淑やかそうに見えるアレクサンドラ妃ですが、運動神経も抜群でスケートも好みました。乗馬も得意で2人乗りのタンデム走行したり、ジャンプなどの障害レースも出場したりする腕前だったそうです。 |
馬に乗った王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844-1925年)1886-1888年、41-44歳頃【出典】Royal Collection Trust / The Princess of Wales (1844-1925), Later Queen Alexandra, on horsebacl, c. 1886 © Her Majesty Queen Elizabeth II 2022 |
『牡馬のマーシャル』(1907年)英国王エドワード7世から妻アレクサンドラ王妃への動物園コレクション【引用】THE ART OF FABERGE ©JOHN BOOTH / WELLFLEET PRESS p.156 |
貴婦人は横乗りするので落馬事故も多く、男性以上に運動神経が必要です。 動物好きの妻アレクサンドラ王妃のために、英国王エドワード7世はファベルジェ商会に動物園コレクションもオーダーしています。 |
| ヴィクトリアンのハイジュエリー | ||
| アーリー・ヴィクトリアン -1840-1850年頃- |
ミッド・ヴィクトリアン -1850-1870年頃- |
レイト・ヴィクトリアン -1870-1900年頃- |
『黄金の花畑を舞う蝶』色とりどりの宝石と黄金のブローチ イギリス 1840年頃 SOLD |
ヴィクトリア女王のオパール・ピアス(南オーストラリア美術館)【引用】ABC News / Royal opals worn by Queen Victoria sent to Adelaide for SA Museum exhibition (24 September 2015, 5:57) |
『Tweet Basket』小鳥たちとバスケットのブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
宝石や半貴石で作る愛らしい動物たちのオブジェは大いに評判を呼び、ティファニーなど他のブランドでも制作され人気を博しました。実際に動物そのものを贈られることも多々あったそうです。アレクサンドラ妃は社交界の人気者だったため、喜ばせようとたくさんの動物が贈られ、そのままでは飼いきれないほど集まったそうです。王侯貴族のジュエリーにはきちんと反映されています。 |
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デンマーク王室14歳下の弟ヴァルデマー王子&イギリス王太子妃アレクサンドラ(1844-1925年)1874-1875年、30歳頃 |
ロシア皇太子妃マリア・フョードロヴナ&イギリス王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1875年頃) |
イギリス貴族の紳士について、文武両道に芸術面や人間性も加えたチート的な能力は有名です。貴婦人についても例外ではなく、何もかもがパーフェクトであることが理想の姿でした。欠点を魅力の1つとして愛でる日本文化と違い、ヨーロッパではパーフェクトが理想です。それを体現したのがアレクサンドラ妃であり、乙女の理想とするお姫様像の1つでした。美人で心優しくて、お淑やかで控えめだけど芯の強さはあって、気品と威厳と愛に満ち、高貴な血筋という裏付けもある女性。どこにでも存在する嫉妬まみれの人は別として、このような『お姫様』はごく自然と多くの人の憧れとなるのです。 |
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1-3-3. 屈指の人気を誇る『シンデレラ』
王侯貴族はお姫様のお話に、自身を重ね合わせて夢見ることが可能です。身分に関しては成り上がれる余地もありますが、血筋は生まれながらなので、庶民には100%実現が不可能ですよね。 |
桃源郷で義兄弟の契りをかわす張飛・劉備・関羽 |
『三国志』の蜀漢の初代皇帝・劉備もそうです。劉備が幼くして父が亡くなったため、土豪の身分でありながら没落して貧しく、母と共に筵(むしろ)を織って生計を立てていた幼少期から始まります。筵の話だけだと、現代人には一般庶民の中でもさらに下層という印象を持たれ得ますが、血筋的には漢の王族の末裔となっています。本人の徳と才覚だけでなく、それも大きな根拠として人が集まり、立身出世の物語が紡がれていきます。古今東西、このタイプの設定と骨子が王道として存在します。 |
| 時間を気にするシンデレラ | |
サラ・ノーブル・アイヴス画 1912年頃 |
アン・アンデルセン画 1910-1930年頃 |
そこで異色の存在と言えるのが『シンデレラ』です。血筋や家柄が語られておらず、"そこら辺の普通の少女"が魔女に魔法の力で助けられ、王子様に選ばれてお姫様になったという骨子のストーリーです。 『シンデレラ』はアメリカン・ドリームの象徴として、大衆文化に於けて、広告や映画などの大量消費社会で憧れの対象として持て囃されました。男性にとっては『一攫千金』、女性にとっては『玉の輿』と言った感じです。家柄や血筋による裏付けなく成り上がるサクセス・ストーリーは本当に珍しいため、男性ですら今でも『シンデレラ・ボーイ』と形容されたりしますね。 |
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ハシバミの木に祈るシンデレラ(エレノア・アボット画 1920年) |
実は『シンデレラ』も世界中に派生系の物語が受け継がれており、現在認識されている最古の1つは、紀元前1世紀のギリシャの歴史家ストラボンの記録に遡ります。場所はエジプトのお屋敷です。 『ジャックと豆の木』と同様、『シンデレラ』も民族や文化、歴史的な背景などと共に設定や内容を変遷しながら語り継がれてきました。 童話と言えば、1812年に第一巻が発行されたグリム童話です。グリムの『灰かぶり姫』では魔法使いは登場せず、それ故にかカボチャの馬車も登場しません。代わりに主人公を助けてくれるのは、白鳩です。 美しいドレスと靴を持ってくるのも、母親のお墓の側に生えたハシバミの木にやって来る白い小鳥です。 |
印象的なガラスの靴も登場せず、1晩目は銀の靴、2晩目は金の靴です。だから20世紀初頭にグリム童話のイラストも手がけたアメリカの画家エレノア・アボットによるシンデレラも、白い鳩が象徴的なモチーフとして描かれています。 |
靴が完璧にマッチしたシンデレラ(ジャン=アントワーヌ・ローラン画 1812年) |
シンデレラの身分を推定するのは簡単です。 例に漏れず、高貴な身分です。 識字率が低かった時代、このような物語を読む女性は、文字を読める上流階級に限定されました。 そのような女性が読む物語の主人公が、一般庶民のわけがありません。暮らしぶりが想像できませんし、自身と重ね合わせて夢見ることなんてできません。 王子様が主催する舞踏会に招待される家ということからも、相応の高貴な身分と分かります。だから母や姉たちは、ドレスなどの準備にも困っていません。 |
そこら辺の庶民がお城の舞踏会に招かれるなんてあり得ないのです。ダンスやその前後のプロトコル、マナー、会話など全ての教養を施されている家柄です。シンデレラを探すため、お城の使いは靴を持って家に尋ねてきます。1812年に描かれた絵画を見れば、シンデレラの住まいは貴族の邸宅とすぐに分かります。当時のヨーロッパ上流階級では、常識の認識だったはずです。 |
『シンデレラ』(エドワード・バーン=ジョーンズ画 1863年) |
庶民は食器類も満足に揃わない時代です。産業革命による大量生産で手に入るようになっても、安価な塑造濫造品でしかありませんでした。 美しい高級食器類、それを美しく安全に収納できる食器棚。 まさに貴族の邸宅です。 少し古い時代ということもあり、この絵画も作者が理解して描いています。 |
| 魔女とカボチャの馬車が登場するシンデレラ | |
ケイト・アベルマン画 1913年 |
ウィリアム・ヘンリー・マージェットソン画 1904-1910年頃 |
一般庶民の女性も物語を読むようになると、そのような層にウケの良い設定やストーリーが求められるようになりました。それが分かりやすいカボチャの馬車や、ご都合主義的な魔女でした。亡くなった母のお墓の側のハシバミの木にやってくる白い鳥は、『象徴』や『想像する余地』を好む上流階級には良いですが、高等教育を受けることがない庶民には難解すぎるのです。 |
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| 知的な上流階級の象徴としてのジャポニズムの屏風 | |
『日本の屏風を眺める若い貴婦人たち』(ジェームズ・ティソ 1869-1870年) |
『シンデレラ』(ハリー・クラーク画 1922年) |
1920年代の右のイラストは、家で支度する義理の姉妹とシンデレラが描かれています。シンデレラを際立たせるための、ジャポニズムの屏風も上流階級や知的階級の調度品とし象徴的に描かれるモチーフです。少なくともこの時代は、シンデレラは高貴な身分という認識は存在したはずです。 貴族制のないアメリカに経済活動や流行文化の中心が移ると、女性たちが夢見るために、シンデレラの高貴な身分という設定は邪魔になっていきました。その部分は暈されるようになり、その結果として、全ての階層の女性が自身を重ね合わせて夢見られるようになりました。上流階級の女性にとっては王子様に選ばれるお話、一般庶民の女性にとっては『玉の輿』のシンデレラ・ストーリーです。 |
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| 大衆化以前のシンデレラ | |
『鳩と戯れる女性』カーブドアイボリー ペンダント フランス 1860年頃 SOLD |
『シンデレラ』(オットー・クベル画 1930年) |
現代は、数の力で圧倒する庶民の時代です。だから単純明快な設定と、身分が暈されるバージョンが『シンデレラ』として確立されました。Genが「宗教的な意味を持たない鳩のモチーフは珍しいです。」と紹介したカーブド・アイボリーのペンダントも、1812年に初版が発行されたグリム兄弟バージョンの『シンデレラ』がモチーフと見れば、特注デザインと彫りの良さにも納得できます。グリム兄弟は7回の改訂版を出し、1857年の第7版が決定版とされます。タイミング的にもバッチリです。まさに貴族の女性の宝物です。ロマンティックなお話に夢を見ながら、お姫様はどのような王子様と結婚したのでしょうね♪ |
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2. 極小ローズカット・ダイヤモンドの清楚さ際立つピアス
2-1. 王侯貴族がローズカットを好んだエドワーディアン
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このピアスは一番大きなダイヤモンド以外、全て極小ローズカットです。 知識だけに頼る頭デッカチの人は理解が困難な部分なのですが、ローズカットは時代によっても立ち位置が大きく変化します。 エドワーディアンは『極小ローズカット・ダイヤモンド』が王侯貴族から強く支持され、好まれた時代です。 |
2-1-1. 南アフリカのダイヤモンド・ラッシュに伴う稀少価値の低下
ダイヤモンドの価値の高さは、稀少性が背景にありました。独特のダイヤモンド光沢は魅力ではありますが、大量に存在すればありふれたものとなり、見向きもされない『そこら辺の石』となったはずです。 『ダイヤモンド』と言うだけで価値があったのは、ダイヤモンドが稀少だった時代に限定されます。但し、昨日と今日で突然変化するわけではありません。過渡期は緩やかに変化します。渦中にいながらにして変化を認識するのは困難です。歴史として振り返り、大局的な視点で見ることで『変化点』を定義することが可能です。 |
ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移 【出典】2017年の鉱山資源局の資料 |
南アフリカのダイヤモンド・ラッシュ以前は、ブラジル鉱山が世界最大のダイヤモンド供給地でした。およそ130年間、年平均10万カラットを安定して供給し、限られた社交界の需要を満たしてきました。英国王ジョージ4世が切望しても必ずしも手に入らない、貴族が憧れるための程よい稀少性バランスが保たれていました。 それを激変させたのが、南アフリカのダイヤモンド・ラッシュでした。現代ですら供給し続けていますが、それは後から見た際の『結果論』です。初期は「また枯渇するかも。」、「いつ手に入らなくなるか分からない。」という心理もあり、上質な石は価格が保たれ、優れたダイヤモンド・ジュエリーも制作されました。 |
プレミア鉱山(1903年) |
しかしながら南アフリカでは巨大鉱山が続々と発見され、その埋蔵量はダイヤモンドの稀少価値を失わせるのに十分でした。 1848年のカリフォルニアのゴールド・ラッシュの経験で、市場にゴールドを供給すればするほど価格が下落し、掘っても掘っても赤字が膨らむことは、分かる人には明らかでした。 |
デビアス創業者セシル・ローズ(1853-1902年)1900年、47歳頃 |
初代ロスチャイルド男爵ナサニエル・ロスチャイルド(1840-1915年) |
そこで市場を掌握し、価格統制したり、品質に関するルール作り、マーケティング戦略などを主導したのがデビアス社です。早々とダイヤモンド市場に目をつけていたロスチャイルド家の支援によって、セシル・ローズが設立した会社です。金価格の下落で破産者が相次いだカリフォルニアのゴールド・ラッシュと異なり、ダイヤモンドは戦略的に価格が維持されました。 |
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南アフリカ会議の戯画(1897年) |
社交界は上流階級、政界、財界、芸能界と密接です。これは1897年の南アフリカ会議を描いた戯画です。右端には紳士のファッションリーダーの一人、ジョセフ・チェンバレン植民地相がおり、中央は南アフリカ会社社長セシル・ローズです。セシル・ローズは1890年から1896年までケープ植民地首相も務めていました。一般人には閉ざされた社交界で情報のやりとりをしますし、財界のみならず政治や上流階級とも密接です。 |
| レイト・ヴィクトリアンの貴族のジュエリー | ||
『コスモス』ダイヤモンド&天然真珠 フラワー・ピアス イギリス 1870年頃 ¥1,440,000-(税込10%) |
『ハッピー・エンジェル』ストーンカメオ&フェザーパール ブローチ フランス? 1870〜1880年代 ¥1,200,000-(税込10%) |
『フランボワーズ』アールヌーヴォー ネックレス フランス 1890〜1900年頃 ¥2,200,000-(税込10%) |
ダイヤモンドの稀少価値の変化と流通コントロールについて、社交界に属する上流階級は事情を熟知しています。だから19世紀後期に、唯一無二の稀少価値の高い宝石として、天然真珠の価値が相対的に爆上がりしていきました。天然真珠は主にデイ・ジュエリー、ダイヤモンドはナイト・ジュエリーとして使い分けはあったものの、至高の宝石として天然真珠が高騰した背景にはダイヤモンド・ラッシュがあるのです。 |
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| 1900年前後の成金(庶民)のジュエリー | ||
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社交界の外側にいる、中途半端な成金やを含めた一般庶民は言葉は悪いですが『コロがされる側』です。供給コントロールやプロモーション戦略などの裏側は知りません。宣伝文句を鵜呑みにし、ダイヤモンドが付いてさえいれば高級と思い込み、虚飾価格に喜んで大金を出します。後にサミュエル・ビングらから『はびこる粗造濫造の装飾品』と糾弾される、稚拙な作りに似たり寄ったりのデザインの、庶民用の量産アール・ヌーヴォー・ジュエリーにも反映されています。 王侯貴族のジュエリーと比べると、悪趣味と安っぽさが際立ちますが、社交界に出入りする機会は庶民にはありませんから、残念ながら比較して理解する機会はありません。 |
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| 1900年前後の成金(庶民)のジュエリー | ||
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同じ社会階層の中、同じ作りとデザインで、ダイヤモンドを買えない人や、シルバーしか手に入らない人と比較して優越感に浸り満足するのです。『井の中の蛙』、『団栗の背比べ』とはこの事です。 現代の日本人は未だにこの古い情報からアップデートされていない人が多く、ダイヤモンド信仰は根強いようです。転がされている人は転がされている自覚がないものですし、経験と知識と想像力の全てが乏しい人は、自身がアッパークラスと容易に思い込むことができます。 ちなみに『庶民』と表現していますが、当時ジュエリーを買えた一般女性とはほぼ売春婦と見るのが妥当です。 |
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フランスの娼婦の誘惑から逃げるイギリス貴族の若者【引用】『グランド・ツアー』(本城靖久著 1983年)中央新書688, p95 |
日本で『売春婦』と聞くとネガティブで日陰者のイメージが強いですが、特にフランスのパリは『売春婦の都』とも称されるほど数が多く、ごく一般的な存在でした。 1770年のパリの人口60万人(推定)のうち売春婦は2万とも4万とも推定され、18世紀のフランスは『売春婦の黄金時代』と称されていました。 男女の比率が半々だったとすると、赤ちゃんからご老人まで含め、最大で女性の7人に1人が売春婦でした。 |
| パリの街を大いに楽しんだフランス皇帝&イギリス国王 | |
フランス皇帝ナポレオン3世(1808-1873年)1852年、44歳頃 |
イギリス王エドワード7世(1841-1910年)王太子時代 |
その後の時代もパリは売春婦で賑わっていましたし、各国の主要都市に売春婦は必須でした。それでもパリは、隠しもしないという意味で極端です(笑) |
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フランス皇帝ナポレオン3世と皇后ウジェニーの結婚式(テュイルリー宮殿 1853年1月29日) |
ナポレオン3世は結婚して3ヶ月も我慢できず、妻ウジェニー皇后が流産して失意の中にあっても宮廷や私邸に女優、女官、社交界の婦人、ココット(高級娼婦)を続々と招いて放蕩生活を送りました。血統的に正妻になることはできませんが、娼婦の中でも売れっ子になれば成り上がること自体は可能でした。 |
| 帝政から共和政に移行したことによるファッションリーダーの変化 | |
| 王侯貴族 | 女優や歌手などの大衆のスター |
フランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(1826-1920年) 1854年、28歳頃 |
フランスの舞台女優サラ・ベルナール(1844-1923年)1876年、32歳頃 |
一般女性が成り上がるにはこの手段しかなく、しかも美しさと若さだけでは頭ひとつ飛び抜けることはできません。そこで女優であったり、歌手であったりの芸能的なプラスアルファが付加されたわけです。トップクラスになれば、社交界への出入りも可能となります。 しかし生まれながらの王侯貴族の女性とは教養が異なりますし、求められるものも違います。美しさと若さという魅力を失えば、途端に失業と惨めな生活が待っています。 |
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| クレオパトラに扮する同時代の上流階級と舞台女優 | |
| 上流階級 | 舞台女優(大衆のスター/高級売春婦) |
アーサー・パゲット夫人(1897年) |
サラ・ベルナール(1899年) |
同時代にクレオパトラに扮した上流階級の貴婦人と、舞台女優で高級売春婦サラ・ベルナールの衣装からもお察しいただけるでしょう。真のラグジュアリーを目指す上流階級は質も重視しますが、成り上がり庶民はお金がないけれど高そう、凄そうに見せる必要があり、一見すると迫力がありながらもチープ感が漂うハリボテしか準備できません。 |
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『財宝の守り神』約2ctのダイヤモンド&天然真珠 ブローチ フランス 1870年頃 SOLD |
1870年頃からのダイヤモンド・ラッシュで、徐々にダイヤモンドの地位は変化していました。 産業革命によって小金持ちとなった一般庶民の衣食住が満ち足り、ジュエリーを買うようになったのはミッド・ヴィクトリアン以降、多くはレイト・ヴィクトリアン以降です。 ジュエリーを買う文化がなかった庶民には変化が分かりようもありませんが、上流階級は認識できましたし、情報も共有されました。 ダイヤモンド・ラッシュ初期は、かつてない上質なダイヤモンドに上流階級も魅了されました。上質なダイヤモンドでなければ不可能な美しい宝物が生み出されました。しかしながら莫大な供給量により、徐々に稀少価値が低下していきました。それが19世紀後期です。 |
2-1-2. ダイヤモンド・ラッシュと需要激増に伴うカットの技術革新
ダイヤモンドの切削加工場(1710年頃) |
限られた原石しかなかった時代、ダイヤモンドのカット産業は手作業による小規模なものでした。 しかしながら南アフリカのダイヤモンド・ラッシュによって、桁違いの量の原石が得られるようになりました。 ここにタイミング良く、世界中の成金庶民の桁違いの需要がマッチしました。 |
ベル・エポックの時代に湧くボン・マルシェ(安い)百貨店(1887年) |
フランスも普仏戦争の敗戦からの戦後復興で遅れていた産業革命を経験し、繁栄を極めたベル・エポックの時代を迎えました。ベル・エポックの経済を牽引したのは若い女性とされます。産業革命で都市の庶民の男性たちが労働者として稼ぎ、彼らを客として稼いだ売春婦が百貨店に押し寄せ、旺盛な消費意欲で買い物しまくった構図です。 |
1906年版『ボヌール・デ・ダム百貨店』の挿絵、p377(エミール・ゾラ著 1883年発行) |
当時、『百貨店』はできたばかりの新しい業態でした。新規に膨大な需要を産み始めた、庶民のために発明された媒体です。 百貨店では現代にも通じる、心理学を巧みに使った商法が使用されました。 婦人客を食い物にする様子が、当時の知的階層からも問題視されていました。『買物中毒』や『窃盗症』などで身を滅ぼす若い女性が相次ぎ、社会問題となったほどでした。 キャバクラや売春で稼いだお金をホストに貢ぎ、破滅する現代の女性たちと同じ構図です。結局、心の穴を埋めるために消費に走るのですが、このやり方ではいくらお金を使っても、その穴が埋まることはないのです。 |
ベル・エポックの精神を表現したポスター(1894年)ジュール・シェレ |
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ベル・エポックの精神を表現したというポスターの女性が、こういう感じである理由はお分かりいただけたでしょう。 金属を溶かして冷やし固めた鋳造(キャスト法)は、量産が容易です。右は、外周の形を整えようとすらしていない感じです。キャスト法はダイヤモンドを職人が爪で留める必要もなく、高度な技術が要りません。 |
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ルーブル百貨店(1877年) |
大挙して押し寄せ行列を成す若いご婦人たち・・。 |
ヘンリー・モース |
このような背景によりカット技術は近代化され、産業として飛躍的に成長していきました。 限られた王侯貴族の需要を満たすための、高度な技術を持つ職人による世界から、無数の大衆の需要に応えるための機械化された大量生産の世界へ変容していったのです。 |
2-1-3. ダイヤモンド・ソウの発明に伴う稀少価値の激変
ダイヤモンド・ソウ(1903年頃) |
ダイヤモンド市場を激変させたのは、1900年に発明された電動ダイヤモンド・ソウと言えます。 「ちょっと作業が楽にだけ。」と言う印象を持たれる方も多いかもしれません。 しかしながら、全くそのようなレベルではありません。 |
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電動ダイヤモンド・ソウによって、劈開の方向を無視したカットが可能となりました。これが示す所を、的確に想像しておられる方は少ないかもしれません。 それまでダイヤモンドのラフカットは、劈開性を利用するしかありませんでした。職人の勘と高度な技術を必要とする上に、結晶系が整った原石しか使えない手法です。これにより、天然ダイヤモンド原石の上位わずか6%程度しか利用できませんでした(ソーヤブル原石)。電動ダイヤモンド・ソウがゲーム・チェンジャーとなり、それまで使い道がなかったニアー・ジェムまで利用可能となりました。 |
| 工業用スレスレのダイヤモンド | ||
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それまで6%しか利用できず、その中で品質のランク付けがあったものが、突如として40%も利用可能となりました。利用価値がなくタダ同然だったものが高値で売れるようになる、まさに錬金術です。 |
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| ベル・エポックの経済活動を牽引した庶民層の女性 | |
1906年版『ボヌール・デ・ダム百貨店』の挿絵、p377(エミール・ゾラ著 1883年発行) |
ベル・エポックの精神を表現したポスター(1894年)ジュール・シェレ |
肥えた眼と豊富な知識や情報を持つ王侯貴族をコロがすことはできませんが、ジュエリーを買う経験を持たず、知識もない庶民の女性は、宣伝文句を言われるがまま素直に聞きます。心の闇につけこみ、おだてれば簡単に大金をはたきます。裏ではもちろんバカにしています。カネのために魂を売る商売人と、心の闇をカネで解決しようとする女性たちの、持ちつ持たれつの関係です。良いものではなくチヤホヤ代にお金を払っているだけなので、喜びは買う時の一瞬だけです。麻薬のようにすぐ効果がきれるため、再び買い求める衝動が起きます。現代でもジュエリー業界や着物業界など、女性用の高額品を扱う業界で蔓延っている闇です。 |
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ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移 【出典】2017年の鉱山資源局の資料 |
ただでさえ原石の供給量が桁違いとなっていた所に、電動ダイヤモンド・ソウの登場で7倍近く(6%→40%)の原石が活用できるようになりました。庶民にとっては以前として高額な宝石でしたが、王侯貴族にとってはダイヤモンドというだけでは価値が無くなっていったのです。 |
2-1-4. ダイヤモンド・ソウが貴族のジュエリーに与えた影響
原石の『エクセルシア』 |
1905年に『カリナン』(3,106.75カラット)が発見されるまで、世界最大のダイヤモンドの原石は『エクセルシア』(約970カラット)でした。 世界トップクラスの技術を持つアムステルダムのアッシャー・ダイヤモンド社がカットしましたが、内部に気泡や亀裂も多く、大きな宝石に仕上げることはできませんでした。 13〜68カラットの10個のダイヤモンドにカットされ、不特定の購入者に販売されました。 |
『The Beginning』プリンセスカット・ダイヤモンド&エメラルド リング イギリス 1910年頃 SOLD |
劈開性を無視したカットができるダイヤモンド・ソウの利点は、それまでは実現不可能だったカットに挑戦できることです。 与えられたものの中から選ぶだけの受け身型は、庶民の発想です。 王侯貴族は新しい流行と文化を創り出し、世の中を進化させる使命が役割としてあります。 |
豊富な原石と、画期的なダイヤモンド・ソウと言うツールを手に入れたら王侯貴族は何をするかと言えば、新しいカットへの挑戦です。20世紀初頭の王侯貴族のダイヤモンド・ジュエリーは、以前にはなかった個性豊かなカットを見ることができます。 |
『雫の芸術』ブリオレットカット・ダイヤモンド&天然真珠 ブローチ フランス 1920年頃 SOLD |
『大都会』ペアシェイプカット・ダイヤモンド&エメラルド リング フランス 1920-1930年頃 SOLD |
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無駄が多いカットにチャレンジできるのも、ダイヤモンドそのものの稀少性が大幅に低下したからこそです。 |
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ブリオレットカット |
マーキーズカット |
チャレンジできるようになったとは言っても、高度な技術を持つ職人が時間と手間もかけなければ実現できないカットです。だから美しいにも関わらず、技術とコストの観点から普及はしませんでした。アンティークのハイ・ジュエリーでも滅多にお目にかかることはできません。贅沢なジュエリーです。 |
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2-1-5. 20世紀に消えていった極小ローズカット
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華やかさがあるオリジナル・カットのダイヤモンドと異なり、地味で意識されにくいのが極小ローズカットです。 ダイヤモンド・ソウの到来と、王侯貴族から庶民の時代への移り変わりの中で、ひっそりと姿を消していったのが極小ローズカットでした。 |
| 儲けのためにコスト最優先でデザインした薄いカット | |
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現代のダイヤモン・ドリング |
もともと極小ローズカットは、メインのオールドヨーロピアンカットの副産物的に得られていました。高度な技術と手間も要しますが、ダイヤモンドの稀少価値が圧倒的に高かった時代は、このようなカットが当たり前に行われていました。右のようなカットの方が儲けやすいため、現代ではこのような取り方が通常です。 「数学者が計算して考案した理想の完璧なカットです。」と説明すれば、平民層は鵜呑みして喜んで大金を出します。当のトルコフスキー本人は数学的な面白さを理論化しただけで、『美しさの定義』は誰もやっていませんし、万人が納得する『最も美しい状態の定義』は不可能です。 |
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マーセル・トルコフスキー(1899-1991年) |
偉い数学者様という権威付けと、感覚が不要で万人が理解しやすい数値化という意味で『4C』基準が考案され、大衆の時代は画一的な規格で運用されています。 美しさではなく、業界が最も儲けられるための基準なので、都合によってコロコロ変わり得るのも特徴です。 その都度、大衆が納得しやすい大義名分がデッチ上げられます。『大衆』はその性質により、いつの時代も簡単にコロがされます。「人のふり見て我がふり直せ。」、自身を省みるのは重要ですね。 |
成金嗜好の庶民の発想はいつの時代も同じです。「限界までお安く!」、でも「お高くて凄そうに見えるよう!!」ということです。私には意味が分からないのですが、お金は出したくないけれど高そうに見せたいそうです。他者を搾取して自分だけ得するのが当たり前という、詐欺師と何ら変わらぬ浅ましい思考です。 経営や経理などの経験がある方にとっては共通認識ですが、コストで特に高い割合を占めるのが人件費です。だから「お安く!!」の圧力があると、経営者らが真っ先に削りたがるのは人件費です。安い品物を要求し、人件費が削られ、自身の所得が減るというタイムラグのデフレ・スパイラルは、日本人なら身をもって経験済みですね。『自分さえ良ければ』の終着点です。 |
【参考】ヘリテイジでは扱わないレベルのアール・デコ後期の14Kボンブリング |
極小ローズカット・ダイヤモンドは手間がかかり、それがコストに直結する一方で、小さいので成金嗜好の人には価値がさっぱり理解できません。ダイヤモンドの稀少価値が劇的に低下し、加工費用も低下し、オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドが入手しやすくなった結果、成金庶民はオールドヨーロピアンカットに走りました。 |
【参考】ヘリテイジでは扱わないレベルのアールデコ後期のボンブリング |
20世紀以降は、安物でもオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドばかりが使用されている理由です。極小ローズカット・ダイヤモンドは石留にも高度な技術を要します。これを作った職人に、そのような石留技術を期待できないのは明らかですね。 |
| ローズカットのみでデザインした王侯貴族の気品に満ちた最高級品 | |
『麗しのマデイラ』エドワーディアン マデイラ・シトリン ペンダント イギリス 1910年頃 SOLD |
『女神の凱旋』アールデコ リバース・インタリオ ブローチ フランス 1920年頃 ¥2,200,000-(税込10%) |
20世紀に入ると王侯貴族にとって、もはやオールドヨーロピアンカットと言うだけではイコール即ち高級宝石ではなくなりました。しかも、無知でセンスもない勘違い成金がオールドヨーロピアンカットを至る所で自慢していました。 そのような醜く浅ましい姿を目にした上流階級が辟易し、差別化すべく極小ローズカット・ダイヤモンドに走ったことは想像に難くありません。全てローズカットの宝物も珍しくありません。 |
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| 19世紀と20世紀の最高級を象徴するダイヤモンドの違い | |
| オールドヨーロピアンカット系 | 極小ローズカット |
『幸せのメロディ』ダイヤモンド ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
『至高のレースワーク』エドワーディアン リボン ブローチ イギリス 1910年頃 SOLD |
王侯貴族にとってのダイヤモンドは、1900年の電動ダイヤモンド・ソウの発明の前と後で立ち位置がガラリと変化します。ダイヤモンドそのものの稀少価値が高かった19世紀以前は、左のように厚みのあるオールドヨーロピアンカット系が最高級を象徴しました。ダイヤモンドに真の稀少価値が無くなっていく20世紀に入ると、ダイヤモンドそのもの(物質)ではなく、プライドを持つ職人がかけた技術と手間(見えない部分)が高価(コスト)の象徴と見做されました。だから極小ローズカットが好まれ、付随するアーティスティックな神技の細工も大いに支持されました。 肉眼で見えるものではありません。心眼で視る才能を持たねば認識も理解もできない、物質を超越した世界です。現代も含め、成金嗜好の大衆の殆どは理解できない領域です。閉ざされた社交界で一般人が馴染むことが難しいのは、ここが理解できていない上に、理解できていない認識すらできないからです。 |
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| 王侯貴族の時代 | 新興成金(大衆)の時代 |
『永遠の愛』エドワーディアン ダイヤモンド ペンダント&ブローチ フランス? 1910年頃 ¥1,220,000-(税込10%) |
【参考】ダイヤモンド ブローチブシュロン 1940年代 |
成金は物質主義を極めており、モノにしか価値を見出しません。 宝石の数と大きさにご注目し、加工にかかる技術と手間をご想像ください。 |
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稀少価値が低下したダイヤモンドは、大きさがあっても安く仕入れられます。原料より加工費の方が高くつく状況にあっては、手間をかけずに売れる方が儲かります。高度な職人技も必要とせず、それだけ歩留を上げられますし、時間短縮で人件費も抑制できます。さらに「誰でもできる簡単なお仕事」となることで、作業者を替えがきく人材として買い叩くことができます。 Genや私のように感覚がある方ならば、このような知識などなくとも一目で右はチャチで安っぽく感じられると思います。感覚がない場合でも、論理的背景を理解できれば納得できると思います。当時の王侯貴族にとっては常識でした。傲慢な成金は色々な意味で理解できないため、この常識は共有はされません。 |
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今回の宝物も、いかにもエドワーディアンの王侯貴族らしいデザインと作りです。 極小ローズカット・ダイヤモンドは視認が困難なほど小さく、それでいてカットの質は最高ランクなので、揺れ動きながらの一瞬ごとの閃光が人の心を惹きます。 極小も無意味ではなく、鋭い輝きがむしろ強く印象に残ることを、当時の王侯貴族は分かっていたわけですね♪ |
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2-2. 女王の迫力ではなく王妃や王女の清楚な気品
2-2-1. エドワーディアンの王侯貴族のダイヤモンド選び
教えられた知識内や、指定された枠内で発想するのは庶民です。王侯貴族は頭デッカチな発想をするよう育てられません。時代と環境に合わせ、柔軟にルールを作ったり改良したり、新しい流行や文化を創り出すのが役割とされるからです。『正解』が1つしかないというのは、実社会ではあり得ません。誰も『唯一の正解』は知らない状態で、自ら決めていく必要があります。 |
| 統一規格で大量生産する現代の無個性なダイヤモンド | |
イエロー・ダイヤモンド・リング(ティファニー)【引用】TIFFANY & CO / Tiffany Soleste Cushion-cut Yellow Diamond Halo Engagement Ring in Platinum ©T&CO |
【参考】サファイア&ダイヤモンド・リング |
現代のダイヤモンドは大きさも均一、カットのフォルムも均一です。個性豊かな天然石をここまで無個性化するのは、扱いやすくすることで極限までコストを抑えて儲けることが目的です。人間の顔が全て同じだったら気持ち悪いのと同様で、気味の悪さを感じます。 どれも同じなので、セッティング時にバランスを考えながら配置する必要もありませんが、ここまで頭を使わないとバカになりそうです。何らかの理由で歩けなくなると、すぐに足の筋肉が退化することは有名です。頭も同じだと感じますが、頭の場合は自覚できないからこそより深刻と感じます・・。 |
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『ダイヤモンド・アート』 |
ダイヤモンドのカットは昔からバリエーション豊富です。この魅力的な表情を真から知り、楽しむことができるのは、王侯貴族のアンティークジュエリーを所有する幸運を手に入れた人だけです♪ |
デザイン重視の王侯貴族のジュエリーは、ダイヤモンドありきではありません。創造したい最終形に合わせて、宝石やカットも含めてデザインします。素材(物質)的には同じ『ダイヤモンド』でも、カット次第で輝きも雰囲気も全くと言って良いほど別物となります。 |
| エドワーディアンの個性豊かな最高級品 | |||
| 全てローズカット | 組み合わせ | 全てシングルカット | |
『ダイヤモンド・ダスト』ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント・ウォッチ フランス(パリ) 1910年頃 ¥15,000,000-(税込10%) |
『Shining White』ダイヤモンド ネックレス イギリス or オーストリア 1910年頃 SOLD |
『MIRACLE』ブラックオパール ペンダント イギリス 1905-1915年頃 ¥10,000,000-(税込10%) |
『新月』ブルー・ムーンストーン リング イギリス 1905年頃 SOLD |
成金趣味が幅を利かせた典型的なヴィクトリアンに対し、本来のヨーロッパ王族らしい気品を備えたとされるアレクサンドラ妃のエドワーディアンは、小さくて分かりにくくて良いものが好まれる傾向にありました。極小ローズカットだけでなく、オールドヨーロピアンカット系についてもシングルカットという極小が追求されました。 流行としては極小ローズカットとシングルカットがありつつ、組み合わせたり単独使用など、求める雰囲気に合わせてカットが選択されました。静止画でご覧いただくだけでも、雰囲気への影響度は感じていただけると思います。実物は「10倍!」と言うのは控えめ過ぎるくらいで、100倍くらいは違って感じられるはずです。 |
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2-2-2. ナイト(騎士)のダイヤモンド
『スコットランドの騎士』エドワーディアン ミニチュア勲章(替章) イギリス 1910年頃 SOLD |
これはスコットランド最高勲章『シッスル勲章』の替章として使用するためのミニチュア勲章です。 |
| スコットランドのシッスル騎士団の正装 | |
シッスル騎士団の正装をしたエリザベス女王(ニッキー・フィリップス作 2018年)【引用】Royal Collection Trust / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2021 |
![]() "Knight of the Yhistle robe, Holyrood Palace" ©Kim Traynor(30 November 2013, 19:13:55)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
シッスル勲章は君主を騎士団長とし、王族を除く臣民の勲爵士は16名で、さらにスコットランド人の血を引く者に限定される誇り高い勲章です。臣民のシッスル騎士団のメンバーは爵位貴族の最高位となる公爵を始め、準貴族以上の爵位を持つ上流階級です。ご覧の通り、正装以外で実物の勲章を着用するのはサイズ的に難しいです。 |
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だから必要に応じて替章が制作されるわけです。 これほどのものをオーダーできるのは、シッスル勲章の持ち主が財力も兼ね備えたスコットランド高位貴族だったからこそです。 最高位のナイトを象徴するアイテムです。力強さや威厳、高潔さを表現するため、ダイヤモンドもオールドヨーロピアンカット系のシングルカットをメインに、極小ローズカットを組み合わせています。高位貴族の紳士らしい納得のチョイスです。 |
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2-2-3. 女王のダイヤモンド
社交界の貴婦人の中でも、パートナーを含め男性たちより偉い立場となる『女王』は特殊です。本来は例外的な存在です。 |
ヴィクトリア女王一家(1846年)ロイヤル・コレクション |
しかしながらヴィクトリアンが近代であること、在位期間が極端に長かったこと、庶民が台頭した時代に重なったこと、さらにその庶民を含めた全ての女性の手本としてヴィクトリア女王一家が政治戦略的に機能を果たしたことがあり、『昔の貴族の女性』のイメージとして一般庶民層にはヴィクトリア女王が強く浸透しています。生まれてのヒヨコへの刷り込み現象や、第一印象が変えられないのと同じようなものです。 |
ヴィクトリア女王(1819-1901年)1859年、40歳頃 |
ヴィクトリア女王のフリンジ・ダイヤモンド・ブローチ(R&S ガラード 1856年)【引用】Royal Collection Trust / Queen Victoria's Diamond Fringe Broosh 1856 © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020 |
世界の中心として覇権を握る大英帝国の君主として、ヴィクトリア女王は国内外の全地球民に権威を誇示する必要がありました。だからダイヤモンドは大迫力系です。 右はリメイク後のフリンジ・ダイヤモンドです。オリジナルは肖像画のように超巨大でしたが、使い勝手が悪すぎるとのことでこの形になりました。Genが「イカとかタコのようなジュエリー」と嫌がる安物の原型であり、大将と言える存在です(笑) |
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| 【参考】女王に倣ったフリンジ系ジュエリー | ||
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アンティークジュエリー好きの方に特にヴィクトリア女王のイメージが強いのは、Gennに追随したディーラーがヴィクトリア女王をプロモーションの軸にしたのも大きいです。ジョージアンは古さもあって稀少で、エドワーディアンからアールデコにかけても期間が短く、ヴィクトリアンの安物ジュエリーが追随ディーラーにとっては最も売りたいジャンルでした。数も多くて儲けやすかったからです。 今ではこの辺りすらも枯渇していますが、ヴィクトリア女王のダイヤモンドのフリンジ・ジュエリーを真似した火星人のような安物が日本人向けに多く販売されたようです。Gen同様、私もこれらの良さはさっぱり理解できません(笑) |
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| フリンジ系ジュエリーのランク | ||
| ヴィクトリア女王 | 高位貴族 | そこそこの貴族 |
![]() 【引用】Royal Collection Trust / Queen Victoria's Diamond Fringe Broosh 1856 © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020 |
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イカタコ・ジュエリーを誇らしげに自慢する人は、ヴィクトリア女王のオリジナルをご存知ないのでしょう。不勉強であるにも関わらず、無知を自覚しない人は一定数存在します。よほど財力のある高位貴族はダイヤモンドで類似デザインをオーダーしますが、フリンジの揺れる構造が不細工です。ダイヤモンドで作る財力がない人が、カリフォルニアのゴールド・ラッシュで買いやすくなったゴールドでフリンジを制作します。 |
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| ヴィクトリアンの王族女性 | ||
| スペイン女王 | イギリス女王 | イギリス女王の従妹 |
スペイン女王イザベル2世(在位:1833-1868年)とフランシスコ・デ・アシス・デ・ボルボン王配 |
ヴィクトリア女王とアルバート王配(1861年)共に42歳頃 |
メアリー王妃の母・テック公妃メアリー・アデレード(1833-1897年)1885年、51歳頃 |
望まずとも君主として威厳を出す必要があった女王と違い、それ以外の殆どの女性は迫力を出す必要はなかったはずです。真似するのは自己顕示欲が高い成金嗜好の女性くらいですし、それに同調する波長の現代人が、わざわざお金を出してイカタコ・ジュエリー等を買うのでしょう。女王の迫力を出すには巨大ダイヤモンドです!(笑) |
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2-2-4. プリンセスらしい威厳とフレッシュな気品
プリンセスに求められるものをご想像ください。あからさまに男性より上の立場を主張する、女王の迫力とは違います。力強いナイトとも違います。 |
『ダイヤモンド・ダスト』エドワーディアン ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント・ウォッチ フランス(パリ) 1910年頃 ¥15,000,000-(税込10%) |
これはコンテスト・ジュエリーとして制作された可能性が高い、エドワーディアンのペンダント・ウォッチです。 ダイヤモンドの全てが、繊細な輝きを放つ極小ローズカットで構成されています。 儚さをも感じる『美の幻影』が心を捕らえて離さない、芸術作品の極みです。 |
| エドワーディアンの王侯貴族のダイヤモンド・ジュエリー | ||
| +オールドヨーロピアンカット | +ダッチローズカット系 | |
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ハート&ペアシェイプ ローズカット・ダイヤモンド ネックレスオーストリア? 1905〜1920年頃 SOLD |
『魅惑のトライアングル』ダッチローズカット・ダイヤモンド ネックレス オーストリア 1910年頃 SOLD |
プリンセスは繊細さだけでは務まりません。人の上に立つ者、女性が憧れる手本として、目立たないながらもパートナーを力強く支える縁の下の力持ちのような揺るぎない気品が必須です。だから繊細さを極める方向となる、全てが極小ローズカットというのは少し違います。 オールドヨーロピアンカットを多用し過ぎると主張が強くなり、プリンセスらしいフレッシュさや清楚な気品が消失してしまいます。ここで大きさのあるローズカット・ダイヤモンドも選択肢に挙がってきますが、想像以上にモダンな雰囲気となります。私自身はかなり好みの雰囲気ですが、プリンセスをテーマにした場合、オーソドックスでクラシカルな雰囲気を出す必要があります。 |
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そういう訳で、1粒ずつだけオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドをデザインするのが、このピアスの依頼主にとっての理想像だったのです。 透明感と繊細な輝きを魅力とするローズカット・ダイヤモンドをメインにしつつ、オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドがプリンセスらしい程よい威厳と気品を醸し出しています。 計算され尽くした、見事なデザインです♪♪ |
2-3. 極上のダイヤモンド × 立体配置 × 揺れる構造
2-3-1. ローズカットは透明度と煌めきの強さが最上質の証
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この宝物のローズカット・ダイヤモンドは透明度が高く、清らかな美しさが際立っています。 華やかな煌めきと共に、透明度の高さ故に、背景が透けている様子も感じていただけると思います。 現代のような酸処理を始めとした人工処理(トリートメント)が不要な最上質のダイヤモンドを、完璧に表面仕上げした場合にのみ出せる美しさです。 |
2-3-1-1. ダイヤモンドの透明度とインクリュージョン
インクリュージョンは石の透明度を下げます。色石の方が分かりやすいです。 |
| 【参考】アクセサリー | 【参考】パワー・ストーン |
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加熱の履歴は不明ですが、現代の一応『シトリン』とされる石です。質の悪い石は、石の種類と安さしか気にしないパワーストーン市場に回されます。インクリュージョンが多いほど、透明度は低いです。色石は白っぽさが増すので分かりやすいです。 |
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石英の結晶(ブラジル産)"Quartz Bresil" ©Didier Descouens(23 January 2010)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
これは天然水晶(ロッククリスタル)です。 無色の石だとこのような感じです。 |
【参考】現代の天然ダイヤモンド |
ダイヤモンドの場合、多面カットすることで反射光が白く光り、白く濁る系のインクリュージョンは分かりにくくなります。 |
【参考】目立つ内包物があるダイヤモンドのルース |
色付きの内包物はさすがに目立ちます。しかしながら現代の科学技術を以てすれば、目立たなくして売り物にできます。 現代は何も考えずに、取り敢えず高温・高圧下の強酸で長時間煮沸します。ディープ・ボイリングという手法で、当たり前に実施する手法すぎてGIAのお墨付きとなっています。この処理は鑑定書に記載する義務がありません。『消費者保護』は目眩し目的の大義名分に過ぎず、業界のための機関とルールですから(笑) |
| 【参考】インクリュージョンの目立つステップカット・ダイヤモンドのルース(現代) | |
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ディープ・ボイリングは表面からアクセスできるインクリュージョンのみ有効です。内部の介在物は表面からレーザーで掘削し、穴を貫通させます。そこから強力な酸を流し入れ、内包物を溶かしたり漂白して見えなくします。レーザー・ドリリングという手法です。 そのままでは穴が開いた状態になるため、ガラスなど透明な素材で充填するフラクチャー・フィリングと言う手法も確立されています。 |
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ダイヤモンド・ピアス(ティファニー 2023年)¥2,365,000-(2023.2) →¥2,585,000-(2023.11)→¥3,520,000-(2026.7) 【引用】TIFFANY & CO / ティファニー ハードウェア リンク ピアス©T&CO |
それをやらない場合、透明感が乏しく、白く濁った印象となります。メレダイヤは肉眼で分かりにくいこともあり、低品質の石が使用されるのが一般的なようです。 感覚がある方だと、知識などなくても現代ジュエリーのダイヤモンドの魅力のなさに疑問を持たれたりされるようです。 メレダイヤは安く手に入ります。寄せ集めて総カラット数を上げても大したコストになりませんが、素材と分量などの数字だけしか気にしない、頭デッカチの消費者は喜んでお金を出すようです。 今回の宝物を左の量産品より安く設定したくありませんが、金価格高騰(ホワイトゴールド製)に円安も相まった値上がり率も興味深いです。 |
2-3-1-2. 誤魔化しが聞かない『ファイア』という性質
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この影響が最も顕著なのが『ファイア』です。ダイヤモンドに侵入した光が、内部で複雑に反射を繰り返すことで分散して『色とりどりのファイア』として現れます。インクユージョンが多かったり、空隙や異なる素材が充填されていると、光は分散していきます。 |
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←等倍↑ |
ローズカットは透明度が高い、イコール光がフラットな底面から抜けやすく、オールドヨーロピアンカットに比べるとファイアは出にくいですが、それでも瞬間ごとにファイアが浮かび上がります。 |
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視認による知覚はできなかったとしても、このカラフルなファイアが「生き生きとした美しさ」であったり、「なぜか心を惹きつけられる」感覚として抜群に効いてくるのです。 心がない人は違うかもしれません(笑) |
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| アールデコの最高級品 | 【参考】現代のダイヤモンド・ピアス | ||
『Bright things』ダイヤモンド 3連ピアス イギリス 1930年頃 SOLD |
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現代のブリリアンカットは設計上、もともと輝きが弱いですが、石そのものも強酸処理など各種人工処理を経た死体のような存在です。 魂の抜けた骸が、生き生きと輝くわけもありません。論理的にも説明がつくのです。思い込みや気のせいではなく、感覚がある方は鋭く察知できているのです。視認できない微細領域の研究は、私のサラリーマン時代の専門分野の1つでした。人生に無駄は1つもありませんね〜♪ |
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| 底部から光が漏れないブリリアンカット | 透明感が特徴のステップカット | |
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カットのフォルムとしては、底部から光が漏れず全て反射するブリリアンカットは本来ファイアが出やすいはずです。ファイアが乏しいのは低品質の証です。 透明感を特徴とするカットは、インクリュージョンが目立つ性質があります。19世紀にステップカットが一度姿を消した理由の1つです。底面から光が抜けない性質は、内包物や石そのものの透明度を誤魔化す点からも都合が良いのです。だから様々な選択肢があっても、現代ジュエリー業界はブリリアンカット系が主力であり続けるわけです。 |
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2-3-1-3. 磨き上げの質で雲泥の差が出る『輝き強度』
材料でしか判断できない人は、ダイヤモンドでありさえすれば強く光り輝くと本気で思い込めるようです。『裸の王様』は笑い話ではありません。 |
最も大きな9つのラフカットされたカリナン |
宝石として仕上げられた9つのカリナン |
ラフカットしただけのダイヤモンドは表面が粗く、磨いて表面を滑らかにする必要があります。最初から細かいヤスリを使うのは不可能で、徐々に番手を細かくしていきます。番手を細かくするほど平滑化して透明度が上がり、反射率も向上しますが、それに伴い時間と手間(=コスト)も指数関数的に増大するため、どこまでやるかは依頼主と職人次第です。 |
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| 表面仕上げの違いによる輝き強度の差 | |
| エドワーディアンの最高級品 | 現代の大量生産品 |
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科学技術が発展した現代では完璧を目指せそうに思えるかもしれませんが、研磨工程は関わったことがない方は想像もできないくらい手間と時間がかかります。だから現代でも、「誰も買わないほど酷い。」の一歩手前までしか磨き仕上げしません。 英国王エドワード7世に献上されたカリナンの1908年の事例では、ラフカット後の9石を研磨してルースの状態に整えるのに、世界トップクラスの設備と職人3人で1日14時間、8ヶ月かかったそうです。現代の日本の労働基準法では完全にアウトですし、当時休日があったかも怪しいです。そのような費用も乗るからこそ、ダイヤモンドは高価な宝石でした。手間をかけていないダイヤモンドは美しく輝けず、コストもかけていないので本来は安いはずですが、有り難がる人が多いのが『裸の王様』そのままの滑稽社会です。 |
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【参考イメージ】ガラスの表面状態による見え方の違い【引用】KGPress HP / ガラスについて ©KODAMA GLASS 株式会社コダマガラス |
輝きの強さ、つまり反射率に違いが出る理由は、フロストガラスとスリガラスの違いから感覚的にご想像いただけると思います。同じ素材でも、左のフロストガラスように表面が粗いと光が散乱し、反射光は弱く、透明度も低下します。右のスリガラスのようにツルツル滑らかな表面に整えると、透明で反射光も強くなります。 |
【参考】現代の通常のブリリアンカットのテーブル左:反射しない時(チラチラした輝き)/ 右:反射した時(白っちゃけた輝き) |
右のダイヤモンドは磨き仕上げが甘いので、テーブルの反射面がすりガラスのように透けています。ダイヤモンドは素材として金剛光沢を出すポテンシャルはありますが、コンディションを整えなければ発揮できません。 言葉だけで「現代のダイヤモンドは強く輝いていて美しい!」と思い込める人は相当数いるようです。本当にそういう世界が見えているのかもしれませんし、それはそれで幸せなのかもしれないので否定はしません。しかし私にそのようなものを自慢しないでほしいですし、正直関わりたくありません(笑) |
| アンティークの安物 | |
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アンティークの安物も磨き仕上げにコストをかけず、表面が粗いのでもちろん輝きが弱いです。 安物専門ディーラーの謳い文句として、「アンティークのダイヤモンドは輝きが弱いけれど、そこが味があって素晴らしい!」というものがあるようです。着物業界で、低品質の生糸で生産した紬を『粋』と称して割高で暴利を貪るのと同じことです。 |
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【参考】以前に委託販売をお断りしたジャンクの問題箇所の拡大 |
【参考】修理で接着剤が使用されたジャンク品 |
『アンティークジュエリー』もピンキリです。市場の99%以上は無数に存在した大衆用の安物です。 ほんの一握りの人数しか存在しない王侯貴族のために作られた最高級品は数が少なく、扱えるディーラーも限定されます。 アンティークだから輝かないのではなく、素材そのものの品質と、磨き仕上げ(カット)の両方が低品質だから輝かないのです。 |
| 【参考】現代のローズカット・ダイヤモンド | |
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アンティークジュエリーの最高級品は現代では作ることができませんが、安物は現代の職人や技術で再現できます。そのようなものに骨董としての価値はなく、コンディションを考慮すると現代の新品の方がお勧めできます。これら現代のオールドカット・ダイヤモンドも磨き仕上げが甘いので、やっぱり輝きは弱いです。 |
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| 仕上げ次第で輝きの強さが変わるローズカット・ダイヤモンド | |
第一級の職人の手作業の最高級カット |
【参考】現代の機械の量産カット |
ダイヤモンドが本来持つ金剛光沢は、アンティークの最高級品でしか見ることはできません。 |
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この宝物のローズカット・ダイヤモンドはオープン・セッティングなので、高い透明度が惹き立っています。 『邪悪な魔女』や『意地悪な姉たち』と違い、ヒロインであるプリンセスは清らかで気品に満ちた存在でなければなりません。 インクリュージョンが見えないほどの素材としての質の良さ(石の力)、磨き仕上げの完璧さ(人間の力)の両方があって初めてこの透明感と輝きの強さ、生き生きとしたファイアという三拍子が揃います。 完璧なプリンスセス仕様のダイヤモンドです!♪ |
2-3-2. 『印象』をコントロールする上で最重要の立体デザイン
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「画像でも十分美しいと感じましたが、実物は画像以上に美しいですね!」と驚かれる方は多いです。これも論理的に説明が可能です。 ポイントは『立体デザイン』です。 人間は2次元(平面)ではなく、3次元(立体)の空間に生きています。画像は2次元による表現であり、3次元情報がどうしても欠落します。 |
撮影ではカメラ・アングル(角度)やライトの照射角度、絞り(焦点深度)などで可能な限り再現できるよう工夫しますが、それでも完璧ではありません。物理的な問題だからです。 平面的(2次元)なモノの見方しかできない人は、立体デザインなど意識しません。言われてもそれが重要だと思いもしません。立体デザインにコストをかけるくらいなら、その分だけ安くすることを望みます。王侯貴族の最高級ジュエリーは立体デザインを特に重視します。単なる表面的な見た目でなく、より心の奥深くに働きかける『印象』に効いてくるからです。 |
2-3-2-1. 高さを出し存在感を強調する仕掛け
『見る』という行為は案外複雑です。カメラの役割をする眼球、届いた電気信号を処理する脳。人の眼球の焦点深度は、水晶体(レンズ)の性能的に約15mm〜20mm程度とされます。左右の目からの映像のズレを脳が処理し、立体感を認識したり、盲点(見えていない部分)を補正します。 |
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だから立体的なデザインは確実に意味があります。1粒ずつ使用されたオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドにご注目ください。周囲のパーツに対し、一段と高さがある位置にセットしています。これは手間もかかりますし、当時はゴールドに比べてかなり高価だったプラチナをより多く使わなければなりません。 納得できる効果がなければできないことです。成金嗜好の庶民は違いが分からないのと、実際はお財布と心の両方が貧しいのでここにコストをかけることができません。この宝物の依頼主は、この一見すると小さな違いに相当な金をかけました。 |
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肉眼だと正面から見た時も、一段手前にあるオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドは印象的に感じます。会った『人の顔』も記憶として残るのは普通は正面だと思いますが、実際の視界には様々な角度が入り、脳に信号として送られています。意識できる情報は、見えている部分のほんの僅かです。多くは無意識下の情報となるのですが、それが心に大きく影響するのです。この宝物は、あらゆる角度で魅惑の表情を魅せてくれます。全ての角度でオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドは印象に残ります♪ |
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2-3-2-2. 驚異の曲率デザインと作り
今回の宝物は最高級品の中でも特別です。それはダイヤモンドの裏側の丁寧な窓の開け方からも分かるのですが、撮影しながら『曲率デザイン』に気づいた時は驚きました!! |
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オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの上部のパーツはフラットな作りです。 ぶら下がったハート型パーツも一見するとフラットに見えますが、実は複雑な曲率でデザインされています。 |
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程よく光沢があるゴールドのみの、裏側から見ると分かりやすいです。右からライトを当てた時と、左からライトを当てた時で、反射面と影となる側が切り替わります。左右の曲率がデザインされていなければ、この変化は起きません。殆どの人はまず気づかないであろう僅かな曲率ですが、意図しなければこの構造にはなりません。持ち主の超特別な美意識の証です!♪ |
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2-3-2-3. 揺れを増幅させる構造
先の項では左右の曲率をご説明しましたが、ハート型パーツは上下方向にも緩やかな曲率が形成されています。左右のピアスで全く同じ形でないのは、大量生産の鋳造(キャスト法)ではなく、叩いて鍛えた鍛造の作りだからです。職人による高度な手仕事の証であり、この絶妙な"揺らぎ"は機械生産では不可能な、『芸術(アート)』に相当する心臓部でもあります。 |
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普通は気づかないような曲率は、上部のフラットなパーツと比較すると分かりやすいでしょうか。認識できないような微妙すぎる曲率に意味があるのか、疑問に思う方もいらっしゃると思います。これは単なる見た目への効果ではなく、揺れを増幅させるための設計です。曲率を付けて重心位置をズラすことで、揺れやすくしています。 |
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平板だと重心位置が単純なため、揺れは単純です。 このちょっとした工夫で、着用者の動きに合わせて揺れが幾重にも増幅します。複雑な揺れこそ、ダイヤモンド・ジュエリーの良さをより一層、際立たせます。 些細なことに思われるかもしれませんが、第一級の職人しか具現化は不可能な神技です。 |
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歪んで見えるほど曲率をつけると、見た目が不細工です。これは本末転倒です。重心位置は絶妙なバランスで変化します。揺れ過ぎても、揺れなさ過ぎてもダメです。職人は繊細な美的感覚と共に、重心位置と揺れ具合のバランスを計算する高度な頭脳、それを具現化する神技の全てを備えなければなりません。 古の王侯貴族は、ダイヤモンドの加工(リカット)だけでトップクラスの職人に約6,800万円ほども支払う世界でした。職人が暴利を貪っているのではなく、技術を身につけ、技術を磨き続けて維持し、技術をさらに向上させ続けるためにも必要な対価でした。御用達やお抱え職人は単発の仕事に加え、年金も安定して支給されていたからこそ存在できましたし、能力を最大限に生かした最高の仕事ができました。 マクシミリアン大帝御用達の版画家アルブレヒト・デューラーもそうです。創作活動には時間もかかります。日々の生活費を別で稼ぎながら、魂を込めた最高傑作を創り出すなんて不可能です。現代の仕組では、本物の『芸術の創造』なんてできるわけがないのです。 |
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この僅かな違いに依頼主はいくら費用をかけ、職人はどれだけの技術と手間をかけたでしょう・・。 これは依頼主と職人に、心からの信頼関係がなければ不可能な作りです。価値が分からない依頼主のために、職人はここまでのことはできません。記念すべき世界初の万国博覧会でクリスタルパレスを実現させたチャッツワース・ハウスの庭師ジョセフ・パクストン卿と、デヴォンシャー公爵の関係も彷彿とさせます。 「この人に心から喜んでもらうために、自分ができる最高に良いものを創り上げたい。」 そのような職人が作った稚拙な物は美しくないどころか、エネルギーを奪い取るので見ているだけで疲れますし、Genや私のような敏感な人は気持ちの悪さを如実に感じます。 |
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その逆で、尊敬や信頼、愛に満ちて創られた宝物は時空を超越して見る者の心を癒し、満たし、心豊かにしてくれます。 手元で眺めているだけでも幸せな気持ちになるジュエリーです。しかし箪笥の肥やしにはせず、使っても楽しむべきです。耳元で魅力的に揺れることで、きっとたくさんの『福』も呼び込んでくれます♪♪ |
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3. 細部まで作り込んだ美しいデザイン
ピアスは宝石主体とデザイン主体に大別できます。凝ったデザインはブローチやネックレス、ペンダントなどに多く、ピアスでこれだけデザインが凝ったものは本当に珍しいです |
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このピアスだと、主役としてコーディネートを組み立てられるほど、ドラマティックなストーリーが浮かびますね♪ |
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3-1. 躍動感あるヌーヴォー的デザインと神技の透かし
3-1-1. 躍動感を演出する複雑な曲線デザイン
今回の宝物のデザインは、王子様に恋するお姫様のハートが主役です。一言で『ハート』と言っても、フォルムのバランス次第で印象は大きく変化しますし、バリエーションも含めると表現は無限に存在します。 |
| ハート・デザインのバリエーション | |||
| スタンダード | ダブル・ハート | ウィッチズ・ハート | オリジナル |
『クラシック・ハート』ロケット・ペンダント イギリス 1870年頃 SOLD |
『美しき愛』ダブルハート・ブローチ フランス以外のヨーロッパ 1916年 SOLD |
『楽園の乙女』ハーフパール ブローチ イギリス 1900年頃 SOLD |
今回の宝物 |
アンティークジュエリーでよく見かけるジャンルとしてはスタンダードなハート、愛し合う2人のハートを1つにしたダブル・ハート、魔法にかかったような情熱的な恋を象徴するウィッチズ・ハートなどがあります。 並べてみると、ウィッチズ・ハートのように捻りを加えたり、今回の宝物のように端部を閉じたり止めたりしないデザインにすると、途端に流れが生まれ、躍動感を感じられることが分かります。重厚でクラシカルな雰囲気のヴィクトリアンから脱し、20世紀の新時代らしさを感じます。これは甲乙をつける部分ではなく、好みやその時の気分になります。 |
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3-1-2. 対称デザインだからこそのプリンセスの王道感
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この宝物は『アール・ヌーヴォー』が全盛期の時代に制作されました。 曲線デザインはいかにもアール・ヌーヴォーらしさを感じますが、アール・ヌーヴォーの特徴でもある退廃的な印象や、貴族の時代から脱却した新時代のような雰囲気は感じません。 これは対称にデザインされているからです。 |
3-1-2-1. 対称性の高さがラグジュアリーの象徴だったヨーロッパ
対称性の高いデザインは、ヨーロッパ社交界でラグジュアリーの象徴とされてきた歴史があります。太陽王ルイ14世が莫大な財と叡智を投入して創り出したヴェルサイユ宮殿と庭園群は、その権現とも言えます。 |
ヴェルサイユ宮殿(1668年) |
実際にご覧になった方はご存知と思いますが、人間の大きさでご想像いただくととんでもない広さです。高度な対称性は、自然に手を加えた人工物の証です。それには莫大な費用と労働力、高度な科学技術が必須です。フランス革命以前のパリはヨーロッパの流行・文化の中心地でした。ヴェルサイユ宮殿はその象徴として、ヨーロッパ人の意識に強く影響してきました。意識形成の根幹だったと言っても良いレベルでしょう。 |
カラーゴールド ペンダントフランス 1830-1840年頃 SOLD |
『豊穣のストライプ』ロケット・ペンダント フランス 1880年頃 SOLD |
『勝利の女神』ガーランドスタイル ネックレス イギリス or フランス 1920年頃 ¥6,500,000-(税込10%) |
だからヨーロッパのオーソドックスなハイジュエリーは、対称性が高いデザインが好まれました。『ルイ16世様式』とも呼ばれるガーランド・スタイルのジュエリーも、それを踏襲する傾向です。 まさにヨーロッパ貴族の『オーソドックス』や『王道』という感じですね。完璧な状態を『理想の美』と定義してきたヨーロッパに対し、ありのままの自然など『不完全の美』に物質を超越した美を見出してきた日本人にとっては見慣れない表現でした。だからヨーロッパからの輸入品が珍しく、舶来品信仰があった時代の日本人は特にこのようなスタイルにヨーロッパ貴族文化らしさを強く感じ、憧れ、好む傾向があったようです。 |
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3-1-2-2. 日本美術の影響が混ざるアール・ヌーヴォー
開国によって日本が急速に欧米化と近代化を経験した一方、欧米側も日本美術の影響により、試行錯誤を経ながら劇的に変化していきました。影響の出方は様々ありますが、様式としてジュエリーに現れた1つが対称性を崩したデザインです。 |
| アール・ヌーヴォーの最高級品 | ||
| 対称 | やや崩した対称 | 非対称 |
『エメラルド・グリーン』ブローチ&ペンダント フランス 1905〜1910年頃 SOLD |
宿り木 ブローチ&ペンダントフランス 1900〜1910年頃 SOLD |
『生命の躍動』ルビー&シードパール ブローチ イギリス 1900年頃 SOLD |
対称デザインだとヨーロッパの王道という印象が強く、対称性を崩すほどに躍動感が生まれ、新時代の印象が強くなります。イギリスは日本美術の影響が早かったこともあり(アングロ・ジャパニーズ・スタイル)、対称性を大胆に崩したアーティスティックなデザインも他国に先行した印象です。 |
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| 非対称デザインの最高級ジュエリー | |
アールヌーヴォー シードパール・ネックレスイギリス 1900年頃 SOLD |
『The Great Wave』サファイア&ダイヤモンド ブローチ イギリス 1910年頃 SOLD |
当時のヨーロッパ社交界で非対称デザインは目新しく、革新的に映ったことでしょう。未来を切り拓く、前衛的な王侯貴族が身につけていたに違いありません♪ |
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| 対称デザインの最高級品 | ||
ルビー・リングフランス 1890-1900年頃 SOLD |
『アールヌーヴォーの奇跡』カラー天然真珠 ペンダント&ブローチ アメリカ 1890〜1900年頃 ¥4,800,000-(税込10%) |
『ベルエポックの華』イギリス 1900-1910年頃 SOLD |
移ろいゆく激動の時代、消えいくヨーロッパの古き良き伝統文化を惜しみ、より一層大事に想う保守的な王侯貴族も存在しました。これも日本と同じですね。1900年前後はナショナリズムの影響も強く、古き良き伝統文化の価値に改めて気づき、誇りに思い、大切にしたヨーロッパ貴族は多かったように感じます。だから対称デザインのジュエリーも多く制作されています。対称デザインは格調高い雰囲気や威厳、王道感を演出するのにピッタリなのです。 |
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| フランス式庭園 人為的に自然を加工した対称性の高さ |
イギリス式庭園 ありのままの自然な感じを生かす |
ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(太陽王ルイ14世 建設:1684-1686年)"Vue aérienne du domaine de Versailles par ToucanWings - Creative Commons By Sa 3.0 - 094 " ©ToucanWings(19 August 2013, 21:02:33)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
王妃の村里(ルイ16世妃マリー・アントワネット 造園:1783-1788年)"Vue aérienne du domaine de Versailles par ToucanWings - Creative Commons By Sa 3.0 - 037 " ©ToucanWings(19 August 2013, 19:25:10)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ヴェルサイユ宮殿は見る者を威圧し圧倒し、ルイ14世の絶対王権を確固たるものとして顕示する目的でデザインされました。生まれた時からそこに住んでいれば気にならないかもしれませんが、外国から嫁いできた若き王妃マリー・アントワネットは息苦しさを感じ、心落ち着く場所として『王妃の村里(ル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌ)』を当時最先端だったイギリス式庭園の様式で造りました。ありのままの自然を生かした景色が特徴です。 |
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Genとアローのフォト日記『フレンチシンメトリー』 |
現代でもイギリス在住の人によると、フランスの後にイギリスに移動し、「イギリスに来るとほっとする。」とコメントする日本人は多いようです。 街に対称デザインが溢れるパリに対し、ロンドンは広大な公園と緑、そして自然の生き物が多いです。 これは甲乙をつける部分ではありません。 |
ロンドン万博を視察する文久遣欧使節団(イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1862.5.24号) |
1862年のロンドン万博の開会式に出席した文久遣欧使節団の代表は、感想を聞かれてこう答えています。 これが世界中の古の王侯貴族に共通する、その中でもトップクラスのエリートらしい振る舞いです。迎合したりおべっかを使うことなく、自身の価値観でハッキリと誠実に意見を伝えています。自国文化にプライドを持ちつつ、他国の良さも理解しようと努めます。理解できていないものを、さも理解できているように装うこともしません。それは相手に無礼です。視座が上がると、自己中心から、相手視点と自己視点の両方で物事を考えられるようになります。 |
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未来を切り拓くアヴァンギャルドな姿勢も、新しい流行・文化を創っていく貴族らしいです。 一方で、大切にしてきた古い伝統文化を蔑ろにせず、誇りを持って守っていくのもやはり貴族らしさなのです。 左右にブレることのない、王道を歩むのは『茨の道』でもあります。実は崩す以上に難しいことだったりします。だからこその、孤高の気品と美しさがあります。 |
絶えず気品を保ち、気を張って生きるのはダサいことでしょうか。昔はTシャツやブラウスの裾は、ズボンやスカートに仕舞うのが通常でした。それをダサかったり古臭いファッションとしてレッテルを貼り、裾を出す着方を普及させた時代がありました。当時の日本人は『デブ』など殆どおらず、『中年の太鼓腹』や『成人病』が話題になったり、アメリカ人の肥満を対岸の火事としてバカにする風潮の世の中でした。 当時の私は、「これで日本人も時間をかけながらデブが増え、デブが当たり前の世の中になっていくのだろう。」と思ったものでした。アメリカ映画を観ると、1970年代は皆細いです。"普通"の人でも現代に連れてきたら、「拒食症だーっ!!」と非難されそうなほど細いです。日本人も、20世紀までの映像コンテンツや画像を見れば、当時の普通の人が現代人には細く感じられるはずです。 |
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常時、気を張るのは大変です。常人はストレスで体調を壊し得るので、お勧めしません。王侯貴族は耐えられるよう、物心つかない頃から慣れさせます。それが『当たり前の状態』とするのです。 肩肘を張るのは大事です。見られることを意識することで、芸能人やモデルがどんどん綺麗なっていくという事例はいくらでも観測可能です。 いつでもは無理でも、全く頑張らないというのは劣化の一方です。時には『王道』に立ち帰り、王道を歩むことも大切です。王道にしかない美しさがあるのです。 |
3-1-2-3. 『子供』のジャンル確立と母親意識
ハートは普遍のモチーフです。産業革命によって社会全体が豊かになり、女性たちが夢を見られる時代になりました。衣食住が満ち足りて初めて、人は夢を見ることができます。 |
画家ケイト・グーリナウェイ(1846-1900年) |
先にご紹介した黄金時代のイラストレーター、ケイト・グリーナウェイの父ジョンは銅版画家でしたが、母エリザベスは腕の良い裁縫師でした。 父の仕事先の出版社が倒産して収入源が断たれた際、1850年にロンドン北部のイズリントンに一家で引っ越しました。 現在、行政区画としては『イズリントン・ロンドン特別区』となっています。 |
王立農業会館(イズリントン 1861年)現在はビジネス・デザイン・センターが建設 |
シティ・オブ・ロンドンの北隣に位置することから19世紀に高級住宅地、ショッピング街としての開発が開始された地区です。劇場やコリンズ・ミュージック・ホールなどの娯楽施設も建設されました。現代人が歴史として振り返ると伝統的な古い街に感じますが、当時は新興高級街としてパワーがみなぎる活気に満ちた場所だったことでしょう。六本木や昔の代官山あたりを想像すると近いかもしれません。 |
| 黄金時代のイラストレーター ケイト・グリーナウェイ | |
画家ケイト・グーリナウェイ(1846-1900年) |
『海賊島の女王様』(挿絵:ケイト・グーリナウェイ 1885年) |
住人の人種はご想像できると思います。母エリザベスはこの洒落た街で裕福な顧客を集め、裁縫師の腕を生かして収益性の高い子供服の店を開きました。とても繁盛し、グリーナウェイ家の財政を安定させることができました。日本でも既製服が一般化したのは1960年代以降です。それ以前は一人一人の体型に合わせて制作していました。その人のためだけの1点物が当たり前、繕いやお直し含め、日本人女性は針仕事が得意だった時代です。 経験があると分かりますが、ゼロから洋服を制作するのは極めて難しいです。魅力的なデザインもそうですが、それを具現化するための生地選び(張りや質感、色や柄)、平面から立体起こしするためのパターン作成(専門家が存在するほど難しいです)、綺麗に縫う技術・・。 実現可能な洋服をデザインするのも素人には大変です。ケイトは母の仕事の影響もあって、その辺りも具体的に想像しながら描くことができました。 |
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『5月祭』(ケイト・グリーナウェイ 1846-1901年) |
洋服は適当に描く作家もいますが、ケイトの描く子供服はどれも魅力的で、しかも実際に作ることが可能でした。リバティ百貨店が実際の子供服のデザインとして採用し、『グリーナウェイ・スタイル』としてブームになったほど人気がありました。 それまでの子供は『小さな大人』という見方をされていました。日本も同様ですよね。『子供』というジャンルはなく、働けるようになったら働くという感じで、成長に応じてできるようになったことをやるのが当たり前でした。今でも『子供』や『大人』というのは幻想で、そこに明確な境界線など存在しません。子供や大人というように命名することで、境界線があるよう思い込んでいるだけです。 |
『焚き火』(ケイト・グリーナウェイ 1892-1898年) |
個性や個人差を無視して年齢で区切る『学校教育』がなかった時代を想像すると、納得しやすいと思います。この時代に『子供』というジャンルが確立され、人々の意識に浸透していきました。『児童文学』が生まれ、『子供』が注目され、『子供服』というものも確立されていきました。 |
『サクランボ売り』(ケイト・グーリナウェイ 1890-1891年) |
個性や個人差を無視して年齢で区切る『学校教育』がなかった時代を想像すると、納得しやすいと思います。 この時代に『子供』というジャンルが確立され、人々の意識に浸透していきました。 専用の『児童文学』が生まれ、『子供』が注目され、『子供服』というものも確立されていきました。 もちろんその担い手は庶民などではなく上流階級です。 |
『お庭の椅子』(ケイト・グリーナウェイ 1892-1898年) |
グリーナウェイ・スタイルの子供服を息子や娘に着せていたのは、『ソウルズ』と言うソサエティに属する上流階級の母親たちが中心でした。ソウルズはリベラル志向で『アーツ&クラフツ運動』に賛同する芸術的、かつ知的なソサエティです。極めて限定された小規模ソサエティでしたが、当時の最も著名なイギリスの政治家や知識人がメンバーでした。 |
| 排他的ソサエティ『ソウルズ』創設メンバー | |
パーシー・ウィンダム閣下(1835-1911年)1880年 |
『ウィンダム姉妹』(ジョン・シンガー・サージェント 1899年)エルチョ夫人、アデイン夫人、テナント夫人 |
保守党の政治家で蒐集家、知識人として知られたパーシー・ウィンダム閣下は妻、二人の息子、三人娘とその配偶者すべてが創設メンバーでした。右の絵画『ウィンダム姉妹』も有名で、画家ジョン・シンガー・サージェントに依頼した作品です。芸術家のパトロンですね。 |
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| ジョン・シンガー・サージェントの代表作 | |
『マダムX(ゴートロー夫人)』(ジョン・シンガー・サージェント 1884年) |
『カーネーション、リリー、リリー、リリーローズ』(ジョン・シンガー・サージェント 1885年) |
サージェントは上流階級の御用達で、その作品から当時の上流階級の日常が窺えることで知られます。『マダムX(ゴートロー夫人)』が特に有名ですが、HERITAGEでもジャポニズム関連で時折ご紹介している『カーネーション、リリー、リリー、リリーローズ』も代表作の1つです。愛らしい子供服も印象的ですね。手直ししたお下がりを適当に着せるのではなく、子供だからこそ似合う洋服ということに意識が行くようなり、社交界で流行した時代だったのです。そんな風潮なので、「純粋な子供に見せるのはけしからん!!」感じの作品は、特に上品な母親たちにとって非難の対象となったわけです。 |
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3-1-2-4. 品行方正と知性が母親となる貴婦人に求められた時代
着ているのか着ていないのか分からないような露出狂同然の装いを、変態ではなく『セレブ』がするのが現代です。人を仰天させるファッションでしか目立つことができず、耳目を集めて保持できないのは、唯一無二の魅力も芸もない証左です。最初は皆が驚き注目しても、すぐに飽きられ賞味期限は切れます。普遍的な魅力なく、次回以降は「ああ、またか。」程度にしか反応されません。慣れさせられてしまいました。嫌だなあ(笑) |
| ジョン・シンガー・サージェントの作品 | |
『マダムX(ゴートロー夫人)』(ジョン・シンガー・サージェント 1884年) |
ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925年)1906年、50歳頃の自画像 |
19世紀当時、この『マダムX』の装いは衝撃的でした。サージェントは1884年、パリのサロンに表題『・・夫人の肖像』で出展しました。妄想でこのような女性を描くわけもなく、実在のゴートロー夫人ヴィルジニー・アメリー・アヴェーニョ・ゴートローなのは当時の人たちには明らかでした。 ゴートロー夫人はアメリカ出身ですが、母方はフランス貴族の子孫で祖母ヴィルジニー・テルナンはパーランジュ・プランテーションを設立、叔父チャールズ・パランジュはルイジアナ州上院議員で判事という有力な家系でした。南北戦争で南軍の少佐だった父が戦死し、未亡人となった母が1867年に8才だったヴィルジニー(ゴートロー夫人)を連れてフランスに渡りました。そこで教育を受け、パリ社交界でデビューしました。 |
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『ゴートロー夫人』(ギュスターヴ=クロード=エティエンヌ・クルトワ 1891年) |
ヴィルジニーは白い肌とブルネット、カメオのような顔立ち、砂時計型の体型でパリ社交界の注目の的となりました。 差別うんぬん言われても、どう感じるかは本能的な部分がありますよね。熱いものを触って「熱いと思ってはいけません!」と言うのと同じです。「熱い!」という発言は自粛可能ですが、熱いと思うことは非難されても止めようがありません。樽のような体型よりは、やはり砂時計型の体型が好まれる傾向にあったわけですね。 ラベンダー色のフェイス・パウダーを使い、髪もヘナで染めていたそうです。この外見的な美しさ、優雅さとスタイルにより多くの社交界の人々を魅了しました。 肖像画を描きたがる画家も後を絶たず、何度も断っていました。 |
『ピエール・ゴートロー夫人』(アントニオ・デ・ラ・ガンダラ 1898年) |
ヴィルジニーはフランスの銀行家で海運王ピエール・ゴートローと結婚し、1879年に娘ルイーズも誕生していましたが、不倫は有名でタブロイド誌やゴシップ誌のネタにされていました。 まだ若かった駆け出しの画家ジョン・シンガー・サージェントは、社交界の華であるゴートロー夫人を描けば注目され、社交界からの注文も多く集まるだろうと野心を抱きました。 |
| 愛人ポッツィ医師&ゴートロー夫人 | |
『自宅のポッツィ医師』(ジョン・シンガー・サージェント 1881年) |
『マダムX(ゴートロー夫人)』(ジョン・シンガー・サージェント 1884年) |
ヴィルジニーの愛人の1人だった婦人科医・美術コレクターのサミュエル=ジャン・ド・ポッツィ医師の依頼で肖像画を描く際、ヴィルジニーへの紹介を頼みました。気が向いたこともあってか、1883年にヴィルジニーはサージェントの申し出を受けました。後に上流階級御用達の人気画家となるだけあって、サージェント自身の腕も良いですよね。同年6月にゴートロー邸でヴィルジニーをモデルとし、約30点の習作を描きました。当時ヴィルジニーは24歳、サージェントは27歳でした。 |
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| ゴシップで注目を集めたゴートロー夫人 | |
『マダムX(ゴートロー夫人)』(ジョン・シンガー・サージェント 1884年)24歳頃 |
ゴートロー夫人ヴィルジニー・アメリー・アヴェーニョ・ゴートロー(1859-1915年)1878年、19歳頃 |
1884年にパリのサロンに出展すると、ヴィルジニーの日頃の行いもあり、この露出度が高すぎる衣装と意味深なポーズはスキャンダラスなものと捉えられました。「モデルの女性の悪評を示唆するものであり、上流階級の女性の不道徳な生活を公然と誇示するなんて、芸術家としてあるまじき!!!」と非難されました。結果、サージェントは肖像画の依頼が入らなくなり、フランスには居づらくなってロンドンに渡航し、イギリスやアメリカの上流階級の肖像画を多く残すこととなりました。一方のヴィルジニーも無傷ではなく、しばらくの間、パリ社交界から身を引くこととなったそうです。娼婦なら問題視されませんが、フランスも1870年に共和政に移行したばかりでしたし、階級の違いが強く存在した時代ならではとも言えるでしょう。 |
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| 卑猥を理由に逮捕された女優オルガ・ネザソール | |
イギリス人女優オルガ・ネザソール(1866-1951年)1910-1915年頃、44-49歳頃 |
オルガ・ネザソール主演の『サッフォー』ポスター(ニューヨーク 1900年) |
それから26年後となる1900年、ニューヨークでイギリス人女優オルガ・ネザソール主演『サッフォー』が上演されました。『カルメン』や『アルルの女』で有名なフランス人小説家アルフォンス・ドーデが原作の演劇でしたが、卑猥を理由に『ニューヨーク悪徳弾圧協会』や『ニューヨーク母親クラブ』などから非難を受け、オルガ・ネザソールが逮捕されるという大きな騒ぎに発展しました。 26年で緩くなったどころか、先鋭化した感じです。悪徳弾圧協会だなんて、『悪徳』と看做したものを悪徳とレッテル貼りして集団で弾圧する感じでしょうか。カルトの同調圧力のようで恐怖も感じます。お笑いではなく真剣だった所がこれまた恐怖で、逮捕までされるなんて極端にも感じますが、そういう時代だったのでしょう。そのような極端な団体ばかりだったとは思えませんし、極端な団体はごく少数派だったと想像しますが、『母親クラブ』の名称もなかなか興味深いです。 |
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川上貞奴(1871-1946年)と音二郎(1864-1911年)夫妻 |
そのような騒ぎに乗じ、一躍賞賛されたのがアメリカを横断しながら公演していた川上音二郎&貞奴夫妻の劇団でした。 同じ演劇『サッフォー』を日本に置き換えたもので、音二郎が一晩で脚本を仕上げたそうです。 「鉄は熱いうちに打て。」 新劇はネザソールを弾圧した層から賞賛を受け、話題が話題を呼んでチケットは飛ぶ様に売れました。貞奴は一躍スターとして貴婦人協会に招かれ、女優クラブの名誉会員にも選ばれました。 |
上流階級に加え庶民まで演劇を楽しむようになった時代、女優が演じる人物は女性たちの手本としても機能しました。その絶大な影響力は、現代でもご想像いただけると思います。王侯貴族同様、私生活含め注目される公人のような存在でした。普通の子供たちはすぐに真似しますから、「あの人を真似してはいけません!」と教えたり、「見てはいけません!」という存在では困ります。母親たちは貴婦人や女優に品行方正、清廉潔白を現代より遥かに強く求めた時代でした。 |
| 貴婦人協会からも招かれた川上貞奴 | |
日本初の女優と呼ばれた川上貞奴(1871-1946年)1900年頃、29歳頃 |
馬に乗った王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844-1925年)1886-1888年、41-44歳頃【出典】Royal Collection Trust / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020 |
貞奴は芸妓出身ですが元々は裕福な家で、母親も大名家にコネがあったことからも相応の血筋だったことが想像できます。幕末から明治にかけての社会変革で置屋に出されましたが、才能を見出され、世界の上流階級に通用するクラスの当時最先端の教養を施されました。知識や芸能関連はもちろん、ビリヤードや馬術まで仕込まれています。当時の世界のファッションリーダー、アレクサンドラ妃も馬術競技に参加する腕前が有名でしたが、貞奴も数年でプロの馬術レースに参加したほどだったそうです。当時日本人は欧米では珍しい存在でしたが、そこら辺の凡人が日本人というだけで人気となり、貴婦人協会からも受け入れられるなんてあり得ないのです。 |
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長州藩士・初代 内閣総理大臣 伊藤博文(1841-1909年)1880年代、40代頃 |
芸妓なので男性の相手をする運命ではありましたが、不特定多数ではなく政財界の大物だけをお相手とするトップクラスでした。 何しろ置屋の女将・浜田屋亀吉が養女にしたほどです。15歳になった貞奴の水揚げを担当したのも、初代内閣総理大臣に就任したばかりの伊藤博文でした。 『最高権力者のお相手』と言うのは、芸妓として最高クラスのブランドです。貞奴は17歳頃になるまで専属でした。 専属の立場を解放された後も、引き続きお気に入りとして貢献したそうです。 |
ペルセポリスの宮殿の破壊を主導するタイス(ジョシュア・レイノルズ 1781年) |
古代ギリシャやローマで言えば『ヘタイラ』が該当するでしょう。卓越した頭脳で有名なアレキサンダー大王の寵姫タイスも存在します。大王没後は大王の親友で、エジプトのプトレマイオス朝の初代ファラオとなったプトレマイオス1世の伴侶となりました。 王侯貴族の中でもトップクラスから寵愛を受けるほどの女性は美貌に加え、話し相手としても楽しいと思わせる知性と教養を備えます。 カリスマの男性は孤高の知性と教養故に孤独になりがちですが、そのような男性が虜になるほどの女性とは物凄い存在です。美貌は衰えますし、飽きもします。いくらでも替えが効きますが、教養や知性、センスはその人だけの唯一無二の魅力となります。 |
外見の良さももちろん大事なので、どちらも磨くのが正解です。教養やセンスがあるから外見は不細工でも受け入れろというのは怠惰かつ自己中です(笑)ちなみにフランス皇帝ナポレオン3世による第二帝政期だと『ココット』、江戸時代だと『花魁』が該当するでしょう。実力に基づく高いプライドを持ち、相手を選べるクラスの女性です。 |
中央:貞奴、右:音二郎(1902年) |
伊藤総理のプライベート・パーティで貞奴は川上音二郎に出逢い、「私の残りの人生を、このパワフルな男性と共に過ごしたい。この人を男にする!さもなければ私は面目を失う!」と感じたそうです。貞奴が21歳頃、音二郎は28歳頃の時でした。政財界の大物が集う中、音二郎は社会活動家に過ぎませんでした。地位や肩書きはありませんでしたが、音二郎の九州男児らしい男らしさと信念、秘めた才覚に惚れ込んだようです。 |
![]() Genのご両親の結婚式(1946年) |
命を賭して産んでくれた母の代わりにGenを育ててくれたのは、1900年頃の明治生まれのおばあちゃんでした。母は一度も我が子を抱くことなく、Genが3歳の時に旅立ったため顔は覚えていないそうです。たった2枚の写真でしか見ることができず、人から聞いた範囲でしか知ることのできぬ母を想い、「女性は優しくて強いけれど、儚いから守ってあげなくては!」というGenの女性像が形成されました。 |
Genの明治生まれの祖母ウメ(今は無き米沢の実家にて) |
6歳頃のGenと家族(左:父、右:継母)1953年 |
但し主張せず大人しい大正生まれの継母と違い、おばあちゃんはきっぷの良い明治女だったそうです。長いキセルをスパーっと吸う姿がカッコよかったと語ります。貞奴の「この人を男にする!さもなければ私は面目を失う!」と言う発想も、いかにも明治女らしいと言えるのかもしれませんね♪ Genのおばあちゃんは北海道の開拓民の家に生まれました。開拓地を寄付し、名前が駅名になっています。17歳で家を飛び出し、親戚を頼ってやって来た米沢でおじいちゃんに出逢いました。 若い頃はブロマイドのモデルになるほど評判の美人だったそうで、惚れ込んで結婚したおじいちゃんは、おばあちゃんに頭が下がらなかったそうです。『戦前』で女性像や、男女の関係性を十把一絡げにしてはダメなんですよね。時代ごとにも、傾向や常識などの違いがあります。明治時代は激変期ということもあって、なんだか生き生きとした印象です。 |
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川上貞奴と音二郎(1903-1911年頃) |
九州男児以上に男前な感じの貞奴ですが、自分が前に出たいと自己主張するのではなく、縁の下の力持ちとして音二郎を立てたいと思う女性でした。 日本初の女優となり世界的スターとなったのも結果論で、もともとは夫の仕事に帯同して渡米しただけでした。才能ある人は天が見過ごしませんね♪♪ 貞奴はこの人一筋と決め、他のお客のお相手は一切やめました。音二郎以外では茶屋で芸を披露するだけにし、忙しく働きました。 音二郎が新劇立ち上げのためフランス視察から帰国した後、2人はめでたく結婚しました。貞奴は23歳頃のことです。 |
| 1900年前後に世界で活躍したフランス女優/スター | |
東ローマ帝国テオドラ皇后を演じるサラ・ベルナール(1844-1923年)1900年、56歳頃 |
フランス人女優サラ・ベルナール(1844-1923年)1900年、56歳頃 |
同じ『女優』でも、当時のフランスの有名女優サラ・ベルナールとえらい違いなのが面白いです。サラ・ベルナールは駆け出しの頃、大御所女優に平手打ちを喰らわせて劇団を追い出されたり、その後も奸計を計って友人の女優から祝典の大トリで国歌斉唱する役目を奪ったり、スタッフを傘で殴って血まみれにしたりと、貴婦人どころか一般庶民でも考えられないようなエピソードが残っています。 元祖『成り上がり』という感じですが、ねちっこくなく悪気もない性格だったのでしょう。人から嫌われず、個性や魅力として受け入れられ、人気者となったように思います。このようなタイプは嫌いではありませんが、身近にはいて欲しくないです(笑) |
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| クレオパトラに扮する同時代の上流階級と舞台女優 | |
| イギリスの上流階級 | 舞台女優(フランスの大衆のスター) |
アーサー・パゲット夫人(1897年) |
サラ・ベルナール(1899年) |
もともと女優と娼婦は境界が曖昧でした。駆け出しの女優が売春するのは当たり前でした。サラ・ベルナールは女優として有名になった後も、そちらの方が稼ぎが良いからと言う理由で高級娼婦をやっていたことが知られています。華やかに見える職業ですが、上流階級の御令嬢が趣味でやっているような場合を除き、女優はカネ持ってません(笑)夢を売る仕事なので、カネ持ってて華やかそうに見せるだけです。スポンサー様のご機嫌次第であり、凄そうに見える衣装もただのレンタルやハリボテなのは現代でも同じです。 |
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| 1900年前後に世界で活躍した女優/スター | |
| 日本 | フランス |
ベルリン公演時の川上貞奴(1871-1946年)1901年、30歳頃 |
フランスの舞台女優サラ・ベルナール(1844-1923年)1864年、20歳頃 |
有名になっても売春が必要というのは、そういう社会システムだったからと言えます。衣食住には十分だったと思いますが、憧れの『スター』という虚飾を維持し続けるには体を売ってまでお金が必要だったのでしょう。それは、当時の人たちは当たり前に知る所でした。そのような中、貞奴はかなり異色だったはずです。 ヨーロッパ上流階級に匹敵するよう仕込まれた教養や知識、芸事に立ち居振る舞い。着付にも品行方正で身持ちが堅い雰囲気が現れています。現代は『粋』と称しながらやたら襟を抜いたり、帯をかなり下の方で巻いたりする女性もいます。好みは人それぞれ、メディアが作り出した花魁や遊女のイメージに憧れてかもしれません。会う人への礼節をわきまえながら好きに着れば良いと思っています。但し本物のトップクラスの女性は、プロでも案外清楚な雰囲気を重視していたかもしれませんね。あからさまだと知的な男性にとっては面白くありませんから・・。 |
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| 露出度と色気 | |
サラ・ベルナール(1844-1923年)1885年、41歳頃 |
貞奴(マックス・スレーフォークト 1901年) |
面白いのは、露出度の高さが必ずしも色気に直結しないことです。本当に才能がある人の日本の芸事を観ていると、外見を超越した『艶つや』と言うべき色気を強烈に漂わせることが分かります。男性も女性も虜にしてしまう、性別を超越する色気です。しかし、身体的には全く露出していなかったりします。同じ『着物の装い』でも、サラ・ベルナールの『はだけた胸元に腕がバーン』は色っぽさを感じません。 |
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| 目線による表現の違い | |
貞奴と息子の雷吉(マックス・スレーフォークト 1901年) |
『ミカド』ポスター、ヤムヤム、ピッティ・シング、ピープ・ボーの三姉妹(1885年) |
日本人は『目線』の重要性も熟知しています。右のように、あからさまに媚を売るような目線は自信がない男性にとっては好ましくても、知的階層の好みではありません。貞奴のような目線の外し方は知的好奇心をそそりますし、後を追いたい、振り向かせたいと本能を刺激します。首の傾げ方の角度と言い、魅せることを幼少期から仕込まれたからこその見事さを感じます。 貞奴が露出しているのは腕くらいです。大衆向け演劇『ミカド』のポスターの女性たちも腕を同じ程度に露出していますが、雰囲気はこれだけ違うのが面白いですね。 |
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| 演劇『サッフォー』で逮捕された女優&賞賛された女優 | |
イギリス人女優オルガ・ネザソール(1866-1951年)1910-1915年頃、44-49歳頃 |
ベルリン公演時の川上貞奴(1871-1946年)1901年、30歳頃 |
世界のトップクラスの女優たちの誰よりも強烈な色香を放ち、人を惹きつけて放しません。それでいながら純愛をテーマにした演劇に、本人自身も身持ちが堅く、肌の露出に関しても重箱の隅すらつつけぬほどガードが堅い有様です。下世話なゴシップが大好きな大衆から支持されるのと、上流階級から支持されるのは全く違います。 |
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| マダム貞奴ブーム | |
ハーパーズ・バザーの表紙に掲載されたマダム貞奴(1900年3月24日号) |
劇場雑誌の表紙『娘道明寺の貞奴』(フランス 1900年) |
上流階級は庶民の憧れであり手本です。上流階級から支持され、芸術家や知的階級も魅了し、大々的にメディアからも取り上げられた貞奴は世界的スターとしてブームを巻き起こしました。元々自身が有名になる嗜好ではなかったため、帰国後にそのようなプロモーションも行わず、日本でもいまいち知られざる存在です。しかし欧米文化への影響力は計り知れません。 |
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ミューズとしてヨーロッパの様々なアーティストたちにその姿を描かれた貞奴ですが、ロダンは断られたそうです。ヨーロッパでの活動は運命の巡り合わせに過ぎず、準備して事前知識があったわけではなく「誰それ?知らん。」だったのと、忙しくてタイミングが悪かったようです(笑) アメリカ横断ツアーで人気絶大となった貞奴たちには、アメリカに長期滞在して欲しいと言う要望もありました。 お金儲けや成り上がりが目的ならば、金めっき時代によって新興富裕層で活況なアメリカは魅力的な国でした。しかし、戦前までは文化的先進国として日本人にとってはヨーロッパが憧れの対象でした。 ヨーロッパの王侯貴族に認められたいと全力を尽くしたアメリカのティファニー創業者チャールズ・ルイス・ティファニー同様、音二郎も「文化的先進国であるヨーロッパで認められてこそ!」と言う思いがあり、ヨーロッパに渡りました。 タイミング的には『アール・ヌーヴォーの祭典』と呼ばれるパリ万博(1900年)にバッチリでしたが、もちろんコネはありませんでした。 |
| マダム貞奴ブームを生み出したロイ・フラー | |
アメリカ人ダンサー ロイ・フラー(1862-1928年)1889年、27歳頃 |
『フォリー・ベルジェールのロイ・フラー』のポスター(ジャン・ド・パレオローグ 1897年)35歳頃 |
そこで助けてくれたのが、アメリカ出身で『芸術としてのモダンダンスの最初のパフォーマー』と賞賛されるロイ・フラーでした。アイデア豊富で科学技術も精通し、振付や即興をこなせるだけでなく知性も備えていました。 シルクの衣装と振付に、自身でデザインした多色の照明で照らすことで幻想的な世界を魅せました。ただのダンスではなく、まさしく『芸術』としてのダンスです。ただ、歴史が浅く有力者は新興成金が中心だったアメリカでは理解できる人が少なく、有名にはなったものの、依然として女優と思われ、『芸術』として真面目に受けとめられていないことを不満に感じていました。昔は日本も『女優』のイメージは低かったですからね。唯一無二の特別な芸やコネがない人は枕営業必須です。現代も地下に潜っただけでしょう。 |
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アメリカ人ダンサー ロイ・フラー(1862-1928年)1896年、34歳頃 |
そのような折、ヨーロッパ・ツアーでパリでも人気を博し、フランスに残って仕事を続けるよう説得されました。 この写真1枚見ても、魅せ方が分かっていますね。センスを感じます♪ 欧米人としては童顔で愛らしい顔立ちですが、カラーフィルターを作るための化合物や、照明と衣装を発光させる塩(えん)の使用に関する特許(舞台衣装US Patent 518347)を始め、舞台照明関連の特許を多数取得しています。 私も大企業で研究職だった頃はカラーフィルター関連の仕事をしたり、分析技術に関する特許を取得したり、特許研修で講演した経験もあるので親近感を感じます。このような領域と、芸術への興味は両立して当然だと思います。現代は専門で括りすぎて自由闊達に動くことが難しく、新たなものを生み出す環境に乏しい状態なのです。 |
『ロイ・フラー』(コロマン・モーザー 1901年) |
当時は女性の地位もまだまだ低く、同等の視座や知識を元に楽しく知的な会話ができる女性は超稀少でした。そのような界隈から人気が出ないわけがなく、革新的で最先端の科学技術を駆使したフラーのセンスの良い作品は、フランスの芸術家や科学者から注目を浴び、大いに尊敬されました。フラー自身も元々そのような系統の方が好きでしたから、ごく自然な流れでそのような階層と親交を結ぶようになりました。 |
| ヴィクトリア女王の次男と孫娘 | |
ヴィクトリア女王の次男アルフレッド王子(1844-1900年)24歳頃、1868年頃 |
ルーマニア王妃マリア(1875-1938年)イギリスのアルフレッド王子の長女 |
その中にはルーマニア王妃マリアもいました。即位は1914年なので、それまではマリア姫ですね。フラーとマリア姫は非常に仲の良い親友で、交わされた大量の書簡が出版されているほどです。第一次世界大戦ではフラーがパリのアメリカ大使館に掛け合い、アメリカがルーマニアに資金を貸し出すよう手配もしたそうです。社交界らしいエピソードですね。 ルーマニアはアンティークジュエリーの話の中では少しマイナーですが、マリア姫はヴィクトリア女王の次男アルフレッド王子の長女で英国王室のお姫様でした。アルフレッド王子も次男なのでマイナーですが、ヨーロッパの王族として1869年に初めて来日した人物(来日時25歳)です。明治時代の日本人なら、「ああ、あの若いイギリスの王子様のお嬢さんですか♪」とすぐに想像できたでしょう。 |
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後のルーマニア王フェルディナンド1世と王妃マリア(1875-1938年)1893年、17歳頃 |
これは新婚時で、次期ルーマニア国王となるフェルディナンド王子に、イギリス王室から嫁いできた若き花嫁のお披露目写真です。 宣伝写真となるため、小物や構図は入念に練られています。 本を読む姿で撮影しているのが印象的です。 知性が演出されおり、「このお姫様ならば良き母となり、お世継ぎも良き子が生まれ、立派に育つだろう♪」と想わせます。 |
古代ローマの家族の肖像画(アレキサンドリア 3〜4世紀) |
古今東西、正妻と愛妾には明確な役割の違いがありました。 家を守ることを役割とする正妻は、子を産み立派に育てることは最重要の仕事でした。 貞淑な妻、良妻賢母、さらに経営者やホスト能力など、貴族の男性とは別の意味で貴婦人にもチート能力が求められました。 これは良い悪いの話ではありません。 |
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この前提を認識しておかなければ、上流階級の世界と、その人たちが使っていたアンティークジュエリーを正確に想像することは不可能です。 聡明な方はそれも理解して知識を増やされていますが、なぜか現代の"常識"とご自身の価値観でアンティークジュエリーを解釈し、全てを完全に理解したと思い込む人も一部にはいるようです。 理解には明晰な頭脳だけでは不十分で、専門知識も必須です。 |
| 読書する貴族の若い女性たち | ||
ルーマニア王太子妃マリア(1875-1938年)1893年、17歳頃 |
読書するローマ市民の少女(ポンペイ 60-79年頃) "Fanciulla intenta alla lettura(IV style), I sec, da pompei, MANN8946" ©Sailko(15 March 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
読書するローマ市民の少女(古代ローマ 1世紀) "Bronze yound girl reading CdM Paris" ©Marie-Lan Nguyen(User:Jastrow),2008-04-11/Adapted/CC BY 2.5 |
高貴な女性たちが、読書する姿で表現されているのが象徴的です。知識バカは論外ですが、知識なくして深い思考も議論も創造も不可能です。知識をないがしろにするのが、上流階級にとっては最も愚かで怠惰な行為です。ちなみに古代ローマでは、市民が現代で言えば上流階級、奴隷が一般庶民に該当します。教師や医者、会計士も奴隷階級でした。物はいいよう、レッテル貼りの力は想像以上に強力です。支配層はそれを熟知し、使いこなします。 |
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| 世界で活躍したトップクラスのダンサー | |
| 最後の王侯貴族の時代 | 狂騒の時代(大衆の時代への移行期) |
ロイ・フラー『百合の舞』のテーブル・ランプ(ラウル・ラルシュ 1901年頃)"I"MG 6394 2"-Dance of the Lily"©Kuroczynski(17 February 2022, 16:18:20)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
チャールストンで有名な『黒いヴィーナス』ジョセフィン・ベイカー(1906-1975年)1927年、21歳頃 |
さて、フラーの時代は、女性ダンサーは男性の観客を誘惑して人気を得るのが当たり前でした。そのために衣装の布地は、最小限とすることが通常でした。フラーはこの期待とは逆に、意図して身体を覆ってしまう長い布をまといました。このような時代だったからこそ、フラーの芸術性の高い画期的なダンスは、性的な魅力での誘惑を必要とせず男性の観客をも魅了するということで称賛されました。こうして『女性のダンス』のイメージを一新し、新たな表現方法を開拓していく道を切り拓きました。 とは言え、その後の『狂騒の時代』の大人気ダンサー、ジョセフィン・ベイカーの衣装はなかなかです。タコではなくバナナだそうです。新興成金が主役となり、『大衆の時代』へ移り変わる過渡期を如実に反映しています。日本も戦後まで割と長く、あからさまなお店は存在していました。今は法や取り締まりが強化され、消えたり地下に潜ったりで一般人の目には触れなくなりました。 |
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サーペンタインダンスを踊るロイ・フラー(1862-1928年)1902年、40歳頃 |
当たり前に存在した時代を思えば、いかにフラーの業績が革新的だったかご想像いただけると思います。エロさゼロ、芸術性で人を魅了する新たなジャンルですね。才能と努力に基づくプライドと強い信念を持つ女性にとって、娼婦の類と一緒にされたくないという思いはご共感いただけると思います。 才能を持ち、自身も苦労を重ねてきたからこそ、才能と魅力を見抜いて貞奴らを支援してくれたようです。フラーはコネのなかった川上一座を雇う形でパリ万博に招聘し、自身のロイ・フラー劇場で上演させてくれたのです。 |
『世界旅行館』(パリ万博 1900年)右側に日本風の五重塔が見える |
ジャポニズム・ブームにあやかろうと、ナンチャッテ興業者が溢れかえった時代でもありました。問題視した明治政府はこのパリ万博で取り締まりの強化を試みたものの、許可する立場のフランス当局とトラブルとなり、当局からの最後通告によって取り締まりを断念した経緯がありました。 |
『芸者と武士』(パリのアテネ劇場 1901年8月下旬-11月8日) |
そのような中で、公式参加ではない川上一座が世界的スターのロイ・フラーに見出され、公式展示が霞むほどの大人気となりました。政府の面目は丸潰れです。日本政府の報告書でも、川上の名を挙げて特筆されるほど問題視されました。 |
林忠正(1853-1906年)1900年頃、47歳頃 |
林忠正のマスク(バルトロメ作 1892年)【出典】Musee d'Orsey / Tadamasa Hayashi ©Musee d'Orsey |
この万博では、ヨーロッパ上流階級と知的階級から高い評価を得る実績を残した事務官長・林忠正も帰国した関係者たちから国賊扱いを受け、日本国内ではその存在を消されています。パリを拠点に活躍し、知的階層や芸術家たちとの交流も多く、ティファニーの宝石学者クンツ博士など著名人と仕事した実績もあり、ヨーロッパ社交界で評価の高い人物でした。 |
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| 明治政府の有力者 | ||
有栖川宮威仁親王(1862-1913) |
伊藤博文(1841-1909) |
西園寺公望(1871-1880年)パリ留学時代 |
このようにパリに強い基盤を持ち、博覧会の経験も多かったからこそ、有栖川宮威仁親王や伊藤博文、西園寺公望などの有力者の推挙により、1900年のパリ万博の事務官長として林が抜擢されました。通常は国内の官僚から選ばれるはずで、プライドの高い官僚らの嫉妬は想像に難くありません。並のエリートではなく、敗北経験のない強者揃いだったでしょう。それ故にフランスにいる林を、帰国してから国賊扱いです。そのような人物たちだからこそ自分たちを差し置いてのマダム貞奴ブームなんてまともに報告するわけもなく、今の普通の日本人は知らないのです。激しい嫉妬の対象となったり、凄すぎて真に理解できる人が少なすぎたり、知られざる存在として追いやられたり。優れたものの宿命とも言えます。だから、本当に良いものを見つけ出すのは大変なのです。 |
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| オー・ミカドのキモノ・サダヤッコ | |
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↑キモノ・サダヤッコの広告(オー・ミカド 1905年)←キモノ・サダヤッコ(オー・ミカド 1900年代)京都服飾文化研究財団 【引用】The Kyoto Costume Insititute ©The Kyoro Costume Institute, photo by Masayuki Hayashi |
本当に良い物は真似される宿命にもあります。優れているからこそです。優れていなければ誰も見向きもせず、知らないうちに消え去ります。マダム貞奴ブームに便乗し、フランスでは『オー・ミカド』という会社が『キモノ・サダヤッコ』という着物風の室内着を売り始めました。 |
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『ハムレット』オフィーリアを演じる貞奴(1903年) |
着物そのものを欲しいと思う人はもちろん、インスピレーションを受けた『ヤッコドレス』という新たなファッションも生み出されました。 そうやってただヨーロッパに影響を与えるだけでなく、ヨーロッパ現地の演劇と観客たちを目にし、帰国後に川上夫婦は日本のたくさんの人たちにも、『シェイクスピア』という魅力ある演劇を楽しんで欲しいと活動しました。 日本人でも分かりやすいようアレンジし、日本でシェイクスピアを紹介しました。 ヨーロッパに残った方が富と名声を得られたのは確実ですが、そのような誘惑には夫婦共に見向きもせず、使命のためだけに活動したようです。 |
| マダム貞奴 | |
ベルリン公演時の川上貞奴(1871-1946年)1901年、30歳頃 |
川上貞奴と音二郎(1903-1911年頃) |
日本の政財界の大物に通用する教養や知性を備える二人だからこそ、社交界でも受け入れられ、そのような階層とのやりとりなども通し、ヨーロッパの高尚な芸術文化も存分に吸収してきたことでしょう。純愛劇『サッフォー』で一躍人気に火がついたマダム貞奴ブームですが、私生活もヨーロッパ上流階級が憧れ賞賛するような姿だったと想像します。貴婦人は娼婦とは明確に異なる存在です。 |
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品行方正、清廉潔白。王子様より決して目立とうとしないけれど、その美しさが多くの目を惹き、それでも王子様ひと筋。 目立つからこそシンデレラの姉のように妬んで意地悪する人もいるけれど、愚痴を言わず潰されたりもせず。か弱く見えても芯は強く、王子様を縁の下の力持ちとして支えます。 硬い愛で結ばれ、信頼し、尊敬しあう王子様とお姫様。 |
| 王道のハート型の宝物 | ||
ハートシェイプ・ムーンストーン ブローチイギリス 1880年頃 SOLD |
『硬い愛の心』ペンダント&ブローチ イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
『慈愛の心』アメジスト&天然真珠 ペンダント イギリス 1880〜1900年 SOLD |
捻ったハート型を特徴とする『ウィッチズ・ハート』の小悪魔的な魅力も素敵ですが、王道スタイルにしか出せない気品と風格は強い魅力があります。これぞヨーロッパの正統派の貴族という感じです。迷いがある人、まだ自身が持てない人、何らかの後ろめたさがある人は着けることを躊躇するような、堂々たる揺るぎなき威風があります。男性も覇気を放つ人がいますが、これはまさに『女性版の覇気』と言う感じです♪ |
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運命で一緒になった二人・・♪♪ ピアスは2つで1組なのが良いですね。着用する時もテンションが上がりますが、こうして眺めているとまるで愛し合う王子様とお姫様のようで、こちらまで幸せな気持ちで満たされます♪ 王道の愛は普遍です!♪ |
3-1-3. 秘密のスパイラル・デザイン
今回の宝物は王道系のハート型ですが、スタンダードとは別ジャンルとカテゴライズします。これが上流階級のアンティークジュエリーでなければ、単なるアレンジの範囲と見るのですが、明らかにスパイラル・デザインに上流階級ならではの意図を感じるからです。 |
| ハート・デザインのバリエーション | |||
| スタンダード | ダブル・ハート | ウィッチズ・ハート | オリジナル |
『クラシック・ハート』ロケット・ペンダント イギリス 1870年頃 SOLD |
『美しき愛』ダブルハート・ブローチ フランス以外のヨーロッパ 1916年 SOLD |
『楽園の乙女』ハーフパール ブローチ イギリス 1900年頃 SOLD |
今回の宝物 |
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←等倍↑ |
サイズを考慮すると、とんでもない神技でわざわざ実現させていることが分かります。よほど強い要望がない限り、こんな細工はしません!! |
3-1-3-1. 秘密の叡智としての陰陽魚太極図&黄金螺旋
陰陽魚太極図 |
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このスパイラルのハート型は、陰陽魚太極図をデフォルメしたデザインと推測します。英語圏ではTaijitu(タイジツ)と呼ばれます。 光、あるいは闇側を反転させて重ね合わせるとハート型になります。 |
| 陰陽魚太極図のバリエーションの一部 | ||
1370年代 |
1599年 |
1613年 |
古くから存在し、バリエーションは様々存在します。中国のイメージが強いですが、西ローマ帝国でも類似の図像が存在します。 |
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原始の魂の分離(古代ギリシャ 紀元前4世紀)【引用】Wiki Lettres Antiques/Le mythe des androgynes ©Fandom |
西ローマ帝国で使用された図像(430年頃)"Armigeri defensores seniores shield pattern" ©Fanfwah/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
これは陰陽わかつ前、原初の時代の人間の魂を表現しており、限られた者にのみ古代から継承されてきた『秘密の叡智』の一部となります。知ることを許される範囲は上流階級であっても身分ごとに異なりますが、導入的な知識の一部は一般開示されているので、興味がある方はぜひご自身で調べてみてください。 アカデミア創設者にしてアテナイ王家の血筋である哲学者プラトンは『魂』にも言及しており、著書『饗宴』で人間球体論を論じています。元来、2つの性別を併せ持つ球体だった存在(魂)が分離し、その結果として今の私たちは愛を通じて自分の片割れ(半球)を探し求めるという神話を語っています。スピリチュアル系のネタ元でもありますが、そのような人たちは表面的な話ばかりで、プラトンの著書をまともに読んで理解している人は少ないのでしょう。 |
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中国神話の女?と伏犠(唐 8世紀) |
カドゥケウスの杖 |
アンドロギュノスの図像(1617年) |
秘密の知識を知らないとバラバラの図像に見えますが、骨子が分かると全て同じことを示しているのが見えてきます。 |
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綺麗な対数螺旋のオウムガイ©Chris 73 / Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0 |
黄金長方形と黄金螺旋"FakeRealLogSpiral" ©Cyp, Silverhammermba & Jahobr/CC BY-SA 3.0 |
さらに黄金比と宇宙法則は密接に関係しており、黄金螺旋はミクロコスモスからマクロコスモスまで、自然界のあらゆる形状に現れます。この辺りは基礎中の基礎の話なので、これを意匠化している可能性が高いです。黄金比は人が見て最も美しいと感じる理想のバランスとされ、実際にこのハート型も美しいですよね♪ |
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3-1-3-2. ソサエティ『ソウルズ』の秘密
『ウィンダム姉妹』(ジョン・シンガー・サージェント 1899年)エルチョ夫人、アデイン夫人、テナント夫人 |
魂の話でピンと来た方もいらっしゃるでしょう。上流階級の知的階層のソサエティ『ソウルズ』です。女性の集まりではなく、バルフォア宣言で有名な初代バルフォア伯爵夫妻を始め、当時の錚々たる顔ぶれが参加していました。 その中の母親である貴婦人たちが、ケイト・グリーナウェイが描くような愛らしい子供服を子供たちに好んで着せていました。 |
ウィルフリッド・スカウェン・ブラント(1840-1922年)20代 |
第15代バロネス・ウェントワース アン・ブラント(1837-1917年)1883年、46歳頃 |
このような閉鎖的なソサエティの具体的な内容は一般人に知らされるものではありませんが、創設メンバーのウィンダム姉妹の従兄であり、第15代バロネス・ウェントワース アン・ブラントの夫ウィルフリッド・スカウェン・ブラントもメンバーの一人で、ソウルズの目的と目標、回避したいものなどについてコメントしています。 「富裕層や貴族の大多数が嗜好するレースやカードゲームといった下品な趣味を避け、ロマンスと感情による興奮を好む、高尚な知的快楽を追求する集団であった。このソサエティが知的に最も面白すぎて、他のいかなるロンドンのソサエティも訪れる価値がない。」 競馬やカードゲーム、賭博は昔から貴族も大好きですからね〜(笑) |
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スウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナに招聘され1650年に講義するデカルト |
私は『知識バカ』と言うなかなか酷い表現を正直にしますが、知識を知っている事と理解している事は全く別です。 知ることを許される範囲も階層ごとに異なりますが、知らされていても、解釈や理解は非常に難しいです。 だからこそスウェーデン女王クリスティーナも理解を深めるため他者を頼り、わざわざデカルトをフランスから招聘しました。少なくとも『無知の知』に到達しているからこそできることですね。 |
スウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナ(1626-1689年)1650年、24歳頃 |
スウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナ(1626-1689年)1653年、27歳頃 |
高緯度のスウェーデンの真冬、1月の朝5時からの講義は過酷過ぎて、デカルトは死んでしまいました。ヨーロッパの中では僻地にあり、知識人と闊達な議論をするには自ら文化的中心地に赴く方が効率が良いと考えたようです。27歳で計画的に退位し、ローマを拠点に外遊しながら学問、芸術、文学を研究する日々を送りました。社交界で評判が高い人物であっても、そこまでしても深淵に辿り着けるか分からぬほど難解なのです。そして、天才であっても一人で深めるには限界があります。他の天才たちと交流することが重要だからこそ、わざわざ退位までして住み慣れた地を離れたほどです。 |
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海軍提督・初代ベレスフォード男爵チャールズ・ベレスフォード(1846-1919年)62歳頃、1908年 |
ソウルズは秘密の知識について議論していた可能性が高いです。 難しい話ができない人には参加が困難ですが、このような議論が好きな人にとっては、他に何も要らないと思えるほど楽しいことなのです。まさに最高にワクワクし、知的に興奮できる場となります。 『The Souls』の命名は初代ベレスフォード男爵チャールズ・ベレスフォードの発言に由来するとされます。 |
"You all sit and talk about each other's souls—I shall call you the 'Souls'" 調和と秩序ある宇宙『コスモス』は上流階級にとって最も重要なテーマであり、ミクロコスモスである人間の魂の理解は哲学者プラトンも古代から議論してきた内容です。すぐに唯一無二の答えが出て完了するものではなく、議論すること自体が知的に面白く、自己の理解と成長にもつながっていきます。 |
| 1869年に来日したイギリスの王侯貴族 | |
ヴィクトリア女王の次男アルフレッド王子(1844-1900年)24歳頃、1868年頃 |
刺青を披露するベレスフォード男爵チャールズ・ベレスフォード(1846-1919年)【引用】『日本の刺青と英国王室』(小山騰 2010年出版)藤原書店 |
ベレスフォード男爵は以前ご紹介したことがあるので、記憶にある方もいらっしゃるでしょうか。アルフレッド王子の来日に帯同し、横浜で一緒に刺青も彫っています。それを羨ましがった英国王室の王子たちや、その親戚であるロシア皇太子ニコライ2世も来日して刺青を彫っています。来日時アルフレッド王子は25歳、ベレスフォード男爵は23歳でした。ベレスフォード男爵は王室の信頼も厚く、アルフレッド王子の侍従を務めるだけでなく、ジョージ5世の騎兵隊も務めています。海軍提督も務め、国内だけでなく外国からもいくつも高位の勲章を受章しています。ソウルズの集まりでは、どのような会話を楽しんだでしょうね♪ |
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3-1-3-3. 高位貴族が素敵な恋愛に憧れる背景
王侯貴族に対してきゃっきゃウフフなだけの『お花畑の住人』のようなイメージを抱いている現代人もいますが、HERITAGEの情報をご覧いただいている方は、実際にはそうでないことをご存知だと思います。 |
| 英国王ジョージ4世の恋愛と結婚 | ||
英国王ジョージ4世(1762-1830年)王太子の18-20歳頃、1780-1782年 |
最愛のマリア・フィッツハーバート(1756-1837年)32歳頃、1788年 |
英国王妃キャロライン・オブ・ブランズウィック(1768-1821年)30歳頃、1798年 |
貴族の場合、恋愛と結婚は別です。家を守り存続させることが第一の役割であり、高位の身分となるほど結婚相手は厳しく制限されます。そこに恋愛感情も重なればラッキーですが、そうでない場合もあります。他に好きな人がいたり、相性が悪かった場合は地獄です。イギリス王ジョージ4世の苦しい恋愛については以前ご紹介した通りです。君主ですら恋愛に関しては思うようにいかないのが、上流階級の常識でした。 |
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| 英国爵位貴族の恋愛 | ||
第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃 |
レディ・キャロライン・ラム(1785-1828年)1813年、28歳頃 |
ヴィクトリア女王即位時の英国首相/第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム(1779-1848年)1805年、26歳頃 |
ジョージ4世の親友で高位貴族のデヴォンシャー公爵ウィリアム・キャベンディッシュも『独身貴族』と呼ばれ、未婚のまま嫡子を残さず67歳で生涯を終えました。5歳上の従姉妹キャロラインと結婚するはずでしたが、キャロラインは後にメルバーン子爵となるウィリアム・ラムと恋に落ち、そのまま結婚しました。デヴォンシャー公爵は大変なショックを受けたそうですが、二人が出逢った1802年当時はまだ12歳で、どうしようもなかった感じですね。キャロラインにゾッコンで引きずっていたというわけではなく愛人もいましたが、適した家柄と才能を持つ女性には巡り会えず生涯独身となったようです。その点で、公爵の親友でお抱え庭師だったジョセフ・パクストン卿の方が結婚と家族には恵まれた印象があります。 |
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ヴィクトリア女王とアルバート王配が乗った馬車への狙撃事件(1840年) |
その点で、ヴィクトリア女王は恵まれていた稀有な君主です。 イケメンで首相からも信頼されるほど教養と知性と人格を備えたアルバート公子と結婚し、しかも新婚早々、暴漢から身を挺して守ってくれるという事件もありました。 まさに理想の王子様であり、勇敢で男らしい騎士ですね。 |
中世最後の騎士と呼ばれる神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(1459-1519年) |
ちなみに先にご紹介した神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世もナイトで、中世最後の騎士と呼ばれる人物です。 佩用しているのは金羊毛騎士団の勲章です。 ハプスブルク家の紋章にも、同勲章がデザインされています。 金羊毛騎士団は1430年に創設され、スペイン王国最高位の騎士勲章として現在まで存続します。 |
| 中世最後の騎士マクシミリアン大帝の二人の妻 | ||
神聖ローマ皇帝・ブルゴーニュ公・オーストリア大公マクシミリアン1世(1459-1519年) |
【先妻】ブルゴーニュ女公マリー・ド・ブルゴーニュ(1457-1482年) |
【後妻】ビアンカ・マリア・スフォルツァ公女(1472-1510年)1505-1510年頃、33-38歳頃 |
ブルゴーニュ公フィリップ3世が創設し、孫娘でヴァロワ=ブルゴーニュ家最後の君主マリー女公がマクシミリアン大帝に嫁いだことで、ハプスブルク家が金羊毛騎士団の主権者となりました。この夫妻も政略結婚でありながら、最高の相性で堅く結ばれた二人でした。マリー皇妃は美貌に加え、教養と知性に優れたマクシミリアンと楽しく会話できるほどの素養を備えた上に、この時代には珍しくスポーツ好きの活動的な女性で、狩猟や乗馬、スケートも好んでいました。 不運の事故で先立ってしまい、子孫繁栄の役目もあってマクシミリアン大帝は再婚しましたが、後妻ビアンカは狩猟や自然に全く興味を示さず、会話を成立させるためのドイツ語を学ぼうともしませんでした。マクシミリアン大帝は頑張ってイタリア語を習得するなど歩み寄りを試みましたが、最初のマリーが凄すぎた故にガッカリ度は高かったようです。ジョージ4世も「キャロラインへの歩み寄りを努力したが、キャロライン側は全く歩み寄ろうとしない。」と不満を述べていました。あながち一方的な被害妄想ではないかもしれませんね。 |
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神聖ローマ皇后ビアンカ・マリア・スフォルツァ(1472-1510年)1505-1510年頃、33-38歳頃 |
マクシミリアン大帝&マリー皇后の長女オーストリア大公女、ブルゴーニュ公女マルグリット・ドートリッシュ(1480-1530年)1518年頃、38歳頃"Marguerite d Autriche par Bernard van Orley vers 1518 huile sur bois" ©Hugo Maertens/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
不妊の体質も判明し、マクシミリアン大帝は後妻ビアンカに全く関心を示さなくなりました。結局マクシミリアン大帝が51歳の時にビアンカは先立ったのですが、その翌年に長女マルグリット・ドートリッシュに宛てた手紙で「私は二度と結婚したりしない。裸の女に触れることは無い。」と書いています。まだ子供も期待できそうな年齢ですが、色々と学んだのでしょう。 高貴な生まれだからと言って、それに胡座をかいて努力しなければ社交界では高く評価されずモテません。王子様、お姫様という肩書きだけで恋愛がうまくいくわけではありません。特に惜しみなく努力する者にとって、そのような肩書きだけでホイホイ寄ってくるような人物は絶対に嫌です。王子様であれば誰でも良いというような女性は、王子様自身の人格を否定しているに等しいのです。お姫様側も同様です。 |
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| 王位継承者の王子 | 失恋相手 | 祖母(女王)が充てた婚約者 | |
アルバート・ヴィクター王子(1864-1892年) |
後のロシア皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ(1872-1918年)1890年、18歳頃 |
フランス王の末裔エレーヌ・ドルレアン(1871-1951年)1911年、40歳頃 |
メアリー・オブ・テック(1867-1953年)1901年、24歳頃 |
庶民や下級貴族の場合、王子様というだけでホイホイ付いていくかもしれません。しかし、高位貴族同士では『王子』や『次期国王』の称号は何らかの野心や自己顕示欲がある場合を除き、必ずしも魅力を持ちません。野心や自己顕示欲のためだけに選ばれるなんて屈辱です。素敵な人を射止めるには、高位貴族であっても魅力を最大限に高める努力は必須です。エドワード7世の長男で王位継承者だったアルバート・ヴィクター王子は従妹のヘッセン大公女アリックス(後のロシア皇后)、フランス王の末裔エレーヌ・ドルレアンに失恋し、王妃となる人物が定まらない状況にありました。そこで充てがわれたのが、ヴィクトリア女王のお気に入りだったメアリー・オブ・テックでした。 |
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| 元々の婚約者 | 相思相愛で婚約済だった二人 | ||
長男アルバート・ヴィクター王子(1864-1892年) |
メアリー・オブ・テック(1867-1953年)1901年、24歳頃 |
次男ジョージ王子(後の英国王ジョージ5世)(1865-1936年)1893年、28歳頃 |
従妹マリア王女(後のルーマニア王妃マリア)(1875-1938年) |
しかしアルバート・ヴィクター王子が28歳で急逝し、その婚約者だったメアリー・オブ・テックは王位継承権が移ったジョージ5世と結婚することになりました。元々ジョージ5世は先にご紹介した従妹マリア王女(後のルーマニア王妃)と相思相愛で、結婚の申し込みも承諾していた仲でした。二人の父であるエドワード7世とアルフレッド王子もこの結婚を歓迎していたそうです。幼少期、マリアはヨーロッパ王族と政略結婚させるものと考えられていましたが、それほど仲が良かったのでしょう。 |
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ヴィクトリア女王と親族たち(1877年) |
子沢山のヴィクトリア女王には既に多くのロイヤルファミリーがおり、言い方は悪いですが、政略結婚に使えるカードは十分でした。この時代は大英帝国自身が既に世界の中心として盤石の存在となっており、他び強国から嫁をもらう必要性も低いと言えました。次男ゆえにジョージ王子が君主に就く可能性も低く、せっかく相思相愛なら結婚させても良いだろうと判断できる状況にあったのでしょう。結局は運命がそれを許さなかったようです。 |
| ヨーロッパ王族の貴婦人 | ||
| アルバート・ヴィクター王子の失恋相手 | ジョージ5世の失恋相手 | |
フランス王末裔エレーヌ・ドルレアン(1871-1951年)1911年、40歳頃 |
後のロシア皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ(1872-1918年)1890年、18歳頃 |
ルーマニア王太子妃マリア(1875-1938年)1893年、17歳頃 |
貴族の肖像画は小物や構図などを使い、様々なメッセージが込められています。この時代の貴婦人は書籍に眼を通す知的な姿で撮らせているのも印象的です。英国王室の王子兄弟が好きになった3人の貴婦人すべて、知性をPRしているのが当時の社交界を反映しています。賢い女性が社交界で知的な男性からモテるのは昔からですが、この時代になって殊更に強調するのは、頭が空っぽの新興成金が幅を効かせるようになったことが大きいでしょう。「これダイヤモンドなのよ!!」、「私のダイヤモンドは大きいでしょう!!」と、無知と浅はかさ丸出しの新興成金の醜さが目につくようになった時代だからこそ、その反動として違いを明確化するため、王侯貴族からより一層知的なものや分かりにくいけれど良いものが大事にされました。 |
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| エドワーディアン(1900-1920年頃)の英国君主 | |
アレクサンドラ妃&エドワード7世(在位:1901-1910年)1903年 |
ジョージ5世&メアリー妃(在位:1910-1936年)1914年 |
念の為にご紹介しておくと、エドワーディアンの君主はエドワード7世とジョージ5世です。過労が祟ってエドワード7世は早く旅立ちましたが、アレクサンドラ妃は1925年に80歳の天寿を全うしました。通常なら年齢的にも次の世代にファッションリーダーは移りますが、老いない美貌に加えて振る舞いも王族らしいものだったため国民人気も高く、王侯貴族の時代の最後のファッションリーダーとして存命中は影響を持ち続けました。メアリー王妃の貴族からの不人気もあったでしょう。泥棒同然と言われるような女性を憧れて真似したがる貴婦人なんて、普通はいません。 |
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魂の片割れと感じられる素敵な王子様と巡り合い、一緒になりたい・・。 自己顕示欲にまみれ、主張の強い成金は意地悪な悪役みたいなものです。清楚ながら芯は強いお姫様のように正しく美しく生き、素敵な王子様と結婚して支えたい・・。この宝物の持ち主がどのような貴婦人だったか、具体的に見えてきたのではないでしょうか♪ |
3-1-4. 神技の透かし細工
今回の宝物は、圧倒的なデザイン性の高さが眼を惹きます。人気アイテムでありながら、Genはピアスとリングは探すのが嫌いだそうです。労力の割に、良いものが見つかる確率が絶望的に低いからです。「悪いものを見ると目が腐る。」と言う通り、悪いものは物凄い勢いでエネルギーを奪うので、買付の後は成果がないと酷く疲れるそうです。 アンティークジュエリーの殆どはつまらないデザインです。私たちは1%どころか、1万点に1点しかないようなものしか選びません。基準を徹底しているため、ピアスも美しいデザインだけを選びご紹介しています。ただ、デザイン性が高いピアスは非常にレアです。ピアスは人気アイテムなので出せば稚拙なものでも売れますが、それにも関わらずご紹介点数が少ないのは、儲けでなく美術品を扱う者としてのプライドを最優先しているからです。 |
| ヴィクトリアン 1840-1900年頃 |
エドワーディアン 1900-1920年頃 |
アールデコ 1920-1940年頃 |
| 貴族のオーソドックス&クラシカル | エレガントさ残る貴族の最後の時代 | モダン・デザインにつながる新時代 |
『フクシア』ダイヤモンド ピアス フランス(プロバンス) 19世紀初期 SOLD |
欧米 1910年頃今回の宝物 |
ダイヤモンド ピアスイギリス 1930年代 SOLD |
時代ごとに象徴的なデザインの、揺れるタイプのダイヤモンド・ピアスを並べました。右のピアスはオール・プラチナのモダン・スタイルの可能性があります。いずれにせよアールデコに繋がるデザインです。必要なものまで削ぎ落とすコストカットのための簡素化と違い、主張しないながらも存在感を持つ控えめな装飾が貴族の余裕を感じさせます。但しオーソドックスやクラシカルさからは脱却し、新時代をスタイリッシュな雰囲気が強いです。 19世紀までのダイヤモンド・ピアスは、シルバーもしくはゴールドのセッティングです。同じ白い金属でも、シルバーではプラチナやホワイトゴールドと物性も加工特性も異なります。表現できる方向性や範囲が異なりますし、色味や質感も違います。今回の宝物は画期的な新素材としてプラチナがジュエリーの一般市場に登場したばかりの時代、かつ王侯貴族の最後の時代だからこそのデザインと細工の魅力が詰まっています!♪ |
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実際の大きさを考慮すると、驚異的な神技とお分かりいただけるはずです。 拡大してもシャープな作りで、完成度の高さは高級品を見慣れている者にとっても驚くべきものです。 |
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全体的にナイフエッジ状に整えられており、華奢に感じられても耐久性があります。切り立ったシャープな側面に整えられているため、どの角度から見てもスッキリとして綺麗です。だからこそデザインに没入できます。これは叩いて鍛えた、硬く締まった鍛造の金属だからこそ実現します。 |
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研究職時代、分析のための前処理として断面研磨も経験があります。 柔らかい素材ほど端部がバリが出やすかったり、ダレてエッジが緩い仕上がりになります。『研磨ダレ』と言います。 物性上の制約となるため、どれだけ腕が良い職人でも仕上がりには限界があります。 |
| 材料の硬さによる研磨ダレのイメージ |
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キャスト法(鋳造)では、どれだけ腕の良い職人が磨いてもここまでシャープな仕上がりにはなりません。 素材を熟知し、技術と手間をかけて最適化した上で、最高の腕を持つ職人が丹念に仕上げたからこそ具現化できるキリリとした美しさなのです!! |
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恋するハートに、天使の羽が付いたかのようなデザインです♪ |
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鑞付での接合ならシャープにできますが、それでは100年以上の使用に耐える耐久性が確保できません。裏側から見るとお分かりいただける通り、これは削り出しで実現させた造形です。間違いなく道具から自作して作った神技です!♪ |
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ゴールドは柔らかいとされますが、純金や鋳塊の話です。割金し、叩いて鍛えたゴールドは鋼鉄どころかステンレスを上回る硬さを出すことが可能です。だからこその仕上がりですが、技術と手間は想像を絶します。 |
米沢箪笥の透かし金具を鑢で丹念に磨いて仕上げる工程 |
制作数が少ないハンドメイドの透かし細工の作り方は、どのサイズでも基本的には同じです。Genが携わっていた米沢箪笥は、装飾性の高い鋼鉄の透かし細工が特徴です。厚みがあるほど立体感が出て美しくなりますが、手間も技術も指数関数的に増大します。出来上がりしか見ないと想像しにくいですが、ただの金属板から制作します。 細かい透かしは、特に高度な集中力と忍耐力を必要とします。リズム良く一定方向に一定の力を加えて磨いていきます。角度が悪いとスッキリとした見た目になりませんし、磨き過ぎると壊れます。それを修復することはできません。鑢(ヤスリ)は市販品もありますが、特別サイズは既製品では手に入らないため手作りすることになります。私も研究職時代は道具の自作やカスタマイズは当たり前でしたし、大学にも実験道具を特注するためのお抱えの工房が併設されていました。その人にしかできない技術を持つ各分野の職人さんたちが、プライドを持って仕事していました。 |
GFPパッケージ用のリードフレーム"TQFP Leadframe" ©NobbiP(7 September 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ちなみに研究職時代に、リードフレームなどの電子デバイス製品を扱った経験もあります。銅やステンレス製の透かし細工です。何しろ1兆5,125億円の単年での売上高を持つ大企業の大量生産品なので、職人のハンドメイドではなくフォトリソグラフィという手法を使います。ヤスリなどの物理的な研磨でなく、化学薬品を使った酸処理で溶かして透かしにします。微細なので肉眼では切り立った断面に見えますが、カドは優先的に溶けやすく、この手法でもカドがシャープにならないことが問題になることがあります。機能性に不具合が出て発覚します。SEM(走査型電子顕微鏡)などで観察すると、不良品は形状がダレていることが分かります。 |
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少し前の時代と違い、現代の一般庶民は既製品を買うのが当たり前となりました。 製品もそれを使う人間も没個性の時代、誰がどうやって作るのかなんて想像せず、殆どの人が意識すらしない時代となってしまいました。 毎日必要な食事、野菜や果物、スイーツや料理くらいは身近なこともあり、まだ想像して意識を高く持つ方も少なくありませんが、自分で作ることが困難な高級ジュエリーはなおさらです。耐久性や財産性と無縁のアクセサリーとも全く別物です。 |
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Genも私も真っ直ぐアンティークジュエリー・ディーラーになってはいません。必要な経験を積む必要があったからと確信します。それぞれ実体験を元に、この細工がいかに神技なのかが論理的にも理解できます。 |
古の王侯貴族のように職人と直接やりとりできない時代だからこそ、魅力と価値をお伝えする役目としてGenや私が必要なのです。誰にでも理解できるものではありませんが、新しい持ち主となる方にはこの凄さを分かっていただきたいです!♪ |
3-1-6. 秘密を共有する者の特別なスパイラル・ジュエリー
プラチナにゴールドバックだからこそ、実際に着用する際は奥側が影になり、プラチナによる表面のデザインがより一層きわ立ちます♪ |
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それにしても左右対称となるスパイラルを組み合わせたハート型デザインは圧巻です!! ノーマルなハート型でも、オシャレ・デザインとしては成立します。なぜここまで神技とコストをかけるのか、秘密の知識を知らなければ理解ができません。ただの酔狂くらいの推測で終わっていたでしょう。 |
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| 陰陽スパイラルのバリエーション・デザイン | |||
![]() "Armigeri defensores seniores shield pattern" ©Fanfwah/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
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『愛と尊敬の螺旋』サフラジェット ペンダント イギリス 1900年頃 SOLD |
『Heaven's Ladder』アールデコ ネックレス イギリス 1920年頃 SOLD |
逆回転を組み合わせた陰陽のスパイラルは、秘密の叡智を受け継ぐ者たちにとって最重要の基本概念です。だから、本物の王侯貴族のために作られたハイジュエリーは、さりげなく陰陽スパイラルがデザインされていることがあります。象徴で表現し、表現者側の表現力、見る側の読み解く能力も重視しますから、意識しなければ気づきません。最重要シンボルだからこそ、秘密の叡智を知る者は見れば分かります。知識がない成金含めた一般庶民は、その存在を想像すらすることなくスルーします。 |
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『エデンの園』色とりどりの宝石のジャルディネッティ・リング イギリス 1820年頃 ¥3,690,000-(税込10% |
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これは王侯貴族でも気づかないと思える位置に、逆向きで対となるスパイラルがデザインされていました。 アクロスティック・ジュエリー(宝石言葉による秘密のメッセージを込めたジュエリー)が流行したジョージアンらしいとも言えます。 |
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『硬い愛の心』ペンダント&ブローチ イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
ケルトの渦巻き(トリスケリオン)(アイルランドのニューグレンジ 5千年前)"Celtic spiral" ©yound shanahan/CC BY 2.0 |
ケルト復興主義者による三脚巴紋 |
ナショナリズムが高揚した時代なので、この宝物のスパイラルはケルト系の可能性もありますが、三つ巴でなく対となっています。 ハート型がデザインに主役であることから、陰陽の対を表したスパイラルの可能性が高いでしょう。まさに愛のデザインです♪ |
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3-2. 繊細で強力な粒の輝きを放つ精緻なミル細工
3-2-1. 極小ローズカット・ダイヤモンドよりさらに微細な輝き
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王侯貴族がローズカット・ダイヤモンドの小ささにこだわった時代だからこそ、それをさらに生かすための細工が発達しました。 それが、極小ローズカット・ダイヤモンドよりさらに細い隙間を埋めるためのグレインワークです。 細くなっていくフレームにセットするのがダイヤモンドだけだと、そこで流れが中断して尻切れトンボのような印象になります。 その隙間を埋めるために、プラチナの粒を造形するのがグレインワークです。 |
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ローズカット・ダイヤモンドが貴重で、専門の職人が真心を込めてカットしていた時代だからこそ、1粒ごとに形も大きさも個性があります。左右のピアスを並べてみると、石にも個性があるのが魅力的ですね♪ |
使いやすいようモノも人間すらも没個性化する現代社会と違い、この時代はダイヤモンドも適材適所です。個性を見極め、バランスを取りながらセットするので全体として調和しており、左右が全く同じでなくとも違和感は感じません。実は右のピアスの方が大きめのダイヤモンドを使っているため、グレインワークの数が少ないです。仕様書や作業指示書の通りにしか動かないオペレーターではなく、職人が自身の美的感覚を頼りに、頭を使いながら最適と思える細工を施した結果です。指示書通りでないとクレームを入れるような、頭デッカチが依頼主だと不可能な細工です |
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依頼主は信頼して職人に任せ、職人も最大限に応えた結果です。 磨き上げたプラチナの粒は、上質なダイヤモンドの煌めきと区別がつかないほどの硬質な白い輝きを放ちます。 肉眼でははっきり判断できず、撮影して拡大したり、光学顕微鏡で確認したりしないと区別できないことも少なくありません。 隙間を満遍なく埋めることで輝きに余韻が生まれ、流れるような美しいデザインに没入できます♪ |
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グレインワークは粒立っていて美しいですが、ポロっと取れないか不安に感じる方もいらっしゃるでしょうか。一見すると鑞付した粒金細工にも見えますが、これは削り出しで制作しています。 |
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【参考】HERITAGEでは扱わないレベルのエドワーディアン・ブローチ |
こういう時、稚拙な安物は役立ちます。庶民用の本当の安物は天然真珠なんて使えませんし、グレインワークは挑戦すらしないので、下位の上流階級や成金用の安物としてご覧いただくのが妥当です。 フレームの隙間を埋めるグレインワークも、フレームのフチに施すミルグレインも、鑽(タガネ)で打って鑢(ヤスリ)で丹念に磨いて形を整えます。気の遠くなるような作業です。アーティスティックな作業ではなく、繰り返しの精密な作業を忍耐強くできる才能が必要です。ハンドメイド・チェーンや魚子(ななこ)打ち同様、専門の職人がいたはずです。技術が稚拙だったり、磨き仕上げが甘いとグチャっとした汚いグレインになります。 |
【参考】HERITAGEでは扱わないレベルの細工 |
削り出しなので土台のフレームと一体化しており、100年以上ジュエリーとして使用しても脱落しません。しかし、これだけ稚拙だとグチャっとしていて気持ち悪さを感じます。もちろん強く輝くこともありません。 |
【参考】HERITAGEではお取り扱いしないクラスのブローチ |
しかし、肉眼では違いが分かりにくいです。 この差を瞬時に見極めるのが、Genや私のような高級品専門ディーラーです。 今は情報も専用設備も手に入れやすい世の中となりましたが、それでもHERITAGEのような拡大画像を他の店が出さない理由は簡単です。撮影技術がないからという時代は終わりました。出せないほど醜く、出すとマイナスにしかならないからです。 |
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この小さな細工にどれだけの技術をかけたか、ここまで綺麗に磨いて整えるのは相当な手間です。しかし無意味な自己満足ではなく、確実に違いがあります。だからこそ私たちがこの宝物を肉眼で見て、一瞬で選び出しています!♪ |
3-2-2. 全面のミルグレインが醸し出す優美さとラグジュアリー
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今回の宝物は、フレームのフチ全てに施したミルグレインも特徴です。 エドワーディアンはナイフエッジをデザインしたものも多く、それらは来たるアールデコを想わせるスタイリッシュさを備えますが、それとは一線を画します。 |
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これは13年前にご紹介したバーブローチで、Genもとても珍しいデザインとご説明しています。ナイフエッジの透かし細工はミルが打たれていないため、ミルが施された箇所との対比が印象的です。 |
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ミルの有無だけで、劇的に印象が変わります。適当で具現化できるものではなく、確実に計算してデザインしています。まさに『印象操作』が設計されたデザインであり、社交界の宝物らしいです。 |
| 【参考】成金向けのダイヤモンド・ジュエリー | |
【参考】アールデコ・ダイヤモンド・ブローチ(1930年代) |
【参考】ダイヤモンド ブローチ(ブシュロン 1940年代) |
アールデコ後期以降はコストカットの波に飲まれ、シンプルやスタイリッシュの大義名分の元、繊細で美しいミルグレインはその高度な技術と共に失われました。 ふんだんなグレイン系の細工の代わりに、ふんだんにダイヤモンドが使用されているのが象徴的です。高度な技術を持つ職人によるグレイン系の細工より、ダイヤモンドの方が安上がりな証です。安く作れるのに、こちらの方が成金には高く売れた結果が現代ジュエリー業界です |
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| 【参考】鋳造(キャスト法)のミルグレイン | |
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現代ジュエリーのミルグレイン |
現代はキャスト法(鋳造)で再現した類似品が在るのみです。肉眼で十分に視認でき、ブツブツ恐怖症の人には気持ち悪さを感じるサイズです。 |
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カメラ性能の限界に近いレベルの細工です! |
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爪も同様に磨き上げられており、フレームも磨き仕上げは完璧です。ダイヤモンドやフレームの輝きは神々しさをも感じさせつつ、グレイン細工の光の粒の輝きは、さらに全体の雰囲気を神々しくラグジュアリーなものへと惹き上げます。 |
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| 【参考】ヘリテイジでは扱わないレベルのアールデコ後期のボンブリング |
同じ"ハンドメイドのアンティークジュエリー"でも、作る職人の腕次第でこれだけ違います。スパイラルの透かしデザインはガタガタ、ミルグレインは曖昧、ダイヤモンドの爪は潰れた形状。このような代物と区別できない人が多いからこそ、本来の価値に見合わないような安値で最高級品が手に入ります。 |
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現状では、『知られざる良いもの』で在り続ける方が良いのかもしれません。 揺れるピアスだからこそ、揺れに増幅されて輝きは増します。 眺めるだけでも豊かな気持ちになれますが、着用してこそ最も生きる宝物です。 プリンセスの気品をまとい、王道を歩もうとする女性に相応しいピアスです♪ |
裏側
ダイヤモンドの裏側の窓の開け方は、ジュエリーとしての格を如実に反映します。高級品でも通常は丸い開け方ですが、今回の宝物はダイヤモンドの配置とデザインに合わせ、限界まで大きく開けています。 |
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光を良く取り込むため、透明度や煌めきが抜群です!♪ |
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開閉式で閉じるタイプの金具です。 |
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金具上部に18ctゴールドを示す刻印があります。面積が狭く解読が困難で、生産国や工房までは判別できませんでした。 イーグルヘッドではないのでフランス以外の西ヨーロッパ、もしくはアメリカで作られたものです。交通手段や情報網の発達もあり、20世紀は急速にグローバル化が進みました。そのような時代らしい宝物でもあります。 |
着用イメージ
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コーディネートの主役にできる貴重なピアスです。デザイン性の高さあってこそです!♪ 着用時は揺れることにより、随所のダイヤモンドが魅力的に輝きます。華やかですが、ローズカット・ダイヤモンドならではの清楚で気品に満ちた輝きなので、嫌味がありません。 カジュアルにも合わせやすい一方、合わせ方によって華やかな場にも映えます。 顔まわりに最も近いピアスは、欧米では最も重視されます。一度このようなデザイン性の高いピアスの魅力に気づくと、Genや私のように無難なデザインでは満足できなくなると思います♪ |



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現代の照明器具店を視察するGen(29歳)
アンティーク・ショップを視察するGen(29歳)
Genのフォト日記『雲の上の夜明け』ヒースローから成田に向かう機上(2007年)
『美しき魂の化身』
『ダイヤモンド・ダスト』
『女神の凱旋』
『いっぱいの花手綱』
『永遠の愛』
『勝利の女神』
アンブロジオのイーリアスの一部(5世紀後期〜6世紀初期)
机で作業する装飾写本作家(14世紀)
ヨハネス・グーテンベルク(1398年頃-1468年)
ルター訳聖書(ドイツ 1534年)
画家/版画家マルティン・ショーンガウアー(1448頃-1491年)
『羊飼いの礼拝』(マルティン・ショーンガウアー 1475年)
『大天使ミカエル』(マルティン・ショーンガウアー 1470-1485年)
画家/版画家/数学者アルブレヒト・デューラー(1471-1528)1500年の自画像
神聖ローマ皇帝・ブルゴーニュ公・オーストリア大公マクシミリアン1世(1459-1519年)1519年、59歳
『騎士と死と悪魔』(1513年)
『メランコリアI』(1514年)
『書斎の聖ヒエロニムス』(1514年)
画家/金細工師アルブレヒト・デューラー(1427-1502)1498年の自画像
ルネサンスの万能人でドイツの魔術師/人文主義者/神学者/法律家/軍人/医師ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(1486-1535年)
スウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナに招聘され1650年に講義するデカルト
スウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナ(1626-1689年)23歳頃
スウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナ(1626-1689年)14歳頃
スウェーデン女王/フィンランド大公女クリスティーナ(1626-1689年)1653年、27歳頃
議題『愛』
『ソフィア』
右上の魔法陣の拡大



アール・ヌーヴォー プロトタイプ シルバー・リング
1534年と1545年のオリジナルのルター聖書に書かれたヤコブの梯子
鉱山冶金学書『デ・レ・メタリカ』のイラスト(1556年出版)
『フランボワーズ』
銅板に彫刻するジャック・ウープラン(1920-2020年)2007年、87歳頃
銅板に彫金する様子
『大切な想い人』
アーツ&クラフツ シルバー・カードケース

懐中時計&シャトレーン

英国王ジョージ4世(1762-1830年)
英国王ジョージ4世の戴冠式冠(英国王室御用達ランデル&ブリッジ社 1821年)
『ミラー・ダイヤモンド』
『アールヌーヴォーの奇跡』
ウェストミンスター寺院・主席司祭ジョン・アイルランド(1761-1842年)1821年、60歳頃
『愛しのマルカジット ピアス』
ダイアモンド・ダイアデム(ランデル、ブリッジ&ランデル 1820年)
ヴィクトリア女王(1819-1901年)1859年、40歳頃
ランデル&ブリッジの店舗(ロンドン 1826年)
シルバーギルトのタンカード(ランデル&ブリッジ社 1826年)
英国王ジョージ4世のために制作されたシルバー・アイスペール
『ネメシス』(アルブレヒト・デューラー 1502年)
『サムソンの髪を切るデリラ』(マスターE.S. 1460年)
『天使たちと復活したキリスト』(マスターE.S. 1460年頃)

SOLD

【参考】ヴィクトリアン・スタイルのゴールド・ピアス(1980年代)
【参考】ヴィクトリアン・スタイルのガーネット&オパール・ピアス(現代)
『EAGLE EYE』





『勿忘草をくわえる鳩』
『哲学の原理』(ルネ・デカルト 1644年)1685年版
獣脂ロウソク製造人の広告(ロンドン 1726年)
カトリックにおける贖宥状の販売
『オカルト哲学三書』五芒星に組み込まれた男(アグリッパ 1531-1533年)
イギリスの男女別の識字率の推移
画家ケイト・グーリナウェイ(1846-1900年)
エリザベス・フォン・アーニム著『4月生まれの赤ちゃんの曲集〜6ペンスの歌を歌おう』(挿絵:ケイト・グーリナウェイ 1900年)
ケイトの父で版画家ジョン・グーリナウェイ(19世紀)
コンサヴァトリーでのティー・パーティ(イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1881.8.20号)
画家ケイト・グーリナウェイ(1846-1900年)
シャルル・ペロー著『ダイヤモンドとヒキガエル』(挿絵:ケイト・グーリナウェイ 1871年)
サヴォイ・ホテルの大晦日のパーティのディナー・メニュー(1908年)
クリスマス・カード(作者不明)
ウィリアム・モリス(1834-1896年)23歳、1857年
ステンドグラス『アーサー王と騎士ランスロット』(モリスのデザイン 1862年)
モリスによる書籍の装飾
『ジャックと豆の木』(1922年の挿絵)
『Heaven's Ladder』
『モーガン・ル・フェイ』(フレデリック・サンズ 1863年)
『騎士ランスロットと王妃グネヴィア』(ジェームズ・アーチャー 1860年頃)
『モルガン・ル・フェイ』(ジョン・R・スペンサー・スタンホープ 1880年)
『アーサー王の死』魔導書でアーサー王の救命を探る魔女モーガン・ル・フェイ
(ジェームズ・アーチャー 1860年)
『楽園の乙女』
『白雪姫』(マリアンヌ・ストークス 1902年頃)
『眠れる森の美女』(エドワードF・ブリュートナル 1902年)
英国君主ヴィクトリア女王(1819-1901年)1859年、40歳頃
プリンス・オブ・ウェールズ時代のエドワード7世一家(1876年)アレクサンドラ妃は32歳頃
『イングランドの偉大さの秘訣』(トーマス・ジョネス・バーカー 1863年頃)
王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844-1925年)
アレクサンドラ妃と愛犬(1844−1925年)1863年、18歳頃
アレクサンドラ妃と犬たち
英国王妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844−1925年)1904年、60歳頃
スペイン女王イザベル2世(在位:1833-1868年)とフランシスコ・デ・アシス・デ・ボルボン王配
ヴィクトリア女王とアルバート王配(1861年)共に42歳頃
メアリー王妃の母・テック公妃メアリー・アデレード(1833-1897年)1860年、26歳頃





メアリー王妃の母・テック公妃メアリー・アデレード(1833-1897年)1885年、51歳頃
先祖のハノーファー選帝候妃ゾフィー・フォン・デア・プファルツに扮するメアリー・アデレード公妃(1833-1897年)1897年、66歳頃
オリジナルのラヴァーズ・ノット・ティアラを着用した王妃メアリー・オブ・テック(1867-1953年)
妹でロシア皇太子妃マリア・フョードロヴナ&29歳頃の英国王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1873年頃)
王太子妃メアリー・オブ・テック(1867-1953年)1901年、24歳頃
アレクサンドラ王太子妃(1844-1925年)1880年初期、30代後半
ノルウェー王妃モード(1869-1938年)1906年、37歳頃
(1826-1920年)1853年、27歳頃
(1837-1898年)1865年、28歳頃
(1844-1925年)1902年、57歳頃
娘ヴィクトリア王女とイギリス王太子妃アレクサンドラ(1880年代)
列強諸国による中国分割の風刺画(1898年)
ヴィクトリア女王(1819-1901年)1898年、79歳頃
公爵夫人 大山捨松(1860−1919年)1880年代?
イギリス王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマークとその家族(1880年)
王太子妃アレクサンドラとバスケットに入った2人の子供たち(1865-1867年)
馬に乗った王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844-1925年)1886-1888年、41-44歳頃
『牡馬のマーシャル』(1907年)英国王エドワード7世から妻アレクサンドラ王妃への動物園コレクション
『黄金の花畑を舞う蝶』
ヴィクトリア女王のオパール・ピアス(南オーストラリア美術館)
『Tweet Basket』
デンマーク王室14歳下の弟ヴァルデマー王子&イギリス王太子妃アレクサンドラ(1844-1925年)1874-1875年、30歳頃
ロシア皇太子妃マリア・フョードロヴナ&イギリス王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1875年頃)
桃源郷で義兄弟の契りをかわす張飛・劉備・関羽
サラ・ノーブル・アイヴス画 1912年頃
アン・アンデルセン画 1910-1930年頃
ハシバミの木に祈るシンデレラ(エレノア・アボット画 1920年)
靴が完璧にマッチしたシンデレラ(ジャン=アントワーヌ・ローラン画 1812年)
『シンデレラ』(エドワード・バーン=ジョーンズ画 1863年)
ケイト・アベルマン画 1913年
ウィリアム・ヘンリー・マージェットソン画 1904-1910年頃
『日本の屏風を眺める若い貴婦人たち』(ジェームズ・ティソ 1869-1870年)
『シンデレラ』(ハリー・クラーク画 1922年)
『鳩と戯れる女性』
『シンデレラ』(オットー・クベル画 1930年)
ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移
プレミア鉱山(1903年)
デビアス創業者セシル・ローズ(1853-1902年)1900年、47歳頃
初代ロスチャイルド男爵ナサニエル・ロスチャイルド(1840-1915年)
南アフリカ会議の戯画(1897年)
『コスモス』
『ハッピー・エンジェル』
『フランボワーズ』





フランスの娼婦の誘惑から逃げるイギリス貴族の若者
フランス皇帝ナポレオン3世(1808-1873年)1852年、44歳頃
イギリス王エドワード7世(1841-1910年)王太子時代
フランス皇帝ナポレオン3世と皇后ウジェニーの結婚式
フランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(1826-1920年) 1854年、28歳頃
フランスの舞台女優サラ・ベルナール(1844-1923年)1876年、32歳頃
アーサー・パゲット夫人(1897年)
サラ・ベルナール(1899年)
ランドルフ・チャーチル夫人:チャーチル元首相の母(1897年)
サラ・ベルナール(1900年)
『財宝の守り神』
ダイヤモンドの切削加工場(1710年頃)
ベル・エポックの時代に湧くボン・マルシェ(安い)百貨店(1887年)
1906年版『ボヌール・デ・ダム百貨店』の挿絵、p377(エミール・ゾラ著 1883年発行)
ベル・エポックの精神を表現したポスター(1894年)ジュール・シェレ
ルーブル百貨店(1877年)
ヘンリー・モース
ダイヤモンド・ソウ(1903年頃)



ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移
原石の『エクセルシア』
『The Beginning』
『雫の芸術』
『大都会』
ブリオレットカット

現代のダイヤモン・ドリング
マーセル・トルコフスキー(1899-1991年)
【参考】ヘリテイジでは扱わないレベルのアール・デコ後期の14Kボンブリング
【参考】ヘリテイジでは扱わないレベルのアールデコ後期のボンブリング
『麗しのマデイラ』
『幸せのメロディ』
『至高のレースワーク』
【参考】ダイヤモンド ブローチ
イエロー・ダイヤモンド・リング(ティファニー)
【参考】サファイア&ダイヤモンド・リング
『Shining White』
『MIRACLE』
『新月』
『スコットランドの騎士』
シッスル騎士団の正装をしたエリザベス女王(ニッキー・フィリップス作 2018年)


ヴィクトリア女王一家(1846年)ロイヤル・コレクション
ヴィクトリア女王のフリンジ・ダイヤモンド・ブローチ(R&S ガラード 1856年)




ハート&ペアシェイプ ローズカット・ダイヤモンド ネックレス
『魅惑のトライアングル』


石英の結晶(ブラジル産)
【参考】現代の天然ダイヤモンド
【参考】目立つ内包物があるダイヤモンドのルース

ダイヤモンド・ピアス(ティファニー 2023年)


『Bright things』


最も大きな9つのラフカットされたカリナン
宝石として仕上げられた9つのカリナン

【参考イメージ】ガラスの表面状態による見え方の違い
【参考】現代の通常のブリリアンカットのテーブル

【参考】以前に委託販売をお断りしたジャンクの問題箇所の拡大
【参考】修理で接着剤が使用されたジャンク品
第一級の職人の手作業の最高級カット
【参考】現代の機械の量産カット





『クラシック・ハート』
『美しき愛』
『楽園の乙女』
ヴェルサイユ宮殿(1668年)
カラーゴールド ペンダント
『豊穣のストライプ』
『エメラルド・グリーン』
宿り木 ブローチ&ペンダント
『生命の躍動』
アールヌーヴォー シードパール・ネックレス
『The Great Wave』
ルビー・リング
『ベルエポックの華』
ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(太陽王ルイ14世 建設:1684-1686年)
王妃の村里(ルイ16世妃マリー・アントワネット 造園:1783-1788年)
Genとアローのフォト日記『フレンチシンメトリー』
ロンドン万博を視察する文久遣欧使節団
王立農業会館(イズリントン 1861年)現在はビジネス・デザイン・センターが建設
『海賊島の女王様』(挿絵:ケイト・グーリナウェイ 1885年)
『5月祭』(ケイト・グリーナウェイ 1846-1901年)
『焚き火』(ケイト・グリーナウェイ 1892-1898年)
『サクランボ売り』(ケイト・グーリナウェイ 1890-1891年)
『お庭の椅子』(ケイト・グリーナウェイ 1892-1898年)
パーシー・ウィンダム閣下(1835-1911年)1880年
『ウィンダム姉妹』(ジョン・シンガー・サージェント 1899年)エルチョ夫人、アデイン夫人、テナント夫人
『マダムX(ゴートロー夫人)』(ジョン・シンガー・サージェント 1884年)
『カーネーション、リリー、リリー、リリーローズ』
ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925年)1906年、50歳頃の自画像
『ゴートロー夫人』(ギュスターヴ=クロード=エティエンヌ・クルトワ 1891年)
『ピエール・ゴートロー夫人』(アントニオ・デ・ラ・ガンダラ 1898年)
『自宅のポッツィ医師』(ジョン・シンガー・サージェント 1881年)
ゴートロー夫人ヴィルジニー・アメリー・アヴェーニョ・ゴートロー(1859-1915年)1878年、19歳頃
イギリス人女優オルガ・ネザソール(1866-1951年)1910-1915年頃、44-49歳頃
オルガ・ネザソール主演の『サッフォー』ポスター(ニューヨーク 1900年)
川上貞奴(1871-1946年)と音二郎(1864-1911年)夫妻
日本初の女優と呼ばれた川上貞奴(1871-1946年)1900年頃、29歳頃
馬に乗った王太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844-1925年)1886-1888年、41-44歳頃
長州藩士・初代 内閣総理大臣 伊藤博文(1841-1909年)1880年代、40代頃
ペルセポリスの宮殿の破壊を主導するタイス(ジョシュア・レイノルズ 1781年)
中央:貞奴、右:音二郎(1902年)
Genの明治生まれの祖母ウメ(今は無き米沢の実家にて)
6歳頃のGenと家族(左:父、右:継母)1953年
川上貞奴と音二郎(1903-1911年頃)
フランス人女優サラ・ベルナール(1844-1923年)1900年、56歳頃
ベルリン公演時の川上貞奴(1871-1946年)1901年、30歳頃
フランスの舞台女優サラ・ベルナール(1844-1923年)1864年、20歳頃
サラ・ベルナール(1844-1923年)1885年、41歳頃
貞奴(マックス・スレーフォークト 1901年)
貞奴と息子の雷吉(マックス・スレーフォークト 1901年)
『ミカド』ポスター、ヤムヤム、ピッティ・シング、ピープ・ボーの三姉妹(1885年)
イギリス人女優オルガ・ネザソール(1866-1951年)1910-1915年頃、44-49歳頃
ベルリン公演時の川上貞奴(1871-1946年)1901年、30歳頃
ハーパーズ・バザーの表紙に掲載されたマダム貞奴(1900年3月24日号)
劇場雑誌の表紙『娘道明寺の貞奴』(フランス 1900年)
アメリカ人ダンサー ロイ・フラー(1862-1928年)1889年、27歳頃
『フォリー・ベルジェールのロイ・フラー』のポスター(ジャン・ド・パレオローグ 1897年)35歳頃
アメリカ人ダンサー ロイ・フラー(1862-1928年)1896年、34歳頃
『ロイ・フラー』(コロマン・モーザー 1901年)
ヴィクトリア女王の次男アルフレッド王子(1844-1900年)24歳頃、1868年頃
ルーマニア王妃マリア(1875-1938年)イギリスのアルフレッド王子の長女
後のルーマニア王フェルディナンド1世と王妃マリア(1875-1938年)1893年、17歳頃
読書するローマ市民の少女(ポンペイ 60-79年頃)
読書するローマ市民の少女(古代ローマ 1世紀)
ロイ・フラー『百合の舞』のテーブル・ランプ(ラウル・ラルシュ 1901年頃)
チャールストンで有名な『黒いヴィーナス』ジョセフィン・ベイカー(1906-1975年)1927年、21歳頃
サーペンタインダンスを踊るロイ・フラー(1862-1928年)1902年、40歳頃
『世界旅行館』(パリ万博 1900年)右側に日本風の五重塔が見える
『芸者と武士』(パリのアテネ劇場 1901年8月下旬-11月8日)
林忠正(1853-1906年)1900年頃、47歳頃
林忠正のマスク(バルトロメ作 1892年)
有栖川宮威仁親王(1862-1913)
伊藤博文(1841-1909)
西園寺公望(1871-1880年)パリ留学時代
↑キモノ・サダヤッコの広告(オー・ミカド 1905年)
『ハムレット』オフィーリアを演じる貞奴(1903年)
ハートシェイプ・ムーンストーン ブローチ
『硬い愛の心』
『慈愛の心』
陰陽魚太極図
1370年代
1599年
1613年
原始の魂の分離(古代ギリシャ 紀元前4世紀)
西ローマ帝国で使用された図像(430年頃)
中国神話の女?と伏犠(唐 8世紀)
カドゥケウスの杖
アンドロギュノスの図像(1617年)
綺麗な対数螺旋のオウムガイ
黄金長方形と黄金螺旋
ウィルフリッド・スカウェン・ブラント(1840-1922年)20代
第15代バロネス・ウェントワース アン・ブラント(1837-1917年)1883年、46歳頃
海軍提督・初代ベレスフォード男爵チャールズ・ベレスフォード(1846-1919年)62歳頃、1908年
刺青を披露するベレスフォード男爵チャールズ・ベレスフォード(1846-1919年)
英国王ジョージ4世(1762-1830年)王太子の18-20歳頃、1780-1782年
最愛のマリア・フィッツハーバート(1756-1837年)32歳頃、1788年
英国王妃キャロライン・オブ・ブランズウィック(1768-1821年)30歳頃、1798年
第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃
レディ・キャロライン・ラム(1785-1828年)1813年、28歳頃
ヴィクトリア女王即位時の英国首相/第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム(1779-1848年)1805年、26歳頃
ヴィクトリア女王とアルバート王配が乗った馬車への狙撃事件(1840年)
神聖ローマ皇帝・ブルゴーニュ公・オーストリア大公マクシミリアン1世(1459-1519年)
【先妻】ブルゴーニュ女公マリー・ド・ブルゴーニュ(1457-1482年)
【後妻】ビアンカ・マリア・スフォルツァ公女(1472-1510年)1505-1510年頃、33-38歳頃
マクシミリアン大帝&マリー皇后の長女オーストリア大公女、ブルゴーニュ公女マルグリット・ドートリッシュ(1480-1530年)1518年頃、38歳頃
アルバート・ヴィクター王子(1864-1892年)
後のロシア皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ(1872-1918年)1890年、18歳頃
フランス王の末裔エレーヌ・ドルレアン(1871-1951年)1911年、40歳頃
次男ジョージ王子(後の英国王ジョージ5世)(1865-1936年)1893年、28歳頃
ヴィクトリア女王と親族たち(1877年)
アレクサンドラ妃&エドワード7世(在位:1901-1910年)1903年
ジョージ5世&メアリー妃(在位:1910-1936年)1914年
『フクシア』
ダイヤモンド ピアス


米沢箪笥の透かし金具を鑢で丹念に磨いて仕上げる工程
GFPパッケージ用のリードフレーム
『愛と尊敬の螺旋』
『エデンの園』

ケルトの渦巻き(トリスケリオン)(アイルランドのニューグレンジ 5千年前)
【参考】HERITAGEでは扱わないレベルのエドワーディアン・ブローチ
【参考】HERITAGEでは扱わないレベルの細工
【参考】HERITAGEではお取り扱いしないクラスのブローチ
【参考】アールデコ・ダイヤモンド・ブローチ(1930年代)


