No.00382 エデンの園

エデンの園のように色彩豊かな最高級ジャルディネッティ・リング

 

 

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

ジャルディネッティ(小さな庭)のリングの最高峰!!

 

 

4大宝石 4大宝石+イエロー・ダイヤモンド
4大宝石を使ったジャルディネッティのクラバットピン イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

ジョージアン最高品質の四大宝石+幻のイエロー・ダイヤモンド !♪

 

 

紳士のクラバットピン 貴婦人のリング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

19世紀後期にティファニー社がイエロー・ダイヤモンドの確立する以前のイエロー・ダイヤモンドは、認識すらされていなかった知られざる幻の宝石です。自身で価値を判断できる、孤高の貴族の特注品である証です!!♪

 

 

宝石と細工のコラボレーションによる傑作!!

ジャルデネッティ・リング アンティーク・ジュエリー イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

基本的に画像は、ジュエリーの撮影で一般的に使用されている強いライトを使用しています。左上のように室内灯くらいの光の強さだと、レモン・イエローくらいの色味に感じます。ガーネットのようにクローズド・セッティングの裏にゴールド箔を敷くことで色彩を強調し、強い光の元で鮮やかなイエローを実現しています♪

オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド

人の手による支援はあれど、宝石自身の随一のポテンシャルあってこそです。小さくても十分な色彩を呈し、しかもインクリュージョンが極めて少ない上質さがあるからこそ、これらの創意工夫が効果的に威力を発揮します。19世紀初期のジャルディネッティ・リングは、ガラスと鉄でできた温室コンサヴァトリーの社交で使用する贅沢なジュエリーです。日中だと、明るい太陽光の元での使用が想定されます。そのような社交シーンで、まさにこの美しい色彩が効果的に浮かび上がったはずです♪

オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド

厚みのあるカットで、ジョージアンの最高級品の中でも滅多に見ないほど極上の磨き仕上げとなっているため、豊かな煌めきは溜め息が出るほど見事です。イエローの色彩とダイナミックなシンチレーションは、まさにこの宝物ならではの見どころです♪

 

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

拡大しても普通は気づかないような、神技の透かし細工!!!
彫金による細部までの豊かな表現!!♪
さりげなさから伝わる、気づいてもらえずとも自分が満足できれば十分という境地♪

 

 

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

影になってほぼ見えない、奥の茎までの超絶技巧の細工!!
他者への自慢ではなく完全に自己満足のための細工であり、孤高の美意識を持つジョージアン貴族らしさを感じる逸品です♪

ジョージアンの最高級ジャルディネッティ・リングのクッションシェイプ・ダイヤモンド イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

 

 

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

豪華な宝石使いに加えて面積もあるベゼルですが、神技の透かし細工を駆使したデザインなので軽やかで威圧感がありません。ショルダーもベゼルのデザインに沿った優美な透かし装飾です♪

 

 

秘密の叡智がデザインされた貴族の特別な宝物

最高級ジャルディネッティ・リングのサイドのスパイラルと透かし細工 イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング 最高級ジャルディネッティ・リングのサイドのスパイラルと透かし細工

一般人にとっては余談ですが、左右のショルダーにデザインされたスパイラルは、上と下で向きが逆となっています。世の中の大半を占める"知らざる人々"はスルーする一方で、古代から特別な人々にだけ継承されてきた『秘密の叡智』を知る者にとっては、一番グッとくるポイントだと思います。

陰陽魚太極図のバリエーション・デザイン

 "Armigeri defensores seniores shield pattern" ©Fanfwah/Adapted/CC BY-SA 3.0
ピンクトルマリン&ペリドット&天然真珠の渦の透かしペンダント アールデコの躍動感あふれるダイヤモンド・ネックレス

逆回転を組み合わせた陰陽のスパイラルは最重要の基本概念なので、さりげなくデザインされた宝物を以前にもご紹介しています。カネと無意味な肩書きしか持たない成金ではなく、特別な身分の人々の持ち物だった証です。高貴な人々にとって、何が最も価値があるとされて来たか感じていただけるでしょう・・。

 

 

最高級ジャルディネッティ・リングのサイド イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

左画像で、ショルダーのスパイラルの向きが違うことが分かります。その上部となる、ショルダーの透かし細工のフレームのサイドに溝が彫金されています。正面からは見えない部分であり、このような部分にまで美意識が行き届いた至高の宝物です!!♪

 

 

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

『エデンの園』
色とりどりの宝石のジャルディネッティ・リング

イギリス 1820年頃
ルビー、サファイア、エメラルド、イエロー・ダイヤモンド、ステップカット・ダイヤモンド、クッションシェイプ・ダイヤモンド、18ctゴールド、シルバー
ベゼル:1.7×1.5cm
サイズ:12号強
重量:3.0g
¥3,690,000-(税込10%)

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

 高位貴族の間で南国の植物の育成競争が熱を帯び、その成果によって庭師が叙爵したりなど、世間的にも大きな話題となった時代ならではのジャルディネッティのリングです。暗くて機能性しかなかった温室が、技術革新によってコンサヴァトリーという透明なガラス建築に生まれ変わり、開放的で冬でも暖かいラグジュアリーな社交場として機能するようになりました。高緯度ヨーロッパで南国の花々が咲き乱れ、珍しい果実が結実する、まさに地上の楽園を具現化したようなコンサヴァトリーで使用するために生み出された宝物です。
 インパクトのある強い色彩が特徴である南国の花々を表現するため、最上質の4大宝石を使用しています。ルビとサファイアは、当時イギリスがナポレオン戦争を背景に手に入れたばかりのセイロン(スリランカ)産とみられ、時代を反映するアンティークジュエリーならではの魅力があります。
 そこにプラスしてイエロー・ダイヤモンドが影の主役的にデザインされているのが最高です!19世紀後期に創業者時代のティファニー社が黄ばんだ石と差別化するまでは、価値を認識されて来なかった宝石です。だからそれ以前のイエロー・ダイヤモンドのジュエリーは過去49年間で他に見たことがなく、独自に価値を見出すことができた、確固たる美意識と自身の物差しを持つ高位貴族が特注した奇跡のリングと言えます。政治経済、学術、文化など時代背景にも最高に面白い、至高のジャルディネッティ・リングです!♪

 

 

この宝物のポイント

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
  1. 社交界の贅沢さ漂うジャルディネッティ・リング
    1. 莫大なお金をかけた贅沢の象徴たるコンサバトリー
    2. 南国の花々や果樹が実る最高に贅沢な異空間
    3. コンサバトリーの社交に必須の高度な教養とセンス
  2. ジョージアンのイエロー・ダイヤモンドの特殊性
    1. イエロー・ダイヤモンドを使った奇跡的な宝物
    2. 宝石への最上位の尊敬を感じるセッティング
    3. 他のイエロー系の宝石では出せない魅力
  3. 色とりどりの宝石を使った際立つリング
    1. 美しいデザインが困難な多色使いのリング
    2. イエロー・ダイヤモンドの特別な存在感
    3. エデンの園を想わせる宝石の花々の表現
  4. ジョージアンの最高級品ならではの作り
    1. 各宝石への尊敬を感じる宝石ごとのデザイン
    2. ナイフエッジも駆使した軽やかな透かしの美
    3. 見えない細部に至るまでの彫金デザイン
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

 

 

1. 社交界の贅沢さ漂うジャルディネッティ・リング

 現代でも多くの女性にとって、結婚は人生で一度の特別なタイミングです。普段ジュエリーを着けなくても、結婚式は挙げなかったとしても、婚約や結婚に合わせて愛の証であるリングだけは手に入れる人も多いでしょう。

エンゲージ&マリッジ系リング
ダブルハート トワエモア エタニティ
ダブルハート リング(エンゲージメント・リング) アンティーク・ジュエリー『愛の誓い』
ダブルハート リング
イギリス 1870年頃
SOLD
天然真珠&ダイヤモンドのトワエモア『貴方と私』のアンティークの婚約指輪『Toi et Moi』
トワエモア リング
フランス or イギリス 1910年頃
SOLD
1803年に作られた厚いオールドマインカット・ダイヤモンドがゴージャスなアンティークのエタニティリングエタニティ・リング
イギリス 1803年
SOLD

古のヨーロッパ王侯貴族にとって、家を守るという意味でも結婚の重要度は、現代の庶民と比較にならぬほど重要でした。だから、結婚にまつわるリングは様々なスタイルが存在します。

飽きが来ない定番リング
取り巻き 一文字 クラスター
サファイア リング アンティークジュエリー『煌めきの青』
サファイア リング
イギリス 1880〜1900年頃
SOLD
粒金が見事なヴィクトリアンのアメジスト一文字リング『La Dame pourpre』
アメジスト 一文字リング
イギリス 1840〜1850年頃
¥950,000-(税込10%)
ジョージアンの天然ルビー&ペルシャ産トルコ石&天然真珠リング『永遠に咲く花』
クラスター・リング
リージェンシー 1811〜1820年頃
SOLD

また飽きが来ず、様々なコーディネートに合わせやすく、年をとってからも長く愛用できる定番デザインも様々なスタイルが存在します。流行は陳腐化して廃れていきますが、普遍化した定番デザインは時代を超越した魅力があります。だから様々な時代で作られていますし、受け継いだ後にリメイクの必要もないため、残りやすい傾向にもあります。受け継いだ人の好みに合わなかったり、デザインが古臭くなっていると、宝石を取り外してリメイクするのは、宝石に稀少価値があった時代の常でした。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

このリングは『ジャルディネッティ』というカテゴリーです。結婚や定番以外で、1つのスタイルとして存在するリングはそう多くありません。

社交界で大流行した証であり、さらに約200年もオリジナルで保たれているのは、時代を超越した魅力が備わっているからこそです!♪

1-1. 莫大なお金をかけた贅沢の象徴たるコンサバトリー

1-1-1. 憧れの稀少で高価な『舶来品』

 全世界規模の輸送網が整備された現代では、海外からの物品は身近で必需品とも言える存在です。高付加価値もありません。生鮮食品など生ものですら、大半は気軽に手に入ります。しかし少し前までは『舶来品』として、手に入れるのが難しく、高価で憧れの存在でした。

 フルーツもそうです。Genの2歳下、1949年生まれのプロボクサー、ガッツ石松氏のバナナ好きの話は有名ですね。幼少期に高級品だったバナナへの憧れが強く、初ファイトマネーとして手に入った3,300円のうち1,300円でバナナを買い、世界チャンピオンになれた要因と語るほどです。

台湾のバナナ
"2010 07 130 6518 Chenggong Township, Taiwan, Bananai" ©Lord Koxinga(16 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

日本の店頭にバナナが始めて登場したのは1902(明治35)年で、台湾からのものでした。航行船の『西京丸』と『台中丸』の船員が数キロのバナナを神戸港の浜藤商店にたびたび持ち込み、販売されたのが始まりです。

台湾総督府に行啓した摂政宮(後の昭和天皇)を歓迎する儀仗騎兵隊(1923/大正12年)

美味しいバナナは日本人に受け入れられ、輸入量は増えていきました。日本統治時代(1895-1945年)の台湾総督府は新しい特産物としてバナナを奨励し、1924(大正13)年には半官半民の『台湾青果株式会社』を設立しました。1937(昭和12)年には台湾バナナの出荷がピークを迎えましたが、第二次世界大戦により出荷量は激減しました。

連合国軍最高司令官総司令部GHQが入った第一生命館(1950年頃)

戦後、まずはGHQ向けに台湾バナナが輸入再開されました。しかしGHQにより不急不用品として、日本人向けには輸入制限を課しました。特権階級者が、自分たちだけ食べたくなるほどの贅沢フルーツだったわけですね。

ちなみに台湾はバナナの商業生産地としては北限です。一般に馴染み深いフィリピンのバナナは8ヶ月で収穫できるのに対し、台湾では収穫までに12ヶ月から13ヶ月もかかるものもあり、じっくり成長する分、味や香りが濃く美味しいとされます。現代でもフィリピン産と比べて3倍程度の価格で販売されている高級バナナです。

safaritravelplusバナナ

GHQも食べたくなるほど美味しい台湾バナナは、当然ながら日本人にも高い需要がありました。輸入制限によって稀少価値が高くなり、価格は4〜5本の房でサラリーマンの平均給与の2.5%程度(平均月収30万円ならば7,500円)だったそうです。一般的なサラリーマンがランチや飲み会で出すより高いですね。まさしく憧れの高級フルーツです。

鉄道王ら資本家たちを運ぶ労働者(雑誌パック 1883.2.7号掲載の風刺画)

経済学に於いて、『ヴェブレン財』という言葉があります。顕示的消費を地位獲得のための手段(隣人に負けまいとする真理)として初めて特定され、アメリカの経済学者ソースティン・ヴェブレンの1899年の著書『有閑階級の理論』で論じられました。まさに「拝金主義に染まった成金趣味の時代」とされる金めっき時代のアメリカの、新興成金層の研究成果ですね(笑)

これは本当にお金を持っている人に限らず、一般人にも団栗の背比べレベルで存在する傾向です。一般的な消耗品は「良いものをお安く!」、「お得!」などとにかく低価格なことが正義と洗脳されている一方で、ある種の自己顕示のための製品に関しては、実際の価値と関係なく高いほど良いものと思い込む傾向が人にはあります。同じ素材と工場で作った同等品質の製品でも、ブランドで箔付けして高価に設定するほどなぜか売れるという商品が実際に存在します。経済学は心理学と密接に関連しており、表面的に流される人は上手く転がされているわけです。

ダグラス・マッカーサー(1880-1964年)1918年、第一次世界大戦中のフランス、レインボー師団司令部

GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーはアメリカ人ですが、マッカーサー家は元々はスコットランド貴族の名門家系でした。ハイランド地方最大の氏族の1つであるキャンベル家の流れを汲みます。

1828年に少年だった祖父アーサー・マッカーサー・シニアが家族に連れられて移民し、アメリカ国民になりました。

マッカーサーはフリーメイソンとして知られ、高位だったとも言われます。アメリカのスコティッシュ・ライトはこのスコットランドからの特殊な移民が由来ともされ、ご興味ある方は点を集めつなげて俯瞰してみると面白いものが見えてくると思います。

パイナップルを興じる西太平洋方面軍司令官マッカーサー、第32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト、太平洋方面軍司令官チェスター・ニミッツ(1944年)

これは第32代アメリカ合衆国大統領ルーズベルト(任期:1933-1945年)と、マッカーサーら軍司令官の会食の様子です。このような上流階級や支配層に位置する人々の公開写真は、肖像画と同様、共に写すものや構図も入念に計算されています。秘密のメッセージを込めることもあれば、大衆に与える印象を操作するためのものもあります。1人1つずつパイナップルを贅沢に食すのは贅沢と権力の証であり、遠い南国の地の支配権や勝者側であることを印象付けるものでもあります。この時代の南国の果物は、そのような特別な地位にあったのです。

アメリカ大使館でのマッカーサー連合国運最高司令官と昭和天皇(1945年9月27日)

マッカーサーは優れた体躯に加え、セルフ・プロデュースにも秀でており、勇猛さと伊達男ぶりはアメリカ全軍で知られ高い人気がありました。

そのような強いアメリカ人様、 GHQ様が所望されお召し上がりになる南国の高級果物・・。

京の料亭『美濃吉』竹茂楼(京都市左京区 2010年)
"美濃吉5027" ©mariemon(18 May 2010)/Adapted/CC BY 3.0

戦後の日本人の羨望の的となった台湾バナナは、高い消費需要によってさらに値上がりしました。特に上質な台湾バナナは料亭や高級ホテルに買い占められ、庶民が上質な台湾バナナを購入できるのはお見舞いなどの際にほぼ限られたそうです。接待の場ならば「こんなに高いバナナをお出ししています!」ということが高付加価値となり、「こんなに高いバナナを食べた!♪」ということが、接待された側の虚栄心や承認欲求を満たすわけです。味そのもの以上に、高価ということが価値となるわけです。

ガッツ石松氏が生きてきた時代を想像すると、本当に時代ごとに環境や価値観がガラリと変わるものだと感じます。今ではとても手軽に手に入ります。1963年にバナナ輸入が自由化され、フィリピン産バナナなどが入ってくるようになり、安価な普及品となっていきました。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

時代背景を知り、時代ごとに想像しないと、物事を見誤ってしまいます。

現代の常識、日本人の常識で、ヨーロッパの古の王侯貴族がオーダーしたアンティークジュエリーを計ろうとする人がいます。それがいかに頓珍漢な結果を招き得るか、同じ日本の少し前と今を比較するだけでも想像できます。

1-1-2. 富と権力の象徴たる『舶来品』

 古のヨーロッパの王侯貴族にとっても、舶来品は稀少価値の高い憧れの存在でした。現代のように交通手段が発達していかなった時代は、輸送コストもとんでもないものでした。高度経済成長やバブル期の庶民の小金持ちが手に入れられるようなレベルではなく、まさしく高位貴族の富と権力の象徴でした。

ジェノヴァ港に停泊する17世紀のガレオン船レプリカ『ネプチューン』(現代)
 "Pirates, Roman Polanski, boat Genova 2" ©Kayac1971(31 January 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0

世界最初の実用的な蒸気船が造られたのは1783年です。それ以前の大型船舶は帆船でした。航行は風と潮次第、時間も労力も桁違いです。時間がかかる分だけ船員の食費、人件費などがかかりますし、航海は命懸けです。行って帰って来るのが当たり前という現代の感覚では想像しにくいかもしれません。怪我をしたり、病になってもすぐには帰れません。嵐だけでなく、海賊も活発な時代でした。

カトリック両王 アラゴン王フェルナンド2世(1452-1516年)とカスティーリャ女王イザベル1世(1451-1504年)

人の命さえかかった古い時代の舶来品は、まさに王族クラスのみが手に入れられるものでした。

大航海時代、1493年にコロンブスが2回目の航海で持ち帰ったパイナップルは、金塊や珍しい南国の樹木、オウムなどの動物と共にカトリック両王に献上されました。

口にした王は、他にない独特の甘酸っぱさと美味しさに驚き賞賛しました。それ以上に、遙かなる地の果実を口にすることは特別な喜びがありました。王にとってその地の果実を口にするということは、その地を我が領土としたことと同じでした。

グアドループ島の位置

コロンブスらがパイナップルに巡り会ったのは、西インド諸島のグアドループ島です。先住民たちにとってもパイナップルは貴重な果物で、『贅沢品』や『至高の果物』という意味の名前で崇めていたと伝えられます。珍しい上に立派なビジュアル、そしてあの香りと味わいは『王の果実』に相応しい威厳に満ちています。カトリック両王のこの時の出逢いによって、パイナップルは『王の果実』として国王の富と権力の象徴となったのです。

パイナップル缶詰工場で働く女性(ハワイ 1928年)

現代でこそありふれたフルーツとなったパイナップルですが、栽培が盛んになったのは缶詰の製造が行われるようになった19世紀末から20世紀初頭以降です。加熱と大量の砂糖で風味は変化しますが、長持ちするようになり、大量生産と消費が可能となりました。

パイナップル店(ナイジェリア 2025年)
"A pineapple seller" ©QueenSaysay(20 March 2025)/Adapted/CC BY 4.0

現代は船便も昔より遥かに早いですし、定温コンテナを使うこともできます。よほど気を遣うならば航空便も選択肢です。しかし当時は遠い南国で船に積み、大海原を横断して長い時間をかけて持ち帰るしかありませんでした。カリブ海からの旅路は容易でなく、さらにパイナップルの積み荷は暑さや湿気で腐ってしまうことが多く、完璧な状態で持ち帰ることはほぼ不可能とさえ言われました。 これによりさらに値段が跳ね上がることになり、益々ヨーロッパ上流階級の羨望の的となったのです。

パイナップルを興じる西太平洋方面軍司令官マッカーサー、第32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト、太平洋方面軍司令官チェスター・ニミッツ(1944年)

新鮮なパイナップルは、缶詰とはまるで美味しさが違います。缶詰の切り身しか知らない人は、パイナップルがどう実るのかすら知らないでしょう。現地に行くか、取り寄せる財力と権力がなければ味わえないものでした。このようなナマモノは後世までそのままの形で残ることはありません。しかし、持ち運びに耐えやすい物以上に王侯貴族を虜にし、手に入れるための莫大な投資対象となり得たのです。

1-1-3. 憧れの南国フルーツと温室技術の発展

 所領の統治者たる王侯貴族が長く留守にすることはできませんし、旅は時間がかかる上に危険、かつ大変な不便も伴う時代でした。しかも、何度も気軽に現地に訪れるというのは現実的ではありません。そこで発展したのが、寒いヨーロッパでパイナップルを栽培する技術でした。

『王の菜園』(ピエール・アヴェリン 1700年頃)

以前ご紹介した通り、ヴェルサイユ宮殿は官僚王とも呼ばれるフランス王ルイ14世が、足繁く通って創り上げた作品です。隅々までルイ14世の好みや教養、センスが行き渡っています。宮廷の食事を、至高の地産地消で賄うための『王の菜園』も特徴的です。人工池ピエス・ドー・デ・スイスから菜園を行き来しやすいよう、豪勢な『王のゲート』を設け、宮殿のオランジェリーの階段を降りて専用ゲートから菜園に入り、果樹に触れて様子などをチェックしていたそうです。

ルイ14世の食卓のための『王の菜園』(ヴェルサイユ 1683年開園)
"Potager du Roi" ©Paris Histoire(5 October 2013, 16:34:03)/Adapted/CC BY-SA 3.0

王様自身が、自分が食べるものを見てよく知っていました。お抱えの第一級の庭師・農学者に、様々な要求や指示も出します。専門家と同等な議論をしたり、アイデアを出せるのは相応の知識や知性あってこそです。こうして切磋琢磨しながら新しい流行や文化、技術が生まれました。出されたものを値段やブランド、見てくれだけで判断し、ただ大物ぶって食べるだけの成金がいかに創造性皆無でつまらぬ存在か分かりますね。何かを良くしようとする意識も責任感も微塵もない、快楽だけを得ようとするただの消費者です。教養や知性のないただのセレブは、古の王侯貴族とは全く異なる存在なのです。

ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(建設1684-1686年)
"Vue aérienne du domaine de Versailles par ToucanWings - Creative Commons By Sa 3.0 - 094 " ©ToucanWings(19 August 2013, 21:02:33)/Adapted/CC BY-SA 3.0

王の菜園では林檎、梨、桃、イチジクなどの果樹も栽培されました。この世界最大のオランジェリーでは、暖かい場所でしか育たない柑橘類やオリーブ、ザクロやヤシ、キョウチクトウなどが育てられました。特にオレンジの樹は3,000本もありました。外周が温室です。調理の必要がないフルーツは、その場でもいで食べられますね。

ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(建設1684-1686年)
"Versailles - panoramio - Patrick Nouhailler's... (197)" ©Patrick Nouhailler's...(1 May 2016)/Adapted/CC BY-SA 3.0

寒さに弱い樹々は、5月から10月にかけての暖かい時期は屋外に配置し、冬は大聖堂のような広い室内に収容しました。左奥の温室と木々の高さを比較すると、大聖堂という表現が大袈裟でないことが分かります。最も寒い時期は、庭師たちが火を燃やして直接室内を温めて凍結から守っていたそうです。

オランジェリーはルイ14世の絶対王権の象徴として、お金に糸目をつけず造られました。枯れ木ばかりだったり、結実しないようでは笑い者です。コストパフォーマンスを考えてギュウギュウに押し込んでも、「王様ミミっちい。」と笑われます。気合いと根性的な人力作業も凄いですし、燃料費もとんでもない額です。

太陽王ルイ14世(1638-1715年)の晩餐会

そのようなルイ14世のヴェルサイユ宮殿での饗宴で、特に重視されたのがデザートです。オーソドックスなフランス料理店だと、今でも食事は前菜のようなもの、デザートが主役という扱いだったりもしますね。

貴重な砂糖とフルーツを使ったお菓子は特別でした。その中でもやはりパイナップルは、最も稀少で費用のかさむ『富と権力の象徴』としてデザート・コースに組み込まれました。カットしてあしらうだけでなく、アイスクリームにしても提供され、まさに絶対君主に相応しい完璧なデザートとして振る舞われました。

フランス1の美男と言われたルイ15世(1710-1774年) 知性と美貌を兼ね備えた公妾ポンパドゥール夫人(1721-1764年)

そのようなパイナップルですが、フランスでの栽培は簡単ではありませんでした。ようやく成功した初パイナップルが献上されたのは次のルイ15世、1733年でした。ルイ15世とポンパドゥール夫人の出逢いにもパイナップルが絡んでいます。1745年の仮面舞踏会で2人は出逢うのですが、その時のルイ15世の仮装がパイナップルのモチーフだったそうです。顔が分からない仮面舞踏会ですが、顔が分からずとも『王のフルーツ』であるパイナップルが示すものは一人です。知性ある者は、すぐに王と気づくでしょう。

『源氏物語五十四帖 夕顔』(歌川広重 1797-1858年) 国立国会図書館

ルイ15世の治世下、フランスは最も洗練された世界一エレガントな憧れの国となったとされ、このヴェルサイユ宮廷時代はドナルド・キーン氏によって平安時代の美意識と比定されます。直接的な表現を意図的に避け、婉曲的な表現を好む傾向はまさにそうですね。知性やセンス、気品あるものが是とされ好まれ、そのような女性こそが知的な男性からもモテた時代です。

オブジェ ジャルディネッティ・リング
ロスチャイルド フランス 宝石のパイナップル ガーネット 翡翠 WADDESDON MANOR『宝石のパイナップル』(フランス 18世紀中期) ジャルデネッティ・リング アンティーク・ジュエリー『南国の風』
フランス 1800〜1820年頃
SOLD
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング今回の宝物
イギリス 1820年頃

ジャルディネッティはラテン語で『小さな庭』という意味がああり、遠方からの珍しい植物を植えた庭園や温室から発想を得て生み出されたのがジャルディネッティ・ジュエリーです。

異国の植物学という知的にワクワクする上流階級の気持ちも伝わってきますし、膨大な財力や知性、労力が投入された科学技術や文化を反映する、実に贅沢なジュエリーでもあるのです。想像すると楽しくなりますね♪

1-1-4. オランジェリーの問題点

 南国の気候を再現し、南国の植物を育てるための温室は機能性が第一であり、初期はその実現のために開発がなされました。

ハンベリー・ホールのオランジェリー(建設1750年頃)
"Hanbury Hall Orangery andMushroom House 2016" ©DeFacto(11 September 2016)/Adapted/CC BY-SA 4.0

オランジェリーは透明な板ガラスの発展と共に進化していきました。太陽の光を最大限に活用するために南向きで建設され、日光を取り込むための大きな窓を備えました。北側の壁は非常に重い厚い煉瓦だけで、窓なしで断熱設計され、熱が逃げないように保たれました。

パイナップルとフルーツバスケットの装飾(1750年頃)
"Hanbury Hall Orangery andMushroom House 2016" ©DeFacto(11 September 2016)/Adapted/CC BY-SA 4.0

パイナップルや南国のフルーツ・バスケットなどの装飾が象徴するように、内部では様々な南国の果樹が育てられ、それらは王侯貴族の饗宴で提供されました。ちなみにイギリスでも1675年にパイナップル栽培が可能となったとは言え、18世紀は1個のパイナップルが現在の貨幣価値にして£5,000(1£=209円、2026.2.14現在で換算すると約105万円)ほどの価値があったそうです。

ジョージ4世(1762-1830年) イギリス王ジョージ4世の戴冠式(1821年)

だからこそイギリス史上最も豪華だったとされる、放蕩王ジョージ4世の1821年の戴冠式では、富と権力と科学技術力の象徴としてパイナップルが晩餐会で饗されたことで知られます。先代ジョージ3世の戴冠式費用は約1万ポンドでしたが、ジョージ4世は約24万3千ポンド(現在の価値で£1,997万、1£=209円の2026.2.14現在のレート換算で約42億円)かかったとされます。

ジョージ4世時代のパイナップルの宝物
ジョージアン リガード パイナップル REGARD ロケット・ペンダント アクロスティックジュエリー アンティークジュエリー『REGARD』-パイナップル-
ジョージアン REGARD ロケット・ペンダント
イギリス 1820年頃
SOLD
ヨーロッパの「王の富と権力の象徴」だったパイナップル・モチーフのジョージアンのシトリンを使ったアンティーク・フォブシール王の富と権力の象徴『パイナップル』
リージェンシー スリーカラー・ゴールド フォブシール
イギリス 1820年頃
SOLD

そのようにパイナップルが至高の贅沢を象徴する時代だったからこそ塔や噴水の頂、トピアリーのモチーフ、家具の装飾や食器、テキスタイル、レース編みのモチーフ、果てはヘアスタイルのアレンジなど様々な所でデザインされました。ジャルディネッティ・ジュエリーだけでなく、このようなパイナップルの宝物が生み出されているのも時代を反映しているのです。

パイナップルを興じる西太平洋方面軍司令官マッカーサー、第32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト、太平洋方面軍司令官チェスター・ニミッツ(1944年)

さすがにこの時代は1つ105万円なんてことはないと思いますが、古い時代の王侯貴族の饗宴は1つ105万円の高級フルーツを食すような贅沢もやっていたというわけです。永遠にもつものではなく、食べたら終わりのものにです。全体では約42億円の戴冠式は仲間内や御用商人のみが儲かる仕組みだと嫌われそうですが、経済をパワフルに回す効果も計算されていたので、国民からは大いに歓迎されたそうです。王室財政は破産しかけた一方で、英国庶民は潤いました。

ダンモア伯爵のパイナップル温室(建設1761年)
第4代ダンモア伯爵ジョン・マレー(1730-1809年)

ちなみに温室の建物自体はお金がかかっていることは間違いありませんが、内部で社交する感じはありませんよね。

窓から日光が取り込めるとは言っても薄暗く、断熱のための厚い壁も圧迫感を感じそうです。

ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(1695年) 

ヴェルサイユ宮殿のオランジェリーも温室内部ではなく、開放感のある外を散歩し、果樹の景色を眺めながら社交を楽しむ感じです。

1-1-5. 『コンサバトリー』という魅力の強い社交場の発明

造園家ハンフリー・レプトン(1752-1818年)
"Portrait of Humphry Repton" ©Northmetpi at the English Wikipedia(10 January 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0

 いかにも暗そうなオランジェリーですが、実際、18世紀最後の偉大な造園家として有名なハンフリー・レプトンもオランジェリーがとても暗いことを問題視しました。

イギリス王ジョージ4世が非常に力を入れたブライトンの離宮ロイヤル・パヴィリオンの造園も担当した、王室御用達クラスの造園家です。

ダイラムパークの邸宅とオランジェリーの東正面(建設1692-1704年)
"Dyrham Park lower park" ©Rwendland(26 August 2007, 12:27)/Adapted/CC BY-SA 3.0

1692年から1704年にかけて建設されたバロック様式のカントリー・ハウス『ダイラム・パーク』に併設のオランジェリーは、屋根がスレート(粘板岩)製で光を通しませんでした。暗さを改善するため、レプトンは屋根をガラスに取り替えました。

ダイラムパークのオランジェリー(建設:1702年頃、屋根のリフォーム:1800年頃)
"Orangery at Dyrham House - geograph.org.uk - 933031" ©Sarah Charlesworth(25 July 2008)/Adapted/CC BY-SA 2.0

屋根をガラスにしたのは大正解でした。明るい温室は植物の生育を良くすることにとどまらず、魅力的な社交の場として機能できるようになりました。優れたものは皆が真似し、それが流行となり、普遍性を持っていれば廃れることなく定番化します。明るい温室は19世紀初期に一気に人気に火がつき、19世紀末までにはティー・パーティなど様々な社交用途に使われるようになりました。

シオンハウスの『グレート・コンサバトリー』(完成1827年)
"Syon House Conservatory, London" ©Penny Hamer(31 May 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

詳しくは以前ご紹介しましたが、これは1820年代にチャールズ・ファウラーが第3代ノーサンバーランド公爵ヒュー・パーシーの依頼で設計した、シオン・ハウスの『グレート・コンサバトリー』です。金属とガラスでできた最初の大規模建築物です。あまりのゴージャスぶりに、Genはこれが人が住む家かと思ったようです。1827年のデザインとは思えない雰囲気は、透明なグラス・アートならではと言えるでしょう。

結婚式などのパーティも開催されるグレート・コンサバトリー内部(完成 1827年)
"Syon House, Great Conservatory interior" ©AndyScott(2 Septeber 2018, 13:45:20)/Adapted/CC BY-SA 4.0

内部は広く高く、現代では庶民も借りて結婚式やパーティができます。

当時は社交界の人々だけで、優雅で贅沢な時間を過ごしたことでしょう。

透明なガラスは、開放的な気分を与えてくれます。その一方で、たとえ外は雨や雪でも南国のような暖かさを保ちます。

グレート・コンサバトリーの内部(完成1827年)
"syon house great conservatory" ©stu smith(July 19, 2014)/Adapted/CC BY-ND 2.0

アイスクリームは冬場の方が売れるそうです。外は寒い中、ぬくぬくとした室内で食べるアイスクリームは贅沢さを感じさせ、より美味しく気分も満たしてくれます。それを思えば、当時の王侯貴族がコンサバトリーでの社交をいかに好んだのかがご想像いただけるでしょう。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

ジャルディネッティ・ジュエリーは通常より流行期間が長いのですが、それは温室の進化によって、時代が降るごとにより一層、王侯貴族を魅了したことが理由です。

画期的な新発明である鉄とガラスの芸術建築、コンサバトリーの社交でこのような美しいリングを着けたら気分は最高ですよね♪

1-1-6. 大英帝国の産業革命を象徴する鉄とガラスの芸術

 イギリスはフランスと異なり、革命による貴族社会の途絶はありませんでした。また、ねずみ算式に貴族が増え、その一方で所領や財産が細分化されるフランス貴族と異なり、嫡子かつ長子一人に全てを相続させる方式のイギリス貴族はヨーロッパで別格扱いされるほど富と権力を保有していました。

ジョージ4世の戴冠式でレガリアのオーブを携えた第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1821年、31歳

公爵ともなれば王族も存在する高位貴族です。特に19世紀初期のジョージアンまでは爵位貴族の数も極めて限定されており、1830年代は350家しかありませんでした。

国民全体に対しての数と考えると、いかに少ないかがご想像いただけるでしょう。革命前のフランス貴族はカネで買える爵位を乱発しました。宮廷貴族だけで約4,000家もおり、1人1人の経済規模は当然少なくなります。

日本も江戸時代までは、大名が治める小国の集合体でした。『日本国の日本人』という意識の人は存在せず、「お国はどこですか?」と言えば米沢であったり、会津や薩摩であったりしました。そして長州人、水戸人という感じです。

実際、イギリスの公爵は県や大きな市レベルの広大な領地を所有していました。

それなりの資産を持っていたとしても、本人に稼ぐ能力なく切り崩す一方だと、倹約家(ケチ)になりがちです。しかし毎年莫大な収益がある場合、無制限とも言えるほどとんでもない額のお金を使うことができます。

文化貢献度の高いジョージアンの王侯貴族
プリンス・オブ・ウェールズ時代のジョージ4世(1762-1830年)18〜20歳頃、1780〜1782年 第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃

第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュは、湯水の如くお金を使い文化振興に貢献した放蕩王ジョージ4世の戴冠式でレガリアのオーブを携えた廷臣であり親友でもありました。父親が1811年に亡くなり、21歳で公爵位を継承しています。相続した約20万エーカー(809km2)の土地は、岡山市(789.96km2)や仙台市(786.30km2)より広いです。

デヴォンシャー公爵キャヴェンディッシュ家のカントリー・ハウス
『チャッツワース・ハウス』(18世紀後期)

相続した邸宅は8つあり、その中には大仮装舞踏会で有名なロンドンのタウンハウス『デヴォンシャー・ハウス』も含まれます。それ以外に『チャッツワース・ハウス』も有名で、特に広大な庭園が高く評価されています。ご興味がある方はぜひ調べてみてください。そのスケールは、現代の日本人には発想や想像が困難なレベルです。

私も父方の長崎の実家はかなり広大で、所有する5つの山も含めて全容は把握できないほどです。一部はゴルフ場にし、伯母がキャディとして出ていることもあるようです。ゴルフの経験がある方だと、田舎のゴルフ場の広さはご想像の通りです。一軒だけある隣家も500m以上は離れており、散歩しても身内以外に会わないどころか、視界にすら入らないまさに陸の孤島です。何だかそれを思い出させる景色です。祠のある岩清水の水場や小川、様々な果樹や山菜、畑、牛小屋、江戸時代以前からの代々の墓地まで全て揃い暮らしが完結しています。

こういう話は誰にもしていなかったので、現代の感覚と価値基準で自慢話をしてくる人たちが一定数いました。ことごとく発想とスケールが小さすぎて、最初は自慢話と気づきませんでした。価値観の齟齬に狼狽える経験が何度もありましたが、今の仕事に役立っているので、必要な環境と経験だったと至極納得しています。

造園家/建築家/政治家ジョセフ・パクストン卿(1803-1865年)

さて、チャッツワース・ハウスは歴代のデヴォンシャー公爵が庭園に力を入れていました。

第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュも園芸に強い関心があり、彼が造園家ジョセフ・パクストンを見出したことでチャッツワース・ハウスは大いなる変貌を遂げました。

パクストンは農夫の三男として生まれ、15歳から庭師として貴族たちの庭園管理に従事しながら修行していました。

1826年にデヴォンシャー公爵は、当時20代前半だったパクストンをチャッツワース・ハウスの主任庭師に任命しました。


チャッツワース・ハウスの『グレート・コンサバトリー』(1836-1841年建設)

パクストンは温室を複数建設しましたが、その中で最も有名なのが長さ69m、幅37mの温室『グレート・コンサバトリー』でした。中央付近に立っている人物と比較すると、その巨大さが分かります。当時、世界最大のガラス建築でした。とんでもなく巨大な上に、陸の孤島に建設されています。温室なので温める必要があり、11kmの鉄管を使用した8台のボイラーで加熱しました。費用は30,000ポンド以上かかっていたそうです。現代に換算すると5.2億ほどです。

維持費が高すぎて第一次世界大戦中は加熱されず、植物は枯れ、デヴォンシャー・ハウス同様1920年代には取り壊されてしまいました。貴族の贅沢の極みのようなものですね。但し、その贅沢の対象が知的なものというのが成金との明確な違いです。

建築家/造園家デシマス・バートン卿(1800-1881年)

グレート・コンサバトリーの設計はデヴォンシャー公爵の親友で御用達の建築家、デシマス・バートン卿が行いました。

上流階級に属し、王侯貴族からの信頼も厚かった19世紀を代表する建築家で造園家の一人です。

依頼する側とされる側が上下関係ではなく、尊敬と信頼に基づく親友関係というのが特徴です。良い仕事をしてもらうためにも、これはとても重要です。

称賛されることも多い日本人の気質ですが、商売人は別です。「お客様は神様です。」というのは体裁よくコロがすための言い回しにすぎず、実際には面従腹背で「お客様はカネ様です。」くらいにしか思っていません。セールス・トークのご機嫌取りのヨイショ話を鵜呑みにし、自分は大物で偉くて凄いと思い込み振る舞うと、腹の中で笑われます。嫌な関係です

ガラス製造業者ロバート・ルーカス・チャンス(1782-1865年)

さて、優れたアイデアと設計技術があっても、具現化できなければ無意味です。

世界最大のガラス建築を実現させたのは、イギリスのガラス製造技術あってこそでした。

当時、入手可能だった最大の板ガラスはロバート・ルーカス・チャンスが製造した製品で、長さは0.91mでした。

チャンスはグレート・コンサバトリーのために、さらに大きな1.2mの板ガラスを提供しました。

産業革命によって世界に先駆けて大量生産を実現したイギリスですが、人の手が全くかからないわけではありません。私も大量生産の大企業の研究員として、様々な分野の生産現場を知る機会がありました。知らないと「全て機械におかませ♪」みたいなものを想像しますが、同僚たちも同じように驚いて口にするのが、想像以上に職人の勘が頼りだったり、人の手がかかっているということです。

1880年代の円筒法による手吹き板ガラス製造
サイエンティフィック・アメリカン 1906年12月1日号

当時の大きな板ガラスも職人技で生産されていました。円筒型のガラスを手吹きで作り、縦に割ってオーブンに入れて展開し、平坦化する手法で制作されました。恐らく現代人には無理ですね。

移動や平坦化の作業でガラス表面に傷がつくため、表面研磨の工程が必要でした。1839年にチャンスのガラス製造会社チャンス・ブラザーズが、ガラス板を濡れた革の上に置いて研磨し、表面の傷を全て除去する方法で特許を取得しました。

『レッド・ハウス』の窓(エドワード・バーン=ジョーンズのデザイン 1860年頃)

これは職人の優れた手仕事にこだった金持ちボンボンのウィリアム・モリスが、お金をかけて理想を実現すべく創り上げた自宅兼工房『レッド・ハウス』の窓です。神楽坂にも、店主さんがこだわってアンティークのステンドグラスを装飾する、Genお気に入りの焼き鳥屋さんがあります。特に田舎は、意識して探せば古いガラスを使用している古いお家があると思います。現代の完全無欠で綺麗な、言い方を変えれば無個性で味のないガラスと違い、独特の味わいがあります。長く真剣に見ているとメラメラして、ちょっと気持ち悪くなることもあります(笑)


チャッツワース・ハウスの『グレート・コンサバトリー』(1836-1841年建設)

表面を整える量産技術は、機能性が重要な板ガラスの透明度と美観を高めるために重要です。これはイギリスの優れた板ガラス量産技術があってこそ実現したと言えます。ちなみに岩倉使節団も1872(明治5)年にチャッツワース・ハウスを訪れ、次の第7代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの歓待を受けています。このコンサバトリーも観ることができたわけですね。

岩倉使節団(1871年11月に横浜港を出港、1年10ヶ月に渡り欧米諸国を巡る)
左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通

英国王と近しい公爵家の歓待を受けた岩倉使節団ですが、岩倉具視も公家出身で、この外遊経験を元に日本の近代貴族となる華族の礎を作っています。新しくできた華族を取り纏める初代・華族会館長を務め、死後に『太政大臣』の官職を贈られています。律令制に於ける最高国家機関『太政官』の長官・最高職であり、定員1名の名誉職です。明治の太政官は天皇の役割を代行する政府首脳としての官職という扱いでした。

横浜港出航時はチョンマゲ姿の岩倉でしたが、欧州外遊に先行する約8ヶ月のアメリカ滞在中に髷を落としています。帰国後、それに倣い明治天皇も髷を落としたほどで、岩倉の立場の高さはご想像いただけると思います。ちなみに副使は岩倉の右にいる、後の初代・内閣総理大臣となる伊藤博文です。

薩長土肥の一角となる肥前国・佐賀藩
歴史学者・久米邦武(1839-1931年)佐賀藩士時代 肥前佐賀藩 第11代藩主・鍋島直大(1846-1921年)1870年以前

視察の詳細は、使節団書記官として同行した久米邦武が大書『特命全権大使 米欧回覧実記』(1878/明治11)年にまとめています。肥前国の佐賀藩士の三男として生まれ、明治維新を推進した薩長土肥の一翼です。16歳で佐賀藩校『弘道館』に入り、一歳年上の大隈重信と出会っています。成績は首席で、来訪した7歳年下の藩主・鍋島直大(なおひろ)に論語の御前講義も行っています。ちなみに佐賀藩最後の藩主・鍋島直大は、明治維新以前は江戸幕府第14代将軍・徳川家茂(いえもち)の偏諱(へんき)を冠し茂実(もちざね)を名乗っていました。

佐賀藩中興の祖・松平肥前守治茂/鍋島治茂(1745-1805年)

明治維新の討幕や外様大名のイメージから、将軍家とは程遠いように感じる方もいらっしゃると思います。

実際は関係が深く、佐賀藩中興の祖・鍋島治茂は肥前鹿島藩7代藩主時代は直煕(なおひろ)を名乗っていましたが、佐賀藩8代藩主となってからは第10代将軍・徳川家治から偏諱を授与され、大名当主名『松平肥前守治茂』を名乗っていました。

関係が深い鍋島家と徳川将軍家
江戸幕府 第11代将軍・徳川家斉(1773-1841年) 肥前佐賀藩 第10代藩主・鍋島直正(1815-1871年)1859/安政6年、44歳頃

そこから代々将軍家から松平姓を賜っており、直大の父で第10代藩主・鍋島直正も第11代将軍・徳川家斉から松平姓を与えられています。正室は家斉の十八女・国子(盛姫)、継室は家斉の異母兄弟に当たる田安家・徳川斉匡(なりまさ)の十九女・建子(筆姫)を迎えています。血縁的にも特別な関係が伺えます。

右の写真は1859(安政6)年に川崎道民が撮影したもので、日本人が撮影した写真としては1857(安政4)年に市来四郎らが撮影した島津藩第11代藩主・島津斉彬のダゲレオタイプ写真に次いで2番目に古いとされます。ヨーロッパでダゲレオタイプが普及し始めたのが1840年代で、撮影そのものも相当高価だったとされます。有名な佐賀藩のアームストロング砲も、直正の命でイギリスから輸入し導入しています。さすがと言う感じですね。

岩倉使節団(1871-1872年)
特命全権大使・岩倉具視(1825-1883年) 歴史学者・久米邦武(1839-1931年)岩倉使節団随行時、1871年、32歳頃

その佐賀藩のエリート久米邦武は25歳で藩命により江戸に出向し、翌年の帰藩後は弘道館で教鞭をとった他、家督を譲っていた前藩主・鍋島直正の近侍も務めています。1868年、31歳から明治維新確立後に府藩県三治制に伴い藩政改革案の立案も行っています。廃藩置県後は鍋島家に仕え、太政官政府(明治政府)に出仕しました。こうして1871(明治4)年、特命全権大使・岩倉使節団の一員として欧米を視察することとなりました。

日本を代表する選ばれし上流階級兼エリートたちだからこそ相応しい歓待を受け、帰国後も実績を遺せたわけです。デヴォンシャー公爵の案内でチャッツワースの各部屋、図書室、ビリヤード・ホール、チャペルなどを見て周り、酒造とキッチンを見学した後、一行はダイニングルームで公爵一家とランチを共にしました。会食後はバスルーム、庭園、温室も見学しました。羨ましいです。


『特命全権大使 米欧回覧実記』(久米邦武 1878/明治11年)

その驚きや賞賛などの見聞録は、帰国後に太政官の吏員となって著した『特命全権大使 米欧回覧実記』として纏められました。全100巻の大作です。政治、経済、産業、技術、軍事、教育、文化、社会、風俗など幅広いジャンルを網羅する、明治初期に於ける西洋文明見聞録の一級資料とされます。19世紀の世界情勢を詳細に伝える百科事典とも称されるほどです。これにより明治政府から500円という多額の報奨金を受け、この資金で目黒に広大な土地を購入し、実子。桂一郎をフランス留学させたりしています。実績をあげても給料が変わらないやりがい搾取の現代サラリーマンと違い、これはやりがいもありますね。

歴史学者・久米邦武(1839-1931年)

武士階級自体が割と珍しいですが、上級武士と下級武士でもかなりの違いがあります。

久米邦武の父・国郷も非常に優秀でした。広範囲に渡る知見を持った幹部藩士で、最終的には藩主の側近である御側頭として仕えたほどの人物でした。

父・邦郷と藩主・鍋島直正からジェネラリストとして柔軟な目で物事を見るリアリストの才能を鍛えられ、その優秀さを岩倉が佐賀藩主・直正から聞いており、実際に有能さを見出したからこそ岩倉は久米邦武を側近として報告係に選んだ経緯があります。

岩倉は維新後、息子3人の教育を佐賀藩に託すほど親密な関係を持っています。これも興味深いですね。

移設後のクリスタルパレスの全景(ロンドン南郊シデナムの丘 1930年代半ば)

ちなみに岩倉使節団はクリスタルパレス(水晶宮)も視察しています。記念すべき最初の万国博覧会となった1851年の第1回ロンドン万博を象徴する目玉として建設されました。クリスタルパレスはチャッツワース・ハウスのグレート・コンサバトリーの実績を元に、ジョセフ・パクストンらが建設しました。

移設後のクリスタルパレス(ロンドン南郊シデナムの丘 1854年)

チャッツワースハウスのグレート・コンサバトリーにもヴィクトリア女王は訪れており、中央に設計されていた車道を女王が通過した際は1万2千もの照明でライトアップされた豪華絢爛ぶりでした。『パクス・ブリタニカ』を迎えた大英帝国最盛期、公爵家より遥かに壮大なものにする必要があり、世界に向けて威信を顕示すべく総力をあげてこの巨大建築を具現化したわけです。往来の人や他の物と比較すると、とんでもない大きさとお分かりいただけるでしょう。

第1回万博開幕をクリスタル・パレス内で宣言するヴィクトリア女王(1851年)

背の高い樹木も余裕で収まります。来場者はまず巨大な外観に圧倒され、圧迫感を感じぬ内部の広大さに度肝を抜かれます。ここで大英帝国の君主ヴィクトリア女王が、記念すべき世界初の万国博覧会の開会を宣言しました。世界最先端のテクノロジーや流行・文化の発信地が万博です。建物そのものもタダのハコではなく、他国に先駆けて産業革命を達成し、技術先進大国と世界の工場として大英帝国の栄華を象徴する作品でした。

クリスタルパレスの功労者
第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃 造園家/建築家/政治家ジョセフ・パクストン卿(1803-1865年) 建築家/造園家デシマス・バートン卿(1800-1881年) ガラス製造業者ロバート・ルーカス・チャンス(1782-1865年)

庶民の耳目を集めるのは分かりやすくて目立つ君主ですが、社交界では誰が何を得意で、どのような功績を挙げたかなども具体的に分かり合っています。デヴォンシャー公爵の莫大な財力と共に好みやアイデア、人の才能を見出して活用する才能がなければクリスタルパレスも具現化しませんでした。

デヴォンシャー公爵はジョセフ・パクストンの庭師にとどまらぬ能力を高く評価し、段階的に業務の責任範囲を広げ、庭園関係のほか森林や道路の維持運営から財産管理、土地経営に関することもあで委任しました。営業や経営の麺の業務まで手広くこなし、ミッドランド鉄道会社の取締役など鉄道経営にまで参画しています。

第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃

農夫の三男として生を受けたパクストンでした。才能があっても適材適所がなければ発揮はできませんし、リスクも含めて信じて経験させなければ、才能を磨くこともできません。

ただカネを出すだけというのは、無能な成金がやることです。才能を見出し、必要な経験を積ませたりコネクションを作らせて、才能を最大限に発揮できる環境を作るのが本来のパトロンの在り方です。

それができるのは王侯貴族の中でも本当に特別な才能がある者だけです。だからこそ特別視されます。そして彼らは、自ら発掘して育てた人たちが高く評価されることに喜びを見出してきました。

自身が目立つのではなく、まさに縁の下の力持ちで満足する存在です。生まれながらにしてそれができる立場に生を授かったからこそ、そうするだけです。財力や権力はその家に持って生まれただけであり、ある意味で自身の才能ではないという自覚があるからこそ、それは自慢の理由になりません。持つ者の責任、まさにそれがノブレス・オブリージュなのです。

造園家/建築家/政治家ジョセフ・パクストン卿(1803-1865年)

第1回ロンドン万博(1851年)は大きな黒字で大成功を収め、パクストンはクリスタルパレスの功績によってヴィクトリア女王からナイトの称号を授かりました。

1854年からは自由党議員として国会に進出し、1865年に亡くなるまで務め上げました。

1858年まではチャッツワース・ハウスの主任庭師としても働きつつ、鉄道会社の取締役など外部の仕事もしました。公共施設である公園、ヴィクトリア女王のお抱え歯科医の庭園の設計、ヴィクトリア朝に建てられた最も偉大なカントリー・ハウスの1つとされるマイヤー・アムシェル・ド・ロスチャイルド男爵の『メントモア・タワーズ』の設計を依頼されるなど、幅広く活躍しました。


チャッツワース・ハウスのオランジェリー前

デヴォンシャー公爵の投資は莫大なものでしたが、蒔いた種が結実して大きくなり、多くの人々の幸せに結びついて投資した以上の成果が十分に得られたと見ることができます。英国貴族の深淵と凄さであり、それが偉大なる大英帝国の繁栄と科学技術と文化の根底に存在してきました。それを象徴する1つが温室と言えるのです。

1-2. 南国の花々や果樹が実る最高に贅沢な異空間

1-2-1. コンサバトリーによる新しい社交スタイル

コンサバトリーでのティー・パーティ(The ILLUSTRATED LONDON NEWS 1881.8.20号)

 鉄とガラスによる明るくて温暖なコンサバトリーが実現したことで、新しい社交スタイルが誕生しました。

時代が降ると庶民が楽しめる公共のコンサバトリーも登場しますが、当初は王侯貴族にとっても画期的で魅力あふれる社交場でした。

In the Conservatory(ジェームズ・ティソ 1878年)

上流階級は身なりを整え、会話したりお茶を楽しんだり、お散歩など思い思いに社交を楽しみます。

グレート・コンサバトリー内部の睡蓮の池
"Lilly Pond inside Conservatory" ©Maxwell Hamilton(August 19, 2009)/Adapted/CC BY 2.0

温室ならではの動植物の景色を楽しむのも1つの過ごし方です。但し、ただ眺めるだけの受け身のスタイルは庶民同然です。上流階級の中でも知的階級は、よりハイレベルの楽しみ方をします。

1-2-2. 新種の植物を理解し活用し楽しむ喜び

 パイナップルは王の果物としてヨーロッパ王侯貴族の最大の研究対象となり、莫大な人材的・金銭的な投資対象となって科学技術が発展し、栽培が実現しました。

温室栽培されるパイナップル
"Azores-Day4-16(33766683744)" ©Ajay Suresh from New York, NY, USA(7 April 2017, 15:02)/Adapted/CC BY 2.0

お店で並んだものしか見ない現代の庶民と違い、どのように育ち、実るのかも間近で観察することができます。庭師や農学者と議論し、実践を重ねて上手くいくよう自ら動くのも当たり前でした。喜びはチームとして皆で分かち合うことができます。

マシュー・デッカー卿の初の温室栽培パイナップル(テオドルス・ネッチャー 1720年)

これはリッチモンドのマシュー・デッカー卿の庭園で育ったパイナップルの油絵です。

栽培に成功したことを祝って1720年に描かれました。

社交場では誰がどれくらい上手くいっているのか、どういうことが分かったのか、工夫に関するアイデアなど、様々な話題や議論が熱心に飛び交ったでしょう。社交界が切磋琢磨することで、国全体の知的レベルや科学技術が向上します。

1-2-3. バナナの品種

各種のバナナ、右がキャヴェンディッシュ
"Bababavarieties" ©TimothyPilgrim(23 Julr 2004)/Adapted/CC BY-SA 3.0

 先に、美味しく憧れの高級フルーツとしてのバナナをご紹介しました。現代では、食べたことがない方はいないくらい身近でしょう。

バナナは様々な種類がありますが、皆様が召し上がっているのはキャベンディッシュというバナナです。

以前はモンキー・バナナももっと身近だったと感じますが、最近見ないと気づいている方もいらっしゃるでしょう。皮が薄く痛みやすいため輸送中に痛みやすく、品質管理が難しく店頭に並びにくいことがあります。また、以前と比べて安定して輸入できず、大量に店頭に並ぶ機会が減っています。日本の国力があり、他国に買い勝つ力がある時代のものだったとも言えるかもしれません。

需要の変化も要因の1つです。高糖度で大きめのバナナや、より安価なバナナに市場が移行しているそうです。最近のフルーツはやたら甘く、甘さ至上主義で品種改良や栽培法の改良が追求されていると感じます。昔のフルーツは酸っぱさが先に立つことも多くありました。酸味や風味、ちょっとした苦味、そしてバランスがあってこそ本来のフルーツという印象がありますが、近年は全体として甘さ至上主義になっているようです。そのような市場に於いては、モンキーバナナの小ぶりで上品な味わいは一部の人にしか好まれないのかもしれません。

デフレ環境下で醸成された、日本人の『品質より安さ至上主義』も間違いなく効いているでしょう。モンキーバナナ自体は現代でもフィリピンから毎週入荷しており、輸入食材専門店や高級スーパーが主な流通先になっているようです。

国際取引の大半を占めるキャヴェンディッシュ
"Bananas" ©Steve Hopson, www.stevehopson.com(166 December 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5

1998年から2000年の統計では、世界で生産されるバナナの47%がキャヴェンディッシュで、国産取引されるバナナを大半を占めます。日本国内ではほぼこの一種類のみが常食されています。これほど影響力を持つキャベンディッシュですが、お察しの通りこの栽培品種の名称は第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュに因みます。

1-2-4. キャベンディッシュ・バナナ

第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1821年、31歳

 デヴォンシャー公爵は園芸に強い関心があり、広大な領地の手入れと育成に熱心に取り組みました。特に所領のエデンソー村の大規模な再建や、所有する複数の邸宅と庭園の大幅な改善などに力を入れました。

豊富な知識やアイデアは社交界でも高く評価されており、1838年には王立園芸協会の会長に選出され、亡くなるまでの20年間も務め上げています。

デヴォンシャー公爵によって、キューの王立植物園を国立植物園として設立するに至りました。公爵はダービー・タウン&カウンティ美術館および自然史協会のパトロンでもあり、1836年のダービー博物館・美術館の創設にも重要な役割を果たしています。また、公爵自身が広範に旅行するほどの情熱とアクティブさがありました。

王侯貴族からの依頼で世界各国の新種や珍しい植物をプロとして集めてくる、『プラント・ハンター』という職業もありました。これは専門知識が必要であると共に、危険も伴います。1835年から1839年にかけて、お抱え庭師ジョセフ・パクストンが組織したプラント・ハンターが遠征にでかけました。カリフォルニアに派遣された際はチャッツワースの庭師2人が溺死し、パクストンの長男が亡くなった遠征もありました。ロマン溢れる冒険はノー・リスクではなく、実際に命懸けでもありました。だからこそ夢があり、やり甲斐と成功した際の達成感もあり、そのために最大の努力をするのです。少年の心がないと挑戦できないことですね。

壮大で知的な旅をするロマン溢れる英国貴族
アングルシー伯爵のレッド・ジャスパーのインタリオ・フォブシール『アンズリー家の伯爵紋章』
レッドジャスパー フォブシール
イギリス 19世紀初期
¥1,230,000-(税込10%)
第2代マウントノリス伯爵ジョージ・アンズリー(1770-1844年) 第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃

『アンズリー家の伯爵紋章』の最後の持ち主、マウントノリス伯爵ジョージ・アンズリーも同時代を生き、壮大で知的な旅をした人物でした。マウントノリス伯爵はデヴォンシャー伯爵より20歳年上です。万能な学者で外交官だったヘンリー・ソルトを秘書兼案内役として、1802年から1806年にかけてインド、スリランカ、紅海、エチオピア、エジプトを巡り、見聞や現地の様々な標本を蒐集してきたことは以前ご紹介した通りです。

アーリー城(1844年建築)大英博物館

持ち帰った大規模コレクションのために、ジョージはマウントノリス伯爵家が所有していたスタッフォードシャーのアーリー庭園に10エーカーの樹木園を造りました。規模が違いますね!

現代の庶民が旅行と聞くと、小規模な個人の旅行をイメージするかもしれません。イギリスの爵位貴族は大名相当ですから、案内役以外にも各役割を担当する相当数の付き人や、現地で雇った人々がいたはずです。蒐集した動植物の運搬だけでも大変な数量となり、莫大な費用と労力がかかったことでしょう。

Voyages and Travels to India, Ceylon, and the Red Sea, Abyssinia, and Egypt, in the years 1802, 1803, 1804, 1805, and 1806

個人の消耗品的な娯楽ではなく、このような旅行は大英帝国や国民、領民の暮らしや文化を向上させるための投資と言えます。

見聞録は書籍としてまとめられ、知的な面でも科学技術の面でも貢献しています。

英国貴族は、このようなイメージを軸に見ると良いです。

イギリス連邦加盟国モーリシャス共和国

イギリス貴族は政治や外交、科学技術や文化発展の直接的かつ責任ある担い手として、必要あらば現地に旅するリスクも辞さず、情報収集や経験を積んでいました。失敗など恐れず金銭的、人的、時間的な投資も惜しみません。失敗は成功の元です。1834年頃、デヴォンシャー公爵はインド洋のモーリシャスからバナナの荷を受け取りました。オランダ領、フランス領を経て1810年にイギリスに占領され、1814年に正式にイギリス領となった島です。ヨーロッパからかなり遠方ですが、わざわざ植民地化するほど魅力がありました。

オラニエ公/オランダ総督マウリッツ・ファン・ナッサウ(1567-1625年)1607年、39歳頃

モーリシャス島は1638年、オランダがインド航路の補給地として植民を開始しました。

オランダ総督だったオラニエ公マウリッツが教養人で、古代ローマ帝国時代の軍事などの技術や文化なにも強い関心があり、マウリティウス(Mauritius)島と命名されました。英語読みでモーリシャスです。

サトウキビの移入や、農園労働者として奴隷移住などの植民地開発と統治が行われたものの、植民地経営が上手くいかず1710年にオランダは島から完全撤退しました。

フランス島を占領するイギリス軍(1810年)

すると近隣レユニオン島を植民地化していたフランスがさっそく占領し、1715年にフランス島と名付けました。各種開発を行い、サトウキビのプランテーション労働者としてアフリカから多くの奴隷を移住させました。転機はフランス革命です。この革命はフランスの他国への侵略戦争かつ実質の世界大戦へと発展しました。そのナポレオン戦争の最中、1810年にイギリスはモーリシャスを占領しました。

『パリ条約』(1814年5月30日)
第一次パリ条約で指定されたフランスの東部国境

その後、フランス帝国と第六次対仏第同盟とのナポレオン戦争を終わらせるパリ条約(1814年)で、フランス島はイギリス領の地位が確立し、名称も旧名のモーリシャスに戻されました。

モーリシャスに移入される最初のアフリカ人奴隷(オランダ領時代)
 "First African slaves to Mauritius" ©Fenous(12 June 2021)/Adapted/CC BY-SA 4.0

ただ、イギリスは統治体制には手をつけず、本国からの移住も行わなかったため、島の支配階級だったフランス人大農園主はそのまま島に残り、言語的にも英語よりフランス語が主に話される状況が続きました。但し1835年にイギリス議会によって可決された奴隷解放が実行に移され、それまで農園などで働いていた奴隷たちが自由を得ました。

モーリシャスに到着する最初のインド人契約労働者たち(1834年)
 "Visual Art of the first indentured Indian labourers arriving in Mauritius(1834)" ©Oderuth(16 January 2021, 10:11:34)/Adapted/CC BY-SA 4.0

奴隷解放によって不足する労働力を補充するため、同時にインドから労働者として移民が導入されました。1861年にはインド人はモーリシャスで最も多い民族となり、モーリシャスのサトウイビ・プランテーションと製糖業が大いに発展しました。英国貴族のデヴォンシャー公爵が1834年にモーリシャスからバナナの荷を受け取ったというのは、まさに時代背景を感じるものです。

【世界遺産】ル・モーン・ブラバンの南国のビーチ(モーリシャス)
 "Fine sand at Le Morne Beach in Mauritius(53697781831)" ©"dronepicr"(1 January 2023, 17:53)/Adapted/CC BY 2.0

モーリシャスは島だからこそ、独特の植生がありました。固有種だったドードーがオランダ領時代に絶滅したことも有名です。モーリシャスから取り寄せたバナナは、お抱え庭師のジョセフ・パクストンに任されました。

Rhizophoraキャベンディッシュの苗木 樹上で成熟中のキャベンディッシュ
"Bananenblute" ©*Spatz*(8 February 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0

ナツメヤシ(フェニックス)がそうであるように、南国の植物は気候が合わないと成長はしても花が咲かない、実がならないということはよくあります。パクストンはチャッツワース・ハウスの温室で見事に成功させ、バナナは雇い主であり親友でもある公爵の名に因んで『キャヴェンディッシュ』と命名しました。

Caderot
チャッツワース・ハウスの温室『グリーン・ハウス』内部

バナナの木が育てられるほど十分な高さのある温室に、南国を再現する環境制御技術もあってこそです。この業績でパクストンは、1835年の王立園芸協会の展示会でメダルを受賞しました。チャッツワース産バナナ、キャヴェンディッシュは1850年代に太平洋の様々な場所に持ち込まれました。キャヴェンディッシュの商業生産が始まったのは1903年頃です。それまでは気軽に食べられるものではなく、限られた人たちだけの数量が限られたフルーツだったと言えます。

1950年代まで主として栽培されていた輸出品種『グロス・ミチェル』
 "Approximately 30 Gros Michel Bananas" ©Zwifree(29 June 2018)/Adapted/CC BY 4.0

商業生産されるバナナとしては、中央アメリカで栽培されるヨーロッパや北米への輸出バナナとして『グロス・ミチェル』が市場を支配していました。皮が厚く輸送中の打撲に強いこと、房が密で運びやすいことが輸出品種として非常に優れていました。しかし1950年代にパナマ病によってグロス・ミチェルのプランテーションはほぼ壊滅しました。1960年代には輸出業者は取引を止め、キャベンディッシュを栽培するようになりました。こうして現代の市場はキャベンディッシュが圧倒的シェアを占めるようになったのです。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

皆様がバナナを召し上がる際は、ぜひ在し日の公爵と庭師に想いを馳せてみてください。

温室での贅沢な社交の様子と共に、様々なアイデアを出し合ってバナナ栽培を成功させたやりとり、成功の喜びに想いを重ねることができれば、より尊く甘美なものに感じられることでしょう♪

1-2-5. ヴィクトリア女王に献上されたオオオニバス

 王侯貴族と植物学の発展、それに伴う波及効果が分かる事例としてもう1点、オオオニバス(大鬼蓮)についてもご紹介しておきましょう。

ドイツの植物学者/動物学者/探検家・エドゥアルト・フリードリヒ・ペーピッヒ(1798-1868年) イギリスの植物学者/園芸家・ジョン・リンドリー(1799-1865年)

オオオニバスは1832年、アマゾン川の上流でドイツの植物学者エドゥアルト・フリードリヒ・ペーピッヒに発見されました。ライプツィヒ大学で医学と博物学を学び、医学の学位を取得した人物で、学長に北米と南米の植物調査を命じられ、現地調査と標本採取を行っています。アマゾン川の全流域を探検し、南米の4,000種の植物を記載しています。アマゾン川の探検は現代でも莫大な予算が必要でしょうし、命懸けですね。

1837年にイギリスの植物学者ジョン・リンドリーが新発見のオオオニバスを標本と共に広く一般に向けて紹介し、注目を集めました。これらの動きはまさに、それまで見向きもされなかった動植物にまで広く意識が開かれ、標本採取と体系的な理解が進んだ啓蒙時代を反映したものです。

オオオニバスの花
 "Victoria amazonica Blijdorp" ©Steven Lek(6 September 2015, 12:55:50)/Adapted/CC BY-SA 4.0

やがてオオオニバスがイギリスに持ち込まれると園芸家がこぞって栽培し、大輪の花を誰が最初に咲かせるか競争になりました。先にご説明した通り、本来とは異なる環境下、栽培は成功しても花が咲かない、実がならないというのは通常です。

シオン・ハウスのグレート・コンサバトリーと
第10代ノーサンバーランド公爵ヒュー・パーシー(1983年)
"10th Duke of Northumberland 6 Allan Warren" ©Allan warren(1983)/Adapted/CC BY-SA 3.0

ちなみに園芸家と言っても、そこら辺の庶民ではありません。ヨーロッパで南米アマゾンの環境を再現できることが必須ですから、有名な参戦者としてはデヴォンシャー公爵や、シオン・ハウスのグレート・コンサバトリーを所有するノーサンバーランド公爵などが挙げられます。高位貴族の公爵たちがこぞって参戦となると、社交界のみならず世間からの注目も熱かったことでしょう。


チャッツワース・ハウスの温室で開花に成功したオオオニバスに乗るパクストンの娘
(イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1849年)

1849年11月にイギリスで初めて開花を成功させたのは、デヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスのお抱え庭師ジョセフ・パクストンでした。


オオオニバス(学名:ヴィクトリア・アマゾニカ)の花(1851年)

最初のその花はヴィクトリア女王に献上され、学名には女王の名に因んで『ヴィクトリア・アマゾニカ』が命名されました。

イングランド王/スコットランド王 チャールズ2世に栽培に成功したファースト・パイナップルを献上するお抱え庭師ジョン・ローズ(ヘンドリック・ダンケルツ 1675年)

王の果物パイナップルも、ファースト・パイナップルは王様に献上されました。

極めて栄誉なことであり、それだけの功績ということですね。

ヴィクトリア女王(1819-1901年)1859年、40歳頃

1849年当時、ヴィクトリア女王は30歳でした。大英帝国の最盛期パクス・ブリタニカを迎えるタイミングです。

オオオニバスは可憐な女性とは印象が異なりますが、人間が乗ることすらできる巨大な蓮は、世界の中心としての大英帝国の君主たる女王に相応しい花と言えました。

威厳に満ちた、偉大なる女王を象徴する花です。

大英帝国と女王の威信を象徴するオオオニバス
オオオニバスの葉の裏面を元にデザインされたロンドン万博のクリスタルパレス(1851年) Signeyオオオニバスの葉の裏側

このためオオオニバス(ヴィクトリア・アマゾニカ)は大英帝国の威信を世界に顕示する世界初の万博、1851年のロンドン万博でパクストンのクリスタルパレスを始め、様々な場所のデザインに採用されました。現代人は言われないと気づかないですが、当時はそれだけ話題の的だったと言えます。王侯貴族の時代はこのように、デザインに知的な背景が緻密に詰め込まれているものなのです。

オオオニバスの葉の裏側
 "Victoria amazonica, back side of a leaf, details(Kobe Kachoen)" ©Laitr Keiows(20 September 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0

葉のオモテとウラで、随分様子が違うのが面白いですね。上質なダイヤモンド・ジュエリーの、裏側の作りの良い窓の開け方も彷彿とさせます。ステンドグラスのような、鉄とガラスの建築物にもこれはピッタリです。

Caderot
チャッツワース・ハウスの温室『グリーン・ハウス』内部

デヴォンシャー公爵家の庭師パクストンが1849年に成功した翌年、キュー・ガーデンもオオオニバスの開花に成功しました。話題の植物を一目見ようと、多数の人々がキュー・ガーデンを訪れました。公爵家の温室は、社交界の招かれた人々だけがプライベートで楽しむ贅沢な存在です。一般人も公共機関で見物したりはできますが、楽しみ方には制限があります。葉の裏側の構造が面白いことなどは、まさに自由に触ったり裏返したりできる人、生育の様子を逐次観察できる人たちしか知らないことですね。


オオオニバス(学名:ヴィクトリア・アマゾニカ)(1851年)

キュー・ガーデンで栽培された個体の精密なスケッチが、園長ウィリアム・ジャクソン・フッカーとお抱え植物画家ウォルター・フィッチによってリトグラフ集『ヴィクトリア・レギア』(1851年)として刊行され、大きな賞賛を得ました。ヴィクトリア・レギアは当時の学名です。この花はオオオニバスではなく、ヴィクトリア女王の花として認知されていたことを示すものです。

啓蒙主義によって進んだ植物の分類学、新種の発見、温室技術の発展に伴う新たな学術・流行文化の誕生など、知的なものをこよなく愛した王侯貴族の時代を如実に感じることができますね。

1-3. コンサバトリーの社交に必須の高度な教養とセンス

1-3-1. 実体験を伴った植物学の教養も要求される社交界

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

 時代がくだると庶民も豊かになり、時間はかかりながらも王侯貴族発の流行・文化が庶民まで降りてくるようになりました。

このジャルディネッティ・リングは南国の植物が庶民まで広く知られるようになるより遥か昔、高位貴族にとっても南国の動植物が珍しく、社交界のみで知られ、最も注目され、流行の最先端だった時代の宝物です。

ジョージアンの有名なコンサバトリー依頼主貴族

チャッツワース・ハウスの『グレート・コンサバトリー』(1836-1841年建設)
シオン・ハウスの『グレート・コンサバトリー』(完成1827年)"Syon House Conservatory, London" ©Penny Hamer(31 May 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0
第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃 第3代ノーサンバーランド公爵ヒュー・パーシー(1785-1847年)

オオオニバス(ヴィクトリア・アマゾニカ)の初開花を競ったチャッツワース・ハウスとシオン・ハウスの温室の建設依頼主は、それぞれデヴォンシャー公爵とノーサンバーランド公爵です。財力だけでは最高のコンサバトリーはできません。優れた設計者や庭師を見出す選定眼、専門家と議論して優れたアイデアを出すための理解力と知識や発想力、必要な人材も巻き込むことができるコネクション能力など、貴族本人に相当な知性と才能が要求されます。カネと肩書きと見てくれだけでは、社交界では話になりません。

啓蒙時代の社交界の有名人
シャトレ侯爵夫人(1706-1749年) ヴォルテール(1694-1778年) モンタギュー夫人(1689-1762年) アルガロッティ伯爵(1712-1764年)

自身より愚かな女性を好む男性は、本人が自身の愚かさを無自覚でも知覚しているからです。自分自身に確固たる才能に基づく自信があり、知的なものを心から愛する男性は、パートナーにも対等以上の会話ができるような女性を好みます。それは啓蒙時代の社交界で大いに耳目を集めたシャトレ夫人やモンタギュー夫人の例でもお分かりいただけるでしょう。

新しく知ること、思いもしなかった視点を得ること、気づきを得ることは名誉やお金ごときには代えられない無上の喜びです。これは自己満足の世界です。女性の方が優れていたとしても全く気にしないどころか、インスピレーションの女神として手放しの賞賛を贈ることができる精神性です。他者に褒められることで自己顕示欲を満たすことを喜びとする人たちとは、発想と行動原理が根本から異なります。

皇帝ナポレオンの2人の皇后
6歳上、結婚時32歳 22歳下、結婚時18歳
前妻・フランス皇后ジョゼフィーヌ(1763-1814年)と2人の連れ子 後妻・フランス皇后マリー=ルイーズ(1791-1847年)と皇太子ローマ王(ナポレオン2世)

幼年期は読書に明け暮れた、無口で友達の少ない少年だったとされるフランス皇帝ナポレオンも同様でした。後継の問題があり、血筋で選び18歳のマリー=ルイーズと再婚したものの、未熟な経験による幼さ、22歳下ということもあってナポレオンがしたい深い議論はできなかったのでしょう。マリア・ルイーザが嫉妬するほど、離婚した前妻ジョゼフィーヌの邸宅に入り浸って話し相手としていました。結婚時ナポレオンは26歳、ジョゼフィーヌは6歳年上の32歳で2人の連れ子までいました。それでもナポレオンにとって誰にも代替できない、唯一無二の知性的な魅力があったと想像できます。外見は似た人を選ぶことはできますが、内面はそうはいきません。

コンサバトリーの貴婦人たち(19世紀)

高位貴族となるほど、男性は政治や外交に於ける権力と責任も増します。愛人は別ですが、正妻は好みだけでなく夫の地位に見合うだけの教養と知性が立場的にも必須となります。南国の楽園を再現した開放感あるコンサバトリーでの社交が王侯貴族を虜にした時代、そこでの話題に対応できるよう貴婦人たちも教養を磨きました。世話をしたり、そのための知識をつけたり、スケッチしてリアルな理解を深めたりしました。

『コンサバトリーの若いレディ』(ジェーン・マリア・ボウケット 1870-1880年頃)

アンティークジュエリーもそうですが、知識だけで理解したと思い込むいわゆる頭デッカチな"知識バカ"は珍しくありません。少し会話しただけで、全く理解できていないことはすぐに分かります。

リアルな体験をないがしろにする理由がよく分かりませんし、リアルな体験がないのに自分は完璧に理解していると認識してしまうような人との会話はつまらないのです。

話がどうも的を射ておらず本筋から離れた無意味な内容だったり、薄っぺらくて深い議論ができなかったり、全くの無意味で時間の無駄にしかなりません。時間は命であり、だからカネで買えません。

『ライラック』(ジェームズ・ティソ 1875年)

だからこそ古の王侯貴族のみならず、現代でもそれを理解する人たちは時間の無駄を最も嫌います。

但し、自由にリアルな体験ができるのはコンサバトリーを所有する家の者だけです。

公共施設は庶民でも見物自体はできますが、遠目からであったり、摘むどころか触ってはいけなかったり、時間の制約などもあります。どうやっても、全体の中のごく一部の側面しか理解ができません。

各段階のバナナ
バナナの幼木 "Younf Banana Saplong - Kerala- IMG 3447" ©VicFic2006(8 April 2021, 08:04:42)/Adapted/CC BY-SA 4.0 バナナの花序
"M. acuminata x balbisiana" ©?Ruestz(23 March 2002)/Adapted/CC BY-SA 3.0

どのように発芽し成長するのか、どのように蕾ができて花開くのか、果実はどう実り熟すのか、逐次自由に観察できる立場になければ知ることできません。今はデジタルの画像や動画もある便利な時代ですが、その時々の新鮮な香りや味の体験は、やはり現代でも特殊な立場でしか不可能な価値あるものです。

バナナの開花と結実
バナナの幼果と花序 "2017-01-29 Banana in Iriomotejima 西表島古見のバナナ DSC2302" ©松岡明芳(29 January 2017, 12:26:04)/Adapted/CC BY-SA 4.0 バナナの果実と花序
"2018 06 TropicalIslands IMG 2170" ©Daniela Kloth / kloth-grafikdesign.de/Adapted/GNU Free Documentation License
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

実際、身近な印象のあるバナナ1つ見ても、花や結実の様子を一体どれほどの一般の日本人が知っているでしょう。

花序を守るガクの裏側は驚くほどカラフルで、その色彩の鮮やかさはいかにも南国の植物を想わせます。極上のルビー・レッドという感じですね〜♪

プランテーションのバナナ
 "Banana plantation" ©Luc Viatour(7 July 2004, 10:53)/Adapted/CC BY-SA 3.0
safaritravelplus吊るされて追熟中のバナナ

吊り下げたりフルーツ・バスケットなどに入れたりする際は、房を下向きにするのが通常です。

しかし、樹上では上向きに成長します。店頭で収穫後しか見たことがないと、誤った姿を想像してしまいそうです。

1-3-2. 料理文化の教養とセンスも要求される社交界

 日本はフルーツをそのままフレッシュな状態で食べることが多いですが、海外では加熱調理も多いとされます。バナナは生産国では一般的な食べ物として身近に親しまれてきました。調理方法もそれぞれの地域と文化に根付いたものです。

バナナの料理
Judgefloro黒砂糖を纏わせて二度揚げされるバナナ Judgefloroバナナキュー

フィリピンの人気屋台料理『バナナキュー』も、食べたことはなくても映像や画像などで目にしたことがある方は多いと思います。調理用バナナ『プランテン』が用いられることが多く、黒砂糖を纏わせて二度揚げし、竹串に刺して販売されます。バーベキューのように焼くのではなく揚げる調理法ですが、バナナとバーベキューの混成語です。形がそのままなので、バナナ料理として見た目に分かりやすいですね。熟すと調理の際に形が簡単に崩れます。未熟の硬い状態で調理します。

調理用バナナ『プランテン』の料理
アロス・ア・ラ・クバナ
"Arroz a la cubana" ©Jacob Sunol(8 March 2008, 12:08)/Adapted/CC BY 2.0
モフォンゴ
"Mofongo" ©Diane(17 December 2006, 17:15:00)/Adapted/CC BY 2.0

スペイン料理『アロス・ア・ラ・クバナ(キューバ風ご飯)』は、砂糖なしで揚げたプランテンをピカディーヨ風に味付けした牛ミンチ、白米、目玉焼きに添えます。これも形がそのままですね。
カリブ海諸国のバナナ料理『モフォンゴ』も未熟なプランテンを使います。 揚げてから潰し、味付けします。潰すので原型は留めていません。日本人だと言われないと、見た目だけではバナナ料理と思わなそうです。

各種のバナナ
緑色:プランテン、右:キャベンディッシュ
"Bababavarieties" ©TimothyPilgrim(23 Julr 2004)/Adapted/CC BY-SA 3.0

プランテンはデンプン質が多く、通常のバナナより大きく硬く、糖度は低くて甘くないのが特徴です。30cm以上になり、加熱するとホクホクしたジャガイモのような食感になります。

だから生食されるバナナと違い、加熱して主に主食として親しまれてきました。プランテンは市場でもバナナと明確に区別して扱われているそうです。


チャッツワース・ハウスの『グレート・コンサバトリー』(1836-1841年建設)

温室で収穫できるようになったキャベンディッシュは硬い未熟な状態、熟して生食で楽しめる状態、どのようなタイミングでも入手可能です。晩餐は社交界に必須です。最初期はシンプルな生食の味わいも稀少価値と感動がありますが、より個性的で魅力ある食べ方の追求にも王侯貴族の競争が飛び火したことは想像に難くありません。

太陽王ルイ14世(1638-1715年)の晩餐会

熟すと甘くてとろけるキャベンディッシュは、魅力的なデザートとなったことでしょう。先にご紹介した通り、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿での饗宴で特に重視されたのがデザートでした。王の果物として最も注目された当時のパイナップルはカットしてあしらうだけでなく、アイスクリームにしても提供され、絶対君主を象徴する完璧なデザートとして振る舞われました。

ヴェルサイユ宮廷文化に貢献したポーランド王室
父:ポーランド王/フランス貴族 次女:ポーランド王女/フランス王妃
ポーランド王/リトアニア大公、ロレーヌ公スタニスワフ・レシチニスキ(1677-1766年)50歳頃 フランス王妃マリー・レクザンスカ(1703-1768年)1747年、44歳頃

続くフランス王ルイ15世の時代はポーランド王室から嫁いだ妃マリー・レクザンスカ王女とその父、ポーランド王スタニスワフ・レシチニスキがヴェルサイユ宮廷時代のフランス食文化に大きく貢献しました。食通の父娘の影響は大きく、現代でも有名なパリ最古のパティスリー『ラ・メゾン・ストレ』(1730年創業)は、ルイ15世に娘マリー・レクザンスカ王女が1725年に嫁ぐ際、ポーランド王スタニスワフ・レシチニスキが帯同させたお気に入りのお抱え料理人/パティシエのニコラス・ストレが創業したお店です。

ポーランド王室由来のフランス伝統菓子
ババ・オ・ラム ガトー・ポロネーズ マドレーヌ
ストレのババ・オ・ラム
 【引用】Stohrer HP ©Stohrer
"Gateau polonaise" ©SUBARUsti2020hk/Adapted/CC BY-SA 4.0
"Madeleines pic" ©Ruth(20 December 2023)/Adapted/CC BY-SA 4.0

続くフランス王妃マリー・アントワネットが好んだことで有名な『ババ・オ・ラム』はポーランド王スタニスワフ・レシチニスキが考案したお菓子で、ラ・メゾン・ストレで今でも主役として販売されています。『ガトー・ポロネーズ』はヨーロッパ社交界に深く浸透したポーランドのダンス『ポロネーズ』をイメージして作られました。マドレーヌもポーランド王スタニスワフ・レシチニスキの宮廷で生み出されたお菓子です。

スタニスラス城(コメルシー城)

ポーランドの政争によってポーランド王スタニスワフ・レシチニスキは亡命し、義理の息子ルイ15世によってロレーヌ公国とバル公領を与えられました。

王のフランス語名、スタニスラス城と呼ばれたコメルシーの城はお気に入りの1つで、頻繁に滞在していました。

フランス王ルイ15世の義父、かついつ返り咲いてもおかしくない元ポーランド王の宮殿ということでかなり壮麗です。


スタニスラス城(コメルシー城)(18世紀)

この贅沢なスタニスラス城で1755年に壮麗な晩餐会が催されました。グルメでも有名なポーランド王の威信がかかった晩餐です。しかし厨房で執事と料理人の間に口論が勃発し、料理人はエプロンを脱ぎ、デザートを取り止めて帰ってしまいました。晩餐会の主役とも言えるデザートがないとなると、ポーランド王はヨーロッパ社交界全体からの笑い者となる危険性がありました。現代人の意識では些細なことに感じられるかもしれませんが、当時の王侯貴族の常識からすると顔面蒼白となる最強クラスの危機です。

帆立貝から誕生する女神アフロディーテ(アテナイ 紀元前4世紀初期) "Atuell en forma d'Afrodita en una petxina, Àtica, necròpolis de Fanagoria, pinínsula de Taman. Primer quart del segle IV aC, ceràmica " ©Joanbanjo(31 August 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0

そこで機転を利かせたのが、地元コメルシー出身の若い女性召使マドレーヌ・ポルミエでした。

厨房の有り合わせの材料で祖母に教わったお菓子を作れることが分かり、提案しました。より良い代替案もなかったため、この提案が採用されました。

焼き型も厨房にあった帆立の貝殻を使用し、あのマドレーヌ独特の形状が誕生したとされます。

地元の若い召使の咄嗟の閃きと機転で誕生したこのお菓子は、ポーランド王の晩餐に集まった錚々たる王侯貴族たちを大いに喜ばせました。その理由は明らかですね。


『ヴィーナスの誕生』(サンドロ・ボッティチェッリ 1483年頃)

帆立貝と言えば、古代ローマの愛と美の女神ヴィーナス(古代ギリシャではアフロディーテ)です。様々な美術作品で採用されるモチーフです。教養と知性、センスという個人としての能力を最も重視する王侯貴族は、ただ美味しいというだけ、ただ見た目が良いだけでは絶賛しません。秘密の叡智を代々受け継ぎ、守護する役割を担ってきた人々だからこそ、センス良く秘密の情報が秘められたものこそ高く評価します。

女神ヴィーナス誕生の古代美術
Jastrow(2006)ギリシャ・テラコッタ(ケルチ 紀元前1世紀後期-紀元後1世紀初期) ローマングラス・カメオ(古代ローマ)"Età imperiale, cammeo con afrodite anadyomene, in pasta vitrea trasparente - Copia " ©Sailkol(1 August 2016, 18:53:39)/Adapted/CC BY-SA 4.0

スタニスラス城でマドレーヌが提供された晩餐会は、1755年の開催でした。それまでローマの遺跡を見て古代ローマ帝国を理解できていると思っていた王侯貴族でしたが、79年のヴェスヴィオ火山噴火で埋没していたヘルクラネウムが1738年、ポンペイが1748年に発見され、リアルな古代ローマの暮らしが分かり始めたことで衝撃を受けていたタイミングです。想像を遥かに超える技術とそれを支える学術、文化レベルの高さなどに驚き、上流階級の知的階層が特に熱中した時代でした。古代美術の蒐集や研究、そのための投資に夢中になった時代です。

古代ローマの象徴『コルヌコピア』に基づく美術品
古代ローマ帝国 18世紀ヨーロッパ
女神フォルチュナ(テュケ)(紀元前4世紀ギリシャ作品を古代ローマで複製)©sailko(3 April 2010, 09:02:50)/Adapted/CC BY-SA 3.0 豊穣の女神ケレスをモチーフとした古代ローマのカルセドニー・インタリオ『豊穣の女神ケレス』
古代ローマ 2世紀
SOLD
フランス王ルイ15世のコルヌコピアの像(フランス 1765年頃)"Corne d'Abondance Statue Louis XV Reims 270608 1 " ©Vassil(27 June 2007)/Adapted/CC BY 3.0 コルヌコピア ブローチ  アンティーク・ジュエリー
『コルヌコピア』
ダイヤモンド ブローチ
イギリス 18世紀後期
SOLD

古代ギリシャ・ローマ美術にインスピレーションを受けた新たな作品も生み出され、それは社交界という狭小の煌びやかな世界でのみ使用された王侯貴族のジュエリーのモチーフにもなっています。ただのモノではなく、持ち主の教養とセンス、財力を如実に反映し、分かる者にだけ雄弁に語りかけてくれるのがアンティークジュエリーなのです。

Ocdpチョココロネ

ちなみに勘の良い方は『コロネ』を連想されたかもしれません。独特の生地から想像できる通り、コロネ自体は日本で開発された菓子パンです。明治からあったようですが、考案者は分からないそうです。

だからフランス語で『角(ツノ)』を意味する『corne(コルヌ)』、或いは英語の金管楽器『cornet(コルネット)』に因む命名とされます。

カリフォルニアの豊穣の大地を象徴するコルヌコピア
ノース・カリフォルニアのシール(1876年) カリフォルニアのコルヌコピアのポスター

豊穣の角コルヌコピアを知っていれば、明治以前の日本人に知識があってセンスも良いグルメな人が存在し、普遍の魅力を持ち現代まで生き残った菓子パン『コロネ』を考案し命名したと想像できますね。次回コロネを召し上がる際は、ぜひそのような名も無き日本人にも想いを馳せてみてください♪

ポーランド王/リトアニア大公、ロレーヌ公スタニスワフ・レシチニスキ(1677-1766年)50歳頃 ストレのババ・オ・ラム  【引用】Stohrer HP ©Stohrer
バナナ・フランベ  "Banana flambe - by Jenene" ©Jenene from Chinatown, New York city, USA(25 February 2005, 07:28:41)/Adapted/CC BY 2.0

ポーランド王スタニスワフ・レシチニスキは考案した『ババ・オ・ラム』の名称を、『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』のアリババに因んで名付けました。乾燥して硬くなったクグロフ(パン)にラム酒をかけたのが特徴のお菓子で、アルコールをフランベした青い炎が、エキゾチックな異国の夜を想像させたからです。『千夜一夜物語』がフランスで出版されのは1704年、イギリスで出版されたのが1706年で、タイムリーなネーミングは教養と共にセンスの良さを感じさせます。舌が肥えているだけでも不十分で、社交界で一目置かれる存在になるには教養とセンスは極めて重要なのです。

愛と美の女神ヴィーナス誕生を連想するお菓子
帆立貝から誕生する女神アフロディーテ(アテナイ 紀元前4世紀初期) Joanbanjo(31 August 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 マドレーヌ
"Madeleines pic" ©Ruth(20 December 2023)/Adapted/CC BY-SA 4.0

ポーランド王(当時は名目上)スタニスワフ・レシチニスキが主催したスタニスラス城の晩餐で、デザートとしてマドレーヌが提供されたらどうなるかご想像ください。集まった社交界の人々は独創的な形に感激し、大いに喜びました。大ピンチが一転しました。当時78歳頃だったポーランド王は作製者を尋ね、皆の前に呼びました。見事な機転を効かせた若い少女を高く評価し、名前を尋ね、お菓子をマドレーヌ・ポルミエに因んで『マドレーヌ』と名付けました。

貴族の邸宅は家族経営の会社と似ています。昔の日本もそうだったように、血が繋がっていない社員も家族同様の扱いをします。社長たる貴族は経営者や管理職としての優秀さが肝要です。手柄泥棒はプレイヤーがやることであり、マネジメント側はそれをどう評価できるかです。ポーランド王が嫌な上司だったら、「そのまま恥をかかせてやれww」と思われるだけです。慕われていたら一心同体の存在として、「なんとかしなければ!!」と使用人にも全力で動いてもらえます。

ポーランド王/リトアニア大公、ロレーヌ公スタニスワフ・レシチニスキ(1677-1766年)50歳頃

上の者と下の者という生まれながらの上下の存在ではなく、役割と立場が違うだけなのです。

全力で動いてくれる使用人は、貴族としての人間性と慕われている証です。

社交界の人々を満足させる知識と教養を持つ使用人は、雇い主である貴族の高い知識と教養の証となり、教育をしっかり行っていることも示せます。

機転が効く使用人の存在は、雇い主の人を視る確かな眼を示します。

役割と立場の違いを認識した上で、互いの仕事を尊敬し合うのが健全な貴族社会の在り方でした。

九段下のフランス菓子モンテーニュのマドレーヌ定番化したフランス伝統菓子マドレーヌ

お菓子『マドレーヌ』の最初の文献記録は、ジョゼフ・ムノン著『宮廷のディナー(Les soupers de la Cour)』(1755年)です。

ムノンはルイ15世の王妃マリー・レクザンスカ(ポーランド王の娘)の料理人で、数々の料理書を著しています。簡略化したお手軽な庶民料理の書籍もある一方で、マドレーヌは豪華絢爛さを追求し、王侯貴族を満足させるための高級食材で作る、格調高い宮廷用ディナーの書籍で紹介されています。

こうしてパリ社交界でも紹介され、マドレーヌ・ポルミエの地元コメルシーの名産品となりました。鉄道が開通するとコメルシー駅のプラットフォームで販売され、鉄道で持ち込まれてパリの庶民にも有名な菓子となりました。今では日本でもフランスの伝統菓子として定番化しています。

バナナのデザート
バナフィー・パイ バナナ・ケーキ バナナ・クリームパイ
"Banoffee" ©Brihaspati/Adapted/CC BY-SA 4.0 ©Vegan Feast Catering/Adapted/CC BY 2.0
"Frank Fat's banana cream pie" ©Cullen328/Adapted/CC BY-SA 3.0

新しくヨーロッパで手に入るようになった完熟なフレッシュ・バナナもそのまま食べる以上に、様々なレシピが考案され、社交界の晩餐を彩り、ホストとなる王侯貴族の教養やセンスが評価の対象となったはずです。オックスフォード英語辞典に拠れば『クリームパイ』の最初の使用は1810年代に遡り、トフィーを加えたイギリスのバナフィー・パイや、1880年代にアメリカで大流行したバナナ・クリームパイに繋がっていきました。バナナ・プリン、バナナ・ブレッド、バナナ・アイスなど、主食用バナナとは異なるレシピが様々存在します。

イギリスの多様なバナフィー・パイ
砕いたビスケットが土台
"Banoffee" ©Brihaspati/Adapted/CC BY-SA 4.0
JCAwikis アイス添え
©Glen MacLarty from Sydney, Australia/Adapted/CC BY 2.0

これは全てバナフィー・パイです。バナナとトフィーの合成語で、イギリスのデザートです。バナナ、ホイップクリーム、濃厚なカラメルソースを使ったデザート・パイで、土台はパイ生地または砕いたビスケット、もしくはその両方を使います。オリジナルのレシピではコーヒーで風味を加えますが、コーヒー・ソースを使う手間を省くために削ったチョコレートを使用することもあります。材料の組み合わせ、完成品の見た目に関しても無限と言えるほど多様性があります。

現代のデザートで、考案者とされるのはレストランのオーナーとシェフということで、命名にセンスが全く感じられませんが、王侯貴族の時代にも定番化しなかった様々なデザートが生み出されたことが想像できます。一夜限りの一期一会のデザートもたくさん生まれては、儚く忘却されていったことでしょう。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

バナナ1つ見ても、組み合わせる素材だけで選択肢がいくらもあります。他の果物だったらブルーベリー、スイーツならばチョコレート、スパイスはシナモンが定番化しています。

コンサバトリーに再現した楽園で咲くカラフルな南国の花々を愛でながら、結実する果物を最大限に活かすレシピを考案し、皆で楽しむという至高の贅沢が在りました。

それは提供されたものをただ食すだけの、受け身の"消費者"とは全く異なります。あれをやってみよう、これはあの人に相談してみよう、あの方はこうすると好みかしら・・。考えることの楽しさ、新しいものを生み出す喜び、身近な人に喜んでもらえる嬉しさ。知識や試行錯誤の経験は人をマウンティングするためではなく、人を喜ばせたいと強く願って懸命に身につけるものです。このジャルディネッティ・リングを通して、そのような心豊かな世界が見えてきますね。だから美しいのです♪

1-3-3. デヴォンシャー公爵家の恋愛

造園家/建築家/政治家ジョセフ・パクストン卿(1803-1865年)

 ここで第6代デヴォンシャー公爵家の恋愛事情についても触れておきましょう。

デヴォンシャー公爵に庭師としての才能を見出されたパクストンは、20歳の時に誉れ高いチャッツワース・ハウスの主任庭師の職を与えられました。

1823年当時デヴォンシャー公爵はロシアに滞在中でしたが、やる気に満ち溢れた若きパクストンはバスでチャッツワース・ハウスに向かい、午前4時半に到着しました。

着いたら寝るかと言えば、寝ません。仕事がしたくてたまらないからです!現代サラリーマンに多いやらされ仕事とは異なる、やり甲斐を以って自発的な情熱で取り組む本来の『仕事』です。

デヴォンシャー公爵キャヴェンディッシュ家のカントリー・ハウス
『チャッツワース・ハウス』(18世紀後期)

到着したパクストンは家庭菜園や庭園を視察し、庭師たちに仕事をさせた後、家政婦と朝食を共にして9時までに初日の朝の仕事を終えました。4時半到着だと、既に4時間半は仕事しています。敷地が広大なので、視察だけでも時間がかかりそうですね。庭師だけでも何名を雇っていたでしょう。

デヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスの邸宅
 "View of Charsworth House, England" ©David Wilmot(daramot)(10 April 2005)/Adapted/CC BY 2.0

ヨーロッパのお城は単独だと大きく見えませんが、人物や乗り物などと比較すればご想像いただける通り、1階あたりの高さがかなりあります。3階建てでも、現代日本の通常の建築とは規模が異なります。

絵画の間 大階段室
"Chatsworth(48502464851)" ©Tom Parnell from Scottish Borders, Scotland/Adapted/CC BY-SA 2.0 Daderot

内部は用途別に様々な部屋があり、管理と維持だけでも膨大な人手と労力が必要です。乱雑に扱って良いものではなく、専門知識も必須なので教育係や丁寧な扱いができる人材が必要です。

Daderotデヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスのダイニング・ルーム

岩倉使節団も次の第7代デヴォンシャー公爵と食事をしたであろうダイニング・ルームです。現代の日本の庶民の感覚や基準でイメージする方もいらっしゃいますが、より正確に規模感を想像するため、具体的なデータをご紹介しておきましょう。

ジョージ4世の戴冠式でレガリア担当の公爵
宝珠(オーブ) 王笏(セプター)
第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年) 第5代ラトランド公爵ジョン・マナーズ(1778-1857年)

参考にするのは同時代の第5代ラトランド公爵ジョン・マナーズのビーヴァー城です。1821年のジョージ4世の戴冠式でデヴォンシャー公爵が宝珠を持つ役割を担当し、ラトランド公爵は王笏を担当しています。3種の神器に相当するレガリアを担当するほど、王侯貴族の中でも特別な身分にあったと見ることができます。

ラトランド公爵家のビーヴァー城
 "Belvoir Castle" ©Jerry Gunner from Lincoln, UK(18 January 2011, 13:48)/Adapted/CC BY 2.0

ビーヴァー城の1839年の記録に拠ると、12月から翌年の2月にかけての8週間でワイン200ダース、ビール70樽(1樽1万2,500リットル)、蝋燭2,330本、灯火用鯨油630ガロン、公爵のテーブルで食事した人数1,997名、スチュワード(執政、宮宰、家宰、家令に相当)2,421名、その他1万1,312名。パン3,333斤、肉2万2,963ポンド、公爵と友人がシューティングして食事として供された雉子2,589羽だそうです。ワイン200ダースは2,400本で、1樽300本相当として計算すると8樽に相当します。

現代のような休日はなく毎日来客対応していたとすると、1日あたり62名がラトランド公爵のテーブルで食事しています。これは平均した数値であり、多い日と少ない日のバラツキを考えると、数百名規模の来客に対応する日もあったでしょう。おもてなしをするための高度人材として、スチュワードだけで2,421名というのは理解できる数字です。

岩倉使節団(1871年11月に横浜港を出港、1年10ヶ月に渡り欧米諸国を巡る)
左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通

岩倉使節団も写真ではコンパクトに見えますが、これは特命全権大使と副使官だけで、総勢107名で構成されました。内43名は留学生でしたが、使節46名と随員18名だけで64名の規模です。取るに足らない雑魚など1人もおらず、公家や旧幕臣から選ばれたエリート揃いです。スチュワード2,421名のほか、その他のスタッフとしてビーヴァー城でも1万1,312名が従事しており、そうやって始めてカントリーハウスが適切に運営されていたというわけですね。王侯貴族は想像以上に多忙ですし、想像的な管理運営能力が必要です。庶民の妄想で創作された漫画などのキャッキャうふふな世界を元にしては、決して正確に想像できない世界です。

Daderotチャッツワース・ハウスのステート・ベッド

ベッドルームもいくつも存在します。

日帰り旅行も普通になったのは、交通手段が発達してからです。Genの世代だと、高速道路がない時代も経験されているでしょう。また1992年の新幹線のぞみ登場以前、サラリーマンの東京と大阪間の出張は日帰りでなく泊まりがけが通常でした。

貴族の邸宅は舞踏会場や各種プレイルームも備え、社交場としても使用されましたから、客人の長期滞在も通常でした。

これはチャッツワース・ハウスのステート・ベッドルームのベッドです。国王クラスの特に身分の高い客人用の部屋です。

デヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスのステート・ベッドルーム
 "Chatsworth bedroom" ©Martin Hartland from UK(16 June 2007, 10:46)/Adapted/CC BY 2.0

英国王ジョージ4世は第6代デヴォンシャー公爵の親友でしたし、ヴィクトリア女王もチャッツワース・ハウスを訪れています。君主クラスが普通に滞在するのが、このクラスの貴族の邸宅なのです。国賓用クラスの部屋は特に贅を極めた仕様で、調度品も装飾もまさにミュージアム・ピースと言える美術品のプライベート・コレクションで埋め尽くされています。お手伝いさんが何人かいる程度を想像するのは、色々な意味で頓珍漢すぎます。

モスアゲート(苔メノウ) アンティーク デンドライトアゲート ヘソナイトガーネット 壁掛 プレート アート『大自然のアート』
デンドライトアゲート プレート
イギリス 19世紀後期
¥387,000-(税込10%)
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

上質なヘソナイト・ガーネットを贅沢に使用したアーティスティックなこの壁掛けの実際の価値も、ヨーロッパ貴族の邸宅を分かっている方ならば理解しやすいでしょう。

来客も使用人も盗む人などおらず、美術品として眺め楽しんだり、丁寧に扱われた歴史を経てHERITAGEに来ました。

チャッツワース・ハウスのベッドルーム
Daderotウェリントン・ベッドルーム Daderotノーマンビー侯爵・侯爵夫人ベッドルーム

これは他の来客用のベッドルームです。爵位貴族も使用する豪華な設えですが、君主クラスが滞在するステイト・ベッドルームと比較すると、壁や天井などの装飾もシンプルです。先にこちらをご紹介したら、十分にゴージャスと感じたでしょう。何を基準にするかで見え方、感じ方は驚くほど変わります。

Daderotデヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスのレスター・ベッドルーム

こちらもまた別のベッドルームです。各部屋、装飾が異なっており、邸宅の主のセンスやおもてなしの心も如実に伝わってきます。

Daderotデヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスの音楽室

音楽室の設えも豪華です。純粋に耳や皮膚などの振動で音楽を聞くだけでなく、目で空間全体を楽しむことができます。お掃除は大変そうです。"誰にでもできる簡単なお仕事"ではありません。普通の主婦レベルではダメで、丁寧な取り扱いができる高度な知識も必須です。

『絵画の間』オリュンポスの神々の天井画(ルイ・ラゲール 1688-1693年)
 "Chatsworth(48502482501)" ©Tom Parnell from Scottish Borders, Scotland(11 May 2019, 09:26)/Adapted/CC BY-SA 2.0

純粋に絵画を楽しむための、専用の『絵画の間』もあります。これはフランス生まれの画家ルイ・ラゲールの作品です。父親はフランス王ルイ14世に重用されたカタルーニャ出身の廷臣で、パリのイエズス会の学校で学んだ後、王立絵画彫刻アカデミーで学び、1683年の終わりにイギリスに渡って宮廷画家として働いていたイタリア人画家アントニオ・ヴェッリオの元で働くようになりました。

英国王チャールズ2世/ジェームズ2世/ウィリアム3世の主席宮廷画家アントニオ・ヴェッリオ(1636年頃-1707年)自画像 Daderotチャッツワース・ハウスの大階段室のセメレを描いた天井絵(アントニオ・ヴェッリオ 1691年)

芸術家自身が長期間、王侯貴族の邸宅に滞在して創作します。依頼主の希望を繊細に反映できますし、芸術家たちは衣食住の心配なく創作活動に没頭できます。邸宅に訪れる王侯貴族、他のアーティストたちとの交流も新たなコネクションを作ったり、情報交換やインスピレーションを得るという観点からメリットは大きかったでしょう。

Daderotデヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスの教会通路

これは教会通路です。日本も個人の神社やお寺はピンからキリまであります。自宅の敷地内にお稲荷さんや祠がある方もいらっしゃいますし、私がサラリーマン時代に所属した大企業は、社長専用の神社がビルに設けられていたことが社員にも有名でした。地方のある程度古いものだと、少人数か入れる規模のものもあります。特大と言えば、主祭神として徳川家康を祀る日光東照宮でしょうか。デヴォンシャー公爵は複数の邸宅を所有しており、チャッツワース・ハウスはその1つに過ぎませんが、それでも王族に準ずる地位を持つ公爵家の教会だけあって多人数が収容できますし、お金のかけ方も桁違いです。

Daderotデヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスの教会内部

教会の内部は極めてアーティスティックです。しかも信仰の場所ですから、それに相応しい題材で装飾されています。その1つ1つの示す意味も分からなければなりません。

Daderotチャッツワース・ハウスの教会『病を癒すキリスト』(ルイ・ラゲール 1688-1693年)

『絵画の間』ではローマ神話の主神ユピテル(ジュピター、ギリシャ神話のゼウス)を中心としたオリュンポスの神々を描いたルイ・ラゲールですが、教会ではキリストが主題です。

英国王ウィリアム3世の宮廷彫刻家カイウス・ガブリエル・シバー(1630-1700年) Daderotチャッツワース・ハウスの教会の聖バルトロマイ像(カイウス・ガブリエル・シバー 1691年)

教会には、英国王ウィリアム3世から『王の彫刻家』を拝命したデンマーク出身の宮廷彫刻家、カイウス・ガブリエル・シバーによる聖バルトロマイ像があります。キリスト教には聖人が多数存在し、各人が示す所も理解していなければなりません。シバーも特別な家系で、経歴などからもそれが示唆されますが、コンパスを持つ肖像画で明らかですね。バルトロマイ像の上にはルイ・ラゲールのキリスト像が描かれています。さらにもっと上に注目しましょう。

Daderotチャッツワース・ハウスの教会の天井絵『キリストの昇天』(ルイ・ラゲール 1688-1693年) アールデコの躍動感あふれるダイヤモンド・ネックレス『Heaven's Ladder』
アールデコ ダイヤモンド ネックレス
イギリス 1920年頃
SOLD

天井絵は『キリストの昇天(アセンション)』です。薄明光線のような光と共に、昇天するキリストが描かれています。教会の天井は高く、しかもとても広いです。ひとたび教会に足を踏み入れれば、この作品が天に在ります。気が引き締まる空間となりますね。このテーマは秘密の叡智を共有する特別な身分の人々にとって極めて重要であり、様々な表現で暗示されます。『Heaven's Ladder』のネックレスのデザインもその1つです。このような空間で着用するのも楽しそうですし、王侯貴族のジュエリーとしてこの宝物が制作されたこともご納得いただきやすいと思います。ただの成金では、この宝物を生み出すのは無理なのです。

『絵画の間』オリュンポスの神々の天井画(ルイ・ラゲール 1688-1693年) ©Tom Parnell from Scottish Borders, Scotland/Adapted/CC BY-SA 2.0 アールデコの棕櫚を持ち凱旋する勝利の女神のリバース・インタリオ・ブローチ『女神の凱旋』
アールデコ リバース・インタリオ ブローチ
フランス 1920年頃
¥2,200,000-(税込10%)

同じ画家が同じチャッツワース・ハウスの邸宅内に、古代ローマの神々を描いていることも重要です。ルイ・ラゲールはパリのイエズス会で学んでおり、秘密の叡智を持つ者の中では、全てはバラバラではなく繋がっています。バラバラで脈絡なく見える場合、知識が欠落している状態と言えます。『女神の凱旋』のブローチもキリスト教と同様、死に対する勝利の凱旋である『復活(レザレクション)』を表現した作品です。古代ローマやギリシャの知識は王侯貴族にとって、単なる美術的な領域を超えて重要なのです。この辺りを蔑ろにした状態で、アンティークジュエリーの真の理解はできません。

Daderotデヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスの彫像ギャラリー

平面を飾る絵画だけでなく、彫像ギャラリーもあります。絵画より広い空間を必要とするからこそ、彫像を所有しえ楽しむにはより財力も必要となります。中途半端な小金持ちや成金が絵画ばかりに意識がいくのは、家が狭くて彫像を余裕を持って飾る空間がない的な理由もあるかもしれません(笑)

Daderotデヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスの彫像ギャラリー

比較対象がないと彫像も屋敷もコンパクトに見えるかもしれませんが、実際は現代人のサイズには合わないスケールです。だから3階建てでも、日本の一般建築とは規模感がまるで違うのです。少なくとも倍の、6階建て以上を想像しないとダメです。掃除や補修など維持管理は大変ですが、格調の高さと贅沢感を出すにはバッチリですね。

チャッツワース・ハウスの図書室
"Chatsworth(48502300321)" ©Tom Parnell from Scottish Borders, Scotland/Adapted/CC BY-SA 2.0 "Chatsworth(48502476547)" ©Tom Parnell from Scottish Borders, Scotland/Adapted/CC BY-SA 2.0

壁面の高さと広大さを利用し、18世紀には2万冊の蔵書を収納する図書館も整備されました。インターネットがなくても、膨大な知識に好きなだけ容易にアクセスできます。これは活字中毒には沼ですね。一度入ると抜け出せない気がしかしません(笑)

経営面での才能がダメ過ぎて、Genのお店がコロコロ変遷していることはフォト日記でもご紹介しました。ベルビー赤坂のお店を手放した後、吉祥寺に潜伏していた期間がありました。隣に公共図書館があり、毎日通って読書していたそうです。「お金もかからず本を好きなだけ読むことができて、天国のようだった!♪」と、目を輝かせて語ってくれました。アウトプットとインプットは別物です。私と違い、Genは書くことは苦手です。だから誤解されることもあるのですが、真のGenを分かってくださっている方はご納得されると思います。Genの真面目さや感覚だけに頼らない、膨大な知識に基づく確かな発言は、一歩ずつ歩んできた豊かな人生に裏付けされています。

造園家/建築家/政治家ジョセフ・パクストン卿(1803-1865年)

デヴォンシャー公爵家のチャッツワース・ハウスは他もたくさんの部屋があります。しかし、最も有名なのは温室も含めた庭園です。

ラトランド公爵家の同時代のビーヴァー城の運営に高度専門スタッフとなるスチュワード2,421名、その他スタッフが1万1,312名おり、チャッツワース・ハウスもそれを超え得る規模のスタッフがいたことは想像に難くありません。

そのような中で、主任庭師として20歳で着任したパクストンは初日に運命の女性と巡り会いました。早朝の仕事を終えて家政婦たちと朝食を共にした際、将来の妻サラ・ボウンと出逢いました。家政婦の1人の姪です。運命を感じる凄い確率ですね♪

基本的には使用人同士の恋愛は御法度だったカントリー・ハウス

カントリー・ハウスでは、使用人同士の恋愛は基本的に御法度とされていたそうです。

しかし雇用主の方針や采配次第でしょう。仕事をおろそかにしないこと、周囲への配慮ができることを示すことができれば問題はないはずです。

着任から4年後、24歳となる1827年にパクストンはサラ・ボウンと結婚しました。


チャッツワース・ハウスの温室で開花に成功したオオオニバスに乗るパクストンの娘
(イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1849年)

日本の会社がかつてそうだったように、従業員は血が繋がっていないだけの家族のような存在でした。階級社会だった時代の名残です。Genも子供の頃、外から通う女中さんのお宅に泊めてもらった、非日常的な経験が印象に残っているそうです。

パクストン夫妻は子供たちに恵まれ、オオオニバスの開花に成功したニュースには娘も主役のように印象的に描かれています。一方、同じ庭師としてチャッツワース・ハウスで働いていた長男が、遠方でのプラント・ハンターの仕事で亡くなった際の訃報では皆が悲しみに包まれました。デヴォンシャー公爵とパクストン卿は親友でもあり、楽しいこと、嬉しいこと、悲しいことなどを家族ぐるみで分かち合う、まさに家族のような存在でもあったでしょう。

英国爵位貴族の恋愛
第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃 レディ・キャロライン・ラム(1785-1828年)1813年、28歳頃 ヴィクトリア女王即位時の英国首相/第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム(1779-1848年)1805年、26歳頃

当主デヴォンシャー公爵の恋愛はどうだったかと言えば、実は未婚のまま67歳で亡くなりました。従姉妹のキャロラインと結婚するはずでしたが、キャロラインは後にメルバーン子爵となるウィリアム・ラムと1802年にブロケット・ホールで出逢い、互いに恋に落ちて1805年に結婚しました。1802年当時の年齢はデヴォンシャー公爵が12歳、キャロラインが17歳、メルバーン子爵が23歳頃です。デヴォンシャー公爵は大変なショックを受けたそうですが、年齢関係的にもなすすべなしという感じですね。

メルバーン子爵ウィリアム・ラム(1779-1848年)65歳頃

ウィリアム・ラムは当時、新進の政治家でした。

HERITAGEでは何度かご紹介している通り、ヴィクトリア女王即位時の首相で、肥満体質を気にする若き女王に助言したり、アルバート王配の才能をいち早く見抜いて女王に進言したりした重要人物です。


ヴィクトリア女王の右が首相メルバーン子爵ウィリアム・ラム(1840年)

即位した1837年当時ヴィクトリア女王は18歳、メルバーン子爵は58歳でした。生後8ヶ月で父を亡くし、政治や外交面で適切な相談役がいなかった女王が頼りにした存在です。君主は特殊な立場です。本来ならば同等身分として同様の経験を蓄積した父親などの助言で帝王学を学ぶはずですが、それができなかった上に母親も教育係も英語が母国語ではない外国人だったので、女王は誰かに頼らざるを得ませんでした。王侯貴族には、その立場と責任ゆえに庶民と異なる困難や悩みが多くありました。

親戚関係にある英国貴族
デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュ(1757-1806年)28-30歳頃 レディ・キャロライン・ラム(1785-1828年)1813年、28歳頃

キャロラインの父は、アイルランド系の英国貴族である第3代ベスバラ伯爵フレデリック・ポンソンビーです。母は初代スペンサー伯爵ジョン・スペンサーの次女ヘンリエッタで、その姉がデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュです。映画『ある公爵夫人の生涯』(2008年)でキーラ・ナイトレイが演じた公爵夫人です。この貴婦人が、第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャベンディッシュのお母様というわけです。

キャロラインも有名な小説『グレナーヴォン』を出版したり、散文や詩を書き、スケッチや肖像画を描き、フランス語やイタリア語を流暢に話、ギリシャ語とラテン語も堪能で音楽や演劇を楽しむ教養の高い貴婦人でした。

従兄弟関係の第6,7代デヴォンシャー公爵
第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・ジョージ・スペンサー・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃 第7代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1808-1891年)1860年代

ウィリアム・キャベンディッシュは『独身公爵』として知られ、嫡子を残しませんでした。イギリスの爵位貴族はこのような場合、断絶するのが標準です。しかし『デヴォンシャー公爵』は英国貴族の中でも特別な存在だったため、爵位は従弟の第7代ウィリアム・キャヴェンディッシュに継承されることになりました。どちらも名前がウィリアム・キャベンディッシュで紛らわしいですが、1872年に岩倉使節団をもてなしたのは第7代の方です。

当時の年齢や年齢差を考えると、従姉妹のキャロラインを引きずったわけではなさそうです。第6代デヴォンシャー公爵が亡くなった後に処分された、プライベートな書簡の多くは愛人への手紙でした。

古代ローマ社会の各身分の女性たち
『キューピッド売り』(ヴィラ・アリアナ 紀元前30〜紀元後50年頃) 古代ローマ遺跡のフレスコ画がモチーフの知的なラーヴァ・カメオ議題『愛』
ラーヴァ・カメオ ブローチ
イタリア 19世紀初期
¥580,000-(税込10%)

古今東西、階級社会では基本的に同じ階級でしか結婚しません。身分が高くなるほど厳密でした。特に男性は恋愛は自由な一方で、婚姻は血筋が重要です。ローマ帝国時代からそうでした。以前詳しくご説明した通り、愛妾は正式な妻とはなれませんし、子供を儲けても相続対象にはなれません。一方、正妻は家を守るのが役目でした。子供を産むことが至上命題であり、財産管理やビジネスでも主体的役割を果たしていました。夫の地位が高い場合、政治や外交で忙しく、軍事遠征で長期間不在となることも当たり前でしたから、本邸となるカントリー・ハウスに加え、複数の別荘の統括者として管理・運営ができなければなりませんでした。そのために幼少期から専門教育が施されます。

読書するローマ市民の少女(古代ローマ 1世紀)
 "Bronze yound girl reading CdM Paris" ©Marie-Lan Nguyen(User:Jastrow),2008-04-11/Adapted/CC BY 2.5

多くの人を雇用するということは、その数の人生に影響し得るということです。責任重大であり、個人の恋愛感情など、多くの人々の家族まで含めた幸不幸に比べれば些細なことと見做されます。

結婚は愛があればというのは、責任のない身分にのみ許されることでした。身分に応じた義務を負わねばならない、『ノブレス・オブリージュ』というのはこういうことでもあるのです。

ただの恋愛は誰にでもできますが、大企業の社長やグループ企業を統括するオーナーは専門教育なくして務まるものではありません。

Mentnafunangannヴィラ・アリアナと左側セカンド・コンプレックスの見取図

高位貴族の正妻となる女性に任されるものは、現代の日本の庶民が想像する以上に大きなものなのです。裕福なローマ貴族も後のヨーロッパ貴族同様に、大きくて複雑な邸宅を所有していました。複数の家、田舎の不動産と共に数十人、あるいは数百人の奴隷を所有して運営していました。その管理を担当していたのが当主の正妻で、中小企業の経営者同等の仕事だったと想像できます。まさにビジネスマンと同じと見られています。ローマ美術を代表するフレスコ画の1つとされる『キューピッド売り』が発見された高級別荘地スタビアエの『ヴィラ・アリアナ』は代々続く家系の貴族の所有だったとみられ、規模も桁違いです。

ヴィラ・アリアナ(スタビアエ 紀元前2世紀〜紀元後79年)
"Villa Arianna(Stabia)WLM 082" ©Mentnafunangann(26 March 2015, 12:31:47)/Adapted/CC BY-SA 4.0

約11,000平方メートルの敷地の中で、まだ2,500平方メートルしか発掘されていません。また、傾斜部分の地滑りでいくつかの部屋は失われています。長年の拡張で複雑な設計になっていますが、アトリウム、温泉、トリクリニウム(食事室)、ペリスタイル(中庭/ポーチ/庭園)の4つの使い勝手が良いセクションで構成されます。ヴィラ・アリアナのベッドルームは20を超え、そこからは『キューピッド売り』のほか、古代ローマ美術の中でも特に重要とされる評価の高いフレスコ画が多く見つかっています。

『フローラ』(ヴィラ・アリアナ 紀元前1世紀)©ArchaiOptix(7 October 2018)/Adapted/CC BY-SA 4.0 Mentnafunangann permitted『レダと白鳥』(ヴィラ・アリアナ 1世紀)
Olivierw permitted『ヒッポカンポスに乗るネレイド』(ヴィラ・アリアナ 1世紀頃) 鏡を見ながら髪を整える女性(ヴィラ・アリアナ 1世紀)©Carole Raddato from FRANKFURT, Germany/Adapted/CC BY-SA 2.0

各ベッドルームにこれだけの美術作品を飾るというのは『オティウム』ならではとも言えますが、デヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスのベッドルームに通ずる思想を感じていただけるのではないでしょうか。

読書するローマ市民の少女(ポンペイ 60-79年頃) "Fanciulla intenta alla lettura(IV style), I sec, da pompei, MANN8946" ©Sailko(15 March 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0

セレブ・イメージを持たれる有閑マダムは、大人数を雇うことのない程度の人ができることです。

ローマ帝国で『市民』は現代の上級国民や上流階級、『奴隷』が庶民に相当します。物は言いよう、言葉やレッテルの貼り方でイメージやマインドはいくらでもコントロールできます。使いこなすのが支配階級、気づかぬ内に制御されるのが被支配層です。

恋愛は女性という性別さえあれば成立しても、正妻の役割は専門教育を受けていない女性が代替するのは困難です。より多くの人に責任が生じる、上層の身分になるほどそうだと言えます。

英国王の恋愛と結婚
英国王ジョージ4世(1762-1830年)18-20歳頃、1780-1782年 マリア・フィッツハーバート(1756-1837年)32歳頃、1788年 英国王妃キャロライン・オブ・ブランズウィック(1768-1821年)30歳頃、1798年

イギリス王ジョージ4世の恋愛については以前ご紹介しました。プリンス・オブ・ウェールズの21歳の時、生涯の想い人となる6歳年上の未亡人マリア・フィッツハーバートに出逢い、極秘結婚までしました。しかし公式に許可が降りるわけもなく、肖像画の花嫁候補から従姉妹のキャロライン・オブ・ブランズウィックを選びました。肖像画は現代の庶民が想像するより遥かに重要です。この肖像画を見る限り、可憐な美女を選んだ感じでしょうか。

プリンス・オブ・ウェールズ時代のジョージ4世(1762-1830年)30歳頃、1792年頃 キャロライン・オブ・ブランズウィック(1768-1821年)27歳頃、1795年

しかし1795年、ロンドンでキャロラインに初対面したジョージ4世は明らかにがっかりした様子で、お付きの者にグラスにブランデーを注いでくれと頼んだそうです。日本ほど入浴の習慣がないヨーロッパですが、その中でもキャロラインの風呂嫌いは有名で、体臭も凄かったそうです。その日のディナーの席では、キャロラインの口うるさいお喋りや、ジョージ4世の愛人ジャージー伯爵夫人への酷評などにジョージ4世はゾッとしたそうです。キャロラインもキャロラインで、ジョージ4世が明らかに自分よりジャージー伯爵夫人をえこひいきする様子に動揺し、失望しました。

英国王妃キャロライン・オブ・ブランズウィック(1768-1821年)36歳頃、1804年 長女シャーロット・オーガスタ王女(1796-1817年)21歳頃、1817年

教育方針や生まれながらの気質も三者三様と思いますが、王族として気が強くワガママに育った感じでしょうか。他の肖像画を見ると、いかにもそのようにも見えます。ジョージ4世曰く、自身は歩み寄ろうと努力したものの、キャロラインは一切歩み寄ろうとしなかったそうで、性格的にも本当に合わなかったようです。キャロライン側の言い分もあるはずですが、相性は最悪でした。ジョージ4世は嫌悪感でいっぱいだったということで、友人に宛てた手紙によると子作りは初夜に2回、翌日に1回の計3回だけだったそうです。それでも式の9ヶ月後にシャーロット王女が誕生しました。努めは果たしたということで1797年に2人は別居し、ジョージ4世はキャロラインに2度と関わろうとしませんでした。

女王となるはずだったシャーロット王女は成人はしたものの、結婚後に男児を死産し、21歳の若さで死去してしまいました。だからジョージ4世の王位も弟たちの血統に移っています。

恋愛は恵まれなかった親友同士の英国貴族
第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)34歳頃 プリンス・オブ・ウェールズ時代の英国王ジョージ4世(1762-1830年) 36歳頃 マリア・フィッツハーバート(1756-1837年)

親友だったとは言え、ジョージ4世はデヴォンシャー公爵より28歳年上でした。年齢を異様に気にするのも日本の庶民の特徴なので、"特定民族・特定世代の常識"で判断せぬよう意識した方が良いです。幼少期から『学年』で括り、同じ年齢だけを寄せ集め、たった1歳でもその他の才能関係なく年上の方が偉いという意識を学校教育で刷り込まれています。この意識下では28歳上の親友というのはイメージしにくいですが、イギリスの王侯貴族はもっと自由な意識で生きていました。

ジョージ4世の結婚を見ていると、デヴォンシャー公爵も無理に結婚しないでしょう。公爵家の運営を任せられる能力を持つ同等身分の貴婦人、さらに恋愛対象としても魅力的でなければ、お互いに幸せな結婚生活とはなりません。不幸な結婚生活は自分たちだけでなく、周囲の多くのスタッフへの迷惑にも直結します。

ジョージ4世の戴冠式で宝珠を担当した第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)

公爵家は爵位貴族の中でも最上位で、同時代に最適な結婚相手が見つからなかった可能性は十分に考えられます。

独身貴族で生涯を終えたデヴォンシャー公爵は高い身分の女性ならば誰でも良い、とりあえず嫡子を残すことができれば良いという考え方はしなかったということでしょう。

スケールを想像すると、現代の日本の庶民が「代々の家や土地を守るため」、「遺伝子を残すため」、「両親に孫の顔を見せなければ」などの名目で無理に結婚と子育てをし、我慢を主張しながら愚痴を語るのは滑稽にも感じられます。

在し日の王侯貴族より責任がない分だけ自由な身ですから、心から結婚したければ結婚し、子供が欲しければ作り、独身が良いならば独身で生きれば良いのです。選択肢を閉じているのは自分自身です。

イギリス王ジョージ4世の戴冠式(1821年)

そういう感じだったので、イギリス史上最も豪華だったとされるジョージ4世の戴冠式に王妃キャロラインはいません。1795年に結婚し、1796年以降は別居して互いに愛人を持っていました。1814年にはキャロラインはイギリスを出てヨーロッパ大陸にいましたが、戴冠式で王妃としての地位を公的に主張するために帰国しました。しかしジョージ4世は王妃と認めることを拒否し、海外の宮廷に駐在する英国大使に、諸国の君主もキャロラインを承認しないよう保証させました。さらにジョージ4世の命により、キャロラインの名はイングランド国教会の聖公会祈祷書からも削除されました。離婚と言えばイングランド王室1のインテリとされるヘンリー8世が有名ですが、ジョージ4世もあの手この手で離婚しようと画策しました。結局キャロラインは戴冠式の翌月に53歳で崩御し、死が2人を分かちました。

クリスタル・パレス・パークの造園家/建築家/政治家ジョセフ・パクストン卿像(1803-1865年)
 "Bust of Joseph Paxton, Crystal Palace" ©Ethan Doyle White at English Wikipedia/Adapted/CC BY-SA 4.0

チャッツワース・ハウスの初日に運命の出逢いをし、無事に結婚した女性と子供たちに恵まれたジョセフ・パクストン。

親友であるデヴォンシャー公爵の取りなしもあって仕事にも恵まれ、才能を存分に発揮しながら高く評価され、偉大な功績を残すこともできました。

そんな彼は、制約の多いデヴォンシャー公爵やジョージ4世の恋愛をどのように見ていたでしょう。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

ノブレス・オブリージュ
持たざる者に対する、持つ者の責任

成金ジュエリーが滑稽に見えるのは、持たない者から搾取したお金で得た物をつけ、持たない物にひけらかすからです。

真のアンティークジュエリーが持つ、魂を揺さぶるような美しさの理由がご想像いただけたのではないでしょうか・・。

2. ジョージアンのイエロー・ダイヤモンドの特殊性

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

 Genや私がご紹介するアンティークジュエリーをご覧いただいてる方は、一目でこの宝物の特殊性がお分かりだと思います。

色石の種類がこれだけ多いデザインは、他に見たことがないほど珍しいです。その中でひときわ特殊な輝くを放つのが、左のイエロー・ダイヤモンドです。

2-1. イエロー・ダイヤモンドを使った奇跡的な宝物

2-1-1. ティファニー社が価値を確立したイエロー・ダイヤモンド

ティファニーのイエロー・ダイヤモンドのルースの複製
""Tiffany diamond copy" ©Chris 73 / Wikimedia Commons(09:52, 21 October 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0

 イエロー・ダイヤモンドと言えば、ティファニーが世界一有名です。実は、創業者一族の時代にこのルースがジュエリーにされたことはありません。

1878年、ダイヤモンドラッシュに沸く南アフリカで、287.42カラットの原石としてフランス所有の鉱山で発見されました。

創業者時代のティファニー社
カリスマ創業者チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) 宝石・鉱物学者ジョージ・フレデリック・クンツ(1856-1932年)1900年、44歳頃

原石はティファニー社のパリ代理店が購入しました。研究とカットを担当したのが、翌1879年に23歳の若さで入社したばかりのジョージ・フレデリック・クンツでした。クンツ率いるチームは研究に1年かけたそうです。これだけで凄い人件費になります。それが個人レベルでできるのが古の王侯貴族であり、体力のある大企業だったと言えます。コスト計算できる方なら、今のアンティークジュエリー価格が破格とお分かりいただけるはずです。

ティファニー帝国の立役者である天才デザイナー
ジョージ・パウルディング・ファーナム(1859-1927年)1900年、41歳頃 1889年パリ万博 金賞 1900年パリ万博 グランプリ
『蘭のブローチ』
【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted.
『アイリス』"Tiffany and Company - Iris Corsage Ornament - Walters 57939" ©Walters Art Museum/CC BY-SA 3.0

イエロー・ダイヤモンドの原石はカットされたものの、経営と『ティファニー』のブランド名が創業者一族の手を離れた後の、1957年までジュエリーにセッティングされることはありませんでした。ティファニー帝国を創り上げた功労者である天才デザイナーのジョージ・パウルディング・ファーナムや、そのデザインを具現化できる職人集団が当時いたにも関わらずです。

ちなみにこれらは万博で金賞と最高賞グランプリを受賞した、ファーナムのデザインです。宝石は使っていますが、決して巨大サイズではないことにご注目ください。文化新興国アメリカのティファニー社は、ヨーロッパの王侯貴族に認められるべく切磋琢磨していました。成金ではなくまだ王侯貴族の時代だった当時、宝石そのものよりもデザインと細工技術が高く評価されたことをご想像いただけるでしょう。

イギリスの王族
王太子時代の英国王エドワード7世(1841-1910年) エドワード7世の長男アルバート・ヴィクター王子(1864-1892年)

さらに言えば当時は紳士がジュエリーを着ける時代であり、婦人用より紳士用が評価対象として地位が高かったこともあるでしょう。特に『ダンディ』と言えばこの人と言われるほどセンスの良いオシャレで名高いエドワード7世(バーティ)は大のフランス好きで、フランスで買い物をしまくって『宝石王子』と呼ばれたり、『フランス製の英国王』と揶揄されるほどでした。

英国政治家のファッション
初代ロスチャイルド男爵ナサニエル・ロスチャイルド(1840-1915年) ジョゼフ・チェンバレン(1836-1914年)植民地相時代

ファッションリーダーであり大英帝国の王族がジュエリーをセンス良く着けこなし、周囲の上流階級も倣い、大衆の憧れとなりました。紳士がセンス良くジュエリーを着けこなすのは、場合によっては女性が着用する以上に印象的で惹き立ち、とても素敵です。お花のデザインも着けこなします。

イギリスの有力政治家ジョゼフ・チェンバレン(1836-1914年) 【1889年パリ万博金賞】『蘭のブローチ』(ティファニー、ジョージ・パウルディング・ファーナムのデザイン) 【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted.

これを現代の"常識"で、勝手に女性用と思い込む現代人も多いです。分かっていない人に限って、自分は良く分かっていると思い込んでいる場合が多いのが興味深いです(笑)

フランスのクラウン・ジュエリー
フランス王妃マリー・アメリ・ド・ブルボン=シシレ(1782-1866年)1830年、48歳頃 フランス王妃マリー・アメリのサファイアのパリュール(王妃の在位:1830-1848年)
"Parure della regina maria amelia, parigi, 1800-15 poi 1850-75 ca" ©Sailko(16 June 2016, 16:34:00)/Adapted/CC BY 3.0

大きすぎる宝石の用途は限られます。遠くからでも存在感があり、教養や知識がなくても凄そうに感じてもらえるのが利点です。だから、王族が広く大衆向けに富と権力を誇示するためのジュエリーに使用されます。対象はあくまでも大衆です。上流階級が対象の場合は秘密の叡智、教養と知性、センスが重視され、ジュエリーのデザインにも反映されます。

一般大衆は、限られた者だけが共有する秘密の叡智の存在自体を知らないのが通常です。だからデザインも分かりやすく単純なのが通常で、しかも万人受けするものが適切です。Genも「王族のジュエリーって、つまらないものが多い。」と言います。社交界やプライベートで使用するものは違う可能性がありますが、一般人の目に触れる王族のジュエリーは基本的に上記のような思想で作られるため、当然と言えば当然なのです。似たり寄ったりなものが多いのも必然です。

店に立つチャールズ・ルイス・ティファニー(1887年)

創業者チャールズ・ルイス・ティファニーは1900年にパリ万博でグランプリ受賞を成し遂げ、90歳で大往生しました。追悼式でスピーチした友人はティファニーについて、「人の内面を見抜き、能力を判断する力に優れた人物だった。」と述べています。このために従業員の雇用期間が長く、仕事上の関係以上のつながりがあったとも語られました。誰よりも働き、従業員がそれぞれの才能を最大限に生かしながら誇りを持って仕事できるよう環境を整え、それ故に慕われていたからこそ成し遂げた偉業です。ティファニーにとって血が繋がっていなくても従業員は大切な家族同然であり、まさに一昔前の日本企業と同じような会社でした。ヨーロッパ上流階級に認められるべく邁進した人物なので、スタッフへの接し方も彼らに倣らうものだったのでしょう。

創業者時代のティファニー社
創業者 1918年に芸術顧問を退職、1928年ティファニー・スタジオ倒産、1933年に死去 最終:副社長
チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) ルイス・カムフォート・ティファニー(1848-1933年) 鉱物/宝石学者ジョージ・フレデリック・クンツ(1856-1932年)

そのような経営者だったため、創業者チャールズ・ルイス・ティファニーは芸術家としての才能を持つ息子ルイス・カムフォート・ティファニーに無理に経営の跡を継がせることはありませんでした。未来の経営者として経験を積ませるのではなく、本人が望む通り芸術家として活躍できるよう支援し、息子ルイスも期待を裏切りませんでした。1900年のパリ万博ではグラス・アートの工房ティファニー・スタジオとしてルイス自身もグランプリを受賞し、本家ティファニー社を凌ぐほど評価されました。

皆に支えられ、アメリカ人としてヨーロッパ上流階級に認められるという自身の夢を実現し、さらに同時に、愛息もティファニー社を超えるほどアール・ヌーヴォーの第一人者として才能が認められました。満足して旅立ったことでしょう。その後、ルイスは経営を継ぐことはなく、芸術家として脂ののった時期だからこそその活動に専念しました。そして1933年に亡くなり、創業者をよく知るもう一人のキーパーソンで副社長だったクンツ博士も一足先となる1932年に亡くなっていました。

【ルイス・カムフォート・ティファニーの邸宅】ローレルトン・ホール(オイスター・ベイ 1905年完成)
"Laurelton Hall(demolished)from HABS(3707667352)" ©whitewall buick from Hoxie, Kansas, USA/Adapted/CC BY 2.0

ルイスが内装デザインした自邸『ローレルトン・ホール(オイスター・ベイ・エステート)』はアール・ヌーヴォー作品として高く評価されましたが、身内だけ楽しめば良いという建付ではありませんでした。

芸術家や職人の夏のリゾートとして設計されたため、600エーカーの土地に84室もある広大なものでした。アーティストのための寄宿学校も運営していました。

従業員を大事にしたため、ティファニー社は長く勤める人が多かったというのも頷けます。充実した福利厚生、じっくりと時間をかけて才能を育てる姿勢。日本が現代のアメリカ式を真似し、失ったものでもあります。

ローレントン・ホールのリビング(ルイス・カムフォート・ティファニー 1905年完成)
"Laurelton Hall(demolished)from HABS(3707644026)" ©whitewall buick from Hoxie, Kansas, USA/Adapted/CC BY 2.0

ルイスは84歳で旅立ちました。自身が亡くなった後も邸宅が皆のために活用されるよう、『ルイス・カムフォート・ティファニー財団』を創設していました。それにも関わらずルイスの死後は荒廃し、1949年に財団はローレルトン・ホールを売却しました。1957年には焼失し、今は存在しません。そのような連中が、創業者の手を離れた後のティファニーを経営しています。創業者が誰よりも働き、人を大切にして創り上げた会社は栄光とブランド名だけがイイトコ取りされ、今は金の亡者たちにゾンビのように生かされ続けている状態です。あまりにも無惨です。だから制作物のレベルも方向性も全く異なっています。

『ティファニーで朝食を』宣伝用オードリー・ヘプバーン(1961年) 【引用】Tiffany&CO. / ティファニーの軌跡 ©? T&CO. 2025

創業者一族の時代はジュエリーにセッティングされることがなかったイエロー・ダイヤモンドですが、1957年にアメリカの外交官エドウィン・シェルドン・ホワイトハウスの妻メアリーがニューポートで開催されたティファニー主催の舞踏会で着用するためにネックレスにセットされました。

『リボン・ロゼット』と呼ばれ、1961年公開のオードリー・ヘプバーン主演『ティファニーで朝食を』で全世界に向けてプロモーションされ、世界最大級となる128.54カラットの巨大サイズが強調されました。

華奢で清楚な雰囲気のヘプバーンに似合うかと言われると、私は全く合っていないと感じます。何も着けない方が、彼女自身の魅力が際立つ気がします。巨大すぎて収まりが悪く、ことさらに大きさを主張するのは安っぽさと頭の悪さすら感じます。しかし、当時の『女優』の宣伝効果は今とは比較にならぬほど絶大でした。コンテンツが溢れた現代と違い、大衆も初めて見たり買ったりするものだらけだったので、メディアや映画などでプロモーションされると、その通りに鵜呑みにする人が多かった時代です。今は大衆も目が肥え、価値観も多様化して昔ほど大衆コントロールはできません。

【参考】Bird on a Rock(1995年にリメイク)
"Tiffany Diamond2" ©Shipguy(3 May 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0

クンツ博士が率いるチームは、原石の研究に1年をかけたとご説明しました。

最初はファセットを58面にしましたが、3回の改良を重ねて最終的に90面という異例のファセット数で仕上げられました。

ダイヤモンドに、とにかく輝きしか求めない現代人も少なくありません。これもブリリアンカットで儲けようとした業界による洗脳が理由と言えます。

輝きはダイヤモンドの魅力の1つではありますが、そこだけしか見ないのは知識偏向です。

クンツ博士は、とにかく石が輝かないようにするために面数を増やしたそうです。外部に対して光り輝くのではなく、内側に燃え盛る炎のように光を閉じ込めることで黄色の色彩が惹き立つと考えてのことでした。そのアイデアと技術力こそ、当時のティファニー社にとって自慢すべきものでした。大きすぎるが故にデザインの制約があり、ジュエリーには映えにくい宝石です。だからルースのまま所有し、通常はマンハッタン本店に展示し、1893年のシカゴ万博、1901年の前アメリカ博覧会などその他の場所でもルースで展示されました。

ビヨンセとジェイ・Z主演『ABOUT LOVE』プロモーション(2021年)
【引用】Tiffany&CO. / ティファニーの軌跡 ©? T&CO. 2025

鳥のデザインは他の宝石でもたくさん作れるほどチャチな作りなので、飽きられて宣伝効果が弱くなったタイミングでリメイクされました。これは2012年バージョンで、イミテーションを使ったアクセサリーにもありそうな、特徴のない無難すぎるデザインです。レディ・ガガが2019年、ビヨンセが2021年に着用しています。サイズ感的には、オードリーよりビヨンセの方が似合う気がします。肌の色的にも褐色の肌の方が映えると感じます。しかし、創業者時代のティファニーのメンバーが見たら卒倒する気がします。

王侯貴族のジュエリー
主役:教養を詰め込んだデザイン
成金のジュエリー
主役:巨大サファイア
初期アールデコのガーランドスタイルのトロフィー・ダイヤモンド・ネックレス『勝利の女神』
ガーランドスタイル ダイヤモンド ネックレス
イギリス or フランス 1920年頃
¥6,500,000-(税込10%)
【参考】ビスマルク・サファイア・ネックレス(カルティエ・フレール 1935年)

王侯貴族が世界を主導したアンティークの時代は、教養の詰まった格調高く気品に満ちたジュエリーが社交界で羨望の的となりました。良し悪しは画一的な共通の物差しで計ることは不可能で、判断する各人の能力すらも試されます。井の中の蛙のように狭い世界で、成金同士が団栗の背比べのように大きさだけを競うようになった時代のジュエリーは、頭の軽さが悲しいほど漂ってきます。

マッケイ・エメラルド&ダイヤモンド・ネックレス(カルティエ・フレール 1931年) "Cartier 3526707735 f4583fda9a" ©thisisbossi(12 May 2009)/Adapted/CC BY-SA 2.0

全体のバランスが悪いということは考えないようで、とにかく大きければ良いようです。

【参考】南アフリカ最初のダイヤモンド『ユーレカ』 ©fair use

ところでなぜクンツ博士のチームが研究に1年もかけ、それを創業者チャールズ・ルイス・ティファニーが許したのかと言えば、当時イエロー・ダイヤモンドの価値が一般には評価されていなかったからです。

1878年に発見され、1880年にニューヨークに到着した原石は、南アフリカから持ち込まれるようになった多数の黄色味がかった原石の1つに過ぎないと考えられていました。

価値が認められていなければ、価値は存在できません。南アフリカの最初のダイヤモンドとなった『ユーレカ』も、地質学者に認められるまでは子供のオモチャになっていました。

カラーの基準
【引用】『Wikipedia, the free encydlopedoa』Diamond color 18 April 2021, 19:03 UTC

ピンク色などと異なり、ダイヤモンドの黄色は特殊です。

「黄ばんでいる」と見るのか、シャンパンやレモン、もっと深いならば黄金の輝きと呼ぶような黄色の色彩なのか、万人に共通する明確な物差などなく、見る者の主観に依ります。

 

インクリュージョンが多くて黄ばんでいるだけの場合、透明度(クラリティ)は低く、評価も低くなります。もちろん感覚的にも美しく感じるものではありません。

【参考】Bird on a Rock(1995年にリメイク)
"Tiffany Diamond2" ©Shipguy(3 May 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0

クンツ博士らは黄ばんだだけの多くの低品質な原石の中で、この原石が持つポテンシャルに目をつけたのです。

可能性を信じ、ポテンシャルを惹き出すための適切なカットを見つけ出したことで、美しいイエローの色彩を蓄えた特別なダイヤモンドに生まれ変わらせることに成功しました。

まさにRebirth、Reborn。生まれ変わって、新たな存在となった宝石です。

イエロー・ダイヤモンドは万人には気づかれざる、知られざる特別な宝石だったと言えます。

2-1-2. 超稀少なイエロー・ダイヤモンドのアンティークジュエリー

 イエロー・ダイヤモンドはティファニーによって地位が確立されるまで、万人が理解できる確固たる存在ではありませんでした。既に確立された既存の価値観は判断基準ではなく、創業者チャールズ・ルイス・ティファニーやクンツ博士のように、誰からも認められていない環境下でも自身の揺るぎない物差しで判断できる人でなければ心から楽しめる宝石ではありません。これは知られざる存在となっていたアンティークジュエリーを49年前に見出した、Genと同じ構図でもあります。

イエロー・ダイヤモンドの幻のジュエリー
イエロー・ダイヤモンドのアンティーク・リング アンティークジュエリー『イエロー&ブルー・インパクト』
イエローダイヤモンド・リング
イギリス 1880年頃
SOLD
雫型オパール ネックレス アンティークジュエリー『シャンパーニュ』
雫型オパール ネックレス
イギリス 1910年頃
SOLD

但し、イエロー・ダイヤモンドの価値が認められた後も、美しい色彩と透明度を兼ね備えた石は稀少で入手困難でした。色彩が重要なのである程度の大きさが必要な一方で、色彩が濃いイコール不純物の多さとなるため、透明度も兼ね備えた大きさのあるイエロー・ダイヤモンドという宝石そのものが幻のような存在でした。だからこれまで49年間で、今回の宝物以外はこの2点しかご紹介できていません。どちらもティファニー社が見出した後の時代の制作と見られ、左の石は分かりやすいイエローを湛えています。右のネックレスは一番上がシャンパン・カラーのイエロー・ダイヤモンドです。

雫型オパールとシャンパンカラー・ダイヤモンドのエドワーディアンのネックレス アンティークジュエリー

黄ばんだダイヤモンドではなく、カラー・ダイヤモンドとしてデザインしているのは、ダイヤモンドを使ったフレームから判断できます。

他のダイヤモンドは、白いプラチナのセッティングです。

ベルエポック フランス ルビーリング アンティークベルエポック ルビーリング
フランス 1910年頃
SOLD
ベルエポック フランス ルビーリング アンティーク 天然真珠ベルエポック 天然真珠&ルビーリング
フランス 1910年頃
SOLD

同じエドワーディアンのハイジュエリーをご覧いただくと、ルビーのセッティングはゴールドであることがお分かりいただけると思います。画期的な新素材として1905年頃にジュエリーの一般市場に登場し、最高級ジュエリーの全面にデザインされたプラチナですが、ルビーのセッティングだけはゴールドなのです。ここだけゴールドにしても、材料費のコストカットより職人の技術費や手間賃の方がかかるような部分です。

ベルエポック フランス ルビーリング アンティークベルエポック ルビーリング
フランス 1900〜1910年頃
SOLD
8角形のベルエポックのルビー・リングベルエポック ルビー リング
フランス 1910年頃
SOLD

なぜルビーのセッティングだけゴールドなのかと言えば、色石の色彩をより鮮やかに見せるためにゴールドは有効で、最高級ジュエリーは昔からカラー・ストーンはゴールドでセッティングする慣習があったからです。例外はあり、持ち主の好みなどもあって、特にエドワーディアン以降は白一色で統一した宝物も存在します。

英国王室御用達D&J. Wellby社のエドワーディアンの非加熱アクアマリンのネックレス&イヤリング アンティーク・ジュエリー英国王室御用達D&J. WELLBY社
アクアマリン デミ・パリュール
イギリス 1920年頃
SOLD
英国王室御用達D&J. Wellby社のエドワーディアンの非加熱アクアマリンのネックレス アンティーク・ジュエリー

濃い色彩だけでなく、アクアマリンのような淡い色彩のカラー・ストーンでも適応されます。

これは英国王室御用達D&J. WELLBY社のデミ・パリュールです。

ペンダントのセンター・ストーンとなる長方形のアクアマリンのみ、ゴールドでセッティングされています。

英国王室御用達D&J. Wellby社のエドワーディアンの非加熱アクアマリンのネックレス アンティーク・ジュエリー

淡い色彩の色石も、ゴールドのフレームにセットすることでより濃く鮮やかな印象に惹き立てることができます。見た目には僅かな違いであっても、印象には大きな違いとして影響します。感情や心へ訴えかけるこの違いこそ最重要であり、だからこそそれを理解している王侯貴族は手間暇やお金を惜しまないのです。

雫型オパールとシャンパンカラー・ダイヤモンドのエドワーディアンのネックレス アンティークジュエリー『シャンパーニュ』
雫型オパール ネックレス
イギリス 1910年頃
SOLD
雫型オパール ネックレス アンティークジュエリー

これを踏まえると一番上はシャンパン・カラーの美しいダイヤモンドとして、雫型オパールと共に2大主役でデザインされていることにご納得いただけると思います。分かる人にだけ分かるという難易度の高さが、貴族らしい宝物です♪

2-1-3. 幻のイエロー・ダイヤモンドのアンティークジュエリー

 創業者チャールズ・ルイス・ティファニーやクンツ博士が見出し、その情熱によって価値を確立していったイエロー・ダイヤモンドですが、アンティークジュエリー市場の黎明期から仕事をしているGenですら40年以上のキャリアでこれだけしかお取り扱いしていません。

ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移 【出典】2017年の鉱山資源局の資料

南アフリカのダイヤモンド・ラッシュは、それまで世界の主要供給地だったブラジル鉱山とは桁違いの量をもたらしました。ブラジル鉱山は毎年10万カラットが産出されており、ごく限られた王侯貴族のためだけの宝石として存在しました。同じスケールで表わそうとすると、オレンジ線で示したブラジル鉱山の産出量はほぼ0にしか見えません。南アフリカのダイヤモンドラッシュ以降ですら、宝石として成立する美しく高品質なイエロー・ダイヤモンドは滅多にありませんでした。微々たる量から選ばなければならなかったブラジル鉱山の時代、上質なイエロー・ダイヤモンドそのものが夢幻だったのです。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

カラー・ダイヤモンドそのものがその存在を社交界でも知られておらず、価値も確立していなかった時代の宝物です。

敢えてセンター・ストーンにせず、気づく人にだけ「?!その宝石は何ですか?」と会話が始まるデザインになっているのが、持ち主の余裕や遊び心すら感じます♪

当時の社交界でも知られざる宝石であり、存在すること自体が驚くべき宝物と言えます。黒幕は影にいる、真の主役は目立たない部分にいるというような体です。縁の下の力持ちに徹し、皆の幸福を実現しようとした、古き良き時代の貴族らしい佇まいとも言えますね♪

2-2. 宝石への最上位の尊敬を感じるセッティング

2-2-1. 金と銀のフレームの使い分け

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

 ジャルディネッティ・リングにデザインされた、下2枚の葉はクリア・カラーのダイヤモンドを使用しています。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

200年ほどの時の経過による古い味わいがあって分かりにくいですが、イエロー・ダイヤモンドはゴールド、通常のダイヤモンドはシルバーでセットしています。イエロー・ダイヤモンドは色石として、色彩がより惹き立つためです。通常のダイヤモンドはゴールドの色味を反映して黄ばんで見えぬよう、白い金属としてシルバーを使用しています。ここまでは、王侯貴族のための最高級ジュエリーとしては当たり前の配慮と言えます。

2-2-2. 見えない裏側の戦略的な設計

 5粒もの最高級の色石を使った贅沢なリングですが、最も表情の変化が大きいのがイエロー・ダイヤモンドと言えるかもしれません。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

通常光では、色彩に関しては左に近い印象です。右はジュエリー撮影用の強いライトを当てています。イエローの色彩が濃く感じられます。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

同じように撮影用のライトを当てても、この角度ではレモン・イエローに近い色彩です。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

この角度では、わりとイエローを強く感じます。

これらの豊かな表情の変化には、明確な理由があります。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング イエロー・ダイヤモンドの最高級ジャルディネッティ・リングの裏側

裏側を見るとカラー・ストーンはクローズド・セッティング、クリア・カラーのダイヤモンドはオープン・セッティングになっています。イエロー・ダイヤモンドもカラー・ストーンの扱いとして、クローズド・セッティングなのです。

カボッションガーネット 天然真珠 リング アンティークジュエリー 『Day's Eye』-太陽の眼-
カボション・ガーネット&天然真珠リング
イギリス 19世紀後期
SOLD
カボッションガーネット 天然真珠 リング アンティークジュエリー カボッションガーネット 天然真珠 リング アンティークジュエリー

色彩をより鮮やかに魅せるため、クローズド・セッティングの色石はゴールドを下に敷きます。この効果が分かりやすいのがガーネットで、通常光でもある瞬間に『真紅』が鮮やかに見えるのはそのためです。太陽光の元だとバッチリです!♪

カボッションガーネット 天然真珠 リング アンティークジュエリー カボッションガーネット 天然真珠 リング アンティークジュエリー

室内灯でも、光の角度によって真紅の色彩は現れます。このような表情の変化こそ、宝石が人を強く惹きつける魅力です。静止画でも動画でもお伝えきれない部分です♪

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

南国の植物のために設計されたコンサヴァトリーは、太陽光をふんだんに取り込む社交場です。美白信仰の強い現代日本人と違い、太陽に恵まれないヨーロッパの人々は本当に太陽光が大好きですし、太陽信仰も根強いです。南国のフルーツのように、このイエロー・ダイヤモンドも太陽光を取り込むことで奥のゴールド由来の鮮やかさが増し、フレッシュな果物のように瑞々しく輝きます。コンサヴァトリーで使用するジャルディネッティ・リングとして、完璧な設計と言えます!♪

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドの最高級ジャルディネッティ・リングの裏側

この時代のクリア・カラーのダイヤモンドは、クローズド・セッティングにする場合も多いです。

しかしこの宝物はオープン・セッティングになっていることから、イエロー・ダイヤモンドのクローズド・セッティングは戦略的な設計と判断できます。

王侯貴族や関連する宝飾師たちの頭の良さにも感動しますし、美意識の高さと美しさへの探求に改めて心がハッとします。ジャルディネッティ・リングの至高と言って過言ではないでしょう♪

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

2-3. 他のイエロー系の宝石では出せない魅力

2-3-1. 高さを出した厚みのあるカット

 このイエロー・ダイヤモンドはダイナミックなシンチレーションが魅力の1つです。静止画ではお伝えしきれませんが、瞬間ごとに煌めきが変わる様子は見ていて飽きることがありません!♪

オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド

これはクラウンに厚みのあるカットだからこその、量感のある華やかな輝きです。クラウンの1つ1つのファセットの面積が大きく、大胆な反射光となります。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

リングは他のアイテムと比較してぶつけてダメージを受けやすいという性質上、単なる見た目だけでなく耐久性も含めて設計されます。宝石のカットの妙で、ダイヤモンド以外の宝石も立体的なフォルムに見え、輝きも表情も豊かですが、実は全体的にかなりフラットな作りです。その中でイエロー・ダイヤモンドだけが極端に飛び出ています。アンティークのリングはコンディションが悪くて、HERITAGE基準を満たさないことも多いです。およそ200年ほども前のジョージアンともなればなおさらです。一箇所だけこれほど飛びて出ていたら、優先的にダメージを受けるのは必至です。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

200年間、これほど魅力的なリングが誰からも使用されないことはあり得ません。肉眼では気づかないほどですが、サファイアは拡大すると、モース硬度9という硬さがあっても若干の摩耗が感じられます。しかしイエロー・ダイヤモンドは摩耗が感じられません!!

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

ファセットのエッジのシャープさを保っており、だからこそ制作当時のベスト・コンディションで輝きます。

同じ黄色系の宝石でも、シトリンやトパーズでは不可能です。ダイヤモンドとサファイアで、モース硬度は数字的には1しか違いません。しかし10と9では大きな違いがあるとされます。

約200年の時間の経過が、まざまざとその事実を感じさせます。ダイヤモンドの不可侵の硬度に、改めて感動します♪

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

厚みがあることで、イエロー・ダイヤモンドの色彩をより濃く感じることもできます。使うために作られ、財産性も備えることを想定したジュエリーだからこそ、世代を超えられる耐久性は必須です。一見すると単純なことに感じるかもしれませんが、その耐久性を満たした上で、美しさも備えるのは大変なことです。ダイヤモンドがいかに特別な宝石なのか、感じていただけると思います♪

2-3-2. ポテンシャルを最大限に惹き出した磨き仕上げ

 このイエロー・ダイヤモンドの光沢は見事です。アンティークのハイジュエリーを見慣れていても、改めてハッとするほどです。

オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド

200年ほど前の制作当時のコンディションを保ったファセットだからこそ、ダイヤモンドならではの強烈な金剛光沢が放たれます。反射面は真っ白く全反射しており、まるでダイヤモンドそのものが発光しているようです。ダイヤモンドでありさえすれば美しく輝くと思い込んでいる現代人も多いですが、ポテンシャルを最大限に惹き出すには、完璧な磨き仕上げを施さなければなりません。

アンティークの安物

実際、アンティークのダイヤモンドは輝きが弱いとPRする業界人も少なくありません。ディーラーの場合は「安物を「そんなものですよ!」、「それがアンティークジュエリーの良さです!」、「この味わいが分かる人が粋です!」として高く売りたいからです。現代ジュエリー関係者の場合は「だから現代ジュエリーが良いですよね!」として、自分の商品を買わせたいからです。日本のジュエリー業界は歴史が浅い上、アンティークジュエリーは規模も小さいので、このような偏重した情報や誤った情報で溢れています。書籍化されていても『知識』や『情報』そのものが間違っていることも多く、尤もらしく語る人を鵜呑みにしたり知識バカにならず、ご自身の感覚と知識をバランス良く併用することをお勧めいたします。感覚だけでもダメです。Genも私もそうして来ました。

魅力的なダイヤモンドのアンティークの最高級品
アーリー・ヴィクトリアン ダイヤモンド・リング
『ミラー・ダイヤモンド』
ダイヤモンド リング
イギリス 1840年頃
¥3,700,000-(税込10%)
クッションシェイプ・ダイヤモンド&天然真珠の黄金のコスモスのピアス『コスモス』
フラワー ピアス
イギリス 1870年頃
¥1,440,000-(税込10%)
ワルシャワ製クッションシェイプ・ダイヤモンドのアールデコ・ゴールド・クロス『ワルシャワ・クロス』
ダイヤモンド クロス
ポーランド 1930年頃
¥750,000-(税込10%)

アンティークジュエリーが、イコール上流階級のために作られたジュエリーではないことに注意が必要です。貴族が人口に占める割合や、その絶対数からご想像いただける通り、上流階級のためのアンティークジュエリーは制作数自体がとても少ないのです。私がこの仕事を始めた2018年時点で枯渇はかなり進行しており、ロンドンの高級アンティークジュエリー店でも、安物に手を出さない場合はヴィンテージや中古の年代も扱わざるを得ない状況でした。ヴィンテージ以降の年代や安物に手を出すことなく、アンティークの高級品専門で徹底しているお店はHERITAGEしかないと思います。だからアンティークジュエリー自体はご存知でも、殆どの方は上流階級のために作られた最高級品のダイヤモンドの、ポテンシャルを最大限に惹き出された輝きはご存知ないのです。

ジャンク・アンティークジュエリーのローズカット・ダイヤモンドと接着剤による修理【参考】以前に委託販売をお断りしたジャンクの問題箇所の拡大

接着剤がベッタリのジャンク品を平気な顔で、高額で販売するディーラーが存在するのが日本のアンティークジュエリー業界です。肉眼でしか見ない店頭販売や、拡大画像を掲載しないサイトだと、一般の方は気づかない場合が多いようです。「アンティークジュエリーは稚拙な作り」、「アンティークジュエリーは汚らしい」という印象を植え付けるディーラーは、現代宝飾業界にとっても歓迎すべき存在でした。

エメラルドカットやダッチローズカット・ダイヤモンドが見事なジョージアンのアンティーク・ブローチ

『ダイヤモンド・アート』
ジョージアン ダイヤモンド ブローチ
イギリス 1830年頃
SOLD

アンティークジュエリーのパイオニアGenは圧倒的な目利き能力によって、徹底して王侯貴族のための高級品しかお取り扱いしてきませんでした。そのラインナップしか見ないと、アンティークジュエリーはどれも美しくて当たり前のように感じてしまいます。

【参考】修理で接着剤が使用されたジャンク品

しかし実際は、市場の大半は無数に存在した大衆向けのための安物です。そのようなのものはデザインの背景に教養はなく、作りも稚拙で宝石の質も悪いです。

そのようなものを安く仕入れて高く売ることで儲けようとするアンティークジュエリー・ディーラーが多く存在しました。このようなものを理解できるのが『粋』、『分かっている人』と煽るのは、着物業界が低品質の生糸で作る紬を高く売る商売人の戦術と同じです(笑)

【参考イメージ】ガラスの表面状態による見え方の違い
【引用】KGPress HP / ガラスについて ©KODAMA GLASS 株式会社コダマガラス

ダイヤモンドでさえあれば、強く輝くと思い込んでいる人も少なくありません。しかし反射率は表面の粗さに大きく影響されます。このように同じガラス素材でも、左のように表面が粗いと光が散乱し、反射光は弱く透明感も出ません。右のようにツルツルの滑らかな表面だと、透明度が高く反射光も強くなります。

最も大きな9つのラフカットされたカリナン 宝石として仕上げられた9つのカリナン

ラフカットしただけのダイヤモンドは表面が粗く、磨いて表面を滑らかにする必要があります。最初から細かいヤスリを使うのは不可能で、徐々に番手を細かくしていきます。番手を細かくするほど平滑化して透明度が上がりますが、時間と手間とそれに伴うコストも指数関数的に増大するため、どこまでやるかは依頼主と職人次第です。

英国王エドワード7世に献上されたカリナンが1908年にカットされた事例では、ラフカット後の9石をルースの状態に研磨して整えるのに3人で1日14時間、8ヶ月かかったそうです。これは当時のトップクラスのカット工房が、最新鋭の電動研磨機を使っての時間です。労働時間も現代の日本の基準ではアウトですね。やらされ仕事だと過労死するレベルですが、やり甲斐をもって楽しく作業できていたからこそ成し得たことでしょう。

【参考】現代のローズカット・ダイヤモンド

アンティークジュエリーだから美しいわけではなく、アンティークのカットだから美しいというのも間違いです。頭デッカチで表面的な理解だと、アンティークのカットでありさえすれば良いと考えます。これは物質主義、物質本位的な考えです。日本人は本来、見えないものを視る『心眼』の能力に長けていました。仕上げるためにどれだけの才能と手間とプライドと情熱と真心が込められたのか、心眼で視る能力が鈍っていなければ、まさに目に見えて理解できます。古いカットでも仕上げが甘いと強く輝くことはなく、アンティークの最高級品のような魅力は備わりません。アンティークの安物、現代の適当なジュエリーに共通します。

【参考】現代の通常のブリリアンカットのテーブル
左:反射しない時(チラチラした輝き)/ 右:反射した時(白っちゃけた輝き)

現代のダイヤモンドが美しくない理由はいくつもありますが、カットの質もその1つです。ハイテク機械を使っているので優れていそうに感じますが、右のダイヤモンドからも分かる通り、磨き仕上げが甘いのでテーブルの反射面がすりガラスのように透けています。全反射しておらず、強烈な輝きとは言えません。ダイヤモンドという素材自体は金属に匹敵するような金剛光沢を放つポテンシャルを持ちますが、惹き出さなければ現れません。

走査型電子顕微鏡(SEM)
SEMの真空資料室を開けた状態
"SEM chamber1" ©Olaboy-/Adapted/CC BY-SA 2.5
Dartmouth College Electron Microscope Facility様々な植物の花粉(×500)

大企業で研究者として働いていた頃は、走査型電子顕微鏡(SEM)も毎日使用していました。光学顕微鏡では不可能なナノレベルの大きさまで観察できる、当時で1億円近くしたハイエンドの分析装置でした。人間の目には同じように見えても、表面の微細構造は全く異なることが分かったりします。それが性能差の原因となります。

ちなみに右は植物の花粉です。500倍だと光学顕微鏡とSEMのどちらを使用するか迷う倍率ですが、焦点深度(ピントが合う領域)はSEMに利があり、微細構造がハッキリ見えます。トゲトゲしていますし、それぞれ形状や表面の微細構造に個性がありますね。

アールデコの最高級品 【参考】現代のダイヤモンド・ピアス
ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー『Bright things』
ダイヤモンド 3連ピアス
イギリス 1930年頃
SOLD

個人的に興味があるので、アンティークの最高級品と現代ジュエリーのダイヤモンド表面をSEM観察で比較してみたいものです。

古のヨーロッパ王侯貴族のようにオモチャ(SEM)を買ってくださったり、使わせてくださるパトロン様がいらっしゃったらぜひご連絡ください!

それはさておき、アンティークの最高級品と比較すると、いかに現代のダイヤモンドの仕上げが甘いか分かりますね。高級ブランドや大量販売するメーカーならばプロ・カメラマンが十分な設備で撮影するはずですが、全く魅力的に見えません。撮影者の腕ではなく、明らかにモノの質が悪いのです。『Bright things』はGenが撮影しました。Genも私も撮影に関する専門教育は受けていませんが、アンティークの最高級品はモノ自体が優れているのでどの瞬間も美しく、簡単に魅力的な画像が撮影できます。これも発光しているかのようですね♪♪

仕上げ次第で輝きの強さが変わるローズカット・ダイヤモンド
ローズカットダイヤモンド ピアス アンティーク・ジュエリー第一級の職人の手作業の最高級カット 【参考】現代の機械の量産カット

ローズカットで比較してもこの通りです。仕上げが甘ければ、右の通りガラスのような輝きしか出ません。目立つ爪の方がよほど強く輝いています(笑)

現代に作られたアンティーク風や、フェイク・ジュエリーを買う価値がない理由です。同じクオリティを目指す場合、現代のハイテク技術を使っても相当なコストとなります。また、古の王侯貴族に尊敬されるほどの第一級の職人技とセンスが不可欠なので、同等にはなりません。

【参考】1930年代の一般的な高級ダイヤモンド・ブローチ
1つ1つの原石が丁寧に扱われ、最高の状態になるまで丹念に磨き上げる時代は終焉を迎えました。質より量を求める成金(庶民)の時代、ろくに輝かないダイヤモンドを寄せ集めただけのジュエリーが量産されました。
アールデコ クリスタル&ダイヤモンド ブローチ

心の貧しさや、チープ感ばかりを感じます。

このような、成金の時代となった後期アールデコのジュエリーが現代ジュエリーにつながっています。現代はより劣化しているので、もっと酷いとも言えます。
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド

どの宝石も仕上げが完璧なので、それぞれ最高の煌めきを放ちます。その様子は本当に華やかです。それでも最も魅力的に光り輝くのは、そうなるようカットされた真の主役のイエロー・ダイヤモンドです♪♪

2-3-3. 他のイエローの宝石には出せない魅力

ジョージアンの非加熱シトリンのクロス・ネックレスシトリン 3way ネックレス&ペンダント
フランス 1830年頃
SOLD

 イエロー系の宝石は種類があります。産地が発見されたタイミングなどによって流行の時期は様々です。

今回の宝物が制作された19世紀初期のジョージアンは、シトリンも社交界で流行した高級宝石の1つでした。

現代の『シトリン』
BOUCHERON PARIS シトリンのセルパンボエム・シリーズ パワーストーン
ロングネックレス
シトリン8個(54.89カラット)
¥7,062,000-(2021.5現在) 【引用】BOUCHERON / SERPENT BOHEME LONG NECKLACE, 16 MOTIFS
イヤリング ラージ
シトリン2個(19.05カラット)
¥1,393,200-(2021.5現在)
【引用】BOUCHERON / SERPENT BOHEME SLLEPERS, L MOTIF
アメジストを加熱した『シトリン』ビーズ

現代市場だけしか知らないと、宝石としてのシトリンの真の稀少価値は分かりません。1883年にアメジストを加熱すると、鮮やかな黄色に変色することが分かりました。現代市場の殆どはアメジストを加熱したシトリンです。天然シトリンは昔からとても貴重だったため、非加熱シトリンであれば記載しないわけがありません。ウン百万円するシトリン・ジュエリーもその記載なく販売されているのが、分かり易すぎて笑ってしまいます。そもそも全世界向けにインターネットで販売できるほど、均質かつサイズのある上質な天然シトリンは手に入るわけがありません。高いから良いのものだろうと、顧客が性善説を前提に勝手に勘違いするのを狙った商法です。これらは2021年時点の価格なので、2026年現在ではもっと仰天するくらい高くなっているはずです。

シトリン(citrine)の名は、ラテン語で『黄色』を意味するcitrinaに由来します。Citrinaは柑橘類シトロン(citron)の名の元にもなっています。しかし、元アメジストの加熱シトリンは瑞々しいレモン・イエローや、春の暖かい陽だまりを想わせるような美しさが感じられません。

現代の高級ブランドの量産シトリン
BOUCHERON PARIS シトリンのセルパンボエム・シリーズ パワーストーン

オレンジ色と言うより、なんだか茶色に近い印象です。本来はシトラスのような美しい色彩が魅力の、稀少価値の高い宝石でした。しかし全世界展開で量産ジュエリーとして膨大な数が販売されており、事情を知らないと訳が分からなくなる状況です。

パワーストーン業界でも主張は分かれています。「加熱された石でも、元々の石が持っていたポテンシャルを引き出すお手伝いをしただけで、"天然(由来)の石"であることには変わりないから問題ない。」と主張する業者もいれば、「加熱された石に本当に力があるとは言えない。」、「天然のままの石にこそ力がある。」と主張する業者もいます。

【参考】ブラジル産の天然シトリン

これは現代に採掘されたブラジル産の天然シトリンです。

古のヨーロッパ貴族のものだったアンティークの上質な天然シトリンや、現代の加熱シトリンの濃い色に慣れていると、「色が付いていると言えるの?」と思われるかもしれません。しかし天然シトリンとしてはこれでも十分価値ある石らしいです。

『天然』というだけで「自分は分かっている!」と思い込み、高いお金を出してくれる層の人たち向けですね。

【参考】アクセサリー 【参考】パワー・ストーン

ジュエリー、アクセサリー、パワー・ストーンの順に質は低下していきますが、鉱物の種類にしか興味がない人にとっては全て『シトリン』であり、あまりにもありふれた存在となっています。パワー・ストーンだと価格も安く、高級宝石の印象は持てないでしょう。十分に知識があればそうなりませんが、半端な知識で自分は分かっていると思い込み、主観で判断する人は多いです。

ジョージアンの正装用ジュエリー
フランスの19世紀初期のシトリン&カンティーユのデミ・パリュール
シトリン ネックレス&ピアス
フランス 19世紀初期
SOLD
天然シトリン 非加熱 黄水晶 ジョージアン フランス イヤリング アンティーク・ジュエリー ネックレスシトリン ネックレス&イヤクリップ
イギリス or フランス 19世紀初期
SOLD

ジョージアンに流行した非加熱の天然シトリンは、正装用の華やかなジュエリーに使用されるほど格の高い宝石でした。実際、大きさのあるシトリンは着け映えします。これだけ大きさのあるシトリンをいくつも使うのは物凄いことですが、ジョージアンの時代までは特に王侯貴族の数が限られており、社交界を構成する人数もごく少数だったからこそ作ることができたジュエリーと言えるでしょう。この2つの持ち主が顔見知りだった可能性は高いですし、TPOに合わせてジュエリーも変えるので、ジャルディネッティ・リングの持ち主もこのタイプの宝物を所有していた可能性もあります。

淡い色の宝石は、小さすぎると色を認識できません。ある程度の大きさがあって初めて、色彩を感じることができます。水晶(ロッククリスタル)自体が早くても100年で1mm程度しか成長せず、2cm(2000年以上)を超える大きさは極端に少ないとされます。黄水晶であるシトリンも、大きさと品質を兼ね備えたものは稀少価値が高い宝石なのです。

シトリン ブローチ&ペンダント アンティーク・ジュエリー『社交界の花』
シトリン ブローチ&ペンダント
イギリス 1870年頃
SOLD
シトリン ブローチ アンティークジュエリー レモンイエロー イギリス『春陽のシトリン』
シトリン ブローチ
イギリス 1870年頃
SOLD

だからこそ相応しい扱いを受けます。

シトリンも磨き仕上げが良いと、かなり強く光を反射することができます。

ただ、やはり主役は春陽を閉じ込めたかのような美しい色彩です。最高の状態で比較すれば、ダイヤモンドほどの反射は出せません。シトリンはシトリンの良さを最大限に惹き出すために、煌めきと色彩のバランスをとったカットが施されます。

オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

淡い『色彩』を楽しむにはある程度の大きさが必要ですが、『煌めき』は印象に効いてくるものなので、リング用の小ぶりなサイズでも煌めきが良ければ十分に存在感と美しさを感じます。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

このサイズだとシトリンでは十分な色彩が出せない可能性が高く、ここまでダイナミックなシンチレーションを放つこともできないため、他の色石に埋没したでしょう。上質なイエロー・ダイヤモンドだからこそ成立するデザインであり、イエロー・ダイヤモンドこそがこのジャルディネッティ・リングを特別たらしめているのです。

2-3-3. 輝かせるカットのイエロー・ダイヤモンド

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

 現代の画一的なカットは『何も考えていない感』が満載です。必要なだけ量産できる合成石や、人工処理された屑石に真心を以って接することができる人なんていないでしょう。

天然石はそれぞれが唯一無二の存在です。高い価値があるからこそ、尊敬の念を以って大切に加工されます。古い時代ほど、その傾向は強いです。

だから全ての宝石は、その唯一無二の原石の魅力を最大限に惹き出せるようカットします。1つ1つに最適なカットをデザインすることが、どれだけ大変なことかご想像ください。ああでもない、こうでもないと頭を悩ませます。才能、時間、労力など背景にはとんでもない真心が込められます。HERITAGEが1つ1つの宝物に全力でご紹介ページを制作するのと同じです。量産品は1つのページを作ることでいくつも販売できますが、一点ものにそれをするのは現代の経済構造ではほぼ不可能です。儲けるためにやっている人は絶対にやりません。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

お金儲けが目的でなく心の豊かさをベースにしているからこそ、アンティークジュエリーは安さや楽さでなく感動を追求して制作されます。下3粒はダイヤモンドですが、カットも三者三様です。他の宝石のカットも非常に計算されたデザインなので後述しますが、イエロー・ダイヤモンドは色彩と煌めきの両方のバランスがよく考えられています。色彩に関しては先にご説明した通り、ゴールドを駆使して強調しています。

アンティークのダイヤモンドとブリリアンカット・ダイヤモンドの違い

現代のブリリアンカット

煌めきに関してはカットのフォルムが重要です。クラウンに厚みがなくテーブルが広いと、現代のカットのように白っちゃけて見える瞬間が多くなります。

また、ファセットが細かすぎるとチラチラした弱い輝きにしかなりません。現代のカットは良いとこなしですね。お安さばかり求める顧客に合わせてコストカットを追求しているので、さもありなんです(笑)

オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド

このイエロー・ダイヤモンドは通常の高級アンティークジュエリーに使用されるダイヤモンドと比較しても、クラウンにかなり厚みがあります。その分だけテーブルが狭いため、上部ファセットがバランス良く存在感のある煌めきを放ちます。それ以外の瞬間は光を内部に取り込み、美しい透明感とイエローの色彩を感じさせます。明らかに戦略的な設計です。

オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド

通常は鑑別でもここまで拡大しませんが、この特別なイエロー・ダイヤモンドは拡大して自慢したくなるほど透明度の高い石です!♪

クリーンな石ならではの瑞々しさがあり、レモン・イエローのような色彩がフレッシュさも感じさせます。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

ティファニーの南アフリカ産イエロー・ダイヤモンドのような大きさはありませんが、石そのものの質、さらにはアンティークの最高技術のカットとも相まって、手元で印象的な輝きを放ちます。ブラジル鉱山の時代だからこそ、ダイヤモンドと言うだけで極めて稀少価値の高い宝石でした。そのような中で、ここまで上質なイエロー・ダイヤモンドと言うのは奇跡レベルの存在です。だから他にジョージアンのジュエリーで見たことがありませんし、明らかに高位貴族の特注品と言えるリングに使用されているのです♪

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

ティファニー社がイエロー・ダイヤモンドの価値を確立するより、遥か昔の宝物です。

誰もその価値を知らない時代だったからこそ、確固たる感覚と知性を持つ者にしか扱えず、所有することを許されない宝石です。

ポテンシャルを余すことなく惹き出すために、持ち主と任された職人たちは最高の仕事をしました。

オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド オールドヨーロピアンカットのイエロー・ダイヤモンド

本当に表情豊かに良く輝くので、実物をご覧になれば感激していただけると思います♪

3. 色とりどりの宝石を使った際立つリング

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

 Genや私がご紹介するアンティークジュエリーをご覧いただいてる方は、色彩デザイン的な特殊性がお分かりだと思います。

ルネサンスやネオ・ルネサンス様式などは別として、色石の種類がこれだけ多い宝物は他に見たことがないほど珍しいです。

3-1. 美しいデザインが困難な多色使いのリング

3-1-1. 品良くまとめるのが難しい多色デザイン

 多色使いでデザインのバランスを取るのは難しいです。また濃い色彩を多用すると、下品で安っぽく見えることも少なくありません。

【参考】ジャルディネッティ・ブローチ(20世紀)
ジャルデネッティ・リング アンティーク・ジュエリー

これは1920〜1930年頃にかけて再流行したジャルディネッティ・アクセサリーです。大衆もオシャレを楽しめるように社会構造が変化し、在し日の王侯貴族に憧れて作られたものです。宝石ではなくイミテーションなので、天然宝石のような品質や稀少価値による制約のない、自由な色使いが特徴です。それを踏まえた上で、多色使いはガチャガチャして見える印象です。色とりどりの花々やフルーツのデザインなので成立しますが、通常デザインのアンティークのハイジュエリーに、多色使いがほぼ存在しない理由です。

3-1-2. 天然の色石の稀少価値と品質の制約

 通常デザインと違ってジャルディネッティ・ジュエリーはカラフルな色彩設計がしやすいとは言え、天然宝石を使用する場合、稀少価値や品質による強い制限があります。

【参考】ヘリテイジでは扱わないクラスのジャルディネッティ・リング

これは全てジョージアンのジャルディネッティ・リングです。ジョージアンまではジュエリーを着けるのは上流階級だけだったので、基本的に庶民レベルの安物は存在しません。ただ、高級品でもピンキリの確実な差があります。デザインと作りからもお分かりいただける通り、左ほど低級品となります。ここでは宝石にご注目ください。

枢機卿の宝石
 "Cardinal Gems" ©Mario Sarto, Robert M. Lavinsky, Humanfeather, JJ Harrison, GeeJo(11 April 2010, 21:36)/Adapted/CC BY-SA 3.0

宝石の価値は時代や場所などによって劇的に変化しますが、現代で言う『四大宝石』は稀少性と耐久性を兼ね備えた宝石としてやはり高価でした。色彩の美しさも重要で、高貴なる紫『アメジスト』を加えて『枢機卿の宝石』と呼ばれました。

アメジストは最も印象が変化した宝石です。ルビーより高価な場合もありましたが、19世紀に入り、巨大鉱床が相次いで発見されたことで稀少価値が下がっていきました。

低品質のアメジストを使ったアクセサリー
アメジスト&シェルのロング・ネックレス アメジスト

ジュエリーの歴史が浅い日本の現代の庶民は、アクセサリーやパワーストーン市場にまで溢れる"アメジスト"しか知りません。石はダイヤモンドも含め、質によって宝石、アクセサリー用途、工業用途など分類されます。石の種類によってではありません。しかし、種類だけで判断しようとする人は少なくありません。そのような知識的で頭デッカチな見方ではなく、見た時の印象で判断すべきです。アクセサリーやパワーストーンのアメジストを見ると透明度が低かったり、色彩が薄かったり、茶色く濁っていたり、不均一だったり、天然石としての個性の面白さはあっても、一般的な"宝石"とは異なることがお分かりいただけると思います。

アメジスト・ジュエリーを着用したヨーロッパ王族
スウェーデン王妃シルビア(1943年-)1983年、39歳頃
【出典】THE SWEDISH ROYAL FAMILY$S REGAL AMETHYST TIARA © 2024 THE COURT JEWELLER LLC / Roger Tllberg/Alamy
アメジスト・ジュエリーを着けたカミラ王妃(1947年-)【出典】TOWN&COUNRY© 2024 Hearst Magazine Media, Inc. / TIM GRAHAM/GETTY IMAGES

古代からジュエリー文化を受け継いできたヨーロッパは、現代でも王族がジュエリーを着用する姿を見る機会があります。イギリス人のディーラーから「日本人はアメジスト好きじゃないのかな。」と、不思議そうに聞かれたことがあります。私の場合、パワーストーンや現代ジュエリーに全く興味を抱かないままアンティークジュエリーの世界に入ったため、現代の基準で宝石を判断することがごく自然にないのですが、Gen以外の一般的なディーラーは現代の基準に洗脳されている人も多く、アメジストを安いイメージで嫌厭する傾向があるようです。

アメジスト・ジュエリーを着けたカミラ王妃(1947年-)【出典】THE COURT JEWELLER © 2024 THE COURT JEWELLER LLC/ KIRSTY WIGGLESWORTH/AFP via Getty Images カミラ王妃のアメジスト・ネックレス  【出典】THE COURT JEWELLER © 2024 THE COURT JEWELLER LLC/ KIRSTY WIGGLESWORTH/AFP via Getty Images

現代でも分かっている人は、上質なアメジストは稀少価値のある高価な宝石と認識しています。高貴な紫色は、他の宝石で代替できません。色彩こそ重要です。色の濃さは好みがあります。大きさについては正装用か日常用か、さらにはジュエリー全体のデザインによっても適切なサイズがあります。

現代のイギリスは新興成金が貴族が大半を占めるようになりましたが、代々続く家系に属する貴族は知識や教養、財産も含めて途切れることなく継承しています。日本人がアメジストを選ばないことを不思議がっていたロンドンのディーラーも、ファミリー・ビジネスとして代々王侯貴族と間近に接しながらハイジュエリーを扱っており、世代もGenと同じなので、パワーストーンやアクセサリー市場が低品質アメジストで溢れかえる以前からキャリアがあり、アメジストに対して変なイメージで汚染されていません。

アメジストの結晶
 "Amethyst. Magaliesburg, South Africa" ©JJ Harrison(18 July 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0

現代は合成技術が確立し、サイズ感のある合成アメジストも出回っています。しかし、天然のアメジストは大きさに制約があります。水晶は地底の安定した環境で、長い年月をかけて成長します。早くても100年で1mm程度しか成長せず、不均一な部分も多いです。色ムラ、インクリュージョン、クラックなどが外観に影響します。ここから均質かつ美しい部分を取って宝石にします。美観を無視し、アメジストならなんでも良いという思想で利用するのがパワーストーンやアクセサリーです。

宝石とその他の違い

宝石に値する品質の石は稀少で、だからこそ価値が評価されます。同じ種類に分類されても、品質が低い石は価値が低いです。

【参考】現代宝飾市場のアメジスト

天然石 不明 合成石
【参考】ペンダント 【参考】ティファニー リング(¥363,000- 2021.7現在)
【引用】TIFFANY & CO / パロマ スタジオ ヘキサゴン リング ©T&CO
【参考】合成アメジスト(¥11,035- 2024.5.2現在)【引用】isiya / 合成アメジスト 44.14ct No90872宝石ルースいしや © 2019 ISIYA Co., Ltd. All rights reserved.

大衆がジュエリーを買うようになり、需要が増えたことで天然石では供給を賄いきれなくなり、合成技術開発するメリットも生まれました。2026年時点で世界人口が約83億人に達した現代、庶民の膨大な需要に天然石で間に合うはずもなく、質の良い合成石が需要を満たすようになりました。ジュエリーではなく、本来なら『高級アクセサリー』と呼ぶべきもので溢れかえっています。

【参考】ティファニー アメジスト・リング ¥363,000-(2021.7現在)
【引用】TIFFANY & CO / パロマ スタジオ ヘキサゴン リング ©T&CO

同じ規格のジュエリーを全世界で販売できるほど量産できることに違和感を感じない人は、天然石がどういうものか理解していないと言えます。どうしても天然石にこだわる人向けに、低品質の石を人工処理したものも普及しています。天然の高品質の宝石を手に入れるのは、実はとても難しいことなのです。

19世紀前半の王侯貴族のアメジスト・リング
英国王室所有のスネーク・リング(19世紀初期)
【出典】Royal Collection Trust / Ring © His Majesty King Charles III 2024
粒金が見事なヴィクトリアンのアメジスト一文字リング『La Dame pourpre』
アメジスト 一文字リング
イギリス 1840〜1850年頃
¥950,000-(税込10%)

左は英国王室所有のスネーク・リングで、ジョージアンからアーリー・ヴィクトリアンにかけての19世紀初期の作りとみられます。実物サイズを想像すると、メインストーンのアメジストはかなり小さいです。それにも関わらず、濃い紫色の色彩を持っています。透明度は低いですが、アメジストの供給量そのものが限られていた時代、これこそが王族クラスの品質だったと分かります。HERITAGEでご紹介している『La Dame puurpre』も、小ぶりながら極上の色彩を持つ、当時の最高品質のアメジストを使用しています。

イギリスの摂政王太子ジョージ4世からウォテイエ卿にフランスの戦勝記念として贈られた「PEACE」が宝石言葉で書かれた1814年のメモリアル・ジュエリー
『PEACE』
摂政王太子からウォテイエ卿への贈り物
イギリス 1814年
SOLD

これは歴史的にも特別な宝物で、当時は摂政王太子(リージェンシー)としてイギリスを執り仕切っていたジョージ4世のオーダー品です。小ぶりながらも色彩が鮮やかで美しいアメジストが、堂々とプリンス・オブ・ウェールズのコロネット中央にセットされています。

【参考】ヘリテイジでは扱わないクラスのジャルディネッティ・リング

さて、感覚的に見ていかがでしょう?

左のガーネットは黒っぽくて美しくありません。中央のサファイアも、ブルーの色彩が美しく感じません。この中では右が最も高級で、宝石の種類的にも希少価値の高い石を使っています。

最高級品 HERITAGEでは扱わないクラス
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

そうは言ってもルビー、エメラルド、ダイヤモンドも質はピンキリですし、石そのものの品質だけでなくカットの質も重要です。右のリングは作りとデザインからも、HERITAGEの基準には合わないレベルのものです。美意識が欠如したものは、質より大きさを求める傾向があります。

持ち主を象徴するメイン・ストーンのエメラルドは、大きさばかりを追った感が満載です。カットのフォルムや、今回の宝物のエメラルドと比較すると魅力を感じない色彩にも現れています。磨き仕上げも不十分で、曇ったような表面です。気品が伝わってこず、みみっちさや浅ましさがを感じてしまいます。

その左のダイヤモンドは黄ばんだ色で、セッティングがシルバーであることなどからもイエロー・ダイヤモンドではなくただの低品質の石としか思えません。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

合成石やイミテーションが当たり前の現代人の感覚では気づきにくいかもしれませんが、天然宝石で色彩美しいカラフルなデザインを実現するというのは、稀少性に伴う入手困難さと財力という観点から、想像以上に難しいことなのです。

それこそが王侯貴族のために作られた最高級品の証とも言えます。分かる人にとってはブランド名や権威のお墨付きなど不要であり、一目瞭然で判断できるものなのです。当時の社交界もそうでした。

3-1-3. 贅沢すぎる極上ルビー&サファイアに隠された秘密

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

 影の主役はイエロー・ダイヤモンドですが、表の主役であるルビーも実に見事です!

このルビーが贅沢すぎるからこそ強力に視線を惹きつけ、社交界の人々でも本当に凄い人だけしかイエロー・ダイヤモンドにまで意識がいかないように設計されています。

人間の眼と認識能力は、思いのほか高性能です。分析装置では数値に現れないような、ごく僅かな違いでも高感度で認識できたりします。画像では分かりにくいですが、2石のルビーは色彩が異なります。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

中央のメインのルビーは真紅の印象です。

右側のルビーはややピンク色を帯びた、濃い色彩です。

どちらももちろん非加熱の天然ルビーで品質も良く、これだけでも相当な稀少価値があります。

サファイアも色の良い、高品質の石です。宝石だけを見ても、本当に贅沢すぎる宝物です。手に入れること自体が財力と共に、高いステータスを象徴しています。

セイロン島(スリランカ)
 "Sri Lanka(orthographic projection" ©Connormah(10 June 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0
タイミング的に、この宝物に使用されたルビー&サファイアはセイロン産の可能性が高いと推測します。
ウィーン会議(1814-1815年)

フランス革命からフランス革命戦争を経て、侵略戦争と実質上の世界大戦となったナポレオン戦争により、ヨーロッパの国境はメチャクチャになりました。ナポレオンをエルバ島に追放後、ヨーロッパの秩序再建と領土分割のために諸国代表が集まって1814年にウィーン会議が開催されました。各国の利害が衝突し、「会議は踊る、されど進まず」と評されるほど進捗しませんでしたが、最もうまくやったと言えるのがイギリスでした。ケープ植民地、セイロン島、マルタ島を獲得する形で、1815年にウィーン議定書が締結されました。

南アフリカのケープ植民地のダイヤモンド産業
セシル・ローズ(1853-1902年)1900年、47歳頃 キンバリーの巨大な鉱山跡(南アフリカ)
"Downtown Kimberley seen from the west 2015" ©Bjorn Christian Torrissen(3 August 2015, 13:50:41)/Adapted/CC BY-SA 4.0

ケープ植民地は、1869年頃からの南アフリカのダイヤモンドラッシュでご紹介した通りです。北ケープ州のオレンジ川沿いでダイヤモンドが発見され、そこからキンバリー鉱山(ビッグ・ホール)の大規模採掘につながっていきました。

18歳からキンバリー鉱山で鉱夫としてツルハシを振るう所からダイヤモンド産業に参入し、南アフリカの鉱山王となって、最終的にはケープ植民地首相にまで上り詰めたセシル・ローズが『南アフリカのナポレオン』と呼ばれたことも興味深いです。

古代イスラエルのソロモン王
イスラエル王ソロモン(在位:紀元前970-紀元前931年頃)

ナポレオン戦争を契機として、1815年に公式に獲得したケープ植民地でダイヤモンドが発見されるのは1860年代になってからでした。セイロン島(スリランカ)はソロモン王の時代から知られているルビーの産地で、古くは『インド紅玉』として知られていました。このソロモン王の絵画は1872〜1874年に描かれたものですが、右手を拡大するとルビー・リングに見えます。

古代イスラエルのソロモン王
セイロン島(スリランカ)
 "Sri Lanka(orthographic projection" ©Connormah(10 June 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0
フェニキアのオールオリジナルのエレクトラムを使ったシグネット・リングフェニキアン エレクトラム・リング
エジプト-フェニキア様式 紀元前8世紀頃
SOLD

ソロモン王は海洋貿易が得意なフェニキアのヒラム王と親密な同盟を結び、海洋交易を支配して巨万の富を築いたことで知られます。聖書の列王紀に記された交易品の内容から、フェニキアのタルシシ船はインドやセイロン島(スリランカ)にも来航していたことが推測できます。それどころかマレー半島にソロモン王の名が残る神話も存在することから、古代世界に想像以上のグローバル経済が存在した可能性が十分にあります。

地中海の交易でもお話した通り、貿易の主役は現代でも海運です。鉄道網の整備と大型トラックの登場により、陸路での輸送もある程度の規模を持つようになりましたが、大規模輸送の効率とコストで海運に勝る輸送手段はありません。シルクロード然り、陸路にばかり意識が行く人は多いですが、現実を知る人の視点で見ると、地図は全く違って見えてきます。

ソロモン王に謁見するシバの女王(ジョヴァンニ・デ・ミン 1850年)

伝説によると、ソロモン王はシバの女王にセイロン産のルビーとサファイアを贈り、その心を射止めたそうです。そうしてできた息子メネリク1世がエチオピアの初代王とされ、ソロモン王朝として紀元前10世紀から1974年に廃位されるエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世まで3,000年間存続したとも言われます。『ソロモンの知恵』は有名ですが、メネリク1世は『知恵の息子(Son of the wise)』と呼ばれます。秘密の叡智を継承してきた特別な人々は一般公開用の御伽話的なものでなく、より具体的な詳細も知っているでしょう。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

聖書はヨーロッパ王侯貴族にとって基礎かつ必須の教養であり、『ソロモンの栄華』を築いたダビデ直系のソロモン王は特別な存在です。

シバの女王に贈ったセイロン産ルビー&サファイアの逸話を知る人ならば、植民地として手に入るようになったセイロン島からのルビーやサファイアに、"ただの宝石"以上の想いを重ねることができたでしょう♪♪

第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・ジョージ・スペンサー・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃

1823年に20歳のパクストン卿がチャッツワースハウスに到着した時、デヴォンシャー公爵はロシアに滞在中でした。

ナポレオン戦争では大陸封鎖令で孤立していたイギリスが、ロシアとイギリスの同盟関係(英露同盟)によってロシアの協力を得ることでフランスを追い詰めました。

1812年のモスクワ遠征失敗でフランスは決定的な打撃を受け、1815年のワーテルローの戦いでイギリスが率いる連合軍がナポレオン軍を最終的に破り、この世界大戦は終結しました。

それから10年も経っていない時代、政治や外交を担う高位貴族の日常も垣間見えますね。

人は自分を写す鏡であり、暇人に限って相手も暇だと思い込みます。高位貴族が暇人でキャッキャうふふなお花畑の世界に住んでいたと思うのはその人自身が暇人だからであり、そのような発想しかできない、知識と経験と想像力の貧しさを反映しています。貧相かどうかはお金の有無では決まりません。知識や経験、豊かな想像力は最大限の努力なしに手に入ることはありません。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

心が貧しい人が見ても何も読み取れない一方で、分かる方には途轍もない量の情報を伝えてくれるのが、このような歴史に裏付けされた高貴な宝物なのです。

3-1-4. グリーンが美しい極上エメラルド

 今回の宝物は上流階級のためのハイジュエリーの中でも、特に高位貴族のために作られた最高級品です。デザイン、作り、宝石の全てがトップ・クオリティです。

最高級品 HERITAGEでは扱わないクラス
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

エメラルド1つ見ても、並の貴族のものとは品質がまるで違います。深い色彩や、カットの良さにはっきりと現れます。透明感や深い色彩は、品質の良いエメラルドしか出せません。

【参考】ギルソンの合成エメラルド・リング(ヴィンテージ)

エメラルドは鉱物学的な性質上、安定した環境で育つ合成石であっても完全無欠の完璧な結晶にはなりません。結晶学的に欠陥が出やすい性質があり、合成石でもオイル含浸処理されるほどです。それ故に、現代の基準でもインクリュージョンの有無ではなく、色の良し悪しが評価指標とされます。

オイル含浸処理前と後  【引用】GIA / 宝石の処理について © 2002 - 2021年 Gemological Insitute of America Inc. GIA

中央宝石研究所(CGL)によると、「その緑色の深さが十分であれば内包物の存在で評価を落とすというよりもその色調により高い評価が与えられている宝石」なのだそうです。しかし、内包物の多さと緑色の深さは相互関係にあります。内部にインクリュージョンやクラックが多いと濁った印象になりますし、表面にあれば傷となります。表面の傷は、オイル処理である程度は誤魔化せます。

【参考】現代のエメラルド・リング(含浸処理品)

内部のクラックでも表面まで到達したものなら真空ポンプで無理やり樹脂埋めすることができますが、元々が汚い石では限界があります。

【参考】ヘリテイジでは扱わないクラスの天然エメラルド・リング

一般的な高級品ではこの程度です。エメラルドの合成技術が確立されたのは1940年代以降と比較的新しく、アンティークジュエリー市場で見ることはありません。現代では合成技術と後処理技術の進化で小綺麗なものも普及していますが、天然で本当に美しいエメラルドというのは最高級品でしか手に入らないのです。それにしても成金趣味の人々は品質に全く意識が行かず、大きさばかり気にする共通感覚が興味深いです。主張が激しい『ドヤらずにいられない病』は、自分に自信がない証ですね。

【参考】ヘリテイジ基準の最高級エメラルド・リング

ヴィクトリアンのエメラルド&天然真珠の彫金リング『EQUILIBRIUM』
エメラルド&天然真珠 リング
イギリス 1860年頃
¥1,500,000-(税込10%)
完璧なエメラルド&ダイヤモンドのゴールドリング『PERFECTION』
完璧なエメラルド・リング
イギリス 1860〜1870年頃
SOLD
天然エメラルドのアンティーク・リング『エメラルドの深淵』
珠玉のエメラルド・リング
イギリス 1880年頃
SOLD

Genも私も宝石そのものではなくデザインと作りで選びますが、最高級品は必ず宝石の質も極上です。右のエメラルドは、奥のシャンクが透けて視認できます。それほど透明度が高く、だからこその濁りない深い色彩が実現しています。中央のエメラルドはメインストーンとしては小ぶりですが、驚いたことに顕微鏡で拡大してもインクリュージョンが視認できないほどクリーンです。完全無欠のエメラルドを実現するために、かなり無駄の多いカットを施したことが推測できます。とんでもない美意識の持ち主が、お金を気にせず具現化させたのでしょう。左のエメラルドは3石全てが深い色彩で、クローズド・セッティングなので透明度より色彩の美しさが印象に残ります。透明なダイヤモンドではなく、純白の天然真珠が対比になっているからこそ、余計に鮮やかな緑色が惹き立ちます。

イギリスの摂政王太子ジョージ4世からウォテイエ卿にフランスの戦勝記念として贈られた「PEACE」が宝石言葉で書かれた1814年のメモリアル・ジュエリー

『PEACE』
摂政王太子からウォテイエ卿への贈り物
イギリス 1814年
SOLD

王族たるジョージ4世のオーダー品を見ても、どのようなエメラルドが社交界で高く評価されていたかは感じていただけるでしょう。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

コンディションも良く、エメラルドカットのスタイリッシュな煌めきも堪能できます。表面の小さな傷は、その大きさからも後からのダメージではなく、元々あったインクリュージョンやクラックとみられます。これはエメラルドの特性上、あって当たり前のものです。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

深い色彩と共に煌めきも抜群で、これほど贅沢な宝石物のジュエリーは他にはないと感じるほど全ての宝石が贅沢です。やはり他にはないイエロー・ダイヤモンドの存在が大きいとは感じますが、美意識が行き届いた宝物なので、エメラルドもやっぱり極上なのです♪

3-1-5. カットが異なる表情豊かなダイヤモンド

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

 芳醇な果実を実らせる、色とりどりの南国の花々の表現は極上のカラー・ストーンです。

それに対し、名脇役としてクリアなダイヤモンドで葉っぱをデザインしているのが良いですね♪

3-1-5-1. 古のステップカット

 お金儲けが目的でなく心の豊かさをベースにしているからこそ、アンティークジュエリーは安さや楽さでなく感動を追求して制作されます。イエロー・ダイヤモンドと2枚の葉のクリアなダイヤモンド、どれも各原石を最も生かすことができる三者三様のカットが施されています。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

右のステップカットは古い時代ならではです。誤魔化しが効かずインクリュージョンが目立つカットなので、上質なダイヤモンドでしか美しさが出せません。19世紀に入ると華やかなオールドヨーロピアンカットやローズカットに影に隠れ、一度忘れ去られます。アンティークジュエリー市場の多くを占める、ヴィクトリアンのジュエリーには殆ど見られません。

ステップカットをデザインしたアールデコの宝物
アールデコのエメラルドカット・ダイヤモンドのブローチアールデコ ダイヤモンド ブローチ
イギリス 1920年頃
SOLD
アールデコのエメラルドカット・ダイヤモンド&ルビーのリング後期アールデコ・リング
フランス 1930〜1940年頃
SOLD

再注目され、復活するのはアールデコ以降です。南アフリカからの豊富なダイヤモンドを利用できるようになった上に、電動ダイヤモンド・ソウの発明によって以前なら利用できなかった原石まで使えるようになったことも後押しでした。透明感とスタイリッシュな雰囲気が魅力の、Genも私も大好きなカットです。

ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移 【出典】2017年の鉱山資源局の資料

ジョージアンの時代はブラジル鉱山(オレンジ色)がダイヤモンド主要産地で、産出量は毎年10万カラットと限定的でした。しかも、その中の上位6%しかカットできません。カット技術も近代化されておらず、膨大な手間と時間がかかりました。同じ系統のカットでもダイヤモンドそのものの稀少価値、加工費などの観点から、アールデコの時代とは価値がまるで違います。

ジャルデネッティ・リング アンティーク・ジュエリー『南国の風』
ジャルデネッティ・リング
フランス 1800〜1820年頃
SOLD

『南国の風』も、「ステップカットを使ったジャルディネッティ・リングはとても珍しい!」とGenが感激していました。ちなみにトルコ石を使用したものも珍しいそうです。

Genも私も選び方が同じで、普通ではないもの、唯一無二の傑出した良いものに心惹かれて選びます。例外的なものばかりをご紹介する結果となっていますが、Genの望みもあってHERITAGEでは選び方をさらに厳しくしているので、その傾向がさらに強いのです。

最高級ジャルディネッティ・ジュエリー
ダッチローズカット・ダイヤモンドのジャルデネッティ・リング アンティーク・ジュエリージャルディネッティ ダイヤモンド・リング
フランス? 18世紀後期
SOLD
ローズカット・ダイヤモンドのジャルデネッティ・リング アンティーク・ジュエリージャルディネッティ ダイヤモンド・リング
フランス 18世紀後期
SOLD
ブリストル・ブルーグラスのジャルデネッティ・ロケット・ペンダントブリストル・ブルーグラス ロケット・ペンダント
フランス or イギリス 1800年頃
SOLD

ジョージアンのジャルディネッティ・リングのダイヤモンドは、ローズカットが多いです。煌めきが華やかということで、好まれるようになったカットです。オールドヨーロピアンカットのダイナミックなシンチレーションに対し、透明感と瑞々しい輝きが魅力なので、生き生きとした植物表現に向いているのも理由でしょう。

インド産ゴルコンダ・ダイヤモンドのクッションシェイプ・ダイヤモンドが見事なジャルディネッティのアンティーク・ブローチジャルディネッティ ダイヤモンド・ブローチ
フランス or イギリス 1780〜1820年頃
SOLD

それでも持ち主の好みによって、クッションシェイクやオールドヨーロピアンカット、オリジナルのカットを駆使し、無色のダイヤモンドだけでパワフルな南国の花や果実を表現した宝物もありました。

ステップカットは使用されていません。

ダイヤモンドの切削加工場(1710年頃)

南アフリカのダイヤモンド・ラッシュによってカットが近代化される以前、研磨工程は2人1組の作業でした。1人が人力で回転盤を回し、もう1人がダイヤモンドを回転盤に押し付けて磨きます。

人件費は2人分を要すことになります。ただでさえ研磨は時間がかかる作業です。回転盤は同じペースでひたすら回し続けなければならず、手回しだなんて気が遠くなります。

原石の材料としての価値以上に、カットにかかるこの時間と技術こそがダイヤモンドを高価で特別な宝石たらしめています。

雰囲気が異なる新旧のステップカット
カットの近代化以前 カットの近代化後
チューダー朝のステップカット・ダイヤモンド・リング ゴルコンダ・ダイヤモンド アンティークジュエリーチューダー朝ダイヤモンド・リング
1485-1603年
SOLD
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リングジャルディネッティ・リング
イギリス 1820年頃
今回の宝物
アールデコのステップカット・ダイヤモンドのリングアールデコ ステップカット・ダイヤモンド リング
アメリカ 1930年代
SOLD

同じ系統のカットでも、電動のダイヤモンド・ソウや研磨機を使えるようになる前と後では必要なコストと技術だけでなく、仕上がりとそれに伴う雰囲気も異なります。優劣ではなく好みと言える領域ですが、古のダイヤモンドは稀少な上に、やはり独特の魅力があります。左のようにさらに古い時代だと、面数の少ないステップカットは主流です。今回の宝物はオールドヨーロピアンカットやローズカットなど煌びやかなカットが主流となった時代なので、よほど持ち主がこだわらないとステップカットは使用されません。

ジャルデネッティ・リング アンティーク・ジュエリー『南国の風』
ジャルデネッティ・リング
フランス 1800〜1820年頃
SOLD
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リングジャルディネッティ・リング
イギリス 1820年頃
今回の宝物

ステップカット・ダイヤモンドはGenがこよなく愛する通り、特別な美的感覚を持つ人にとって強い魅力があります。流行に流されず、確固たる自身の物差しで選べる人は、その普遍の魅力を迷いなく選ぶことができます。そのような人々こそが社交界でも孤高の存在として目立ち、社交界の華として流行や文化を導いてきました。

『類は友を呼ぶ』、現代風に言うならば『引き寄せの法則』的に、超特別な存在であるにも関わらずステップカットを選んだジャルディネッティ・リングがHERITAGEに来てくれたのでしょう。同調する波長が『ご縁』となってつながるものなのです。それぞれ方向性も雰囲気も全く異なるのが最高に楽しいです。どのような麗しい貴婦人たちが持ち主だったのか、なんとなく伝わってきますね!♪

3-1-5-2. 贅沢なオールドヨーロピアンカット
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

 左側の葉のクッションシェイプ・ダイヤモンドも、目を見張る美しさがあります。

単なる脇役としてスルーしてしまうには勿体無いほどの存在感と美しさがあります!!♪

素材として最高品質なのはもはや当たり前で、ここではカットにご注目ください。テーブルがかなり狭いことにお気づきいただけたでしょうか。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
儲けのためにコスト最優先でデザインした薄いカット
アンティークのダイヤモンドとブリリアンカット・ダイヤモンドの違い 現代のダイヤモン・ドリング

アイデアルカットで味をしめた現代ジュエリー業界は、さらに儲けようと「トルコフスキーのアイデアルカットに改良を加えて、より進化した形にしました!」と尤もらしく宣伝しながら、薄っぺらいダイヤモンドを販売しようとしました。正面から見ると同じ大きさに見えながら、総量は少ないのでお安く販売できるというカラクリです。もちろん割高に設定されますが、価格そのものは安いため、表面的にしか物事を考えられない層には響きます。同じカラット数の場合、正面から見た時の面積が稼げて大きく見えることも、大きさにしか意識が行かない層には響きます。割高で売って儲けたい業界と、安い定価と大きさだけを求めるタイプの客の間でWin-Winの関係が成立します。浅ましい同士で『類は友を呼ぶ』現象です(笑)

カットのフォルムと磨き上げで全く異なるダイヤモンド

ジョージアンの最高級ジャルディネッティ・リングのクッションシェイプ・ダイヤモンド今回の宝物のクッションシェイプ・ダイヤモンド 【参考】1ctオーバーのダイヤモンド・リング(ハリー・ウィンストン 現代)

このカットはハリー・ウィンストンもやっていたようですが、今はあまり聞かないので、さすがに美意識の低い成金にすら不興だったのかもしれませんね。薄っぺらいと安っぽく感じますし、ダイヤモンドなのに魅力的な輝きが出せません。アンティークのハイジュエリーに意識が行くような人たちほどの感覚はなくても、さすがにやり過ぎれば倦厭されるでしょう。それに対し、今回の宝物のクッションシェイプ・ダイヤモンドはアンティークのハイジュエリーでも滅多に見ないほど贅沢なカットです!♪

美しさ最優先の贅沢すぎるカット
アンティークのダイヤモンドとブリリアンカット・ダイヤモンドの違い ジョージアンの最高級ジャルディネッティ・リングのクッションシェイプ・ダイヤモンド
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

現代ジュエリーがローズカットを作らなかった理由はいくつかあります。技術と手間がかかり、それは人件費としてコストに直結します。現代は特別なダイヤモンド以外、稀少価値はありません。流通コントロールと印象操作で稀少価値があるよう、一般人に思い込ませているだけです。圧倒的に材料費が安いため、加工費を極限まで減らすことが利益の最大化となります。小さなローズカット・ダイヤモンドを得る行為は、ビジネスの目的に合わないのです。一方、アンティークの時代は技術と手間をかける価値がありました。ダイヤモンドそのものが稀少で高価だったため、無駄なく活用する意図もあって副産物的に極小ローズカット・ダイヤモンドが作られていました。しかし、メインとなるクッションシェイプやオールドヨーロピアンカットのクラウンを厚くするほど、得られるローズカット・ダイヤモンドは小さくなるか得ることすら難しくなります。

ダイヤモンドのグレードと稀少性

1900年に電動ダイヤモンド・ソウが発明される以前、ダイヤモンドのラフカットは劈開性を利用するしかありませんでした。結晶系が整った原石しか使えない手法で、天然ダイヤモンドの上位わずか6%程度しか利用できませんでした(ソーヤブル原石)。その中でさらに品質の良し悪しがありました。

眼光鋭い鷲のローズカット・ダイヤモンドのゴールド・クラバットピン『EAGLE EYE』
ゴールデン・イーグル クラバットピン
フランス 1890年頃
¥1,500,000-(税込10%)

ダイヤモンドは利用できる総量が極めて限定されていた上に、上質な石となればさらに貴重です。

教養と美意識がある王侯貴族は単なるオマケのような使い方はせず、最大限に魅力を発揮する生かし方も分かっていました。

だからこそバランスを取りながら、貴重な原石からメインのダイヤモンドとローズカットを得ていました。

ジョージアンの最高級ジャルディネッティ・リングのクッションシェイプ・ダイヤモンド ジョージアンの最高級ジャルディネッティ・リングのクッションシェイプ・ダイヤモンド

このクッションシェイプ・ダイヤモンドは実際の大きさを考えると、1つの原石からこの石だけ取った可能性が高いです。

このような取り方は、アンティークのハイジュエリーでも普通はやりません!!

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
アンティークのダイヤモンドとブリリアンカット・ダイヤモンドの違い

1つの原石から2つのルースを得ることで、費用負担を分担できます。

もちろん大きさがあって見栄えもするオールドヨーロピアンカットやブリリアンカットの方が高く設定されます。

現代ジュエリーの場合、より高く設定できるブリリアンカットを、正面から見た時になるべく大きな状態で取るために薄っぺらくするわけです。詐欺のような手口で笑えますし、数学的には面白いですし賢いです。但し恥でしかありませんから、私はひっかかりたくはありません(笑)

ジョージアンの最高級ジャルディネッティ・リングのクッションシェイプ・ダイヤモンド ジョージアンの最高級ジャルディネッティ・リングのクッションシェイプ・ダイヤモンド
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

ダイヤモンドという素材そのものの稀少価値が極めて高かった時代、オーダー主はこの美しさのために、一人で最高品質の原石費用を負担できる人物だったと言えます。メインストーンではなく、ジャルディネッティ・リングの脇役となる葉っぱのダイヤモンドにそれだけのことをやれる美意識と財力の証です。

統一規格で大量生産する現代の無個性なダイヤモンド
イエロー・ダイヤモンド・リング(ティファニー)【引用】TIFFANY & CO / Tiffany Soleste Cushion-cut Yellow Diamond Halo Engagement Ring in Platinum ©T&CO 【参考】サファイア&ダイヤモンド・リング

現代のダイヤモンドは機械制御でレーザーも駆使してカットするため、原石1つ1つの個性を見極めることはよほど特別な場合を除いてありません。GenがルネサンスHPでまとめた通り、現代は様々な後処理が存在します。

ディープ・ボイリングと言う酸処理に至ってはGIAお墨付きです。この処理は鑑定書に記述する義務がなく、ごく自然に何も考えず実施されます。養殖真珠のみならず、ダイヤモンドすら極限まで個性を奪われている有様なのです。1人1人のありのままの個性を許さず、とにかく均質化しようとする在り方は現代の人間社会を反映しているようでもあります。何の価値があるのか、私にはさっぱり分かりません。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

脇石ですが、それでもこれほどまでに情熱を込めて制作されているのがアンティークの最高級ジュエリーです。だからこそ『縁の下の力持ち』として最大限の魅力を発揮しています。厚みだけでなく透明感も極上で、完璧な磨き上げあってこその強い煌めきも見事です!♪

これほど脇石にまで気を配れる持ち主だからこそ、領民にも隅々まで気を配り、慕われて領民も生き生きと暮らし、最大限の力を発揮していただろうと想いを馳せることができます。ジュエリー制作に携わった職人たちに至ってもそうです。嫌いな人のために、才能と情熱を込めてここまで美しい制作することはあり得ません。デヴォンシャー公爵と庭師パクストンが尊敬し合い、協力し合い、コンサヴァトリーで南国の植物たちのミラクルを実現していた時代の宝物です。この時代のヨーロッパ貴族の心や、在り方が伝わって来る宝物です♪

3-2. イエロー・ダイヤモンドの特別な存在感

 今回の宝物の宝石は全てがスペシャルですが、猛者揃いの社交界では誰も思いつかない、しかも飛び切り優れたプラスアルファの何かがないと憧れや尊敬の対象にはなりません。誰でも持っているお金などを自慢しても、(場違いの新興成金のように)スルーされるだけです。宝石が極上なだけでは、生まれながらに持たされた財力と権力を証明するのみで、『当たり前』でしかありません。本人の才覚や努力を示すものとはならないのです。

ジョージアンのジャルデネッティのクラバットピン イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

左は特に貴重な19世紀初期のクラバットピンです。

アイテム数の少ないメンズ・ジュエリーは1つ1つにお金をかけますし、ステータス・アイテムとして仕事でも極めて重要なので、アイテム数を多く必要とする女性用のジュエリーより遥かに作りが良くお金がかけられている場合が多いことをご留意ください。

←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
英国王室3代のクラバットピン着用姿
アルバート王配(1819-1861年)1848年、29歳頃 英国王エドワード7世(1841-1910年)1900年代 エドワード7世の長男アルバート・ヴィクター王子(1864-1892年)

特に顔周りに近い位置で使用するクラバット・ピンは、リング以上に紳士用ジュエリーとして特別な地位にありました。小さな宝物に財力だけでなく教養と知性、個性とセンスを全力投入します。

ジャルディネッティ クラバットピン
フランス 19世紀初期
SOLD

ジャルディネッティ・ジュエリーなので、モチーフは"小さな庭"の美しい花々です。

現代の庶民の常識で紳士用か貴婦人用かを判断しようとする中途半端なアンティークジュエリー好きもいますが、知識がない故の頓珍漢な場合が多いです。

知識がない自覚はもちろんありません。自分は正しいことを完璧に知っていると確信しているので、当然ながら知る努力は絶対にしません。

ヨーク公ジョージ王子(エドワード7世の次男、後の英国王ジョージ5世)(1865-1936年)1893年、28歳頃 裏裏
マットエナメル・フラワー クラバットピン
フランス 19世紀後期
SOLD

※ジョージ王子と同じでなく同等品です

カラー写真がないのは残念ですが、後の英国王ジョージ5世はお花のクラバットピンを着用しています。上の宝物と類似したピンとみられます。

第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・ジョージ・スペンサー・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃 ジャルディネッティ クラバットピン
フランス 19世紀初期
SOLD

男らしいイメージが強い英国紳士ですが、お花や美しいものを愛する心と、男らしさは矛盾しません。少なくとも上流階級の男性はオシャレでした。

デヴォンシャー公爵も、肖像画にクラバットピンが描かれています。壮麗なコンサヴァトリーと共に、優秀な庭師パクストンと生み出したキャベンディッシュ・バナナや大ハスで知られる、デヴォンシャー公爵のような貴族にこそ相応しいクラバットピンですね。デヴォンシャー公爵にまつわる人物のものだったか特定はできなくなってしまいましたが、少なくとも時代的に、当時の社交界で公爵とこの宝物たちが同席した可能性は高いでしょう♪

紳士のクラバットピン 貴婦人のリング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

クラバットピンは紳士用、今回の宝物はサイズ的にも貴婦人のリングです。どちらも南国の花々を色石でカラフルに表現したデザインです。4大宝石を使用している所までは共通していますが、今回のリングはプラスアルファとしてイエロー・ダイヤモンドを使用しているのが唯一無二の特徴です。上質な4大宝石を入手し、カラフルな箱庭を表現できるだけで十分にステータスが高くセンス抜群と言えますが、そのような凄い人をさらに驚かせ、圧倒してしまうのが今回の宝物なのです!!♪

4大宝石を使ったジャルディネッティのクラバットピン イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

今回の宝物の宝石の質の極上さも改めて感じますが、そのような『財力と権力次第』の部分は持って生まれたものに起因する部分は二の次です。イエロー・ダイヤモンドを使うと言う発想は、財力と権力があるだけでは不可能です。この特別な宝石こそが、持ち主の天才的な才能とセンスを確固たるものとして示します。

このリングを着用する貴婦人に気づいた紳士ならば、ぜひとも家を任せるパートナーにしたい、後継の母親となってほしいと思うでしょう。このようにして社交界の華は憧れの存在となり、圧倒的にモテるわけです♪

3-3. エデンの園を想わせる宝石の花々の表現

3-3-1. 色彩のインパクトが特徴の南国の花や果実

 現代の庶民にとって、南国のフルーツはもはや身近な存在です。スーパーなどでも当たり前のように並んでいます。ただし、私たちが目にできるのは『食べ頃となった果実』のみです。

バナナ&パイナップルの花序
バナナの幼果と花序 "2017-01-29 Banana in Iriomotejima 西表島古見のバナナ DSC2302" ©松岡明芳(29 January 2017, 12:26:04)/Adapted/CC BY-SA 4.0 パイナップルの花序
"Ananas bracteatus Striatus ozz" ©David J. Stang(30 March 2006)/Adapted/CC BY-SA 4.0
黄色が印象的なバナナですが、花序の色彩も極上のルビーのようにインパクトがあります。バナナも花序は鮮やかです。南国の文化圏の、色彩感覚の理由が伝わってきますね。
パイナップルの初期の花序
 "PineApple - Aanas comosus - starting stage" ©Ramesh NG(18 February 2011, 10:43:00)/Adapted/CC BY-SA 2.0

この物理世界は、平面でなく立体です。宝物の撮影をするのでよく分かりますが、スケッチする場合はどの角度を捉えるのかも知識や感覚的な個人差が出ます。全ての生命と『神聖幾何学』、『フラワー・オブ・ライフ』は密接な関係ということが、この角度からよく分かりますね。

アメリカではキリスト教の影響で『進化論』を信じず、『創造論』を信じる人が現代でも約4割は存在することが有名です。宗教や神を信じる人は無知蒙昧な愚か者、非文明的と短絡的に看做す日本人もいますが、創造論支持者側の知識も得た上できちんと思考すると進化論の矛盾や欠陥などの多さも認識でき、どちらが正しいか判断できなくなります。『インテリジェント・デザイン(知的設計論)』、コンパスと定規の図像など、秘密の叡智を代々継承してきた社交界の限られた人々ならどう捉え、何を議論していたでしょうね♪

自分は分かっていると思い込み、知識を得る努力もせぬまま、浅薄な知識と経験を元に語る人々が嫌がられる理由が明確に存在するのです。個人の勝手な思い込み、浅知恵に基づく妄想や感想だけで語るのは傲慢怠惰であり、七つの大罪の中でも特に重い罪に該当します。自分は何もかも知っていて周囲より頭が良いと思い込む傲慢、知識や経験を増やす努力をしない怠惰。このような人と関わっても限りある時間(命)の無駄で、だから極力スルーされるのです。自覚がないのが殆どで、上流階級やエリートは冷たいと相手を非難する方向になりがちです。ここで視点を変えることに気づけば、変化や成長が起こせるでしょう。そこからが自己中心の世界から脱却した、共感力やエンパス等の広い世界です。

パイナップルの花
 "Ananas comosus-pineapple flowers - Kadamberi" ©FarNed2018(25 November 2018, 14:14:43)/Adapted/CC BY-SA 4.0

さて、パイナップルの鮮烈な赤い花序から咲く花は、高貴な紫色です。南国の植物はフォルムも色彩も、本当に個性的でインパクトに富みますね。

4大宝石を使ったジャルディネッティのクラバットピン イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

南国の植物に関する知識が不足している一般的な日本人では想像しにいくいですが、花も果実も経験的に熟知している当時の上流階級ならば、色石とその色彩にこだわった理由は一目見ただけで理解できたでしょう。

3-3-2. エデンの園

 『アブラハムの宗教』であるユダヤ教、キリスト教、ユダヤ教にとって、楽園追放以前に人類の祖先が住んでいたパラダイス『エデンの園』は重要な神の楽園です。様々な果樹が実り、禁断の果実以外は自由に食べることが許されたとされます。

『エデンの園』(エラストゥス・ソールズベリー・フィールド 1860年)

豊かな実りに加えて、禁断の果実を食べてから着衣するようになったことからも、非常に温暖な気候が想像できます。湿気の多い日本で30度を超えると熱く感じますが、それでも体温が36度の人にとっては6度も低いです。体温調節機能が未熟な乳幼児はもちろん、代謝が低下した就寝中だと裸では冷えて危険な状態になり得ます。この絵でも、右端にフェニックス(ナツメヤシ)らしき樹木が描かれています。

『エデンの園』(エラストゥス・ソールズベリー・フィールド 1860年)

樹上には色鮮やかな鳥たち、アダムの右には孔雀もいます。いかにも暖かそうです。そのようなイメージを欧米人が持つのは、聖書の言及も理由の1つです。特に実力ある画家はセンスだけでなく潤沢な知識と教養を備えており、題材に合わせて入念に調査もします。作品を鑑賞しながら、上流階級や知的階級が高度な知的議論するのが芸術界でした。議論を白熱させられるくらいでなければ、この時代は画家として高く評価されません。

Sergent James McCauleyナツメヤシとユーフラテス川(イラク)

旧約聖書の『創世記』に、エデンから1つの川が流れ出て4つの川(チグリス川、ユーフラテス川、ピソン川、ギホン川)に分かれたとあります。それらを元にしていくつか候補が挙げられていますが、メソポタミア南部(現在のイラク)も『エデンの園』の候補地として古くから唱えられています。ナツメヤシが人々の命を育んだ場所でもあり、この木は『生命の樹』ともされました。

デーツの収穫(エジプトのギザ 2023年)
"Date harvest" ©Doaa Adel(16 September 2023, 15:28:47)/Adapted/CC BY-SA 4.0

実際、デーツなど豊かな実りは命を支えてきました。この樹はヨーロッパにとって憧れの存在でもあり、古代ローマなどでも庭園に移植されるなど上流階級から高い人気がありましたが、ヨーロッパの寒い気候では結実しないそうです。豊かな実りは温暖の気候の証でもあります。

棗椰子(ナツメヤシ)
"Phoenix Daactylifera Date Palm Fields South Coast Wholesale" ©Southcoastwholesale(2015)/Adapted/CC BY-SA 4.0

食用のみならず、中東の灼熱の太陽から人々や作物を守る木陰としての役割も重要視されました。ナツメヤシそのもののみならず、『ナツメヤシの木陰』そのものが単なる日陰を超越し、信仰や生命力、文化や深い物語を象徴する言葉として様々な文脈で用いられてきました。

フェニックス(ナツメヤシ属)の葉

想像力を働かせることなく聞くと、意味不明に感じるかもしれません。実際に強い日差しの元で木陰を見ると、納得できます。

天使の羽根のようなフェニックスの葉
天使の羽根のようなフェニックスの影(2024.9.17) アールデコのマルカジットの羽根のクリップ式ロニエット『天使の羽根』
マルカジット マルチユース・クリップ式ロニエット
ドイツ 1930年頃
SOLD

葉の影は、まるで天使の羽根のようです。天使は巨人でもあるとされ、ナツメヤシの大きな葉はいかにも神々しさや畏怖を感じさせる天使の存在を彷彿とさせます。ナツメヤシ属へのフェニックスの命名は『不死鳥フェニックス』に因むともされ、死と再生は『復活』に繋がります。

The Yorck Project (2002) 10.000 Meisterwerke der Malerei ビザンチン様式モザイク『エルサレム入城の日』(パレルモ 1150年頃)

だからこそキリスト教にとっても重要なシンボルであり、様々な形で図像化されてきました。秘密の知識を持たない一般人には分かりませんが、持つ者にだけ伝わるメッセージが至る所に存在します。反応を見るだけで、一般人か特別な人々かが実はバレていたりします。

アールデコの棕櫚を持ち凱旋する勝利の女神のリバース・インタリオ・ブローチ『女神の凱旋』
アールデコ リバース・インタリオ ブローチ
フランス 1920年頃
¥2,200,000-(税込10%)

これは透明なロッククリスタルを使って、見えざる『光の存在』である神々を表現した宝物です。

アールデコの棕櫚を持ち凱旋する勝利の女神のリバース・インタリオ・ブローチ

高貴さと威厳を示すため、フェニックス(棕櫚の葉)を掲げた勝利の女神は着衣です。その一方、凱旋車を牽く男神たちは裸体です。神々の楽園は、やはり裸で過ごせるほど暖かそうです。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

秘密の叡智は、上流階級の中でもランクによって知ることを許される範囲が異なります。

どの時代も、上流階級の最高級ジュエリーには深淵なる叡智と卓越したセンスに基づく意味が込められているものです。これら特別な人々はエデンそのものに戻るのではなく、地上に楽園を創ることが使命とも言われます。

南国の果実の結実すら可能なコンサヴァトリーの具現化は、ある意味で『地上の楽園』を創ることに成功したとも言えます。現代では庶民ですら温室も暖房も身近ですが、当時リアルタイムで見れば物凄い発明と成果でした。その想いを込める意図もあって、『エデンの園』を想わせる宝物を創ったのだと想像します。満ち足りた幸せな世界、まさにパラダイスの輝きなのです♪

4. ジョージアンの最高級品ならではの作り

4-1. 各宝石への尊敬を感じる宝石ごとのデザイン

 紙に描く絵などと異なり、物質界に立体物として造形するのは手間も時間もかかります。だからデザインの使い回しは本当に多いです。今回の宝物は全ての宝石に対し、1つ1つ最適デザインを練った上で、高度な技術で具現化しています。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

葉っぱまで含め、各宝石に合うデザインで創っています。手抜きによる惰性で創った箇所が微塵も存在しません。実物はとても小さいですが、フォルム、彫金の細部に至るまで最高のプライドと真心を感じます。ここで特に面白いと思ったのがシルバー・セッティングのサファイア、そしてスペシャル・カットのルビーです。

4-1-1. シルバー・セッティングのサファイア

エドワーディアンのサファイア&ダイヤモンド・ネックレス『エレガント・ブルー』
エドワーディアン サファイア ネックレス
イギリス 1910年頃
SOLD

 先にご紹介した通り、色石は色彩をより美しく魅せるため、ゴールドでセッティングするのが最高級アンティークジュエリーの慣習でした。 

最高級の白い金属がシルバーからプラチナに移行した時代まで、青いサファイアにも適応された慣習です。

エドワーディアン サファイヤ&ダイヤモンド ブローチ『The Great Wave』
エドワーディアン サファイア&ダイヤモンド ブローチ
イギリス 1910年頃
SOLD

この宝物のサファイアは葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』に代表される、日本独特の『北斎ブルー』の海の色彩を持つ特別な石です。

だからこそ、特に色彩を重視して設計デザインされています。

非加熱サファイアの虹色のファイア

ベルリン・ブルー(ベロ藍)を使う北斎ブルーは、深い藍色が特徴です。南国の晴れ渡った爽快なアクアマリン・ブルーやエメラルド・ブルーではなく、荒れた海や裏日本の曇りの日の漁港で見られるような、情緒あるこの渋い色彩が見事ですね。この角度だと虹色のファイアが浮かび上がっているのがニヤリですが、セッティングにご注目いただくと、サファイアはゴールドでセッティングしていることにお気づきいただけるでしょう。

エドワーディアンのカリブレカット・サファイアのバー・ブローチ
アンティークのカリブレカット・サファイアのセッティング

カリブレカット・サファイア バー・ブローチ
ヨーロッパ 1900〜1910年頃
SOLD

この宝物もダイヤモンドはプラチナのセッティングに対し、サファイアはゴールドです。現代では、このような技術と手間がかかるようなことはしませんね。

コーンフラワー・ブルーの美しい非加熱ビルマ産サファイア&ダイヤモンドのアンティーク・リング『Blue Impulse』
ビルマ産サファイア&ダイヤモンド リング
イギリス 1880〜1900年頃
SOLD

シルバーの時代も同様です。

チンケな成金ジュエリーと違い、王侯貴族の最高級ジュエリーは高い安いではなく最も美しくなることを求めて素材を選びます。

色石はゴールドが最適とされ、サファイアも通常はゴールドでセッティングしていました。

4大宝石を使ったジャルディネッティのクラバットピン イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

左は14年前の設備で撮影したこともあって分かりにくいですが、サファイアはゴールド・セッティングです。今回の宝物のようにシルバーでセッティングするのは最高級品としては普通なく、明らかに何らかの意図があってのことです。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

クリアなダイヤモンドをシルバーでセットするのは、色味を反映して黄ばんで見えることを防止するためです。

一方、色石にゴールドを使うのは、色彩をより一層美しく魅せるためです。

総合的に考えると、この宝物の持ち主はサファイアに『純粋な青の色彩』を求めたのでしょう。ゴールドを使うと、条件によっては瞬間的に緑がかった色彩となる可能性があります。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

グリーン担当は極上エメラルドがいます。赤、青、緑、黄、白。このサファイアに対する期待の大きさが伝わってきます。完璧な青を求め、わざわざシルバーでセッティングしています。常識に捕われず、自身の感覚や価値基準に従って行動できる孤高の貴族しかできないことです。イエロー・ダイヤモンドを見い出せる人物ならば納得ですし、イエロー・ダイヤモンドに気づけたことが偶然でなく才能だったことも確信できます。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

そのような観点からも、このサファイアがシルバーでセッティングされていることは重要です。鑑定でもここまで拡大することはありませんが、非加熱サファイアらしい雰囲気も非常に魅力的ですね♪

美しく稀少価値の高い石だからこそ、200年ほどは経過してもビクともしない高度な覆輪留めが使用されています。せり出して高さがあるのも、実物はより印象的に感じる理由です。良いものは、平面でなく立体デザインが見事なのです。繊細さを演出するギザギザの覆輪留めは、奥から彫金しています。立体造形も見事ですし、彫金とのコラボレーションによってデザインが連続し、違和感なき一体感へとつながっています。

4-1-2. スペシャル・カットのルビー

 今回のルビーはカットのフォルムの設計も、天才的な閃きと高度な技術を感じます。ただ、あまりにもさりげなさ過ぎて、説明されなければ気づかない人も多いと思います。いかにも上流階級らしいです。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

ルビーは2石ともコンディションも抜群で、200年ほどもリングとして愛用されてきたとは思えぬほど輝きます。高さのあるイエロー・ダイヤモンドと比較しても、センター・ストーンや名脇役として引けを取らぬほどの輝きです。硬いとは言え、ダイヤモンドには劣るルビーの硬度、200年ほど経過したリングということを考慮すると不思議に感じました。しかし、どう見ても宝石を取り替えた形跡はありません(稀少価値の高い天然宝石を求めて石を取り替えたフェイクは市場に多く、作りやデザインだけ見ても、プロすら気づかない場合は多いです)。

150〜160年ほど経過 110〜120年ほど経過
ダブルハート リング(エンゲージメント・リング) アンティーク・ジュエリー『愛の誓い』
ダブルハート リング
イギリス 1870年頃
SOLD
初期の合成ルビー&ダイヤモンド・リングシンセティック・ルビー ダイヤモンド リング
イギリス? 1910年頃
SOLD

使用のされ方に大きく依存しますが、ルビーは摩耗します。特にリングは他のアイテムと比較してダメージを受けやすく、顕著です。Genも私も、コンディションが悪いものは仕入れません。ルビーを使ったこの2つの宝物は拡大したり、意識して注目しないと気づかない程度ではあるものの、200年に満たない年月でも摩耗感があります。

ジャルデネッティ・リング アンティーク・ジュエリー ジャルデネッティ・リング アンティーク・ジュエリー
ジャルデネッティ・リング アンティーク・ジュエリー

今回の宝物のルビーに摩耗感がないのは、使っても殆ど摩耗が起きないくらいフラットにカットしているからです。

本来なら扁平なカットは安っぽく感じがちですが、ファセットの面数や角度の設計が実に巧みで、立体的にカットしたかのように魅力的に煌めきます。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

規格が決まっていて画一的なカットしかしない現代ジュエリーと異なり、1つ1つの原石とジュエリーに合わせてカットも設計していた、非常に贅沢な時代の宝物と言えます。

だからこそ仕上がりには大きな差が出るわけで、天才的な設計と神技のカット技術があってこそです。まさにジョージアンの最高級品と言えます♪

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

この通り全ての宝石が尊敬の念を以って大切に扱われており、見ているだけでも嬉しくなる宝物です♪

4-2. ナイフエッジも駆使した軽やかな透かしの美

4-2-1. 巧みなナイフエッジ

 今回の宝物は、ナイフエッジを駆使した軽やかな雰囲気も特徴です。着脱時に殆ど力がかからないペンダントやネックレスと違い、特に耐久性が必要とされるリングは軽やかなデザインが難しいです。

個性が異なる最高級ジャルディネッティ・ジュエリー
ダッチローズカット・ダイヤモンドのジャルデネッティ・リング アンティーク・ジュエリー ローズカット・ダイヤモンドのジャルデネッティ・リング アンティーク・ジュエリー イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

左のように密なデザインならば耐久性を出しやすいですが、右2つのリングはナイフエッジを駆使しつつ、適切な箇所に適切な数の連結点を設計することで強度を実現しています。宝石を全面に押し出すデザインは誰にでも分かりやすく高そうに見えますが、高度な職人技と手間を必要とする透かしデザインは高価な宝石に勝るとも劣らぬほどお金がかかります。玄人好みの、美意識の高いデザインと言えます。宝石しか意識がいかない人は、その程度だと即バレすることにもなります。言語化領域を超えてやりとりするのが社交界です。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リングの裏側
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

リングなので、限界を追ったエドワーディアン・ネックレスのナイフエッジのような細さではありませんが、しっかりとナイフエッジに整えてあります。奥行も考慮して設計しており、実物は陰影と立体感によって一層花々が際立ちます!♪

4大宝石を使ったジャルディネッティのクラバットピン イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

着脱時のみ注意すれば良いクラバットピンならば、花や葉が単一で飛び出したデザインも可能です。リングは指を動かすたびに力が加わる可能性があり、複数箇所で連結することで強度を出すデザインが適します。繊細に見えますが、叩いて鍛えた鍛造の金属は強度が高く、割金によってさらに強度が出せます。規格が決まった現代と違い、当時は職人や工房ごとに秘伝のレシピがありました。

現代の高級ブランドの鋳造リング
【参考】ピンクトルマリン・リング(カルティエ 1999年) 【参考】ピンクトルマリン・リング(カルティエ 1990年代)

柔らかいとされるゴールドですが、それは純金や溶かして固めただけのキャスト法(鋳造)の話です。弱いので耐久性を持たせるために量を必要とします。ボテっとした無骨で不細工なデザインを納得させるため、「ゴールドをたっぷりと使っていて高級!!」と言います。素材にしか目がいかない成金嗜好の人は喜ぶようですが、オモチャとの違いが分からないデザインに、ジュエリーとしての価値は私は見出せませんでした。現代ジュエリーを1つも買わなかった理由です。私たちのお客様も、そのような方は多いです。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

ゴールドは割金や鍛造の仕方によって、鋼鉄やステンレス以上の強度を出せることが知られています。

財産性を持つ上にジュエリーとして使用し、さらに世代を超えて継承するためには相当な強度が必要です。ジュエリーの素材としてゴールドが愛用されたのは、強度すらも実現できる魔法の金属だからです。

ジュエリーの素材としてゴールドは弱いと言う人がいたら無知か、コストをかけずチャチな現代ジュエリーで儲けたい人なのでしょう。

4-2-2. 神技の透かし細工に見る美意識

 最初は連結してると思いましたが、よくよく見たら透かし細工になっている箇所がありました。メインのルビーのお花から左上に伸びた葉っぱです。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

鑞付けならまだ出来そうですが、鑞付けだと強度的に問題があります。加工の形状からも、鑢(ヤスリ)で磨いて完成させた透かし細工であることが分かります。シャープペンシルの芯より遥かに細いですし、紙も通らないレベルです。くっつけておいた方が楽なのは明らかで、なぜわざわざこんなことをしたのか意味不明レベルです!!

天然真珠&ゴールドのアンティーク・ピアス『Sunflower』
天然真珠 フラワー ゴールド・ピアス
イギリス 1880年頃
SOLD
天然真珠&ゴールドのアンティーク・ピアス
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

王侯貴族のために作られたアンティークのハイジュエリーでも滅多に出逢うことはありませんが、特に美意識が高いジュエリーでは、『透かし細工』に徹底的にこだわったものが存在します。

これもそうでした。

天然真珠&ゴールドのアンティーク・ピアス

一般的なシャープペンシルの芯は0.5mmで、特殊用途の超極細で0.2〜0.3mmです。ヤスリは自身も摩耗しながら、物理的に削ります。ただでさえ消耗品ですが、あまりにも細いと折れ易く、ちょっと調子が狂ったり角度を誤るとダメになります。この宝物の透かし細工は0.2mm程度しかなく、まさに通常のシャープペンシルの芯は全く入らない狭さでした。あのシャープペンシルの芯より遥かに細いヤスリで長時間磨くのです。一般人どころか並の職人でも無理で、完全なる神技です。

スペインワイン黄金期の天然真珠&ダイヤモンドの葡萄ピアス『スペインの葡萄』
天然真珠&ダイヤモンド 葡萄ピアス
スペイン 1870〜1880年代
SOLD
スペインワイン黄金期の天然真珠&ダイヤモンドの葡萄ピアス
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

この宝物に至っては透かし細工がメインではないにも関わらず、葉の造形に紙すらも通らない透かし細工が施されていました。

葡萄園を所有する貴族の特注品と見られ、だからこそ葉に至るまでのリアルな再現にこだわったのでしょう。

スペインワイン黄金期の天然真珠&ダイヤモンドの葡萄ピアス

一般的なコピー用紙の厚みは0.07〜0.09mmで、1mmの10分の1もありませんが、それが入りませんでした。厚手のコピー用紙だと0.10〜0.15mm、今の官製ハガキは0.21〜0.23mmだそうです。タイムスリップして、一体どうやってこの細工を実現させたのか見てみたいものです。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

流行と関係なく、各時代に徹底して透かし細工の限界に挑める職人と、それをこよなく愛する王侯貴族が稀有ながらも必ず存在するのが興味深いです。誰かの賞賛を得たいがためでなく、完璧に自己満足の世界です。これ以上の贅沢はあるでしょうか?♪

最高級ジャルディネッティ・リングの神技の透かし細工 最高級ジャルディネッティ・リングの神技の透かし細工
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

これだけの透かし細工が可能だからこそ、葉のパーツ自体の造形も立体的です。彫金による葉が2枚重なった表現、完璧な磨き仕上げによる瑞々しさを感じられるフレッシュな輝き・・。肉眼では視認困難レベルの神技です。『手元で眺めるプライベートな美術品』を意識しているからこそ、ここまで贅沢に手をかけることができるのです♪

4-3. 見えない細部に至るまでの彫金デザイン

4-3-1. 彫金を組み合わせて気配を消す視覚効果

 今回の宝物は『宝石物』に該当しますが、細工が主役でないだけで、細工も凄いことは間違いありません。しかもジョージアン・ジュエリーなので、そのこだわりと質も別格です。

最高級ジャルディネッティ・リングの神技の彫金 イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

サファイアとイエロー・ダイヤモンドの連結にご注目ください。影になるよう、奥まった位置にU字金具のように奥側に凸状で造形しています。さらに横線状に彫金を施すことで輝きを抑え、宝石を惹き立てるための名脇役として、できるだけ存在感を消しています。この細工は全ての連結金具に行っているわけではありません。

サファイアから右下のルビーへの連結は彫金がありません。但し、限界までナイフエッジをシャープに整えています。前者は模様を彫金するために、ある程度の面積を残したナイフエッジであることと対照的です。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

アンティーク・リングの着用感が優れている理由の1つですが、丸い指の形にフィットするようベゼルもカーブを付けて造形しています。各ナイフエッジもそれに合わせて角度が調整されており、放射状の配置となっています。だからこの角度の画像では、真正面と捉えているのはセンター・ラインにあるものだけです。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

金属はハレーション(白飛び)を起こすため、撮影が難しいことで知られます。今回は主役の宝石を優先した撮影なので分かりにくいですが、連結部の全てを尖らせたナイフエッジにせず、奥まった配置や彫金と組み合わせているのが実にセンスが良いです♪

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

強度を保つ機能的な部分が主目的ですが、美意識を置き去りにすることなく、むしろ変化をつけて生かす方向に持って行けるのが素晴らしいです。各個性を大切にしているからこそ人工的な不自然さがなく、命ある植物らしい生き生きとした佇まいに繋がっています。見事ですね〜!♪

4-3-2. ジョージアンの極上品ならではの彫金

 金価格が爆騰した19世紀初期のイギリスで制作されたゴールド・ジュエリーは、ゴールドの分量が少ないのが特徴です。贅を尽くした細工や気品ある美しいデザインが魅力ですが、本場ヨーロッパのディーラーも含めて歴史的な金相場の背景を知らない無知な人だらけなので、全てを一緒くたにして金の分量だけで評価する人々によって、価格が抑えられて(不当に低い評価)きました。

ジョージアンの最高級フラワー・ブローチ
ピンクトパーズのジョージアンのフラワー・ブローチピンクトパーズ&クリソライト
イギリス 1800年頃
SOLD
ペルシャ産トルコ石のジョージアンのフラワー・ブローチトルコ石&天然真珠&エメラルド
イギリス 1800-1820年頃
SOLD
カーブド・アイボリーのジョージアンのフラワー・ブローチアイボリー&トルコ石&エメラルド
イギリス 1820年頃
SOLD

宝石と作りを見ればどれだけの高級品か一目瞭然ですが、成金嗜好の人はゴールドの分量にしか意識が行かないのが興味深いです。ジョージアンのフラワー・ブローチなら全てが優れているわけではなく、コンディション含めて厳選しています。作られた数自体が少ないですが、評価が低かったお陰で良い時期にGenが集めることができました。市場の枯渇が進行した今では、委託販売で戻って来る以外はほぼ入手不可能です。

ジョージアンのコンクシェルのブローチ(アンティークジュエリー)ジョージアン プチ フラワー・ブローチ
イギリス 1820年頃
SOLD

このような宝物は「いつか・・。」という思考の人にはご縁はなく、永遠に手に入りません。人間には寿命があるのですから、頑張ったら手に入るならば、もし本気なら頑張って手に入れるべきです。

もし今が30歳で80歳が寿命とすれば、10年後に年をとってから手に入れるより、すぐ手に入れて50年間楽しむ方が得だと私の場合は考えます。後者は同じお金を出したとしても、40年間しか楽しめません。

実際には価格は上がる方向にしか行きません。長いこと物価上昇がなかった日本と違い、物価は上昇していくのが常です。ヨーロッパから買い付けるものですし、市場は枯渇が進んで稀少価値は上がる一方、流行り物ではなく劣化もしませんから、待っていれば価格が下落するようなことはありません。

ジョージアンのコンクシェルのブローチ(アンティークジュエリー)
ジョージアンのコンクシェルのブローチ(アンティークジュエリー) ←等倍↑

これはこのタイプでご紹介できた直近の宝物ですが、もう9年も経ちます。当時ですらこのような逸品は枯渇して出てこなくなっていたため、Genも大喜び&大感激の宝物でした。金細工もカラー・ゴールド、造形、彫金などのトップレベルの技術が組み合わさっています。

ジョージアンのフラワー・ブローチの第一級の彫金
ジョージアンのフラワー・ブローチの第一級の彫金
ジョージアンのコンクシェルのブローチ(アンティークジュエリー) ←等倍↑

見どころだらけですが、茎の彫金にご注目ください。一見するとランダムに見える、ありのままの自然に見える魚子打ちの模様がアーティスティックです。実物は2.0×2.7cmの小さなブローチですから、まさに神技です!♪

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
その視点でご覧いただくと、センターのルビー・フラワーから下に伸びた茎の彫金も、いかにもジョージアンの最高級品らしい気品あふれる細工とお分かりいただけると思います。
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

実物サイズを考えると驚異的です!!通常は影になってほぼ見えない部分まで神技の彫金が施されています。お花の首元は細かい模様で、下に行くに連れ大きな模様となっており、視覚効果でより立体的に見えます。芸が細かく、芸術性が高いです。宝石のみならず、アンティークジュエリーの細工の魅力が最大限に詰め込まれた宝物です!!♪

ジョージアンの最高級ジャルディネッティ・リングのクッションシェイプ・ダイヤモンド イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑
美意識の高い高級品は、茎の断面にも必ずデザインと細工を施すものです。ただし、このサイズでここまでやっているのは本当に感激しかありません!!あらゆる角度で美しく、どう考えても指に嵌めるためだけの目的ではありません。
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

手元で様々な角度から眺めて、個人蔵の美術品として楽しんでいたでしょうね!♪

きっと持ち主は心豊かな人物で、職人もそれをよく分かっていて、持てる全てを使って制作したのでしょう♪♪

4-3-3. ショルダーに隠された『秘密の叡智』

 今回の宝物はショルダーも見応えがあります。スパイラル紋様の根元から、優美な葉の装飾が透かし細工でデザインされています。サイズを考えると、この透かし細工と彫金も極めて高度です。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

ヨーロッパ王侯貴族の憧れだった、古代ギリシャの建築を想わせるデザインです。格調高い古代ローマとは違う、芸術性の高さを感じる佇まいです。ギリシャ芸術はローマ帝国でも評価が高く、ネロ帝やハドリアヌス帝のギリシャ芸術好きは有名ですし、当時も様々なレプリカやオマージュ作品が制作されていました。

【参考】現代の安物ジュエリー

ショルダーは指の傍から目に入ります。美意識が高ければショルダーにデザインを施すのは当たり前ですが、現代は「1円でもお安く!!」というように顧客が安さばかりが求めるため、ただ宝石が付いただけのチャチなものや、ありきたりのデザインばかりになっています。左はオールドカット・ダイヤモンドを使っていますが、現代の制作なのでデザインも簡素で作りもチャチです。アンティークのハイジュエリーではあり得ないデザインと作りなので、すぐにアンティークでないと分かります。カットしか見ない人は、アンティークと思い込んで買うかもしれません。そう言うのも、類は友を呼ぶ現象です(笑)

最高級ジャルディネッティ・リングのサイド

さて、スパイラル紋様部分に注目すると、左右が非対称なことにお気づきいただけるでしょうか。

最高級ジャルディネッティ・リングのサイドのスパイラルと透かし細工 最高級ジャルディネッティ・リングのサイドのスパイラルと透かし細工

上向きのスパイラルと、下向きのスパイラルで左右が構成されています。これは間違ったのではなく、意図したデザインです。これは秘密の叡智を共有する人にとっては、一番グッとくる部分かもしれません♪

陰陽魚太極図のバリエーション・デザイン
西ローマ帝国で使用された図像(430年頃)
 "Armigeri defensores seniores shield pattern" ©Fanfwah/Adapted/CC BY-SA 3.0
明 1613年 ピンクトルマリン&ペリドット&天然真珠の渦の透かしペンダント『愛と尊敬の螺旋』
サフラジェット ペンダント
イギリス 1900年頃
SOLD
アールデコの躍動感あふれるダイヤモンド・ネックレス『Heaven's Ladder』
アールデコ ネックレス
イギリス 1920年頃
SOLD

詳細は割愛しますが、古代から受け継がれてきた秘密の叡智の中でも、逆回転のスパイラルは特に重要な概念です。図像としては陰陽魚太極図が最も有名ですが、知識を持つ人は意識して見ることができるため、古今東西の至る所に象徴が隠されていることに気づけます。右2つの宝物も陰陽のスパイラル模様をセンス良くデザインしており、詳細を知りたい方はぜひカタログをご覧ください。

原始の魂の分離(古代ギリシャ 紀元前4世紀)
【引用】Wiki Lettres Antiques/Le mythe des androgynes ©Fandom
ピンクトルマリン&ペリドット&天然真珠の渦の透かしペンダント『愛と尊敬の螺旋』
サフラジェット スパイラル・ペンダント
イギリス 1900年頃
SOLD

左は陰陽わかつ前、原初の時代の魂を表現した図像です。紀元前5世紀のアテナイ黄金時代の哲学者にしてアカデミア創始者プラトンは著書『饗宴』で、人間球体論を論じています。元来、2つの性別を併せ持つ球体だった存在(魂)が分離し、その結果として今の私たちは、愛を通じて自分の片割れ(半球)を探し求めるという神話を語っています。光と闇、陰と陽、男と女・・。サフラジェットのペンダントはペリドットで男性、ピンクトルマリンで女性を表現し、逆回転のスパイラルを描きながら1つに統合したデザインです。この宝物も透かし細工にこだわっているのが面白いですね♪

『ヤコブの夢の景色』(ミヒャエル・ウィルマン 1691年) アールデコの躍動感あふれるダイヤモンド・ネックレス『Heaven's Ladder』
アールデコ ネックレス
イギリス 1920年頃
SOLD

『Heaven's Ladder』は天国への縄梯子を表現した宝物です。概念としては聖書に登場する『ヤコブの梯子』が最も有名ですが、少なくとも5千年は起源が遡れる『ジャックと豆の木』の縄梯子がインスピレーションの1つです。5千年前と言えば、天に挑んだニムロド王の時代あたりです。登った先は天国です。やはり逆回転のスパイラルの組み合わせで表現されていますね♪

最高級ジャルディネッティ・リングのサイドのスパイラルと透かし細工 イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング 最高級ジャルディネッティ・リングのサイドのスパイラルと透かし細工

左右で同じ向きなら、単に美しいデザインを狙ったものです。このリングが確実に高位貴族の特注品だからこそ、逆回転スパイラルに間違いなく意味があると言えます。陰陽のスパイラルが1つのリング(輪/和/環)に合一しており、やはり正面ベゼルの花々は天国である『エデンの園』も意識している可能性が高いです。

正面からは分かりません。左右の片側だけ見ても、よほどの認識能力と記憶力を兼ね備えていなければスパイラルの向きが逆とは気づかないでしょう。もし気づけたとしても、秘密の叡智に関する知識がなければ「向きが違うなぁ。」で終わってしまいます。これまでで一番ハイレベルのスパイラル・デザインと言え、さすがジョージアンの最高級品だと感動します!!♪

最高級ジャルディネッティ・リングのサイド イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

ちなみにショルダーの、葉の透かし細工の上下のフレームには溝が彫金されています。これもサイズ的に高度な技術が必要ですし、普通は気づかないような箇所です。ただ、気づかなくても印象には効いてきます。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング
イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング ←等倍↑

この角度からだとショルダーの溝の彫金、葉やスパイラルの立体感が分かりやすいと思います。このような立体デザインは、実物で立体視した時の高級感に如実に効いてきます。ただ、それを熟知した上で使いこなすのは至難です。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リング

この宝物の持ち主はかなり高い身分と美的センスだけでなく、頭脳に関しても当代随一の持ち主だったと思います!♪

好みなどはあると思いますが、ジャルディネッティ・リングでこれ以上のものはないと確信します♪♪

裏側

 メインのお花の裏側は、ルビーを花びらが優しく包み込むような立体的で優美な彫金が施されています。このような手間のかけ方は、古い時代の高級品の特徴です。

イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リングの裏側 イエロー・ダイヤモンドと色石の最高級ジャルディネッティ・リングの裏側

軽やかな透かしデザインをリングで実現するために、いかに工夫して強度を高めているかも伝わってきます。見えない裏側の『縁の下の力持ち』がいてこその、200年間もの耐久性です。慕ってくれる使用人たちと貴族のようでもありますね♪

着用イメージ

イエロー・ダイヤモンドの最高級ジャルディネッティ・リングの着用イメージ

 贅沢と知性とテクノロジーの当時の最高到達点であった、コンサヴァトリーでの社交用ジュエリーなので華やかで大きさもあります。

しかし良いアンティークジュエリーに共通して言えることですが、デザインが優れていると宝石が悪る目立ちせず、美しく調和するので下品に主張せず気品に満ちた佇まいとなります。

正装用とみられますが、ベゼルがフラットな設計なので、現代では大切にしながらもある程度は気軽に楽しんでいただいても良さそうです。ジョージアン貴族らしい、知的で落ち着いた雰囲気があってこそです!♪